正史『三国志』 三十二巻at WHIS
正史『三国志』 三十二巻 - 暇つぶし2ch350:世界@名無史さん
21/06/21 16:27:19.59 0.net
鍾会は劉禅をどうするつもりだったんだっけ?

351:世界@名無史さん
21/06/21 18:54:47.92 0.net
海賊王

352:世界@名無史さん
21/06/22 13:31:10.38 0.net
鍾会が反乱起こした時点ではそんなことに構ってられないだろうし
一時的に反乱が成功して蜀政権が誕生した後は邪魔になる存在なんじゃないか
民心を得るために鍾会が、蜀を滅ぼしたトウガイを倒して蜀を救った救世主になって
表向き丞相、実際には王として統治するために劉禅を傀儡の神輿として置く可能性はあるが針のむしろだろうし
劉禅にとっては魏に降伏して魏はいいところですねえって暮らすのが一番マシそう

353:世界@名無史さん
21/06/22 23:01:09.55 O.net
>>352
劉禅は魏軍相撃が起こるや城外に脱出して難を逃れたんだよな
まさに恐るべき生存本能

354:世界@名無史さん
21/06/26 18:55:24.21 O.net
>>337
老将といえば黄忠のイメージ

355:世界@名無史さん
21/07/03 17:24:08.20 0.net
鍾会は言わば斉を平定した韓信の立場だよな
韓信は独立の勧めを断って最後は呂氏に殺される
無残な最後だったが、もし独立していれば成功したのだろうか?

356:世界@名無史さん
21/07/03 17:47:24.74 0.net
いや別に韓信とは関係ないから
結び付ければいいっていうものでもない

357:世界@名無史さん
21/07/04 00:22:54.07 O.net
>>355
直接落としたのはトウガイなのが違う

358:世界@名無史さん
21/07/04 03:09:21.44 0.net
韓信も説客が先に斉を議論で落としてたね
後は引き渡しをどうするかって状況で自分の手柄にしたんだったね

359:世界@名無史さん
21/07/04 13:37:57.84 0.net
韓信が攻めこんでるところを頭越しに、虎の威を借って降伏させにいくレキイキの勇み足
レキイキを第一戦功にしてたら韓信配下の連中が反乱起こすわ

360:世界@名無史さん
21/07/05 09:54:58.74 0.net
蜀漢滅亡の40年後
成漢は氐族だが蜀の割拠に成功した
国号も蜀漢にならって漢
普は漢民族の割拠には注意を払ってきたが異民族には警戒心が無いんかな

361:世界@名無史さん
21/07/05 17:11:56.54 0.net
普って・・・

362:世界@名無史さん
21/07/18 09:59:35.54 0.net
新幹線のアイスと漢の滅亡に関係があったのは知りませんでした。
784 日出づる処の名無し sage 2021/07/17(土) 16:11:10.90 ID:4PRLhZgc
>>777
つシンカンセンスゴイカタイアイス
786 日出づる処の名無し sage 2021/07/17(土) 16:42:13.96 ID:ultf2PTB
>>784
むうっあれは晋漢戦超硬氷菓...!
何ーっ知っているのか雷電!
晋漢戦超硬氷菓・・古代中国の国家であった晋と漢が雌雄を決する際に、非常に硬く作られた氷菓をどちらが先に食べ切るか争われたことに由来する。なお勝負は晋が勝利し、漢は滅亡したのである。

363:世界@名無史さん
21/07/18 15:33:40.69 0.net
目先のライバルとの争いに固執するあまり、外様を引きこんで外様に支配されるっての結構あるよな
日本でも源平の合戦とかもとは宮廷内の権力闘争だったのに、権力闘争に武士の力を借りたから
武士の権威が増大して以後政権はずっと武家のものになるっていうパターンだし

364:世界@名無史さん
21/07/18 20:49:13.44 0.net
ベトナムさん・・・

365:世界@名無史さん
21/08/01 19:00:35.47 O.net
>>363
まあライバルに支配されるよりはマシだと思ってるならそれもまた結構だろうが

