なぜ神聖ローマ帝国をフランスは併合しなかったのかat WHIS
なぜ神聖ローマ帝国をフランスは併合しなかったのか - 暇つぶし2ch100:世界@名無史さん
20/07/26 10:51:59 0.net
>>99
渤海も新羅もベトナムも適用してますが

101:世界@名無史さん
20/07/26 10:57:32 0.net
>>100
まあ、そうだろうな

日本と違って記録が残っていないので、「おそらくやってただろう」という話なんだが

102:世界@名無史さん
20/07/26 11:21:36 0.net
イングランドでは、ウィリアム1世のノルマン征服王朝が
アングロ・サクソン期の領邦君主領を解体し、
王が全国土の支配者となって司法・課税権を一手に集中した
貴族も課税対象となる
地方における王権の代理人には、王に納付金を納める代わりに
職務を請け負う「シェリフ」がなるが、大陸にも片足を置く王権に対して
土着勢力としての独立性を帯びる
たとえシェリフが王に反抗しても、王権の代理人というその機能が確立
しているため、王政そのものの解体ではなく、王政の枠組み内での
発言権を確保する方向に働いた
このためイングランドは、統一国家の成立と地方自治システムが
バランスを保って進行した
フランスの三部会にあたる議会についても、王政と貴族とのバランスが
保たれている

103:世界@名無史さん
20/07/26 11:31:52.32 0.net
>>102
たしかに、征服王朝だってのが大きいな。
1人の封建領主が、周囲の封建領主を次々に併合していくのは並大抵のことではない。

104:世界@名無史さん
20/07/26 11:47:30.44 0.net
ノルマン人はシチリアも征服したけど、ここはイングランドとは逆に、
近代になってからは欧州の後進地域になってしまったな

105:世界@名無史さん
20/07/26 12:35:07.88 0.net
>>104
それはシチリアだけでなく、南欧全体にいえることなので仕方ない

106:世界@名無史さん
20/07/26 13:11:00.93 0.net
>>99
>「律令制がうまくいかなかった」というのが何を指してるのかがわからないが、律令制を体系的・組織的に実行したのは、唐を除けば日本だけ
高麗王朝や李王朝の人たちはジャップの野蛮なサムライ国家制度を見て昔はこんな連中でも我らと同じ律令国家だったのだと嘆いていたよ

107:世界@名無史さん
20/07/26 13:18:16.06 0.net
>>101
お前が知らんだけやろ…

108:世界@名無史さん
20/07/26 13:47:36.23 0.net
唐も新羅も律令体制なんてうまくいかなくて群雄割拠までは日本と一緒
中国は宋から徹底した文治官僚主義で以後清まで律令による中央集権
朝鮮は真聖女王の頃から各地で封建領主が割拠するが高麗の成宗による中央集権政策によって
廃藩置県が行われ地方豪族の子弟を開城に集めて官僚化に成功
高麗末に再び封建領主層が割拠するが李朝が勃興すると封建軍は解体され義興三軍府に吸収
地方豪族は両班になるかさもなければ郷吏になり律令機構の下部組織になる
日本は平安末期から封建領主が割拠していたが秀吉の惣無事令以降はそのまま安定期に入ってしまい
以後明治政府が成立するまでずっと封建制

109:世界@名無史さん
20/07/26 14:17:02 0.net
グレゴリー・ヘンダーソンは、朝鮮は国家と個人の間に存在する
中間諸団体が形成されない「大衆社会」ととらえ、そういう社会の
ありかたは基本的に中国と共通しているとみている。

110:世界@名無史さん
20/07/26 15:29:42.34 0.net
>>107
いや、そんなことはない

111:世界@名無史さん
20/07/26 15:32:59.98 0.net
境界線から1メートル以内なら

112:世界@名無史さん
20/07/26 15:33:04.12 0.net
境界線から1メートル以内なら

113:世界@名無史さん
20/07/26 15:33:13.57 0.net
境界線から1メートル以内なら

114:世界@名無史さん
20/07/26 15:33:30.23 0.net
目隠しが必要

115:世界@名無史さん
20/07/26 15:33:36.06 0.net
目隠しが必要

116:世界@名無史さん
20/07/26 15:33:40.37 0.net
目隠しが必要

117:世界@名無史さん
20/07/26 15:34:07.68 0.net
なかょうゆき

118:世界@名無史さん
20/07/26 15:34:11.22 0.net
なかょうゆき

119:世界@名無史さん
20/07/26 15:34:14.84 0.net
なかょうゆき

120:世界@名無史さん
20/07/26 19:05:42.69 0.net
ドイツ中心の三十年戦争史では、フランス対スペインの戦いに触れられることが
少ないな
フランスとスペインは、1643年、ネーデルラント国境に近いフランス北部の
ロクロワで、史上に残る大会戦を演じた。
この戦いは、スペインからフランスへ、西欧の覇者の交代を告げる、
17世紀ヨーロッパでもっとも重大な会戦であった。

121:世界@名無史さん
20/07/26 20:13:51 0.net
>>109
それは中村千枝の分析した日本の社会構造そのものだな
日本では個人が「タテ」に分割されて国家や企業に直轄支配されていて「ヨコ」の関係が存在しない
そのため日本では企業や国家の前には個人は無権利に近い状態に押しとどめられている

一方中国やインドでは同業者間の「ヨコ」の連帯意識が強く一人の労働者の権利が脅かされると
同業者全体が立ち上がって労働争議を起こす現象がみられる
これはヨーロッパ特にフランスやドイツに通じる行動様式である

122:世界@名無史さん
20/07/26 23:09:57.40 0.net
これから米中新冷戦が始まるが、確実に中国側の敗北に終わるだろうな
英仏もアメリカ側についた

123:世界@名無史さん
20/07/26 23:18:41.28 0.net
米英仏とコロナでガタガタですけど

124:世界@名無史さん
20/07/26 23:56:54.84 0.net
>>109
中世の朝鮮半島には封建制というものがなかったからな
高麗時代の武臣政権と日本の鎌倉時代における武家政権(征夷大将軍と御家人との関係)を比較してみるとよくわかるよ
日本の武家政権にみられる御恩と奉公は欧州のレーエン制におけるBenefizialwesenとVasallitätによく似ている
残念ながら中国、朝鮮半島にはこのような制度は見られない

125:世界@名無史さん
20/07/27 05:57:07.90 0.net
近世のフランスは、中世末以来の王権強化の勢いにはずみがついた
その間接的な原因は、イタリア戦争に求めることができる
長期にわたるイタリア戦争を通じて、フランソワ1世とアンリ2世は、
政策決定・執行の迅速化と、膨大な軍事支出に対応できる国家財政の基礎強化とが
必要であることを痛感した
その対策として、少数の忠臣からなる国務会議を重用し、中央の財務行政機構の
改革に着手する
特権身分や特権都市を除外して、所得にかかる直接税であるタイユ税と、
塩税その他の間接税とからなる国王税の課税強化を行うとともに、聖職者に対しては
上納金を要求する。国庫を潤すべく、さらに司法・財政の官職を大量に売りさばく

126:世界@名無史さん
20/07/27 06:00:48.95 0.net
その結果、国王裁判所の司法官、直接税の配分・徴収を担当する財務官が増えていく
このことは結局、国自体の司法・行政機構を充実させ、した


127:がって王権による 支配の強化につながる フランスはイタリアを手に入れることはできなかったけれど、 その代わりに王権の強化が進んだ



128:世界@名無史さん
20/07/27 09:54:18.57 0.net
中国はあと10年で少子高齢化社会に突入する
つまり豊かになる前に社会全体が老いるということ
これで覇権国家になれるのか?

129:世界@名無史さん
20/07/27 10:08:37.11 0.net
老人を殺すウィルスを今後も出し続けるから大丈夫

130:世界@名無史さん
20/07/27 11:08:12.52 0.net
>>1
もしフランスに神聖ローマ帝国を併合するだけの国力があったとしても、
イギリスが対仏大同盟を組んでそれを邪魔したんじゃね?

131:世界@名無史さん
20/07/27 19:37:40.19 0.net
>>124
全然似てないけど
というか今の史学会では「職の体系」を指して封建制とは呼ばなくなってる
ヨーロッパや中東の封建制は土地の私有を前提としているけど職の体系はそもそも土地の私有を認めてない
例えば得宗家が地頭を鉢から植木入れ替えるみたいに別の土地にやったり荘園領主が散田(土地の割り当ての変更)やってるけど
これなんて「職の体系」が封建制ではなく東アジア的な公地公民制のもとに成り立っている証拠
また西洋の封建制は双務関係を前提とする土地契約だけど日本の武士団の場合は「御恩と奉公」の言葉が表す通り明確な主従関係
家臣は名簿を提出した以上は土地の安堵に関係なく絶対服従だし家臣の側から君臣関係を破棄できない点も西洋と異なる
むしろ中世ドイツのゲジンデに近い存在

132:世界@名無史さん
20/07/28 14:29:45.79 0.net
細かい部分で揚げ足取り出したらきりがない

133:世界@名無史さん
20/07/28 18:54:31.74 0.net
日本人で、中世ヨーロッパの騎士にロマンチックな幻想を
抱いている人がいるが、現実の騎士は夜盗に等しい存在だったよな
そもそも前近代の社会では掠奪が悪いことだとは思われていなかったし

134:世界@名無史さん
20/07/28 19:04:10.28 0.net
>>127
少子高齢化社会には既に突入している

135:世界@名無史さん
20/07/28 19:37:28.11 0.net
中世の国づくりは否応なく王朝が中心になるが、ドイツの場合その王朝が
安定しなかった
そして大空位時代に地方的国家権力を固めてしまった諸侯にとって、
強大な国王=皇帝の出現はもはや好ましくない

136:世界@名無史さん
20/07/28 19:38:51.99 0.net
>>134
日本も天皇と将軍の二本柱だから不安定なんかな

137:世界@名無史さん
20/07/28 22:14:55 0.net
実際、日本も戦国時代までは不安定だったからな
内乱がしょっちゅう起こっているし

138:世界@名無史さん
20/07/29 09:52:09.79 0.net
ドイツでは皇帝権の弱体化とともに、帝国のタガがゆるみ、司教・大司教などの
聖界領が世俗領邦と並んで半独立の地位を得るに至っていた
これは教皇権力がもっとも入り込みやすい状況であるといえる
そして教皇は実際にこれを利用し、ドイツからさまざまな形で金を
吸い上げていたのであって、まさにこの意味でドイツは「ローマの雌牛」
と呼ばれていたのである
やはり王権がしっかりしていたイングランド、フランスに比べて、
ドイツは損してるな

139:世界@名無史さん
20/07/30 01:24:23.31 0.net
だから宗教改革がおきたわけだ

140:世界@名無史さん
20/07/30 07:06:58 0.net
ヒトラーの第三帝国などを見るとあの国は地方にある程度の自治権を持たせないとあのよう暴走が起こるので皇帝権力=強大な中央集権って本当に必要な事かどうか疑問に思うことがある

141:世界@名無史さん
20/07/30 07:41:48 0.net
EUも、完全に政治統合までして中央政府をつくったらおかしなことになったりして

142:世界@名無史さん
20/07/30 09:35:54 0.net
ローマに対する反発から宗教改革を起こしたものの、結局は諸侯権力を強化し、
領邦の国家体制をさらに固める結果になった
西欧ではイギリス、フランスといった単位で推し進められた国家の教会統制が、
ドイツの場合は領邦ごとに行われ、中世来の国家的分裂が宗教的にも
徹底されてしまった

143:世界@名無史さん
20/07/30 09:57:48 0.net
>>141
宗教的寛容という観点おいてはドイツの方がいいよ
カトリック一色、アングリカンチャーチ一色なんて何か嫌じゃん

144:世界@名無史さん
20/07/30 10:04:19 0.net
別に、神聖ローマ皇帝にこだわることないだろ

プロイセン王国とかバイエルン王国とかが強大な国家になればいいだけ。
実際にそうなったし

145:世界@名無史さん
20/07/30 18:25:58 0.net
第二帝国も第三帝国も寿命が短かったことを考えれば1000年続いた第一帝国の体制が正解だったということ
特に第三帝国の崩壊の仕方は悲惨だった

146:世界@名無史さん
20/07/30 19:15:35 0.net
世界中を見渡せば、国民国家というシステムが向いていない地域のほうが
多数派じゃないのかね。

オスマン帝国はアルメニア人虐殺事件を起こしたし、
バルカン諸国は民族浄化を起こしたし、
インドはインドとパキスタンに分裂したし、
中国は現在進行形でウイグル人を民族浄化してる

