24/04/13 21:23:00.53 0.net
>>386
回教=イスラムとわからない人がいる
1990年ごろの高校の教科書では
初出でイスラムとなっていて
イスラム(回教)となっていない
マホメット(ムハンマド)になっている
おそらく
ムハンマド(マホメット)になり
ムハンマドのみなった
391:世界@名無史さん
24/04/13 23:33:49.09 0.net
>>390
そんなこと言いだしたら、ムスリム=イスラム教徒とわからない人がいる、
とかなんでも言えそうな気がするよ
392:世界@名無史さん
24/04/14 09:01:07.65 0.net
>>389
中世自体が欧州の暗黒ミレニアムで、国を跨いで民衆を洗脳扇動していたは教会でしょうに
393:世界@名無史さん
24/04/15 17:04:47.75 0.net
議長をトップとするKGBことソ連国家保安委員会
だが委員会であるからには定例会議もおこなわ
れてた?
ついでながら委員会での会議に参加したであろう
委員は副議長とかKGB内にある各総局の長が
務めてたのかね
394:世界@名無史さん
24/04/15 20:01:57.66 0.net
>>391
ムスリム(イスラム教徒)と併記している
395:世界@名無史さん
24/04/15 20:07:47.27 0.net
>>394
している場合もしてない場合もある
回教もしている場合もしてない場合もあった
396:世界@名無史さん
24/04/16 09:42:16.55 0.net
質問
「BC3000年紀なかばから」とあった場合、BC2500より現在に向けてという意味であってますよね?それともBC3500から?
397:世界@名無史さん
24/04/16 11:45:19.35 0.net
あってます
100年単位のセンチュリー(世紀)
1000年単位のミレニアム(年紀)
3rd millennium BC
たぶん訳としては
千年紀=ミレニアム=millennium
紀元前第3千年紀なんだろうけど
紀元前3000年紀と表記されることが多く
年紀=ミレニアム=millennium
に思えてしまうこともある
2000年紀 AD1001-AD2000年 2nd millennium
1000年紀 AD1-AD1000年 1st millennium
BC1000年紀 BC1-BC1000年 1nd millennium BC
BC2000年紀 BC1001-BC2000年 2nd millennium BC
BC3000年紀 BC2001-BC3000年 3rd millennium BC
紀元前20世紀から紀元前29世紀
AD0もBC0もない
BC3000年紀なかばから BC2500から BC24世紀から
BC3000年紀後半から BC2501-BC3000 BC25-BC29世紀
BC3000年紀前期から BC2001-BC2500 BC21-BC24世紀
398:世界@名無史さん
24/04/16 11:46:56.27 0.net
訂正:
誤 1000年単位のミレニアム(年紀)
正 1000年単位のミレニアム(千年紀)
399:世界@名無史さん
24/04/16 14:07:27.65 0.net
>BC2500から BC24世紀から
BC25世紀じゃないか?
そうでないとBC100は紀元前0世紀になるぞ。
400:世界@名無史さん
24/04/16 16:39:05.93 0.net
BC3000年紀なかばから BC2500から BC25世紀から
BC3000年紀後半から BC2501-BC3000 BC26-BC30世紀
BC3000年紀前期から BC2001-BC2500 BC21-BC25世紀
BC1-BC100 BC1C
BC101-BC200 BC2C
BC1001-BC2000 BC20C
BC2001-BC2100 BC21C
BC2101-BC2200 BC22C
BC2201-BC2300 BC23C
BC2301-BC2400 BC24C
BC2401-BC2500 BC25C
401:世界@名無史さん
24/04/16 20:34:04.21 0.net
先日、NHKの世界史系の番組で学者が言っていた説
ローマ帝国でキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝は
実際はローマ帝国の西側しか支配できてなく、当時は西側には
キリスト教徒がほとんどいなかったとのことでした
この説に関してどう思われますか?
402:世界@名無史さん
24/04/16 20:43:03.82 0.net
コンスタンティヌス1世は東帝国が本拠地だが?
403:世界@名無史さん
24/04/16 21:21:45.01 0.net
コンスタンティヌス(のちの1世(大帝))は西の正帝としてマクセンティウスと争い勝利して西の正帝となった
313年ミラの勅令により両皇帝により合意したものの
東の正帝リキニウスはキリスト教をすぐに弾圧しはじめた
よって実質西半分でしか有効でなかった
323年クリソポリスの戦いで東の正帝に勝利し後に処刑したので
これにより全ローマを統一し、キリスト教公認が有効となった
コンスタンティヌスは支配の中心を東のコンスタンチノープルに移した
キリスト教の普及度ははっきりとはよくわからないが
コンスタンティヌスはもともとガリアにいて
洗礼を受けたのは死ぬ間際であり
凱旋門も太陽神でキリスト教的要素はなく
たぶん普及度はいまいちと思われる
やがて東部で神学的論争となりニケーア公会議(325)などでアリウス派を退け
アタナシウス派(のちのカトリック)が正統となっていく
負けたアリウス派は中心部(東ローマ)から辺縁部(ゲルマン・ガリアなど)に展開した
もともとあった古いタイプのキリスト教にアリウス派が流れ込み
最終的にはこれもアタナシウス派により制圧されていく
404:世界@名無史さん
24/04/17 00:30:35.53 0.net
>>403
アリウス派の話は質問とどういう関係があるんだ
お前、テストでいつも余計なこと書いて減点食らってた日東駒専レベルの人間だろ
405:世界@名無史さん
24/04/17 09:00:17.27 0.net
何もしないで文句ばっかり言うビジウヨを馬鹿にするな
406:世界@名無史さん
24/04/17 12:43:57.14 0.net
西ローマ帝国崩壊につながった「ゲルマン民族大移動」は世界史の大きな
トピックになってます
西ローマ帝国崩壊そのものよりゲルマン民族大移動そのものの方が大きな扱いです
これって現在に置き換えれば、リーマンブラザーズという巨大金融会社が倒産した
ことよりも、その原因となった「サブプライムローン問題」の方が大きなトピックに
なってるってことじゃないですか?
でも、実際はサブプライムローン問題よりもリーマンショックの方が大きな
トピックになってますよね?
この違いは何なのでしょうか?
407:世界@名無史さん
24/04/17 16:44:26.75 0.net
そのへんな改行はどうやったらできるの??
408:世界@名無史さん
24/04/17 16:51:01.68 0.net
>>406
今はなんだかんだで、pax Anglica が200年続いてんだ。
19世紀のpax Britannica 20世紀のpax Americana
その世界を動かしいるアングロサクソン人どもが自分らの人種がどこからどういう経緯で始まったかを認識しているのが、
4世紀か5世紀にアングリア人、サクソニア人、ユットランド人が大挙しておしよせてブリタニア島に住み着いたこと。
その前は長らくフランスが欧州の覇権大国で、起源をフランク王国に求めている。
近代的な法制度や主権国家の枠組もフランス覇権でトド乘ったものだ。
こういう大国が自分らの起源に深く関わった出来事としてゲルマン諸族の移動を捕らえていたので、当然、扱いも大きい。
ついでに、西ローマ帝国がいつまで存在してたか、というのは、実のところよく判らない。
一応日本では学校の教科書とかに476年ということになっているけれど、その年のできごとが区切りになっていたかというと
そうでもないし、そもそも西ローマ帝国というものが存在したのかというのも疑わしいくらいだし。
409:世界@名無史さん
24/04/17 17:51:06.54 0.net
>>406
結果が大事か原因が大事かの二択ってこと?
410:世界@名無史さん
24/04/17 20:49:03.67 0.net
>>408 >>409
こいつにレスくれてやるな。板違いの質問する>>365と同一人物
長年このスレにまとわりついて現在の出来事やら日本史やらしょっちゅう質問
「ガザ戦争はは世界史的な重要性はどうでしょうか?」みたいな
質問はですます調だが、板違いを指摘すると途端に本性を現わして相手を罵倒する
411:世界@名無史さん
24/04/17 22:00:52.03 0.net
>>410
罵倒されるような言い方をしたんじゃないの?
412:世界@名無史さん
24/04/18 10:10:15.73 0.net
ローマ時代のプラエノーメンにはガイウス、
マルクス、ルキウスなんかがあるが時代が
下るとフラウィウスばかりになったのは
何で?
5世紀に入るとほとんどフラウィウスな感じ
413:世界@名無史さん
24/04/18 11:05:55.39 0.net
>>412
日本だって、お公家さんの本姓が源平藤橘ばっかり、特に上位は藤原ばっかりになってたじゃないか。
414:世界@名無史さん
24/04/18 22:45:31.67 0.net
なぜカナダ独立戦争は起きなかったのですか?
415:世界@名無史さん
24/04/18 23:10:08.55 0.net
独立戦争する前に、本国が独立していいよ、と言ったから。
まず、完全自治を認める、内政の決定に本国からの干渉はしない、と宣言されて
自主外交権、国際連盟の加盟の推薦、本国政府とカナダ政府の対等の地位等々を
カナダの方から「独立させろ」と言い出す前に、本国から認められたから。
地域によっては、むしろ、自治権要らないイギリス領のが良いといって直轄植民地に
戻してくれと請願するくらい。
結局、頼る先を海を隔てた本国から、地続きのカナダに鞍替えした。
そういう経緯でニューファンドランドがカナダに併合された。
416:世界@名無史さん
24/04/20 11:46:36.98 0.net
中南米が人種の坩堝なのはスペイン人やポルトガル人がインディオを差別しなかったからということになりますか?
例えば日本だと士農工商の人達と差別されていたエタの部落民との間に子供が生まれるなんてことはなかったはずです。
417:世界@名無史さん
24/04/20 12:23:07.76 0.net
>>414
1.アメリカ独立時に一緒に独立しよう 拒否
フランス系(ほぼカトリック)が納得せずカナダが分離しそうで参加せず
2.自ら独立革命
米国のロイヤリストが流れ込んだ
毛皮をヨーロッパに売ってヨーロッパの製品を輸入する必要がある
議会設置、1830年代に 2つの議会、のち1840年連合法で1つの議会で自治政府完成
418:世界@名無史さん
24/04/20 14:39:47.64 0.net
>>416
白人女は中南米を差別して行きもしなかったから、侵略者は現地女とヤった
部落は大事にされていたから、侵略されずそのまま現代まで残存した
419:世界@名無史さん
24/04/20 19:33:24.51 0.net
>>416
差別がなかったとは言わないけど、それ以前のイスラム支配下のイベリア半島がすでに多民族共存国家で、北アフリカ出身の人間とも、肌の色より自分にとっての損得で交流してたから、心理的ハードルは高くなかったろうね
スペイン語のmorena(髪や肌が黒っぽい女、ムーア人が語源)って言葉は、色っぽい女というニュアンスだったりするし
日本や20世紀アメリカなどでは「白人以外の血が1滴でも入ってたら白人ではない」という価値観が支配的だけど、世界史全体で見るとその考えは普遍的ではない
中南米だとそのへんゆるゆるで「金と権力と地位があり、白人の父親に認知されてたら白人」だったから、インディオっぽい顔でも白人扱いの人はいた
きれいに人種で社会階層が分かれてたわけではなくけっこうカオス
420:世界@名無史さん
24/04/20 19:53:31.76 0.net
南アでもオランダ領時代の移住者の子孫であるアフリカーナ
には奴隷や先住民の血が入ってるな
421:世界@名無史さん
24/04/20 21:09:58.45 0.net
アフリカだと「黒人以外の血が1滴でも入ってたら黒人ではなく、白人の血が1滴でも入っていたら白人」って基準の国もある
オバマが当初、アメリカ初の黒人大統領と報じられ、父の故郷のケニアの村に取材陣が押しかけたら、村人から「え?あいつは白人だろ?」って反応が返ってきたって話があるな
422:世界@名無史さん
24/04/20 21:40:09.66 0.net
アメリカだと白人は混ざってるから白人主義であるが
ヨーロッパだとアングロサクソンとかは民族主義に近いんではない?
423:世界@名無史さん
24/04/20 22:31:50.35 0.net
スーダンのアラブ人はパッと見だと黒人だが
現地の黒人がイスラムに改宗しアラビア語を
母語としただけでなく、アラブ人の血も入って
るんだろうな
424:世界@名無史さん
24/04/20 23:50:06.77 0.net
>>416
めっちゃ差別してたよ
現地人の人格も尊厳も無視してレイプ放題。
ヨーロッパ系どうしでも差別。
本国に生活基盤があってつながりを維持しているペニンスラーレと
本国との縁故を失ったクリオーリョとで、ものすごい差別待遇。
425:世界@名無史さん
24/04/20 23:52:14.13 0.net
>>419
ブッシュ父子はポカホンタスの子孫なことを公言してたで。
でもガチWASP階層だで。
426:世界@名無史さん
24/04/20 23:54:16.26 0.net
>>423
アラブ人の太祖イスマイルからして黒人の腹から生まれてきてんじゃん。
427:世界@名無史さん
24/04/20 23:57:55.17 0.net
>>416
スペインやポルトガルはカトリックの国でカトリックでは「人類は神の前に皆平等である」とするので差別というものは建前上はないよ。
オーストラリアのアボリジニは差別されていたがオーストラリアを支配していたイギリスの宗教はカトリックではなく英国国教会で、またアボリジニも人類とは見做されてなかった。それで狩りの対象とされるなどひどいことをされてしまう。
428:世界@名無史さん
24/04/21 08:01:56.94 0.net
>>427
何を以て人類とするか、だよな。
信仰無き者は人に非ず、この場合の「信仰」とはキリスト教
コロンブスが西インド到達初到達で獲得した品物としてイザベラ女王に奴隷を献上。
豊臣秀吉がスペインの奴隷売買に怒ってキリスト教を禁止し長崎の宣教師を斬首。
さらには、フェリペ三世のモリスコ追放令。
モール人がはキリスト教に改宗したところで王はこれを臣民とは認めず。
同時代のバレンシア教区の司教フアン・デ・リベラはモリスコの奴隷利用を主張。
奴隷禁止が
アメリカで1865年、ブラジルで1888年。
429:世界@名無史さん
24/04/21 21:46:29.07 0.net
最近は差別用語?なのか知らんけど昔の映画見ててカラードって言葉を思い出した
黒人白人の間の子は扱いやイメージは色々あってデリケートよな
430:世界@名無史さん
24/04/21 22:44:15.58 0.net
正直、ネット民がやたら人種やら差別やらの話題が好きすぎるのは、たまに辟易する
ネイティブアメリカンの人がエッセーで、居留地の周囲に「私があなた方の代わりに怒ってあげます」っていう意識高い系の人たちが住み着いて、世間にケンカを売るので困っているって書いてたの、思い出すわ
431:世界@名無史さん
24/04/21 23:44:47.71 0.net
インディオを奴隷にして良いかどうかは本国で議論となった。イザベル女王は敬虔なカトリック教徒として1495年4月16日に神学者、法学者が結論を出すまで奴隷の売却を禁止するという勅令を出した。しかし既にポルトガル経由でアフリカからの黒人奴隷が売買されており、女王も奴隷制度そのものを否定できなかった。女王はインディオ奴隷化には強い反感を持って、奴隷売買禁止を命じたりしたが、結局不徹底であった。しかし女王のコロンブスに対する信頼は次第に揺らぎ、ついにはコロンブスはインディアス統治に問題があるとして捕らえれてしまう。コロンブスに変わってインディアスの総督となったオバンドのもとで、法的は奴隷制度ではないが実質はインディオを奴隷状態に貶めることとなるエンコミエンダ制がとられることとなる。<増田義郎『新世界のユートピア』1971 中公文庫版 p.107-115>
エンコミエンダ制は実質はさておき、理念はインディオを自由民としてその保護を掲げたものであったが、1504年にイサベル女王が死去し、その後夫のフェルナンド(アラゴン王)がスペインの摂政となると、信仰心の厚い方ではなかったフェルナンドは、インディオ保護策を転換し、専ら経済的効率の観点から、インディオの使役を強化した。またその結果、インディオ人口が減少すると、アフリカからの黒人奴隷を労働力として導入することを認めた(1510年)。<増田義郎『新世界のユートピア』1971 中公文庫版 p.120-122>
432:世界@名無史さん
24/04/22 07:32:45.77 0.net
フム、
433:世界@名無史さん
24/04/22 07:39:04.07 0.net
本当に経済的観点からか?
奴隷労働は従事者数あたりの生産効率が低いんだよな。
434:世界@名無史さん
24/04/22 11:04:16.74 0.net
女王は奴隷が好きなんじゃないの?
卑弥呼が魏の国に送った生口とか
クレオパトラが踊ったりとか
ビクトリア女王のお気に入りのサラ・フォーブス・ボネッタとか
435:世界@名無史さん
24/04/22 11:41:16.09 0.net
イサベル女王はコロンブスがインディオを連れ帰ったら、可哀想じゃないのと怒った
436:世界@名無史さん
24/04/22 12:15:11.42 0.net
コロンブスの義父はポルトガルのフリーメイソンのグランドマスターだけど
実際の所、どの程度物心両面の援助を受けたのですかね?
437:世界@名無史さん
24/04/22 12:51:29.63 0.net
スペイン人やその血を引く中南米人にはロマ
の血も流れてる?
438:世界@名無史さん
24/04/22 16:41:23.35 0.net
>>437
現代のスペインで人口の1~2パーセントがジプシーで、隠れジプシーがその3~5倍はいるというから。
隠れジプシーが子にも出自を隠したままだったりしたら、その代以降はどんどん混ざってしまうだろ。
439:世界@名無史さん
24/04/22 17:03:05.43 0.net
メキシコには人種差別はない
けどメキシコ人はアメリカでは差別される
440:世界@名無史さん
24/04/22 17:04:27.59 0.net
>>439
そうなんだ、キューバと似ている
441:世界@名無史さん
24/04/22 18:04:28.21 0.net
>>439
白人の中でもいっとう残虐なスペイン人と、
生贄大好き生皮剥いで活け胆を毟るアステカ人やマヤ人の
ハイブリットだぞ。
人の活き血や活け胆を欲するトナティウホやイシタップの神の信仰に
異端は火炙りのカトリックに被さって、信心があると余計に残虐になる
酷い道徳観だぞ。
で、人斬りが平気なギャングが跋扈する、サザンクロスシティーみたいな
悪い意味での実力主義社会。
442:世界@名無史さん
24/04/22 18:51:08.90 0.net
このスレにも差別的な人いる
443:世界@名無史さん
24/04/23 00:21:35.43 0.net
この日本でも日本人に差別的な人いるからね
444:世界@名無史さん
24/04/23 10:29:47.03 0.net
コロンブスは第一回の航海での成果をあまりに誇張して王室他支援者に報告したので(無尽蔵の金銀財宝や香辛料が彼の地にあるのは間違いない、とか)、2回目の航海では新天地を求めて多くの植民者がコロンブスと共に渡海したのだがその金銀や香辛料などなかった(金はジパングに少しだけど発音が似ているシバオという山で少しだけ砂金が取れたが
、最初インディオからシバオの存在を聞いてそれがジパングではないかと期待したコロンブスを満足させるには程遠かった)。
引っ込みがつかなくなったコロンブスはまず現地植民者への給金や補給や植民地統治など27ヶ条の提言を王室に対して行い、そのほとんどは了承されるが、一つだけ「インディオの奴隷を本国に送る代わりに家畜を本国から受け取る」についてはそれを認めなかった。
しかし何も収穫がないまま植民者の不満は募り遂にコロンブスに反乱する気配まで見せるようになる。
そこでコロンブスは実力行使とばかりスペインにインディオの奴隷200人を送り家畜などを送るように要請するが、イサベル女王はこれに強く反発し奴隷を西インドに送り返す。
王室ではコロンブスの統治能力と彼の誇張された財宝の話に疑問を感じ、コロンブスも弁明の為に一旦帰国する。
445:世界@名無史さん
24/04/23 20:26:04.60 0.net
>>433
たしかに
欧米が奴隷制を廃止したのは「心が優しいから」では無く、奴隷制だと経済成長しないので国際競争に勝てないから、なのよね
アメリカでも北部は経済成長してたのに南部は低成長だった
逆にいえば経済が低成長の国はシステムに奴隷制を残していることになる
日本経済が低成長なのは竹中平蔵によって派遣奴隷制度が導入されてしまったせい
446:世界@名無史さん
24/04/23 20:48:24.00 0.net
なんか、順番が逆だなあ
アメリカ南部は低成長(成熟、輸出産業があった)、北部は賃金労働者が欲しくて黒人が欲しかった
低成長(デフレ)だから賃金抑制策(派遣導入)
447:世界@名無史さん
24/04/24 12:09:11.81 0.net
大阪でやってる「古代メキシコ展」行ってきました
マヤとかアステカで紀元前~紀元200年頃の出土品で
結構な文化財がいろいろ出品されていました
マヤやアステカなどの中米文明って為政者や高官などの
人名がある程度はっきりしてくるのはいつ頃なんでしょうか?
日本ならだいたい飛鳥時代くらいですね
448:世界@名無史さん
24/04/24 17:00:29.44 0.net
温度30度で湿度高い 不快
温度30度で湿度低い 悪くない
これを測るのが摂氏と華氏だった?日本語でおかしくなった?
449:世界@名無史さん
24/04/24 17:02:39.62 0.net
日本の夏だと30度以上は確実に不快、温度さえ低くなれば快適というおおざっぱ
計測方法を歴史のどこかで間違えた?
450:世界@名無史さん
24/04/24 19:14:38.34 0.net
>>445
南部は農業地帯で、簡単に手順を教えただけの奴隷でもOK。
しかし北部は工場地帯で、工員にはある程度の教育を施さなければ役に立たない。
451:世界@名無史さん
24/04/24 19:54:24.46 0.net
>>448
摂氏はセルシウスという人名の「セ」に由来し、セルシウス氏の略です。
華氏も同様にファーレンハイト氏の略です。
452:世界@名無史さん
24/04/24 20:20:28.57 0.net
>>451
それで
453:世界@名無史さん
24/04/24 20:20:58.66 0.net
>>451
ネットにない資料にはなんて書いてある?
454:世界@名無史さん
24/04/24 21:37:27.76 0.net
>>393
委員長とか議長とかいう肩書の共産圏の独裁者に多いよな
455:世界@名無史さん
24/04/24 22:04:42.06 0.net
ピサロはインカ皇帝アタワルパの処刑には最後まで反対したと言われ裁判で処刑が決まった時にピサロもアタワルパも涙を流したという。
アタワルパが火刑で括り付けられた時に神父より再度改宗の勧めがあり、初めは断ったアタワルパだが、改宗すれば火刑から絞首刑に変えられると聞くと、太陽神の末裔たる皇帝は身体が残っていれば再生するという伝承がインカにはあったので、アタワルパも改宗を望むのだが、本当に処刑方が変わるのかが心配だった。
それでピサロの方を見るとピサロも頷いたので、安心して改宗し処刑されたという。
ピサロとアタワルパは身代金の黄金や銀などの逸話もあるが、毎晩共に食事をするなどある程度の友好関係でそれまできていた。
しかし、金銀を独占しようとするピサロ軍に後から合流したスペイン軍(人数はピサロ軍と同程度)が反発し、ピサロと金銀交換条約を結んだアタワルパがいなくなればその金銀はインカに入る前の協定では按分されることになっていたのでその通り履行させるべくアタワルパ処刑を訴える。
アタワルパ奪還にクスコから大群が来るという噂まで流してピサロ軍の部下も怯えさせてスペイン人の意向を処刑に傾けたという訳だ。
ちなみにピサロの現地妻はアタワルパから与えられている。
アタワルパの妹でピサロから可愛がられたという。
456:ウムウル
24/04/24 22:22:17.64 0.net
>>447
コデックスがほぼ死んでるから
基本的にほとんどわからない気がします
髪なしで飛鳥時代のことを理解できる程度かと思います
457:世界@名無史さん
24/04/24 23:00:52.04 0.net
>>455
田村麻呂と阿弖流為みたいやの。