匈 奴3at WHIS
匈 奴3 - 暇つぶし2ch2:世界@名無史さん
18/06/20 21:26:48.77 0.net
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net
スレリンク(whis板)

3:世界@名無史さん
18/06/20 21:27:15.72 0.net
  匈  奴 [転載禁止](c)2ch.net
スレリンク(whis板)

4:世界@名無史さん
18/06/20 21:37:21.62 0.net
日本(縄文人)の方が、匈奴に近いのに・・・
トルコめ、勝手に匈奴をコーカソイド化しやがって・・・

5:世界@名無史さん
18/06/21 11:57:44.37 0.net
倭奴って言われるとむしろ誇りに思うようになってしまったら、貴方も立派な匈奴フェチだw

6:世界@名無史さん
18/06/23 16:25:23.28 0.net
冒頓単于はトルコではメテ、METという
取る子ではかってにメテ姓を名乗る不届き者もおるとの情報
匈奴王族のレンテイ家は劉氏に改名したんだからいるわけねーw

7:世界@名無史さん
18/06/23 16:31:04.07 0.net
頭曼単于の頭曼は、一万人の長という意味で
万士長というような将軍号か?
とうじは東胡が強盛で、なおかつ秦の始皇帝がオルドス、河南地方を狙って
大軍を送り込み併呑したので、よわった匈奴は東胡にこき使われていたようだ
なお頭曼は秦からオルドスをとりかえしており、むすこ冒頓単于に
1万騎を与えて万士長とした

8:世界@名無史さん
18/06/25 06:10:04.91 0.net
蒙古タンメンなどで「モンゴル=激辛」というイメージがあるが
モンゴルの味つけは岩塩のみ、
あれはまったく日本の創作、唐辛子は南方植物なので激辛料理などないとのこと。
欧風ビーフカレーがヨーロッパに無く、日本人の創作という話に似ている
ところが白人は日本カレーが大好きだから、激辛ラーメンも現地にもっていけば・・
モンゴルで最高の料理は子羊の肉を切り取っててきとうにアルミ缶に詰めて
その上から焼いた石をたくさん積んで1時間待つと蒸し焼きになる
この料理法は最高の肉と汁が味わえるそうだ
日本のジンギスカンじゃなかった・・

9:世界@名無史さん
18/06/26 03:20:55.90 0.net
勉強になりますありがとう 
食もその土地柄、習慣や個性の文化の違いが想像を掻き立てさせる

10:世界@名無史さん
18/06/26 20:56:54.07 0.net
人間のさいしょの牧畜は定住型で、一万年まえから
中央ユーラシアの主な家畜は羊がしめていたが、人間は集落に定住しており
羊は囲いの中で飼われていた
やがて、この囲いは不要となって人間は羊を連れて移動する
野営キャンプをして大きく移動するようになった
革命だが家畜の方に遺伝子的な変化があったのか、人間が羊をコントロールするすべを会得したのか
中央アジアの遊牧民は岩塩の革袋を下げ、家畜に舐めさせることで支配するとも言う
ゴビ砂漠はピンクの岩塩がでる。ここから遊牧に最適である東アジアが大きく飛躍する
岩塩を豊富につかう料理のためげんざいでもモンゴル人は高血圧に悩まされる

11:世界@名無史さん
18/06/27 22:02:52.94 0.net
肉料理に岩塩はたいへん合う。マイルドな海塩より岩塩のほうが塩味がキツイためだ
インド人が香辛料を多用するのは食あたり防止だという
熱帯だと肉が腐り食物も痛みやすくカレーのような強い味が必要だった
自衛隊は、食材が乏しくてもカレー粉をもっていけば何でも食えるという
鍋に変な肉やカエル、適当な野草ぶちこんでもカレー粉があれば何でもカレーになる
このように便利な香辛料なので、日本軍は朝鮮討伐のとき多量の唐辛子をもちこみ
食事にふりかけていたようで、これで朝鮮の人は「唐辛子」を知った
当初は舌を焼く苦痛でしかなかったので「倭芥子には毒がある」と長く忌まれた
中国には花椒という強い香辛料が有るので唐辛子はうけいれられ、激辛四川料理になるが
日本武士がアジアでもっとも早い時期からとうがらしを野戦料理として利用していたようだ
ギリシャ人は胡椒を知っておりカルダモンはアレキサンダー大王がインドから持ってきたと伝えられる
アレキサンダーが東征したのは高価な胡椒を求めてのことだったかもしれない
ゴート王が1トンの胡椒をローマに要求したのだからアッチラ大王も胡椒は知っていた

12:世界@名無史さん
18/06/28 17:26:32.35 0.net
バカ舌貧乏舌だけど20年前ブロンコビリーていうファミレスで初めて塩で食べたステーキがうまかった
ここで語られてるモンゴルの岩塩で紹介写真ではピンクだった(固まりは

13:世界@名無史さん
18/06/28 19:02:59.72 0.net
岩塩の色はピンクが多く、ヒマラヤやモンゴルがそれで良質とされる。ピンクはミネラル豊富。
黒や赤や白の岩塩もあるけど
黒は泥で白は石灰で、赤は鉄分、パキスタンの赤岩塩は、赤粘土
人間が消費する塩の大半、7割は岩塩。つまり掘れば取れる岩塩は便利
日本では岩塩は取れないので馴染みがなく赤穂の海塩となる、
日本で輸入される海塩の殆どはメキシコと豪州が占める
ただ海にはマイクロプラスチック健康問題があり、げんざい
1キロの海塩で10粒のプラスチックが確認される。これは増えると予測される
岩塩は数億年前の海なので当然プラスチックはない

14:世界@名無史さん
18/06/29 08:36:03.98 0.net
月氏のものと推定される古墳の発掘調査の結果どうやらサカや月氏は
腕や胸にイレズミをしていたらしい
文様は怪獣や魚などだがもちろん世界各地に刺青の風習は有る
中国は文様といい、野蛮として嫌い、また親から受け継ぐ身体を毀損する意味からも
道徳的に受け入れない。距離の近い匈奴もそうだったかもしれぬ
ただ日本や呉越など南方は全身にいれずみした
日本の使節による説明だと、もとは海に行く人の護身の意味だった
いまは実用味は薄れ形式的なもの、とのこと
おそらく月氏も魔除け、あるいは威嚇用に入れ墨したと思われる
モンゴル草原も夏は暑いから半裸になる、刺青した体のほうが見栄えはしただろう
白人も刺青はこのみ、ドイツの公務員は太い腕に刺青を見せびらかす
ゲルマン人も刺青したようだがローマ人はせず、やがて教会が下品として禁止した
日本だといくら禁令は出ても職人・博徒や遊女には刺青はやまなかった
遊女はお客への繋がりをしめすもの、だという。それからすると親分への忠誠をしめすため
だからかんたんに止む習慣ではない。日本に高い刺青技術があるため外国の王族まで来るという

15:世界@名無史さん
18/06/29 09:00:20.53 0.net
アルタイの王女のミイラとして世間に勇名なウコクの王女はイレズミをしていた
この古墳群は月氏とされる。この人達はトカラ人でブロンドの髪だ
2001年のミトコンドリアDNA解析ではサモエード人、ケット人に近縁とされる
白のシルクの下着、フェルトのスカートや靴下、毛皮の上着
これが月氏の衣装であろうか
アルタイプリンセスはアルタイ人に政治的不和をおこした
死者をあばき展示するのは王女への不敬でありすぐさま埋葬すべきとした
ロシア学者は、こいつは王女ではないと反撃した
匈奴王族はモンゴロイドだが目はグリーンで彫りが深いとされ
オルドスの西半分にいたというトカラ人月氏の血縁を伺わせる
発掘調査からすれば月氏は金髪であった。匈奴は混血民族で
よめはんは月氏から来たのである。冒頓単于のよめはんは金髪だった
東胡は金髪女を羨ましがり単于の閼氏(えんし)を欲しいといい出した
ところが匈奴は刺青した白人をキモイと思っていたのでこれさいわいとあっさりと渡した
匈奴の民は怒り、これさいわいと単于は東胡を攻め滅ぼす

16:世界@名無史さん
18/06/29 09:34:10.60 0.net
東胡の勢力は10万騎。ところで東胡の特色は装甲騎士だろう
東胡の子孫である烏桓は鉄の鍛造を得意としたくみに鎧を打ち上げる
鮮卑も鉄騎も有名で、20世紀まで西欧の主力だった重騎兵ははるか東方の
鉄騎(東胡)が元祖だとされる
サカやスキタイも重騎士でしられ、ペルシアの最精鋭部隊である不死隊
イモータルズは、たった一万だが屈強な鎧を着ていた。これもサカが多かったという。
東胡10万は重騎士で、月氏20万騎もおそらくガチンコの装甲隊、
匈奴やフンは革よろいのみ、軽量な軽騎兵である。
これでは匈奴1万ではかちめがない・・と思われるが優れた機動力と弓術で圧倒した。
匈奴は金で雇われ秦末の各地の戦乱に首を突っ込む、プロ傭兵隊長だった
これにくらべると月氏はお金持ちで交易で肥え太り白人デブで
東胡は勇猛だがやや、おっとりして文化が遅れていた
のちにローマをおそったアランは装甲騎士、フンは軽騎兵だったが王者はフンだった
フンの突撃はすさまじくローマ装甲歩兵はとうていたえられない、と述べてる
要するに戦闘慣れの問題だろう
九州や四国の兵は勇猛だったが、秀吉に率いられた上方軍は歴戦の兵で、あっさりやぶり
参謀の黒田如水は「田舎者ども、なんともお気の毒な感じがする」と吐き捨ててる

17:世界@名無史さん
18/06/29 10:45:38.03 0.net
月氏の入れ墨と日本の刺青は一見関係ないようだが北方アイヌや
蝦夷もイレズミをこのんだことは一考を要する
シベリア極東部のギリヤーク、コリヤーク、チュクチなどので顔や腕にいれずみをする
アイヌではいれずみは成人女性の証とされ、ローマでもトラキア女性の風習
インドの例を見てもむしろ女性の成人儀式の利用が着目される
アルタイ王女でも、一人前の証、あるいは身分の証としてイレズミはこのまれる
ロシアシベリア北東の端のチュクチ半島に住む野蛮のチュクチ民族ではあるが
トナカイ遊牧と海岸漁労民族にわかれる
北辺の民族として植物も乏しいのでもちろん南方交易は望まれたが
この相手は日本ルートがおもで、チュクチは日本の鎧甲や武器道具、産物を頼りにした
つまりシベリア北東は日本の勢力圏でもあった。というと「えっ知らない」「そんな歴史がない」
という学者がほとんどだが、アイヌと択捉アイヌはたしかに沈黙貿易していた

18:世界@名無史さん
18/06/29 11:03:09.31 0.net
沈黙貿易は・・ヘロドトス 歴史(ヒストリアイ)でもしるすが
カルタゴ人はアフリカ人との交易にこれを応用していた
直接接触は避けるというのが沈黙貿易のキモである
まずアフリカ沿岸にカルタゴの舟が来てさだめられた場所に商品を置く
黒人は白人が去ったのをたしかめて横に黄金を置く
カルタゴ人は黄金をしらべ不足ならまた消える
黒人は黄金を追加していく。これが繰り返されて十分な対価だとカルタゴが思えば
黄金を領収して品物は置いていく
おそらくこの形式だと「ケチなやつ」「今回はせこい」など色々な不満が出たのは想像がつくが
この沈黙貿易はきわめて礼儀正しく、横奪や暴行はなかった
トラブルや商品横奪があればカルタゴの船はもう来ない。アフリカ黒人にとって
交易船は有り難いもので、交易の優位はカルタゴになった
また文明国のガラクタが大量の黄金に変えてくれるのであればもちろん、旨味は十分である

カルタゴがアフリカ人との接触をきらったのは、ローマ時代にアフリカ黒人は伝染病の大元だと
認識されていたのでだいたい説明がつく。

19:世界@名無史さん
18/06/29 11:25:35.97 0.net
日本のアイヌと択捉アイヌ(ギリヤーク)の交易は、
アイヌが米・味噌・鉄製品などならべ、ギリヤーク人はラッコの毛皮で交換
礼儀正しく長らく行われた
またアイヌは日本人と交易市でへいきで接触したので
人の接触を嫌う、これはもちろんギリヤーク人がのぞんだものだったらしい
ところが匈奴が中国との交易を望んだのはもちろん植物相の貧困で手に入らない
中国のコムギやコメやビタミン源の茶や野菜、文明の利器は
とにかく遊牧民が欲しいものだった
つまりギリヤーク人やシベリア民は、日本との交易はとてつもなく望んできた
しかし彼らにはケガレ思想ががあり、外界人や日本人を激しく拒んだという
ゆえに沈黙貿易しか接触がなかった。だから言語も文明もつたわらない
糞尿を満たしたバケツをあらって食料を容れても朝鮮もドイツ人も平気である
皮肉だがケガレ思想を持ってるのは世界のなかで日本だけで
むしろ日本の潔癖やケガレ思想、刺青の習慣は、シベリアからきたものではないかとおもえる

20:世界@名無史さん
18/06/29 11:59:33.49 0.net
特産品からその土地柄、文化、風俗がわかりそこに繋がる話がとても面白かったです
田舎にある無人販売機みたいなのも立場の違い、必要性、顔を合わせてないのに信頼関係
面白かった
渤海と日本も交易があったとのこと
なにか機会があった時にでもお話があれば宜しくお願いします

