ロシア・ツァーリ国とロシア帝国との違いat WHIS
ロシア・ツァーリ国とロシア帝国との違い - 暇つぶし2ch2:世界@名無史さん
20/03/04 09:20:56 0.net
ビザンツ帝国・モンゴル帝国の影響があるかないかじゃね?

3:世界@名無史さん
20/03/04 09:46:19 0.net
モンゴル帝国やオスマン帝国などの遊牧民国家は、
民族の別なく有能な人間を取り立てることで発展したが、
旧ソ連にもそういうところがあるよな
グルジア人のスターリンやシェワルナゼが高い地位に就いたりとか

4:世界@名無史さん
20/03/04 09:47:42 0.net
基本同じもの。ピョートル大帝以降を帝国と呼ぶんでしょ?

5:世界@名無史さん
20/03/04 10:49:23.82 0.net
中世ロシアの農民は、「移転の権利」を持つ自由な人々であったが、
16世紀ごろからその自由を失い、土地とその主人に縛られていった

6:世界@名無史さん
20/03/04 13:50:21 0.net
>中世ロシアの農民は、「移転の権利」を持つ自由な人々であったが、
>16世紀ごろからその自由を失い、土地とその主人に縛られていった

タタールのくびきの時代はむしろ幸福だったてことか

7:世界@名無史さん
20/03/04 14:17:01 0.net
ツァーリのピョートルが、「これからはインペラートルの称号を名乗ることにする」と言い出したとき、
「そんな大それた称号を名乗ったら、西欧の列強が黙っていませんぞ」と、群臣はこぞって反対した

8:世界@名無史さん
20/03/04 17:09:41.83 0.net
ツァーリ名乗ってるだけだと、ロシア正教内の自称皇帝で済まされてたけど、
インペラートルを名乗ってしまうと、ローマ皇帝の位を簒奪することになるからね

9:世界@名無史さん
20/03/04 18:17:29.91 0.net
ヨーロッパの列強は、名誉ある「インペラートル」の称号を
すぐに承認しようとしなかった。
あのなかば野蛮な国が、という思いがあったから。

10:世界@名無史さん
20/03/05 02:33:19 0.net
それまで、欧州で「皇帝」といえば、ハプスブルク帝国に決まってた。
もはや神聖でもなければ、ローマでもなく、帝国ですらなかったが、どういうわけか「皇帝」は健在だった。

神聖ローマ帝国の皇帝は、さかのぼれば962年に戴冠したオットー1世を初代とするが、さらにさかのぼれば、800年に戴冠したカロリング朝フランク王国のカール大帝に至る。
そのカールの戴冠は、欧州人にとっては「西ローマ帝国の再興」を意味した。

11:世界@名無史さん
20/03/05 02:43:41 0.net
では、ロシア皇帝はどうなのかといえば、これは、「滅亡した東ローマ帝国を受け継ぐ者」ということになる。

東ローマ帝国が千年つづいて、オスマン帝国に滅ぼされた。
ギリシャ正教会の守護者たるローマ皇帝がいなくなった。
その跡を継ぐのは、ロシア帝国。

というわけで、再び、東と西の皇帝が並び立つことになった。
皇帝は、どこかの国の国王とはわけが違う。
フランス国王でさえ、最後まで1度も「皇帝」になれなかった。
「皇帝」はそれだけ特別だったのだ。

12:世界@名無史さん
20/03/05 07:16:45 0.net
>>11
でもロシアはビザンツ帝国とは違って、古典古代の伝統がないよな
古典古代の文化はイタリアへ行ってしまった
ロシアに伝わったのはヘシカズム

13:世界@名無史さん
20/03/05 22:58:59 0.net
ローマ帝国が北からの蛮族(ゲルマン人)に悩まされていたのに対し、
ロシアは南からの蛮族(クリミア・タタール人)に悩まされていた

そこで南部に要塞都市を築くとともに、都市間を土塁や逆茂木で
結ぶことで侵入を食い止めることが考えられた
いわば古代ローマの「リーメス・ゲルマニア」のロシア版である

14:世界@名無史さん
20/03/05 23:08:53 0.net
>>5
>16世紀ごろからその自由を失い、土地とその主人に縛られていった
そこから逃げ出した人達の集まりがコサックとなったんかね?

15:世界@名無史さん
20/03/05 23:25:50 0.net
ピョートル以前はローマ皇帝もロシア語ではツァーリと呼ばれてたんだし、ツァーリも皇帝と訳して良い言葉なんだけどね。
東方のモンゴル系諸汗国の君主たちもみなツァーリだから、ツァーリの重みがインフレ気味で、もっと重々しい称号が欲しくなったのかね。

16:世界@名無史さん
20/03/06 13:13:08.62 0.net
ナポレオンは、自分以外に皇帝を名乗るロシア帝国とオーストリア帝国が許せなかった

17:世界@名無史さん
20/03/06 23:33:38.78 0.net
ツァーリはドイツのカイザーと同じくカエサル由来か

18:世界@名無史さん
20/03/06 23:39:31.12 0.net
カイザーつながりだがドイツ帝国の皇帝がインペラトールではなく
カイザーを名乗ったのってどうしてだろ?
オーストリアの皇帝の呼称もカイザーなんであっちとは違うぞって
意味合いでインペラトールにしてもよさそうな気が・・・

19:世界@名無史さん
20/03/07 10:37:08.52 0.net
神聖ローマ皇帝の場合、
Kaiser der Römer は、ドイツ語での称号
ラテン語では、Romanorum Imperator

20:世界@名無史さん
20/03/07 10:39:03.41 0.net
Wikipediaによると
>中世においては、「皇帝(imperator, caesar, monarcha)」と「国王(rex)」の間には明確な区別が存在し、
したがって「帝権(imperium)」と「王権(regnum)」の間にも基本的な相違が存在した。

21:世界@名無史さん
20/03/07 10:40:05.30 0.net
Wikipediaの続き
国王は1部族や複数部族単位の支配者に留まるが、皇帝は世界全体を治める者と考えられていた。

22:世界@名無史さん
20/03/07 11:23:02 0.net
オクタヴィアヌス/アウグストゥスではなくその養父で礎を築いた
カエサルが皇帝の名称として使われるようになったのか。

(そのせいでカエサルが初代ローマ皇帝だと思ってますたorz)

23:世界@名無史さん
20/03/07 13:39:42.21 0.net
ピョートル1世としては晩年にインペラトールの称号をもらった事で
晴れてローマ帝国の後継者となったという思いが強かったんかね?

24:世界@名無史さん
20/03/07 19:35:36.81 0.net
アウグストゥスの称号って西欧でもロシアでも後世ぜんぜん使われてないんだな

25:世界@名無史さん
20/03/08 01:10:37.06 0.net
フランスのフィリップ2世は尊厳王という意味でオーギュストの添え名が
冠されてるが皇帝アウグストゥスとは無関係?

26:世界@名無史さん
20/03/08 14:08:57.44 0.net
>>22
魏からあとの皇帝が「曹操」と呼ばれるようなもんだな

27:世界@名無史さん
20/03/08 14:22:40.65 0.net
>>24
神聖ローマ帝国では、ずっと使われてた

28:世界@名無史さん
20/03/08 14:43:19 0.net
ディオクレティアヌス帝からは、ローマ帝国では正帝を「アウグストゥス」、副帝を「カエサル」と呼ぶようになった。
東と西に、それぞれ正帝と副帝がいた。

29:世界@名無史さん
20/03/08 14:44:45 0.net
シャルルマーニュ大帝の称号は、「ローマ帝国を統治するインペラトール・アウグストゥス」というようなもので、
神聖ローマ皇帝の正式な称号も、ずっとそんな感じ

30:世界@名無史さん
20/03/08 14:47:41 0.net
ピョートル大帝が自称した「インペラトール」は、神聖ローマ帝国に由来する、西欧的な皇帝の称号。
東ローマ帝国の伝統に従うなら、ここは「バシレイオス」と言うべきところだろう。

これを見ても、ピョートルの西欧志向が分かる

31:世界@名無史さん
20/03/08 15:01:54 0.net
>>30
西暦千年くらいから西欧が東ローマをはじめとする東欧を凌駕しはじめたからね

32:世界@名無史さん
20/03/08 21:46:01.62 0.net
神聖ローマ帝国でのアウグストゥスもドイツ語だとカエサル由来の
カイザーになるんだっけ。
廷臣連中は東の辺境の蛮族(?)が自分とこの君主と同じカエサルを
名乗ってる事が許せなかった?

33:世界@名無史さん
20/03/08 21:59:09.88 0.net
>>28
神聖ローマ帝国の皇帝をドイツ語でカイザーと呼ぶようになったのは
ローマ副帝の呼称にちなんで?はたまたオクタヴィアヌスの養父
ガイウス・ユリウス=カエサルの偉業にあやかった?

34:世界@名無史さん
20/03/08 22:12:51.81 0.net
>>33
ローマ帝国では、「インペラトール、カエサル、アウグストゥス」が、皇帝の3大称号だった
このうち、なぜかドイツとロシアでは「カエサル」が定着したようで、ドイツ語では「カイザー」、ロシア語では「ツァーリ」が、「皇帝」を意味する普通名詞になった
英語では「エンペラー」、フランス語は「アンプルール」なのに、不思議といえば不思議

35:世界@名無史さん
20/03/08 22:16:24.25 0.net
ちなみに東ローマ帝国では、なぜか、ヘラクレイオス帝から、ギリシャ語で王を意味する「バシレウス」が皇帝の称号になった
「バシレイオス1世」、「バシレイオス2世」っていう名前の皇帝もいるけど、これは名前なので混同しないようにとのこと
それまでは「インペラトール、カエサル、アウグストゥス」だったのに、なぜなのかは不明で諸説あるらしい

36:世界@名無史さん
20/03/08 22:24:17.24 0.net
>>9
結局、西欧列強がロシアの君主を「皇帝」と正式に認めてくれたのは、
ナポレオンに破れたハプスブルク帝国の皇帝フランツが、「これからは神聖ローマ帝国の皇帝をやめて、オーストリア帝国の皇帝になります」
と宣言してからだった
それまで、神聖ローマ帝国の皇帝は「天下の皇帝」だったが、それがオーストリアという「1国の君主」に格下げされた形

37:世界@名無史さん
20/03/08 22:34:00.77 0.net
>>36
エカチェリーナ2世の頃はインペラトール扱いしてくれなかったのか>列強衆
>>35
>これは名前
ロシアではバシレイオス派生の名前としてヴァシリーがあるけど君主の呼称
としてはバシレイオス派生の表現って使われてないのね

38:世界@名無史さん
20/03/08 22:45:08.83 0.net
>>35
日本で例えるなら、日本に亡命政権を築いた唐皇室が途中から「オオキミ」とか名乗り始めたようなもんか

39:世界@名無史さん
20/03/08 22:49:58.31 0.net
>>38
「皇帝」は中国風だから、「オオキミ」にしようと?
東ローマ帝国の場合も、やっぱり、このころからギリシャ化したんでしょうな。
ギリシャ語で言わないと、人々に通じないっていう

40:世界@名無史さん
20/03/08 23:09:09.32 0.net
>>37
>エカチェリーナ2世の頃はインペラトール扱いしてくれなかったのか
ロシア帝国が名実ともに超大国らしくなるのはウィーン会議からだけど、君主号としての「インペラートル」は、もっと前に承認されてたみたい↓
・・・1721年10月22日 (11月2日)にピョートル1世はインペラートルの称号を採用し、プロイセン王国とネーデルラント共和国は即座に、
スウェーデンは1723年に、オスマン帝国は1739年に、グレートブリテン王国とオーストリアは1742年に、
フランス王国とスペインは1745年に、最後にポーランド・リトアニア共和国が1764年にロシアの新君主号を承認した。
ロシア・ツァーリ国という国名もインペラトルに合わせて新たにロシア帝国(Русской империей)と改称したのである。

41:世界@名無史さん
20/03/08 23:12:51.37 0.net
ロシア国内でどう呼ばれようが列強にとっては神聖ローマ帝国が
滅亡するまではロシア=ツァーリ国という認識かね
(ナポレオンはずっとツァーリ国扱いしてたりして)

42:41
20/03/08 23:14:40.97 0.net
>>40さんがすでに書いてたかorz

43:世界@名無史さん
20/03/08 23:44:27 0.net
>>41
ウィーン会議でフィンランドとポーランドを獲得するまでは、西欧列強にとってロシアはしょせん、大国といっても遠い北のハテの国だった

44:世界@名無史さん
20/03/09 00:52:03 0.net
西欧かぶれだった船大工のピーターくん

45:世界@名無史さん
20/03/09 01:44:59.65 0.net
>>21
世界全体ってのは日本語の通りじゃないからな
ギリシャ語でいえばオイクメニコス
ラテン語ではエクメニクス英語のエキュエニカルの意でローマ帝国時代ではほぼローマ帝国の範囲とかわらない

46:世界@名無史さん
20/03/09 01:52:11.48 0.net
>>21
結局ローマ帝国を支配するのがインペラートルでそれ以外の領域を支配しているのが王レークスという意味でしかない

47:世界@名無史さん
20/03/09 02:45:30.15 0.net
>>30
イワン4世がツァーリではなくバシレイオス由来の呼称を名乗ってたら
皇帝と訳されその国家はロシア”帝”国と呼ばれてたんかな。
ピョートル1世からのインペラートルとの区別から皇帝とは訳されなかった
かもしれんけど

48:世界@名無史さん
20/03/10 22:56:29 0.net
>>47
ツァーリがロシア語で、バシレウスがギリシャ語

・・・という程度の違いしかないものと思われ

49:世界@名無史さん
20/03/11 10:46:59.23 0.net
近代ブルガリア王国の国王もTsarなのに皇帝とは訳して貰えない・・・

50:世界@名無史さん
20/03/11 12:35:41.01 0.net
ツァーリもラテン語から直接入ったんじゃなくてギリシャ語経由だからある意味ギリシャ系称号だわな

51:世界@名無史さん
20/03/11 13:11:15.51 0.net
ゴート語経由で教会スラブ語に入った、という説もある

52:世界@名無史さん
20/03/14 13:46:57.70 0.net
>>44
現役のロシア皇帝がいきなり弟子入り志願してくるとは、オランダの船大工もさぞかしビックリしただろうな
それも、「一見、普通の人に見える」というのならともかく、抜群に頭が切れる、眼光鋭い身長2mの巨人

53:世界@名無史さん
20/03/14 13:49:35.73 0.net
ピョートル大帝は、オランダの造船技術を導入してロシア海軍を建設
甚大な犠牲を払って、内陸のモスクワから、バルト海の港ペテルブルグに遷都した

54:世界@名無史さん
20/03/14 13:50:55.77 0.net
ピョートル大帝にとって、「ロシア帝国になる」ことと、「海洋覇権を握る」こととは、切っても切れない関係があった

55:世界@名無史さん
20/03/14 20:41:21.16 0.net
>>53
帝政ロシアで活躍した軍人・文官・政治家にはバルトドイツ人だけでなく
ピョートル大帝治下のロシアに渡ったオランダ人技術者の子孫も少なからずいた?

56:世界@名無史さん
20/03/14 20:45:07.76 0.net
そういやイワン雷帝の頃にもドイツ人が仕えてたってトロワイヤの本に書いてた気がする。
最初は官吏でのちにオプリーチニクの隊員となったハインリヒ・フォン=シュターデンとか
イワン雷帝の主治医だったエリセーイ・ボメーリー(エリジウス・ボーメル)とか

57:世界@名無史さん
20/03/14 21:23:49.94 0.net
スウェーデン人捕虜もけっこう仕官してたようだ

58:世界@名無史さん
20/03/14 21:26:33.82 0.net
>>54
海洋覇権は大げさな・・・
「海へのアクセスを確保した」くらいじゃろ、スウェーデンは海軍国としては三流だし

59:世界@名無史さん
20/03/14 23:36:26.19 0.net
>>56
こうして見ると民族主義ってやっぱりクソだなあ
民族に拘るからチョビ髭伍長閣下がバルト・ドイツ人の分布域を見て東方生存圏()なんて世迷い事抜かして逆にケーヒスベルク奪われる羽目になった

60:世界@名無史さん
20/03/14 23:56:05.14 0.net
>>59
側近のローゼンベルクも第一次大戦やその後のロシア革命がなかったら
(バルト=ドイツ系の)ロシア人として生きてたんかな

61:世界@名無史さん
20/03/15 00:09:30.19 0.net
スウェーデンもピョートル大帝期のロシアもオランダの
Scout bij Nachtという階級呼称を採り入れてるな
URLリンク(en.wikipedia.org)

62:61
20/03/15 00:12:45.22 0.net
×:Scout bij Nacht
○:Schout bij Nacht
直訳だと”夜間見廻(番)”かね?


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