南極大陸の歴史at WHIS
南極大陸の歴史 - 暇つぶし2ch42:世界@名無史さん
21/01/05 20:17:56.42 0.net
アムンゼン
URLリンク(i.imgur.com)
スコット
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
スコット隊の雪上車(ちなみに改良されて第一次世界大戦では戦車という兵器となる)は最初だけで、あとは人力で高低差三千メートル以上を重い橇を引きながら進んでいった。
その根性たるや凄まじいな、流石は海軍で鍛えられただけはあるわ。
しかも年齢は43歳くらいで初老だったからな。
太平洋戦争のインパールやポートモレスビー攻略に勝るとも劣らない過酷さだっただろう。

43:世界@名無史さん
21/01/06 16:05:19.15 0.net
>>42
シャクルトン:「・・・

44:世界@名無史さん
21/01/08 21:19:32.77 0.net
シャクルトンは南極点から僅か180㎞しか離れてない場所まで到達したと言われてるけど180㎞って結構長いよね。
スコット隊にとっては最後は18㎞でも長かったのに。

45:世界@名無史さん
21/01/09 00:32:53.44 0.net
>>44
東京から180キロっていうと
前橋、宇都宮、水戸、甲府、富士あたりになるそうです
やはり遠いかな・・・

46:世界@名無史さん
21/01/09 00:39:13.00 0.net
緯度1度の幅が111キロだから緯度で2度もないって思えば

47:世界@名無史さん
21/01/09 18:45:25.03 0.net
スコット隊が使ってたルートは、以前に何回か使ったルートだからね。
道程に何があるか大体わかってたし、ベアドモア氷河につくまでは
機械力や馬、犬を使って、そこから人力での移動になったのは
全て予定通りの行動だったんだ、1㌧デボの位置が
少しだけ北寄りになった以外は。
もっとも、そのせいで極点隊が全滅したんだが。

48:世界@名無史さん
21/01/09 18:56:54.06 0.net
ちなみに、この時のシャクルトン隊が南極点手前で引き返したのは、資金不足で
十分な物資を持ち込めなかったのが理由の一つ。
この”ニムロド遠征”では国の援助が受けられず、主に
民間からの援助と借金で費用を用意したんだとか。

49:世界@名無史さん
21/01/09 21:54:09.51 0.net
南極に資源が無いと分かった途端、援助が受けられないんだからさもしいよな。

50:世界@名無史さん
21/01/09 22:34:19.69 0.net
>>45
スコット隊の記録から人力での一日の平均走行距離は20㌔だから180㌔だと往復で16日を要することになるね
氷河は登り終えてるからもう少し走行距離/日が伸びるかもしれないけど

51:世界@名無史さん
21/01/10 12:00:27.48 0.net
URLリンク(i.imgur.com)
ベルドモア氷河の頂部だがこの時点で海抜2200m
そこから先の平原が南極高原だが南極点は海抜3000mだからあと800mは登らないといけないわけだ
しかもスキーを履いて重い橇を引いてだから厳しいわな
南極高原の南極点まであと270kmの時点で8人いたスコット隊から3人が返されるわけだがこの時点でエバンスという隊員は手を負傷していたので代わりにこの隊員を連れていけば良かった、結果論だが
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
エバンスもこの時の負傷が凍傷へとつながりその凍傷が元で最初に死んでしまうのだから何とも不幸なものだ
「エヴァンズの指爪すべて剥がれて痛み壮絶」
「オーツの足は黒くなり鼻と頬は黄色くなっている」「エヴァンズの指はうみが潰れ、鼻は醜くコチコチになる」
「隊員の健康状態好転せず。特にエヴァンズは倦怠、気力全くなし」
(スコットの日記より)

52:世界@名無史さん
21/01/11 00:42:35.18 0.net
アムンセンが南極高原に登るのに通ったアクセル・ハイベルグ氷河は全長56kmとベルドモア氷河の180kmよりもずっと短い分より急斜面だった
この動画はアクセル・ハイベルグ氷河でも下流のほうで比較的傾斜は緩やかであるようだが
URLリンク(youtu.be)
この氷河をアムンセンは犬ソリを使って僅か4日で通過してしまうんだから流石だよな
もしスコットがアクセル・ハイベルグ氷河を人力で登ろうと思っても角度が急すぎて無理だったと思われる

53:世界@名無史さん
21/01/11 23:14:23.20 0.net
メインテーマ: 運と不運の科学
アムンセンとスコット
URLリンク(www.trinityinc.jp)

54:世界@名無史さん
21/01/12 15:32:51.78 0.net
アムンセンの山越えルート
URLリンク(transantarcticmountains.com)

55:世界@名無史さん
21/01/12 16:39:59.62 0.net
>>53
確かにアムンゼンの方が,
運が良かったのは事実なんだよな。
人跡未踏なルートなのに、犬ぞりが走れる程度のルートが
見つかったりさ。

56:55
21/01/12 17:26:46.85 0.net
アムンゼンの冬営地が、少なくとも
アムンゼンがいる間は流れなかった、と言うのも運が良かったし。
スコット隊の冬営地は、今でもマクマード基地に存在してて
見学ぐらいは出来る様だが、アムンゼン隊の冬営地は
数年後に存在すらわからなくなってたそうだ。
日本の昭和基地でさえ、海氷上に置いておいた雪上車が
インド洋に沈んだ、なんて話があったようですし。

57:世界@名無史さん
21/01/12 18:52:57.04 0.net
スコットの山越えルート
URLリンク(transantarcticmountains.com)

58:世界@名無史さん
21/01/12 18:58:12.01 0.net
>>56
>>53の7/26~8/26ページ

59:世界@名無史さん
21/01/13 00:10:49.32 0.net
アムンセン 「このスコットドッコイがぁー !!」

60:世界@名無史さん
21/01/13 11:06:55.30 0.net
>>57
スコット隊が南極に向かうルートを示す地形図
URLリンク(i.imgur.com)
通常氷河の河口はクレバスが多いので通過できない。
しかしビアードモア氷河の河口の北側の岬は、山の主部との間が滑らかな氷となっている狭い通路を持つマウントホープ(希望山)であり、スコット隊やそれ以前のシャクルトン隊はこの狭間を通ってビアードモア氷河に入る。
URLリンク(i.imgur.com)
12/17までにスコット隊は、ビアードモア氷河の尾根に沿って南に向かう。
尾根は雪が多くあまりクレバスされていない。
写真では下方(北側)には雲海が見える。
URLリンク(i.imgur.com)
12/20までに、スコット隊はビアードモア氷河の先頭にある、岩の露頭の最後であるマウントダーウィンに到着する。
その先に横たわっていたのは、極地の高原と不確実性であった。
URLリンク(i.imgur.com)

61:世界@名無史さん
21/01/13 11:22:30.60 0.net
黄線上部の右側の黒い岩肌(山岳塊)がバックリー山、その奥にダーウィン山。
右側の山岳地帯は南極横断山脈の一部のクイーンモード山脈の更に一部のドミニオン山脈、その右にミル氷河。
いずれもシャクルトンによって発見、命名された。
URLリンク(i.imgur.com)
※ドミニオン山脈の最高峰は2,955mのマウントミルズ

62:世界@名無史さん
21/01/13 11:23:21.94 0.net
>>61
>右側の山岳地帯は南極横断山脈の一部のクイーンモード山脈の更に一部のドミニオン山脈、その右にミル氷河。

右側の山岳地帯は南極横断山脈の一部のクイーンモード山脈の更に一部のドミニオン山脈、その左にミル氷河。

63:世界@名無史さん
21/01/14 00:58:38.92 0.net
ベアドモア氷河の幅は河口で20Kmミル氷河との合流地点で40Km
全長は200Km
琵琶湖の最大幅は22.8Km
いかに広大な氷河なのかが分かる

64:世界@名無史さん
21/01/16 23:52:33.29 0.net
南極点到達前日
「ノルウェー隊はわれわれの機先を制して極への第一人者となりたり。それはわれわれにとりてはすさまじき落胆にして、余は忠実なる僚友にたいして残念至極なり。万感こもごもいたり、論難回を重ねたり。
明日、極点に到達し、しかるのち出しうるかぎりの全速をもって帰途を急がざるべからず。いっさいの白昼夢は消尽して、帰還は辛苦そのものとなるべし」
南極点到達日
「極地。まさに然り。さりながら、あらかじめ期せしところとは大差の状況のもとに。
僚友は、こごゆる足と手を持って努力を重ね行く。エヴァンスの手の凍傷はなはだしきため、昼食にテントを張る。吹き荒るる嵐、気温もマイナス29度。しかも妙にしめっぽく、寒威はたえず骨にまで透徹し...神よ!こは恐怖の場所なり・・・」
(スコット日記)
URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)

65:世界@名無史さん
21/01/19 10:17:20.66 0.net
今日はまた寒くて北国のこちらでは外回りも吹雪の中でままならないけど
スコット隊のチェリーガラードの回想本によると南極の冬場のようなマイナス50度くらいの寒さの中でも動けば汗をかくもんなんだと
息(や鼻水もあったかな)も含めて人間の老廃物がいかに多いのか極地探検で初めて分かったと
問題はスコット隊も着ていた英国隊の極地探検用の服で服の下でその汗が凍るので足が凍傷になってしまうのだそうな
寝袋もマイナス40度くらいになるとカチカチに凍ったのを一時間くらいかけて揉み解してから寝ても全然暖かくなく寒さにガチガチ震えながら寝ていた
朝に寝袋から出られるのが嬉しかったと書いてあったな
極地探検の過酷さを思えばこの程度の寒さでどうこういってられないな
ただ吹雪いているのと積雪路面なので運転には注意しよう
以上休憩で立ち寄ったコンビニ駐車場より

66:世界@名無史さん
21/01/19 17:06:58.43 0.net
>>65
スコット隊が使ってた服ってのが、布や毛糸を何枚も重ねた様な服なんだそうだ。
通気性が悪いので、何日もそれを着てると内部に水分が溜まって
それが凍り付くんだとか。
で、その凍った衣服が溶けるのに結構なエネルギーが必要で、人体が発する熱が
その為だけに無駄に使われている事になるそうだ。
チェリー・ガラードの”世界最悪の旅”にも、
「テントから出たら、しばらくは橇引きの為の格好をしている」
みたいな事が書いてあったと記憶してるんだ。
テント内で氷が解けた服がテント外で凍る際に変な格好をしてると、その格好で
その日1日変な格好で橇を曳かなくちゃならなくなった、とか
書いてあったと記憶してる。

67:世界@名無史さん
21/01/19 23:55:28.90 0.net
うん、ウィルソンを中心にガラードとバワーズの三人で皇帝ペンギンの卵を取りに行った最悪の旅ー冬の遠征のまさに「凍る服」の章の前後にそう書かれていたね
しかしシャクルトンのニムロド遠征の時の衣服も同じに見えるけど
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
この時の遠征ではそのような欠陥は現れなかったのかな?
また、その時から何の改良も施されていなかったよだろうか?

68:世界@名無史さん
21/01/20 17:36:15.62 0.net
>>67
どうなんだろうね。
英国人は保守的だから、あえて新しい装具を使おうとは思わなかったとか。
あるいは、ニムロド遠征のデータを生かせるほど
時間が無かったとか。
もしかしたら、シャクルトンの成果をスコットが評価したくなかったとか
(シャクルトンとスコットは、意外と中が悪かった様子)。
意外と知られてないのが、極地で最高な服装ってのが
イヌイットの伝統的な服装だったりする事なんだ。
作れる人が減ったのが問題なんだが。
アザラシの皮をなめして作るんだが、そのなめし方が
非常に原始的で、固くなった皮を噛んで柔らかくするという・・・
そういえば、アムンセン隊が着てた防寒服ってのが、ノルウェーの
先住民が着てた毛皮の服だと言う話だ。
その他の隊員が着てた防寒服も、ウールの毛布を防寒服に仕立て直した物だったとか。
(アムンセンの本に書いてあったんだ、海軍払い下げの毛布を染め直して防寒服にしたとか)

69:世界@名無史さん
21/01/20 23:03:53.88 0.net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
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URLリンク(i.imgur.com)
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70:世界@名無史さん
21/01/20 23:09:31.69 0.net
イギリス隊の防寒着について
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
結局この時にイギリス隊が持ち込んだ最先端の技術は、テストでは上手く行ってても想像を絶する過酷な環境にある南極では悉く上手くいかなかった…

71:世界@名無史さん
21/01/20 23:13:09.54 0.net
アムンセンの方は、南極に来る前には北極を探検しながら、現地でイヌイットの娘と結婚してイヌイットの生活習慣や移動方法を身につけるなど、北極探検のスペシャリストとして名を馳せていた。

72:世界@名無史さん
21/01/21 01:15:42.26 0.net
 白瀬矗は1月28日の日記にこう記しています。
「南緯80度05分、西経156度37分に至るや、一歩も進むあたわず。進まんか、死するのみ。否、死は兼ねて期せるところ。敢え(あ)て恐れざれども使命は死より重し。死して命(めい)を果たすを得ず。我は泣いて使命のために、この上の行進を中止する」
 そして全員死亡した場合のことを考え
「死は努力の終局ではあるが、責任の終局ではない。日本南極探検隊が極点に至らずして南極大陸のどこかで死んだと伝えられたらならば、世界はいかに我々を見るであろう。恐らく国家的恥辱となるに相違ない」
と述べ、国際的に日本の国自体が非難されることを心配しています。白瀬の、この探検を無にしないという強い責任感の表れであろうと思います。
 帰りは急ぎに急ぎました。往路の8日間をわずか3日間で基地に戻っています。南極の282kmを3日間で走り抜いた犬ゾリは今だかつてありません。
それは食料が底を突き、残るはわずかのビスケットだけだったからです。そのビスケットさえもアイヌ隊員山辺(やまのべ)は犬たちに分け与えています。
 2月2日、鯨湾に白瀬たちを迎えにきた開南丸はボートを降ろしますが、南極特有のブリザードと、目まぐるしく変化する流氷に阻まれて接岸に難航します。隊員を収容するのが精いっぱいでした。
 そして犠牲になったのが20頭のカラフト犬です。
 「氷の上で悲しい声で鳴きながら船を追いかけて来る犬たちを見て泣かない者はなかった」と犬係りの花守は述べています。まさに後ろ髪を引かれる思いだったに違いありません。
URLリンク(shirasenobu.com)

73:世界@名無史さん
21/01/21 01:22:15.13 0.net
>>72 続き
大和雪原からの帰路での樺太犬も非常に優秀だね。
URLリンク(www.ndl.go.jp)
このサイトによると白瀬隊の大和雪原までの探検隊員は5名、スキーを履いて犬ぞりに牽引されていたアムンセン隊とは違って白瀬隊は皆スキーの経験はなかったはずだから、この5名も橇に乗って犬に運ばれたことになる。
他の積荷の量は知らないが(白瀬は南極入りした時点で南極点到達は諦めていたので、人以外の積荷の総重量はアムンセン隊よりは軽かったと思われるが、橇の数が分からないので一台当たりの重量の比較は今はできない)、
それにしても一日で90キロ以上というのは無理をしたからとは言え、アムンセン隊の犬ぞりの一日55キロよりも相当に速い。
しかし、南極を離れる時に海が大荒れとなったことでこの樺太犬を6頭しか開南丸に収容できなかった。
帰国後、参加していた樺太出身のアイヌの隊員2人(山辺安之助と花守信吉)は犬を大事にするアイヌの掟を破ったとして、帰郷後に民族裁判にかけられて有罪を宣告されたと伝えられる。
他にも開南丸での帰国途中の仲間割れから帰国後の借金地獄など、南極から離れた後の白瀬には苦労が絶えなかった。
その中で来日したアムンセンとの対談で、借金苦の白瀬は粗末な身なりながらも、白瀬と開南丸をリスペクトしていたアムンセンとお互い涙を流して手を取り合ったというエピソードにはほっこりしせられる。
アムンセンはその一年後に事故死してしまうのだが。。

74:世界@名無史さん
21/01/21 09:51:42.19 0.net
「いとしいきみよ、どうか取り乱さないでくれ」。死を覚悟した探検家が、妻と息子に残した手紙
URLリンク(tabi-labo.com)

75:世界@名無史さん
21/01/21 16:34:14.93 0.net
>>70
燃料缶の破損については、アムンセン隊も悩まされてた様子。
アムンセンの手記には、隊員がはんだごてを使って
燃料缶を修理してる事が書かれている。
英国隊が使ってた燃料缶ってのが、我々が知ってるエンジンオイル缶みたいな物だった様子。
アムンセン隊が使ってた燃料缶は知らないけど。

76:世界@名無史さん
21/01/21 18:52:52.26 0.net
>>75
>英国隊が使ってた燃料缶ってのが、我々が知ってるエンジンオイル缶みたいな物だった様子。
革製のワッシャーが寒さで破損してそこから燃料が揮発していったみたいだね

77:世界@名無史さん
21/01/22 17:00:53.44 0.net
>>76
”世界最悪の旅”に書いてあったんだけど、スコット隊のデボに問題があった様子。
スコット隊のデボは、雪の下に食料などを置いて、その上に燃料缶を置いて、
その上にケルンを積んでた様なんだ。
で、南極でも天気がいい時はあるんで、そのせいでケルンが溶けて
その下にあった燃料缶が熱せられて中身が漏れ出し、燃料缶の下にあった
食料が燃料で汚染されて食えなくなった、なんて事があった様子。

78:世界@名無史さん
21/01/22 17:47:53.56 0.net
ケルンて何?

79:世界@名無史さん
21/01/22 20:15:28.66 0.net
ケルンとは、石や雪などで作った塔の様な物。
で、良いんだよな?

80:世界@名無史さん
21/01/23 06:05:01.64 0.net
燃料を下に置いておけばよかったのに

81:世界@名無史さん
21/01/23 12:42:23.60 0.net
>>77
この辺りだね
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
ページ真ん中辺りが真っ黒で読めないのは失礼

82:世界@名無史さん
21/01/26 20:39:14.78 0.net
ガラードもスコットも一日の中で暖かい飲み物を飲むとようやく寒さから解放される、体に熱が入る、みたいなことを回想録や日記に書いてるな。
南極とは気温に於いても耐えてる時間に於いても寒さのスケールでは比較にならないほど緩い日本の冬だが、それでも冬場に冷たいものは極力飲まない方が体には良いのだろうと改めておもし知らされる。
スコットは最後の方は燃料不足から暖かい飲食物が取れなくなってこれも全滅の一因とされてる。

83:世界@名無史さん
21/01/27 16:28:02.39 0.net
>>82
植村直己氏の本に書いてあったけど、その日の行動を終えてテントを立てて、それから
最初にストーブへ火を点けるんだってね。
植村さんは灯油ストーブを使ってたからプレヒートも大変で、
「寒いな~、寒いな~」
とか言いながら、通常1回で済むプレヒートを2回やって
なんとか火がついたストーブで、一番最初にお湯を沸かして
紅茶を入れたんだそうだ。
で、大量に砂糖を入れた紅茶を飲んで、やっと体が暖まったとかいう話。
行動中に凍った肉を食うと体が温まる、とかも書いてあったけど、
凍った肉を食うと体がが冷えそうで中々食えなかった、とかも書いてあったな。
両方とも、犬ぞりで北極を冒険してた時の話だけど。

84:世界@名無史さん
21/01/28 09:27:33.61 0.net
100名の最も偉大な英国人
『100名の最も偉大な英国人』(英語: 100 Greatest Britons)は、BBCが2002年に放送したテレビ番組。イギリス大衆の投票によって、歴史上最も偉大な英国人を決め、その結果を放送した。選出されたのは以下の100名である。
1. ウィンストン・チャーチル
2. イザムバード・キングダム・ブルネル

11. アーネスト・シャクルトン
12. ジェームズ・クック
16. マーガレット・サッチャー
18. ヴィクトリア (イギリス女王)
19. ポール・マッカートニー
54.ロバート・ファルコン・スコット

URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
シャクルトンさん尊敬されてるなあ

85:世界@名無史さん
21/01/28 17:31:46.98 0.net
俺はピートベストやな

86:世界@名無史さん
21/01/29 11:01:01.23 0.net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

87:世界@名無史さん
21/01/29 11:13:06.71 0.net
スコットが最初の南極遠征で連れて行った犬は赤道付近で腐ったイワシを食べたせいで南極上陸の時点で既に衰弱していたから

88:世界@名無史さん
21/01/29 23:40:01.83 0.net
スコットも犬ぞりの方が人力よりも早く行進できることは最初の遠征の体験から知っていたよ。
ただ犬についてはアムンゼンほど非常に徹することができなかった。
犬を犠牲にして後で後悔の念に駆られるよりは人力で行けるなら人力で行った方が方が良いという考えだった。
馬を射殺するときも馬について同情しているし動物愛護の精神が強かったようだ。
多分『ディスカバリーの航海』に書かれた犬ぞりに対してのスコットの見解
URLリンク(s.kota2.net)
URLリンク(s.kota2.net)
(18)「つらいことだった。しかしやむを得なかった」とアムンセンは自著に書いている)
南極点への探検出発直前に妻に充てた手紙
URLリンク(s.kota2.net)

89:世界@名無史さん
21/01/29 23:54:51.24 0.net
スコット隊 南極点到達日のウィルトンの日記
「いずれれにせよ、極点先着を主張する権利が彼(アムンセン)にあることは、我々は一致して認めた。
彼が競争をしていたという限りでは、彼は我々に勝った。
ただ、我々としては自分たちが目指したことを計画した通り成し遂げたことに変わりはない」
2月7日 上氷河補給所に辿り着き南極高原の旅が終わった日のスコットの日記
「ここに記した諸々の事実が、両探検隊とも極点へ達したことの絶対の証拠となり、
そして初到達の問題を疑問の余地なく明確にしていて、それを記録できるのは満足なことだ」
自分たちの旅が無駄ではなかったことを自分に納得させているようだ。
北極点初到達をめぐるクックとピアリーの問題がこのときスコットの頭にあったのだと思われる。
(いずれも「南極のスコット」より)

90:世界@名無史さん
21/01/30 06:21:06.99 0.net
>>84
シャクルトンはイケメンなのもでかいかなw

91:世界@名無史さん
21/01/31 00:04:03.85 0.net
Wikipediaにあるベアドモア氷河の写真だが
URLリンク(i.imgur.com)
航空写真で見るとこんな地形はないんだよな
URLリンク(i.imgur.com)
Wikipediaのは別な谷氷河の写真じゃないかな?
幅も狭いし

ベアドモア氷河
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

92:世界@名無史さん
21/01/31 00:28:41.51 0.net
すでに16世紀の地図には巨大なテラ・アウストラリスが描かれている

93:世界@名無史さん
21/01/31 08:34:20.01 0.net
それくらい大陸がデカかったら、中心部の気温、マイナス100℃くらいになってたかもな

94:世界@名無史さん
21/01/31 09:52:09.37 0.net
ゲラルドゥス・メルカトルの世界地図
製作時期 1569年
URLリンク(i.imgur.com)

95:世界@名無史さん
21/01/31 09:53:29.22 0.net
メルカトルの地図には北極にも大陸があるね
ナンセンの探検でないことが証明されたけど

96:世界@名無史さん
21/01/31 12:35:32.13 0.net
ディスカバリー遠征
2年目
西行き隊は、遠征隊の地質学者ハートリー・フェラーに因んで名付けた大きなフェラー氷河を昇って、標高7,000フィート (2,100 m) まで達したところで、吹雪のために1週間閉じこめられた。
このために氷河の頂点に達したのは11月13日になっていた[66]。
続いてアーミテージが進んだ最遠点を過ぎ、極点台地を発見し、そこまで進んだ最初の隊になった。
(略)
隊は12月24日にディスカバリーに戻ってきた。
59日間で700マイル (1,100 km) を回ってきたことになった。
この人が橇を曳く旅で1日あたり14マイル (22 km) 進んでおり、前年の南行きで犬を使ったときよりもかなり良い成績だった。
このことでスコットの犬に対する偏見を増させることにもなった[65]。
極地の歴史家デイビッド・クレーンはこの西行き旅を「極地の歴史で最大級に偉大な旅」と呼んだ[68]。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
確かに最初の遠征では犬ぞりよりも人力の方が速度が出せてた。

97:世界@名無史さん
21/01/31 13:04:26.01 0.net
”テラ・オーストラリス”に関しては、
「世界地図を作ってみたら、北半球は陸ばかりで
 南半球は海しか無いのはバランス悪くね?」
と言う事で陸を付け加えた、と言う話を聞いた事がある。

98:世界@名無史さん
21/01/31 14:51:26.26 0.net
南極の歴史
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
メガラニカ(テラ・アウストラリス)
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)

99:世界@名無史さん
21/01/31 16:19:52.67 0.net
北極は年間を通じて溶けないぶ厚い冠氷に覆われているから
むかしの探検家にとっては大陸があるのと同じことだったろう。
いまは地球温暖化であやしくなってきたが。

100:世界@名無史さん
21/01/31 22:19:48.56 0.net
そもそもよく分からんしね
グリーンランド北部やアラスカ北部とか行った人ほとんどいなかったろうし
いったとしても氷ばかりでよく分からなかったとしても無理はない
南極大陸が最初はどういうものだったかわからないのと一緒

101:世界@名無史さん
21/01/31 23:36:18.22 0.net
遅々として進まぬフラム号から降りて犬ぞりで北極点目指したナンセンとヨハンセン(のちにアムンセンの南極遠征にも参加)だったが、北を向いて一生懸命にそりを走らせてもそりが乗ってる棚氷が南に流れてしまうのでついには諦めてしまった。
それでも北緯86度までは到達し北極点の周りには巨大な陸地はないことがほぼ証明された。

102:世界@名無史さん
21/02/01 01:51:12.78 0.net
ギリシャ時代は世界の東端はベンガル湾だと思われておりアレクサンドロス大王はその世界の果てに向かって進軍した。
しかし、インダス河を渡りインドの象兵隊相手に苦戦はしたが完勝しインダス河流域を征服しているうちに、配下の兵士たちの間に世界の果ては滝のようになっていて飲み込まれて死ぬという噂が広まり、またその兵士が望郷の念に駆られたこともあり、アレクサンドロスの世界の果てまで進軍するという夢は潰えたのであった。
無敗のアレクサンドロスも兵卒の反対には敵わず夢を諦めて帰路につくことになった。

103:世界@名無史さん
21/02/01 09:34:51.59 0.net
 3月16日・金曜、あるいは17日・土曜。日付が分からなくなったが、あとのが正しいと思う。
 いたるところ悲劇だ。一昨日の昼食の時、かわいそうにタイタス・オーツがもう歩けないと言ってきた。
寝袋に入ったまま置き去りにしてほしいと言うのだ。それはできない相談で、我々は午後の行進もついてくるように勧めた。
彼にとっては大変だったろうが頑張り続け、我々は数マイル進んだ。夜、彼は一段と悪化し、我々もいよいよ最後だと悟った。
 この日記が発見される場合を考え、次の事実を記録しておきたい。オーツの最後の思いは母堂の上にあった。しかしその直前までは自分が自若として死を迎えた様子に自分の連隊は満足するだろうと誇らしく考えていた。
 我々は彼の勇敢を証言することができる。彼は極度の苦痛を一言の弱音も履かずに数週間に渡って耐えてきた。そして最後の際(きわ)までほかの話題を談じ合う余裕を持ち、また進んでそれをしていた。
彼は本当に最後まで諦めたかった―諦めようとしなかった。勇者であった。
 彼の最後は次のようであった。一昨日、もう目が覚めないよう願いながら彼は一晩眠った(※)。しかし朝になると目が覚めた―昨日の朝である。
ブリザードになっていた。『ちょっと外へ行ってくる。しばらくかかるかもしれない』そう言って彼はブリザードの中へ出ていった。それきり我々は彼の姿を見なくなる。
 オーツが死を求めて外へ出ようとしているのは我々には分かった。そして彼を思い留まらせようとしながらも、彼の行為が勇者の、そしてイギリス紳士の行為であることを承知していた。
残る我々も同じ気概を持って最期に臨みたいと思っており、その最期も決して遠くはない。
(スコットの日記)
※シーバーは、苦しみが限度に達してオーツはアヘンを飲んだと解している。
(3月11日、スコットは科学者であり医師であるウィルソンに命じて、各人に「苦しみを終わらせる」ものを配給させた。ウィルソン以外の3人はアヘンを30錠もらい、ウィルソンは残ったモルヒネを取った。「我々の物語の悲しい一面だ」とスコットは書いている)

104:世界@名無史さん
21/02/01 11:39:55.06 0.net
>>100
確かに、北極海といっても一面真っ白で
海氷なのか氷山なのか、陸地なのかって悪条件の元で確かめるのは
昔の人にとっては困難極まっただろうな

105:世界@名無史さん
21/02/02 23:23:18.26 0.net
We left our depôt today with nine days’ provisions,
so that it ought to be a certain thing now,
and the only appalling possibility the sight of the Norwegian flag forestalling ours.
私たちは今日9日間の準備をして私たちのデポ出発しました。
そのため、それ(極点到達)は今や確実のことであり、
私たちの機先を制したノルウェーの旗を目にすることが唯一恐ろしくもありうることです。
(スコット 1月15日の日記より抜粋)
翌日にノルウェー隊の痕跡を発見しその「唯一の恐ろしくもありうること」が現実となることを悟る。
翌々日極点到達。

106:世界@名無史さん
21/02/03 10:36:33.24 0.net
北極点の方もピアリーとクックの北極点到達がともに捏造だったら初到達はアムンセンたちの飛行船による北極点通過になるな

107:世界@名無史さん
21/02/03 11:42:34.00 0.net
航空機による空からの通過と陸地からの到達はまた別だと思う

108:世界@名無史さん
21/02/03 16:15:10.52 0.net
北極点って難しいんだよな、地形的に固定された点が存在する訳じゃないし。

109:世界@名無史さん
21/02/03 18:40:06.33 0.net
南極点もアムンセンが極点に旗を立ててからスコットが来るまでに一ヶ月以上時間が空いたので、旗は南極点の真上から少しズレていたかもね。
南極高原も巨大な氷河なので動いているから。
ただ、スコット隊はアムンセン隊が南極点を正しく測量して見極めたのを認めているけど。
南極点の氷床は年間10m動いているので、アムンセンからスコットの間には1mくらい動いていたと思われる。

110:世界@名無史さん
21/02/03 18:52:23.49 0.net


111:世界@名無史さん
21/02/03 20:03:06.26 0.net
URLリンク(i.imgur.com)

112:世界@名無史さん
21/02/03 23:49:26.39 0.net
シャクルトンのニムロデ遠征でシャクルトンに同行した3人の中の一人、ワイルドがベアドモア氷河の山中で石炭を発見する。
つづくスコットのテラノバ遠征でも帰路の上氷河デポ付近での地質調査で化石植物をともなう風化した石炭の塊りなど、かつて温暖な気候であった証拠が見つかり橇に乗せた。
これがスコット隊の死後橇の中から発見され、大陸移動説の証明する根拠の一つとなった。
スコット自身は海軍軍人であるが、イギリスの軍隊では海軍の方が陸軍よりもエリート層で占められ、スコットはそのエリートが集まる海軍の中でもエリートであり自然科学への教養は当然にあった。
しかし、スコット個人の資質や第一の友人の科学者のウィルソンの影響により自然科学への興味は他の軍人と比べても並々ならぬものがあり、南極での科学的探究への理解も深かった。
スコット隊長が、妻に残した手紙の遺言のひとつが、「(息子ピーターが)自然史に興味を持つように育ててやって欲しい」。その希望かない、ピーター・スコットは、後に、著名な自然保護活動家となり、世界自然保護基金(WWF)の創始者のひとりでもある。
当基金の、お馴染みのパンダちゃんのロゴは、彼のデザインによるもの。
他にも、テレビの自然番組のプレゼンターも行うなど大活躍。ナイト(サー)の称号も授与されている。

113:世界@名無史さん
21/02/03 23:51:12.82 0.net
これがスコット隊の死後橇の中から発見され、大陸移動説の証明する根拠の一つとなった。
→これがスコット隊の死後橇の中から発見され、大陸移動説を証明する根拠の一つとなった。

114:世界@名無史さん
21/02/04 00:09:36.91 0.net
URLリンク(i.imgur.com)
1961年の最初のロゴがピータースコットのデザインかな
URLリンク(www.wwf.or.jp)

115:世界@名無史さん
21/02/04 01:41:12.67 0.net
昔から疑問だったのだが磁極の真上に来たら方位磁石は下を向くのだろうか?

116:世界@名無史さん
21/02/04 09:36:46.49 0.net
「南極」は、北極より寒い?宇宙より遠い?~白い大陸が、“現代”の私たちに教えてくれること。
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

117:世界@名無史さん
21/02/04 11:26:51.94 0.net
アムンセンとスコット、偶然と必然
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

118:世界@名無史さん
21/02/04 16:04:37.16 0.net
end had come. Should this be found I want these facts recorded.
Oates’ last thoughts were of his Mother, but immediately before he took pride in thinking that his regiment would be pleased with the bold way in which he met his death.
We can testify to his bravery. He has borne intense suffering for weeks without complaint, and to the very last was able and willing to discuss outside subjects.
He did not - would not - give up hope to the very end. He was a brave soul.
This was the end. He slept through the night before last, hoping not to wake; but he woke in the morning – yesterday.
It was blowing a blizzard. He said, ‘I am just going outside and may be some time.’ He went out into the blizzard and we have not seen him since.
I take this opportunity of saying that we have stuck to our sick companions to the last.
In case of Edgar Evans, when absolutely out of food and he lay insensible, the safety of the remainder seemed to demand his abandonment, but Providence mercifully removed him at this critical moment. He died a natural death,and we did not leave him till two hours after his death.
We knew that poor Oates was walking to his death, but though we tried to dissuade him, we knew it was the act of a brave man and an English gentleman.
We all hope to meet the end with a similar spirit, and assuredly the end is -40° at midday.
My companions are unendingly cheerful, but we are all on the verge of serious frostbites, and though we constantly talk of fetching through I don't think any one of us believes it in his heart.

119:世界@名無史さん
21/02/04 16:05:17.00 0.net
>>118
(オーツの)終わりが来ていた。これが見つかった場合は、これらの事実を記録してください。
オーツの最後の考えは母親のことでしたが、直前に、彼は、彼の連隊が彼が死を迎えた大胆な方法に満足するだろうという考えに自尊心を抱きました。。
私たちは彼の勇敢さを証言することができます。彼は何週間も文句なしに激しい苦しみを負い、本当に最後まで余談について話し合うことができ、喜んで話しました。
彼は最後まで希望をあきらめませんでした。彼は勇敢な魂でした。
これで終わりです。彼は目を覚まさないことを望んで、一晩中眠りました。しかし、彼は昨日の朝、目が覚めました。
吹雪が吹いていました。彼は、「私は外に出て、しばらく時間がかかるかもしれません」と言いました。彼は吹雪の中に入って以来、私たちは彼に会っていません。
私はこの機会に、私たちは最後まで私たちの病気の仲間を支持してきた(大事にしてきた)と言います。
エドガー・エバンスの場合、食物を完全に切らしていて、かつ彼は感覚を失い横になっていて、残りの隊員の安全は彼の放棄を要求するようでしたが、プロビデンス(神の意志・摂理)はこの危機的瞬間に彼を慈悲深く連れ去りました。彼(エバンス)は自然死しました、そして、我々は彼の死の2時間後まで、彼のもとを去りませんでした。
私たちは可愛そうなオーツが彼の死に歩いているということを知っていました、しかし、彼を思いとどまらせようとしたけれども、私たちはそれが勇敢な漢そして英国の紳士の行為であるということを知っていました。
私たちは皆、同様の精神で終わりに会いたいと思っています、そして、疑いなく、終わりは遠くありません。
私は、昼食時のみ、そして時折のみ書くことができるだけです。正午の-40°、寒さは激しいです。
私の仲間は果てしなく元気が良いです、しかし私たち全員は重い凍傷の寸前です、そして私たちは絶えず魅力的な話をしていますが、私は私たちの誰も彼の心の中でそれを信じていないと思います。
(スコットの日記より抜粋)

120:世界@名無史さん
21/02/05 00:46:31.45 0.net
>>115
真下を向くと思われる。
ちなみにスコットは>>96のフェラー氷河から南極高原に入ってスコット、ラッシリー、エドガ・エバンスの3人で高原を探検しているうちに史上初めて南磁極の南を通り、磁石の針が南北逆になるのを経験したそうな。
南磁極
スコットが探検した時は南緯70度よりも南にあったが、その後どんどん北進して今は海上にある。
URLリンク(i.imgur.com)
フェラー氷河
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

121:世界@名無史さん
21/02/05 12:38:07.58 0.net
明暗を分けた運命の決断
スコット極点隊
全滅へのカウントダウン
URLリンク(www.japanjournals.com)
このサイトはよく纏めてあるいいサイトだが
> 1月24日。2週間前に食糧と燃料を設置した1度半デポまで辿り着いた。そこで一行は異変に気づいた。
> 「燃料が減っている」
> 燃料を入れたブリキ缶を密閉させるために本国で開発された革の止め具が零下30℃という気温に締め上げられて破損し、中の燃料が揮発しているのである。
ここは違うな。
燃料が減っていたのは氷河を降りてバリアに入ってからのデポだったはず。
>スコットがバワーズにスキーを置いていくよう命じた12月31日、ソリの修理をしていたエバンスは、誤って手にケガを負っていた。
>大ケガではなかったが、極地ではこれが命取りになることがある。
>しかしスコットはこれを軽視した。”エバンスは並外れた体力の持ち主“という固定観念が、用心深いはずのスコットの思考を停止させていた。
>エバンスの傷口が凍傷という実にやっかいな敵の餌食となるのに、そう時間はかからなかった。
ここも違う。軽視したのではなく極点到達メンバーに選ばれたかったエバンズが怪我したことを隠していた。
まっ、サイトではそのすぐ後に
>エバンスは一刻も早く、自分が凍傷に侵されていることをスコットに告げるべきであった。ところがエバンスはこれをしなかった。いや、できなかったのであろう。
とエバンス側からの申告がなかったことは書かれてるけどね。

122:世界@名無史さん
21/02/05 15:12:52.32 0.net
Tuesday, January 16. – Camp 68. Height 9760. T. -23.5°.
The worst has happened, or nearly the worst.
We marched well in the morning and covered 7½ miles.
Noon sight showed us in Lat. 89° 42' S., and we started off in high spirits in the afternoon, feeling that tomorrow would see us at our destination.
About the second hour of the march Bowers’sharp eyes detected what he thought was a cairn; he was uneasy about it, but argued that it must be a sastrugus.
Half an hour later he detected a black speck ahead. Soon we knew that this could not be a natural snow feature.
We marched on, found that it was a black flag tied to a sledge bearer; near by the remains of a camp; sledge tracks and ski tracks going and coming and the clear trace of dogs’ paws - many dogs.This told us the whole story.
The Norwegians have forestalled us and are first at the Pole. It is a terrible disappointment, and I am very sorry for my loyal companions.
Many thoughts come and much discussion have we had.
Tomorrow we must march on to the Pole and then hasten home with all the speed we can compass.
All the day dreams must go; it will be a wearisome return.
1月16日火曜日–キャンプ68。高さ9760。T.-23.5°。
最悪の事態、あるいは最悪に近い事態が発生しました。
私たちは朝、順調に行進し7½マイルを進みました。
正午の光景は視太陽時で私たちに示しました。南緯89度42分、そして午後は元気に出発し、明日は目的地に到着するだろうと感じました。
行進の約2時間後、バウアーズの鋭い目は彼がケアン(雪塚)だと思ったものを見つけました。彼はそれについて不安でしたが、それはサスツルギであるに違いないと主張しました。
30分後、彼は前方に黒く小さな点を見つけました。まもなく私たちは、これが自然の雪の特徴ではないことがわかりました。
私たちは行進し、それがそりの支えるもの結び付けられた黒い旗であることがわかりました。キャンプの跡地の近く。そりのわだちとスキーのわだちが行き来し、犬の足の明確な足跡-多くの犬。これは全ての話を私たちに語りました。
ノルウェー人は私たちの機先を制しており、最初に極点にいます。それはひどい失望であり、私の忠実な仲間に非常に申し訳ありません。
多くの考えがあり、多くの議論がありました。
明日は極点に向かって行進し、私たちの限界を出せるすべての速度(全速)で家(小屋)に急いで帰らなければなりません。
白昼夢は消え去らなければなりません。疲れる帰路になるでしょう。
(スコットの日記)

123:世界@名無史さん
21/02/05 15:15:11.67 0.net
>>122 自己レス
それがそりの支えるもの結び付けられた黒い旗であることがわかりました。

それがそりの支えるものに結び付けられた黒い旗であることがわかりました。

124:世界@名無史さん
21/02/06 01:01:06.54 0.net
しかし雪が3000メートルも積もってるのが凄いよなぁ
雪というか氷だが
さらによくあんなところに都合良く大陸があるもんだなぁ

125:世界@名無史さん
21/02/06 10:10:32.90 0.net
南極海(南氷洋)もこんなに氷だらけなのによくクックは当時の木造帆船で南緯71度まで到達したよ
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
ただしクックのレボリューション号462tよりも日本の木造帆船開南丸の方が200t前後と小さいけどね
だからこそ極地探検に出かけたアムンセンを待つフラム号のノルウェー隊はクジラ湾に入って開南丸を見て「こんな小さな船でよく日本から来たなあ」と驚き感心したという話
この時の開南丸とフラム号の交流で白瀬はノルウェー隊から話を聞いてアムンセンが南極点に到達するだろうからと南極点初到達の夢は捨てて南極では別な仕事をしようと決めノルウェー隊からもエールを贈られたというほっこりするエピソードがある
その数日後にアムンセンはフラム号に帰ってきた

126:世界@名無史さん
21/02/06 10:11:15.07 0.net
クジラ湾に入ってきた開南丸を見て、の間違いだった

127:世界@名無史さん
21/02/06 10:16:16.14 0.net
白瀬矗の生涯と南極探検
URLリンク(shirasenobu.com)
■南極へ上陸
 明治45年1月12日開南丸は鯨湾に到達し、16日にアムンセンの帰還を待つ「フラム号」に遭遇しております。
 アムンセンは前年の12月14日、人類初の極点到達に成功し、帰途に就いていました。
 17日に野村船長と三宅隊員が「フラム号」を表敬訪問。この日スコット隊(5人)が極点に到達しますが、極点にはノルウェーの国旗が翻っていました。
スコット隊にとって失意と落胆の極点到達でした。そして帰路全員が遭難死するという最悪の旅となったのです。
 フラム号を訪問した野村船長と三宅幸彦隊員は堅牢な船体、整った設備を見てびっくりして帰ってきます。
 翌18日、「フラム号」のニールセン船長と士官が答礼に「開南丸」を訪れますが、あまりにも小さく貧弱なのに驚いています。
一方は「フラム号」の優秀さに驚き、一方は「開南丸」の貧弱さに驚くという皮肉な双方の訪問でありました。
 そしてニールセン船長は「こんな小さな船で、よくここまでやってこられたものだ、自分たちは南極どころか途中までさえおぼつかなかったろう」と開南丸の勇気と優れた航海術に賞賛の言葉を送っています。
(以下略)
■ アムンセンとの会見
 昭和2年6月、報知新聞社の招きでアムンセンが来日し、白瀬と会見しますが、貧困のどん底の白瀬は、洗いざらしの浴衣(ゆかた)にその日やっと手に入れた夏羽織の姿だったといいます。
正に「赤貧洗うが如し」でありました。
 アムンセンは「おお開南丸 開南丸」と手を差しのべましたが、白瀬の目にはうっすらと涙が浮かんでいました。
 当時の心境を
「恵まれぬ 我が日の本の探検家、パンを求めて処々転々」
と白瀬は詠んでいます。
(以下略)

128:世界@名無史さん
21/02/06 10:45:18.41 0.net
>>125
クックのレゾリューション号だった(笑)
レゾリューション (帆船)
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)(%E5%B8%86%E8%88%B9)

129:世界@名無史さん
21/02/07 15:45:56.16 0.net
  
53年前に南極でなくした財布、基地の解体工事で発見 持ち主(91)の元に返る
スレリンク(news板)
   

130:世界@名無史さん
21/02/08 09:53:28.40 0.net
>>106
月面着陸も捏造説ってないか?

131:世界@名無史さん
21/02/08 11:13:01.46 0.net
>>130
西宮神社じゃないんだから、最初に誰が到達したかなんてどうでもええやん。

132:世界@名無史さん
21/02/08 11:57:24.25 0.net
>>130
昔この人がアポロ捏造説を主張してたな
副島隆彦77 gooの検索ランキングで“1位”を獲得
スレリンク(eco板)

133:世界@名無史さん
21/02/08 12:35:22.29 0.net
チェリー・ガラードってイケメンだけど
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
下の写真は鼻が凍傷になってるかな?
チェリー=ガラードはディミトリと犬の2つのチームと共に、2月26日にハットポイントを出発し、1トン・デポには3月4日に到着し、追加分の食料を置いた。
スコットはそこにいなかった。
物資は自分たちの犬達のために24日分であり、ハットポイントに戻る前に8日間待った。
待つ代わりに南に移動するという選択肢もあったが、補給所に犬の餌がないので、連れて行けば犬を殺すことを意味していた。
そうすれば、アトキンソンの「犬にリスクを冒させない」という命令に違背することになった。
チェリー=ガラードはスコットを待つことにした。
3月10日、天候が悪くなる中で、チェリー=ガラードの物資も少なくなっていたが、スコット隊が僅か70マイル (110 km) 足らず先で奮闘していたことを知る由もなく、基地に戻ることにした[120]。
アトキンソンは最初はライトに仕事を頼んだが、後に、「私は遠征隊の他の士官がそれ以上できなかったことに満足している」[121]と記した。
チェリー=ガラードはその後の人生で、違う行動を取っていれば南極点行隊を救えたかもしれないと考えて悩んだ。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
この時の「違う行動を取っていればスコット隊長達を助けられたかもしれない」という自責の念から南極から帰国してまもなく鬱病(PTSDによるものと推測される)になってしまったみたいだね。
彼の心理状態は決して治りませんでしたが、彼は苦痛のために何年も寝たきりで過ごしましたが、探検家は彼の経験を書き留めることによってある程度自分自身を治療することができました。
彼は極寒によって歯が損傷したため、繰り返し歯科治療を必要としました。
彼は何度も、南極点チームを救った可能性のある代替の選択肢と行動についての質問を再検討しました。
特に、1922年の著書「世界で最悪の旅」で。
URLリンク(en.m.wikipedia.org)

134:世界@名無史さん
21/02/08 12:48:12.00 0.net
1922年、友人のジョージバーナードショーに勇気づけられて、チェリーギャラードは世界最悪の旅を書きました。
80年以上経った今でもこの本は印刷されており、旅行文学の古典として引用されることが多く、これまでに書かれた中で最も偉大な真の冒険物語として高く評価されています。[19]
ペンギンブックスの100回目の出版物として出版されました。
本の出版時にスコットが戦後の英国でまだ英雄と見なされていた方法を見て、スコットの否定的な性質と特徴のチェリーの説明を目的とした本のリリース時にいくつかの批判がありました。
タイムズの記事で、ある批評家はこの本について、「彼は明らかに、戦後のやり方で、彼の考えを述べ、物語の「英雄」をできるだけ強調しないことを決意した」と述べた。[20]
しかしながら、最近では、ローランド・ハントフォードは最悪の旅を「未熟だが説得力のある、非常に緊迫した謝罪(弁明)」として却下した。[21]
Cherry-Garrardは、ローレンスの兄弟であるAWローレンス、TEローレンス、彼の友人が編集した巻の初版で、TEローレンスを偲んでエッセイを寄稿しました。
その後の要約版では、彼の記事は省略されています。
このエッセイのチェリー・ギャラードの仮説は、ローレンスが劣等感と臆病さ、そして自分自身を証明する必要性から異常な行動をとったというものです。
彼はまた、ローレンスの著作(およびチェリーの著作)が治療的であり、彼らが語る出来事の神経衰弱に対処するのに役立ったと示唆している。
URLリンク(en.m.wikipedia.org)

135:世界@名無史さん
21/02/08 17:40:47.66 0.net
>>130
アムンセンとアームストロング・・・名前までユングのいうとこのシンクロニシティ―みたいに似てる・・・これは陰謀だっ!!w

136:世界@名無史さん
21/02/08 22:52:27.82 0.net
日本が江戸時代の1820年ごろに、イギリスのブランスフィールド、アメリカのパーマー、ロシアのベリングスハウゼンの3人が、南極大陸を発見しました。
しかし、3人のうちだれが最初に発見したかはわかっていません。
なぜなら、遠くから氷の固まりをみただけでは、ただの氷か、氷の下に陸地があるかどうかはわからないからです。
URLリンク(www.env.go.jp)

137:世界@名無史さん
21/02/08 23:02:43.26 0.net
>ベリングスハウゼンは1820年南極探検の遠征航海中に、南緯69°21′28″の地点に到達。アレクサンダー海岸などを発見しました。
URLリンク(i.imgur.com)

しかし地図を見ると分かるようにアレクサンダー海岸(ベリングスハウゼン海)は南極半島に隣接するアレクサンダー島(1940年まで南極大陸の都部だと思われていた)のことで、ベリングスハウゼンが目撃したのはこの島だったという説もあるようだね。
URLリンク(i.imgur.com)

138:世界@名無史さん
21/02/09 01:13:45.00 0.net
遠望ではなく実際に上陸?した白瀬矗ですら大和雪原を陸地だと思っていたように氷棚と陸地の判別はつき難いのかもしれない。
南極大陸の確実なる発見者は、歴史上初めての砕氷船になり得る強度を持った軍艦エレバス号とテラー号で従来の船では乗り越えることが不可能だった流氷に突撃して南進し、ヴィクトリアランドの南極横断山脈を目撃したイギリスのジェイムズ・クラーク・ロスという人。
彼が南進した海はその後彼の名前を取ってロス海と呼ばれるようになった。
ジェイムズ・クラーク・ロス
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
最南端到達の歴史
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)

139:世界@名無史さん
21/02/09 09:27:50.41 0.net
>>135
Amundsen とArmstrongって似てるか?w

140:世界@名無史さん
21/02/09 09:35:47.84 0.net
 帰り旅ではスコットはほかの三人とともに犬ぞりで先行し、二月二二日にハット・ポイントまで帰り、また逆戻りして安全野営地へ行った。そこで東部隊の隊長キャンベルからの手紙をアトキンソンから受け取った。
それにはアムンセンが鯨湾に基地をつくった様子が書いてあった。そのときのスコットの反応を日記に見よう。
 「今日一日のどの出来事も、アトキンソンがくれた郵便袋の驚くべき内容の前には影が薄れる―キャンベルからの手紙で、行動の報告と、アムンセンが鯨湾に基地をつくったのを発見したという知らせだ。
 彼(アムンセン)のこれまでの行動は多分に意図的だった。それを正当化できるのは成功だけだ。
行為が当方の作法にかなっていないからとて、必ずしも非難するに当たらないから、私としては公式の場でうっかり自分の考えを述べるなど決してしてはなるまい。
 ひとつだけ私の心にきっぱり決まったことがある。われわれとして賢明でもあり正しくもある道は、こういうことが起きなかった場合と寸分違えずに仕事を進めるということだ。
不安に駆られたりうろたえたりせず、国の名誉をかけて前進し、全力を尽くすことだ。
 アムンセンの計画がわれわれの計画に対して重大な脅威であるのは疑う余地がない。彼の方が六〇(地理)マイル(一一一キロメートル)極点へ近い―そんなに多数の犬を無事に氷域まで連れてこられたとは夢にも思わなかった。
犬ぞりを走らせる彼の計画は卓越しているように思われる。しかし、それよりも何よりも、彼は早めに旅を始めることができる―馬では不可能な条件だ」
(「南極のスコット」より)

141:世界@名無史さん
21/02/09 11:16:27.43 0.net
ロスが遭難したらロスロスになるな

142:世界@名無史さん
21/02/09 23:05:06.03 0.net
スコット
「(極地探検において)犬と一緒では、人だけの部隊で実現されるような高い見事な思念に達しえない。
自らの力だけで、労苦、危険、苦難に立ち向かい、辛窮の日を重ねた結果、大いなる未知から何かを解決できてこそ、高く麗しい観念が得られるのである」
(1901–04のディスカバリー遠征を終えてのスコットの感想)
スコットは人力で苦労して探検し、極点を制覇することに美学を感じていた。
犬ぞりはもちろん、ポニーも雪上車もあくまで氷河まで物資を運ぶための補助で氷河からは人力というのがスコットの考えだった。
(雪上車はイギリス海軍にとって未来を切り開くための大いなる現地実験という面もあった)
同じイギリスのシャクルトンもほぼ同じ手段を取っている。

143:世界@名無史さん
21/02/10 23:40:25.62 0.net
Saturday, February 17. – A very terrible day.
Evans looked a little better after a good sleep, and declared, as he always did, that he was quite well.
He started in his place on the traces, but half an hour later worked his ski shoes adrift, and had to leave the sledge.
The surface was awful, the soft recently fallen snow clogging the ski and runners at every step, the sledge groaning, the sky overcast, and the land hazy.
We stopped after about one hour, and Evans came up again, but very slowly.
Half an hour later he dropped out again on the same plea.
He asked Bowers to lend him a piece of string.
I cautioned him to come on as quickly as he could, and he answered cheerfully as I thought.
We had to push on, and the remainder of us were forced to pull very hard, sweating heavily.
Abreast the Monument Rock we stopped, and seeing Evans a long way astern, I camped for lunch.
There was no alarm at first, and we prepared tea and our own meal, consuming the latter.
After lunch, and Evans still not appearing, we looked out, to see him still afar off.
By this time we were alarmed, and all four started back on ski.
I was first to reach the poor man and shocked at his appearance; he was on his knees with clothing disarranged, hands uncovered and frostbitten, and a wild look in his eyes.
Asked what the matter was, he replied with a slow speech that he didn’t know, but thought he must have fainted.
We got him on his feet, but after two or three steps he sank down again.
He showed every sign of complete collapse.

144:世界@名無史さん
21/02/10 23:41:27.28 0.net
>>143 日本語訳
2月17日土曜日–とても恐ろしい日。
エヴァンスはぐっすり眠った後少し良く見え、いつものように、彼は全く元気であると申告しました。
彼は彼の位置の引き革にて出発したが、30分後にスキーシューズが解けて、そりを離れなければなりませんでした。
雪面はひどく、最近降った柔らかい雪が一足ごとにスキー板とランナーを詰まらせ、そりはきしむ音を出し、空は曇り、大地は霞んでいました。
約1時間後に停止し、エバンスが再び現れましたが、非常にゆっくりでした。
30分後、彼は同じ嘆願で再びドロップアウトしました。
彼はバウアーズにひもを貸してくれるように頼みました。
私は彼にできるだけ早く来るように警告しました、そして彼は私が考えた通り元気いっぱいに答えました。
私たちは押し進めなければならず、残りの私たちは非常に強く引くことを余儀なくされ、激しく汗をかきました。
私たちが立ち寄ったモニュメントロックに沿って、エヴァンスがずっと後進しているのを見て、私は昼食のためにキャンプしました。
最初は心配はなく、私たちはお茶と自炊を用意し、後者を消費しました。
昼食後、エヴァンスがまだ現れていないので、私たちは彼が未だ遠くにいるか確かめる為に外に目を向けました。
この時より私たちは心配になり、4人全員がスキーに戻り始めました。
私は最初に可哀想な人にたどり着き、そして彼の外見にショックを受けました:彼は衣服が乱れたまま跪き、手が覆われず凍傷になっていて、目が狂気じみて見えました。
何が問題なのかと尋ねると、彼は分からない、でも気を失ったに違いないと思うとゆっくりとした口調で答えました。
私たちは彼を立ち上がらせましたが、2、3歩後に彼は再び沈みました。
彼は完全な虚脱(状態)のあらゆる兆候を示しました。
(スコットの日記)

145:世界@名無史さん
21/02/11 10:17:01.21 0.net
グロッソプテリス (Glossopteris) は古生代ペルム紀に栄えた裸子植物グロッソプテリス類で、湿地に生えていた。
ゴンドワナ植物群の代表的植物である[1]。
舌のような形の大きな葉が特徴(グロッソプテリスは、「舌状の葉」という意味)で、葉と向き合うように繁殖器官がついていた。
化石が南アメリカ、アフリカ、インド、南極、オーストラリアから発見され、かつてこれらの大陸がゴンドワナ大陸として1つにつながっていたとする大陸移動説の証拠の1つとされている。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
南極でこのグロッソプテリスの化石を発見したのがスコット隊
南極点到達からの帰路、ビアドモア氷河の最上流部の山の地質調査で発見しその化石をそりに積んだ

146:世界@名無史さん
21/02/11 14:38:49.92 0.net
>>143 続き
Wilson, Bowers, and I went back for the sledge, whilst Oates remained with him.
When we returned he was practically unconscious, and when we got him into the tent quite comatose.
He died quietly at 12.30A.M.
On discussing the symptoms we think he began to get weaker just before we reached the Pole, and that his downward path was accelerated first by the shock of his frostbitten fingers, and later by falls during rough travelling on the glacier, further by his loss of all confidence in himself.
Wilson thinks it certain he must have injured his brain by a fall.
It is a terrible thing to lose a companion in this way, but calm reflection shows that there could not have been a better ending to the terrible anxieties of the past week.
Discussion of the situation at lunch yesterday shows us what a desperate pass we were in with a sick man on our hands at such a distance from home.
At 1A.M. we packed up and came down over the pressure ridges, finding our depôt easily.
ウィルソン、バウアーズ、そして私はそりに戻り、その間オーツが彼と一緒に残っていました。
私たちが戻ったとき、彼はほとんど意識を失っていました、そして私たちが彼をテントに入れたとき、彼はかなり昏睡状態でした。
彼は午前12時30分に静かに亡くなりました。
症状について話し合うと、南極点に到達する直前に彼は弱くなり始め、凍傷を負った指の衝撃によって最初に衰弱が速くなり、その後氷河を荒々しく移動しているときに転倒し、さらにまた彼自身のすべての自信の喪失による、と思いました。
ウィルソンは、転倒によって脳を傷つけたに違いないと考えています。
このように一人の仲間を失うことは恐ろしいです、しかし落ち着いて回想するとこの過ぎた週の恐ろしい心配へはこれ以上良い結末がなかったことを示しています。
昨日の昼食時の状況についての話し合いは、私たちが家からこんなに離れたところにいる病人を手にした絶望的な行進を示しています。
午前1時私たちは荷物をまとめてプレッシャーリッジを越えて降りてきたので、簡単にデポを見つけることができました。

147:世界@名無史さん
21/02/12 00:04:00.78 0.net
シャクルトンのモーター橇
URLリンク(i.imgur.com)
と比べるとスコットの雪上車はキャタピラがついてて本格的だな
URLリンク(i.imgur.com)
エンジンが直ぐにオーバーヒートしてしまうという欠点があったが

148:世界@名無史さん
21/02/12 16:27:36.90 0.net
南極でもオーバーヒートしちゃうなんて

149:世界@名無史さん
21/02/12 16:51:55.36 0.net
今でも南極では、うっかりすると寒さで機械が壊れるからね。
WW1以前の技術なんだから、それはそれで仕方がなかったんだろうね。

150:世界@名無史さん
21/02/13 10:29:09.20 0.net
雪上車だけじゃなく、内燃機関でキャタピラを動かす車にしても世界で初めて実用化されたのはがスコット隊の世界初の雪上車だったと思った。
初めて尽くしでは上手くいかなくても仕方ないかな。
スコットは最初の遠征の後に動物を使わない雪上車に活路を見出し海軍の休暇をアルプスやノルウェーでの雪上車の実験に多いに使ったんだけど、南極の過酷さはそれらの土地の比ではなかったということか。
でも少なくとも一台は80キロくらいは300kg以上の荷物(主に馬草と燃料)を積んで走ったわけで、人馬の負担を少なからず減らしたわけだから全く無駄だったわけではないよ。

151:世界@名無史さん
21/02/14 01:33:33.50 0.net
南極付近でM7.3の地震
日本への津波の影響なし 震源周辺で海面変動を観測
URLリンク(weathernews.jp)
1/24に今回の地震と同規模の地震が南極でもあったんだな

152:世界@名無史さん
21/02/15 11:11:00.51 0.net
出社したら会社の戸棚のガラスが割れていたので後片付けしているうちに誤って手にケガを負ってしまった。
大した怪我ではないが、一応消毒して絆創膏を貼っておこう。

153:世界@名無史さん
21/02/16 23:34:06.69 0.net
アムンセンの南極探検記「南極点」より白瀬隊の記述がある頁をUPしてみる。
(「南極点」が書かれた時点ではスコット隊は生存しているとアムンセンやナンセンはもとより世界中の人に思われていたもよう)
アムンセンの記述
URLリンク(s.kota2.net)
URLリンク(s.kota2.net)
アムンセンが極点を目指した探検をしている間に開南丸と交流を持った留守隊のメンバーの記述
URLリンク(s.kota2.net)
URLリンク(s.kota2.net)
URLリンク(s.kota2.net)
ニルセン大尉の著述を読むと、流石は活き造りや踊り食いの文化を持つ日本いうのを感じるなあw
でも白瀬隊も犬は大切にしていたよ、特に樺太犬の責任者だった樺太アイヌの隊員は。
あとニルセンの著述によれば馬も大事にする考えのようだね、流石にテントの中に馬を入れて人間を外に出すべきだという白瀬隊の探検隊長(つまり白瀬矗か?)の考えは無知故の考えだと思うけど。
ま、でも白瀬矗も酒、煙草、茶、お湯を飲まない、寒中でも火にあたらないという自らに課した極点探検家としての五戒を生涯守り通したというから根性論の人だったのは確かだろうね。

154:世界@名無史さん
21/02/17 00:38:27.42 0.net
地球温暖化させて
260万年続いた氷河時代を終わらせて
南極大陸を解放するからね

155:世界@名無史さん
21/02/17 08:43:50.16 0.net
温暖な縄文時代は今よりも5m海水面が高かったんやで
あと平安時代も温暖で日本でも平清盛は本来は熱帯地方の蚊が媒介するマラリアで死んだとされる

156:世界@名無史さん
21/02/17 17:15:24.46 0.net
南米と南極がくっついてた頃は、南極も比較的温暖だった
とか言う話を聞いたんだ。
南極が冷涼なのは、南極が独立した大陸で
周囲を取り囲むように冷たい海流と、冷たい気流が取り巻いているからだ
とか言う話。

157:世界@名無史さん
21/02/17 19:50:08.70 0.net
極地だから面積当たり日光照射量が最低だからかと思ってた

158:世界@名無史さん
21/02/17 23:55:15.21 0.net
偉大なる神よ!
ここは恐怖の場所です
せめて
初到達という栄誉でもなければ
恐ろしすぎます

159:世界@名無史さん
21/02/20 00:41:27.93 0.net
もしスコット隊の最後の三人(スコット、ウィルソン、バワズ)が3/20~30の間に1tデポに到達できていたとしても、それから先には進めなかっただろうな
頼みの綱のチェリーガラードらの犬ぞり支援隊は食糧切れから3/10に1tデポから帰路についていたし
その際に1tデポに燃料と食糧を補給したといっても越冬できるほどの量ではなかっただろうし
(ちなみにチェリーガラードは少しでもデポの目印たなるようにと燃料が入った赤い缶をデポの上に置いたが、翌夏にスコット隊捜索隊が南進してデポに到達した時には冬の寒さで燃料缶が破損して雪の中のガラードが補給した食糧まで浸透していたとのこと)
3月も下旬になれば南極は秋が深まって寒さが増す一方だし
だいたい1tデポからして、前年の1/24から始まったデポ作戦で2/17日にようやく辿り着いた場所なので出発点のロス島から遠いし
スコット隊が南進していたころキャンベル率いる北部隊がひょんなことからロス島より北にあるエバンズ入江で越冬することになってしまったが、
彼らは越冬に備えて3/1からアザラシとペンギンの狩りを始め、3月半ばにはボロになったテントに代わる住まいとして雪小屋を完成させてそこで暮らしたからギリギリではあったが越冬でき北部隊の6人全員が無事だった
スコット隊は北部隊よりも高緯度でアザラシやペンギンなどいる場所ではなかったし、1tデポの食糧と燃料は前述の通り越冬するには全然足りなかったし、1tデポからロス島まで行く間に季節は冬になるし、3人全員凍傷などの病人であったしで、
1tデポに到達しても生還できたとは思えないな
3/9までの間に1tデポに辿り着けて犬ぞり隊と合流するか、チェリーガラード達が1tデポでスコット達を待たずに天気が良かった2日間の間に南進して南緯82度くらいでスコット達と合流できてればロス島まで帰還できただろうが、それは結果論になってしまうな
特に前者の3/9までにというのは無理なのは史実が証明してるし

160:世界@名無史さん
21/02/20 11:58:34.09 0.net
URLリンク(youtu.be)

161:世界@名無史さん
21/02/20 20:39:59.79 0.net
URLリンク(i.imgur.com)

162:世界@名無史さん
21/02/21 14:01:35.49 0.net
「科学的な指導力ならスコット、素早く能率的に旅することにかけてはアムンゼンが抜きん出ている。だがもしあなたが絶望的な状況にあって、なんら解決策が見いだせないときには、ひざまずいてシャクルトンに祈るがいい」

163:世界@名無史さん
21/02/21 17:40:52.64 0.net
シャクルトンを称えて:南極からサウスジョージア島への探検クルーズ20日間
旅行開始日~終了日
2021年12月22日~2022年01月10日
URLリンク(www.cruiselife.co.jp)
\3,255,057+ブエノスアイレスまでの往復代でシャクルトンの南極横断探検隊の航路を辿れるとのこと
地図を見るにもっとウェッデル海に入って行かないとと思うが

164:世界@名無史さん
21/02/21 18:54:04.12 0.net
>>163
クルーズ船での食事ではアザラシのステーキやペンギンのスープや犬用のペミカンなんかもメニューに乗るのだろうか?

165:世界@名無史さん
21/02/21 20:41:56.51 0.net
>>164
今のうちにそれらの料理をリクエストしておくといいかも?w

166:世界@名無史さん
21/02/21 20:42:05.34 0.net
南極探検隊にみる、コロナ危機を乗り切るヒント
URLリンク(natgeo.nikkeibp.co.jp)

167:世界@名無史さん
21/02/22 18:38:51.74 0.net
>>166
この話はフィクションです。
事実ではありません。

168:世界@名無史さん
21/02/22 20:05:20.22 0.net
実話
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

169:世界@名無史さん
21/02/22 22:28:26.16 0.net
南極観測隊「タロ・ジロ物語」の背景に“もう1匹の生存犬” 若い2匹を守って力尽き
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
有名なタロとジロ、あと白瀬隊の犬ぞりを引いた事でも知られる樺太犬はより北方のハスキー犬を改良した犬でハスキー犬よりも人間慣れしているせいかしつけはさほど難しくはなかったようだ
ちなアムンセンやスコットや南極横断のシャクルトンが連れていったのはシベリアンハスキー犬を中心とする雑種で一口で言うとエスキモー犬(まあそういうと樺太犬もエスキモー犬の一種なのだが)
気性はは樺太犬に比べれば荒いがちゃんと調教すると樺太犬同様に人間に対してとても従順な犬となる
なお犬同士で放っておくとすぐ喧嘩してしまうのは樺太犬も含めてどのエスキモー犬も同じ
でも残念ながらそんな優れた樺太犬も純潔は絶えてしまったようだ
混血が進んだのとエノキコックスと大食いが原因でのソ連での大量殺処分のお陰で…
URLリンク(i.imgur.com)

170:世界@名無史さん
21/02/22 22:43:30.75 0.net
サテライト・オフィース!

171:世界@名無史さん
21/02/22 22:54:02.74 0.net
>>168
何このポエムwww

172:世界@名無史さん
21/02/22 23:30:53.24 0.net
シャクルトンの南極横断探検隊はエンデュアランス号よりもロス海に回ったオーロラ号の方が悲劇が多いね
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)

173:世界@名無史さん
21/02/24 22:46:04.58 0.net
チェリーガラードはスコットが犬ぞりを使ってもベアドモア氷河は犬ぞりでは進めないだろうと「世界最悪の旅」で書いているが、スコットの名誉を守るためにそう書いたのかもしれない。
アムンセンはシャクルトンやスコットの記述を読むに彼らのルートこそ犬ぞりを走らせるに路面も地形もあつらえむきで、イギリス人は極地での犬の有用性の評価について基本的なところで思い違いをしていたに違いない、と「南極点」で書いてるし、
事実のちにシャクルトンは南極横断探検では犬ぞりを使ってベアドモア氷河を降る予定だった。
ベアドモア氷河をよく知るシャクルトンが犬ぞりでの当地の進行を考えていたと言うことだ。
氷瀑やクレバスやサスツルギがあっても上手く迂回すれば大丈夫だと判断したのだろう。

ベアドモア氷河と南極高原の境の氷瀑(シャクルトンが発見したのでシャクルトン氷瀑と呼ばれる)
雪面が荒れている場所がそれ
URLリンク(i.imgur.com)

174:世界@名無史さん
21/03/01 23:10:48.62 0.net
Friday, March 2. – Lunch. Misfortunes rarely come singly.
We marched to the (Middle Barrier) depôt fairly easily yesterday afternoon, and since that have suffered three distinct blows which have placed us in a bad position.
First we found a shortage of oil; with most rigid economy it can scarce carry us to the next depôt on this surface (71 miles away).
Second, Titus Oates disclosed his feet, the toes showing very bad indeed, evidently bitten by the late temperatures.
The third blow came in the night, when the wind, which we had hailed with some joy, brought dark overcast weather.
It fell below -40° in the night, and this morning it took 1½ hours to get our foot gear on, but we got away before eight.
We lost cairn and tracks together and made as steady as we could N. by W., but have seen nothing.
Worse was to come – the surface is simply awful.
In spite of strong windand full sail we have only done 5½ miles.
We are in a very queer street since there is no doubt we cannot do the extra marches and feel the cold horribly.

175:世界@名無史さん
21/03/01 23:11:07.65 0.net
3月2日金曜日–昼食。不幸が単独で来ることはめったにありません。
私たちは昨日(=3月1日)の午後、(中バリア)デポにかなり容易くに行進しました、それから私たちを悪い位置に置いた3つの明確な打撃を受けました。
まず、石油が不足していることがわかりました。最も厳密な倹約でも、この雪面(71マイル離れたところ)の次のデポに私たちを運ぶことはほとんどできません。
第二に、タイタス​​・オーツは彼の足を明らかにしました、つま先は確かに非常にひどく見えました、明らかに数日間のこの温度によって(凍傷に)噛まれました。
3回目の打撃は、私たちが喜びをもって歓迎した風が暗い曇りの天気をもたらした夜に起こりました。
夜は-40°を下回り、今朝はフットギアをつけるのに1時間半かかりましたが、8時前に出ました。
私たちはケアンとわだちを一緒に失い、N。byW.で可能な限り安定しましたが、何も見ていません。
さらに悪いことになりました ― 路面はシンプルに悪いです。
強風を帆をいっぱいにに受けたにもかかわらず、私たちはたった5½マイルしか走りませんでした。
余計な行進ができず、ひどく寒さを感じることは間違いないので、私たちは非常に奇妙な通りにいます(=非常に追い詰められた思いでした)。
(スコットの日記)

176:世界@名無史さん
21/03/02 02:25:34.83 0.net
URLリンク(www.nikkansports.com)
英国の南極探検隊が初の南極大陸横断成功/今日は?
[2021年3月2日0時0分]

177:世界@名無史さん
21/03/02 22:01:50.33 0.net
>>176
エベレスト山頂初到達に成功したエドモンド・ヒラリーが結成した南極横断隊で、スコット隊の雪上車から大きく進歩したトラクターで横断に成功したそうな
URLリンク(i.imgur.com)
にしても3/2には横断を終えていたんだなあ。
3/2に南緯81度よりも更に南の中バリア補給所にいたスコット達とは違って。
もっとも本当は3/1に南緯82度くらいの場所で犬ぞり隊が迎えに来て落ち合う予定だったのが、諸々の不幸な事情(先に帰路についてた第二支援班のエヴァンス大尉の壊血病など)で叶わなかった。
南極点行隊救援の試み、1912年 を参照
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)

178:世界@名無史さん
21/03/04 17:22:29.87 0.net
そういえば、英国南極横断隊でヒラリー隊がトラクターで
南極点に到達したのが、”雪上車”で南極点に到達した最初なんだ
って話。
とは言う物の、ヒラリー隊が南極横断隊で支援に使ったトラクターって、
本当に農業用トラクターなんだよな。
トラクターの前輪と後輪を無限軌道で繋ぐ、みたいな
工夫はされていたみたいだけど。

179:世界@名無史さん
21/03/04 17:27:56.76 0.net
あ、日本の南極観測隊でブルトーザー使って
南極内陸部に資材を運んだ話があったな。
ブルトーザーは悪路にも強いし、牽引力も強くて
荷物をたくさん引っ張れるんだけど、足が遅いのが問題で
サスペンションの問題で乗り心地が最悪なので、使われなくなったって話。

180:世界@名無史さん
21/03/04 18:38:19.66 0.net
今朝のBSの登山番組グレートトラバースは標高1900米を超える長野県の飯縄山だったけど、チャレンジャーの田中はラストの300mで傾斜が急になったところでスキーでは前進できないとスキーを脱いでまた登り始めたら、それはそれで20~30㎝の積雪に足を取られて滅茶苦茶しんどとうだった。
グレートトラバース3 15min.「148座目 飯縄山」
URLリンク(www4.nhk.or.jp)
白瀬隊もスキーなしで大和雪原まで行って苦労したと思われるがでも樺太犬という優秀な犬の犬ぞりがあった。
一方スコットの隊は南極高原に来て最後誰を極点まで連れて行くかとなった時に、スコットは当初4人での極点到達を目指していたのが予定を変更して若くて優秀なバウワーズという海兵も連れて行くことにした。
スコットの指示で高原の入口付近にスキーを置いていったバウワースが予定変更で極点メンバーに入ったということだけど、スキーなしでの南極高原往復はさぞ大変だったのではと今朝のグレートトラバース見て思ったな。
田中は300mで息が上がっていたしね。
それでもバウワーズの日記には「極点のメンバーに選ばれた時は嬉しかった」と書いてあり、また最後まで元気が良かったのもバウワーズで、スコットもその働きと人格を大いに称賛していた。
装備的には一番キツかったのに(氷河を降りる時には置いていったスキーを履くことが出来たけど)、やはり若さだよな。

181:世界@名無史さん
21/03/04 18:39:00.11 0.net
>>179
アクティブサスペンションはキャタピラ式では無理だろうしね

182:世界@名無史さん
21/03/04 22:11:29.08 0.net
>>180
白瀬は秋田県生まれだがマタギが履くがんじきを南極に持っていかなかったのかな?
あれがあれば雪上でも雪にめり込むことなくサクサク歩けるのに

183:世界@名無史さん
21/03/06 00:03:58.49 0.net
>>182
かんじきのことか?
豪雪地帯の山歩きには向いているが
凍った平原ならスキーの方が断然有利

184:世界@名無史さん
21/03/11 00:11:08.83 0.net
糖質は必須栄養素ではない
URLリンク(www.daiwa-pharm.com)
人間が生きていく上で必須の栄養素は、水、必須アミノ酸、必須脂肪酸、ビタミン、ミネラル、微量元素、電解質と幾つかの超微量元素ということになっています。つまり糖質は必須栄養素のリストの中に入っていないのです。
というようなことが上のサイトには書いてあるけど、しかしシャクルトンの南極横断が失敗して救命艇でエレファント島に辿り着き、更にシャクルトンら五人が救助を求めてサウス・ジョージア島に救命艇で行ってる間にエレファント島に残ったワイルド以下22名の隊員は食糧としてタンパク質(アミノ酸)と脂質(脂肪酸)の多いアザラシやペンギンや魚を獲って食べていたが、島に着いて約一ヶ月後に今一番食べたい夢の一皿を聞くと、例外はあるが甘いものに集中した。
寒い地方でよりカロリーが高く消化も早い甘いものを体が求めたというのもあるのだろうが、やはり人間糖質がないと食についてはつまらなくなるようだ。

185:世界@名無史さん
21/03/11 07:41:51.49 0.net
そういえばシャチから見ると人間は脂肪分が少なくて美味しい食べ物ではないらしい

186:世界@名無史さん
21/03/11 08:57:51.35 0.net
>>184
うーん、甘い物っては囚人なんかが出所後一番食いたい物とか聞くし
彼らとて麦飯やら味気ないパンやら食ってるわけで、糖質が足りてても甘い物を
長く食ってないとやっぱり欲しくなるんじゃないかな。
甘い物ってさ、普通の人でも暫く食ってないと無性に食いたくなるって言うじゃん

187:世界@名無史さん
21/03/11 12:16:52.45 0.net
チコちゃんに叱られる
で太ると分かっていながらついご飯を食べ過ぎちゃうのは何故かという問題でチコちゃんの答えが人類が火と出会ったから
火を使って米を加熱して温かいごはんになった後のでんぷんは唾液と混じると糖に替わり甘みを感じるようになる
その甘味がエンドルフィンを出しエンドルフィンがドーパミンを出しドーパミンが食欲を出すということだそうな
その時の多幸感を脳がいつまでも覚えるから糖分が欲しくなるんだろうね
覚醒剤の多幸感を脳はいつまでも覚えているというのと一緒で
糖分は覚醒剤と違って合法だから本来気軽に摂れるものだし

188:世界@名無史さん
21/03/11 18:54:39.03 0.net
そういえば、スコット隊での冬季ソリ旅行で、食料を単純にするために
ペミカン(タンパク質)、バター(脂肪)、ビスケット(炭水化物)の
3種類だけ持って行った様子(その他に紅茶は持って行った)。
砂糖は持って行かなかったんだがビスケットの甘味が良かった、とか書いてあった様な気がする。
(チェリーガラード”世界最悪の旅”)

189:世界@名無史さん
21/03/12 23:21:31.11 0.net
>>188
ここのページだね
URLリンク(s.kota2.net)
URLリンク(s.kota2.net)
世界最悪の旅となった冬の行進の隊長にして次の夏の極点探検でスコットとともに遭難死したウィルソンの会社の砂糖入り特性ビスケットが秀逸だった、と。
そしてこの冬の行進の主たる目的である皇帝ペンギンの卵採取の他に三人がそれぞれ異なる食事をしたことによって極地探検での食料の実験もできた、と。

190:世界@名無史さん
21/03/12 23:30:54.73 0.net
「世界最悪の旅」では”第三の夏”の章の”捜索隊出発”という見出しで帰還しないで全滅したと思われるスッコト率いる南進隊の捜索でも特に興味を惹かれた文があった。
貯蔵庫(※1トンデポ)にやってきたときに自分は非常な恐れを感じた。
われわれはできる限りをつくしたことを人は知ってくれるだろうが、それでももう少しやり方をかえれば、彼らを救うことができたかもしれないことがもしかわればそれは恐ろしいことである。
そしてチェリー・ガラードは生涯このことが頭から離れなかったようだ、彼もまた(皮肉ではなく純粋に)可哀想な人物だと思う。

191:世界@名無史さん
21/03/12 23:53:26.54 0.net
>>190
>「世界最悪の旅」では”第三の夏”の章の”捜索隊出発”という見出しで帰還しないで全滅したと思われるスッコト率いる南進隊の捜索でも特に興味を惹かれた文があった。
「世界最悪の旅」では”第三の夏”の章の”捜索隊出発”という見出しで、帰還しないで全滅したと思われるスッコト率いる南進隊の捜索のほぼ全容が書かれているが、その中でも特に興味を惹かれた箇所があった。
に変更

192:世界@名無史さん
21/03/13 17:58:24.06 0.net
スッコト
を、
スコットに修正してあげてよ・・・

193:世界@名無史さん
21/03/13 20:34:47.39 0.net
>>192
しっ失礼した
『世界最悪の旅』では「第三の夏」の章の”捜索隊出発”という見出しの箇所に【帰還しないで全滅したと思われるスコット率いる南進隊】の捜索の開始のほぼ全容が書かれているが、その中でも特に興味を惹かれた文があった。

194:世界@名無史さん
21/03/14 08:41:53.62 0.net
南極ホルホル物語www

195:世界@名無史さん
21/03/15 16:50:11.39 0.net
>>194
韓国の越冬基地に取り残された越冬隊員が、周囲の越冬基地に乱入して
大騒ぎになる話ですね。
映画化するとするなら、題名は
”声闘からの物体K"
あたりで。

196:世界@名無史さん
21/03/16 00:31:12.18 0.net
This morning started with southerly breeze, set sail and passed another cairn at good speed; half-way, however, the wind shifted to W. by S. or W.S.W., blew through our wind clothes and into our mits.
Poor Wilson horribly cold, could not get off ski for some time.
Bowers and I practically made camp, and when we got into the tent at last we were all deadly cold.
Then temp. now midday down -43° and the wind strong.
We must go on, but now the making of every camp must be more difficult and dangerous.
It must be near the end, but a pretty merciful end.
Poor Oates got it again in the foot.
I shudder to think what it will be like tomorrow.
It is only with greatestpains rest of us keep off frostbites.
No idea there could be temperatures like this at this time of year with such winds.
Truly awful outside the tent. Must fight it out to the last biscuit, but can’t reduce rations.
今朝(3月14日)は南風で始まり、出航し、別のケアンを高速で通過しました。 しかし、途中で風はS.(南)またはW.S.W.(西南西)によって西にシフトし、帆を通り抜けてミットに吹き込みました。
かわいそうなウィルソンはひどく寒く、しばらくの間スキーを降りることができませんでした。
バウアーズと私は実際にキャンプをしました、そして私たちがついにテントに入ったとき、私たちは皆致命的な寒さでした。
それからの温度。 今は正午に-43°下がり、そして風が強い。
私たちは絶対に進み続けなければなりませんが、今では毎回キャンプを作ることはより困難で危険なものとなりました。
終わりに近づいているに違いありませんが、かなり幸福な終わりです。
かわいそうなオーツは再び足が悪化しました。
明日はどうなるかと思うとぞっとして震えます。
私たちの残った者を凍傷から防いでいるのは最大限の苦労をしているから、それだけです。
このような風が吹くこの時期に、このような気温が発生するとは思いませんでした。
テントの外では本当にひどい。 最後のビスケットまで戦わなければなりませんが、配給量を減らすことはできません。
スコットの日記

197:世界@名無史さん
21/03/16 00:33:23.07 0.net
バウアーズと私は実際にキャンプをしました
 ⇒バウアーズと私の実質二人でキャンプのテント張りをしました

198:世界@名無史さん
21/03/16 22:15:43.28 0.net
>>103
本日か明日

199:世界@名無史さん
21/03/17 22:27:02.43 0.net
>>192
スットコどっこい

200:世界@名無史さん
21/03/19 07:48:49.66 0.net
>>184
脳のエネルギーとして糖は重要だから、
糖断ちをすると判断力が低下するんじゃないかな・・・
極地探検ではまずいことに・・・

201:世界@名無史さん
21/03/19 15:34:30.34 0.net
炭水化物が糖に変換されるから、ってのはダメかな。

202:世界@名無史さん
21/03/20 15:39:22.58 0.net
エレファント島のような寒冷地でなくとも
文明開花の頃の日本でイギリス人が穀物よりも肉を食った方がスタミナがつくと飛脚に肉食を進めたら飛脚はあっという間に根を上げて米を食わせてくれと言ったらしいね
やっぱ炭水化物(糖質)は必須栄養素じゃなくても必要だよ
エレファント島ではアザラシやペンギン狩り以外に大した仕事もなかったからその肉だけで済んだのだと思う
行動範囲も狭かったしね
一方チェリーガラードの本によるとマイナス18度の環境下で筋肉作業をするには一日7714カロリー、マイナス28度になると8500カロリーが必要とのこと
エレファント島は南緯61度だから寒冷地とはいえそこまで気温が下がらなかったのかもしれない

203:世界@名無史さん
21/03/21 01:26:30.38 0.net
スコット隊は極点探検の際には砂糖入りビスケットの他にも別に砂糖を持って行った(あとはペミカンとバターとココアと茶を持っていった)
アムンセンは乾パン(ビスケット)がオート麦と砂糖と粉ミルクを材料に作ったやはり優れたもので
その乾パンとペミカンと粉ミルクとチョコレートの四種類だけで「脂肪病」にも「砂糖病」にも罹ることがなかったとの話

204:世界@名無史さん
21/03/21 12:09:29.69 0.net
URLリンク(i.imgur.com)
スコットの極地隊(スコット、ウィルソン、ボワーズ、オーツ、エヴァンス)の一日の食事量

205:世界@名無史さん
21/03/21 23:53:10.51 0.net
アムンセン隊は氷河を登ったところでの肉屋と名付けたデポで新鮮な犬の生肉を食べたのと進行の速さで壊血病を防げたというのもあるな

206:世界@名無史さん
21/03/22 01:06:45.94 0.net
>>205
進行→行進
に訂正

207:世界@名無史さん
21/03/28 09:15:33.31 0.net
最近春に向かっているから(こちらでの桜の開花ももう直ぐかな)灯油が必要なくなって来ているとはいえ、朝晩はやはりまだ必要なのだが灯油代が高くて困る。
特に北向きの部屋で灯油が不足しているとやっぱり寒いわ~と思いつつ、3/29までのスコット達はそれに耐えたことを考え辛抱しよう。。

208:世界@名無史さん
21/03/29 22:12:16.19 0.net
>>151
そのあたりは南極といっても冬は北海道より寒くないくらいのところだな
もっと北にあるシャクルトンが死んだので有名なサウスジョージア島はほとんど西岸海洋性気候みたいなところ

209:世界@名無史さん
21/03/30 21:55:46.23 0.net
犬を食べる野蛮な民族を弾劾しよう!

210:世界@名無史さん
21/03/30 22:31:14.62 0.net
>>209
タロとジロも含めて、みんな食べられてしまったのヨ

211:世界@名無史さん
21/03/31 08:32:52.84 0.net
イギリス人も窮地に陥れば犬の肉を食う
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

212:世界@名無史さん
21/03/31 10:34:22.58 0.net
そりゃそうだ、生きるか死ぬかなら人肉だって食うさw
それよりは遥かにマシ
そういう事件は欧米でもいくらでもある、イギリスだって例外じゃない
ミニョネット号事件とかあるしな
勘違いしてる輩が多いが犬だろうが鯨だろうがビーガンだろうが自分の命より動物を優先するバカはおらん

213:世界@名無史さん
21/04/11 01:20:09.87 0.net
白瀬矗が南極に行った時は49歳だったのか
当時の49歳は今の50代半ばくらいの感覚か?
年齢を考えると随分頑張ったよな
URLリンク(www.nikkaibo.or.jp)

214:世界@名無史さん
21/04/12 15:11:16.23 0.net
>>211
英国人の口コミじゃ参考にならんね

215:世界@名無史さん
21/04/21 11:17:59.61 0.net
【旭川14歳女子凍死】校長「子供は失敗する存在。そうやって成長していくもの」教頭「加害生徒にも未来がある。学校は責任は負えない」★33 [ネトウヨ★]
スレリンク(newsplus板)
この少女は北海道とはいえ日本国内で一ヶ月と10日も雪の中から発見されないでいて、しかもそうなった原因がイジメで可哀想だったな。

216:世界@名無史さん
21/04/21 12:11:25.77 0.net
韓国は悲惨だな

217:世界@名無史さん
21/04/29 10:39:11.64 0.net
インパール作戦だが
もっとも、牟田口は、彼なりに画期的な補給作戦を案出して見せました。「ジンギスカン作戦」です。
すなわち、ビルマの民衆から大量に牛を徴発して、これに荷物を運ばせようというのです。
兵隊は、腹が減ったら牛を殺して食えば良いというのです。牟田口は、「これぞ一石二鳥」と、悦に入っていたようです。
古のジンギスカンの故事に学んだつもりで、己の教養をひけらかしたといいます。
URLリンク(www.t3.rim.or.jp)
これジンギスカンよりもアムンセンの犬ぞりに喩えた方が分かりやすいかも?
でもアムンセンは知名度ではジンギスカンよりも劣る?(昭和2年に来日した時は大きく報道はされたようだが)それに何より戦略家でもないからここでアムンセンの名前を出してたら余計に支隊長からは絶望されていたかも?

218:世界@名無史さん
21/05/21 21:32:27.05 0.net
世界最大の氷山、南極大陸から分離 マンハッタンの80倍
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
東京都の約2倍とか埼玉県や富山県とほぼ同じ大きさと報じていたメディアもある
地球温暖化とは関係ないらしい

219:世界@名無史さん
21/05/22 02:57:53.53 0.net
南極隊のおバカさん達が
「温暖化ガー」と騒ぎ散らすところまでが
テンプレート

220:世界@名無史さん
21/05/30 20:55:27.37 0.net
南極はどうせ地上で水蒸気→雪→氷河なんだから
分離してっても対したことないな

221:世界@名無史さん
21/06/24 16:50:22.23 0.net
そういえば、南極でのお祭り”ミッドウィンターデー”って
いつからやってたんだろ。
アムンゼンやスコット隊がやってた、って記録はあるから
それ以前からやってたんだろうけど。

222:世界@名無史さん
21/06/26 07:36:25.68 0.net
>>220
いや海面上昇してお前の家や親戚や友人も沈むだろ

223:世界@名無史さん
21/06/26 22:21:00.05 0.net
南極の氷床って、過去に溶けたことは無いの?

224:世界@名無史さん
21/06/27 01:18:25.99 0.net
剣を取る者はみな剣で滅びる マタイ書 26:52

225:世界@名無史さん
21/06/27 03:44:50.87 0.net
コーランか剣か貢納か

226:世界@名無史さん
21/06/27 11:59:06.14 0.net
>>223
縄文海進の時は今より溶けてたんじゃ?

227:世界@名無史さん
21/06/27 22:26:54.28 0.net
>>226
縄文海進よりも昔の時代は溶けないのかね?
アイスコアの模型と年代のグラフを見て、ふと思った。

228:世界@名無史さん
21/06/27 23:53:46.30 0.net
しかし雪が降り積もって3000メートルも積もってんだもんなー
すごいねー

229:世界@名無史さん
21/06/28 01:37:09.83 0.net
ガチで今より暖かかった時代は南北アメリカが別の大陸で間に赤道海流が流れて地球を回って温めてたから南極もまだやや北にあった筈

230:世界@名無史さん
21/07/24 23:04:57.00 0.net
南極は環南極海流できてからは
ずっと寒い
エイリアンが設置した気象兵器で間違いない

231:世界@名無史さん
21/09/22 23:23:18.58 0.net
稀にみる良スレ

232:世界@名無史さん
21/09/27 09:48:43.97 0.net
冒険家・阿部雅龍さん 南極「白瀬ルート」踏破に向け決意語る 秋田
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
白瀬矗はアムンセンと同じく鯨湾を拠点としていたから自ずとルートも似たようなものになるかな
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
ロス棚氷の上のルートはアムンセンよりもやや西側、大和雪原を通過するルートなのは白瀬の再現だからもちろん同じ
ただ南極横断山脈を超えるのはアムンセンと同じアクセルハイバーグ氷河を使うことになるのか?
あの氷河は大氷河とはいえベアドモア氷河と違って山岳氷河で登るのはより困難なんだわな
阿部さんは無補給単独で900㎞だから南極点到達の往路だけだとは思うが人力で100kgのそりを引いて高低差3000mを踏破しなければならない
URLリンク(i.imgur.com)
(河北新報より)
今なら危なくなったら無線で知られることが出来るだろうからスコット隊の悲劇はないと思うが…
無事成功してほしい

233:世界@名無史さん
21/09/28 14:15:32.78 0.net
URLリンク(i.imgur.com)
左から
ミル氷河
ドミニオン山脈
ベアドモア氷河
バックリー山(手前)ダーウィン山(奥)
黄色の線はスコット隊が通った道
URLリンク(i.imgur.com)

234:世界@名無史さん
21/09/28 19:05:27.53 O.net
とは言うものの、アムンゼン隊はあのコースを
犬ぞりで走破した訳でして。

235:世界@名無史さん
21/09/28 19:29:13.68 0.net
南米と南極繋げたらまた海流の影響で南極が温暖化して人が住めるようになるんでないの

236:世界@名無史さん
21/09/29 09:47:50.00 0.net
アムンセンは400kgのソリを犬に引かせた
隊員は犬の負担を減らすためにソリには乗らずにスキーを履きソリに自らを牽引させて進んでいった
スコットは4人で350kgのソリを引くという大変な重労働
阿部さんは一人で100kgを引くんだから単純計算ではスコットよりも過酷
道具や携帯食糧の進化でどこまでカバーできるかかな?

237:世界@名無史さん
21/09/30 10:26:30.94 0.net
南極大陸の氷が増えれば、海水面が低下して、世界の陸地が増える

238:世界@名無史さん
21/09/30 11:06:08.90 0.net
平安海進(へいあんかいしん)とは、8世紀から12世紀にかけて発生した大規模な海水準の上昇(海進現象)のこと。
ロットネスト海進とも呼ばれているが、日本における当該時期が平安時代と重なるためにこの名称が用いられている。
ローズ・フェアブリッジ(英語版)教授の海水準曲線によると、8世紀初頭(日本の奈良時代初期)の海水面は、現在の海水面より約1メートル低かった。
10世紀初頭には現在の海水面まで上昇した。
11世紀前半には現在の海水面より約50センチメートル低くなった。
12世紀初頭に現在の海水面より約50センチメートル高くなった[1]。
日本においても平安海進の影響は大きく、特に縄文海進の時にも大規模な海進が生じた関東地方ではそれが顕著であった。
(以下↓)
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)


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