21/11/24 13:47:58.57 0.net
URLリンク(ncode.syosetu.com)
かつて洋右の弁舌は、閣議においても大本営政府連絡会議においても圧倒的な説得力を誇っていました。洋右が主張すれば通らぬものはありませんでした。しかし、独ソ戦が始まって松岡外交の基本構想が瓦解すると、その神通力は完全に失せました。洋右は徹底した実力主義者です。そのため、人格の涵養や人脈による影響力行使に関心がありませんでした。ここに洋右の弱点があったのです。洋右のような実力万能主義者は、成功し続けることだけが権力の源泉です。その成功が途絶えた瞬間に失脚が始まります。
「もはや松岡外相では日米交渉を進捗させることはできない」
閣内では松岡忌避工作が活発化しました。松岡外交に不満を抱く者は政府内にも統帥部にもいます。お膝元の外務省内にさえいました。これに加えて「松岡嵐」の害に遭い、鬱憤を抱え込んでいる者も多かったのです。さらにアメリカ政府までが、洋右を露骨に愚弄する口上書を発出してきました。