366:世界@名無史さん
21/08/04 23:05:30.60 0.net
孫晧が猜疑心マックスなのも直視を嫌うのも、従兄弟の何都と入れ替わってたから説

367:世界@名無史さん
21/08/09 09:19:59.10 O.net
>>132
それでも赤壁とかイリョウとかの決定的な場面で存在を示してるのは孫呉なんだよな

368:世界@名無史さん
21/08/10 08:35:54.92 0.net
単独でも魏を何度も破ってて荊州とるのも呉からすれば当然なんよな

369:世界@名無史さん
21/08/11 16:27:04.67 O.net
最終的には呉も滅ぼすつもりなんだから益州からの侵攻にも対処しなければならないわけだからな
後の晋の侵攻を考えても防衛線をあそこまで上げる必要がどうしてもあったわけで

370:世界@名無史さん
21/09/21 17:22:26.57 0.net
宰相が大軍率いて大国攻撃って結構レアかな

371:世界@名無史さん
21/09/28 17:31:18.11 0.net
左慈って実在の人物なんだろうけど、実際は何の術を
極めてたんだろうね
曹操や孫策に命を狙われたってのは本当なんだろうか?

372:世界@名無史さん
21/09/29 01:12:33.61 0.net
方術士の類の実在や実態を論じようとする人はオカルト信者しからおらんのは古今東西変わらん

373:世界@名無史さん
21/09/29 13:46:47.02 0.net
何日間も物食べなくても平気だったっていうのは本当かも

374:世界@名無史さん
21/10/08 17:38:46.55 0.net
張角の太平道は五斗米道の影響受けてんの?

375:世界@名無史さん
21/10/12 12:15:15.34 0.net
左慈が反乱起こしてたらヤバかったな

376:世界@名無史さん
21/10/12 12:25:08.93 0.net
道教の歴史Wikiより
2世紀~5世紀は組織化が成立した時期、北魏の国教になるのはこれまでの布教実績が買われたからかな
2世紀後半の太平道・五斗米道を道教の始まりとする説。
宗教的な教団組織の成立という点に着目すると、民衆運動の中から生まれた太平道・五斗米道が道教の原初的形態であると考えられる[4]。
5世紀半ばを道教の始まりとする説。
「道教」という語が仏教に対する中国固有の宗教を指す言葉として用いられるのは南朝斉の顧歓(420年 - 483年)の「夷夏論」が現存する文献では最古であり、この頃に中国固有の宗教としての「道教」という概念が成立したと考えられる[4]。

377:世界@名無史さん
21/10/12 21:16:59.16 0.net
陽明皇帝許昌は宗教反乱の先駆け?

378:世界@名無史さん
21/10/13 19:52:47.76 0.net
>>374
アナーキストとしての立ち位置はあっても実際漢中を20年納めた五斗米道の張魯と黄巾の乱勃発から2年ぐらいで亡くなった張角は為政者として比較するのは難しいね
曹操の征伐後の国庫の状況を見ても張魯による緩やかな神権統治は治績が上の上で激賞されている
漢王朝の行き詰まりが皇帝、宦官、地方軍閥によって多重的に生まれた搾取の結果民衆が飢える事態になりこれに憤激した民衆が張角に率いられて反乱を起こしたのとは反応の出方も違うし
そもそも漢中という中原からした僻地にまで移り住める層とそうはできず住んでいるところでもう後が亡くなって反乱に至った層が同じとは思えないし
お互いの影響の度合は分からんけども結局のところ中間搾取をやめれば民衆の負担は少なくなりその結果飢える状況からは脱出できるという点では共通しているね

379:世界@名無史さん
21/10/14 12:38:32.33 0.net
孫策が道士の類を異様に憎んだのは孫堅が鎮圧した許昌の乱が
関係してんのかな?