147:世界@名無史さん
20/07/30 20:01:04 0.net
>>141
EUがもう綻びが見えてきてるから

148:世界@名無史さん
20/07/30 22:16:43 0.net
カール5世の時代の神聖ローマ帝国は、東からのオスマン帝国の脅威にさらされていた
戦争のためには資金が必要であり、その資金の捻出のためにはドイツ諸侯の協力が
必要であ�


149:閨Aそのためには諸侯への譲歩が必要だった やっぱり神聖ローマ帝国はフランスに比べて地理的条件で不利だったと思う



150:世界@名無史さん
20/07/31 07:25:39.13 0.net
>>147
フランスは、神聖ローマ帝国の脅威にさらされていた

151:世界@名無史さん
20/07/31 07:28:51.41 0.net
>>147
フランスは周囲を強敵に囲まれた厳しい位置にある

152:世界@名無史さん
20/07/31 10:28:30 0.net
第二帝国・第三帝国は、神聖ローマ帝国ではなくプロイセン王国

神聖ローマ帝国はオーストリア帝国に受け継がれた

153:世界@名無史さん
20/07/31 10:31:20 0.net
中世の北ドイツは、森林と湖沼に覆われた湿地帯だった

イングランドや北フランスに比べて、開発が遅れた

154:世界@名無史さん
20/07/31 11:38:30.52 0.net
>>145
異民族がいたり部族間抗争の激しいところは国民国家に向かないかも知れないよね
ドイツの場合は明らかに後者
日本はアイヌや琉球王国などがあったが「日本は大和民族による単一民族」というイデオロギーの基に力技で無理矢理国民国家にした様な感じがする

155:世界@名無史さん
20/07/31 11:45:52.29 0.net
>>152
アイヌはもともと日本人に経済的技術的に完全に依存していてどうせ独立した民族として長くはもたなかった
琉球も弥生文化大和朝廷を経ていないとはいえ結局日本語族の話者に過ぎない
辺境の民族ですらキリスト教を受容し印欧語族の到来より以前から農耕生活を送っていたヨーロッパとは訳が違う

156:世界@名無史さん
20/07/31 12:06:30.31 0.net
>>152
ヨーロッパには国民国家に向かない地域がたくさんあるから、
EUというのはある意味それを乗り越えようとする試みだったんだろうけど、
EUもうまくいっていないんだよな
いったんナショナリズムが広まってしまうと、神聖ローマのような
中世的普遍帝国の時代に戻すのは不可能だろうし

157:世界@名無史さん
20/07/31 12:31:58 0.net
フランスというのはフランク人の国家という意味(ドイツ語でフランスのことをFrankreichという)でフランス語ではドイツの事をAllemagneといい「アレマン人」の国という意味らしい
要するに欧州中原を抑えたフランク人たちは今のフランスを中心に周囲にいたゲルマン人を次々と征服していった
イタリアのランゴバルド族、イベリア半島の西ゴート族、南フランスのブルグンド族、北ドイツのザクセン族、そして南西ドイツのアレマン族など
大きくなり過ぎたフランク人の帝国は分裂せざるを得ず、西フランク→フランスはフランク人の国民国家を形成し、東フランクはザクセン人、フランク人、アレマン人、バイエルン人(他にブルグンド人、フリージア人、チューリンゲン人など)といった
諸部族による連合国家を形成し、それがカール大帝の築いた帝国理念を継承し神聖ローマ帝国になっていく

158:世界@名無史さん
20/07/31 12:37:34 0.net
>>152
「ドイツはゲルマン民族による単一民族」というイデオロギーの基に力技で無理矢理国民国家にしたのは、ドイツも同じ

それも、19世紀後半以降のほぼ同じ時期に

159:世界@名無史さん
20/07/31 12:38:42 0.net
近代の国民国家というのは、大なり小なりそういうものだ

160:世界@名無史さん
20/07/31 12:41:19 0.net
>>154
「ベルギーなどという小さな枠におさめようとするから、フラマン人とワロン人の対立が終わらないのだ。
ヨーロッパという大きな枠に広げれば変わるだろう」
というような期待が、統合前には各地であった

結果として、その期待は裏切られた

161:世界@名無史さん
20/07/31 14:43:21.56 0.net
1988年に、イタリアのオリベッティ財閥の総帥カルロ・デ・ベネデッティが、
ベルギーの「ソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジック」を乗っ取ろうとした
するとナショナリズムとは普段は縁が遠いベルギーで、
「ソシエテ・ジェネラルをイタリアに奪われるな!」という強い声が各方面から
起こった
人工的に創られた国でもナショナリズムは存在する

162:世界@名無史さん
20/07/31 19:20:22 0.net
ウィーン会議の後、メッテルニヒがつくった「ドイツ連邦」は長持ちしなかったな
やはりナショナリズムには勝てなかったのか

163:世界@名無史さん
20/07/31 19:59:32 0.net
ドイツの権力の変遷
ザクセン→フランケン→アレマン(=シュヴァーベン)→バイエルン(オーストリア)→ザクセン(ブランデンブルク・プロイセン)

164:世界@名無史さん
20/07/31 22:27:25 0.net
中東でも、エジプトとシリアが「アラブ連邦共和国」をつくったことがあったが、
結局解体してしまった

汎アラブ主義なんて実現不可能だろうな

165:世界@名無史さん
20/08/01 01:02:06.44 0.net
同じ漢民族の国である中華人民共和国と中華民国が別の国で、
中華人民共和国の中に多数の異民族がいたりする

166:世界@名無史さん
20/08/01 01:07:10.25 0.net
日本だって大和朝廷が統一する前は全然同じ民族じゃなかったかもしれんぞ

167:世界@名無史さん
20/08/01 03:13:56.97 0.net
隼人や毛人、土蜘蛛とか明らかに違いそうだしな……
部族も弥生系と縄文系で言語もだいぶ違うだろうし

168:世界@名無史さん
20/08/01 06:18:33.46 0.net
ローマ帝国やオスマン帝国のような、前近代の多民族帝国を、
「多民族が共存していた」
といって持ち上げる人がいるけど、あれは人権も民主主義もない時代だから
機能したのであって、現代にそのまま持って来るのは不可能だろう

169:世界@名無史さん
20/08/01 08:00:27.13 0.net
日本のような、山あり谷ありの寸断された国土では、言語が無数に分かれているのが当たり前

170:世界@名無史さん
20/08/01 09:06:13 0.net
>>165
マダガスカル人は言語はマレー・ポリネシア系だが黒人の遺伝子を過半数持つ
一方的にアフリカ大陸から奴隷として黒人を連れて行ったからだ
黒人系とマレー系の部族が独立して存在する訳ではない
日本においても同様だろう
大陸から貢女や技術者を連れ出していったことは記紀や三国史記三国遺事にも記録されている

>>167
それはおかしい
縄文時代から既に海によって交易路が確保されているのになぜ無数に分かれていると断言できるのか?

言語が無数に分かれている土地の方が異常なのではないか?

171:世界@名無史さん
20/08/01 09:13:40 0.net
>>168
「山あり谷ありの寸断された国土では、言語が無数に分かれているのが当たり前」というのは、あくまでも一般論

「古代の倭も、おそらくそうだったであろう」という類推であり断定できない

172:世界@名無史さん
20/08/01 09:35:57 0.net
スイスの場合、アレマン族の定住した地域がドイツ語圏となり、
ブルグント族の入った地域がフランス語圏となり、
アレマン族に追われたラエティア人はアルプス地域に移り、
その地域がレートロマンス語圏となった
アルプスの南側のティチーノ地方はランゴバルト族の侵入を
受けたので、イタリア語を使用する地域となった

スイスの言語の多様性は地形よりもゲルマン諸部族の
移動・定住の結果なのかもしれない

173:世界@名無史さん
20/08/01 10:25:21.86 0.net
>>168
交易路が整備されてるから言語が統一されるという発想が妄想だろ
古代地中海世界はローマによる統一権力が打ち立てられるまで言語的にもバラバラだったじゃないか

174:世界@名無史さん
20/08/01 11:24:16 0.net
>>171
なぜ広さも環境も全然違う地域を引き合いに出す?
陸続きで途轍もなく広いなら無数の民族に分かれるのは当然のこと

二重の海峡で隔てられ、限られた者しかたどり着けない細い島国とは全く違う

175:世界@名無史さん
20/08/01 11:33:43 0.net
>>172
普遍的に成立する話だからだぞ

島国なら違うと言うなら、ニューギニア島やフィリピンにどんだけ言語があるか知ってるか?
無数の言語があるぞ
古代の日本も部族ごとに違う言語を使っていたとしてもなんら不思議はない

176:世界@名無史さん
20/08/01 11:37:25 0.net
朝鮮海峡、対馬海峡、壱岐海峡
間宮海峡、宗谷海峡、津軽海峡

三重だった

177:世界@名無史さん
20/08/01 11:42:05.16 0.net
>>173
フィリピンの言語は全てマレー・ポリネシア系
本来の原住民である筈のネグリトまで彼らの固有の言語は喪失している
ニューギニアに至っては熱帯であること、中央高地という冷涼な地域が沿岸部とは異なる文化圏となっていること
そこで営まれる焼畑農業が定住と富の集中を妨げることなどの要因により
一つの民族が強い力を持って国家社会を形成し統一に向かうという流れが起きない
個々の事例を自分の頭で考えることなく、同様に違いないと合点するのは思慮が足りないよ

178:世界@名無史さん
20/08/01 12:36:33.02 0.net
熱帯気候ということは道を整備してもすぐに植物が繁茂したり大雨で壊されて使い物にならなくなるということ
インフラ開発の難易度が段違い

179:世界@名無史さん
20/08/01 12:46:24.93 0.net
>>175
反論になってないなあ
こっちは交易路が整備されてたら島国では言語が統一されるってのに反論しているんだよ
だいたい、島国の中でも文化圏が異なれば言語が異なり混交しないって自分でも書いてるじゃないか
日本列島のように細長く地勢が多様で、人口的にも希薄な時代であればそれぞれ隔離された部族間では違う言葉を使ってても不思議はないんだよ
日本語自体が北方系言語や南方系言語のミックスだという説もあるんだしルーツが異なる言語集団が複数存在してただろうね
まあ交易によって交流があったとしても本格的な言語統合が進んだのは大和朝廷による支配が及んでからだろう

180:世界@名無史さん
20/08/01 19:03:19 0.net
日本列島が大和朝廷によって統一されず、いくつもの国に分裂したまま、
というシナリオはあったんだろうか

そうなると北九州の国は東北よりも朝鮮半島との関係のほうが
強くなっていたりして

181:世界@名無史さん
20/08/01 21:47:30.54 0.net
>>177
日本は温帯道を拓けばきちんと拓ける
なぜ熱帯土人諸島しか引き合いに出せない?
それはお前の教養がないからだろう
縄文時代の日本列島では遠方との交易の痕跡が多く確認されており部族が隔離などされていない
そもそも日本全国どの都道府県も最低標高が1000mを超えることがない
標高の違いは生活様式の違いとなり、民族の違いとなりうる
日本列島は一番内陸でも海から大して離れておらず、そこら中に盆地がある
高地だけの独立した経済圏は営めない
本州よりもはるかに狭いにも関わらず標高の高い台湾や面積が広大な上に冷涼で住みやすく熱帯特有の疫病から守られる高原が広くあるニューギニア島
これらは民族が細分化する条件を備えている
日本はそうではない
逆に同化する条件がとても強い

182:世界@名無史さん
20/08/01 22:04:04.75 0.net
たとえば越中富山を例にとると、南の名古屋との距離や途中の地形は、アルプス山脈をはさんだ南ドイツと北イタリアの関係にクリソツだ。
東の新潟に行くには、「親不知・子不知」と呼ばれる険しい海岸の難所しか通るところがない。
普通に通行可能なのは唯一、西の金沢方面だけ。
でも、そこから先の京都に行こうと思ったら、やはり琵琶湖と山地にはさまれた米原あたりの狭い回廊しか通るところがない。
東日本から京都に行くには、どっちにしても、ここしか通るところがないので、ここさえ抑えればシャットアウトできる。
このため、古来から壬申の乱、関ヶ原の戦いと、天下分け目の決戦が何度も起きた。

