南極大陸の歴史at WHIS
南極大陸の歴史 - 暇つぶし2ch381:世界@名無史さん
22/03/05 21:52:38.33 0.net
Monday, March 5. – Lunch.
Regret to say going from bad to worse.
We got a slant of wind yesterday afternoon, and going on 5 hours we converted our wretched morning run of 3½ miles into something over 9.
We went to bed on a cup of cocoa and pemmican solid with the chill off.
The result is telling on all, but mainly on Oates, whose feet are in a wretched condition.
One swelled up tremendously last night and he is very lame this morning.
We started march on tea and pemmican as last night – we pretend to prefer the pemmican this way.
Marched for 5 hours this morning over a slightly better surface covered with high moundy sastrugi.
Sledge capsized twice; we pulled on foot, covering about 5½ miles.
We are two pony marches and 4 miles about from our depôt.
Our fuel dreadfully low and the poor Soldier nearly done.
It is pathetic enough because we can do nothing for him; more hot food might do a little, but only a little, I fear.
We none of us expected these terribly low temperatures, and of the rest of us Wilson is feeling them most; mainly, I fear, from his self-sacrificing devotion in doctoring Oates’ feet.
We cannot help each other; each has enough to do to take care of himself.
We get cold on the march when the trudging is heavy, and the wind pierces our warm garments.
The others, all of them, are unendingly cheerful when in the tent.
We mean to see the game through with a proper spirit, but it’s tough work to be pulling harder than we ever pulled in our lives for long hours, and to feel that the progress is so slow.
One can only say ‘God help us!’ and plod on our weary way, cold and very miserable, though outwardly cheerful.
We talk of all sorts of subjects in the tent, not much of food now, since we decided to take the risk of running a full ration.
We simply couldn’t go hungry at this time.

382:世界@名無史さん
22/03/05 21:56:11.03 0.net
3月5日(月)– 昼食。
残念ながら益々悪くなっていると言わなくてはなりません。
昨日の午後、私たちは風の傾斜を得ました、そして五時間進み、私たちは惨めな朝の3½マイル(5.6km)の走りを9マイル(14.4km)以上のものに変えました。
私たちは一杯のココアと少し温めたぺミカンの固形物を食べて眠りにつきました。
結果がすべてを物語っていますが、主にオーツのことで、足が惨状を呈しています。
片方は昨夜恐ろしく腫れ上がりました、そして今朝彼はとても足が不自由です。
昨夜のようにお茶とペミカンで行進を始めました ― 私たちはこのようにペミカンを好むふりをします。
今朝は高い土手状のサスツルギで覆われた僅かに良くなっている雪面上を五時間行進しました。
そりが二回転覆しました;私たちは徒歩で引き、約5½マイル(8.8km)進みました。
私たちは私たちのデポから二回のポニーの行進と4マイル(6.6km)にいます。
私たちの燃料は非常に少なく、可哀そうな兵士は殆ど終わりました。
私たちは彼のために何もできないのでとても哀れです;より温かい食べ物は少しやれるかもしれませんが、ほんの少しだけであり、私は恐れています。
私たちの誰もこんなにも恐ろしい低温を予期していませんでいした、そして私たちの中でウィルソンが最もそれらを感じています;主に、私が恐れる、オーツの足を治療していた彼の献身的な自己犠牲から。
私たちはお互いに助け合うことができません;それぞれが自分の世話をするのでやっとです。
重いとぼとぼ歩きでの行進で寒くなり、風が私たちの暖かい服を突き抜けます。
他の人たちは全員、テントの中にいる時は終わりなく快活です。
私たちは適した精神で勝負を見抜くつもりですが、長時間に渡って私たちの人生で今まで引いた以上に懸命に引き続けているのと、前進がこんなにも遅くなっているのを感じるのは、骨が折れる仕事です。
人は「神よ我々を助けてください」と言って、疲れた道をとぼとぼ歩くことしかできず、外見上は快活ではありますが、寒くてとても惨めです。
私たちはテントの中であらゆる種類の話題を話しますが、今は食べ物の話題は多くありません、私たちが完全な配給を実行するリスクを取ることを決めたからです。
私たちは単純に、この時飢えに向かうことができませんでした。

383:世界@名無史さん
22/03/05 22:12:58.94 0.net
>>375-376 自己レス
>As usual we forgot our trouble last night, got into our bags, slept splendidly on good hoosh, woke and had another, and started marching.
いつものように私たちは昨夜トラブルを忘れて、バッグ(テントのことか?)に入り、良いフーシュで見事に眠り、目が覚めてもう一杯飲み、行進を始めました。
bagsは寝袋かな?

384:世界@名無史さん
22/03/06 17:39:49.02 0.net
灯油缶について有名な話だと、スコットら極点隊を犬ぞりで迎えに行ったチェリーガラードが1tデポで極点隊と合流することができず、食糧切れで帰る時に赤い灯油缶が目立つからとデポの雪塚の上に置いたんだけど、
1tデポに到着できなかった極点隊は当然その灯油缶を使うことがなく、翌年春に極点隊の探索に行ったイギリス隊が1tデポに着いた時には冬の寒さで灯油缶が破裂して、デポの雪塚の中の食糧にまで灯油が浸透して食べられない状態になっていたとか。
これは南極の真冬の寒さの中で外に置いといた灯油缶の破損だからまた例外になるのかな?
スコット率いるイギリス隊は最初から燃料を缶詰にして缶切りで開けるようにしていれば良かったのでは?
コルクや螺旋状の蓋では揮発を抑えきれなかったのだから。
まあ結果論になるけどね。
それにまず灯油をそんなに小分けにして缶詰にはできないのかもしれないし。

385:世界@名無史さん
22/03/06 22:31:32.42 0.net
Tuesday, March 6. – Lunch.
We did a little better with help of wind yesterday afternoon, finishing 9½ miles for the day, and 27 miles from depôt.
But this morning things have been awful.
It was warm in the night and for the first time during the journey I overslept myself by more than an hour; then we were slow with foot gear; then, pulling with all our might (for our lives) we could scarcely advance at rate of a mile an hour; then it grew thick and three times we had to get out of harness to search for tracks.
The result is something less than 3½ miles for the forenoon.
The sun is shining now and the wind gone.
Poor Oates is unable to pull, sits on the sledge when we are track-searching – he is wonderfully plucky, as his feet must be giving him great pain.
He makes no complaint, but his spirits only come up in spurts now, and he grows more silent in the tent.
We are making a spirit lamp to try and replace the primus when our oil is exhausted.
It will be a very poor substitute and we’ve not got much spirit.
If we could have kept up our 9-mile days we might have got within reasonable distance of the depôt before running out, but nothing but a strong wind and good surface can help us now, and though we had quite a good breeze this morning, the sledge came as heavy as lead.
If we were all fit I should have hopes of getting through, but the poor Soldier has become a terrible hindrance, though he does his utmost and suffers much I fear.

386:世界@名無史さん
22/03/06 22:34:29.19 0.net
3月6日火曜日–昼食。
私達は昨日の午後は風の助けを借りて少し良くなり、その日の走行距離は9½マイル(15.2km)、デポから27マイル(43.2km)でした。
しかし、今朝は状況が恐ろしくなりました。
夜は暖かく旅行中初めて一時間以上寝過ごしました;それから私達はフットギア(の装着)で遅くなりました;それから(私達の生存のために)全力で引くと私達は一時間に1マイル(1.6km)のペースで前進するのがやっとでした;それから視界が悪くなり三度(みたび)私達はわだちを探すために引き具を外さなければなりませんでした。
その結果、午前中の走行距離は3½マイル(5.6Km)未満になります。
今は太陽が輝いて風が消えています。
可哀そうなオーツは引くことができず、私達がわだちを探している時はそりにじっと座っています ― 彼は素晴らしく勇敢です、彼の足は酷い苦痛を彼に与えているに違いありません。
彼は病状を訴えませんが、彼の精神は今は僅かにほとばしるだけです、そして彼はテントの中では最も静かになっています。
私達はアルコールランプを作っています、私達の石油が枯渇した時にプリムスストーブの代替えとする試みで。
それは非常に貧弱な代替品であり、私たちはあまり熱情を得ていません。
もし私達が9マイル(14.4km)の日数を維持できれば、尽きる前にデポから適度な距離に入ることができる可能性がありましたが、今は強風と良好な雪面だけが私達を助けることができるのみであり、今朝はかなりの風が吹いていたにもかかわらず、 そりは鉛と同じくらい重くなりました。
もし私達全員が健康なら、私は乗り切る希望を持っているはずですが、可哀そうな兵士は酷い障害になっています、彼が最大限の努力をし私が恐れているものを物凄く我慢しているにもかかわらず。

387:世界@名無史さん
22/03/07 21:51:51.64 0.net
March 7. – A little worse I fear.
One of Oates’ feet very bad this morning; he is wonderfully brave.
We still talk of what we will do together at home.
We only made 6½ miles yesterday.
This morning in 4½ hours we did just over 4 miles.
We are 16 from our depôt.
If we only find the correct proportion of food there and this surface continues, we may get to the next depôt [Mt. Hooper, 72miles farther] but not to One Ton Camp.
We hope against hope that the dogs have been to Mt. Hooper; then we might pull through.
If there is a shortage of oil again we can have little hope.
One feels that for poor Oates the crisis is near, but none of us are improving, though we are wonderfully fit considering the really excessive work we are doing.
We are only kept going by good food.
No wind this morning till a chill northerly air came ahead.
Sun bright and cairns showing up well.
I should like to keep the track to the end.
3月7日 ― 少し悪化しているような気がします。
今朝、オーツの片足が非常に悪い;彼は素晴らしく勇敢です。
私たちは未だに家(基地)で一緒に何をするかについて話します。
昨日はたった6½マイル(10.4km)しか走りませんでした。
今朝は四時間半で4マイル(6.4km)余りを走りました。
私達のデポから16(25.6km)です。
もし私達がそこで正しい割合の食べ物を見つけ、かつこの雪面が続いたら、私達は次のデポ [フーパ―山, 72マイル(115.2km)先]には行けるかもしれませんが、1トンキャンプには行けないでしょう。
私達は犬がフーパ―山に既に行っているのではないかと望みを抱いています;それなれば私達は困難を切り抜けさせられるでしょう。
もしもまた石油が不足していたら、私達は殆ど望みがありません。
人は可哀そうなオーツにとって危機が近いのを感じています、しかし私達の誰もが改善していません、私達が行っている本当に過分なる仕事を考えると素晴らしく健康であるにもかかわらず。
私達は良い食べ物によってこそ、健康でいられるのです。
今朝は冷たい北風が来るまでは無風でした。
太陽が輝き雪塚がよく見えます。
このまま最後まで走破したいものです。

388:世界@名無史さん
22/03/08 16:27:39.47 0.net
>>384
”世界最悪の旅(チェリーガラード)”の本だと、冬の寒さよりも
夏の暑さで燃料缶から燃料が漏れた、とか書いて有った様な。
南極が寒い理由の1つに、浅い角度で太陽があたるってのがあるんだが。
とある日本の南極観測隊がやった実験なんだが、雪上車を黒く塗ってみたんだが
日があたる場所だと表面温度が30℃以上にまで上がったとの事。
南極だと水平方向から太陽光がくるんだが、雪上車の壁だと太陽光は
まっすぐあたるし、色が黒なんで温度は結構上がった様子。

389:世界@名無史さん
22/03/08 18:55:55.23 0.net
世界最悪の旅の文庫版の258ページに
ここには極地隊のため昨秋から食料と油が貯蔵してあり、それは一つのカンバス製の容器に入れられてニメートルあまり雪の下にうずめ、油はその赤缶が貯蔵庫の目標になるので雪の上においてあった。
ところが、われわれがこの容器をほり出して食料を手にした時、それは冬から春の間にニメートルあまりの雪をとおしてしみ込んだパラフィンのためにほとんどたべられなくなっていた。
とあるね。

