南極大陸の歴史at WHIS
南極大陸の歴史 - 暇つぶし2ch400:世界@名無史さん
22/03/11 10:47:38.56 0.net
ウィルソンさんのスケッチ
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401:世界@名無史さん
22/03/11 20:09:08.96 0.net
March 11. – Titus Oates is very near the end, one feels.
What we or he will do, God only knows.
We discussed the matter after breakfast; he is a brave fine fellow and understands the situation, but he practically asked for advice.
Nothing could be said but to urge him to march as long as he could.
One satisfactory result to the discussion; I practically ordered Wilson to hand over the means of ending our troubles to us, so that any one of us may know how to do so.
Wilson had no choice between doing so and our ransacking the medicine case.
We have 30 opium tabloids apiece and he is left with a tube of morphine.
So far the tragical side of our story.
The sky completely overcast when we started this morning.
We could see nothing, lost the tracks, and doubtless have been swaying a good deal since – 3.1 miles for the forenoon – terribly heavy dragging – expected it.
Know that 6 miles is about the limit of our endurance now, if we get no help from wind or surfaces.
We have 7 days’ food and should be about 55 miles from One Ton Camp tonight, 6×7=42, leaving us 13 miles short of our distance, even if things get no worse.
Meanwhile the season rapidly advances.
3月11日–タイタス・オーツはもうすぐ終わりだと感じています。
私達または彼がどうするかは、神のみぞ知るところです。
私達は朝食後にその問題について話し合いました;彼は勇敢で素晴らしい仲間であり、状況を理解しています、しかし彼は実際にアドバイスを求めました。
彼ができる限り行進することを彼に促すほかに何も言えませんでした。
ディスカッションに対する一つの満足のいく結果;私は実際に「私達のトラブルを終わらせることを意味するものを私達に手渡すこと」をウィルソンにオーダーしました、私達の誰もがその場合どうしたらいいのかを知ることができるようにするために。
ウィルソンは、“そうするか”もしくは“私達が薬箱をくまなく探すか”のどちらかを選ぶことはできませんでした。
私達は各自30錠の阿片タブロイドを持ち、彼はモルヒネのチューブを残されています。
ここまでは私達の物語の悲劇的な一面。
私達が今朝出発した時、空は完全に曇っていました。
私達は何も見えず、わだちを見失い、疑いなくその時からかなり左右にふらふらしています - 午後は3.1マイル(5km弱) - 酷く重い引きずり - 予想通り。
もし私達が風や雪面からの助けを得られないならば、6マイル(9.1km)が今の私達の持久力のおおよその限界だと知っています。
私達は7日分の食料を持っています、そして今夜1トンキャンプから約55マイル(88km)のはずです、6(マイル)×7(日)=42(マイル)、私達の距離に対して13マイル(20.8km)の不足を私達に残しています、たとえ事態が更に悪くならないとしても。
そうしている間にも季節はどんどん進んでいきます。

402:世界@名無史さん
22/03/12 08:02:23.26 0.net
【解説】南極探検船エンデュアランス号をついに発見、水深3千mの海底で、沈没から107年
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

403:世界@名無史さん
22/03/12 19:14:10.29 0.net
【フーパー山デポでの物資の不足】
スコットの南極点探検の往路において、南緯80度を超えて寒さと餌となるマグサの不足から弱っていく馬を尻目に犬そりの犬の方はスコットが「犬は素晴らしいの一言につきる」と日記に書くほどの働きっぷりだった。
ベアドモア氷河を前にして猛吹雪のために4日間の滞在を余儀なくされ、本来は氷河に入ったところまで使う予定だった馬の餌が尽き、氷河の直前で残った馬5頭を射殺する。
このため、犬そり隊の任務が増し、馬そりの代わりに氷河の登口までそりを引き、そこで引き返した。
馬そりを担当していたのはミアズとドミトリーである。
帰路は犬の進みが予定外に悪くなり旅が長引いてしまったので食料がなくなり、担当の2人はフーパー山デポで各班の残りから少しずつ取った。
第一支援隊(上氷河デポで引き返した)のアトキンソン、チェリーガラード、ライト、コヘインがフーパー山デポに到着した時にそのことに気づき、1tデポでも同様だったらどうしようかと、以後空腹を我慢して食料を節約しながら旅を続けた。
果たして1tデポに到着すると、予定通り犬そり班の2人が食料を再補給したので喜んだという話。
なお、エヴァンス大尉らの最終帰還隊はフーパー山デポでの食料不足については何も語ってないし、基地に到着後は極点隊の行進は順調で易々と極点に到達するだろうと基地の仲間に語っている。

404:世界@名無史さん
22/03/12 20:53:13.69 0.net
Monday, March 12. – We did 6.9 miles yesterday, under our necessary average.
Things are left much the same, Oates not pulling much, and now with hands as well as feet pretty well useless.
We did 4 miles this morning in 4 hours 20min. – we may hope for 3 this afternoon, 7×6=42.
We shall be 47 miles from the depôt.
I doubt if we can possibly do it.
The surface remains awful, the cold intense, and our physical condition running down.
God help us!
Not a breath of favourable wind for more than a week, and apparently liable to head winds at any moment.

3月12日月曜日 – 私達は昨日6.9マイル(11km)進みました、私達に必要なアベレージを下回っています。
事態はほとんど同じままであり、オーツはあまり引っ張らず、今では手も足と同様にほとんど使えなくなっています。
今朝は4時間20分で4マイル進みました – 今日の午後は3マイルの望みがあるかもしれません、7(マイル)×6(日)=42(マイル)
私達はデポから47マイル(75.2km)の距離におります。
私達ができるかどうか疑問です。
雪面は恐ろしいままで、寒さは厳しく、私たちの健康状態は衰えています。
神よ私達を助けたまえ!
一週間以上有益な風の息吹がなく、見たところ今にも向かい風になりそうです。

405:世界@名無史さん
22/03/13 22:43:41.34 0.net
3月13日はスコットは日記を書きませんでした。

406:世界@名無史さん
22/03/14 21:30:27.00 0.net
Wednesday, March 14. – No doubt about the going downhill, but everything going wrong for us.
Yesterday we woke to a strong northerly wind with temp. -37°.
Couldn’t face it, so remained in camp till 2, then did 5¼ miles.
Wanted to march later, but party feeling the cold badly as the breeze (N.) never took off entirely, and as the sun sank the temp. fell.
Long time getting supper in dark.
This morning started with southerly breeze, set sail and passed another cairn at good speed; half-way, however, the wind shifted to W. by S. or W.S.W., blew through our wind clothes and into our mits.
Poor Wilson horribly cold, could not get off ski for some time.
Bowers and I practically made camp, and when we got into the tent at last we were all deadly cold.
Then temp. now midday down -43° and the wind strong.
We must go on, but now the making of every camp must be more difficult and dangerous.
It must be near the end, but a pretty merciful end.
Poor Oates got it again in the foot.
I shudder to think what it will be like tomorrow.
It is only with greatest pains rest of us keep off frostbites.
No idea there could be temperatures like this at this time of year with such winds.
Truly awful outside the tent.
Must fight it out to the last biscuit, but can’t reduce rations.
3月14日水曜日–下り坂であるのは疑いないが、すべてが私達にとって上手くいってない。
昨日、私達はマイナス37℃の強い北風で目が覚めた。
それに立ち向かうことができなかったので、2時までキャンプに留まり、それから5¼マイル(8.4km)進んだ。
もっと遅くまで行進したかったが、北からの風が去ることがなく、太陽が沈んで気温が下がったので、隊は酷く寒さを感じた。
暗い中で夕食を取るのに長い時間が掛かった。
今朝は南風で出発し、帆を張り、かなりの速度で別の雪塚を通過した;しかしながら、途中から風が南から西、または西南西に変わり、私達の防風着を吹き抜け手袋に入り込む。
可哀そうなウィルソンは酷く寒がって、しばらくの間スキーを脱ぐことができなかった。
バウワースと私でほとんどキャンプを作った、そして私達がようやくテントの中に入った時、私達は皆死ぬほど寒かった。
その後、今真昼で気温はマイナス43℃まで下がり、風が強い。
私達は前進しなければならないが、今は毎回キャンプを作るのがより難しく危険になるに違いない。
終わりが近づいているに違いないが、かなり慈悲深い終わり方。
可哀そうなオーツはまた足をやられた。
明日がどうなるのかと思うとぞっとする。
私達の残りが凍傷にならないでいるのは、ただただ最大限の骨折りをしているからだ。
一年のこの時期にそのような風を伴ってこのような気温になるとは思いもよらなかった。
テントの外は真に恐ろしい。
最後のビスケットまで戦わなくてはならない、しかし配給量を減らすわけにはいかない。

407:世界@名無史さん
22/03/15 19:25:31.90 0.net
>>396
三人死亡しているんだな
「消された男たち」を読んで出発前のドタバタに苛立ちを感じた
シャクルトンの指導力を少し見損なったわ

408:世界@名無史さん
22/03/15 23:30:13.26 0.net
3月15日もスコットは日記を書きませんでした。
事態が逼迫して厳しい環境下で書ける状況ではなかったのかもしれません。

409:世界@名無史さん
22/03/16 20:15:16.69 0.net
イギリスの英雄はアーネスト・シャクルトンではなくルイス・ハミルトン

410:世界@名無史さん
22/03/16 23:19:40.18 0.net
Friday, March 16 or Saturday 17. – Lost track of dates, but think the last correct.
Tragedy all along the line.
At lunch, the day before yesterday, poor Titus Oates said he couldn’t go on; he proposed we should leave him in his sleeping-bag.
That we could not do, and induced him to come on, on the afternoon march.
In spite of its awful nature for him he struggled on and we made a few miles.
At night he was worse and we knew the end had come.
Should this be found I want these facts recorded.
Oates’ last thoughts were of his Mother, but immediately before he took pride in thinking that his regiment would be pleased with the bold way in which he met his death.
We can testify to his bravery.
He has borne intense suffering for weeks without complaint, and to the very last was able and willing to discuss outside subjects.
He did not – would not – give up hope to the very end.
He was a brave soul.
This was the end.
He slept through the night before last, hoping not to wake; but he woke in the morning – yesterday.
It was blowing a blizzard.
He said, ‘I am just going outside and may be some time.’
He went out into the blizzard and we have not seen him since.
I take this opportunity of saying that we have stuck to our sick companions to the last.
In case of Edgar Evans, when absolutely out of food and he lay insensible, the safety of the remainder seemed to demand his abandonment, but Providence mercifully removed him at this critical moment.
He died a natural death, and we did not leave him till two hours after his death.
We knew that poor Oates was walking to his death, but though we tried to dissuade him, we knew it was the act of a brave man and an English gentleman.
We all hope to meet the end with a similar spirit, and assuredly the end is not far.
I can only write at lunch and then only occasionally.
The cold is intense, -40° at midday.
My companions are unendingly cheerful, but we are all on the verge of serious frostbites, and though we constantly talk of fetching through I don’t think any one of us believes it in his heart.
We are cold on the march now, and at all times except meals.
Yesterday we had to lay up for a blizzard and today we move dreadfully slowly.
We are at No.14 pony camp, only two pony marches from One Ton Depôt.
We leave here our theodolite, a camera, and Oates’ sleeping-bags.
Diaries, &c., and geological specimens carried at Wilson’s special request, will be found with us or on our sledge.