183:世界@名無史さん
20/08/01 22:10:44.44 0.net
>>177
そもそも日本語はどこかの既存の語族のミックスなどではない
むしろ逆に日本語こそが始原の言語からいち早く分かれた
豊富なオノマトペイアは外部に由来せず自然の音から言語を創生した証拠
アプラウトによる倍数法の数詞は世界の他のどこにも類例を見ない
補充形の一切ない極めて整った格助詞システムは朝鮮語にもアルタイ諸語にもドラヴィダ語族にもない
音韻体系は極めて単純明快で、限られた母音と子音からなる開音節、そこに2段のトーンアクセントが加わり、これこそがありとあらゆる多重子音が摩滅した結果である
これらの特徴は大陸から適度に隔離された島国という環境で何千年もの期間をかけて育まれた特徴だ

184:世界@名無史さん
20/08/01 22:17:05.27 0.net
>>180
それはもしも船が使えなかったらという仮定に過ぎない
イタリアとドイツを海路で行き来するにはイベリア半島を回らなければいけないが
親不知は小舟でも楽勝

185:世界@名無史さん
20/08/01 22:19:45.48 0.net
>>165
隼人、蝦夷、土蜘蛛は縄文系だけど
それらは同じものだったのかどうか

186:世界@名無史さん
20/08/01 22:24:58.00 0.net
>>178
同化後でも、戦国時代とかが長く続けば分裂することはありえるな

187:世界@名無史さん
20/08/01 22:31:25.85 0.net
>>183
土蜘蛛というのは朝廷の支配下にない集団を指すのであって縄文人とはどこにも書いていないぞ
隼人にしろ蝦夷にしろそれを縄文系と断言するのは今日の遺伝的勾配に基づいた「既出の研究の合成」という「独自研究」に過ぎない

188:世界@名無史さん
20/08/01 22:37:18.48 0.net
>>185
土蜘蛛は出雲という説もあるぞ

189:世界@名無史さん
20/08/01 22:49:48.68 0.net
>>179 >>181
温帯だから拓けば拓けるとかワロタ
日本の森林の繁殖力知らないんだね
それに最初に古代地中海世界の例をあげてんのに熱帯しかあげてないとかなんで嘘つくんだろ?
日本も世界有数の山岳地帯で、多くの島嶼に別れているのにそういう要素はまるっと無視するのね
日本語の大方言分布が縄文時代の言語分布の名残という説もあるんだぜ?
古代の時点で地方ごとに異なる基礎語彙があったらしいというのもこれを裏付けている
始原の言語とかいきなりオカルトワード言い出した時点でなんかまともな言語学の知識が乏しそうだけど
開音節わオノマトペが豊富なのは南方系言語の要素、
格助詞や数詞は北方系言語の要素って昔から言われてるんだよなあ
船による交流があったことは否定しないけどそれが言語を統一するほどの統合力はないよ
そもそも古代の交易ルートって基本的には近い集団同士の小さな交易ルートがたくさん結合したものであって、交易対象の物品は驚くほど遠方まで運ばれるけど、人間はそこまで移動してないことが多いんだわ
だから交流といっても近隣部族とのやりとりが中心で遠方の部族と直接接触するわけではないんだよね

190:世界@名無史さん
20/08/01 23:13:30.50 0.net
原始的な交易って沈黙交易が主体だったらしいし
その場合そもそも相手と喋らないから言葉も違ったままじゃね

191:世界@名無史さん
20/08/01 23:15:50.63 0.net
>>187
まーた北方系南方系なんて科学的根拠のない説に縋ってるや気持ち悪っ!
それこそオカルトワードやんけ
「人を煽りたい時に使う悪口は自分が言われて嫌な事」っていうガイジの行動パターンそのまんまで草
馬車も使えない険しい地形だからこそ水運が発達した
船で運ばれた物資の量は陸運とは比較にならない程多い
これは地勢と交通を語る上で義務教育レベルの常識である

192:世界@名無史さん
20/08/01 23:24:43.23 0.net
>>189
はあ?
君の言う始原の言語説こそ科学的根拠ゼロの妄想乙なんだけど?
現代日本人の祖先がいろんなルートから到来した様々な集団であることは
DNAの研究からも既に明らかになってるんだけど、
それじゃあ、あなたの言う「始原の言語」とやらを話してた集団ってどこの誰なのさ?
まさか日本列島内で独自に進化した民族集団が縄文人だとか言わないよなあ?w
そもそも言語学をかじってればわかるけど基本的に文字やラジオ、テレビがないような時代、
人間の集団って離れていれば言語もどんどん変化して離れていくもんなんだよ
日本が同化力の強い土地柄で、水運によって自然と言語が統合されるというなら
いま現に日本各地に残っている方言はいつどうやって生まれたんだよw

193:世界@名無史さん
20/08/01 23:24:48.40 0.net
確認される世界最古の往復航海は3万8000年前の本州と伊豆諸島との間で行われた
この事からも日本列島で如何に海運を古くから発展していたのかが窺い知れる
>>187くんは更新世には日本は大陸と陸続きだったと未だに信じていそうだね
でもその説は覆されたよ
氷河期でも対馬海峡は海で、船を使わないと人間は渡ってこれない
だから北京原人は日本へ渡ってこれなかったしゴッドハンドはインチキだった
縄文人の遺伝子は北方と南方の混合ではなく両系統のモンゴロイドが分かれる以前に分岐したもの
日本語も然り

194:世界@名無史さん
20/08/01 23:40:52.56 0.net
>>191
>確認される世界最古の往復航海は3万8000年前の本州と伊豆諸島との間で行われた
それも何の反論にもならないな。ちょっと考えてみればわかるが、
遠く離れた土地Aの民と土地Bの民の間で交易が行われていたからといって、
その交易に従事している人間の数は一握りなのだから、
交易に直接関わっていないA民とB民の言語が統合されるわけではない
縄文時代には複数の文化圏があったことが考古学的もわかってきているし
人口密度もとても低かったから、離れたところに住んでいる部族同士では言葉は通じないままでしょ
そういう状況が変わってくるのは稲作が本格化して人口が増大する弥生期以降な
後半に至ってはさらに意味不明w
考古学や遺伝子研究の結果を知らないで語ってるだけとしか思えない
そもそも日本に到来した古モンゴロイドも、台湾や東南アジア方面の南ルートや
シベリアを経由した北ルートとあって非常に多様性がある

195:世界@名無史さん
20/08/01 23:43:33.32 0.net
>>190
始原の言語が一つだと思っているガイジよ
双子語って知ってるか?
ニカラグア手話は?
お前の知識は所詮その程度だ
本州の内陸部で言語島になっているものに井川方言、奈良田方言、十津川方言があるが
これらはどう見ても他言語とのクレオールなどではない
最大で日本祖語まで遡る古い特徴の保存と独自変化に周囲とも共通する特徴が幾分かといったものに過ぎず、文法に大差はない
お前の思う日本語の方言の起源とまさに同じくして生まれた言語を教えてやろう
ヴェッダ語だ
このヴェッダ語は印欧系のシンハラ語とスリランカの原住民の話していた現存しない言語とのクレオールだ
シンハラ語ではnaa(ない)、epaa(~しない)、baa(~できない)、nemee(~ではない)、nattaN(~でなければ)、bari(~ができない)を区別するが
ヴェッダ語ではそれらは全てkoduy一つに統合される
こんな風に文法の単純化はクレオールの特徴だ

196:世界@名無史さん
20/08/01 23:46:07.65 0.net
>>192
無知を晒すな単芝おじさんよ
その縄文人が北方南方両方からやって来た時代にはモンゴロイドが北方南方どころか新モンゴロイドすらいなかった
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)

197:世界@名無史さん
20/08/01 23:56:22.43 0.net
>>192
 土器を見ると(中には高さ 1 メートルにも達する重量級もある)、縄文時代の狩猟採集民は遊牧ではなく定住だったはずだと述べた。
定住のさらなる証拠は、その重い石器にも見られるし、半地下式で改築の跡が見られる住居や、百以上の住戸を持つ大集落遺跡や墓地などでも見られる。
こうした特徴はすべて、数週間ごとに拠点を移し、作るのは小屋程度で、所有物も少なく簡単に持ち運びできるものだけという現代の狩猟採集民とは大きくちがっている。
この定住生活が可能なのは、ある中心的な居住地からわずかな距離内で縄文人の手に入った、多様な資源豊富な居住地があったからだ。内陸の森林、川、海岸、湾、海洋などにすぐ到達できたのだ。
 縄文人は、狩猟採集民としては史上最高クラスの人口密度で暮らしていた。特にナッツの豊かな森林、鮭の季節、生産性の高い海のある中央日本と北部日本ではそれが顕著だった。
縄文時代の日本の人口は最高25万人??もちろん現代日本と比べればわずかだが、狩猟採集民としては相当な数だ。現代でこれに比肩する規模といえば、太平洋北西岸やカリフォルニアのアメリカインディアンくらいだ。
かれらも同様にナッツの豊かな森林、鮭の季節、生産性の高い海を持っている―人間社会の収束進化の事例としては見事なものだ。
(ダイアモンド『銃、病原菌、鉄』)

198:世界@名無史さん
20/08/01 23:57:51.51 0.net
>>193-194
おやおや、自分で煽りワードを否定しておきながら、
自分でも使うとは、破たんしてないか?
「人を煽りたい時に使う悪口は自分が言われて嫌な事」なのだから
君は自分がガイジだと自覚していてガイジと言われるのが嫌な人間だという自己紹介なのか?w
なら君のいう「始原の言語」とやらの定義をまずはっきりさせるべきだね
君以外内容を把握してないものについて後出しでいろいろ言われてもキチンとした議論にならないよ
単に煽りカスになりたいだけなら、勝手にしてという感じだが
で、北方南方から独自に到来した古モンゴロイドは、地理的隔絶から
異なる言語を用いていただろうから、結局論旨に変わりはないんだよなあ

199:世界@名無史さん
20/08/01 23:58:58.26 0.net
>>192
日本人の先祖は6300年前に朝鮮人の先祖を豊かで暖かい日本列島から寒くて貧しい朝鮮半島へ追い出した

200:世界@名無史さん
20/08/02 00:00:18.58 0.net
>>196「私は言語学も地理もできないただのヒョーロクダマです」
まで読んだ

201:世界@名無史さん
20/08/02 00:01:32.92 0.net
なんだ、いきなり罵倒にレベルを落とすのか
反論不可能に陥ったということで、試合は終了だな
ごくろーさんw

202:世界@名無史さん
20/08/02 00:03:27.79 0.net
>>196
長文発狂で効いてて草

203:世界@名無史さん
20/08/02 00:04:40.95 0.net
で、始原の言語ってなに?
ボクのかんがえたさいきょうのにほんごのるーつでちゅかあw?

204:世界@名無史さん
20/08/02 00:05:32.51 0.net
>>196
あんたの負けやで

205:世界@名無史さん
20/08/02 00:06:42.22 0.net
始原の言語(笑)

206:世界@名無史さん
20/08/02 00:07:33.81 0.net

URLリンク(o.5ch.net)

207:世界@名無史さん ぱよぱよちーん
20/08/02 00:09:13 0.net
>>196
もしかしてこいつハングル板で暴れてたクルチガイジって荒らし?
改行の癖が似てるけど

208:世界@名無史さん
20/08/02 00:11:31 0.net
ハングル板とか覗いたことすらないけどw
あ~つまりは縄文時代から日本語が独自発展したという歴史観を開陳したいだけのネトウヨか、こいつ

悪いけど歴史に自分の政治的嗜好を持ち込むのってやめた方がいいよw

209:世界@名無史さん
20/08/02 00:12:26 0.net
>>196
まず>>193に答えてはいかがですか?
おガイジ様

210:世界@名無史さん
20/08/02 00:13:56 0.net
>>207
ガイジ連呼のガイジ君へ

まず日本祖語とは何か、始原の言語とやらは何か
きちんと定義してからはじめましょうんw

211:世界@名無史さん
20/08/02 00:15:07 0.net
「ガイジの行動パターンそのままで草」

↑自己紹介すぎるw

212:世界@名無史さん
20/08/02 00:15:08 0.net
よかったなガイジくん��
いっぱい構って貰えて��

213:世界@名無史さん
20/08/02 00:16:43 0.net
反論できないからってガイジ連呼は草草の草

214:世界@名無史さん
20/08/02 00:20:30 0.net
>>208
常勝無敗の神聖ガイジ大皇帝さま!
まず双子語とニカラグア手話が何なのかお答えいただけませんか?
もちろんウィキペディアは御覧あそばせてはいけませんよ?

215:世界@名無史さん
20/08/02 00:23:04 0.net
ガイジ連呼君はなんか発狂しちゃったけど結局何が言いたいのか

・縄文人は始原の言語(?)を操る集団だった
・日本中の縄文人は始原の言語を使って意思疎通できてた
・その理由は海運が発達してたから
・日本語はどこかの既存の言語のミックスなどではなくこの始原の言語から発展して生まれた


う~ん、全部無根拠の妄想やね

216:世界@名無史さん
20/08/02 00:24:42 0.net
>>213
双子語とニカラグア手話についてご存じないのですか?
おガイジ天皇さま!

217:世界@名無史さん
20/08/02 00:25:35 0.net
>>214
知ってるけど、お前の態度が悪いから教えてやんない

218:世界@名無史さん
20/08/02 00:28:12 0.net
地政学チ―牛と同じような発狂ぶりだなあw

219:世界@名無史さん
20/08/02 00:29:54 0.net
実際縄文文化がなかったから先住民を塗り替えた筈の南琉球の宮古語八重山語与那国語にさえ基層言語の存在は確認できないよ

先日本祖語から分かれた日本語族の言語Xの基層に日本祖語から分かれた琉球祖語の基層の上に中古日本語の文語の影響が乗っかって無限ループ構造

220:世界@名無史さん
20/08/02 00:32:12 0.net
草とかチー牛など他人の言う事を真似ばかりして自分の頭で考えないのは、遅延性エコラリアといって自閉症スペクトラム障害の特徴の一つである

221:世界@名無史さん
20/08/02 00:33:33 0.net
まあ仮にガイジ連呼君の言う始原の言語(?)=縄文祖語的なものを認めたとして
1万年の縄文時代の間に列島中で変化しまくった方言・別言語が生まれただろうということは容易に想像できるだろう

222:世界@名無史さん
20/08/02 00:39:12 0.net
>>219
一万年も遡ったらそれこそ朝鮮語アイヌ語日本語の共通祖先が存在できる
それが縄文語である

223:世界@名無史さん
20/08/02 00:41:57 0.net
>>214
ニカラグア手話と双子語で何を主張したかったんだコイツは

224:世界@名無史さん
20/08/02 00:44:09 0.net
>>221「最後にレスした方が勝ちガイ」
まで読んだ

225:世界@名無史さん
20/08/02 00:45:35 0.net
>222
いや、純粋に何が言いたいのかわからん

まあ全体的に説明がないまま、ガイジ連呼で発狂しちゃったから
本当に何が言いたかったのかわからないままなんだけど

226:世界@名無史さん
20/08/02 00:47:06 0.net
ガイジとかまで読んだ。など他人の言う事を真似ばかりして自分の頭で考えないのは、遅延性エコラリアといって自閉症スペクトラム障害の特徴の一つである

227:世界@名無史さん
20/08/02 00:48:10 0.net
>>223
植松呼ぶで?

228:世界@名無史さん
20/08/02 00:50:38 0.net
>>220
そんなものは古すぎて資料もなく再構すら不可能

229:世界@名無史さん
20/08/02 00:51:02 0.net
政子みたいなバーサーカーがウジャウジャ居たんでしょ(鼻ホジー
マジレスすると渡洋侵攻をマトモに展開できるようになるのはアメリカ海兵隊以降の話やぞ

230:世界@名無史さん
20/08/02 06:23:34.96 0.net
ドイツが統一せずに、プロイセン、バイエルン、ザクセン、ハノーファーみたいな
各領邦がそれぞれ独立国家になっていたほうがよかったんじゃね?
ヨーロッパにはルクセンブルクやリヒテンシュタインのようなミニ国家もあるし、
統一しなくてもなんとかやっていけたと思う

231:世界@名無史さん
20/08/02 09:22:46 0.net
民族主義という無茶な幻想のせいでドイツは3度も滅んだ

232:世界@名無史さん
20/08/02 09:28:59 0.net
ドイツに限らず、西欧起源の思想・文化が広まったせいでおかしくなった国は多いよな

インドでは、ヒンドゥー至上主義政党の中で最も過激として知られる
シヴ・セーナーが、カースト制度最上位階層の多くを占めるといわれる
アーリア系について優生学的擁護を訴える政策をしばしば提言し、
じわじわと支持を広げている。

233:世界@名無史さん
20/08/02 09:30:45 0.net
ドイツ連邦ってアメリカ合衆国とはちょっと趣きが異なるよね

234:世界@名無史さん
20/08/02 09:45:51.55 0.net
ドイツ統一運動は、少なくとも主観的には、「弱者」の運動であった
多くのドイツ人は強い国家を持たないドイツがヨーロッパの国際関係において、
不当にも二流の地位しか与えられていないと考えていた

235:世界@名無史さん
20/08/02 10:38:49.45 0.net
プロイセンは単独でも欧州列強の一角、
バイエルンもかなりの大国だな

236:世界@名無史さん
20/08/02 10:41:42.17 0.net
カリフォルニアは独立すればイギリス・フランスに匹敵する大国、
テキサスやフロリダもかなりの大国だ

237:世界@名無史さん
20/08/02 10:45:21.02 0.net
ドイツ統一って元々は下からの改革なんだよな
ブルシェンシャフトのような大学の学生組合のような

238:世界@名無史さん
20/08/02 12:02:41 0.net
>>228
攻められたら弱い
第一次大戦のベルギーみたいになる

239:世界@名無史さん
20/08/02 12:08:32 0.net
ドイツという国はやはり覇権国家には向いていないのかな
現在のユーロだってドイツだけが得をする仕組みになっているし、
他国にも利益を分け与えるようなシステムではない

240:世界@名無史さん
20/08/02 12:27:47 0.net
>>237
>現在のユーロだってドイツだけが得をする仕組み
その割にはこれに反発する国々がユーロ圏離脱する動きって見かけんような

241:世界@名無史さん
20/08/02 14:37:42 0.net
>>236
だからメッテルニヒはドイツ連邦を創ったんじゃね?
オーストリア、プロイセンを中心に39の独立邦国が、
国家主権を維持したまま相互の安全保障をはかる体制

242:世界@名無史さん
20/08/02 15:59:55 0.net
ドイツの地理的位置が問題なんだよ
ドイツはヨーロッパの中原に位置し様々な民族の通り道になっている
古今東西、こういう場所に位置する地域には統一国家は生じにくい

243:世界@名無史さん
20/08/02 17:08:54 0.net
>>240
へえ、他には例えば?

244:世界@名無史さん
20/08/02 17:13:32 0.net
>>241
春秋時代の中原だろ

周囲に晋・秦・斉・楚と大国が台頭する中、都市国家が林立して草刈り場になっていた

245:世界@名無史さん
20/08/02 17:20:20 0.net
>>241
中央アジアや西アジアがそうだね
西アジアで長く統一国家が続いたのはオスマン帝国ぐらいじゃないかな?
中央アジアなんて一時チンギスハーンまとめたけどすぐに崩壊した

246:世界@名無史さん
20/08/02 17:28:59.39 0.net


247:l="noopener noreferrer" target="_blank" class="reply_link">>>240 地形的には平野だが 昔は森が鬱蒼としてたんよな



248:世界@名無史さん
20/08/02 17:30:36.36 0.net
>>243
>西アジアで長く統一国家が続いたのはオスマン帝国ぐらいじゃないかな?
オスマン帝国が台頭したのは、イギリスやフランスの統一が進んだのと同じ頃ではないか?
それ以前の西アジアは確かにバラバラだったが、西欧だってその頃はバラバラだった

249:世界@名無史さん
20/08/02 17:32:20.07 0.net
ヨーロッパの中原って頭悪い単語だなw
平原レベルでいえばポーランドリトアニアあたりのが上だけど強大な国家になったぞ
>>243
そりゃ遊牧民の性質に起因する流れだろ
いろんな民族が入り乱れたメソポタミアなんかも強大な王国が成立したし
なんかアテにならん説だな

250:世界@名無史さん
20/08/02 17:42:15.83 0.net
>ポーランドリトアニア
ここもドイツみたいな選挙王制でしたね

251:世界@名無史さん
20/08/02 17:45:38.59 0.net
ヨーロッパの中原が何を指すかわからないけど
文化の中心で豊かな土地というならパリ周辺が中原ダルォ?

252:世界@名無史さん
20/08/02 17:51:24.96 0.net
イタリア(ローマ)→フランス(パリ)→ドイツ(ベルリン)と欧州の中心が移ろっている様に見えるんだよなあ

253:世界@名無史さん
20/08/02 17:57:31.86 0.net
ベルリンが欧州の中心になったときなんかあるか?

254:世界@名無史さん
20/08/02 17:59:32.75 0.net
ユ虐おじさんの時にね

255:世界@名無史さん
20/08/02 18:16:45.74 0.net
>>249
それは政治の中心であり、表面的な問題
西欧文明の本当の中心軸は、昔も今も北イタリアのポー川平野からライン川を通ってフランドルに至る「ブルーバナナ」

256:世界@名無史さん
20/08/02 18:33:17.90 0.net
かつての欧州の先進国は、イタリア・ギリシャ・スペイン・南仏・トルコといった南欧だった
17世紀頃から、イギリス・フランス・オランダ・ドイツといったアルプス以北に移動した

257:世界@名無史さん
20/08/02 18:55:58.91 0.net
フランドルは中世から欧州の先進地域だったぞ

258:世界@名無史さん
20/08/02 18:59:40.35 0.net
>>250
ベルリンはブランデンブルク辺境伯というぐらいだから東の辺境ですね
フランクフルトとかあの辺

259:世界@名無史さん
20/08/02 19:12:08 0.net
経済力を背景に政治面でもEUの主導権を握ろうとするドイツとそれに猛反発するフランス。
EU内部は親独派、親仏派、そのどちらでもない国の派閥抗争が激しかったりして

260:世界@名無史さん
20/08/02 19:12:08 0.net
ロタールの国(ロタリンギア)はフランク王国の中で最も豊かな地域だったから、
東西両フランク王国の垂涎の的だった

261:世界@名無史さん
20/08/02 19:25:19 0.net
フランドル時代は先進地域だったベルギーだが現在はオランダ人・フランス人双方から
田舎呼ばわりされてたりする?
オランダ人はフラマン語、フランス人はベルギーのフランス語をバカにしてるってどっかで
見たおぼえあるが

262:世界@名無史さん
20/08/02 19:29:24 0.net
ベルギーは一時オランダに併合された時期があるが、その時代には公用語は
オランダ語だけとされ、大臣や役人の多くがオランダ人によって占められた

263:世界@名無史さん
20/08/02 19:42:21 0.net
ベルギーってずっとオランダ(ネーデルランド)の一部だと思ってた

264:世界@名無史さん
20/08/02 21:06:58 0.net
ネーデルラント独立戦争で宗教上により離脱した後の南部がスペイン側について
戦ってたとしたら,北部(オランダ)と南部(ベルギー)は現在でもその事で
深い因縁持ってたりして

265:世界@名無史さん
20/08/03 01:11:56.89 0.net
15Cのネーデルラントは南部(フランドル)の繁栄ぶりがよく語られるけど
同時期の北部は存在感が薄いような。
17Cに入ると逆に北部のほうが繁栄してった感あるが

266:世界@名無史さん
20/08/03 06:58:10.10 0.net
>>262
ネーデルラントは、もともと森林と沼沢に覆われた湿地帯だったのを人間が干拓して創った新しい土地で、歴史に登場するのは12世紀のこと。
江戸や上海と同じで、近現代における重要性のわりには、わりと歴史が浅い。
それに比べてフランドルは、中世から先進国で別格だった。15世紀だと、まだその伝統の重みが違った。

267:世界@名無史さん
20/08/03 07:45:48.51 0.net
ブーヴィーヌの戦いでフランスが負けていたら、その後の欧州の歴史は
変わっていたんだろうか

268:世界@名無史さん
20/08/03 14:36:09 0.net
>>1
ガリアとゲルマニアは、ローマ時代には全く異質な地域だったし、
むしろフランク王国によって統一されていた時期のほうが例外的だったんじゃね?

269:世界@名無史さん
20/08/03 19:04:12 0.net
日本は外部から侵入した勢力が王になったことですぐに統一されたのかもしれん

270:世界@名無史さん
20/08/03 19:08:44.72 0.net
>>266
外部から侵入した権力者など、マッカーサー元帥しかいない

271:世界@名無史さん
20/08/03 19:51:46.26 0.net
もし日本から天皇制が消滅したら、日本という国はバラバラになってしまうんだろうか

272:世界@名無史さん
20/08/03 22:13:43.75 0.net
神聖ローマ帝国など創らずに、単なる東フランク王国のままでいればよかった
もちろんイタリア王国とは別の国になる
そうすればドイツもイタリアも早期に統一できたかもしれない

273:世界@名無史さん
20/08/03 23:03:04 0.net
>>268
今はならないでしょ
むしろ前近代の各時代に
天皇がいなくなってたらどうなってたのか気になる

274:世界@名無史さん
20/08/04 01:01:45 0.net
江戸時代は初期と末期以外なら、
天皇がいなくなってもとくに問題はなさそう

275:世界@名無史さん
20/08/04 07:16:26 0.net
>>269
神聖ローマ帝国は東フランク王国の延長線上にあり東フランク国王がローマ教皇の戴冠を受けることで神聖ローマ皇帝になっただけだよ
元々、イタリアにあった中フランクのカロリング家ならびにその縁者が持っていたローマ皇帝の称号(924年ベレンガーリョ1世の逝去により長らく空位になっていた)を東フランク王のオットー1世が引き継いだだけの話
恐らく皇帝のイタリア政策を批判しているのだと思うけどそれとドイツが統一出来なかったという話はあまり関係ないと思う
これは古くからジーベルとフィッカーの論争で知られているが

276:世界@名無史さん
20/08/04 07:19:01 0.net
西フランク王にも、ローマ皇帝の称号を引き継ぎたいという気持ちはあったけど、
当時は東フランクのほうが強力だったからそれができなかったということかな

277:世界@名無史さん
20/08/04 08:00:41 0.net
>>273
西フランク王のシャルル禿頭王は875年に教皇ヨハネス8世よりローマ皇帝カロルス2世として戴冠されています
876年兄の東フランク王のルートヴィヒ2世(ドイツ人王)の死去に伴い三子が遺領を分割相続するという事態に乗じ領土拡大を目論見、アーヘンとケルンを侵攻するが、ルートヴィヒ3世(のちの東フランク王)を中心とする三子連合軍にアンデルナハの戦いで敗北する
シャルル禿頭王は877年に死去し西フランク王は息子のルイ2世(吃音王)が継承しますが、879年彼の死後、西フランク王国の継承争いに先のルートヴィヒ3世が介入し、880年のリブモント条約によって西ロレーヌの獲得に成功します
西フランク王国はパリ伯など諸侯の力が強くその後の歴代の王もあまり賢くなかったので奮いませんでした
一方東フランクではルートヴィヒ3世の死後、弟のカール3世(肥満王)が継ぐことになり、一時は西フランク国王も兼ね、881年に教皇ヨハネス8世から戴冠されて皇帝カロルス3世となる
しかし、888年彼の死後ローマ皇帝位はアルヌルフの一時的な即位を除いてカロリング家から離れ他家に移ることになります

278:世界@名無史さん
20/08/04 09:28:24 0.net
そもそもなぜ西ローマ帝国を復興しなければならなかったのかわからん

279:世界@名無史さん
20/08/04 11:37:13.16 0.net
ローマ教皇を軍事的に守護するものが必要だったんだろ
下手すると東ローマに食われてたかも知れんし

280:世界@名無史さん
20/08/04 12:26:27.64 0.net
>>275
西ローマ帝国が崩壊して、西欧社会は貨幣経済から物々交換にまで後退したからな
失われた古代文明を取り戻したいのは当たり前

281:世界@名無史さん
20/08/04 14:29:57 0.net
中世初期、フランク王国の支配を支えたのは教会だった
当時は、全国にわたって張り巡らされる統治組織など存在しない
東ローマ帝国は、よく整えられたローマ帝国の世俗的統治組織を受け継いだが、
フランク王国にはそれがなかった
それを代替したのが教会組織である

282:世界@名無史さん
20/08/04 18:23:33 0.net
聖像が、東ローマの場合は平面的なイコンだったのに対し、
カトリック教会は立体的な彫像を認めたけど、
そのほうがゲルマン人には受け入れやすかったのかな

283:世界@名無史さん
20/08/04 18:56:52 0.net
>>275
ローマ教会がビザンツと対立してたから
西の皇帝が必要だった

284:世界@名無史さん
20/08/04 19:00:53 0.net
>>279
東ローマは偶像崇拝に厳しくて、「イコンは偶像崇拝ではない」という屁理屈を編み出したが彫刻はさすがにNG

西ローマはその点がもっとイイカゲンだった

285:世界@名無史さん
20/08/04 19:14:46 0.net
「476年にオドアケルが西ローマ帝国を滅ぼした」というのは後世の解釈であり、当時の人々は「西ローマ帝国が滅亡した」と思っていなかっただろうというのは、よく言われるところ

「800年のシャルルマーニュ戴冠により西ローマ帝国が復活した」だって、当時の人々がそう解釈していたかは疑わしい

286:世界@名無史さん
20/08/04 19:15:35 0.net
フランク族はガリア住民の5%程度であり、残りはガロ・ローマ人だった
これに対しゲルマニアの住民はほとんどがゲルマン人
だからやっぱり仏独が別の国になるのは歴史の必然だったんじゃないか

287:世界@名無史さん
20/08/04 19:17:50 0.net
ただ、それまでは東ローマ皇帝が西欧を含む全欧州の最高権威だったのは確か

288:世界@名無史さん
20/08/04 19:39:42.21 0.net
カール大帝もオットー1世も、彼らの皇帝称号を認めてもらうべく、
コンスタンティノープルに使節を送っている
この時点まではやはり東ローマのほうが格上だという意識があったのだろう

289:世界@名無史さん
20/08/04 22:37:00.34 0.net
>>275
カール大帝が即位したローマ皇帝って、
西ローマの皇帝ではないだろう
そのきっかけは東ローマで女帝が即位し、
ローマ皇帝が不在になったとみなされたからだったし

290:世界@名無史さん
20/08/04 23:27:24.53 0.net
カールが単に「皇帝」と称していたのに対して、
オットー1世は「ローマ皇帝」と称した

291:世界@名無史さん
20/08/05 00:07:47 0.net
サンチョ3世はヒスパニア皇帝を号した

292:世界@名無史さん
20/08/05 05:23:30.21 0.net
西ローマ帝国にとっては、穀倉地帯である北アフリカを
ヴァンダル族に奪われたのが痛かったよな

293:世界@名無史さん
20/08/05 11:30:50.27 0.net
仮にフランスが神聖ローマ帝国を併合したとして、共通語は
フランス語になったんだろうか
さらに文化はどんなものになったのか
日本では「クラシック音楽=ドイツ」のイメージだけど、
フランス人やイタリア人にとっては「ドイツ音楽=小難しくて楽しくない音楽」
というイメージらしい

294:世界@名無史さん
20/08/05 13:27:37.13 0.net
現在のゲルマンとラテン系の民族の境界が西ローマ帝国時代も同じ様だったんだろうか?
当然ながら先住民のケルトは消滅していると考えて

295:世界@名無史さん
20/08/05 18:07:37 0.net
>>290
クラシック音楽はドイツといっても、実際に音楽が盛んだったのはオーストリア

オーストリアは、ドイツとイタリアにはさまれた国。
音楽が盛んになったのは、ドイツの隣にったさらではなく、イタリアの隣にあったおかげ

296:世界@名無史さん
20/08/05 19:40:57 0.net
カール5世がスペイン王になると、まもなくカスティーリャでは、羊毛を
輸出するばかりでは結局は経済的な繁栄は得られないのではないかという
不安が生じた。
一方、ネーデルラントでは、自分たちと関係のない地域のために税金を
支払うことへの不満が沸き起こることになった。

1527年、スペイン議会はハンガリーでオスマン軍を撃退するための軍事遠征に
資金を出すことを拒否した。スペインには、バルバリア海賊というオスマン軍より
もっと別の危機が迫っていた。

ナショナリズムがまだ勃興していない時代でさえ、このような不満があった。
だから現在のEUがうまくいっていないのもよくわかる

297:世界@名無史さん
20/08/05 20:15:51.92 0.net
>>293
歴史シミュレーションゲームみたいにはうまくいかんなあ現実は

298:世界@名無史さん
20/08/05 21:41:26.01 0.net
というかフランス語って本当にラテン語系なんすか?
どう聞いてもスペイン語やイタリア語とは違う系統の言語に聞こえる
ケルト(ゲール語)系統じゃないのでしょうか?

299:世界@名無史さん
20/08/05 22:03:28.09 0.net
>>288
バスク人だからヨーロッパとはちょっと違う意識があったのかもしれん

300:世界@名無史さん
20/08/05 22:20:51.38 0.net
カール5世は故郷ブルゴーニュの豪華な風習を、スペインの宮廷に持ち込んだ
そのためカトリック両王時代の質実剛健な気風になじんでいたスペインの
貴族たちは、ブルゴーニュ的な華やかさを贅沢だと感じ、
なかなか受け入れることができなかった

301:世界@名無史さん
20/08/06 07:16:19 0.net
>>295
発音はそうだが、文章を読み比べてみるといい

単語のつづりも語順も、あまり変わらない

302:世界@名無史さん
20/08/06 07:18:41 0.net
中国語もそうだ

長年の民族大移動にもかかわらず、漢文の書き言葉は維持された

でも異民族なので、発音が古代とは大きく異なる

303:世界@名無史さん
20/08/06 07:19:49 0.net
フランス国王が神聖ローマ帝国の皇帝選挙に立候補したことは
あっただろう?

304:世界@名無史さん
20/08/06 07:22:11 0.net
フランス語は、書き言葉(エクリチュール)と話し言葉(パロール)が大きく乖離している

20世紀のフランスから世界に広がった「言語哲学」では、ここに強くこだわっているのだが、日本人にはピンと来ない

305:世界@名無史さん
20/08/06 08:38:31 0.net
神聖ローマ帝国の皇帝は東フランクの男系が絶えた後の女系の子孫だろ

306:世界@名無史さん
20/08/06 09:31:43.19 0.net
神聖ローマ帝国では、16世紀になっても、他のヨーロッパの国では常識となった
長子相続制が存在せず、ゲルマン法に由来する分割相続制が実施されていた
おかげで諸港の死後、領土は相続者の間で分割され、あたかも鼠算式に
領邦国家の数がどんどん増えていく結果となった。
一方でこのおびただしい増加に対する防禦策も考え出された。
相続者が途絶えると近親諸侯によって相続併合したり、近隣のより強力な
領邦国家に合併するという方法である。
やっぱりドイツは英仏に比べて遅れていたといって差し支えないんじゃね?

307:世界@名無史さん
20/08/06 10:56:40.50 0.net
>>303
>やっぱりドイツは英仏に比べて遅れていたといって差し支えないんじゃね?
そりゃそうだ
19世紀まで英仏に比べて後進国だったのは、自他ともに認めている。
まあ、日本ほど国民所得が低くはなかっあが。

308:世界@名無史さん
20/08/06 11:14:39.93 0.net
やはりフランス(ガリア)と較べてドイツ(ゲルマニア)は遅くまで森が切り開かれなかったのがデカいか

309:世界@名無史さん
20/08/06 14:14:23.68 0.net
>>303
いや僕はそう思わない
ドイツはサリカ法を厳格に守った結果そうなっただけだよ

310:世界@名無史さん
20/08/06 14:35:24.36 0.net
ドイツにとって栄光の時代は中世なのかな
シュタウフェン朝では、ドイツのみならずブルグントとイタリアを支配するという
神聖ローマ皇帝の権利要求がもっとも実質的に満たされた
フリードリヒ2世はシチリアも支配していたし

311:世界@名無史さん
20/08/06 16:46:54 0.net
>>307
18世紀~19世紀でしょうね

312:世界@名無史さん
20/08/06 16:54:32 0.net
ナポレオンに勝った頃だな

313:世界@名無史さん
20/08/06 17:25:21.69 0.net
>>307
>フリードリヒ2世はシチリアも支配していたし
逆だ
シチリア王フェデリーコが「皇帝フリードリヒ2世」と称してドイツを支配したのだ
(失敗したけど)

314:世界@名無史さん
20/08/06 17:26:57.81 0.net
>>309
欧州列強の一角を占めるに至った新興国のプロイセンにとって、ナポレオンのフランス軍に占領されたのは挫折
最終的には、ナポレオン打倒の原動力になったが

315:世界@名無史さん
20/08/06 17:59:53.26 0.net
天才ナポレオンに凡人が勝つにはと言う事で参謀本部の設立等近代軍制を確立している

316:世界@名無史さん
20/08/06 18:32:53 0.net
>>1
シャルル・ダンジューは、シチリアを手に入れたあと、
甥のフランス王フィリップ3世を神聖ローマ皇帝位につけようとした
いわば神聖ローマ帝国理念の拡大フランス版

317:世界@名無史さん
20/08/06 18:46:23 0.net
>>313
最終目標はビザンチン帝国の征服だったと言われている

318:世界@名無史さん
20/08/06 20:28:25.91 0.net
>>303
16世紀はアウグスブルクのフッガー家が欧州の金融支配してたし遅れてないよ

319:世界@名無史さん
20/08/06 20:33:57.88 0.net
>>304
ライン川沿いは産業革命がはやかったよ
だから統一ドイツが圧倒的に大国になったのはそういったところだな
URLリンク(en.wikipedia.org)(PPP)_in_the_nineteenth_century
1890年比較だとドイツのがフランスよりGDPが上

320:世界@名無史さん
20/08/06 20:58:11.46 0.net
歴史統計の本だとフランスとドイツの一人当たりGDPは中世から現代までほとんど変わらない
1870年の統一時だとフランスとドイツの人口はほぼ同じでGDPもほぼ同じ
ドイツはその後の領土拡張と人口増で第一次大戦前だとGDPがフランスの1.6倍、イギリスをわずかに上まってる
ただイギリスの一人当たりGDPはドイツとフランスの1.4倍はある
第二次大戦前だとフランスが簡単に落ちたのもわかる
URLリンク(www.quora.com)

321:世界@名無史さん
20/08/07 05:28:54 0.net
神聖ローマ皇帝は、ドイツ国王よりも「ヨーロッパの君主」として
みられるべき存在だった
そして、豊かな北イタリアの諸都市国家を制し、さらには地中海交易の要に位置する
シチリアを支配下におさめようとするのは、ヨーロッパ的君主の権力政策として、
むしろ当然のことだった

322:世界@名無史さん
20/08/07 06:02:16.82 0.net
そりゃ自称ローマの皇帝だからな

323:世界@名無史さん
20/08/07 07:42:56.52 0.net
シャルル・ダンジューも、シチリアを含むイタリアを中心に、
東ローマと聖地までも射程におさめた普遍的キリスト教的地中海帝国の
夢を抱いていたわけだし
中世人の発想としては別に特異なものではないだろう

324:世界@名無史さん
20/08/07 07:45:45.45 0.net
神聖ローマ皇帝のイタリア政策は、皇帝の意図とは別に、続く時代のための
発展の種をまいたところもある
「ゲルフ」「ギベリン」がせめぎあった北イタリア諸都市のその後の
合従連衡の中から、「勢力均衡」という政治の論理が生み出されてくるのである
それはやがて成長途上の主権的諸国家をとらえ、全ヨーロッパで国際政治を
律する原理となってゆく

325:世界@名無史さん
20/08/07 09:36:46.39 0.net
神聖ローマ帝国がフランスをつぶす最大のチャンスっていつ頃?

326:世界@名無史さん
20/08/07 12:50:21 0.net
>>322
カール5世の時代じゃないかな

327:世界@名無史さん
20/08/07 14:41:46.35 0.net
オットー1世はじめ、中世の神聖ローマ皇帝たちは、自分のことを
「ドイツ人」ではなく「ローマ人」、あるいは「キリスト教徒」と
考えていたんだろうな
だから彼らがドイツの利益を考えて行動しなかったという非難は筋違い

328:世界@名無史さん
20/08/07 16:40:56 0.net
中世ローマ帝国というと一般的に現在のドイツ、イタリア、ブルグンドから成る訳だがそれぞれが今のように国民国家的な枠組みがあったのではないからドイツ全体の利害という考え方はまずないだろう
ただ一つ、イタリアに対してはアルプスの向こうの異なった言語を話す地域という認識はあっただろうと思う

329:世界@名無史さん
20/08/07 16:59:49.92 0.net
国民国家と言う概念そのものが神聖ローマ帝国を解体させたウェストファリア条約によるものだからな

330:世界@名無史さん
20/08/07 17:30:47.57 0.net
上流階級は国を越えたサークル作ってたからね
庶民も含めた一つの国民という意識はないでしょ

331:世界@名無史さん
20/08/07 17:35:06.01 0.net
国や領邦は大貴族の所有物で
欧州上流階級クラブの戦略ゲームみたいなもん

332:世界@名無史さん
20/08/07 18:41:06.34 0.net
オットー大帝はドイツ全体のことよりもザクセン部族の利害は常に考えていたと思うわ

333:世界@名無史さん
20/08/07 19:09:52.60 0.net
主権国家の理念は、自らより上位の存在を認めない
したがって、主権国家体制が確立した時点で、ローマ教皇や神聖ローマ皇帝は
不要のものとなっていたのかもしれない

334:世界@名無史さん
20/08/07 22:43:11.93 0.net
ドイツにとって最も幸福だった時代は18世紀かも
「詩人と思想家の国」としてヨーロッパ中から愛された

335:世界@名無史さん
20/08/08 20:03:58 0.net
阿部謹也氏は、神聖ローマ皇帝のイタリア政策は周囲の勢力との関係を
維持するために必要な政策だったのであり、帝冠を求めず、イタリア遠征をも
行わなかったら、ドイツ王権を維持することもできなかったであろうと書いている

ドイツ国王の権威・権力はそれほどまでに脆弱なものだったのか?

336:世界@名無史さん
20/08/08 23:45:55.62 0.net
>>331
オーストリアとプロイセンの2大国が対立し、周囲の国々も戦場になって大変だった

337:世界@名無史さん
20/08/08 23:58:46.36 0.net
ヨーロッパの王族とか上流階級って昔からコスモポリタン的な考え方を
持つ人が多かった?

338:世界@名無史さん
20/08/09 00:00:46.42 0.net
>>332
>ドイツ国王の権威・権力はそれほどまでに脆弱なものだったのか?
非常に脆弱だった
神聖ローマ帝国の開祖オットー大帝にしてからが、弟に反乱されて滅亡寸前まで追い込まれ、息子にも反乱されて、また滅亡寸前まで追い込まれた
諸侯は「勝ち馬に乗る」主義なので、負けそうになったら一斉に離れていく。
宗教的な権威なしでは、とても抑えきれるものではない

339:世界@名無史さん
20/08/09 04:57:05 0.net
>>335
じゃあやっぱりドイツは分裂する運命だったんじゃないのか

340:世界@名無史さん
20/08/09 05:04:21 0.net
ハインリヒ4世が「カノッサの屈辱」をあえて耐え忍んで教皇に破門を
解いてもらったのは、さもなくば諸侯の離反が避けられなかったから

341:世界@名無史さん
20/08/09 15:00:22 0.net
ドイツ国王の地位を守るためにはローマに行って教皇に戴冠してもらうことが必要
しかしイタリア遠征には諸侯の協力が必要
もう最初から詰んでる

342:世界@名無史さん
20/08/09 15:56:36.03 0.net
そもそも中世にはドイツ国やドイツ人という概念は皆無だったんだわ
ヨーロッパの中央に位置するゲルマン諸部族の間から選挙で選ばれた王がローマにいる教皇から戴冠されてそれがローマ皇帝呼ばれただけ
その王もローマ王もしくは東フランク王と呼ばれた人たちで公文書では「ドイツ王」と書かれたこともあったが、rex teutonicorum すなわちそれは「民衆から選ばれた王」という意味であった
「ドイツ」の語源は民衆

343:世界@名無史さん
20/08/09 16:56:13.54 0.net
中世においては、国王の対外政策のゴールは、ローマ皇帝を継承して
キリスト教世界の盟主となり、普遍帝国を打ち立てることだったが、
現代人にはこの感覚がなかなかわかりにくい

344:世界@名無史さん
20/08/09 18:20:42.91 0.net
理解できないのは非キリスト教圈の日本人だからだろ

345:世界@名無史さん
20/08/10 05:39:56.75 0.net
カール5世がシュマルカルデン戦争にスペイン軍を動員したこと、またそのスペイン軍を
ドイツに留めたことは、カトリック派を含めてドイツ諸侯を皇帝から離反させた
その上、カール5世が息子でスペインの継承者フェリペを、フェルディナントの後の
皇位継承者にしてスペインとドイツの再結合をはかったことが、ドイツ諸侯を決定的に
離反させた
彼らにとってそれは「スペインへの隷属」を意味したのであり、彼らは「ドイツの自由」
の名のもとに皇帝に抵抗する
そして1552年にはその抵抗が戦争にさえなり、皇帝はドイツ諸侯軍に敗れてイタリアに
敗走する憂き目に遭う

346:世界@名無史さん
20/08/10 06:16:53.27 0.net
フリードリヒ2世、カール5世はホーエンシュタウフェン、ハプスブルクといったローマ皇帝の王朝の血を受け継ぐ者というだけで彼らにはドイツ人という意識は皆無だったからな

347:世界@名無史さん
20/08/10 07:55:04.60 0.net
中世は、交通事情が悪いし、通信技術も未発達だから、シュタウフェン家の
大帝国のような、ドイツからシチリアまで至る広大な帝国を統治すること自体が
無理だったんじゃないかな
むしろ小規模でコンパクトにまとまった国土を持つ国のほうがやりやすかった

348:世界@名無史さん
20/08/10 09:01:35.97 0.net
フリードリヒもカールも本拠地はシチリア島やスペイン(ネーデルランドという説もある)であって、ドイツに関しては息子(フリードリヒの長子ハインリヒ(7世))や弟(カールの弟フェルディナント1世)のローマ王に全てを委ねていたようだ

349:世界@名無史さん
20/08/10 11:10:07.43 0.net
スペイン軍といっても中身はドイツ人傭兵でしょ

350:世界@名無史さん
20/08/10 11:24:40.88 0.net
一応調べたらナポリやハンガリーの兵も動員してたみたいだな
スペインの兵は基本現地兵雇うから国際色豊かなんだよね
カールはベルギー生まれの帝国の人間だったがフェリペはスペイン育ちで全然違うし
継承問題では弟を怒らせたのがまずかった
戦争に勝って調子に乗り過ぎた
フェリペ以外にもう一人息子がいてネーデルラント継承できればよかったんだけどね
フェリペが外国事情にうとかったのもネーデルラント反乱の原因でもあるからな
ちなみにカールの娘とフランソワ1世の次子シャルルを結婚させてネーデルランントを継承させるという案もあった
もちろんフランスとの合同は禁止な前提で、シャルルが死んで流れたけど

351:世界@名無史さん
20/08/10 11:50:49.78 0.net
あとカール5世は逃げた先は精確に言うとイタリアじゃなくてイタリアに近いvillachってところ
その後すぐロレーヌのメッツ攻略に参加してる
カール5世にとってスペインは本拠地だけどスペイン語ヘタクソで外人扱いされてたから
人としてはスぺイン人ではない
58年の人生でスペインにいたのは18年、帝国にいたのはネーデルラントとドイツ足して35年だから
ドイツ諸侯から外人扱いはされていない、息子のフェリペは100%外人だから継承問題で反発された
弟のフェルディナントはスペイン育ちだが、16歳からは死ぬまで45年間帝国ですごして性格も穏和なんでドイツ諸侯とはうまくやってた

352:世界@名無史さん
20/08/10 15:59:50.50 0.net
ドイツの旧教新教の争いはほぼカールのせいだったと思うよ
フェルディナントだったらもうちょっ上手く立ち回っていたんじゃない?
どうもカール5世って安倍晋三みたいなことをやってたように思うよ

353:世界@名無史さん
20/08/10 16:58:37.17 0.net
カール5世はヴォルムスの国会の後ドイツを去り、10年間もドイツを留守にしていた
その間皇帝代理をつとめたのはフェルディナントだが、オスマン帝国の脅威にさらされ、
ルターの処置にまともに取り組むような状況ではなかった

354:世界@名無史さん
20/08/10 17:35:43.02 0.net
ポーランドみたいに新旧共存でいくしかなかっただろうね
スペインからイエズス会とか持ちこむからめんどくさくなる
スペインの継承でカール5世は強力になった反面帝国は余計混乱したと思う
外国継承できるならイギリスがよかったな

355:世界@名無史さん
20/08/10 17:55:22.09 0.net
>>349
カール5世と安倍首相の共通点について詳しくお願いします。

356:世界@名無史さん
20/08/10 18:35:09 0.net
横からだけど漠然と保守的なところだけ似てるな
性格は全く似てない

357:世界@名無史さん
20/08/10 19:00:18 0.net
騎士戦争と農民戦争はいずれもドイツ諸侯の軍によって鎮圧された
皇帝がドイツにおらず、ルターもまた、治安回復と秩序だった改革の
主導権を諸侯に期待するほかはなかった

358:世界@名無史さん
20/08/10 23:33:35.93 0.net
12世紀になると、フライジングの司祭オットーは「帝国移転の理論」を用いて、
世界を支配する帝国が古代ローマ帝国から東ローマ帝国、そしてカール大帝の
フランク帝国を経て、最後にオットー大帝の神聖ローマ帝国に移転したという
説をとなえた
この思想は神聖ローマ帝国の永遠の支配を示すために利用された

359:世界@名無史さん
20/08/11 00:25:37.55 0.net
フライジングのオットーって赤髭王の伝記を書いた人やで

360:世界@名無史さん
20/08/11 07:42:31.08 0.net
中世人にとって、神聖ローマ帝国が終わるときというのは最後の審判のときだったらしい

361:世界@名無史さん
20/08/11 10:12:20 0.net
千年王国が来てないからな

362:世界@名無史さん
20/08/11 17:02:45 0.net
フランスは神聖ローマを併合することはできなかったけれど、
プロイセン・オーストリアはロシアとともにポーランドを分割して
その一部を手に入れることができた
ポーランド分割があっさり成功した理由は何だったのか?

363:世界@名無史さん
20/08/11 17:31:07 0.net
ポーランドはリトアニアとの同君連合

364:世界@名無史さん
20/08/11 19:54:31 0.net
19~20世紀のドイツの歴史家たちは、オットー1世以下のドイツの支配者が
帝冠を求めて南下し、イタリア経営にエネルギーを注いだことを批判し、
それよりもドイツの東方経営こそ重視すべきであったと主張した

365:世界@名無史さん
20/08/12 02:15:25.27 0.net
ジーベルフィッカー論争として有名な話だがランケの高弟ハインリヒ・フォン・ジーベルらプロシア学派はごりごりの小ドイツ主義者だからそう主張するのは当然だよ
でも最近ではそういったステレオタイプの中世ドイツ皇帝政策批判は見直されつつあるんだよ

366:世界@名無史さん
20/08/12 02:23:33.46 0.net
>>357
一方哲学者ヘーゲルは滅びゆく神聖ローマ帝国を尻目に皇帝ナポレオンを馬上の精神世界といって称えたのは有名な話だ

367:世界@名無史さん
20/08/12 04:33:53 0.net
そういや、ドイツの歴史の本見てて思ったんだけど、中世のドイツ(神聖ローマ帝国)って、領域内ではあんまり大きな戦争起こしてないんだよね、ボヘミアとか現スイスとかの戦争除いて
小競り合い的紛争は色々あったろうけど
実際、ルター登場まで日本の戦国時代のような大きな内戦見当たらないような気がする
戦国時代並に多くの領主が入り乱れてたわりには
やっぱり、イタリアなどの外国侵略を続けたおかげで、内側は最低限まとまってたのかな

368:世界@名無史さん
20/08/12 04:43:01 0.net
「『神聖』でも、『ローマ的』でもなければ、ましてや『帝国』でもない」
というヴォルテールの言葉は、彼が理性だけで世界と人間を理解しようとした
18世紀の思想的急進派、啓蒙主義の指導的立場にあったからこそ可能だったともいえる

近代以前のヨーロッパにおいては、この政治共同体が「神聖」で「ローマ」的で
「帝国」でなくてはならなかった
ラテン=キリスト教世界観にもとづけば、天地創造から最後の審判にいたるまでの
神の救済計画において、4番目にし


369:て最後の世界帝国であるローマ帝国の滅亡は 最後の審判の兆候だった その兆候がないなら、神に嘉されたローマ帝国が存続しているはずである



370:世界@名無史さん
20/08/12 07:22:51.87 0.net
>>364
フェーデはしょっちゅうあり、それに対して神の平和(pax dei)運動が起こり、やがてそれは国王権に回収されていき、時の皇帝がラント平和令(Landesfrieden)を発布しフェーデを禁止しようとするのだが、それあくまでもそれは部分的なものであり、期限も四年ということであまり効果がなかった
ラント平和令の最も最古のものは1103年ハインリヒ4世によるものとされる
その後、1235年フリードリヒ2世が公布したマインツのラント平和令(Mainzer Landfriede)は、従来までのラテン語ではなく、ドイツ語によって記述された点が特筆に価する
さらに1495年8月7日にマクシミリアン1世によって制定された永久ラント平和令によって、帝国等族諸身分は自力救済権としてのフェーデを完全に失った
仰るようにイタリア遠征など外へのエネルギーでドイツ領内での大戦争というものはあまりなかったが、中世後期から近世にかけて帝国の範疇からイタリアが消失して以降は、宗教改革に伴う宗教的分裂も絡み、ドイツ農民戦争や三十年戦争といったような大規模な戦乱が帝国内でみられるようになる

371:世界@名無史さん
20/08/12 07:39:15 0.net
神聖ローマ皇帝は初期にドイツ人の王とセットになってて、教会が強い時代にはあり得ない

フランス王家はイギリス王家にもなるが百年戦争へ、そんときも無理

ブルゴーニュが強国で、継承時にフランスとハプスブルクで分割して2強体制になった
ドイツ国家とオーストリアを併合とかとても無理

ナポレオンは唯一チャンスあった

372:世界@名無史さん
20/08/12 09:18:09.13 0.net
フランソワ1世が神聖ローマ皇帝選挙で勝利して、さらにイタリア戦争でも勝って
フランスがイタリアを手に入れていたら普遍帝国を打ち立てることができた

373:世界@名無史さん
20/08/12 09:20:04.86 0.net
そんなことは不可能だ

374:世界@名無史さん
20/08/12 12:19:38.77 0.net
>>364
伯爵や公爵等の貴族は平時から子供達を政略結婚で送り出してるからね
子供や孫、親戚が多ければ多い程=不可侵及び同盟数だから
遠いカモな辺境伯の親戚が実は自分の上司の遠戚だったりね
もはや何処が何処と親戚だかわからないぐらい入り乱れた世界で
よっぽどの基地外暴君でない限り手頃な開戦事由を見つけるのはそれだけで骨が折れる
逆にそういうので継承権争いも多くなるけどあまり激しくやると皇帝や教皇が介入してくるし

375:世界@名無史さん
20/08/12 12:49:16.05 0.net
フランスには皇帝ナポレオンがいたし大英帝国という用語もあるがそれは所詮、平民からの成り上がりの皇帝であったり、植民地に対する「帝国」であって、それらはいわゆるローマ帝国やその後継の神聖ローマ帝国の「帝国」とは決定的に異なる

376:世界@名無史さん
20/08/12 12:52:19.01 0.net
なにが?

377:世界@名無史さん
20/08/12 14:40:19 0.net
なら皇帝と名乗る必要ないだろw

378:世界@名無史さん
20/08/12 16:19:17 0.net
それに対してロシア皇帝は東ローマの後継だから由緒正しき帝国
フランス帝国、大英帝国、アメリカ帝国は偽物の帝国

379:世界@名無史さん
20/08/12 16:44:28.15 0.net
ナポレオンはローマ教皇からの戴冠でイギリスはキングダム

380:世界@名無史さん
20/08/12 17:13:49 0.net
インド皇帝ってローマ的じゃなくてムガールの継承なのかな

381:世界@名無史さん
20/08/12 17:32:15 0.net
わかってはいると思うけど皇帝とかの名詞は日本語に訳した時に
ざっくりとそれに当てはまるであろう物を当てはめてるだけだからね

全世界統一で皇帝(エンペラー)と言う肩書が同一では無いし在り方も経緯も違う

382:世界@名無史さん
20/08/12 18:52:36.42 0.net
ローマでの政治闘争や東ローマのギリシア正教との対抗関係などにより、
ローマ教皇は強力な後ろ盾を必要としており、シャルルマーニュに
白羽の矢を立て、西ローマ皇帝の冠を授けた

383:世界@名無史さん
20/08/12 19:03:33.72 0.net
シャルルマーニュはいらないと言ってるのに無理矢理

384:世界@名無史さん
20/08/12 19:46:35.71 0.net
中世ヨーロッパの王国にはまだ首都は存在しなかった
中世の未発達な交通条件や通信手段では中央に宮殿を構え、
そこから王令を発し統治することはできなかった
国王のほうが支配すべき領地に出向いて、統治をおこない奉仕を受けた
また国王は絶えず親族や有力者の反乱に苦しめられて、各地の戦場に赴いた
その上にドイツ国王はイタリア遠征や対外遠征も繰り返し、まさに国王の
生涯は支配のための果てることのない旅の連続だった
やはり首都ローマにいたままで帝国を支配できた古代ローマ皇帝とは違っている

385:世界@名無史さん
20/08/13 14:59:38 0.net
西フランクも最初は王権が脆弱だった
初期カペー朝のもとでは、カロリング朝末期から続いていた王権の権威凋落が加速し、
南フランスを中心として、大諸侯が離脱していった
フィリップ1世のとき、カペー朝の支配領域は最少となった
よくこんな状態から巻き返したなと思う

386:世界@名無史さん
20/08/13 21:54:38 0.net
>>374
アメリカ帝国ってノートン1世かw

387:世界@名無史さん
20/08/13 23:01:40.15 0.net
フランス王家は精神錯乱してるやつが王になっても持ちこたえるからな
なんか強いぞ
それに比べて他国の王家はすぐ断絶するしもろいよな

388:世界@名無史さん
20/08/14 09:41:31.85 0.net
神聖ローマ皇帝はローマ教皇に戴冠してもらったけど、
フランス王はランス大司教と結びついた

389:世界@名無史さん
20/08/14 12:16:52.83 0.net
イギリスはカンタベリー大司教な

390:世界@名無史さん
20/08/14 14:47:26.35 0.net
ヨーロッパ諸国はたいてい同君連合という形を取って統一したから地方分権的だが、
フランスだけがやけに中央集権的だよな
むしろヨーロッパの中ではフランスのほうが特殊なのかもしれない

391:世界@名無史さん
20/08/14 16:07:49 0.net
>>384
フランク王の根拠は教皇にローマ皇帝を戴冠してもらいカール大帝の後継者と言うのが代々の慣習だった
しかし神聖ローマ皇帝に先にローマ王戴冠を奪われた為、王の根拠をカロリング朝前のメロヴィング朝に求めた

メロヴィング朝初代フランク王クロヴィスの洗礼の地ランスで聖別しフランス王として根拠を作り
以降フランス王はランスにて戴冠する事が慣習になった

392:世界@名無史さん
20/08/14 19:25:22.03 0.net
クロ―ヴィスの時代、フランク族がガリアを統治するためには、在地の有力者の
協力が必要であり、その協力者がセナトール貴族だった
彼らはキリスト教の拡大につれ、争って主要都市の司教職に進出しており、
カトリックとの提携は彼らとの提携をも意味していた

393:世界@名無史さん
20/08/14 19:35:26.28 0.net
>>388
それはアエギディウス やシアグリウスといった連中か?

394:世界@名無史さん
20/08/14 21:59:01 0.net
>>386
絶対王政時代は、分権的な面もあったんで、フランス革命以降の特質やろうな
実際、フランス革命って明治維新並みの伝統破壊伴ってたから

395:世界@名無史さん
20/08/15 07:54:11 0.net
>>386
イギリスも、スコットランドやウェールズを除いた「イングランド」だけで見れば非常に中央集権的

中央集権的なのは英仏の特徴で、地方分権的なのは独伊の特徴

396:世界@名無史さん
20/08/15 16:04:02.12 0.net
ドイツの場合、ドイツ語という概念そのものが現れるのも遅かった
言語の面からみると、低地ドイツ語、中部ドイツ語、高地ドイツ語、フリース語、
スラヴ語派に属するソルブ語などがあった

397:世界@名無史さん
20/08/15 19:10:06 0.net
中世のイングランド人の評判は、
「暴れん坊で喧嘩好き、しかも戦わせるとめっぽう強い」
というものだったらしい

398:世界@名無史さん
20/08/15 19:34:06 0.net
>>393
いつからイギリス紳士に化けたんだww

399:世界@名無史さん
20/08/15 19:39:11 0.net
>>391
そう言えば、フランスって今でも県知事は、選挙じゃなくて、国から任命された官僚なんだよな
戦前かよっw

400:世界@名無史さん
20/08/15 19:59:40.35 0.net
>>394
若い人たちは知らないかもしれないけど、サッチャー政権時代、「ヘイゼルの悲劇」
という事件があった
イングランド人のサポーターが、サッカーの試合で興奮して、イタリア人観客39人を
死なせた事件
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ヘイゼルの悲劇

401:世界@名無史さん
20/08/15 20:02:25.82 0.net
フランスと言うかヨーロッパが中世貴族の末裔が未だに世界遺産とか私有地の所有者になってるのザラだから
国家単位で抑制しないと多分豪族が好き放題出来ちゃう

402:世界@名無史さん
20/08/15 20:23:47.73 0.net
フランスは、首都パリだけが極端な巨大都市で、それ以外はすべて単なる地方都市
日本の「東京一極集中」とは比べ物にならないほどのパリ一極

403:世界@名無史さん
20/08/15 21:34:46.50 0.net
日本は戦国時代を経て、さらに藩があったから東京以外にも大都市があるわけか

404:世界@名無史さん
20/08/15 21:44:36.69 0.net
パリからベルサイユとかあったにせよ遷都を殆んどしてない

405:世界@名無史さん
20/08/15 21:51:40.26 0.net
100年戦争でパリ取られて落ち延びて南に身を潜めてたけど遷都はしなかったもんな

406:世界@名無史さん
20/08/15 22:21:03.87 0.net
たしかルイ11世が一時期フランスのど真ん中に遷都したよ

407:世界@名無史さん
20/08/15 22:28:02.57 0.net
英仏百年戦争というけれど、イングランドの民衆は別にひどい目に遭ってないよな
戦場は常にフランスだったから、この戦争で一番悲惨な目にあったのはフランスの民衆

408:世界@名無史さん
20/08/15 22:52:29.55 0.net
イギリスでは農奴制度は14世紀の終わりごろにおいて事実上消滅しており、
フランスにおいても18世紀には貴族・聖職者の土地所有は既に全国の
30~40%を上らなかったといわれるのに対して、ドイツにおいては農奴制度は
少しもその力を失っていなかったばかりでなく、地域によってはかえって
近世以降に強化されさえもした

409:世界@名無史さん
20/08/16 01:00:26.91 0.net
プロイセンとかな
税金上げる代わりに貴族にめっちゃ特権渡した
けどそれで強力な軍隊作れたから必ずしもマイナスじゃなかった

410:世界@名無史さん
20/08/16 09:26:27.76 0.net
>>403
戦費調達による酷税、ペストの流行、農奴制の強化
耐えかねたイングランドの農民は、1381年にワットタイラーの乱を起こした

411:世界@名無史さん
20/08/16 18:01:13.58 0.net
エルベ以東では再版農奴制(Gu


412:tsherrschaft)というのがあって現在のドイツ経済の東西格差はここにあると見ている



413:世界@名無史さん
20/08/16 18:47:02 0.net
イタリア王国は、各地の有力貴族党派が、各々外部から統治者を招聘しては
追放するという方策を繰り返したせいで、極度の混乱状態が続いた
教皇フォルモススは、グイードを891年に皇帝に、翌年には息子ランベルトを
共同皇帝に相次いで戴冠した
ところが、その後両者と不和になったフォルモススは、東フランク国王に
救援を要請した
アルヌルフがローマを攻略し対立皇帝に戴冠されたのは、896年2月のことである

414:世界@名無史さん
20/08/16 18:53:58 0.net
ルドヴィーコ・イル・モーロもそうだけど、イタリアは貴族が自分の利益のために
外国勢力を引き入れるというパターンが多いのかな

415:世界@名無史さん
20/08/17 17:11:23 0.net
スペインやラテンアメリカ諸国のナショナリストは、ハプスブルク家がスペインの
支配者にならなかったら、スペインは新大陸での植民地経営に専念できて、
そのほうがスペインの国益にかなっていたと考えているらしい

ハプスブルク家に支配されたおかげで、スペインに関係のない
ヨーロッパのあちこちの戦争にスペイン人が駆り出された

416:世界@名無史さん
20/08/17 18:19:08 0.net
>>410
フランドルの経済力がスペインを支えてた

417:世界@名無史さん
20/08/17 19:28:31.81 0.net
オットー1世の時代のヨーロッパは、異教徒・異民族に攻められて大変な状況だった
地中海はイスラム教徒に抑えられている
イスラーム世界は北アフリカからイベリア半島の大半を覆い、その影響はシチリア、
サルデーニャ、コルシカの島々にも及んでいた
そのうえ北からはデーン人とノルマン人のヴァイキングがヨーロッパ各地に侵入して
劫掠を繰り返し、北東方面からはスラヴ人が押し寄せてくる
オットーは当時の東の国境エルベ川の外域に「マルク」という辺境区を設け、
有力な貴族を辺境伯としてそこに配しているが、これはスラヴ人対策のためである
なお南ドイツ・バイエルンの東の辺境区が「オストマルク」。これがのちに
「オーストリア」になるのだが、このオストマルクやバイエルンも突破して
ヨーロッパになだれこんできたのがマジャール人である

418:世界@名無史さん
20/08/17 19:39:49.67 0.net
レヒフェルトの戦いの後、オットーは皇帝に戴冠するためイタリア遠征を
おこなったが、オットーが重武装した軍隊とともに入城したときから、
ローマ市民は既に違和感を持ち、皇帝の滞在が長引くにつれて、
これを「異民族の支配」と感ずる市民も増えたようである

419:世界@名無史さん
20/08/18 06:59:59.51 0.net
神聖ローマ皇帝によるイタリア遠征って日本の歴史でいうと信長の上洛&比叡山焼き討ちみたいなものか?

420:世界@名無史さん
20/08/18 07:16:10.45 0.net
源頼朝や足利尊氏の上洛みたいなものだな

421:世界@名無史さん
20/08/18 07:52:09.54 0.net
徳川も禁中並公家諸法度を定めて天皇の動きをコントロールしたからな
時の為政者(主に征夷大将軍)=神聖ローマ皇帝
天皇           =ローマ教皇
なんだろうな

422:世界@名無史さん
20/08/18 09:10:36 0.net
徳川は南朝系の子孫を自称してたから出来た話でローマ教皇相手だとワケが違う

423:世界@名無史さん
20/08/18 10:09:11.44 0.net
オットー1世は、自分のことを「ローマ人」だと思っていたかもしれんが、
イタリア半島の住人にしてみれば、異なる言葉を話す異民族、って感じだったんだろうな

424:世界@名無史さん
20/08/18 15:57:35.87 0.net
その時代のイタリア半島に住んでる奴らも既にローマ人では無いからな

425:世界@名無史さん
20/08/18 16:19:23 0.net
ドイツの領邦の中で、ヘッセン=カッセルなどは傭兵を外国に輸出して、財源にしていた

426:世界@名無史さん
20/08/18 16:52:10 0.net
「西ローマ帝国の再興」という企て自体が非現実的だったんじゃね?
単に東フランク王国とイタリア王国、ブルグント王国に分かれて
存在していたほうがよかったと思う

427:世界@名無史さん
20/08/18 18:44:46.84 0.net
東ローマ帝国は中身がギリシア人
神聖ローマ帝国は中身がドイツ人

428:世界@名無史さん
20/08/18 19:00:12.00 0.net
ローマ皇帝名乗るにはイタリア王を持ってる事が前提
そしてフランク王は>>387に書いてあるようにローマ皇帝位が前提
つまりカロリング家は分割相続で得た領域を正当化させるのには
ローマ皇帝位が必要だし=イタリア王も取らなければ行けない

429:世界@名無史さん
20/08/18 19:15:22.58 0.net
オットー大帝の帝国は、西ローマ帝国の後継国家であり、
カール大帝のフランク帝国の再興でもあった
オットー大帝の称号も「インペラトール・アウグストゥス」

430:世界@名無史さん
20/08/18 19:37:55 0.net
フランク帝国自体が西ローマ帝国の再興

431:世界@名無史さん
20/08/18 19:55:58.14 0.net
フリードリヒ1世バルバロッサは合計6回のイタリア遠征をおこない、
在位38年のうち13年をイタリアで過ごすことになった
イタリアは法的には「王国」でも、実際にはいくつもの分国に分かれ、
北イタリアにはコムーネに成長しつつある諸都市が群立し、
これらは容易に皇帝の支配を受け入れなかったからである
フリードリヒ1世はロンバルディア同盟に結集した諸都市との間に
何度も戦争を行い、大敗北もあるし、夜陰に紛れて逃げたというような
苦い経験もなめている

432:世界@名無史さん
20/08/18 20:52:03.37 0.net
初期には在位期間(短かったが)の大半をローマですごした皇帝もいた
「ドイツがイタリアを侵略していた」というのは、20世紀の地図にとらわれた錯覚

433:世界@名無史さん
20/08/18 20:56:00.56 0.net
>>422
ローマ名乗りながら、公用語がギリシア語ってウケるよな

434:世界@名無史さん
20/08/18 20:59:13.98 0.net
なぜ?
ローマの上流階級はみんなギリシャに憧れてたのに

435:世界@名無史さん
20/08/18 21:06:14.29 0.net
いや、実質ギリシャ人なのにローマ名乗ってたわけでしょ、ヒザンツは
それが、奇妙に見えるということ、現代から見れば

436:世界@名無史さん
20/08/18 21:06:58.47 0.net
「カエサル」や「アウグストゥス」が個人名から「皇帝」を意味する言葉に変わったように、「ローマ」も単なる地名じゃなくなった

437:世界@名無史さん
20/08/18 21:11:47 0.net
中国だって、鮮卑族が建てた北辺の地・いまでいう山西省大同市の王朝が「魏」を名乗ってた

それを思えば、皇帝がゲルマン人で首都がドイツのどこかでも「ローマ帝国」でおかしくない

438:世界@名無史さん
20/08/18 21:15:52 0.net
>>432
魏の国名を名乗ったときは、まだ内モンゴル自治区にいた
大同に遷都したのはその後

439:世界@名無史さん
20/08/18 22:20:35.83 0.net
神聖ローマ皇帝はカトリック世界最高の世俗君主として、カトリック世界、
なかんずくその中心であるローマ教皇を外敵・動乱から守護しなければならない
そしてそれを実質的に行うためには、イタリアにおける皇帝の支配権の確立が
不可欠である
中世の神聖ローマ皇帝たちが盛んにイタリア遠征をおこなったのは、
「ドイツ」の勢力圏を広げるというより、まず第一に、ローマ皇帝としての
いわば当然の務めを果たすためだった

440:世界@名無史さん
20/08/19 11:28:40 0.net
「12世紀ルネサンス」の時代、ヨーロッパ各地に大学ができたが、圧倒的に多いのが
イタリアで、さらにイベリア半島にいくつもできた。あとはフランスとイングランド。
そしてこれらの大学はすべて古代ローマの文明圏におさまっている。
ドイツは、この時代にはまだ「圏外」である。新しい学問に触れたいドイツ人は、
みな外国に行かなければならなかった。

441:世界@名無史さん
20/08/19 13:12:23 0.net
ビザンツがローマを名乗り続けたのは、中世に入ってローマ帝国の概念が「キリスト教理念の帝国」という意味にすり替わったから
だから今のアメリカもロシアもある意味でローマ帝国なんだよ
アメリカが西ローマでロシアが東ローマ

442:世界@名無史さん
20/08/19 13:16:42 0.net
それはない✋

443:世界@名無史さん
20/08/19 13:56:20.85 0.net
ビザンツなんてのはあくまで歴史学上の用語で正式名称は新ローマを首都とするローマ帝国

444:世界@名無史さん
20/08/19 14:22:11.89 0.net
ムスリムはビザンツ帝国のことを「ローマ」と呼んでいた
西欧人のことは「フランク」

445:世界@名無史さん
20/08/19 16:22:31.05 0.net
「天における神の支配の、地上における模倣がローマ帝国」
これが中世におけるキリスト教世界のローマ理念
どことなく中国的な香りがする

446:世界@名無史さん
20/08/19 16:46:00.30 0.net
近世になって、主権国家とプロテスタントが現れると、ヨーロッパは分裂した

447:世界@名無史さん
20/08/19 18:12:38 0.net
今みたいにここからドイツここからイタリアという区分はなくてドイツ出身の皇帝でもローマにいったときラテン語みたいなのを喋れば言葉も通じるし今ほどの違いはなかったと思うよ

448:世界@名無史さん
20/08/19 18:29:07 0.net
フランクの分裂以来何となく違いはあったようだよ


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch