明清帝国 七at WHIS
明清帝国 七 - 暇つぶし2ch2:世界@名無史さん
21/10/22 10:18:20.83 0.net
>>1
新スレありがとうございます
少々補足説明をいたします
>清は自国をドゥリムバイ・グルン(dulimbai gurun)とも呼ぶようになった。満洲語で「中国」の意味である。
dulim = なか、中央
ba = ば、ところ、場所
i = の (属格助詞)
gurun = くに
dulimbai gurun は、これらの組み合わせによる語彙です

3:世界@名無史さん
21/10/22 11:47:03.02 0.net
新スレ乙

4:世界@名無史さん
21/10/22 15:37:44.62 0.net
前スレ 明清帝国 三(実質六)からの続き

5:世界@名無史さん
21/10/22 16:29:50.76 0.net
つまり食人

6:世界@名無史さん
21/10/22 18:48:06.78 0.net
明清帝国 三
スレリンク(whis板)

7:世界@名無史さん
21/10/22 21:08:17.62 0.net
14年にわたる太平天国の内戦は1864年に終わった。戦場となった地域とくに江南三省(江蘇、安徽、浙江)の被害は大きく、江蘇だけで死者は2000万人を超えた。
読書人たちは流亡の苦しみに遭い、死んだ男女を「忠義」を尽くした者や「烈女」として顕彰した。死者の記憶は儒教を中心とする伝統文化の再興という形をとって伝えられた。
清朝は南京占領後も太平天国の生き残りに対する捜索と弾圧を続けた。捻軍などの反乱勢力と合流して抵抗を続けた者はやがて敗北した。
楊輔清は上海からマカオへ脱出し、10年間潜伏した後に捕らえられた。また逃亡先の香港で李世賢の軍を支援しようとして捕まった者、苦力(クーリー)となってキューバへ移住した者のエピソードもある。

8:世界@名無史さん
21/10/22 21:14:50.47 0.net
第二次世界大戦で最も死者が多かったのはソビエト連邦で2000万人前後
太平天国の乱では、江蘇省だけで死者2000万人
どちらも正確な統計はなく推計だが、太平天国の乱の凄まじさがよく分かる。
「死んだ人の数は第二次世界大戦より多く、人類史上最大の戦争」という人もいる。
とくに江蘇省・浙江省・安徽省のいわゆる長三角(長江デルタ)3省は壊滅的な打撃を受けた

9:世界@名無史さん
21/10/22 21:35:59.12 0.net
明末期はどうしようも無いくらい政治が腐敗していた訳だがその一方で経済成長は凄かった
つまり経済成長によって格差が拡大して政府が対応を疎かにした結果、大量の貧困層が反乱を起こして王朝が滅亡したということなのかな?

10:世界@名無史さん
21/10/23 06:54:27.50 0.net
>>8
太平天国は内部抗争、内紛、権力闘争での犠牲者が多い。
革命には内ゲバが必須だな。

11:世界@名無史さん
21/10/23 07:11:44.44 0.net
>>8
> とくに江蘇省・浙江省・安徽省のいわゆる長三角(長江デルタ)3省は壊滅的な打撃を受けた

圧倒的な経済中心が特に重点的に破壊されたのは、あまりにも痛かった
その代わり、相対的に北京や天津の存在感が上昇したとも言える

12:世界@名無史さん
21/10/23 07:41:23.22 0.net
>>9
李自成が均田と免糧(租税免除)をスローガンに支持を集めた。
そのぐらいの格差が拡大してた。
でも皇族が贅沢してるのを政府が是正できない。
秀吉の侵攻などの出兵が続いて軍事費がかさんでるのに、
皇族への給付が多くて国庫がスッカラン。
軍も軍戸が困窮してるんで戦えないし、
有力将軍の私兵になってく。
でもまぁ格差拡大というよりは
経済成長が人口増加に追い付かないということなんじゃないか?

13:世界@名無史さん
21/10/23 08:21:37.95 0.net
明王朝末期の反乱の原因は格差ではなく政府の財政難から来た税収増が民衆の許容範囲を超えただけだろう
太平天国と同じ構図

14:世界@名無史さん
21/10/23 08:45:55.75 0.net
万暦帝の時の他の戦役に比べて
明史でいう「朝鮮用兵」「朝鮮之役」の費用が突出して大きい。
秀吉の侵攻は明朝に財政面でかなりの打撃を与えた。

15:世界@名無史さん
21/10/23 09:00:54.27 0.net
財政が急速に悪化したのは天啓帝の時代だろう
万暦帝は贅沢したり福王を溺愛したけど財政はうまくやってた

16:世界@名無史さん
21/10/23 09:14:08.53 0.net
財政はうまくやってたというより、大宰相・張居正が国庫に莫大な蓄えを残してたおかげ
「明は万暦に亡ぶ」といわれるのは、その国庫を食い潰したから

17:世界@名無史さん
21/10/23 09:21:46.56 0.net
確かに明(明清)は著しく経済成長してるけど
ちょうど一人当たりGDPが西欧に劣後するようになったとされる時代でもあるからね
巨大人口の割りに財政基盤が弱い、故に財政難で政府が動けないという現代中国まで続いていく不治の病

18:世界@名無史さん
21/10/23 11:03:21.52 0.net
>>16
それは違う
張居正が残した蓄財は銀300万両ほどだけど万暦三大征で合計1000万両ほどの出費だから
万暦帝が金策しなければまず無理

19:世界@名無史さん
21/10/23 12:44:41.56 0.net
>>18
700万両ちょっとを対秀吉に使ってる。
秀吉の出兵が無ければ国庫を枯渇することなく明朝はまだ続いたな。

20:世界@名無史さん
21/10/23 13:13:58.43 0.net
明朝の国庫にまだカネがあった時期だから、タイミングが悪かったな。豊臣秀吉との戦いで消耗しきったところに、ホンタイジが南下してきて漁夫の利を得た
漁夫の利といっても、朝鮮はホンタイジが攻めてきたら降伏し、引き揚げたら裏切って反旗をひるがえすというオナジミの戦略で、最終的に屈服するまで5回も攻め込まなければいけなかった

21:世界@名無史さん
21/10/23 13:16:37.50 0.net
たとえ豊臣秀吉が朝鮮征服に成功したとしても、その後に押し寄せる地続きの清軍の攻勢をシノギきれたとは思えない
撤退した徳川家康はやはり賢明だったと言える

22:世界@名無史さん
21/10/23 13:38:26.47 0.net
明が海禁せずに自由貿易を奨励していたらどうなってたんだろう?
福建、広東は東南アジア、インド、ペルシア、アラビアとの交易で富を蓄えて強大化
ポルトガルやオランダ勢力とぶつかり後の西洋近代化と帝国主義の流れも変わる
オーストラリア発見と入植も可能だったかもしれない

23:世界@名無史さん
21/10/23 14:00:15.54 0.net
それだと歴史の流れが変わりすぎるので、その後の展開は想像できない
ただし、明清が貿易管理に乗り出したのはある意味、必然だった
むしろ、「もしも明清による統一がなされず、ヨーロッパみたいに各国に分かれていたら、広東省や福建省は海洋国家としてどこまで伸びたか?」という方がまだ考えやすいように思う

24:世界@名無史さん
21/10/23 14:04:12.83 0.net
>>19
対後金国の戦費は朝鮮出兵の倍以上だから、サルフの敗戦がなければ明にとって大きな問題では無かった
しかも万暦帝の後を継いだ泰昌帝が年間数十万両の収入だった鉱山税を廃止と官僚増やす決定をしたまま急死して
後の天啓帝が政治を放り投げたから財政が急速に悪化した

25:世界@名無史さん
21/10/23 14:04:39.72 0.net
それを言ったら、「九州がオランダみたいな独立国だったら」、「堺がヴェネチアみたいな都市国家だったら」と考えると、キリがない
朝鮮だって、南海岸の地域には計り知れない可能性があった

26:世界@名無史さん
21/10/23 14:11:29.53 0.net
広東省はスペイン、福建省はポルトガル、九州はオランダと国家規模も似ている
東アジアがバラバラだったら、これらの国々が海洋国家として飛躍した可能性は高い
もっとも、太平洋が広すぎるのでアメリカ新大陸を取りに行くのは無理だが

27:世界@名無史さん
21/10/23 14:14:40.21 0.net
>>22
宋王朝が滅亡せず続いた場合の話だな
長江は天然防壁としての効果が低いから難しいだろう

28:世界@名無史さん
21/10/23 14:49:03.68 0.net
>>21
加藤清正がオランカイの女真族と交戦してる。
手強いのでここを突破して明領に入るのは無理と報告していた。

29:世界@名無史さん
21/10/23 14:51:59.54 0.net
そうだなあ
「ヨーロッパ並みに各国が独立国」とまではいかなくても、せめて南宋が続いていたら、まったく違っただろうな
でも無理だ。大昔とは違って、北朝は気候の乾燥化が進み、もはや江南の農業生産力に寄生して生きている状態。北京にとって統一はマストなので、放っておいてくれない

30:世界@名無史さん
21/10/23 15:09:09.00 0.net
あと、ベトナム征服に失敗したってのも大きいな
失敗というか、明の永楽帝はベトナムを領有するところまでは行ったけど、20年後に独立された
ベトナムまで明朝の領土だったら、さすがに東南アジアは名実ともに勢力圏と化しただろう。そこで西欧海洋勢力と衝突することになる

31:世界@名無史さん
21/10/23 16:23:44.77 0.net
海洋進出中国は夢があるけど
チャイナプロパーの一体性が崩れて欧州と中国とインドを足して三で割ったような地域になりそうやな

32:世界@名無史さん
21/10/23 16:59:22.06 0.net
朱元璋が出した不征之国は日本、朝鮮、琉球、東南アジア諸国だからな
もうあの時代から統治範囲限界論みたいのはあったんだな

33:世界@名無史さん
21/10/23 17:02:59.20 0.net
永楽帝はそれでもベトナムに出征した
永楽帝は勝利して、内地と同じような郡県制を敷いて中国化に乗り出した
山岳民族出身の英雄レ・ロイのおかげで20年後に独立できたが、ベトナムの歴史上で最大級の危機だったと言える

34:世界@名無史さん
21/10/23 17:06:04.72 0.net
清朝もまだ諦めていなかった
乾隆帝は大軍でベトナムを攻めたが、大敗した。戦争には負けたが、講和でメンツはなんとか保った
さすがの乾隆帝も、「広東省までは中国だが、ベトナムからは中国ではない」と断念した。ここで初めて、「中国と東南アジア」という文明圏の境界が確定した

35:世界@名無史さん
21/10/23 17:27:04.34 0.net
>>32
明朝は領土もほぼ「内中国」に限定されてたし、周辺諸国にとっては割りと安心できる時代だった
清朝は大征服事業に乗り出し、倍くらいに領土拡張した

36:世界@名無史さん
21/10/23 18:08:29.04 0.net
>>35
清朝は中華皇帝+大ハーンでもある同君連合。
いつの間にか満洲語も話せない皇帝になったけれど。

37:世界@名無史さん
21/10/23 22:20:05.74 0.net
>>36
嘉慶代はどうだったのかよく知らないけど、
乾隆代には皇帝自身も満洲語公文書のやりとりしてるのは間違いない

38:世界@名無史さん
21/10/23 22:38:19.92 0.net
清朝では漢人が満洲語や満州文字を学習するのを原則禁じた。科挙トップ3人だけが学ぶことができた。
清末になったら満洲人自身が満洲語を話せなくなった。

39:世界@名無史さん
21/10/23 22:45:43.13 0.net
>>38
状元(首席合格者)と傍眼(次席合格者)だけは満洲語を学べたと聞くけど、
探花(第三合格者)も学べた?
時代によって制度が違う? 

