春秋戦国時代 4at WHIS
春秋戦国時代 4 - 暇つぶし2ch220:世界@名無史さん
21/05/02 01:32:28.35 0.net
>>219
うそじゃなく、むしろ史実くさいんだけど
西暦100年ごろに関西の遺跡はまとまって破壊されてる

221:世界@名無史さん
21/05/02 10:37:28.04 0.net
稲荷山古墳の金文しかない現状では、そうじゃないかな?以上の事は言えん
殷墟で大量の甲骨文が発見されたように、誰かの古墳で大量の文字が発見されない限りは

222:世界@名無史さん
21/05/02 12:49:13.75 0.net
>>220
奈良盆地でも大阪平野でも破壊跡無いよ

223:世界@名無史さん
21/05/02 15:50:50.95 0.net
畿内の遺跡で、二世紀とか三世紀四世紀あたりに旧来文化から九州などの文化に置き換わるような入れ替りの痕跡がない
他の地域要素が流入するようになったのはたしかだが、基調が旧来文化なんで、外来勢力による侵攻を受けたとは考えられないよ

224:世界@名無史さん
21/05/03 02:03:23.79 0.net
>>222
ソースが見つからないけど
西暦100年ごろにいっせいに関西の遺跡が破壊されたのは事実よ

225:世界@名無史さん
21/05/03 03:28:15.44 0.net
少なくとも奈良盆地と大阪平野でそんな事起きて無いよ
奈良わずっと安定的で大坂も居住区の変遷は有るけど
河川の堆積や流路変更等の地形要因ってのが有力

226:世界@名無史さん
21/05/03 11:31:19.42 0.net
>>223
多くの遺跡が衰退消滅してるけど破壊されたわけではない
破壊の痕跡なんてない
そもそも、古代社会には生活環境の変動で集落が破棄されて別の場所に移動することは珍しくなく、移転ラッシュの時代が何度かあるほどだ
そんな移転ラッシュが畿内では一世紀から二世紀にかけておこってただけ

227:世界@名無史さん
21/05/03 12:03:36.29 0.net
古代の倭はコロコロ首都移転するのが日常茶飯事だ
何が「まとまって破壊されてる」だよ、妄想もいい加減にしろ(笑)

228:世界@名無史さん
21/05/03 13:09:10.77 0.net
そんなこと言われても
どうすりゃいいのさ
    ___
   /ノ ヽ\
  /(●) (●)\
 |  (_人_)  |
  \  `⌒′ /
  /     \
 / /     ||
_| L[]o___/_/_
 \_三)
   |
   |__ コロ…
  ___\  コロ…
  ()__)┘

229:世界@名無史さん
21/05/03 14:01:15.96 0.net
浅草が衰退して、新宿が繁栄するようなものか

230:世界@名無史さん
21/05/03 14:27:47.50 0.net
いや、単に建物の寿命の20年とか30年で、立て替えだろ

231:世界@名無史さん
21/05/03 14:36:41.15 0.net
黄河の下流や、チグリス・ユーフラテス川のような極端な暴れ川だと、都市が洪水に飲まれて消滅することが珍しくない

232:世界@名無史さん
21/05/03 15:40:18.10 0.net
DNA的にも時間をかけてゆっくり混じり合った説が有力で100年そこらで急激にゲノムが入れ替わった説はDND分布的にありえないんだっけか

233:世界@名無史さん
21/05/04 00:11:13.82 0.net
>>230
法隆寺や千本釈迦堂みたいな奇跡的に現存している木造建築物って無いの?

234:世界@名無史さん
21/05/04 02:01:25.52 0.net
どっちも何度も建て替えてるしな

235:世界@名無史さん
21/05/04 02:12:29.68 0.net
防蟻剤のない時代に掘立柱建物だもん

236:世界@名無史さん
21/05/04 09:23:42.50 0.net
現代の長安も洛陽も、古都ではない
単なるショボい地方都市

237:世界@名無史さん
21/05/04 09:57:48.72 0.net
京都の悪口言うなよ
京都タワーがご自慢なんだって?京カスはw

238:世界@名無史さん
21/05/04 10:33:45.81 0.net
>>236
そりゃ場所が近いだけで同一じゃないしな
漢の頃の洛陽はいまの洛陽の場所に隣接した隣町みたいな場所だろ

239:世界@名無史さん
21/05/04 10:57:31.60 0.net
西安は昔の長安城と微妙にずれたけど移動ってほどじゃないな。明代の城壁も完全に残ってるし。

240:世界@名無史さん
21/05/04 18:12:41.80 0.net
明の歴史は日本では滅多に話題にならないけど
万里の長城や紫禁城などそのビジュアルの影響力は中国歴代王朝ナンバーワン、圧倒的やな
他の王朝が束になっても敵わん……いや清の辮髪と旗装はわりとインパクト強いか

241:世界@名無史さん
21/05/04 23:03:48.92 0.net
春秋戦国時代、水利灌漑施設も発展したが、諸侯の国の間に築かれた堤防はみな、
自国に水害が及ばないようにするものだったから、洪水はしばしば隣国に
流れ込んで大災害をもたらしたとか
そのために、治水事業の統一管理の必要が痛感されていた

242:世界@名無史さん
21/05/05 02:05:17.31 0.net
この時代のトイレはどうしてたんだろ

243:世界@名無史さん
21/05/05 08:44:22.19 0.net
>>241
春秋戦国の堤防、洪水、水害といえば
趙の恵文王は河水を決壊させて魏を攻撃してますね(楽毅が活躍してた頃)
なお同年自国も別の河川の氾濫で水没した模様

244:世界@名無史さん
21/05/05 09:23:57.75 0.net
揚子江や珠江沿いには多くの都市が並んでいるのに、
山東省の省都、済南は河岸には建設されなかった
その理由は黄河があまりに激しく荒れるからだと

245:世界@名無史さん
21/05/05 15:14:43.10 0.net
以前の開封みたく氾濫で埋まって発見されて無いだけじゃねーの

246:世界@名無史さん
21/05/05 18:38:58.16 0.net
古代の都市国家の分布をみると、山西高原の東縁をなす太行山脈の東麓に
沿っているし、その東方では、平原のなかに顔を出しているいくつかの
丘陵の上に都市国家が建設され、山東省の泰山山塊にいたっている
「中原」とはいいながら、平原部は黄河の氾濫と水質の悪さのために、
人間の生存にあまり適さない環境だった

247:世界@名無史さん
21/05/05 22:53:17.80 0.net
土木技術が未発達だと河川沿いの大平原はあまり都市が形成されないよね

248:世界@名無史さん
21/05/06 02:47:27.65 0.net
古代黄河の場合はマジでやらかすと武帝の時みたく水が溢れた地域が壊滅して流民大発生するからな…
中小(現代的感覚なら悲惨な)被害は毎年のようにあっただろうし
後この辺りの時代は城壁だけじゃなく大きな宮殿とかも版築の山に屋根かぶせるような作りだし
おそらく浸水は軽度でも避けたいよなぁ…

249:世界@名無史さん
21/05/06 02:55:28.67 0.net
それなりに良い屋敷なんかわ木柱と梁構造だよ

250:世界@名無史さん
21/05/06 06:25:49.97 0.net
洛陽盆地は、黄河の氾濫の危険に直接おびやかされることもなく、
それを貫流する洛河とその支流伊河は原始的な技術で十分に
灌漑工事が可能な規模だった
さらに洛陽盆地は東アジアの南北を結ぶ陸路と水路の結節点にあたっていた
洛陽から東方、開封にいたる約200㎞の間だけは、河の流速は緩く、
両岸は低く、水路は安定して、南から北へ、北から南への渡河は容易である

251:世界@名無史さん
21/05/07 05:33:52.61 0.net
>>249
それなりの良い屋敷はそれでいいだろうけど
戦国諸侯の首都にあるような高大な宮殿建築は柱と梁だけじゃ無理だったらしい
咸陽宮や燕下都、中山王陵などに残る宮殿遺構から推測される内部構造は基本的に中身土台

252:世界@名無史さん
21/05/07 06:14:19.73 0.net
臨淄は現代では山東省の一小都市に成り下がったけど、春秋戦国時代には、
大国斉の都であり、当時、最大の大都市だった
周の洛陽、趙の邯鄲、魏の大梁、楚の郢なども、政治都市であるとともに
手工業あるいは商業都市にもなって巨大化した

253:世界@名無史さん
21/05/07 18:56:38.02 0.net
>>251
中身が土台なんじゃ無く土台の上に建築するんだぞw
歴史ドラマでもよく出て来る高い位置に築かれてるアレ

254:世界@名無史さん
21/05/07 23:49:08.03 0.net
>>253
歴史ドラマのそれとは違うらしいよ
段差をつけた土台を壁にして建物をへばりつくように建てるのが戦国期の宮殿
だから一層目や二層目の中心部は土が詰まってて内部に大きなスペースを確保できない
外からは高層建築に見えても実際に土台上に建ってるのは上層のみで復元図では概ね平屋or二階建て

255:世界@名無史さん
21/05/08 01:18:19.39 0.net
>>254
いや合ってるよ
咸陽の宮殿は土台の上に築かれてる
ドラマでよく見掛けるヤツと同じ建造法
底層は一層だし抑々土台以外の建築部分は極一部
土台の上に築かれてるのが三階建て

256:世界@名無史さん
21/05/08 09:32:24.84 0.net
>>255
回答ありがとう、詳しいね
三層くらいの階段状土台を核心とする台?建築らしい燕下都や中山王陵遺跡の宮殿とは違うってことか
咸陽宮の基壇が一層というのはわかる
構造物が三階建てというのは随分具体的だけど、なにか決定的な証拠が見つかっているのかな?
もしよければネットで閲覧可能な発掘調査報告の類や論文など、参考になるものがあれば教えていただけないだろうか

257:世界@名無史さん
21/05/08 14:12:57.70 0.net
燕下都の建築は主に平屋だけど木造二階建て部分も有る,建築考古学論文集1987年
咸陽も3階建てと思ってたけど見たら外側二階建て,内側二階建てで重なって無いのね,秦咸陽宮一号宮殿遺址立面復原図

258:世界@名無史さん
21/05/08 20:05:48.41 0.net
やっぱ先秦は平屋か二階建のイメージだよなぁ
楼閣とかと違って普段使用する大型宮殿建築で無理する必要ないし

259:世界@名無史さん
21/05/09 00:44:11.28 0.net
>>257
さっそく情報ありがとうございます
土台の使い方こそ重ねて高さを強調する?燕趙中山あたりとは多少趣が異なるけど
台上にある建物の主要構造は基本的に大差ない感じですね

260:世界@名無史さん
21/05/09 05:36:52.70 0.net
ローマでは庶民のほうが高層化したが
中国でもそんなふうかな

261:世界@名無史さん
21/05/09 13:07:42.29 0.net
ローマの石造高層建築は一旦地震起きると倒壊し捲って被害惨重だったから
地震の多い地域じゃ無理だよ

262:世界@名無史さん
21/05/09 19:43:28.30 0.net
まあ中原は地震被害の少ない地域だからあまり気にしてなさそうだが

263:世界@名無史さん
21/05/10 05:05:09.12 0.net
イタリア半島はアフリカプレートとユーラシアプレートがぶつかる地震多発地帯だけどな

264:世界@名無史さん
21/05/10 15:54:17.29 0.net
だから崩落しまくってるしな
材木に向いた森林も少ない

265:世界@名無史さん
21/05/11 00:21:12.93 0.net
紀元前2000年ごろ、中国の森林被覆率は64%だった
それが清代のはじめごろには21%に低下していた

266:世界@名無史さん
21/05/11 01:19:03.15 0.net
日本は森林率65パーセントだが江戸時代は40パーセントほど
と考えるといまの日本もかなり異常
イギリスは森林率10パーセントと低い
現在ドイツフランスイタリアなど森林率は三十パーセントあまり
三割程度の森林率をめざしてるんだろうな

267:世界@名無史さん
21/05/11 01:47:17.02 0.net
ヨーロッパは中世までは森林におおわれてるとこが多かったが三行革命前ぐらいに森が禿げたんだっけ

268:世界@名無史さん
21/05/11 02:03:08.26 0.net
また髪の話をしてる

269:世界@名無史さん
21/05/11 02:17:36.15 0.net
>>266
戦後の復興で増えたのか
おそらく杉だよね。花粉症がひどくなったのか

270:世界@名無史さん
21/05/11 06:46:37.55 0.net
江戸時代の日本はハゲ山だらけだったとよくいわれるけど、
それでも森林率は40%もあったのか
ヨーロッパ諸国の場合、大航海時代以降、帆船を大量に製造したことも
影響しているのかな

271:世界@名無史さん
21/05/11 07:59:16.03 0.net
江戸時代前半に大規模開発で禿げ山が増えて洪水とかの災害多発するようになったから、江戸時代半ばごろから開発に規制が入って、環境保全が進んでるからなあ
それで40%なんじゃね?

272:世界@名無史さん
21/05/11 08:01:12.41 0.net
ヨーロッパで森林がなくなったのは、製鉄で木炭を使いすぎたかららしいよ
森がなくなって木炭が入手しにくくなったことで、木炭よりやすい石炭が普及したと。

273:世界@名無史さん
21/05/11 10:20:36.17 0.net
明治政府が関東平野の田畑生産力を東京でつぶしたのを悔んで
仙台平野など東北北海道に強力な規制しいて
住宅開発は山地に追いやったらしいが
江戸でやっていればなぁ

274:世界@名無史さん
21/05/11 12:08:26.02 0.net
当時、同程度な土地でも地域によって単位面積あたりの収穫が二倍三倍も違うほどの格差があったわけで、生産力に劣る東北とかで農地を保護しても実際の効果は低かっただろうけどな

275:世界@名無史さん
21/05/11 12:34:57.24 0.net
おしいことに先進地帯の近畿は平野平地がほとんどない日本

276:世界@名無史さん
21/05/11 13:05:18.70 0.net
日本の場合ハゲ山は土砂崩れ起こすばかりで利用価値ほとんどないけど、平坦なイングランドでは牧草地や耕地として利用できるからなあ
少なくとも産業政策としては森林を回復させる必要はそんなに感じなかったんだろう

277:世界@名無史さん
21/05/11 13:07:07.50 0.net
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278:世界@名無史さん
21/05/11 15:02:12.28 0.net
>>270
エゲカスは製鉄の為に森林乱伐し捲って禿げた

279:世界@名無史さん
21/05/11 15:04:29.73 0.net
>>276
17世紀初頭に最も生産量多かった地域の製鉄量が
半世紀で10%まで激減してるけどね

280:世界@名無史さん
21/05/11 18:30:40.49 0.net
>>272
木炭枯渇で石炭に切り替えた当初は木炭より不純物が多かったせいで銑鉄の品質が落ち、鉄の精錬技術を高める必要が出たんだよな
木炭の時代の銑鉄より石炭の銑鉄の方が、どうしても脆くなってたから。

281:世界@名無史さん
21/05/11 18:39:50.96 0.net
>江戸時代の日本はハゲ山だらけだったとよくいわれるけど
この種の本って必ずと言っていいほど広重の浮世絵を根拠に挙げているけど、
「東海道五十三次」に描かれている全ての山が禿山ではないし
鞠子のような前面の落葉樹が葉を散らしていて冬の情景なのは明らかなのに、背後の山が
青葉に覆われていないのが証拠だとか、先日産経抄で紹介された著者が断定しているらしいが、マジわけが分からん。
前面の木が繁っているのに背景が土山だから、これは禿山を描いたのだというのなら分かるんだけどね。
森か山なのか区別するための絵画表現ではないと決めつける根拠も分からん。
何より広重は現地に行かず想像で「東海道五十三次」を画いたのに……
六甲や生駒のように花崗岩の採取で荒山なのは自明なのに、わざわざ調査して禿山なのが
明らかになったと手柄顔で調査報告と称する無意味な事実を証拠にしていたり、
『森林の江戸学』には東北の山が乱伐されたと参考文献を挙げているが、
同書にある和泉国の山は大半が樹木に覆われていたという不都合な真実はスルーするという悪書もある。
スレチなのは承知だが、話の流れのついでに、俺が読むべき良書を誰か紹介してくれないか?

282:世界@名無史さん
21/05/12 02:45:57.21 0.net
村に近い山だと乱伐で禿山に成りそうだから
その都度領主の許可が要る様に命令出してた所もあるけど
何で読んだか忘れた

283:世界@名無史さん
21/05/25 18:59:04.40 0.net
春秋戦国時代の食糧は稲、粟、黍、麦、豆など数種類あったが、
豆は下層階級の食物だったのだとか
『菅子』巻五「重令」には、「豆や穀物が不足すると、民衆には必ず飢餓の様子が
現れる」という言葉があり、ここからも豆が庶民の食糧であることがわかる

284:世界@名無史さん
21/05/25 19:15:05.50 0.net
豆はタンパクだが毒性も

285:世界@名無史さん
21/05/25 22:23:33.87 0.net
古代中国には牛をはじめとする家畜を生贄に捧げる祭儀が存在したが、
ああいうものはいつの時代まで存続していたんだろう?
地中海世界ではキリスト教の普及とともに廃れていったらしいが

286:世界@名無史さん
21/05/25 23:17:13.34 0.net
少なくとも、後漢とか三国時代までは存続してそう
隋唐時代はどうなんだろ?
宋代は?

287:世界@名無史さん
21/05/26 04:49:40.94 0.net
古代ゲルマン人の地母神なども聖牛だったらしい

288:世界@名無史さん
21/05/26 06:15:40.06 0.net
頻度の問題でしょ
日本国は今に至っても天皇家が何かやってるし

289:世界@名無史さん
21/05/26 06:25:59.38 0.net
ネパールでは、今でも生け贄の動物が何十万頭も殺されて問題になってるけどな

290:世界@名無史さん
21/05/26 07:42:14.23 0.net
犠牲と言ったってお供えしたあとちゃんと食べるんだろ。ご近所に振る舞ったり。
なら別にいいんじゃね?

291:世界@名無史さん
21/05/26 08:03:34.34 0.net
農耕民族が米や麦をお供えするのも、牧畜民族が家畜をお供えするのも、やってることは同じだ

292:世界@名無史さん
21/05/26 08:29:11.87 0.net
宗教儀式という点でわね
血腥さの観点なら全然違う

293:世界@名無史さん
21/05/26 09:15:30.73 0.net
>>289
URLリンク(www.afpbb.com)
この写真だな、ネパールのいけにえ祭り

生贄とはまた意味が違うが、唐代には白馬を屠ってその血をすすって
誓いを立てる儀式というのがあったらしい

294:世界@名無史さん
21/05/26 10:39:11.03 0.net
キリスト教以前のケルト人ではインドとおなじバラモン
僧侶が勢力張っていた
どういうわけか僧侶階級が衰退したあとでローマ人が来たらしい
ブリテン島が中心だった

295:世界@名無史さん
21/05/26 12:12:14.96 0.net
あえて言うなら、スペインの闘牛だって元々は宗教儀式で家畜を生け贄に捧げてるわけだよなあ

296:世界@名無史さん
21/05/26 22:42:36.83 0.net
殷代には人間を生贄に捧げることもあったとか

297:世界@名無史さん
21/05/26 23:44:25.49 0.net
羌という異民族だけどな。一説に羌という漢字は二本足の羊の意味だとか。

298:世界@名無史さん
21/05/27 05:34:47.44 0.net
そんな説無いけどな
甲骨文すら見た事無いおっさんが全く予備知識無しに妄想

299:世界@名無史さん
21/05/27 10:38:56.71 0.net
春秋戦国時代には、商工業の発達が農村の閉鎖的な経済をゆさぶり、共同体の上層の
人びとがうまく土地をとりこんで富農となる反面、土地を失って没落して貧農と
なったり、生活の途を失って都市へ流れていった者も少なくなかった
江戸時代の日本で士農工商といわれたのは、このように商業が社会の安定を脅かす
おそれがあったからなのかな?

300:世界@名無史さん
21/05/27 12:52:22.82 0.net
原始共産制の農村共同体なんてのは、マルクス主義史観の学者たちの空想妄想の中にしか存在しない架空の農村

301:世界@名無史さん
21/05/27 16:11:01.93 0.net
粗放農業は農産共同体を形成し易いよ稲作より
>>299
社会変動が起きる位経済活動が発達したのわ漢代入ってからじゃね?
一応七国に分かれてたし

302:世界@名無史さん
21/05/27 17:25:13.63 0.net
>>300
原始共産制って農耕以前の狩猟採集社会が想定されてるんだが・・・
こういうマルクスのマの字も知らん低能が「ぼくのかんがえたまるくすしゅぎ」を妄想しては叩くのって何なの?
お前の妄想はママにでも聞いてもらえよ誰も興味ねーから

303:世界@名無史さん
21/05/28 03:25:15.75 0.net
>>298
士農工商って言葉自体が最近じゃ使われないのでは

304:世界@名無史さん
21/05/28 07:41:57.15 0.net
>>299
江戸時代の日本について士農工商と言ったのは、同時代にはほとんどなくて、主に明治以後の人が江戸時代をあしざまに言うための言葉という状態
というか、本来は朱子学の言葉で日本の江戸時代の社会とはぜんぜん違うんだよ

305:世界@名無史さん
21/05/28 08:45:15.21 0.net
士7%農22%工7%商7%農奴44%奴婢14%奴隷9%

306:世界@名無史さん
21/05/28 18:07:21.77 0.net
波動砲!エネルギー充填率120%!!
艦長!安全深度限界ですー!!
まだいける!あと20m潜れ!!
みたいな?

307:世界@名無史さん
21/05/28 18:29:21.30 0.net
春秋戦国時代にはさまざまな形の貨幣があったが、布銭(農具をかたどった銭)は
おもに中原地域で、刀銭はおもに燕や斉で、円銭は秦で用いられていたんだよな
ある意味多様性があって面白いともいえるが

308:世界@名無史さん
21/05/28 18:49:00.80 0.net
>>307
復古主義者の王モウは、前漢を滅ぼして古銭を復刻した

309:世界@名無史さん
21/05/28 20:18:49.93 0.net
宝貝が貨幣として用いられていたのはいつ頃ぐらいまでなんだろ?
海岸にいけば入手できる貨幣とかインフレデフレ凄まじい気がするけど

310:世界@名無史さん
21/05/28 22:16:47.51 0.net
>>309
王莽の政策が破綻したのちは、貝貨が雲南以外で使われることはなかったらしい

311:世界@名無史さん
21/05/29 05:04:39.14 0.net
>>305
徳川時代中期以降は農奴が奴隷奉公で都市へ奴婢として出荷される数が増加したよ

312:世界@名無史さん
21/05/31 14:56:48.61 0.net
江南では昔から巫術が盛んだったらしいけど、道教とはどう違うのかな?

313:世界@名無史さん
21/05/31 16:09:00.87 0.net
鬼道ってヤツじゃね?
どんなのか知らんけど

314:世界@名無史さん
21/05/31 19:39:01.15 0.net
江南の巫女は楽器を叩いて死人の魂を下ろし、死者に話をさせたらしい
さらに吉凶を占い、ときにはひでりや雨乞いのとき、犠牲として天に
捧げられる場合もあった
周の時代には手に茅を持って舞い、託宣をしたという

315:世界@名無史さん
21/05/31 20:42:40.94 0.net
公孫衍って前314年に秦に攻められて敗走したあとの動向わかっているのでしょうか?
武王のもとで甘茂にどうこうとか、その後の伊闕の戦いでは魏の使者となり秦と和平したとか何とか書いてあるところがちらほらありますがあれ向寿や公孫奭とかという人と混同しているような…

316:世界@名無史さん
21/06/01 06:44:53.44 0.net
>>312
道教よりむしろ、儒教のルーツがそれ
孔子が「怪力乱神を語らず」とする以前の儒教はシャーマニズムだった
孔子の母も巫女だったと言われている

317:世界@名無史さん
21/06/01 07:09:54.74 0.net
違うよ
祖先神を祭る宗族制と政教一体だけど
既にシャマニズムでわ無いよ

318:世界@名無史さん
21/06/01 07:42:31.64 0.net
戦国時代中期以後、漢民族共通の祖先と考えられるようになった黄帝も、
風雨を支配する巫術者と考えられていた
しかし、中国の古代ではシャーマン=王だったにしても、為政者が儒教を民衆統治の
手段にしてから後、巫術者の行為はおおむね時の権力に対してアンチテーゼとして
働くため、史料に残される例がきわめて少ない

319:世界@名無史さん
21/06/01 08:06:54.71 0.net
>>315
史記張儀列伝では張儀死後に入秦したことになっているからね
個人的には武王~昭王の初期は公孫なんとかがよく登場するので混同の可能性は相当あると思う
向寿「そろそろ誰が昭襄王の真の幼馴染か決めようではないか?」

紀年記事における公孫衍または犀首という名での登場は
たぶん魏世家の哀王九年が最後じゃないかな?(岸門に敗走したのが哀王五年、哀王十年に張儀卒)
その後も存命かもしれないけど魏または秦の将軍、宰相としての活動は確認できない気がする

320:世界@名無史さん
21/06/01 10:42:26.11 0.net
夏后少康の庶子の無余という人が会稽に封じられ、
土地の風習に従って入墨をし、
髪を切って村落をつくった
その子孫が越王勾践

321:世界@名無史さん
21/06/01 11:32:56.04 0.net
こじつけ伝説だろそんなん

322:世界@名無史さん
21/06/01 15:46:00.79 0.net
>こじつけ伝説だろ、そんなもん
いや、問題は何故こじつける必要があったか?そして、それを記録するだけの裏付けはあったのかどうか?
が、問題なんだろ
つまり、当時に二里頭文化の集団移民が実際にあって、それを夏の王族に仮託されたのか
そして、それを裏付ける文化的な連続性があったのかどうか

323:世界@名無史さん
21/06/01 18:06:20.25 0.net
たとえ当時なんらかの根拠があったとしても
今となっては匈奴≒夏の末裔みたく証明できないだろうしなんとも
初期越の有力者墓は中原型だった、という話も聞かないし

324:世界@名無史さん
21/06/01 18:55:04.67 0.net
>>319
ご丁寧に解答くださってありがとうございます!
古代特有の楽しく同時にもどかしい感じ…おとしどころ探さなくては

325:世界@名無史さん
21/06/01 19:57:28.42 0.net
呉太伯の父は古公亶父といい、周王朝の祖だが、
長男の太伯よりも末子を位に即けたいと願っていた
それを知った太伯は位を弟に譲るため、髪を切り、
入墨をする蛮族の風習をして会稽に行き、呉の始祖となったという
これもこじつけ伝説?

326:世界@名無史さん
21/06/01 20:04:38.49 0.net
>>324
いえいえ、張儀列伝と魏世家という基礎中の基礎の範囲でしか答えられず申し訳ない
一応魏将の記述が史記比豊富な竹書紀年に犀首がいないか探したこともあるのですがそれらしき人物はいませんでした
武王期以降になると宣太后一族他に関心が移ってしまい完全に勉強不足です(汗)

327:世界@名無史さん
21/06/01 21:40:39.51 0.net
>>325
あのまま周に残っていたら殺されたのが李歴ではなく太伯だったんだろうか?

328:世界@名無史さん
21/06/02 11:38:01.29 0.net
殷周時代の大都市、とりわけ王都は、王朝の滅亡とともに
放棄されるものであり、政治的な性格を強く帯びていた
しかし戦国時代になると、王朝の興亡に左右されない、
巨大な経済都市が出現する
なかでも大規模な城郭都市が生まれたのは、韓・魏・趙の地域

329:世界@名無史さん
21/06/02 14:38:04.45 0.net
そんだけ都市の力が強くなったってことか
インフラとマンパワーが

330:世界@名無史さん
21/06/02 19:35:50.47 0.net
戦国期には社会的・地域的な分業が相当な水準まで発展し、天然資源のみならず、
日常的な什器の流通も始まっていた
北海では馬や犬、南海では大鳥の羽・象牙・犀の角・青色の染料・丹砂、
東海では紫貝・葛製の布・魚・塩、西海では皮革やヤクの尾を産出した
中国の民はこれを交易で手に入れることができた

331:世界@名無史さん
21/06/03 00:09:04.54 0.net
>>330
それだけ色んな交易品があるのに調味料は塩と酢だけなのか

332:世界@名無史さん
21/06/03 07:28:01.55 0.net
戦国期だと魚醤,肉醤と味噌が普及前だけど有る感じ

333:世界@名無史さん
21/06/03 14:22:03.76 0.net
春秋戦国時代には、食客3000人を抱えるような人物も現れたけど、
それだけ社会が豊かになったということなのかな
ちなみに孟嘗君はいかもの食いで、他国からの逃亡者や罪人までも集めていた

334:世界@名無史さん
21/06/03 15:05:50.21 0.net
うがった見方だと、有能な人材は大国に取られてるからイカモノ人材しか集められなかったという説も
そんなイカモノ軍団を使いこなして活用したんだからすごいよな

335:世界@名無史さん
21/06/03 15:16:59.55 0.net
有能はイカモノでも有能だし
イカモノでも有能は有能でしょ

336:世界@名無史さん
21/06/03 17:24:03.67 0.net
犯罪者の活用といえば秦
秦末には軍が罪人だらけになっちゃった

337:世界@名無史さん
21/06/03 22:30:50.62 0.net
ヨーロッパの城郭都市の場合、門限が定められていたが、
中国の都市の場合はどうだったんだろう?

338:世界@名無史さん
21/06/03 23:33:44.82 0.net
夜明けまでは城門を出入りできなかったからこそ、町を出られなかったからこそ、鶏の鳴き真似をする人材が活躍したんじゃね

339:世界@名無史さん
21/06/04 06:02:19.83 0.net
鶏鳴もそうだし光武帝も門限過ぎて野宿した逸話がある
宋の開封なんかは不夜城として有名

340:世界@名無史さん
21/06/04 07:30:31.96 0.net
日本の江戸城も門限が決まっていて、
それを過ぎると将軍といえども
みだりに入れてもらえなかった

341:世界@名無史さん
21/06/04 07:48:45.63 0.net
つうか、江戸だと町全体がブロック状に区切られて柵で往来制限されててその門扉が夜間には閉じられて往来できなかったはず
その門のことは木戸とか城戸と呼んでたはず

342:世界@名無史さん
21/06/04 14:32:23.91 0.net
日本では中国の都市のなかで、唐の長安だけがやたら有名で、
宋の開封では夜間の通行を禁じた唐代の坊制はとっくに
なくなっていたことなど、ほとんど知られていないな

343:世界@名無史さん
21/06/04 23:47:27.70 0.net
文化は伝播するが現地に馴染みがあるわけじゃないからね
これは前近代中国に限らず現代の欧米に対しても言えるな
有名なのは代表的な都市だけ

344:世界@名無史さん
21/06/05 10:58:03.98 0.net
春秋戦国時代に諸子百家が盛んに活躍していたが、
そのなかには一人の秦国人もいなかった
やはり秦は文化的にも遅れていたのかな

345:世界@名無史さん
21/06/05 11:33:20.45 0.net
秦で活躍した人は複数いるのに秦出身って聞かんよね

346:世界@名無史さん
21/06/05 11:55:44.05 0.net
秦は法律が厳しくて高等遊民はできないしゆっくり学問もできなかった
一家に二人以上の男子がいれば必ず分家しなければならないとして
自作農の増加をはかり
五人組で農家を互いを監視させた
漢代になると余裕のある家の子が
ずっと学問して世評が高まり70歳でようやく官に招かれ
とか出てくる。孔明もニートだったし

347:世界@名無史さん
21/06/05 12:15:01.81 0.net
孔明ニートは誤読だな
あいつら、大土地所有者、大土地経営者らは領地経営が本業
君主に仕えるのは副業みたいなもんだぞ

348:世界@名無史さん
21/06/05 12:38:19.68 0.net
呉の4姓とか大土地所有者だけど先祖を見ると北から来たみたいだし
東晋の豪族もそういうの多いし
孔明の実家も華北で戦乱に押されて南に流れてきたみたいだし
太守のおじさん殺されてるし荊州に土地縁なさそうよね

349:世界@名無史さん
21/06/05 12:53:24.99 0.net
その辺の時代の大土地所有者って、異境に移動するときに領民を引き連れて移動することが多かったみたいだね
土地は移動先で手に入れて開拓して入植するのかな?
だから、孔明も異境である荊州で地主業、大土地経営をしてるわけだよ
自分自身も土地を耕したりしてるけど、それも本業じゃない

350:世界@名無史さん
21/06/05 13:04:54.20 0.net
袁紹も司馬懿も仕官に出てこないと殺されるから仕方なく仕官
本音では高等遊民していたかったようだ

351:世界@名無史さん
21/06/05 13:28:28.16 0.net
未だ未耕地有る時代だし
上古わ道徳を競い 中世わ智謀を逐い 当世わ総力を争う

352:世界@名無史さん
21/06/05 15:47:56.22 0.net
>>351
死ね

353:世界@名無史さん
21/06/05 16:00:26.35 0.net
>>350
司馬懿はわかるけど、袁紹もなの!?

354:世界@名無史さん
21/06/05 16:45:37.93 0.net
袁紹は董卓に脅されて仕官したんだっけ
袁紹が離反した腹いせに叔父が殺されてるな、たしか?

355:世界@名無史さん
21/06/05 16:52:32.20 0.net
朝廷の政治を壟断していた宦官の趙忠らは、袁紹の行動を不審に思い危険視していた。そのことを聞いた叔父の袁隗は、一族を滅ぼすつもりかと袁紹を叱ったという(『三国志』魏志「袁紹伝」が引く『英雄記』)。そのため、何進の掾(属官)に召されるとようやく官途に就くことにした

356:世界@名無史さん
21/06/05 17:40:46.81 0.net
>>354
訂正
董卓のときに仕官したわけではない
すまん。指摘のレスの意味も読み取れてなかったし……

357:世界@名無史さん
21/06/05 18:03:36.75 0.net
秦の知恵者と言えば厳君かな

358:世界@名無史さん
21/06/06 03:34:29.86 0.net
史上活躍した人物となると、他の国と同じくまずは宗族ということになる
昭王期くらいまでは公子や公孫が政戦によく登場する
まあ出自が明らかな人間は殆どいないから公孫某でも秦出身確定にならんのが辛いとこだが
他にパッと思い浮かぶ出身地が書いてある有力者は・・・
白起:バリバリの秦地出身
王氏:秦の本拠地、関中東端出身
犀首:秦の周縁、魏との係争地域出身
あと蒙恬みたく先祖は他国者だけど本人は秦育ちな秦人(知らんけど)も割といるかもしれん

359:世界@名無史さん
21/06/06 07:54:57.14 0.net
どいつもこいつも実務的な人で私塾を建てて後進の育成になんて考えそうになさそうだ
お国柄終わりを全うできないってのも要素の1つかな

360:世界@名無史さん
21/06/06 08:52:37.40 0.net
私塾で後進の育成とか無いしな
基本はサロン

361:世界@名無史さん
21/06/06 13:49:14.03 0.net
王朝のその後を考えない利己主義者の集まりで、自分の能力を活かしたい人が来るから乱世には発展するけど後に続かない
始皇帝没後の帝国を見ているようにで面白い
趙高・李斯と陳平・周勃の差よ

362:世界@名無史さん
21/06/06 16:13:33.53 0.net
始皇帝に人を見る目が無かったというだけの気も

363:世界@名無史さん
21/06/06 16:48:16.26 0.net
豎5fc; 趙高 公子開方みたいな一見忠義面した輩わ質悪いから

364:世界@名無史さん
21/06/06 17:02:48.55 0.net
>>363
死ね

365:世界@名無史さん
21/06/06 19:02:33.34 0.net
>>359
>>361
秦は諸子百家に分類される人材を雇用しているけど、多くが便利な侵略案内人&権力強化のお供(寵臣)タイプで
史料を見る限り諸子百家的な文化を振興しよう、みたいなタイプの権力者は戦国末の呂不韋を待たなければいけないからなぁ
しかも孤立する甘茂説話の数々や、逐客令というワード、厳格な移動の制限から考えて
東方で流行る諸子百家ムーブを積極的に否定、拒絶する有力者&地元秦人は少なくなさそう

366:世界@名無史さん
21/06/06 19:34:38.51 0.net
側近と寵臣は違うでしょ

367:世界@名無史さん
21/06/07 01:54:19.39 0.net
側近は君主と親しい、つまり君寵を得ている人物、すなわち寵臣である場合が少なくないし
君主の信頼を背景に強大な政治権力を握る寵臣は側近出身であることが多いのでは?

368:世界@名無史さん
21/06/07 06:02:18.25 0.net
寵臣は権力握って無い場合も多いよね

369:世界@名無史さん
21/06/07 07:09:09.32 0.net
もちろん場合によりけり
寵臣政治する事もあればただの遊び相手でしかないこともある、それは側近も同じだけど

370:世界@名無史さん
21/06/07 19:18:47.13 0.net
側近は近臣と手足となって働く信頼厚い体制幹部を指す場合がほとんどだけど
寵臣は要するにお気に入りなのでやや範囲が広いかな
上は君主個人の寵愛を頼りに強権を振るい改革を強行する歴史的人物から下は寝室で活躍する人まで

371:世界@名無史さん
21/06/08 14:41:37.49 0.net
斉の国は山東省にあって海岸線が長いので、製塩や漁業には便利だが、
土地はアルカリ性が強く農業には適さなかった
管仲は製塩業、漁業のほか、養蚕、絹織物業を奨励するとともに、
土壌の改良につとめ、農業を盛んにし、また物資の流通、物価の安定を図った
これによって斉の国の経済は発展し、軍事力は強化された
こうして斉の国は春秋最初の覇者となる道を歩み始める

372:世界@名無史さん
21/06/08 16:41:39.94 0.net
管仲というか、後世管仲に仮託された思想というか

373:世界@名無史さん
21/06/08 17:47:44.21 0.net
製鉄忘れてる

374:世界@名無史さん
21/06/08 18:34:37.12 0.net
>>371
春秋時代の斉は海岸まで支配してなかったのでは?

375:世界@名無史さん
21/06/08 19:07:12.25 0.net
春秋時代も終わり頃になると広く海岸を支配してたんじゃないかな
むろん管仲が生きていた比較的前期には当てはまらないけども

376:世界@名無史さん
21/06/08 22:41:13.67 0.net
斉の桓公にとっては、北方の山戎や狄よりも、
南方の楚の国のほうがおそるべき敵だったとか

377:世界@名無史さん
21/06/12 22:17:38.06 0.net
呉、越の地は海浜に近く、魚介や塩の利益がある上に、農業にも適しており、
中原の進歩した生産技術が伝わると、たちまち繁栄を迎えた

378:世界@名無史さん
21/06/13 02:45:09.56 0.net
冶金は元から先進地域の1つだし
農業は長江流域に典型の稲作だから
黄河流域の天水農法と違うよ

379:世界@名無史さん
21/06/13 02:55:59.90 0.net
ずっとあとの三国時代の呉でも旱魃が多く記録されてる
北に比べて人口が少なく
豊作が当たればでかいが、安定しなかったみたい
そんなわけで人狩りとか精出して

380:世界@名無史さん
21/06/13 09:09:28.09 0.net
稲作の方が畑作より安定してる
三国呉の領域の多くは戦国楚
江南で旱害が起き易いのわ丘陵地

381:世界@名無史さん
21/06/13 10:31:51.69 0.net
畑で栽培される稲を陸稲(りくとう、おかぼ)という。同じ土壌で陸稲の栽培を続けると連作障害が発生する

382:世界@名無史さん
21/06/13 14:03:57.60 0.net
陸稲なんて栽培されて無い
はい論破

383:世界@名無史さん
21/06/13 14:25:20.24 0.net
この時代の南方は原住民による焼き畑農業がおおく、それに華北人が乗っかった
いきなり水田なんてないよ。まず原住民を追い払ってから開発

384:世界@名無史さん
21/06/13 14:27:19.07 0.net
考古学的には、日本では縄文時代から陸稲が栽培されていた形跡があり、水田稲作より起源が古い

385:世界@名無史さん
21/06/13 16:38:20.50 0.net
>>380
死ね

386:世界@名無史さん
21/06/13 18:47:19.25 0.net
>>384
現存の陸稲わ中世に分岐した物だし遺伝的多様性にも乏しい

387:世界@名無史さん
21/06/13 19:39:20.17 0.net
春秋戦国時代は中国の思想が急激に発展した時代だけどその要因はなんだったの?
三国時代、五胡十六国時代、五代十国時代も同じ分裂時代だけど新しい思想は生まれなかったのはなぜ?

388:世界@名無史さん
21/06/13 20:18:41.92 0.net
>>380
戦国の呉は後の徐州あたりだよね、会稽あたりは呉の南がわ隣国の越だよね
すると戦国の呉の領域の大半は三国時代には魏の領土だよね

389:世界@名無史さん
21/06/13 20:20:02.16 0.net
>>382
陸稲は黄河文明の方のエリアで細々と作られてたぐらいで、長江文明の圏内では育てられてないよね

390:世界@名無史さん
21/06/13 20:21:53.29 0.net
>>383
そかな
原住民が稲作で入植した華人は小麦とかヒエアワメインなんでは?

391:世界@名無史さん
21/06/13 20:26:18.20 0.net
>>387
あたらしい思想は色々あったけど、だいたいは古い思想の外皮をかぶせられて新規性が見えにくい
三国時代になる前から、後漢の頃から色々とあたらしい思想は出まくってるよ

392:世界@名無史さん
21/06/13 21:15:46.05 0.net
>>386
死ね

393:世界@名無史さん
21/06/13 22:13:35.21 0.net
前584年、晋では楚の力をそぐ手段として南方の呉に目をつけ、
申公巫臣を呉に派遣し、進歩した車戦法を教えさせた
これは呉王寿夢のときだったが、この時から呉は勃興し、
晋の目論見どおり、楚の一強敵となった

394:世界@名無史さん
21/07/09 19:40:50.03 0.net
中国の軍隊についてだけど、春秋時代になると、貴族だけでは軍事力不足なので、
平民による常備軍が編成されるようになったな
ただし彼らには武器自弁の義務はなく、代わりに「金」を徴収するようになった
そして戦国時代には貴族の子孫が増加したので、本国で生計を立てられない者たちが
同盟国で寄食するようになった
彼らは戦時には軍を率いるものの、平時にもどれば軍を解いて、主君に返上するのが
ふつうだった
将軍職も、周代に比べればもはや高貴な地位とはいえなくなった

395:世界@名無史さん
21/07/10 03:58:20.58 0.net
貴族が増加したからというより
知識人層が形成されたから行政改革で
有能でない無能な世襲ゴミがポイーされた
楚や秦や燕の様な田舎わ相変わらずだったけど

396:世界@名無史さん
21/07/10 16:45:05.94 0.net
>>395
死ね

397:世界@名無史さん
21/07/27 15:30:04.25 0.net
呉越の長江流域や巴蜀の人達は日本の弥生人にもあたるそうだね

398:世界@名無史さん
21/07/27 17:42:08.95 0.net
数万年前にアフリカから出てきた人たちは今の中国人にあたるそうだよ

399:世界@名無史さん
21/07/28 09:50:06.83 0.net
巴蜀は違うけどな

400:世界@名無史さん
21/07/28 13:42:57.37 0.net
秦の巴蜀併合までは長江文明と近い文化があった
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)(%E7%A7%A6)
抜粋
また紀元前316年には秦の領域である関中の後ろに大きく広がる巴蜀(中国語版)を併合する(秦滅巴蜀の戦い(中国語版))。この地域には三星堆文化を元とした独自の文化を持った国が栄えており、
また、これらの人々(巴蜀、呉越)は後世に辰韓に移住した可能性がある
そしてこの頃に巴蜀に住んでいたと思われるイ族、ハニ族はDNA(YハプログループO1b2)、文化が弥生人に近い

401:世界@名無史さん
21/07/28 18:57:53.85 0.net
秦が滅んだあとも、あの辺りには独自文化をもった小国が乱立して、夜郎自大で知られる夜郎国とかがあった
後漢の頃でさえ、多地域と違う文化が残ってたから三国時代前に劉璋が独立性力を作ってたわけだし、三国時代にも儒教の特殊な学派が勃興したりしてるよ
どこかに去ったりはしていない

402:世界@名無史さん
21/07/29 08:35:04.14 0.net
勿論全員去ってはいない
一部が移住しただけ
後に日本では秦氏になったものもいるかもしれない
考えられるのは紀元前1000~有史以降にかけて断続的に辰韓に移住していったと考えられる
呉越の滅亡と秦の中国統一あたりがきっかけとして考えられる
縄文人遺伝子YハプログループDも弥生人遺伝子O1b2も羌族系に近い
華夏人遺伝子O2が黄河周辺に居たのでそこ以外を避けて移住してるのだろう
昔はチベット→姜→巴蜀→長江ラインが近い民族で繋がっていたと考えられる
夜郎国もそうだし山越なんかもそうかもしれない
越人は日本の北陸に移り住んで越前などの国名由来になったかも

403:世界@名無史さん
21/08/03 18:47:19.91 0.net
Y染色体ハプロを調べると結局はほとんどが同じ系統になるんだな

404:世界@名無史さん
21/08/03 20:00:42.83 0.net
全国展開のグループって組織的な協力や動きがあって魅力的だな・・・
いまの会社じゃチャンスないし俺もスターグループ移ろうかな

405:世界@名無史さん
21/08/20 09:48:41.62 0.net
>>402
長江文明の末裔だろう呉越は膠着語なので
チベットと言語が違う

406:世界@名無史さん
21/08/24 15:40:27.65 0.net
コロナ対策でやってることは羊頭狗肉の語源になった晏嬰の逸話と内容一緒だなーとずっと思っていた
同じこと思った人いる?

407:世界@名無史さん
21/09/15 13:55:33.55 0.net
アベ登極以降ずっと羊頭虫肉

408:世界@名無史さん
21/09/15 19:30:04.54 0.net
ジンギスカンかと思ったらポシンタンだった

409:世界@名無史さん
21/09/26 19:25:57.22 0.net
春秋時代になると、犬戎、山戎、林胡、赤狄、白狄などが中国へ侵入してきた
覇者というのは、周王にかわってこれらの異民族の侵入から
中国を防衛することを任務とした
農耕民族だった南の荊蛮は、比較的早くから容易に中国文化に同化されて
中国社会の一員となった。楚の国がこれである。

410:世界@名無史さん
21/09/26 19:46:18.58 0.net
楚は中原の国際秩序とは距離を置き、早くから周王の権威に対抗して楚王を称した
斉の桓公も、晋の文公も、楚の脅威に対抗するため、諸侯を会盟して覇者となった

411:世界@名無史さん
21/09/26 20:43:57.93 0.net
>>409
覇者の代表格である晋の文公には、狄の血が入っていた。
少なくとも、クオーター
晋の文公の終生のライバルは、楚の成王だった。
文公を覇者と仰いで会盟した諸侯も、みんな楚の脅威から自国を防衛すべく集まってきた国々

412:世界@名無史さん
21/09/26 20:47:44.89 0.net
その前の覇者だった斉の桓公も、「楚が急速に力をつけており、周囲の国々を脅かしています」という管仲の言を容れ、諸侯を会盟した
楚の成王も、桓公の威に服して会盟に加わることにした
いま、中国包囲網だったはずのTPPに中国が加盟申請してきて話題になってるが、それと似たエピソード

413:世界@名無史さん
21/09/26 20:53:23.10 0.net
斉の桓公と、晋の文公。
2人の超大物の間に、ちょっと小粒な宋の襄公もいた。
宋の襄公は会盟を主宰しようとして成王を招いたが、成王は「宋ごときが無礼な」と言って子玉を派遣し、会盟の席で襄公を大いに辱しめさせた
宋は楚に戦いを挑み、両軍は泓水で激突したが、襄公は楚軍が河を渡りきるまで攻撃を仕掛けなかったので、宋軍は大敗した

414:世界@名無史さん
21/09/26 20:58:59.41 0.net
この頃までは、「春秋の覇者」にとって諸侯の会盟とは、「対楚包囲網」だった
その後の、呉王や越王が覇者となる時代になると様相が変わるけど、呉越は南方の国々であり、最大の脅威はやはり大楚
彼らも、北方の異民族から中原を防衛しようとしていたわけではない

415:世界@名無史さん
21/09/26 21:41:16.43 0.net
>>412
たしかに、楚のような国だとは思う

416:世界@名無史さん
21/09/27 06:48:28.31 0.net
子の曰わく、
管仲、桓公を相けて諸侯に覇(は)たり、
天下を一匡(いっきょう)す。
民、今に到(いた)るまで其の賜(し)を受く。
管仲微(な)かりせば、
吾れ其れ髪(はつ)を被り衽 (じん)を左にせん。

417:世界@名無史さん
21/09/27 06:52:53.92 0.net
管仲が斉の桓公に諸侯の会盟を進言した直接の理由は、増大する楚の脅威に対抗することだった
でも結局、楚の成王も会盟に参加し、史上空前の大連合ができあがった。
孔子はこれを、「北方の異民族の侵略から中華を守った」として評価している
もっとも、孔子は桓公の会盟から百年後に生まれた人。その頃には、すでに情勢がだいぶ変化していたと考えられる

418:世界@名無史さん
21/09/27 07:14:43.80 0.net
おそらく、斉の桓公や晋の文公がいた紀元前7世紀においては、楚は「南の野蛮な国」というイメージだった
孔子がいた紀元前5世紀の前半においては、楚はすでに「広い意味で中華の一員」というくらいには考えられてたんじゃなかろうか
それよりも、北方の異民族の脅威がすでに増大していた

419:世界@名無史さん
21/09/27 07:41:17.65 0.net
>>415
先進国グループのようでもあり、発展途上国グループのようでもある
ケタ違いに巨大で専制的で軍国主義。
先進国グループにとっては共通の脅威だけど、抜け駆けして手を組もうとする国もある
現代の中国と、春秋時代の楚のポジションは似ている

420:世界@名無史さん
21/09/27 12:45:18.75 0.net
でも、春秋時代には「北方の異民族の脅威に対抗するため、楚とも手を組もう」となったわけだが
現代の世界では、中国を上回る脅威が存在しない
そこが違う

421:世界@名無史さん
21/09/27 15:39:25.82 0.net
スレの文脈的には斉の桓公が居た頃の楚の話なんでないの
そのころは楚以上の脅威が無かったわけでしょ

422:世界@名無史さん
21/09/27 20:36:18.01 0.net
>>420
ロシアが復活して世界の脅威になれば

ないな。中国の次ぐらいの脅威なら、なりそうではあるが。

423:世界@名無史さん
21/09/28 01:35:56.05 0.net
北胡対応で桓公が燕の救援に出たよ

424:世界@名無史さん
21/09/28 05:42:26.47 0.net
燕も、中華といえるのか微妙な国だけどな

425:世界@名無史さん
21/09/28 12:09:52.80 0.net
楚も何だかんだで寿春あたりが首都なんよな
思ったより北にある

426:世界@名無史さん
21/09/28 12:24:33.19 0.net
もともとは荊州北部が根拠地で、そこを秦に攻めとられたから東に遷都して徐州に移ったんだっけ
三国時代の呉と比べて、かなり北よりだよなあ

427:世界@名無史さん
21/09/28 12:31:34.10 0.net
燕は、当時としては異民族の土地って感じの地域で、すさまじく辺境だけど、今は北京だよなあ

428:世界@名無史さん
21/09/28 12:43:50.82 0.net
それは漢文化が絶えず拡大したからだ

429:世界@名無史さん
21/09/28 13:05:13.25 0.net
>>427
遼と金が、中国支配の拠点と定めた

430:世界@名無史さん
21/09/28 14:31:49.36 0.net
>>427
坂東も、古代には日本の辺境だったけど、今では首都圏

431:世界@名無史さん
21/09/28 14:32:45.87 0.net
斉も大国って言われたけど今から見ればかなり小さい

432:世界@名無史さん
21/09/28 14:49:46.34 0.net
古代の中国では、河北省北部・山西省北部・陝西省北部・寧夏回族自治区・甘粛省には
可耕地と遊牧用草原とが入り組み、どちらにも利用できる土地の広がりが点在した
楚をはじめとする南方諸国と同様、いわばグレーゾーンの地域

433:世界@名無史さん
21/09/28 15:06:55.09 0.net
中国の京って言葉自体に特別な意味ある?
日本は京は特別な都みたいな意味で首都の代名詞でもあるから、西の京都と東に新しく東京っての作ったけど
北京も中国版の東京みたいな感じなんだろうか

434:世界@名無史さん
21/09/28 15:11:22.76 0.net
>>433
そだよ
てか、もともと中国語の用法だよ

435:世界@名無史さん
21/09/28 15:37:35.24 0.net
東京という地名は、中国人にもナジミやすい
今となっては良い地名だった

436:世界@名無史さん
21/09/28 15:40:41.98 0.net
>>433
小学生みたいな質問だなあ

437:世界@名無史さん
21/09/28 16:33:52.36 0.net
古代中国は黄河沿いよな
他は辺境なんだろうな

438:世界@名無史さん
21/09/28 17:00:28.46 0.net
秦漢までは黄河文明だな
三國志の呉あたりから、長江文明が台頭してくる

439:世界@名無史さん
21/09/28 17:26:28.95 0.net
遼河文明が先だろ

440:世界@名無史さん
21/09/28 19:31:22.70 0.net
楚国では人々が鬼を信じて祭祀を好み、祠で巫覡たちに歌楽鼓舞させ、
神々を楽しませていたが、中原の人々には、こういう信仰は
淫祀邪教と映っていたんだろうか

441:世界@名無史さん
21/09/29 00:00:43.19 0.net
女禍の人類創造神話とか長江文明というか南方の神話なんじゃないの?
女禍の伝承は相当古くからあるのに対して黄帝や夫神ということになってる伏儀の伝承は意外と後世になってからそれこそ春秋時代には見当たらないって話では?

442:世界@名無史さん
21/09/29 01:25:36.80 0.net
迫るー、女媧ー、地獄の軍団ー
(略)ライダー、ライダー、仮面ーライダーー

あれ、ソッカーだっけ?

443:世界@名無史さん
21/09/29 06:08:33.53 0.net
黄河流域といっても、上流の大きく迂回しているところは内モンゴルの辺境
下流も、いまとは違って黄河の流量が大きかったので、洪水が多すぎて人が住むのに適していなかった

444:世界@名無史さん
21/09/29 10:01:39.71 0.net
春秋戦国時代の中国では、小国が覇者の大国に朝するには
弊物を持参しなければならなかったとか
近代ヨーロッパの主権国家のように、どの国も
対等というわけではなかったのか?

445:世界@名無史さん
21/09/29 12:19:54.82 0.net
でも、覇者としての仕事するにも経費は必要だろ
ご苦労さんって意味で手土産ぐらいはもっていかないと失礼なんじゃないか
仮にも国家間の外交なんだから、個人の手土産よりは豪勢な手土産が必要って程度に思ったらおかしいかな?

446:世界@名無史さん
21/09/29 15:58:49.51 0.net
覇者は「ご苦労さん」といって朝貢使節に下賜してやらなければいけない
朝貢外交の基本だろ

447:世界@名無史さん
21/09/29 16:42:56.02 0.net
覇者「侵略されて全員虐殺跡形もなく文化根絶やしにされたくなければそっちの金と名産品全部もってこいや。労いの下賜品?何で超強い俺様がお前ら弱小国に物くれてやらにゃいけねえのさ?」
これでは無理なの?

448:世界@名無史さん
21/09/29 16:59:23.00 0.net
それは無理だな
というのも、朝貢というのは覇者の権威を国内に見せつけるための、一種のセレモニー
数年前にも、習近平が各国首脳を北京に呼び集め、長い赤カーペットを歩かせて「謁見」したとして話題になったが、
本当に重要なのは対外的なことより、それによって「さすがは俺たちの皇帝陛下だ。あんなに偉いんだな!」
と国民や各地の有力者たちに思わせ、国内を統治しやすくすること
それがあの国の伝統。もちろん、中国に限らず外交には大なり小なりそういう面があるけど、中国では特にそれが伝統

449:世界@名無史さん
21/09/29 18:14:59.79 0.net
>>448
江戸時代の朝鮮通信使と同じだな
日本国内で幕府の権威を高めるため

450:世界@名無史さん
21/09/29 18:59:16.55 0.net
>>446
朝貢外交は覇者の仕事じゃなく王、周王室の仕事だろ

451:世界@名無史さん
21/09/30 05:42:16.39 0.net
後世の皇帝も、春秋の覇者の延長上にある

452:世界@名無史さん
21/09/30 07:30:03.64 0.net
>>438
黄河文明わ長江文明より後発

453:世界@名無史さん
21/09/30 12:07:03.20 0.net
秦の恵文王は魏王や韓王に馬車引かせたってドラマでやってたな

454:世界@名無史さん
21/09/30 22:15:55.30 0.net
前579年に、晋・楚両国が宋の都の西門外で盟約を結んだ
それは、今後両国は互いに侵略することなく、災患のあったときは
お互いに救助しあい、従わない国を協同して討つというものだった
これは北と南の二つの世界を代表する両国が対等の立場において、
ともに天下の秩序を保つことを約束したもので、これまでにまったく
なかった新しい形式だった

455:世界@名無史さん
21/10/01 07:04:34.16 0.net
「これからは、アメリカと中国が世界を半分ずつ統治しましょう」
みたいな感じか?

456:世界@名無史さん
21/10/01 07:06:32.64 0.net
一昔前だったらアメリカとソビエト連邦かな

457:世界@名無史さん
21/10/01 07:38:11.19 0.net
>>455
実際、今の中国はそういう状態を夢見ていると思う
欧米の歴史家にも「チャイメリカ」なんて造語を作った人間がいるし

458:世界@名無史さん
21/10/01 08:51:04.01 0.net
しかし、米ソと違い米中冷戦という感じではない
鉄のカーテンは無いから

459:世界@名無史さん
21/10/01 09:00:54.79 0.net
それは、ソビエト連邦には「衛星国」と呼ばれる多くの同盟諸国があったが、中国には衛星国がなく孤立しているだけ
強いていえば、韓国とカンボジアが衛星国みたいに見える。
でも、それは精神的な従属であって、同じ陣営にあるわけではない

460:世界@名無史さん
21/10/01 09:16:23.44 0.net
対中債務が国内総生産(GDP)の10%を超える国は42カ国にのぼる。
ラオス、コンゴ共和国、赤道ギニア、ジブチ、モルディブ、
トンガ、スリナム、モザンビーク、ザンビアなど
これらの国々は中国の奴隷

461:世界@名無史さん
21/10/01 09:16:41.79 0.net
>>459
そこで韓国とか出すあたりが馬鹿っぽいというか
(それよりむしろ北朝鮮の方だろ?)
米中は米ソの自由主義経済圏・社会主義経済圏という構造と異なり
グローバル経済システムというひとつの系に組み込まれている
だから単純に相手を打ち負かせばいいというものではない
経済的な混乱は米国や中国互いのダメージにつながる
それも致命的な

462:世界@名無史さん
21/10/01 09:31:50.95 0.net
第一次世界大戦の勃発は、誰も望まず、誰も予測できない出来事だった
でも世の中には予期せぬ不幸というものが存在する
だから現在のグローバル経済もいつかは終わるのかもしれない

463:世界@名無史さん
21/10/01 12:08:47.39 0.net
その点古代中国は君主の気まぐれで変わるから楽!?だな

464:世界@名無史さん
21/10/01 15:20:15.90 0.net
米国の凋落は明白に成ってるからね

465:世界@名無史さん
21/10/01 17:48:58.52 0.net
>そこで韓国とか出すあたりが馬鹿っぽい
俺様はニュースなんか見ないぜ(キリッ)、という自慢なのか、
韓国はバランサーなんですぅ~、という妄想世界の住人なのか。

466:世界@名無史さん
21/10/01 22:01:57.96 0.net
ニュース?
韓国が衛星国だったらベトナムや北朝鮮、中国の支援受けてるアフリカや中南米諸国もみんな中国の衛星国になるな
そういう主張をしたいわけではないだろ?

467:世界@名無史さん
21/10/01 23:50:48.79 0.net
韓国とカンボジアより、韓国と日本の方がはるかに似ている
韓国人が中華人民共和国に精神的に従属しとるなら五十歩百歩の日本人も従属してることになりそうわね

468:世界@名無史さん
21/10/02 07:37:59.86 0.net
>>467
いや、お前以外の誰もそう思ってない

469:世界@名無史さん
21/10/02 14:25:42.40 0.net
前546年、晋、楚、宋、魯、鄭、蔡、陳、許、曹、衛の
大夫が宋の都に会同して、和平条約を結んだ
この和平会議によって、戦乱に明け暮れた中原にも、
一時的ながら平和が訪れた
しかし中原の小国群は、晋、楚両国へ絶えずいろいろな
物資を貢献しなければならないため、人民の負担は
けっして軽くはならなかったのだとか
春秋戦国時代の中国には多様性があったとかいう人がいるけど、
一般の民衆にとっては過酷な時代だったのだろうな

470:世界@名無史さん
21/10/02 14:55:46.71 0.net
そんな時代だから、「苛政は虎よりも暴なり」などと言われてたわけだよな

471:世界@名無史さん
21/10/02 16:49:00.74 0.net
小さい国は自分で全部作らなきゃならないからね
交易の重要性が分かる

472:世界@名無史さん
21/10/02 18:55:25.96 0.net
そんな中始皇帝すら征服できなかった衛という中原のど真ん中にあった弱小国

473:世界@名無史さん
21/10/02 19:36:10.54 0.net
秦の二世皇帝まで粘ったらしいっすね

474:世界@名無史さん
21/10/02 19:46:47.69 0.net
>>468
まあ、そうかもしれんけど
概ね中国に従っているカンボジアを日本と同じく普通に西側で政治的にも国民感情的にも中国と距離がある韓国を一緒にカテゴリーに置く貴殿の認識よりは一般的かと
>>469
同盟国に対する負担の増大はまず春秋の名臣を多く輩出してきた卿大夫及び国人層を直撃するので
春秋後期に見られる晋を中心とする覇者体制崩壊や民衆支配の拡大に発展し、後の戦国時代を準備したと言われますね

475:世界@名無史さん
21/10/03 10:24:13.42 0.net
春秋時代、河南中部の国々は、晋・楚ふたつの大国の間にあって、
両方からいろいろな要求を受けて非常に苦しんでいた
なかでも鄭はとくに狙われ、争奪の的となっていた
鄭では国を守るために、楚に攻められれば楚に服属し、
晋に攻められればすぐに晋に寝返った
前597年、楚の荘王が鄭の都を攻め落とすと、鄭候は肌脱ぎし、
羊をひいて出迎えた。これは当時諸侯が降伏するときのしきたりだった

476:世界@名無史さん
21/10/03 10:59:52.55 0.net
同盟和議が意図しない方向へうねりだし歴史を動かしてしまったのか
長文役立たずの豆知識だけを永遠書き連ねるよりよっぽどおもしろい

477:世界@名無史さん
21/10/03 12:08:18.05 0.net
日本の国人みたいなもんだしなあ
でも「王」を名乗っていた分誇りはありそう

478:世界@名無史さん
21/10/03 13:51:22.00 0.net
その書き方で永遠とか書いちゃうやつはもっと本を読んだほうが良いな

479:世界@名無史さん
21/10/03 14:13:47.08 0.net
重要事項を役立たずの豆知識とか書いちゃうやつももっと本を読んだほうが良いな

480:世界@名無史さん
21/10/03 14:16:25.40 0.net
>>477
鄭公や宋公が、日本の国人みたいなもの?

481:世界@名無史さん
21/10/03 14:28:54.64 0.net
>>476
役立たずのハト頭には、豆鉄砲がお似合いだ

482:世界@名無史さん
21/10/03 15:11:05.43 0.net
きいてるきいてる

483:世界@名無史さん
21/10/03 17:54:33.23 0.net
中国の場合、他国や異民族に攻め滅ぼされて統一、というパターンが多いけど、
ヨーロッパの場合は同君連合という形をとる場合が多いな
西欧には「王と王は対等であり、王冠(王国)は王冠(王国)を吸収できない」
という観念が存在したからだが
中国が統一されて、ヨーロッパがいくつもの国に分裂しているのは
この辺にも原因があるのかな

484:世界@名無史さん
21/10/03 18:07:40.04 0.net
>>483
西欧の人達があんまり認めたくないまだまだ強さを残していた東ローマ帝国に対抗して作り上げたシャルルマーニュおよびその後の神聖ローマ帝国の根っこの脆さがその同君連合の意識を生んだのでは?
形式的にはローマ帝国の復活と言っても現実には「神聖でもなければローマでもなければましてや帝国でもない」存在だったと

485:世界@名無史さん
21/10/03 18:53:18.40 0.net
>>476
おそらく根底には晋or楚と戦っても特に領土は増えない、戦利品もさほどない
新たに分配できる邑田がほとんどない、という大問題があるから
晋楚和平する以外の道はないという事になるのだろうけど
矛盾が国内や小国に転化されれば国内外問わず秩序が瓦解するというジレンマ

486:世界@名無史さん
21/10/03 19:24:27.24 0.net
>>483
そうとも言えるだろうけど
そもそも西欧と東アジアでは地勢や周辺環境が大きく違うのだし異なる形態になる方が自然かと
ロマノフ朝以降のロシアなんて東ヨーロッパから中央アジア、沿海州樺太まで支配してる中国以上に広大な統一政権だけど
その制度なり思想なりが大統合成功の原因です、とはあまり言われないし

487:世界@名無史さん
21/10/03 19:54:11.89 0.net
晋が結果的に臣下に国をとられたように貴族だらけだった楚が臣下に国を分割統治されたりしなかったのかな?
呉と越がそれなのかもしれないが

488:世界@名無史さん
21/10/03 20:18:20.87 0.net
>>483
中国は三国志とかでも爵位の複数持ちがいない
功績を立てたりすると元の爵位を譲ったり、さらに上位の爵位に変わったりする
州牧の複数兼任さえ劉備以外やっていないらしい
曹操も袁紹も冀州牧以外の州牧は身内に就任させていた
漢中王兼蜀王みたいなありそうなのでさえ恐らくない
もしかしたら歴史上1人もいない???

489:世界@名無史さん
21/10/03 20:19:48.49 0.net
>>487
王族ということになっているけど周の姫姓みたいに実は血のつながりがないかもしれん
また殷の官職や制度を受け入れているということから
殷王でなく楚王がのっとったともいえる

490:世界@名無史さん
21/10/03 20:20:59.07 0.net
>>483
イングランドもスペインも複数の小王国がたくさんあったような
まあ、複数の会社の社長を兼ねるか
全部混ぜて1つの会社にするかの違いなんだろうけど

491:世界@名無史さん
21/10/03 20:22:53.88 0.net
>>475
韓が首都にしていたし、いい場所なんだろうか
周から分離独立したようなもんだし
一時は小覇とも言われ、ある作品では斉の桓公の父親になっていた

492:世界@名無史さん
21/10/03 20:52:37.46 0.net
>>491
戦国の七雄最弱で魏や趙と違って一時的な覇権を取った事もない韓がどうしてそんないい場所取れたんだろう?

493:世界@名無史さん
21/10/03 21:44:08.04 0.net
>>492
そりゃ、中央の国は領土を広げにくいからな
大国というのは、辺境に向かって成長していくもんでしょ

494:世界@名無史さん
21/10/03 22:16:23.35 0.net
中国の場合、唐の皇帝が天可汗を兼ねた例、清の皇帝が大ハーンを兼ねた例がある

495:世界@名無史さん
21/10/03 22:38:21.52 0.net
イギリス国王がムガル帝国皇帝を兼ねたのはアジアの事例に入らないわけではないだろうけど、主にヨーロッパの事例なんだよな
インドの皇帝との兼任だから大英「帝国」だったわけだし

496:世界@名無史さん
21/10/03 23:06:15.69 0.net
ロシア皇帝がフィンランド大公とポーランド国王を兼ねた例もあるよな

497:世界@名無史さん
21/10/03 23:31:18.85 0.net
>>483
単純に行政技術が未熟だったからってだけ

498:世界@名無史さん
21/10/03 23:52:28.82 0.net
中国が統一された理由の一つに、商業の発展の結果、産物の交流も盛んになり、
各地域の経済が互いに依存しあう度合いが強まってきたというのがあるが、
中世ヨーロッパの場合、そこまで商業は発達していなかったんだろうな
もっとも現代ではグローバル化の時代を迎えてEUをつくったが

499:世界@名無史さん
21/10/04 07:23:28.55 0.net
ヴェネツィアが交易担ってたようだしそこそこ交易はしてるようだぞ

500:世界@名無史さん
21/10/04 09:26:57.90 0.net
北海の貿易も盛んだった

501:世界@名無史さん
21/10/04 09:27:28.44 0.net
でも、最も重要な交易ルートは、ライン川の水運

502:世界@名無史さん
21/10/04 09:34:37.08 0.net
西欧が割拠できたのはユーラシアンステップの影響が少なかったと思われる
イスラム圏も中世は割と割拠していたがテュルク系民族が浸透するに伴い専制に変わった

503:世界@名無史さん
21/10/04 09:38:19.22 0.net
多民族を統制するには権威だけではダメで軍事力の専制しかない
反対に日本は民族的多様性が低く平安以後は割拠になり必要な時だけ天皇の権威を利用した

504:世界@名無史さん
21/10/04 10:17:58.73 0.net
古代のオリエントは専制帝国だが、あれはスキタイ人の影響なのだろうか

505:世界@名無史さん
21/10/04 12:45:01.23 0.net
エジプトのファラオの影響だろ

506:世界@名無史さん
21/10/04 14:01:32.95 0.net
古代メソポタミアは割と都市国家だけどな
外部民族の流入が激しいから専制になったのかも

507:世界@名無史さん
21/10/04 23:39:24.73 0.net
バビロニアもアッシリアも春秋期と同じく都市国家の連合体よな
ペルシャ帝国も未だ封建的

508:世界@名無史さん
21/10/05 03:19:18.05 0.net
>>498-500
まあ、商業発展や先進性イコール統一(専制国家)ではないだろうな
先進地域のヴェネツィアやフランドルは別に統一を必要としないだろうし
雑にいえば専制と割拠って要するに一強化するか列強化するかの違いでしかない

509:世界@名無史さん
21/10/05 03:30:50.36 0.net
統一国家はなかったが、その代わりハンザ同盟があった

510:世界@名無史さん
21/10/05 04:21:27.42 0.net
ヴェネツィアもフランドルも17世紀に入ると
領域国家の政治的軍事的妨害に太刀打ち出来無く成ったよ

511:世界@名無史さん
21/10/05 06:20:27.73 0.net
>>510
質より量の時代に入ったんだよな
ヨーロッパ諸国が、一国だけでは
アメリカ合衆国に太刀打ちできなくなったのと同じ

512:世界@名無史さん
21/10/05 06:39:23.87 0.net
>>510
17世紀っていったら、オランダが大国スペインから独立して世界の海を制覇してた頃だが?

513:世界@名無史さん
21/10/05 06:43:09.17 0.net
>>512
そのオランダも、やがてイギリスやフランスのような
自国より規模の大きい国家に太刀打ちできなくなった

514:世界@名無史さん
21/10/05 06:44:05.22 0.net
ヴェネツィアみたいな裕福な資本階級は産業革命には必要で、それには専制より封建制の方が向いている

515:世界@名無史さん
21/10/05 07:49:48.38 0.net
ヴェネチアとジェノヴァは地中海貿易の覇者として競い合ったが、
今でいうトルコ・レバノン・シリア・イスラエル・エジプトはみんなオスマン帝国の領土
東地中海はバラバラだったわけではない

516:世界@名無史さん
21/10/05 07:54:39.48 0.net
多様性はつねに人間にとって好ましいものと決まっているわけではない
それは混乱をもたらしうるし、その結果、無政府状態が現れ、
「万人の万人に対する戦いの状況」が訪れるならば、文明は危険にさらされ、
人間は苦しむことになる
現在のアメリカ合衆国はそのような状態に陥りつつあるんじゃないのか?

517:世界@名無史さん
21/10/05 08:32:47.57 0.net
生物学的には多様性は環境変化への手段
そして個体は個体としては成り立たず群れを作り分業する
別種の群れとは敵対しやすくなるのは道理
人間社会では多民族の時には昔は専制で抑え込むしかなかった

518:世界@名無史さん
21/10/05 09:06:20.79 0.net
要は不満を抑え込めればいいのであっていくつか方法はある
・軍事力(法律も含む、執行に軍事力必要)
・権威
 封建制なら王や皇帝、他なら宗教
 道徳も権威に含まれるだろう
・経済
今は経済でやってるところが殆どで格差などできると不満が貯まっていく

519:世界@名無史さん
21/10/05 09:22:41.71 0.net
>>517
海外では精子提供によって子供を産む女性が増えている
女性にモテるタイプの男性だけがどんどん子孫を増やしていけば、
やがては人間の生物多様性が薄れていくだろう
それは人間社会にとっていいことだとは思えないが、
リベラル派はそれは女性の権利だと主張するんだろうな

520:世界@名無史さん
21/10/05 09:48:23.56 0.net
>>519
生物の遺伝子として多様性は維持するようにできている
人工的な操作によって多様性を縛る場合疫病などの大淘汰を受けることになるだろう
天然痘→新大陸に大絶滅をもたらした
コロナも人種差がある
中国の皇帝レベルになると凡人では務まらない
始皇帝のようなサイコパスも淘汰圧を免れたような要因はあったのだろう

521:世界@名無史さん
21/10/05 10:50:28.80 0.net
ナチスドイツの「レーベンスボルン計画」だが、
金髪碧眼の人間だけを大量に人工的に作り出そうとした
すると当初の目的とは反対に、障害児が大勢生まれてきたとか

522:世界@名無史さん
21/10/05 13:34:10.05 0.net
まあ、今の調子だとインド人とアフリカ人が地球人類の大半を占めることになるからな
金髪碧眼は絶滅危惧種になってくるので、なんらかの対策を打つ必要が出てくるだろう

523:世界@名無史さん
21/10/05 14:18:59.90 0.net
でも白人女性や東アジア人・東南アジア人の女性が、
インド人やアフリカ人男性と結婚したがるとは思えないが
ラテンアメリカでも、アジアでも、売れているのは白人男性の精子

524:世界@名無史さん
21/10/05 14:52:53.93 0.net
ここ数十年でフィジカル的に優れた人間、特に外見が美しい人間の可能性・評価がウナギ登りだからな

525:世界@名無史さん
21/10/05 15:06:31.09 0.net
スラリとした人種はもの凄い淘汰圧を生き残っている
戦争が最も多かったヨーロッパなどは顕著だろう
同時に合理的でもあり、残忍でもある
そりゃそうだ、生き残るためには簡単に裏切る
私はそういう人種が幸福とも思えないがなあ

526:世界@名無史さん
21/10/05 17:22:47.49 0.net
サラブレッドはスラリとして姿かたちは美しいが、
よく整えられた馬場でないと走れない
脚が弱いのですぐ骨折する
つまり生物として脆弱だということ

527:世界@名無史さん
21/10/05 17:22:51.75 0.net
>>515
統一主体の名前こそ異なるが確かにオスマン帝国は地中海を半ば以上再統合した帝国やね
しかし逆にいえば強大なイスラム諸帝国でもそこまで
中国でいえば中原に当たる巨大な中央が海で大きく分断され、その北半はそれなりに大きな半島や島や山脈で分かたれている地域とか再統一に不向きすぎる

528:世界@名無史さん
21/10/05 17:31:56.97 0.net
>>522
金髪碧眼が絶滅危惧種になると思ってたら
ちょっと前までは大人口、資源食い過ぎ(後者は現在進行形だが)で泡吹いてた漢民族が
いつの間にか追い越して行く勢いなんだから分からんものよ

529:世界@名無史さん
21/10/05 17:40:32.55 0.net
>>527
中国は日本海と東シナ海で隔てられているから、
日本列島を征服することはできなかったな
ある意味日本海と東シナ海は地中海に相当する
役目を果たしていたのかも

530:世界@名無史さん
21/10/05 18:27:05.37 0.net
>>529
東シナ海や日本海や地中海や北海より小ぶりな渤海や黄海でさえ
容易に越えられない障壁となって隋唐の朝鮮進出を妨げているからね
もし仮にもっと海が入り組んでいたら東亜も中小国の活躍が目立つ地域になっていただろう

531:世界@名無史さん
21/10/06 01:04:30.76 0.net
仏独伊西陸続きだけど

532:世界@名無史さん
21/10/06 04:38:20.29 0.net
もしゲルマン人に分割相続の習慣がなかったら、
カール大帝のフランク帝国がそのまま続いていたかも?

533:世界@名無史さん
21/10/06 10:00:37.56 0.net
統治しきれなくて分割するしかないだろうな
いい加減スレ違いだと思うが

534:世界@名無史さん
21/10/06 11:17:56.95 0.net
>>516
何を持って多様性というかはあれだけど
多民族が混在しているのが多様性の一因としていうなら
現代アフガンの惨状が多様性の悪い例が出て来る最たるものだよな
多民族国家で中央政府の意向無視して各部族が割拠するのに
中途半端にアフガン人の意識あるから完全分割や傀儡国も拒むしめんどくさい

535:世界@名無史さん
21/10/06 12:12:04.98 0.net
ユーゴスラビアも多民族国家でチトー死後結局分裂した
前秦の苻堅みたいなカリスマか皇帝専制軍事力がいないとまとまらない
古代中国は黄河流域の華夏人の範囲で統一国家となった
一部長江文明人も入っていたようだが

536:世界@名無史さん
21/10/06 12:37:03.53 0.net
誰に向かって喋ってんだ

537:世界@名無史さん
21/10/06 13:47:55.33 0.net
春秋戦国時代も、日本の戦国時代も、「分裂した時代」ではない。
むしろ逆だ
もともと無数のムラやクニ、都市国家に分かれていた世界が、各地で国家に統合され、いくつかの大国へと成長していくプロセス
旧社会主義国の分裂・崩壊を例に出すのは適切ではない

538:世界@名無史さん
21/10/06 13:56:08.20 0.net
友達に、今の中国と台湾ってどっちが真の中国なの?(台湾だろ?というニュアンス)の浅い質問されたことあるんだけど
一周回って深い質問だなと思った
どっちが本当かどうかはともかく、真の中国みたいな考え方がある時点で「一つの中国」って考え方が広く浸透してるということなんだよな
春秋戦国や三国志、五胡十六、五代十国の分裂の時代と日本にも中国にも思われている

539:世界@名無史さん
21/10/06 15:30:45.67 0.net
>>537
これはある程度正しいとは思うが
ユーラシアンステップの侵略はすべてをひっくり返す要因だと思う
遊牧民の影響が少ない社会は、古代中国、日本、あと中世ペルシャも当てはまると思う
権威として軍事力の無い周の天子、天皇、カリフの元緩い結束があった
だが中国、ペルシャは遊牧民が文化的権威をひっくり返し、専制となるか統一感がない時代を繰り返すしかなかった
日本と西欧は遊牧民の影響が低く封建制となった

540:世界@名無史さん
21/10/06 17:18:41.39 0.net
>>531
ローマの本拠地イタリアは三方海に囲まれた細長い半島だしイベリアも似たようなもんだし
実はフランスも北西南の多くが海に面しているので中原とは異なるよ
地理的な条件でいえば中国というより日本や朝鮮に近いところがある

541:世界@名無史さん
21/10/06 17:23:07.98 0.net
イギリスは島国だし、イタリアとスペインは半島で、しかも半島の付け根は峻険な山脈で区分されている。
これらが大陸欧州から切り離されて別の国になったのは、天の意思みたいなもんだろう
フランスは南仏を除けば大平原の国、ドイツもそうだけど森林と湿原・湖沼のおかげで統一しにくい

542:世界@名無史さん
21/10/06 17:37:01.58 0.net
この「立体感超強的地形図」を見れば、中国大陸の中のどこが、人が住むのに適した地なのかはすぐ分かる
巨大な扇のような「華北平原」と、その南西にある「四川盆地」、この2つが最も良い土地だ
華北平原を扇とすれば、扇を広げた両端に位置するのが北京と上海。
扇の要に位置するのが洛陽で、扇の要から少し伸びた柄の先っぽにあるのが長安。
もちろん大雑把な話だけど、当たらずとも遠からず。これらの都市が交通の要衝なのは、地形を見れば一目瞭然。
なんで北京や洛陽が外せない都なのかは、考えるまでもなく明らかだ
URLリンク(i1.kknews.cc)
URLリンク(i1.kknews.cc)

543:世界@名無史さん
21/10/06 18:08:01.76 0.net
黄河と長江は共に古代文明が栄えた場所だけど遼河ではこの二つほど強大な文明が生まれなかったのは何でだろう?
北にあって寒かったから?

544:世界@名無史さん
21/10/06 18:38:55.22 0.net
単に寒いからだろう
寒ければ農業もままならない

545:世界@名無史さん
21/10/06 18:46:28.92 0.net
人間集団にとって真に大切なのは、多様性ではなくて自由なんじゃないかな
多様性があっても自由がない国というのは、いつか発展が止まる

546:世界@名無史さん
21/10/07 06:57:36.36 0.net
>>541
しかもその島国と半島の存在感が相当デカいおかげでフランスが常に揺さぶられてしまうからね
なお遠心力が強すぎて後に世界がとっばちりで征服されてしまう模様

547:世界@名無史さん
21/10/07 10:29:14.26 0.net
>>543
気候変動で寒冷化して大きく乾燥化したからね
文明が滅びたのも当たり前

548:世界@名無史さん
21/10/07 10:31:07.53 0.net
>>545
日本国が停滞してんのわ自由が無い事よりも
汚職と非効率がアフリカ中南米と何ら差が無い酷さだから

549:世界@名無史さん
21/10/07 11:54:12.65 0.net
>>548
妄想乙

550:世界@名無史さん
21/10/07 12:15:33.43 0.net
自由とか多様性とかどうでもいいから後付だ
古代から人口動態と気候地理地形が重要要因

551:世界@名無史さん
21/10/07 12:53:13.60 0.net
そう思う
歴史って、たいていのことは地形と気候風土で決まると思うんだよなあ

552:世界@名無史さん
21/10/07 14:34:13.57 0.net
春秋戦国時代の中国では、諸侯の国の間に築かれた堤防がみな、
自国に水害がおよばないようにするものだったから、洪水は
しばしば隣国に流れ込んで大災害をもたらした
そのために、治水事業の統一管理の必要が痛感されていた

553:世界@名無史さん
21/10/07 15:10:24.58 0.net
そういや中国と違ってヨーロッパの大河川で歴史上大洪水が起きたって話は聞かないな
ライン川やドナウ川の治水のために巨大な専制君主制帝国ができることはなかった
大規模灌漑農業が出来るほど土地が豊かでなかったのか

554:世界@名無史さん
21/10/07 16:14:09.12 0.net
ライン川やドナウ川の流域は、乾燥気候ではないから大規模灌漑施設は必要ない
ヨーロッパの大河川は、農業より水運による物流の面で重要

555:世界@名無史さん
21/10/07 17:08:41.83 0.net
別に中国も治水の為に大帝国が出来上がったわけじゃないと思うぞ
もちろん大河の存在は各国の主要部を貫通する黄河や漢水をまっすぐ下っていけばいい秦の中国制覇を容易にしたのは明らかだが
>>554
ドナウ川流域で大規模な灌漑の需要があるのはハンガリーだけど
神聖ローマがオスマン帝国を破った大トルコ戦争とオーストリアのドナウ帝国化で
ハンガリー開発が重視されるようになると普通に大規模な農業利用が始まるわね

556:世界@名無史さん
21/10/07 19:08:49.07 0.net
>>551
東南アジアは複雑な地形なのに、なぜヨーロッパのようになれなかったんだろう?

