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牧谿
日本限定の中国の偉人、というややこしい人物。
13世紀後半に活躍した禅僧であり、水墨画で名をなしたが、その作品は線を用いない没骨という
描法を用いた物であった。
中国では画の六法といって踏まえるべき六つの要諦が存在していたが、牧谿の作品は穏当に過
ぎ、かつ筆跡による感情表現に乏しかったことから、六法中最も重視された「気韻生動」に欠ける
ところありとし、中国では重んぜられなかった。
ところが、ちょうど禅文化を輸入していた日本では、牧谿の作品がおおいに好まれた。
元々日本では掛軸と言えば仏画・神画の礼拝用であり、観賞用には屏風や絵巻が用いられてい
たのだが、日常生活の万事に仏道を見出す禅宗の影響で、山水や花鳥、禅宗史上の人物の姿
も掛軸で鑑賞されるようになっていた頃であった。
温雅な作風が、画の六法について知られていなかった日本人の好みに合致したのである。
足利将軍家では、夏珪や梁楷と並んで最上級に位置づけられ、模倣する画家が続出した。
ただの後追いではなく、実力も見識もある一流の画家も牧谿の作品を意識した作品を残した。
漫画『へうげもの』には牧谿の作品や名前が何度か登場しているが、主人公古田織部が俵屋宗達
に対し「いまだ牧谿の模倣」と言っていたのは、その影響の甚大さを前提にしている。
全ての画家があからさまに模していたわけではないが、意識するなというのは「永井と富野を連想
させることなくロボットアニメを作り、かつ名作化せよ」というくらいの難題であった。
現在、作品の多くは日本に伝存しており、日本向けに明から贋作も輸出されたと考えられている。
近代日本で最も上手い日本画家である竹内栖鳳(弟子の上村松園や、同時代の横山大観よりも
マイナー)は画室に牧谿の竹雀図の複製を掛けていたが、雀図を得意としていた彼ですら、牧谿
ほどに上手い雀を描くことは容易ではないと、自ら述べていたという。