なぜ神聖ローマ帝国をフランスは併合しなかったのかat WHIS
なぜ神聖ローマ帝国をフランスは併合しなかったのか - 暇つぶし2ch300:世界@名無史さん
20/08/05 22:20:51.38 0.net
カール5世は故郷ブルゴーニュの豪華な風習を、スペインの宮廷に持ち込んだ
そのためカトリック両王時代の質実剛健な気風になじんでいたスペインの
貴族たちは、ブルゴーニュ的な華やかさを贅沢だと感じ、
なかなか受け入れることができなかった

301:世界@名無史さん
20/08/06 07:16:19 0.net
>>295
発音はそうだが、文章を読み比べてみるといい

単語のつづりも語順も、あまり変わらない

302:世界@名無史さん
20/08/06 07:18:41 0.net
中国語もそうだ

長年の民族大移動にもかかわらず、漢文の書き言葉は維持された

でも異民族なので、発音が古代とは大きく異なる

303:世界@名無史さん
20/08/06 07:19:49 0.net
フランス国王が神聖ローマ帝国の皇帝選挙に立候補したことは
あっただろう?

304:世界@名無史さん
20/08/06 07:22:11 0.net
フランス語は、書き言葉(エクリチュール)と話し言葉(パロール)が大きく乖離している

20世紀のフランスから世界に広がった「言語哲学」では、ここに強くこだわっているのだが、日本人にはピンと来ない

305:世界@名無史さん
20/08/06 08:38:31 0.net
神聖ローマ帝国の皇帝は東フランクの男系が絶えた後の女系の子孫だろ

306:世界@名無史さん
20/08/06 09:31:43.19 0.net
神聖ローマ帝国では、16世紀になっても、他のヨーロッパの国では常識となった
長子相続制が存在せず、ゲルマン法に由来する分割相続制が実施されていた
おかげで諸港の死後、領土は相続者の間で分割され、あたかも鼠算式に
領邦国家の数がどんどん増えていく結果となった。
一方でこのおびただしい増加に対する防禦策も考え出された。
相続者が途絶えると近親諸侯によって相続併合したり、近隣のより強力な
領邦国家に合併するという方法である。
やっぱりドイツは英仏に比べて遅れていたといって差し支えないんじゃね?

307:世界@名無史さん
20/08/06 10:56:40.50 0.net
>>303
>やっぱりドイツは英仏に比べて遅れていたといって差し支えないんじゃね?
そりゃそうだ
19世紀まで英仏に比べて後進国だったのは、自他ともに認めている。
まあ、日本ほど国民所得が低くはなかっあが。

308:世界@名無史さん
20/08/06 11:14:39.93 0.net
やはりフランス(ガリア)と較べてドイツ(ゲルマニア)は遅くまで森が切り開かれなかったのがデカいか

309:世界@名無史さん
20/08/06 14:14:23.68 0.net
>>303
いや僕はそう思わない
ドイツはサリカ法を厳格に守った結果そうなっただけだよ

310:世界@名無史さん
20/08/06 14:35:24.36 0.net
ドイツにとって栄光の時代は中世なのかな
シュタウフェン朝では、ドイツのみならずブルグントとイタリアを支配するという
神聖ローマ皇帝の権利要求がもっとも実質的に満たされた
フリードリヒ2世はシチリアも支配していたし

311:世界@名無史さん
20/08/06 16:46:54 0.net
>>307
18世紀~19世紀でしょうね

312:世界@名無史さん
20/08/06 16:54:32 0.net
ナポレオンに勝った頃だな

313:世界@名無史さん
20/08/06 17:25:21.69 0.net
>>307
>フリードリヒ2世はシチリアも支配していたし
逆だ
シチリア王フェデリーコが「皇帝フリードリヒ2世」と称してドイツを支配したのだ
(失敗したけど)

314:世界@名無史さん
20/08/06 17:26:57.81 0.net
>>309
欧州列強の一角を占めるに至った新興国のプロイセンにとって、ナポレオンのフランス軍に占領されたのは挫折
最終的には、ナポレオン打倒の原動力になったが

315:世界@名無史さん
20/08/06 17:59:53.26 0.net
天才ナポレオンに凡人が勝つにはと言う事で参謀本部の設立等近代軍制を確立している

316:世界@名無史さん
20/08/06 18:32:53 0.net
>>1
シャルル・ダンジューは、シチリアを手に入れたあと、
甥のフランス王フィリップ3世を神聖ローマ皇帝位につけようとした
いわば神聖ローマ帝国理念の拡大フランス版

317:世界@名無史さん
20/08/06 18:46:23 0.net
>>313
最終目標はビザンチン帝国の征服だったと言われている

318:世界@名無史さん
20/08/06 20:28:25.91 0.net
>>303
16世紀はアウグスブルクのフッガー家が欧州の金融支配してたし遅れてないよ

319:世界@名無史さん
20/08/06 20:33:57.88 0.net
>>304
ライン川沿いは産業革命がはやかったよ
だから統一ドイツが圧倒的に大国になったのはそういったところだな
URLリンク(en.wikipedia.org)(PPP)_in_the_nineteenth_century
1890年比較だとドイツのがフランスよりGDPが上

320:世界@名無史さん
20/08/06 20:58:11.46 0.net
歴史統計の本だとフランスとドイツの一人当たりGDPは中世から現代までほとんど変わらない
1870年の統一時だとフランスとドイツの人口はほぼ同じでGDPもほぼ同じ
ドイツはその後の領土拡張と人口増で第一次大戦前だとGDPがフランスの1.6倍、イギリスをわずかに上まってる
ただイギリスの一人当たりGDPはドイツとフランスの1.4倍はある
第二次大戦前だとフランスが簡単に落ちたのもわかる
URLリンク(www.quora.com)

321:世界@名無史さん
20/08/07 05:28:54 0.net
神聖ローマ皇帝は、ドイツ国王よりも「ヨーロッパの君主」として
みられるべき存在だった
そして、豊かな北イタリアの諸都市国家を制し、さらには地中海交易の要に位置する
シチリアを支配下におさめようとするのは、ヨーロッパ的君主の権力政策として、
むしろ当然のことだった

322:世界@名無史さん
20/08/07 06:02:16.82 0.net
そりゃ自称ローマの皇帝だからな

323:世界@名無史さん
20/08/07 07:42:56.52 0.net
シャルル・ダンジューも、シチリアを含むイタリアを中心に、
東ローマと聖地までも射程におさめた普遍的キリスト教的地中海帝国の
夢を抱いていたわけだし
中世人の発想としては別に特異なものではないだろう

324:世界@名無史さん
20/08/07 07:45:45.45 0.net
神聖ローマ皇帝のイタリア政策は、皇帝の意図とは別に、続く時代のための
発展の種をまいたところもある
「ゲルフ」「ギベリン」がせめぎあった北イタリア諸都市のその後の
合従連衡の中から、「勢力均衡」という政治の論理が生み出されてくるのである
それはやがて成長途上の主権的諸国家をとらえ、全ヨーロッパで国際政治を
律する原理となってゆく

325:世界@名無史さん
20/08/07 09:36:46.39 0.net
神聖ローマ帝国がフランスをつぶす最大のチャンスっていつ頃?

326:世界@名無史さん
20/08/07 12:50:21 0.net
>>322
カール5世の時代じゃないかな

327:世界@名無史さん
20/08/07 14:41:46.35 0.net
オットー1世はじめ、中世の神聖ローマ皇帝たちは、自分のことを
「ドイツ人」ではなく「ローマ人」、あるいは「キリスト教徒」と
考えていたんだろうな
だから彼らがドイツの利益を考えて行動しなかったという非難は筋違い

328:世界@名無史さん
20/08/07 16:40:56 0.net
中世ローマ帝国というと一般的に現在のドイツ、イタリア、ブルグンドから成る訳だがそれぞれが今のように国民国家的な枠組みがあったのではないからドイツ全体の利害という考え方はまずないだろう
ただ一つ、イタリアに対してはアルプスの向こうの異なった言語を話す地域という認識はあっただろうと思う

329:世界@名無史さん
20/08/07 16:59:49.92 0.net
国民国家と言う概念そのものが神聖ローマ帝国を解体させたウェストファリア条約によるものだからな

330:世界@名無史さん
20/08/07 17:30:47.57 0.net
上流階級は国を越えたサークル作ってたからね
庶民も含めた一つの国民という意識はないでしょ

331:世界@名無史さん
20/08/07 17:35:06.01 0.net
国や領邦は大貴族の所有物で
欧州上流階級クラブの戦略ゲームみたいなもん

332:世界@名無史さん
20/08/07 18:41:06.34 0.net
オットー大帝はドイツ全体のことよりもザクセン部族の利害は常に考えていたと思うわ

333:世界@名無史さん
20/08/07 19:09:52.60 0.net
主権国家の理念は、自らより上位の存在を認めない
したがって、主権国家体制が確立した時点で、ローマ教皇や神聖ローマ皇帝は
不要のものとなっていたのかもしれない

334:世界@名無史さん
20/08/07 22:43:11.93 0.net
ドイツにとって最も幸福だった時代は18世紀かも
「詩人と思想家の国」としてヨーロッパ中から愛された

335:世界@名無史さん
20/08/08 20:03:58 0.net
阿部謹也氏は、神聖ローマ皇帝のイタリア政策は周囲の勢力との関係を
維持するために必要な政策だったのであり、帝冠を求めず、イタリア遠征をも
行わなかったら、ドイツ王権を維持することもできなかったであろうと書いている

ドイツ国王の権威・権力はそれほどまでに脆弱なものだったのか?

336:世界@名無史さん
20/08/08 23:45:55.62 0.net
>>331
オーストリアとプロイセンの2大国が対立し、周囲の国々も戦場になって大変だった

337:世界@名無史さん
20/08/08 23:58:46.36 0.net
ヨーロッパの王族とか上流階級って昔からコスモポリタン的な考え方を
持つ人が多かった?

338:世界@名無史さん
20/08/09 00:00:46.42 0.net
>>332
>ドイツ国王の権威・権力はそれほどまでに脆弱なものだったのか?
非常に脆弱だった
神聖ローマ帝国の開祖オットー大帝にしてからが、弟に反乱されて滅亡寸前まで追い込まれ、息子にも反乱されて、また滅亡寸前まで追い込まれた
諸侯は「勝ち馬に乗る」主義なので、負けそうになったら一斉に離れていく。
宗教的な権威なしでは、とても抑えきれるものではない

339:世界@名無史さん
20/08/09 04:57:05 0.net
>>335
じゃあやっぱりドイツは分裂する運命だったんじゃないのか

340:世界@名無史さん
20/08/09 05:04:21 0.net
ハインリヒ4世が「カノッサの屈辱」をあえて耐え忍んで教皇に破門を
解いてもらったのは、さもなくば諸侯の離反が避けられなかったから

341:世界@名無史さん
20/08/09 15:00:22 0.net
ドイツ国王の地位を守るためにはローマに行って教皇に戴冠してもらうことが必要
しかしイタリア遠征には諸侯の協力が必要
もう最初から詰んでる

342:世界@名無史さん
20/08/09 15:56:36.03 0.net
そもそも中世にはドイツ国やドイツ人という概念は皆無だったんだわ
ヨーロッパの中央に位置するゲルマン諸部族の間から選挙で選ばれた王がローマにいる教皇から戴冠されてそれがローマ皇帝呼ばれただけ
その王もローマ王もしくは東フランク王と呼ばれた人たちで公文書では「ドイツ王」と書かれたこともあったが、rex teutonicorum すなわちそれは「民衆から選ばれた王」という意味であった
「ドイツ」の語源は民衆

343:世界@名無史さん
20/08/09 16:56:13.54 0.net
中世においては、国王の対外政策のゴールは、ローマ皇帝を継承して
キリスト教世界の盟主となり、普遍帝国を打ち立てることだったが、
現代人にはこの感覚がなかなかわかりにくい

344:世界@名無史さん
20/08/09 18:20:42.91 0.net
理解できないのは非キリスト教圈の日本人だからだろ

345:世界@名無史さん
20/08/10 05:39:56.75 0.net
カール5世がシュマルカルデン戦争にスペイン軍を動員したこと、またそのスペイン軍を
ドイツに留めたことは、カトリック派を含めてドイツ諸侯を皇帝から離反させた
その上、カール5世が息子でスペインの継承者フェリペを、フェルディナントの後の
皇位継承者にしてスペインとドイツの再結合をはかったことが、ドイツ諸侯を決定的に
離反させた
彼らにとってそれは「スペインへの隷属」を意味したのであり、彼らは「ドイツの自由」
の名のもとに皇帝に抵抗する
そして1552年にはその抵抗が戦争にさえなり、皇帝はドイツ諸侯軍に敗れてイタリアに
敗走する憂き目に遭う