380:世界@名無史さん
21/10/14 15:24:08.94 0.net
民衆を扇動しやすいからね
逆に漢中を得た劉備に一向一揆みたいなの起きなかったのは統治がよっぽど上手かったのか

381:世界@名無史さん
21/10/15 17:30:09.09 0.net
五斗米道は平和主義やん

382:世界@名無史さん
21/10/16 09:57:36.99 0.net
宗教指導者次第じゃないのか

383:世界@名無史さん
21/10/16 13:51:34.24 0.net
どの宗教も厳密な教義的には殺戮を禁止してたり平和だったりするのよね

384:世界@名無史さん
21/10/17 19:44:18.47 0.net
>>380
張魯が曹操に降った際に多くの住人は中原に引っ越ししたから残っていたのは基本的に屯田兵ぐらい
その屯田兵も漢中を劉備に取られた時に当然引き上げているからまた蜀の屯田兵と最低限の防衛部隊が駐屯する基地化
まあ色んな理由で難民化した人が各方面からいくらかは流入しただろうけど元々いた五斗米道信者の住人はほぼいなかった模様

385:世界@名無史さん
21/11/07 17:16:11.41 0.net
四川の海龍寺にある孟獲廟に、孟獲、孟優の像と一緒に並んでる軍師・摩鉄って何者なんだろう

386:世界@名無史さん
21/11/08 10:28:09.40 0.net
>>385
調べても全然出てこないな
周倉みたいなフィクションキャラか?

387:世界@名無史さん
21/11/08 21:19:57.16 0.net
資料を直で当たったわけじゃないけど、彝族の伝承で孟獲は彝族出身で
現地語で表すと勒格莫吼(勒格が姓? 莫吼が孟獲の音と近似)、孟優が勒格莫尤、で三男に孟鉄・勒格莫鉄がいる
像の風貌が老人だから、この「孟鉄(勒格莫鉄)」がさらに変化して「摩鉄」として定着していったんじゃないかとのこと
孟鉄と摩鉄は音も似てるし、朶思大王とでも習合して今の姿になったのかも

388:世界@名無史さん
21/11/09 07:14:35.92 0.net
沙摩柯も摩の字使ってるしな
あて字としてよく使ってるのかも

389:世界@名無史さん
21/11/14 19:51:48.87 0.net
>>220
別件で見つけたんだが『太平御覧』に「夏侯燉(音敦)從征呂布,為流矢所中,傷左目。(以下略)」との文言があり、
(燉は惇の誤字だが)すくなくとも10世紀の段階で 惇=トン と読んでいたことがわかる

390:世界@名無史さん
21/11/15 07:38:50.25 0.net
沙孟柯になってた可能性もあったってことだな

391:世界@名無史さん
21/11/23 00:07:39.33 0.net
筑摩訳の孫輔伝に、祖郎を宗教的コミューンの首領的なこと書かれてたから、長らく教祖なイメージを持ってたけど
宗帥、大帥、山賊、彊宗驍帥と、勢力のボス以外の肩書は特になかった
該当箇所の「宗帥」も、訳だと「宗部一揆(宗教的云々~)の首領」とあって()の中さえ無視すれば間違ってないし
他の場所だと豪族の首領みたいに訳してるし、この無駄な補足は何だったんだろう

392:世界@名無史さん
21/11/30 15:40:40.19 0.net
石亭の戦いって賈逵の進軍ルートがよくわからない
揚州方面から西に皖に回ったのか
豫州から南下して東に皖に行ったのかどっちなん?

393:世界@名無史さん
21/11/30 15:51:13.95 0.net
ニコニコ動画にも石亭の解説あって分からないとか言ってたな

394:世界@名無史さん
21/12/03 21:20:41.26 0.net
孫桓(叔武)と孫俊(叔英)の他に、山謨(季長) と山簡(季倫)も双子かも
山簡は30になっても父に認知されなかったし妙な含みがある
ただ、日本と違って中国で双子が忌み嫌われた記述は見つけられなかった
双子の事例として北魏の崔光韶と弟の崔光伯、明代に顧大章(伯欽)と大韶(仲恭)、朱華奎と朱華壁

395:世界@名無史さん
21/12/22 02:59:22.41 0.net
>>392
石亭の戦いの際、おおまかに言うと曹休は軍を三分している。第一が曹休率いる揚州軍、第二が司馬懿率いる荊州軍、第三が賈逵率いる豫州軍。これに兗州青州徐州を合わせた六州の軍が曹休の軍であった。
賈逵の役割は豫州から南下して西から進軍してくる司馬懿と連絡することだったと思われるが、実際には司馬懿は軍を動かさなかった。そうなると賈逵の行動をそのまま書いてしまうと石亭の戦いの戦犯が明らかになってしまう。司馬懿の名誉を守るために賈逵の進軍ルートを改ざんしたわけよ。

396:世界@名無史さん
21/12/22 05:38:45.38 0.net
>>395
賈逵が強行軍によって曹休とようやく合流する前から曹休はもう負けている
司馬懿の責任になるわけがない
そもそも陳寿は詔で司馬懿が駐軍したと書いてるのでそんな改竄は必要ない
荊州方面にも呉軍はいるというか、当時荊州に主軍がいた想定で動いているのになんの妨害もなく合流できる前提で軍を動かしてたはずだとか頭悪すぎ

397:世界@名無史さん
21/12/22 11:23:56.78 0.net
395,396どっちの見解も正しいように見えるな

398:世界@名無史さん
21/12/23 02:02:03.87 0.net
>>396
三国志は司馬懿に忖度した記述をするのだから忖度を是として理解すると俺は頭が悪くみえるんだろうな。

399:世界@名無史さん
21/12/23 02:09:38.02 0.net
ともかく石亭の戦い当時、司馬懿が曹休の部下だったことは曹休伝が書く
「太和二年,帝為二道征吳,遣司馬宣王從漢水下,督休諸軍向尋陽」
により明白。
中華書局はこの三国志の本文は誤りとして、
「督休」を「休督」に入れ換えて解釈しているけどな。
また呉書は曹休の軍が朱然の背後を伺う書くが、朱然は江陵を守備しているのだから呉は魏の荊州軍は曹休の軍と認識していたことになる。もちろん曹休自身は揚州にいるのだから荊州軍を督するのは曹休の部下となる。それが司馬懿。

400:世界@名無史さん
21/12/23 02:34:44.70 0.net
>>399
何を言ってるのかわからない
別に曹休が総司令官であってもおかしくないが
督休と読もうが休督と読もうが別にそれ自体はそんな意味合いにならないし
そもそも二道と明確に書いてるのに賈逵が豫州から南下したとするなら三道になる
大体呉書じゃなくて蔣済伝だろう
濟表以為「深入虜地,與權精兵對,而朱然等在上流,乘休後,臣未見其利也。」
むしろこれは上流と書いてる時点で司馬懿軍の上流と解するのはおかしい
・忖度改竄なら詔で司馬懿軍が駐軍していたというだけで十分なのに
・賈逵の進軍ルートまで改竄してたんだと、根拠なく断定(そもそも改竄も何も進軍ルートがわからないのだが)
・仮に司馬懿擁護のための進軍ルート改竄と、仮定しても時系列があわない
・と指摘されても「司馬懿への忖度のはずなの」と根拠なく拗ねて誤魔化す
頭が悪いとしか言いようがない
他人に批判されなくて済む個人ブログとかに引きこもっててくれ

401:世界@名無史さん
21/12/23 02:44:55.81 0.net
すまんがお前に話していない。
ここはおまえのためにあるわけではない。
督休と休督とで意味が変わらんと言ってる時点でお察しよ。

朱然の件についてはサンキューな。

402:世界@名無史さん
21/12/23 02:49:30.45 0.net
そもそも二道征呉は曹叡が曹休に命令したことで、実際に戦争を行うにあたって曹休は賈逵を分けることにしただけだろ。そこまで言わんとわからんような人が集まるところだとはおもわないんだがな。

403:世界@名無史さん
21/12/23 10:45:19.24 0.net
ご両人の見解はこのレスバ見ても双方理があるように思う
史書の記載の正当性から解釈するか記載内容の詳細を追って解釈するかってところの差か

404:世界@名無史さん
21/12/24 09:42:29.83 0.net
単に連想ゲームみたいに
気に食わない記述は特に根拠もなく捻じ曲げて解釈するアホだろ・・・
典型的な素人史家というか

405:世界@名無史さん
21/12/24 10:48:51.98 0.net
突飛な解釈はそれはそれで議論すれば良いだけに思える
「それはこういう理由であり得ないと思う」と言えば良いのでは
司馬懿忖度論は初耳だったので新鮮だった

406:世界@名無史さん
21/12/24 10:50:37.25 0.net
いや普通に何でありえないのか書いてるだろ・・・
そもそも根拠すら提示されていないという


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