390:世界@名無史さん
22/03/08 18:58:46.86 0.net
今年の冬は何度も雪掻きしては掻いた雪を集めた山が融けのを待っていたけど、最後の方は同じ最高気温が1~2度でも融けるのが早かった。
太陽の角度が高くなってより多くの遠赤外線が雪山に当たるようになっていたからね。

391:世界@名無史さん
22/03/08 19:21:11.74 0.net
2006年にBBCの企画でノルウェーとイギリスのパーティーがアムンセンとスコットのレースを完全に再現しようと、当時の装備そのままでグリーンランドでレースをしたんだけど、
犬ぞりとスキーを使ったノルウェー隊は予定よりも早く目的地に着いて余裕で帰って来たけど、人力でそりを引いてたイギリス隊は目的地まではいけたけど帰路の途中で全員が大幅に体重が落ちて危険だったのでプロデューサー判断で棄権となり、やはりノルウェー隊が勝利したという話。
URLリンク(youtu.be)

392:世界@名無史さん
22/03/08 21:28:53.94 0.net
Thursday, March 8. – Lunch.
Worse and worse in morning; poor Oates’ left foot can never last out, and time over foot gear something awful.
Have to wait in night foot gear for nearly an hour before I start changing, and then am generally first to be ready.
Wilson’s feet giving trouble now, but this mainly because he gives so much help to others.
We did 4½ miles this morningand are now 8½ miles from the depôt – a ridiculously small distance to feel in difficulties, yet on this surface we know we cannot equal half our old marches, and that for that effort we expend nearly double the energy.
The great question is, What shall we find at the depôt?
If the dogs have visited it we may get along a good distance, but if there is another short allowance of fuel, God help us indeed.
We are in a very bad way, I fear, in any case.
3月8日(木) - 昼飯。
朝には益々悪くなりました;可哀そうなオーツの左足は最早耐えうることができず、フットギアを履いて時間を過ごすのは何かと酷いことです。
夜には私が着替え始まる前にフットギア(を脱ぐこと?)で一時間近く待たなければなりません、そして概して最初に準備をします。
ウィルソンの足は今トラブルを抱えていますが、この主たる原因は彼が他の人をとても助けているからです。
私たちは今朝4½マイル(7.2km)を進み、現在はデポから8½マイル(13.6km)です - 困難を感じるには馬鹿馬鹿しいほど短い距離です、しかしこの雪面では私達のかつての行進の半分に匹敵することができないのを私達は知っており、その努力のために私達はほぼ2倍のエネルギーを費やしています。
大きな問題は、デポで何を見つけるかでしょうか?
もし犬たちがそこを訪れていれば私達はかなりの距離を進むことができるでしょう、しかしもしまた燃料が不足していたら、神よ私達を誠に助けてください。
いずれにせよ、私達は非常に悪い状況に陥っています。

393:世界@名無史さん
22/03/09 22:20:03.33 0.net
3月9日はスコットは日記を書きませんでした。

394:世界@名無史さん
22/03/10 16:29:25.47 0.net
URLリンク(www.cnn.co.jp)
沈没から107年、英探検隊の船を南極沖で発見
2022.03.10 Thu posted at 15:57 JST

395:世界@名無史さん
22/03/10 16:45:42.88 0.net
>>394
おぉ、エンデュアランス号じゃないか。
水が冷たいから、木が腐らないのかな。

396:世界@名無史さん
22/03/10 19:05:41.30 0.net
なんとかでも全員が生還できたエンデュアランス号よりもロス海の方に回ったオーロラ号の方が犠牲者が出たりして不幸だったんだよね
エンデュアランス号にはスコットの極点探検で南緯87度で引き返した最終帰還隊の一人にして壊血病になったエバンス大尉を救出したクリーンも乗っていて、この写真はその時のものだけど、流石にこの防寒着はスコットの時よりは改良はされていたんだろうな?
URLリンク(i.imgur.com)
抱っこしているのはエンデュアランス号の船内で生まれたエスキモー犬の赤ちゃんでクリーンも大変に可愛がったんだけど、いよいよ食料が無くなって食べる為に犬を殺すことをシャクルトンが命じたときに真っ先に応じたのはこのクリーンだったような(記憶が曖昧だが
まあそうだとしたら、流石は南極で生き延びるためには何が必要か、その経験から瞬時に判断して躊躇することなく実行したということかな

397:世界@名無史さん
22/03/10 21:28:37.32 0.net
Saturday, March 10. – Things steadily downhill.
Oates’ foot worse.
He has rare pluck and must know that he can never get through.
He asked Wilson if he had a chance this morning, and of course Bill had to say he didn’t know.
In point of fact he has none.
Apart from him, if he went under now, I doubt whether we could get through.
With great care we might have a dog’s chance, but no more.
The weather conditions are awful, and our gear gets steadily more icy and difficult to manage.
At the same time of course poor Titus is the greatest handicap.
He keeps us waiting in the morning until we have partly lost the warming effect of our good breakfast, when the only wise policy is to be up and away at once; again at lunch.
Poor chap! it is too pathetic to watch him; one cannot but try to cheer him up.
Yesterday we marched up the depôt, Mt. Hooper.
Cold comfort. Shortage on our allowance all round.
I don’t know that anyone is to blame.
The dogs which would have been our salvation have evidently failed.
Meares had a bad trip home I suppose.
This morning it was calm when we breakfasted, but the wind came from the W.N.W. as we broke camp.
It rapidly grew in strength.
After travelling for half an hour I saw that none of us could go on facing such conditions.
We were forced to camp and are spending the rest of the day in a comfortless blizzard camp, wind quite foul.

398:世界@名無史さん
22/03/10 21:29:34.03 0.net
3月10日土曜日 – 事態はどんどん悪化しています。
オーツの足がいっそう悪くなりました。
彼は引くのが稀になり、決して為し終えることができないことを分かっているに違いありません。
彼は今朝、ウィルソンにチャンス(=見込み)があるかどうか尋ねました、もちろんビル(ウィルソンのこと)は「わからない」と言わざるを得ませんでした。
実際、彼には何も(チャンスは)ありません。
彼を別としても、もし彼が今亡くなった場合でも、私達が為し終えるができるかどうかは疑わしいのです。
最善の注意を払って、犬のチャンスがあるかもしれませんが、それ以上はありません。
気象状況は酷くて、私達の装備はどんどん凍りつき、管理するのが難しくなっています。
同時に、もちろん可哀そうなタイタスは最大のハンディキャップです。
彼は朝に私達を待たせます、私達が美味しい朝食の保温効果を半ば失うまで、唯一の賢い方針は即刻立ち上がって離れる時です;昼食時も再び。
可哀そうに!彼を見るのはあまりに痛ましいです;彼を励まさずにはいられません。
昨日、私達はフーパ―山デポに向かって行進しました。
冷たい慰め。私達の割当量のあらゆる点での不足。
誰が責めを負うべきであるのか私には分かりません。
私達の救いであったはずの犬達は明らかに失敗しています。
ミアースは悪い帰り旅となったのだと思います。
今朝は朝食をとったときは穏やかでしたが、テントをたたむ時に風が西北西から来ました。
それは急速に強さを増しました。
半時間旅行した後で私は分かりました、私達の誰もそのようなコンディションで向かい続けることができないと。
私たちはキャンプを余儀なくされ、一日の残りをわびしいブリザードのキャンプで過ごしています、風がかなり吹き荒れています。

399:世界@名無史さん
22/03/11 00:20:17.80 0.net
>>397 自己レス
>He has rare pluck and must know that he can never get through.
彼は引くのが稀になり、決して為し終えることができないことを分かっているに違いありません。
彼は素晴らしい胆力を持っていて、決して為し終えることができないことを分かっているに違いありません。
かもしれない

400:世界@名無史さん
22/03/11 10:47:38.56 0.net
ウィルソンさんのスケッチ
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

401:世界@名無史さん
22/03/11 20:09:08.96 0.net
March 11. – Titus Oates is very near the end, one feels.
What we or he will do, God only knows.
We discussed the matter after breakfast; he is a brave fine fellow and understands the situation, but he practically asked for advice.
Nothing could be said but to urge him to march as long as he could.
One satisfactory result to the discussion; I practically ordered Wilson to hand over the means of ending our troubles to us, so that any one of us may know how to do so.
Wilson had no choice between doing so and our ransacking the medicine case.
We have 30 opium tabloids apiece and he is left with a tube of morphine.
So far the tragical side of our story.
The sky completely overcast when we started this morning.
We could see nothing, lost the tracks, and doubtless have been swaying a good deal since – 3.1 miles for the forenoon – terribly heavy dragging – expected it.
Know that 6 miles is about the limit of our endurance now, if we get no help from wind or surfaces.
We have 7 days’ food and should be about 55 miles from One Ton Camp tonight, 6×7=42, leaving us 13 miles short of our distance, even if things get no worse.
Meanwhile the season rapidly advances.
3月11日–タイタス・オーツはもうすぐ終わりだと感じています。
私達または彼がどうするかは、神のみぞ知るところです。
私達は朝食後にその問題について話し合いました;彼は勇敢で素晴らしい仲間であり、状況を理解しています、しかし彼は実際にアドバイスを求めました。
彼ができる限り行進することを彼に促すほかに何も言えませんでした。
ディスカッションに対する一つの満足のいく結果;私は実際に「私達のトラブルを終わらせることを意味するものを私達に手渡すこと」をウィルソンにオーダーしました、私達の誰もがその場合どうしたらいいのかを知ることができるようにするために。
ウィルソンは、“そうするか”もしくは“私達が薬箱をくまなく探すか”のどちらかを選ぶことはできませんでした。
私達は各自30錠の阿片タブロイドを持ち、彼はモルヒネのチューブを残されています。
ここまでは私達の物語の悲劇的な一面。
私達が今朝出発した時、空は完全に曇っていました。
私達は何も見えず、わだちを見失い、疑いなくその時からかなり左右にふらふらしています - 午後は3.1マイル(5km弱) - 酷く重い引きずり - 予想通り。
もし私達が風や雪面からの助けを得られないならば、6マイル(9.1km)が今の私達の持久力のおおよその限界だと知っています。
私達は7日分の食料を持っています、そして今夜1トンキャンプから約55マイル(88km)のはずです、6(マイル)×7(日)=42(マイル)、私達の距離に対して13マイル(20.8km)の不足を私達に残しています、たとえ事態が更に悪くならないとしても。
そうしている間にも季節はどんどん進んでいきます。

402:世界@名無史さん
22/03/12 08:02:23.26 0.net
【解説】南極探検船エンデュアランス号をついに発見、水深3千mの海底で、沈没から107年
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

403:世界@名無史さん
22/03/12 19:14:10.29 0.net
【フーパー山デポでの物資の不足】
スコットの南極点探検の往路において、南緯80度を超えて寒さと餌となるマグサの不足から弱っていく馬を尻目に犬そりの犬の方はスコットが「犬は素晴らしいの一言につきる」と日記に書くほどの働きっぷりだった。
ベアドモア氷河を前にして猛吹雪のために4日間の滞在を余儀なくされ、本来は氷河に入ったところまで使う予定だった馬の餌が尽き、氷河の直前で残った馬5頭を射殺する。
このため、犬そり隊の任務が増し、馬そりの代わりに氷河の登口までそりを引き、そこで引き返した。
馬そりを担当していたのはミアズとドミトリーである。
帰路は犬の進みが予定外に悪くなり旅が長引いてしまったので食料がなくなり、担当の2人はフーパー山デポで各班の残りから少しずつ取った。
第一支援隊(上氷河デポで引き返した)のアトキンソン、チェリーガラード、ライト、コヘインがフーパー山デポに到着した時にそのことに気づき、1tデポでも同様だったらどうしようかと、以後空腹を我慢して食料を節約しながら旅を続けた。
果たして1tデポに到着すると、予定通り犬そり班の2人が食料を再補給したので喜んだという話。
なお、エヴァンス大尉らの最終帰還隊はフーパー山デポでの食料不足については何も語ってないし、基地に到着後は極点隊の行進は順調で易々と極点に到達するだろうと基地の仲間に語っている。

404:世界@名無史さん
22/03/12 20:53:13.69 0.net
Monday, March 12. – We did 6.9 miles yesterday, under our necessary average.
Things are left much the same, Oates not pulling much, and now with hands as well as feet pretty well useless.
We did 4 miles this morning in 4 hours 20min. – we may hope for 3 this afternoon, 7×6=42.
We shall be 47 miles from the depôt.
I doubt if we can possibly do it.
The surface remains awful, the cold intense, and our physical condition running down.
God help us!
Not a breath of favourable wind for more than a week, and apparently liable to head winds at any moment.

