南極大陸の歴史at WHIS
南極大陸の歴史 - 暇つぶし2ch274:世界@名無史さん
22/01/19 01:14:04.01 0.net
アムンセンの極点付近到達時における測定経過は次のようなものである[38]。
1911年12月
14日15時 - ソリに付けた距離計が南極点到達と推定される数値を示し、進行を停止。ここで野営する。
15日
0時 - 太陽による天測の結果、現在地は南緯89度56分との結果が出る。
6~19時 - 1時間ごとに太陽による天測の結果、南緯89度54分30秒との結果が出る。
16日
11時 - 野営地から10キロメートル程離れた真の極点と推測される位置へ移動し到着。
11時30分~12月17日正午 - 隊員たちが6時間交代で天測。今ある計器類で測定できる限りにおいて極点と断定。念の為、そこから3方向に7km往復する。
帰国後、極点と断定した測定値を天文学者と数学者に委託。その結果、実際には南緯89度58分05秒、東経60度だったことが判明した。そこから3方向に往復した結果、計算による本当の南極点を200~300メートル以内の近さで通過したと見られている[38]。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
ここには書いてないが15日の1時間毎の天測はアムンセン他1人で行い、その間に他の3人はそこから既に来た道を除く3方向に20km徒歩で往復して半径20km以内に真の南極点はあると地固めをしている。
さて、アムンセンがここが天測点で観測できる南極点の限界とした南緯89度58分05秒だが、真の南極点からは2.3km離れていることになる。
アムンセンは南極点を去る時にその場所にテントを張ってポールハイムと名付けたが現代はアムンセンのテントはそこから更に2~3kmほど移動して17メートルの雪の下に埋もれていると推測されている。
なお、スコット隊はボールハイムを目撃し中にノルウェー国王宛のの手紙とスコット大佐宛の手紙があるのを確認しそれらの手紙を持ち帰った。
URLリンク(i.imgur.com)


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