04/11/09 11:01:42
チリの文壇事情調べたら、アルゼンチンの批評家が威張りまくり。
アルゼンチンに、ポーランドから「亡命」したゴンブローヴィッチも、
アルゼンチンの文壇からは徹底無視される。
さすが南米のパリ。タンゴのくに。白人至上主義。アルゼンチン。
このくにの文学だけは信用ならない。
オクタビオ・パスはいいね。もっともハイデガーの影響下だが。
ハイデガーのいう「ことばは存在の住み処である」だが、これは
国語に閉じられているということだ。エスペラント語は存在しない
ということだ。そういうわけで詩のことばをハイデガーは重視する
が、アーリア民族と古代ギリシアの親近性を前提にしている。
ハイデガー影響下のひとびとは、むろん、国語(国境)に閉じられた
思考から抜け出ようとしつつ、ハイデガーの思想にとどまっていない
ね。
いっぽうで、論理学=エスペラント語というアホがいたり、
いっぽうで馬鹿のひとつ覚えのくせに(どうせ吉本あたりから覚えた
んだろう)、「エスペラント語」批判をして、国家、国語の肉体性
ばかり強調するバカがいるとしたら、やはりそうした観念性に囚われ
ない思考なり、ことばの在り方を成しえる土壌なりが注目に値する
んだろう。