20/11/09 02:00:33.74 0.net
清が茶樹の持ち出しを禁止してたので、英国は隣接する英領インド北東部にプラントハンタ―を派遣し、見つけたアッサム種が紅茶の自前での生産の礎となったけど、
宋代に日本に茶の生体を持ち込んだ栄西その他はどうやって持ち込んだんだろう
茶の交易品としての価値は当時からあったはずで、茶樹をそうやすやすと流出させるわけなさそうだし
まして日本の気候が江南や華南といった茶の適地と似てることに気づいてたはずだから、余計流出に慎重になりそうだけど
伝承では種で持ち込んだというけど、茶をはじめとするツバキ科の種子は裸で乾燥すると簡単に死ぬというし
何かの鉢植え(蘭?)の土に埋めて密輸したのかな