3月12日月曜日 – 私達は昨日6.9マイル(11km)進みました、私達に必要なアベレージを下回っています。
事態はほとんど同じままであり、オーツはあまり引っ張らず、今では手も足と同様にほとんど使えなくなっています。
今朝は4時間20分で4マイル進みました – 今日の午後は3マイルの望みがあるかもしれません、7(マイル)×6(日)=42(マイル)
私達はデポから47マイル(75.2km)の距離におります。
私達ができるかどうか疑問です。
雪面は恐ろしいままで、寒さは厳しく、私たちの健康状態は衰えています。
神よ私達を助けたまえ!
一週間以上有益な風の息吹がなく、見たところ今にも向かい風になりそうです。

405:世界@名無史さん
22/03/13 22:43:41.34 0.net
3月13日はスコットは日記を書きませんでした。

406:世界@名無史さん
22/03/14 21:30:27.00 0.net
Wednesday, March 14. – No doubt about the going downhill, but everything going wrong for us.
Yesterday we woke to a strong northerly wind with temp. -37°.
Couldn’t face it, so remained in camp till 2, then did 5¼ miles.
Wanted to march later, but party feeling the cold badly as the breeze (N.) never took off entirely, and as the sun sank the temp. fell.
Long time getting supper in dark.
This morning started with southerly breeze, set sail and passed another cairn at good speed; half-way, however, the wind shifted to W. by S. or W.S.W., blew through our wind clothes and into our mits.
Poor Wilson horribly cold, could not get off ski for some time.
Bowers and I practically made camp, and when we got into the tent at last we were all deadly cold.
Then temp. now midday down -43° and the wind strong.
We must go on, but now the making of every camp must be more difficult and dangerous.
It must be near the end, but a pretty merciful end.
Poor Oates got it again in the foot.
I shudder to think what it will be like tomorrow.
It is only with greatest pains rest of us keep off frostbites.
No idea there could be temperatures like this at this time of year with such winds.
Truly awful outside the tent.
Must fight it out to the last biscuit, but can’t reduce rations.
3月14日水曜日–下り坂であるのは疑いないが、すべてが私達にとって上手くいってない。
昨日、私達はマイナス37℃の強い北風で目が覚めた。
それに立ち向かうことができなかったので、2時までキャンプに留まり、それから5¼マイル(8.4km)進んだ。
もっと遅くまで行進したかったが、北からの風が去ることがなく、太陽が沈んで気温が下がったので、隊は酷く寒さを感じた。
暗い中で夕食を取るのに長い時間が掛かった。
今朝は南風で出発し、帆を張り、かなりの速度で別の雪塚を通過した;しかしながら、途中から風が南から西、または西南西に変わり、私達の防風着を吹き抜け手袋に入り込む。
可哀そうなウィルソンは酷く寒がって、しばらくの間スキーを脱ぐことができなかった。
バウワースと私でほとんどキャンプを作った、そして私達がようやくテントの中に入った時、私達は皆死ぬほど寒かった。
その後、今真昼で気温はマイナス43℃まで下がり、風が強い。
私達は前進しなければならないが、今は毎回キャンプを作るのがより難しく危険になるに違いない。
終わりが近づいているに違いないが、かなり慈悲深い終わり方。
可哀そうなオーツはまた足をやられた。
明日がどうなるのかと思うとぞっとする。
私達の残りが凍傷にならないでいるのは、ただただ最大限の骨折りをしているからだ。
一年のこの時期にそのような風を伴ってこのような気温になるとは思いもよらなかった。
テントの外は真に恐ろしい。
最後のビスケットまで戦わなくてはならない、しかし配給量を減らすわけにはいかない。

407:世界@名無史さん
22/03/15 19:25:31.90 0.net
>>396
三人死亡しているんだな
「消された男たち」を読んで出発前のドタバタに苛立ちを感じた
シャクルトンの指導力を少し見損なったわ

408:世界@名無史さん
22/03/15 23:30:13.26 0.net
3月15日もスコットは日記を書きませんでした。
事態が逼迫して厳しい環境下で書ける状況ではなかったのかもしれません。

409:世界@名無史さん
22/03/16 20:15:16.69 0.net
イギリスの英雄はアーネスト・シャクルトンではなくルイス・ハミルトン

410:世界@名無史さん
22/03/16 23:19:40.18 0.net
Friday, March 16 or Saturday 17. – Lost track of dates, but think the last correct.
Tragedy all along the line.
At lunch, the day before yesterday, poor Titus Oates said he couldn’t go on; he proposed we should leave him in his sleeping-bag.
That we could not do, and induced him to come on, on the afternoon march.
In spite of its awful nature for him he struggled on and we made a few miles.
At night he was worse and we knew the end had come.
Should this be found I want these facts recorded.
Oates’ last thoughts were of his Mother, but immediately before he took pride in thinking that his regiment would be pleased with the bold way in which he met his death.
We can testify to his bravery.
He has borne intense suffering for weeks without complaint, and to the very last was able and willing to discuss outside subjects.
He did not – would not – give up hope to the very end.
He was a brave soul.
This was the end.
He slept through the night before last, hoping not to wake; but he woke in the morning – yesterday.
It was blowing a blizzard.
He said, ‘I am just going outside and may be some time.’
He went out into the blizzard and we have not seen him since.
I take this opportunity of saying that we have stuck to our sick companions to the last.
In case of Edgar Evans, when absolutely out of food and he lay insensible, the safety of the remainder seemed to demand his abandonment, but Providence mercifully removed him at this critical moment.
He died a natural death, and we did not leave him till two hours after his death.
We knew that poor Oates was walking to his death, but though we tried to dissuade him, we knew it was the act of a brave man and an English gentleman.
We all hope to meet the end with a similar spirit, and assuredly the end is not far.
I can only write at lunch and then only occasionally.
The cold is intense, -40° at midday.
My companions are unendingly cheerful, but we are all on the verge of serious frostbites, and though we constantly talk of fetching through I don’t think any one of us believes it in his heart.
We are cold on the march now, and at all times except meals.
Yesterday we had to lay up for a blizzard and today we move dreadfully slowly.
We are at No.14 pony camp, only two pony marches from One Ton Depôt.
We leave here our theodolite, a camera, and Oates’ sleeping-bags.
Diaries, &c., and geological specimens carried at Wilson’s special request, will be found with us or on our sledge.

411:世界@名無史さん
22/03/16 23:29:03.75 0.net
3月16日金曜日または17日土曜日–日付が分からなくなったが、後の方が正しいと思う。
至る所が悲劇だ。
一昨日の昼食時に可哀そうなオーツはもう先に進めないと言った;彼は「私達が彼の寝袋の中に彼を放置すべきだ」と提案した。
それは私達にはできないので、午後の行進に参加するよう彼を説得した。
彼にとってその恐ろしい状況だったにもかかわらず、彼は戦い抜き、私達は数マイル行進した。
夜に彼はますます悪くなり、私達は終わりが来るだろうと知った。
もしこれが発見されたら、これらの事実を記録して欲しい。
オーツの最後の想いは母のことだったが、その直前に彼は、彼の連隊が彼の死を迎えた中での大胆な方法を喜んでくれるだろうという考えにプライドをかけていた。
私達は彼の勇敢さを証言することができる。
彼は不平を言わずに数週間も激しい苦痛に耐え、最後の最後まで余談を語り合うことができ、喜んで(語り合いを)してきた。
彼は終わり間際まで希望を捨てなかった - 捨てようとしなかた。
彼は勇者だった。
これが終わりだった。
彼は一昨日の夜眠っていた、目覚めないことを望みながら;しかし彼は朝に目覚めた - 昨日。
ブリザードが吹き荒れていた。
彼は言った、「ちょっと外に出てくる、しばらく掛かるかもしれない」。
彼はブリザードの中に出ていき、私達はそれ以来彼に会っていない。
この場を借りて言うが、私達は私達の病気の仲間を最後まで守ってきた。
エドガー・エヴァンズの場合は、食料が全くなく無意識で横たわっていた時、残された者の安全のためには彼の遺棄を要求しているように思われたが、天はこの危機的瞬間に彼を慈悲深く連れ去った。
彼は自然死であり、私たちは彼の死後2時間に至るまで彼のそばを離れなかった。
私達は可哀そうなオーツが死に向かって歩いているのを知っていた、しかし私達は彼を思いとどまらせようとしたけれども、私達はそれが勇敢な男、イギリス紳士の行為であることも知っていた。
私達は皆同じような精神で終わりを迎えたいと望んでおり、確実に終わりは遠くない。
私は昼食時だけ、それも本当に時折だけ書くことができる。
寒さは厳しく、正午に-40℃。
私の仲間は果てしなく快活だが、私達は皆深刻な凍傷の寸前、そして私達は常に魅力的な話をしているのだが、私は私達の誰もが彼らの本心からそれを信じているとは思わない。
私達は今行進中も寒く、そして食事を除く全ての時間で寒い。
昨日私達はブリザードの為に引き籠らざるを得ず、今日私達はものすごくゆっくりと移動している。
私達は、1トンデポからたった2ポニー行進のNo.14ポニーキャンプにいる。
私達はここに、私達の経緯儀、カメラ、オーツの寝袋を残す。
日記やその他、ウィルソンの特別な要望で運ばれた地質学的標本は、私達と共に、あるいは私達のソリの上で見つけることができるだろう。

412:世界@名無史さん
22/03/17 14:26:31.79 0.net
シャクルトンも南極横断探検の時にオーロラ号に乗っていたロス海支援隊で三人の犠牲者が出たと聞いた時はショックを受けていたけど
スコットも目の前で次々と隊員が死んでしまって相当悲痛だっただろうな

413:世界@名無史さん
22/03/17 21:19:51.78 0.net
Sacrifice Amid the Ice: Facing Facts on the Scott Expedition | History| Smithsonian Magazine
URLリンク(www.smithsonianmag.com)
これもそうだけどオーツや他の隊員視点の話がたくさん読めるサイトがあったら教えてほしいです

414:世界@名無史さん
22/03/17 22:11:07.79 0.net
>>413
まずはWikipedia
URLリンク(en.m.wikipedia.org)

415:世界@名無史さん
22/03/17 22:28:34.15 0.net
このサイトもいいね
URLリンク(www.coolantarctica.com)

416:世界@名無史さん
22/03/17 22:42:32.08 0.net
3月17日のスコットの日記が>>410

417:世界@名無史さん
22/03/17 23:59:55.72 0.net
オーツはもう目が覚めないよう願いながら一晩眠った。

苦しみにが限度に達してウィルソンに渡されたアヘンを飲んで寝たのだろうという説がある

418:世界@名無史さん
22/03/18 21:03:27.08 0.net
Sunday, March 18. – Today, lunch, we are 21 miles from the depôt.
Ill fortune presses, but better may come.
We have had more wind and drift from ahead yesterday; had to stop marching; wind N.W., force 4, temp. -35°.
No human being could face it, and we are worn out nearly.
My right foot has gone, nearly all the toes – two days ago I was proud possessor of best feet.
These are the steps of my downfall.
Like an ass I mixed a small spoonful of curry powder with my melted pemmican – it gave me violent indigestion.
I lay awake and in pain all night; woke and felt done on the march; foot went and I didn’t know it.
A very small measure of neglect and have a foot which is not pleasant to contemplate.
Bowers takes first place in condition, but there is not much to choose after all.
The others are still confident of getting through – or pretend to be – I don’t know!
We have the last half fill of oil in our primus and a very small quantity of spirit – this alone between us and thirst.
The wind is fair for the moment, and that is perhaps a fact to help.
The mileage would have seemed ridiculously small on our outward journey.
3月18日日曜日 – 今日、昼食、私たちはデポから21マイル(33.6km)にいる。
不運が押し寄せているが、より良くなるだろうか。
私達は昨日更に強い風があり前方に漂流した;行進をやめなければならなかった;北西風、風力4、気温-35℃。
それに直面できる人はいない、それに私達はほぼ精も根も尽きている。
私の右足はほぼ全てのつま先が行ってしまった - 二日前は最高の足の保有者であるのを誇っていたのに。
これらは私の転落の歩みである。
馬鹿の様に私はカレーパウダーの小匙一杯を溶かしたぺミカンに混ぜた - それは私に激しい消化不良をもたらせた。
私は夜通し苦痛の中で横になって目を覚ましていた;起き上がって行進中にもう駄目だと感じた;足が行ってしまったので分からなかった。
非常に些細な油断で考えるのも嫌な足になった。
バウワーズが健康状態では一位だが、結局のところ(誰が一位かを)選ぶ余地はあまりない。
他の人達は未だに切り抜けるのを確信している - あるいはそういうふりをしている - 私には分からない!
私達は私達のプリムスストーブに残り半分のオイル、それと極少量のエタノールを持っている - 私達と渇望との間にあるのはこれだけ。
風は今のところまずまずで、それはもしかすると救いの事実である。
走行距離は、私達の往路では馬鹿馬鹿しいほど短く感じられただろう。

419:世界@名無史さん
22/03/19 11:20:33.70 0.net
>>418 訂正
>I lay awake and in pain all night; woke and felt done on the march; foot went and I didn’t know it.
>A very small measure of neglect and have a foot which is not pleasant to contemplate.
>私は夜通し苦痛の中で横になって目を覚ましていた;起き上がって行進中にもう駄目だと感じた;足が行ってしまったので分からなかった。
>非常に些細な油断で考えるのも嫌な足になった。
私は夜通し苦痛の中で横になって目を覚ましていた;起き上がって行進中にもう駄目だと感じた;足が行ったが私はそれに気が付かなかった。
非常に些細な油断で考えるのも嫌な(考えるのが喜ばしくない)足になった。

420:世界@名無史さん
22/03/19 21:26:50.90 0.net
March 19. – Lunch.
We camped with difficulty last night and were dreadfully cold till after our supper of cold pemmican and biscuit and a half a pannikin of cocoa cooked over the spirit.
Then, contrary to expectation, we got warm and all slept well.
Today we started in the usual dragging manner.
Sledge dreadfully heavy.
We are 15½ miles from the depôt and ought to get there in three days.
What progress!
We have two days’ food but barely a day’s fuel.
All our feet are getting bad – Wilson’s best, my right foot worst, left alright.
There is no chance to nurse one’s feet till we can get hot food into us.
Amputation is the least I can hope for now, but will the trouble spread?
That is the serious question.
The weather doesn’t give us a chance – the wind from N. to N.W. and -40° temp. today.
3月19日 – 昼食。
私達は昨夜苦労してキャンプをし、冷たいペミカンとビスケットとエタノールで煮たココアの金属製の小コップ半分の我々の夕食後まで恐ろしく寒かった。
その後、予想に反して、私達は暖かくなり皆よく眠れた。
今日、私達はいつも通りの引き方で出発した。
そりは恐ろしく重い。
私達はデポから15½マイル(24.8km)で、3日でそこに到着するはずだ、
なんという(のろい)進み具合だ!
私達は二日分の食料を持っているが、燃料は僅か一日分。
私達の足は皆悪くなっている – ウィルソンが最も良く、私の右足が最も悪い、左足は大丈夫。
私達が温かい食べ物を食べられるまで足を看護するための機会はない。
切断は今のところ私が望みうる最小限だが、具合の悪さが広がるだろうか?
それは深刻な問題だ。
天候は我らに好機を与えず - 今日は北から北西への風、-40℃の気温。

421:世界@名無史さん
22/03/20 16:14:16.82 0.net
南極点のアムンセンのテント
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

422:世界@名無史さん
22/03/20 22:34:38.03 0.net
3月20日はスコットは日記を書きませんでした。
あるいは書けませんでした。

423:世界@名無史さん
22/03/21 06:05:05.68 0.net
>>421
上の写真はアムンゼン隊が撮影した物で、
下の写真はスコット隊が撮影した物かな?

424:世界@名無史さん
22/03/21 10:16:58.94 0.net
>>423
そうだね
アムンセン隊のは自分たちが張ったテントの上のノルウェー国旗への敬意を感じる写真だけど
スコット隊のはテントを取り囲んむ隊員らの無念さや失望がよく映されている写真になってる

425:世界@名無史さん
22/03/21 20:31:17.66 0.net
Wednesday, March 21. – Got within 11 miles of depôt Monday night; had to lay up all yesterday in severe blizzard.
Today forlorn hope, Wilson and Bowers going to depôt for fuel.
3月21日水曜日 – 月曜日の夜にデポから11マイル(17.6km)以内に到着; 昨日はずっとシビアな(=過酷な)ブリザードで引き籠っていなければなかなかった。
今日は儚い希望を抱き、ウィルソンとバウワーズが燃料のためデポに行く予定。

426:世界@名無史さん
22/03/22 16:29:33.72 0.net
なお小ネタとしては、>>421の写真に写ってるアムンゼン隊のテントは、緊急用に
用意されたテントで、日本製の羽二重で作られてたって話。
畳むと非常に小さくなるので緊急用として持ち込まれたんだが、使われなかったんで
不要な物とスコット宛の手紙を中に入れて南極点に残置された、って話。
元々は布地が白かったんだが、南極で白は目が痛いんで
持ってきてたインクで黒く染めたんだとか。

427:世界@名無史さん
22/03/22 21:43:32.86 0.net
3月22日もスコットは日記をつけてませんでした。
代わりに南極点到達の日の日記をUPします。

428:世界@名無史さん
22/03/22 21:44:32.24 0.net
Wednesday, January 17. – Camp 69. T. -22° at start. Night -21°.
1月17日水曜日–キャンプ69。出発時の気温-22°。 夜は-21°
The Pole.
極点
Yes, but under very different circumstances from those expected.
そうだ、だが期待していたものとは程遠い状況下だ。
We have had a horrible day – add to our disappointment a head wind 4 to 5, with a temperature -22°, and companions labouring on with cold feet and hands.
私達は酷い日を過ごした - 我々の失望に加え向かい風が風力4から5、気温 -22°、そして冷えた手足で働いている仲間。
We started at 7.30, none of us having slept much after the shock of our discovery.
私達は7.30に出発した、我々の発見のショックの後では我々の誰もがあまり眠れなかった。
We followed the Norwegian sledge tracks for some way; as far as we make out there are only two men.
私達はノルウェーのそりのわだちをどうにか追跡した;私達が理解する限り男は2人だけである。
In about three miles we passed two small cairns.
約3マイルの間に私達は2つの小さな雪塚を通過した。
Then the weather overcast, and the tracks being increasingly drifted up and obviously going too far to the west, we decided to make straight for the Pole according to our calculations.
その後天気は曇り、わだちはどんどん吹き積もっていき、明らかに西に行き過ぎたので、私達は我々の計算に従って極点へと直進することに決めた。
At 12.30 Evans had such cold hands we camped for lunch – an excellent ‘week-end one.’
12時30分にエヴァンスはとても手が冷たくなったので私達は昼食の為にキャンプをした - エクセレントな‘週末の一つ’。
We had marched 7.4miles. Lat. sight gave 89° 53' 37".
私達は7.4マイル行進した。緯度計は89度53分37秒を示した。
We started out and did 6½ miles due south.
私達は出発し、真南に6½マイル進んだ。
Tonight little Bowers is laying himself out to get sights in terrible difficult circumstances;the wind is blowing hard, T. -21°, and there is that curious damp, cold feeling in the air which chills one to the bone in no time.
今夜小柄なバウワーズは酷く難しい状況で視界を得るために横になっている;風が強く吹いている、気温-21°、その妙な湿度、直ぐに骨身に悪寒が染みこむ空気の冷たい感触がある。
We have been descending again, I think, but there looks to be a rise ahead; otherwise there is very little that is different from the awful monotony of past days.
私達は再び下降している、私は思う、しかし前方に登りがあるように見える;それ以外はここ数日のの恐ろしい単調さと異なっているのはほんの僅かだ。

429:世界@名無史さん
22/03/22 21:44:57.13 0.net
>>428 続き
Great God! this is an awful place and terrible enough for us to have laboured to it without the reward of priority.
偉大なる神よ! ここは恐ろしい場所だ、優先権の褒美もなくそれに苦心してきた我々にとってあまりにも恐ろしい。
Well, it is something to have got here, and the wind may be our friend tomorrow.
よろしい、ここに来たのは何か意味がある、そして風は明日我々の友達かもしれない。
We have had a fat Polar hoosh in spite of our chagrin, and feel comfortable inside - added a small stick of chocolate and the queer taste of a cigarette brought by Wilson.
私達は我々の悔しさにもかかわらず脂い極地のフーシュを食べ、(テントの)内で快適に感じる - チョコレートの小さなスティックとウィルソンに持ってこられたタバコのふらふらする味感を追加した。
Now for the run home and a desperate struggle.
さて次は基地に帰るのに死に物狂いの戦いだ。
I wonder if we can do it.
できるだろうか?

430:世界@名無史さん
22/03/23 10:03:51.23 0.net
>>426
そのアムンセンのテントだが、しばしばテントの中に残したもののリストに「スコット隊の為の食料」が挙げられてることがあるけど、アムンセン著の南極点やチェリガラード著の世界最悪の旅で当該箇所が書かれているウィルソンの日記にも、テントの中に残したもの残されてたものに食料はないんだよね。
アムンセンはイギリス隊は充分な食料を持ってきているだろうし、帰りに全滅するとも思ってなかったから、テントに食料を置く必要を感じてなかったのは当然だけどね。
アムンセンはスコット率いるイギリス隊の実力を相当買っていたし。
ただ、アムンセンの南極点には「いくら私がスコットやシャクルトンの本に学ぶことが多くても、それら英国隊が犬やスキーを軽視しているのには理解ができない」みたいなことが書かれていたと思った。
ちなみに南極点を書いた時点では、アムンセンはスコット隊が全滅していることを知らなかったし、生きているものと思っていた。

431:世界@名無史さん
22/03/23 21:31:23.33 0.net
Thursday, March 22 and 23. – Blizzard bad as ever – Wilson and Bowers unable to start – tomorrow last chance – no fuel and only one or two of food left – must be near the end. Have decided it shall be natural – we shall march for the depôt with or without our effects and die in our tracks.
3月22日&23日木曜日。–ブリザードが相変わらず酷い – ウィルソンとバウアーズは出発できない – 明日が最後のチャンス – 燃料はなく食料の一、二食分を残すのみ – 終わりが近いに違いない。それ(終わり)を自然にゆだねる決心をした - 私達は我々の所持品を持って、あるいは持たずにデポに向かって行進し、我々の走路にて死ぬだろう。

432:世界@名無史さん
22/03/23 23:08:20.58 0.net
>>430
俺のテントだったらスコット隊も全滅することは無かっただろうに
南無南無

433:世界@名無史さん
22/03/23 23:22:36.49 0.net
>>432
準備の重要性
URLリンク(mhcas.com)
人類初の南極点到達を競った二人、アムンセン(ノルウェー)とスコット(イギリス)。
この二人が対照的な結果に終わったことはよく知られています。
アムンセンはチームワークを重視し、スコットは上意下達型の組織で進めました。
特に、大きく異なったのは「準備」です。アムンセンは移動手段として犬ぞりのみを使いましたが、3回の遠征を行い、その間に衣類やテントなどの改良を行いました。一方、スコットは過去に犬ぞりで失敗していたので、動力そりなどの3種類の移動手段を準備しましたが、遠征訓練は1回にとどまりました。
帰りの物資の目印についても置き場所の1ヶ所にのみ目印を置くスコットに対し、アムンセンはたくさん旗を立てることで絶対に物資に到着できるようにしました。
このような徹底した準備の差が初の南極点到達と生死を分けることになったのです。
もちろん、スコットも準備はしましたが、想定する最悪の事態が甘かったり、ずれていたりしていたのです。
当時の南極探検と同様に不透明な先行きの中で進んでいかなければならない現代ビジネスの経営や営業においても、いかに徹底的な準備をし、最悪の事態を想定するか、が重要になっていると思います。
何が起こるか、何を求められているか、どれだけの資金が必要になるか。しっかりと起こりうる事態を想定する「想像力」と周到な準備を行う「準備力」が今、求められています。(ウメバヤシ)

