21/02/06 10:16:16.14 0.net
白瀬矗の生涯と南極探検
URLリンク(shirasenobu.com)
■南極へ上陸
明治45年1月12日開南丸は鯨湾に到達し、16日にアムンセンの帰還を待つ「フラム号」に遭遇しております。
アムンセンは前年の12月14日、人類初の極点到達に成功し、帰途に就いていました。
17日に野村船長と三宅隊員が「フラム号」を表敬訪問。この日スコット隊(5人)が極点に到達しますが、極点にはノルウェーの国旗が翻っていました。
スコット隊にとって失意と落胆の極点到達でした。そして帰路全員が遭難死するという最悪の旅となったのです。
フラム号を訪問した野村船長と三宅幸彦隊員は堅牢な船体、整った設備を見てびっくりして帰ってきます。
翌18日、「フラム号」のニールセン船長と士官が答礼に「開南丸」を訪れますが、あまりにも小さく貧弱なのに驚いています。
一方は「フラム号」の優秀さに驚き、一方は「開南丸」の貧弱さに驚くという皮肉な双方の訪問でありました。
そしてニールセン船長は「こんな小さな船で、よくここまでやってこられたものだ、自分たちは南極どころか途中までさえおぼつかなかったろう」と開南丸の勇気と優れた航海術に賞賛の言葉を送っています。
(以下略)
■ アムンセンとの会見
昭和2年6月、報知新聞社の招きでアムンセンが来日し、白瀬と会見しますが、貧困のどん底の白瀬は、洗いざらしの浴衣(ゆかた)にその日やっと手に入れた夏羽織の姿だったといいます。
正に「赤貧洗うが如し」でありました。
アムンセンは「おお開南丸 開南丸」と手を差しのべましたが、白瀬の目にはうっすらと涙が浮かんでいました。
当時の心境を
「恵まれぬ 我が日の本の探検家、パンを求めて処々転々」
と白瀬は詠んでいます。
(以下略)