21/12/22 02:59:22.41 0.net
>>392
石亭の戦いの際、おおまかに言うと曹休は軍を三分している。第一が曹休率いる揚州軍、第二が司馬懿率いる荊州軍、第三が賈逵率いる豫州軍。これに兗州青州徐州を合わせた六州の軍が曹休の軍であった。
賈逵の役割は豫州から南下して西から進軍してくる司馬懿と連絡することだったと思われるが、実際には司馬懿は軍を動かさなかった。そうなると賈逵の行動をそのまま書いてしまうと石亭の戦いの戦犯が明らかになってしまう。司馬懿の名誉を守るために賈逵の進軍ルートを改ざんしたわけよ。