南極大陸の歴史at WHIS
南極大陸の歴史 - 暇つぶし2ch350:世界@名無史さん
22/02/25 21:07:06.88 0.net
Saturday, February 25. – Lunch Temp. -12°.
Managed just 6 miles this morning.
Started somewhat despondent; not relieved when pulling seemed to show no improvement.
Bit by bit surface grew better, less sastrugi, more glide, slight following wind for a time.
Then we began to travel a little faster.
But the pulling is still very hard; undulations disappearing but inequalities remain.
Twenty-six Camp walls about 2 miles ahead, all tracks in sight – Evans’ track very conspicuous.
This is something in favour, but the pulling is tiring us, though we are getting into better ski drawing again.
Bowers hasn’t quite the trick and is a little hurt at my criticisms, but I never doubted his heart.
Very much easier – write diary at lunch – excellent meal – now one pannikin very strong tea – four biscuits and butter.
Hope for better things this afternoon, but no improvement apparent.
Oh! for a little wind – E. Evans evidently had plenty.
R. 38. Temp. -20°.
Better march in afternoon.
Day yields 11.4 miles – the first double figure of steady dragging for a long time, but it meant and will mean hard work if we can’t get a wind to help us.
Evans evidently had a strong wind here, S.E.
I should think.
The temperature goes very low at night now when the sky is clear as at present.
As a matter of fact this is wonderfully fair weather – the only drawback the spoiling of the surface and absence of wind.
We see all tracks very plain, but the pony-walls have evidently been badly drifted up.
Some kind people had substituted a cairn at last camp 27.
The old cairns do not seem to have suffered much.

351:世界@名無史さん
22/02/25 21:07:21.01 0.net
2月25日土曜日 ―昼食時の気温-12°
今朝は僅か6マイルをなんとか都合づけました。
やや意気消沈し始めました;引っ張っても何の改善も示さないように見え安堵できませんでした。
徐々に雪面が良くなり、サスツルギが減り、滑走が増え、しばらくの間風を僅かに受けていました。
それから私たちは少し速く移動し始めました。
でも引くのはまだとてもハードです;起伏は消えていますが、不等式が残っています。
26のキャンプの壁は約2マイル先にあり、すべてのわだちが見えます ― エヴァンス(副隊長)のわだちは非常に目立ちます。
これは好ましいことですが、引き続けるのは私たちを疲れさせます、私たちは再度より良いスキーの牽引となっているのにもかかわらずに。
バウワーズは効果的な方法を全くを持っておらず、私の批判に少し傷ついていますが、私は彼の心を疑ったことはありません。
非常に簡単に ― 昼食時に日記を書く ― エクセレントな食事 - 小さなコップ一杯のとても濃いお茶 - 4枚のビスケットとバター。
今日の午後に事態が良くなるのを望んでいますが、明らかに改善はありません。
ああ、少しでも風かあれば ― E. エバンス(副隊長)は明らかに豊富に持っていました。
R. 38.気温-20°。
午後の方が良い行進。
今日の産出は11.4マイル ― 長い間の安定したそり引きの初めての二桁の数字ですが、私たちを助ける風を得ることができない場合、それはハードワークを意味し意味するでしょう。
エヴァンス(副隊長)はここで明らかに南東の強い風を持っていました。
私はそう考えます。
気温は今のような晴れた夜ではとても低くなります。
実際のところ、これは素晴らい晴天です ― 唯一の難点は雪面が荒れていて風がないことです。
私たちはすべてのわだちを非常にはっきりと見ていますが、ポニーの壁は明らかにひどく漂流しています。
何人かの親切な人たちは最後のキャンプ27で雪塚を取り替えました
古い雪塚はあまり持ちこたえてなかったようです。

352:世界@名無史さん
22/02/26 19:27:35.36 0.net
Sunday, February 26. – Lunch Temp. -17°.
Sky overcast at start, but able see tracks and cairn distinct at long distance.
Did a little better, 6½ miles to date.
Bowers and Wilson now in front.
Find great relief pulling behind with no necessity to keep attention on track.
Very cold nights now and cold feet starting march, as day footgear doesn’t dry at all.
We are doing well on our food, but we ought to have yet more.
I hope the next depôt, now only 50 miles, will find us with enough surplus to open out.
The fuel shortage still an anxiety.
R.39. Temp. -21°.
Nine hours’ solid marching has given us 11½ miles.
Only 43 miles from the next depôt.
Wonderfully fine weather but cold, very cold.
Nothing dries and we get our feet cold too often.
We want more food yet and especially more fat.
Fuel is woefully short.
We can scarcely hope to get a better surface at this season, but I wish we could have some help from the wind, though it might shake us badly if the temp. didn’t rise.
2月26日(日)– 昼食時の気温 -17°.
出発時は空は曇っていましたが、長い距離に渡ってでわだちと雪塚を明瞭に見ることができます。
これまでの走行距離は6½マイルでで、少し良くなりました。
バウアーズとウィルソンが前に。
わだちに注意を払い続ける必要がないという背景のもとで引っ張るのは、大いなる安堵感があります。
今はとても寒い夜で、冷たい足が行進し始めるのを感じます、日中のフットギアが全く乾かないので。
私たちは食べ物をよく食べていますが、なおいっそう食べるべきです。
私は、今わずか50マイル先の次のデポにて、この先の展開をするのに十分な余剰を持つ私たちとなることを願っています。
燃料不足は依然として不安です。
R.39. 気温 -21°
9時間の堅実な行進は私たちに11½マイルを与えました。
次のデポから僅か43マイル。
素晴らしく晴れた天気ですが寒い、非常に寒いです。
何も乾かないし、私たちはあまりにも頻繁に足が冷えます。
私たちはまだより多くの食べ物、特により多くの脂肪を望んでいます。
私たちはまだもっと多くの食べ物、特にもっと多くの脂肪を望んでいます。
燃料がひどく不足しています。
今の季節では雪面が良くなることはほとんど期待できませんが、風の助けがあればいいのですが、しかしもし気温が上がらなかった場合はそれ(風)はひどく(悪い方向に)私たちを揺さぶるかもしれません。

353:世界@名無史さん
22/02/27 11:36:39.63 0.net
アルマダでスペインの無敵艦隊を破り
トラファルガーでナポレオン帝国海軍を破り
アヘン戦争では清のジャンク船を壊滅させ
ユトランド沖海戦ではヴィルヘルム2世のドイツ海軍から制海権を死守し
WWⅡではビスマルクを撃沈させて歴戦の雄フッドの敵討ちを果たし
フォークランド戦争ではアルゼンチンを降伏させた
この輝かしいイギリス海軍に完勝したのは
アムンセン率いるノルウェー探検家と
マレー沖海戦で英国海軍虎の子のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈させた日本だけ

354:世界@名無史さん
22/02/27 13:34:08.83 0.net
イギリス最強の海軍は黄色い潜水艦

355:世界@名無史さん
22/02/27 16:05:05.70 0.net
>>349
まあ、第一次南極隊って56年だろ?
その頃はまだ犬食い文化が残っていたんだろうからしょうがないだろ。
俺も極限状態に置かれたなら、やはり食べてしまうだろうしね。
問題なのは、帰国後に感動のストーリーを作ってしまったことだね。

356:世界@名無史さん
22/02/27 21:22:30.65 0.net
February 27. – Desperately cold last night: -33° when we got up, with -37° minimum.
Some suffering from cold feet, but all got good rest.
We must open out on food soon.
But we have done 7 miles this morning and hope for some 5 this afternoon.
Overcast sky and good surface till now, when sun shows again.
It is good to be marching the cairns up, but there is still much to be anxious about.
We talk of little but food, except after meals.
Land disappearing in satisfactory manner.
Pray God we have no further set-backs.
We are naturally always discussing possibility of meeting dogs, where and when, &c.
It is a critical position.
We may find ourselves in safety at next depôt, but there is a horrid element of doubt.
Camp R. 41. Temp. -32°.
Still fine clear weather but very cold – absolutely calm tonight.
We have got off an excellent march for these days (12.2) and are much earlier than usual in our bags.
31 miles to depôt, 3 days’ fuel at a pinch, and 6 days’ food.
Things begin to look a little better; we can open out a little on food from tomorrow night, I think.
Very curious surface – soft recent sastrugi which sink underfoot, and between, a sort of flaky crust with large crystals beneath.
2月27日– 昨夜は底冷えが激しく: 起床時の気温は-33、最低気温は-37°
冷たい足に苦しんでいる人もいますが、全員よく休めました。
私たちはすぐに食べ物を広げなければなりません。。
しかし、私たちは今朝は7マイルを進み、今日の午後は約5マイルを望んでいます。
曇り空、そして太陽が再び現れるときまでの良い雪面。
雪塚を行進するのは良いことですが、まだ不安がたくさんあります。
私たちは食後を除けば食べ物の話題は少ししかありません。
地面は満足のいく形で消えていきます。
神に祈ります、これ以上の妨げはもうたくさんです。
私たちは自然といつ、どこで犬に会えるかの可能性について議論しています。
それは重要な位置です。
私たちは次のデポで安全な私たち自身を見つけるかもしれませんが、恐ろしい疑いの要素があります。
キャンプR.41。気温-32°。
未だによく晴れた天気ですが非常に寒い ― 今夜は全く静かです。
私たちは最近(12.2)は素晴らしい行進を達成し、私たちの袋の中でいつもよりずっと早いです。
デポまで31マイル、切羽詰まれば3日間の燃料、6日間の食べ物。
事態は少し好転し始めています;明日の夜から食べ物を少し広げられると思います。
非常に奇妙な雪面 ― 足元に沈む柔らかい新しいサストルギ、そしてその間に、下に大きな結晶を持つフレーク状の地殻の一種。

357:世界@名無史さん
22/02/28 14:26:04.86 0.net
ひょっとして極点探索の前年のデポ作戦でスコット隊は南緯80度よりも南に1トンデポを築いていたらチェリーガラードの犬ぞり隊はそこまでは迎えにいくから落ち合うことができていた?
しかしその場合は重体のオーツスをそりに乗せて他の極点組3人とチェリーガラードともう一人の計5人はノルウェー隊のようにスキーを履いて2台の犬ぞりに捕まるとかロープで牽引されるとかして基地に戻っていたのだろうか?
じゃないと犬の体力が持たなそうだが

358:世界@名無史さん
22/02/28 16:06:53.13 0.net
スコット隊が南緯80度32分のフーパー山デポに到着したのは3月9日。
チェリーガラードとドリートミーが1tデポに到着したのは3月3日で3月10日の朝に引き返した。
フーパー山デポの位置に1tデポを築けてたらスコット隊はギリギリで助かったのかもしれない。
なお、ドリートミーは帰り道で著しく衰弱していたので犬ぞりに乗るのはオーツとドリートミーの二人となる。
他のスコット、ウィルソン、バウワーズ、チェリーガラードは犬ぞりに牽引されるか犬ぞりと一緒に行進するかして、極寒の中基地まで帰らなければならないね。
スコット隊が引いてきたそりももちろん基地まで、犬ぞり牽引か人力かは分からないけど引いて行かないといけない。
条件としてはかなり厳しいが、それでも助かる可能性はあったね。
1tデポを南緯80度30分くらいの場所に設置できていたらね。

359:世界@名無史さん
22/02/28 18:55:14.47 0.net
もしエヴァンズ大尉が壊血病にならなかったら犬ぞりの熟練者であるアトキンソンが予定通り、チェリーガラードが迎えに行くよりも2日ほど早くスコット隊の救援に向かい、3月1日前後に南緯82度付近で合流することが出来たかもしれない。
せめてビタミンCのサプリメントがこの時代にあったら、、
っていうかこの時代はまだ壊血病の原因がビタミンC不足とは知られてなく、ただ新鮮な肉や果物を食べることで壊血病が予防できることは知られていた。
アムンセン隊は犬ぞりの犬を弱った犬から射殺して適時新鮮な肉を食べることで壊血病を防いでいたけど、イギリス隊はその方面での準備が充分ではなかった。
あれだけのエリートが集まったイギリス海軍と医師が揃っていたのに何故壊血病予防の方まで気を配らなかったのかが謎。

