【リングワ・フランカ】共通語の歴史 2=Ⅱ=二at WHIS
【リングワ・フランカ】共通語の歴史 2=Ⅱ=二 - 暇つぶし2ch88:世界@名無史さん
18/01/12 07:25:22.57 0.net
そもそもアメリカとイギリスでは標準語の規範が違うしインドとかの英語は独特の訛りがあるやん

89:世界@名無史さん
18/01/12 09:35:51.11 0.net
ピジン英語のような現地語と混淆したようなクレオール言語は分化とは言えんでしょ
現地人だってそれが正規英語の代わりになるとは思ってないから正規英語を教育するわけだし

90:世界@名無史さん
18/01/12 10:53:20.35 0.net
ネットの普及は諸言語の地域方言を廃れさせ、
ネット方言に収斂させることになるだろう。
英語に関しては、母語話者の英語が標準語の地位を失うと思う。
第2言語としての英語は母語の違いを超えた共通性がある。
ゆっくり明確に単語を切って発音する感じ。
そういう地球人の英語を英米人も学校で習うようになるんじゃないか。

91:世界@名無史さん
18/01/12 19:15:05.31 0.net
国連公用語の英語はUK式だね。

92:世界@名無史さん
18/01/12 20:27:32.52 0.net
ポルトガル語なんてブラジルの言語が事実上の標準で
本国ポルトガルの言語はもはや方言扱いという実情なのに
英語はしぶといな
オックスフォードの辞典とBBCのおかげで延命してるんだろうか

93:世界@名無史さん
18/01/12 20:54:21.45 0.net
本国に対する憧れの差では?
今でもイギリスはインド人の夢の国だし

94:世界@名無史さん
18/01/12 20:57:44.48 0.net
>>92
コモンウェルスの存在が大きいでしょ
UK式が標準って国は多いよ
例えばインドやナイジェリアや豪州といった地域大国も基本的にUK式だしさ
むしろUSA式のほうが数の上では少数でしょ、英語使用国の中でも
・・・そういえばニューヨークの国連本部って
建物の階層の案内表示や案内放送はどうしてんのかな?
ひょっとして、うっかり階層を間違える人が出たりするもんなんだろうか?

95:世界@名無史さん
18/01/13 00:33:01.20 0.net
URLリンク(en.wikipedia.org)
>>87
発音がこんなに違っていてそれぞれの政府がどこか1つの発音体系を支持しているわけではないので
再統一はまだむずかしいだろう
特に母音の統一や発音に合わせた合理的な新しい綴りを統一的に提案するのは困難
>>92
ポルトガルは一時期王国ごとブラジルに引っ越そうとしたぐらいだし実際王家や貴族はいったんあらかた移住した
スペインにいつも圧迫されて痩せた土地とろくな産業がない本国より
分家のブラジルの植民地にでもなるつもりだろう
>>89
トク・ピシンはパプアの山ほどある土着言語と文法的にも似ていて発音も近く習得も容易
国語としての地位は今後も揺るがないだろう
教養と国際社会に開けた高度な事務言語としての英語は必要としても

96:世界@名無史さん
18/01/30 07:31:52.88 0.net
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
VXRHB

97:世界@名無史さん
18/02/21 21:07:01.87 0.net
ケチュア語って、むしろ「ケチュア語族」と呼ぶほどの多岐にわたる諸語だそうだね。
インカ帝国の公用語がケチュア語だったということだそうだけど、実際にはどういう状況だったんだろう?

98:世界@名無史さん
18/02/21 22:23:20.63 0.net
西アフリカのマンデ諸語も同じ状況なのかな
中世にはガーナ王国やマリ王国で使われてたそうだけど

99:世界@名無史さん
18/02/21 23:32:59.46 0.net
ケチュア諸語の内部の多様性は、ゲルマン系やロマンス系の諸言語の多様性よりはやや少なく(ということはかなり大きい)
アラビア語やスラブ語の多様性よりは多い(つまり方言に毛の生えた程度の差とはとても呼べない大きさ)という
そんな多様なケチュア諸語のうち、今広く普及しているケチュア語はインカ帝国の首都クスコのクスコ語が元で、
これをスペイン人や宣教師が一帯の統治・布教の言語として利用して広まったという
だから元々クスコ以外でもある程度は通じたか、あるいはどの地域にも現地語とクスコ語との通訳をする者がいたと考えられる
またインカ時代にもすでに中部及び北部の貴族階層の非母語話者にクスコ語は教えられていたという
16世紀には統治と布教に利用されはじめたクスコ・ケチュア語だが、これはケチュア語の統一・標準化にもつながり、
18世紀後半にはトゥパク・アマル2世の反乱に利用されたらしい その後ケチュア語は公的利用禁止の時代に入る
教会でも使われなくなり学校でカチュア語の読み書きを教わることも禁止された(禁止以前にはそれらはあったということになる)
19世紀にペルーほかの国が独立した後にケチュア語は自由化されたが、今度は市場化・産業革命・都市化に適応できず
スペイン語に押されて衰退。1975年にペルーが初めてケチュア語を公用語に加えてから徐々に流れが変わり今に至る

100:世界@名無史さん
18/02/22 00:17:13.98 0.net
>>99
>>97です。
詳細なご解説ありがとうございます。

101:世界@名無史さん
18/02/22 09:56:01.52 0.net
>>100
どうも。なおソースはウィキペディア英語版です。
言語間の距離、意思疎通の可能度(mutual intelligibility)というのはあくまで感覚的なもので、
一見数値化されたもの(◯◯%通じる、のたぐい)でもそう当てになるものでもないと思いますが、
なんとなくのイメージはつかめますね。
いわゆる「先住民語」というのはそれぞれの理由であまり広い地域に共通する広がりを持たないのが一般的ですが、
ケチュア語はむしろ「文明語」の典型だったようです。結縄(キープ)以外に文字も持たなかったものの、
官僚制度のために口頭語の学習が制度化されていて、それによるクスコ語の利便性がキリスト教に利用された感があるのは
古代エジプト語からコプト語への移り変わりを連想させます。

102:世界@名無史さん
18/02/23 02:45:20.73 0.net
アルゼンチンやチリなんかでは、ボリビアからの移民で地味に話者が増えてるんだろうか
チリの鉱山で3か月かそこら地下に閉じ込められてた鉱員の中に、アイマラ人と思しきボリビア出身者がいたな
ケチュア語話者も出稼ぎで来てそう

103:世界@名無史さん
18/02/25 17:50:02.54 0.net
ラフタ・センター

104:世界@名無史さん
18/03/05 18:20:47.98 0.net
そういや中米南米では、共通語の問題は聞かないね。スペイン語とブラジルポルトガル語という酷使した言語を白人系、混血、黒人が理解し、スペイン語の地域差も小さい。
(とはいえ発音と語彙で明確にわかる。昔、キューバ訛りがある旅行者はしばしば行方不明になったし、国境を越える時にはそこを突っ込まれて何時間も尋問されたりしたものだ)。
先住民は農村から移動しない。ということになっていたし、中米ではそれはあながち間違いでもなかった、国丸ごと中世の荘園で、荘園主は米国企業だったりしたし。
しかし二つの例外がある。
一つは鉱山。
もう一つは、1980年代からの、農村から都市への移動と、中南米からアメリカへの移動。
都市でもアメリカでも基本は同言語の人間とだけつきあっているだろうが、職場ではどうしているか、また第二世代はどうなっているか。

105:世界@名無史さん
18/03/07 23:31:46.29 0.net
動詞の活用が英語に合わせて3つくらいに減ってたりするのかな
二人称と一人称複数三人称複数が合流とか
そして未来形が消滅とか

106:世界@名無史さん
18/03/08 01:27:32.37 0.net
>>101
インカより前は広域の帝国がなかったから、言語がバラバラだったのかも

107:世界@名無史さん
18/03/16 17:33:04.42 0.net
インカ以前は言語がバラバラな地域だったのか
だからインカ帝国の公文書はキープだったのかね
建国から高々100年くらいしか続いてないから
ケチュア語を普及させる時間的余裕も
教育するための学校組織や文法の整備も追いつかなかった
レコンキスタ直後にスペイン語の文法を作り上げ
これを「帝国の道具」と呼んだスペインとは
世界帝国への意気込みが違うね…

108:世界@名無史さん
18/03/16 22:36:49.61 0.net
いや、ケチュア語のクスコ方言(むしろクスコ語)は口伝によって教育されていた
だから音声言語においてはインカ帝国の官吏がこれで養成されていた
どんな方法だったかはよくわかっていないが、言語を整理して教授する際には
文法的な観点が欠かせなかったと思う それとまとまったテキストの丸暗記を併用したはず
そしてスペイン人とイエズス会がそれを文字化して統治と布教に利用した


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