411:世界@名無史さん
22/03/16 23:29:03.75 0.net
3月16日金曜日または17日土曜日–日付が分からなくなったが、後の方が正しいと思う。
至る所が悲劇だ。
一昨日の昼食時に可哀そうなオーツはもう先に進めないと言った;彼は「私達が彼の寝袋の中に彼を放置すべきだ」と提案した。
それは私達にはできないので、午後の行進に参加するよう彼を説得した。
彼にとってその恐ろしい状況だったにもかかわらず、彼は戦い抜き、私達は数マイル行進した。
夜に彼はますます悪くなり、私達は終わりが来るだろうと知った。
もしこれが発見されたら、これらの事実を記録して欲しい。
オーツの最後の想いは母のことだったが、その直前に彼は、彼の連隊が彼の死を迎えた中での大胆な方法を喜んでくれるだろうという考えにプライドをかけていた。
私達は彼の勇敢さを証言することができる。
彼は不平を言わずに数週間も激しい苦痛に耐え、最後の最後まで余談を語り合うことができ、喜んで(語り合いを)してきた。
彼は終わり間際まで希望を捨てなかった - 捨てようとしなかた。
彼は勇者だった。
これが終わりだった。
彼は一昨日の夜眠っていた、目覚めないことを望みながら;しかし彼は朝に目覚めた - 昨日。
ブリザードが吹き荒れていた。
彼は言った、「ちょっと外に出てくる、しばらく掛かるかもしれない」。
彼はブリザードの中に出ていき、私達はそれ以来彼に会っていない。
この場を借りて言うが、私達は私達の病気の仲間を最後まで守ってきた。
エドガー・エヴァンズの場合は、食料が全くなく無意識で横たわっていた時、残された者の安全のためには彼の遺棄を要求しているように思われたが、天はこの危機的瞬間に彼を慈悲深く連れ去った。
彼は自然死であり、私たちは彼の死後2時間に至るまで彼のそばを離れなかった。
私達は可哀そうなオーツが死に向かって歩いているのを知っていた、しかし私達は彼を思いとどまらせようとしたけれども、私達はそれが勇敢な男、イギリス紳士の行為であることも知っていた。
私達は皆同じような精神で終わりを迎えたいと望んでおり、確実に終わりは遠くない。
私は昼食時だけ、それも本当に時折だけ書くことができる。
寒さは厳しく、正午に-40℃。
私の仲間は果てしなく快活だが、私達は皆深刻な凍傷の寸前、そして私達は常に魅力的な話をしているのだが、私は私達の誰もが彼らの本心からそれを信じているとは思わない。
私達は今行進中も寒く、そして食事を除く全ての時間で寒い。
昨日私達はブリザードの為に引き籠らざるを得ず、今日私達はものすごくゆっくりと移動している。
私達は、1トンデポからたった2ポニー行進のNo.14ポニーキャンプにいる。
私達はここに、私達の経緯儀、カメラ、オーツの寝袋を残す。
日記やその他、ウィルソンの特別な要望で運ばれた地質学的標本は、私達と共に、あるいは私達のソリの上で見つけることができるだろう。

412:世界@名無史さん
22/03/17 14:26:31.79 0.net
シャクルトンも南極横断探検の時にオーロラ号に乗っていたロス海支援隊で三人の犠牲者が出たと聞いた時はショックを受けていたけど
スコットも目の前で次々と隊員が死んでしまって相当悲痛だっただろうな

413:世界@名無史さん
22/03/17 21:19:51.78 0.net
Sacrifice Amid the Ice: Facing Facts on the Scott Expedition | History| Smithsonian Magazine
URLリンク(www.smithsonianmag.com)
これもそうだけどオーツや他の隊員視点の話がたくさん読めるサイトがあったら教えてほしいです

414:世界@名無史さん
22/03/17 22:11:07.79 0.net
>>413
まずはWikipedia
URLリンク(en.m.wikipedia.org)

415:世界@名無史さん
22/03/17 22:28:34.15 0.net
このサイトもいいね
URLリンク(www.coolantarctica.com)

416:世界@名無史さん
22/03/17 22:42:32.08 0.net
3月17日のスコットの日記が>>410

417:世界@名無史さん
22/03/17 23:59:55.72 0.net
オーツはもう目が覚めないよう願いながら一晩眠った。

苦しみにが限度に達してウィルソンに渡されたアヘンを飲んで寝たのだろうという説がある

418:世界@名無史さん
22/03/18 21:03:27.08 0.net
Sunday, March 18. – Today, lunch, we are 21 miles from the depôt.
Ill fortune presses, but better may come.
We have had more wind and drift from ahead yesterday; had to stop marching; wind N.W., force 4, temp. -35°.
No human being could face it, and we are worn out nearly.
My right foot has gone, nearly all the toes – two days ago I was proud possessor of best feet.
These are the steps of my downfall.
Like an ass I mixed a small spoonful of curry powder with my melted pemmican – it gave me violent indigestion.
I lay awake and in pain all night; woke and felt done on the march; foot went and I didn’t know it.
A very small measure of neglect and have a foot which is not pleasant to contemplate.
Bowers takes first place in condition, but there is not much to choose after all.
The others are still confident of getting through – or pretend to be – I don’t know!
We have the last half fill of oil in our primus and a very small quantity of spirit – this alone between us and thirst.
The wind is fair for the moment, and that is perhaps a fact to help.
The mileage would have seemed ridiculously small on our outward journey.
3月18日日曜日 – 今日、昼食、私たちはデポから21マイル(33.6km)にいる。
不運が押し寄せているが、より良くなるだろうか。
私達は昨日更に強い風があり前方に漂流した;行進をやめなければならなかった;北西風、風力4、気温-35℃。
それに直面できる人はいない、それに私達はほぼ精も根も尽きている。
私の右足はほぼ全てのつま先が行ってしまった - 二日前は最高の足の保有者であるのを誇っていたのに。
これらは私の転落の歩みである。
馬鹿の様に私はカレーパウダーの小匙一杯を溶かしたぺミカンに混ぜた - それは私に激しい消化不良をもたらせた。
私は夜通し苦痛の中で横になって目を覚ましていた;起き上がって行進中にもう駄目だと感じた;足が行ってしまったので分からなかった。
非常に些細な油断で考えるのも嫌な足になった。
バウワーズが健康状態では一位だが、結局のところ(誰が一位かを)選ぶ余地はあまりない。
他の人達は未だに切り抜けるのを確信している - あるいはそういうふりをしている - 私には分からない!
私達は私達のプリムスストーブに残り半分のオイル、それと極少量のエタノールを持っている - 私達と渇望との間にあるのはこれだけ。
風は今のところまずまずで、それはもしかすると救いの事実である。
走行距離は、私達の往路では馬鹿馬鹿しいほど短く感じられただろう。

419:世界@名無史さん
22/03/19 11:20:33.70 0.net
>>418 訂正
>I lay awake and in pain all night; woke and felt done on the march; foot went and I didn’t know it.
>A very small measure of neglect and have a foot which is not pleasant to contemplate.
>私は夜通し苦痛の中で横になって目を覚ましていた;起き上がって行進中にもう駄目だと感じた;足が行ってしまったので分からなかった。
>非常に些細な油断で考えるのも嫌な足になった。
私は夜通し苦痛の中で横になって目を覚ましていた;起き上がって行進中にもう駄目だと感じた;足が行ったが私はそれに気が付かなかった。
非常に些細な油断で考えるのも嫌な(考えるのが喜ばしくない)足になった。

420:世界@名無史さん
22/03/19 21:26:50.90 0.net
March 19. – Lunch.
We camped with difficulty last night and were dreadfully cold till after our supper of cold pemmican and biscuit and a half a pannikin of cocoa cooked over the spirit.
Then, contrary to expectation, we got warm and all slept well.
Today we started in the usual dragging manner.
Sledge dreadfully heavy.
We are 15½ miles from the depôt and ought to get there in three days.
What progress!
We have two days’ food but barely a day’s fuel.
All our feet are getting bad – Wilson’s best, my right foot worst, left alright.
There is no chance to nurse one’s feet till we can get hot food into us.
Amputation is the least I can hope for now, but will the trouble spread?
That is the serious question.
The weather doesn’t give us a chance – the wind from N. to N.W. and -40° temp. today.
3月19日 – 昼食。
私達は昨夜苦労してキャンプをし、冷たいペミカンとビスケットとエタノールで煮たココアの金属製の小コップ半分の我々の夕食後まで恐ろしく寒かった。
その後、予想に反して、私達は暖かくなり皆よく眠れた。
今日、私達はいつも通りの引き方で出発した。
そりは恐ろしく重い。
私達はデポから15½マイル(24.8km)で、3日でそこに到着するはずだ、
なんという(のろい)進み具合だ!
私達は二日分の食料を持っているが、燃料は僅か一日分。
私達の足は皆悪くなっている – ウィルソンが最も良く、私の右足が最も悪い、左足は大丈夫。
私達が温かい食べ物を食べられるまで足を看護するための機会はない。
切断は今のところ私が望みうる最小限だが、具合の悪さが広がるだろうか?
それは深刻な問題だ。
天候は我らに好機を与えず - 今日は北から北西への風、-40℃の気温。

421:世界@名無史さん
22/03/20 16:14:16.82 0.net
南極点のアムンセンのテント
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

422:世界@名無史さん
22/03/20 22:34:38.03 0.net
3月20日はスコットは日記を書きませんでした。
あるいは書けませんでした。

423:世界@名無史さん
22/03/21 06:05:05.68 0.net
>>421
上の写真はアムンゼン隊が撮影した物で、
下の写真はスコット隊が撮影した物かな?

424:世界@名無史さん
22/03/21 10:16:58.94 0.net
>>423
そうだね
アムンセン隊のは自分たちが張ったテントの上のノルウェー国旗への敬意を感じる写真だけど
スコット隊のはテントを取り囲んむ隊員らの無念さや失望がよく映されている写真になってる

425:世界@名無史さん
22/03/21 20:31:17.66 0.net
Wednesday, March 21. – Got within 11 miles of depôt Monday night; had to lay up all yesterday in severe blizzard.
Today forlorn hope, Wilson and Bowers going to depôt for fuel.
3月21日水曜日 – 月曜日の夜にデポから11マイル(17.6km)以内に到着; 昨日はずっとシビアな(=過酷な)ブリザードで引き籠っていなければなかなかった。
今日は儚い希望を抱き、ウィルソンとバウワーズが燃料のためデポに行く予定。

426:世界@名無史さん
22/03/22 16:29:33.72 0.net
なお小ネタとしては、>>421の写真に写ってるアムンゼン隊のテントは、緊急用に
用意されたテントで、日本製の羽二重で作られてたって話。
畳むと非常に小さくなるので緊急用として持ち込まれたんだが、使われなかったんで
不要な物とスコット宛の手紙を中に入れて南極点に残置された、って話。
元々は布地が白かったんだが、南極で白は目が痛いんで
持ってきてたインクで黒く染めたんだとか。

427:世界@名無史さん
22/03/22 21:43:32.86 0.net
3月22日もスコットは日記をつけてませんでした。
代わりに南極点到達の日の日記をUPします。

428:世界@名無史さん
22/03/22 21:44:32.24 0.net
Wednesday, January 17. – Camp 69. T. -22° at start. Night -21°.
1月17日水曜日–キャンプ69。出発時の気温-22°。 夜は-21°
The Pole.
極点
Yes, but under very different circumstances from those expected.
そうだ、だが期待していたものとは程遠い状況下だ。
We have had a horrible day – add to our disappointment a head wind 4 to 5, with a temperature -22°, and companions labouring on with cold feet and hands.
私達は酷い日を過ごした - 我々の失望に加え向かい風が風力4から5、気温 -22°、そして冷えた手足で働いている仲間。
We started at 7.30, none of us having slept much after the shock of our discovery.
私達は7.30に出発した、我々の発見のショックの後では我々の誰もがあまり眠れなかった。
We followed the Norwegian sledge tracks for some way; as far as we make out there are only two men.
私達はノルウェーのそりのわだちをどうにか追跡した;私達が理解する限り男は2人だけである。
In about three miles we passed two small cairns.
約3マイルの間に私達は2つの小さな雪塚を通過した。
Then the weather overcast, and the tracks being increasingly drifted up and obviously going too far to the west, we decided to make straight for the Pole according to our calculations.
その後天気は曇り、わだちはどんどん吹き積もっていき、明らかに西に行き過ぎたので、私達は我々の計算に従って極点へと直進することに決めた。
At 12.30 Evans had such cold hands we camped for lunch – an excellent ‘week-end one.’
12時30分にエヴァンスはとても手が冷たくなったので私達は昼食の為にキャンプをした - エクセレントな‘週末の一つ’。
We had marched 7.4miles. Lat. sight gave 89° 53' 37".
私達は7.4マイル行進した。緯度計は89度53分37秒を示した。
We started out and did 6½ miles due south.
私達は出発し、真南に6½マイル進んだ。
Tonight little Bowers is laying himself out to get sights in terrible difficult circumstances;the wind is blowing hard, T. -21°, and there is that curious damp, cold feeling in the air which chills one to the bone in no time.
今夜小柄なバウワーズは酷く難しい状況で視界を得るために横になっている;風が強く吹いている、気温-21°、その妙な湿度、直ぐに骨身に悪寒が染みこむ空気の冷たい感触がある。
We have been descending again, I think, but there looks to be a rise ahead; otherwise there is very little that is different from the awful monotony of past days.
私達は再び下降している、私は思う、しかし前方に登りがあるように見える;それ以外はここ数日のの恐ろしい単調さと異なっているのはほんの僅かだ。

