明清帝国 七at WHIS
明清帝国 七 - 暇つぶし2ch267:世界@名無史さん
22/01/06 10:47:01.96 0.net
>>266
> 中国建築はヨーロッパやアラビア建築と違って平屋が多い
> それだけ中国大陸に居住可能面積が多いということなのか

いや、それは日本も含めた東アジア文明圏に共通する傾向
地形の問題ではない

268:世界@名無史さん
22/01/06 21:36:19.13 0.net
朝鮮の伝統建築がみんな平屋なのは、寒いから
床暖房のオンドル設置が常識なので、平屋にする。
2階以上の床下にはオンドルを設けられない。
日本では旅籠や養蚕農家なんかは明治以前も多重建築だね。
大きな面積を確保するために

269:世界@名無史さん
22/01/06 21:49:08.72 0.net
そういえば、そうか
幕末に江戸を訪れた西洋人の記録に
「ここは平屋ばかりで、建築らしい建築が無い」
という感想があったので、「江戸=平屋」というイメージがあった

270:世界@名無史さん
22/01/06 22:08:19.03 0.net
春秋時代から魏晋南北朝までは台榭といって宮殿建築は重層が普通だった
この台榭建築はかなり変った構造で各層が完全に独立していて外付けの階段や梯子を使わないと移動できず
いざという時には取り外して防衛出来るようになっていた
なかを吹き抜けにするようになったのは唐代から

271:世界@名無史さん
22/01/07 13:01:50.53 0.net
ただ、日本の場合にも、基本的に「家族の生活空間は同一階」を生活空間にしてて、一般的にはそれが1階であるような
上層階は、ほかの人も書いてるように、
宿の客室だったり、住み込み従業員さんの寝室だったり、蚕室だったり、倉庫だったり
日本海沿岸の漁村で見られる舟屋も、1階がドック、2階が住居、といった形式で、階層用途の逆転こそあるけど、
「多層階の場合、業務用階層と生活用階層を分離」という基本的な考え方は同じだよね

272:世界@名無史さん
22/01/07 13:11:38.93 0.net
>>270
火攻めに遭ったとき逃げ場を失いそうだ
やはりそうすると基本的の生活空間は1階で、上層階はあまり使わないってことかな
宮殿ならなおさら、VIPに梯子を掴んで上り下りしてもらうわけにはいかないよね
それとも、現代の船舶・航空機で使うタラップみたいなのがあったのかな?

273:世界@名無史さん
22/01/07 13:13:14.58 0.net
>>272
基本的の

基本的な

274:世界@名無史さん
22/01/07 14:47:05.39 0.net
>>272
福建のドーナツ型の土楼は4階まで
階段を上ったことあるけど、
最上階も居住する部屋だったよ。
鉄観音のお茶をご馳走になった。
外壁に銃眼の穴があって、防衛できるようになってる。
1934年に土楼が農民反乱拠点になったんで軍が大砲を19発撃ち込んだが、外壁がへこんだだけという話がある。

275:世界@名無史さん
22/01/07 14:59:38.20 0.net
>>274
現代の福建や広東にある土楼は、中庭側に階段があるよね
>>270 の人が言ってる建物の構造は、そういった造りでもなく完全に上層の各階がそれぞれ封鎖されてる、という意味なのかな?と

276:世界@名無史さん
22/01/07 15:19:07.48 0.net
>>275
自分が上った階段は楼閣の中にあった。
木の階段をミシミシ上る。暗い空間だったよ。

277:世界@名無史さん
22/01/07 15:20:43.18 0.net
>>269
日本の都市って、「城壁が無い」という、近世以前には世界的にも非常に珍しい造りだったよね
平安京以前の首都も、条里制こそ大陸を真似たけど、その周りはほぼ「城壁」というより「塀」だったでしょ
まあ国土自体が天然の堀で囲まれてるような島国だからなあ
一方、航空機が一般化して城壁が事実上意味を失った現代でも、中国語では都市のことを「城市」と呼ぶほどだしさ
西洋から来た人には、都市建築といえば城壁付きの高層建築、というのがごく普通の印象だっただろうから、
江戸の都市が風変わりな造りに見えたんだろうね

278:世界@名無史さん
22/01/07 15:21:33.54 0.net
>>276
なるほど

279:世界@名無史さん
22/01/07 15:23:36.74 0.net
明清時代の中国の都市には同時代のヨーロッパのような集合住宅は無かったのかな?
四合院は家族同居だし
都市に稼ぎに来た単身者はどこに住んでたんだろうか

280:世界@名無史さん
22/01/07 15:40:46.50 0.net
集合住宅というのは土地の狭い都市内で人口が増えることで発展するのだ
そのため古い時代では貴族は平屋の屋敷に住み富裕なものは都市でも低い階の建物に住み
階段で不便な高層階は貧民が住んでいた
金持ちがタワマン高層階に住む現代とはまるであべこべ

281:世界@名無史さん
22/01/07 15:56:46.13 0.net
今のようなエレベーターとかエスカレーターとかが完備されてる時代ならともかく、
自力昇降の階段しかない時代には、偉いさんがわざわざ階段昇って高いところ行くのって、
側近にとってははらはらするようなことだろうしなあ
ムガル帝国のフマーユーンも、図書館の屋上から階段降りてるときに事故したし

282:世界@名無史さん
22/01/07 15:56:58.77 0.net
北京の城壁や城門の大半は毛沢東が破壊を指示した。
貴重な遺産を前時代の遺物として消し去ろうとしたわけだ。
だが、その破壊の事実は現在は機密事項みたいで、
公式に触れられることはない。
撤去する作業は大変で、内城のレンガだけで40万立法m。
土はその12倍あったらしい。
撤去作業は何年もかかったが、全部を撤去できなかったようで
わずかに残るものの一つ徳勝門なんて、巨大で凄い目立つ。
あんな城門が幾つもあって巨大な城壁で繋がっていたと思うと何とも惜しいことをしたと感じる。
北京城の壮大さに感動できただろうに。

283:世界@名無史さん
22/01/07 16:29:01.35 0.net
北京の地下鉄2号線(通称 環線)に「〇〇門」という門の字が付いた駅が11もある。
北京内城の城壁があったところの地下を1周23kmの環状地下鉄が走り、
城門は撤去したが名前だけ残した。
城壁と城門を残して欲しかった。

284:世界@名無史さん
22/01/07 16:46:18.33 0.net
近代以降、城壁や城門を取っ払ったって例が一気に多くなるね
19世紀ウィーンのリングシュトラーセ(環状道路)とかもそうだな

285:世界@名無史さん
22/01/07 17:00:47.96 0.net
煬帝を知る人間に実在が無い

286:世界@名無史さん
22/01/07 18:16:10.80 0.net
城壁なんて現代の都市計画において邪魔でしかないでしょ

287:世界@名無史さん
22/01/07 22:26:40.85 0.net
>>271
近代以前、家族の集合の場である居間、あるいは台所が一階にあるのは当たり前。
脚の悪い老人もいるから1階が会合の場として便利、
そして近代以前の技術では、煮炊きの場である台所は「地面のある階」にしか設けられないからね
竃を2階に設けたら、床板が加熱して火災の危険があるから。
タワマンの上階に住むのがステータスなんてのは、電気や水道やエレベーターがある現代だからこそ
地震で停電だの断水だのすれば、1階から重い水タンク抱えて延々と階段上らなければならん。
ステータスだったはずの40階、50階まで…

288:世界@名無史さん
22/01/07 22:49:26.23 0.net
>>287
石造建築文化のあるところでは、上層階に厨房を組むこともあったんだろうか?
石造建築だと、床暖房でなければ煙突は普通屋根に通じるから、上層階に暖炉がある建物もままあるし

289:世界@名無史さん
22/01/08 00:44:40.31 0.net
中山王墓(紀元前4世紀頃)
URLリンク(twitter.com)
外観は三層だけど中身は
URLリンク(twitter.com)
嬴政の居城・咸阳宮も如何にも広そうだけど
URLリンク(tabitabi1110.com)
も中身はほんど土
URLリンク(img-cdn.jg.jugem.jp)
(deleted an unsolicited ad)

290:世界@名無史さん
22/01/08 11:51:08.48 0.net
>>286
現代人は近視眼的過ぎる。
残しておけば、もっと都市の価値が上がる。
日本の諸都市じゃ、壊したお城や天守閣を慌てて、復元してる。
毛沢東の北京城壁破却指令のことを無かった事にしようとしてるがごとく隠したがるのは
壊したのはまずかった、残しておけば良かったと後悔してるからだろうね。

291:世界@名無史さん
22/01/08 13:10:47.28 0.net
>>290
都市の歴史的価値なんてのはある程度国家の産業水準が発展した場合にのみ語ることができるもんだ
大部分の国民が貧しい生活をしていたような1950年代の中国人からすれば首都内の移動を阻害する城壁なんて邪魔でしか無かった
現代人の視点で1950年代当時のことを語るのは違うだろう

292:世界@名無史さん
22/01/08 14:48:28.21 O.net
大躍進とか文化大革命とか、ケザワヒガシはロクなことやらなかったな

293:世界@名無史さん
22/01/08 17:06:04.88 0.net
>>291
でも当時の政府部内では最初は保存が決まってたみたいだよ。
ネット情報だが、1957年6月に文化部が北京の城壁の取り壊しは国際的にも影響が大きいとして、取り壊しは不賛成という意見を北京市に伝えてる。
国務院も文化部に賛成していた。
1958年1月に毛沢東がこの国務院の方針をひっくり返す。
第14回最高国務会議で
「南京や済南、長沙のように城壁を取ってしまったところは良い。北京や開封の古い家は全部新しくする方がいい」と発言。
1958年3月には成都会議で
「城壁を取り除いて、天津や上海のようにすべきである」と指示。
かくして周恩来も従わざるを得ない。
1958年9月に北京市が「北京の総体規画説明」案を提出。紫禁城も破壊する案だった。
建築学者で城壁撤去に反対したという梁思成がいたが、文化大革命の最中に吊し上げに遭ってる。年老いて病院にいたのを引きずり出されたという。
狂気じみた雰囲気の中で城壁撤去が実施された。

294:世界@名無史さん
22/01/08 21:30:57.76 0.net
>>289
上の方で>>270氏が書いてる古代中国の宮殿建築ですね
基本的には平屋だけど段差をつけた土台と組み合わせることで疑似的な重層建築を実現

295:世界@名無史さん
22/01/08 21:39:04.99 0.net
>>267
そも、なぜそうなのか、
というか、逆に重層建築が発達した文化圏との建築思想の違いはどの辺りにあったのか、だね

296:世界@名無史さん
22/01/08 21:43:30.53 0.net
>>294
>>270 の人が書いてた建築様式って、そういうことなんだね
ていうか、これほんとに文字どおり「二階に上げられて梯子外された」ら、えらいことになりそう

297:世界@名無史さん
22/01/08 21:57:32.71 0.net
>>296
まあ上下の移動はたくさん階段設置すれば問題ないけれど
デカさの割に居住スぺースが極めて小さいから不便だったでしょうね

298:世界@名無史さん
22/02/03 12:38:48.22 0.net
建築関係でネタが続いているから投下
殷の時代は瓦が発明されていないので、宮殿とはいえ草葺きだった。
日本の江戸期の庄屋様のお屋敷を多少ボロくした感じ。
こんな宮殿で酒池肉林やってもサマにならないよ。
それでも3千年前に、日本の江戸期並みの建築があったのはすごいというべきか
明清スレだけど。

299:世界@名無史さん
22/02/03 20:30:30.99 0.net
紀元前1600年頃の殷代初期の宮城である鄭州商城は城壁長が6960m
主殿の基段が東西65m南北14mと草ぶきといっても平面規模は庄屋さんどころか
小田原城の総構えがすっぽりはまる規模だぞ
日本で言うと前期難波宮みたいなもんかな
初期の遺構なのでほったて柱に草葺だったらしいが規模で言うと歴代の大内裏の中でもデカい部類に入る

300:世界@名無史さん
22/02/03 21:21:27.44 0.net
明清期の首都の一般庶民住居って、平屋建て?
西洋みたいな石造建築文化ではないから、ローマのインスラみたいなのはさすがに無かったんだろうけど
客家土楼みたいな多層集合住宅は、漢文化圏では例外的なのかな?

301:世界@名無史さん
22/02/03 21:58:58.29 0.net
清明上河図に二階建ての建物がいくつも描かれてるじゃん

302:世界@名無史さん
22/02/03 23:10:54.78 0.net
>>301
清明上河図って北宋期の開封の想像図ってことはさておくとして、
あれで出てくる市街地の二階建てって、住宅というよりはサービス業関係の店舗じゃないかな?

303:世界@名無史さん
22/02/04 02:17:57.40 0.net
北宋期の市街図として資料価値の高い清明上河図は想像図ってw

304:世界@名無史さん
22/02/04 02:34:39.75 0.net
日本の五重塔は中国から伝わってきた建築様式だけどね
19世紀後半に撮影された北京の写真を見ると重層の建物がちらほら写ってる

305:世界@名無史さん
22/02/05 00:42:37.36 0.net
>>303
とりあえず原本とされる作品に関しては北宋代に書かれたとする説が有力なのか
>>304
ただ、五重塔とかは宗教的・象徴的な建築で、一般的・庶民的な「住宅」ではないでしょ
上のほうでも少し議論が出たけど、昔は、特例以外だと上層階を一般的な住居にはしなかったのでは

306:世界@名無史さん
22/02/05 09:17:02.94 0.net
楼閣などの建物は眺望を楽しむ目的のために作られたことが多いからな
二階以上の建物に旅館などの施設もあるけど、基本的に2階以上を住居にしないかな
欧州と違って建物は石造じゃないから、二階以上のところに竈や暖炉を作れない
特殊な環境にある福建土楼も台所は一階だし

307:世界@名無史さん
22/02/05 09:29:38.60 0.net
火の問題もあるが、水や排せつの問題もある。
電気や水道が普及する以前に、地階以外に台所に風呂に便所を作れない。
いちいち井戸から汲んだ水を桶に移してエッチラオッチラ階段上って水甕を満たす
挙句、風呂桶を満たす…
排泄は「おまる」で代用することも可能だろうが後始末が面倒
お江戸の吉原の大店には、2階でも便所があった
ただし男性の小便専用
だから「2階の便所を使った」と言えば、そのまま「吉原で遊んだ」と通じた。

308:世界@名無史さん
22/02/05 09:38:13.47 0.net
>>307
>排泄は「おまる」で代用することも可能だろうが後始末が面倒
パリジェンヌ「そんな物窓を開けて外に捨てとけばいいザマス」

309:世界@名無史さん
22/02/05 10:27:03.53 0.net
>>307
トイレは水洗トイレ以外基本的にためて捨てるタイプだから二階以上は問題ないし
近世以前風呂も頻繁に入らないから住居に常設する必要はないが、寒冷地域では暖炉作れないのが致命的
欧州ではレンガと石材を使った暖炉が発明されたから二階以上の部屋で生活することが可能になったが
アジアに暖炉がなかったから、冬は暖炉無しでも過ごせる地域以外住居は一階限定だった
火鉢ある日本でも二階以上のフロアで生活したのは信長くらいかな

310:世界@名無史さん
22/02/05 19:15:04.29 0.net
東南アジアなんかの住宅は、敷地の中に目的別のいくつもの棟を建てていた
居住棟は、風通しが良くて快適な高床式住居
炊事棟は、カマドを据えても火災の危険のない地階
居住棟にカマドを持ち込んだら火災の危険があるし、第一熱くて煙い
温暖な地域なので、棟を渡り歩くのは苦にならない。
日本の伝統建築では座敷や茶の間、寝間は高床式だが、カマドは当然土間にある

311:世界@名無史さん
22/02/05 19:27:08.41 0.net
漢民族の伝統建築は煉瓦を組んだ閉鎖的な建築。
北の北京や満州はもとより、華南でも煉瓦建築。
太平洋戦争の初期に日本が香港とその周辺の島を占領し、住民が逃げ出した無人の村に
沖縄からの移民が住み付いた。
だが開放的な琉球建築に比べで閉鎖的な煉瓦建築、蒸し暑い。
耐え切れず、壁に穴を開けてしまった例もあるという。
明清スレだから話し戻すけど、明代以降に東南アジアに進出した漢族も
やっぱり故郷そのまま閉鎖的な煉瓦建築を作って住んだのか?

312:世界@名無史さん
22/02/05 23:55:23.92 0.net
>>309
東アジアの建築様式が木造基本なのは、単純に「木材が多かったから」なのかね?
石材とか煉瓦とかは、はやらなかったのかな
大陸はともかく、日本列島だと、耐震性・免震性の面でも木造のほうがよかったのかとも思ったけど、
しかし、欧州も特に南部では地震も多いから、石造だと崩れやすかったりするし
それぞれどういういきさつがあったのか・・・
>310
このあいだ、NHKのブラタモリで竹富島の話が出てたけど、
竹富島の伝統民家の様式でも、居住棟と炊事棟を防火目的で分けてるんだよね

313:世界@名無史さん
22/02/05 23:57:41.02 0.net
漢文化では煉瓦建築が基本、と?

314:世界@名無史さん
22/02/05 23:58:23.89 0.net
ローマのインスラも2階以上に竈や暖炉があったの?

315:世界@名無史さん
22/02/06 10:33:38.21 0.net
いわゆる「四合院」は煉瓦建築

316:世界@名無史さん
22/02/06 10:42:31.04 0.net
日本には明治の文明開化で煉瓦建築が一時期流行したが関東大震災でメタクソに壊れた。
横浜の中華街は漢族式の煉瓦建築がほぼ全壊し、横浜3万人の死者のうち2000人は中華街の死者だった。
以降、煉瓦は表面の装飾以外には使われなくなった。
同時期に伝わった鉄筋コンクリート建築は、
「鉄骨や鉄筋を組み、コンクリートを流し込む」手法が
「柱や梁、木舞を組み、壁土を塗る」日本の伝統工法に似ていたので、
定着しやすかった。

317:世界@名無史さん
22/02/06 10:48:16.80 0.net
南欧は地震が多いのに石造建築なのは、やっぱり森林資源が乏しいからじゃないのかな
地中海性気候の夏は激烈で日照り続きなので、一度森林が破壊されれば再生しにくい。
とりわけ南欧は文明の起こりも早かったので、それまでのオークの森もレバノンスギも破壊され
乾期に耐えるオリーブやコルク樫、イタリア松ばかりになった。
日本は雨が多いので、森林もわりあい再生しやすかった

318:世界@名無史さん
22/02/06 11:28:35.72 0.net
>>314
ローマンコンクリートのおかげなのか9階建てまであったよなインスラ
住居に火鉢みたいな道具で食事を調理してたとか

319:世界@名無史さん
22/02/06 17:16:33.72 0.net
中国は昔から人口が多かったのに都市に高層住宅が発達しなかったのが不思議だな
陝西の平遥古城は平屋ばかりで江南の蘇州は二階建ての街並み

320:世界@名無史さん
22/02/06 17:29:05.97 0.net
農民が多いから

321:世界@名無史さん
22/02/06 22:24:35.53 0.net
>>320
それは例えば南欧とか中東とかでもそうだったんだけど
逆に、都市住民は一般的に第二次産業や第三次産業に就くでしょ
しかも、華北で煉瓦積み建築が発達したならなおさら

322:世界@名無史さん
22/02/07 22:39:55.66 0.net
>>312
「高温多湿」。
特にこの列島は顕著。
現代の如き強力な室内空調設備も無しに石や煉瓦で気密性の高い建屋なんぞ拵えたらどうなるか、簡単に想像できるだろう。
木、土、紙、自ら呼吸してくれる素材と高床式構造は高温多湿の風土には不可欠のもの。
列島は地震も多い。
木造は免震性もあるが何よりも倒壊した場合の始末が良い。
上に云う高温多湿に加えて火山噴出物ベースの強酸性土壌は、倒壊した木造物を、極論すれば放置しても早々に土へと還してくれる。
焼けてしまえば尚更綺麗に消える。
腐らず焼けずの素材のようにいつまでも無残かつ邪魔な瓦礫を晒したりはしない。
与えられた気候風土に逆らわず寄り添って生きるうちに、列島住人は「永続性」を諦めて諸行無常の世界観を文化基盤として獲得した。

323:世界@名無史さん
22/02/07 22:58:19.23 0.net
諸行無常って仏教哲学だろ

324:世界@名無史さん
22/02/07 23:13:36.46 0.net
>>322
日本列島の場合はともかく、
大陸では高温多湿の華中や華南でも煉瓦造りが流行った、しかしそれでいて都市建築でも多層階住宅建築は流行らなかった、
その点で南欧や中東とは途中まで類似しそうで、しかし違う方向性になった
その理由付けって、何か思うところある?

325:世界@名無史さん
22/02/08 00:18:49.27 0.net
>>324
華中や華南の煉瓦造りが地域固有の環境や風土に根差したものなのかどうか。
他から持ち込まれて政治/経済的理由から定着したのであれば(※)、そのオリジナルの建築文化はどんなものだったのか。
そんな線かなと考えてます。
※例えば列島でコンクリート高層建築が蔓延したのはこれに他ならない。

326:世界@名無史さん
22/02/08 19:17:04.17 0.net
地震で焼けた後の始末が良い…
確かにドレスデン大空襲と東京大空襲の焼け跡写真を見れば、
ドレスデンのほうがよっぽど悲惨に見える。
がれきを壊したうえで復興するのは大変だったろう。

327:世界@名無史さん
22/02/08 20:53:55.50 0.net
>>326
『野良犬』と『第三の男』。

328:世界@名無史さん
22/02/08 21:09:28.21 0.net
1976年に河北省唐山市を襲った唐山大地震では、公式には24万、実際には70万以上の死者を出した。当時の現地の建築は大半が煉瓦を積んだだけの壁だったので、一瞬で崩れて大量の死者を出した。
中華史上、世界史上で最大の死者を出した地震は、16世紀半ばに黄河中流域、
現在の陝西省で発生した華県地震。死者は判明しているだけで80万以上。
当時(現在も)現地の建築はヤオトンと呼ばれる、黄土の地面に掘りぬいた横穴。
それが液状化現象で崩れ、膨大な死者を出した。
一応、明代の話。
しかし木造建築はある程度耐震性があるとはいえ、火災が発生したら終わりだからな。
下敷きになって脱出できないところに火が迫ってきて、あんちゃん、熱いよ、ギギギになってしまう。
幕末の善光寺地震でも安政の大地震でも、濃尾地震でも関東大震災でも
昭和の北丹後地震でも福井地震でも、そして阪神大震災でもそんな悲劇が繰り返された

329:世界@名無史さん
22/02/08 23:30:18.75 0.net
遊牧民族式の天幕生活が或る意味一番安全なのかな

330:世界@名無史さん
22/02/09 03:06:55.59 0.net
>>323
列島人は仏教伝来以前から獲得している。
『古事記』等を読み込めば解る。

331:世界@名無史さん
22/02/09 05:45:17.69 0.net
してねーよ

332:世界@名無史さん
22/02/09 23:07:49.47 0.net
1755年のリスボン大地震でポルトガルの首都・リスボンはめちゃくちゃに破壊された
建物の倒壊と地震火災、そして津波でリスボンの人口27万人のうち9万人が死んだ。
王宮も王立図書館も破壊され、大航海時代を通じて蓄積された富も貴重な記録も大半が失われてしまった。
現在ではヨーロッパの小国に甘んじているポルトガルだが、この地震さえなければ没落しなかったかもしれない。
さて、地震発生時、当時のポルトガル王家一はミサを終えて郊外へ散策に繰り出す馬車の中にいた。
そのため王宮こそ倒壊したものの、一族は奇蹟的に無傷だった。
しかし極端な「閉所恐怖症」に陥ってしまい、リスボンが復興しても、崩御するまで一生テントで暮らしたという。

333:世界@名無史さん
22/02/23 00:21:38.03 0.net
>>325
そりゃ長江文明でしょ?

