五胡十六国南北朝を語るスレ18at WHIS
五胡十六国南北朝を語るスレ18 - 暇つぶし2ch2:世界@名無史さん
22/09/19 17:21:57.19 0.net
乙です

3:世界@名無史さん
22/09/19 20:45:00.77 0.net
>>1
南北朝時代の名将って誰がいるんだろう

4:世界@名無史さん
22/09/19 22:20:00.56 0.net
慕容恪なんかどう?

5:世界@名無史さん
22/09/19 22:47:05.26 0.net
南北って言ってるのにいちいち詰まんねーボケをかます老害

6:世界@名無史さん
22/09/19 23:04:43.18 0.net
はいはい怒らないよー

7:世界@名無史さん
22/09/19 23:19:53.90 0.net
それにID出ないじゃんジジイ、説明しろハゲ

8:世界@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
文句いうなら手前で立てろよハゲジジイ

9:世界@名無史さん
22/09/20 15:52:04.02 0.net
いきなりスレ終了か

10:世界@名無史さん
22/09/20 16:11:09.25 0.net
暴言荒らし自演し放題か

11:世界@名無史さん
22/09/23 09:42:36.25 0.net
>>1
🇭🇺ハンガリー?!

12:世界@名無史さん
22/10/09 06:06:33.01 0.net
五胡十六国以前の江南が、人口の少ない開発途上地域だったというのは
一般にあまり知られていないよな

13:世界@名無史さん
22/10/09 12:13:52.11 0.net
>>12
常識レベルの知識やろ

14:JBL
22/10/10 15:10:00.65 0.net
>>13
> 常識レベルの知識やろ

いや、そんなことはない
そこは中国史でも錯覚しやすいポイントのひとつ

15:JBL
22/10/10 18:34:34.87 0.net
今でも、北京に行って明清時代の遺跡を見て、
「中国四千年の歴史はすごいですなあ~」と
いう人はあとをたたない
河南省や陝西省の廃墟を見て感動するなら分かるが
北京より、京都や大阪のほうが歴史が長いよ(笑)

16:JBL
22/10/10 18:40:43.64 0.net
話が脱線したけど、三国志の呉あたりから江南の本格的な発展が始まった
秦漢帝国までは、ほぼ「古代黄河文明の延長線上」と言ってよい
南北朝時代に、南京は東洋文明の中心地になる
隋唐帝国は、江南の経済力に依存することになる。
隋の煬帝は揚州に行幸したまま帰ってこなかった

17:世界@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>15
北京は燕京
2800年の歴史なんやけど

18:世界@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>16
でも靖難の変で北京に遷都して以後は二度と南京に都が置かれることは無かった

19:JBL
22/10/10 20:08:03.61 0.net
>>17
いや、北京と燕京は場所が違うし、燕京など辺境そのもの

20:JBL
22/10/10 20:42:12.92 0.net
>>18
 
中華民国の南京政府を勘定に入れても良いと思われる

21:JBL
22/10/10 20:48:49.97 0.net
南北朝時代に、倭は南朝に朝貢するようになった
倭から南朝への通商ルートは、北九州から南朝鮮に渡って
半島伝いに迂回する
朝鮮半島と山東半島には距離がかなり近いところがあり、
そこを渡るのが最も危険の少ないルートだった
だから、山東半島を敵対勢力の北朝に支配されるのは
倭にとっては死活問題だった

22:世界@名無史さん
22/10/11 00:54:36.82 0.net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

23:世界@名無史さん
22/10/11 06:08:40.07 0.net
大虐殺祭りの時代だからな。

24:世界@名無史さん
22/10/11 14:03:18.40 0.net
この本は読んだが、一言で言えば虐殺に次ぐ
虐殺の時代 そんな時代でも人は生きてきた

25:JBL
22/10/11 15:08:33.38 0.net
古い黄河文明の先住民は、ここでほぼ滅亡した
代わりの人たちが移住してきて、新しい中国人になった

26:世界@名無史さん
22/10/20 12:15:40.33 0.net
ユーラシア大陸の歴史では、異民族の侵入によって国が滅んだり、
民族構成がガラリと変わってしまうのは珍しいことではない。
むしろ日本や西欧のように、一国の歴史がほぼ一直線に
通史として語れるほうが例外。

27:世界@名無史さん
22/10/29 16:48:41.25 0.net
ガラリと入れ替わるような事態は特に起こっていないぞ
常に漢民族が人口で圧倒して支配民族も漢民族を自称するぐらいだし
漢化を拒もうとした例では満州族の清なんかが挙げられるが結局服装や髪型は抵抗できても
人口の内に吞まれて行って現在ほぼ消滅の危機だ

28:世界@名無史さん
22/10/29 19:33:46.80 0.net
台湾が戦後民族浄化にあい、入れ替わってしまってるぞ。

29:世界@名無史さん
22/10/30 07:53:50.50 0.net
漢民族の構成と中国の王朝交代のお決まりに目を向けると、遊牧騎馬民が食料の備蓄狙いで農民の発揆と結託あるいはそのどさくさ紛れに王朝交代してきた歴史があるよね
気候変動で国が弱るたび攻められて、倒されたら同じような由来から英雄を擁立するような流れになってる
結束力が強く機動力が高い分士気の低い王朝側は常に不利だった
小民族が多いのは安定供給される食料を巡って同じ所へ集まるからだな

30:世界@名無史さん
22/10/30 11:39:50.29 0.net
共産主義も中華民国も日本が裏方となって作った世界システムの一環だから、中国はどこまでも根が深い同胞なのかもしれない。そもそも、日本が名づけたのは自分達のルーツと同じ豊葦原中国と同語の中国という国号だからな。そのシステムの中で、沖縄や台湾は民族浄化に近い経験をしてきている。
ユダヤ人は特定の家系以外は遺伝子に基づく民族ではなく顔立ちも容貌も様々だったが、イスラエルは急激にロシア顔フランス顔に触れていっている。これもある意味では民族浄化に遭っている。イギリスもクロムウェルの共和制以降は一気にユダヤ化した。こういう例は枚挙にいとまがない

31:世界@名無史さん
22/10/30 11:41:03.41 0.net
日本でもまさに今起こっている

32:世界@名無史さん
22/11/11 07:12:48.38 0.net
>>21
> 南北朝時代に、倭は南朝に朝貢するようになった
結果論だが北朝に朝貢したほうが良かったのではないか?

33:世界@名無史さん
22/11/11 22:11:29.75 0.net
燕・涼も東西南北はそろってない?

34:世界@名無史さん
22/11/11 23:45:13.05 0.net
東がないよね?

35:世界@名無史さん
22/11/16 15:21:53.44 0.net
前秦って二代目がとんでもないクソだったのに
よく滅びずに華北統一できたよね

36:世界@名無史さん
22/11/19 23:07:16.27 0.net
北斉は国力では他の二国を圧倒していたのに初代皇帝から既にキチゲマックス過ぎた……

37:世界@名無史さん
22/11/21 19:51:02.29 0.net
前秦は西晋の再現実験なんだよきっと。
司馬懿の狼顧の相は、狼がトーテムの遊牧民族と繋がりがあることの隠喩。
琅琊王氏=王狼+王邪
狼の王、邪の王。狼は突厥や鮮卑、邪は謎だが邪馬台国かもしれない。ソースなし

38:世界@名無史さん
22/11/21 19:57:06.42 0.net
吐谷渾は何故十六国に加えてもらえなかったのか?

39:JBL
22/11/21 20:17:01.25 0.net
> 吐谷渾は何故十六国に加えてもらえなかったのか?

青海省は内地とは言えないからだろうな
いくら異民族の国家とはいえ、内地に領土を持ったことがないと数えてもらえない

40:JBL
22/11/21 20:19:24.14 0.net
君見ずや 青海の頭(ほとり)
古来 白骨 人の収むる無く
新鬼は煩冤(はんえん)し 旧鬼は哭す
天陰(くも)り雨湿(うるお)うとき声啾啾(しゅうしゅう)

41:JBL
22/11/21 20:20:40.28 0.net
後の唐の時代にも、青海省は唐朝の頭痛のタネで異民族との激戦地
杜甫の反戦詩に出てくる遠征先も青海省

42:JBL
22/11/21 20:36:52.74 0.net
前涼 後涼 南涼 北涼 西涼
涼だけで十六国のうち五国を占めている
「浦和に七つの駅がある」(浦和・北浦和・南浦和・・・)みたいな感じ

43:JBL
22/11/21 20:38:57.24 0.net
燕も多いな
前燕 後燕 南燕 北燕
涼と違って、こちらは「前・後・南・北」でスッキリまとまっている
涼は、西涼が余計だ

44:JBL
22/11/21 20:40:56.69 0.net
前趙 後趙 
前秦 後秦 西秦
あとは、蜀と夏か

45:世界@名無史さん
22/11/21 21:35:07.91 0.net
鮮卑が鬼って、日本でのイメージそのまんまだな。
鬼に委ぬるで魏。人に委ぬるで倭?
この時期青海省では吐谷渾が滅びているけどゾロアスター教勢力がササン朝とともに急速に滅びていっているので、鬼と言えばソグド人とかそっち系のイメージが強い

46:世界@名無史さん
22/11/21 22:21:59.33 0.net
吐谷渾は秦・涼・河・沙四州の地を治めていた時があるようだが

47:JBL
22/11/22 07:21:09.79 0.net
確かに、それを言ったら、涼も甘粛省だしかなり微妙だ

48:JBL
22/11/22 07:22:15.24 0.net
三國志でいったら馬騰の勢力圏

49:JBL
22/11/22 07:26:35.53 0.net
涼は十六国のうち五国を占めてるが
どれも甘粛省あたりのローカル勢力だな

50:JBL
22/11/22 07:42:06.83 0.net
あとは、南燕が山東半島なのが異色だ
とても北方民族王朝の版図とは思えん

51:JBL
22/11/22 07:43:18.01 0.net
異民族王朝といっても基本的に、燕は北京帝国、秦は長安帝国だ
それは変わらない

52:JBL
22/11/22 16:43:21.03 0.net
昔から思うんだが、十六国は細かく分けすぎだ
燕・秦・趙・涼の4つに分けて考えれば十分
前後だの南北だのに分ける必要がない

53:世界@名無史さん
22/11/22 21:00:27.38 0.net
高い安いという述語は、北西の高氏、ソグド系の安氏から来ていて昔の朝廷はソグド商人から物を買っていた。理由は、安かったから。ソースなし

54:JBL
22/11/23 08:09:07.41 0.net
ボクとキミは、朴氏と金氏が語源
みたいな話だな

55:世界@名無史さん
22/11/23 17:51:33.88 0.net
北魏って魏郡に都置いてなくね?
何で魏なんだっけ?

56:世界@名無史さん
22/11/23 18:19:06.91 0.net
前漢の火徳を継ぎ、五行相生となる土徳となる国だから(孝文帝の改革前)。曹操の魏も土徳。
URLリンク(1000ya.isis.ne.jp)

57:世界@名無史さん
22/12/03 19:55:32.40 0.net
鮮卑の拓跋部では、三国時代の261年、拓跋力微が曹魏に対して朝貢を行っているが、このことが後に、国号を魏に定める由来となった。

58:世界@名無史さん
22/12/03 20:03:29.68 0.net
>>57
曹魏の土徳を継いでいたら金徳になるはず。後漢の火徳を継いで土徳なら、曹魏の否定になるんじゃなかった?

59:世界@名無史さん
22/12/04 16:46:17.79 0.net
>>58
シンプルに曹魏リスペクトしてるから魏にしとくわってだけでしょ
五代とかでもそんな感じだし

60:世界@名無史さん
22/12/05 11:04:47.27 0.net
>>59
五行の徳を見ると違う気がするんだよなぁ。リスペクトする王朝の徳は受け継ぐのが基本だから。
孝文帝は西晋の金徳を継ぐ水徳に変えたから、曹魏や西晋も肯定。これが漢化の一環にもなっていそうだ。

61:世界@名無史さん
22/12/13 17:14:54.12 0.net
鮮卑と匈奴って言葉通じるの?

62:世界@名無史さん
23/01/07 06:01:50.44 0.net
五胡は最低でも数世代は中国内部に住んでたんだし中国語喋ってたんじゃね

63:世界@名無史さん
23/01/07 23:23:06.77 0.net
西晋の恵帝の皇后、賈皇后なんだが
「賈南風(かなんぷう)」「賈南鳳(かなんぽう)」どっちが正しいんだ?

64:世界@名無史さん
23/01/23 06:43:54.75 0.net
賈南鳳って何の記述?

65:世界@名無史さん
23/01/23 08:02:11.11 0.net
人は数世代を経ても、たいして変わらないということが、アメリカ合衆国を見るとよく分かる
ドイツ系とイタリア系なんか、いつまでたっても大きく異なる

66:世界@名無史さん
23/02/09 11:24:54.05 0.net
>>64
「中国歴代皇帝人物事典」だったと思う

67:世界@名無史さん
23/02/21 16:46:14.65 0.net
誤植だろう

68:世界@名無史さん
23/03/03 16:06:06.01 0.net
モンゴルに詳しい研究者「猫准教」とは
URLリンク(finance.yahoo.co.jp)
Yahoo掲示板でやっていること
・女性教員を自称
・准教授を自称
・モンゴルに関する自分の考えを投稿
・名古屋大学の学生が掲示板に書き込みをしていたから、みずからの京都大学の身分証の画像を貼る(既に削除済み)
→モンゴル史を専攻している該当の「准教授」は存在していない。講師・助教・研究員については不明。
・個別銘柄である、三菱フィナンシャルグループ(8306)の株式を2023/2/20に売買し、800万円以上の利益を得たスクショを投稿(既に削除済み)

69:世界@名無史さん
23/03/03 16:06:35.53 0.net
「猫准教」の投稿
13~14世紀は、ユーラシア大陸を語るに於いて、モンゴル帝国の時代だといってもいいでしょう。彼らは破壊の限りを尽くしたけれど、奇しくもそれが東西交流の発端にもなった。なにせ中東・イスラム文化の殆どを破壊し、果ては今でいうルクセンブルクを超えるぐらいにまで迫るもんだから、欧州文化はこの破壊の疾走に恐怖を覚えたものでしょう。その証拠に当時のローマ教皇は、タタール人をキリスト教に改宗させるために修道使節を派遣しているし、同じくフランス王も懐柔使節を派遣しています。
その甲斐もあったんでしょう、東西交流は矛戟を構えることなく進み、安全が確保されたことから、後のマルコ・ポーロが出てくる地盤が構築されました。
このように、曲がりなりにも交易路というものが獲得されれば、自然と文化の成長変化もあらわれます
今回特筆しようものは、アジアに於けるその学問で、元の郭守敬はアラブの数学を会得して授時暦という太陰太陽暦を編み出し、これは後の日本で頭角を現し、日本独自の暦を作り、日本初の天文学者とされる渋川春海が考案した貞享暦にもおおいに影響を与えたもので、歴史的発明のひとつといえるでしょう
しかしながら、元国内に限っては、官吏登用制度である科挙が一時廃止されたこともあって、士大夫(上級官吏)階級の地位が低下したため、中国(元)由来の学問や思想は生じなかったという側面があるものの、政界から離れた知識人が市井郷里に戻ることで、かわりに庶民文化というものが発達し、なかでも趙孟を原点とする文人画家は、黄公望、倪、呉鎮、王蒙ら四大家によって漢代発祥とされる宗炳が方向づけた山水画の描法が様式化され、南宋画というものが確立されました
余談にはなりますが、この中国から伝播した南宋画の模倣から脱却したのが、かの有名な雪舟であり「天橋立図」や「秋冬山水画」などは国宝として今でも国に管理され、日本の絵画史において格別の評価を得ています
末尾として、もう少しだけ中国文学に触れておくと、日本でも不朽の名作として万人に知られる「水滸伝」や「三国志演義」などの劇場型文学は、その原型が元代にできあがったといわれています。この両作品に共通する傾向は、社稷を蝕む高級官僚に国を憂う正義の英雄たちが挑むも、志半ばで悲劇的な結末を迎えるという内容で一致しており、当時の抑鬱された民衆感情が色濃く出た、わかりやすい作品です


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