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ところが不幸にも犬に苦痛を与えるのを避けるのは容易ではない。南進旅行で犬が次第に減っていき、最後に皆無になった経験の中で、この事は犬を殺すよりも我々の心に重くのしかかってきた。われわれは先に挙げた2つの方法を組み合わせた方式を取った。衰えたものを犠牲にし、強いものが生き残れるようにした。しかし状況の厳しさのために結局一匹も残らなかった。
われわれの場合は例外的に悲しい結果になったのかもしれない。しかしそういう非情な方式で犬を使うことに対しては抜きがたい嫌悪感がわれわれに生まれた。犬がいたから人力だけだった場合よりも遠くまで行けたことはわれわれにもわかった。しかし(私、ウィルソン、シャクルトンの)三人とも、二度とこういうことを繰り返そうという気にはならないだろうと思った。そして翌年の旅で人力だけでそりを引いた時、前年のような恐ろしいことをしないで良いと思うと、言葉に言えないほど気持ちが楽だった。
苦痛を与えたり知らせたりせずに犬を働かせるというのは空言だ。問題は苦痛や死があっても、得られることが大きければそれを正当化できるかどうかだ。理論的にはできるかもしれない。しかし必要だからと言ってそういう汚れた手段をとる事は成功の栄誉を大きく減じるだろう。また人だけで行進して、困難や危機を努力で克服し、長時間の肉体労働によって大きな未知の解明に寄与したときほどには、素晴らしい気持ちにならないだろう。
ロバート・スコット(ディスカバリー号での南極探検を振り返って)