557:世界@名無史さん
21/10/07 19:29:24.73 0.net
「ヨーロッパのようになれなかった」とは?
東南アジアも多くの国に分かれているが?

558:世界@名無史さん
21/10/07 19:35:24.23 0.net
オーストリア・ハンガリー帝国のおかげで、ドナウ川の治水は飛躍的に進んだ

559:世界@名無史さん
21/10/07 22:11:55.62 0.net
東南アジアには多様性があったが、
ヨーロッパのように発展することはできなかったな

560:世界@名無史さん
21/10/07 23:14:46.66 0.net
降水量多過ぎて粗放農業しか出来ないし

561:世界@名無史さん
21/10/08 03:17:31.52 0.net
さすがに島嶼部は分散しすぎで強力な国家は誕生しなかったけど
インドシナ半島にはそれなりの強国が生まれ覇を競ってますね
緯度が高く寒冷な気候は発展を阻害するけど、赤道近くの高温多雨環境も難儀
春秋戦国の楚が人不足に悩んだのも東南アジアほどではないがきつい環境だったからだろう
多少乾燥してるくらいが最も開発が捗る

562:世界@名無史さん
21/10/08 04:19:46.58 0.net
今では「古い」とされる「四大河文明」史観だけど、あれは古代文明の本質を突いている
四大河文明に共通するのは、「乾燥気候の地域に大河が流れている」ということ
灌漑農業が、文明の発達を促進した

563:世界@名無史さん
21/10/08 06:59:12.89 0.net
乾燥だと川沿いに人集まって都市化するからね
人の交流が無ければ専業が生まれず技術が発展しない

564:世界@名無史さん
21/10/08 09:46:10.27 0.net
文字や戦争が無かっただけで他の地域にも人々は住み着いている
交流が多いほど技術は発展する
多様性が無ければ技術は停滞しいずれは他国の植民地となるだろう

565:世界@名無史さん
21/10/08 10:11:57.66 0.net
多様性をなくして規格統一してこそ技術は発展する

566:世界@名無史さん
21/10/08 10:22:23.01 0.net
ゲルマン人が侵入してきた西ローマ帝国は、別に技術が発展したわけではない

567:世界@名無史さん
21/10/08 12:14:10.11 0.net
その場合はゲルマン人側が文明化したと言うべきか
五胡十六国時代の華北王朝もそうだな
交易が妨げられて停滞化した
言えることは自給自足は無駄が多いということだな

568:世界@名無史さん
21/10/08 12:47:06.56 0.net
交易が妨げられて江戸時代は活性化した
言えることは自給自足は効率が良いということだな

569:世界@名無史さん
21/10/08 13:08:04.46 0.net
抑々大明帝国は海禁だからw

570:世界@名無史さん
21/10/08 13:14:44.38 0.net
>>568
農民は「百姓」と言われる通りすべての器具を自作せざるを得なかった
その労苦たるや想像を絶するで
今だと1からトラクター作らんとならんで

571:世界@名無史さん
21/10/08 13:31:22.15 0.net
現在で自給自足してるとこなら北朝鮮が参考になる

572:世界@名無史さん
21/10/08 13:59:52.80 0.net
塩とか鉄とか、どこででも不可欠だけど生産地は限られる必需品がある
大陸では、商業ネットワークが必然的に発達する

573:世界@名無史さん
21/10/08 15:48:52.75 0.net
生産地わ各地に有ったけど生産性が高い所に集約されてったんだよ
先に地域間交易が有って後から生産地の集約

574:世界@名無史さん
21/10/08 16:23:20.44 0.net
塩の産地は各国にあるが、最も重要なのはココ↓
解池(かいち、Xiechi)は、中国山西省運城市塩湖区にある塩湖である。人が浮くことができるため、「中国の死海」と呼ばれている。河東塩池とも呼ぶ。
古代中国では、この池で塩が生産され、夏王朝はここに都をおいたとされている。三国志の英雄、関羽の生まれ故郷としても知られている。
唐の時代、都の長安へ塩を送っていた塩の道には、遺跡が点在している。長安の他に、洛陽にも解池の塩が供給されていた。南風の吹く夏から秋にしか、塩の結晶が採れなかった。
封建社会では、かつて解池の塩税が国の歳入の8分の1を占め、中国国民の生存と繁殖に大きく貢献した。
URLリンク(upload.wikimedia.org)

575:世界@名無史さん
21/10/08 16:53:18.02 0.net
晩唐に成ると専業で生産する両淮の生産量が大きく成るけどね
解池の生産は地方政府が労役でやらせたりと色々中世

576:世界@名無史さん
21/10/08 17:20:30.38 0.net
解池のある山西省運城市は、古代の夏の都
戦国時代の魏の都・安邑もココ

577:世界@名無史さん
21/10/08 17:26:40.98 0.net
>>562
地域自体が自然の灌漑装置みたくなってて向いてますからね
>>575
まあ労役なり隷属民なりに頑張って生産して貰うのは古代中国以来の王道なんで…

578:世界@名無史さん
21/10/08 18:28:16.14 0.net
>>568
国内ではむっちゃ交易が盛んだった時代なんだが
北海道とか東北から多くの商品が近畿や江戸に運ばれてたんだぞ
東北の方じゃ、プランテーション並みに商品作物しか作ってないような藩が複数あったと言われてる

579:世界@名無史さん
21/10/08 18:55:51.24 0.net
春秋戦国時代には、鋳鉄技術の進歩によって鉄器がしだいに普及し、
農業と手工業が発展し、これを原動力として、経済と文化の
空前の繁栄がもたらされた
そしてすでに諸侯の封鎖的な国境を越えて、全中国的なつながりとも
いえるものがある程度生まれていた
一種のミニ・グローバル化

580:世界@名無史さん
21/10/08 21:43:16.34 0.net
商品作物(米)

581:世界@名無史さん
21/10/09 01:18:12.09 0.net
>>576
夏の都って中原でしょ
何処か忘れたけど

582:世界@名無史さん
21/10/09 01:57:07.77 0.net
項羽と劉邦のドラマ見てるけど庶民の家はまだ土と藁と木で出来てたんだな
二里頭遺跡の原始的農耕社会の名残があるそれが三国志の時代になると土臭さが薄れて綺麗な街に

583:世界@名無史さん
21/10/09 02:03:04.32 0.net
南北朝辺りでも干し煉瓦でしょ
土と凝固材を版築した

584:世界@名無史さん
21/10/09 03:17:57.52 0.net
庶民の家というか
秦や漢初の頃だと王侯の大宮殿もかなり土っぽい構造なんじゃないかな?もちろん柱と屋根は違うけど
戦国時代の遺跡からの復元図ではそういうものが多いので

585:世界@名無史さん
21/10/09 04:35:00.68 0.net
>>578
江戸時代に、東北で飢饉の被害がひどかったのはそれが原因なのかな
何か一つに特化した経済は大きな変動に対して弱い

586:世界@名無史さん
21/10/09 05:02:41.50 0.net
漢の時代なら、庶民は竪穴式住居だな
弥生時代のイメージ

587:山野野衾
21/10/09 06:28:14.44 0.net
>>584
壁画の有無でだいぶ見た目は変わりそうですね。
南北朝には寺院の壁画で著名なものが出て来ますし、宮殿にもあったと思いますが。
>>585
>東北
芋作だった土地で稲作を行わせた結果、被害が拡大した面はあったようです。

588:世界@名無史さん
21/10/09 10:17:14.14 0.net
秦漢初と南北朝比べてどうする
数世紀違うのに

589:世界@名無史さん
21/10/09 10:58:28.94 0.net
日本でも室町辺りまでまでは東北地方で竪穴式住居だったりするし
中国だって地方地方で全く違うだろう

590:世界@名無史さん
21/10/09 11:11:51.69 0.net
江戸時代の気候や農業技術で、東北地方で安定的な稲作を行うのはどだい無理
なのに石高制にこだわり米での年貢を指導したせいで、東北、特に南部藩は飢饉地獄だった。
いっそ稲作を禁止して、馬産や鉱山経営に活路を見出していればなぁ
歌舞伎座おむかいの岩手県アンテナショップは、魅力的な工芸品がいろいろあるのに。
いちおう中国史に話を戻せば、殷王朝時代はまだ「瓦」がなく、
王宮であっても茅葺だった。たとえて言うなら、田舎の庄屋様のお屋敷みたいなもん。
こんなシチュエーションで「酒池肉林」やってもサマにならん

591:世界@名無史さん
21/10/09 11:11:52.10 0.net
江戸時代の気候や農業技術で、東北地方で安定的な稲作を行うのはどだい無理
なのに石高制にこだわり米での年貢を指導したせいで、東北、特に南部藩は飢饉地獄だった。
いっそ稲作を禁止して、馬産や鉱山経営に活路を見出していればなぁ
歌舞伎座おむかいの岩手県アンテナショップは、魅力的な工芸品がいろいろあるのに。
いちおう中国史に話を戻せば、殷王朝時代はまだ「瓦」がなく、
王宮であっても茅葺だった。たとえて言うなら、田舎の庄屋様のお屋敷みたいなもん。
こんなシチュエーションで「酒池肉林」やってもサマにならん

592:世界@名無史さん
21/10/09 11:11:52.59 0.net
江戸時代の気候や農業技術で、東北地方で安定的な稲作を行うのはどだい無理
なのに石高制にこだわり米での年貢を指導したせいで、東北、特に南部藩は飢饉地獄だった。
いっそ稲作を禁止して、馬産や鉱山経営に活路を見出していればなぁ
歌舞伎座おむかいの岩手県アンテナショップは、魅力的な工芸品がいろいろあるのに。
いちおう中国史に話を戻せば、殷王朝時代はまだ「瓦」がなく、
王宮であっても茅葺だった。たとえて言うなら、田舎の庄屋様のお屋敷みたいなもん。
こんなシチュエーションで「酒池肉林」やってもサマにならん

593:世界@名無史さん
21/10/09 11:12:22.21 0.net
うわ、連続投稿すまん

594:世界@名無史さん
21/10/09 11:46:56.76 0.net
>>589
そこはちょっと遅めだが、鎌倉時代半ばまでは他の地域も竪穴式住居だし、実際の差は大きくないぞ

595:世界@名無史さん
21/10/09 11:49:26.11 0.net
>>590
年貢用に米を買って払うってとこも多いので、米で年貢を払ってても必ずしも米作してるとは限らないぞ
輪島の漆器職人たちも、町は行政上はムラ扱いされてて職人の身分は水呑み百姓なんで、米でなく漆器を作ってるのに年貢は米だしな

596:世界@名無史さん
21/10/09 11:53:18.95 0.net
確かに東北地方北部は近代でも床のない掘立柱建物建築、
地面を搗き固めてその上に藁やゴザを引いて床にしたものだな
信州の秋山郷やアイヌの住居も同様のもの。
でも少なくとも西日本や南日本や早くに竪穴式住居からは脱している。
竪穴式住居は温かくとも湿気には耐えられない。
高床式住居は通風が良くて快適

597:世界@名無史さん
21/10/09 12:02:40.01 0.net
木の板を安く大量生産するための技術が普及したのが鎌倉時代末なので、それより以前は庶民の財力では竪穴式住居が主流だった
鎌倉時代までの集落遺跡では竪穴式住居跡が多く発掘されるので、西日本でも主流が竪穴式住居のままだったことは間違いない

598:世界@名無史さん
21/10/09 12:13:17.06 0.net
>>598
確かに製材用の鋸が普及したのは鎌倉、室町期だが、それ以前も高床の建築はあったんじゃないの?
以前、川崎の日本民家園で「割った竹を組んだ上にゴザを引いた床」を見たことある。
20世紀まで石器時代さながらの生活をしていたニューギニアの民族も、高床式の「樹上住居」に住んでる


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