346:世界@名無史さん
20/08/10 06:16:53.27 0.net
フリードリヒ2世、カール5世はホーエンシュタウフェン、ハプスブルクといったローマ皇帝の王朝の血を受け継ぐ者というだけで彼らにはドイツ人という意識は皆無だったからな

347:世界@名無史さん
20/08/10 07:55:04.60 0.net
中世は、交通事情が悪いし、通信技術も未発達だから、シュタウフェン家の
大帝国のような、ドイツからシチリアまで至る広大な帝国を統治すること自体が
無理だったんじゃないかな
むしろ小規模でコンパクトにまとまった国土を持つ国のほうがやりやすかった

348:世界@名無史さん
20/08/10 09:01:35.97 0.net
フリードリヒもカールも本拠地はシチリア島やスペイン(ネーデルランドという説もある)であって、ドイツに関しては息子(フリードリヒの長子ハインリヒ(7世))や弟(カールの弟フェルディナント1世)のローマ王に全てを委ねていたようだ

349:世界@名無史さん
20/08/10 11:10:07.43 0.net
スペイン軍といっても中身はドイツ人傭兵でしょ

350:世界@名無史さん
20/08/10 11:24:40.88 0.net
一応調べたらナポリやハンガリーの兵も動員してたみたいだな
スペインの兵は基本現地兵雇うから国際色豊かなんだよね
カールはベルギー生まれの帝国の人間だったがフェリペはスペイン育ちで全然違うし
継承問題では弟を怒らせたのがまずかった
戦争に勝って調子に乗り過ぎた
フェリペ以外にもう一人息子がいてネーデルラント継承できればよかったんだけどね
フェリペが外国事情にうとかったのもネーデルラント反乱の原因でもあるからな
ちなみにカールの娘とフランソワ1世の次子シャルルを結婚させてネーデルランントを継承させるという案もあった
もちろんフランスとの合同は禁止な前提で、シャルルが死んで流れたけど

351:世界@名無史さん
20/08/10 11:50:49.78 0.net
あとカール5世は逃げた先は精確に言うとイタリアじゃなくてイタリアに近いvillachってところ
その後すぐロレーヌのメッツ攻略に参加してる
カール5世にとってスペインは本拠地だけどスペイン語ヘタクソで外人扱いされてたから
人としてはスぺイン人ではない
58年の人生でスペインにいたのは18年、帝国にいたのはネーデルラントとドイツ足して35年だから
ドイツ諸侯から外人扱いはされていない、息子のフェリペは100%外人だから継承問題で反発された
弟のフェルディナントはスペイン育ちだが、16歳からは死ぬまで45年間帝国ですごして性格も穏和なんでドイツ諸侯とはうまくやってた

352:世界@名無史さん
20/08/10 15:59:50.50 0.net
ドイツの旧教新教の争いはほぼカールのせいだったと思うよ
フェルディナントだったらもうちょっ上手く立ち回っていたんじゃない?
どうもカール5世って安倍晋三みたいなことをやってたように思うよ

353:世界@名無史さん
20/08/10 16:58:37.17 0.net
カール5世はヴォルムスの国会の後ドイツを去り、10年間もドイツを留守にしていた
その間皇帝代理をつとめたのはフェルディナントだが、オスマン帝国の脅威にさらされ、
ルターの処置にまともに取り組むような状況ではなかった

354:世界@名無史さん
20/08/10 17:35:43.02 0.net
ポーランドみたいに新旧共存でいくしかなかっただろうね
スペインからイエズス会とか持ちこむからめんどくさくなる
スペインの継承でカール5世は強力になった反面帝国は余計混乱したと思う
外国継承できるならイギリスがよかったな

355:世界@名無史さん
20/08/10 17:55:22.09 0.net
>>349
カール5世と安倍首相の共通点について詳しくお願いします。

356:世界@名無史さん
20/08/10 18:35:09 0.net
横からだけど漠然と保守的なところだけ似てるな
性格は全く似てない

357:世界@名無史さん
20/08/10 19:00:18 0.net
騎士戦争と農民戦争はいずれもドイツ諸侯の軍によって鎮圧された
皇帝がドイツにおらず、ルターもまた、治安回復と秩序だった改革の
主導権を諸侯に期待するほかはなかった

358:世界@名無史さん
20/08/10 23:33:35.93 0.net
12世紀になると、フライジングの司祭オットーは「帝国移転の理論」を用いて、
世界を支配する帝国が古代ローマ帝国から東ローマ帝国、そしてカール大帝の
フランク帝国を経て、最後にオットー大帝の神聖ローマ帝国に移転したという
説をとなえた
この思想は神聖ローマ帝国の永遠の支配を示すために利用された

359:世界@名無史さん
20/08/11 00:25:37.55 0.net
フライジングのオットーって赤髭王の伝記を書いた人やで

360:世界@名無史さん
20/08/11 07:42:31.08 0.net
中世人にとって、神聖ローマ帝国が終わるときというのは最後の審判のときだったらしい

361:世界@名無史さん
20/08/11 10:12:20 0.net
千年王国が来てないからな

362:世界@名無史さん
20/08/11 17:02:45 0.net
フランスは神聖ローマを併合することはできなかったけれど、
プロイセン・オーストリアはロシアとともにポーランドを分割して
その一部を手に入れることができた
ポーランド分割があっさり成功した理由は何だったのか?

363:世界@名無史さん
20/08/11 17:31:07 0.net
ポーランドはリトアニアとの同君連合

364:世界@名無史さん
20/08/11 19:54:31 0.net
19~20世紀のドイツの歴史家たちは、オットー1世以下のドイツの支配者が
帝冠を求めて南下し、イタリア経営にエネルギーを注いだことを批判し、
それよりもドイツの東方経営こそ重視すべきであったと主張した

365:世界@名無史さん
20/08/12 02:15:25.27 0.net
ジーベルフィッカー論争として有名な話だがランケの高弟ハインリヒ・フォン・ジーベルらプロシア学派はごりごりの小ドイツ主義者だからそう主張するのは当然だよ
でも最近ではそういったステレオタイプの中世ドイツ皇帝政策批判は見直されつつあるんだよ

366:世界@名無史さん
20/08/12 02:23:33.46 0.net
>>357
一方哲学者ヘーゲルは滅びゆく神聖ローマ帝国を尻目に皇帝ナポレオンを馬上の精神世界といって称えたのは有名な話だ

367:世界@名無史さん
20/08/12 04:33:53 0.net
そういや、ドイツの歴史の本見てて思ったんだけど、中世のドイツ(神聖ローマ帝国)って、領域内ではあんまり大きな戦争起こしてないんだよね、ボヘミアとか現スイスとかの戦争除いて
小競り合い的紛争は色々あったろうけど
実際、ルター登場まで日本の戦国時代のような大きな内戦見当たらないような気がする
戦国時代並に多くの領主が入り乱れてたわりには
やっぱり、イタリアなどの外国侵略を続けたおかげで、内側は最低限まとまってたのかな

368:世界@名無史さん
20/08/12 04:43:01 0.net
「『神聖』でも、『ローマ的』でもなければ、ましてや『帝国』でもない」
というヴォルテールの言葉は、彼が理性だけで世界と人間を理解しようとした
18世紀の思想的急進派、啓蒙主義の指導的立場にあったからこそ可能だったともいえる

近代以前のヨーロッパにおいては、この政治共同体が「神聖」で「ローマ」的で
「帝国」でなくてはならなかった
ラテン=キリスト教世界観にもとづけば、天地創造から最後の審判にいたるまでの
神の救済計画において、4番目にし


369:て最後の世界帝国であるローマ帝国の滅亡は 最後の審判の兆候だった その兆候がないなら、神に嘉されたローマ帝国が存続しているはずである



370:世界@名無史さん
20/08/12 07:22:51.87 0.net
>>364
フェーデはしょっちゅうあり、それに対して神の平和(pax dei)運動が起こり、やがてそれは国王権に回収されていき、時の皇帝がラント平和令(Landesfrieden)を発布しフェーデを禁止しようとするのだが、それあくまでもそれは部分的なものであり、期限も四年ということであまり効果がなかった
ラント平和令の最も最古のものは1103年ハインリヒ4世によるものとされる
その後、1235年フリードリヒ2世が公布したマインツのラント平和令(Mainzer Landfriede)は、従来までのラテン語ではなく、ドイツ語によって記述された点が特筆に価する
さらに1495年8月7日にマクシミリアン1世によって制定された永久ラント平和令によって、帝国等族諸身分は自力救済権としてのフェーデを完全に失った
仰るようにイタリア遠征など外へのエネルギーでドイツ領内での大戦争というものはあまりなかったが、中世後期から近世にかけて帝国の範疇からイタリアが消失して以降は、宗教改革に伴う宗教的分裂も絡み、ドイツ農民戦争や三十年戦争といったような大規模な戦乱が帝国内でみられるようになる

371:世界@名無史さん
20/08/12 07:39:15 0.net
神聖ローマ皇帝は初期にドイツ人の王とセットになってて、教会が強い時代にはあり得ない

フランス王家はイギリス王家にもなるが百年戦争へ、そんときも無理

ブルゴーニュが強国で、継承時にフランスとハプスブルクで分割して2強体制になった
ドイツ国家とオーストリアを併合とかとても無理

ナポレオンは唯一チャンスあった

372:世界@名無史さん
20/08/12 09:18:09.13 0.net
フランソワ1世が神聖ローマ皇帝選挙で勝利して、さらにイタリア戦争でも勝って
フランスがイタリアを手に入れていたら普遍帝国を打ち立てることができた

373:世界@名無史さん
20/08/12 09:20:04.86 0.net
そんなことは不可能だ

374:世界@名無史さん
20/08/12 12:19:38.77 0.net
>>364
伯爵や公爵等の貴族は平時から子供達を政略結婚で送り出してるからね
子供や孫、親戚が多ければ多い程=不可侵及び同盟数だから
遠いカモな辺境伯の親戚が実は自分の上司の遠戚だったりね
もはや何処が何処と親戚だかわからないぐらい入り乱れた世界で
よっぽどの基地外暴君でない限り手頃な開戦事由を見つけるのはそれだけで骨が折れる
逆にそういうので継承権争いも多くなるけどあまり激しくやると皇帝や教皇が介入してくるし

375:世界@名無史さん
20/08/12 12:49:16.05 0.net
フランスには皇帝ナポレオンがいたし大英帝国という用語もあるがそれは所詮、平民からの成り上がりの皇帝であったり、植民地に対する「帝国」であって、それらはいわゆるローマ帝国やその後継の神聖ローマ帝国の「帝国」とは決定的に異なる

376:世界@名無史さん
20/08/12 12:52:19.01 0.net
なにが?

377:世界@名無史さん
20/08/12 14:40:19 0.net
なら皇帝と名乗る必要ないだろw

378:世界@名無史さん
20/08/12 16:19:17 0.net
それに対してロシア皇帝は東ローマの後継だから由緒正しき帝国
フランス帝国、大英帝国、アメリカ帝国は偽物の帝国

379:世界@名無史さん
20/08/12 16:44:28.15 0.net
ナポレオンはローマ教皇からの戴冠でイギリスはキングダム

380:世界@名無史さん
20/08/12 17:13:49 0.net
インド皇帝ってローマ的じゃなくてムガールの継承なのかな

381:世界@名無史さん
20/08/12 17:32:15 0.net
わかってはいると思うけど皇帝とかの名詞は日本語に訳した時に
ざっくりとそれに当てはまるであろう物を当てはめてるだけだからね

全世界統一で皇帝(エンペラー)と言う肩書が同一では無いし在り方も経緯も違う

382:世界@名無史さん
20/08/12 18:52:36.42 0.net
ローマでの政治闘争や東ローマのギリシア正教との対抗関係などにより、
ローマ教皇は強力な後ろ盾を必要としており、シャルルマーニュに
白羽の矢を立て、西ローマ皇帝の冠を授けた

383:世界@名無史さん
20/08/12 19:03:33.72 0.net
シャルルマーニュはいらないと言ってるのに無理矢理

384:世界@名無史さん
20/08/12 19:46:35.71 0.net
中世ヨーロッパの王国にはまだ首都は存在しなかった
中世の未発達な交通条件や通信手段では中央に宮殿を構え、
そこから王令を発し統治することはできなかった
国王のほうが支配すべき領地に出向いて、統治をおこない奉仕を受けた
また国王は絶えず親族や有力者の反乱に苦しめられて、各地の戦場に赴いた
その上にドイツ国王はイタリア遠征や対外遠征も繰り返し、まさに国王の
生涯は支配のための果てることのない旅の連続だった
やはり首都ローマにいたままで帝国を支配できた古代ローマ皇帝とは違っている

385:世界@名無史さん
20/08/13 14:59:38 0.net
西フランクも最初は王権が脆弱だった
初期カペー朝のもとでは、カロリング朝末期から続いていた王権の権威凋落が加速し、
南フランスを中心として、大諸侯が離脱していった
フィリップ1世のとき、カペー朝の支配領域は最少となった
よくこんな状態から巻き返したなと思う

386:世界@名無史さん
20/08/13 21:54:38 0.net
>>374
アメリカ帝国ってノートン1世かw

387:世界@名無史さん
20/08/13 23:01:40.15 0.net
フランス王家は精神錯乱してるやつが王になっても持ちこたえるからな
なんか強いぞ
それに比べて他国の王家はすぐ断絶するしもろいよな

388:世界@名無史さん
20/08/14 09:41:31.85 0.net
神聖ローマ皇帝はローマ教皇に戴冠してもらったけど、
フランス王はランス大司教と結びついた

389:世界@名無史さん
20/08/14 12:16:52.83 0.net
イギリスはカンタベリー大司教な

390:世界@名無史さん
20/08/14 14:47:26.35 0.net
ヨーロッパ諸国はたいてい同君連合という形を取って統一したから地方分権的だが、
フランスだけがやけに中央集権的だよな
むしろヨーロッパの中ではフランスのほうが特殊なのかもしれない

391:世界@名無史さん
20/08/14 16:07:49 0.net
>>384
フランク王の根拠は教皇にローマ皇帝を戴冠してもらいカール大帝の後継者と言うのが代々の慣習だった
しかし神聖ローマ皇帝に先にローマ王戴冠を奪われた為、王の根拠をカロリング朝前のメロヴィング朝に求めた

メロヴィング朝初代フランク王クロヴィスの洗礼の地ランスで聖別しフランス王として根拠を作り
以降フランス王はランスにて戴冠する事が慣習になった

392:世界@名無史さん
20/08/14 19:25:22.03 0.net
クロ―ヴィスの時代、フランク族がガリアを統治するためには、在地の有力者の
協力が必要であり、その協力者がセナトール貴族だった
彼らはキリスト教の拡大につれ、争って主要都市の司教職に進出しており、
カトリックとの提携は彼らとの提携をも意味していた

393:世界@名無史さん
20/08/14 19:35:26.28 0.net
>>388
それはアエギディウス やシアグリウスといった連中か?

394:世界@名無史さん
20/08/14 21:59:01 0.net
>>386
絶対王政時代は、分権的な面もあったんで、フランス革命以降の特質やろうな
実際、フランス革命って明治維新並みの伝統破壊伴ってたから

395:世界@名無史さん
20/08/15 07:54:11 0.net
>>386
イギリスも、スコットランドやウェールズを除いた「イングランド」だけで見れば非常に中央集権的

中央集権的なのは英仏の特徴で、地方分権的なのは独伊の特徴

396:世界@名無史さん
20/08/15 16:04:02.12 0.net
ドイツの場合、ドイツ語という概念そのものが現れるのも遅かった
言語の面からみると、低地ドイツ語、中部ドイツ語、高地ドイツ語、フリース語、
スラヴ語派に属するソルブ語などがあった

397:世界@名無史さん
20/08/15 19:10:06 0.net
中世のイングランド人の評判は、
「暴れん坊で喧嘩好き、しかも戦わせるとめっぽう強い」
というものだったらしい

398:世界@名無史さん
20/08/15 19:34:06 0.net
>>393
いつからイギリス紳士に化けたんだww

399:世界@名無史さん
20/08/15 19:39:11 0.net
>>391
そう言えば、フランスって今でも県知事は、選挙じゃなくて、国から任命された官僚なんだよな
戦前かよっw

400:世界@名無史さん
20/08/15 19:59:40.35 0.net
>>394
若い人たちは知らないかもしれないけど、サッチャー政権時代、「ヘイゼルの悲劇」
という事件があった
イングランド人のサポーターが、サッカーの試合で興奮して、イタリア人観客39人を
死なせた事件
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ヘイゼルの悲劇

401:世界@名無史さん
20/08/15 20:02:25.82 0.net
フランスと言うかヨーロッパが中世貴族の末裔が未だに世界遺産とか私有地の所有者になってるのザラだから
国家単位で抑制しないと多分豪族が好き放題出来ちゃう

402:世界@名無史さん
20/08/15 20:23:47.73 0.net
フランスは、首都パリだけが極端な巨大都市で、それ以外はすべて単なる地方都市
日本の「東京一極集中」とは比べ物にならないほどのパリ一極

403:世界@名無史さん
20/08/15 21:34:46.50 0.net
日本は戦国時代を経て、さらに藩があったから東京以外にも大都市があるわけか

404:世界@名無史さん
20/08/15 21:44:36.69 0.net
パリからベルサイユとかあったにせよ遷都を殆んどしてない

405:世界@名無史さん
20/08/15 21:51:40.26 0.net
100年戦争でパリ取られて落ち延びて南に身を潜めてたけど遷都はしなかったもんな

406:世界@名無史さん
20/08/15 22:21:03.87 0.net
たしかルイ11世が一時期フランスのど真ん中に遷都したよ

407:世界@名無史さん
20/08/15 22:28:02.57 0.net
英仏百年戦争というけれど、イングランドの民衆は別にひどい目に遭ってないよな
戦場は常にフランスだったから、この戦争で一番悲惨な目にあったのはフランスの民衆

408:世界@名無史さん
20/08/15 22:52:29.55 0.net
イギリスでは農奴制度は14世紀の終わりごろにおいて事実上消滅しており、
フランスにおいても18世紀には貴族・聖職者の土地所有は既に全国の
30~40%を上らなかったといわれるのに対して、ドイツにおいては農奴制度は
少しもその力を失っていなかったばかりでなく、地域によってはかえって
近世以降に強化されさえもした

409:世界@名無史さん
20/08/16 01:00:26.91 0.net
プロイセンとかな
税金上げる代わりに貴族にめっちゃ特権渡した
けどそれで強力な軍隊作れたから必ずしもマイナスじゃなかった

410:世界@名無史さん
20/08/16 09:26:27.76 0.net
>>403
戦費調達による酷税、ペストの流行、農奴制の強化
耐えかねたイングランドの農民は、1381年にワットタイラーの乱を起こした

411:世界@名無史さん
20/08/16 18:01:13.58 0.net
エルベ以東では再版農奴制(Gu


412:tsherrschaft)というのがあって現在のドイツ経済の東西格差はここにあると見ている



413:世界@名無史さん
20/08/16 18:47:02 0.net
イタリア王国は、各地の有力貴族党派が、各々外部から統治者を招聘しては
追放するという方策を繰り返したせいで、極度の混乱状態が続いた
教皇フォルモススは、グイードを891年に皇帝に、翌年には息子ランベルトを
共同皇帝に相次いで戴冠した
ところが、その後両者と不和になったフォルモススは、東フランク国王に
救援を要請した
アルヌルフがローマを攻略し対立皇帝に戴冠されたのは、896年2月のことである

414:世界@名無史さん
20/08/16 18:53:58 0.net
ルドヴィーコ・イル・モーロもそうだけど、イタリアは貴族が自分の利益のために
外国勢力を引き入れるというパターンが多いのかな

415:世界@名無史さん
20/08/17 17:11:23 0.net
スペインやラテンアメリカ諸国のナショナリストは、ハプスブルク家がスペインの
支配者にならなかったら、スペインは新大陸での植民地経営に専念できて、
そのほうがスペインの国益にかなっていたと考えているらしい

ハプスブルク家に支配されたおかげで、スペインに関係のない
ヨーロッパのあちこちの戦争にスペイン人が駆り出された

416:世界@名無史さん
20/08/17 18:19:08 0.net
>>410
フランドルの経済力がスペインを支えてた

417:世界@名無史さん
20/08/17 19:28:31.81 0.net
オットー1世の時代のヨーロッパは、異教徒・異民族に攻められて大変な状況だった
地中海はイスラム教徒に抑えられている
イスラーム世界は北アフリカからイベリア半島の大半を覆い、その影響はシチリア、
サルデーニャ、コルシカの島々にも及んでいた
そのうえ北からはデーン人とノルマン人のヴァイキングがヨーロッパ各地に侵入して
劫掠を繰り返し、北東方面からはスラヴ人が押し寄せてくる
オットーは当時の東の国境エルベ川の外域に「マルク」という辺境区を設け、
有力な貴族を辺境伯としてそこに配しているが、これはスラヴ人対策のためである
なお南ドイツ・バイエルンの東の辺境区が「オストマルク」。これがのちに
「オーストリア」になるのだが、このオストマルクやバイエルンも突破して
ヨーロッパになだれこんできたのがマジャール人である

418:世界@名無史さん
20/08/17 19:39:49.67 0.net
レヒフェルトの戦いの後、オットーは皇帝に戴冠するためイタリア遠征を
おこなったが、オットーが重武装した軍隊とともに入城したときから、
ローマ市民は既に違和感を持ち、皇帝の滞在が長引くにつれて、
これを「異民族の支配」と感ずる市民も増えたようである

419:世界@名無史さん
20/08/18 06:59:59.51 0.net
神聖ローマ皇帝によるイタリア遠征って日本の歴史でいうと信長の上洛&比叡山焼き討ちみたいなものか?

420:世界@名無史さん
20/08/18 07:16:10.45 0.net
源頼朝や足利尊氏の上洛みたいなものだな

421:世界@名無史さん
20/08/18 07:52:09.54 0.net
徳川も禁中並公家諸法度を定めて天皇の動きをコントロールしたからな
時の為政者(主に征夷大将軍)=神聖ローマ皇帝
天皇           =ローマ教皇
なんだろうな

422:世界@名無史さん
20/08/18 09:10:36 0.net
徳川は南朝系の子孫を自称してたから出来た話でローマ教皇相手だとワケが違う

423:世界@名無史さん
20/08/18 10:09:11.44 0.net
オットー1世は、自分のことを「ローマ人」だと思っていたかもしれんが、
イタリア半島の住人にしてみれば、異なる言葉を話す異民族、って感じだったんだろうな

424:世界@名無史さん
20/08/18 15:57:35.87 0.net
その時代のイタリア半島に住んでる奴らも既にローマ人では無いからな

425:世界@名無史さん
20/08/18 16:19:23 0.net
ドイツの領邦の中で、ヘッセン=カッセルなどは傭兵を外国に輸出して、財源にしていた

426:世界@名無史さん
20/08/18 16:52:10 0.net
「西ローマ帝国の再興」という企て自体が非現実的だったんじゃね?
単に東フランク王国とイタリア王国、ブルグント王国に分かれて
存在していたほうがよかったと思う

427:世界@名無史さん
20/08/18 18:44:46.84 0.net
東ローマ帝国は中身がギリシア人
神聖ローマ帝国は中身がドイツ人

428:世界@名無史さん
20/08/18 19:00:12.00 0.net
ローマ皇帝名乗るにはイタリア王を持ってる事が前提
そしてフランク王は>>387に書いてあるようにローマ皇帝位が前提
つまりカロリング家は分割相続で得た領域を正当化させるのには
ローマ皇帝位が必要だし=イタリア王も取らなければ行けない

429:世界@名無史さん
20/08/18 19:15:22.58 0.net
オットー大帝の帝国は、西ローマ帝国の後継国家であり、
カール大帝のフランク帝国の再興でもあった
オットー大帝の称号も「インペラトール・アウグストゥス」

430:世界@名無史さん
20/08/18 19:37:55 0.net
フランク帝国自体が西ローマ帝国の再興

431:世界@名無史さん
20/08/18 19:55:58.14 0.net
フリードリヒ1世バルバロッサは合計6回のイタリア遠征をおこない、
在位38年のうち13年をイタリアで過ごすことになった
イタリアは法的には「王国」でも、実際にはいくつもの分国に分かれ、
北イタリアにはコムーネに成長しつつある諸都市が群立し、
これらは容易に皇帝の支配を受け入れなかったからである
フリードリヒ1世はロンバルディア同盟に結集した諸都市との間に
何度も戦争を行い、大敗北もあるし、夜陰に紛れて逃げたというような
苦い経験もなめている

432:世界@名無史さん
20/08/18 20:52:03.37 0.net
初期には在位期間(短かったが)の大半をローマですごした皇帝もいた
「ドイツがイタリアを侵略していた」というのは、20世紀の地図にとらわれた錯覚

433:世界@名無史さん
20/08/18 20:56:00.56 0.net
>>422
ローマ名乗りながら、公用語がギリシア語ってウケるよな

434:世界@名無史さん
20/08/18 20:59:13.98 0.net
なぜ?
ローマの上流階級はみんなギリシャに憧れてたのに

435:世界@名無史さん
20/08/18 21:06:14.29 0.net
いや、実質ギリシャ人なのにローマ名乗ってたわけでしょ、ヒザンツは
それが、奇妙に見えるということ、現代から見れば

436:世界@名無史さん
20/08/18 21:06:58.47 0.net
「カエサル」や「アウグストゥス」が個人名から「皇帝」を意味する言葉に変わったように、「ローマ」も単なる地名じゃなくなった

437:世界@名無史さん
20/08/18 21:11:47 0.net
中国だって、鮮卑族が建てた北辺の地・いまでいう山西省大同市の王朝が「魏」を名乗ってた

それを思えば、皇帝がゲルマン人で首都がドイツのどこかでも「ローマ帝国」でおかしくない

438:世界@名無史さん
20/08/18 21:15:52 0.net
>>432
魏の国名を名乗ったときは、まだ内モンゴル自治区にいた
大同に遷都したのはその後

439:世界@名無史さん
20/08/18 22:20:35.83 0.net
神聖ローマ皇帝はカトリック世界最高の世俗君主として、カトリック世界、
なかんずくその中心であるローマ教皇を外敵・動乱から守護しなければならない
そしてそれを実質的に行うためには、イタリアにおける皇帝の支配権の確立が
不可欠である
中世の神聖ローマ皇帝たちが盛んにイタリア遠征をおこなったのは、
「ドイツ」の勢力圏を広げるというより、まず第一に、ローマ皇帝としての
いわば当然の務めを果たすためだった

440:世界@名無史さん
20/08/19 11:28:40 0.net
「12世紀ルネサンス」の時代、ヨーロッパ各地に大学ができたが、圧倒的に多いのが
イタリアで、さらにイベリア半島にいくつもできた。あとはフランスとイングランド。
そしてこれらの大学はすべて古代ローマの文明圏におさまっている。
ドイツは、この時代にはまだ「圏外」である。新しい学問に触れたいドイツ人は、
みな外国に行かなければならなかった。

441:世界@名無史さん
20/08/19 13:12:23 0.net
ビザンツがローマを名乗り続けたのは、中世に入ってローマ帝国の概念が「キリスト教理念の帝国」という意味にすり替わったから
だから今のアメリカもロシアもある意味でローマ帝国なんだよ
アメリカが西ローマでロシアが東ローマ

442:世界@名無史さん
20/08/19 13:16:42 0.net
それはない✋

443:世界@名無史さん
20/08/19 13:56:20.85 0.net
ビザンツなんてのはあくまで歴史学上の用語で正式名称は新ローマを首都とするローマ帝国

444:世界@名無史さん
20/08/19 14:22:11.89 0.net
ムスリムはビザンツ帝国のことを「ローマ」と呼んでいた
西欧人のことは「フランク」

445:世界@名無史さん
20/08/19 16:22:31.05 0.net
「天における神の支配の、地上における模倣がローマ帝国」
これが中世におけるキリスト教世界のローマ理念
どことなく中国的な香りがする

446:世界@名無史さん
20/08/19 16:46:00.30 0.net
近世になって、主権国家とプロテスタントが現れると、ヨーロッパは分裂した

447:世界@名無史さん
20/08/19 18:12:38 0.net
今みたいにここからドイツここからイタリアという区分はなくてドイツ出身の皇帝でもローマにいったときラテン語みたいなのを喋れば言葉も通じるし今ほどの違いはなかったと思うよ

448:世界@名無史さん
20/08/19 18:29:07 0.net
フランクの分裂以来何となく違いはあったようだよ

449:世界@名無史さん
20/08/19 18:40:32 0.net
18世紀のアメリカは、フライジングの司祭オットーの「帝国移転の理論」を知っていた
「帝国の移転」は「帝国の西進」と理解された
帝国は西へ西へと移動し、ついにアメリカに至る。人々は「ダニエル記」を
アメリカ流に解釈した
アメリカは「さまざまな古代の預言」の「完全な実現」を示す帝国と理解された
アメリカは「天命」を持った「帝国」として残余の世界に君臨し、法を与える存在だった
それは「自由の帝国」であり、「理性の帝国」「愛の帝国」そして「偉大で強力な帝国、
世界がかつて見たことのない最大の帝国」と意識された

450:世界@名無史さん
20/08/19 19:44:32.89 0.net
「ドイツ人」という呼び名が初めて記録に登場するのは、10世紀の半ば頃、
それを用いたのはイタリア人である
ところが、「ドイツ人」と呼ばれた人々の側では、互いにライヴァル関係にある
下位の四つの民族(フランク人、ザクセン人、アレマン人、バイエルン人)の
いずれかに帰属しているとの意識しか持っていなかった

451:世界@名無史さん
20/08/20 09:24:56.83 0.net
イタリアだとドイツはテデスコ
語源は同じである

452:世界@名無史さん
20/08/20 09:40:55.54 0.net
ハインリヒ6世は1194年自身に子が生まれた際、事実上世襲させるため、
その子フリードリヒをすぐに共同王に選出させようとしたが、これは諸侯の
猛反発で失敗した
そこで、ハインリヒは大幅な特権と引き換えに王位の世襲を認めさせようとした
この「世襲帝国計画」は失敗に終わったが、ハインリヒがもし長命であれば
もしかすると神聖ローマ帝国は世襲制になっていたかもしれない

453:世界@名無史さん
20/08/21 02:37:07 0.net
>>444
奴隷制度拡大させちゃったけどな、南部限定とはいえ

454:世界@名無史さん
20/08/21 07:36:41.00 0.net
>>448
有色人種は人間の数に入れていないから無問題

455:世界@名無史さん
20/08/21 11:21:57.28 0.net
もしノルマン・コンクェストがなかったら、イングランドも独伊と同じような
地方分権的な国になっていたんだろうか

456:世界@名無史さん
20/08/21 12:18:01 0.net
>>450
イングランドは山らしい山もない平坦な大草原という、島国らしからぬ地形

統一しやすい地形なので時間の問題

457:世界@名無史さん
20/08/21 14:15:11.15 0.net
フリードリヒ(フェデリーコ)2世が南イタリアで行った経済政策について、
「都市工業の衰退と北イタリア商人の台頭の結果、南イタリアに北・中部イタリアから
製品を輸入し、食料と原材料を輸出する経済構造が確立された」
といわれているけど、フリードリヒは別に南イタリアのことだけを考えていた
わけではないんだよな
彼が目指したのはイタリアを中心とした普遍的キリスト教的地中海帝国

458:世界@名無史さん
20/08/21 19:09:47 0.net
中央集権の成立には租税の運搬が容易である事が必要

459:世界@名無史さん
20/08/21 19:18:21.10 0.net
それにつけても、日本が統一国家なのは奇跡
「細長い山岳国家」という、最も分裂しやすい地形なんだが

460:世界@名無史さん
20/08/21 19:22:22.91 0.net
ただし、日本の場合は細長いといっても
東西に長いからまだマシ
イタリアみたいに南北に長いと、南と北で気候が違いすぎるからさらに難しい

461:世界@名無史さん
20/08/21 22:24:56 0.net
前期カペー王はカロリング家の伝統を継いで「フランク人たちの王」と称していた
ユーグ・カペーも「ガリア人、ブルターニュ人、デーン人、アキテーヌ人、ゴート人…」
らの王として選ばれたと同時代の史料にはある
つまりは王国という領域の君主というよりも、諸民族集団の首長という自己意識を
持っていたのである

462:世界@名無史さん
20/08/21 23:19:55 0.net
ノルマン・コンクェストの後、15世紀まで、イングランドの貴族たちは、
子弟をノルマンディーに送り、正しいフランス語を学ばせていた

463:世界@名無史さん
20/08/22 08:20:41 0.net
東アジアの場合、中国・朝鮮・ベトナムは中央集権的で、日本は地方分権的だよな
なぜそうなったのかはわからないが

464:世界@名無史さん
20/08/22 16:21:34 0.net
征服王朝ができると、そこで中央集権が一気に進む

日本も、マッカーサー元帥の大改革で中央政府の権力が極めて大きくなり、開発独裁国家体制に変身した

465:世界@名無史さん
20/08/22 16:25:38 0.net
>>458

> 中国・朝鮮・ベトナムは中央集権的

ベトナムはともかく中国・朝鮮に関しては、モンゴル軍や満州軍に全土を制圧され、首都から強権支配を受けたおかげ

466:世界@名無史さん
20/08/22 16:28:19 0.net
>>460
その前から中央集権的なんですが

467:世界@名無史さん
20/08/22 16:35:39 0.net
>>461
> その前から中央集権的なんですが

いや、そんなことはない
唐の皇帝は、常に地方軍閥との闘争に追われて東奔西走する忙しい人

室町幕府の将軍や、神聖ローマ帝国の皇帝と同じ

468:世界@名無史さん
20/08/22 16:41:45 0.net
なんでモンゴルの前が唐なんだよ

469:世界@名無史さん
20/08/22 16:53:36 0.net
朝鮮はなぜあんなにソウル一極集中なんだろう
日本の場合、京都、大阪、江戸などの同規模の大都市がいくつもあるのに

470:世界@名無史さん
20/08/22 16:57:34 0.net
東京と大阪が同規模?

471:世界@名無史さん
20/08/22 18:17:33 0.net
スキあらばチョ ンネタ

472:世界@名無史さん
20/08/22 18:18:43 0.net
>>459
日本の中央集権体制は戦時体制構築から始まってる。
資料を読み直しな。

473:世界@名無史さん
20/08/22 18:25:40 0.net
>>456
南アジアや東南アジアの王権は土地ではなく人を支配した
実は欧州や日本のような、人ではなく土地を支配するというやり方のほうが
特殊なのかもしれない

474:世界@名無史さん
20/08/22 18:38:00.71 0.net
>>467
まあ、それを言ったら英仏の中央集権体制も、百年戦争の戦時体制を構築した結果とされているけどな

475:世界@名無史さん
20/08/22 18:39:52.70 0.net
明清帝国は、地方の豪族に重税をかけて没落させ、北京から派遣した科挙官僚に置き換えるという緩慢な社会主義革命を五百年かけてやり遂げた

476:世界@名無史さん
20/08/22 19:40:58 0.net
百年戦争で、フランスでは諸侯・騎士が没落し、シャルル7世は大商人と結んで
財政を立て直し、常備軍を設置したので、中央集権化はますます進展した

477:世界@名無史さん
20/08/22 20:34:26.72 0.net
>>469
源流があるというのと体制が今でも引き継がれているというのは意味するところが大きく異なる。
日本の中央集権は太政官政府が構築を目指し、昭和15年にほぼ完成して現在にも引き継がれているものだが
英仏は源流どまりでは?
ヴァロア朝と第五共和制の類似性は?

478:世界@名無史さん
20/08/22 23:22:28 0.net
フリードリヒ1世が即位したとき、シュタウフェン家の家領は出身地である
西南ドイツのシュヴァーベン地方に限られていた
実力としてはむしろ、ライバルであったヴェルフェン家のザクセン公ハインリヒ
「獅子公」のほうが上であって、フリードリヒは即位にあたって獅子公の
要求を認め、ザクセンに加えてバイエルンをも授封しなければならなかった

ドイツ国王が、フランス国王のように広大な王領地を持つ方法はなかったんだろうか

479:世界@名無史さん
20/08/23 09:04:02 0.net
まず血統を絶やさないこと

480:世界@名無史さん
20/08/23 09:12:42 0.net
カペー家の国王たちのように、妻を何度も取り換えればよかった
例えばフィリップ1世は最初の妻ベルト・ド・オランを離別し、当時アンジュー伯の
妻だったベルトラード・ド・モンフォールを奪い取り、次の妻とした
「カペー家の奇跡」はそうした努力の成果でもあった

481:世界@名無史さん
20/08/23 11:55:02 0.net
満洲人は高句麗の辺民の末裔
契丹人もそうだと分かった
清王朝の統治には高句麗以来のノウハウがあった

482:世界@名無史さん
20/08/23 12:36:32.21 0.net
いきなりスレチすんな

483:世界@名無史さん
20/08/23 18:54:44.76 0.net
もし日本が東日本と西日本に分裂していたら、東日本の歴史教科書には、
「代々の将軍は京都と朝廷に関わっていたが、それよりも東日本の統一を
優先させるべきだった」
とか書かれていたんだろうか

484:世界@名無史さん
20/08/24 14:49:07 0.net
>>478
鎌倉幕府は、京都の朝廷のことより関東・東北の平定を重視していた

485:世界@名無史さん
20/08/24 14:52:09 0.net
ローマと北ドイツは、東京とカムチャッカ半島くらい離れてるんだよなあ

南下して東京を取ろうとしてるときに、樺太で反乱が起きたって興味はイマイチでしょうな

486:世界@名無史さん
20/08/24 15:48:22 0.net
気候が全然違うから参考にならない

487:世界@名無史さん
20/08/24 16:49:52.37 0.net
ドイツ、オーストリア、スイス、オランダ、ベルギーなど、ヨーロッパには
連邦制の国が多い
実は中央集権的な英仏のほうが特殊で、そこで生まれた国民国家というものが
各地に広まったせいで、世界中でおかしなことになっているのではないか

488:世界@名無史さん
20/08/24 17:17:56.46 0.net
市民革命産業革命はなかった方がいいと

489:世界@名無史さん
20/08/24 17:55:52 0.net
ロシアも、あれだけ広いのに驚くほどモスクワ一極集中

490:世界@名無史さん
20/08/24 18:00:54 0.net
先進国にはない、ロシアに特有の事情として「モスクワと地方では所得格差が何倍も開いている」というのがある

このため、単に人口が集中してるだけでなく経済規模の差はそれ以上、都市国家の「モスクワ王国」とさえ言われる

491:世界@名無史さん
20/08/24 18:10:24 0.net
一極集中といえば、最近の大阪の都心の建設ラッシュは凄いな

今までは、カラオケのバックに流れる夜景の映像といえば新宿が定番だったが、これからは梅田になるんじゃないかと思わせる

492:世界@名無史さん
20/08/24 18:18:38.92 0.net
ドイツの哲学者ヘルムート・プレスナーは、ドイツの国民的問題の解決は
「普遍的帝国か、ヨーロッパ合衆国か」によるしかないと論じた
しかしEUが成立した後も、相変わらず各国はEU全体の利益よりも自国の国益を
優先している
いったん国民国家が成立したら、もはや近代以前の状態に戻るなど不可能なのでは

493:世界@名無史さん
20/08/24 18:23:39.05 0.net
>>482
首都圏一極集中型の国家は英仏だけでなく、他にもいくつかある
オーストリア (ウィーン)
チェコ (プラハ)
ハンガリー (ブダペスト)
ルーマニア (ブカレスト)
スペインも今でこそマドリッドとバルセロナの二大都市だが、カタロニアが分離独立すれば、それぞれが国内で突出した都市になる

494:世界@名無史さん
20/08/24 18:25:27.59 0.net
EUは拡大急ぎすぎたな

495:世界@名無史さん
20/08/24 18:44:24.66 0.net
今の若い人たちには信じられないかもしれないが、2000年ごろには、
「21世紀がヨーロッパの世紀、すなわちヨーロッパの二度目の黄金期になる
可能性も大いにある」
などと主張する知識人がいた

496:世界@名無史さん
20/08/24 18:49:50.24 0.net
可能性はあっただろwでも民主主義の弱点とも言える怠け者連合の意見が重視される惨状になった

497:世界@名無史さん
20/08/24 19:26:14.83 0.net
EU全体はともかく、ドイツはつい最近まで絶賛されてたけどな

498:世界@名無史さん
20/08/24 21:17:24.85 0.net
今の若い人たちには信じられないかもしれないが90年初頭まで日本の一人当たりGDPはヨーロッパのどの国よりも高かった
と書いた方が正解だがな
昭和のおっさんの頭の中では未だにじゃぱんあずなんばーわんが続いているようだが西ヨーロッパで一人当たりGDPが低い国と言えば
もはやイタリア、スペイン、ポルトガルぐらいしかない
経済アナリストの予想を上回るレベルで日本経済は絶賛縮小中で韓国にすら負ける可能性があるというのにこの板のオッサンどもときたら剣呑なものだな

499:世界@名無史さん
20/08/24 21:20:36.43 0.net
今の世界情勢の中で何おとぎ話してるんだ

500:世界@名無史さん
20/08/24 21:27:36.65 0.net
EUで経済の優等生と言えばアイルランドで実質経済成長率はダントツで一位
2018年の1人当たりGDPランキングは世界5位(日本は26位)
ドイツ何てギリシャ、イタリアと最下位争いしてる落ちこぼれ
この板のオヤジって時事ネタに疎いからそんなことも知らなさそう

501:世界@名無史さん
20/08/24 21:33:13.11 0.net
2018年と今年は決定的に違うだろw

502:世界@名無史さん
20/08/24 21:46:37.28 0.net
>>495
アイルランドは経済の優等生というより、グローバル化の申し子だ
日本だって、人口が500万人くらいで、英語を公用語にして、法人税を激安にして、アメリカ企業をガンガン誘致すればアイルランドみたいになれる
どこの国も、別にそうなりたがってはいない

503:世界@名無史さん
20/08/24 21:49:37.35 0.net
その代わり、2008年のリーマンショックでアメリカ経済がコケたときは、一気に多重債務国に転落した

504:世界@名無史さん
20/08/24 21:53:53.68 0.net
リーマンショックのときは、「ポルトガル・イタリア・ギリシャ・スペイン」の頭文字を並べて「PIGS」と呼んでたが、
いつのまにか「アイルランドも入れてPIIGS」と言われるようになった
2007年までは「アイルランドは経済の優等生」と言われていたよ。
まさに、天国から地獄へストーンと落ちた、
これがグローバル経済の怖さ

505:世界@名無史さん
20/08/24 22:20:29.94 0.net
アウグスブルク同盟戦争中の1690年の時点で、フランスの兵員数は43万4000人だった
同時期のロシアの兵員数が22万、オーストリアが10万、プロイセンが3万とされるのと
比べれば、ルイ14世がいかに強大な軍隊を作り上げたかがわかる
この兵力と戦費を支えたのは、1700年ごろでヨーロッパの4人に1人は
フランス人とされる、フランスの人口の多さである
もっともルイ14世が手に入れたのはフランドルの一部、アルトワ、アルザス、
フランシュ・コンテだけだったけれど

506:世界@名無史さん
20/08/25 01:32:10 0.net
URLリンク(b.imgef.com)

507:世界@名無史さん
20/08/25 08:04:39.30 0.net
サッコ・ディ・ローマのときのランツクネヒトの無法は限りなかったが、
もともと彼らは貧しい農村出身者で大半が占められていた
彼らは常日頃から、聖職者の貪欲な搾取や目に余る腐敗や、
教会に支払う十分の一税の重さなどに憤懣を抱いていたが、
それがイタリアに来て一気にあふれ出し、教会や僧院と聞くと逆上した

508:世界@名無史さん
20/08/26 07:08:58 0.net
>>500
ナポレオン戦争のときに動員しすぎたせいで、多くのフランス青年の生命が浪費された

509:世界@名無史さん
20/08/26 07:16:11 0.net
でも生き残った徴兵の対象の一般庶民は皇帝派となって行った

510:世界@名無史さん
20/08/26 07:37:54 0.net
ナポレオン戦争の時点で、フランスの人口は2900万人
イギリスは866万人

511:世界@名無史さん
20/08/26 11:16:36.46 0.net
1860年代以降、ドイツの人口がフランスの人口を追い抜く

512:世界@名無史さん
20/08/26 12:30:12.91 0.net
植民地膨大に抱えこんだら本国は集権化しとかないと機能不全

513:世界@名無史さん
20/08/26 14:42:41.90 0.net
フランス革命の後、陸軍は幹部を一新し、戦力を強めたが、
海軍は多数の士官が亡命してしまい、技術的知識を要する任務だけに、
後継者の補充がとても間に合わなかった

514:世界@名無史さん
20/08/26 20:31:33.72 0.net
>>503
ナポレオン戦争時の大陸軍の動員率って最盛期でせいぜい6%
第二次世界大戦で最後まで志願兵制をとっていたイングランドですら兵役可能人口の20%を動員したことを考えると極めて低い数値

515:世界@名無史さん
20/08/26 22:39:08.60 0.net
ナポレオンに対して兵士の命を喰らう”食人鬼”という指弾が始まりだしたのは
1809年ごろからで、スペイン出兵でにわかに兵士の犠牲が増えた時期と一致している
アウステルリッツ、フリードランド、ワグラムといった栄光の勝利はすべて
1809年までに終わっており、後期はスペイン出兵、ロシア遠征、ライプツィヒ、
ワーテルローと、すべて敗北の連続だった
敗戦となれば当然に戦死者のみならず、凍死、餓死のほか、ゲリラや伝染病の
犠牲まで増えるのは必然である

516:世界@名無史さん
20/08/26 23:17:32.49 0.net
>>510
講談調に語ればそうだが、実際はドレスデンの戦いに勝利している。

517:世界@名無史さん
20/08/26 23:27:56.53 0.net
ナポレオン戦争の犠牲者は、少なく見積もっても350万人はこえるようだ

518:世界@名無史さん
20/08/26 23:43:39.28 0.net
七月王政はナポレオン帝政期にスペインで対ゲリラ戦を遂行したビュジョーなどの
軍人たちを、アルジェリア侵略戦争に投入した
彼らは若い兵士らとともに先住民の村々を焼き討ちにした
女、子供、老人までもが犠牲となった
博愛主義者のラマルチーヌはまるでヴァンデの内戦のようだと嘆いた
このアルジェリアで経験を積んだカヴェニャックのような軍人たちが、
1848年6月、パリで蜂起した労働者を鎮圧した(六月蜂起)

519:世界@名無史さん
20/08/29 00:25:16.59 0.net
>>455
イタリアは統一の歴史が浅いからもあるんだろうが、イタリア人というナショナルアイデンティティーが脆弱で、代わりに郷土意識が強い、なんて言われるよな
お陰で、ヨーロッパでも例を見ないほど、明確な少数民族(移民でなく、土着の)は少ない国なのに、単一民族国家という意識を持ちにくいようだ

520:世界@名無史さん
20/08/29 03:10:49.33 0.net
イタリア半島を偉大なるローマ帝国があった場所なんて誰でも知ってるしな
そしてローマ帝国も単一民族国家では無かった事ぐらい誰でも知ってる
そこに単一民族を説いたら世界中から笑い物にされるだけ

521:世界@名無史さん
20/08/29 05:48:01 0.net
>>515
俺が言ったのは、現代のイタリアには、土着のエスニックマイノリティが極めて少ないということであって、古代ローマのことではないんだけどね

郷土意識の強さに加えて、北部と南部の対立、感情的隔たりも大きいようだ
南部との分離を主張する北部の政党(北部同盟)もあったぐらいだからな

こういった意識の背景には、自治都市の伝統を有する北部と、中央集権的支配が長かった南部というような、歩んできた歴史の違いもあるようだ

522:世界@名無史さん
20/08/29 06:18:36.73 0.net
また、イタリア統一が一応なされたのも1861年のことにすぎない(しかも、圧倒的に北部主導だった)
まあ、なんやかんやで、一応自分はイタリア人という認識はあっても、積極的に同じ国民という意識、一体感は持ちづらいようだ(繰り返すが、郷土意識はその代わり強いという)

523:世界@名無史さん
20/08/29 11:04:29 0.net
日本は古代国家の成立以来、常に一つの国家であり続けた
日本にも戦国時代のように権力が分裂していた時期はあったが、そうした時期であっても、
律令国家の枠組みは基本的に維持され、それゆえ明治維新は当初、王政復古という形を
とることになった

また、ドイツ地域には中世の早い段階から「神聖ローマ帝国」という枠組みが存在していた
それは近代国家とは異なる象徴的な存在であり、実際、その内部にはさまざまな国家が
存在していた。しかし、16世紀以降、それが「ドイツ人の帝国」という別称を冠して
いたことに示されるように、象徴的に諸国家を糾合する役割を果たしていた

イタリアの場合、それまで全く互いに一体感を持つことのなかった複数の国家が
統一されたので、「イタリア」という国家の存在を民衆に自覚させることは、
とてつもなく困難な事業であった

524:世界@名無史さん
20/08/29 11:49:45 0.net
だから?

525:世界@名無史さん
20/08/29 15:56:44 0.net
そこでファシストが出てきた

526:世界@名無史さん
20/09/05 11:28:15 0.net
イングランドが一極集中、という話が以前出ていたが、イングランドには
「地方都市の文化」といえるものはない
あるのは、都会の文化としてのロンドンの文化と、地方の農村文化のみ

527:世界@名無史さん
20/09/05 12:39:21 0.net
幕末百話に明治の御維新以降はみな同じ国民ということになったが
それまで他領の人間と言えば西洋人に比べれば我々に近い「外国の人」って感じで
同じ日本人とは思ってなかったという話が出てくるな

528:世界@名無史さん
20/09/05 13:04:19.06 0.net
一極集中の国家にはファシズムを誕生させる必要性はない

529:世界@名無史さん
20/09/05 19:08:37 0.net
>>521
リバプールって独特さないんか?
少なくとも言語的にはスカウズってのがあるやろ?

530:世界@名無史さん
20/09/06 15:50:49 0.net
>>522
だから、藩の意識からいち早く脱して「日本」の国民国家を創ろうとした坂本龍馬や吉田松陰が、時代の先駆者だったわけだな

一般の国民には、そんな意識なかった

531:世界@名無史さん
20/09/06 15:54:01 0.net
巨大都市のパリやロンドンと比べて、国内第二の都市のリヨンやマンチェスターは小さな街であり、大阪などとは比べられない

でもサッカーに関しては、マンチェスター・リヴァプール都市圏は世界的なビッグクラブを3つ抱えている

532:世界@名無史さん
20/09/06 15:58:03 0.net
日本ではどうして「東京一極集中」がこれほど叫ばれるのかというと、要するに「関西の衰退」が問題なわけだな

釜山やリヨンやマンチェスターなどと比べて、関西圏は極めて巨大な都市圏であり、むしろソウルやパリやロンドンと比較すべき存在。
ヘタにそういう存在があるからこそ、日本ではかえって「一極集中」が懸念される。
まあ、最近は大阪の発展がすごいと言われているが

533:世界@名無史さん
20/09/06 16:04:12 0.net
大阪の発展がすごい?ご冗談を…

534:世界@名無史さん
20/09/06 16:15:38 0.net
国民国家という概念がどうやって出てきたか考えないとただの司馬遼史観の残骸になる

535:世界@名無史さん
20/09/06 16:33:20.77 0.net
>>524
近代以降は、世界的に見ると、京阪神都市圏はロサンゼルスに匹敵する人口と経済力を持つ巨大都市圏だよ
東京都は比較にならんが

536:世界@名無史さん
20/09/06 16:39:35.85 0.net
イタリア版「維新の三傑」といえば、マッツィーニ・カブール・ガリバルディ
でも、カブールの関心は北イタリアの統一のみであり、南イタリアには関心を示さなかった。
南イタリアの併合にあくまでこだわったのはガリバルディ

537:世界@名無史さん
20/09/06 16:41:37.39 0.net
>>530
東京首都圏が異常にデカすぎるんだよなあ
普通の国なら、大阪が首都
名古屋や福岡も国内第二の都市として十分な規模を備えている

538:世界@名無史さん
20/09/06 18:54:50 0.net
>>526
いっぱしの先進国ならマンチェスターとリヴァプールはくっついて一緒の都市圏になっててもおかしくない程近いんよな
ところが現実には両都市の間はド田舎が広がっているっていう

539:世界@名無史さん
20/09/06 19:04:55 0.net
江戸時代の日本は、江戸の人口集中ははなはだしかったが、経済の核としての大坂、
文化的権威の中心としての京都の存在があったから、ロンドン一極のイングランドに
比べれば、日本は三都制であったといえなくもない

英仏は一極集中、二極ないし三極構造になっていた日本、
独伊は多数の中心地に分散したと区別できるかもしれない

540:世界@名無史さん
20/09/06 19:26:12.86 0.net
リヴァプールは港町だし、マンチェスターでさえ、工業都�


541:sというよりは商業都市 煙を吐く工場群は、むしろその周辺に位置していた 圧倒的なメガロポリス・ロンドンは、世界の商業・金融の核となった



542:世界@名無史さん
20/09/06 19:29:11.85 0.net
ロシアも、あれほど広いわりにはモスクワへの一極集中がはなはだしい
先進国と違ってモスクワ首都圏と地方の所得格差が数倍に広がってるし、ほとんど都市国家

543:世界@名無史さん
20/09/06 19:30:36.83 0.net
>>535
ちょうど大阪と神戸みたいな感じだな
でもサッカー界では、マンチェスターユナイテッド対リヴァプールが長らく「ナショナルダービー」と言われてた

544:世界@名無史さん
20/09/06 19:36:20.62 0.net
イングランドでは、粘土質ゆえに近代的な農法に不適合であった北西部に対して、
根菜栽培と家畜の飼育を含む近代農業に適していた軽土質の南東部との対比がある
そのほかに、17世紀の革命では、南部が議会派、北部が王党派となった

545:世界@名無史さん
20/09/06 19:36:49.86 0.net
中国も北京と上海の2極構造、今では広州も加わって3極
でも北京は政治の中心だから繁栄してるんで、首都を移転したら確実に衰退する

546:世界@名無史さん
20/09/06 19:40:57.97 0.net
契丹は支那を征服した
契丹は高句麗の後身だった

547:世界@名無史さん
20/09/06 22:19:55.33 0.net
ロンドンを中心として、イングランドほど都市化の徹底的に進行した国は少ない
都市国家であったヴェネツィアなどを別にすると、これほど都市に人口が
集中した国は、アムステルダムからロッテルダムまでの都市ベルトが成立した、
かつてのオランダぐらいしかないだろう

548:世界@名無史さん
20/09/07 05:47:37.45 0.net
都市化の定義とは

549:世界@名無史さん
20/09/07 07:56:35.05 0.net
ドイツのバイエルン州はカトリックだけど、ITや航空機、航空宇宙、バイオテクノロジー、
医用光学などが盛ん
カトリック・プロテスタントは経済発展には関係ないのかな

550:世界@名無史さん
20/09/07 10:38:43.87 0.net
ドイツの製造業は、南部が支えてるんだよな
ちょっと意外だけど、北部ではない

551:世界@名無史さん
20/09/07 10:40:17.44 0.net
アメリカ合衆国の製造業は、ドイツ系移民が支えている
これは周知の事実

552:世界@名無史さん
20/09/07 10:42:54.20 0.net
アメリカ、日本、ドイツ
中国が「製造強国2025計画」で追いつき追い越す目標とした世界3大ハイテク国家だが、アメリカの製造業を支えてるのはドイツ系
要するに、世界の製造業の先端にいるのは日本人とドイツ人

553:世界@名無史さん
20/09/07 11:33:02.65 0.net
フォルクスワーゲンはニーダーザクセン、ダイムラーはシュツットガルトだけど、BMWとアウディ(VW傘下)はバイエルンなんだよね
ドイツ製造業とハイテク産業におけるバイエルンの存在感は極めて大きい
金融はフランクフルトでこれも北部ではないという
北部はハンブルクが気を吐いているけど、全体的には印象薄い

554:世界@名無史さん
20/09/07 11:56:36.90 0.net
ヨーロッパで最も製造業が盛んなのは、南ドイツと北イタリア
つまり神聖ローマ帝国の領域

555:世界@名無史さん
20/09/07 16:24:11.18 0.net
禁酒法はドイツ移民潰し

556:世界@名無史さん
20/09/07 18:26:07.39 0.net
現在のドイツでは、伝統的な工業地域だったルール、ザール地方が停滞ないし
衰退しているのに対し、ヘッセン、バイエルン、バーデン=ヴュルテンベルク地方
のほうが活気に満ちている

557:世界@名無史さん
20/09/07 20:16:43 0.net
>>543
バイエルン・バーデンヴュルテンベルクの南ドイツ2州がドイツ経済を牽引するようになったのは、ここ50年ほどの傾向

東ドイツが社会主義化したおかげで、ベルリン周辺が最貧困地帯になってしまったという特殊事情もあるし

558:世界@名無史さん
20/09/07 20:32:34 0.net
ドイツは北半分が共産化してたという特殊事情があるうえに、北部工業地域はイスラム系移民が非常に多く貧困階級が多い。
街の人の2割はトルコ人という感じだったかな。
基本的にトルコ人は親切な人が多かった。
ユーゴ人は黄色人種と見るやヘイト投げまくりでヤバかった。何であんなに黄色人種が憎いのか理解不能。

559:世界@名無史さん
20/09/07 20:35:53 0.net
コロナの何年も前だったけれども、ユーゴ人たちには黄色人種に親でも殺されたのかというくらい、街中でヒステリーに悪口言われまくった。
イタリアではアルバニア人がヤバかったが、やはりユーゴ人に悪口言われた。
コロナ禍の今は怖くて欧州いけないわ。

560:世界@名無史さん
20/09/07 20:58:22 0.net
>>527
大阪は大阪維新のせいで壊滅状態だよ
冗談は松井一郎の顔だけにしてくれw

561:世界@名無史さん
20/09/07 22:26:51 0.net
ザクセン州はドイツ産業革命揺籃の地だった
ケムニッツは「ドイツのマンチェスター」と呼ばれ、ライプツィヒとともに
主要な産業都市だった
東ドイツ時代に生産装置の近代化がなされなかったため、ザクセン州は再統一後に
厳しい産業空洞化を被った

しかし、その後は、西からの莫大な支援を手に、着実に発展。
今、ライプツィヒ、ドレスデン、ケムニッツと、ザクセン州の諸都市の景気は好調

562:世界@名無史さん
20/09/07 22:52:07 0.net
ザクセンって現在のドイツ連邦共和国の州でいうとザクセン州、ザクセンアンハルト州、ニーダーザクセン州に分かれているけど何でそうなったの?
東西ドイツに分かれる前からバラバラになってたような気がする

563:世界@名無史さん
20/09/08 00:27:15 0.net
>>556
古くは全部ひっくるめてザクセン公国の領地
1400年代に2つに分裂して片方はプロイセンに吸収されたり領地またいで別国家になった
その後ナポレオン時代ドイツ革命ソ連占領からの東西ドイツ統一等幾度となく再編成行われて
1990年に今の形に落ち着いてる

564:世界@名無史さん
20/09/08 05:17:41 0.net
ドイツの南部諸州にはイタリア人が多い
ポーランド人は新連邦州やニーダーザクセン州、バイエルン州北部に多い
トルコ人は多くがベルリン(西部)やノルトライン=ヴェストファーレン州、
さらにライン=ルール地方の大都市に住んでいる

565:世界@名無史さん
20/09/09 11:38:07 0.net
ザクセンに関してはこれを参照
URLリンク(classic.music.coocan.jp)

566:世界@名無史さん
20/09/09 16:54:32.97 0.net
バイエルン州はもともとかなり伝統的で、石炭資源がなかったので、
長い間農村的かつ前工業化の段階にとどまっていたので、1950年代初頭には
西ドイツの「貧困の家」と見なされていた
1945年以降、バイエルンは東ドイツからのさまざまな産業活動を受け入れて、
かなりの利潤を得た
その象徴的なものが、ベルリンからミュンヘンに移ったシーメンスである

567:世界@名無史さん
20/09/14 23:02:14.35 0.net
フランスの場合、パリ都市圏では日用品工業や自動車工業、航空機産業
北フランスでは炭田と石油の輸入でダンケルクの鉄鋼・石油化学工業
リヨンは絹織物
マルセイユ、フォスは中東や北アフリカからの石油を利用した港湾立地型の
石油化学工業
トゥールーズは航空機産業
グルノーブルはアルミニウム工業
ボルドーはワイン醸造業

568:世界@名無史さん
20/09/30 10:59:01.59 0.net
織田信長は室町幕府を滅ぼした

569:世界@名無史さん
20/09/30 10:59:15.43 0.net
ナポレオンは神聖ローマ帝国を滅ぼした

570:世界@名無史さん
20/09/30 11:01:05.48 0.net
神聖ローマ皇帝フランツ2世は退位した
オーストリア皇帝フランツ1世として即位した

571:世界@名無史さん
20/09/30 11:08:32.23 0.net
信長もオドアケル同様に追放した将軍の後釜の足利流を立てなかったため唐突に室町幕府が終了する事になる

572:世界@名無史さん
20/09/30 11:26:41.83 0.net
織田信長とオドアケルを比較するなんて凄いスレだなここw
そんな見方はした事がなかった
目からウロコ

573:世界@名無史さん
20/09/30 12:05:11.04 0.net
セリム1世もアッバース朝カリフを滅ぼしたが、後にオスマン帝国のスルタンがカリフを兼ねるようになった

574:盗聴盗撮犯罪者・色川高志が嫌がらせをしつこく継続
21/03/18 12:22:11.55 0.net
色川高志(葛飾区青戸6-23-21ハイツニュー青戸103)
●色川高志「高添沼田の息子の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
龍神連合五代目総長・高添沼田の息子(葛飾区青戸6-26-6)の挑発
●高添沼田の息子「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
492盗聴盗撮犯罪者色川高志(青戸6-23-21ハイツニュー青戸1032021/02/03(水) 13:53:22.55ID:QtP78E4Z
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父の逮捕を要請します」
長木親父&長木よしあき(盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6-23-20
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父
高添沼田ハゲエロ老義父の住所=東京都葛飾区青戸6-26-6
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 ℡03ー3607ー0110
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6-23-19)の
五十路後半強制脱糞
URLリンク(img.erogazou-pinkline.com)
アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。
そして、大量浣腸。 勢い良く噴出!腸内洗浄状態です。

575:世界@名無史さん
21/04/06 08:40:34.91 0.net
そうなの?
フランスの王様が神聖ローマ帝国の皇帝になる選挙に出ようとしたりしてなかったっけ?