360:世界@名無史さん
22/02/28 21:27:07.26 0.net
Tuesday, February 28. – Lunch.
Thermometer went below -40° last night; it was desperately cold for us, but we had a fair night.
I decided to slightly increase food; the effect is undoubtedly good.
Started marching in -32° with a slight north-westerly breeze – blighting.
Many cold feet this morning; long time over foot gear, but we are earlier.
Shall camp earlier and get the chance of a good night, if not the reality.
Things must be critical till we reach the depôt, and the more I think of matters, the more I anticipate their remaining so after that event.
Only 24½ miles from the depôt.
The sun shines brightly, but there is little warmth in it.
There is no doubt the middle of the Barrier is a pretty awful locality.
Camp 42.
Splendid pony hoosh sent us to bed and sleep happily after a horrid day, wind continuing; did 11½ miles.
Temp. not quite so low, but expect we are in for cold night (Temp. -27°).
2月28日(火)– 昼食.
昨夜温度計は昨夜-40°以下になりました;私たちにとっては絶望的な寒さでしたが、私たちは穏当な夜を過ごしました。
私は食べ物を少し増やすことに決めました;効果は間違いなく良いです。
気温-32°、北西の風が少し吹く中、行進を始めました ― 明るい陽射し
今朝は足が冷え切っています;フットギアを履くのに長い時間が掛かりますが、私たちは先にいます。
速めにキャンプをして良い夜のチャンスを得る必要があります、現実はどうであれ。
物事は私たちがデポに到達するまで危機であるでしょう、そして考えれば考えるほど、この後もそうであることが予想されるのです。
デポから僅か24½マイル。
太陽は明るく輝いていますが、暖かさはほとんど感じられません。
バリアの真ん中はかなりひどい地域であることに疑いの余地はありません。
キャンプ42。
素晴らしいポニーフッシュは、実に酷い一日の後、ベッドにて幸せな眠りを私たちに贈りました、風が続いています;11½マイルでした。
気温はそれほど低くはありませんが、私たちには寒い夜となりそうです(気温-27°)

361:世界@名無史さん
22/02/28 21:28:35.89 0.net
Wednesday, February 29. – Lunch.
Cold night. Minimum Temp. -37.5°; -30° with north-west wind, force 4, when we got up.
Frightfully cold starting; luckily Bowers and Oates in their last new finnesko; keeping my old ones for present.
Expected awful march and for first hour got it.
Then things improved and we camped after 5½ hours marching close to lunch camp – 22½.
Next camp is our depôt and it is exactly 13 miles.
It ought not to take more than 1½ days; we pray for another fine one.
The oil will just about spin out in that event, and we arrive 3 clear days’ food in hand.
The increase of ration has had an enormously beneficial result.
Mountains now looking small.
Wind still very light from west – cannot understand this wind.
2月29日(水)– 昼食.
寒い夜。最低気温-37.5°;私たちが起きたときは、-30度、北西風、風力4。
恐ろしい寒さの中での出発;幸いにもバウワーズとオーツは最後の新しいフィネスコ(トナカイの皮でつくられた冬物のブーツ)に;私の昔のものを今に残していました。
ひどい行軍を予期していましたが、最初の1時間はそうでした。
その後状況は改善し、私たちは五時間半後にキャンプをし、昼食のキャンプ ― 22½.の近くを行進しました。
次のキャンプは私たちのデポであり、ちょうど13マイルです。
一日半以上私掛かるとは思いません;私たちはまた晴れることを祈ります。
オイルはその事象(晴天?)でどうにか長持ちするでしょう、そして私たちは三日間の食べ物を手に入れることに成功します。
配給量の増加は非常に有益な結果をもたらしました。
今は山が小さく見えるようになりました。
西からの風はまだとても弱く、この風を理解することはできません。

362:世界@名無史さん
22/02/28 21:31:24.91 0.net
>>361 訂正
>It ought not to take more than 1½ days; we pray for another fine one.
>一日半以上私掛かるとは思いません;私たちはまた晴れることを祈ります。
一日半以上はかからないでしょう;私たちはまた晴れることを祈ります。

363:世界@名無史さん
22/03/01 17:07:31.51 0.net
Thursday, March 1. – Lunch.
Very cold last night – minimum -41.5°.
Cold start to march, too, as usual now.
Got away at 8 and have marched within sight of depôt; flag something under 3 miles away.
We did 11½ yesterday and marched 6 this morning.
Heavy dragging yesterday and very heavy this morning.
Apart from sledging considerations the weather is wonderful.
Cloudless days and nights and the wind trifling.
Worse luck, the light airs come from the north and keep us horribly cold.
For this lunch hour the exception has come.
There is a bright and comparatively warm sun.
All our gear is out drying.
3月1日木曜日–昼食。
昨夜は非常に寒かった ― 最低気温-41.5°。
いつものように、行進の出発時は寒かったです。
8時に出て、デポの見える場所まで行進しました;3マイル以下の距離にあるものに旗を立てました。
昨日は11½で、今朝は6を行進しました。
昨日は(そりを)引くのが重く、今朝は非常に重いです。
そりの考慮は別として、天気は素晴らしいです。
雲一つない昼と夜、そして風は僅かです。
運悪く、軽い空気が北から来て、私たちをひどく寒いままにします。
この昼食時間には例外が来ました。
明るく比較的暖かい太陽があります。
私たちの装備はすべて乾いてきています。

364:世界@名無史さん
22/03/01 22:08:10.18 0.net
>>360 訂正(自己レス)
>Many cold feet this morning; long time over foot gear, but we are earlier.
>今朝は足が冷え切っています;フットギアを履くのに長い時間が掛かりますが、私たちは先にいます。
→今朝は足が冷え切っています;フットギアを履くのに長い時間が掛かりますが、私たちは急いでいます。
が正しい訳かな?

365:世界@名無史さん
22/03/02 00:05:17.74 0.net
南極の海の氷、過去最低レベルの量まで下がったらしい…
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
率直な疑問だけど縄文海進や平安海進の時の南極の海の氷の量はいかほどだったのだろうか?

366:世界@名無史さん
22/03/02 09:24:12.37 0.net
ウクライナ「ここは戦場」「いずれ餓死」 夜は氷点下…種まき準備もできず
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
 夫と娘の3人で暮らしている。この日の出勤後、政府が外出禁止令を出し、博物館は閉鎖された。「スーパーも閉まっていて、家に蓄えがある小麦粉でパンを焼いたりビスケットを食べたりしている。でも、体がもたない」
 市中心部は電気やガス、水道など生活インフラの供給が続いているが、戦闘が起きている周辺部は止まっているようだという。石油や天然ガス資源に乏しいウクライナは、供給の多くをロシアに頼ってきた。近年、エネルギー転換や農産物輸出の拡大に乗り出したのは、依存関係からの脱却を図るためだった。
 夜間は氷点下になる。「生活インフラが止まれば凍死する。食料がなくなれば餓死する。国際社会は何もしてくれない」。ナタリアさんの失望は深い。
ーーーーー
パンやビスケットだけだと壊血病になる
燃料の不足で凍死する
初期の南極探検隊のような過酷な生活をしているウクライナ国民が心配

367:世界@名無史さん
22/03/02 11:51:35.18 0.net
安保理常任理事国からの露解任も

368:世界@名無史さん
22/03/02 17:01:55.87 0.net
>>366
>初期の南極探検隊のような過酷な生活をしているウクライナ国民が心配
今の南極探検隊は過酷じゃないんですか!?

369:世界@名無史さん
22/03/02 17:48:59.57 0.net
>>368
そだね
100年前よりも装備は良くなってるけどその分厳しいルートを取ったり単独探検をしたりするから今でも過酷だね
徒歩での南極点到達ならず
秋田出身の冒険家、単独で
2022年1月11日 20:17
URLリンク(www.kyoto-np.co.jp)
白瀬ルートのお方か残念
南極単独横断、残り50キロで力尽き死亡 英探検家
2016年1月27日 0:42
URLリンク(www.nikkei.com)
合掌

370:世界@名無史さん
22/03/02 20:25:32.27 0.net
>>174 原文

3月2日金曜日–昼食。
不幸が単独で来ることはめったにありません。
私たちは昨日の午後、(中バリア)デポにかなり容易に行進しました、それから三つの明確な打撃を受け私たちは悪い立場に置かれました。
まず、石油が不足していることが分かりました; 最も厳密な倹約でも、この雪面の次のデポ(71マイル離れている)に私たちを運ぶことはほとんどできません。
第二に、タイタス​​・オーツは彼の足を明らかにしました、つま先は確かに非常に酷く見えました、明らかに数日間のこの気温によって痛んでいます。
第三の打撃は夜に起こりました、私たちが喜びをもって歓迎した風が暗い曇り空をもたらせた時です。
夜は-40°以下に落ち、今朝はフットギアをつけるのに1時間半かかりましたが、8時前に出ました。
私たちは雪塚とわだちの両方を見失い、出来るだけ北から西へ着実に進みましたが、何も見えませんでした。
さらに悪いことになりました ― 雪面が全く恐ろしいことになっています。
強風を帆をいっぱいにに受けたにもかかわらず、私たちはたった5½マイルしか進めませんでした。
私たちは余分な行進ができないことに疑いはないので非常に困窮しています、そして酷く寒さを感じます。

371:世界@名無史さん
22/03/03 20:21:17.80 0.net
Saturday, March 3. – Lunch.
We picked up the track again yesterday, finding ourselves to the eastward.
Did close on 10 miles and things looked a trifle better; but this morning the outlook is blacker than ever.
Started well and with good breeze; for an hour made good headway; then the surface grew awful beyond words.
The wind drew forward; every circumstance was against us.
After 4¼ hours things so bad that we camped, having covered 4½ miles.
One cannot consider this a fault of our own – certainly we were pulling hard this morning – it was more than three parts surface which held us back – the wind at strongest, powerless to move the sledge.
When the light is good it is easy to see the reason.
The surface, lately a very good hard one, is coated with a thin layer of woolly crystals, formed by radiation no doubt.
These are too firmly fixed to be removed by the wind and cause impossible friction on the runners.
God help us, we can’t keep up this pulling, thatis certain.
Amongst ourselves we are unendingly cheerful, but what each man feels in his heart I can only guess.
Pulling on foot gear in the morning is getting slower and slower, therefore every day more dangerous.
3月3日土曜日–昼食
私たちは昨日再びわだちを拾い、東に向かう自分自身を見つけました。
10マイル近く行進し、事態は少し良くなったように見えました; しかし今朝の見通しは今までにないほど暗いです。
出発は順調でそよ風でした; 一時間は順調に進みました;それから雪面は言葉では言い表せないほど酷くなりました。
風が前方に引っ張ります;あらゆる状況が私たちに不利でした。
四時間半後に事態はとても悪くなり、私たちは4½マイルを行進してからキャンプしました。
これが私たち自身の過失であるとは考えられません ― 間違いなく私たちは今朝強く引いていました ― それは私たちを阻んだ3つ以上のパーツの雪面でした ― そりを動かすのに最強で、無力な風。
光が良ければ理由がわかりやすいです。
最近の非常に硬い雪面は、間違いなく放射によって形成された羊毛状の結晶の薄い層で覆われています。
これらは非常に堅固に固定されているために風で取り除くことができず、滑走部に信じがたいほどの摩擦を引き起こします。
神よ私たちを助けてください、私たちはこのまま引き続けることはできません、それは確実です。
終わりなき快活さが私たち自身の間にありますが、個々の男が彼の心に感じているのが何であるかを私は推測することしかできません。
朝にフットギアを履くのがどんどん遅くなってきています、それ故に日々危険を増しています。

372:世界@名無史さん
22/03/04 15:18:24.18 0.net
「石油やガスの使用を少しでも減らす努力を」岸田首相が呼びかけ。原油価格高騰への対策は?【首相会見】
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
まだまだ寒いのに体を温めるための暖かい食べ物や飲料を口にすることが出来なくなっていくのが辛い…

373:世界@名無史さん
22/03/04 16:18:52.20 0.net
>>372
日本なら、薪とかを使うって方法も無くは無い。

374:世界@名無史さん
22/03/04 17:25:19.43 0.net
炭だけじなく薪も使える七輪や火鉢が良いね
勿論火事の危険があるので消火器は側に置くことね

375:世界@名無史さん
22/03/04 20:50:46.88 0.net
Sunday, March 4. – Lunch.
Things looking very black indeed.
As usual we forgot our trouble last night, got into our bags, slept splendidly on good hoosh, woke and had another, and started marching.
Sun shining brightly, tracks clear, but surface covered with sandy frost-rime.
All the morning we had to pull with all our strength, and in 4½ hours we covered 3½ miles.
Last night it was overcast and thick, surface bad; this morning sun shining and surface as bad as ever.
One has little to hope for except perhaps strong dry wind – an unlikely contingency at this time of year.
Under the immediate surface crystals is a hard sastrugi surface, which must have been excellent for pulling a week or two ago.
We are about 42 miles from the next depôt and have a week’s food, but only about 3 to 4 days’ fuel – we are as economical of the latter as one can possibly be, and we cannot afford to save food and pull as we are pulling.
We are in a very tight place indeed, but none of us despondent yet, or at least we preserve every semblance of good cheer, but one’s heart sinks as the sledge stops dead at some sastrugi behind which the surface sand lies thickly heaped.
For the moment the temperature is on the -20° – an improvement which makes us much more comfortable, but a colder snap is bound to come again soon.
I fear that Oates at least will weather such an event very poorly.
Providence to our aid!
We can expect little from man now except the possibility of extra food at the next depôt.
It will be real bad if we get there and find the same shortage of oil.
Shall we get there? Such a short distance it would have appeared to us on the summit!
I don’t know what I should do if Wilson and Bowers weren’t so determinedly cheerful over things.

376:世界@名無史さん
22/03/04 20:53:13.57 0.net
3月4日日曜日–昼食。
事態は本当にとても暗く見えます。
いつものように私たちは昨夜トラブルを忘れて、バッグ(テントのことか?)に入り、良いフーシュで見事に眠り、目が覚めてもう一杯飲み、行進を始めました。
太陽は明るく輝いており、わだちははっきりしていますが、雪面は砂質の白霜で覆われています。
午前中いっぱいは我々の全力で引っ張らなければならず、四時間半で3½マイル(5.6km)を走行しました。
昨夜は厚い雲で覆われ、雪面が悪かったです;今朝は太陽が輝いていて相変わらずせ雪面は悪いです。
おそらくは強い乾燥した風 ― 年のこの時期にはありそうにもない偶発的なもの ― を除いて、殆ど望みはありません。
目下の雪面の結晶の下は硬いサスツルギの雪面です、それは1~2週間前はそり引きにはエクセレントだったに違いありません。
私たちは次のデポから約42マイル(67.2km)離れていて、一週間の食料を持っていますが、燃料はおよそ3~4日のみ ― 私たちは可能な限り経済的にし、食料を節約する余裕はなく、(そりを)引けるだけ引きます。
私たちは確実に進退きわまっていますが、私たちの誰もまだ意気消沈していません、あるいは少なくとも私たちはとても陽気なあらゆる装い(=見せかけ)を保っています、しかし背後に雪面の砂がこってりと積み重なり横たわっているいくつかのサスツルギでそりが止まって死ぬと心が沈みます。
今のところ気温は-20°C ― 私たちをこれまでよりもずっと心地よい方向に改善していますが、またすぐにもっと寒い天候となるでしょう。
私はとにかくオーツが大変悪くそのような出来事を推移するのではないかと心配しています。
神のご加護を!
私たちは今、次のデポでの余分な食べ物の可能性を除いて、人間(の力)にほとんど期待できません。
私たちがそこに着いて同じような石油不足を見つけたとしたら、本当に悪いことになるでしょう。
そこに着くべきでしょうか?そのような短い距離でも私たちには頂上に見えます!
もしウィルソンとバウアーズが物事に対してこのように断固として快活でなかったら私はどうしたらいいか分かりません。

377:世界@名無史さん
22/03/05 17:35:31.71 0.net
石油缶からの油漏れは、アムンゼン隊でも頭を悩ましてた様子。
アムンゼンの”南極点”でも、隊員の1人が半田ごてで
石油缶の穴を塞いでいた、なんて事が書いてありました。
スコット隊が使ってた石油缶ってのが、我々がよく見るエンジンオイル缶みたいな物だった様だ
って話で、それが事実だとするとあのペラペラな缶じゃ少し擦れるだけで
穴が開きそうな気はしますね。
あの時せめて”ジェリ缶”があれば、とか考えては見たけど
”ジェリ缶”が出来たのはもっと先の話だし。

378:世界@名無史さん
22/03/05 20:02:57.98 0.net
1910年、イギリスの極地探検家ロバート・スコットは、人類初の南極点到達を目指していたが、ノルウェーの探検家ロアルド・アムンゼンに敗れた。スコットの探検隊は南極の雪原を徒歩で歩き、事前に運んでおいた食料や灯油の格納場所を目指した。
1912年初頭に最初の格納場所に到達したが、スズではんだ付けされた灯油の缶の中身は空だった。この原因はスズペストであると考えられている[4]。
ただし、南極の別の場所で発見された80年前のスズ製の缶ははんだ付けの状態が良好であったため、単にスコット隊が持ち込んだ缶のはんだ付けの質が悪かっただけであるとする説もある。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
とここでは灯油缶の破損の原因をハンダ付けした錫が錫ペストに求めているけど、灯油缶はスコット率いる極点隊よりも先に帰還した支援隊のエヴァンス隊やチェリガラードの隊も開封しているはずなので違うような気がする。

379:世界@名無史さん
22/03/05 20:04:43.95 0.net
エヴァンス隊とかが灯油缶を開けたあと再度螺旋状の蓋を閉めた上でその場でハンダ付けしたとは思えないので。

380:世界@名無史さん
22/03/05 21:50:27.94 0.net
とは言え、日本の昭和基地でも
荷運びの際にドラム缶がこすれて穴が開いた、なんて
話がある訳でして。
まぁ、スコット隊とは違うんでしょうが。

381:世界@名無史さん
22/03/05 21:52:38.33 0.net
Monday, March 5. – Lunch.
Regret to say going from bad to worse.
We got a slant of wind yesterday afternoon, and going on 5 hours we converted our wretched morning run of 3½ miles into something over 9.
We went to bed on a cup of cocoa and pemmican solid with the chill off.
The result is telling on all, but mainly on Oates, whose feet are in a wretched condition.
One swelled up tremendously last night and he is very lame this morning.
We started march on tea and pemmican as last night – we pretend to prefer the pemmican this way.
Marched for 5 hours this morning over a slightly better surface covered with high moundy sastrugi.
Sledge capsized twice; we pulled on foot, covering about 5½ miles.
We are two pony marches and 4 miles about from our depôt.
Our fuel dreadfully low and the poor Soldier nearly done.
It is pathetic enough because we can do nothing for him; more hot food might do a little, but only a little, I fear.
We none of us expected these terribly low temperatures, and of the rest of us Wilson is feeling them most; mainly, I fear, from his self-sacrificing devotion in doctoring Oates’ feet.
We cannot help each other; each has enough to do to take care of himself.
We get cold on the march when the trudging is heavy, and the wind pierces our warm garments.
The others, all of them, are unendingly cheerful when in the tent.
We mean to see the game through with a proper spirit, but it’s tough work to be pulling harder than we ever pulled in our lives for long hours, and to feel that the progress is so slow.
One can only say ‘God help us!’ and plod on our weary way, cold and very miserable, though outwardly cheerful.
We talk of all sorts of subjects in the tent, not much of food now, since we decided to take the risk of running a full ration.
We simply couldn’t go hungry at this time.

382:世界@名無史さん
22/03/05 21:56:11.03 0.net
3月5日(月)– 昼食。
残念ながら益々悪くなっていると言わなくてはなりません。
昨日の午後、私たちは風の傾斜を得ました、そして五時間進み、私たちは惨めな朝の3½マイル(5.6km)の走りを9マイル(14.4km)以上のものに変えました。
私たちは一杯のココアと少し温めたぺミカンの固形物を食べて眠りにつきました。
結果がすべてを物語っていますが、主にオーツのことで、足が惨状を呈しています。
片方は昨夜恐ろしく腫れ上がりました、そして今朝彼はとても足が不自由です。
昨夜のようにお茶とペミカンで行進を始めました ― 私たちはこのようにペミカンを好むふりをします。
今朝は高い土手状のサスツルギで覆われた僅かに良くなっている雪面上を五時間行進しました。
そりが二回転覆しました;私たちは徒歩で引き、約5½マイル(8.8km)進みました。
私たちは私たちのデポから二回のポニーの行進と4マイル(6.6km)にいます。
私たちの燃料は非常に少なく、可哀そうな兵士は殆ど終わりました。
私たちは彼のために何もできないのでとても哀れです;より温かい食べ物は少しやれるかもしれませんが、ほんの少しだけであり、私は恐れています。
私たちの誰もこんなにも恐ろしい低温を予期していませんでいした、そして私たちの中でウィルソンが最もそれらを感じています;主に、私が恐れる、オーツの足を治療していた彼の献身的な自己犠牲から。
私たちはお互いに助け合うことができません;それぞれが自分の世話をするのでやっとです。
重いとぼとぼ歩きでの行進で寒くなり、風が私たちの暖かい服を突き抜けます。
他の人たちは全員、テントの中にいる時は終わりなく快活です。
私たちは適した精神で勝負を見抜くつもりですが、長時間に渡って私たちの人生で今まで引いた以上に懸命に引き続けているのと、前進がこんなにも遅くなっているのを感じるのは、骨が折れる仕事です。
人は「神よ我々を助けてください」と言って、疲れた道をとぼとぼ歩くことしかできず、外見上は快活ではありますが、寒くてとても惨めです。
私たちはテントの中であらゆる種類の話題を話しますが、今は食べ物の話題は多くありません、私たちが完全な配給を実行するリスクを取ることを決めたからです。
私たちは単純に、この時飢えに向かうことができませんでした。

383:世界@名無史さん
22/03/05 22:12:58.94 0.net
>>375-376 自己レス
>As usual we forgot our trouble last night, got into our bags, slept splendidly on good hoosh, woke and had another, and started marching.
いつものように私たちは昨夜トラブルを忘れて、バッグ(テントのことか?)に入り、良いフーシュで見事に眠り、目が覚めてもう一杯飲み、行進を始めました。
bagsは寝袋かな?

384:世界@名無史さん
22/03/06 17:39:49.02 0.net
灯油缶について有名な話だと、スコットら極点隊を犬ぞりで迎えに行ったチェリーガラードが1tデポで極点隊と合流することができず、食糧切れで帰る時に赤い灯油缶が目立つからとデポの雪塚の上に置いたんだけど、
1tデポに到着できなかった極点隊は当然その灯油缶を使うことがなく、翌年春に極点隊の探索に行ったイギリス隊が1tデポに着いた時には冬の寒さで灯油缶が破裂して、デポの雪塚の中の食糧にまで灯油が浸透して食べられない状態になっていたとか。
これは南極の真冬の寒さの中で外に置いといた灯油缶の破損だからまた例外になるのかな?
スコット率いるイギリス隊は最初から燃料を缶詰にして缶切りで開けるようにしていれば良かったのでは?
コルクや螺旋状の蓋では揮発を抑えきれなかったのだから。
まあ結果論になるけどね。
それにまず灯油をそんなに小分けにして缶詰にはできないのかもしれないし。

385:世界@名無史さん
22/03/06 22:31:32.42 0.net
Tuesday, March 6. – Lunch.
We did a little better with help of wind yesterday afternoon, finishing 9½ miles for the day, and 27 miles from depôt.
But this morning things have been awful.
It was warm in the night and for the first time during the journey I overslept myself by more than an hour; then we were slow with foot gear; then, pulling with all our might (for our lives) we could scarcely advance at rate of a mile an hour; then it grew thick and three times we had to get out of harness to search for tracks.
The result is something less than 3½ miles for the forenoon.
The sun is shining now and the wind gone.
Poor Oates is unable to pull, sits on the sledge when we are track-searching – he is wonderfully plucky, as his feet must be giving him great pain.
He makes no complaint, but his spirits only come up in spurts now, and he grows more silent in the tent.
We are making a spirit lamp to try and replace the primus when our oil is exhausted.
It will be a very poor substitute and we’ve not got much spirit.
If we could have kept up our 9-mile days we might have got within reasonable distance of the depôt before running out, but nothing but a strong wind and good surface can help us now, and though we had quite a good breeze this morning, the sledge came as heavy as lead.
If we were all fit I should have hopes of getting through, but the poor Soldier has become a terrible hindrance, though he does his utmost and suffers much I fear.

386:世界@名無史さん
22/03/06 22:34:29.19 0.net
3月6日火曜日–昼食。
私達は昨日の午後は風の助けを借りて少し良くなり、その日の走行距離は9½マイル(15.2km)、デポから27マイル(43.2km)でした。
しかし、今朝は状況が恐ろしくなりました。
夜は暖かく旅行中初めて一時間以上寝過ごしました;それから私達はフットギア(の装着)で遅くなりました;それから(私達の生存のために)全力で引くと私達は一時間に1マイル(1.6km)のペースで前進するのがやっとでした;それから視界が悪くなり三度(みたび)私達はわだちを探すために引き具を外さなければなりませんでした。
その結果、午前中の走行距離は3½マイル(5.6Km)未満になります。
今は太陽が輝いて風が消えています。
可哀そうなオーツは引くことができず、私達がわだちを探している時はそりにじっと座っています ― 彼は素晴らしく勇敢です、彼の足は酷い苦痛を彼に与えているに違いありません。
彼は病状を訴えませんが、彼の精神は今は僅かにほとばしるだけです、そして彼はテントの中では最も静かになっています。
私達はアルコールランプを作っています、私達の石油が枯渇した時にプリムスストーブの代替えとする試みで。
それは非常に貧弱な代替品であり、私たちはあまり熱情を得ていません。
もし私達が9マイル(14.4km)の日数を維持できれば、尽きる前にデポから適度な距離に入ることができる可能性がありましたが、今は強風と良好な雪面だけが私達を助けることができるのみであり、今朝はかなりの風が吹いていたにもかかわらず、 そりは鉛と同じくらい重くなりました。
もし私達全員が健康なら、私は乗り切る希望を持っているはずですが、可哀そうな兵士は酷い障害になっています、彼が最大限の努力をし私が恐れているものを物凄く我慢しているにもかかわらず。

387:世界@名無史さん
22/03/07 21:51:51.64 0.net
March 7. – A little worse I fear.
One of Oates’ feet very bad this morning; he is wonderfully brave.
We still talk of what we will do together at home.
We only made 6½ miles yesterday.
This morning in 4½ hours we did just over 4 miles.
We are 16 from our depôt.
If we only find the correct proportion of food there and this surface continues, we may get to the next depôt [Mt. Hooper, 72miles farther] but not to One Ton Camp.
We hope against hope that the dogs have been to Mt. Hooper; then we might pull through.
If there is a shortage of oil again we can have little hope.
One feels that for poor Oates the crisis is near, but none of us are improving, though we are wonderfully fit considering the really excessive work we are doing.
We are only kept going by good food.
No wind this morning till a chill northerly air came ahead.
Sun bright and cairns showing up well.
I should like to keep the track to the end.
3月7日 ― 少し悪化しているような気がします。
今朝、オーツの片足が非常に悪い;彼は素晴らしく勇敢です。
私たちは未だに家(基地)で一緒に何をするかについて話します。
昨日はたった6½マイル(10.4km)しか走りませんでした。
今朝は四時間半で4マイル(6.4km)余りを走りました。
私達のデポから16(25.6km)です。
もし私達がそこで正しい割合の食べ物を見つけ、かつこの雪面が続いたら、私達は次のデポ [フーパ―山, 72マイル(115.2km)先]には行けるかもしれませんが、1トンキャンプには行けないでしょう。
私達は犬がフーパ―山に既に行っているのではないかと望みを抱いています;それなれば私達は困難を切り抜けさせられるでしょう。
もしもまた石油が不足していたら、私達は殆ど望みがありません。
人は可哀そうなオーツにとって危機が近いのを感じています、しかし私達の誰もが改善していません、私達が行っている本当に過分なる仕事を考えると素晴らしく健康であるにもかかわらず。
私達は良い食べ物によってこそ、健康でいられるのです。
今朝は冷たい北風が来るまでは無風でした。
太陽が輝き雪塚がよく見えます。
このまま最後まで走破したいものです。

388:世界@名無史さん
22/03/08 16:27:39.47 0.net
>>384
”世界最悪の旅(チェリーガラード)”の本だと、冬の寒さよりも
夏の暑さで燃料缶から燃料が漏れた、とか書いて有った様な。
南極が寒い理由の1つに、浅い角度で太陽があたるってのがあるんだが。
とある日本の南極観測隊がやった実験なんだが、雪上車を黒く塗ってみたんだが
日があたる場所だと表面温度が30℃以上にまで上がったとの事。
南極だと水平方向から太陽光がくるんだが、雪上車の壁だと太陽光は
まっすぐあたるし、色が黒なんで温度は結構上がった様子。

389:世界@名無史さん
22/03/08 18:55:55.23 0.net
世界最悪の旅の文庫版の258ページに
ここには極地隊のため昨秋から食料と油が貯蔵してあり、それは一つのカンバス製の容器に入れられてニメートルあまり雪の下にうずめ、油はその赤缶が貯蔵庫の目標になるので雪の上においてあった。
ところが、われわれがこの容器をほり出して食料を手にした時、それは冬から春の間にニメートルあまりの雪をとおしてしみ込んだパラフィンのためにほとんどたべられなくなっていた。
とあるね。

390:世界@名無史さん
22/03/08 18:58:46.86 0.net
今年の冬は何度も雪掻きしては掻いた雪を集めた山が融けのを待っていたけど、最後の方は同じ最高気温が1~2度でも融けるのが早かった。
太陽の角度が高くなってより多くの遠赤外線が雪山に当たるようになっていたからね。

391:世界@名無史さん
22/03/08 19:21:11.74 0.net
2006年にBBCの企画でノルウェーとイギリスのパーティーがアムンセンとスコットのレースを完全に再現しようと、当時の装備そのままでグリーンランドでレースをしたんだけど、
犬ぞりとスキーを使ったノルウェー隊は予定よりも早く目的地に着いて余裕で帰って来たけど、人力でそりを引いてたイギリス隊は目的地まではいけたけど帰路の途中で全員が大幅に体重が落ちて危険だったのでプロデューサー判断で棄権となり、やはりノルウェー隊が勝利したという話。
URLリンク(youtu.be)

392:世界@名無史さん
22/03/08 21:28:53.94 0.net
Thursday, March 8. – Lunch.
Worse and worse in morning; poor Oates’ left foot can never last out, and time over foot gear something awful.
Have to wait in night foot gear for nearly an hour before I start changing, and then am generally first to be ready.
Wilson’s feet giving trouble now, but this mainly because he gives so much help to others.
We did 4½ miles this morningand are now 8½ miles from the depôt – a ridiculously small distance to feel in difficulties, yet on this surface we know we cannot equal half our old marches, and that for that effort we expend nearly double the energy.
The great question is, What shall we find at the depôt?
If the dogs have visited it we may get along a good distance, but if there is another short allowance of fuel, God help us indeed.
We are in a very bad way, I fear, in any case.
3月8日(木) - 昼飯。
朝には益々悪くなりました;可哀そうなオーツの左足は最早耐えうることができず、フットギアを履いて時間を過ごすのは何かと酷いことです。
夜には私が着替え始まる前にフットギア(を脱ぐこと?)で一時間近く待たなければなりません、そして概して最初に準備をします。
ウィルソンの足は今トラブルを抱えていますが、この主たる原因は彼が他の人をとても助けているからです。
私たちは今朝4½マイル(7.2km)を進み、現在はデポから8½マイル(13.6km)です - 困難を感じるには馬鹿馬鹿しいほど短い距離です、しかしこの雪面では私達のかつての行進の半分に匹敵することができないのを私達は知っており、その努力のために私達はほぼ2倍のエネルギーを費やしています。
大きな問題は、デポで何を見つけるかでしょうか?
もし犬たちがそこを訪れていれば私達はかなりの距離を進むことができるでしょう、しかしもしまた燃料が不足していたら、神よ私達を誠に助けてください。
いずれにせよ、私達は非常に悪い状況に陥っています。

393:世界@名無史さん
22/03/09 22:20:03.33 0.net
3月9日はスコットは日記を書きませんでした。

394:世界@名無史さん
22/03/10 16:29:25.47 0.net
URLリンク(www.cnn.co.jp)
沈没から107年、英探検隊の船を南極沖で発見
2022.03.10 Thu posted at 15:57 JST

395:世界@名無史さん
22/03/10 16:45:42.88 0.net
>>394
おぉ、エンデュアランス号じゃないか。
水が冷たいから、木が腐らないのかな。

396:世界@名無史さん
22/03/10 19:05:41.30 0.net
なんとかでも全員が生還できたエンデュアランス号よりもロス海の方に回ったオーロラ号の方が犠牲者が出たりして不幸だったんだよね
エンデュアランス号にはスコットの極点探検で南緯87度で引き返した最終帰還隊の一人にして壊血病になったエバンス大尉を救出したクリーンも乗っていて、この写真はその時のものだけど、流石にこの防寒着はスコットの時よりは改良はされていたんだろうな?
URLリンク(i.imgur.com)
抱っこしているのはエンデュアランス号の船内で生まれたエスキモー犬の赤ちゃんでクリーンも大変に可愛がったんだけど、いよいよ食料が無くなって食べる為に犬を殺すことをシャクルトンが命じたときに真っ先に応じたのはこのクリーンだったような(記憶が曖昧だが
まあそうだとしたら、流石は南極で生き延びるためには何が必要か、その経験から瞬時に判断して躊躇することなく実行したということかな

397:世界@名無史さん
22/03/10 21:28:37.32 0.net
Saturday, March 10. – Things steadily downhill.
Oates’ foot worse.
He has rare pluck and must know that he can never get through.
He asked Wilson if he had a chance this morning, and of course Bill had to say he didn’t know.
In point of fact he has none.
Apart from him, if he went under now, I doubt whether we could get through.
With great care we might have a dog’s chance, but no more.
The weather conditions are awful, and our gear gets steadily more icy and difficult to manage.
At the same time of course poor Titus is the greatest handicap.
He keeps us waiting in the morning until we have partly lost the warming effect of our good breakfast, when the only wise policy is to be up and away at once; again at lunch.
Poor chap! it is too pathetic to watch him; one cannot but try to cheer him up.
Yesterday we marched up the depôt, Mt. Hooper.
Cold comfort. Shortage on our allowance all round.
I don’t know that anyone is to blame.
The dogs which would have been our salvation have evidently failed.
Meares had a bad trip home I suppose.
This morning it was calm when we breakfasted, but the wind came from the W.N.W. as we broke camp.
It rapidly grew in strength.
After travelling for half an hour I saw that none of us could go on facing such conditions.
We were forced to camp and are spending the rest of the day in a comfortless blizzard camp, wind quite foul.

398:世界@名無史さん
22/03/10 21:29:34.03 0.net
3月10日土曜日 – 事態はどんどん悪化しています。
オーツの足がいっそう悪くなりました。
彼は引くのが稀になり、決して為し終えることができないことを分かっているに違いありません。
彼は今朝、ウィルソンにチャンス(=見込み)があるかどうか尋ねました、もちろんビル(ウィルソンのこと)は「わからない」と言わざるを得ませんでした。
実際、彼には何も(チャンスは)ありません。
彼を別としても、もし彼が今亡くなった場合でも、私達が為し終えるができるかどうかは疑わしいのです。
最善の注意を払って、犬のチャンスがあるかもしれませんが、それ以上はありません。
気象状況は酷くて、私達の装備はどんどん凍りつき、管理するのが難しくなっています。
同時に、もちろん可哀そうなタイタスは最大のハンディキャップです。
彼は朝に私達を待たせます、私達が美味しい朝食の保温効果を半ば失うまで、唯一の賢い方針は即刻立ち上がって離れる時です;昼食時も再び。
可哀そうに!彼を見るのはあまりに痛ましいです;彼を励まさずにはいられません。
昨日、私達はフーパ―山デポに向かって行進しました。
冷たい慰め。私達の割当量のあらゆる点での不足。
誰が責めを負うべきであるのか私には分かりません。
私達の救いであったはずの犬達は明らかに失敗しています。
ミアースは悪い帰り旅となったのだと思います。
今朝は朝食をとったときは穏やかでしたが、テントをたたむ時に風が西北西から来ました。
それは急速に強さを増しました。
半時間旅行した後で私は分かりました、私達の誰もそのようなコンディションで向かい続けることができないと。
私たちはキャンプを余儀なくされ、一日の残りをわびしいブリザードのキャンプで過ごしています、風がかなり吹き荒れています。

399:世界@名無史さん
22/03/11 00:20:17.80 0.net
>>397 自己レス
>He has rare pluck and must know that he can never get through.
彼は引くのが稀になり、決して為し終えることができないことを分かっているに違いありません。
彼は素晴らしい胆力を持っていて、決して為し終えることができないことを分かっているに違いありません。
かもしれない

400:世界@名無史さん
22/03/11 10:47:38.56 0.net
ウィルソンさんのスケッチ
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

401:世界@名無史さん
22/03/11 20:09:08.96 0.net
March 11. – Titus Oates is very near the end, one feels.
What we or he will do, God only knows.
We discussed the matter after breakfast; he is a brave fine fellow and understands the situation, but he practically asked for advice.
Nothing could be said but to urge him to march as long as he could.
One satisfactory result to the discussion; I practically ordered Wilson to hand over the means of ending our troubles to us, so that any one of us may know how to do so.
Wilson had no choice between doing so and our ransacking the medicine case.
We have 30 opium tabloids apiece and he is left with a tube of morphine.
So far the tragical side of our story.
The sky completely overcast when we started this morning.
We could see nothing, lost the tracks, and doubtless have been swaying a good deal since – 3.1 miles for the forenoon – terribly heavy dragging – expected it.
Know that 6 miles is about the limit of our endurance now, if we get no help from wind or surfaces.
We have 7 days’ food and should be about 55 miles from One Ton Camp tonight, 6×7=42, leaving us 13 miles short of our distance, even if things get no worse.
Meanwhile the season rapidly advances.
3月11日–タイタス・オーツはもうすぐ終わりだと感じています。
私達または彼がどうするかは、神のみぞ知るところです。
私達は朝食後にその問題について話し合いました;彼は勇敢で素晴らしい仲間であり、状況を理解しています、しかし彼は実際にアドバイスを求めました。
彼ができる限り行進することを彼に促すほかに何も言えませんでした。
ディスカッションに対する一つの満足のいく結果;私は実際に「私達のトラブルを終わらせることを意味するものを私達に手渡すこと」をウィルソンにオーダーしました、私達の誰もがその場合どうしたらいいのかを知ることができるようにするために。
ウィルソンは、“そうするか”もしくは“私達が薬箱をくまなく探すか”のどちらかを選ぶことはできませんでした。
私達は各自30錠の阿片タブロイドを持ち、彼はモルヒネのチューブを残されています。
ここまでは私達の物語の悲劇的な一面。
私達が今朝出発した時、空は完全に曇っていました。
私達は何も見えず、わだちを見失い、疑いなくその時からかなり左右にふらふらしています - 午後は3.1マイル(5km弱) - 酷く重い引きずり - 予想通り。
もし私達が風や雪面からの助けを得られないならば、6マイル(9.1km)が今の私達の持久力のおおよその限界だと知っています。
私達は7日分の食料を持っています、そして今夜1トンキャンプから約55マイル(88km)のはずです、6(マイル)×7(日)=42(マイル)、私達の距離に対して13マイル(20.8km)の不足を私達に残しています、たとえ事態が更に悪くならないとしても。
そうしている間にも季節はどんどん進んでいきます。

402:世界@名無史さん
22/03/12 08:02:23.26 0.net
【解説】南極探検船エンデュアランス号をついに発見、水深3千mの海底で、沈没から107年
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

403:世界@名無史さん
22/03/12 19:14:10.29 0.net
【フーパー山デポでの物資の不足】
スコットの南極点探検の往路において、南緯80度を超えて寒さと餌となるマグサの不足から弱っていく馬を尻目に犬そりの犬の方はスコットが「犬は素晴らしいの一言につきる」と日記に書くほどの働きっぷりだった。
ベアドモア氷河を前にして猛吹雪のために4日間の滞在を余儀なくされ、本来は氷河に入ったところまで使う予定だった馬の餌が尽き、氷河の直前で残った馬5頭を射殺する。
このため、犬そり隊の任務が増し、馬そりの代わりに氷河の登口までそりを引き、そこで引き返した。
馬そりを担当していたのはミアズとドミトリーである。
帰路は犬の進みが予定外に悪くなり旅が長引いてしまったので食料がなくなり、担当の2人はフーパー山デポで各班の残りから少しずつ取った。
第一支援隊(上氷河デポで引き返した)のアトキンソン、チェリーガラード、ライト、コヘインがフーパー山デポに到着した時にそのことに気づき、1tデポでも同様だったらどうしようかと、以後空腹を我慢して食料を節約しながら旅を続けた。
果たして1tデポに到着すると、予定通り犬そり班の2人が食料を再補給したので喜んだという話。
なお、エヴァンス大尉らの最終帰還隊はフーパー山デポでの食料不足については何も語ってないし、基地に到着後は極点隊の行進は順調で易々と極点に到達するだろうと基地の仲間に語っている。

404:世界@名無史さん
22/03/12 20:53:13.69 0.net
Monday, March 12. – We did 6.9 miles yesterday, under our necessary average.
Things are left much the same, Oates not pulling much, and now with hands as well as feet pretty well useless.
We did 4 miles this morning in 4 hours 20min. – we may hope for 3 this afternoon, 7×6=42.
We shall be 47 miles from the depôt.
I doubt if we can possibly do it.
The surface remains awful, the cold intense, and our physical condition running down.
God help us!
Not a breath of favourable wind for more than a week, and apparently liable to head winds at any moment.

3月12日月曜日 – 私達は昨日6.9マイル(11km)進みました、私達に必要なアベレージを下回っています。
事態はほとんど同じままであり、オーツはあまり引っ張らず、今では手も足と同様にほとんど使えなくなっています。
今朝は4時間20分で4マイル進みました – 今日の午後は3マイルの望みがあるかもしれません、7(マイル)×6(日)=42(マイル)
私達はデポから47マイル(75.2km)の距離におります。
私達ができるかどうか疑問です。
雪面は恐ろしいままで、寒さは厳しく、私たちの健康状態は衰えています。
神よ私達を助けたまえ!
一週間以上有益な風の息吹がなく、見たところ今にも向かい風になりそうです。

405:世界@名無史さん
22/03/13 22:43:41.34 0.net
3月13日はスコットは日記を書きませんでした。

406:世界@名無史さん
22/03/14 21:30:27.00 0.net
Wednesday, March 14. – No doubt about the going downhill, but everything going wrong for us.
Yesterday we woke to a strong northerly wind with temp. -37°.
Couldn’t face it, so remained in camp till 2, then did 5¼ miles.
Wanted to march later, but party feeling the cold badly as the breeze (N.) never took off entirely, and as the sun sank the temp. fell.
Long time getting supper in dark.
This morning started with southerly breeze, set sail and passed another cairn at good speed; half-way, however, the wind shifted to W. by S. or W.S.W., blew through our wind clothes and into our mits.
Poor Wilson horribly cold, could not get off ski for some time.
Bowers and I practically made camp, and when we got into the tent at last we were all deadly cold.
Then temp. now midday down -43° and the wind strong.
We must go on, but now the making of every camp must be more difficult and dangerous.
It must be near the end, but a pretty merciful end.
Poor Oates got it again in the foot.
I shudder to think what it will be like tomorrow.
It is only with greatest pains rest of us keep off frostbites.
No idea there could be temperatures like this at this time of year with such winds.
Truly awful outside the tent.
Must fight it out to the last biscuit, but can’t reduce rations.
3月14日水曜日–下り坂であるのは疑いないが、すべてが私達にとって上手くいってない。
昨日、私達はマイナス37℃の強い北風で目が覚めた。
それに立ち向かうことができなかったので、2時までキャンプに留まり、それから5¼マイル(8.4km)進んだ。
もっと遅くまで行進したかったが、北からの風が去ることがなく、太陽が沈んで気温が下がったので、隊は酷く寒さを感じた。
暗い中で夕食を取るのに長い時間が掛かった。
今朝は南風で出発し、帆を張り、かなりの速度で別の雪塚を通過した;しかしながら、途中から風が南から西、または西南西に変わり、私達の防風着を吹き抜け手袋に入り込む。
可哀そうなウィルソンは酷く寒がって、しばらくの間スキーを脱ぐことができなかった。
バウワースと私でほとんどキャンプを作った、そして私達がようやくテントの中に入った時、私達は皆死ぬほど寒かった。
その後、今真昼で気温はマイナス43℃まで下がり、風が強い。
私達は前進しなければならないが、今は毎回キャンプを作るのがより難しく危険になるに違いない。
終わりが近づいているに違いないが、かなり慈悲深い終わり方。
可哀そうなオーツはまた足をやられた。
明日がどうなるのかと思うとぞっとする。
私達の残りが凍傷にならないでいるのは、ただただ最大限の骨折りをしているからだ。
一年のこの時期にそのような風を伴ってこのような気温になるとは思いもよらなかった。
テントの外は真に恐ろしい。
最後のビスケットまで戦わなくてはならない、しかし配給量を減らすわけにはいかない。

407:世界@名無史さん
22/03/15 19:25:31.90 0.net
>>396
三人死亡しているんだな
「消された男たち」を読んで出発前のドタバタに苛立ちを感じた
シャクルトンの指導力を少し見損なったわ

408:世界@名無史さん
22/03/15 23:30:13.26 0.net
3月15日もスコットは日記を書きませんでした。
事態が逼迫して厳しい環境下で書ける状況ではなかったのかもしれません。

409:世界@名無史さん
22/03/16 20:15:16.69 0.net
イギリスの英雄はアーネスト・シャクルトンではなくルイス・ハミルトン

410:世界@名無史さん
22/03/16 23:19:40.18 0.net
Friday, March 16 or Saturday 17. – Lost track of dates, but think the last correct.
Tragedy all along the line.
At lunch, the day before yesterday, poor Titus Oates said he couldn’t go on; he proposed we should leave him in his sleeping-bag.
That we could not do, and induced him to come on, on the afternoon march.
In spite of its awful nature for him he struggled on and we made a few miles.
At night he was worse and we knew the end had come.
Should this be found I want these facts recorded.
Oates’ last thoughts were of his Mother, but immediately before he took pride in thinking that his regiment would be pleased with the bold way in which he met his death.
We can testify to his bravery.
He has borne intense suffering for weeks without complaint, and to the very last was able and willing to discuss outside subjects.
He did not – would not – give up hope to the very end.
He was a brave soul.
This was the end.
He slept through the night before last, hoping not to wake; but he woke in the morning – yesterday.
It was blowing a blizzard.
He said, ‘I am just going outside and may be some time.’
He went out into the blizzard and we have not seen him since.
I take this opportunity of saying that we have stuck to our sick companions to the last.
In case of Edgar Evans, when absolutely out of food and he lay insensible, the safety of the remainder seemed to demand his abandonment, but Providence mercifully removed him at this critical moment.
He died a natural death, and we did not leave him till two hours after his death.
We knew that poor Oates was walking to his death, but though we tried to dissuade him, we knew it was the act of a brave man and an English gentleman.
We all hope to meet the end with a similar spirit, and assuredly the end is not far.
I can only write at lunch and then only occasionally.
The cold is intense, -40° at midday.
My companions are unendingly cheerful, but we are all on the verge of serious frostbites, and though we constantly talk of fetching through I don’t think any one of us believes it in his heart.
We are cold on the march now, and at all times except meals.
Yesterday we had to lay up for a blizzard and today we move dreadfully slowly.
We are at No.14 pony camp, only two pony marches from One Ton Depôt.
We leave here our theodolite, a camera, and Oates’ sleeping-bags.
Diaries, &c., and geological specimens carried at Wilson’s special request, will be found with us or on our sledge.

411:世界@名無史さん
22/03/16 23:29:03.75 0.net
3月16日金曜日または17日土曜日–日付が分からなくなったが、後の方が正しいと思う。
至る所が悲劇だ。
一昨日の昼食時に可哀そうなオーツはもう先に進めないと言った;彼は「私達が彼の寝袋の中に彼を放置すべきだ」と提案した。
それは私達にはできないので、午後の行進に参加するよう彼を説得した。
彼にとってその恐ろしい状況だったにもかかわらず、彼は戦い抜き、私達は数マイル行進した。
夜に彼はますます悪くなり、私達は終わりが来るだろうと知った。
もしこれが発見されたら、これらの事実を記録して欲しい。
オーツの最後の想いは母のことだったが、その直前に彼は、彼の連隊が彼の死を迎えた中での大胆な方法を喜んでくれるだろうという考えにプライドをかけていた。
私達は彼の勇敢さを証言することができる。
彼は不平を言わずに数週間も激しい苦痛に耐え、最後の最後まで余談を語り合うことができ、喜んで(語り合いを)してきた。
彼は終わり間際まで希望を捨てなかった - 捨てようとしなかた。
彼は勇者だった。
これが終わりだった。
彼は一昨日の夜眠っていた、目覚めないことを望みながら;しかし彼は朝に目覚めた - 昨日。
ブリザードが吹き荒れていた。
彼は言った、「ちょっと外に出てくる、しばらく掛かるかもしれない」。
彼はブリザードの中に出ていき、私達はそれ以来彼に会っていない。
この場を借りて言うが、私達は私達の病気の仲間を最後まで守ってきた。
エドガー・エヴァンズの場合は、食料が全くなく無意識で横たわっていた時、残された者の安全のためには彼の遺棄を要求しているように思われたが、天はこの危機的瞬間に彼を慈悲深く連れ去った。
彼は自然死であり、私たちは彼の死後2時間に至るまで彼のそばを離れなかった。
私達は可哀そうなオーツが死に向かって歩いているのを知っていた、しかし私達は彼を思いとどまらせようとしたけれども、私達はそれが勇敢な男、イギリス紳士の行為であることも知っていた。
私達は皆同じような精神で終わりを迎えたいと望んでおり、確実に終わりは遠くない。
私は昼食時だけ、それも本当に時折だけ書くことができる。
寒さは厳しく、正午に-40℃。
私の仲間は果てしなく快活だが、私達は皆深刻な凍傷の寸前、そして私達は常に魅力的な話をしているのだが、私は私達の誰もが彼らの本心からそれを信じているとは思わない。
私達は今行進中も寒く、そして食事を除く全ての時間で寒い。
昨日私達はブリザードの為に引き籠らざるを得ず、今日私達はものすごくゆっくりと移動している。
私達は、1トンデポからたった2ポニー行進のNo.14ポニーキャンプにいる。
私達はここに、私達の経緯儀、カメラ、オーツの寝袋を残す。
日記やその他、ウィルソンの特別な要望で運ばれた地質学的標本は、私達と共に、あるいは私達のソリの上で見つけることができるだろう。

412:世界@名無史さん
22/03/17 14:26:31.79 0.net
シャクルトンも南極横断探検の時にオーロラ号に乗っていたロス海支援隊で三人の犠牲者が出たと聞いた時はショックを受けていたけど
スコットも目の前で次々と隊員が死んでしまって相当悲痛だっただろうな

413:世界@名無史さん
22/03/17 21:19:51.78 0.net
Sacrifice Amid the Ice: Facing Facts on the Scott Expedition | History| Smithsonian Magazine
URLリンク(www.smithsonianmag.com)
これもそうだけどオーツや他の隊員視点の話がたくさん読めるサイトがあったら教えてほしいです

414:世界@名無史さん
22/03/17 22:11:07.79 0.net
>>413
まずはWikipedia
URLリンク(en.m.wikipedia.org)

415:世界@名無史さん
22/03/17 22:28:34.15 0.net
このサイトもいいね
URLリンク(www.coolantarctica.com)

416:世界@名無史さん
22/03/17 22:42:32.08 0.net
3月17日のスコットの日記が>>410

417:世界@名無史さん
22/03/17 23:59:55.72 0.net
オーツはもう目が覚めないよう願いながら一晩眠った。

苦しみにが限度に達してウィルソンに渡されたアヘンを飲んで寝たのだろうという説がある

418:世界@名無史さん
22/03/18 21:03:27.08 0.net
Sunday, March 18. – Today, lunch, we are 21 miles from the depôt.
Ill fortune presses, but better may come.
We have had more wind and drift from ahead yesterday; had to stop marching; wind N.W., force 4, temp. -35°.
No human being could face it, and we are worn out nearly.
My right foot has gone, nearly all the toes – two days ago I was proud possessor of best feet.
These are the steps of my downfall.
Like an ass I mixed a small spoonful of curry powder with my melted pemmican – it gave me violent indigestion.
I lay awake and in pain all night; woke and felt done on the march; foot went and I didn’t know it.
A very small measure of neglect and have a foot which is not pleasant to contemplate.
Bowers takes first place in condition, but there is not much to choose after all.
The others are still confident of getting through – or pretend to be – I don’t know!
We have the last half fill of oil in our primus and a very small quantity of spirit – this alone between us and thirst.
The wind is fair for the moment, and that is perhaps a fact to help.
The mileage would have seemed ridiculously small on our outward journey.
3月18日日曜日 – 今日、昼食、私たちはデポから21マイル(33.6km)にいる。
不運が押し寄せているが、より良くなるだろうか。
私達は昨日更に強い風があり前方に漂流した;行進をやめなければならなかった;北西風、風力4、気温-35℃。
それに直面できる人はいない、それに私達はほぼ精も根も尽きている。
私の右足はほぼ全てのつま先が行ってしまった - 二日前は最高の足の保有者であるのを誇っていたのに。
これらは私の転落の歩みである。
馬鹿の様に私はカレーパウダーの小匙一杯を溶かしたぺミカンに混ぜた - それは私に激しい消化不良をもたらせた。
私は夜通し苦痛の中で横になって目を覚ましていた;起き上がって行進中にもう駄目だと感じた;足が行ってしまったので分からなかった。
非常に些細な油断で考えるのも嫌な足になった。
バウワーズが健康状態では一位だが、結局のところ(誰が一位かを)選ぶ余地はあまりない。
他の人達は未だに切り抜けるのを確信している - あるいはそういうふりをしている - 私には分からない!
私達は私達のプリムスストーブに残り半分のオイル、それと極少量のエタノールを持っている - 私達と渇望との間にあるのはこれだけ。
風は今のところまずまずで、それはもしかすると救いの事実である。
走行距離は、私達の往路では馬鹿馬鹿しいほど短く感じられただろう。

419:世界@名無史さん
22/03/19 11:20:33.70 0.net
>>418 訂正
>I lay awake and in pain all night; woke and felt done on the march; foot went and I didn’t know it.
>A very small measure of neglect and have a foot which is not pleasant to contemplate.
>私は夜通し苦痛の中で横になって目を覚ましていた;起き上がって行進中にもう駄目だと感じた;足が行ってしまったので分からなかった。
>非常に些細な油断で考えるのも嫌な足になった。
私は夜通し苦痛の中で横になって目を覚ましていた;起き上がって行進中にもう駄目だと感じた;足が行ったが私はそれに気が付かなかった。
非常に些細な油断で考えるのも嫌な(考えるのが喜ばしくない)足になった。

420:世界@名無史さん
22/03/19 21:26:50.90 0.net
March 19. – Lunch.
We camped with difficulty last night and were dreadfully cold till after our supper of cold pemmican and biscuit and a half a pannikin of cocoa cooked over the spirit.
Then, contrary to expectation, we got warm and all slept well.
Today we started in the usual dragging manner.
Sledge dreadfully heavy.
We are 15½ miles from the depôt and ought to get there in three days.
What progress!
We have two days’ food but barely a day’s fuel.
All our feet are getting bad – Wilson’s best, my right foot worst, left alright.
There is no chance to nurse one’s feet till we can get hot food into us.
Amputation is the least I can hope for now, but will the trouble spread?
That is the serious question.
The weather doesn’t give us a chance – the wind from N. to N.W. and -40° temp. today.
3月19日 – 昼食。
私達は昨夜苦労してキャンプをし、冷たいペミカンとビスケットとエタノールで煮たココアの金属製の小コップ半分の我々の夕食後まで恐ろしく寒かった。
その後、予想に反して、私達は暖かくなり皆よく眠れた。
今日、私達はいつも通りの引き方で出発した。
そりは恐ろしく重い。
私達はデポから15½マイル(24.8km)で、3日でそこに到着するはずだ、
なんという(のろい)進み具合だ!
私達は二日分の食料を持っているが、燃料は僅か一日分。
私達の足は皆悪くなっている – ウィルソンが最も良く、私の右足が最も悪い、左足は大丈夫。
私達が温かい食べ物を食べられるまで足を看護するための機会はない。
切断は今のところ私が望みうる最小限だが、具合の悪さが広がるだろうか?
それは深刻な問題だ。
天候は我らに好機を与えず - 今日は北から北西への風、-40℃の気温。

421:世界@名無史さん
22/03/20 16:14:16.82 0.net
南極点のアムンセンのテント
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

422:世界@名無史さん
22/03/20 22:34:38.03 0.net
3月20日はスコットは日記を書きませんでした。
あるいは書けませんでした。

423:世界@名無史さん
22/03/21 06:05:05.68 0.net
>>421
上の写真はアムンゼン隊が撮影した物で、
下の写真はスコット隊が撮影した物かな?

424:世界@名無史さん
22/03/21 10:16:58.94 0.net
>>423
そうだね
アムンセン隊のは自分たちが張ったテントの上のノルウェー国旗への敬意を感じる写真だけど
スコット隊のはテントを取り囲んむ隊員らの無念さや失望がよく映されている写真になってる

425:世界@名無史さん
22/03/21 20:31:17.66 0.net
Wednesday, March 21. – Got within 11 miles of depôt Monday night; had to lay up all yesterday in severe blizzard.
Today forlorn hope, Wilson and Bowers going to depôt for fuel.
3月21日水曜日 – 月曜日の夜にデポから11マイル(17.6km)以内に到着; 昨日はずっとシビアな(=過酷な)ブリザードで引き籠っていなければなかなかった。
今日は儚い希望を抱き、ウィルソンとバウワーズが燃料のためデポに行く予定。

426:世界@名無史さん
22/03/22 16:29:33.72 0.net
なお小ネタとしては、>>421の写真に写ってるアムンゼン隊のテントは、緊急用に
用意されたテントで、日本製の羽二重で作られてたって話。
畳むと非常に小さくなるので緊急用として持ち込まれたんだが、使われなかったんで
不要な物とスコット宛の手紙を中に入れて南極点に残置された、って話。
元々は布地が白かったんだが、南極で白は目が痛いんで
持ってきてたインクで黒く染めたんだとか。

427:世界@名無史さん
22/03/22 21:43:32.86 0.net
3月22日もスコットは日記をつけてませんでした。
代わりに南極点到達の日の日記をUPします。

428:世界@名無史さん
22/03/22 21:44:32.24 0.net
Wednesday, January 17. – Camp 69. T. -22° at start. Night -21°.
1月17日水曜日–キャンプ69。出発時の気温-22°。 夜は-21°
The Pole.
極点
Yes, but under very different circumstances from those expected.
そうだ、だが期待していたものとは程遠い状況下だ。
We have had a horrible day – add to our disappointment a head wind 4 to 5, with a temperature -22°, and companions labouring on with cold feet and hands.
私達は酷い日を過ごした - 我々の失望に加え向かい風が風力4から5、気温 -22°、そして冷えた手足で働いている仲間。
We started at 7.30, none of us having slept much after the shock of our discovery.
私達は7.30に出発した、我々の発見のショックの後では我々の誰もがあまり眠れなかった。
We followed the Norwegian sledge tracks for some way; as far as we make out there are only two men.
私達はノルウェーのそりのわだちをどうにか追跡した;私達が理解する限り男は2人だけである。
In about three miles we passed two small cairns.
約3マイルの間に私達は2つの小さな雪塚を通過した。
Then the weather overcast, and the tracks being increasingly drifted up and obviously going too far to the west, we decided to make straight for the Pole according to our calculations.
その後天気は曇り、わだちはどんどん吹き積もっていき、明らかに西に行き過ぎたので、私達は我々の計算に従って極点へと直進することに決めた。
At 12.30 Evans had such cold hands we camped for lunch – an excellent ‘week-end one.’
12時30分にエヴァンスはとても手が冷たくなったので私達は昼食の為にキャンプをした - エクセレントな‘週末の一つ’。
We had marched 7.4miles. Lat. sight gave 89° 53' 37".
私達は7.4マイル行進した。緯度計は89度53分37秒を示した。
We started out and did 6½ miles due south.
私達は出発し、真南に6½マイル進んだ。
Tonight little Bowers is laying himself out to get sights in terrible difficult circumstances;the wind is blowing hard, T. -21°, and there is that curious damp, cold feeling in the air which chills one to the bone in no time.
今夜小柄なバウワーズは酷く難しい状況で視界を得るために横になっている;風が強く吹いている、気温-21°、その妙な湿度、直ぐに骨身に悪寒が染みこむ空気の冷たい感触がある。
We have been descending again, I think, but there looks to be a rise ahead; otherwise there is very little that is different from the awful monotony of past days.
私達は再び下降している、私は思う、しかし前方に登りがあるように見える;それ以外はここ数日のの恐ろしい単調さと異なっているのはほんの僅かだ。

429:世界@名無史さん
22/03/22 21:44:57.13 0.net
>>428 続き
Great God! this is an awful place and terrible enough for us to have laboured to it without the reward of priority.
偉大なる神よ! ここは恐ろしい場所だ、優先権の褒美もなくそれに苦心してきた我々にとってあまりにも恐ろしい。
Well, it is something to have got here, and the wind may be our friend tomorrow.
よろしい、ここに来たのは何か意味がある、そして風は明日我々の友達かもしれない。
We have had a fat Polar hoosh in spite of our chagrin, and feel comfortable inside - added a small stick of chocolate and the queer taste of a cigarette brought by Wilson.
私達は我々の悔しさにもかかわらず脂い極地のフーシュを食べ、(テントの)内で快適に感じる - チョコレートの小さなスティックとウィルソンに持ってこられたタバコのふらふらする味感を追加した。
Now for the run home and a desperate struggle.
さて次は基地に帰るのに死に物狂いの戦いだ。
I wonder if we can do it.
できるだろうか?

430:世界@名無史さん
22/03/23 10:03:51.23 0.net
>>426
そのアムンセンのテントだが、しばしばテントの中に残したもののリストに「スコット隊の為の食料」が挙げられてることがあるけど、アムンセン著の南極点やチェリガラード著の世界最悪の旅で当該箇所が書かれているウィルソンの日記にも、テントの中に残したもの残されてたものに食料はないんだよね。
アムンセンはイギリス隊は充分な食料を持ってきているだろうし、帰りに全滅するとも思ってなかったから、テントに食料を置く必要を感じてなかったのは当然だけどね。
アムンセンはスコット率いるイギリス隊の実力を相当買っていたし。
ただ、アムンセンの南極点には「いくら私がスコットやシャクルトンの本に学ぶことが多くても、それら英国隊が犬やスキーを軽視しているのには理解ができない」みたいなことが書かれていたと思った。
ちなみに南極点を書いた時点では、アムンセンはスコット隊が全滅していることを知らなかったし、生きているものと思っていた。

431:世界@名無史さん
22/03/23 21:31:23.33 0.net
Thursday, March 22 and 23. – Blizzard bad as ever – Wilson and Bowers unable to start – tomorrow last chance – no fuel and only one or two of food left – must be near the end. Have decided it shall be natural – we shall march for the depôt with or without our effects and die in our tracks.
3月22日&23日木曜日。–ブリザードが相変わらず酷い – ウィルソンとバウアーズは出発できない – 明日が最後のチャンス – 燃料はなく食料の一、二食分を残すのみ – 終わりが近いに違いない。それ(終わり)を自然にゆだねる決心をした - 私達は我々の所持品を持って、あるいは持たずにデポに向かって行進し、我々の走路にて死ぬだろう。

432:世界@名無史さん
22/03/23 23:08:20.58 0.net
>>430
俺のテントだったらスコット隊も全滅することは無かっただろうに
南無南無

433:世界@名無史さん
22/03/23 23:22:36.49 0.net
>>432
準備の重要性
URLリンク(mhcas.com)
人類初の南極点到達を競った二人、アムンセン(ノルウェー)とスコット(イギリス)。
この二人が対照的な結果に終わったことはよく知られています。
アムンセンはチームワークを重視し、スコットは上意下達型の組織で進めました。
特に、大きく異なったのは「準備」です。アムンセンは移動手段として犬ぞりのみを使いましたが、3回の遠征を行い、その間に衣類やテントなどの改良を行いました。一方、スコットは過去に犬ぞりで失敗していたので、動力そりなどの3種類の移動手段を準備しましたが、遠征訓練は1回にとどまりました。
帰りの物資の目印についても置き場所の1ヶ所にのみ目印を置くスコットに対し、アムンセンはたくさん旗を立てることで絶対に物資に到着できるようにしました。
このような徹底した準備の差が初の南極点到達と生死を分けることになったのです。
もちろん、スコットも準備はしましたが、想定する最悪の事態が甘かったり、ずれていたりしていたのです。
当時の南極探検と同様に不透明な先行きの中で進んでいかなければならない現代ビジネスの経営や営業においても、いかに徹底的な準備をし、最悪の事態を想定するか、が重要になっていると思います。
何が起こるか、何を求められているか、どれだけの資金が必要になるか。しっかりと起こりうる事態を想定する「想像力」と周到な準備を行う「準備力」が今、求められています。(ウメバヤシ)

434:世界@名無史さん
22/03/24 22:23:01.55 0.net
3月24日からしばらくスコットは日記を書いていません
次の日記は3月29日になります

435:世界@名無史さん
22/03/25 22:58:08.96 0.net
>>428の翌日のスコットの日記
Thursday morning, January 18. – Decided after summing up all observations that we were 3.5 miles away from the Pole – one mile beyond it and 3 to the right.
1月18日木曜日の朝 – 全ての観測の総括の後、私達は極点から3.5マイル(5.6km)離れていると判断した – 1マイル(1.6km)それ(極点)より向こうで右に3マイル(4.8km)。
More or less in this direction Bowers saw a cairn or tent.
この方向でおおよそバウワーズは雪塚やテントを見た。
We have just arrived at this tent, 2 miles from our camp, therefore about 1½ miles from the Pole.
私達はこのテントに到達したところだ、我々のキャンプから2マイル(3.2km)、従って極点から約1½マイル(800m)にある。
In the tent we find a record of five Norwegians having been here,as follows: Roald Amundsen Olav Olavson Bjaaland Hilmer Hanssen Sverre H. Hassel Oscar Wisting. 16 Dec. 1911.
テントの中で私達は5人のノルウェー人がここにいたという記録を見つけた、以下の通りである;Roald Amundsen Olav Olavson Bjaaland Hilmer Hanssen Sverre H. Hassel Oscar Wisting. 1911年12月16日。
The tent is fine – a small compact affair supported by a single bamboo.
テントは素晴らしい - 一本の竹によって支えられた小さくコンパクトなもの。
A note from Amundsen, which I keep, asks me to forward a letter to King Haakon!
私が保管しているアムンセンからのノートには、ホーコン王に手紙を届けることを私に頼んでいる!
The following articles have been left in the tent: 3 half bags of reindeer containing a miscellaneous assortment of mits and sleeping socks, very various in description, a sextant, a Norwegian artificial horizon and a hypsometer without boiling-point thermometers, a sextant and hypsometer of English make.
下記の品物がテントの中に残されていた:ミットの様々な種類と寝袋が包含されているトナカイのハーブバック3個、解説が非常に多彩、六分儀、ノルウェー製の人工水平器と沸点温度計のない湿度計、英国製の六分儀と沸点気圧計。
Left a note to say I had visited the tent with companions.
私は仲間と一緒にそのテントを訪ねた、と書いたノートを残した。
Bowers photographing and Wilson sketching.
バウワーズは写真を撮り、ウィルソンはスケッチをしている。
Since lunch we have marched 6.2 miles S.S.E. by compass (i.e. northwards).
昼食から私達はコンパスによって南南東に6.2マイル(9.9km)行進した(つまり北の方に)。
Sights at lunch gave us ½ to ¾ of a mile from the Pole, so we call it the Pole Camp. (Temp. Lunch -21°.)
昼食時の見解は我々に極点から½から¾マイル(800m~1.2km)という判断を下したので、そう私達はそれを極点キャンプと呼ぶ(昼食時の気温-21°)。

436:世界@名無史さん
22/03/25 22:59:06.53 0.net
>>435 続き
We built a cairn, put up our poor slighted Union Jack, and photographed ourselves - mighty cold work all of it – less than ½ a mile south we saw stuck up an old underrunner of a sledge.
私たちは雪塚を建て、我々の哀れできゃしゃなユニオンジャックを立てて、自分たちの写真を撮った - そのすべてが非常に冷たい仕事 - 南に半マイル足らずで、私達はそりの古いアンダーランナーが立ち往生しているのを見た。
This we commandeered as a yard for a floorcloth sail.
これを私達は床布帆の帆桁として徴用した。
I imagine it was intended to mark the exact spot of the Pole as near as the Norwegians could fix it. (Height 9500.)
私は、ノルウェー人が調整できる限りの極点の正確な地点を示すのを目指していたと察する。(高さ9500。)
A note attached talked of the tent as being 2 miles from the Pole.
貼り付けられていたノートには、テントは極点から2マイル(3.2km)の場所にあると書かれていた。
Wilson keeps the note.
ウィルソンがノートを預かる。
There is no doubt that our predecessors have made thoroughly sure of their mark and fully carried out their programme.
我々の先人が彼らの到達点を徹底的に確認し、彼らのプログラムを完全に成し遂げたことに疑いの余地はない。
I think the Pole is about 9500 feet in height; this is remarkable, considering that in Lat.
私は極点の標高は9500フィートだと考える;これは、その緯度を考慮すると注目に値する。
88° we were about 10,500.
88度では私達は約10,500フィートだった。
We carried the Union Jack about ¾ of a mile north with us and left it on a piece of stick as near as we could fix it.
私達はユニオンジャックを我々と共に北におおよそ1マイルの¾(1.2km)ほど運び、私達は調整できる限り竿の切れ端にそれを残した。
I fancy the Norwegians arrived at the pole on the 15th Dec. and left on the 17th, ahead of a date quoted by me in London as ideal, viz.
私はノルウェー人が12月15日に極点に到達し17日に去ったのだと思う、つまりロンドンで理想であると私が引用した日付よりも前である。

437:世界@名無史さん
22/03/25 23:00:50.57 0.net
>>435 自己レス
>We have just arrived at this tent, 2 miles from our camp, therefore about 1½ miles from the Pole.
>私達はこのテントに到達したところだ、我々のキャンプから2マイル(3.2km)、従って極点から約1½マイル(800m)にある。
私達はこのテントに到達したところだ、我々のキャンプから2マイル(3.2km)、従って極点から約1½マイル(2.4km)にある。

438:世界@名無史さん
22/03/26 21:31:41.39 0.net
アトキンソン博士の霜に噛まれた手、1911年(白黒写真)
URLリンク(images-cdn.bridgemanimages.com)

439:世界@名無史さん
22/03/27 21:37:36.55 0.net
南極で"完全に前代未聞"の高温、いつもより約40度高く
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

440:世界@名無史さん
22/03/28 16:07:12.39 0.net
>>438
アッチは、基地の近くでブリザードにまかれて
道に迷ったんだっけ?
実際、それが基地の近くだったとしても、酷いブリザードで道に迷った
なんて話は昭和基地でもあった訳でして(第4次隊)。

441:世界@名無史さん
22/03/29 23:00:19.29 0.net
Thursday, March 29. – Since the 21st we have had a continuous gale from W.S.W. and S.W.
We had fuel to make two cups of tea apiece and bare food for two days on the 20th.
Every day we have been ready to start for our depot 11 miles away, but outside the door of the tent it remains a scene of whirling drift.
I do not think we can hope for any better things now.
We shall stick it out to the end, but we are getting weaker, of course, and the end cannot be far.
It seems a pity, but I do not think I can write more.
R. Scott
Last Entry
For God’s sake look after our people.
3月29日木曜日– 21日からずっと西南西及び南西からの強風が続いてる。
私達は、20日には各自二杯分のお茶を沸かすための燃料とかつかつ二日分の食糧を持っていた。
毎日11マイル(17.6km)離れている我々のデポに出発する準備をしているが、テントの窓の外では渦巻く地吹雪の世界のまま。
私は今、私達が事態が好転することを望めるとは思わない。
私達は最後までやり遂げるつもりだが、勿論のこと衰弱してきており、終わりは遠くない。
残念なことのようだが、私はこれ以上書くことができないと思う。
R.スコット
最後の事項
後生だが我々の家族の面倒を見てください。

442:世界@名無史さん
22/03/30 10:51:22.26 0.net
>>440
アトキンソン博士は最初は馬そり班。
氷河に入ってからはエバンス大尉、ライト、ラッシリーと共に人力でそりを引き、上氷河デポでエバンス大尉らと離れてチェリーガラード等と一緒に引き返した。
凍傷がどこで起きたのかは不明(^_^;)
のちにこのアトキンソン博士がスコット隊を犬ぞりで迎えに行く時に出発が遅くなってしまった。
でもそのお陰で壊血病に犯されてたエバンス大尉を救うことができたのかもしれない。
問題はその後で、アトキンソン博士の代わりに誰を犬ぞり係りにするかすったもんだしてチェリーガラードを選んだんだけど、この時にガラードに伝えたアトキンソン博士の指示がガラードを1tデポから南に行くことが出来なかったら理由の一つとなってしまう。

443:世界@名無史さん
22/03/30 10:52:46.95 0.net
この時にガラードに伝えたアトキンソン博士の指示が、ガラードが1tデポから南に行くことが出来なかった理由の一つとなってしまう。

444:世界@名無史さん
22/03/30 16:10:39.13 0.net
アムンセン
「もしそれでスコットの死を救えるのなら、どんな名誉もお金も喜んで捨てます。」
(スコット隊が全滅したとの報を聞いて)

445:世界@名無史さん
22/03/30 16:15:31.64 0.net
>>441
あぁ、ついに最後の日が来たのか・・・
”最後の晩餐”に役に立ったのが、アムンゼン隊が残したテント
”ポールハイム”から持ってきたアルコールランプだったとかいう話。

446:世界@名無史さん
22/03/30 21:04:56.75 0.net
URLリンク(pbs.twimg.com)

447:世界@名無史さん
22/03/30 23:59:24.51 0.net
>>445
そのアムンセンから頂戴することになったアルコールランプに入れたのが
>>418の3/18の日記に書いてる
>We have the last half fill of oil in our primus and a very small quantity of spirit – this alone between us and thirst.
私達は私達のプリムスストーブに残り半分のオイル、それと極少量のエタノールを持っている - 私達と渇望との間にあるのはこれだけ。
(spiritは馬鹿正直にエタノールと訳すのではなくアルコールの方が通りが良かったかも?ちなみに蒸溜酒全般はスピリッツですね)
ですかね。
その日の夜もそのアルコールで沸かした小コップ半分のココアを夕食としてとっていますが、
アルコールを使い切らなかったのは正解でしたね。
それにしても、往復3,000㌔を氷河からは人力で進むことを選択したスコットの冒険(探検)魂は生粋の冒険家のアムンセンをある意味では上回ってますね。
やはり偉大な冒険家でしょう、スコットは。

448:世界@名無史さん
22/03/31 00:12:39.19 0.net
ちなみにスコットのルートは102年後の2014年に英国人探検家によって遂に初走破されました。
ベンサウンダース
「タルカと私は、1世紀前のスコット大佐とそのチームの忍耐力、粘り強さ、不屈の精神に対し畏怖と畏敬の念が入り混じった感情を抱きました。」
その記事がこちら
クッキーは無視すると良いです。
URLリンク(www.redbull.com)
無事生還した後の感想を読むと、アムンセンの
準備十年、成功五分。
という言葉の正しさが分かります。
探検家は皆そうなんでしょう。
スコットもデスカバリーからテラノバまでの準備期間は葛藤や悶絶もありながらも色々と楽しかったでしょうね。
ワクワク、というやつですね。

449:世界@名無史さん
22/03/31 00:14:20.84 0.net
>>448
>クッキーは無視すると良いです。
クッキーは
全て無視する
で大丈夫です

450:世界@名無史さん
22/04/01 00:07:49.90 0.net
極地探検家にはご馳走だったフーシュ
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

451:世界@名無史さん
22/04/06 15:02:31.37 0.net
登山家だと乾パンとコンビーフが携帯食の定番

452:世界@名無史さん
22/04/08 17:09:35.73 0.net
チェリーガラード
「犬ぞり班のわれわれは、ライトが一人で進路から逸れていくのに気づいた。そしてわれわれの前を行くラバ班も右手へ曲がっていった。ライトは雪塚らしいものを見つけ、それからその脇に黒いものを見つけたのだ。はてな、という漠然とした思いが、徐々に、さては、という強い不安に変わっていった。
みんなが停止しているところへわれわれは追いついた。ライトが近寄ってきて『テントだ』と知らせた。どうして彼にそれがわかったのか私には今も謎だ。荒涼とした雪原があるきりだったのだ。われわれの右手に前年の雪塚の名残りがあった。ちょっと盛り上がっているだけだった。それから竹竿が3フィート、ぽつんと雪の上に突き出ていた。それから、もう一つ雪の盛り上がりがあった。こちらはいくらか尖った形をしていたかもしれない。われわれはそこへ近づいた。
(以下略)」
こうして1tデボから20キロ南でスコット隊の最終野営テントが発見される。
ガラードが強い不安に変わったのは、スコット隊がそんなに近くに帰ってきていたのなら、救出のためにもっと何かできたのではないか、という自責の念からとされる。
捜索隊はもっと南でスコット隊は亡くなったと推測していて、氷河の頂上まで捜索する準備をしていた。

453:世界@名無史さん
22/04/13 17:46:05.42 0.net
1ドル126円台突入で20年ぶりの円安水準となったが、20年前と大きく違うのは原油や石炭や小麦などの価格が供給不足で世界的に高騰していること。
日本はそれらを輸入に頼らざるを得ないのだが、ドル決済だから買えば買うほど更に円安になっていく。
ドル決済なので円を売ってドルに替える必要があるから。
この供給不足の中で俺らはどうすればいいのか?
乾パンと原油の供給が少ない中でも戦わないといけない、されど食料と燃料を節約することはできない。

454:世界@名無史さん
22/04/13 22:09:54 0.net
円安と物価高は安倍チョンの目論んだ景気対策

455:世界@名無史さん
22/04/14 22:47:01.48 0.net
アムンセン隊もスコット隊も極点に達した時の写真とか見ると髭を生やしてないけど探検中どうやって髭を剃ってたの?
一歩間違えて顔に傷付けたら水兵エバンスの手のように凍傷になる恐れがない?

456:世界@名無史さん
22/04/16 02:10:26.97 0.net
う~ん、マンダム

457:世界@名無史さん
22/04/23 02:17:09.76 0.net
>>454
円安でインフレにすれば年金支払額も国の借金も実質的に希薄化できるしね

458:世界@名無史さん
22/04/24 21:23:36.35 0.net
本田勝一の「アムンセンとスコット」夢中になって読んでたが、
スコット隊の帰還と遭難のところに差し掛かると苦しくなって読めんわ。
あの方々の魂の安らぎを祈ることしかできん。

459:世界@名無史さん
22/04/25 13:41:52.09 0.net
NASAが南極で発見した四角い氷床。信じられないかもしれないが、これは自然発生したものである。
URLリンク(twitter.com)
(deleted an unsolicited ad)

460:世界@名無史さん
22/04/25 23:24:08.85 0.net
スコットは最初のディスカバリー号の探検からの帰国後に既に国民的英雄になっていたけど、テラノバ遠征での悲劇が伝わってからはその不屈の精神などからイギリス人の象徴にまで成ったよ。
スコットを讃える記念碑や彫像があちこちに建てられ、遺書となった国民への手紙は確かイギリスの国語か倫理かの教科書にも取り入れられ、スコットの最後の日記でのラストエントリーによってスコット隊の遺族へは多額の寄付金が集まり、WWⅡの後に公開された映画「南極のスコット」は大ヒットした。
こうしたスコットの名声は1950年代までは続いていた。
その後、スコットはリーダーとしてダメダメ論が色んな作者によって書かれて、heroic bungler(英雄的にヘマばかりする人)とまで呼ばれた。
今世紀になって新たな文献などが見つかり、歴史家による汚名返上名誉挽回中。

461:世界@名無史さん
22/04/26 23:39:55.52 0.net
南極観測隊『それでも樺太犬はウマい!』

462:世界@名無史さん
22/04/28 00:07:18.24 0.net
My Dear Mrs. Wilson.
If this letter reaches you, Bill and I will have gone out together.
We are very near it now and I should like you to know how splendid he was at the end - everlastingly cheerful and ready to sacrifice himself for others, never a word of blame to me for leading him into this mess.
He is not suffering, luckily, at least only minor discomforts.
His eyes have a comfortable blue look of hope and his mind is peaceful with the satisfaction of his faith in regarding himself as part of the great scheme of the Almighty.
I can do no more to comfort you than to tell you that he died as he lived, a brave, true man - the best of comrades and staunchest of friends.
My whole heart goes out to you in pity. Yours,
R. Scott.

E・A・ウィルソン夫人へ
親愛なるウィルソン夫人へ。
この手紙があなたに届けば、ビルと私は一緒に旅立っているでしょう。
今まさにその寸前で、最後の彼の素晴らしさを知っていただきたいと思います - いつまでも明るく、他人のために自分を犠牲にする覚悟があり、彼をこの混乱に導いた私を一言も責めることはありません。
幸いなことに、彼は苦しんでおらず、少なくとも小さな不調があるだけです。
彼の目は希望に満ちた心地よい青色をしており、彼の心は彼自身を神の偉大な計画の一部とみなす彼の信仰の満足感で安らいでいます。
私は、彼が生きたまま死んだこと、勇敢で真の男であったことをお伝えする以外に、あなたを慰めることはできません - 最高の仲間であり、最も忠実な友人でした。
私の心はすべて、あなたに同情しています。敬具
R. スコット

463:世界@名無史さん
22/04/28 00:14:22.57 0.net
MY DEAR MRS. BOWERS,
I am afraid this will reach you after one of the heaviest blows of your life.
I write when we are very near the end of our journey, and I am finishing it in company with two gallant, noble gentlemen.
One of these is your son.
He had come to be one of my closest and soundest friends, and I appreciate his wonderful upright nature, his ability and energy.
As the troubles have thickened his dauntless spirit ever shone brighter and he has remained cheerful, hopeful, and indomitable to the end.
The ways of Providence are inscrutable, but there must be some reason why such a young, vigorous and promising life is taken.
My whole heart goes out in pity for you.
Yours,
R. SCOTT.
親愛なるバウワーズの母へ
これはあなたの人生で最も重い一撃の後にあなたに届くものと恐縮に思っています。
私は私達の旅の終わりに近づいている時に書いています、私は二人の勇敢で高貴な紳士と一緒に旅を終えています。
一人はあなたのご子息です。
彼は私の最も親密で高潔な友人の一人であり、私は彼の素晴らしい直情的な性格、能力、エネルギーを高く評価しています。
困難が大きくなるにつれ、彼の勇敢な精神はますます輝きを増し、最後まで明るく、希望に満ち、不屈の精神であり続けました。
天(節理)の道は不可解ですが、このように若く、活気に満ち、将来性のある生命が奪われるのは、何か理由があるのでしょう。
私の心は、あなたのことを哀れんでいます。
敬具
R. SCOTT.


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