429:世界@名無史さん
22/03/22 21:44:57.13 0.net
>>428 続き
Great God! this is an awful place and terrible enough for us to have laboured to it without the reward of priority.
偉大なる神よ! ここは恐ろしい場所だ、優先権の褒美もなくそれに苦心してきた我々にとってあまりにも恐ろしい。
Well, it is something to have got here, and the wind may be our friend tomorrow.
よろしい、ここに来たのは何か意味がある、そして風は明日我々の友達かもしれない。
We have had a fat Polar hoosh in spite of our chagrin, and feel comfortable inside - added a small stick of chocolate and the queer taste of a cigarette brought by Wilson.
私達は我々の悔しさにもかかわらず脂い極地のフーシュを食べ、(テントの)内で快適に感じる - チョコレートの小さなスティックとウィルソンに持ってこられたタバコのふらふらする味感を追加した。
Now for the run home and a desperate struggle.
さて次は基地に帰るのに死に物狂いの戦いだ。
I wonder if we can do it.
できるだろうか?

430:世界@名無史さん
22/03/23 10:03:51.23 0.net
>>426
そのアムンセンのテントだが、しばしばテントの中に残したもののリストに「スコット隊の為の食料」が挙げられてることがあるけど、アムンセン著の南極点やチェリガラード著の世界最悪の旅で当該箇所が書かれているウィルソンの日記にも、テントの中に残したもの残されてたものに食料はないんだよね。
アムンセンはイギリス隊は充分な食料を持ってきているだろうし、帰りに全滅するとも思ってなかったから、テントに食料を置く必要を感じてなかったのは当然だけどね。
アムンセンはスコット率いるイギリス隊の実力を相当買っていたし。
ただ、アムンセンの南極点には「いくら私がスコットやシャクルトンの本に学ぶことが多くても、それら英国隊が犬やスキーを軽視しているのには理解ができない」みたいなことが書かれていたと思った。
ちなみに南極点を書いた時点では、アムンセンはスコット隊が全滅していることを知らなかったし、生きているものと思っていた。

431:世界@名無史さん
22/03/23 21:31:23.33 0.net
Thursday, March 22 and 23. – Blizzard bad as ever – Wilson and Bowers unable to start – tomorrow last chance – no fuel and only one or two of food left – must be near the end. Have decided it shall be natural – we shall march for the depôt with or without our effects and die in our tracks.
3月22日&23日木曜日。–ブリザードが相変わらず酷い – ウィルソンとバウアーズは出発できない – 明日が最後のチャンス – 燃料はなく食料の一、二食分を残すのみ – 終わりが近いに違いない。それ(終わり)を自然にゆだねる決心をした - 私達は我々の所持品を持って、あるいは持たずにデポに向かって行進し、我々の走路にて死ぬだろう。

432:世界@名無史さん
22/03/23 23:08:20.58 0.net
>>430
俺のテントだったらスコット隊も全滅することは無かっただろうに
南無南無

433:世界@名無史さん
22/03/23 23:22:36.49 0.net
>>432
準備の重要性
URLリンク(mhcas.com)
人類初の南極点到達を競った二人、アムンセン(ノルウェー)とスコット(イギリス)。
この二人が対照的な結果に終わったことはよく知られています。
アムンセンはチームワークを重視し、スコットは上意下達型の組織で進めました。
特に、大きく異なったのは「準備」です。アムンセンは移動手段として犬ぞりのみを使いましたが、3回の遠征を行い、その間に衣類やテントなどの改良を行いました。一方、スコットは過去に犬ぞりで失敗していたので、動力そりなどの3種類の移動手段を準備しましたが、遠征訓練は1回にとどまりました。
帰りの物資の目印についても置き場所の1ヶ所にのみ目印を置くスコットに対し、アムンセンはたくさん旗を立てることで絶対に物資に到着できるようにしました。
このような徹底した準備の差が初の南極点到達と生死を分けることになったのです。
もちろん、スコットも準備はしましたが、想定する最悪の事態が甘かったり、ずれていたりしていたのです。
当時の南極探検と同様に不透明な先行きの中で進んでいかなければならない現代ビジネスの経営や営業においても、いかに徹底的な準備をし、最悪の事態を想定するか、が重要になっていると思います。
何が起こるか、何を求められているか、どれだけの資金が必要になるか。しっかりと起こりうる事態を想定する「想像力」と周到な準備を行う「準備力」が今、求められています。(ウメバヤシ)

434:世界@名無史さん
22/03/24 22:23:01.55 0.net
3月24日からしばらくスコットは日記を書いていません
次の日記は3月29日になります

435:世界@名無史さん
22/03/25 22:58:08.96 0.net
>>428の翌日のスコットの日記
Thursday morning, January 18. – Decided after summing up all observations that we were 3.5 miles away from the Pole – one mile beyond it and 3 to the right.
1月18日木曜日の朝 – 全ての観測の総括の後、私達は極点から3.5マイル(5.6km)離れていると判断した – 1マイル(1.6km)それ(極点)より向こうで右に3マイル(4.8km)。
More or less in this direction Bowers saw a cairn or tent.
この方向でおおよそバウワーズは雪塚やテントを見た。
We have just arrived at this tent, 2 miles from our camp, therefore about 1½ miles from the Pole.
私達はこのテントに到達したところだ、我々のキャンプから2マイル(3.2km)、従って極点から約1½マイル(800m)にある。
In the tent we find a record of five Norwegians having been here,as follows: Roald Amundsen Olav Olavson Bjaaland Hilmer Hanssen Sverre H. Hassel Oscar Wisting. 16 Dec. 1911.
テントの中で私達は5人のノルウェー人がここにいたという記録を見つけた、以下の通りである;Roald Amundsen Olav Olavson Bjaaland Hilmer Hanssen Sverre H. Hassel Oscar Wisting. 1911年12月16日。
The tent is fine – a small compact affair supported by a single bamboo.
テントは素晴らしい - 一本の竹によって支えられた小さくコンパクトなもの。
A note from Amundsen, which I keep, asks me to forward a letter to King Haakon!
私が保管しているアムンセンからのノートには、ホーコン王に手紙を届けることを私に頼んでいる!
The following articles have been left in the tent: 3 half bags of reindeer containing a miscellaneous assortment of mits and sleeping socks, very various in description, a sextant, a Norwegian artificial horizon and a hypsometer without boiling-point thermometers, a sextant and hypsometer of English make.
下記の品物がテントの中に残されていた:ミットの様々な種類と寝袋が包含されているトナカイのハーブバック3個、解説が非常に多彩、六分儀、ノルウェー製の人工水平器と沸点温度計のない湿度計、英国製の六分儀と沸点気圧計。
Left a note to say I had visited the tent with companions.
私は仲間と一緒にそのテントを訪ねた、と書いたノートを残した。
Bowers photographing and Wilson sketching.
バウワーズは写真を撮り、ウィルソンはスケッチをしている。
Since lunch we have marched 6.2 miles S.S.E. by compass (i.e. northwards).
昼食から私達はコンパスによって南南東に6.2マイル(9.9km)行進した(つまり北の方に)。
Sights at lunch gave us ½ to ¾ of a mile from the Pole, so we call it the Pole Camp. (Temp. Lunch -21°.)
昼食時の見解は我々に極点から½から¾マイル(800m~1.2km)という判断を下したので、そう私達はそれを極点キャンプと呼ぶ(昼食時の気温-21°)。

436:世界@名無史さん
22/03/25 22:59:06.53 0.net
>>435 続き
We built a cairn, put up our poor slighted Union Jack, and photographed ourselves - mighty cold work all of it – less than ½ a mile south we saw stuck up an old underrunner of a sledge.
私たちは雪塚を建て、我々の哀れできゃしゃなユニオンジャックを立てて、自分たちの写真を撮った - そのすべてが非常に冷たい仕事 - 南に半マイル足らずで、私達はそりの古いアンダーランナーが立ち往生しているのを見た。
This we commandeered as a yard for a floorcloth sail.
これを私達は床布帆の帆桁として徴用した。
I imagine it was intended to mark the exact spot of the Pole as near as the Norwegians could fix it. (Height 9500.)
私は、ノルウェー人が調整できる限りの極点の正確な地点を示すのを目指していたと察する。(高さ9500。)
A note attached talked of the tent as being 2 miles from the Pole.
貼り付けられていたノートには、テントは極点から2マイル(3.2km)の場所にあると書かれていた。
Wilson keeps the note.
ウィルソンがノートを預かる。
There is no doubt that our predecessors have made thoroughly sure of their mark and fully carried out their programme.
我々の先人が彼らの到達点を徹底的に確認し、彼らのプログラムを完全に成し遂げたことに疑いの余地はない。
I think the Pole is about 9500 feet in height; this is remarkable, considering that in Lat.
私は極点の標高は9500フィートだと考える;これは、その緯度を考慮すると注目に値する。
88° we were about 10,500.
88度では私達は約10,500フィートだった。
We carried the Union Jack about ¾ of a mile north with us and left it on a piece of stick as near as we could fix it.
私達はユニオンジャックを我々と共に北におおよそ1マイルの¾(1.2km)ほど運び、私達は調整できる限り竿の切れ端にそれを残した。
I fancy the Norwegians arrived at the pole on the 15th Dec. and left on the 17th, ahead of a date quoted by me in London as ideal, viz.
私はノルウェー人が12月15日に極点に到達し17日に去ったのだと思う、つまりロンドンで理想であると私が引用した日付よりも前である。

437:世界@名無史さん
22/03/25 23:00:50.57 0.net
>>435 自己レス
>We have just arrived at this tent, 2 miles from our camp, therefore about 1½ miles from the Pole.
>私達はこのテントに到達したところだ、我々のキャンプから2マイル(3.2km)、従って極点から約1½マイル(800m)にある。
私達はこのテントに到達したところだ、我々のキャンプから2マイル(3.2km)、従って極点から約1½マイル(2.4km)にある。

438:世界@名無史さん
22/03/26 21:31:41.39 0.net
アトキンソン博士の霜に噛まれた手、1911年(白黒写真)
URLリンク(images-cdn.bridgemanimages.com)

439:世界@名無史さん
22/03/27 21:37:36.55 0.net
南極で"完全に前代未聞"の高温、いつもより約40度高く
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

440:世界@名無史さん
22/03/28 16:07:12.39 0.net
>>438
アッチは、基地の近くでブリザードにまかれて
道に迷ったんだっけ?
実際、それが基地の近くだったとしても、酷いブリザードで道に迷った
なんて話は昭和基地でもあった訳でして(第4次隊)。

