22/04/17 22:43:27.07 0.net
>>995
コサックだって、リプカタタールとルテニア人との混交でできた集団だよ。
リプカタタールというのは、日本が元寇に遭うてるような時分に、モンゴル帝国の反主流派のモンゴル人や遊牧テュルク人が
リトアニアやポーランドに逃げ込んだ人たちの子孫。
リトアニアは、対ロシア・対モンゴルの防衛に軍務を負わせて、モンゴルの戦い方を熟知している優秀な騎兵団の東方遊牧民を
族長を貴族待遇にして受け入れて使った。
時代が経つにつれて、近場のルテニア人(ウクライナ人やベラルーシ人の祖先)と混交して、遊牧民的な気質を残しながらも
半農半牧で、宗教が東方正教会キリスト教、言語がルテニア語になってきた。
17世紀~18世紀、ロシア帝国は、オスマン帝国やポーランドとの戦争で領土を拡大した際に、新領土のウクライナやクバニや
ノヴォロシアにキリスト教徒でロシア語に近いルテニア語を話すコサックを呼んできて、屯田兵のような国境防衛+開墾に投入した。、
対トルコ、対オーストリア、対ポーランドの戦争が一段落すると、国境防衛の重点がアジアに移ってくると、ここら辺から
コサックを引き抜いて、中央アジア、シベリア、極東に盛んに移送した。
シベリアや極東には、ウクライナに多い姓の比率がロシア本国よりもずっと多いのも、このため。