40:世界@名無史さん
21/10/23 22:53:13.46 0.net
>>38
清朝が近代的な国家だったなら逆に満州語普及に努めてある程度は定着させてたかもしれんな、辮髪ほどではないにせよ

41:世界@名無史さん
21/10/23 23:39:12.04 0.net
満州人の役人が使う訛った中国語が、現代中国の標準語になった
中国語が満州化したのであって、その逆ではない

42:世界@名無史さん
21/10/23 23:57:02.64 0.net
中国さんいよいよ財政の抜本的改革に向けての大きな第一歩となる不動産税に踏み込み始めたな
最終的には張居正を超える政治力と運が必要なヤツだ…

43:世界@名無史さん
21/10/24 00:26:47.62 0.net
>>41
満州化したというほどの影響はないがな
純度100%の中国語に1%の満洲語が混ざって濃度99%になったくらいのものだ
現代日本語に英語外来語がいろいろと混じってるようなものだ

44:世界@名無史さん
21/10/24 03:12:40.76 0.net
英語外来語の現代日本語への影響は1%どころではなさそうだけど満州語は如何に

45:世界@名無史さん
21/10/24 05:08:56.67 0.net
語彙ではなく、文法と発音が大きく変化した

46:世界@名無史さん
21/10/24 07:49:05.68 0.net
>>40
支配下の各民族に対し秘密にしたいことが多い秘密主義の弊害。
モンゴルでは満洲語とモンゴル語、チベットでは満洲語とチベット語文字。回部は満洲語とペルシア文字(アラビア文字)で行政文書をやり取りする。
漢人も高度なレベルの行政文書からは排除したかった。
高度なレベルの文書行政を満洲人の手中に置きたかった。
気がついたら満洲語が死語になろうとしていた。

47:世界@名無史さん
21/10/24 07:49:31.87 0.net
変化してないというか、今の北京語は明王朝時代の北京語とほぼ同じ

48:世界@名無史さん
21/10/24 08:38:55.88 0.net
いや、清代を通じて北京語は大きく変化した

49:世界@名無史さん
21/10/24 08:45:48.85 0.net
中華料理も、満漢全席に変化した

50:世界@名無史さん
21/10/24 09:08:28.48 0.net
満漢全席の中に、満州由来の料理は沢山含まれているのだろうか?

51:世界@名無史さん
21/10/24 09:11:18.60 0.net
>>41
逆だろう。
漢語が満洲語から受けた影響より
満洲語が漢語から受けた影響の方がはるかに大きい。
『清代における言語接触』 鋤田智彦(岩手大学)
URLリンク(www.google.com)
世界中の言語の中で純度100%の言語は存在しない。
全て影響しあっている。
満洲語も同様だ。

52:世界@名無史さん
21/10/24 09:20:06.40 0.net
北京ダックの原型は北宋時代の山東料理らしいが

53:世界@名無史さん
21/10/24 09:24:09.68 0.net
>>48
明王朝末期に北京語に関する文献を見ると現代北京語とほぼ同じだけどね
そもそも清王朝は漢民族に満州語を学習させなかったから北京語に満州語の影響はあっても軽微

54:世界@名無史さん
21/10/24 09:25:44.03 0.net
それは文章の問題だ
発音や話し言葉の変化は、そこには表れない

55:世界@名無史さん
21/10/24 09:38:18.61 0.net
清代の北京語は、語彙の面からは変化が小さかった
でも、口語が大きく変化している

56:世界@名無史さん
21/10/24 09:39:29.00 0.net
>>54
まさにその発音についての記録
当時ではすでに南方の方言でよく見られる古代漢語の入声の記載がなくなって
代わりに現代北京語の特徴であるer音(舌巻き音)の記載があった

57:世界@名無史さん
21/10/24 09:50:55.78 0.net
「清代に北京語の口語が大きく変化した」という研究成果はたくさんある

58:世界@名無史さん
21/10/24 09:55:07.01 0.net
白話の話だろう

59:世界@名無史さん
21/10/24 11:07:40.24 0.net
>>57
具体的な例を出し給え
いつも言いっぱなしだろお前

60:世界@名無史さん
21/10/24 11:17:47.98 0.net
なんで満州語の影響ばかり気にするの
中国語はモンゴル語とかを含めたアルタイ諸語全般から影響を受けたじゃダメなの

61:世界@名無史さん
21/10/24 12:06:48.51 0.net
それは常識の範疇では?
北京語が清代に満州語の影響を大きく受けて変化したってのが突っ込まれているのだ

62:世界@名無史さん
21/10/24 12:12:12.59 0.net
>>57
たくさんあるならはよだしーな

63:世界@名無史さん
21/10/24 13:22:43.43 0.net
>>60
そうだな、その通り
満州語やモンゴル語の影響により、北京語はアルタイ化した

64:世界@名無史さん
21/10/24 13:47:17.54 0.net
すでに他の人が漢語に対する満州語の影響が少ないという文献出てるから
どうしても満州語の影響を主張したいならせめてそういう文献出してほしい

65:世界@名無史さん
21/10/24 14:02:24.09 0.net
ていうか、たまには自分で探したらどうだ?
こっちはお前のいう「満州語の語彙は北京語にほとんど入っていない」の論文も、とっくに読んで知っている
自説に都合の良い話しか見ないのが、お前の弱点

66:世界@名無史さん
21/10/24 14:05:11.08 0.net
「北京語のアルタイ化が進んだ」は、誰でも知ってる一般常識だろ
中国語の教科書にだって書いてあるわな

67:世界@名無史さん
21/10/24 14:15:07.67 0.net
文献の名前すら頭に入っていない雑魚でした

68:世界@名無史さん
21/10/24 14:17:21.24 0.net
>>51には影響は小さいという文献が出てるのにそれに反する主張するなら
まず自分の主張を支持する文献を出すのが常識
どうせ文献出せない妄想だからたくさんあるとかお前が出せと煙に巻くしか出来ない

69:世界@名無史さん
21/10/24 14:31:02.65 0.net
そんなに興味があるなら、「北京語 アルタイ化」でGoogle検索しろ
すぐには理解できないだろうが、そのうち分かってくる

70:世界@名無史さん
21/10/24 14:36:05.12 0.net
>>61も言ってるけど、モンゴル語含めたアルタイ語の影響は常識だけど
満州語だけ強調して清王朝以降で大きく影響されたという主張が突っ込まれただけ
当の本人が論点をすり替えて逃げたならこれで終わり

71:世界@名無史さん
21/10/24 14:47:13.53 0.net
勝手に終わらすな!(笑)

72:世界@名無史さん
21/10/24 14:50:15.29 0.net
>>70
> >>61も言ってるけど、モンゴル語含めたアルタイ語の影響は常識だけど

お前の主張はそうじゃないだろ
「満州語は、中国語から強い影響を受けた。それに対して、中国語は満州語からほとんど影響を受けなかった」
と自信満々に断言していたぞ?

73:世界@名無史さん
21/10/24 14:52:47.94 0.net
満州語はモンゴル語じゃないよ?混同しないと自分の主張が成立しないのか?
そもそもオレの主張は「現代北京語が今の形になったのは明王朝の時代」だし
誰と戦ってんだ?

74:世界@名無史さん
21/10/24 14:59:18.86 0.net
>>73
そうだ
「北京語のアルタイ化」は、満州語とモンゴル語の影響によって起きた現象
どっちか一方ではない

75:世界@名無史さん
21/10/24 15:00:19.92 0.net
>>73
> 「現代北京語が今の形になったのは明王朝の時代」
いや、そんなことはない
清朝の時代にもアルタイ化は進行した

76:世界@名無史さん
21/10/24 15:02:09.49 0.net
>>75
だから満州語の影響が大きいというのならその証拠文献を出さないと話にならない
他人の意見に背乗りしてごまかしても自分の主張は通らないよ?

77:世界@名無史さん
21/10/24 15:07:38.40 0.net
お前の方こそ、何と戦ってんだよ?
「北京語のアルタイ化は起きたが、それは明朝の時代のことである。だが、清朝の時代には北京語はほとんど変化しなかった」
とか、そんな素っ頓狂な主張があるかいな(笑)
なんで、北京800年の歴史上、漢人が支配してた例外的な時期(明朝)に限って、アルタイ化が進行するんだよ?

78:世界@名無史さん
21/10/24 15:14:05.07 0.net
>>77
>「北京語のアルタイ化は起きたが、それは明朝の時代のことである。だが、清朝の時代には北京語はほとんど変化しなかった」
ピュータンかおまえは?
すり替えが得意だがそんなこと誰も言ってない
「現代北京語が今の形になったのは明王朝の時代」と言ったし
当時の文献には漢語の特徴である入声が消えて現代北京語の特徴であるer音が出現したという証拠もある
で、北京800年の歴史に清王朝が260年以上も支配したのに影響が少ないのは
上の人が言ったように「清王朝が漢民族の満州語学習を禁止した」が一番の原因だろう
言葉はより使われる方が多くの影響を与えるから

79:世界@名無史さん
21/10/24 15:15:42.94 0.net
一行空け馬鹿は朝鮮の話を封じられたら今度は中国語アルタイ語説か
懲りないな
こいつは歴史や言語の知識もないのに意味不明な主張を繰り返しては証拠も出せずに逃げるだけのクソヤローだ

80:世界@名無史さん
21/10/24 15:17:28.53 0.net
逃げたことはないぞ
現に今も対話を続けてるだろうが(笑)

81:世界@名無史さん
21/10/24 15:19:50.74 0.net
だいたい中国語が清の時代にアルタイ語化するほど満州語の影響を受けているのなら
文法要素よりもまず満州語由来の借用語などが膨大に生じるはずだが
そういうものは少ないしアルタイ語厨側から例も出せていない
なのでアルタイ語厨の主張ははじめから破綻している

82:世界@名無史さん
21/10/24 15:22:44.75 0.net
>>78
> ピュータンかおまえは?
> すり替えが得意だがそんなこと誰も言ってない

言ってるだろ(笑)
「北京語のアルタイ化という現象は起きた」 これは認めるわけだろ?
でもって、
「現在の北京語が形成されたのは明朝の時代のこと。清朝の時代には北京語は変化しなかった」と言うんだから、
「北京語のアルタイ化が起きたのは、明朝の時代である」ということにならざるを得ない
だが、普通に考えて、それはおかしいんじゃないのか?
北京の歴史を通じて、明代は漢人が支配していた、むしろ例外的な時期だ。
清代は、満州人の「皇帝兼モンゴル大ハーン」ともあろうお方が統治していた時期
なんで、「アルタイ化」が明では起きて、清では起きないんだよ?

83:世界@名無史さん
21/10/24 15:23:14.79 0.net
で、なんで満州語の語彙が少ないのかといえば結局満州語は清代中国におけるリングアフランカではないから
圧倒的多数である漢人は中国語を使って経済活動を行っており
満州語を学ぶ必要はなかった(だいいち満州語の使用は禁じられていた)
こんな状況で満州語が中国語に大きな影響を与えるはずがないだろーが

84:世界@名無史さん
21/10/24 15:26:32.49 0.net
>>82
こいつまじで馬鹿だな
もともと「清代に中国語が満州語の影響を大きく受けた」という主張だったのに
「清代にアルタイ語にならなかった証拠を示せ」と勝手にすり替えている
それ悪魔の証明っていうんだよ?
清代に満州語の影響を受けた証拠を示すのが筋というものだ

85:世界@名無史さん
21/10/24 15:38:18.17 0.net
いや、もう話題は「北京語のアルタイ化」へと移っている
こちらは、お前らみたいに頭が硬い頑固な老人ではない(笑)

86:世界@名無史さん
21/10/24 15:41:36.50 0.net
勝手に変えてるのはお前
毎回同じ手口で逃げるのバレてるぞ
朝鮮語は朝鮮総督府が作ったとかデマを語ってたのもお前やろ
歴史や言語学の知識がないくせに
ネトウヨコピペみたいな内容を専門板で語るから
盛大に恥をかくことになる

87:世界@名無史さん
21/10/24 15:45:02.59 0.net
勝手に変えてるわけではない
こちらの関心は、最初から「北京語のアルタイ化」にある
お前も分かってるだろ、それくらい

88:世界@名無史さん
21/10/24 15:45:37.20 0.net
>>86
> 朝鮮語は朝鮮総督府が作ったとかデマを語ってたのもお前やろ
それはデマではない
事実だ

89:世界@名無史さん
21/10/24 15:47:45.31 0.net
バカ乙
毎回論破されてるのに口調でバレバレなんだよ
まずお前はまともに言語史を勉強しろ
語彙の変化や文法の変化を具体的に論じているのをみたことがない

90:世界@名無史さん
21/10/24 15:50:44.52 0.net
まあ、今回はこんなとこだな
また、その話題もそのうち蒸し返すから、そのつもりで(笑)

91:世界@名無史さん
21/10/24 15:52:20.46 0.net
蒸し返したところで毎回論破されて今みたいに無様に逃げるだけじゃねえか
本当にしょうもないキチガイだな

92:世界@名無史さん
21/10/24 16:02:38.62 0.net
清代の学術の発展は江戸時代の国学発展に匹敵する
なぜあまり清の学問のことは言われないのだろうか
もっと知られてもいい

93:世界@名無史さん
21/10/24 16:10:15.08 0.net
清代の儒学は、現代の大学の文学部がやってるような、
宗教色を排した文献学的な研究を中心とする「考証学」に移行した

94:世界@名無史さん
21/10/24 16:12:40.87 0.net
文字の獄が怖いもん。

95:世界@名無史さん
21/10/24 16:20:25.33 0.net
「脱・宗教化社会」という点で、日本や西欧に先駆けてる気がするのだが、どうだろう?

96:世界@名無史さん
21/10/24 16:23:01.95 0.net
>>90
何も答えてないまま遁走w

97:世界@名無史さん
21/10/24 16:49:20.55 0.net
>>46
君主権強化の為に公族を制限してたら公室の存在感まで無くなって
異姓に乗っ取られた的な話に通じるところがありますな

98:世界@名無史さん
21/10/24 17:25:40.42 0.net
>>95
ねーわ
太平天国だの義和団だのカルトが社会混乱もたらしてる時点で

99:世界@名無史さん
21/10/24 17:57:41.02 0.net
>>94
大義覚迷録書けばワンチャンある

100:世界@名無史さん
21/10/24 20:44:21.86 0.net
>>98
白蓮教帝国をやめて儒教帝国にしちゃった朱元璋さん。

101:世界@名無史さん
21/10/24 21:35:02.02 0.net
>>97
モンゴル、ウイグル、チベット、漢族を別々にして、連携させぬよう、
他地域の状況を知られぬようにしたかったんかなぁ?
一種の分割統治。
国土の大半が非漢字文明圏のユーラシア帝国にしたかったけれど、
漢族が増え過ぎて中華帝国色に染まってしまった感じかな。

102:世界@名無史さん
21/10/25 07:08:06.15 0.net
>>82
明朝は漢族帝国の衣をまとってるが、
中身は元帝国。
統治機構や形態を引き継いでる。
洪武帝、永楽帝指揮下に投降したモンゴル人部隊もいた。

103:世界@名無史さん
21/10/25 07:16:11.52 0.net
勢力を盛り返した北元が明軍と激突、
苦戦の末、明側の将を討ち取った。
その明将がモンゴル人だったんで、
北元の人々が大いに嘆いたという。

104:世界@名無史さん
21/10/25 07:19:51.19 0.net
明代にも、北京の人口の何割かがモンゴル人だったらしい

105:世界@名無史さん
21/10/25 07:47:01.13 0.net
17世紀に書かれた『黄金史』と『蒙古源流』に永楽帝が朱元璋の子供ではなく、トゴン・テムルの子供だと記述してる。
妊娠中のトゴン・テムル第三夫人を洪武帝が後宮に入れたためとのこと。
明側の民間にも同様の流説があった。
事実ではないそんな流説が出てしまう程度に永楽帝はモンゴル的だった。

106:世界@名無史さん
21/10/25 07:59:36.96 0.net
>>101
漢民族が増え過ぎたのではなく、元々圧倒的に多数の漢民族に満州族が埋没しただけ
明王朝末期の総人口は2億を超えたのに満州八旗の人口は100万人も居なかった

107:世界@名無史さん
21/10/25 08:04:32.02 0.net
一方、乾隆帝は愛新覚羅の血筋ではなく、漢人の子供だという流説があって、
小説や映像作品でも使われる。
そのぐらい漢人色が強まった。

108:世界@名無史さん
21/10/26 07:13:22.14 0.net
>>101
目的がなんであれ、使わせてなんぼの言語を誰にも知られぬ暗号みたく扱ったら衰勢は不可避ですね
風俗はそれなりに強制成功したのに言語は自殺するとはおもしろい

109:世界@名無史さん
21/10/26 07:32:18.87 0.net
>明を征服した後、清は自国をドゥリムバイ・グルン(dulimbai gurun)とも呼ぶようになった。満洲語で「中国」の意味である。これ以後、公文書、国際条約、外交などで自国を指す言葉として「中国」が用いられるようになった
「中国」は既に紀元前11世紀から使われてる

110:世界@名無史さん
21/10/26 12:46:58.74 0.net
>>109
公文書でも?

111:世界@名無史さん
21/10/27 10:46:45.89 0.net
中国は歴史上、韓国の一部だった
スレリンク(news板)
韓国で出版した
シム院長は、2017年に習近平がトランプと会談した席において、
韓国は歴史上中国の一部だったと発言したことについて、妄言をしたと批判し、
習近平は何の根拠でこのような主張をしたのだろうか。おそらく中国共産党が操作した
東北工程の論理を基にしたのではないかと思われると述べた。
シム院長は、「韓国の国格と国威を余すところなく損なわせるだけでなく、いわば国の基本を
根こそぎ揺るがすこのような妄言が出た時、韓国は政府レベルですぐに反論声明が出さなければらなかった。
しかし、歴史認識が不足していた韓国政府は木偶のように何の対立もしなかった。これは結果的に
習近平の妄言を承認する形になってしまった」と嘆いている。

112:世界@名無史さん
21/10/27 15:29:10.30 0.net
韓国政府ってまじでこのレベルのバカウヨなのか?
自国が中国の属国だったという事実すら否定しちゃうのか

113:世界@名無史さん
21/10/27 21:16:04.41 0.net
中国の一部とは言えないだろうね
そんなことを言ってるのがバカウヨでは

114:世界@名無史さん
21/10/28 13:26:29.49 0.net
>>113
中国共産党が右翼かよ。中国共産党の影響強い
北京精華大では、朝鮮半島に国家を建設したのは漢族で、
高句麗ご楽浪郡を落とす勢いまで半島の大部分を
中国の政権が統治していたとはっきり教えてるぞ。

115:世界@名無史さん
21/10/28 13:47:30.90 0.net
清華大ね
精華大は京都の私大

116:世界@名無史さん
21/10/28 13:56:57.91 0.net
韓国地域は、日本の一部であった。
唐やモンゴルの一部であったこともある。

117:世界@名無史さん
21/10/28 14:11:46.98 0.net
済州島は朝鮮族じゃなかった可能性があるが今は同化

118:世界@名無史さん
21/10/28 14:17:04.96 0.net
済州島はモンゴルに追われた三別抄に占領されるまで独立国だった。
モンゴルが三別抄を討伐して、済州島を牧草地とした

119:世界@名無史さん
21/10/29 03:16:28.99 0.net
清朝時代の満州族は都市に住んで教育レベルが高かったらしいけどそれ以前の女真族はどんな文化を持っていたんだろう?
女真族由来の学問や文学、芸術なんかもあったのかな?
漢民族曰く蛮族らしいけど辺境の蛮族が中国を侵略してあれだけ豊かな国を維持できたとは思えない

120:世界@名無史さん
21/10/29 07:40:22.92 0.net
>>119
かつては華北をも支配した金帝国で女真文字があった。
契丹文字とか西夏文字など独自文字が流行ってた時代だった。

121:世界@名無史さん
21/10/29 09:28:37.61 0.net
>>120
そいつらはモンゴルに攻められて滅びた
生き残った満州族は森林で狩猟生活してたガチの蛮族

122:世界@名無史さん
21/10/29 14:59:01.52 0.net
>>121
蔑視されてた蛮族が天下を取ったんだから面白い。

123:世界@名無史さん
21/10/29 16:02:43.66 0.net
李自成のおかげ

124:世界@名無史さん
21/10/29 16:05:16.90 0.net
李自成のおかげ

125:世界@名無史さん
21/10/29 16:19:48.10 0.net
清が中国を占領できたのは、裏切り者の呉三桂のおかげだろ
呉三桂が裏切らなかったら、李自成または明の継承者が中国を支配していた。

126:世界@名無史さん
21/10/29 22:03:55.75 0.net
>>125
呉三桂のような人物に巡り会えなかった豊臣秀吉さん。
自力だけで征服は無理よ。

127:世界@名無史さん
21/10/29 23:17:12.42 0.net
だが文禄の役の初期は、日本軍を「解放軍」と見なして自らはせ参じる
朝鮮の民衆もいた。
漢城の王宮は日本軍到達以前に炎上したが、これは貧民が混乱に乗じて
戸籍を抹消すべく火を放ったから。
だから秀吉軍もうまく民衆を手なづければ成功したかも?

128:世界@名無史さん
21/10/30 05:42:52.42 0.net
万暦帝の時代では中国の民衆が日本に協力しないよ
特別に圧政を敷いた訳じゃないし、むしろ倭寇の悪名が知られてて逃げられる

129:世界@名無史さん
21/10/30 05:50:50.26 0.net
ひ秀吉軍は、あと少しで朝鮮半島全土を占領できたのに、明の介入で押し戻されてしまった。
ちょうど朝鮮戦争で国連軍の勝利直前に中共が参戦してきて押し戻されたようなもの。
やはり陸続きで、桁違いに人が多い中国は強い

130:世界@名無史さん
21/10/30 05:54:33.81 0.net
日本の朝鮮侵攻が50年後だったら、朝鮮や明は後金の侵略で弱っていたから日本が勝っていたかもしれない。
もしかしたら清のかわりに、日本軍が呉三桂の導きで中国を征服していたかもしれない

131:世界@名無史さん
21/10/30 05:57:17.11 0.net
鄭成功が日本に援軍を乞うくらいだからな
もっともあの時代の日本に戦える兵がほとんど居なくなったから外征は無理だった

132:世界@名無史さん
21/10/30 06:53:04.97 0.net
>>131
主家を失った浪人がいっぱいいるじゃないですか?
足りなきゃ藩をもっと取り潰せばいい。
まとめて送り込めばいい。
せっかく大陸へ進出できる大義名分ができたのに、もったいない。
大義名分があるから現地協力者が向こうからやって来るぞ。
徳川御三家は乗り気だったらしいが
幕府が大人の対応ばかりで
覇気に欠ける。

133:世界@名無史さん
21/10/30 08:20:03.12 0.net
>>132
最後の大戦は大坂夏の陣だから、20年以上戦争経験してないし生き残りが居てもジジイ

134:世界@名無史さん
21/10/30 08:25:06.94 0.net
豊臣政権の崩壊を見ている以上そんな危ない橋は渡らないだろう

135:世界@名無史さん
21/10/30 08:57:19.02 0.net
島原の乱の一揆勢が中国に攻め込めばよい

136:世界@名無史さん
21/10/30 09:23:49.09 0.net
>>135
南明の永暦帝はカトリック国化を考えて、
皇太子に洗礼を受けさせてる。
結局、呉三桂に捕まり殺されるけど。
島原一揆勢と親和性はあるな。

137:世界@名無史さん
21/10/30 11:55:28.41 0.net
それで明国を制覇したとて、いずれ倭人は漢化されてしまうのか
満州族が言葉を失ったように

138:世界@名無史さん
21/10/30 12:02:11.09 0.net
辮髪を支那人にやらせて、満州文化を維持した

139:世界@名無史さん
21/10/30 12:03:16.93 0.net
チョンマゲと辮髪だったら、チョンマゲのほうがまし

140:世界@名無史さん
21/10/30 16:05:09.46 0.net
>>139
丁髷の総髪なら、支那の伝統的髪型とそんなに変わらない。

141:世界@名無史さん
21/10/30 16:19:17.19 0.net
満州式の髪型を強制されたのは男子のみで、
女性は漢族式でも問題なかったのか?

142:世界@名無史さん
21/10/30 19:35:31.36 0.net
>>141
それどころか 女性は漢服で良かった。
女性に旗服が普及したのは道光帝の時代になってから。

143:世界@名無史さん
21/11/08 19:25:57.71 0.net
「酒池肉林」「四面楚歌」「漁夫の利」「朝三暮四」「泣いて馬謖を斬る」
いわゆる故事成語や四字熟語は、みんな中国の古代、殷から春秋戦国、後漢に生まれた物
「推敲」は新しくて唐の時代か。
明や清の時代に生まれた故事成語はないの?

144:世界@名無史さん
21/11/09 07:31:11.61 0.net
燕賊簒位。

145:世界@名無史さん
21/11/09 07:32:37.78 0.net
知行合一

146:世界@名無史さん
21/11/09 07:40:48.65 0.net
滅満興漢

147:世界@名無史さん
21/11/09 07:40:52.29 0.net
九王奪嫡

148:世界@名無史さん
21/11/09 07:57:33.31 0.net
明清代によく使われる四文字熟語の多くは
四庫全書のような漢籍叢書や、科挙の影響で古典の引用が多いんじゃない?

149:世界@名無史さん
21/11/09 08:26:23.93 0.net
北虜南倭

150:世界@名無史さん
21/11/09 09:16:51.23 0.net
>>148
明清代の頃には白話文学が一般化して、小説などが広く流行するようになったよね
三国志演義や楊家将演義や西遊記や水滸伝や金瓶梅は、時代設定こそ後漢/三国代や唐代や宋代でも、明代に書かれた作品だし、
紅楼夢は、時代設定も書かれた時代も、清代だ
明清代になると、古典的で象徴的な削り込んだ簡略表現よりは、
やや冗長でも一般的で口語的な表現が多用されるようになったってことなのかな
ただ、小説の章題については、二行詩的な表現が多用されるね

151:世界@名無史さん
21/11/09 09:20:59.09 0.net
変法自彊

152:世界@名無史さん
21/11/09 13:18:49.02 0.net
扶清滅洋

153:世界@名無史さん
21/11/09 18:27:16.26 O.net
明人出警入蹕図

154:世界@名無史さん
21/11/09 20:58:56.34 0.net
平妖伝って水滸伝、西遊記とかと比べて面白いですか?
明代白話小説のレベルが知りたいです
水滸伝は血尿が出るくらい読みました。大好きな作品です

155:世界@名無史さん
21/11/13 20:54:25.24 0.net
明人出警入蹕図の神宗万暦帝
URLリンク(mup.2ch-library.com)

156:世界@名無史さん
21/11/15 17:15:17.49 0.net
明の首都について、南京もしくは応天府、北京もしくは順天府と呼ばれますが、例えば南京と応天府の違いは何ですか?

157:世界@名無史さん
21/11/27 06:45:43.87 0.net
>>156
> 明の首都について、南京もしくは応天府、北京もしくは順天府と呼ばれますが、例えば南京と応天府の違いは何ですか?

府はその地域一帯を統轄する地方行政機関の名称
開封も、開封府が設置される前は汴州と呼ばれてたが、後には開封が地名として定着した
明治新政府が北海道に進出したときも、函館に「箱館府」を設置して地域一帯を統轄させようとした

158:世界@名無史さん
21/11/27 07:03:22.39 0.net
>>143
明清時代に生まれた言葉は、日本で知られていない
「知行合一」とかは日本でも有名に為ったが

159:世界@名無史さん
21/11/27 07:04:35.66 0.net
日本で見ると、中国の文学も歴史も古代がピークで
明清時代になると見る影もなくなるという印象

160:世界@名無史さん
21/11/27 07:06:35.79 0.net
日本人にとっては、漢唐の存在が大きくて明清の存在が小さい
韓国では逆だけど

161:世界@名無史さん
21/11/27 07:11:50.28 0.net
明治維新で朱子学を捨てたのが大きいな
「格物致知」とか「居敬窮理」とか、現代では普通の人がまず知らない言葉になってしまった
「修身斉家治国平天下」とかも、元ネタは古代にあるけど朱子学で有名になった言葉

162:世界@名無史さん
21/11/27 07:13:49.64 0.net
「泣いて馬謖を切る」の故事も、元ネタは正史「三國志」だけど、
世間の一般人にも知れ渡るほど有名になったのは明代の「三國志演義」のおかげ

163:世界@名無史さん
21/11/27 07:58:43.83 0.net
>>159
中国古代の文学、歴史を編纂した漢籍は、
四庫全書みたいに明清期のものだったりする。
明清のフィルターを通して中国古代を覗いているのかもしれない。

164:世界@名無史さん
21/11/27 08:06:51.14 0.net
>>162
赤壁の戦いのイメージは
朱元璋のハ陽湖の戦いを描写したもの。

165:世界@名無史さん
21/11/27 08:17:48.61 0.net
明清を舞台にした漫画、アニメ、ゲームがヒットしないと
日本では興味を持ってもらえない。。。

166:世界@名無史さん
21/11/27 15:14:49.63 0.net
張士誠・朱元璋・陳友諒の三国鼎立、
李自成の乱から呉三桂の裏切り、
九王奪嫡から雍正帝即位
歴史ドラマの人気ネタが多い時代なんだけどなあ
なぜか、日本人にはウケがよくない

167:世界@名無史さん
21/11/27 15:17:08.31 0.net
三國志とか、3国が鼎立してからならともかく、それ以前の情勢は、歴史マニアでない普通の人には複雑すぎてサバキきれないと思うんだが
なんであんなに人気あるんだろ?

168:世界@名無史さん
21/11/27 16:10:02.34 0.net
>>166
女に殺されかけた皇帝がドラマになってたな

169:世界@名無史さん
21/11/28 07:53:30.95 O.net
>>159
元代の小説、西遊記は日本でも知名度ある

170:世界@名無史さん
21/11/29 13:43:41.53 0.net
江戸時代戦争に近い行政が勃興し続けた

171:世界@名無史さん
21/11/29 23:27:40.19 0.net
横山光輝がヌルハチ描いてたら日本でも人気出てたはず

172:世界@名無史さん
21/11/29 23:46:03.86 0.net
出ないは
敗死するし、ラーメンマンだし

173:世界@名無史さん
21/11/30 09:20:50.05 0.net
サバイバルゲーム『朱元璋の貌 君は生き残れるか?』を提案する。

174:世界@名無史さん
21/12/01 10:16:49.49 0.net
朱元璋は上流と下流の強敵にはさまれる困難な地勢
歴史シミュレーションゲームでは開始早々に滅亡しそうだ

175:世界@名無史さん
21/12/01 12:15:57.99 0.net
曹操も織田信長も、ゲーム開始時点では厳しい状況
でも朱元璋よりはマシか

176:世界@名無史さん
21/12/01 14:40:06.90 0.net
臣下にとってはいかに粛清の嵐を切り抜けるかが課題。

177:世界@名無史さん
21/12/01 15:54:15.83 0.net
そりゃ難易度が高すぎる

178:世界@名無史さん
21/12/01 16:28:30.91 0.net
ユーラシア北部、北海道くらいの緯度に、東西に帯状に広がる草原地帯がある
そこのバイカル湖の西側にアーリア人?チュルク人?
東側はモンゴルやツングースだろう
そこは遊牧に適しているが、ひとたび地球が寒冷化すると家畜を失って人間しか食うものが無い
馬に乗って南下して中国人をお食べになる満州族
それで野蛮人防波堤として万里の長城を作られてしまう
このスレにも多くの満州族が来られているようですが
元遊牧民は基本的に労働をしないので国が成り立たず、他民族に寄生・搾取して生きる
長期の飢餓を経験してサイコパスになっているので強い、
目的を達成するためには手段を選ばない
そういう連中なので、白も黄色も世界の支配層になっているようだ
そうはさせまじと、プーチン・習近平が巻き返しを狙う
日本で言うなら、安倍退陣=満州族排除の意味なんでしょう、
香港もやられて次は台湾の掃除だね
寄生虫排除は世界人類の願い

179:世界@名無史さん
21/12/06 09:52:15.79 0.net
アヘン戦争を戦った道光帝
太平天国の乱の直前に世を去った

180:世界@名無史さん
21/12/06 09:54:13.96 0.net
死んだ人の数からすれば、第二次世界大戦に匹敵する人類史上最大級の戦争
それが太平天国の乱
とくに江蘇省や浙江省など、長江下流デルタ地帯は壊滅的な被害を受けた

181:世界@名無史さん
21/12/06 17:41:28.76 0.net
日清戦争の頃には、すっかり立ち直っていた

182:世界@名無史さん
21/12/06 18:02:55.62 0.net
近代以降の国民国家の思想が戦争を残虐にしたっていうけど明清交替や太平天国の乱を見るに近代以前の戦争の方が地獄じゃね?

183:世界@名無史さん
21/12/21 07:48:50.12 0.net
大量殺戮兵器による効率化の問題

184:世界@名無史さん
21/12/24 18:57:39.92 O.net
後元・清・大順・大西・南明・蘭領台湾(のち後明)
の光栄ゲーム「六國志」があれば

185:世界@名無史さん
21/12/26 17:06:58.02 0.net
明朝は暗黒時代だった

186:世界@名無史さん
21/12/26 17:09:12.89 0.net
だが、明朝の後期には高度経済成長と人口爆発が始まった
貧富の格差、沿海部と内陸部の格差、官僚の汚職、環境汚染
現代中国が抱える諸問題の多くが、このときから始まった

187:世界@名無史さん
21/12/26 19:07:04.98 0.net
明代の後期から、高度経済成長と人口爆発が始まった
中国大陸は急カーブを描いて発展し始めた
ところが、「この頃から中国文明は停滞し始めた」というイメージを持っている人が世間には多い

188:世界@名無史さん
21/12/27 11:13:48.96 0.net
日明貿易で、日本人はもっぱら宋の絵画を欲しがった
文化面では宋代のほうが上だという意識を持っていたのだろうか

189:世界@名無史さん
21/12/27 11:33:54.21 0.net
漢文、唐詩、宋の書画
明で人気があるものっていったら、赤絵や染付、五彩の磁器でしょうな
それにしたって、宋の青磁・白磁のほうが芸術的な評価は高いが

190:世界@名無史さん
21/12/27 12:03:12.11 0.net
陶磁器、絹織物、茶
世界に冠たる三大キラー輸出商品も、技術といい生産量といい、明代で飛躍的に伸びた

191:世界@名無史さん
21/12/27 12:05:26.11 0.net
明代ほど中国が飛躍的に発展した時期など、他に文化大革命後の現代くらいしか見当たらない
なのになぜか、この時代あたりから中国の停滞が始まったと考えている人が世間には多い

192:世界@名無史さん
21/12/27 14:35:07.39 0.net
日本人になじみのある中国の王朝が唐だからかな
明は朱元璋による大粛清とか、暗いイメージが強いし
実際には都市経済と長距離商業の発展、富農経営やマニュファクチャーの展開、
出版業の隆盛にともなう情報量の急激な拡大などが起こった時代だった

193:世界@名無史さん
21/12/31 05:11:25.79 0.net
>>191
去年くらいに出た岩波新書の「中国の歴史シーズ」全5冊、
明代だけで丸々一冊の枠をとってたから、明代が最近の学界で重視されてるのかなと思った。

194:世界@名無史さん
21/12/31 06:14:12.24 0.net
次スレからは「明清帝国」じゃなくて「大明帝国」にしよう

195:世界@名無史さん
21/12/31 20:44:14.72 0.net
過去スレで明スレ清スレ分割案も出たことあるけど、
その議論の結果として、一括スレの継続ってことになってるよ
むしろ、創るなら個別テーマスレでしょう
明代文学白話化テーマとか、清代多言語社会テーマとか

196:世界@名無史さん
21/12/31 22:23:28.44 0.net
「普通なんですが…」ネットを騒がせる“眼科の愛新覚羅先生”が明かす、やっぱり凄い“わが半生”
URLリンク(bunshun.jp)

197:世界@名無史さん
21/12/31 22:25:21.45 0.net
>>193
洪武帝陛下の偉大さをもっと広めるべき。

198:世界@名無史さん
21/12/31 22:29:58.20 0.net
>>194
朱元璋の個性が強烈過ぎて、さらに目立ってしまう。

199:世界@名無史さん
21/12/31 23:15:20.28 0.net
>>198よ、朕の個性とな。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ  ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′  ゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォ
前へ進み出て、朕の聖徳を存分に申し述べるがよい。

200:世界@名無史さん
21/12/31 23:19:17.30 0.net
ああ陛下!
光明に溢れるルックスもイケメンなる陛下!
ご尊顔を「でじかめ」にて映しとって御真影と成し
全国の寺子屋に奉安殿を設けて拝ませましょうや!

201:世界@名無史さん
22/01/01 09:18:29.48 0.net
>>199
陛下が法と秩序を回復し、
荒廃しきった国土を再興し、
唐宋を上回る経済繁栄を実現なさいました。
ついでにゴミ虫共を一掃してくださいました。
只々、偉大なる陛下に平伏すのみでございまする。

202:世界@名無史さん
22/01/01 10:35:57.96 0.net
>>191
モンゴル帝国が重商主義的でグローバル志向だったのに比べて、
中華伝統回帰でがんじがらめの儒教主義に縛られた内向きで後退のイメージはある。
実際はペストのパンデミックもあって、元朝支配下で人口が大激減したのに比べて、
明清では人口が激増。明らかに暮らしやすかった。
グローバル化は個人を幸福にするとは限らない。

203:世界@名無史さん
22/01/01 10:47:24.09 0.net
>>195
歴史学界の話だけど、『史学雑誌』という東大の出してる学術雑誌だと、
「回顧と展望」という企画では「明清」というカテゴリーでまとめてる。

204:世界@名無史さん
22/01/01 11:40:37.73 0.net
>>202
なんでも自給自足で済ます時代、あるいは社会状況が自給自足でなんとかなる時代ならまだしも、
社会が或る程度進んでいけば、自給自足じゃ、資源も機材もソフトウェアも資金も絶対に足りない
今どき全部自給自足で済ませようと思ったら、それこそ山中か孤島で一軒家暮らししかも外部情報完全途絶じゃないと無理

205:世界@名無史さん
22/01/01 12:06:13.70 0.net
>>204
明代と清代中期までは国内の物産が豊かで国内だけで十分に繁栄できた。
諸外国が明清の物産を欲して、銀を差し出し続けた。
明清の目から見れば諸外国が提供するもので価値があるのが銀ぐらいだった。
なので諸外国へ恩恵を与える気持ちで交易してたに過ぎない。
世界中の銀を集めて、銀本位経済が発達し、さらに発展していった。

206:世界@名無史さん
22/01/01 12:38:12.36 0.net
>>205
でもそれも人口が一定程度以上まで増加したら、
そこから先は清の実効支配領域だけじゃ自活は無理だったでしょ
しかも清は同君連合の地域が多くて、中央政府の直接統治地域は意外に小さかったしさ
明末に増加した海外移民を清代中期頃に抑制しても、結局、清末には外向きになっていったし、
それを無理に従来式に止めようとしたら、かえって混乱が拡がった

207:世界@名無史さん
22/01/01 14:24:31.57 0.net
もしイギリスをはじめとする西洋諸国がアジアにやってこなかったとしても、
清朝はいつか限界にぶち当たって崩壊したんだろうか?

208:世界@名無史さん
22/01/01 14:35:09.22 0.net
>>206
民間には海外交易に積極的な動きがあったが、
為政者たちがどういうわけか無関心。
海禁もなかなか止めない。

209:世界@名無史さん
22/01/01 14:44:52.22 0.net
>>207
人口急増による
マルサスの罠、リカードの罠で
一人当たりGDPが一気に低下している。
反乱が頻繁するのは確実だね。

210:世界@名無史さん
22/01/01 22:12:44.60 0.net
あるシステムが限界に達したら、大航海時代のヨーロッパのように、外に出ていくしか
ないのかもしれない

211:世界@名無史さん
22/01/01 23:11:02.08 O.net
>>207
大体、250~300年で王朝交替するから清朝もいずれ滅んだ

212:世界@名無史さん
22/01/02 06:52:36.46 0.net
西洋諸国がアジアにやってこなかったら、中国に銀が流入することもなかっただろうから、
乾隆帝時代の未曽有の好況もなかっただろうな

213:世界@名無史さん
22/01/02 07:59:01.31 0.net
>>212
> 西洋諸国がアジアにやってこなかったら
そもそも、明朝が滅びることも、清朝が天下を取ることもなかった可能性が高い

214:世界@名無史さん
22/01/02 08:10:20.55 0.net
西洋伝来の鉄砲の威力がなければ、日本が統一されることもなく、朝鮮に攻め込んでくることもなく、朝鮮戦役で明朝が国力を消耗することもない
袁崇煥の鉄砲隊の砲撃でヌルハチが戦死することもなく、ホンタイジが鉄砲隊を編成して反撃に転じることもない

215:世界@名無史さん
22/01/02 09:10:53.39 0.net
>>214
火槍から銃を産んだのは元朝。
西洋から来なくても、鉄砲はある。
実際に明朝はオスマン帝国のルーミー銃を導入しようとして、複製生産試験していた。

216:世界@名無史さん
22/01/02 09:31:12.43 0.net
日本の徳川幕府も、ペリーが来ようが来まいが、いつかは崩壊した可能性が高い?

217:世界@名無史さん
22/01/02 09:42:13.68 0.net
>>215
性能が違いすぎる
その一言に尽きるな

218:世界@名無史さん
22/01/02 09:42:39.37 0.net
>>216
> 日本の徳川幕府も、ペリーが来ようが来まいが、いつかは崩壊した可能性が高い?

ペリー来航の意義は過大評価されている

219:世界@名無史さん
22/01/02 11:44:49.87 0.net
>>217
15,16世紀ぐらいはオスマン帝国の火力が欧州を圧倒してたよ。
オスマン帝国、サファヴィー朝イラン、ムガール帝国の3つのイスラム大国が火薬帝国と呼ばれるぐらいにはね。

220:世界@名無史さん
22/01/02 11:57:42.10 0.net
欧州の軍事技術がイスラム世界を上回ったのは17世紀以降だからな

221:世界@名無史さん
22/01/02 12:34:15.43 0.net
明朝もそうだし、オスマン帝国もそうだが、彼らは大砲を非常に好んでいた
16~17世紀の欧州そして日本の軍事技術が画期的だったのは、銃を小型化・軽量化したこと
これにより、歩兵部隊が銃を携行して移動できるようになった。銃口が細いから命中精度も段違い
それだけでなく、日本や欧州の銃は耐久性がまったく違ってた。
「西洋の銃は、何度使っても驚くほど壊れない」と、明代の記録にも残っている
この性能における格段の差が、世界各地で軍事革命を引き起こした

222:世界@名無史さん
22/01/02 16:44:18.81 0.net
オスマン帝国のルーミー銃は大型で、
銃身を支える台が必要。
射程距離が長く、破壊力も大きい。

223:世界@名無史さん
22/01/02 19:51:49.00 0.net
世界で最初に火器専門部隊を編成したのが明国。

224:世界@名無史さん
22/01/03 09:26:44.29 0.net
朱元璋は銅で作った火砲を駆使して次々と勝利を重ねた。
この火器技術を明朝で国家機密としたことが、その後の発達を阻害したかもしれない。
銅は強度に問題があった。
日本は小型軽量火縄銃でもって一時は世界トップレベルまで技術を高めた。だけど鎖国と太平の間に進歩が止まった。
細かい部分では技術開発が続いたらしいが、幕末までに洋式銃に敵わなくなった。

225:世界@名無史さん
22/01/03 11:41:08.34 0.net
いや明軍の主力は騎兵だけど
永楽帝の遠征でも火砲部隊何てつれていってないでしょ
そもそも14世紀の火砲に騎馬軍団の進撃をとめるだけの威力はないし
神機営という火器部隊はあったけど
遠征で捕虜にした越南人をもとに編成したのが嚆矢らしい

226:世界@名無史さん
22/01/03 11:59:14.38 O.net
日本の火縄銃は鍛冶屋がトンカントンカン叩いて鍛えた鍛鉄製で、強度あった
一方、明国の鳥銃は鋳物の鋳鉄製で強度が脆いため、連発するとヒビが入った

227:世界@名無史さん
22/01/03 12:25:00.94 0.net
1377年製造の洪武大砲について
URLリンク(global-studies.doshisha.ac.jp)

228:世界@名無史さん
22/01/03 13:23:28.04 0.net
>>226
>一方、明国の鳥銃は鋳物の鋳鉄製で強度が脆いため、連発するとヒビが入った
明王朝の鳥銃も鍛鉄製

229:世界@名無史さん
22/01/03 14:37:56.61 0.net
>>225
少なくとも永楽時の北京には火銃専門部隊の神機営があった。

230:世界@名無史さん
22/01/03 15:15:00.66 0.net
> 少なくとも永楽時の北京には火銃専門部隊の神機営があった。

火銃といっても、モンゴル帝国の銅手銃をコピーしたもので、脆いので何発も撃つと銃身にヒビが入った
永楽帝の軍隊で使われた火器は、いまでいう手榴弾や火炎瓶のようなものか、火箭を放つものが主流
火炎瓶に毒物を仕込み、破裂させて毒をばらまくというような一種の化学兵器がよく使われたようだ

231:世界@名無史さん
22/01/03 15:17:23.45 0.net
ベトナム攻略には、大変な威力を発揮したらしい
唐朝が滅んで独立して以来、征服できた試しがなかったベトナムを、永楽帝はついに屈服させ、20年にわたって支配した

232:世界@名無史さん
22/01/03 15:27:12.18 0.net
中国伝統の火薬兵器は爆竹か花火タイプがほとんどだからな
西洋の火縄銃や大砲を見た時にかなり驚いて早速コピーした

233:世界@名無史さん
22/01/03 15:37:50.80 0.net
そうそう、要するに爆竹とか花火
それを軍隊で使用したというのが適切

234:世界@名無史さん
22/01/03 15:41:20.25 0.net
爆竹の音で敵(とくに馬)をビックリさせたり、敵陣に花火を打ち込んで火災を起こしたり
あとは、陶器に火薬と毒物を仕込んでおいて、破裂させて毒をバラまいたり
そういうのが主な使用法だった

235:世界@名無史さん
22/01/03 16:16:29.45 0.net
もののけ姫に出てきたような奴は
一発撃ったあとは、いつ次発できるか
(もしくは破損や暴発するか)
分からん代物だからなー

236:世界@名無史さん
22/01/03 18:28:16.59 0.net
もののけ姫にでてきたやつは震天雷といって宋代に使われた攻城砲で精密射撃は出来ないからな
山犬にあたらなくても当然
靖康の変ではやくも金軍も歒桜や城門を破壊するのに使っている
明軍で主流だったのは三眼銃という騎兵用の砲だな
三発まで発射可能で射ちおわったら盾として使用可能
現存する三眼銃の試射
URLリンク(www.youtube.com)

237:世界@名無史さん
22/01/03 19:24:15.22 0.net
ハンドキャノンだな
元王朝のモンゴル軍も使ってた

238:世界@名無史さん
22/01/03 20:22:04.27 0.net
昭和の終わりころに、ジャッキーチェンが主演してた
「キャノンボール」とかいう題名の洋画があった
「大砲の弾」という意味だったのか

239:世界@名無史さん
22/01/03 21:11:22.71 0.net
>>225
永楽帝の第二次北伐のウラーン・ホシューンの戦いでオイラト兵に対して神機銃(火槍)を斉射して、明軍が優勢になってる。

240:世界@名無史さん
22/01/03 21:30:01.40 0.net
>>232
現存する洪武大砲や永楽火銃と比べると、
同時期製造で見つかっている欧州の銃砲が優れてるとは言えない。
明初の段階での軍事技術は明国が世界トップだろう?
後で逆転されたが。

241:世界@名無史さん
22/01/03 23:26:27.66 0.net
>>236
ちょっと癖が強すぎて常用のメインウエポンには使えないよねえ

242:世界@名無史さん
22/01/04 08:11:41.16 0.net
持久力のある蒙古馬を湯水のように大量投入し、疲れた馬から元気な馬に乗り換えつつ、常に全速力で行軍する
モンゴル騎馬軍団の登場により、陸軍の機動力は爆上がり
火薬兵器を本格的に使い始めたのもモンゴル帝国
まさに軍事革命

243:世界@名無史さん
22/01/04 08:15:08.02 0.net
元寇でモンゴル軍が使用し、日本軍を恐怖のドン底におとしいれた火薬兵器「てつはう」
てつはうについては、「銃だったのではないか?」という説も出ていたが、発掘調査により正体が確認されている
陶器の中に火薬を仕込んだ、手榴弾か火炎瓶みたいなものだった

244:世界@名無史さん
22/01/04 08:20:45.14 0.net
モンゴル帝国は、シナの南人たちが製造した陶磁器を世界各国で売りまくって大儲けした
おかげで、この時代の作品は、シナにはほとんど残っていない。その代わり、アラブやイランに大量のコレクションが残っている
モンゴル帝国はシナの技術を最大限に利用して世界に君臨した
現代の日本の技術を最も活用しているのが中国なのと似ているかもしれない

245:世界@名無史さん
22/01/04 08:24:51.47 0.net
このモンゴル帝国の遺産を受け継いだのは明朝だった
明朝はモンゴル帝国の火薬兵器をコピーしたが、もとはといえばシナの技術なのだからパクリとは言えないかもしれない

246:世界@名無史さん
22/01/04 08:30:55.43 0.net
「初期の明朝は、その気になれば世界征服できたのではないか?」とはよく言われるところだが、
明朝こそはモンゴル帝国の後継国家なのだから、そう言われるのも当然か
もっとも、ティムールが長生きして本当に北京に攻めてきたら、勝てたかどうか分からない

247:世界@名無史さん
22/01/04 08:35:03.44 0.net
明初の技術水準で終わっちゃう。
鄭和の大航海の造船技術も残らない。
明朝の停滞のイメージが拭えない。

248:世界@名無史さん
22/01/04 08:38:01.05 0.net
モンゴルの火薬兵器は元々宋王朝のものだけどね

249:世界@名無史さん
22/01/04 08:46:11.64 0.net
>>246
北元を殲滅できない時点で世界征服は無理。
永楽帝は明らかにクビライ・カーンみたいになろうとしたが、
補給の限界線までしか攻め込めない。

250:世界@名無史さん
22/01/04 08:49:41.07 0.net
朱元璋が、最強の敵・陳友諒を破ったハ陽湖の戦い(1363年)
陳友諒は、世界最高の造船技術を駆使して巨艦の艦隊を編成し、長江を攻め下ってきた
そこで朱元璋が火砲(打ち上げ花火みたいな兵器)を効果的に使用したことが、世界の戦史に残る火器の本格使用とされている
(もっとも、最後はカミカゼ特攻隊が火船7艘で突入して勝利した)
これは確かに、当時としては世界で最先端の戦闘だっただろう

251:世界@名無史さん
22/01/04 09:03:25.83 0.net
>>244
西アジアのイスラム圏からコバルト顔料が入ってきて、青花磁器が生まれる。
その磁器がまた西アジアに戻って行く。
モンゴルが始めた交易によるイノベーションだな。

252:世界@名無史さん
22/01/04 09:04:01.81 0.net
>>250
赤壁の戦いのモデルだね。

253:世界@名無史さん
22/01/04 09:07:20.86 0.net
>>251
南宋が海外貿易やってたからそのルートにモンゴルが受け継いだ

254:世界@名無史さん
22/01/04 09:36:15.56 0.net
>>253
その貿易活動に明朝は制限を加える。
停滞の主原因じゃないか?

255:世界@名無史さん
22/01/04 09:43:17.97 0.net
明は永楽帝を例外にして、守りを固めるのが基本政策。
莫大な費用と労力で万里の長城を作る。

256:世界@名無史さん
22/01/04 11:47:31.59 O.net
>>243
訓練されてない馬は大きな音に驚いてパニック起こすから、対騎兵戦には効果あっただろうな

257:世界@名無史さん
22/01/04 15:17:35.40 0.net
明朝は巨大な引きこもり国家。

258:世界@名無史さん
22/01/04 20:48:31.28 0.net
清朝は大アジア帝国として、万里の長城を不要にした。
そこは明朝と異なるが
引きこもり要素は引きずってるな。

259:世界@名無史さん
22/01/04 21:40:43.65 O.net
満漢蒙回蔵の五族を支配した清朝は、やっぱ凄い

260:世界@名無史さん
22/01/05 08:26:53.85 0.net
ヒトラーが構想した「世界首都ゲルマニア」は、計画のみで実現しなかったが、今も残る模型や図面を見ると、戦慄すべきものを感じる。
一方、中国人は儒教イデオロギーに基づく「世界首都」を地上に実現した。
明清帝国の首都・北京と、その中心に位置する紫禁城(現在の「故宮」)は、儒教の経典『周礼』冬官考工記の「世界首都」構想を発展的に具現化している。
紫禁城は、宇宙の支配者たる天帝の住まい「紫微垣」(北極星のすぐ横の、天頂の中心)をモデルとする。
北京の都市計画のコンセプトは、「天子」たる中華皇帝が天に代わって世界を支配するための巨大な「魔法陣」だった。

261:世界@名無史さん
22/01/06 10:01:41.65 0.net
>>260
紫禁城に何回か行ったけれど、
広過ぎて、建物あり過ぎて、
最初は建物一つ一つ入っては熱心に見て回るんだが、
しだいに疲れと飽きてしまって、どうでもよくなって、
城内のカフェで一服した後に帰ってしまってた。
帰り道も結構な距離歩くんだよなぁ。
入城時に荷物検査を受けて、チケット売り場でパスポート提示が求められた。
どちらも凄い行列で、人が多いところを歩くだけでも疲れを覚えちゃう。
相当な健脚を求められる。
今はコロナで行きにくいけど、行くなら若いうちに行くべきだな。

262:世界@名無史さん
22/01/06 10:08:16.39 0.net
紫禁城も万里の長城も、観光には体力が要る

263:世界@名無史さん
22/01/06 10:20:24.90 0.net
>>262
確かに。
頤和園も広かった。
大陸って、面積食うものをいくらでも作れるもんな。

264:世界@名無史さん
22/01/06 10:26:26.62 0.net
ソウルの景福宮や、沖縄の首里城とかは、紫禁城の小型版に感じる。

265:世界@名無史さん
22/01/06 10:42:41.62 0.net
自分も紫禁城行ったけど建物や床石が妙に綺麗で
これどこまでがオリジナル?って疑問が沸いたのだけど
修復に修復を重ねてるのだろうか

266:世界@名無史さん
22/01/06 10:44:51.84 0.net
紫禁城って建物が全部平屋だよね
中国建築はヨーロッパやアラビア建築と違って平屋が多い
それだけ中国大陸に居住可能面積が多いということなのか

267:世界@名無史さん
22/01/06 10:47:01.96 0.net
>>266
> 中国建築はヨーロッパやアラビア建築と違って平屋が多い
> それだけ中国大陸に居住可能面積が多いということなのか

いや、それは日本も含めた東アジア文明圏に共通する傾向
地形の問題ではない

268:世界@名無史さん
22/01/06 21:36:19.13 0.net
朝鮮の伝統建築がみんな平屋なのは、寒いから
床暖房のオンドル設置が常識なので、平屋にする。
2階以上の床下にはオンドルを設けられない。
日本では旅籠や養蚕農家なんかは明治以前も多重建築だね。
大きな面積を確保するために

269:世界@名無史さん
22/01/06 21:49:08.72 0.net
そういえば、そうか
幕末に江戸を訪れた西洋人の記録に
「ここは平屋ばかりで、建築らしい建築が無い」
という感想があったので、「江戸=平屋」というイメージがあった

270:世界@名無史さん
22/01/06 22:08:19.03 0.net
春秋時代から魏晋南北朝までは台榭といって宮殿建築は重層が普通だった
この台榭建築はかなり変った構造で各層が完全に独立していて外付けの階段や梯子を使わないと移動できず
いざという時には取り外して防衛出来るようになっていた
なかを吹き抜けにするようになったのは唐代から

271:世界@名無史さん
22/01/07 13:01:50.53 0.net
ただ、日本の場合にも、基本的に「家族の生活空間は同一階」を生活空間にしてて、一般的にはそれが1階であるような
上層階は、ほかの人も書いてるように、
宿の客室だったり、住み込み従業員さんの寝室だったり、蚕室だったり、倉庫だったり
日本海沿岸の漁村で見られる舟屋も、1階がドック、2階が住居、といった形式で、階層用途の逆転こそあるけど、
「多層階の場合、業務用階層と生活用階層を分離」という基本的な考え方は同じだよね

272:世界@名無史さん
22/01/07 13:11:38.93 0.net
>>270
火攻めに遭ったとき逃げ場を失いそうだ
やはりそうすると基本的の生活空間は1階で、上層階はあまり使わないってことかな
宮殿ならなおさら、VIPに梯子を掴んで上り下りしてもらうわけにはいかないよね
それとも、現代の船舶・航空機で使うタラップみたいなのがあったのかな?

273:世界@名無史さん
22/01/07 13:13:14.58 0.net
>>272
基本的の

基本的な

274:世界@名無史さん
22/01/07 14:47:05.39 0.net
>>272
福建のドーナツ型の土楼は4階まで
階段を上ったことあるけど、
最上階も居住する部屋だったよ。
鉄観音のお茶をご馳走になった。
外壁に銃眼の穴があって、防衛できるようになってる。
1934年に土楼が農民反乱拠点になったんで軍が大砲を19発撃ち込んだが、外壁がへこんだだけという話がある。

275:世界@名無史さん
22/01/07 14:59:38.20 0.net
>>274
現代の福建や広東にある土楼は、中庭側に階段があるよね
>>270 の人が言ってる建物の構造は、そういった造りでもなく完全に上層の各階がそれぞれ封鎖されてる、という意味なのかな?と

276:世界@名無史さん
22/01/07 15:19:07.48 0.net
>>275
自分が上った階段は楼閣の中にあった。
木の階段をミシミシ上る。暗い空間だったよ。

277:世界@名無史さん
22/01/07 15:20:43.18 0.net
>>269
日本の都市って、「城壁が無い」という、近世以前には世界的にも非常に珍しい造りだったよね
平安京以前の首都も、条里制こそ大陸を真似たけど、その周りはほぼ「城壁」というより「塀」だったでしょ
まあ国土自体が天然の堀で囲まれてるような島国だからなあ
一方、航空機が一般化して城壁が事実上意味を失った現代でも、中国語では都市のことを「城市」と呼ぶほどだしさ
西洋から来た人には、都市建築といえば城壁付きの高層建築、というのがごく普通の印象だっただろうから、
江戸の都市が風変わりな造りに見えたんだろうね

278:世界@名無史さん
22/01/07 15:21:33.54 0.net
>>276
なるほど

279:世界@名無史さん
22/01/07 15:23:36.74 0.net
明清時代の中国の都市には同時代のヨーロッパのような集合住宅は無かったのかな?
四合院は家族同居だし
都市に稼ぎに来た単身者はどこに住んでたんだろうか

280:世界@名無史さん
22/01/07 15:40:46.50 0.net
集合住宅というのは土地の狭い都市内で人口が増えることで発展するのだ
そのため古い時代では貴族は平屋の屋敷に住み富裕なものは都市でも低い階の建物に住み
階段で不便な高層階は貧民が住んでいた
金持ちがタワマン高層階に住む現代とはまるであべこべ

281:世界@名無史さん
22/01/07 15:56:46.13 0.net
今のようなエレベーターとかエスカレーターとかが完備されてる時代ならともかく、
自力昇降の階段しかない時代には、偉いさんがわざわざ階段昇って高いところ行くのって、
側近にとってははらはらするようなことだろうしなあ
ムガル帝国のフマーユーンも、図書館の屋上から階段降りてるときに事故したし

282:世界@名無史さん
22/01/07 15:56:58.77 0.net
北京の城壁や城門の大半は毛沢東が破壊を指示した。
貴重な遺産を前時代の遺物として消し去ろうとしたわけだ。
だが、その破壊の事実は現在は機密事項みたいで、
公式に触れられることはない。
撤去する作業は大変で、内城のレンガだけで40万立法m。
土はその12倍あったらしい。
撤去作業は何年もかかったが、全部を撤去できなかったようで
わずかに残るものの一つ徳勝門なんて、巨大で凄い目立つ。
あんな城門が幾つもあって巨大な城壁で繋がっていたと思うと何とも惜しいことをしたと感じる。
北京城の壮大さに感動できただろうに。

283:世界@名無史さん
22/01/07 16:29:01.35 0.net
北京の地下鉄2号線(通称 環線)に「〇〇門」という門の字が付いた駅が11もある。
北京内城の城壁があったところの地下を1周23kmの環状地下鉄が走り、
城門は撤去したが名前だけ残した。
城壁と城門を残して欲しかった。

284:世界@名無史さん
22/01/07 16:46:18.33 0.net
近代以降、城壁や城門を取っ払ったって例が一気に多くなるね
19世紀ウィーンのリングシュトラーセ(環状道路)とかもそうだな

285:世界@名無史さん
22/01/07 17:00:47.96 0.net
煬帝を知る人間に実在が無い

286:世界@名無史さん
22/01/07 18:16:10.80 0.net
城壁なんて現代の都市計画において邪魔でしかないでしょ

287:世界@名無史さん
22/01/07 22:26:40.85 0.net
>>271
近代以前、家族の集合の場である居間、あるいは台所が一階にあるのは当たり前。
脚の悪い老人もいるから1階が会合の場として便利、
そして近代以前の技術では、煮炊きの場である台所は「地面のある階」にしか設けられないからね
竃を2階に設けたら、床板が加熱して火災の危険があるから。
タワマンの上階に住むのがステータスなんてのは、電気や水道やエレベーターがある現代だからこそ
地震で停電だの断水だのすれば、1階から重い水タンク抱えて延々と階段上らなければならん。
ステータスだったはずの40階、50階まで…

288:世界@名無史さん
22/01/07 22:49:26.23 0.net
>>287
石造建築文化のあるところでは、上層階に厨房を組むこともあったんだろうか?
石造建築だと、床暖房でなければ煙突は普通屋根に通じるから、上層階に暖炉がある建物もままあるし

289:世界@名無史さん
22/01/08 00:44:40.31 0.net
中山王墓(紀元前4世紀頃)
URLリンク(twitter.com)
外観は三層だけど中身は
URLリンク(twitter.com)
嬴政の居城・咸阳宮も如何にも広そうだけど
URLリンク(tabitabi1110.com)
も中身はほんど土
URLリンク(img-cdn.jg.jugem.jp)
(deleted an unsolicited ad)

290:世界@名無史さん
22/01/08 11:51:08.48 0.net
>>286
現代人は近視眼的過ぎる。
残しておけば、もっと都市の価値が上がる。
日本の諸都市じゃ、壊したお城や天守閣を慌てて、復元してる。
毛沢東の北京城壁破却指令のことを無かった事にしようとしてるがごとく隠したがるのは
壊したのはまずかった、残しておけば良かったと後悔してるからだろうね。

291:世界@名無史さん
22/01/08 13:10:47.28 0.net
>>290
都市の歴史的価値なんてのはある程度国家の産業水準が発展した場合にのみ語ることができるもんだ
大部分の国民が貧しい生活をしていたような1950年代の中国人からすれば首都内の移動を阻害する城壁なんて邪魔でしか無かった
現代人の視点で1950年代当時のことを語るのは違うだろう

292:世界@名無史さん
22/01/08 14:48:28.21 O.net
大躍進とか文化大革命とか、ケザワヒガシはロクなことやらなかったな

293:世界@名無史さん
22/01/08 17:06:04.88 0.net
>>291
でも当時の政府部内では最初は保存が決まってたみたいだよ。
ネット情報だが、1957年6月に文化部が北京の城壁の取り壊しは国際的にも影響が大きいとして、取り壊しは不賛成という意見を北京市に伝えてる。
国務院も文化部に賛成していた。
1958年1月に毛沢東がこの国務院の方針をひっくり返す。
第14回最高国務会議で
「南京や済南、長沙のように城壁を取ってしまったところは良い。北京や開封の古い家は全部新しくする方がいい」と発言。
1958年3月には成都会議で
「城壁を取り除いて、天津や上海のようにすべきである」と指示。
かくして周恩来も従わざるを得ない。
1958年9月に北京市が「北京の総体規画説明」案を提出。紫禁城も破壊する案だった。
建築学者で城壁撤去に反対したという梁思成がいたが、文化大革命の最中に吊し上げに遭ってる。年老いて病院にいたのを引きずり出されたという。
狂気じみた雰囲気の中で城壁撤去が実施された。

294:世界@名無史さん
22/01/08 21:30:57.76 0.net
>>289
上の方で>>270氏が書いてる古代中国の宮殿建築ですね
基本的には平屋だけど段差をつけた土台と組み合わせることで疑似的な重層建築を実現

295:世界@名無史さん
22/01/08 21:39:04.99 0.net
>>267
そも、なぜそうなのか、
というか、逆に重層建築が発達した文化圏との建築思想の違いはどの辺りにあったのか、だね

296:世界@名無史さん
22/01/08 21:43:30.53 0.net
>>294
>>270 の人が書いてた建築様式って、そういうことなんだね
ていうか、これほんとに文字どおり「二階に上げられて梯子外された」ら、えらいことになりそう

297:世界@名無史さん
22/01/08 21:57:32.71 0.net
>>296
まあ上下の移動はたくさん階段設置すれば問題ないけれど
デカさの割に居住スぺースが極めて小さいから不便だったでしょうね

298:世界@名無史さん
22/02/03 12:38:48.22 0.net
建築関係でネタが続いているから投下
殷の時代は瓦が発明されていないので、宮殿とはいえ草葺きだった。
日本の江戸期の庄屋様のお屋敷を多少ボロくした感じ。
こんな宮殿で酒池肉林やってもサマにならないよ。
それでも3千年前に、日本の江戸期並みの建築があったのはすごいというべきか
明清スレだけど。

299:世界@名無史さん
22/02/03 20:30:30.99 0.net
紀元前1600年頃の殷代初期の宮城である鄭州商城は城壁長が6960m
主殿の基段が東西65m南北14mと草ぶきといっても平面規模は庄屋さんどころか
小田原城の総構えがすっぽりはまる規模だぞ
日本で言うと前期難波宮みたいなもんかな
初期の遺構なのでほったて柱に草葺だったらしいが規模で言うと歴代の大内裏の中でもデカい部類に入る

300:世界@名無史さん
22/02/03 21:21:27.44 0.net
明清期の首都の一般庶民住居って、平屋建て?
西洋みたいな石造建築文化ではないから、ローマのインスラみたいなのはさすがに無かったんだろうけど
客家土楼みたいな多層集合住宅は、漢文化圏では例外的なのかな?

301:世界@名無史さん
22/02/03 21:58:58.29 0.net
清明上河図に二階建ての建物がいくつも描かれてるじゃん

302:世界@名無史さん
22/02/03 23:10:54.78 0.net
>>301
清明上河図って北宋期の開封の想像図ってことはさておくとして、
あれで出てくる市街地の二階建てって、住宅というよりはサービス業関係の店舗じゃないかな?

303:世界@名無史さん
22/02/04 02:17:57.40 0.net
北宋期の市街図として資料価値の高い清明上河図は想像図ってw

304:世界@名無史さん
22/02/04 02:34:39.75 0.net
日本の五重塔は中国から伝わってきた建築様式だけどね
19世紀後半に撮影された北京の写真を見ると重層の建物がちらほら写ってる

305:世界@名無史さん
22/02/05 00:42:37.36 0.net
>>303
とりあえず原本とされる作品に関しては北宋代に書かれたとする説が有力なのか
>>304
ただ、五重塔とかは宗教的・象徴的な建築で、一般的・庶民的な「住宅」ではないでしょ
上のほうでも少し議論が出たけど、昔は、特例以外だと上層階を一般的な住居にはしなかったのでは

306:世界@名無史さん
22/02/05 09:17:02.94 0.net
楼閣などの建物は眺望を楽しむ目的のために作られたことが多いからな
二階以上の建物に旅館などの施設もあるけど、基本的に2階以上を住居にしないかな
欧州と違って建物は石造じゃないから、二階以上のところに竈や暖炉を作れない
特殊な環境にある福建土楼も台所は一階だし

307:世界@名無史さん
22/02/05 09:29:38.60 0.net
火の問題もあるが、水や排せつの問題もある。
電気や水道が普及する以前に、地階以外に台所に風呂に便所を作れない。
いちいち井戸から汲んだ水を桶に移してエッチラオッチラ階段上って水甕を満たす
挙句、風呂桶を満たす…
排泄は「おまる」で代用することも可能だろうが後始末が面倒
お江戸の吉原の大店には、2階でも便所があった
ただし男性の小便専用
だから「2階の便所を使った」と言えば、そのまま「吉原で遊んだ」と通じた。

308:世界@名無史さん
22/02/05 09:38:13.47 0.net
>>307
>排泄は「おまる」で代用することも可能だろうが後始末が面倒
パリジェンヌ「そんな物窓を開けて外に捨てとけばいいザマス」

309:世界@名無史さん
22/02/05 10:27:03.53 0.net
>>307
トイレは水洗トイレ以外基本的にためて捨てるタイプだから二階以上は問題ないし
近世以前風呂も頻繁に入らないから住居に常設する必要はないが、寒冷地域では暖炉作れないのが致命的
欧州ではレンガと石材を使った暖炉が発明されたから二階以上の部屋で生活することが可能になったが
アジアに暖炉がなかったから、冬は暖炉無しでも過ごせる地域以外住居は一階限定だった
火鉢ある日本でも二階以上のフロアで生活したのは信長くらいかな

310:世界@名無史さん
22/02/05 19:15:04.29 0.net
東南アジアなんかの住宅は、敷地の中に目的別のいくつもの棟を建てていた
居住棟は、風通しが良くて快適な高床式住居
炊事棟は、カマドを据えても火災の危険のない地階
居住棟にカマドを持ち込んだら火災の危険があるし、第一熱くて煙い
温暖な地域なので、棟を渡り歩くのは苦にならない。
日本の伝統建築では座敷や茶の間、寝間は高床式だが、カマドは当然土間にある

311:世界@名無史さん
22/02/05 19:27:08.41 0.net
漢民族の伝統建築は煉瓦を組んだ閉鎖的な建築。
北の北京や満州はもとより、華南でも煉瓦建築。
太平洋戦争の初期に日本が香港とその周辺の島を占領し、住民が逃げ出した無人の村に
沖縄からの移民が住み付いた。
だが開放的な琉球建築に比べで閉鎖的な煉瓦建築、蒸し暑い。
耐え切れず、壁に穴を開けてしまった例もあるという。
明清スレだから話し戻すけど、明代以降に東南アジアに進出した漢族も
やっぱり故郷そのまま閉鎖的な煉瓦建築を作って住んだのか?

312:世界@名無史さん
22/02/05 23:55:23.92 0.net
>>309
東アジアの建築様式が木造基本なのは、単純に「木材が多かったから」なのかね?
石材とか煉瓦とかは、はやらなかったのかな
大陸はともかく、日本列島だと、耐震性・免震性の面でも木造のほうがよかったのかとも思ったけど、
しかし、欧州も特に南部では地震も多いから、石造だと崩れやすかったりするし
それぞれどういういきさつがあったのか・・・
>310
このあいだ、NHKのブラタモリで竹富島の話が出てたけど、
竹富島の伝統民家の様式でも、居住棟と炊事棟を防火目的で分けてるんだよね

313:世界@名無史さん
22/02/05 23:57:41.02 0.net
漢文化では煉瓦建築が基本、と?

314:世界@名無史さん
22/02/05 23:58:23.89 0.net
ローマのインスラも2階以上に竈や暖炉があったの?

315:世界@名無史さん
22/02/06 10:33:38.21 0.net
いわゆる「四合院」は煉瓦建築

316:世界@名無史さん
22/02/06 10:42:31.04 0.net
日本には明治の文明開化で煉瓦建築が一時期流行したが関東大震災でメタクソに壊れた。
横浜の中華街は漢族式の煉瓦建築がほぼ全壊し、横浜3万人の死者のうち2000人は中華街の死者だった。
以降、煉瓦は表面の装飾以外には使われなくなった。
同時期に伝わった鉄筋コンクリート建築は、
「鉄骨や鉄筋を組み、コンクリートを流し込む」手法が
「柱や梁、木舞を組み、壁土を塗る」日本の伝統工法に似ていたので、
定着しやすかった。

317:世界@名無史さん
22/02/06 10:48:16.80 0.net
南欧は地震が多いのに石造建築なのは、やっぱり森林資源が乏しいからじゃないのかな
地中海性気候の夏は激烈で日照り続きなので、一度森林が破壊されれば再生しにくい。
とりわけ南欧は文明の起こりも早かったので、それまでのオークの森もレバノンスギも破壊され
乾期に耐えるオリーブやコルク樫、イタリア松ばかりになった。
日本は雨が多いので、森林もわりあい再生しやすかった

318:世界@名無史さん
22/02/06 11:28:35.72 0.net
>>314
ローマンコンクリートのおかげなのか9階建てまであったよなインスラ
住居に火鉢みたいな道具で食事を調理してたとか

319:世界@名無史さん
22/02/06 17:16:33.72 0.net
中国は昔から人口が多かったのに都市に高層住宅が発達しなかったのが不思議だな
陝西の平遥古城は平屋ばかりで江南の蘇州は二階建ての街並み

320:世界@名無史さん
22/02/06 17:29:05.97 0.net
農民が多いから

321:世界@名無史さん
22/02/06 22:24:35.53 0.net
>>320
それは例えば南欧とか中東とかでもそうだったんだけど
逆に、都市住民は一般的に第二次産業や第三次産業に就くでしょ
しかも、華北で煉瓦積み建築が発達したならなおさら

322:世界@名無史さん
22/02/07 22:39:55.66 0.net
>>312
「高温多湿」。
特にこの列島は顕著。
現代の如き強力な室内空調設備も無しに石や煉瓦で気密性の高い建屋なんぞ拵えたらどうなるか、簡単に想像できるだろう。
木、土、紙、自ら呼吸してくれる素材と高床式構造は高温多湿の風土には不可欠のもの。
列島は地震も多い。
木造は免震性もあるが何よりも倒壊した場合の始末が良い。
上に云う高温多湿に加えて火山噴出物ベースの強酸性土壌は、倒壊した木造物を、極論すれば放置しても早々に土へと還してくれる。
焼けてしまえば尚更綺麗に消える。
腐らず焼けずの素材のようにいつまでも無残かつ邪魔な瓦礫を晒したりはしない。
与えられた気候風土に逆らわず寄り添って生きるうちに、列島住人は「永続性」を諦めて諸行無常の世界観を文化基盤として獲得した。

323:世界@名無史さん
22/02/07 22:58:19.23 0.net
諸行無常って仏教哲学だろ

324:世界@名無史さん
22/02/07 23:13:36.46 0.net
>>322
日本列島の場合はともかく、
大陸では高温多湿の華中や華南でも煉瓦造りが流行った、しかしそれでいて都市建築でも多層階住宅建築は流行らなかった、
その点で南欧や中東とは途中まで類似しそうで、しかし違う方向性になった
その理由付けって、何か思うところある?

325:世界@名無史さん
22/02/08 00:18:49.27 0.net
>>324
華中や華南の煉瓦造りが地域固有の環境や風土に根差したものなのかどうか。
他から持ち込まれて政治/経済的理由から定着したのであれば(※)、そのオリジナルの建築文化はどんなものだったのか。
そんな線かなと考えてます。
※例えば列島でコンクリート高層建築が蔓延したのはこれに他ならない。

326:世界@名無史さん
22/02/08 19:17:04.17 0.net
地震で焼けた後の始末が良い…
確かにドレスデン大空襲と東京大空襲の焼け跡写真を見れば、
ドレスデンのほうがよっぽど悲惨に見える。
がれきを壊したうえで復興するのは大変だったろう。

327:世界@名無史さん
22/02/08 20:53:55.50 0.net
>>326
『野良犬』と『第三の男』。

328:世界@名無史さん
22/02/08 21:09:28.21 0.net
1976年に河北省唐山市を襲った唐山大地震では、公式には24万、実際には70万以上の死者を出した。当時の現地の建築は大半が煉瓦を積んだだけの壁だったので、一瞬で崩れて大量の死者を出した。
中華史上、世界史上で最大の死者を出した地震は、16世紀半ばに黄河中流域、
現在の陝西省で発生した華県地震。死者は判明しているだけで80万以上。
当時(現在も)現地の建築はヤオトンと呼ばれる、黄土の地面に掘りぬいた横穴。
それが液状化現象で崩れ、膨大な死者を出した。
一応、明代の話。
しかし木造建築はある程度耐震性があるとはいえ、火災が発生したら終わりだからな。
下敷きになって脱出できないところに火が迫ってきて、あんちゃん、熱いよ、ギギギになってしまう。
幕末の善光寺地震でも安政の大地震でも、濃尾地震でも関東大震災でも
昭和の北丹後地震でも福井地震でも、そして阪神大震災でもそんな悲劇が繰り返された

329:世界@名無史さん
22/02/08 23:30:18.75 0.net
遊牧民族式の天幕生活が或る意味一番安全なのかな

330:世界@名無史さん
22/02/09 03:06:55.59 0.net
>>323
列島人は仏教伝来以前から獲得している。
『古事記』等を読み込めば解る。

331:世界@名無史さん
22/02/09 05:45:17.69 0.net
してねーよ

332:世界@名無史さん
22/02/09 23:07:49.47 0.net
1755年のリスボン大地震でポルトガルの首都・リスボンはめちゃくちゃに破壊された
建物の倒壊と地震火災、そして津波でリスボンの人口27万人のうち9万人が死んだ。
王宮も王立図書館も破壊され、大航海時代を通じて蓄積された富も貴重な記録も大半が失われてしまった。
現在ではヨーロッパの小国に甘んじているポルトガルだが、この地震さえなければ没落しなかったかもしれない。
さて、地震発生時、当時のポルトガル王家一はミサを終えて郊外へ散策に繰り出す馬車の中にいた。
そのため王宮こそ倒壊したものの、一族は奇蹟的に無傷だった。
しかし極端な「閉所恐怖症」に陥ってしまい、リスボンが復興しても、崩御するまで一生テントで暮らしたという。

333:世界@名無史さん
22/02/23 00:21:38.03 0.net
>>325
そりゃ長江文明でしょ?

334:世界@名無史さん
22/02/24 23:53:17.94 0.net
>>328
液状化か、
ヤオトンは中国伝統の煉瓦建築よりは大分マシだと勝手にイメージしてたんだが一概にはいえんか
地震があるところではめちゃくちゃな死者数が出ているところを見るに
中国の人口が集中する中原や華南が地震多発地帯から外れてたのは不幸中の幸いでしたね

335:世界@名無史さん
22/03/07 22:04:04.69 0.net
西方から進出してきたスラブ人に着々と父祖の地を蚕食されたのは、
まさに清の時代のことでしたな
そんなロスケとつるんでる現代中国
最も現代日本は鬼畜米英に守ってもらってる?わけだが

336:世界@名無史さん
22/03/07 23:35:34.08 0.net
そら欧米日とつるんで清を破壊したのが滅満興漢近代中国やからな
そして近現代中国の父・孫文先生もいってる「連ソ」と

337:世界@名無史さん
22/03/08 11:13:38.62 0.net
ネルチンスク条約、キャフタ条約ぐらいまでは、清がロシアに優越していた。
キャフタ交渉でロシア側の地図に蝦夷(北海道)がロシア領になっていたので、
衝撃を受けた清は慌てて樺太全島を調査し、
樺太を清の支配とした。
清が落ち目になると、アイグン条約、北京条約などで、アムール川までロシアに盗られちゃった。

338:世界@名無史さん
22/03/11 01:19:54.79 0.net
当時の中華帝国は華夷秩序が骨の髄まで浸透していたのに、よく対等な条約を結べたな。

339:世界@名無史さん
22/03/11 02:20:25.62 0.net
>>338
特に康熙帝以降、清の為政者にも欧州事情やその社会/学術レベルがよく知られてて、
古代のような全てが閉じられた社会ではなかったんじゃないかな
康熙帝は、フェルビーストから地理学や天文学や幾何学やラテン語も学んでたというし
それともう一つ重要なのは、
モンゴルのボルジギン氏を通じて、清のアイシンギョロ家とロシアのロマノフ家が
(極めて薄いけれども)親戚同士に当たるといえたからということもあるだろう


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