434:世界@名無史さん
22/03/24 22:23:01.55 0.net
3月24日からしばらくスコットは日記を書いていません
次の日記は3月29日になります

435:世界@名無史さん
22/03/25 22:58:08.96 0.net
>>428の翌日のスコットの日記
Thursday morning, January 18. – Decided after summing up all observations that we were 3.5 miles away from the Pole – one mile beyond it and 3 to the right.
1月18日木曜日の朝 – 全ての観測の総括の後、私達は極点から3.5マイル(5.6km)離れていると判断した – 1マイル(1.6km)それ(極点)より向こうで右に3マイル(4.8km)。
More or less in this direction Bowers saw a cairn or tent.
この方向でおおよそバウワーズは雪塚やテントを見た。
We have just arrived at this tent, 2 miles from our camp, therefore about 1½ miles from the Pole.
私達はこのテントに到達したところだ、我々のキャンプから2マイル(3.2km)、従って極点から約1½マイル(800m)にある。
In the tent we find a record of five Norwegians having been here,as follows: Roald Amundsen Olav Olavson Bjaaland Hilmer Hanssen Sverre H. Hassel Oscar Wisting. 16 Dec. 1911.
テントの中で私達は5人のノルウェー人がここにいたという記録を見つけた、以下の通りである;Roald Amundsen Olav Olavson Bjaaland Hilmer Hanssen Sverre H. Hassel Oscar Wisting. 1911年12月16日。
The tent is fine – a small compact affair supported by a single bamboo.
テントは素晴らしい - 一本の竹によって支えられた小さくコンパクトなもの。
A note from Amundsen, which I keep, asks me to forward a letter to King Haakon!
私が保管しているアムンセンからのノートには、ホーコン王に手紙を届けることを私に頼んでいる!
The following articles have been left in the tent: 3 half bags of reindeer containing a miscellaneous assortment of mits and sleeping socks, very various in description, a sextant, a Norwegian artificial horizon and a hypsometer without boiling-point thermometers, a sextant and hypsometer of English make.
下記の品物がテントの中に残されていた:ミットの様々な種類と寝袋が包含されているトナカイのハーブバック3個、解説が非常に多彩、六分儀、ノルウェー製の人工水平器と沸点温度計のない湿度計、英国製の六分儀と沸点気圧計。
Left a note to say I had visited the tent with companions.
私は仲間と一緒にそのテントを訪ねた、と書いたノートを残した。
Bowers photographing and Wilson sketching.
バウワーズは写真を撮り、ウィルソンはスケッチをしている。
Since lunch we have marched 6.2 miles S.S.E. by compass (i.e. northwards).
昼食から私達はコンパスによって南南東に6.2マイル(9.9km)行進した(つまり北の方に)。
Sights at lunch gave us ½ to ¾ of a mile from the Pole, so we call it the Pole Camp. (Temp. Lunch -21°.)
昼食時の見解は我々に極点から½から¾マイル(800m~1.2km)という判断を下したので、そう私達はそれを極点キャンプと呼ぶ(昼食時の気温-21°)。

436:世界@名無史さん
22/03/25 22:59:06.53 0.net
>>435 続き
We built a cairn, put up our poor slighted Union Jack, and photographed ourselves - mighty cold work all of it – less than ½ a mile south we saw stuck up an old underrunner of a sledge.
私たちは雪塚を建て、我々の哀れできゃしゃなユニオンジャックを立てて、自分たちの写真を撮った - そのすべてが非常に冷たい仕事 - 南に半マイル足らずで、私達はそりの古いアンダーランナーが立ち往生しているのを見た。
This we commandeered as a yard for a floorcloth sail.
これを私達は床布帆の帆桁として徴用した。
I imagine it was intended to mark the exact spot of the Pole as near as the Norwegians could fix it. (Height 9500.)
私は、ノルウェー人が調整できる限りの極点の正確な地点を示すのを目指していたと察する。(高さ9500。)
A note attached talked of the tent as being 2 miles from the Pole.
貼り付けられていたノートには、テントは極点から2マイル(3.2km)の場所にあると書かれていた。
Wilson keeps the note.
ウィルソンがノートを預かる。
There is no doubt that our predecessors have made thoroughly sure of their mark and fully carried out their programme.
我々の先人が彼らの到達点を徹底的に確認し、彼らのプログラムを完全に成し遂げたことに疑いの余地はない。
I think the Pole is about 9500 feet in height; this is remarkable, considering that in Lat.
私は極点の標高は9500フィートだと考える;これは、その緯度を考慮すると注目に値する。
88° we were about 10,500.
88度では私達は約10,500フィートだった。
We carried the Union Jack about ¾ of a mile north with us and left it on a piece of stick as near as we could fix it.
私達はユニオンジャックを我々と共に北におおよそ1マイルの¾(1.2km)ほど運び、私達は調整できる限り竿の切れ端にそれを残した。
I fancy the Norwegians arrived at the pole on the 15th Dec. and left on the 17th, ahead of a date quoted by me in London as ideal, viz.
私はノルウェー人が12月15日に極点に到達し17日に去ったのだと思う、つまりロンドンで理想であると私が引用した日付よりも前である。

437:世界@名無史さん
22/03/25 23:00:50.57 0.net
>>435 自己レス
>We have just arrived at this tent, 2 miles from our camp, therefore about 1½ miles from the Pole.
>私達はこのテントに到達したところだ、我々のキャンプから2マイル(3.2km)、従って極点から約1½マイル(800m)にある。
私達はこのテントに到達したところだ、我々のキャンプから2マイル(3.2km)、従って極点から約1½マイル(2.4km)にある。

438:世界@名無史さん
22/03/26 21:31:41.39 0.net
アトキンソン博士の霜に噛まれた手、1911年(白黒写真)
URLリンク(images-cdn.bridgemanimages.com)

439:世界@名無史さん
22/03/27 21:37:36.55 0.net
南極で"完全に前代未聞"の高温、いつもより約40度高く
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

440:世界@名無史さん
22/03/28 16:07:12.39 0.net
>>438
アッチは、基地の近くでブリザードにまかれて
道に迷ったんだっけ?
実際、それが基地の近くだったとしても、酷いブリザードで道に迷った
なんて話は昭和基地でもあった訳でして(第4次隊)。

441:世界@名無史さん
22/03/29 23:00:19.29 0.net
Thursday, March 29. – Since the 21st we have had a continuous gale from W.S.W. and S.W.
We had fuel to make two cups of tea apiece and bare food for two days on the 20th.
Every day we have been ready to start for our depot 11 miles away, but outside the door of the tent it remains a scene of whirling drift.
I do not think we can hope for any better things now.
We shall stick it out to the end, but we are getting weaker, of course, and the end cannot be far.
It seems a pity, but I do not think I can write more.
R. Scott
Last Entry
For God’s sake look after our people.
3月29日木曜日– 21日からずっと西南西及び南西からの強風が続いてる。
私達は、20日には各自二杯分のお茶を沸かすための燃料とかつかつ二日分の食糧を持っていた。
毎日11マイル(17.6km)離れている我々のデポに出発する準備をしているが、テントの窓の外では渦巻く地吹雪の世界のまま。
私は今、私達が事態が好転することを望めるとは思わない。
私達は最後までやり遂げるつもりだが、勿論のこと衰弱してきており、終わりは遠くない。
残念なことのようだが、私はこれ以上書くことができないと思う。
R.スコット
最後の事項
後生だが我々の家族の面倒を見てください。

442:世界@名無史さん
22/03/30 10:51:22.26 0.net
>>440
アトキンソン博士は最初は馬そり班。
氷河に入ってからはエバンス大尉、ライト、ラッシリーと共に人力でそりを引き、上氷河デポでエバンス大尉らと離れてチェリーガラード等と一緒に引き返した。
凍傷がどこで起きたのかは不明(^_^;)
のちにこのアトキンソン博士がスコット隊を犬ぞりで迎えに行く時に出発が遅くなってしまった。
でもそのお陰で壊血病に犯されてたエバンス大尉を救うことができたのかもしれない。
問題はその後で、アトキンソン博士の代わりに誰を犬ぞり係りにするかすったもんだしてチェリーガラードを選んだんだけど、この時にガラードに伝えたアトキンソン博士の指示がガラードを1tデポから南に行くことが出来なかったら理由の一つとなってしまう。

443:世界@名無史さん
22/03/30 10:52:46.95 0.net
この時にガラードに伝えたアトキンソン博士の指示が、ガラードが1tデポから南に行くことが出来なかった理由の一つとなってしまう。

444:世界@名無史さん
22/03/30 16:10:39.13 0.net
アムンセン
「もしそれでスコットの死を救えるのなら、どんな名誉もお金も喜んで捨てます。」
(スコット隊が全滅したとの報を聞いて)

445:世界@名無史さん
22/03/30 16:15:31.64 0.net
>>441
あぁ、ついに最後の日が来たのか・・・
”最後の晩餐”に役に立ったのが、アムンゼン隊が残したテント
”ポールハイム”から持ってきたアルコールランプだったとかいう話。

446:世界@名無史さん
22/03/30 21:04:56.75 0.net
URLリンク(pbs.twimg.com)

447:世界@名無史さん
22/03/30 23:59:24.51 0.net
>>445
そのアムンセンから頂戴することになったアルコールランプに入れたのが
>>418の3/18の日記に書いてる
>We have the last half fill of oil in our primus and a very small quantity of spirit – this alone between us and thirst.
私達は私達のプリムスストーブに残り半分のオイル、それと極少量のエタノールを持っている - 私達と渇望との間にあるのはこれだけ。
(spiritは馬鹿正直にエタノールと訳すのではなくアルコールの方が通りが良かったかも?ちなみに蒸溜酒全般はスピリッツですね)
ですかね。
その日の夜もそのアルコールで沸かした小コップ半分のココアを夕食としてとっていますが、
アルコールを使い切らなかったのは正解でしたね。
それにしても、往復3,000㌔を氷河からは人力で進むことを選択したスコットの冒険(探検)魂は生粋の冒険家のアムンセンをある意味では上回ってますね。
やはり偉大な冒険家でしょう、スコットは。

448:世界@名無史さん
22/03/31 00:12:39.19 0.net
ちなみにスコットのルートは102年後の2014年に英国人探検家によって遂に初走破されました。
ベンサウンダース
「タルカと私は、1世紀前のスコット大佐とそのチームの忍耐力、粘り強さ、不屈の精神に対し畏怖と畏敬の念が入り混じった感情を抱きました。」
その記事がこちら
クッキーは無視すると良いです。
URLリンク(www.redbull.com)
無事生還した後の感想を読むと、アムンセンの
準備十年、成功五分。
という言葉の正しさが分かります。
探検家は皆そうなんでしょう。
スコットもデスカバリーからテラノバまでの準備期間は葛藤や悶絶もありながらも色々と楽しかったでしょうね。
ワクワク、というやつですね。

449:世界@名無史さん
22/03/31 00:14:20.84 0.net
>>448
>クッキーは無視すると良いです。
クッキーは
全て無視する
で大丈夫です

450:世界@名無史さん
22/04/01 00:07:49.90 0.net
極地探検家にはご馳走だったフーシュ
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

451:世界@名無史さん
22/04/06 15:02:31.37 0.net
登山家だと乾パンとコンビーフが携帯食の定番

452:世界@名無史さん
22/04/08 17:09:35.73 0.net
チェリーガラード
「犬ぞり班のわれわれは、ライトが一人で進路から逸れていくのに気づいた。そしてわれわれの前を行くラバ班も右手へ曲がっていった。ライトは雪塚らしいものを見つけ、それからその脇に黒いものを見つけたのだ。はてな、という漠然とした思いが、徐々に、さては、という強い不安に変わっていった。
みんなが停止しているところへわれわれは追いついた。ライトが近寄ってきて『テントだ』と知らせた。どうして彼にそれがわかったのか私には今も謎だ。荒涼とした雪原があるきりだったのだ。われわれの右手に前年の雪塚の名残りがあった。ちょっと盛り上がっているだけだった。それから竹竿が3フィート、ぽつんと雪の上に突き出ていた。それから、もう一つ雪の盛り上がりがあった。こちらはいくらか尖った形をしていたかもしれない。われわれはそこへ近づいた。
(以下略)」
こうして1tデボから20キロ南でスコット隊の最終野営テントが発見される。
ガラードが強い不安に変わったのは、スコット隊がそんなに近くに帰ってきていたのなら、救出のためにもっと何かできたのではないか、という自責の念からとされる。
捜索隊はもっと南でスコット隊は亡くなったと推測していて、氷河の頂上まで捜索する準備をしていた。

453:世界@名無史さん
22/04/13 17:46:05.42 0.net
1ドル126円台突入で20年ぶりの円安水準となったが、20年前と大きく違うのは原油や石炭や小麦などの価格が供給不足で世界的に高騰していること。
日本はそれらを輸入に頼らざるを得ないのだが、ドル決済だから買えば買うほど更に円安になっていく。
ドル決済なので円を売ってドルに替える必要があるから。
この供給不足の中で俺らはどうすればいいのか?
乾パンと原油の供給が少ない中でも戦わないといけない、されど食料と燃料を節約することはできない。

454:世界@名無史さん
22/04/13 22:09:54 0.net
円安と物価高は安倍チョンの目論んだ景気対策

455:世界@名無史さん
22/04/14 22:47:01.48 0.net
アムンセン隊もスコット隊も極点に達した時の写真とか見ると髭を生やしてないけど探検中どうやって髭を剃ってたの?
一歩間違えて顔に傷付けたら水兵エバンスの手のように凍傷になる恐れがない?

456:世界@名無史さん
22/04/16 02:10:26.97 0.net
う~ん、マンダム

457:世界@名無史さん
22/04/23 02:17:09.76 0.net
>>454
円安でインフレにすれば年金支払額も国の借金も実質的に希薄化できるしね

458:世界@名無史さん
22/04/24 21:23:36.35 0.net
本田勝一の「アムンセンとスコット」夢中になって読んでたが、
スコット隊の帰還と遭難のところに差し掛かると苦しくなって読めんわ。
あの方々の魂の安らぎを祈ることしかできん。

459:世界@名無史さん
22/04/25 13:41:52.09 0.net
NASAが南極で発見した四角い氷床。信じられないかもしれないが、これは自然発生したものである。
URLリンク(twitter.com)
(deleted an unsolicited ad)

460:世界@名無史さん
22/04/25 23:24:08.85 0.net
スコットは最初のディスカバリー号の探検からの帰国後に既に国民的英雄になっていたけど、テラノバ遠征での悲劇が伝わってからはその不屈の精神などからイギリス人の象徴にまで成ったよ。
スコットを讃える記念碑や彫像があちこちに建てられ、遺書となった国民への手紙は確かイギリスの国語か倫理かの教科書にも取り入れられ、スコットの最後の日記でのラストエントリーによってスコット隊の遺族へは多額の寄付金が集まり、WWⅡの後に公開された映画「南極のスコット」は大ヒットした。
こうしたスコットの名声は1950年代までは続いていた。
その後、スコットはリーダーとしてダメダメ論が色んな作者によって書かれて、heroic bungler(英雄的にヘマばかりする人)とまで呼ばれた。
今世紀になって新たな文献などが見つかり、歴史家による汚名返上名誉挽回中。

461:世界@名無史さん
22/04/26 23:39:55.52 0.net
南極観測隊『それでも樺太犬はウマい!』

462:世界@名無史さん
22/04/28 00:07:18.24 0.net
My Dear Mrs. Wilson.
If this letter reaches you, Bill and I will have gone out together.
We are very near it now and I should like you to know how splendid he was at the end - everlastingly cheerful and ready to sacrifice himself for others, never a word of blame to me for leading him into this mess.
He is not suffering, luckily, at least only minor discomforts.
His eyes have a comfortable blue look of hope and his mind is peaceful with the satisfaction of his faith in regarding himself as part of the great scheme of the Almighty.
I can do no more to comfort you than to tell you that he died as he lived, a brave, true man - the best of comrades and staunchest of friends.
My whole heart goes out to you in pity. Yours,
R. Scott.

E・A・ウィルソン夫人へ
親愛なるウィルソン夫人へ。
この手紙があなたに届けば、ビルと私は一緒に旅立っているでしょう。
今まさにその寸前で、最後の彼の素晴らしさを知っていただきたいと思います - いつまでも明るく、他人のために自分を犠牲にする覚悟があり、彼をこの混乱に導いた私を一言も責めることはありません。
幸いなことに、彼は苦しんでおらず、少なくとも小さな不調があるだけです。
彼の目は希望に満ちた心地よい青色をしており、彼の心は彼自身を神の偉大な計画の一部とみなす彼の信仰の満足感で安らいでいます。
私は、彼が生きたまま死んだこと、勇敢で真の男であったことをお伝えする以外に、あなたを慰めることはできません - 最高の仲間であり、最も忠実な友人でした。
私の心はすべて、あなたに同情しています。敬具
R. スコット

463:世界@名無史さん
22/04/28 00:14:22.57 0.net
MY DEAR MRS. BOWERS,
I am afraid this will reach you after one of the heaviest blows of your life.
I write when we are very near the end of our journey, and I am finishing it in company with two gallant, noble gentlemen.
One of these is your son.
He had come to be one of my closest and soundest friends, and I appreciate his wonderful upright nature, his ability and energy.
As the troubles have thickened his dauntless spirit ever shone brighter and he has remained cheerful, hopeful, and indomitable to the end.
The ways of Providence are inscrutable, but there must be some reason why such a young, vigorous and promising life is taken.
My whole heart goes out in pity for you.
Yours,
R. SCOTT.
親愛なるバウワーズの母へ
これはあなたの人生で最も重い一撃の後にあなたに届くものと恐縮に思っています。
私は私達の旅の終わりに近づいている時に書いています、私は二人の勇敢で高貴な紳士と一緒に旅を終えています。
一人はあなたのご子息です。
彼は私の最も親密で高潔な友人の一人であり、私は彼の素晴らしい直情的な性格、能力、エネルギーを高く評価しています。
困難が大きくなるにつれ、彼の勇敢な精神はますます輝きを増し、最後まで明るく、希望に満ち、不屈の精神であり続けました。
天(節理)の道は不可解ですが、このように若く、活気に満ち、将来性のある生命が奪われるのは、何か理由があるのでしょう。
私の心は、あなたのことを哀れんでいます。
敬具
R. SCOTT.

464:世界@名無史さん
22/05/01 08:44:23.78 0.net
>>460
植物が出現し気候を変えた、と言う古生物学の本で極地の古代植物のくだりでスコット隊の採取した化石の話のところでいきなりスコット隊の偉業についてページがえらい割かれていて著者見たらイギリス人だった 
映画遊星からの物体xとか復活の日でノルウェー隊の扱いが酷いのは脚本家がスコットびいきでアムンセンに対する意趣返しじゃなかろうか

465:世界@名無史さん
22/05/02 16:16:37.33 0.net
昨日、自分はスーパーマーケットに行き着きたり。
慰めにならない慰め。あらゆる物資の値上げ。
誰の責に帰すべきなのか自分には分からない。
私達を救済してくれるべきアベノミクスは明らかに失敗している。

466:世界@名無史さん
22/05/04 00:05:19.28 0.net
ロラン・ハントフォードが書いたLast Place On Earthで記されているスコット像が凄い!
こう言った捏造がスコットを貶めていったんだろうなあ
URLリンク(shigetaromurata.blogspot.com)
以下に引用するこの辺りの8~9割は捏造なんではないか?
確かにスコットは自分優先のトップダウンのところがあったにせよ、ここまで酷くはなかっただろう
(以下引用)
保存食糧準備の悪さが原因であったが、スコット自身の指導力のなさに、既に隊員は絶望しきっていた。
アムンゼンが何よりも隊員たちの生命の尊重を第一としたのと対照的に、スコットは何が何でも南極点到達ということを優先し、隊員たちの生命はどうでもよいと判断していたといえる。
スコットより指導力のあった隊員は、無能なキャプテンを呪いながら死んでいった。
アムンゼン隊と違い、壊血病への備えも無かったスコット隊は、全員が次々と病気になって、倒れていった。
スコット自身も倒れ、先に行けないのを知ると、まだ元気な二人をおしとどめて、テントの中で一緒に死ぬよう示唆したらしく、9日分の食糧が尽きるまで、おしとどまって、そのテントの中で飢え死にしていった。
無事生還すると、かえって、この探検の失敗の責任を問われかねず、スコットは、その日記の中で、すべての失敗を部下の隊員や気候のせいにし、いかに自分が困難をおしのけつつ極点に達し、ついに力尽きて死ぬに至るかをみごとに説明した。

467:世界@名無史さん
22/05/04 05:53:35 0.net
プークスクス

468:世界@名無史さん
22/05/05 23:17:04.93 0.net
>>465
アベノミクスは富裕層優遇で弱者切り捨てだからね。
しかし自分が弱者であることを認めたくないワープアの馬鹿どもが安倍を支持しているという話。

469:世界@名無史さん
22/05/06 18:35:38.90 0.net
安倍総理の政策とスコットの南極点行進は似てるね。
ただし安倍だったらスコットみたいに南極点に行く前に全滅だわ。

470:世界@名無史さん
22/05/07 19:06:10.24 0.net
どちらも駄目だったら引き返せばよい
とは行かない片道切符のところは同じだね

471:世界@名無史さん
22/05/08 00:59:42.75 0.net
>>1
リチャード・バード少将の「ハイ・ジャンプ作戦」どう思う?

472:世界@名無史さん
22/05/08 03:51:44.99 0.net
>>469
どっちも舐めプ

473:世界@名無史さん
22/05/13 00:16:52.18 0.net
>>21
スコットはテラノバ遠征前の割と早い段階から自分が開発に関わった雪上車が南極探検で使い物になるかどうか疑わしく思っていたみたいね
それでも今後の探検の未来を切り開くためにある程度は成功してほしいという望みをかけていたとのことだけど

474:世界@名無史さん
22/05/13 15:08:50.13 0.net
シャクルトンの”ニムロド遠征”の時にもモーター橇が使われてたんだけど、平地では
結構使えてた様子。
まぁWWⅠ前の話だから、その手の機械の信頼性は低かったのは仕方が無いんでしょうけど。

475:世界@名無史さん
22/06/19 13:12:21 0.net
歴史って程の話じゃないが、日本の南極観測隊の漫画があったから買ってきた。
ふくのうみって人の作品で”ふじと南極のなかまたち”って名前だ。
何次隊とは書かれてないけど、砕氷艦が”ふじ”だし、色々なエピソードから
”第7次隊”だろうと推測できる。

476:世界@名無史さん
22/06/23 23:27:04.65 0.net
スレチ気味の話題になるがアベノミクスが始まってから本当に物価は上昇してるんだね
2013年の翌年にガンと上がったのは消費税増税の為なんだろうけどその後も去年コロナで少し下がったりした他は上がり続けている
今年分は直近の月を基準としているみたいだけど最終的にはもっと跳ね上がってるだろう
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

477:世界@名無史さん
22/07/16 23:40:35.83 0.net
極地を探検しよう!
URLリンク(kyokuchi.or.jp)

478:世界@名無史さん
22/07/21 20:20:53.23 0.net
税金のムダ遣いの極致やねw

479:世界@名無史さん
22/07/22 16:05:48.66 0.net
>>478
基礎研究を蔑ろにするのは、革新系な思想の人の悪い癖ですよ?

480:478
22/07/22 18:41:48.52 0.net
>>479
基礎研究を蔑ろにはしていないが。
自分達の研究活動を見直してみれば?

481:世界@名無史さん
22/07/22 21:32:26.55 0.net
南極で大量の隕石を見つけたのは日本隊ですし、”オゾンホール”を見つけたのも日本隊ですぜ?

482:世界@名無史さん
22/07/24 01:58:58.60 0.net
スコット隊でウィルソンとボワーズが最後まで希望を捨てなかったのは、前年の冬にチェリーガラードと三人で氷点下50℃の真っ暗闇の中皇帝ペンギンの卵の採集に行って何度も危機をすり抜けた経験が自信になっていたからだろうな。

483:世界@名無史さん
22/07/24 10:11:19.58 0.net
>>479
今の自民は革新系な思想だったのか
まあ小泉が改革を唱えたしな

484:世界@名無史さん
22/07/25 15:01:19.49 0.net
>>489
今の自民党はどうだか知らないけれど、昔の民ス党は基礎研究を
「役に立たない物だ」
「二番じゃダメなんですか?」
とか言いながら、アレコレ削っていましたが。

485:世界@名無史さん
22/07/25 18:59:39.67 0.net
それでも二番じゃ駄目って理由を言えなかった馬鹿に予算を与えて、基礎研究にも予算を与えたのが民主政権
一方の安倍政権、言いなりにならない連中には予算を与えず学術会議にすらあの始末

486:世界@名無史さん
22/07/26 08:33:27 0.net
金を与えたアベ友ボブスレーなんか酷いものだったなあ

487:世界@名無史さん
22/08/05 00:59:36.88 0.net
エレバス山は南極大陸にある火山ではない

488:世界@名無史さん
22/08/05 16:22:29.49 0.net
エレバス山があるのは、マクマード島だからな。
”昭和基地は南極大陸には無い”
と、言ってるような物だな。

489:世界@名無史さん
22/08/20 21:29:40.54 0.net
>>478
南極なら樺太犬を食べてみる事が出来るんだから
あながち無駄遣いとは言い切れないゾ

490:世界@名無史さん
22/08/20 23:46:39.32 0.net
URLリンク(en.wikipedia.org)(film)
Scott of the Antarctic (film)
URLリンク(archive.org)
Scott of the Antarctic
Publication date 1948
URLリンク(www.youtube.com)
Scott of the Antarctic (Original Motion Picture Soundtrack)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
南極交響曲
URLリンク(www.youtube.com)
Vaughan: Sinfonia Antartica [Previn] Heather Harper (Ralph Richardson, speaker)
URLリンク(www.youtube.com)
Vaughan Williams: Sinfonia Antartica [Thomson] Catherine Bott

491:世界@名無史さん
22/08/21 01:23:03.26 0.net
>>490
URLリンク(www.youtube.com)
Repertoire: The WORST and BEST Vaughan Williams Sinfonia Antartica (Symphony No. 7)

492:世界@名無史さん
22/09/12 21:42:09.82 0.net
URLリンク(www.chojin.com)

493:世界@名無史さん
22/09/20 20:29:03.09 0.net
>>492
おまけに「南極の『壺』」
URLリンク(www.nipr.ac.jp)
これもう完全に統一案件www

494:世界@名無史さん
22/09/23 16:21:23.32 0.net
>>493の場合だと、便壺や痰壺でも統一案件に認定しそうだな。

495:世界@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>494
信者乙www

なんで南極スレに信者が湧いてくるんだよwww

496:世界@名無史さん
22/09/24 07:40:01.69 0.net
などと壺信者が言っております。

497:世界@名無史さん
22/10/17 21:08:55.34 0.net
壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺
                  マ
                  ザ
                  |
                  ム
                  |
                  ン
壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺壺

498:世界@名無史さん
22/10/18 16:06:09.56 0.net
なんだ、また壺信者>>497か。

499:世界@名無史さん
22/10/26 06:19:01.87 0.net
「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」
文鮮明の教え
■日本民族と日本の国は滅びても韓国は残さなければならないのだ。
■ここ日本の先祖たちが世の中で言えば怨讐だ。日本の国が怨讐だ。
■日本の現在の皇太子の夫人が何の種かわかるか? マフィアの後孫であるかもしれない。
■天皇も平成であるので、ひらなりだから・・・。
■平べったい天皇、無力な天皇だ。
■日本の天皇も捨て、その財産までも抜いてしまってアジア人とアフリカ人に分け与えると言える人になれと日本の女たちを一番多く外国人と結婚させた。
■日本のオモニが一番嫌うことをさせている。海外国家(日本)が生きることの道はその道以外にない。
韓鶴子の教え
■(日本人は)人間的に考えれば赦すことのできない民族
■(日本は)自分を顧みず全てを惜しみなく与える〝エバ国家〟
統一教会教祖「従軍慰安婦事件があったので、日本人の女は韓国の乞食と結婚しても感謝しなければならない。」
【統一教会】天聖経「韓半島は男で言えば生殖器」
「島国は女性の陰部」 「日本は夫である韓国に捧げなければならない」
聖本3000万円、説教本セット430万円、結婚式140万円、 先祖の呪いを解く儀式280万円

500:世界@名無史さん
22/10/26 15:29:50.62 0.net
>>499
壺教信者獲得のノルマが厳しいのか?
気持ちはわからないでもないが、どこか別の所でやってくれ。

501:世界@名無史さん
22/10/27 03:28:31.34 0.net
>>500
無理して無関係を装わなくてもいいぞ、壺
URLリンク(www.chojin.com)
>西堀博士「国の場合もそうだと思います。(中略)だから今度のトンネルにしても、
>日本が大陸の一部になることに対して反対する理由はないと思うんです。
>ただもう皆さんの力でスタートしており、矢は放たれたわけですけど、
>必ず成功させなければならないし、また成功すると確信します。
>(中略)人類が見たこともなかった月の裏側の写真や月の石の価値は、数字では表すことはできません。
>日韓トンネルもまた同様だと思います。私が生きている内に実現したらよろしいし、
>もし出来なかったら、生まれ変わってでもそのトンネルを通ってみたい気がします」
完全に壺だろ。

502:世界@名無史さん
22/10/30 01:14:46.80 0.net
寒くなってきていよいよ南極を味わえる季節となってきた
真冬になれば夜の7時~8時頃に完全防寒装備で散歩に行くと良いぞ
氷点下の中を30分以上歩くのがお勧め(北国じゃないと氷点下にはなかなかならないか)
特に吹雪の時に歩くと南極探検隊の気分になれる
吹雪だけじゃなくアイスバーンの上で足を取られたりね
勿論、あまりの暴風雪の時は出歩かない方が良いけど

503:世界@名無史さん
22/11/02 10:09:15.75 0.net
「南極点初到達」までの道のり
URLリンク(kyokuchi.or.jp)

504:世界@名無史さん
22/11/05 12:06:56.50 0.net
スコット隊は南極ゴジラに襲われて全滅したと子供の頃は信じていた

505:世界@名無史さん
22/11/05 16:32:58.15 0.net
★壺age記念★
URLリンク(www.chojin.com)
>西堀博士「国の場合もそうだと思います。(中略)だから今度のトンネルにしても、
>日本が大陸の一部になることに対して反対する理由はないと思うんです。
>ただもう皆さんの力でスタートしており、矢は放たれたわけですけど、
>必ず成功させなければならないし、また成功すると確信します。
>(中略)人類が見たこともなかった月の裏側の写真や月の石の価値は、数字では表すことはできません。
>日韓トンネルもまた同様だと思います。私が生きている内に実現したらよろしいし、
>もし出来なかったら、生まれ変わってでもそのトンネルを通ってみたい気がします」

506:世界@名無史さん
22/11/26 17:29:22.76 0.net
インフレの中で少しでも光熱費を抑えるために全部の窓ガラスにプチプチの断熱材を貼るかな
曇りガラスは両面テープで固定させようっと

507:世界@名無史さん
22/12/04 13:59:30.90 0.net
アムンセンが着ていったエスキモーの伝統的な防寒着、アティギやアノガジェだけど、現代のエスキモーはお祭りとか観光地などの晴れの舞台を除いてはああいうコテコテの毛皮の服は着てないようだな。
アノガジェは現在はアノラックとしてナイロン素材に中綿でフード付きの服として引き継がれているが。
エスキモーの毛皮の服は防寒着としてはダウンなどよりも優れているのだが作るのが大変だしダウンを買った方が早いしオシャレだしな

508:世界@名無史さん
22/12/04 14:40:07.79 0.net
>>507
アザラシや白熊の毛皮服は、性能だけなら現在の防寒服よりも高いって話だな。
伝統的なイヌイットは、極寒季でもあの毛皮服を2枚来てるだけだし。
ただ作るのが大変てのも事実なんだよ、あの毛皮をなめすのに歯で噛むんだから。

509:世界@名無史さん
22/12/10 23:52:23.36 0.net
海外の南極隊員にはコロナ感染者もいるみたいだけど
日本の隊員はちゃんとワクチン打ってんの?

510:世界@名無史さん
22/12/11 08:15:50.74 0.net
出国する時に、あれこれと予防接種はする様子だけど。

511:世界@名無史さん
22/12/18 11:24:31.97 0.net
アムンセン
「ノルウェーに帰国した私は、南極点に初めて到達した探検家として一躍有名人になった。各地で祝賀会が開かれて講演会の依頼が舞い込んだ。
しかし、1913年2月、スコットたちの遭難のニュースが世界中に伝えられると、私への扱いが一変した。
スコットたちは南極点でノルウェーの国旗を見てショックのあまり亡くなったのだいう人もいた。私が土壇場で計画を変更したため、スコットたちは引き際を見失い、無理な前身を続けた結果、遭難したという人もいた。
大衆の関心が南極点初到達した私たちから悲劇的な結末を迎えたスコットたちに移って行ったのだ。私は大っぴらに成功体験を語ることが出来なくなってしまった」

512:世界@名無史さん
22/12/23 21:54:21.15 0.net
凍傷で苦しんでいたオーツからの相談によりスコットはウィルソンに命じてアヘンやモルヒネの錠剤を各隊員に渡してもうダメだと思った時に安楽死できるようにしたんだけど、それらの麻薬を割って微力摂取して痛み止めに使うことは出来なかったのかな?
それが出来ればオーツも痛みに耐えられたし最後の方で凍傷になったスコットも耐えられたかもしれない?
それで元気になれたとしてもブリザードに行く手を阻まれて1tデポには到達できなかったかもしれないが…
仮に1tデポに到達できても3月末の到達では時既に遅しの可能性も大のような気もするし…

513:世界@名無史さん
22/12/24 16:46:22.20 0.net
たしか、スコット達3人がブリザードに閉じ込められて
最期の時をすごしてた時、1㌧デポ付近に救援隊が居たんだよな。
その救援隊に同行したチェリー・ガラード氏も
「あの時もう少し南まで行ってればあるいは・・・」
と悔やんでいたとか。

514:世界@名無史さん
22/12/25 00:44:02.74 0.net
チェリーガラードとディミトリが犬ぞりで1tデポに到着したのは3月4日で3月10日までそこで待機していた
スコットは3月9日に1tデポから110Km南のフーパー山デポに到着
微かに望みをかけていた犬ぞり隊はそこにはなくデポの物資も悉く不足していた
その間にもオーツの容態はどんどん悪くなっていっていた
チェリーガラードらは1tデポ到着ごは激しい向かい風の日が多く僅かに1日~2日程は好天の日もあったが行き違いになるのを恐れてそれよりは確実に合流できる1tデポで待つことを選んだ
また南に行くための犬の餌もなかった
基地の留守隊は1tデポの再補給をしていたが犬の餌は補給しなかったというのもその原因のひとつ
しかしスコットもこの時は向かい風に苦しんでいた
100km離れていたとはいえ1tデポでは南風、フーパー山デポ付近では逆に北風が吹いていたということになるかな

515:世界@名無史さん
22/12/25 10:32:38.73 0.net
アメリカ政府がひた隠しにする南極の真実
URLリンク(youtu.be)

516:世界@名無史さん
22/12/25 21:02:50.54 0.net
この大雪で佐渡や門別などで大規模停電が長時間発生し、電気を使わない石油ストーブを持ってた人もインフラ網の遮断で灯油が手に入りにくくなっていて皆氷点下の中厚着や布団などで体温で暖かくなるしかなく、寒さを我慢しているのは大変気の毒だが(自分も311で氷点下近くの低温の中一週間以上電気なしで生活していたからある程度は住民の気持ちは分かるつもり)、
スコット隊は3月に入ってからは常に灯油不足に悩まされる中マイナス数十度の中で行動し、防寒着もあまり役に立たず、暖まれるのは寝袋に入っている時だけ(チェリーガラードは前年の冬の行進では寝袋に入ってからが寒くて7時間も震えながら寝ていたと書いてるが)なのだから、その寒さたるや想像を絶するな。
せめて温かい飲み物が毎食時に十分に取れるだけでもかなり違っていたとは思う。
ただでさえ長期でのそり引きという重労働で疲労困憊なのに寒さでガタガタ震え食料も不足しブリザードに打たれ続けてたのではそりゃそりも進まなくなるわ。
雪面も秋になって急速に悪くなって行ってたし。

517:世界@名無史さん
22/12/26 16:33:12.46 0.net
当時使われてた燃料缶に問題があって、中の燃料が漏れだしてた問題。
実物は見た事は無いんだが、聞いた所によるとホムセンとかで見る
エンジンオイル缶の様な物だった様子。
もっともこれに関してはアムンゼン隊も悩まされてた様で、”南極点”に
「始終半田ごてで修理してた」
みたいな事が書いてあるんだ。
時代は飛ぶけど”ジェリ缶”が使われてたら、また違った結果になったのかも知れない
とか考える。
実際日本の南極観測隊でも、ドラム缶が擦れて穴が開いて燃料が漏れて云々、なんて記述を
散見できるんだ。

518:世界@名無史さん
22/12/26 18:06:32.04 0.net
悲報、ガチャピンが南極に流される@フジテ

519:世界@名無史さん
22/12/27 12:32:23.78 0.net
ガチャピンの着ぐるみは南極向きではあるな

520:世界@名無史さん
22/12/28 03:23:15.34 0.net
「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」
URLリンク(www.chojin.com)
>西堀博士「国の場合もそうだと思います。(中略)だから今度のトンネルにしても、
>日本が大陸の一部になることに対して反対する理由はないと思うんです。
>ただもう皆さんの力でスタートしており、矢は放たれたわけですけど、
>必ず成功させなければならないし、また成功すると確信します。
>(中略)人類が見たこともなかった月の裏側の写真や月の石の価値は、数字では表すことはできません。
>日韓トンネルもまた同様だと思います。私が生きている内に実現したらよろしいし、
>もし出来なかったら、生まれ変わってでもそのトンネルを通ってみたい気がします」

521:世界@名無史さん
22/12/31 14:02:33.42 0.net
スコット達の死因って低体温症?餓死?壊血病?衰弱死?凍死?

522:世界@名無史さん
22/12/31 18:51:50.75 0.net
壺死です

523:世界@名無史さん
23/01/05 16:20:07.09 0.net
別のスレで見たんだけど、中国が昭和基地の近くに新しく基地を建設してた様子。
しかも、”しらせ”が開いた氷海をコッソリ利用して、その新しい基地に行ってたとか。
そんな”ラッセル泥棒”みたいな事しないで一言断れば良さそうなんだけど、中国は
プライドだけは高いからそれが出来ないんだろうな。
なお、この記事の元ネタです
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

524:世界@名無史さん
23/01/09 22:04:45.44 0.net
冬になると雪による道路の凍結が怖いですよね。どうして雪や氷でクルマが滑るか知っていますか? その原因は、雪や氷ではなく水。クルマの荷重が掛かることで雪や氷が瞬間的に溶けるため、雪や氷とタイヤとの間にできた水膜によって滑るのが原因なのです。スタッドレスタイヤを装着するとその水をゴムで吸ったり、弾き飛ばしたりするので滑りにくくなるのです。
URLリンク(www.zurich.co.jp)
この水膜は圧力によって生じるのかどうかは異説もあるが、とにかく気温が下がるほど水膜は発生しづらくなり摩擦係数が上がることは実証されている。
スコット隊が3月に入りバリアの上に乗ってからソリ行進の速度が落ちた最大の理由は気温の低下だろうなあ。
砂地の上を引くようだとスコットが表現していたと思ったが。
あとは吹雪を伴う向かい風、隊員の脱落(エヴンズやオーツ)、残った隊員の疲労とそれを促進させた食糧不足や燃料不足など。

525:世界@名無史さん
23/01/20 00:22:29.11 0.net
【中央日報】100キログラムのそりを引いて1187キロメートル歩行…韓国人初「無補給単独」で南極点到達[1/18] [仮面ウニダー★]
スレリンク(news4plus板)
これが事実だとすれば確かに偉業ではある
出発点は今では冒険家の多くが出発点として選んでいる場所
アムンセンやスコットと違うのは極点に到達するまで南極横断山脈のような障害がないように見えることで高低差はあっても傾斜はなだらかなのだろうか?
URLリンク(i.imgur.com)

526:世界@名無史さん
23/01/20 00:24:23.47 0.net
なんや
楽なルートがあったんか
ならスコットなんかアホみたいやないか

527:世界@名無史さん
23/01/20 00:30:34.02 0.net
当時の砕氷船ではハーキュリーズ・インレットには到達できなかった、のかも?
スコットのテラノバ号なんて砕氷船ですらなかったはずだし

528:世界@名無史さん
23/01/20 01:59:25.67 0.net
スコットやシャクルトンが利用したマクマード湾は、夏場の氷が無い時期は
湾の奥まで普通の船で入れる様だから。
テラ・ノバ号自体は捕鯨やアザラシ猟の為に作られた船で、一応極地向けな船だった様子。
とは言う物の、”世界最悪の旅”ではあまり良くは書いて無かったけどね。
なんか水漏れが酷くて、毎日毎日船底に溜まる水をくみ出していたとか書いてあるんだ。

529:世界@名無史さん
23/01/22 13:26:20.52 0.net
韓国人が南極点到達の出発点としたハーキュリーズインレット(ヘラクレス海峡)は海峡とはなっているけど実際にはロズ棚氷に次いで大きいロンネ棚氷の一番奥で、スコットやアムンセンに例えればロス棚氷の最奥地つまり氷河の入口から出発したようなものだな。
現代の砕氷船でもハーキュリーズには相当運が良くないと辿り着けないのではないかな?
ひょっとして飛行機でハーキュリーズインレットまで行った、とか?
調べたらハーキュリーズインレットは1998年に開拓されて以来南極遠征の定番ルートになったというから、20世紀の最後の方になってようやく開かれた地ということになる。
丁度一年前に英軍女性将校が同じルートで単独無支援で南極点に到達していたんだね。

英軍の女性将校、単独無支援で南極点到達 有色人種女性で世界初
URLリンク(www.cnn.co.jp)

530:世界@名無史さん
23/01/22 22:35:16.48 0.net
【南極】南極の「血の滝」が発生するメカニズムを科学者が解明 [すらいむ★]
スレリンク(scienceplus板)

531:世界@名無史さん
23/01/23 00:16:37.96 0.net
テイラー氷河はスコットのディスカバリー遠征で、スコットがシャクルトンやウィルソンと南進した翌春に広大なフェラー氷河を登って南極高原に初めて到達した時に発見された。
フェラー氷河と並走する形で流れるが最後は海ではなく湖に血の色をした滝として流れ、その先は海(マクマード入江)まではテイラーバレーと言われる峡谷となっている。
その血の色をした滝を発見されたのが確かスコットのテラノバ遠征の時。

URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
しかし、その血の色の正体が微生物であるというのは今回初めて観測されたのではなく2009年の時点では微生物が見つかっていたみたい。

532:世界@名無史さん
23/01/25 19:43:29.80 0.net
今朝は朝の6時から氷点下10度以下の中一時間半くらい雪掻きをしていたけど、そんなにも気温が低くても終わった頃には結構汗だくになって下着を交換した。
そのまま外にいたら勿論汗が冷えてとてつもなく寒かっただろう。
チェリーガラードの「世界最悪の旅」の[冬の行進]を読んでいたから低気温でも汗が出ることに驚きはしなかったけど。
しかしこの冬は割りかし暖冬で自分が住んでる地域は北国でも雪が降らなかったので、初めての雪掻きは日頃使わない鈍ってる筋肉を使うのに加えて気温が低いこともあって疲れたわ。

533:世界@名無史さん
23/01/29 11:20:19.41 0.net
南極CO2濃度が過去最高に 毎年上昇 歯止めかからず
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
しかしCO2濃度と気温には確かに相関関係はあるが、因果としては
CO2濃度上昇→気温上昇
ではなく
気温上昇→CO2濃度上昇
であることが南極の分厚い氷床に閉じ込められている過去の大気の層の解析から推測されている
URLリンク(www.metsoc.jp)

534:世界@名無史さん
23/01/29 21:18:30.70 0.net
過去の気候変動はミランコヴィッチサイクルによるとすれば主たる要因は地球の軌道要素であり、つまり気温が先行し二酸化炭素濃度が追随することは理解できる
気温上昇時に大気中に二酸化炭素を放出されるのは、気温上昇による極地の温暖化とか森林火災などと考えられる
人類が知る限り過去に化石燃料を使用した知的生命はいないため、現在人類が継続中の過去の化石燃料の消費は地球史始まって以来初めての事象であり過去の気候変動の記録にはこのような事例はなく過去からの推定は不可能である 
強いて言えばシベリアトラップなどの超巨大噴火であれば温室効果ガスの大量放出もあるだろうが大気中への粒子の拡散による太陽光の反射も起きるから現在の事象にはマッチしないだろう

535:世界@名無史さん
23/01/31 23:02:54.26 0.net
カーボンニュートラルを謳い風力や太陽光への取り組みを大々的にアピールしていたドイツも天然ガスの高騰(ウクライナ危機以前から高騰していた、ドイツなどの天然ガスの使い過ぎで)で背に腹は変えられずにCO2をより排出する石炭火力を再稼働させている
しかもドイツの石炭火力は日本ほど排ガスがクリーンな訳ではない

536:世界@名無史さん
23/02/01 17:41:02.58 0.net
西堀栄三郎先生を讃え、南極にも壺と弥勒菩薩像を設置しよう!

「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」
URLリンク(www.chojin.com)
>西堀博士「国の場合もそうだと思います。(中略)だから今度のトンネルにしても、
>日本が大陸の一部になることに対して反対する理由はないと思うんです。
>ただもう皆さんの力でスタートしており、矢は放たれたわけですけど、
>必ず成功させなければならないし、また成功すると確信します。
>(中略)人類が見たこともなかった月の裏側の写真や月の石の価値は、数字では表すことはできません。
>日韓トンネルもまた同様だと思います。私が生きている内に実現したらよろしいし、
>もし出来なかったら、生まれ変わってでもそのトンネルを通ってみたい気がします」

537:世界@名無史さん
23/02/09 22:01:39.22 0.net
南極にキリスト教会はあるのかな?
モスクがあればどの方向を向くのだろう?

538:世界@名無史さん
23/02/10 00:08:09.98 0.net
スコット隊の遺体は冷凍のまま腐らずに氷の中で眠っているんだろうなあ

539:世界@名無史さん
23/02/10 00:11:40.69 0.net
>>537
キリスト教会はたくさんある
基地中に設置された簡素な礼拝室を想像しがちやけど
ちゃんとした独立のけっこう立派な建物
カトリック
URLリンク(i.imgur.com)
正教
URLリンク(i.imgur.com)
プロテスタント
URLリンク(i.imgur.com)

イスラムの礼拝はメッカの方向を向いてする
南極点に居てもメッカの方向はちゃんと決まる
ちなみに宇宙では礼拝の向きは各自の自由ということになってるらしい
イスラム教徒の宇宙飛行士がいるかどうか知らんけど


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