441:世界@名無史さん
22/03/29 23:00:19.29 0.net
Thursday, March 29. – Since the 21st we have had a continuous gale from W.S.W. and S.W.
We had fuel to make two cups of tea apiece and bare food for two days on the 20th.
Every day we have been ready to start for our depot 11 miles away, but outside the door of the tent it remains a scene of whirling drift.
I do not think we can hope for any better things now.
We shall stick it out to the end, but we are getting weaker, of course, and the end cannot be far.
It seems a pity, but I do not think I can write more.
R. Scott
Last Entry
For God’s sake look after our people.
3月29日木曜日– 21日からずっと西南西及び南西からの強風が続いてる。
私達は、20日には各自二杯分のお茶を沸かすための燃料とかつかつ二日分の食糧を持っていた。
毎日11マイル(17.6km)離れている我々のデポに出発する準備をしているが、テントの窓の外では渦巻く地吹雪の世界のまま。
私は今、私達が事態が好転することを望めるとは思わない。
私達は最後までやり遂げるつもりだが、勿論のこと衰弱してきており、終わりは遠くない。
残念なことのようだが、私はこれ以上書くことができないと思う。
R.スコット
最後の事項
後生だが我々の家族の面倒を見てください。

442:世界@名無史さん
22/03/30 10:51:22.26 0.net
>>440
アトキンソン博士は最初は馬そり班。
氷河に入ってからはエバンス大尉、ライト、ラッシリーと共に人力でそりを引き、上氷河デポでエバンス大尉らと離れてチェリーガラード等と一緒に引き返した。
凍傷がどこで起きたのかは不明(^_^;)
のちにこのアトキンソン博士がスコット隊を犬ぞりで迎えに行く時に出発が遅くなってしまった。
でもそのお陰で壊血病に犯されてたエバンス大尉を救うことができたのかもしれない。
問題はその後で、アトキンソン博士の代わりに誰を犬ぞり係りにするかすったもんだしてチェリーガラードを選んだんだけど、この時にガラードに伝えたアトキンソン博士の指示がガラードを1tデポから南に行くことが出来なかったら理由の一つとなってしまう。

443:世界@名無史さん
22/03/30 10:52:46.95 0.net
この時にガラードに伝えたアトキンソン博士の指示が、ガラードが1tデポから南に行くことが出来なかった理由の一つとなってしまう。

444:世界@名無史さん
22/03/30 16:10:39.13 0.net
アムンセン
「もしそれでスコットの死を救えるのなら、どんな名誉もお金も喜んで捨てます。」
(スコット隊が全滅したとの報を聞いて)

445:世界@名無史さん
22/03/30 16:15:31.64 0.net
>>441
あぁ、ついに最後の日が来たのか・・・
”最後の晩餐”に役に立ったのが、アムンゼン隊が残したテント
”ポールハイム”から持ってきたアルコールランプだったとかいう話。

446:世界@名無史さん
22/03/30 21:04:56.75 0.net
URLリンク(pbs.twimg.com)

447:世界@名無史さん
22/03/30 23:59:24.51 0.net
>>445
そのアムンセンから頂戴することになったアルコールランプに入れたのが
>>418の3/18の日記に書いてる
>We have the last half fill of oil in our primus and a very small quantity of spirit – this alone between us and thirst.
私達は私達のプリムスストーブに残り半分のオイル、それと極少量のエタノールを持っている - 私達と渇望との間にあるのはこれだけ。
(spiritは馬鹿正直にエタノールと訳すのではなくアルコールの方が通りが良かったかも?ちなみに蒸溜酒全般はスピリッツですね)
ですかね。
その日の夜もそのアルコールで沸かした小コップ半分のココアを夕食としてとっていますが、
アルコールを使い切らなかったのは正解でしたね。
それにしても、往復3,000㌔を氷河からは人力で進むことを選択したスコットの冒険(探検)魂は生粋の冒険家のアムンセンをある意味では上回ってますね。
やはり偉大な冒険家でしょう、スコットは。

448:世界@名無史さん
22/03/31 00:12:39.19 0.net
ちなみにスコットのルートは102年後の2014年に英国人探検家によって遂に初走破されました。
ベンサウンダース
「タルカと私は、1世紀前のスコット大佐とそのチームの忍耐力、粘り強さ、不屈の精神に対し畏怖と畏敬の念が入り混じった感情を抱きました。」
その記事がこちら
クッキーは無視すると良いです。
URLリンク(www.redbull.com)
無事生還した後の感想を読むと、アムンセンの
準備十年、成功五分。
という言葉の正しさが分かります。
探検家は皆そうなんでしょう。
スコットもデスカバリーからテラノバまでの準備期間は葛藤や悶絶もありながらも色々と楽しかったでしょうね。
ワクワク、というやつですね。

449:世界@名無史さん
22/03/31 00:14:20.84 0.net
>>448
>クッキーは無視すると良いです。
クッキーは
全て無視する
で大丈夫です

450:世界@名無史さん
22/04/01 00:07:49.90 0.net
極地探検家にはご馳走だったフーシュ
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

451:世界@名無史さん
22/04/06 15:02:31.37 0.net
登山家だと乾パンとコンビーフが携帯食の定番

452:世界@名無史さん
22/04/08 17:09:35.73 0.net
チェリーガラード
「犬ぞり班のわれわれは、ライトが一人で進路から逸れていくのに気づいた。そしてわれわれの前を行くラバ班も右手へ曲がっていった。ライトは雪塚らしいものを見つけ、それからその脇に黒いものを見つけたのだ。はてな、という漠然とした思いが、徐々に、さては、という強い不安に変わっていった。
みんなが停止しているところへわれわれは追いついた。ライトが近寄ってきて『テントだ』と知らせた。どうして彼にそれがわかったのか私には今も謎だ。荒涼とした雪原があるきりだったのだ。われわれの右手に前年の雪塚の名残りがあった。ちょっと盛り上がっているだけだった。それから竹竿が3フィート、ぽつんと雪の上に突き出ていた。それから、もう一つ雪の盛り上がりがあった。こちらはいくらか尖った形をしていたかもしれない。われわれはそこへ近づいた。
(以下略)」
こうして1tデボから20キロ南でスコット隊の最終野営テントが発見される。
ガラードが強い不安に変わったのは、スコット隊がそんなに近くに帰ってきていたのなら、救出のためにもっと何かできたのではないか、という自責の念からとされる。
捜索隊はもっと南でスコット隊は亡くなったと推測していて、氷河の頂上まで捜索する準備をしていた。

453:世界@名無史さん
22/04/13 17:46:05.42 0.net
1ドル126円台突入で20年ぶりの円安水準となったが、20年前と大きく違うのは原油や石炭や小麦などの価格が供給不足で世界的に高騰していること。
日本はそれらを輸入に頼らざるを得ないのだが、ドル決済だから買えば買うほど更に円安になっていく。
ドル決済なので円を売ってドルに替える必要があるから。
この供給不足の中で俺らはどうすればいいのか?
乾パンと原油の供給が少ない中でも戦わないといけない、されど食料と燃料を節約することはできない。

454:世界@名無史さん
22/04/13 22:09:54 0.net
円安と物価高は安倍チョンの目論んだ景気対策

455:世界@名無史さん
22/04/14 22:47:01.48 0.net
アムンセン隊もスコット隊も極点に達した時の写真とか見ると髭を生やしてないけど探検中どうやって髭を剃ってたの?
一歩間違えて顔に傷付けたら水兵エバンスの手のように凍傷になる恐れがない?

456:世界@名無史さん
22/04/16 02:10:26.97 0.net
う~ん、マンダム

457:世界@名無史さん
22/04/23 02:17:09.76 0.net
>>454
円安でインフレにすれば年金支払額も国の借金も実質的に希薄化できるしね

458:世界@名無史さん
22/04/24 21:23:36.35 0.net
本田勝一の「アムンセンとスコット」夢中になって読んでたが、
スコット隊の帰還と遭難のところに差し掛かると苦しくなって読めんわ。
あの方々の魂の安らぎを祈ることしかできん。

459:世界@名無史さん
22/04/25 13:41:52.09 0.net
NASAが南極で発見した四角い氷床。信じられないかもしれないが、これは自然発生したものである。
URLリンク(twitter.com)
(deleted an unsolicited ad)

460:世界@名無史さん
22/04/25 23:24:08.85 0.net
スコットは最初のディスカバリー号の探検からの帰国後に既に国民的英雄になっていたけど、テラノバ遠征での悲劇が伝わってからはその不屈の精神などからイギリス人の象徴にまで成ったよ。
スコットを讃える記念碑や彫像があちこちに建てられ、遺書となった国民への手紙は確かイギリスの国語か倫理かの教科書にも取り入れられ、スコットの最後の日記でのラストエントリーによってスコット隊の遺族へは多額の寄付金が集まり、WWⅡの後に公開された映画「南極のスコット」は大ヒットした。
こうしたスコットの名声は1950年代までは続いていた。
その後、スコットはリーダーとしてダメダメ論が色んな作者によって書かれて、heroic bungler(英雄的にヘマばかりする人)とまで呼ばれた。
今世紀になって新たな文献などが見つかり、歴史家による汚名返上名誉挽回中。

461:世界@名無史さん
22/04/26 23:39:55.52 0.net
南極観測隊『それでも樺太犬はウマい!』

462:世界@名無史さん
22/04/28 00:07:18.24 0.net
My Dear Mrs. Wilson.
If this letter reaches you, Bill and I will have gone out together.
We are very near it now and I should like you to know how splendid he was at the end - everlastingly cheerful and ready to sacrifice himself for others, never a word of blame to me for leading him into this mess.
He is not suffering, luckily, at least only minor discomforts.
His eyes have a comfortable blue look of hope and his mind is peaceful with the satisfaction of his faith in regarding himself as part of the great scheme of the Almighty.
I can do no more to comfort you than to tell you that he died as he lived, a brave, true man - the best of comrades and staunchest of friends.
My whole heart goes out to you in pity. Yours,
R. Scott.

E・A・ウィルソン夫人へ
親愛なるウィルソン夫人へ。
この手紙があなたに届けば、ビルと私は一緒に旅立っているでしょう。
今まさにその寸前で、最後の彼の素晴らしさを知っていただきたいと思います - いつまでも明るく、他人のために自分を犠牲にする覚悟があり、彼をこの混乱に導いた私を一言も責めることはありません。
幸いなことに、彼は苦しんでおらず、少なくとも小さな不調があるだけです。
彼の目は希望に満ちた心地よい青色をしており、彼の心は彼自身を神の偉大な計画の一部とみなす彼の信仰の満足感で安らいでいます。
私は、彼が生きたまま死んだこと、勇敢で真の男であったことをお伝えする以外に、あなたを慰めることはできません - 最高の仲間であり、最も忠実な友人でした。
私の心はすべて、あなたに同情しています。敬具
R. スコット

463:世界@名無史さん
22/04/28 00:14:22.57 0.net
MY DEAR MRS. BOWERS,
I am afraid this will reach you after one of the heaviest blows of your life.
I write when we are very near the end of our journey, and I am finishing it in company with two gallant, noble gentlemen.
One of these is your son.
He had come to be one of my closest and soundest friends, and I appreciate his wonderful upright nature, his ability and energy.
As the troubles have thickened his dauntless spirit ever shone brighter and he has remained cheerful, hopeful, and indomitable to the end.
The ways of Providence are inscrutable, but there must be some reason why such a young, vigorous and promising life is taken.
My whole heart goes out in pity for you.
Yours,
R. SCOTT.
親愛なるバウワーズの母へ
これはあなたの人生で最も重い一撃の後にあなたに届くものと恐縮に思っています。
私は私達の旅の終わりに近づいている時に書いています、私は二人の勇敢で高貴な紳士と一緒に旅を終えています。
一人はあなたのご子息です。
彼は私の最も親密で高潔な友人の一人であり、私は彼の素晴らしい直情的な性格、能力、エネルギーを高く評価しています。
困難が大きくなるにつれ、彼の勇敢な精神はますます輝きを増し、最後まで明るく、希望に満ち、不屈の精神であり続けました。
天(節理)の道は不可解ですが、このように若く、活気に満ち、将来性のある生命が奪われるのは、何か理由があるのでしょう。
私の心は、あなたのことを哀れんでいます。
敬具
R. SCOTT.

