正史『三国志』 三十二巻at WHIS
正史『三国志』 三十二巻 - 暇つぶし2ch386:世界@名無史さん
21/11/08 10:28:09.40 0.net
>>385
調べても全然出てこないな
周倉みたいなフィクションキャラか?

387:世界@名無史さん
21/11/08 21:19:57.16 0.net
資料を直で当たったわけじゃないけど、彝族の伝承で孟獲は彝族出身で
現地語で表すと勒格莫吼(勒格が姓? 莫吼が孟獲の音と近似)、孟優が勒格莫尤、で三男に孟鉄・勒格莫鉄がいる
像の風貌が老人だから、この「孟鉄(勒格莫鉄)」がさらに変化して「摩鉄」として定着していったんじゃないかとのこと
孟鉄と摩鉄は音も似てるし、朶思大王とでも習合して今の姿になったのかも

388:世界@名無史さん
21/11/09 07:14:35.92 0.net
沙摩柯も摩の字使ってるしな
あて字としてよく使ってるのかも

389:世界@名無史さん
21/11/14 19:51:48.87 0.net
>>220
別件で見つけたんだが『太平御覧』に「夏侯燉(音敦)從征呂布,為流矢所中,傷左目。(以下略)」との文言があり、
(燉は惇の誤字だが)すくなくとも10世紀の段階で 惇=トン と読んでいたことがわかる

390:世界@名無史さん
21/11/15 07:38:50.25 0.net
沙孟柯になってた可能性もあったってことだな

391:世界@名無史さん
21/11/23 00:07:39.33 0.net
筑摩訳の孫輔伝に、祖郎を宗教的コミューンの首領的なこと書かれてたから、長らく教祖なイメージを持ってたけど
宗帥、大帥、山賊、彊宗驍帥と、勢力のボス以外の肩書は特になかった
該当箇所の「宗帥」も、訳だと「宗部一揆(宗教的云々~)の首領」とあって()の中さえ無視すれば間違ってないし
他の場所だと豪族の首領みたいに訳してるし、この無駄な補足は何だったんだろう

392:世界@名無史さん
21/11/30 15:40:40.19 0.net
石亭の戦いって賈逵の進軍ルートがよくわからない
揚州方面から西に皖に回ったのか
豫州から南下して東に皖に行ったのかどっちなん?

393:世界@名無史さん
21/11/30 15:51:13.95 0.net
ニコニコ動画にも石亭の解説あって分からないとか言ってたな

394:世界@名無史さん
21/12/03 21:20:41.26 0.net
孫桓(叔武)と孫俊(叔英)の他に、山謨(季長) と山簡(季倫)も双子かも
山簡は30になっても父に認知されなかったし妙な含みがある
ただ、日本と違って中国で双子が忌み嫌われた記述は見つけられなかった
双子の事例として北魏の崔光韶と弟の崔光伯、明代に顧大章(伯欽)と大韶(仲恭)、朱華奎と朱華壁

395:世界@名無史さん
21/12/22 02:59:22.41 0.net
>>392
石亭の戦いの際、おおまかに言うと曹休は軍を三分している。第一が曹休率いる揚州軍、第二が司馬懿率いる荊州軍、第三が賈逵率いる豫州軍。これに兗州青州徐州を合わせた六州の軍が曹休の軍であった。
賈逵の役割は豫州から南下して西から進軍してくる司馬懿と連絡することだったと思われるが、実際には司馬懿は軍を動かさなかった。そうなると賈逵の行動をそのまま書いてしまうと石亭の戦いの戦犯が明らかになってしまう。司馬懿の名誉を守るために賈逵の進軍ルートを改ざんしたわけよ。

396:世界@名無史さん
21/12/22 05:38:45.38 0.net
>>395
賈逵が強行軍によって曹休とようやく合流する前から曹休はもう負けている
司馬懿の責任になるわけがない
そもそも陳寿は詔で司馬懿が駐軍したと書いてるのでそんな改竄は必要ない
荊州方面にも呉軍はいるというか、当時荊州に主軍がいた想定で動いているのになんの妨害もなく合流できる前提で軍を動かしてたはずだとか頭悪すぎ

397:世界@名無史さん
21/12/22 11:23:56.78 0.net
395,396どっちの見解も正しいように見えるな

398:世界@名無史さん
21/12/23 02:02:03.87 0.net
>>396
三国志は司馬懿に忖度した記述をするのだから忖度を是として理解すると俺は頭が悪くみえるんだろうな。

399:世界@名無史さん
21/12/23 02:09:38.02 0.net
ともかく石亭の戦い当時、司馬懿が曹休の部下だったことは曹休伝が書く
「太和二年,帝為二道征吳,遣司馬宣王從漢水下,督休諸軍向尋陽」
により明白。
中華書局はこの三国志の本文は誤りとして、
「督休」を「休督」に入れ換えて解釈しているけどな。
また呉書は曹休の軍が朱然の背後を伺う書くが、朱然は江陵を守備しているのだから呉は魏の荊州軍は曹休の軍と認識していたことになる。もちろん曹休自身は揚州にいるのだから荊州軍を督するのは曹休の部下となる。それが司馬懿。

400:世界@名無史さん
21/12/23 02:34:44.70 0.net
>>399
何を言ってるのかわからない
別に曹休が総司令官であってもおかしくないが
督休と読もうが休督と読もうが別にそれ自体はそんな意味合いにならないし
そもそも二道と明確に書いてるのに賈逵が豫州から南下したとするなら三道になる
大体呉書じゃなくて蔣済伝だろう
濟表以為「深入虜地,與權精兵對,而朱然等在上流,乘休後,臣未見其利也。」
むしろこれは上流と書いてる時点で司馬懿軍の上流と解するのはおかしい
・忖度改竄なら詔で司馬懿軍が駐軍していたというだけで十分なのに
・賈逵の進軍ルートまで改竄してたんだと、根拠なく断定(そもそも改竄も何も進軍ルートがわからないのだが)
・仮に司馬懿擁護のための進軍ルート改竄と、仮定しても時系列があわない
・と指摘されても「司馬懿への忖度のはずなの」と根拠なく拗ねて誤魔化す
頭が悪いとしか言いようがない
他人に批判されなくて済む個人ブログとかに引きこもっててくれ

401:世界@名無史さん
21/12/23 02:44:55.81 0.net
すまんがお前に話していない。
ここはおまえのためにあるわけではない。
督休と休督とで意味が変わらんと言ってる時点でお察しよ。

朱然の件についてはサンキューな。

402:世界@名無史さん
21/12/23 02:49:30.45 0.net
そもそも二道征呉は曹叡が曹休に命令したことで、実際に戦争を行うにあたって曹休は賈逵を分けることにしただけだろ。そこまで言わんとわからんような人が集まるところだとはおもわないんだがな。

403:世界@名無史さん
21/12/23 10:45:19.24 0.net
ご両人の見解はこのレスバ見ても双方理があるように思う
史書の記載の正当性から解釈するか記載内容の詳細を追って解釈するかってところの差か

404:世界@名無史さん
21/12/24 09:42:29.83 0.net
単に連想ゲームみたいに
気に食わない記述は特に根拠もなく捻じ曲げて解釈するアホだろ・・・
典型的な素人史家というか

405:世界@名無史さん
21/12/24 10:48:51.98 0.net
突飛な解釈はそれはそれで議論すれば良いだけに思える
「それはこういう理由であり得ないと思う」と言えば良いのでは
司馬懿忖度論は初耳だったので新鮮だった

406:世界@名無史さん
21/12/24 10:50:37.25 0.net
いや普通に何でありえないのか書いてるだろ・・・
そもそも根拠すら提示されていないという


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