【双頭の鷲】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】at WHIS
【双頭の鷲】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】 - 暇つぶし2ch2:世界@名無史さん
21/05/14 00:44:04.08 0.net
保守…いらんか?

3:世界@名無史さん
21/05/14 06:26:56.08 0.net
乙です!

4:世界@名無史さん
21/05/14 22:41:51.92 0.net
サーサーン朝はアケメネス朝ペルシアの領域の再興を目指していたから、
ビザンツにとってはやっかいな敵だったよな
彼らは一時的にシリア・パレスティナ・エジプトをビザンツから奪っているし
結局ヘラクレイオス帝がこの地域の奪回に成功するけど

5:世界@名無史さん
21/05/15 07:43:12.32 0.net
全地総主教

6:世界@名無史さん
21/05/15 10:07:42.45 0.net
日本ではアラビア科学については比較的よく知られているが、
サーサーン朝でもギリシア語・ラテン語の文献が多数翻訳されていたということは
ほとんど知られていないな
中世イラン史自体が日本ではマイナーな分野だけど
アテネのアカデメイアが閉鎖された後、失業した学者たちがサーサーン朝に
移住してきたし、エジプトでヒュパティアがキリスト教徒に殺された後は、
エジプトからも学者が亡命してきた

7:世界@名無史さん
21/05/15 23:19:06.53 0.net
文が特徴的すぎる

8:世界@名無史さん
21/05/15 23:35:23.64 0.net
発達障害を見分けるテスト
URLリンク(ure.pia.co.jp)

9:世界@名無史さん
21/05/15 23:36:40.48 0.net
>>8
リンク間違い
正しくは
URLリンク(ure.pia.co.jp)

10:世界@名無史さん
21/05/21 19:07:35.73 0.net
もしハギア・ソフィア大聖堂がキリスト教に返還されるならカトリックになんだよなぁ

11:世界@名無史さん
21/05/22 23:34:30.48 0.net
アヤソフィアねぇ
十字軍によって略奪されたがゆえに
保存されたとみなされる文化財も沢山あるのだろ

12:世界@名無史さん
21/05/23 00:04:21.20 0.net
>>10
なんでカトリックに?
正教はアカンのか?

13:世界@名無史さん
21/05/23 00:05:28.38 0.net
メスキータのイスラムへの返還と交換やな

14:世界@名無史さん
21/05/23 19:00:28.18 0.net
>>12
帝国の最後の国教はカトリック合同派

15:世界@名無史さん
21/05/26 20:51:39.98 0.net
アカデメイアを閉鎖させてユスティニアヌスが結局将来的み知的水準を下げさせ国力低下を招いた

16:世界@名無史さん
21/06/01 22:42:59.55 0.net
皇帝は消えたが全地総主教は現存している
宗教権威の方が長生きするのね

17:世界@名無史さん
21/06/02 09:59:04.40 0.net
もともと帝国の歴史が聖書基準で、ビザンツ時代も帝国がローマ化してた帝国史における一時代区分にすぎないからな

18:世界@名無史さん
21/06/03 00:04:08.82 0.net
西ローマは残ったがチベットは消えそうだが

19:世界@名無史さん
21/06/17 02:39:53.80 0.net
URLリンク(jp.sputniknews.com)
考古学チーム シリアのビザンチン寺院の謎に迫る
2021年06月16日 15:10

20:世界@名無史さん
21/06/17 09:30:25.25 0.net
イタリア総督の官職名は、ラヴェンナ総督時代はエクサルコスだったのに、バーリの総督はカテパノですよね。官制・軍制改革とかがあったのでしょうか

21:世界@名無史さん
21/06/17 09:48:37.88 0.net
ランゴバルト人主流が北イタリアに王国を築いた後、一部がラヴェンナ総督府~ローマ管区の線を突破して、王国とは別に、スポレト「公国」、ベネヴェント「公国」を建てますが、
これは、ランゴバルト人がdux(ビザンチンにおける辺境軍司令官)を自称・僣称したのか
ビザンチン側が懐柔のためにdux に「任官」したのか
dux はビザンチンの官職なので、後世のようなローマ教皇による任命とも思えないし
まだ「公爵」という概念がない時代ですし
ご存知も方がいらしたら何卒ご教示を

22:世界@名無史さん
21/06/17 09:56:29.00 0.net
カロリング皇帝・神聖ローマ皇帝とビザンチン皇帝の間の、相互認証のやりとりの悶着は面白い。
後者からしたら前者は「あくまでもフランク人の皇帝だからね」
前者はやがて「お前だってギリシャ人の皇帝じゃねえか」と不満を募らせていく

23:世界@名無史さん
21/06/17 10:35:42.18 0.net
ローマがカールを支持してたせいでカールみたいにローマを統べる皇帝を名乗れず、しかたなしにローマ人の皇帝を名乗るようになったのがかえって功を奏した

24:世界@名無史さん
21/06/17 10:53:26.10 0.net
第一次・第二次ブルガリア「帝国」の際に、ブルガリア人に安易に皇帝号を認証したのは禍根。
セルビア人にまで認め、あげくの果てに東スラブ人までツアーリを称するようになってしまった
ベネヴェント「公国」の「公」の由来。どなたかお願い。

25:世界@名無史さん
21/06/17 11:02:46.12 0.net
ツアーリ=カエサルを西洋側は認めず「ハーン=汗の方がお似合いでは?」
怒ったピョートル1世は、元老院みたいな機関を拵えて「インペラトルに戴冠したぞ」
神聖ローマ皇帝は認めず外交問題に発展。
我が国の天皇がすんなりインペラトルと認証された経緯については研究中です

26:世界@名無史さん
21/06/17 13:10:11.78 0.net
天皇なんかが国際社会に出てきた19世紀末期には皇帝号にナポレオン以降の下落した価値しかないから
ピョートルの時代には皇帝号はまだまだローマ帝国所縁の権威が備わっていたから問題になった

27:世界@名無史さん
21/06/17 13:27:33.85 0.net
>>25
お似合いですも何も、ロシア皇帝は正式にハーン位を譲位されてるし

28:世界@名無史さん
21/06/17 15:22:33.45 0.net
いやだから、それを揶揄されたわけ。嫌な性格だね。モテないでしょ
ルーシの初期もハーン国だったしね。
ベネヴェント「公国」の由来お願いします

29:世界@名無史さん
21/06/17 21:31:02.67 0.net
もともとビザンツの皇帝なんかよりハーンの方が権威あったろ

30:世界@名無史さん
21/06/17 23:02:18.65 0.net
>>28
WikiのロンバルドのDukeによると
en.wikipedia.org/wiki/Duke_(Lombard)
元々のロンバルド語は不明らしいが、ロンバルド族の政治軍事指導者がいて
彼らをラテン語でDuxと呼んだらしいね
称号として授与されたものでも自称でもなく他称の模様
ベネベントの初代ゾットはディアコヌスに二ヶ所登場してて
3-33では
Fuit autem primus Langobardorum dux in Benevento nomine Zotto, qui in ea principatus est per curricula viginti annorum
4-18では
18. Mortuo igitur Zottone Beneventanorum duce
と書かれてるだけ

31:世界@名無史さん
21/06/18 07:42:09.64 0.net
※ 年代は主にイタリア語版Wikiに従った
546  ランゴバルド人がビザンチンからパンノニアへの移住を許される
  (この時期かそれ以前かにローマ軍のduxなる官職名を気に入り借用
568-569 アルボインに率いられ、北イタリアへ浸入。ランゴバルド王国を建てる
569頃 フリウリのdux(アルボインが甥のギスルフをラヴェンナへの抑えとして任命)
  (ランゴバルド人が勢いにのってラヴェンナとローマの間を突破)
570頃 スポレトのdux(ファロアルドが任官または自称)
571頃 ベネヴェントのdux(ゾットが任官または自称)
572 アルボインが暗殺され、30人以上のduxが集まり後継にクレフを選出する
(このduxたちは都市駐留司令官といったところか)
2年後にクレフも暗殺され北イタリア30人以上のduxが乱立し10年ほど混乱
アルボインの考えていたduxの位置付け(官職なのか都市領主含みなのか)はわからん
たぶんだけど、スポレトとベネヴェントのduxは、混乱を機に世襲化に成功したんじゃないの
官職であったduxが、世襲領主としての公爵に変質した契機かな
これとドイツのヘルツォークの関係は不明
サクソン人とかはランゴバルド人と違いラテン語duxにこだわる必要はなかったと推測

32:世界@名無史さん
21/06/18 07:46:09.06 0.net
ありゃ文字が変、読めそうだからかんべんしてね

33:世界@名無史さん
21/06/18 08:09:41.41 0.net
推測を追記させていただくと
パンノニアに居た頃かそれ以前からビザンチンと接触し(文書のやりとり含む)、
この官職名を借用したのでは。ビザンチン側が認めるとは思えないので自称かと。
イタリア入りしてすぐに記録に残るからこの職名を気に入っていたものと思われる。
以降はランゴバルド王国内の職名となる。
ビザンチン側では最後まで任命職だったから、教皇ないしビザンチンが渋々世襲を承認し
事実上の「公爵」が生まれ、フランク王国ないしカロリング帝国に引き継がれたと想像。
この間の経緯はもう一回調べてみないとわからない。

34:世界@名無史さん
21/06/18 08:42:00.02 0.net
>>31
 >(この時期かそれ以前かにローマ軍のduxなる官職名を気に入り借用
ソースは?

35:世界@名無史さん
21/06/18 09:57:10.43 0.net
ソースはイタリア版Wikiのランゴバルドの公爵とかランゴバルドの統治とかです(たぶん前者)
(寝そべってのタブレット端末からなので貼れなくてすみません)
なのでイタリア語論文を見て確認したわけではないです。『ランゴバルト族の起源』、『ランゴバルドの歴史』も読んでないです(後者は翻訳されているようですが、職場の蔵書にないので)
念のためですが、ここはビザンチン史、イタリア史の専門研究者でなくとも歴史好きなら書き込んでいいんですよね?呉座先生みたいに「そんなことも知らんのか」と言われても専門外ですので、あらかじめ。

36:世界@名無史さん
21/06/18 10:13:16.50 0.net
イタリア語版の
Duca(longobardi)、
Migrazione longobarda だったと思います。

37:世界@名無史さん
21/06/18 10:25:25.87 0.net
ドイツ語Wikiの
Langobarden の中に、五世紀末以降のランゴバルト人duxの記述があります。
伝承の紹介なんでしょうけどね。
ほかに調べたいことがあるのでここらでご勘弁を。

38:世界@名無史さん
21/06/18 11:35:04.12 0.net
この問題って『ランゴバルドの歴史』を翻訳された方レベルの研究者だけが最適解釈、だとは思うけれど、文献的には『~の起源』と『~の歴史』が中心なんでしょ(たぶん)
その伝承にパンノニアに入る前から「ランゴバルト人の族長がドゥクスを名乗っていた」という記述があり、その伝承を史料批判せずに受け入れるとするならば、
ランゴバルト人とフランク人は、ローマの職制に格別に憧れがあったんじゃないの(消去法だけど)。他の未改宗ゲルマン人たちは、ローマ教皇と連携したフランク人いがいは、ヘルツォークやグラーフに愛着があり、最後まで貫いたでしょ(ローマ教皇からの公文書は、dux殿へ、だったと思うけど)

39:世界@名無史さん
21/06/18 14:01:54.16 0.net
地図みるとブルガリアとトルコ両方に対処するだけの国力がなかったってことだろう
政権内部も内乱ばっかやってるし

40:世界@名無史さん
21/06/18 16:34:43.07 0.net
「ソースは?」っていう要求は大昔からネットで乱発されまくってるけどさ、
本来、教官の院生に対する「指示」みたいな表現でしょ。非対称の上下関係に基づくもの。
上下関係に無い場合、「(通説に反する疑いとかあるので)ソース出して・教えて」でしょ
もちろん全くお話にならない場合は「お前、いい加減なこと言うな、ソース出せ」でもいいけどさ
普通はこっちの意味にとるでしょ。
情報提供サービス精神が萎えて書く意欲が無くなるよね
さようなら

41:世界@名無史さん
21/06/18 17:42:16.57 0.net
ビザンチンからしたらやっと奪還したイタリアを奪われ、長靴の底だけ持ちこたえてその後400年以上もも維持して再度盛り返しって、経済的に利得があったのかな、政治的な意地みたいなのはわかるけど
イスラムの北進を阻んだという歴史的意義はあったのだろうけれど

42:世界@名無史さん
21/06/18 17:50:05.61 0.net
イスタンブールで「コンスタンチノープル総主教座」の教会堂を見たけど、あまりにしょぼくて、ローマ・ミラノ・ケルンと比べて哀れを感じた

43:世界@名無史さん
21/06/18 17:50:06.53 0.net
イスタンブールで「コンスタンチノープル総主教座」の教会堂を見たけど、あまりにしょぼくて、ローマ・ミラノ・ケルンと比べて哀れを感じた

44:世界@名無史さん
21/06/18 18:48:53.60 0.net
>ベネヴェント「公国」の由来お願いします
と何度も書いて来るので、質問かと思ってベネベントの初代公の記載を回答したところ
回答をスルーしてドイツ語やイタリア語のwikiを参照してくるのだから
こんなところで質問しなくても自力で調べることができるか、既に回答を
知っている奴が敢えて質問してきているのだと思うのは当然
自力で調べることができるのにも関わらずしつこく質問を繰り返してきたのは挑発だったのだろう
案の定「ソースは?」一言で文句タラタラ

45:世界@名無史さん
21/06/18 18:56:54.05 0.net
ランゴバルド人の起源の原文とランゴバルドの歴史の原文と翻訳を参照したところ
「ランゴバルト人の族長がドゥクスを名乗っていた」という記述は見つけられず
原文にdux/ducesとあるのを翻訳では、初期の頃は指揮官、頭目と訳し
訳語の公が最初に登場するのは2-9であり、ここで初めて「公の称号を得るに至った」と出てくる
ただしこれはベネベント公の話ではなく、イタリア侵入した時最初に占領したフォルム・ユリイ地方の司令官
の話で、文脈的には「王の承諾を受けて」「称号を得た」ように読めるのでランゴバルド人の
この箇所での公は自称かも知れない
それ以前にパンノニア時代からduxを称していたのかも知れないが、翻訳ではそうなっていないようなので
何か理由があるのかも知れない。イタリア語が読める人ならこのあたりについての論文を
探すのは難しくないだろうから、ご自分で調べるといいと思うね

46:世界@名無史さん
21/06/18 19:14:33.16 0.net
この分野のご専門の方なんですね。『ランゴバルドの歴史』の訳者かしら。ご教示感謝申し上げます
ご無礼をいたしお詫び申し上げます

47:世界@名無史さん
21/06/18 19:58:20.81 0.net
> この官職名を借用したのでは。ビザンチン側が認めるとは思えないので自称かと。
そもそもduxって官職名じゃないよね?

48:世界@名無史さん
21/06/18 20:09:57.87 0.net
一般的な用法の他に公職の一つとしても存在する、らしいよ

49:世界@名無史さん
21/06/18 20:28:33.26 0.net
>>44
> 既に回答を知っている奴が敢えて質問してきているのだと思うのは当然
世の中には、質問しといて自分の気に入った答え以外は受け付けない人もいる・・・

50:世界@名無史さん
21/06/18 20:29:39.04 0.net
ローマの軍制史を参照するとduxは、ディオクレティアヌス帝以降の改革の中で国境(辺境)軍司令官に位置付けられているようですが、ソースは英語・イタリア語Wikiです(たびたびすみません)
専売特許ではなかったのでしょうから他にも使われていたのでしょうかね
プリンケプスも、この分野での第一人者みたいな意味で広く使われていたようですし

51:世界@名無史さん
21/06/18 20:35:24.58 0.net
プリンケプスこそ単なる一般名詞では?
プリンケプスは公的称号に組み込まれたことが1度もない

52:世界@名無史さん
21/06/18 20:41:30.54 0.net
同じフロアで同僚たちと「全くの専門外での趣味で調べたリサーチ結果の交換会」ってのをやっていて(専門の話だと硬いし角も立つし)、dux=公爵か?を出そうかと思い、質問投入させていただきました
間に合わなかったので急いでググったり、禁じ手のWiki引用。
質の悪い資料を作ってしまったので訂正(duxと公爵の関係はわか蘭)しとかないと
初めからの企みではありません

53:世界@名無史さん
21/06/18 20:48:41.03 0.net
プリンケプスは、仏のプランス(日本の宮家みたいな)になり、ドイツのフュルストに相当する爵位になったと思うのですが。(絡んでいるわけではありませんよ)

54:世界@名無史さん
21/06/18 20:57:29.75 0.net
>>52
wikiが禁じてとは思わないよ
wikiにソースが書いてあることもあるし鵜呑みしなければ便利に使える
「ソースは?」で腹を立てた気持ちはわかる。俺もネット使い始めの頃は不愉快に思うことも
あったし昔は新書や一般書を出典にすると馬鹿にされた。でも最近はそうでもない
昔と違って学生や院生は減ってると思う
だいたい春頃学生が参入し、やがて来なくなるってパターン
ただし昨年からコロナ在宅で知識のある学生が増えたようには思う
何にしてもここ数時間は結構有意義なレスが続いているみたいで結果オーライじゃないの
少しくらい荒れるのは問題ない
問題なのはしつこく荒れ続ける場合
今回のは問題なし

55:世界@名無史さん
21/06/18 21:06:20.62 0.net
同僚たちには「Wikiの引用使うなよ」ってバレてる。
「交換会」の趣旨が「専門家の高みから草すのやめよう。わかりやすい情報提供に徹しよう。専門外については一介の学徒」なので、いいけれど。

56:世界@名無史さん
21/06/18 21:09:31.82 0.net
重ね重ね、ご教示感謝

57:世界@名無史さん
21/06/18 21:12:44.16 0.net
>>53
それ、どっちもプリンケプスじゃないよね・・・

58:世界@名無史さん
21/06/18 21:20:32.41 0.net
中世のローマ教皇がフュルストに出す公文書では「プリンケプス殿へ」だったと思われますが、いかがでしょうか

59:世界@名無史さん
21/06/18 21:38:18.76 0.net
それはどこの組織の公的称号なの?

60:世界@名無史さん
21/06/18 21:46:03.35 0.net
>>59
ローマ教皇が公文書で「プリンケプス」としているのだからローマ教皇が「プリンケプス」を公的に認定していると言ってもよいのでは?

61:世界@名無史さん
21/06/18 21:56:49.02 0.net
称号や爵位は、認証機関である裁定者が権威を確立するまでは相互関係というか相対的なものだったのでは?
ローマ側からすると、蛮族(バルバロイ)の部族長はデフォルトでは軽侮の対象で、軍事同盟とかが必要になって初めて「王(rex)よ」と呼びかけて機嫌をとるみたいな
で、部族長は通訳に尋ねて「rexってどのカウンターパートなの?」「ケーニッヒに相当かと」「あとあと軽く見られない?」「殿はご存じ無いかもですが、古のアレクサンドロスもラテン語だとrexになります」的な光景を「想像」してしまう

62:世界@名無史さん
21/06/18 22:09:33.81 0.net
0050~ですが、居間に寝っころがっての安ワイン飲みのタブレット端末なので眼がやられまして、ひとまず退場とさせていただきます。ごめんなさい

63:世界@名無史さん
21/06/18 22:12:18.84 0.net
0060氏は私ではありませんので(知見感謝)、おやすみなさい

64:世界@名無史さん
21/06/18 22:12:19.00 0.net
0060氏は私ではありませんので(知見感謝)、おやすみなさい

65:世界@名無史さん
21/06/18 22:26:12.42 0.net
>>57
> それ、どっちもプリンケプスじゃないよね・・・
厳密な話をするならば,「プリンケプス」だってラテン語じゃ無くて日本語なんですよ
細部の違いにとらわれず,抽象化しすぎない程度に抽象化できるのが知性

66:世界@名無史さん
21/06/19 22:02:30.26 0.net
そんな話じゃなくてローマ帝国で通用していたプリンケプスとフランス語のプランスやら~と意味が違うよねっていう話なんだが

67:世界@名無史さん
21/06/20 11:01:28.33 0.net
起源論の話をされているのでは。毛利家が大膳大夫なんて平安貴族が見たら驚愕だったろうし。


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch