03/10/05 23:08
クッツェーで植民地差別云々の話が出てきたところで―
一見安っぽい(読むと多義だと分かる)邦題をつけられた『調律師の恋』
The Piano Tunerが良かった。文学的偏差値(こと技巧)で言うと『抱擁』
『贖罪』には敵わないだろうけれど、それらに匹敵する美的感動がある。
西欧人のアジア・アフリカに対する異国趣味に立つ話なので「今さら…」の
設定ではありながら、最近邦訳の出たクレジオ『黄金の魚』、フルミーヌ
『蜜蜂職人』のように物足りなくはない。
『闇の奥』『王道』あるいはモームの『環境の力』をはじめとする一連の作品、
バタイユ『安南』のように、密林という環境(そこに暮らす民族も含め)に取り
込まれ、それまで身につけていた常識や判断に基づく自制を失っていく人間の
様がじっくりと描かれている。一種の狂気のように…。
我々もアジア人でありながら、アジア・アフリカに対する異国情趣というのは
西欧人に近しいものがある。だからその囚われ方、呑み込まれていく過程と
いうのが分かり易いのではないか。
呑み込まれた先の結末は、いつかディーネセンの話が出たとき「詩人」の
最後を表現していた言葉―「暗澹たる美しさ」で、同じように表せられる
ように感じた。しかし、単に審美的なのではない。
『王道』のような力強い昂揚感も伴っており、さすがに男性作家の
くくり方というか、好ましいものだった。