334:世界@名無史さん
22/02/24 23:53:17.94 0.net
>>328
液状化か、
ヤオトンは中国伝統の煉瓦建築よりは大分マシだと勝手にイメージしてたんだが一概にはいえんか
地震があるところではめちゃくちゃな死者数が出ているところを見るに
中国の人口が集中する中原や華南が地震多発地帯から外れてたのは不幸中の幸いでしたね

335:世界@名無史さん
22/03/07 22:04:04.69 0.net
西方から進出してきたスラブ人に着々と父祖の地を蚕食されたのは、
まさに清の時代のことでしたな
そんなロスケとつるんでる現代中国
最も現代日本は鬼畜米英に守ってもらってる?わけだが

336:世界@名無史さん
22/03/07 23:35:34.08 0.net
そら欧米日とつるんで清を破壊したのが滅満興漢近代中国やからな
そして近現代中国の父・孫文先生もいってる「連ソ」と

337:世界@名無史さん
22/03/08 11:13:38.62 0.net
ネルチンスク条約、キャフタ条約ぐらいまでは、清がロシアに優越していた。
キャフタ交渉でロシア側の地図に蝦夷(北海道)がロシア領になっていたので、
衝撃を受けた清は慌てて樺太全島を調査し、
樺太を清の支配とした。
清が落ち目になると、アイグン条約、北京条約などで、アムール川までロシアに盗られちゃった。

338:世界@名無史さん
22/03/11 01:19:54.79 0.net
当時の中華帝国は華夷秩序が骨の髄まで浸透していたのに、よく対等な条約を結べたな。

339:世界@名無史さん
22/03/11 02:20:25.62 0.net
>>338
特に康熙帝以降、清の為政者にも欧州事情やその社会/学術レベルがよく知られてて、
古代のような全てが閉じられた社会ではなかったんじゃないかな
康熙帝は、フェルビーストから地理学や天文学や幾何学やラテン語も学んでたというし
それともう一つ重要なのは、
モンゴルのボルジギン氏を通じて、清のアイシンギョロ家とロシアのロマノフ家が
(極めて薄いけれども)親戚同士に当たるといえたからということもあるだろう

340:世界@名無史さん
22/03/11 09:19:43.86 0.net
>>338
中華帝国と多民族多言語アジア帝国の両面を持ってる。
しだいに中華色に染まってしまい、
満洲語すら話せぬ皇帝が出てくる。

341:世界@名無史さん
22/03/11 10:05:30.36 0.net
むしろ北京官話は満州族の発音を受けて本来の漢語から変質している

342:世界@名無史さん
22/03/11 13:54:16.78 0.net
ネルチンスク条約のときのロシアの皇帝は、あのピョートル大帝なんだな

343:世界@名無史さん
22/03/11 13:54:51.59 0.net
その頃の清は、ロシアを朝貢国と見なしていたが

344:世界@名無史さん
22/03/11 14:39:35.41 0.net
>>343
対外的には対等外交。
国内的には朝貢外交。ロシアを藩部扱い。
使い分けてるんでしょ。

345:世界@名無史さん
22/03/11 16:21:10.19 0.net
>>342
ネルチンスク条約締結当時、名目上、ピョートル1世は異母兄イヴァン5世との共同統治者の一人という立場で、
しかも統治の実権は異母姉のソフィヤ(イヴァン5世の同母姉)と、その腹心のヴァシーリー・ゴリツィンが掌握してた
結果的に、それより少し前のクリミア・ハン国との戦に敗退したことで政治的求心力を失いかけてたソフィヤとゴリツィンは、
ネルチンスク条約の締結交渉時の譲歩で決定的に威信が墜ち、ピョートル1世の派閥に力を奪われて失脚した

346:世界@名無史さん
22/03/11 16:37:10.44 0.net
フランスのルイ14世も康熙帝の同時代人か
ユーラシア各地で錚錚たる面面が出てきてた時代だな

347:世界@名無史さん
22/03/11 17:07:14.02 0.net
ロシア帝国は清朝と違って貴族や農奴がいたんだよね
宋元明清の近世中華帝国の他に貴族や農奴のいない一君万民型の専制国家はないんかね?

348:世界@名無史さん
22/03/11 17:23:48.77 0.net
ぶっちゃけ、清の皇帝(初期は特に)も、旗人のベイレの御輿でしょ

349:世界@名無史さん
22/03/11 19:03:19.85 0.net
>>341
いやまったく
数万年前に分かれたタイ語のほうがむしろ北京官話に近いぐらいだぞ

350:世界@名無史さん
22/03/11 20:59:04.18 0.net
広東語や福建語に古代中国語の名残がある、というのはマジ?

351:世界@名無史さん
22/03/11 21:02:31.09 0.net
清朝には満州貴族がいただろ

352:世界@名無史さん
22/03/11 21:09:21.92 0.net
>>350
昔の中国は、南方に残っている

353:世界@名無史さん
22/03/11 22:20:17.58 0.net
>>347
佃戸と農奴の違いは何だろう?

354:世界@名無史さん
22/03/11 22:47:01.17 0.net
>>353
地主は都市部にいて自分の土地がどこにあるのか知らないやつすらいた

355:世界@名無史さん
22/03/12 00:17:57.85 0.net
満州人が貴族で、漢人が平民や奴隷だった

356:世界@名無史さん
22/03/12 00:19:01.30 0.net
漢人は満州貴族の食事やファッションに憧れて、盛んに真似をした

357:世界@名無史さん
22/03/12 04:30:07.54 0.net
>>354
中国の話?ロシアの話?

358:世界@名無史さん
22/03/12 06:00:38.87 O.net
>>355
漢軍八旗は漢人
科挙に合格した高級官僚も漢人

359:世界@名無史さん
22/03/12 06:03:39.85 O.net
>>350
客家語とか

360:世界@名無史さん
22/03/12 11:48:41.53 0.net
>>349偶然の一致

361:世界@名無史さん
22/03/12 19:00:29.31 0.net
>>358
旗人というのは実際には混成集団だったんだよ
満洲八旗も漢軍八旗も、言語上の民族分類としては混在してた
満洲八旗にも、満洲系、漢系、朝鮮系、モンゴル系、ロシア系など様々なニルがあった
漢軍八旗には満洲系ニルは無かったけど、満洲八旗と同じように、漢系ニルだけではなく様々なニルがあった
言語上の民族分類と、八旗としての分類とが、どちらも一致してたのは、蒙古八旗だけだな
蒙古八旗だけは基本的にモンゴル系だけで構成されてた

362:世界@名無史さん
22/03/13 14:56:40.18 0.net
康熙帝なんか曲阜を行幸して、
孔子の霊前にて叩頭しているけど
満洲人は屈辱を感じなかったのかな?
変な征服王朝だ。

363:世界@名無史さん
22/03/13 19:14:40.87 O.net
>>362
清朝は天命を受けて中華の皇帝になった建前上、孔子に礼を尽くすのは当然
これが科挙もほぼやらなかった、モンゴル至上主義の元朝との違い

364:世界@名無史さん
22/03/13 20:29:35.24 0.net
>>362
屈辱を感じるほどの権威が満州文化にあるかいな

365:世界@名無史さん
22/03/13 21:56:55.25 0.net
康熙帝ともなると英才教育を受けている。儒学の素養もたいしたもんだぞ

366:世界@名無史さん
22/03/13 22:10:04.56 0.net
満洲人皇帝は真面目な勉強家。
順治帝も四書五経はじめ、中国の古典から野史、典故の諸書を読みふけってた。
漢族文化に傾倒すること漢族を超える。
一方で辮髪だけは絶対強制。

367:JBL
22/03/14 22:56:23.83 0.net
漢族文化というが、四書五経は古代人が残した東アジア共有の古典だ
衣食住どれをとっても、中国人の生活は満州文化の影響を受けて激変した

368:世界@名無史さん
22/03/15 00:03:26.62 0.net
激変してるかなあ?
例えば満洲人は纏足しなかったけど
漢族は纏足続けてたし…

369:世界@名無史さん
22/03/15 00:12:58.82 0.net
>>368
甘い。甘過ぎる。
清国以来、我が国でシナジンと云えば辮髪で鯰髭ってパブリックイメージが固定されただろ。
本当の漢人の生活がどうだったかなんぞどうでもいい、
愉快な固定観念を生んだ満人習俗の影響力の恐ろしさ(笑)をこそ思え。

370:世界@名無史さん
22/03/15 00:17:24.32 0.net
また馬鹿がわけわからないこと言ってるぜ

371:JBL
22/03/15 00:19:23.34 0.net
イメージだけの問題ではない。衣食住そのものが、リアルに北族と漢族の折衷文化へと変質した

372:世界@名無史さん
22/03/16 07:32:58.15 0.net
まあ外見は重要、髪型や服装の満州化は確かに文化の激変といえる

373:世界@名無史さん
22/03/16 09:33:33.63 0.net
変えなきゃ殺すと強制されたから変わっただけだろ

374:世界@名無史さん
22/03/16 09:50:02.10 0.net
1645年6月12日蘇州で辮髪令を布告。
すると全市民がいっせいにほぼ1日で剃髪した。
辮髪を行った者に対しては
「髪を切って我に従うものには、全て元通りに安堵する」
として従来の生活や慣習が行えることを保証。
一方、浙江省南部では兵士や市民が武装蜂起し、
死にもの狂いになって自分らの頭髪のために戦った。
抵抗の結果、1年間ぐらいは頭髪を残すことができた。
辮髪を拒否する者には死刑。
「頭を残す者は、髪を残さず。髪を残す者は、頭を残さず」

375:JBL
22/03/16 14:06:54.15 0.net
食事も大きく変わったぞ。いまの中華料理の原点は清朝の満漢全席
住居に関しては、清朝というよりモンゴル帝国の時代に大きく変わった

376:JBL
22/03/16 14:09:51.91 0.net
満州服に西洋テイストを取り入れたチャイナドレスは、中国人のシンボル
これに対して「伝統の漢服を復興しよう」という動きもあったが、反日デモのときは漢服を着た女性が「和服を着た日本人」と思われて襲撃される事件が起きた

377:世界@名無史さん
22/03/16 15:20:19.41 0.net
>>376
「漢服反対!チャイナドレス絶対支持!!勿論スリット入り!!!」ってデモは無かったのか。
何 故 か 野郎だけのデモ隊が五億人ぐらい集まりそうなもんだが。

378:世界@名無史さん
22/03/16 16:26:17.46 0.net
>>375
満要素の方が少ない

379:世界@名無史さん
22/03/16 17:31:19.50 0.net
別に胡漢の融合なんて清朝に始まった話じゃないし
だからなに?としか

380:JBL
22/03/16 18:21:31.46 0.net
>>379
> だからなに?としか
「中国文化は、モンゴルや満州の影響を受けて大きく変質した。実は、漢人が胡化したのだ」という話

381:世界@名無史さん
22/03/16 18:23:21.39 0.net
胡化は隋唐期の話がなので
お前の話は的外れ

382:世界@名無史さん
22/03/16 20:02:24.80 0.net
チャイナドレスとか
コカンの融合とか
学術板で猥談をするな!

383:世界@名無史さん
22/03/16 20:28:50.68 0.net
じゃあジャップ文化は中国の影響を受けまくってるから中国化してるってことだなw

384:世界@名無史さん
22/03/16 23:37:22.52 0.net
文化輸出で日本人にマウントとる中華な人たちはよくみかけるけど
自国の輸入を指摘されると誤魔化しにかかったり、なぜか偉そうに懐の大きさって自慢したり
果ては、「お前はどうなんだ?」とか、「とにかく俺達の方がすごい」みたく駄々捏ねだすのがなぁ…

385:JBL
22/03/17 00:01:52.54 0.net
モンゴル人や満州人は、英領インドにおけるイギリス人のように中国に君臨した。それも、何百年もだ
影響がないわけないだろ

386:JBL
22/03/17 00:26:12.08 0.net
何が「北方の野蛮人は、中華の文化に心酔して同化されました」だよ、アフォか
逆だよ、逆。支配者のモンゴル人や満州人はカッコいい上流階級であり、彼らのライフスタイルは漢人の憧れのマトだ

387:世界@名無史さん
22/03/17 00:32:48.75 0.net
>>384
よく見かけるのは逆の連中だろw

388:世界@名無史さん
22/03/17 18:00:17.30 0.net
実際溥儀は満洲語話せなかったし同化されてね?
それに中国人ですら満洲の影響がなかったなんて言ってないと思うぞ

389:世界@名無史さん
22/03/17 23:10:03.19 0.net
そもそも中国を問わず大陸の人々はどの文化がどこ起源だとか日本人ほど気にしたりはしない
常に人々が行きかって混じり合うのが大陸だからな
そんなことを気にするのは閉鎖的でせせこましい歴史の浅い日本人特有の悪癖だよ
島国根性という奴だよ

390:世界@名無史さん
22/03/17 23:49:19.35 0.net
日本も江戸時代まで中国を敬慕してたけど明治以後は西洋に切り替わったし
今の日本人に中国を敬慕してましたよねって言っても
昔の話じゃん馬鹿じゃねーのって言われるのと同じように
今の中国人に満洲文化?に憧れてたよねって言っても
そんな昔の話持ち出して馬鹿じゃねーのって言われるだけだと思うよ

391:世界@名無史さん
22/03/18 03:07:38.66 0.net
漢人の満州文化への憧れってものの実例がなさすぎて突っ込まれてるんだよなあ

392:JBL
22/03/18 10:00:28.95 0.net
>>389
> そもそも中国を問わず大陸の人々はどの文化がどこ起源だとか日本人ほど気にしたりはしない
> 常に人々が行きかって混じり合うのが大陸だからな
 
それは事実とは正反対
普通の日本人はまったく気にしないが、中国人や朝鮮人は異常にこだわっている

393:JBL
22/03/18 10:22:28.83 0.net
>>390
> 日本も江戸時代まで中国を敬慕してたけど明治以後は西洋に切り替わったし
  
日本人が敬慕してたのは古代中国だ
清朝は野蛮人の国と認識されていた

394:世界@名無史さん
22/03/18 12:30:17.95 0.net
京都奈良にいかなければ古代中国の建築なんて見ることができないって言われるけど
要するにそういうこと
影響は当然受けたし今でも尊重してる
しかしオリジナルは作った奴の後継者が自分でぶっ壊した
文化的にどっちが正統な後継者かわかったもんじゃないw

395:世界@名無史さん
22/03/18 12:56:10.69 O.net
朱ヨウ基元首相て、明皇帝一族の末裔なんだな

396:世界@名無史さん
22/03/18 14:22:24.67 0.net
>>393
古代中国の漢籍を清から大量に輸入してるじゃん。
古代中国のものと思われるものも結局は明清のフィルター越しに覗いてるだけだよ。

397:世界@名無史さん
22/03/18 17:45:52.51 0.net
京都や奈良とか戦前の建物すらろくにのこってない
京都十刹もほとんどは明治時代の建築
日本は歴史地区が存在しない国だからな
伝統的なものが何もない分だけ開発もしやすいという利点もあるが

398:世界@名無史さん
22/03/18 17:53:22.29 0.net
>>392
いやまったく気にしないな
昔からそう
戦前に徳富蘇峰という人が日本人は何でも国粋的なものに固執するがシナ人はー応に大らかで拘らない
ということを言っている

399:世界@名無史さん
22/03/18 18:16:51.88 O.net
>>393
伊藤博文が北京訪問して清国の大官と会談した際
、清の皇帝は賢君揃いだ、と社交辞令かもしれないが述べてる

400:世界@名無史さん
22/03/18 18:44:48.94 0.net
モンゴルや満洲文化に憧れる中国人の学術・文化に学んでたジャップ土人
モンゴル、満洲>中国>ジャップ土人
モンゴル土人以下のジャップw
ってことになるけどいいの?w
古代だけじゃなく明清の陽明学や考証学に学んでたぞw

401:JBL
22/03/18 20:10:19.05 0.net
アフォか
日本人は清なんか見下してたわ
荻生徂徠は、「自分がリスペクトするのは古代のシナであり、現代の清ではない」と明言していた

402:世界@名無史さん
22/03/18 20:20:58.68 0.net
それ、荻生徂徠の感想ですよね笑

403:世界@名無史さん
22/03/18 20:24:04.72 O.net
まぁ、歌舞伎の国姓爺合戦も、
韃靼(清)が悪で国姓爺(明遺臣)が善だからな

404:世界@名無史さん
22/03/18 20:36:44.13 0.net
明治に入っても川路利良の警察手眼や江藤新平の刑事訴訟法典はフランスの司法制度を参考にしつつも
適用には大清律の徳治主義の影響を受けていたりするからな
情状酌量という欧米法では見られない超法規的措置もこの時代の名残である

405:世界@名無史さん
22/03/18 20:48:43.00 0.net
また文壇においても中国の伝奇小説を模倣したり文具や調度品を中国製のもので固める
といういわゆる支那趣味というのが流行った
夏目漱石もその一人で漱石は大の中国人嫌いであったが内田魯庵によると身の回りのものは
すべてシナ製というぐらいの支那趣味人であったという

406:JBL
22/03/18 22:33:19.06 0.net
>>404
> 適用には大清律の徳治主義の影響を受けていたりするからな
> 情状酌量という欧米法では見られない超法規的措置もこの時代の名残である
近代中国が日本から受けた影響のほうが遥かに大きい

407:世界@名無史さん
22/03/18 23:39:32.21 0.net
だからなんだよ
清の影響を受けたことがあることの否定になってねーぞ

408:世界@名無史さん
22/03/19 00:28:49.27 0.net
明治維新とか日本の中国化にほかならんよな
官僚主義、中央集権、皇帝専制、文書行政とか全部中国のパクり
ついでにいうと現役武官制も清のパクりで欧米列強にそんな制度はない

409:世界@名無史さん
22/03/19 01:22:45.79 0.net
>>408
「明治維新」を客体化、対象化、相対化する姿勢は評価するが、
「明治維新」なる党派的偏向のある術語を無批判に使ってしまう辺りがまだ洗脳から脱け切っていないな。
旗本の家系である我が家では祖父母の代まで頑としてその言葉を使わなかった。
あくまで「瓦解」と云っていた。
勿論これもまた逆の党派性を持つ言葉ではある。
客観性を死守したければ「戊辰(戦争)」が最善だろう。
本邦の教科書・研究書がせめてその水準の客観性を回復する日を待つ。

410:世界@名無史さん
22/03/19 05:05:38.99 O.net
明治期に金彩銀彩などで過剰な装飾を施した、
有馬焼、薩摩焼、九谷焼なども清朝陶磁器の影響が指摘されてる

411:世界@名無史さん
22/03/19 11:01:59.81 0.net
清代の考証学が日本の儒学や国学に影響を与えてるよな。

412:世界@名無史さん
22/03/19 11:21:05.18 0.net
満州族は厳密にいうと民族というより階級
例えば女真族でも旗人階級から外されると満州族ではなくなり漢人でも旗人にとりたてられると
満州族になる
現代の満州族も漢軍八旗、蒙古八旗の子孫も含まれているから女真族の頃からそのまま連続しているわけではない

413:世界@名無史さん
22/03/19 16:19:11.65 0.net
>>408
一世一元制も。天皇中心の明治政府が誕生したから、ついでだから明清王朝の一世一元制を導入しようと思いついたのかな。

414:世界@名無史さん
22/03/19 21:44:42.61 0.net
>>412
「満洲族は」というか「旗人は」だね
現代中国の民族別でいう「満族」が、「旗人の末裔」を名乗る人たちの採り得る民族分類だね
旗人全体という枠組でいえば、女真系としての言語・部族的な意味でいう「満洲族」の末裔である場合と、そうではない場合とがどちらもあり得る
特に、(モンゴル系ニルのみで構成されていた)蒙古八旗の末裔の人たちの場合には、モンゴル族を名乗っている人も多いのではないだろうか?

415:世界@名無史さん
22/03/19 22:03:23.34 0.net
基本的には、蒙古八旗の末裔の人たちも、現代中国では満族に分類されてるのか
まあ確かに、昔は姻戚関係も深かっただろうな

416:世界@名無史さん
22/03/20 16:56:14.21 0.net
現代の満洲族美人を見て、和みましょう。
関晓彤
URLリンク(stat.ameba.jp)
関之林
URLリンク(stat.ameba.jp)

417:世界@名無史さん
22/03/20 20:56:49.23 0.net
こちらは百年前の満州貴族の姫君。
王敏彤
URLリンク(image.uc.cn)

418:世界@名無史さん
22/03/21 17:37:10.98 0.net
地下鉄サリン 未曽有のテロの背後にあった「日本征服計画」とは:時事ドットコム
URLリンク(www.jiji.com)
2022年03月17日
かねてより前世は中国、明朝の初代皇帝・朱元璋であると語っていた麻原の野望はさらにエスカレートし、
1994年2月には約80人の出家信者たちを引き連れて朱元璋に所縁のある場所を巡る中国ツアーを実施。
その宿泊先のホテルでこう宣言している。
「1997年、私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇(あだ)なす者はできるだけ早く殺さなければならない」

419:世界@名無史さん
22/03/23 05:54:11.01 0.net
>>412
確かにそうだけど、実際には漢軍八旗が満州族の八旗がまじりあったから皆満州族意識持つに至ったのでは?

420:世界@名無史さん
22/03/31 20:31:21.06 0.net
もしも明王朝が倒れず近代まで続いていた
あるいは明の次が李自成の順王朝だったら、中国は漢民族の皇帝の下に立憲君主制だったのかな?
満州族皇帝だから倒され、共和制になったのかな?

421:世界@名無史さん
22/03/31 21:22:33.17 0.net
それだと北元ウルスと後金が残ったままだろ

422:世界@名無史さん
22/03/31 21:52:31.41 0.net
滅満興漢と言ってたのにしれっと五族共和になったのがおかしいんであって
辛亥革命以後に東トルキスタン、チベット、モンゴル、満洲が独立しててもよかったし

423:世界@名無史さん
22/04/02 01:18:54.55 0.net
>>422
あれ不思議なもんで近代国民国家ってのは単一民族を志向する一方で少数民族の多い地域も絶対手放そうとしないんだよな

424:世界@名無史さん
22/04/02 02:06:57.19 0.net
日本が満州国を建てたのはいらぬお節介だった

425:JBL
22/04/02 07:23:37.02 0.net
しかし、中華人民共和国の発展は満州の工業力なしには考えられなかった。それは大日本帝国が残した遺産
今でこそ、人口が急減する衰退地域だが

426:世界@名無史さん
22/04/02 07:40:43.89 0.net
>>422
清末に東トルキスタンで英国とロシアの支援を受けたヤクブ・ベク政権が登場した。
清がこれを制圧。英国とロシアを慌てさせた。
清が意外な強さを発揮した。
新疆省まで設置し、一体化が進んだ。

427:世界@名無史さん
22/04/02 08:57:26.07 O.net
新疆省と同時期に台湾省と東北三省が設置され、放置されがちだった辺境の格上げがなされた

428:世界@名無史さん
22/04/02 09:37:04.28 0.net
>>427
鄭氏政権を制圧した後の台湾の大部分は放置状態だったんだね。
日清戦争で日本への台湾割譲が決まると、
清は台湾民主国を作って独立させようと画策した。
すぐに日本軍に制圧されるけど、台湾民主国は中華民国に先立つ総統制の政権だった。

429:世界@名無史さん
22/04/02 19:22:51.50 0.net
清っていうより台湾土着の人たちが唐景崧をおしたてたんじゃね?

430:世界@名無史さん
22/04/02 20:00:19.16 0.net
省に格上げした後清は台湾統治に力を入れてたし、当時では夷狄と見られた日本への割譲に住民が激しく反発した

431:世界@名無史さん
22/04/02 21:27:28.24 0.net
>>429
唐景崧たちを後押ししたのが洋務派官僚の張之洞。

432:JBL
22/04/02 21:58:04.05 0.net
>張之洞
李鴻章や曽国藩その他と比べると知名度はグッと落ちるけど、彼も清末民国初の傑物

433:世界@名無史さん
22/04/03 04:30:28.11 0.net
辛亥革命後に、明皇族子孫の延恩侯や孔子末裔の衍聖公を皇帝にする案もあったらしい
後に袁世凱が皇帝僭称するよりは、よほど正統性あった

434:世界@名無史さん
22/04/08 06:30:35 0.net
明の皇族なんかに正統性なんかねえよw

435:世界@名無史さん
22/04/08 15:00:46.93 0.net
>>434
明滅亡後、しばらくの間は明復活を願う漢人はたくさんいたじゃん。
清は明皇族子孫のほとんどを殺して、再興の夢をつぶす。
明陵墓を祭る末裔だけ残した。

436:世界@名無史さん
22/04/08 19:13:04.03 0.net
さすがに袁世凱よりは正当性あるわ>明皇族

437:世界@名無史さん
22/04/09 09:52:37.12 0.net
漢民族の進歩を停滞させた連中を復活させてどうするw

438:世界@名無史さん
22/04/09 12:37:49.33 0.net
民にとっても明の統治より清の方がよかったとしか思えないのたが。
そんなに辮髪が嫌だったのだろうか?

439:世界@名無史さん
22/04/09 13:09:43.14 0.net
明は停滞してないけどね

440:世界@名無史さん
22/04/10 15:06:43.33 0.net
大粛清の後のプランを考えたブレーンは誰なんだろう
考えれそうな奴はえらい目にあってるよね

441:世界@名無史さん
22/04/11 04:19:36 0.net
>>439退化だな

442:世界@名無史さん
22/04/11 04:59:53 0.net
退化の改心

443:世界@名無史さん
22/04/11 05:06:38.14 0.net
>>441
庶民文化が花開いたのは社会がさらに発展した証拠

444:世界@名無史さん
22/04/11 09:26:39 0.net
>>441
経済面では格段の進歩。
豊富な物産と国際競争力が世界一。
世界中の銀を吸収した。

445:世界@名無史さん
22/04/11 15:05:48 0.net
明がさっさと滅亡してまともな漢民族王朝に引き継いでれば

446:世界@名無史さん
22/04/11 16:28:50.02 0.net
>>445
順王朝がいいのか?

447:世界@名無史さん
22/04/11 16:49:54 0.net
>>1にもあるように、中国が「中国」と呼ばれるようになったのは清朝が対外的にそのような自称をしたのが始まり

もしも清朝がなかったら、「中国」ではなく別の名前だった

448:世界@名無史さん
22/04/11 18:27:04.24 O.net
>>447
中華、中夏、中朝、など世界の中央を意味する呼称自体は漢の時代ぐらいからあった
中原から派生した言葉と思われる

449:世界@名無史さん
22/04/11 18:58:58.52 O.net
明代末に発見された、
「大秦景教流行中國碑」に中國と言う言葉が刻まれてる
明代末にやって来た宣教師の偽造説も言われたが、
偽造でも明末、本物なら唐代から中國という名称があったと言うこと

450:世界@名無史さん
22/04/11 19:11:57.97 0.net
中国という言葉は昔からあったが、対外的な呼称として使い始めたのが清朝

451:世界@名無史さん
22/04/11 19:14:13.92 0.net
だが、明朝が存続していたとしても、何らかの対外的な呼称を付ける必要が生じるのは時間の問題だった
どっちに転んでも西洋式の国際社会に組み込まれるからな

452:世界@名無史さん
22/04/11 19:14:54.79 0.net
そのとき、明朝が「中国」を選んだかどうかは分からない

453:世界@名無史さん
22/04/12 09:13:30.38 0.net
朱元璋ではなく張士誠が天下を取ってたら、
もっと開明的な文明に発達している気がする。

454:世界@名無史さん
22/04/12 09:45:26.70 0.net
そうだろうな
同じ南方の勢力といったって、朱元璋は内陸部の農民
沿海部の商人である張士誠が天下を取ってたら、もっと画期的だった。
おそらく海洋貿易が盛んになり、その後の世界史は大きく変わっていたな

455:世界@名無史さん
22/04/12 09:46:29.27 0.net
でも張士誠だと、北京の元朝を倒せず南北朝時代になったんじゃないかな?

456:世界@名無史さん
22/04/12 09:52:03.45 0.net
まあ朱元璋がどうのといったって、永楽帝から後は事実上、別の国
誰の天下になっても、結局は後の人たちがどうするかで決まる

457:世界@名無史さん
22/04/12 10:32:16.81 0.net
朱元璋が官吏を腐らせたのを後世の人間は見事に継承

458:世界@名無史さん
22/04/12 13:51:48 0.net
>>455
朱元璋だって北元を滅ぼせずに事実上の南北朝状態じゃん。

459:世界@名無史さん
22/04/12 13:55:17 0.net
>>457
朱元璋はケチなんで官僚の俸禄が歴代王朝で最低。
俸禄だけでは食っていけず、収賄でやっとこさまともに暮らしが成り立つ。

460:世界@名無史さん
22/04/12 14:27:21.74 0.net
張士誠が天下を取ってたら、おそらく思いきった海洋貿易に乗り出しただろうから、日本にも大きな影響があっただろう
日本は建武の新政の時代か

461:世界@名無史さん
22/04/12 16:38:56.51 0.net
>>459ケチだけじゃ説明つかないぞあれはw

462:世界@名無史さん
22/04/12 19:47:54.49 O.net
洪武帝は宦官封じ込めたのは良かった
永楽帝が宦官重用してから、明一代を通じて宦官のさばる事になったけど

463:世界@名無史さん
22/04/13 09:00:36 0.net
>>460
そうなれば倭寇も登場しなかったろうに。

464:世界@名無史さん
22/04/13 09:02:59 0.net
>>461
薄給だわ、しょっちゅう理不尽な粛清があるわで、官なんぞ真面目にやってられない。

465:世界@名無史さん
22/04/13 09:07:00 0.net
>>462
宦官勢力が官僚を掣肘してたからこそ、
逆説的に明朝が長続きしたのではないかと思ってる。
科挙官僚だけでは頭が固くて硬直した体制になってしまう。

466:世界@名無史さん
22/04/13 09:28:07.37 0.net
結果論

467:世界@名無史さん
22/04/13 10:48:50.03 0.net
明の暗君って万暦帝の孫くらいで他はまあまあだったのもあるじゃない?
有能というわけじゃないが国を潰す愚挙もやらなかった
崇禎帝は自爆だけど半分は天啓帝のせい

468:世界@名無史さん
22/04/13 12:25:36.15 0.net
正徳帝は明らかに暗君でしたぞ

469:世界@名無史さん
22/04/13 13:01:04.26 0.net
アフォだけど能力は高いだろ

470:世界@名無史さん
22/04/13 13:14:04.82 0.net
>>468
人たらしの術を心得てる人物。
絶体絶命の窮地から再度登板するだけのことはある。

471:世界@名無史さん
22/04/13 13:37:32.21 0.net
>>470
すまん。
正統帝(英宗)と見間違えた。

472:世界@名無史さん
22/04/13 14:39:06.28 0.net
>>468
諫言する大臣を罰さず、臣下との関係は良好、寵愛する腹心でも即断で粛正出来て
税制改正して税収改善したりやることやったよ
アフォだけど

473:世界@名無史さん
22/04/13 16:45:17.84 0.net
まあ、正徳帝は確かにどうしようもなかったみたいだな

474:世界@名無史さん
22/04/13 16:46:46.98 0.net
皇帝だからといって自動的にやりたい放題、好き勝手できるわけではない
よく言われることだが、能力が高くないと暴君になれないんだよ

475:世界@名無史さん
22/04/13 16:55:21.50 0.net
万暦帝ってかなり有能じゃないの?

476:世界@名無史さん
22/04/13 18:38:58.60 0.net
有能だろう
大臣と喧嘩して朝議に出なくても政治出来てたし、贅沢するための税金を農民からではなく
鉱工業から取ってうまくバランス取ってた
ヌルハチの脅威もいち早く見抜いて大軍を用意したし、将軍達の内紛が無ければ清王朝が無かった

477:世界@名無史さん
22/04/13 20:01:31.20 O.net
神宗と言う、大仰な廟号からすると有能だったのかも万暦帝

478:世界@名無史さん
22/04/13 20:15:36 0.net
有能だよね、文官や武官のバランスとか取らないと肩入れしすぎて君主やられちゃうし
外憂も焦らず時間を味方にして勝っているから有能さが分かりにくい
君主政治家の凄さって中々理解されないよね

479:世界@名無史さん
22/04/13 21:03:34.51 0.net
君臨すれども統治せず

480:世界@名無史さん
22/04/14 06:11:40 0.net
そりゃ認知症になっても制御出来ないからな

481:世界@名無史さん
22/04/14 09:18:43.73 0.net
>>478
真の独裁者は疲れ知らずの勤勉さが求められる。
『太祖実録』洪武十七年九月己未では
1日200通以上の上奏文を読み、
400件以上の案件を処理。
普通の人ならすぐに過労死するレベル。

482:世界@名無史さん
22/04/14 18:07:40.94 0.net
上場企業の社長ならそんくらいやってるだろ

483:世界@名無史さん
22/04/14 19:00:16.80 0.net
近世国家の行政ともなると、事務量が半端ないからな

484:世界@名無史さん
22/04/15 07:53:10.10 0.net
>>481組織を使いこなせない無能

485:世界@名無史さん
22/04/15 09:16:37.72 0.net
>>484
だって宰相を処刑し中書省を廃止して、
今後は一切を陛下御自ら決済するって言うんだもん。

486:世界@名無史さん
22/04/15 09:47:59.35 0.net
>>484
まあ管理者にあるまじき実務処理偏重だよな
やっぱ万暦帝みたく部下にやらせて君臨しないと

487:世界@名無史さん
22/04/15 10:31:45.38 0.net
宰相職を廃止したけど、皇帝一人決済は無理なんで、永楽帝が内閣大学士を設けた。
結局は宰相みたいな機能を持たせるが、皇帝の信任が必須の役職。

488:世界@名無史さん
22/04/15 12:41:18.07 0.net
宰相は信任が不要ということなの?

489:世界@名無史さん
22/04/15 13:38:28.30 0.net
一君万民制だからな
皇帝以外の人間に権限を持たせるわけにはいかない

490:世界@名無史さん
22/04/15 15:27:07.84 0.net
皇帝はピエロ
裸の王様

491:世界@名無史さん
22/04/15 16:48:46.22 0.net
血統主義で行く以上、幼帝や病弱な帝の出現を想定してない明を創業したヤツが無能

492:世界@名無史さん
22/04/15 17:14:22.42 O.net
張居正みたいな有能な内閣大学士が政治を見れば、
万暦帝が遊んでても国政は回った

493:世界@名無史さん
22/04/15 17:29:31.13 0.net
張居正が生きてた時に遊べなかったから死んだ後爆発したんだろう
それでも国政が回ったのは張居正の教育が良かった

494:世界@名無史さん
22/04/16 07:39:26.95 0.net
とりあえずまじめだった崇禎帝は極端に疑り深くて、
部下を信じることができなかった
名将の袁崇煥を疑って凌遅三千刀にしてしまったのはとにかく痛かったな
まぁ日曜大工が趣味の先代が魏忠賢にメチャクチャにされたから
疑い深くなるのも仕方ないが。

495:世界@名無史さん
22/04/16 13:29:27 0.net
>>494
フェイクに騙される人物は皇帝に不向き。

496:世界@名無史さん
22/04/16 17:22:07.28 O.net
魏忠賢が、万歳から千歳引いた九千歳と叫ばせた逸話に笑った

497:世界@名無史さん
22/04/16 17:33:54.73 0.net
まあ皇帝は孤独な立場だからな
疑いだしたらキリがないだろう

498:世界@名無史さん
22/04/16 17:34:39.22 0.net
満洲との国境など、北京からいくらも離れていない
裏切られたら致命的だからな

499:世界@名無史さん
22/04/16 17:40:56.11 0.net
明にとって致命的なのは重税による農民反乱だから崇禎帝が袁崇煥処分しなくても変わらない

500:世界@名無史さん
22/04/16 18:40:44.95 O.net
呉三桂が李自成に帰順して、山海関を清軍に開かなければ歴史違ったかも

501:世界@名無史さん
22/04/16 18:45:31.43 0.net
>>500
そりゃそうだ
歴史は変わるに決まっている
どうなったかは見当もつかない

502:世界@名無史さん
22/04/16 18:46:39.15 0.net
満洲が大陸全土を征服したのは、必ずしも歴史の必然ではない
そうならない可能性も十分にあった

503:世界@名無史さん
22/04/16 18:49:37.69 0.net
満洲が山海関を越えられなかったら、どうだったか?
ひとつ考えないといけないのは、すでに朝鮮半島は満洲に武力で制圧され従属していたということだ
満洲は、かつての高句麗のように中国東北部から朝鮮半島にまたがる帝国として存続した可能性が高い
そうなると、これまた高句麗のようにピョンヤンに首都を移したかもしれない

504:世界@名無史さん
22/04/16 18:57:13.15 0.net
>>502
満洲が必然じゃなくても、
産業革命で工学技術の優越を得た西欧列強による中国大陸の蚕食は必然だし、
被害妄想的防衛意識に取り憑かれたロシアや日本の動向も必然。
帝国が固定化した身分制度に基づく搾取構造に立脚する以上は西欧思想による革命運動もまた必然。
それを受けるのが明か清かというのは些末な話。
歴史の行方は史実と大差無かったろう。

505:世界@名無史さん
22/04/16 19:11:55.92 0.net
>>504
> 被害妄想的防衛意識に取り憑かれたロシアや日本の動向も必然。

問題はそこじゃないか?
ロシア帝国の極東進出の前に立ちはだかったのは、超巨大帝国の清朝。
ロシアの極東進出を食い止めるまでには至らなかったが、かなり遅らせた功績は東アジアにとって大きい
明朝のままだったら、今でいう内モンゴル自治区や中国東北部も、極東ロシアに組み込まれてたんじゃないかな

506:世界@名無史さん
22/04/16 21:13:42.45 0.net
昭和20年8月15日直前
ソ連は日ソ中立条約を破って日本領に侵攻した
満州。樺太、千島列島…
おかげで樺太に千島はロシアの勢力下になってしまった
でもなぜ満州は中華民国、中華人民共和国のままなのか
中華民国が連合国側だったから?

507:世界@名無史さん
22/04/17 05:43:29.88 0.net
>>506
紛争前の領土

508:世界@名無史さん
22/04/17 07:45:40 0.net
>>505
衰えた清が最後の力を振り絞って、ウイグルも失わせなかった。

509:世界@名無史さん
22/04/17 12:31:52.34 0.net
ネルチンスク条約時点では朝貢国扱い

510:JBL
22/04/25 07:31:42.20 0.net
>>503
チャイナドレスは、朝鮮の民族衣裳になったのか

511:世界@名無史さん
22/04/28 15:26:38.35 0.net
清朝の皇帝たちは
チンギスと孔子のどちらを
より崇拝したのだろう?

512:世界@名無史さん
22/04/28 15:36:55.35 0.net
なんでチンギス

513:世界@名無史さん
22/04/28 15:56:43.84 0.net
黄金の氏族

514:JBL ◆JBLfMwCXhY
22/04/28 16:34:18 0.net
清朝の皇帝は、みんな深い儒学の素養を持っていた

515:世界@名無史さん
22/04/28 17:27:23.26 0.net
>>514
中華色に染まりすぎ。
圧倒的多数の漢族を従える必要があったからだろうけれど、
対漢族向けのポーズで済ますべき。

516:世界@名無史さん
22/04/28 19:45:54.31 0.net
>>511
藩部の土司との謁見は北京ではなく、熱河でモンゴルの大汗の格好して対応したんだよな。
具体的には、外藩蒙古、チベット、新疆の現地領主である土司な。

517:世界@名無史さん
22/04/28 20:34:00.18 0.net
>>512
>>511 の人がいうところはね、
特に第3代の順治帝以降、ご先祖にモンゴル皇室の血族に当たるボルジギン氏の系統が入ったことになるのでってこと
順治帝の母(第2代皇帝ホンタイジの側室)である孝荘文皇后ってモンゴル人で、
しかもチンギスことテムジンの弟の、カサルの末裔に当たるので

518:世界@名無史さん
22/04/28 22:03:24.04 O.net
モンゴル征討した時に元朝の玉璽手に入れて、
元朝の後継者にもなったから清朝

519:世界@名無史さん
22/04/29 02:09:15 0.net
ジョチ・ハサルこそモンゴル人の亀鑑

520:世界@名無史さん
22/05/03 03:27:24 0.net
実は意外と満洲族の方が進歩的な面が多かったらしい
例えば満洲族には纏足の習慣無かったらしいし
漢民族の間で広く行われていた女児殺しを清は野蛮な風習として徹底的に禁止を図ったらしい
それが清の人口爆発に繋がったという説もあるくらい

521:世界@名無史さん
22/05/03 07:55:16.61 0.net
>>520
満洲族に纏足がなかったらしいじゃなくて、そんな奇習があるのは漢民族だけ。
纏足は宋代に始まるが、金も元支配階級は纏足には見向きもしてない。

522:世界@名無史さん
22/05/03 11:12:19.99 0.net
>>520
意外ではないな。
1990年代の統計ですら満族の教育水準が漢族よりはるかに高い。
支配民族だった誇りが続いてる。

523:世界@名無史さん
22/05/03 12:28:46.86 0.net
>>520
北京精華大の教授には清朝の皇族出身の教授も居た。
他にも満洲旗人の家系の教授も少なくない。

524:世界@名無史さん
22/05/03 12:32:13.69 0.net
>>520
清朝で新疆やチベット方面に派遣される官吏はモンゴル族が多かった。
彼らは北京官話、チベット語、テュルク語に通じたマルチリンガルだった。

525:世界@名無史さん
22/05/04 15:51:23.57 0.net
>>511
孔子に決まってますよ。
自分のご先祖様(もち男系ね)を除外したら、
叩頭する相手は聖人の中の聖人のみ。
>>519
最強の筋肉男ですね。
最強の筋肉女はクトゥルン。
ホエルンの血筋は凄すぎる。

526:世界@名無史さん
22/05/14 15:09:40.89 0.net
そうすると、中国征服後の清朝について
中国王朝とは云えても、モンゴル王朝とは云えない?

527:世界@名無史さん
22/05/14 15:16:08.66 0.net
>>526
むしろモンゴル王朝ど真ん中
清は北元ウルスの正統な後継国だよ

528:世界@名無史さん
22/05/14 15:27:25.28 0.net
でもチンギスにもジョチ・ハサルにも、叩頭はしないよね。
ヌルハチや孔子とは、次元が違う扱い?

529:世界@名無史さん
22/05/14 15:51:08.68 0.net
今からでも遅くないよ、叩頭すればいい

530:世界@名無史さん
22/05/14 18:56:57.20 0.net
孔子は儒教の教祖だから違うだろ

531:世界@名無史さん
22/05/14 18:59:30.68 0.net
清朝の歴代皇帝が最も崇拝したのはチベット仏教だ
それを忘れてはいけない

532:世界@名無史さん
22/05/14 19:03:01 0.net
雍正帝が建て、スターリンが壊したモンゴル最大の寺院

ガンダン寺

URLリンク(upload.wikimedia.org)

533:世界@名無史さん
22/05/14 19:56:26.14 0.net
日本だと源頼朝より弟の源義経のほうが人気だろ
なのでモンゴルでチンギス・ハーンよりも弟のジョチ・ハサルのほうが人気があったとしても驚かない

534:世界@名無史さん
22/05/17 15:07:32.88 0.net
>>531
ネルチンスク条約でも中国皇帝の名義で、
モンゴルの大ハーンを名乗ってはいない。
扱いに差がありすぎる。

535:世界@名無史さん
22/05/17 16:06:25.12 0.net
>>531
清の首都がモンゴル高原にあったならともかく、河北地域の北京が首都だったから、
それはそれで、その名乗りは不自然じゃないな
いずれにしても、アイシンギョロ家とロマノフ家は、ボルジギン氏を通じて極々薄い親戚には違いない
ネルチンスク条約では、清朝側の国のことを、
満洲語文で「ドゥリムバイ グルン」(『なかどころの くに』の意味の用語)、
漢語文で「中國」、
ロシア語文で「キタイ」(『キタン=契丹』に由来する内陸経由用語)、
ラテン語文で「スィナ」(『秦』に由来する沿海経由用語)
と表現しているね
まあ清は元(モンゴル)も遼(キタン)も秦も承継した国家ではある

536:世界@名無史さん
22/05/17 16:09:54.30 0.net
>>535>>534 宛て
アンカー訂正

537:世界@名無史さん
22/05/19 15:21:37.60 0.net
>>535
>満洲語文で「ドゥリムバイ グルン」(『なかどころの くに』の意味の用語)、
漢語文で「中國」、
清朝の支配者にとっては、国語とされた満洲語と、
旗人同士の共通語と化した漢語が決定的に重要かと
愚考せざるをえない。

538:世界@名無史さん
22/05/23 19:51:54.99 0.net
京劇の役者は漢服着ているが、清王朝時代でも問題なかったのかな?

539:JBL
22/05/23 20:29:34.81 0.net
ないよ
講談や芝居は庶民のウップン晴らしだ
明朝建国の英雄、軍師の劉伯温や将軍の徐達がモンゴル人をやっつけるのを見て楽しむ

540:世界@名無史さん
22/05/29 10:16:44 0.net
清朝時代の京劇役者は、漢服着て冠かぶる際は辮髪をほどいて髷を結ったのかな?
それともそのまま後ろに下げていたのかな?

541:世界@名無史さん
22/08/09 23:16:06.59 0.net
URLリンク(i.imgur.com)

542:JBL
22/08/11 05:24:13.57 0.net
清朝は中国史上最大の帝国
もちろん、モンゴル帝国を別にすればの話だが

543:JBL
22/08/14 11:31:37.30 0.net
清朝は、明朝の倍くらいデカい国だった

544:JBL
22/08/15 05:31:55.45 0.net
それを忘れてはいけない
同じような国と錯覚しやすいが

545:あ
22/08/24 17:02:04.63 0.net
清はデカいだけで雑魚だからなあ

546:世界@名無史さん
22/08/24 17:19:04.55 0.net
清朝は歴代中華皇帝のなかでも名君が多いんだけどな、お世辞とかじゃなくて
逆の言い方すると、清朝は皇帝個人の能力に頼りすぎた王朝だったと言える

547:世界@名無史さん
22/08/24 19:42:07.20 0.net
しかし中華帝国は一時海外に出ても海禁に舵を取るのは何でだろうね
貿易で商人とか民間が力を持ちやすいからかな

548:世界@名無史さん
22/08/25 14:23:49.42 0.net
>>547
貿易で銀を集めて経済が活性化してるんだが、
支配層は貿易に関心を持たない。
むしろ中華と夷狄の朝貢秩序というフィクション、おとぎ話を頑なに守る。

549:世界@名無史さん
22/09/11 18:02:02.41 0.net
>>548
朝貢に拘らずに通商してたのは宋と元くらいか。
宋は朝貢させる実力がないし、元は色目人官僚の発想で実利が上がるほうがよい。

550:世界@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>549
宋は宋銭を「国際通貨」にした。
遼、金、西夏、日本、東南アジア、ペルシャ、アフリカまで通用する。
驚くべきことに南宋滅亡後も元は宋銭の流通を許可した。
さらに驚くべきことに明朝が永楽通宝を大量に鋳造したのに民衆は宋銭を好んだ。
明銭が忌避され、日本に持ち込まれる。なので永楽通宝が日本でばかり数多く見つかり、中国で見つかるのが少ない。
明人は明銭ではなく宋銭を多く私鋳してた。捕まっても罪が軽いし。

宋はその銭でアジア全域の上に時代を超えて長く君臨したのだ。

551:世界@名無史さん
22/09/13 23:31:46.07 0.net
室町時代の日本人は、明代ではなく宋代の絵画を手に入れたがった
足利義満などはその典型

552:世界@名無史さん
22/09/14 05:53:29.85 0.net
宋銭が他国に流出したのは宋では紙幣採用で不要だったから

553:世界@名無史さん
22/09/14 07:42:16.68 0.net
>>551
足利義満は遣明使に建文帝宛てと永楽帝宛ての2通の国書を持たせた。
遣明使は何食わぬ顔で永楽帝宛ての「新主を賀する」方の国書を提出する。靖難の変に勝利して即位したばかりの永楽帝を大いに喜ばせた。
外交するのも気苦労が大変だ。

554:世界@名無史さん
22/09/14 08:07:27.54 0.net
日本が朝貢してきたことは、クビライがついになし得なかったことだ。
永楽帝はクビライを意識していた。俺はあのクビライを超えたぜと満悦至極となる。
義満死去を知ると弔問使を派遣し「恭献王」の諡号を送った。義満の恭献ぶりを大いに評価しているわけだ。

555:世界@名無史さん
22/09/14 09:52:20.16 0.net
永楽帝の時代に、もし明が海外に植民地を作ったとしても、どこかで限界に
ぶつかったんじゃないかな
スペイン帝国のように途中で崩壊したかも
中国には西欧のような科学も自由もないし
中南米はスペインから独立した後、イギリスの経済植民地になったけど、
あんな未来が待っていそう

556:世界@名無史さん
22/09/15 09:11:41.83 0.net
>>555
海洋進出熱の高い南部沿岸民の自由にさせればいいんだが、
すぐに規制するからね。

557:世界@名無史さん
22/09/16 18:50:26.88 0.net
明朝がもっと早く滅んで、次に漢族の王朝がたっていたら、
中国近現代史はもう少しマシなものになっていたんじゃないかな
少なくともチベットやウイグルの悲劇は防げたかもしれない

558:世界@名無史さん
22/09/17 22:52:31.21 0.net
漢服や中華皇帝の玉すだれの冠は威厳があって見えるが、
辮髪はどうも滑稽に見えてしまう。
なんで清王朝は漢族に辮髪を押し付けたのやら。
元や金王朝でも辮髪押しつけはなかったのに。

559:JBL
22/09/18 08:45:13.97 0.net
金朝は漢人に辮髪させたと言われているけどな?

560:世界@名無史さん
22/09/18 09:57:05.27 0.net
>>2
自国を世界の中央とみなす世界観なんてそこいらじゅうにあるでよ。

561:世界@名無史さん
22/09/18 12:24:59.36 0.net
清末には漢人自身が辮髪に執着するようになった
西洋人には「豚のしっぽ」と呼ばれたものだが

562:世界@名無史さん
22/09/18 13:15:01.70 0.net
>>559
漢人全員に強制派してないはず。
金の古墳の壁画自体漢人官僚派漢服に総髪頭に撲頭かぶってる。
URLリンク(www.52lishi.com)

563:世界@名無史さん
22/09/18 17:24:47.65 0.net
清朝は、新疆の回部が辮髪をすることを願い出たときにはこれを許さなかった

564:世界@名無史さん
22/09/18 21:58:59.32 0.net
>>557
李自成の大順国が軌道に乗ってれば
清軍に山海関開いた呉三桂のせい

565:世界@名無史さん
22/09/18 22:01:33.94 0.net
>>563
苗族など南方の少数民族も弁髪強制されなかった

566:世界@名無史さん
22/09/19 00:32:03.97 0.net
>>40
逆やってればよかったのにな。
辮髪・旗袍は満人・蒙古人の特権、
満語は全面推奨、官吏は末端まで必修って。

567:世界@名無史さん
22/09/19 02:55:04.40 0.net
「服属」「服従」という言葉からもわかるように、
東アジアでは昔から被支配民族に同じ衣服と髪形を強制したがるよな

568:世界@名無史さん
22/09/19 08:48:54.05 0.net
滅満興漢!!!

569:世界@名無史さん
22/09/19 10:16:35.91 0.net
>>567
服用、服薬、服毒、感服、頓服、内服

570:世界@名無史さん
22/09/19 14:59:13.74 0.net
>>549
元朝は実利優先の発想で、政府自らが資本を投じて南海貿易に巨利を博していたな
明朝は宋元代に行われていたこの海外との経済交流を一挙に断ち切った

571:世界@名無史さん
22/10/03 22:19:41.10 0.net
現代の中国で、漢服復興が行われているけど、明代にも胡服辮髪を禁止して
服装は寛衣、頭は総髪に改めさせた。
ちなみに現代では日本のキモノも排斥の対象。

572:世界@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>549
もともと遊牧社会自体が重商主義。
不足すれば買う、縄張内で採れる使い方が判らない産品も交易の手駒になるなら集めて来る、というもの。
秋冬は家畜が余って、家畜の餌も人間のカロリーも不足。家畜を農耕圏に売って、カロリー比数倍の穀物を買って冬越し
というのも毎年のことだし。

573:世界@名無史さん
22/10/04 10:56:25.50 0.net
清末のモンゴル人は漢人商人から茶を買っていたけど、茶を手に入れるために
家畜を1頭手放すほどだったとか
でもビタミン不足にならないためには茶を買い続けるほかない

574:世界@名無史さん
22/10/04 11:19:34.59 0.net
>>573
パール・バック『大地』の描写では、茶葉が高価で、茶を飲む=贅沢な散財。
杭州に行ったとき、龍井茶が高価でびっくりしたことがある。
確かにうまいが、貧乏人はしょっちゅう嗜むことが出来ない。

575:世界@名無史さん
22/10/04 11:35:43.98 0.net
>>573
満洲国熱河省、内モンゴル綏遠省がアヘン生産地になったのだから
モンゴル人もアヘン作ってれば茶が買えたな。
英国を真似して。

576:世界@名無史さん
22/10/04 15:13:38.46 0.net
>>573
極圏の氷雪地帯の人種は、トナカイの血や生肉からビタミン摂ってたけどな。
沖縄は山羊の生肉、ドイツ・フランスは馬の生肉、香港・ベトナムは牛の血を、生で食ってたから
その間に居るモンゴル人が山羊や羊や馬やヤク牛の血・生肉でしのげないこともないんじゃないか。

577:JBL
22/10/04 17:28:11.02 0.net
漠北の地の大草原には、草しか生えてない
人間の胃袋では消化できないから、
代わりに牛や羊に食べさせて、
反芻して消化してもらう
必要な栄養は生肉で摂る。
肉食動物と同じですな

578:JBL
22/10/04 17:29:50.52 0.net
モンゴル人の主食はヨーグルト
彼らにとってはソウル・フードだ

579:世界@名無史さん
22/10/04 19:46:12.49 0.net
馬乳酒って美味い?

580:世界@名無史さん
22/10/04 21:02:51.54 0.net
牛乳日本酒砂糖混ぜてあっためると美味い

581:世界@名無史さん
22/10/04 22:11:41.83 0.net
日本のカルピスは馬乳酒を元に考案されたそう

582:世界@名無史さん
22/10/04 22:13:47.45 0.net
清末のモンゴルには漢人商人だけではなくて、漢人農民も入り込んできたんだよな
そして遊牧民が使用していた土地を勝手に農地に変えようとして、かえって
荒廃させてしまったとか

583:世界@名無史さん
22/10/05 08:36:13.77 0.net
>>581
子供の頃は好きだったけど、今は甘過ぎに感じる。

584:JBL
22/10/05 09:40:22.10 0.net
>>583
モンゴル人は、ヨーグルトに砂糖を入れない
ブルガリア人は塩を入れる

585:世界@名無史さん
22/10/05 10:25:35.33 0.net
カルピス開発者の三島海雲氏が南モンゴルで世話になった「鮑」氏はモンゴル語だと「ボルジギン」氏。
チンギス・ハーンの末裔ボルジギン氏が中国姓として包や鮑を名乗ってるのは不思議な感じがする。
ゲルを意味する包はわかるとして、なぜアワビを意味する鮑なのか。
モンゴルで魚が神様のように扱われることと関係あるんだろうか?

