22/01/26 14:28:18.28 0.net
>>46
簒奪も何も、リューリク家の同族でキエフ公、ポロック公、ススダリ公、チェルニゴフ公、モスクワ公 スモレンスク公、リャザン公、ウラジミル公等々の
称号やら領地を持ち回りで支配していた。
ルーシ最初の城市がノヴゴロド、外交デビュー(東ローマ帝国と戦争)からモンゴルの襲撃までの一番栄えてた街がキエフ、モンゴル支配期から現代
までの東スラブ人領域の最大の街がモスクワ。
位置関係でいうと、ノヴゴロドの真南がキエフ、南東にモスクワ、モスクワの南南西にキエフで、距離の割合が大体、5:3:4くらいだ。
モンゴルの襲撃でキエフの街は破壊されて住人は離散、とても本国の体面は保てなくなるが、モンゴル帝国支配期は、ルーシの体面を重んじて、
キエフ公はリューリク家の一族から任命・承認していた。
14世紀にはモンゴルの支配を脱するも、今度は、リトアニア・ポーランドに占領されて、リューリク家の領主が任じられなくなる。
16世紀末にルーシの王位がリューリク家からロマノフ家に取って代わる。
17世紀半ばにキエフはポーランド支配からロシア・ロマノフ王朝の支配に移る。