464:世界@名無史さん
22/05/01 08:44:23.78 0.net
>>460
植物が出現し気候を変えた、と言う古生物学の本で極地の古代植物のくだりでスコット隊の採取した化石の話のところでいきなりスコット隊の偉業についてページがえらい割かれていて著者見たらイギリス人だった 
映画遊星からの物体xとか復活の日でノルウェー隊の扱いが酷いのは脚本家がスコットびいきでアムンセンに対する意趣返しじゃなかろうか

465:世界@名無史さん
22/05/02 16:16:37.33 0.net
昨日、自分はスーパーマーケットに行き着きたり。
慰めにならない慰め。あらゆる物資の値上げ。
誰の責に帰すべきなのか自分には分からない。
私達を救済してくれるべきアベノミクスは明らかに失敗している。

466:世界@名無史さん
22/05/04 00:05:19.28 0.net
ロラン・ハントフォードが書いたLast Place On Earthで記されているスコット像が凄い!
こう言った捏造がスコットを貶めていったんだろうなあ
URLリンク(shigetaromurata.blogspot.com)
以下に引用するこの辺りの8~9割は捏造なんではないか?
確かにスコットは自分優先のトップダウンのところがあったにせよ、ここまで酷くはなかっただろう
(以下引用)
保存食糧準備の悪さが原因であったが、スコット自身の指導力のなさに、既に隊員は絶望しきっていた。
アムンゼンが何よりも隊員たちの生命の尊重を第一としたのと対照的に、スコットは何が何でも南極点到達ということを優先し、隊員たちの生命はどうでもよいと判断していたといえる。
スコットより指導力のあった隊員は、無能なキャプテンを呪いながら死んでいった。
アムンゼン隊と違い、壊血病への備えも無かったスコット隊は、全員が次々と病気になって、倒れていった。
スコット自身も倒れ、先に行けないのを知ると、まだ元気な二人をおしとどめて、テントの中で一緒に死ぬよう示唆したらしく、9日分の食糧が尽きるまで、おしとどまって、そのテントの中で飢え死にしていった。
無事生還すると、かえって、この探検の失敗の責任を問われかねず、スコットは、その日記の中で、すべての失敗を部下の隊員や気候のせいにし、いかに自分が困難をおしのけつつ極点に達し、ついに力尽きて死ぬに至るかをみごとに説明した。

467:世界@名無史さん
22/05/04 05:53:35 0.net
プークスクス

468:世界@名無史さん
22/05/05 23:17:04.93 0.net
>>465
アベノミクスは富裕層優遇で弱者切り捨てだからね。
しかし自分が弱者であることを認めたくないワープアの馬鹿どもが安倍を支持しているという話。

469:世界@名無史さん
22/05/06 18:35:38.90 0.net
安倍総理の政策とスコットの南極点行進は似てるね。
ただし安倍だったらスコットみたいに南極点に行く前に全滅だわ。

470:世界@名無史さん
22/05/07 19:06:10.24 0.net
どちらも駄目だったら引き返せばよい
とは行かない片道切符のところは同じだね

471:世界@名無史さん
22/05/08 00:59:42.75 0.net
>>1
リチャード・バード少将の「ハイ・ジャンプ作戦」どう思う?

472:世界@名無史さん
22/05/08 03:51:44.99 0.net
>>469
どっちも舐めプ

473:世界@名無史さん
22/05/13 00:16:52.18 0.net
>>21
スコットはテラノバ遠征前の割と早い段階から自分が開発に関わった雪上車が南極探検で使い物になるかどうか疑わしく思っていたみたいね
それでも今後の探検の未来を切り開くためにある程度は成功してほしいという望みをかけていたとのことだけど

474:世界@名無史さん
22/05/13 15:08:50.13 0.net
シャクルトンの”ニムロド遠征”の時にもモーター橇が使われてたんだけど、平地では
結構使えてた様子。
まぁWWⅠ前の話だから、その手の機械の信頼性は低かったのは仕方が無いんでしょうけど。

475:世界@名無史さん
22/06/19 13:12:21 0.net
歴史って程の話じゃないが、日本の南極観測隊の漫画があったから買ってきた。
ふくのうみって人の作品で”ふじと南極のなかまたち”って名前だ。
何次隊とは書かれてないけど、砕氷艦が”ふじ”だし、色々なエピソードから
”第7次隊”だろうと推測できる。

476:世界@名無史さん
22/06/23 23:27:04.65 0.net
スレチ気味の話題になるがアベノミクスが始まってから本当に物価は上昇してるんだね
2013年の翌年にガンと上がったのは消費税増税の為なんだろうけどその後も去年コロナで少し下がったりした他は上がり続けている
今年分は直近の月を基準としているみたいだけど最終的にはもっと跳ね上がってるだろう
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

477:世界@名無史さん
22/07/16 23:40:35.83 0.net
極地を探検しよう!
URLリンク(kyokuchi.or.jp)

478:世界@名無史さん
22/07/21 20:20:53.23 0.net
税金のムダ遣いの極致やねw

479:世界@名無史さん
22/07/22 16:05:48.66 0.net
>>478
基礎研究を蔑ろにするのは、革新系な思想の人の悪い癖ですよ?

480:478
22/07/22 18:41:48.52 0.net
>>479
基礎研究を蔑ろにはしていないが。
自分達の研究活動を見直してみれば?

481:世界@名無史さん
22/07/22 21:32:26.55 0.net
南極で大量の隕石を見つけたのは日本隊ですし、”オゾンホール”を見つけたのも日本隊ですぜ?

482:世界@名無史さん
22/07/24 01:58:58.60 0.net
スコット隊でウィルソンとボワーズが最後まで希望を捨てなかったのは、前年の冬にチェリーガラードと三人で氷点下50℃の真っ暗闇の中皇帝ペンギンの卵の採集に行って何度も危機をすり抜けた経験が自信になっていたからだろうな。

483:世界@名無史さん
22/07/24 10:11:19.58 0.net
>>479
今の自民は革新系な思想だったのか
まあ小泉が改革を唱えたしな

484:世界@名無史さん
22/07/25 15:01:19.49 0.net
>>489
今の自民党はどうだか知らないけれど、昔の民ス党は基礎研究を
「役に立たない物だ」
「二番じゃダメなんですか?」
とか言いながら、アレコレ削っていましたが。

485:世界@名無史さん
22/07/25 18:59:39.67 0.net
それでも二番じゃ駄目って理由を言えなかった馬鹿に予算を与えて、基礎研究にも予算を与えたのが民主政権
一方の安倍政権、言いなりにならない連中には予算を与えず学術会議にすらあの始末

486:世界@名無史さん
22/07/26 08:33:27 0.net
金を与えたアベ友ボブスレーなんか酷いものだったなあ

487:世界@名無史さん
22/08/05 00:59:36.88 0.net
エレバス山は南極大陸にある火山ではない

488:世界@名無史さん
22/08/05 16:22:29.49 0.net
エレバス山があるのは、マクマード島だからな。
”昭和基地は南極大陸には無い”
と、言ってるような物だな。

489:世界@名無史さん
22/08/20 21:29:40.54 0.net
>>478
南極なら樺太犬を食べてみる事が出来るんだから
あながち無駄遣いとは言い切れないゾ

490:世界@名無史さん
22/08/20 23:46:39.32 0.net
URLリンク(en.wikipedia.org)(film)
Scott of the Antarctic (film)
URLリンク(archive.org)
Scott of the Antarctic
Publication date 1948
URLリンク(www.youtube.com)
Scott of the Antarctic (Original Motion Picture Soundtrack)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
南極交響曲
URLリンク(www.youtube.com)
Vaughan: Sinfonia Antartica [Previn] Heather Harper (Ralph Richardson, speaker)
URLリンク(www.youtube.com)
Vaughan Williams: Sinfonia Antartica [Thomson] Catherine Bott

491:世界@名無史さん
22/08/21 01:23:03.26 0.net
>>490
URLリンク(www.youtube.com)
Repertoire: The WORST and BEST Vaughan Williams Sinfonia Antartica (Symphony No. 7)

492:世界@名無史さん
22/09/12 21:42:09.82 0.net
URLリンク(www.chojin.com)

493:世界@名無史さん
22/09/20 20:29:03.09 0.net
>>492
おまけに「南極の『壺』」
URLリンク(www.nipr.ac.jp)
これもう完全に統一案件www

494:世界@名無史さん
22/09/23 16:21:23.32 0.net
>>493の場合だと、便壺や痰壺でも統一案件に認定しそうだな。

495:世界@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>494
信者乙www

なんで南極スレに信者が湧いてくるんだよwww

496:世界@名無史さん
22/09/24 07:40:01.69 0.net
などと壺信者が言っております。

497:世界@名無史さん
22/10/17 21:08:55.34 0.net
壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺
                  マ
                  ザ
                  |
                  ム
                  |
                  ン
壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺

498:世界@名無史さん
22/10/18 16:06:09.56 0.net
なんだ、また壺信者>>497か。

499:世界@名無史さん
22/10/26 06:19:01.87 0.net
「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」
文鮮明の教え
■日本民族と日本の国は滅びても韓国は残さなければならないのだ。
■ここ日本の先祖たちが世の中で言えば怨讐だ。日本の国が怨讐だ。
■日本の現在の皇太子の夫人が何の種かわかるか? マフィアの後孫であるかもしれない。
■天皇も平成であるので、ひらなりだから・・・。
■平べったい天皇、無力な天皇だ。
■日本の天皇も捨て、その財産までも抜いてしまってアジア人とアフリカ人に分け与えると言える人になれと日本の女たちを一番多く外国人と結婚させた。
■日本のオモニが一番嫌うことをさせている。海外国家(日本)が生きることの道はその道以外にない。
韓鶴子の教え
■(日本人は)人間的に考えれば赦すことのできない民族
■(日本は)自分を顧みず全てを惜しみなく与える〝エバ国家〟
統一教会教祖「従軍慰安婦事件があったので、日本人の女は韓国の乞食と結婚しても感謝しなければならない。」
【統一教会】天聖経「韓半島は男で言えば生殖器」
「島国は女性の陰部」 「日本は夫である韓国に捧げなければならない」
聖本3000万円、説教本セット430万円、結婚式140万円、 先祖の呪いを解く儀式280万円

500:世界@名無史さん
22/10/26 15:29:50.62 0.net
>>499
壺教信者獲得のノルマが厳しいのか?
気持ちはわからないでもないが、どこか別の所でやってくれ。

501:世界@名無史さん
22/10/27 03:28:31.34 0.net
>>500
無理して無関係を装わなくてもいいぞ、壺
URLリンク(www.chojin.com)
>西堀博士「国の場合もそうだと思います。(中略)だから今度のトンネルにしても、
>日本が大陸の一部になることに対して反対する理由はないと思うんです。
>ただもう皆さんの力でスタートしており、矢は放たれたわけですけど、
>必ず成功させなければならないし、また成功すると確信します。
>(中略)人類が見たこともなかった月の裏側の写真や月の石の価値は、数字では表すことはできません。
>日韓トンネルもまた同様だと思います。私が生きている内に実現したらよろしいし、
>もし出来なかったら、生まれ変わってでもそのトンネルを通ってみたい気がします」
完全に壺だろ。

502:世界@名無史さん
22/10/30 01:14:46.80 0.net
寒くなってきていよいよ南極を味わえる季節となってきた
真冬になれば夜の7時~8時頃に完全防寒装備で散歩に行くと良いぞ
氷点下の中を30分以上歩くのがお勧め(北国じゃないと氷点下にはなかなかならないか)
特に吹雪の時に歩くと南極探検隊の気分になれる
吹雪だけじゃなくアイスバーンの上で足を取られたりね
勿論、あまりの暴風雪の時は出歩かない方が良いけど

503:世界@名無史さん
22/11/02 10:09:15.75 0.net
「南極点初到達」までの道のり
URLリンク(kyokuchi.or.jp)

504:世界@名無史さん
22/11/05 12:06:56.50 0.net
スコット隊は南極ゴジラに襲われて全滅したと子供の頃は信じていた

505:世界@名無史さん
22/11/05 16:32:58.15 0.net
★壺age記念★
URLリンク(www.chojin.com)
>西堀博士「国の場合もそうだと思います。(中略)だから今度のトンネルにしても、
>日本が大陸の一部になることに対して反対する理由はないと思うんです。
>ただもう皆さんの力でスタートしており、矢は放たれたわけですけど、
>必ず成功させなければならないし、また成功すると確信します。
>(中略)人類が見たこともなかった月の裏側の写真や月の石の価値は、数字では表すことはできません。
>日韓トンネルもまた同様だと思います。私が生きている内に実現したらよろしいし、
>もし出来なかったら、生まれ変わってでもそのトンネルを通ってみたい気がします」

506:世界@名無史さん
22/11/26 17:29:22.76 0.net
インフレの中で少しでも光熱費を抑えるために全部の窓ガラスにプチプチの断熱材を貼るかな
曇りガラスは両面テープで固定させようっと

507:世界@名無史さん
22/12/04 13:59:30.90 0.net
アムンセンが着ていったエスキモーの伝統的な防寒着、アティギやアノガジェだけど、現代のエスキモーはお祭りとか観光地などの晴れの舞台を除いてはああいうコテコテの毛皮の服は着てないようだな。
アノガジェは現在はアノラックとしてナイロン素材に中綿でフード付きの服として引き継がれているが。
エスキモーの毛皮の服は防寒着としてはダウンなどよりも優れているのだが作るのが大変だしダウンを買った方が早いしオシャレだしな

508:世界@名無史さん
22/12/04 14:40:07.79 0.net
>>507
アザラシや白熊の毛皮服は、性能だけなら現在の防寒服よりも高いって話だな。
伝統的なイヌイットは、極寒季でもあの毛皮服を2枚来てるだけだし。
ただ作るのが大変てのも事実なんだよ、あの毛皮をなめすのに歯で噛むんだから。

509:世界@名無史さん
22/12/10 23:52:23.36 0.net
海外の南極隊員にはコロナ感染者もいるみたいだけど
日本の隊員はちゃんとワクチン打ってんの?

510:世界@名無史さん
22/12/11 08:15:50.74 0.net
出国する時に、あれこれと予防接種はする様子だけど。

511:世界@名無史さん
22/12/18 11:24:31.97 0.net
アムンセン
「ノルウェーに帰国した私は、南極点に初めて到達した探検家として一躍有名人になった。各地で祝賀会が開かれて講演会の依頼が舞い込んだ。
しかし、1913年2月、スコットたちの遭難のニュースが世界中に伝えられると、私への扱いが一変した。
スコットたちは南極点でノルウェーの国旗を見てショックのあまり亡くなったのだいう人もいた。私が土壇場で計画を変更したため、スコットたちは引き際を見失い、無理な前身を続けた結果、遭難したという人もいた。
大衆の関心が南極点初到達した私たちから悲劇的な結末を迎えたスコットたちに移って行ったのだ。私は大っぴらに成功体験を語ることが出来なくなってしまった」

512:世界@名無史さん
22/12/23 21:54:21.15 0.net
凍傷で苦しんでいたオーツからの相談によりスコットはウィルソンに命じてアヘンやモルヒネの錠剤を各隊員に渡してもうダメだと思った時に安楽死できるようにしたんだけど、それらの麻薬を割って微力摂取して痛み止めに使うことは出来なかったのかな?
それが出来ればオーツも痛みに耐えられたし最後の方で凍傷になったスコットも耐えられたかもしれない?
それで元気になれたとしてもブリザードに行く手を阻まれて1tデポには到達できなかったかもしれないが…
仮に1tデポに到達できても3月末の到達では時既に遅しの可能性も大のような気もするし…

513:世界@名無史さん
22/12/24 16:46:22.20 0.net
たしか、スコット達3人がブリザードに閉じ込められて
最期の時をすごしてた時、1㌧デポ付近に救援隊が居たんだよな。
その救援隊に同行したチェリー・ガラード氏も
「あの時もう少し南まで行ってればあるいは・・・」
と悔やんでいたとか。

514:世界@名無史さん
22/12/25 00:44:02.74 0.net
チェリーガラードとディミトリが犬ぞりで1tデポに到着したのは3月4日で3月10日までそこで待機していた
スコットは3月9日に1tデポから110Km南のフーパー山デポに到着
微かに望みをかけていた犬ぞり隊はそこにはなくデポの物資も悉く不足していた
その間にもオーツの容態はどんどん悪くなっていっていた
チェリーガラードらは1tデポ到着ごは激しい向かい風の日が多く僅かに1日~2日程は好天の日もあったが行き違いになるのを恐れてそれよりは確実に合流できる1tデポで待つことを選んだ
また南に行くための犬の餌もなかった
基地の留守隊は1tデポの再補給をしていたが犬の餌は補給しなかったというのもその原因のひとつ
しかしスコットもこの時は向かい風に苦しんでいた
100km離れていたとはいえ1tデポでは南風、フーパー山デポ付近では逆に北風が吹いていたということになるかな

515:世界@名無史さん
22/12/25 10:32:38.73 0.net
アメリカ政府がひた隠しにする南極の真実
URLリンク(youtu.be)

516:世界@名無史さん
22/12/25 21:02:50.54 0.net
この大雪で佐渡や門別などで大規模停電が長時間発生し、電気を使わない石油ストーブを持ってた人もインフラ網の遮断で灯油が手に入りにくくなっていて皆氷点下の中厚着や布団などで体温で暖かくなるしかなく、寒さを我慢しているのは大変気の毒だが(自分も311で氷点下近くの低温の中一週間以上電気なしで生活していたからある程度は住民の気持ちは分かるつもり)、
スコット隊は3月に入ってからは常に灯油不足に悩まされる中マイナス数十度の中で行動し、防寒着もあまり役に立たず、暖まれるのは寝袋に入っている時だけ(チェリーガラードは前年の冬の行進では寝袋に入ってからが寒くて7時間も震えながら寝ていたと書いてるが)なのだから、その寒さたるや想像を絶するな。
せめて温かい飲み物が毎食時に十分に取れるだけでもかなり違っていたとは思う。
ただでさえ長期でのそり引きという重労働で疲労困憊なのに寒さでガタガタ震え食料も不足しブリザードに打たれ続けてたのではそりゃそりも進まなくなるわ。
雪面も秋になって急速に悪くなって行ってたし。

517:世界@名無史さん
22/12/26 16:33:12.46 0.net
当時使われてた燃料缶に問題があって、中の燃料が漏れだしてた問題。
実物は見た事は無いんだが、聞いた所によるとホムセンとかで見る
エンジンオイル缶の様な物だった様子。
もっともこれに関してはアムンゼン隊も悩まされてた様で、”南極点”に
「始終半田ごてで修理してた」
みたいな事が書いてあるんだ。
時代は飛ぶけど”ジェリ缶”が使われてたら、また違った結果になったのかも知れない
とか考える。
実際日本の南極観測隊でも、ドラム缶が擦れて穴が開いて燃料が漏れて云々、なんて記述を
散見できるんだ。

518:世界@名無史さん
22/12/26 18:06:32.04 0.net
悲報、ガチャピンが南極に流される@フジテ

519:世界@名無史さん
22/12/27 12:32:23.78 0.net
ガチャピンの着ぐるみは南極向きではあるな

520:世界@名無史さん
22/12/28 03:23:15.34 0.net
「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」
URLリンク(www.chojin.com)
>西堀博士「国の場合もそうだと思います。(中略)だから今度のトンネルにしても、
>日本が大陸の一部になることに対して反対する理由はないと思うんです。
>ただもう皆さんの力でスタートしており、矢は放たれたわけですけど、
>必ず成功させなければならないし、また成功すると確信します。
>(中略)人類が見たこともなかった月の裏側の写真や月の石の価値は、数字では表すことはできません。
>日韓トンネルもまた同様だと思います。私が生きている内に実現したらよろしいし、
>もし出来なかったら、生まれ変わってでもそのトンネルを通ってみたい気がします」

521:世界@名無史さん
22/12/31 14:02:33.42 0.net
スコット達の死因って低体温症?餓死?壊血病?衰弱死?凍死?

522:世界@名無史さん
22/12/31 18:51:50.75 0.net
壺死です

523:世界@名無史さん
23/01/05 16:20:07.09 0.net
別のスレで見たんだけど、中国が昭和基地の近くに新しく基地を建設してた様子。
しかも、”しらせ”が開いた氷海をコッソリ利用して、その新しい基地に行ってたとか。
そんな”ラッセル泥棒”みたいな事しないで一言断れば良さそうなんだけど、中国は
プライドだけは高いからそれが出来ないんだろうな。
なお、この記事の元ネタです
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

524:世界@名無史さん
23/01/09 22:04:45.44 0.net
冬になると雪による道路の凍結が怖いですよね。どうして雪や氷でクルマが滑るか知っていますか? その原因は、雪や氷ではなく水。クルマの荷重が掛かることで雪や氷が瞬間的に溶けるため、雪や氷とタイヤとの間にできた水膜によって滑るのが原因なのです。スタッドレスタイヤを装着するとその水をゴムで吸ったり、弾き飛ばしたりするので滑りにくくなるのです。
URLリンク(www.zurich.co.jp)
この水膜は圧力によって生じるのかどうかは異説もあるが、とにかく気温が下がるほど水膜は発生しづらくなり摩擦係数が上がることは実証されている。
スコット隊が3月に入りバリアの上に乗ってからソリ行進の速度が落ちた最大の理由は気温の低下だろうなあ。
砂地の上を引くようだとスコットが表現していたと思ったが。
あとは吹雪を伴う向かい風、隊員の脱落(エヴンズやオーツ)、残った隊員の疲労とそれを促進させた食糧不足や燃料不足など。

525:世界@名無史さん
23/01/20 00:22:29.11 0.net
【中央日報】100キログラムのそりを引いて1187キロメートル歩行…韓国人初「無補給単独」で南極点到達[1/18] [仮面ウニダー★]
スレリンク(news4plus板)
これが事実だとすれば確かに偉業ではある
出発点は今では冒険家の多くが出発点として選んでいる場所
アムンセンやスコットと違うのは極点に到達するまで南極横断山脈のような障害がないように見えることで高低差はあっても傾斜はなだらかなのだろうか?
URLリンク(i.imgur.com)

526:世界@名無史さん
23/01/20 00:24:23.47 0.net
なんや
楽なルートがあったんか
ならスコットなんかアホみたいやないか

527:世界@名無史さん
23/01/20 00:30:34.02 0.net
当時の砕氷船ではハーキュリーズ・インレットには到達できなかった、のかも?
スコットのテラノバ号なんて砕氷船ですらなかったはずだし

528:世界@名無史さん
23/01/20 01:59:25.67 0.net
スコットやシャクルトンが利用したマクマード湾は、夏場の氷が無い時期は
湾の奥まで普通の船で入れる様だから。
テラ・ノバ号自体は捕鯨やアザラシ猟の為に作られた船で、一応極地向けな船だった様子。
とは言う物の、”世界最悪の旅”ではあまり良くは書いて無かったけどね。
なんか水漏れが酷くて、毎日毎日船底に溜まる水をくみ出していたとか書いてあるんだ。

529:世界@名無史さん
23/01/22 13:26:20.52 0.net
韓国人が南極点到達の出発点としたハーキュリーズインレット(ヘラクレス海峡)は海峡とはなっているけど実際にはロズ棚氷に次いで大きいロンネ棚氷の一番奥で、スコットやアムンセンに例えればロス棚氷の最奥地つまり氷河の入口から出発したようなものだな。
現代の砕氷船でもハーキュリーズには相当運が良くないと辿り着けないのではないかな?
ひょっとして飛行機でハーキュリーズインレットまで行った、とか?
調べたらハーキュリーズインレットは1998年に開拓されて以来南極遠征の定番ルートになったというから、20世紀の最後の方になってようやく開かれた地ということになる。
丁度一年前に英軍女性将校が同じルートで単独無支援で南極点に到達していたんだね。