586:世界@名無史さん
22/10/05 10:43:40.30 0.net
>>577
遊牧だけでは自給自足できないよ
必ず栄養失調になる
島村一平氏の著書『憑依と抵抗』に社会主義時代のモンゴルで高僧が病人に角砂糖を与えて回復した話とか出てくる

587:世界@名無史さん
22/10/05 12:02:49.25 0.net
>>584
北京でペットボトルのお茶を買おうとしたらみんな砂糖入り。
甜すぎる。
緑茶は無糖でないと耐えられないよ。
中国人は甘党なのか?
話は変わるが、カゴメトマトジュースは塩入りが好き。無塩ばかりになって、塩入りを見つけるのが難しい時代になった。
スレチ雑談で失礼しました。

588:世界@名無史さん
22/10/05 12:10:03.46 0.net
>>586
砂糖が薬になるぐらいの貧困だったんだろうね。

589:JBL
22/10/05 14:27:07.25 0.net
>>587
文化大革命時代の飢餓の記憶がまだ残っているため、
糖分をありがたがる傾向が強い
肥満もネガティブなイメージではない

590:世界@名無史さん
22/10/05 14:35:50.23 0.net
塩の話が出たので。
清国の塩の価格は高い。
なにせ塩課(塩税) は地丁に並ぶ国家財政を賄う収入源。
そんな清に日本は塩を輸出しようと考えて、調査団を派遣した。
ところが清の製塩の方が日本より質も量も上だと判明して衝撃を受けた。
塩の国家管理の歴史を舐めてはいけなかった。

591:世界@名無史さん
22/10/05 18:06:38.91 0.net
>>506
日露戦争の意趣返しだろ。宣戦布告前に旅順に停泊しているロシア艦隊を日本軍が攻撃した。
ポーツマス条約の交渉で責められたけれど、日本方は、
外交交渉が決裂し最後通牒も無視されて、外交官を引き上げ追い返した段でもう戦争は始まってる空気読めや
みたいな感じで一蹴したんよね。
第二次世界大戦のソビエト参戦も、最後通牒の連合国側にソビエトが連名で出しているし、その前に、日本と同盟しているドイツが
ソビエトとの不可侵条約を破って攻めてきてる。
ソビエトが英米仏蘭方の同盟国、ドイツと日本が同盟国で戦争しているんだから、ドイツ・ソビエトの不可侵条約がドイツによって違約
された時点で、日本・ソビエトの不可侵条約も失効しているでしょう、空気読めよ、ってなものよ。

592:世界@名無史さん
22/10/05 18:28:55.51 0.net
>>535
北京のあたりは、遊牧圏と農耕圏の境だったところで、遊牧民的には大ボスが縄張にする外交拠点・交易拠点。
実際に、匈奴や突厥が漢人からミカジメ料をせしめとる場、隋、遼、金、元等は史那人を支配する拠点都市としていた。
遊牧圏は物質的に完結度が低くて農耕圏の産品を必要としているので、冬営地に農耕民を呼び込んで交易したり
農耕都市を勢力圏内に造らせたり、農耕民の上司の周囲を遊牧民の通商路や放牧地で取り囲んだりとしいうような
土地利用の仕方をするので、農耕圏・遊牧圏の境界付近では、遊牧民の放牧地の中に、濃厚もする定住城市が散在
というようなふうになりやすい。

593:JBL
22/10/05 19:20:12.94 0.net
>>588
栄養失調には特効薬でしょうな

594:JBL ◆JBLfMwCXhY
[ここ壊れてます] .net
>>590
>そんな清に日本は塩を輸出しようと考えて、調査団を派遣した。
>ところが清の製塩の方が日本より質も量も上だと判明して衝撃を受けた。

それは、主として気候の違いによるものだから仕方ない

岩塩の産地もない日本では海水を天日干しするしかなかったが、日本の海岸は雨が多い。比較的に雨が少ない瀬戸内地方が主産地だったけど

中国の黄海沿岸なんかは乾燥気候で雨がほとんど降らないから、生産効率が違いすぎる。結局のところ、日本の製塩会社も遼東半島に出ていった

595:世界@名無史さん
22/10/05 21:03:20.76 0.net
元末に朱元璋と覇を争った張士誠は塩賊出身。
清末民初の著名な塩賊に徐宝山がいる。

596:世界@名無史さん
22/10/06 00:03:42.10 0.net
塩賊簒位

597:世界@名無史さん
22/10/06 00:16:57.80 0.net
メキシコやオーストラリアやサウジの塩田は、殆ど手をかけないけどな。
まず雨季の終わりに堤防を作って、堤防の内側に海面(干潮の潮位)より低い、真ッ平らな塩田をこさえます。
熱帯性の赤土なら、一度乾かすとカッチカチになるので好都合。
乾季にはいったら、堤防に切り込みを入れます。切り込み深さは干潮の潮位よりも高く、満潮の潮位よりも低く、
ほど良い加減で塩水が毎日塩田に流れ込むようにします。
一日の蒸発量と、海水の流入量が、大体同じか蒸発量が少し多いくらいで調節して、乾季の間は殆ど放置します。
乾季の終わりに、堤防の切込みを塞ぎ、塩田の真ん中に幅1~2尺の溝を掘ります。
塩の層の深さだけ溝を掘り、真ん中の真ん中だけ深くします。この溝からニガリ水をポンプで汲み出します。
マグネシウムの原料なので、別途高く売れます。
ニガリ水を抜いたあとは、ブルドーザー塩の層を剥がして集めてダンプカーに積んで出荷します。

598:世界@名無史さん
22/10/06 06:27:51.30 0.net
日本は湿気と雨が多い気候のせいで、塩だけではなく、羊毛やカシミヤの製造にも
向いていないのだとか

599:世界@名無史さん
22/10/06 16:37:06.00 0.net
>>598
絹や綿の織物の製造は問題ないのかな?
清の綿織物の品質も高い。
英国の機械織りが当初、清の手工業製品に品質と価格で全く敵わなかった。
そのため英国は綿布を売り込むことができない。
そこでアヘンに手を出した。
機械織りの技術革新はさらに幾多の年月を要した。

600:JBL
22/10/07 13:17:01.38 0.net
中国では「緑したたる地」みたいなイメージの
長江下流・江南ですら、日本人が見ると「なんだか樹木が少なくて、全体的に茶色っぽいところだな?」という感じ
ましてや、内陸部とくに華北は推して知るべし

601:JBL
22/10/07 13:20:08.45 0.net
>>599
綿も、室町時代の日本がなかなか国産化できなかったものの1つ
江戸時代に入って、やっと輸入しなくて済むようになった
綿花の産地は暑くてそこそこ雨が降る必要があるけど、日本は降りすぎ

602:世界@名無史さん
22/10/08 07:32:54.52 0.net
唐の黄巣はまさに塩賊簒位
科挙落第生の恨みは深い

603:世界@名無史さん
22/10/08 08:02:46.73 0.net
塩税は悪税。

604:世界@名無史さん
22/10/08 08:18:55.13 0.net
中国は広大な国土に対して、塩の産地は沿海部といくつかの内陸地に限られている
だから歴代の王朝は、塩の生産と販売を統制して、生産費の何十倍もの価格で
人民に売りつけ、それを重要な財政基盤にしていた

605:世界@名無史さん
22/10/08 08:32:20.46 0.net
>>601
1636年にオランダが長崎に運んだ品目の金額ベースで59.4%が生糸、21%が絹織物、5.5%が毛織物、0.9%が綿織物。
1715年では生糸28.3%、絹織物15.3%、綿織物20.7%、毛織物2.5%。
オランダ船が日本に運んだ品の大半が繊維製品で、清の物産。

606:世界@名無史さん
22/10/08 08:39:49.17 0.net
明清の物産を世界中が欲しがる。
世界中の銀を集めた明清。
日本は金銀の流出に堪らず、代わりにイリコ、アワビ、フカヒレ、昆布、鰹節なんかを売り込んだ。
これらが中華料理の味を高めていく。
一方、英国人はアヘンを売り込む。
江戸時代の日本はなんて良心的!

607:世界@名無史さん
22/10/08 08:52:08.48 0.net
逆に前近代の世界でアヘンや薬物中毒が社会問題にまでならなかったのは何故だろう
大量生産のノウハウが無かったから?

608:世界@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>607
薬効成分を含む植物から特定の物資を抽出する科学技術が発達したからじゃない?
麻は古代から広く栽培され、幻覚症状を起こすことは知られてた。
神憑り状態に関係があるかもしれない。
宗教は人民のアヘンというのは、比喩的な意味以上かもしれない。

609:JBL
22/10/08 10:46:40.43 0.net
三角貿易
イギリス→インド  綿製品の輸出
インド→中国  アヘンの輸出
中国→イギリス 茶・絹織物・陶磁器の輸出

610:世界@名無史さん
22/10/08 11:23:30.56 0.net
>>601
気候ではなくて、綿打の道具が知られてなかったから。
弓のような形状で弦を震わせて、綿を弾いて種を分離して繊維を射とく利しやすいように整える。
日本では明国に潜入していた僧が伝えてきたけれど、属国の朝鮮には19世紀末まで伝わっていなかった。

611:世界@名無史さん
22/10/08 14:28:15.67 0.net
毎年、日本では書物の虫干しを行うが、エジプトのような乾燥した国では
古代のパピルスが残っているらしい
やはり湿気の多い国はなにかと手間がかかるな

612:世界@名無史さん
22/10/08 18:02:14.45 0.net
>>602
洪秀全が科挙落第生。

613:世界@名無史さん
22/10/08 18:58:55.61 0.net
梵文の般若心経のいっちゃん古いのは日本にあるよ。
媒体は貝葉(パルミラ椰子の葉)

614:世界@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
四庫全書の保管は大変だったろうな。
7箇所に書庫を建造して保管した。

これ見せてくれるとこ国会図書館かな?
『文淵閣四庫全書』電子版(日本国内版)
定価 1,848,000円(税込)
CDROM182枚

615:世界@名無史さん
22/10/08 21:33:24.70 0.net
>>608
日本でも漢方の薬種として阿片は知られていたが、
日本で漢籍記載の通りに抽出したところ純度が高過ぎて
効果が強烈で危険な薬種と敬遠されてしまってた
中国では結構アバウトに抽出してたから、効果が緩く
結果として嗜好品として広まってしまい麻薬としての害も表面化した

616:世界@名無史さん
22/10/08 22:06:21.23 0.net
赤く咲くのはケシの花♫

617:世界@名無史さん
22/10/08 23:05:10.76 0.net
>>615
中国では喫煙で接種するため即効性が強く廃人になりやすい。
ヨーロッパではアヘンチンキを経口服用するので、遅効となって廃人になりにくい。

618:世界@名無史さん
22/10/08 23:07:08.22 0.net
>>617
接種✕
摂取○


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