21:世界@名無史さん
18/06/29 18:34:02.94 0.net
渤海国はツングース系できわめて国際感覚に富んでおり日本と同盟を結び、
新羅を攻めようと計画した。さらに唐や突厥とも友好関係を結ぶ
渤海国の領域は朝鮮半島より遥かに大きく2倍は有る
また北朝鮮のかなりの部分、平壌のちかくまで渤海国の領土はひろがり
新羅はこれをおそれていた。渤海の攻撃を防ぎ国境に数千の弩兵を置いた
「渤海人は長人で、黒い毛皮をまとい、鋸牙鉤爪
火を知らず獣肉を生食する。人を捕らえたべる、婦人を捕らえ衣服を縫わせる」
この異国視は、朝鮮との断絶をあらわす
渤海人はツングースであり朝鮮人より背が高く、八重歯で爪が長く恐怖を与えたのは間違いない
しばしば人を拉致したのはのちの女真もそうなので驚くに当たらない
日本との関係は極めて良好で渤海の上都より日本道ルートを開いたのは注目される
のちの満州のホンタイジ太宗も朝鮮を攻め「日本との直接交流を許すこと」を条件にあげる
満州人が、高度文明の日本との友好に執着したのはとうぜんだ
渤海と日本との関係は「おじと甥」であり
上都は日本の平城京と同寸法で作られ、むしろ唐より、日本との交流がおもであったという
ただ最終的に渤海はモンゴル系の契丹にほろぼされる

22:世界@名無史さん
18/06/29 18:57:24.27 0.net
東胡王がオルドスの匈奴に要求したのは
良馬、美女、広い土地であった
良馬は汗血馬といって西域から手に入れるのでわかる
またドスコイ顔の東胡は金髪白人のよめはんを珍重したのもわかる
東胡の東はツングースであり険しい山で、渤海国も「その地は峡なり」としてる
馬も進めず道もなく遊牧民には美味しい土地ではなかった

23:世界@名無史さん
18/06/29 19:56:22.99 0.net
択捉アイヌやシベリアのトナカイ遊牧民が日本との交易を重んじたのは
なんといっても、味噌が挙げられる
今では想像し難いが大豆を原料とする味噌は日本ではタンパク源でも有る
そのまま食べたり酒の肴にした
うまみ調味料としても使えたのはもちろんだが、醤油は意外なことに江戸後期まで
あまり普及せず、ほとんどの時代で活躍したのは味噌だった
味噌を買うのはバカ、浪費家、とされて江戸時代まで自家製がおもになる
醤油は専用の絞り機が必要なので大きな農家や寺しか製造できないのも要因だ
舟で輸送するにしても液体の醤油は重く、味噌は軽い利点がある
かんじんなことに、大豆栽培の北限は北海道あたり
択捉アイヌ・シベリア遊牧民はもとより、北欧でも土壌の違いで大豆栽培できない
いまは北欧で空前の味噌ブームになりチーズのような発酵食品として捉えられる
東シベリアの遊牧民が自家製造できない日本味噌を欲しがったのは当然で
塩だけでは味気ない
戦国武将も野営に味噌や醤油がないと「味噌はどこですか」と詰問したという

24:世界@名無史さん
18/07/04 22:08:40.95 0.net
シベリアの眠れる美女…貯水池の中から見つかった約2000年前のミイラ

シベリア連邦管区トゥヴァ共和国のエニセイ川上流の巨大貯水池で水量が低下した先週、
なんとミイラ化した女性の遺体が見つかったと報じている。
これはロシア科学アカデミー物質文化歴史学研究所の考古学者チームが発見したもので、
まるで埋葬に用いられたかのような長方形の石造物が見えたことから調査された。
ミイラ化した若い女性の遺体は石棺の中に納められていた。
蓋がしっかり閉じられていたため、遺体は中で自然にミイラ化したものとされ、
保存状態はよく、柔らかい組織や皮膚、布なども残っている。この女性は2000年前に
埋葬されたものと考えられる
その遺体はシルクのスカートを履いており、胸には死後の世界用に松の実の入ったポーチ
そのほかにもビーズで彩られたベルトのバックル部分は樹木の化石である黒玉など、
数々の装飾品や、白樺の皮で作られた化粧箱の中にはフェルトで包まれた中国鏡が入れられていた
また女性の付近には容器もあり、フン文化風のものだったという。

25:世界@名無史さん
18/07/06 08:11:20.29 0.net
スキタイ・サカといえば生活形態は匈奴で金髪碧眼の白人だとされる
ヘロドトスによれば、スキタイはもとはアジア奥深く原住地で
マッサゲタイに攻め悩まされた結果、故郷を捨てて西進
黒海沿岸のキンメリア人をほろぼして乗っ取ったという
またバルバロイ、周辺蛮族の多く、ギリシャ人もこの説を信じており
ヘロドトスもこれには自信がある
スキタイはロシア人の先祖とされるが、もともとロシアあたりに居た学説
あるいはアジア奥深くにいたという学説は、スキタイ論争として
西欧人の興味を引いておりソ連時代の発掘調査がすすんだ
ヘロドトスの言う通り、スキタイの遺跡はやはりアジアがふるく、西アジアは
それよりあたらしいものだと確かめられる
エニセイ川上流のトゥバ共和国にスキタイの最も古い遺跡があるとされる
ミヌシンスク盆地のやや南だ
エニセイ川上流といえば匈奴や突厥、キルギスの発祥地とされる
さらに金髪碧眼のスキタイ・サカまでエニセイ川上流のトゥバあたりが原点とすれば
西欧人ならずとも興味を引かれる

26:世界@名無史さん
18/07/06 08:36:38.59 0.net
エニセイ川は冬季は凍結して洪水を引き起こすので
ソ連ではダイナマイトで爆破して北極海にながすという事業をやっていた
一万年前はエニセイ川は氷河期の影響でさらにさむくカチカチで北極海に流れないので
シベリア巨大湖に形成し黒海に注いでいたとされる
多くのユーラシアの民が黒海からシベリア巨大湖にかけて羊の群れを連れて移動したとみられる
ただこの頃は人間は馬に乗るということはできず、西アジアでは牛のように鼻輪付けて使役した
やがてカザフスタンで小型戦車が発明され馬に引かせるようになる
これが印欧族でヨーロッパでは日本で言う卑弥呼の墓論議よりも興味関心をひいてるとされる
スキタイ・サカといえば騎馬と弓の民だが、騎馬の術はやはりアジアで発祥した
東アジアで磨いたすぐれた弓騎兵が、石器時代から農耕をおもとしてるキンメリア人を
駆逐したのは想像に難くない
スキタイがさいしょから金髪碧眼だったのかよくわからない、あるいはトルコのように
西進するにつれてしだいに強姦して白人化したのかもしれない
ともあれ黒海沿岸のキンメリア人はスキタイを恐れ民族移動することにきまったが
キンメリアの王族は反対して自害したので民衆は埋葬して逃げたとある
おそらく先祖の霊や墓を捨てて逃げれないという理由だろう

27:世界@名無史さん
18/07/06 08:53:12.86 0.net
ソビエト連邦では、スキタイ人はもとからそこに居た、と決定された
ソ連の社会説では、共産主義の発展は。もとからそこに居たスキタイ人たちが
石器時代から進歩発展して農業を営み、さらにロシア人となり
ソビエト社会を建設する
ヘロドトスはスキタイは東アジアから来たと指摘してるのにかかわらず、だ
やがて西欧の影響でソ連の学者たちもおかしいと言い始めた
発掘資料が出そろうにつれてスキタイ原住地の東アジアは動かし難くなったが
エニセイ川の上流はモンゴルのすぐ北隣である
ひとつにはモンゴルの田舎から金髪碧眼のロシア人の父祖が来たとは信じ難い
という気分的な問題もあるので、なかなかソ連では認めることはできなかったようだ
このあたりはふるくはエニセイキルギス人、南サモエード人が住む
シベリアのトナカイ遊牧民のサモエード人の遺伝子は北欧およびロシア人のかなりの割合を
占めてるから容易に想像がついたはず、なのだが。

28:世界@名無史さん
18/07/07 22:33:59.93 0.net
印欧族のヒッタイト人はアナトリア半島(トルコ)のさいしょの文明とされるが
鉄器を発明しエジプトと対決した超巨大帝国としてもしられる
このヒッタイト帝国の都からは巨石が多くヒッタイト人や王侯の彫刻があるが
いずれも非常に長い尖った帽子をかぶってる
長い帽子といえば尖り帽子のサカ、スキタイ人、また月氏も長い帽子を
かぶり、また月氏の末裔のタージク人も長帽子をかぶる
月氏の遺骨発掘によれば木の張り型で布や革の長帽子の形を保つようだ
ヒッタイト人は3500年前にトルコに来たようだがサカや月氏の血族だったのか?
3200年前に海の民に滅ぼされて異民族のフュリギア国が取って代わった後も
民族衣装は女神の衣装としてローマ人に影響を与え
フュリギア帽子はフランスの自由の女神がかぶりフランス革命の象徴となる
またスキタイがキンメリアを追い払ったのおおよそ2700年前とされる
ヒッタイトの遺跡から埴輪のような牛を模した土器が出たことは日本古墳との
つながりもかんじさせる・・ヤマタイとスキタイのつながりも
ヒッタイトやフュリギアの信仰は天神だそうで、これも遊牧民に多いタイプだ
またヒッタイト人は死後の世界は地下にあると信じておりこれも日本と同じだ

29:世界@名無史さん
18/07/08 21:11:25.19 0.net
スキタイの主神はかまどの女神ヘスティアであった
アニメでは勢力を伸ばしてる?ギリシア女神ヘスティアさまだが神話は殆ど無い
ヘスティア=ウェスタはローマ最高位神であって建国者ロムルスの母はウェスタ神官長だった
かまどの女神ウェスタの神官は処女でなくてはならず違反すると殺される
だが女性ながらウェスタ神官長として最高席をあたえられた
遊牧民スキタイのかまどの女神がギリシァローマに侵入したのかそこは定かでない
メソポタミア文明はかまどの進化に支えられていた
パンは初期は大麦を練ったものをそのまま焼くことが多く薄いパンだった
げんざいでもインドではタンドールで焼く発酵パン、ナンは一般的でなく
一般家庭にはタンドールはなく、小麦粉をねって薄く焼いたチャパティが
食べられることがほとんどだ。とインド料理店では主張する
コムギのチャパティは北であり当然南インドではコメの食事となる
かまどをアッカド語でテュヌール、アラビア語でタヌール、インド語でタンドール
すなわち古代語であるが、燃料を節約できる日本式かまどは最近後進国の
森林乱伐をふせぐためアフリカなどに指導されて大好評という
メソポタミアは大河による沖積平野であり、大麦などの農業には困らなかったが
石材や木材は不足気味だった。そこでペルシャ湾河口にちかいウル・バビロンなどの
城塞都市がさかんに交易をおこない、舟で多くの食材、石材、金属を入手して隆盛した
パンを焼く燃料も節約する必要がありそこでかまどが生まれる

30:世界@名無史さん
18/07/08 22:24:26.41 0.net
丸いパン焼き窯もこのころつくられ、十分に燃料をいれて燃やして熱くなったとき
発酵パンをさし入れて余熱でふっくらしたパンを焼き上げる
原理はオーブンと同じでメソポタミアはこれでようやく美味いパンを食えるようになった
下から加熱したのではパンは焼けない
パンは形に工夫が凝らされ魚や獅子を模したものもあった
たい焼きと同じく陶器の型で抜いた型抜きパンで紋章があしらわれることもある
乳製品やはちみつ、ヨーグルトを練り込むこともあった。現在の菓子パンである
基本メソポタミア料理は肉と野菜を煮込むシチューで、これはイラン料理もそうだ
玉ねぎ、ねぎ、にんにくが人気あり、レタスやキュウリ、かぼちゃ、かぶもあった
パンをシチューにつけて食う
都市の野菜取引は大変な量になったようだが都市人口が多いため依然高価で
貧民はしばしばビタミン不足で病気になり悩まされた

31:世界@名無史さん
18/07/08 22:34:02.81 0.net
交易で富んだウルやバビロンの北方でアッシュールという都市宗教ができる
アッシュール市そのものが神格化された神
シュメールの記録には気違いじみた野蛮人として記録される。
シュメール人のいう猿。礼儀しらずのマルトゥである
アッシリア大帝国は強大な軍事力でウラルトゥという北の王国を滅ぼしたあと
オリエント世界を全て併合しようとした
アッシリアの帝王はよほど憎まれた。異民族にはプルという蔑称で呼ばれる
彼は平民から成り上がり、平民だったときの本名だともいう。藤吉郎のようなものか
メソポタミアを統一しアッシリア王とバビロニア王を兼ね
これはおおむね上手く行ったが、ただし東には宿敵エラム帝国がのこってる
イラン系のエラム人はシュメールから東の混血やろうと罵られた
顔立ちも月氏やサカのような民族が混じり違ったのかもしれない
エラム王家の兄弟相続、末子相続を保持した。サウジアラビア王家もそうだが
匈奴やモンゴルのような遊牧民の風習と言える
アッシリアの軍事は正に完璧であると教科書でも教わるほど軍事特化タイプの帝国だ
3人乗りの大型戦車、兵員輸送車の発明、攻城兵器をそろえ、農民兵士を常備軍に替えた
軍事はプロの傭兵にまかせる。駅伝制度や幹線道路の整備もした
首都ニネヴェは膨大な粘土板が出土して世界初の巨大図書館と言われる
アッシリアの文化は婦人にベールをかぶせる。いまの中東にものこってるが
花嫁にベールをかぶせる西欧の風習もアッシリア由来とされる
ただし強制移住政策や重税などあまりに過酷な統治でにくまれて謀反が絶えない
とくにバビロニアの反乱は裏にエラム帝国がついていた
そこで征服王アッシュールバニパルはついにエラムを滅ぼす
エラム王は斬り殺され、全てのイランの都市は略奪されて宝物は持ち去られる
だが、これで終わりではなかった

32:世界@名無史さん
18/07/08 22:38:19.62 0.net
唇が滅べば歯が寒し
エラム帝国はほろんだがエラム語はやがて、アケメネス朝ペルシアの重んじる所
でありペルシア帝国の公用語はエラム語となる。
後世のアレキサンダーの破壊でエラム語はたえたが、それほど高度な文明がある
イラン系のエラム帝国をほろぼしたアッシリア帝国はこんどは直接、猛烈かつ無尽蔵の
スキタイ遊牧民の侵攻圧力をうけることになった
軍事強化は尽くしたアッシリア大帝国だが弓を主体にした重装甲騎兵スキタイ・サカの攻撃は
全くの想定外であった
おそらく混血野郎のエラムはスキタイ遊牧民ともなんらかの連携・コントロールをもっていた
多分、エラム王は遊牧民とも濃い婚姻があったのではないか。末子相続制度まで同じだ
もちろんエラムが消えれば都市国家からうけていた野菜ビタミンの供給もなくなる
これら交易の旨味がなくなれば遊牧民が動き出す
農民スキタイ、農耕スキタイ、遊牧スキタイ、王族スキタイの四天王ラスボスである、
スキタイでも最強の王族スキタイがアッシリア制服にのりだした
しかもスキタイにやぶれたキンメリア人も嬉々としてアッシリア征服に付き従ったとされる
スキタイはアッシリア軍を交戦し「弱い」とみえるや総攻撃に移り首都ニネヴェを破壊する
彼らはエジプトまで進撃したがエジプトのファラオは泣き落とし戦術に出る
スキタイはしばらく30年ほどアジアを支配するが、とにかくひどい略奪と暴政であったとされる
聖書にスキタイの一文だけ挿入されてるがユダヤ王国には典型的な野蛮人として扱われる

33:世界@名無史さん
18/07/12 09:24:22.35 0.net
友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
X0N

34:世界@名無史さん
18/07/12 09:30:56.24 0.net
フンヌはフン族

35:世界@名無史さん
18/07/14 16:02:27.44 0.net
ロシア学者の遺骨調査によればスキタイ人は森林スキタイと草原スキタイに大別でき
森林スキタイは頭蓋骨が長く、顔も彫りが深い
草原スキタイは頭蓋が短く大きく、鼻は高かったらしい。また背は並外れて高いという、
バカでかいというのは赤狄っぽいが月氏などがまざっているのかもしれない。
キンメリア人は黒海北岸から小アジアに追い落とされる。王は土地を死守すべきと主張したが
もちろん国民は死にたくはなかった。そこでスキタイ王と奴隷都市という階層が生まれる
都市との緊密な関係、牛、パン、毛皮、奴隷による大量の物資はスキタイ社会の変化も促す
身分差は大きくなった
スキタイ人は肥満体であり、ぽっこり腹が出ていた、とヒポクラテスはいう
革製の外套、カフタン、前開きのガウンをはおり、、羊毛もしくは革のズボンを履いてる
高貴なものは、ゴールドや金属のプレートを革服に無数に打ち付けていた。一種のお洒落か
またスキタイ騎兵は龍の紋章をこのんだ
これがギリシア世界には鱗のような印象を与え、スキテュア、蛇神の子孫ともされる
スキタイの社会は王族、これは匈奴モンゴル同様に血で永久に伝承すべきものとされた
日本天皇やロシアのツアーもやや似てる
組合評議会、国会、軍事専門職の軍貴族、兵士、聖職者などの階層がある
組合評議会には敵を殺した戦士のみが出席できる
敵の頭の皮を剥いで、手拭いとし、あるいはガウンに縫い付けた
もっとも恐るべき野蛮な敵のものは、記念として頭蓋を切り取り髑髏杯にされた
これに酒と血をまぜあわせ、友人の誓いや結婚の誓いとした

36:世界@名無史さん
18/07/14 16:10:35.68 0.net
ロシア人は西欧にはスキタイ人の子孫そのものとされたがロシアはこの称号を嫌う
せいぜい東スラブ人、ハザールがスキタイの子孫だとロシアはいう
帝政ロシアではスラブの騎士が、棍棒をふり回すスキタイの大男と戦う絵の題材も好まれた
つまりスラブ人=文明、スキタイ=野蛮としてる

37:世界@名無史さん
18/07/14 16:36:06.32 0.net
さてスキタイの上位互換、スキ隊より更に野蛮とされたサマルティア人だが、
かれらはまったくのテント生活で、匈奴や蒙古と変わるところはない
やがてアラン族、阿蘭国とされる名高い重騎兵はボルガ河の西側に住む
なぜマッサゲタイがアランと改名したかというと・・新しい名のアランとは
多くの部族が寄り合いアーリア組合というような意味だとロシアの学者はいう
ペルシア王がエーラーンの王と称したのはアーリア王という意味である
つまりアドルフ・ヒットラーもエーラーンの王もしくはアラン王となる
アランは重装甲騎兵で有名だが、また1メートルをこえる長剣をも好む
馬上で斬るのだから長剣が有利でもあった。手から柄が抜けないように半円の金具がある
スキタイの聖剣伝説も有名であって聖剣は常に隠されており
ロシアの聖剣伝説はクォデネンツ「魔法剣」、「隠された剣」、「鋼鉄の剣」などと意訳される
サモショーク「自動で振るわれる剣、自動剣」とおなじであるとされる
サモショーク剣はバビロニア王のネブカドネザルが壁に塗り込めて隠し
「エルスラン・ラザレーヴィッチ」主人公は、燃える盾と炎の帝王(ペルシア王)を倒すことができる剣を手に入れる
賢いアッチラは、伝説の聖剣を見つけたとと称して、まぬけなスキタイ族を心服させたという

38:世界@名無史さん
18/07/14 16:52:42.43 0.net
現在のアラン族はオセチア人とされる総人口はおよそ60万人
オセチア国はアラン国に改名したいという動きもある
遺伝子調査ではやや否定的だが、長い混血も経てるので何とも言えない
オセチア人はただのスラブ人であるという
そもそもアラン族はロシア人であるともされるから、えっ何が悪いのか?と
プーチン政権だから政治的な見解も否定できず・・
アランと言えばフンに付き従った騎兵としてあまりに有名だが
アランの末裔アスト人はモンゴル帝国によって征服され、首都マガスを始めとする諸都市は壊滅的な打撃を受けた
モンゴル帝国もアラン重騎兵の名声には目を留めたらしくモンゴルに連れ帰りモンゴル皇帝の親衛隊に編成した
アスト人親衛軍である
阿速親衛軍は14世紀前半に頻発したモンゴル帝国の後継者争いを巡る政変において重要な役割を負う
アストの人々は1368年に元の皇帝が中国を放棄してモンゴリアに帰るとモンゴル遊牧民の一集団となる

39:世界@名無史さん
18/08/05 23:30:48.70 0.net
匈奴の人口は、漢の一郡ほどでしかなく、大目に見積もっても数百万というところだが
税収は、秋に大会を催し、そこであつまった遊牧民は一部の家畜を取られるだけだった
あまりきびしくすると国も崩壊するのでかなり緩かったと思われる
国家のためには外部に収入を求めることが必要で、お金持ちである漢にたいして
冒頓単于が甘い態度に終始したのは、なんとか金を引き出そうという計算でしょう

40:世界@名無史さん
18/08/06 03:10:33.93 0.net
そのあたりの冒頓の感覚は絶妙だったな
稀代の天才だよ、チンギスより上かもしれん

41:世界@名無史さん
18/08/24 08:57:08.32 0.net
燕麦は健康食のオートミール(流行のグラノーラも)としてよく食べられてるが
作物利用は遅く5000年前の北欧ではじまる
ゲルマン人が栽培していたがローマ人は軍馬の飼料として利用
小麦と違い粉屋で挽く必要がないため安上がりな食事だったため、中世では
貧しい農民の物とされた。このため廃れたがスコットランドでは寒冷で小麦が取れず
例外的にオートミールやオートケーキが主食となる
米国でもスコットランド移民が持ち込み「キリスト教会の健康法」として宣伝したために
オートミールが大流行した。昭和天皇も好んで食べた
燕麦は東方にも伝えられてパミール高原においていわゆる裸性を獲得ハダカエンバクになる
ほとんど馬の飼料で、例外に主食としてるのはスコットランドとモンゴルであるが
モンゴルでは麺として食べるという
蒙古遊牧民も燕麦の主食は2500年前からやってるというから、匈奴や東胡も食べたということになる
北方に居住していたゲルマン人はやはりエンバクを栽培し、人間の食用としていた
やはり植物相が貧困であるから匈奴にしても選択の余地はないと思われる

42:世界@名無史さん
18/08/24 08:59:23.41 0.net
中国の華北・中原において、黄河文明以来の主食は専らアワ
アイヌにとって最も重要な主食穀物がヒエ

43:世界@名無史さん
18/08/24 09:33:36.49 0.net
現在のモンゴルで羊肉を煮込んだスープに粟を入れて食べるが羊肉は脂肪に富むので
かなりおいしい
粟は古代東ヨーロッパのの伝統的な食事でシルクロードを通してモンゴルに入ってきた
つまり月氏やスキタイの食事が匈奴に伝えられたようだ
モンゴル人の飲む茶ツァイは、ナイフでレンガ茶を切り出し、ミルクにいれて煮る
モンゴルでは馬、牛、羊、ヤギ、ラクダを「五畜」と言いますが、この五畜の乳を使用する
クリーミーな味わい。乳茶にバターとアワを入れると朝食となる
古代には茶はまだなかった、そこで匈奴や東胡はミルクに岩塩をいれて煮立ててのみ
さらにアワをいれ軽食にしたと想像される
塩ミルク→塩ミルクティーに進化した。
さらに塩ミルクティーの鍋に具材ぶち込んで煮て食べるのがモンゴル家庭料理、鍋茶だ

44:世界@名無史さん
18/08/30 09:49:05.67 0.net
>>42
靺鞨、勿吉もそうだったの?

45:世界@名無史さん
18/08/30 20:03:01.20 0.net
>>44
満州の農民は大豆と小麦を売却して、アワを主食としていた
中国との交易が盛んで、海西女真がその利益でさかえていたが
野蛮な建州女真に征服される。更に野蛮な野人女真、これが靺鞨、勿吉らしい
金の正史によれば、女真(金人)は粛慎の遺種、渤海は別種に当たるという
東アジアも遊牧民の影響で族長選出は合議制という民族が多いが
めずらしいのは、族長は大人といい、血で伝承される
なんとなく日本の大王(おおきみ)を思わせる
まぁ東胡の末裔であるモンゴルもチンギス統治原理をとったが
東夷の影響であると思えばおもしろい

46:世界@名無史さん
18/08/30 21:46:28.48 0.net
大王=大人(族長)
鮮卑・東胡・粛慎と
さらに
大人=可汗となる

47:世界@名無史さん
18/08/30 22:44:51.72 0.net
カマ・タルカンのタルカン(達汗)とカン(汗)の関係は?

48:世界@名無史さん
18/08/31 06:36:39.24 0.net
鮮卑は大人(ダレン)という称号で、東夷のツングース族長でも大人と称した
日本の大王(ダイオウ)や大臣(ダイジン)も大人(ダレン)が変化したものか
なお
やがて鮮卑拓跋部は可寒。可汗号を採用、これはイエニセイ碑文で「カガン」と発音することが
判明しており、漢字以外では最も古い、日本のかな文字と同じくらい古いルーン文字で記述されていた
やがてカン、カーン、カアンなどに変化

49:世界@名無史さん
18/08/31 06:42:43.37 0.net
大人(ダレン)の由来だが満州地方の伝承では
華北の長人(長狄)と同じ意味で、たんに並外れた巨人、超人の意味だ
大人(ダレン)は身長9メートルあったという

50:世界@名無史さん
18/09/03 12:41:47.23 0.net
王大人

51:世界@名無史さん
18/09/14 01:35:40.48 0.net
>>24
この女性どんな感じだったんだろう
写真はさすがにご遺体だから見るのは怖いけど絵でなら見てみたい気がする

52:世界@名無史さん
18/09/14 01:55:47.54 0.net
良スレage

53:世界@名無史さん
18/09/14 11:41:02.30 0.net
>>50
大人の死亡を確認しなきゃなw

54:世界@名無史さん
18/09/14 12:41:22.88 0.net
ワン・ターレン

55:世界@名無史さん
18/09/14 18:15:43.75 0.net
>>24
DNA検査結果が待たれます
西ユーラシア系なのか東なのか
目は青かったのか

56:世界@名無史さん
18/09/14 19:34:21.79 0.net
エニセイ上流あたりの原民族といえばエニセイキルギス・サモエードで入れ替わった様子もない
突厥・トルコの先祖でもあり、匈奴の祖先とも同根だとも言う
なお中国の史書ではキルギスは青い目で金髪で、ヨーロッパ系民族を思わせる
しかし時代が下ったげんざいのキルギス人は南下して混血の末か黒髪化してる
2000年前では、混血化する前なのでおそらく真っ青な目でしょう
このエニセイ川上流は、緑目のパシュトーン人の祖先がいた、とも言われてる
匈奴は緑目であったからグリーンの可能性も否定できない
グリーンの目はブルーより発生が遅く、故に欧州白人ではすくなく中東に多いため
差別対象になったりするがその源流はエニセイ川なのでおもしろい

57:世界@名無史さん
18/09/14 23:18:54.96 0.net
そもそも突厥は匈奴の別種・・・みたいに言及されていたんじゃなかったっけ

58:世界@名無史さん
18/09/15 05:13:42.25 0.net
突厥人は匈奴の古くに分かれた同種異族で、姓はアシナ氏という
これだと貴族だったアシナさんが単に匈奴の一族だったというふうにもとれる
その昔はシベリアの丁零も、冒頓単于に服従していた。匈奴の支配貴族も送り込まれる事もありそう
ちなみにフン語はテュルク語だしシベリアから流れてきた。アッチラ=アシナ氏だと思うんだよな

59:世界@名無史さん
18/09/15 18:50:34.70 0.net
キルギス人男性の過半は白人の遺伝子ハプロの持ち主だから
その昔はアファナシェヴォ文化の担い手だったのだろう
しかし東から押し寄せるモンゴロイドのトルコ系に同化されて
今はモンゴロイドの風貌
ただ緑色の目の人はちょくちょくいるみたいだね

60:世界@名無史さん
18/09/15 19:39:02.21 0.net
アシナさん柔然の鍛鉄奴隷だったから・・
柔然は、鮮卑の一騎卒とか
完全にドスコイ顔のモンゴル朝昇竜系ですな

61:世界@名無史さん
18/09/16 09:12:37.59 0.net
中華文明の策源地は、黄河下流の南岸にある鄭州などだ
黄河は氾濫が多く治水は大変な時間を要し、帝しかできない仕事とされる
だから時代が下ると支流の洛水や渭水の都市のほうが栄える
西に洛水の南岸の洛陽、もっとずっと西に渭水の南岸に長安
鄭州が栄えたのは五穀、つまり米も麦も何でもとれる絶妙の位置からだ
中国の都市は北緯32度あたりに点在する。日本の京都も34度だ
多くの中国の都が、大河の南岸にあるのはもちろん、水利を得るためだが
河を盾にして北方異民族を防ぐ目的がある
黄河はたいへん長い河でそのかたちは龍に似てる
黄河上流はチベット高原で、中流域は北に大きく屈曲してオルドス地方になる
したがってオルドス屈曲部、オルドスループといい
北緯40度で寒く植物相は貧困だ。だから農耕民族は進出しにくい
オルドスが匈奴や狄など遊牧民の歴史が4千年もあり古い策源地だ
おなじ黄河にすむ民族ながら、漢族と匈奴は言語が異なった
大河で言えばナイル上流の黒人と下流のエジプト人種が違うようなものだろうか
全く異民族なのだが中国人も黄河中流のオルドスを、河南と称する
中国もせめて黄河南岸のオルドスはほしい。始皇帝はオルドスを奪う
オルドスの回復と戦乱の介入、これが軍事機会として匈奴大帝国をうむ一つのきっかけになる

62:世界@名無史さん
18/09/20 09:57:49.21 0.net
もし始皇帝が早世しなかったら・・・

63:世界@名無史さん
18/09/25 22:43:41.16 0.net
匈奴の北には丁零(テュルク)西のミヌシンスク盆地には
堅昆(イエニセイキルギス)がいた
堅昆についてはよくわかってない
匈奴の北に阿謗歩(アッチラ)を大人(族長)とする堅昆があったが、彼が愚痴であったため、滅ぼされた。
阿謗歩(アッチラ)の兄弟は17人いて、その1人に伊質泥師都という者がおり、のちにこの2人の子から
契骨(キルギス)と突厥(トルコ)が生まれた
突厥の語は、かれらがすむ山地が尖った兜に似ていたともあるいは碧い天空を表してる
堅昆は金髪と赤い顔をもっていた。
顔は、主に白人の特徴および一部にモンゴロイドの特徴を有する。
史書は「人々すべてが赤い髪と緑の目をしている」と述べている
男は耳輪をした。また全身に入れ墨(古代日本や月氏もそうだった)
貴族は白いフェルト帽子、貧乏人は帽子はかぶれない

中国の記録によると、彼らはライ麦、エンバク(オート麦)大麦、小麦、キビを栽培して鉄を精錬した
小麦は石臼でひく。彼らの作る金属武器は鋭利である
魚も食べるチョウザメは特に好まれる
また優れた馬を持ち、足も早い
花嫁を買うときに100頭の馬を支払う(お金持ちは100頭~1000頭)
10世紀のペルシアの文献では火を崇拝し死者を焼くとする(ゾロアスター、あるいは仏教の荼毘か)

64:世界@名無史さん
18/09/26 09:40:46.13 0.net
スキタイとミヌシンスク盆地の関係は?

65:世界@名無史さん
18/09/26 20:24:08.97 0.net
周書によれば突厥の先祖はサカだという
サカとスキュタイは同じもの(ギリシャとイランによる呼称)とヘロドトスは言う
スキタイの起源地の議論は、日本の邪馬台国論議と同じで
白人の祖先にもあたるからヨーロッパではたいへん関心を集めてるが
やはり東方はるかアジアから移動してきたというヘロドトスの記述を
スキタイ文化の発掘結果が裏付けており、ただ殆どが旧ソ連邦の奥で
ソ連はスキタイ人がもとからそこにいて、文明化して
共産主義ソビエトを築いたと主張し、これは握り潰された
スキタイがモンゴルの北、エニセイ川の起源であると遺跡が裏付けるなら
もとを辿ればスキタイ=堅昆でもあったのだろう
堅昆の身体特徴は金髪で赤ら顔、あるいは赤毛で緑目という
まさに白人特徴を持ち、初期の突厥族長も青い目に、赤い顔であった
匈奴の冒頓単于は北方に住んでいた堅昆・丁零・屈射・などを従える
堅昆の大人(ダーレン)である阿謗歩(アゾフ?)が匈奴に滅ぼされて
キルギスやトルコはその子孫であるとの記述は一致する

66:世界@名無史さん
18/09/26 20:27:04.45 0.net
プロティノスの師アンモニオス・サッカスはサカ人

67:世界@名無史さん
18/09/26 20:47:26.63 0.net
現在のモンゴルの料理は、
・焼きうどん(羊肉やきそば風
・ラーメン(羊肉スープのうどん風
・焼き肉定食(羊焼き肉にごはん定食風
だいたいこの3種であるという
お米は寒いと取れないから必然的に最後のメニューのご飯は南方からの輸入品
であるが(そのむかしはヒエやアワ、あるいは麦めしか
モンゴル遊牧民といいつつ、いがいに農耕を前提とする、粉物の食事が多いのがわかると思う
もちろん麦はかなり北でも取れるし
更に過酷な環境に強い燕麦ですら2500年前から食べたという
(燕麦のおおくは馬の飼料としてであり、人がエンバク食うのはスコットランドとモンゴルのみ)
しかもエンバクの麺なんて、かなり変態的でもある。おそらくモンゴルのみだろう
シベリアの堅昆がエンバクを栽培したのも麺で食ったのだろうか

68:世界@名無史さん
18/09/26 21:56:09.94 0.net
キルギスのアカエフ大統領 = 横山ノック

69:世界@名無史さん
18/09/26 22:39:23.41 0.net
匈奴の郷土はどこやねん

70:世界@名無史さん
18/09/27 11:47:05.78 0.net
>>68
赤Fの祖先が赤谷城の出自だったら烏孫の末裔ってことになるな

71:世界@名無史さん
18/09/27 12:07:06.23 0.net
堅昆はアファナシェヴォ文化人の末裔に間違いない
匈奴をサカに結びつけるのはやや暴論ではないかなあ・・・

72:世界@名無史さん
18/09/27 20:27:59.17 0.net
匈奴は、黄河屈曲部、オルドス高原の族長で
西半分は月氏がいたという
オルドスは長安から500キロほど北になる
このオルドス屈曲部は日本の半分くらいの大きさ
ほとんど砂漠であるが昔は森や草原であった
月氏は遊牧王ではあるが、西域に点在するオアシス都市国家も月氏のものだった
西域の補給基地とされた敦煌は月氏が建設した都市
だから遊牧騎士でもあり都市民でもあり農耕民族でもあった
月氏20万騎といわれるのだから大帝国だ
匈奴の頭曼単于とは「万士長」の意味であったとされ
月氏において匈奴は辺境の1万人の軍、傭兵ていどにおもわれていたようである

73:世界@名無史さん
18/09/27 20:39:22.69 0.net
もっと古くは厳允や犬戎もオルドスらへんに居た

74:世界@名無史さん
18/09/27 20:47:05.98 0.net
冒頓単于が月氏を滅ぼすと西域のオアシス都市はすべて匈奴に属する
遊牧民は肉は豊富だが野菜・ビタミンが少ない
エスキモーのように生肉を食らうのであればビタミン豊富だが
彼らの料理には基本的に火で焼き、モンゴル岩塩をふりかける
モンゴル最上の料理は、子羊をつぶして肉を蒸し焼き
表面だけ焼いて中は血の滴る生肉というのであればビタミンは取れる
とくに辺境の遊牧人は野菜の交易市場はないから、生肉を引き裂いて食うほかないだろう
臭いとされて自称文明人の南匈奴やら鮮卑拓跋氏に差別されたようだ
現在のモンゴルでも大都市では野菜も豊富に手にはいるが、地方の雑貨店では
芋ぐらいしか置いてない、つまり致命的に野菜がないのである
ソ連の首都モスクワでいちばん羽振りがよかったのはグルジア人の野菜商人で
駅で南方の野菜や果物をおろし売りさばき、若い妾を何人も囲っていたという
そういえば秋葉原駅も、もとは神田青果市場だったね・・
げんざいロシアではトルコ産の野菜や果物が人気で若いロシア娘はトルコ人の嫁になりたがる
中国の商人が交易で、気前のいい遊牧民の足元を見て暴利を貪ったのは疑いなく
漢帝国と和議をした匈奴もしばしば市場で暴行したようだ

75:世界@名無史さん
18/09/27 22:30:55.95 0.net
冒頓単于の時代に右賢王が漢に乱入
単于は「漢の役人が右賢王を侮辱したゆえに乱暴してしまったのであるが
しかし和親条約に反したのは事実、右賢王には罰として月氏の攻撃を命じた」
匹夫の謝罪は口だけで、君子の謝罪は実を持っていなくてはいけない
この礼法を意識してか同時に冒頓単于は名馬を送ってる
かなりの気の使いようだ
左賢王が皇太子ナンバー2で右賢王はナンバー3にあたり
このものが皇族というか冒頓単于の家のもの、次男であることは疑いない
なぜならば骨都候が外戚の地位とされたからであるが
左賢王のほか4王、左右大将軍、左右大都尉、左右当戸、そのしたが骨都候
この順位からすると匈奴帝国は単于の一族がほとんどの軍職を持っており
外戚、つまり他家の軍事地位はかなり低く抑えられた
冒頓単于が皇帝で息子たちが将軍、尉官という独裁であったようである

76:世界@名無史さん
18/09/27 22:41:45.22 0.net
黄巾の乱が起こると、単于は右賢王於夫羅の率いる援兵をおくり、後漢を援助した
単于の暴政、度重なる徴兵に耐えかねた10万余人が叛き、単于を殺した。
あとを継いだのは子の右賢王於夫羅であったが、国人たちはこれを不安視して
遠戚の骨都侯を共立して単于とした。
そこで於夫羅は自ら洛陽の宮城の門にまで来てこのことを訴えた
なお五胡十六国時代を開いた匈奴大族長の劉淵は、於夫羅の孫である

77:世界@名無史さん
18/09/28 08:35:50.93 0.net
冒頓単于が死んだ後も漢と匈奴の和親は継続された
70歳だったとされる。極北の遊牧民ではかなり長命したほうだ
家康が天下を取ったのも長生き競争だし、統治者が長く生きることは重要な政治である
梁の武帝のように長生きして恥を晒すこともあったが・・
右賢王である稽粥がたち老上単于となる、ラオ単于とは、賢い意味であり
賢明と言われることを好んだ人物だったようだ。
突厥のカンも「ビルゲ」つまり賢い王と称することが多い。族長の資質として
賢明と評判をとることは重要だった「バカ殿」ならたちまち配下は逃散する
月氏王の首をはねて頭蓋骨を盃にするなど相当の武闘派だが
また烏孫王昆莫も武将として育てた人物である
本人はすくなくとも、体の弱い、繊細なインテリと気取ってた
あくまで本人の理想であるが・・恐ろしい冒頓単于、恨みを買うことも多い
これまでの匈奴単于とは違う人物だと言いたいのだろう
フリードリヒ大王もインテリきどりで音楽に耽溺し
父王に杖で殴られてるから一種の変わり種だが、家業への反発であろうか
そんなちょっとアンニュイな二代目でも冒頓単于は容赦なくこきつかい月氏攻撃の
担当としてるから、もともと匈奴は家としても厳しく反抗は許されない
匈奴の集会で族長に少しでも逆らうと死刑だ
家が続いたのはやはり二代目が重要ということで徳川秀忠や足利義詮が注目されてるが
やがて老上単于も歴史マニアに人気!ということになるのかもしれない

78:世界@名無史さん
18/09/28 09:36:09.04 0.net
老上単于が即位すると漢は皇族の子女をえらんで閼氏としておくり
宦官の中行説がつくことになる
中行氏は、晋の宰相荀林父の家であって中軍の将であることを栄誉として
改名したとされる。晋には三軍がありそれぞれ二名の将軍で指揮され
晋は六卿の国と言われ中軍の将がその筆頭に当たる
ふつう宦官は下層の出だが趙高は趙の王族だったとされる
中行説が荀林父の子孫であるかは不明だがそのように称した可能性はある
また蒙古ではオルドスの族長が「晋王ジノン」とされ高位であった
宦官の中行説は匈奴に読み書きをおしえ、単于の側近に札をもたせ
家畜の数を記録するようにさせた
また中華の着物を愛する単于に「自国文化を捨てては国は弱まる。
革の服が、絹の服より優れてるとお示しください」と進言
「ほしいものがあればいつでも漢から武力で奪えばいい」とすすめる
また匈奴は野蛮であるという漢人には「中国の礼節はうわべだけで
家臣が主君を滅ぼすではないか。匈奴のほうが道徳は優れる」と反論した
匈奴は軍事体制だからそく死刑で、不穏分子や下剋上などはないわけだが・・

79:世界@名無史さん
18/09/28 10:56:23.96 0.net
軍臣単于って名前がマジでカッコいい

80:世界@名無史さん
18/09/28 11:36:40.78 0.net
周の成王が弟の虞と庭の木の枝を使って「これを以てお前を封じよう」と封建の儀式の真似事をして遊んでいた
周公旦がはるか北方のTang (唐)を征伐して、虞を唐公に封じた。唐叔虞である
このとき家臣として鬼方一族が付けられた(容易に従わない蛮族ともされる)
あとになって晋水にちなみ唐から、晋(JIN)と変える。これがのちの大国晋である。
周と同じ血筋である晋公は春秋戦国でおなじ姫姓の国家をほろぼしてゆく。そして超大国になる
これはいかにも奇怪なことからまったく異民族でないかと言われるが・・
Tang (唐)
Tang (天乙)
天乙は商朝の初代王。殷墟出土の甲骨文占卜には、名は唐、と見える。
湯王、太乙、成湯、成唐とも
殷の建国者として実在の可能性が高い。聖王とされその徳は鳥にまで届くと
Tang (湯王)はテュルクの王。天乙とは、単于のような天帝の転写ではないか
月氏も甘粛に大きな城塞都市をいくつも持っていた。遊牧民だから野蛮、というわけではない
ただ中国とは人種や言語が異なるから意思疎通できず恐怖であり野蛮とされた
殷の湯王は北方の唐(晋)に盤踞したテュルク遊牧民であった可能性がある
そして殷をほろぼした周も、唐の土地は無視ができず、弟など重要な血縁のものをおいた
植民した晋人は農耕に精を出したが北方の植物相が貧困で、
食事も全く変わったはずである。貧しい土地の漠北ではむしろ遊牧生活も悪くない効率になる
晋の文公は春秋の五覇王のひとりだが、重耳といって母親は異民族の狄の姫であった
北方の民の大多数は現地人であり代を重ねるうちに晋の公室も圧倒的に現地の色に染められて
妻は狄をめとるなど遊牧民の色が濃くなる・・晋は三国に分割してもっとも北方の趙は
異民族の建設した都市、代国を攻め、代王を殺し、領土を広げる

81:世界@名無史さん
18/09/28 13:17:36.29 0.net
中行説は漢の領土に偵察を送り侵攻にそなえ地理を検分させた
匈奴は謀をめぐらしついに単于は14万騎を率いて関中の簫関をやぶり北郡都尉を殺した
その斥候の兵は甘泉宮にいたる。長安まで少しである
さすがに文帝も騎兵10万をひきい渭水の北に布陣した
長安は河の南岸になるから、北岸に軍を集め決戦して長安をまもる二段構えだ
劉邦が歩兵でたたかい、冒頓単于の騎兵40万に包囲された頃に比べれば
漢の騎兵も10万そろえるまでには、充実していた
史書によれば文帝の配下の将軍は代わりに戦い匈奴を追い払ったとも
戦闘などおこらず、匈奴は退散して、漢軍は恐れて追撃できず城に縮こまっていたとある
これは後者が正しいであろう
匈奴は相手がそれなりの戦力で手を焼きそうなら戦闘はさける
勝っても大きな損害が出ては高くつく。野生動物が無用な怪我を恐れるのと同じだ
なお文帝が死んで景帝になると七国の乱がおこり、反乱側の燕王が匈奴と密約を結ぶ
燕王は雲中を平定し単于は長安を直行するというものだった
成功すれば単于が皇帝になれる
つまり中行説の謀は、いつでも長安を突ける匈奴騎兵の力を示したねらいがあった

82:世界@名無史さん
18/09/28 21:45:59.32 0.net
匈奴を追いつめたら馬を全部取り上げてやったら以後脅威となることは
無かっただろう。

83:世界@名無史さん
18/09/28 23:51:22.93 0.net
文帝が10万の騎兵で14万騎の単于を追い払ったあとも数年の侵攻が続き
被害が深刻なので単于に親書したところ和親を回復したいということで
ふたたび和議はむすばれ、文帝は「匈奴と漢は隣どうしの大国で仲良くしたい
ついては匈奴の地は恐ろしく寒いので、これを憂いて役人に命じ毎年一定の
衣類や食を送る。モチアワ、麹、金、絹織物、などである」
モチアワは現在の雑穀米などに入れて炊くアワでおいしい
「米」の漢字はもとはアワを指した。中原の漢民族にとって古来からのアワの食事で
げんざいでもアワの雑炊などは食べる機会が多い
アワを使った麺は4000年前の黄河流域から見つかっており鉄糸麺とされる
前漢ではモチアワがまさに漢民族の主食で、匈奴にとっても望ましい食料だった
コメはもともと華南の食で、後漢のころに黄河流域でも多く栽培されるようになった
景帝でも和親がかわされ国境の交易市場を匈奴の望み通りに開く
これで匈奴の民と単于もすっかり漢に随喜してなつき、国境近くにすんだという
武帝の代も方針は同じで贈り物も手厚かったので大満足だった
ただこれまでの経緯から、和親を結んでから辺境を荒らしまた贈り物をもらって
というサイクルで無数で繰り返されており、ロシアの北方領土の対話のようで
意味がない恥辱、と感じる中国の士人は多かったはずで、そこでいよいよ
武帝は「匈奴を追い詰めて馬を取り上げる」というこれまで試してない懸案に
とりかかるわけだが・・

84:世界@名無史さん
18/09/29 02:14:44.93 0.net
アワ麺はまったく違和感なく中華ラーメンに使うことができ美味しい
前漢の武帝の政策で西域との交流で小麦がはいってきて、小麦がアワより生産性がよいため
小麦麺がとってかわる
ウイグルのラグメンは、とても人気ある料理だがラグメンはラーメンの始祖だとウイグル人は自負する
キルギスでも麺料理に馬肉をのせるベシバルマックが国民食とされる
羊肉でもいいのだが正統派は馬肉でいかにもシベリア遊牧民らしい
もちろんラグメンもキルギスに人気あるがびみょうにちがい外国料理だと思われる
おそらく匈奴が食った麺料理は馬肉をのせるベシバルマックがちかい存在のではないか
またキルギスではパロー、肉を炒めてコメをたくピラフも人気ある
ピラフはトルコ料理の代表だが(日本では西洋料理としてしられる)
中央アジア全域でピラフは食べられる
匈奴は南方食コメが入手できるまえは、モチアワを使ったはずなのだがピラフにしたかは不明だ

85:世界@名無史さん
18/09/30 00:49:59.67 0.net
匈奴の地は恐ろしく寒いってあるが、タリム盆地なんかは寧ろ恐ろしく暑いぞ 特に夏

86:世界@名無史さん
18/09/30 07:57:15.36 0.net
匈奴の首都はノインウラと代とされるが前漢の全盛期は
単于を始め、代あたりに住んだと思われる
文帝は「万里の長城のむこうは匈奴のおさめ長城の内側は
漢が治める」としてるが、前の通り
始皇帝はオルドスを奪い万里の長城をきずいたものの
匈奴はオルドスを奪回してる
このいきさつから黄河中域の長城は放棄されてる
それでもおおむね大同(代都)の北を覆うように、燕国まで
つながる長城はあったはずだが
このころ多くの城壁はくずれて荒れ果てたが景帝まではすくなくとも
匈奴和親条約があったので、北方を敵視した補修もされなかった
匈奴が強大の頃は代あたり、北緯40度の南に単于は住んでおり
漢と関係が悪くなり北に帰ったころは北緯50度のバイカル湖(北海)の東に単于はいたのだろう

87:世界@名無史さん
18/09/30 08:18:07.26 0.net
長城の破壊の要因は近在の農民が家を作るために石材を盗もうと
狙ってることで、国家権力が弱まって長城の兵士がいなくなれば
たちまち盗まれ放題になってしまう

匈奴の帝国は広大で、東は烏桓、西は烏孫としたら、その国境は
インド(身毒国)のはるか北から北朝鮮に至ることになる
なお万里の長城は北朝鮮沿岸に食い込んでおり、ちょうど平壌が
長城のすぐ外に当たる
後漢には東方の長城もあれはてており烏桓が多く住んでいた
幽州の田疇(でんちゅう)はこれに激しく抵抗し山に登って隠棲した
おおくの民が田疇に従い大勢力になり各国の使節が訪れるほどで
やがて曹操が烏桓征伐にでると田疇はその案内役になる
その大きな功績から爵位を与えるとしたが固辞してる
役人が固辞する態度が頑なで不快として、死刑に値すると
曹操に進言したが、曹操は問題にしなかった。

88:世界@名無史さん
18/09/30 23:23:54.01 0.net
匈奴は遊牧帝国なので小麦など農作物の入手は、中国のような交易市場で得るか
あるいは自分の領土で農作するかの手段がある
西域諸国の最大規模である車師は、オアシス国家においてふるく国力も大きく
数千の兵士をもっていた。ほかのオアシスが百人ほど兵にくらべて10倍ほどおおきい

首府である交河城は世界最大の版築できずかれた巨城だ
この巨城は1000年後にモンゴルの攻撃で破却された
車師人は西洋の文献ではヨーロッパ人種だとはっきりしるされる
匈奴の日逐王の配下であり西域諸国に賦税し豊かであった
国が大きいゆえに西方貿易で、匈奴に多くを輸出しており漢はこれをさしとめる
目的で匈奴と切り離すべく攻撃したとされる
スキタイ帝国も、農耕スキタイ(原スラブ人)は東方の王族スキタイに作物を輸出しており
構造としては同じと言っていい

89:世界@名無史さん
18/10/21 15:45:41.66 0.net
ニューヨーク・タイムズ紙によると白人至上主義者は、牛乳などに含まれる乳糖を消化する酵素(ラクターゼ)の働き方が
民族や地域によって異なることに注目。
白人は牛乳を飲んでもおなかを壊さないが、それに比べアジア・アフリカ系では壊す人が多いことから、
集会で牛乳を一気飲みする動画を撮影し、「牛乳を飲めないなら(米国から)立ち去れ」などと投稿しているという。
なるほど白人は遊牧民の子孫だ

90:世界@名無史さん
18/10/22 23:49:35.34 0.net
この苗字って・・・乾隆帝(ヌルハチ)?
URLリンク(pbs.twimg.com)
URLリンク(pbs.twimg.com)

91:世界@名無史さん
18/10/23 07:00:57.38 0.net
ドルチ、北海道またくるらしいな。
なんたって日本の親分並みだからなw

92:世界@名無史さん
18/10/23 07:01:53.35 0.net
>>89
下痢しても飲んでるけどw

93:世界@名無史さん
18/10/23 07:03:12.02 0.net
白鴎の精神は見習うところばかりだな。
なんであんなに精神が強いかって、神に近いからだよ。

94:世界@名無史さん
18/10/23 07:06:12.64 0.net
特別信仰するものがないのになんで神に近いのか不思議だよな。
日常の生活が沿って生きてるからだろう。
黒人の神の近さとおなじだけど、モンゴルの方が厳しい環境下だから強いんだと思う。
それでも恵まれてるのは食べ物だろうなあの体格を保つんだから。

95:世界@名無史さん
18/10/23 07:08:29.55 0.net
野蛮なモンゴルを目指さないと腑抜けのままになる日本人は。

96:世界@名無史さん
18/10/23 07:08:59.55 0.net
>>90
愛新覚羅姓は金だとか他の苗字に変わったんじゃなかった?