英軍の女性将校、単独無支援で南極点到達 有色人種女性で世界初
URLリンク(www.cnn.co.jp)

530:世界@名無史さん
23/01/22 22:35:16.48 0.net
【南極】南極の「血の滝」が発生するメカニズムを科学者が解明 [すらいむ★]
スレリンク(scienceplus板)

531:世界@名無史さん
23/01/23 00:16:37.96 0.net
テイラー氷河はスコットのディスカバリー遠征で、スコットがシャクルトンやウィルソンと南進した翌春に広大なフェラー氷河を登って南極高原に初めて到達した時に発見された。
フェラー氷河と並走する形で流れるが最後は海ではなく湖に血の色をした滝として流れ、その先は海(マクマード入江)まではテイラーバレーと言われる峡谷となっている。
その血の色をした滝を発見されたのが確かスコットのテラノバ遠征の時。

URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
しかし、その血の色の正体が微生物であるというのは今回初めて観測されたのではなく2009年の時点では微生物が見つかっていたみたい。

532:世界@名無史さん
23/01/25 19:43:29.80 0.net
今朝は朝の6時から氷点下10度以下の中一時間半くらい雪掻きをしていたけど、そんなにも気温が低くても終わった頃には結構汗だくになって下着を交換した。
そのまま外にいたら勿論汗が冷えてとてつもなく寒かっただろう。
チェリーガラードの「世界最悪の旅」の[冬の行進]を読んでいたから低気温でも汗が出ることに驚きはしなかったけど。
しかしこの冬は割りかし暖冬で自分が住んでる地域は北国でも雪が降らなかったので、初めての雪掻きは日頃使わない鈍ってる筋肉を使うのに加えて気温が低いこともあって疲れたわ。

533:世界@名無史さん
23/01/29 11:20:19.41 0.net
南極CO2濃度が過去最高に 毎年上昇 歯止めかからず
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
しかしCO2濃度と気温には確かに相関関係はあるが、因果としては
CO2濃度上昇→気温上昇
ではなく
気温上昇→CO2濃度上昇
であることが南極の分厚い氷床に閉じ込められている過去の大気の層の解析から推測されている
URLリンク(www.metsoc.jp)

534:世界@名無史さん
23/01/29 21:18:30.70 0.net
過去の気候変動はミランコヴィッチサイクルによるとすれば主たる要因は地球の軌道要素であり、つまり気温が先行し二酸化炭素濃度が追随することは理解できる
気温上昇時に大気中に二酸化炭素を放出されるのは、気温上昇による極地の温暖化とか森林火災などと考えられる
人類が知る限り過去に化石燃料を使用した知的生命はいないため、現在人類が継続中の過去の化石燃料の消費は地球史始まって以来初めての事象であり過去の気候変動の記録にはこのような事例はなく過去からの推定は不可能である 
強いて言えばシベリアトラップなどの超巨大噴火であれば温室効果ガスの大量放出もあるだろうが大気中への粒子の拡散による太陽光の反射も起きるから現在の事象にはマッチしないだろう

535:世界@名無史さん
23/01/31 23:02:54.26 0.net
カーボンニュートラルを謳い風力や太陽光への取り組みを大々的にアピールしていたドイツも天然ガスの高騰(ウクライナ危機以前から高騰していた、ドイツなどの天然ガスの使い過ぎで)で背に腹は変えられずにCO2をより排出する石炭火力を再稼働させている
しかもドイツの石炭火力は日本ほど排ガスがクリーンな訳ではない

536:世界@名無史さん
23/02/01 17:41:02.58 0.net
西堀栄三郎先生を讃え、南極にも壺と弥勒菩薩像を設置しよう!

「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」
URLリンク(www.chojin.com)
>西堀博士「国の場合もそうだと思います。(中略)だから今度のトンネルにしても、
>日本が大陸の一部になることに対して反対する理由はないと思うんです。
>ただもう皆さんの力でスタートしており、矢は放たれたわけですけど、
>必ず成功させなければならないし、また成功すると確信します。
>(中略)人類が見たこともなかった月の裏側の写真や月の石の価値は、数字では表すことはできません。
>日韓トンネルもまた同様だと思います。私が生きている内に実現したらよろしいし、
>もし出来なかったら、生まれ変わってでもそのトンネルを通ってみたい気がします」

537:世界@名無史さん
23/02/09 22:01:39.22 0.net
南極にキリスト教会はあるのかな?
モスクがあればどの方向を向くのだろう?

538:世界@名無史さん
23/02/10 00:08:09.98 0.net
スコット隊の遺体は冷凍のまま腐らずに氷の中で眠っているんだろうなあ

539:世界@名無史さん
23/02/10 00:11:40.69 0.net
>>537
キリスト教会はたくさんある
基地中に設置された簡素な礼拝室を想像しがちやけど
ちゃんとした独立のけっこう立派な建物
カトリック
URLリンク(i.imgur.com)
正教
URLリンク(i.imgur.com)
プロテスタント
URLリンク(i.imgur.com)

イスラムの礼拝はメッカの方向を向いてする
南極点に居てもメッカの方向はちゃんと決まる
ちなみに宇宙では礼拝の向きは各自の自由ということになってるらしい
イスラム教徒の宇宙飛行士がいるかどうか知らんけど

540:世界@名無史さん
23/02/11 08:37:23.54 0.net
昭和基地には、神棚があるんだろうか?
”しらせ”に神棚があるのは実際に見てるけど。

541:世界@名無史さん
23/02/17 00:15:57.50 0.net
今日は水兵エヴァンスの命日
>>143-144
quite wellを「全く元気である」と訳したけど、この場合は「別条ありません」が適訳だったと今読み返して思う。

542:世界@名無史さん
23/02/17 21:41:49.84 0.net
南極「終末の氷河」 底で氷がとける速さ 予測より遅い 米発表
URLリンク(www3.nhk.or.jp)
脱炭素ブームの終焉になるかな?

543:世界@名無史さん
23/02/19 02:13:55.28 0.net
URLリンク(www.cnn.co.jp)
南極「終末の氷河」、棚氷の下部に予想外の形状発見 早い融解ペース
2023.02.18 Sat posted at 18:30 JST

544:世界@名無史さん
23/03/14 01:28:26.86 0.net
スコット隊で極点に向かわなかったキャンベルの別動隊は、秋のうちにテラノバ号に収容されて基地に帰るはずだったのが、テラノバ号が氷で行く手を阻まれたんだったかそれが敵わず雪を掘って作った古屋の中で越冬することになったんだけど(その間にスコットの極点隊は全滅)、
冬に備えて持参のペミカンやビスケットの他にも食料を大量に必要としたためにアザラシやペンギンを狩りまくった。
一回だけペンギンの腹から魚が出てきたときは凄く喜んで美味しい食べ、次からもペンギンを狩る度に中から魚が出てこないか期待したけども遂に最初のが越冬期の最後の魚になってしまってがっかりした、と。
やっぱ、アザラシやペンギンだけだと飽きてしまうんだろうね。
魚には肉にはない栄養素などもあるかもなので(オメガ3とか?)それが不足した体には魚が一層美味しかったのかもしれない。

545:世界@名無史さん
23/03/14 17:40:45.82 0.net
スコット隊の舐めプは今でも南極の語り草となっているw

546:世界@名無史さん
23/03/14 22:56:52.23 0.net
当時ビタミンCのサプリが販売されていたら壊血病になることもなかったな
DHCのビタミンCサプリ90日分とか一人2袋でも持っていけたら壊血病になることは無かっただろう…

547:世界@名無史さん
23/03/14 23:45:40.14 0.net
カロリーメイト
URLリンク(www.otsuka.co.jp)
一箱当たり400カロリーでタンパク質や各種ミネラルやビタミンも入っている
極度に気温が低くまた氷河に入ってからは空気が薄くなる走路では一日に必要なカロリーはチェリーガラードが言うには8,000カロリー以上とのことなので(スコット隊の食料は節約なしでも一日4,900カロリー)、計算上では一日にカロリーメイト20箱以上、それを四ヶ月だから20×30×4で一人2,400箱のカロリーメイトを持っていればカロリー面では大丈夫だった
恐らくビタミンも大体は大丈夫
ちなみにスコット隊が持っていたビスケットは医師でもあったウィルソンの会社が開発した当時としては優れたものだったようだが流石にビタミンやミネラルが追加で注入されてたいることはなかっただろうな
カロリーメイトは当然箱から出した状態で橇に積み、後はペミカンや砂糖や塩やお茶やココアなどがあれば何とかなったか
体を温めるにはお茶やココアのほかにはカロリーメイトとペミカンでフーシュを作れば…
これで食料の不足からくる体力不足はどうにかなる…だろうか?
って現在の探検家が持参している食料がカロリーメイトみたいなものなのかどうかは知らないが(^_^;)
あとスコット隊には南極では役に立たない防寒具、濡れて乾かす事ができなかった寝袋、そして現代でも病院があっても厄介な凍傷、スキーの熟練度、何よりも灯油などの問題もあったが
橇と氷面の摩擦係数については体力が衰えず2月中頃にバリアに到達していればまだ寒波も来ずに大丈夫だったかな
灯油も南緯87度30分で先に帰ったエバンズ大尉の方は何も言ってなかったから、2月中頃までバリアに到達していれば減ってなかったか減っていたとしても僅かだったかも?

548:世界@名無史さん
23/03/15 15:19:25.82 0.net
>>547
灯油に関しての話だけど、デポに残された灯油が予定よりも少なくて
「先行してるチームが、灯油を多く持って行ってるのではないか?」
って疑った、なんて話が”世界最悪の旅”に書いてあった様な気がするんだ。

549:世界@名無史さん
23/03/15 15:45:39.47 0.net
>>546
DHCのは高いからダイソーの百円のやつで充分

550:世界@名無史さん
23/03/15 15:47:09.59 0.net
>>547
食料がクソ不味いカロリーメイトだけやて
絶望しか無いわ

551:世界@名無史さん
23/03/15 16:16:39.00 0.net
カロリーメイトには
ビタミンA
ビタミンB群
ビタミンC
ビタミンD
ビタミンE
が入ってるみたいだからマルチビタミンのサプリも要らないね。
味も5種類あるから飽きるのも我慢できるかもしれない。
もっとも探検家たる者食事に飽きたなんて言ってられないから、ましてや20世紀初頭の探検家なら。

552:世界@名無史さん
23/03/16 00:02:04.38 0.net
>>548
たぶんこれかな?
3月10日のスコットの日記(フーパー山デポに到着したのは前日の3月9日)
>>397-398
> Yesterday we marched up the depôt, Mt. Hooper.
昨日私達はフーパー山デポまで行進した。
> Cold comfort. Shortage on our allowance all round.
おざなりな慰め。我々の配給量のあらゆる点での不足。
> I don’t know that anyone is to blame.
誰に責任があるのか私には分からない。
> The dogs which would have been our salvation have evidently failed.
我々の救いであったはずの犬達(犬ぞり隊)は明らかに失敗している。
> Meares had a bad trip home I suppose.
ミアーズ(犬ぞり隊員)は悪い帰路になったものと察する。

スコット達極点隊に南緯87度32分で別れたエバンズ大尉のチームはこの辺りのデポでの灯油その他物資の不足につあては何も語ってないから、エバンズ大尉隊がその辺りを通過した2月上旬には問題はなかったものと思われる。
穿った見方をすれば、あるいはフーパー山デポの辺りでエバンズ大尉の壊血病が相当進んでいたので、少し余計に物資を取ってエバンズ大尉の介護に当てていたのかもしれない可能性もあるが、でもやはりこの人達がそんなことをするとも思えないんだよね。
ちなみにエバンズ大尉隊が1tデポに到着したのは2月13日、そこからエバンズ大尉はとうとう動けなくなりソリに乗せられて他の二人に牽引されて行き、ハットポイントまで辿り着いたのが2月18日。
もしこの隊に水兵エバンズが加わっていたらどうなっていたか?水兵エバンズは2月16日に亡くなったけど、エバンズ大尉隊に加わっていたら1tデポまでは到着でき、充分な食料を得ることは出来ていた。
でも水兵エバンズも凍傷の他に壊血病も患っていたらしく、二人のエバンズは重病で、1tデポの食料でもビタミン不足で壊血病は解決しなかったから、ひょっとすると二人とも亡くなったかもしれない?

553:世界@名無史さん
23/03/16 00:02:40.96 0.net
>>504
南極ゴジラあったなあw
実はゴジラ2作目『ゴジラの逆襲』が初公開されて3年後くらいの出来事なんよね。
子供の頃は現実と映画がごっちゃになってて逆襲のラストで氷山に閉じ込められたゴジラが南極に流れ着いたのかと思っていた。

554:世界@名無史さん
23/03/16 15:53:04.79 0.net
”世界最悪の旅”に書いてある食事を見てると、「どこにビタミンCがあるのよ?」って物ばかりな問題。
多分、ライムジュースとか乾燥マッシュポテトみたいな物が基地食にはあったんだろうけど、旅行食に
そう言う物が見当たらないんだよね。
「玉ねぎ粉が良い」
とか書いてあった様な気もするけど。

555:世界@名無史さん
23/03/16 16:34:03.29 0.net
ジュースなんて重くて嵩張るもの持って行けんし
どうせ凍って飲めなくなるし
何を持って行ったら良かったんかな
ビタミンCの錠剤とかは無しで、普通の飲食物なら

556:世界@名無史さん
23/03/16 17:44:07.55 0.net
クックは酢キャベツと立ち寄った島々で調達した新鮮な肉や果物で壊血病を防ぐことができたけど、この新鮮な肉というのが生肉だったのかどうかは自分には不明。

557:世界@名無史さん
23/03/16 19:02:09.55 0.net
>>555
アメリカ先住民が愛用してた”本当のペミカン”だと中にドライフルーツが入ってるので、それなりに
ビタミンの補給にはなったのかも知れない。
>新鮮な肉
北方先住民は生肉を食ってたから云々って話は聞くけどね、昔々に読んだ本ではアラスカの先住民は
カリブーとかの草食動物の内蔵を食ってた問題。
カリブーが食ったコケや地衣類が半消化状態になった物が内蔵に入ってて、それを食ってたみたいだ。
ただ、うっかり消化器官末端部を食っちゃった人が居てさ、ウンコの味がしたって言ってた。

558:世界@名無史さん
23/03/17 00:26:29.76 0.net
>>554
チェリーガラード本では、最後の方の「遭難の批判」の章の「食糧の検討」の項の最後に
最近の研究ではある種のビタミンのあるなしは非常な相違を来たし、各個人の食物に対する利用能力によってさらに大差があるといわれている。(中略)
しかしアトキンソンが船載されて来た新しいタマネギを探検隊の食料に加えたことは注目される。
とあるね。
成分表を見ると生の玉ねぎにはビタミンやミネラルは少ないとはいえ、蜜柑の22%、レモンの8%くらいはビタミンCは含まれてるみたい。
でも、玉ねぎは生ではそんなに食べられないし(胃がやられる)、火を通すとビタミンCはどうなのって問題もあるし、何より南極では凍ってしまってそれを溶かすのに余計に灯油を使うので現実的ではないかな。割と重いしね。
最初のディスカバリー探検の時にもシャクルトンが重い壊血病になって南進を諦めて引き返したんだけど、この経験をテラノバの時に活かすとすれば、アムンセンと同じく犬ぞりの犬を食べるくらいだったのかなあ。
ちなみに馬の肉には殆どビタミンCは含まれてない、けど馬の内蔵にはたっぷりと含まれていそう。
南極で保存用の飼い葉を食べていた馬の内蔵となると少し怪しいような気がするけど。

559:世界@名無史さん
23/03/17 17:33:28.76 0.net
北西航路の開拓を目指したフランクリン隊の荷物には、レモン汁が1年分だか積んであった様子。
だからフランクリン隊の後なスコット隊にも、同じ様な事が有ってもおかしくはないな。
ただ当時の濃縮レモン果汁は加熱濃縮してたから、どれほどビタミンCが残ってたかが疑問なんだけどね。
当時の欧米人にスプラウトを食う習慣があったのか、が問題ですかね。
時期と場所がずれるから直接比較は出来ないんだが、日露戦争時の旅順要塞で壊血病が蔓延したのが
旅順要塞陥落の原因の1つだって話なんだ。
旅順要塞陥落後に日本軍が要塞内を調査した所、大量の生大豆が備蓄されてたのを見つけてたんだとか。
「連中がモヤシを食う事を知ってたら、この要塞は堕ちなかったかもしれない」
とか、日本陸軍の人は言ってたって話を聞いたんだ。
ただ旅順要塞に引籠ってたロシア兵は
「大豆に芽が出たから食えないな」
と言って、モヤシを捨てていたんだとかそう言う話だ。

560:世界@名無史さん
23/03/17 18:25:45.85 0.net
玉ねぎなんて栄養的には穀物の一種みたいなもんで
栄養なんかほとんど糖質しか無いで

561:世界@名無史さん
23/03/17 18:26:48.11 0.net
生で食えば違うのかもしれんけど
玉ねぎなんか生でバリバリ食えるもんやないし

562:世界@名無史さん
23/03/17 18:28:38.05 0.net
>>559
なんやロシア人はモヤシを知らんのか

563:世界@名無史さん
23/03/17 21:24:51.68 0.net
URLリンク(eurodomik.ru)

564:世界@名無史さん
23/03/17 22:03:06.36 0.net
>>561
生の玉ねぎやニンニクにはアリシンという成分が含まれているのだが、これを摂りすぎると危険。
美味しんぼでも取り上げていた。
高卒で入団一年目にして3割30本を打った長原選手が2年目スランプに陥ったのは、スタミナをつけようとして生のニンニクを食べすぎていたから、と。
ニンニクに火を通せば大丈夫という山岡のアドバイスで長原は調子を取り戻していった。

生ニンニクの殺菌作用は無差別破壊兵器級なので食べ過ぎたら腸内細菌全滅すると言われた話
URLリンク(togetter.com)

565:世界@名無史さん
23/03/18 17:12:15.80 0.net
>>558
殆どの動物は、体内でビタミンCを作る事が出来るって話を聞いた事がある。
人間みたいに体内でビタミンCを作る事が出来ない方が、むしろ例外だって話。
だから生肉をガシガシと食っていれば、十分ではないにしろ何とかなったかもしれない。
とは言え、獣肉の生の奴を食う事に抵抗があるのも事実だよな、そういう習慣が無い人には特にね。

566:世界@名無史さん
23/03/18 17:17:50.02 0.net
項羽に豚の生肉を食べることを強要された樊噲

567:世界@名無史さん
23/03/18 23:42:44.93 0.net
>>565
生肉食うてると寄生虫が恐い

568:世界@名無史さん
23/03/19 23:07:23.04 0.net
さつまいもが主食でタンパク質摂取量が少ないパプアニューギニアの人が筋肉質なのは何故かという謎は、腸内細菌の影響というのが有力視されているものの未だ結論は出てなかったんだったかな?
草食動物の筋肉が発達しているのは複数の胃の中で食物繊維を分解する細菌の死骸からタンパク質を得ているみたいだが(牛やキリンや鹿などがその形、馬や象などは大量の草そのものから僅かなアミノ酸を塵積で摂取して筋肉を作っている、と)。

569:世界@名無史さん
23/03/20 17:45:18.63 0.net
>>567
しかし西欧の食文化でも生肉を食うってのがありましたね、タルタルステーキとか。
生で食えるほど新鮮な肉が必要だから、タルタルステーキはメジャーでは無いんですけどね。

570:世界@名無史さん
23/03/20 19:06:14.66 0.net
>>569
鮮度は腐敗には多いに関係あるけど
寄生虫に鮮度は関係無いで

571:世界@名無史さん
23/03/20 19:59:16.26 0.net
>>570
朝鮮度は腐敗には関係ないで。

「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」
URLリンク(www.chojin.com)
>西堀博士「国の場合もそうだと思います。(中略)だから今度のトンネルにしても、
>日本が大陸の一部になることに対して反対する理由はないと思うんです。
>ただもう皆さんの力でスタートしており、矢は放たれたわけですけど、
>必ず成功させなければならないし、また成功すると確信します。
>(中略)人類が見たこともなかった月の裏側の写真や月の石の価値は、数字では表すことはできません。
>日韓トンネルもまた同様だと思います。私が生きている内に実現したらよろしいし、
>もし出来なかったら、生まれ変わってでもそのトンネルを通ってみたい気がします」

572:世界@名無史さん
23/03/21 10:14:46.74 0.net
スコット
「雪上車がよく働いたーー次第に仕事にも慣れて、今日は一日休みなく走り続けた。頼りになりそうにも思えてくるが、希望通りの重い荷物は運べないのではないかと未だ心配だ。デイは大いに満足で、奇跡のような働きをするつもりらしく、ネルソンもまた楽観的だ」
(1911年1月5日)
「気がついてみると、私はこれら牽引車(雪上車)が成功して欲しいと絶望しているのだった。たとえ我らの南進に大いに助けになるほどではなくもとだ。多少なりとも成功すれば、それらが有望で、極地の運送に大変革をもたらし得ることを示せるのだ。今日それらが動いているのを見、またこれまでに出た欠陥がどれも純粋に機械関係のものであるのを思い出せば、それらの価値を信じないわけにはいかなくなる」
(1911年10月24日)

このスコットの期待は半分は外れて、半分は当たる。
スコットの探検には雪上車はあまり寄与はしなかったのかもしるないが、現在では南極での運送はスコットが開発したキャタピラーがついた雪上車が主力になり今に至っているのだから。

573:世界@名無史さん
23/03/21 10:23:40.49 0.net
まあ元々スコットはアルプスで開発した雪上車は南極ではそれ程使い物にはならないと予測して、馬や犬も連れて行ったのだから、雪上車はあくまで実験的なもので、主力はバリアでは動物で氷河に入ってからは人力というのは最初からの計画通り。
往路でブリザードで4日間ほどテントに引き篭もらざるを得ずその間に馬の飼料が尽きたりして予定よりも少し早い場所で馬を殺す事になってしまったが、その代わりに犬ぞりが氷河の登り口まで荷物を運んだ。
計画に無理があったとすれば、そもそも人力で極点を往復して無事帰還するという計画そのものが無理があったのかもしれない。
現在でも人力でスコットのコースで極点を往復するのはとても厳しい。

574:世界@名無史さん
23/03/21 18:00:55.35 0.net
実際問題として、スコット隊はベアドモア氷河を昇る時点で動物力や
機械力を使うのを諦めてるんだよな。
偶然とはいえ、アムンゼン隊のルートにこの様な地形が無かったのは
やはり”運”と言うべきなのか。
(アムンゼン隊が使ったルートは前人未踏だが、スコット隊のルートは途中までだが何度も使ってる)

575:世界@名無史さん
23/03/21 23:20:16.40 0.net
>>574
スコットの運が悪かったということは
スコットは日頃の行ないが悪かったのだろうか

576:世界@名無史さん
23/03/21 23:57:35.62 0.net
しかし、いくらスコットが海軍の軍人であったとしても、極地探検の未来を切り開く為に開発した雪上車が、WW1では大砲まで付けた戦車となって戦場で活用される未来までは想像してなかっただろうなあ。
ライト兄弟が初成功した飛行機もWW1では早くも兵器となり、WW2の後にライト兄弟でまだ生きていた弟の方は飛行機の発明を後悔した、空爆で多くの人が死んだから、という話じゃなかったかな。
もっとも、ライト兄弟が作成したライトフライヤー号は操縦席の前に複葉の翼がありそれを操縦席からワイヤーか何かで操作するのだが、それが矢鱈と難しくて開発者のライト兄弟以外誰も操縦できず、ライト兄弟がその後に開発した飛行機もより資本力がある会社が作った飛行機には敵わず、WW1以降で戦場で働いたのはライト兄弟型の飛行機ではないとは思ったけど。


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