21/02/01 09:34:51.59 0.net
3月16日・金曜、あるいは17日・土曜。日付が分からなくなったが、あとのが正しいと思う。
いたるところ悲劇だ。一昨日の昼食の時、かわいそうにタイタス・オーツがもう歩けないと言ってきた。
寝袋に入ったまま置き去りにしてほしいと言うのだ。それはできない相談で、我々は午後の行進もついてくるように勧めた。
彼にとっては大変だったろうが頑張り続け、我々は数マイル進んだ。夜、彼は一段と悪化し、我々もいよいよ最後だと悟った。
この日記が発見される場合を考え、次の事実を記録しておきたい。オーツの最後の思いは母堂の上にあった。しかしその直前までは自分が自若として死を迎えた様子に自分の連隊は満足するだろうと誇らしく考えていた。
我々は彼の勇敢を証言することができる。彼は極度の苦痛を一言の弱音も履かずに数週間に渡って耐えてきた。そして最後の際(きわ)までほかの話題を談じ合う余裕を持ち、また進んでそれをしていた。
彼は本当に最後まで諦めたかった―諦めようとしなかった。勇者であった。
彼の最後は次のようであった。一昨日、もう目が覚めないよう願いながら彼は一晩眠った(※)。しかし朝になると目が覚めた―昨日の朝である。
ブリザードになっていた。『ちょっと外へ行ってくる。しばらくかかるかもしれない』そう言って彼はブリザードの中へ出ていった。それきり我々は彼の姿を見なくなる。
オーツが死を求めて外へ出ようとしているのは我々には分かった。そして彼を思い留まらせようとしながらも、彼の行為が勇者の、そしてイギリス紳士の行為であることを承知していた。
残る我々も同じ気概を持って最期に臨みたいと思っており、その最期も決して遠くはない。
(スコットの日記)
※シーバーは、苦しみが限度に達してオーツはアヘンを飲んだと解している。
(3月11日、スコットは科学者であり医師であるウィルソンに命じて、各人に「苦しみを終わらせる」ものを配給させた。ウィルソン以外の3人はアヘンを30錠もらい、ウィルソンは残ったモルヒネを取った。「我々の物語の悲しい一面だ」とスコットは書いている)