22/03/07 11:38:29.47 0.net
>>350
トルコ人やタタール人から分捕った土地の原住民比率下げるために、回教徒以外はなんでもいい、みたいな感じでかき集めて来てるけどな。
ロシア帝国に従って畑耕したり工場造ったりなら、ロシア人だけでなくてもOKよってふうに。
ギリシャにブルガリアにセルビアにドイツに、もちろん、当時「小ロシア」「紅ルーシ」「ガリツィア」「ブコビナ」というような今のウクライナにあたる地域からも、
はたまた、石炭掘って鉄作るからとイギリスからも技師・工員を呼んできたりしている。
人数的には近場のウクライナら辺から入植した人が一番多いんだけれど、ロシア帝国の治下で、ロシア人も、その他のウクライナ人でない人も多かったから
ロシア語の方がよく通用する、特に街ではウクライナ語使うのやめてロシア語に切り替えた移住者とか比率が高くなってた。
ここらは、帝国末期~ソビエト時代に中央アジアの要衝の軍事都市周辺とかとか極東方面とかの開拓地とかも同じような具合だった。
沿海州なんて政策的にウクライナ人を引っこ抜いてきて移住させてたのに、ウラジオストクもナホドカハバロフスクも、ウクライナ語きれいさっぱり忘れられてる。