576:世界@名無史さん
21/04/06 08:46:29.94 0.net
東フランクの血を引いてないと無理

577:世界@名無史さん
21/04/06 09:35:33.93 0.net
>>570
フランス王ジャン2世妃ボンヌ・ド・リュクサンブルを介して入ってるよ。ボヘミア王ヨハンの娘で神聖ローマ皇帝カール4世の姉だぜ

578:世界@名無史さん
21/04/06 10:38:15.24 0.net
血はカロリング家時代の初期だけ
カロリング家断絶後は選帝侯による選出+教皇の戴冠

579:世界@名無史さん
21/04/06 12:21:10.59 0.net
血縁が全く関係ないかというと、選挙における影響力という形で影響力あったりしたんで、その辺りはなんともなあ

580:世界@名無史さん
21/04/06 13:07:14.03 0.net
麻生太郎が血筋による影響力で総理大臣務めてた日本は民主主義じゃないと言ってるのと同じ
ただの屁理屈

581:世界@名無史さん
21/04/06 18:02:12.86 0.net
>>574
屁理屈とかそういうんじゃなくてだな
そもそも選挙王政とはなにか、事実上の被選挙権はどの範囲なのかとか、検討すべき要素は割と多くてだね
我々が良く知るドイツの選挙(7大選帝侯による選挙)が固まるのは相当後世のカール4世の時だったりするからね
ボーエンシュタウフェン朝とかザクセン朝とか、血縁こそが被選挙権を保障していた時期もあるんだよね

582:世界@名無史さん
21/04/07 12:51:55.22 0.net
ドイツの選挙王制は血統原理に基づく選挙王制で、王朝が断絶した際は前王朝の男系、女系に関わらずその血統を受け継いだ家系から選ばれる
大空位時代のあと1273年にドイツ国王に選ばれたハプスブルク家のルドルフ1世もその一人で、その祖グントラム金満公(ブライスガウの上アルザス伯)でエティション家に繋がる
グントラムの父はHugo III. im Nordgau (Etichonen) でそこをさらに遡ればカロリング家のルートヴィヒ敬虔帝にいきつく

583:世界@名無史さん
21/04/07 13:34:45.22 0.net
いうたら、モンゴルのクリルタイみたいなものね?

584:世界@名無史さん
21/04/08 21:09:26.19 0.net
フランスにしろ神聖ローマにしろ、
互いの国を征服してフランク王国再興だーとは思わなかったの?
それとも、やろうとしたけど無理だったの?

585:世界@名無史さん
21/04/08 21:15:33.78 0.net
>>578
そもそも、併合という概念が……
フランス王やフランス王族の中には帝国等族(諸侯)を兼ねている者もいたし、逆に帝国諸侯がフランスの諸侯であるものもいた
別に綺麗に二分されていたわけではない
フランスやドイツという主権国家概念が導入されたのは三十年戦争以降だし、それ以降でも必ずしも綺麗に二分さるていたわけでもない

586:世界@名無史さん
21/04/09 07:18:23.09 0.net
>>578
ローマ帝国分裂からいまだに続いているよ。
一応、穏やかになったのは、三十年戦争終結・ウェストファリア条約だけれど、
ナポレオンで再燃し、ヒトラーの第三帝国構想でまた持ち上がり、今はEU。

587:世界@名無史さん
21/04/09 07:24:07.45 0.net
>>580
そもそも、ヒトラーにしても、ヴィリーにしても、東方をドイツの領土または勢力圏にしようという意図はあったが、フランスを併合する意図はなかった
別にフランスに敬意とかじゃなく、統治に色々と面倒だからだが

588:世界@名無史さん
21/04/09 15:59:49.89 0.net
>>572女系の血を引いてる者から選帝

589:世界@名無史さん
21/04/09 16:01:19.09 0.net
>>581アルザスロレーヌは旧ロタール領

590:世界@名無史さん
21/04/09 17:24:36.46 0.net
ヨーロッパの王侯貴族なんて14世紀にはみんな親戚じゃん?
なんだかんだでカールマルテルやらピピンやらの子孫

591:世界@名無史さん
21/04/09 22:15:19.70 0.net
14世紀?くらいから中東欧の諸侯が西欧王朝から王を頂き傘下に入りはじめたのはなんでなの?

592:世界@名無史さん
21/04/10 07:29:04.62 0.net
>>585
9世紀~14世紀の間に、スウェーデン、ポーランド、ボヘミア、ハンガリーの王族貴族を介して、
西欧の王侯貴族と、ビザンツ帝国やロシア諸邦の支配層と、血が行ったり来たりしているでよ。

593:世界@名無史さん
21/04/11 09:27:33.79 0.net
>>579
綺麗に分かれるはず無いじゃん。綺麗どころか、全く分けようが無い。
旧帝国の再統一が究極的な目標、ローマ帝国なしいはローマ帝冠を受けたフランク王国の再統一。
いうたらヨーロッパの天下取り。
戦国時代のような状態から統一を一旦諦めてしまうのがウェストファリア条約よ。

594:世界@名無史さん
21/04/11 09:55:02.64 0.net
>>587
全く分けようがない
わけではない
フランス語圏とドイツ語圏は中世以降にはすでに分たれていたし、フランスとドイツは別の国という意識も中世末期、百年戦争の終盤以降には醸成されてる
ただし、その境界は不文明であり、かつ流動的でもあったって話だ

595:世界@名無史さん
21/04/11 12:01:25.58 0.net
>>588
分かれてねえよ。
現役にほぼ半々のベルギーみたいな国あるじゃん。
王様は民草の人種や言語なんて意に介してねえよ。人種・言語・文化の境界なんてお構いなしに、領地を斬り渡したり受け取ったり王族の縁組が有ったりが普通。
ここら一体の住民はみんなドイツ語を喋ってるからドイツの領地にすべきだ、みたいなのが出てくるのは19世紀後半からで、戦争の大義名分になるのは20世紀に入ってからだ。
それでも、戦略的・経済的なメリットが上回れば、人種・言語・文化お構いなしの国境を設定する。
ここ界隈ドイツ語喋る人多いから、ドイツに統治されて方が良いって住民の多数が言うなら、ドイツに引き渡すよ、なんて素直に言い出したのは、20世後半だよ。ザールラント条約とか。

596:世界@名無史さん
21/04/11 12:44:54.82 0.net
ベルギー、スイス、アルザスロレーヌは旧ロタール領の残骸。

597:世界@名無史さん
21/04/11 13:19:53.91 0.net
スイス独立は難攻不落の山岳聖域かつ緩衝地帯だからわかる
なぜネーションがうまれる前に独仏蘭べ統一王国が成立しなかったのか
宗派が違うじゃ納得できない

598:世界@名無史さん
21/04/11 13:44:18.80 0.net
>>589
王侯がコスモポリタンなグループで、欧州圏内で一体的な存在であることと、主権国家概念成立以前の言語文化圏における地域差生まれ、ナショナリズムの萌芽が存在したことは矛盾しない
ハノーヴァー朝の大ブリテンとハノーヴァーの人的同君連合と、中世中期以前の私領(相続財産)としての同君連合は同一ではない

599:世界@名無史さん
21/04/11 13:49:20.75 0.net
中世中期までに、現代につながる「フランス」なる地域が生まれたのは、カペー朝の相続力の偉大さは間違いなく影響している
フランス王は、その臣下の使い方含め、やはり英邁or有能な王が多かった
ドイツはザクセン朝、ボーエンシュタウフェン朝の頃に皇帝・王がローマ帝国の夢を追いすぎたのが後々まで影響してるだろうな

600:世界@名無史さん
21/04/11 13:54:33.84 0.net
>>589
ついでに突っ込んでおくと、そのレスで言ってるのはフランス語圏とドイツ語圏のまさに周縁部の話で(旧ロタールの国)、
文化圏的にコアな領域
フランスであれば、イル・ド・フランスであったり、シャンパーニュ、ブロア、アンジューといった領域
ドイツであれば、大ザクセン、フランケン、シュバーベンと言った領域
これらの領域において、ドイツとフランスが別の国であるという意識が生まれていたって話を>>588でしている

601:世界@名無史さん
21/04/11 16:09:32.45 0.net
オラ達の圏域は他と違う一緒にしてくれるなって共同体の存在と主張はわかる
でもさ実際問題として王様諸侯が強ければそんなのおかまいなしに併合分割交換統一できたのでは?とおもってしまう
地理的障壁が独仏語地域にはほとんどないし
ロシア中華イスラームだと国民国家以前には地理的に手が出せない地域を除いて基本広域統一王朝だった
なぜ西欧中欧だけネーション以前にもあんなに細かく領土がわかれ何々伯爵領だの公国だのが群雄割拠して末長く存続できたのかがわからない
ウェストファリアでなぜ諦めてしまったのか

602:世界@名無史さん
21/04/11 16:18:52.70 0.net
>>591
地面ごと脱藩したんだよ。あの王様に統治されるの嫌ってふうに。
代わりの王様も要らんって。本邦で言うと、加賀国人一揆みたいなものよ。

603:世界@名無史さん
21/04/11 16:38:11.50 0.net
>>595
その辺いろんな説があるけど、「銃・病原菌・鉄」は人為によらない客観的理由を検討してるから一読おすすめ
必ずしも同意しきれない(あと、検討が雑な)部分はあるけど、それ込みでも面白いよ

604:世界@名無史さん
21/04/11 17:09:12.94 0.net
>>593
で、チャネル諸島はなんでフランスに引き渡されてないの?

605:世界@名無史さん
21/04/11 17:18:30.59 0.net
>>598
エリザベス2世に聞けよ
あそこは彼女の私領だ

606:世界@名無史さん
21/04/11 20:04:46.77 0.net
>>599
私領だから好き勝手指定医なんて時代ではないでしょうに。

607:世界@名無史さん
21/04/11 20:16:09.07 0.net
>>594
生まれてないだろ。
ドイツなんて小国割拠状態だったし、ナポレオンなんて全方面に攻めて取ってってやってる

608:世界@名無史さん
21/04/11 23:49:54.67 0.net
>>601
ツッコミどころしかないが、ドイツの領邦国家は別に民族・文化意識の反映ではない
ドイツ語を母語とするドイツ人意識は、16世紀には存在していたと言われ、ルターはその現象に方向性を与えた
(初期のプロテスタントは文化的なドイツ化とも言われる)
>>600
法的には彼女がどうするかの問題でしかない
英国議会の支配下にないから

609:世界@名無史さん
21/04/12 04:55:39.97 0.net
>>602
だからずっと言ってんじゃん、王様は民草の民族文化言語に関心なんか無い、民族意識・文化・言語の境界なんて無関係に領地のやりとり縁組なんかをやっていた、って。
で、16世紀? 神聖ローマ帝国からオランダが逃げて今に至ってんじゃん?
ドイツの北海沿岸地域とか、ずーっと、うちらの喋りはドイツ語違うんちゃうか?ってのはくすぶり続けていた。ニーダーザクセン方言群、どれも、標準的なドイツ語やらそれに近い
中部・南部のとは話が通じにくくて、オランダ語は素で理解するからね。
新しめの話なら、20世紀も終わり賭けの時期になって、欧州評議会のヨーロッパ地方言語・少数言語憲章の対象の扱いを受ける運びになった。
南は南で、なんとなくドイツになってるだけで、やはり、ドイツ人意識は薄く、バイエルン州はドイツ基本法み批准していいないし。

610:世界@名無史さん
21/04/12 08:08:32.38 0.net
>>603
それ、議論の我田引水
ドイツの領邦国家はそれそのものがナショナリズムの拠り所ではないからこそ、ドイツ人としての共同体としての帝国を必要としたって話
神聖ローマ帝国研究の本読めば必ず出てくるぞ

611:世界@名無史さん
21/04/12 11:44:42.77 0.net
>>604
そんなのは、それこそ、第三帝国構想でしょうに、二十世紀も中盤の

612:世界@名無史さん
21/04/12 12:30:12.60 0.net
フランスというはフランクのことをオイル語で言った形
つまりフランスはフランク王国の継承国家であるがドイツはイタリア半島との関わりでカール大帝から連綿と続く皇帝権だけ受け継いだという事
この腸捻転現象がこの両国に紛争をもたらしたといっても過言ではない

613:世界@名無史さん
21/04/12 12:33:27.28 0.net
>>605
ヴェストファーレンで死亡宣告書書かれた帝国が、その後もナポレオンに至るまでなぜなくならなかったのか
それ以前に「ドイツ人の神聖ローマ帝国」と中世末期には呼ばれ始めた「ドイツ人」の意味
20世紀の第三帝国構想なんて19世紀のロマン主義の焼き直しだし、ロマン主義の先祖は、ゲーテによるドイツ連邦論持ち出すまでもなく、源流としてルター以来あったんだよ

614:世界@名無史さん
21/04/12 12:44:47.27 0.net
16世紀にドイツ人意識があったとしたら統一までに時間かかりすぎじゃね
350年近く経ってるよ帝国誕生まで
英蘭西葡スイス仏が17世紀までにそれらしい形を整えてるのと対照的
18世紀までなら絶頂期の仏が独併合しててもおかしくないよな、やっぱり
当時から仏とすみわけてて独文化圏がそれを阻んだってのは論拠が弱い

615:世界@名無史さん
21/04/12 13:06:40.05 0.net
ドイツ人の定義自体が世界史板で収まる話じゃない

616:世界@名無史さん
21/04/12 13:11:24.35 0.net
いやいやこの議論の流れだと母語がドイツ語ってことでしょ>>602
そんな衒学ぶることないよ

617:世界@名無史さん
21/04/12 13:34:11.98 0.net
オーストリア人、スイス人の一部、アルザスロレーヌ人もドイツ人だと

618:世界@名無史さん
21/04/12 14:17:15.58 0.net
そうなるね>>602がそういってんだもん
まあ、だから破綻してる論理なんだけど

619:世界@名無史さん
21/04/12 14:18:54.95 0.net
>>611
オーストリア人とかドイツ人のど真ん中だろ

620:世界@名無史さん
21/04/12 14:25:23.31 0.net
カトリックのドイツ人
ほぼバイエルン人みたいなもんね

621:世界@名無史さん
21/04/12 14:30:12.16 0.net
ナチス統治後のオーストリア人はドイツ人意識を避けている

622:世界@名無史さん
21/04/12 15:25:54.79 0.net
>>608
16世紀ったら、オストマルクとかプロイセンとか、王侯貴族がドイツ人、農民牧童木こりはスラブ人、みたいな状況だろ。
原住民比率を下げる新領土統治の定石で、他地域からドイツ人農民連れてきて素回したり、捕まって奴隷らされて上等、足軽に駆り出す、みたいなことしてたろ。

623:世界@名無史さん
21/04/12 15:30:38.35 0.net
>>607
イタリアを喪失というか離反されてしまったからだろ
ボヘミアとかシレジアとか、王侯貴族はドイツ人、農民商工民はスラブ人みたいなところも含んでたしな。

624:世界@名無史さん
21/04/12 18:36:03.21 0.net
東フランクの継承だからイタリアはそんなに必要ではない

625:世界@名無史さん
21/04/12 18:41:58.85 0.net
ローマ帝国の継承国が本領のローマ獲らずしてどうするよ?天下取りに成んねえぞ

626:世界@名無史さん
21/04/12 19:12:11.70 0.net
それ言ったら東ローマはどうなる

627:世界@名無史さん
21/04/12 19:19:42.28 0.net
>>619
に、こだわったザクセン朝とホーエンシュタウフェン朝のドイツ政策の結果が領邦国家の乱立という結果になった

628:世界@名無史さん
21/04/12 19:38:58.15 0.net
>>620
6世紀のユスティニアヌス皇帝とかちゃんと本領回復してたよ

629:世界@名無史さん
21/04/12 19:46:58.97 0.net
>>616
16世紀にはプロイセンはようやくドイツ騎士団領から世俗化して公国となった時代であり、ポーランド王の勢力下にあった
また、プロイセンは帝国の領域に入ったことはない

630:世界@名無史さん
21/04/12 21:48:08.08 0.net
何言ってんだ?特に二行目。プロイセン王国の王様がドイツ帝国の皇帝に成ったろ。
ドイツの北半分くらいプロイセン領だったべ。

631:世界@名無史さん
21/04/12 21:55:36.15 0.net
東プロイセンが帝国内にも領土を持っただけ

632:世界@名無史さん
21/04/13 00:56:38.93 0.net
違う
ブランデンブルク選帝侯が「帝国外の」プロイセン公国で国王を称することを皇帝に認められただけ
そのブランデンブルク=プロイセン王国が、最終的にドイツ帝国の母体となるわけだが
ブランデンブルクとプロイセンの関係と違いすら知らんとドイツについて語ってるとかいくらなんでもありえんだろう

633:世界@名無史さん
21/04/13 01:04:25.78 0.net
>>617
ナショナリズムは敗北から生まれる部分もあってだな
英国のナショナリズムは、百年戦争による大陸領地の喪失から生まれたと説明する研究者もいて、割と有力

634:世界@名無史さん
21/04/13 07:11:14.33 0.net
>>627
対伊、対仏、対丁、対瑞、対波、対露、対墺、対洪、全面的に小競り合いして勝ったり負けたり取ったり取られたりしてんじゃん

635:世界@名無史さん
21/04/13 20:31:20.70 0.net
>>608
日本も廃藩置県が1971年だから国家統一まで相当時間がかかったと言えるぞ
それまで日本には統一国家はなかったんだからな

636:世界@名無史さん
21/04/14 05:58:10.30 0.net
>>629
何を以って統一とするかはあんたの基準は解らんけど、
武官は江戸の将軍の招集に応ずる義務があって、地方領主は定期的に江戸と領地を往来、18世紀に殿様ったらあらかた江戸生まれ。
領主家間の縁組やら領主の代替わりには江戸の将軍の予め承認が必要、ついでに、琉球藩王の縁組や代替わりには鹿児島城主の承認が必要で、その鹿児島城主も
江戸将軍の配下の領主として縁組やら領主の代替わりには江戸の将軍の予め承認が必要。
そりゃ、「諸侯の家中は大君の与る所に非ず」(大名の領地経営は(江戸の将軍の関与するところでない)というのが幕府の方針だったけれども、独立までは認めてない。
呼んだら来い命令した場所平家、定期的に呼ぶ、跡継ぎや結婚には関与する、ってガッツリ統制されてたで。
呼んだら来い命令した場所へ行けの一環で、参勤交代に、領地替え。
そもそも江戸の将軍には、官位の推挙権はあっても任命権は無い、朝廷が管轄。外交も、交易の一部を江戸の将軍を介して松前藩・対州藩・薩摩藩・琉球藩王・長崎奉行に
預託していたけれども、基本、天皇の大権で、既に交わされた条約を改廃したり新たな条約を結ぶ権限は辺地諸藩にも江戸将軍にも与えていなかった。
これで統一国家でないんかな?
その前にも、太閤豊臣秀吉が、全国の領主に戦役や普請の命令を出して、北は松前の蠣崎から南は琉球まで応じてるで。
南北朝時代・戦国時代はなかなか命令が届かなかったり従わなかったりだったが、その前の鎌倉時代には、これまた幕府が各地の領主に動員をかけて応じている。
元寇の時分には、朝廷から遣わされた宮様が鎌倉将軍をやっていて、執権の北条時宗に武家の統制は丸投げなんだが、奥羽から薩摩大隅まで全国から兵員を動員かけたで。
更に前の律令時代には、国司を派遣していた。
統一国家でなきゃあできんことではないんかい?

637:世界@名無史さん
21/04/14 09:12:45.28 0.net
廃藩置県は昭和だったのか

638:世界@名無史さん
21/04/14 16:52:02.10 0.net
封建国家ではあるが
統一国家というと中央集権的な官僚システムイメージするから違うかな

639:世界@名無史さん
21/04/14 16:54:31.50 0.net
そういうと武士も官僚がぁぁとか言い出すだろうけど
やっぱり国家の土地を小国家的な大名(諸侯)に分割してるってのがどうもね

640:世界@名無史さん
21/04/14 17:09:40.80 0.net
幕藩体制は幕末に外国勢力と接するあっさりひっくり返ったからな
日本が地理的に外圧をうけにくいから長期に安定したけど
幕藩体制の統制力が神聖ローマよりはずっとましだとしても大名の存在がある以上
強力な大諸侯がほぼ消滅したフランスやイギリスなどに比べれば中央集権は全然進んでなかったと考えるのが妥当だろうね

641:世界@名無史さん
21/04/17 08:21:32.23 0.net
そもそも幕府は諸侯の盟主であって諸侯は幕府に従属してるが原則は独立勢力だからなあ
各地の大名が独自の領土・君統・法律・統治体制を持ってた

642:世界@名無史さん
21/04/20 22:17:45.05 0.net
1871年はドイツも日本も封建制諸国連合から君主制の中央集権国家に変わった記念すべき年

643:世界@名無史さん
21/04/21 11:37:12.33 0.net
中央集権がベストと言う訳ではない

644:世界@名無史さん
21/04/21 16:50:48.37 0.net
いったん中央集権やっとかないと国民国家意識が芽生えないからね
近世以降はすごく重要なこと
イスラームの惨状みるとつくづくそうおもう

645:世界@名無史さん
21/04/21 18:12:52.84 0.net
それは順番が逆

646:世界@名無史さん
21/04/23 06:26:48.49 0.net
ローマの地方分権の成れの果てが後のヨーロッパ

647:世界@名無史さん
21/05/02 08:48:52.26 0.net
>>635
独立勢力じゃないよ? 徳川本家に、内大臣以上の官職で内政権利を、征夷大将軍として武官の任免権を与えられてる。
だから、大名は、削封や転封や改易があるし、代替わりごとに誓詞を出して封土の安堵を受ける、言い換えたら、封土の統治権の分与と武官としての任官を受ける。

648:世界@名無史さん
21/05/02 09:02:09.22 0.net
>>641
しかし幕府には藩政への直接介入権はなかっ�


649:ス



650:世界@名無史さん
21/05/02 10:00:30.22 0.net
>>641-642
これを合わせると、欧州よりは中央集権度は高いが、典型的な封建制度の成立を見ることができる
通説通りの話だな
フランスの封建制度は、ブルボン朝の成立をもって事実上終止符が打たれるが(王政府における中央集権が固まる)、
ドイツはヴェストファーレン条約で終止符が打たれる(領邦国家の主権が事実上認められる)という、対照的な結論
に至るのは面白いな

651:世界@名無史さん
21/05/02 13:19:06.24 0.net
>>642
介入権が無いのではなくて、幕府の自由意志による施政方針として、「家中は大君の与るところに非ず」(大名の領地経営に幕府は責任を関与しない)。
但し、お家騒動や百姓一揆が起こると、改易や削封や隠居命令や転封が行われた。

652:世界@名無史さん
21/05/02 13:25:58.36 0.net
>>644
改易転封は「直接介入」じゃないよ。
幕臣が直接藩政を指揮したことはないし、各藩邸は現在の大使館のような扱いで奉行所などは直接踏み込めなかった。
現実としてやっていなかったことなのに「施政方針としてそうしていただけだ」とこだわるようだけど
それと「権利として認めていた」というのの差はどこに?
明文化してなくても世の中には慣習法というものがあるからね。

653:世界@名無史さん
21/05/02 13:32:54.49 0.net
>>645
一機が起こる → 統治が巧く行ってない → 改易(お前らの藩はお取り潰し)・隠居(代替わり)命令、削封(大きな藩は納められないんだろ)、転封(別の大名に治めてもらう)

654:世界@名無史さん
21/05/02 21:05:34.63 0.net
幕府が強い力行使できたのも強力な外国勢力と接してなかったからじゃね
神聖ローマは皇帝自体の領土はオーストリアとボヘミアで帝国内の3割を占めてさらに帝国外にハンガリーをもってたが
さらに巨大な国家フランスが横にいて介入してくるから諸侯も強気で反抗してきて譲歩せざるを得なかった
まぁ幕府は直臣領も含めると国内5割だったけど最後は親藩の尾張に裏切られるからな


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