08/07/22 00:25:01 wtkvqBFI
陽が沈んでしばらくすると、茜色に染まった空のあちらこちらに星が瞬き始める。
金曜日の夕方は、行き交うサラリーマン達の足取りは軽い。
明日は休日ということで、はやくも、連れだって飲み屋の暖簾をくぐる者も多い。
雑踏の流れに半ば身を委ねながら進むと、『ティアラ』と書かれた看板が視界に入る。
木製のドアを開けると、カランコロンという、どこか懐かしい呼び鈴の音が俺を迎えてくれた。
あたりを見渡すと、エルメスこと、ひとみさんが軽く手をあげて、俺を呼びとめてくれた。
ずいぶんと久しぶりにお顔を見たが、思わず見とれてしまうような綺麗な人だ。
しかし、彼女の微笑みがどこか寂しさを含んでいることに、すぐに俺は気づかされた。
「お久しぶりです。山田さん」
俺は少し頭をさげて席につくと、店員が注文をとりにくる。
「ひとみさん。食事はどうします? 」
俺の問いかけに、ひとみさんは軽くかぶりを振った。
「分かりました」
俺はホットを頼み、店員がカウンターに戻ることを確認してから、声をひそめて切り出した。
「何が…… あったんですか? 」
ひとみさんは、貼りつかせていた形だけの笑顔を消し去り、物憂げな表情を浮かべた。
「ごめんなさい。呼び出してしまって…… でも、相談に乗って頂きたかったんです」
俺は、極力、表情をあらわさないように気をつけながら、話の続きを促す。
「実は、さやかとの事ですが…… 」
「さやかさん…… ですか? 」
「ええ。以前、山田さんには、私とさやかはルームシェアをする予定であることを、お話したと思います」
「はい」
頷きながら目線を落とすと、さやかさんの指が忙しなく動いている。
「アパートも決めて、もう入居するだけになっていたんです。でも…… 」
ひとみさんが顔をあげると、彼女の瞼から涙がこぼれ落ちそうになってしまっている。
「ひとみ…… さん!? 」
俺は、驚いて腰を浮かしそうになった。無意識にポケットをまさぐり、白い布を取り出そうとする。
しかし―
「さやかが入居を取りやめるって言うんです! 」
ひとみさんの悲痛そのものの叫びは、鋭い後悔の槍と化して、俺の心に深く突き刺さった。