97:世界@名無史さん
18/10/23 18:23:15.66 0.net
>>91
ドルジと大鵬じゃ全然違うなw

98:世界@名無史さん
18/10/23 18:34:52.42 0.net
>>96
戻した人も多いみたいよ

99:世界@名無史さん
18/10/23 18:43:25.77 0.net
>>97
時代が違うって?あまりにも違いすぎるw

100:世界@名無史さん
18/10/23 18:47:24.40 0.net
>>97
大鵬はテレビでも見てないけど、朝青龍の方が強かったって思うよ。あの時代だからなw
感情を表に出す力士はあまりいなかったしね。

101:世界@名無史さん
18/10/23 19:10:56.40 0.net
朝青龍って初めて覚えた日本語が「(テメーコノヤロー!)チンコむしりとるぞ!」だよ

102:世界@名無史さん
18/10/23 19:14:53.29 0.net
ホントかよw さすがチンギスの生まれかわりww

103:世界@名無史さん
18/10/23 19:45:54.47 0.net
チンギスの目は猫のように大きく
背が高く、ひげはない
⊂_ヽ
  \\ Λ_Λ
   \(´Д`)
    / ⌒ヽ
   /   へ\
   /  / \\
   レ ノ   ヽ_つ
  / /
  / /|
 ( /ヽ
 | |、\
 | 丿 \ ⌒)
 | |  ) /
`ノ )  Lノ
(_/

104:世界@名無史さん
18/10/23 20:57:41.32 0.net
匈奴はドルジ顔じゃない コーカソイドも混じってる
鮮卑は完全にモンゴロイド 習近平みたいな感じ

105:世界@名無史さん
18/10/23 21:25:31.66 0.net
チンギスは900年前の人物で
キルギス(堅昆)が金髪碧眼という中国史書とそうとう容貌が異なるように
げんざいの蒙古人とは人種が異なっていただろう

106:世界@名無史さん
18/10/23 21:40:40.29 0.net
このあいだ逝去されたマイクロソフト共同創設者のポール・アレン氏は
アレン姓はスコットランド系で、フランスで言うアランと同じ
欧州人のアラン名は、匈奴とともにローマに侵入した重装騎兵のアラン族由来とされ
理由はそれいぜんにアラン姓や名が存在しないためで
傭兵としてローマに味方したアラン王サンパギヌスの恩賞としてフランス中央をあたえられ定住
かれらはアジアの阿蘭国の末裔であると考えられる
中国の記録によると、奄蔡という国がある時期から阿蘭国と改名した
ロシア学者によればアランとはアーリア人組合という意味であるとされる
ふるいイランの王がエーラーン王、つまりアーリア王と名乗った

107:世界@名無史さん
18/10/23 21:53:41.46 0.net
アランていうチベット族出身の美人歌手もいたな

108:世界@名無史さん
18/10/23 22:06:34.85 0.net
突厥の先祖はサカ
突厥と匈奴の先祖は同じ
サカ(スキュタイ)とアランはおなじもの?
つまり

109:世界@名無史さん
18/10/28 15:39:15.13 0.net
チンギスは典型的モンゴロイドだっちゅーの!

110:世界@名無史さん
18/11/03 09:08:25.10 0.net
やっぱりふしぎなのは言語の壁です
フン語は、古代トルコ語のブルガール語群
スキタイ人はスキタイ語をしゃべっていた、インドイラン語のサテム語系ととされる
ゴート人やゲルマンはゴート語、死語だが文献が多く古英語にちかい
ギボンによればアッチラはスキタイ王としており、フンの大帝国はロシアとドイツの土地にあった
当然部下にはスキタイ人は多かった。またゲルマン王が重臣として勤めていた
スキタイ人が現在のロシアに変化したようだが、ロシア語には東イラン語の借用語が多い
(神=ボーグ)など
アッチラはスキタイ語で演説したのか(でなければスラヴ系の農民は理解できなかったろう
あるいはゴート語で演説した(でなければゲルマン人の重臣たちは理解できなかったろう
なおフンは西ローマのラテン語に熟達していた
東ローマ帝国やオリエントで主要とされるギリシャ語を被支配民言語として軽蔑したという
西匈奴はローマ軍団をしたがえていたのだから匈奴はユーラシア大陸のどんな方言でも
自在に喋れたのだろうが
チンギス軍のジョチやバトウはペルシア語が喋れたそうで、アッチラもスキタイ語を喋り
それをゲルマン人も理解したという線が強いかな

111:世界@名無史さん
18/11/03 11:21:25.20 0.net
それとも同時通訳でもいたのか
古代国家の言語は考えてみると面白い

112:世界@名無史さん
18/11/03 18:07:00.30 0.net
匈奴が黄河のオルドス屈曲部、黄河中流の民で
漢民族は黄河下流にいた民
おなじ河に住みながら言語も民族も全く異なるのもふしぎで
日本人もいっけん中国人に似てるが遺伝子的には
北方モンゴロイドでバイカル湖のブリヤートに近いという
中国や朝鮮は南方モンゴロイド遺伝子が多く混ざる

113:世界@名無史さん
18/11/05 05:19:34.95 0.net
漫画ヒストリエに関連する話てありますか?

114:世界@名無史さん
18/11/05 08:02:46.36 0.net
まんがは知らんけどヘロドトス歴史を
下敷きにしてるみたいだが
あれはスキタイにかんしてはかなり
正確な資料とされてるみたい

115:世界@名無史さん
18/11/06 06:05:54.83 0.net
>>114
レスありがとうです
このスレで顔はドルジとか金髪碧眼、食事は~などイメージしやすい用わかりやすく説明してくださるので助かります
漫画もその傾向で初心者の自分には向いてて三國志も横山三國志から好きになったのでスキタイ絡みでヒストリエ読んでみようと思います
ありがとうございました

116:世界@名無史さん
18/11/06 06:45:13.82 0.net
アッシリア帝国の滅亡に遊牧民スキタイとキンメリア人が文明国に乱入してきて
オリエントに居座って強姦や略奪やりたいほうだいやったためその記憶で
聖書に「スキタイ」といえば残忍な野蛮人、遊牧民とかかれるようになった
キリスト教徒はスキタイを嫌い、ちょうど近世に勃興したロシア帝国が
ロシア人=スキタイ(もちろん悪い意味)といわれ
ヨーロッパ人にとってスキタイ人やモンゴル民族が立てた国であったために
とくに西欧人は、アジア混ざりのロシア人に強い偏見を持った
それがアメリカ合衆国のロシア嫌いにつながっており
アメリカはロシア人の移民を法律で禁止した。それは100年前まで続いた
だからアメリカでのロシア移民の地位は大変低い

117:世界@名無史さん
18/11/22 13:10:29.74 0.net
ほしゅ

118:世界@名無史さん
18/11/24 09:06:38.57 0.net
移民なんてダメなのは、すでに歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった
三国志の時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れた
(献帝を守った白波軍とは匈奴
《フンヌ》=フン族=後のハンガリー、フィンランド人のこと、
ウイグルや突厥に追われた柔然とはブルガール人、後のブルガリアのこと、
突厥がその後オスマントルコになるのは言わずもがな)、
しかし、三国志の統一も20年くらいで、
その後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代が300年続いたのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である
今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが素晴らしい文化と発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ
その結果がローマも中国も暗黒の中世である
 
このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!!
フィンランド人の平均顔面
URLリンク(pmsol3.files.wordpress.com)
日本人の平均顔面
URLリンク(livedoor.4.blogimg.jp)
だって生粋のフィンランド人てこれだからな
URLリンク(i.imgur.com)
なぜなのか

119:世界@名無史さん
19/01/14 02:38:06.92 0.net
ほしゅ

120:世界@名無史さん
19/02/22 09:35:47.21 0.net
アファナシェヴォにもモンゴロイド系いたみたいだから
匈奴にもコーカソイド系がいても不思議ではない

121:世界@名無史さん
19/02/22 17:45:15.72 0.net
匈奴の末裔で一番血が濃い現在の民族や国てどこですか?

122:世界@名無史さん
19/02/22 20:26:05.40 0.net
原テュルクならトゥバとかアルタイとかハカスとかあのあたりだろ?
フン=ブルガール同一系統説ならチュヴァシという考え方もできる

123:世界@名無史さん
19/02/25 13:57:16.97 0.net
中国国内、ロシア国内に匈奴の末裔、どれくらいいるんだろう

124:世界@名無史さん
19/02/25 17:31:44.64 0.net
>>121
フンザ

125:世界@名無史さん
19/02/25 22:09:02.55 0.net
フン族はササン様式の直剣を携えており、これはゲルマンに伝わりスマラサクスの起源、サクソン族の剣とされる
重い肉切り包丁だ
かれらの騎馬武装は槍と弓であり、巧みに持ち替えた。金箔張りの弓が高貴の証として重んじられた
小動物の毛皮を縫い合わせてカフタンとしてる。ローマはこれを野蛮として蔑む
ただしげんざいのモンゴルもリスやげっ歯類の毛皮をぬいあわせるのは一般的な民族衣装であるし
、北欧王族はロシア産のリスの毛皮を多数縫いマントの裏地とした
使用するキタリスが数百匹で非常に高価となるため貴族の紋章にも用いられる
リスの毛皮は緻密で大変暖かいという利点があり、ローマ人がどう思おうと北方民には賢い方法であった
フン族のよろいはラメラーアーマーだ。これは日本武士のよろい、胴丸に似たもので
打ち伸ばした薄い甲をつなぎあわせる。イラン系民族には標準装備だった
むしろ日本にラメラーアーマーを伝授したのは匈奴やサカ・アラン族だったかもしれない
東漢氏は崇峻天皇暗殺に暗殺の実行役となっており、蘇我氏の与党であったが、
壬申の乱の際には、蘇我氏と袂(たもと)を分かって生き残り、やがて坂(サカ)氏となり、征夷大将軍初代につく
東漢氏は独自の軍事技術を持っておりこれが理由であったらしい。この軍事技術が日本武士の原型となる

126:世界@名無史さん
19/02/25 22:34:57.54 0.net
ゲルマン民族の剣、サクスは、西欧と東欧、フランスやロシアのあいだで広く出土しており
どこか原産地と特定するのは困難であるがフランク族の戦士が使っていた記録がある
フランク王のサクスは、少なくとも・・初期のメロヴンィグ朝のサクスは
ドイツ鍛冶の手により、ローマの剣よりも優れた鍛造技術でつくられていた
分析の結果、優れた鍛造処理、焼戻しの工程すら加えれていた
またドイツ鍛冶はアヒルの糞を加えることでマンガンを添加する試みもしていた
マンガンは河の水に多く含まれており、肝臓で分離されて糞に排泄される
したがって水鳥の糞には生体濃縮マンガンが含まれる
かなり高度のわざであるがこのようなローマより優れた技術が何処から教わったのか
といえば
やはり「沼に暮らしていた」というフン族は水鳥の糞の利用を思いつくのが自然である
匈奴、フンの剣が東方より伝わり、ドイツのサクスの原型であろうと思える

127:世界@名無史さん
19/02/27 07:32:13.76 0.net
アラン族あたりからかな

128:世界@名無史さん
19/02/27 11:40:12.00 0.net
フンって西上する過程でササン朝と交戦したの?

129:世界@名無史さん
19/02/27 22:18:21.95 0.net
フン族、ペルシアに侵攻
ハンガリーに居着いたフン族は、アッチラの伯父ルギラ、あるいはロアという
テオドシウスは、ロアに年貢350ポンドの金塊を支払うことに決めた
帝国はパンノニアを放棄し進呈する
フン族の帝国はドイツとロシアを両方所有する唯一の例であり、北欧にも及んだ
北欧諸族ははじめてフンの帝国に毛皮など税を納め忠誠を誓う
この巨大な帝国がローマに襲いかかるか、あるいはペルシアに襲うか
世界がかたずをのんで見守っていた
フン王の重臣の幾人かが・・といっても彼らは強力なゲルマン王でもある・・
西帝国に派遣して攻守同盟の交渉の席でさいきん遠征の状況を語る
フン族は山岳地帯を抜けて15日、ついにメディア国境に達した
未知の大都市、バシック、クルクックにすすめた
じつはこのフン族のペルシア攻撃は資料が乏しく殆ど知れてない
ともあれ、そこでペルシア軍が襲いかかり、撃ち合う矢で天も暗くなった
雲霞の如き大軍に手こずったけっきょくフン族は撤退を決める

130:世界@名無史さん
19/02/28 10:02:00.29 0.net
URLリンク(www.youtube.com)

これ見てもフン本隊はクリミア半島を攻めている可能性はあるが
コーカサスを越えて南進した可能性は低い
フンの分隊ならあるかもね

131:世界@名無史さん
19/03/02 09:04:17.27 0.net
ドイツとロシアを支配する未曽有に巨大なフン大帝国としてはハンガリーに帝王の村を構え
ペルシアはもとより東西ローマを襲える位置にいた
イランは中国と並ぶ大国だが砂漠が多く緑は少ない。山岳地帯に囲まれ平地も少ない。
これは現代の旅行でも感想は同じで遊牧民としては征服のメリットは少ない。
また大軍の抵抗も熾烈。遊牧民は何十年も雌伏し機会を待ってから狼のように襲う
野生動物が怪我をおそれるように敵が強いと見ればスグ逃げる
ゴート族はいぜんからさかんにローマを攻撃し保証金をせしめることに成功しているが、
皇帝フィリップス・アラブスによって撃退された。ニコポリスでローマ軍を全滅させ
デキウス帝をも殺した。
ゴート王エルマナリクは一代で大帝国をきずいたといわれ暴君で知られていたが
非常に高齢だった。110歳と言われる。この弱みを突きフン族は襲いかかる
強い王は避けて、王が高齢化した代替わりの内紛を狙う。
王エルマナリクと王子は剣で自殺して娘はフン王の玩具となり子を産まされる
フン族はひじょうに慎重なので、ペルシアは攻めるには厳しいと感じ
また東ローマは城壁が固いので結局ムリと判断、西ローマを狙うことに決定する
フン族はペルシア人の多くの町を徹底的に排し大量のイラン人を拉致した
バハラーム4世はフン族との戦闘で同盟して回避したとされる
バハラームは矢で暗殺され兄であるヤズデギルド1世が立つ
ヤズデギルドは「罪人王」の異名を持ち大変優れた人物であった

132:世界@名無史さん
19/03/02 11:39:07.42 0.net
前門のフン後門のエフタル

133:世界@名無史さん
19/03/02 14:07:34.46 0.net
間違い
?フン族はペルシア人の多くの町を徹底的に排し大量のイラン人を拉致した
○フン族はペルシアの多くの街を破壊して大量の人間を戦利品として連れ去った
フンもそうだがモンゴルも徹底的に敵の町を破壊するので遊牧民の特質かもしれない
ゴートも徹底的にやられ村は破壊しつくされた、と発掘調査であきらかだ
これをギボンは野蛮として非難してるが、まぁ当時のフンは、例えば日本で負けた武将が
腹切りさせられるようなもので、ごく当然の慣習、それほど悪意はない
中国陝西の犬戎や胡も、人をさらうのが目的であり、勿論奴隷にするのだが
奴隷は逃げるものでそれなら故郷を徹底的に破壊しつくしてみなごろしにして先に
戻る生活基盤をなくす、というのは合理的だ
おそらく遊牧民同士の戦闘法を国家間にもちこむとこんな形になる
サーサーン朝は、遊牧民パルティアを倒して作られた国家だから
遊牧民の弓に対する対策、戦闘法は得意だった
なにせ弓矢をはなってから馬で逃走するパルティアショットという言葉があるほどだ
西欧では敗者の捨て台詞というふうに使われるので、所詮はローマ農民兵の視点で
これも遊牧民の戦闘文化が理解されるとはいい難い

134:世界@名無史さん
19/03/02 14:18:12.59 0.net
匈奴による漢土の略奪というのも、農産物とか財宝を持っていくのではなくて、
あくまでも人と家畜の略奪だったらしいね。
確かに遊牧集団間の紛争で価値ある戦利品といったら、敵勢力の持っている
家畜と労働力(遊牧労働力と冬営地における留守番農耕・工業生産労働力)が最適。
実際、匈奴は略奪してきた漢人農民を入植させた農耕コロニーを営んでいたことが、
考古学によって検出されている。
これがウイグル帝国ぐらいになると遊牧世界の中に商工民を入植させた城郭都市を
建設するようになり、契丹遼帝国では定住農耕地を「一国二制度」で永続的に
統治するようになって農耕民の生産力を継続的に吸い上げるようになる。
このシステムを洗練させて完成したのがモンゴル帝国。

135:世界@名無史さん
19/03/02 21:33:45.09 0.net
その匈奴の農場だが、バイカル湖のほとりらしいですね
ここは重要地ともされるノインウラの北になる
古来よりバイカル湖は異民族の丁零の土地で
匈奴の本拠は千キロほど南のほうになるオルドスや代に居住していたようだ
代のあたりでも人間が住めないくらい寒かったので農民と遊牧民が雑居しているみたいです
匈奴の帝国は広大でどこにでも農場は設置できたものの
バイカル湖の農場は、漢の攻撃や、関係悪化を恐れてあえて遥か北、バイカル湖に置いたようです
あと漢族奴隷の逃亡も恐れたのでしょう
スターリン時代もポーランド人やウクライナ人は逃亡できないように極東に強制移住させたから
奴隷は「逃亡できない遠隔地に置く」のが基本でしょう
ただし、漢の農民は悪政と重税にあえいでおり「匈奴の土地のほうが生活は楽らしい」
といううわさがあり、逃亡・移住希望だったといいますが
匈奴の全人口は漢の一郡よりすくないらしいので、ほんの少しの農地で間に合ったようです
また車師国など西方の交易ルートから小麦など物資も献上されました(というかこっちがメインでしょう)
あくまで補助的な国営バイカル農場はそれほど大きくはなかったようで
一説には異民族の丁零にたいする軍事拠点として置いたのではないか?ということらしいですが
遊牧民は土地をひっかく農民を見るのを嫌いますから、もちろん匈奴だって自分の土地は全部使いたい、
異民族に対する一種の嫌がらせかもしれません
丁零は大雪で匈奴が弱り、苦しむと直ちに離反して攻撃してきます。おそらくですが
それ以前に匈奴の直営農場は何かの理由で、放棄されたでしょう

136:世界@名無史さん
19/03/02 22:03:27.09 0.net
ギボンがもっともおそれたのは、フン族やモンゴルの、無文字文化の遊牧民のやり口
すなわち中央アジアの野蛮人は文明社会をその富と略奪するため攻撃してくる
たしかに西欧社会はトルコ大帝国の攻撃におびえておりウィーン攻略戦もありました
からやドイツが陥落すればフランスにトルコ人が押し寄せたかもしれません
もし将来、フンのアッチラのような残虐なアジア皇帝が野蛮人をひきつれて現れたら
そしてその思考内容がアッチラやチンギスそのものだったら・・・
すべての西欧文明を破壊し尽くし痕跡も残らない
あとは野蛮人の奴隷となるわずかな人間だけで人類文明は壊滅してしまう
しかしさすがにアメリカ大陸には攻略できないだろうからそこだけに文明は残るだろう
とギボンは考える

ですが
チンギスにせよアッチラにせよ都市を破壊し尽くすのは合理的理由があってのことなで
もちろん狂王であれば部下のフン族にたちまち離反されたでしょう
イギリスの無差別絨毯爆撃やら、アメリカの原爆投下をみるまでもなく西欧人だって
やることは野蛮人と大して変わりはない。異質文化は皆殺しです

137:世界@名無史さん
19/03/02 22:50:10.26 O.net
第二次大戦の漫画読んでたら、
イギリス貴族がドイツ軍を「フンどもめ!」と罵る描写あった
イギリス人から見たらロシア人だけでなく、ドイツ人も東方の野蛮人なのかと思った

138:世界@名無史さん
19/03/03 01:32:41.11 0.net
アッチラ大王はゲルマン人の王を配下に置く皇帝だからね

139:世界@名無史さん
19/03/04 20:05:33.94 0.net
フン族の大軍
而してその実態はゲルマン人部隊

140:宇野壽倫の連絡先:葛飾区青戸6-23-21ハイツニュー青戸202
19/03/04 21:28:22.46 0.net
【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
①井口・千明(東京都葛飾区青戸6-23-16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
 低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
②宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6-23-21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
③色川高志(東京都葛飾区青戸6-23-21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
 youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124-8555
東京都葛飾区立石5-13-1
℡03-3695-1111
④清水(東京都葛飾区青戸6-23-19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
 清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
⑤高添・沼田(東京都葛飾区青戸6-26-6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
⑥高橋(東京都葛飾区青戸6-23-23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
⑦長木義明(東京都葛飾区青戸6-23-20) ※日曜日になると風俗店に行っている

141:世界@名無史さん
19/03/06 22:46:48.14 0.net
まったく異民族である、アジア系のフンのアッチラ大王に、白人のゲルマンが服従したことは

142:世界@名無史さん
19/03/06 22:47:21.21 0.net
まったく異民族である、アジア系のフンのアッチラ大王に、白人のゲルマンが服従したことは

143:世界@名無史さん
19/03/06 22:47:38.46 0.net
まったく異民族である、アジア系のフンのアッチラ大王に、白人のゲルマンが服従したことは

144:世界@名無史さん
19/03/06 23:00:25.40 0.net
異民族連合で西欧土着民に縁もゆかりもない。しかも見栄えも悪い異人が皇帝になる。確かに奇異なことに思われるが
しかし幾つかの理由が考えられる
・狄(テュルク)は長狄とも表記され孔子は身長6メートルだと言ってる
やたらバカでかい人が多かったらしい
フン族の頭が大きく手足が短く見栄えが悪いことは当時の記録に一致してる
しかし同時にフン族の戦士としての素質はきわめてたかく
ローマ最後の将軍スティリコの親衛隊はフン族であった

・ゲルマン諸王は生まれてから同じ白人しかみたことがなく田舎者
アッチラのような異人種の兵を携えた、自信たっぷりの人物
中華風の制度に権威づけされた皇帝は見たことがない

145:世界@名無史さん
19/03/07 10:44:37.71 0.net
>>144
バカ丸出しw

146:世界@名無史さん
19/03/07 10:50:08.99 0.net
身長6メートルっていうと、北斗の拳に出てくる中ボスくらいかな?

147:世界@名無史さん
19/03/07 17:48:41.58 0.net
弟子「人間の身長の限界はどのくらいですかね」
孔子「6メートルを超える事はないと思うよ。でも周代の長狄はそんくらいあったらしいけどね」

148:世界@名無史さん
19/03/07 21:00:33.17 0.net
大人(ダレン)は身長9メートル

149:世界@名無史さん
19/03/08 15:53:55.11 0.net
王大人

150:世界@名無史さん
19/03/13 08:10:54.36 0.net
日本や中国では長ねぎは重要な薬味だったが、玉ねぎは無く
長崎のオランダ人は玉ねぎを求めて長ネギを購入したそうだ
現在のモンゴル遊牧民ではジャガイモと玉ねぎは重要な野菜である
玉ねぎはエジプトの労働者にも支給され青銅器時代からの歴史を持つ
原産地はイラン・中央アジアとされる。
イランはヒンドークシュ山脈を隔ててるとはいえ中国の隣だから
中国日本に伝わっても良さそうだが事実は地球を反対側に一周して
米国から日本に、台湾から中国へとつたわる
玉ねぎをことのほか愛好したのはローマ軍で精力剤として愛用し
ローマ人の拡大とともに玉ねぎ生産は欧州に伝播した
またアラブの旅行家がシチリアを訪れたとき現地民の玉ねぎ過食にあきれて
堕落した劣等民族だと断じてる
イラン人は玉ねぎ原産地だけに常に玉ねぎを持ち歩くと定評がある
ナマの玉ねぎを切って並べ食事にかじる
日本人は涙が出る刺激が強いというがイラン人はそんなことはないと笑う
インド人にも原種に近い紫の玉ねぎは欠かせないものでカレーなどに使うが
最近は安価な玉ねぎが高騰してキロあたり150円ほどになり
インドの貧しい農民に怒りが増しており政権も困ってるという

151:世界@名無史さん
19/03/13 08:58:43.76 0.net
ゲルマン人やゴート人が玉ねぎやにんにくを大量に持ち込んでたべるために口が臭く
悪臭を放つ巨人にローマ人はうんざりしたという
もともとゴート人は原始農民であり、イランで盛んに生産された玉ねぎは栽培品目だろう
フン族はもちろん玉ねぎはしっていただろうが「パンのような軟弱なものはたべない」と
されるために玉ねぎを食べたかどうかは不明だ
ただ現在のモンゴル人は肉と玉葱まぜて饅頭・マントウに入れることをことのほか好む
モンゴルの征服でマントウが広がったとされるが、より原始的なフン族は食べただろうか?
バクトリア・マルギアナ連合、BMACは青銅器時代のオクサス川流域にさかえた
彼らは農民で城壁も作っていた。北方蛮族に潰されて四散し
インド征服しエラム(イラン)を建国したが玉ねぎはかれらがもたらした可能性がある
なお発掘人骨はベルベル人エチオピア人やアラブ人ユダヤ人など北アフリカに近い遺伝子で
まわりとは毛色が違う黒人王国であった可能性もあるだろう
また玉ねぎは7000年前の中国青銅器時代の遺跡でも発掘されており
意外だが中国が玉ねぎの原産地という推測もある
青銅器時代の殷人は商人ともいわれたように神権政治の他
キャラバン隊商を組む文明があり、錫は交易なくしては入手できない
かれらが月氏のようなユーラシアを横断する交易民であった可能性もある
殷の発掘人骨は母系ミトコンドリアに現中国人との類似は認められるが
いいかえると父系は現中国人と違ったということ・・中国は都合の悪いことは伏せる
まぁつまりそういうことだ

152:世界@名無史さん
19/03/13 09:25:20.63 0.net
フランス王家の紋章は百合とされるが、このフルール・ド・リスはアヤメの花という
フルール・ド・リスが花なのか三叉の槍なのか矢じりなのか議論が分かれるが大して重要ではなく
493年フランク王のクロヴィスが王家の紋章に採用してフランク人の純血の象徴としたという
またブルグンド人の妻クロティルダがカトリック改宗をすすめ、そのさいに聖母マリアが与えたという
しかしこの紋章、じつはクシャーンのカニシカ大帝も全く同じものを用いており、もとはアジアが由来
大月氏の紋章であった。フランク族がフランスに侵入するアランやフンなどアジア騎士文明にふれて
これは良い紋章だと採用したものか不明だがそもそもゲルマンは原始農民で刀や鎧を作ることはできず
オルレアンに移住したアランが鎧や武具を製造して騎士文化をつたえたという
また日本の武士もこの紋章を採用していた。これもサカや月氏の傭兵が朝廷に仕えたためだろうとされる
実際のところフルールドリスは12世紀にルイ六世あたりから紋章や笏につかわれはじめた
はじめて確認できるのは1211年だという。まぁ月氏のほうが一千年古いわけで
カニシカ王はコインの図案では日本刀のようなスマートな曲刀をを得意然とぶらさげた覇王としてえがかれる

153:世界@名無史さん
19/03/13 09:37:43.80 0.net
>>149
          _,l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l,,_
        ,.r'´,.    -┐   ':..,゙ヽ
       ,r' ,::;:'    ,ノ ヽ、    ゙:::.ヽ
      ,.' _.,:;:'___ _立_  ___;;ミ゙、          ̄ノ ̄| ̄
     .l厄巳厄巳厄 i王i ,.巳厄巳厄巳l           ,勹 .├‐''
     l´ , "´  ̄ ̄ ̄ `'''′  ̄ ̄ ̄`.:`{         ´_フ  ヽ、_,
     | l ;;:.,.   ::、.       ...   '゙|
    ,.-''、.,! ,.::'    ヽ、:.゙、 ;;.:' ''  ヽ | ,.、       __l__
   ./  、/ `ヾー─tッ-ヽ''  kーtr─ツ'´〕. ヽ.        |
  / {´i Y::::..   ` ̄ ̄´.: "i! ::. 、` ̄´ ゙:::.、} r、 l        i,____
  | ヾ_,,入;:::.. `'' " ´.::; .::i! ::..  ```  :. }ツl l
  \  ノ ヾ ;:::.   .:r'' :: ll! :ヽ;:..:.   .: j,ノ ,!       ┬‐┌,┴┐
    ヽ',,;l  ゙i ;::.. _ `ヽ、;;,,,,'.ィ'' _,, .::,;r'1,,,/           l__ ノl士
  ッジ::::::|  ゙ ,r'´:::;;;;;;;::>  弋´;;;;;::::ヽ'" |:::::゙'イィ      ノ凵 l土
 弍:::::::::::l  /:::;r'´ ,,..-ー…ー-、 ヾ;:::'、  |:::::::::::ヒ
  シ:::::::::::l   i':::,!  ´  __  ゙  l::::l:. |::::::::::ス       __ヽ__‐┬┐
  彡;:;:::::l  l:::l     ''''''''⇒;;;:,   l:::l  |::::;;ャ`        ニ メ ,ノ
  ,r', 广'`ヽl:::l ::::. .::     ゙::.   l::l ノ^i`、         l ̄l ハヽヽ
 ,イ(:::j    i::;ヘ  :;:.       .::   l::l'"  l:ヽヽ         ̄   ̄
 |;:ヽヽ   l::l  ヽ ;:.... ..  .. :  /l::l   ノ ,.イ
 |;:;:;:;\\ l::l   ', :;.:;::::::::::..::.  /  l::l,r'' /;:;:;|

154:世界@名無史さん
19/03/13 10:02:39.12 0.net
西洋人の人名に多いカール・チャールズ・シャルル(女性形キャロライン・カトリーヌ)
は西欧の父祖ととされるカール大帝・シャルルマーニュが由来とされる
ちなみに英語圏でもシャルルマーニュで通じるがドイツ人は頑固にカールという
さてカールという男子名はたんに北欧で「農民」といういみで貴族は「ヤール」という
つまり農夫王といういい名前であったわけだ
メロヴィング王朝の宮宰カールマルテルだからカロリング王朝というわけだが
カロリング家が宮宰になれたのは、フランク王キルペリクが横死したあと幼い子ども
を補佐するために政務代行が必要となり
貴族がメッス司教アルヌルフの子であるピピンを宮宰に指定したのが始まり
まぁこのへんは全然よくわからないわけだが、メロヴィング朝は異民族に寛大で
大公や騎馬司令官に非ゲルマン人のガロ・ローマ人、奴隷上がりの卑しい人を
採用しても平気だった。ただし彼らはゲルマン名に改名し金髪のかつらを被る
これがフランス貴族が巻き毛のかつらを被る由来だ
フランク王族は大都市の司教に送り込まれた。これが一番美味しい職で
メッスはケルンと並ぶ帝国都市でさかえておりアウストラシア首都でもあった
この野蛮人の司教たちはきわめて邪悪で野獣のようにふるまい最終的には
王家をのっとるにいたる
フランクやバイキングの兵士といえば全員斧・フランキスカをもってるイメージだが
じっさいは棍棒が多かった。そもそもゲルマン原始農民に鍛鉄技術はない
バイユーのタペストリにも多くの兵士は棍棒を持ってる

155:世界@名無史さん
19/03/13 10:18:30.56 0.net
中央アジアの重騎士文化は、アランやサカ・スキタイは棍棒をこのんだ
それなりに鎧を着ていても棍棒の打撃は有効だからで
ギリシャ・ローマは棍棒を蛮族の武具としてきらっていた。ひとつには
スペイン鉱山から金属剣が供給されたせいもある
ゲルマン大移動がはじまり、アランやフンなど中央アジア遊牧民がなだれこみ
ゴートやゲルマンが大量にローマにすみつくようになると
やはり棍棒は重要な武技として復活した
ローマ人の想像ではフランクのような蛮族が「まさかりで脳天を叩きつける」というもの
でありこのイメージでしばしば語られる。実際かれらは棍棒が多かった
モンゴル高原から中央アジアにかけてのステップ地域ではサカやスキタイ、トルコ・モンゴル騎兵が
メイスやウォーハンマーを愛用する
フンのアッチラが住んだハンガリーでは「玉ねぎ型」の棍棒がつたわってる
これがフランスやイギリスで貴族が王の持つメイス・王笏となる
また月氏・クシャーンのフルールドリスの紋章はあんがい玉ねぎ型のメイスにあったのかもしれない、ということだ

156:世界@名無史さん
19/03/13 11:10:34.03 0.net
>>150-151
>イランはヒンドークシュ山脈を隔ててるとはいえ中国の隣だから
>中国日本に伝わっても良さそうだが事実は地球を反対側に一周して
>米国から日本に、台湾から中国へとつたわる
>また玉ねぎは7000年前の中国青銅器時代の遺跡でも発掘されており
>意外だが中国が玉ねぎの原産地という推測もある
だからどっちなんだよ!?書いてておかしいと思わんのかおめー

157:世界@名無史さん
19/03/13 11:36:41.91 0.net
そこが玉ねぎの不思議なところで
当初、日本ではくせが強いとして玉ねぎは嫌われていた
それで長ネギが主流となったのかもしれない
イラン由来のたまねぎをたべるトカラ人や羌はあったにしても途絶することはアリエル
始皇帝の墓はイラン系人骨が多く出ることから秦人が玉ねぎを食わないとは思えす
始皇帝は食ったのではないかと想像してる
またチーズ乳製品発酵食品は古代中国の料理書にはっきり記載されてるが
鮮卑系の遊牧王朝のときにはやむなく食ったのだろう
また日本にも乳製品は醍醐味としてつたわってる
いまの中国人はチーズを嫌う、豆腐というものがとってかわったこともあるが
そもそも中国人にチーズの風味はあわないのかもね

158:世界@名無史さん
19/03/13 12:02:52.91 0.net
むしろ日本では長ネギの特殊性について注目したほうが良いかもしれない
「ねぎは世界中どこでもある、うどんに入れる薬味だ」という常識について
長ネギは中国と日本いがいでは殆ど使われない
ロシアでは植物が貧困なのでサラダに使うそうだがほぼ東アジアに限定され
その中国の長ネギの歴史は2000年ほどしか無い
玉ねぎは7000年以上前から登場してるから長ネギは新しい食物だと言える
トルコでは長ネギは中国文化だとあっさりといい
イタリア人は長ネギ原産地はシベリアではないかと推定してる
つまりシベリアの匈奴人や丁零人が中国に持ってきたのかもしれない

159:世界@名無史さん
19/03/16 06:07:46.34 0.net
URLリンク(upload.wikimedia.org)
ロシアの博物館らしいが匈奴の衣装はアイヌ民族衣装に似てる
アイヌの分家の諸民族はシベリアにたくさんいるから妥当かな

160:世界@名無史さん
19/03/16 16:55:27.88 0.net
似てない定期

161:世界@名無史さん
19/03/16 17:45:39.79 0.net
>>159
分家ってよりはアイヌがシベリア系民族の分家かな
日本に12世紀頃入ってきたシベリア系と東北の縄文系が混雑して
生まれたのが今のアイヌの先祖

162:世界@名無史さん
19/03/16 18:45:14.39 0.net
>>156-158
つい最近までタマネギの野生原種は不明となっていたんだが、
比較的最近、2007年に発表された論文でイランとトルクメニスタン国境の
コペトダグ山脈山中の狭い範囲にだけ自生する Allium vavilovii から栽培化されたことがほぼ確定している。
URLリンク(scholar.google.co.jp)
また、ネギの野生原種はシベリア南部からモンゴル北部にかけて分布する Allium altaicum だが、
1999年に発表された論文で、栽培化の原点はモンゴル北西部の限られた個体群に由来していることが
示唆されている。
URLリンク(scholar.google.co.jp)

163:世界@名無史さん
19/03/16 21:01:47.25 0.net
アイヌは温暖化の時期に南から来た縄文人がオホーツク人から寒冷地での生き方を学んだわけだから文化としてはシベリア系が濃い

164:世界@名無史さん
19/03/16 21:09:53.01 0.net
【元号】 マⅰトレーヤにあやかり〝分合″にしよう
スレリンク(era板)

165:世界@名無史さん
19/03/16 21:28:50.68 0.net
ソ連は中央アジアの歴史研究はねっしんで発掘資料から復元してるから確かなものだろう
匈奴がアイヌみたいな、北海道ラーメンの鉢の縁取りみたいな衣装を着ていたとしれば
原点・起源は匈奴服であり、そこから最新ファッションのように辺境テュルク族に伝わり
パリの最新モードのようにアイヌが喜んで着たのじゃないー
もしかすると中国人が当時そんな服をきていたのかもしれないが?

166:世界@名無史さん
19/03/16 21:45:31.53 0.net
宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長や古代が着てるPコートってやつは
もとはフランスの漁民がきていたウールコートで
まぁイギリスの漁民はダッフルコート着ていたそうだから、おしゃれだ
しかしなぜかピーコートは
アメリカ海軍士官の制服になりソ連秘密警察もPコート着ていたから
一種の権威になってしまった
匈奴が権威象徴とみなされた時代、匈奴支配うけたシベリアは、当然真似る。
アフリカの黒人判事がフランク族を真似て金髪のかつらを被るように
zzガンダムでアフリカ人は白人をフランクと言ってたな

167:世界@名無史さん
19/03/16 22:08:02.80 0.net
中華ラーメンの鉢のように、細部にこった文様をやたら付与することは
デザインの世界では幼稚なやり方とされておりまして
匈奴服のふちどりは、おそらく太陽と月をかたどったもので
麒麟ビールのような模様もありますね
ただし当時としては王様クラスでしか着ないような絢爛な衣装で
革に金属プレートを鱗のように打ち付けたスキタイ・ゴート族は
アイヌ服を着たアッチラをみて「凄えオシャレだ」と感じた可能性もあります

168:世界@名無史さん
19/03/18 12:54:43.83 0.net
Pコートって80年代の高校生とかに流行してたの知ってるか

169:世界@名無史さん
19/03/18 13:15:26.68 0.net
小学生の冬服というイメージが有る>ピーコート

170:世界@名無史さん
19/04/14 13:27:13.30 0.net
こないだやってたNHKBSの万里の長城特集やってたけど
まあ当然、匈奴や突厥の話なんかも出てきたな

171:世界@名無史さん
19/05/08 06:45:43.44 0.net
URLリンク(www.afpbb.com)
げっ歯類の腎臓を生で食べた夫婦、腺ペストで死亡 モンゴル
【5月7日 AFP】モンゴル最西部で、げっ歯類のマーモットの腎臓を生で食べた夫婦が腺ペストにかかって死亡したと、当局が6日、明らかにした。
 今月1日に亡くなった夫婦は、ロシアと中国と国境を接するバヤンオルギー(Bayan-Ulgii)県の住民で、民族的にはカザフ人。地元自治体は、「2人の後に報告された感染例はない」と発表した。
 国立人獣共通感染症センターによると、モンゴルでは毎年腺ペストで死亡し、その大半の原因がマーモットの生肉食。(c)AFP

172:世界@名無史さん
19/05/12 07:39:02.49 0.net
>>170
それ俺も見た
現在の長城は主に明時代に造られたもの
知ってはいたが詳しく放送してくれた

173:世界@名無史さん
19/05/12 17:30:39.88 0.net
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)

174:世界@名無史さん
19/05/13 12:01:45.74 0.net
>>170
kwsk

175:世界@名無史さん
19/05/15 18:54:25.44 0.net
過去スレ見れなく散々ガイシュツでしたらすいません
鐙(あぶみ)について何か関連のお話がありましたら気長にお待ちしてますのでご都合の良い時にでもよろしくお願いいたします


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch