03/08/14 12:21
>>502
北海道網走刑務所の囚人は開拓事業の作業員として割り当てられ、
逃亡しても見つけやすいよう全員が赤い服を着せられていました。
その服装から周囲の人は彼らを赤ん坊さんと呼んでいました。
彼らは二人一組で足枷をつけられたまま主に北海道東部の道路工事を行い、
後の網走周辺の発展の礎となりました。
しかしその労働は過酷を極め、冬でも粗末な赤い服一枚で働かされていました。
また、当時収監された囚人の多くは犯罪者ではなく思想犯、政治犯でした。
自由民権運動の活性化とその取締りの強化によって大量に発生した囚人の多くは
網走刑務所で過酷な労働を強いられたのです。
(モナー書房刊/北海道はでっかいどーより抜粋)