五胡十六国南北朝を語るスレ18at WHIS
五胡十六国南北朝を語るスレ18 - 暇つぶし2ch49:JBL
22/11/22 07:26:35.53 0.net
涼は十六国のうち五国を占めてるが
どれも甘粛省あたりのローカル勢力だな

50:JBL
22/11/22 07:42:06.83 0.net
あとは、南燕が山東半島なのが異色だ
とても北方民族王朝の版図とは思えん

51:JBL
22/11/22 07:43:18.01 0.net
異民族王朝といっても基本的に、燕は北京帝国、秦は長安帝国だ
それは変わらない

52:JBL
22/11/22 16:43:21.03 0.net
昔から思うんだが、十六国は細かく分けすぎだ
燕・秦・趙・涼の4つに分けて考えれば十分
前後だの南北だのに分ける必要がない

53:世界@名無史さん
22/11/22 21:00:27.38 0.net
高い安いという述語は、北西の高氏、ソグド系の安氏から来ていて昔の朝廷はソグド商人から物を買っていた。理由は、安かったから。ソースなし

54:JBL
22/11/23 08:09:07.41 0.net
ボクとキミは、朴氏と金氏が語源
みたいな話だな

55:世界@名無史さん
22/11/23 17:51:33.88 0.net
北魏って魏郡に都置いてなくね?
何で魏なんだっけ?

56:世界@名無史さん
22/11/23 18:19:06.91 0.net
前漢の火徳を継ぎ、五行相生となる土徳となる国だから(孝文帝の改革前)。曹操の魏も土徳。
URLリンク(1000ya.isis.ne.jp)

57:世界@名無史さん
22/12/03 19:55:32.40 0.net
鮮卑の拓跋部では、三国時代の261年、拓跋力微が曹魏に対して朝貢を行っているが、このことが後に、国号を魏に定める由来となった。

58:世界@名無史さん
22/12/03 20:03:29.68 0.net
>>57
曹魏の土徳を継いでいたら金徳になるはず。後漢の火徳を継いで土徳なら、曹魏の否定になるんじゃなかった?

59:世界@名無史さん
22/12/04 16:46:17.79 0.net
>>58
シンプルに曹魏リスペクトしてるから魏にしとくわってだけでしょ
五代とかでもそんな感じだし

60:世界@名無史さん
22/12/05 11:04:47.27 0.net
>>59
五行の徳を見ると違う気がするんだよなぁ。リスペクトする王朝の徳は受け継ぐのが基本だから。
孝文帝は西晋の金徳を継ぐ水徳に変えたから、曹魏や西晋も肯定。これが漢化の一環にもなっていそうだ。

61:世界@名無史さん
22/12/13 17:14:54.12 0.net
鮮卑と匈奴って言葉通じるの?

62:世界@名無史さん
23/01/07 06:01:50.44 0.net
五胡は最低でも数世代は中国内部に住んでたんだし中国語喋ってたんじゃね

63:世界@名無史さん
23/01/07 23:23:06.77 0.net
西晋の恵帝の皇后、賈皇后なんだが
「賈南風(かなんぷう)」「賈南鳳(かなんぽう)」どっちが正しいんだ?

64:世界@名無史さん
23/01/23 06:43:54.75 0.net
賈南鳳って何の記述?

65:世界@名無史さん
23/01/23 08:02:11.11 0.net
人は数世代を経ても、たいして変わらないということが、アメリカ合衆国を見るとよく分かる
ドイツ系とイタリア系なんか、いつまでたっても大きく異なる

66:世界@名無史さん
23/02/09 11:24:54.05 0.net
>>64
「中国歴代皇帝人物事典」だったと思う

67:世界@名無史さん
23/02/21 16:46:14.65 0.net
誤植だろう

68:世界@名無史さん
23/03/03 16:06:06.01 0.net
モンゴルに詳しい研究者「猫准教」とは
URLリンク(finance.yahoo.co.jp)
Yahoo掲示板でやっていること
・女性教員を自称
・准教授を自称
・モンゴルに関する自分の考えを投稿
・名古屋大学の学生が掲示板に書き込みをしていたから、みずからの京都大学の身分証の画像を貼る(既に削除済み)
→モンゴル史を専攻している該当の「准教授」は存在していない。講師・助教・研究員については不明。
・個別銘柄である、三菱フィナンシャルグループ(8306)の株式を2023/2/20に売買し、800万円以上の利益を得たスクショを投稿(既に削除済み)

69:世界@名無史さん
23/03/03 16:06:35.53 0.net
「猫准教」の投稿
13~14世紀は、ユーラシア大陸を語るに於いて、モンゴル帝国の時代だといってもいいでしょう。彼らは破壊の限りを尽くしたけれど、奇しくもそれが東西交流の発端にもなった。なにせ中東・イスラム文化の殆どを破壊し、果ては今でいうルクセンブルクを超えるぐらいにまで迫るもんだから、欧州文化はこの破壊の疾走に恐怖を覚えたものでしょう。その証拠に当時のローマ教皇は、タタール人をキリスト教に改宗させるために修道使節を派遣しているし、同じくフランス王も懐柔使節を派遣しています。
その甲斐もあったんでしょう、東西交流は矛戟を構えることなく進み、安全が確保されたことから、後のマルコ・ポーロが出てくる地盤が構築されました。
このように、曲がりなりにも交易路というものが獲得されれば、自然と文化の成長変化もあらわれます
今回特筆しようものは、アジアに於けるその学問で、元の郭守敬はアラブの数学を会得して授時暦という太陰太陽暦を編み出し、これは後の日本で頭角を現し、日本独自の暦を作り、日本初の天文学者とされる渋川春海が考案した貞享暦にもおおいに影響を与えたもので、歴史的発明のひとつといえるでしょう
しかしながら、元国内に限っては、官吏登用制度である科挙が一時廃止されたこともあって、士大夫(上級官吏)階級の地位が低下したため、中国(元)由来の学問や思想は生じなかったという側面があるものの、政界から離れた知識人が市井郷里に戻ることで、かわりに庶民文化というものが発達し、なかでも趙孟を原点とする文人画家は、黄公望、倪、呉鎮、王蒙ら四大家によって漢代発祥とされる宗炳が方向づけた山水画の描法が様式化され、南宋画というものが確立されました
余談にはなりますが、この中国から伝播した南宋画の模倣から脱却したのが、かの有名な雪舟であり「天橋立図」や「秋冬山水画」などは国宝として今でも国に管理され、日本の絵画史において格別の評価を得ています
末尾として、もう少しだけ中国文学に触れておくと、日本でも不朽の名作として万人に知られる「水滸伝」や「三国志演義」などの劇場型文学は、その原型が元代にできあがったといわれています。この両作品に共通する傾向は、社稷を蝕む高級官僚に国を憂う正義の英雄たちが挑むも、志半ばで悲劇的な結末を迎えるという内容で一致しており、当時の抑鬱された民衆感情が色濃く出た、わかりやすい作品です


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