17/07/07 19:41:45.55 0.net
ニザール派
URLリンク(ja.wikipedia.org)
イスラム教のシーア派・イスマーイール派の分派。
ハサン・アリー・シャーすなわちアーガー・ハーン1世はイギリスの権威と裁定を背景に地元ニザール派コミュニティたる
ホージャー派におけるイマームの地位を取り戻すことに尽力し、大きな影響力を獲得して1881年に亡くなった。
息子アーガー・ハーン2世の短い在位ののち、1885年その子アーガー・ハーン3世が立つ。
アーガー・ハーン3世は72年にわたるイマーム位において、世界各地のイスマーイール派の再結集をおこなう一方、
イスラーム改革派の政治家・思想家として卓越した業績を残した。
議会制の標榜、イスラームにおける女性の人権についての再解釈、教育などの社会福祉向上を目的として活動して、
ヨーロッパの上流階級ともたびたび交流し「殿下」の称号で呼ばれた。
1957年アーガー・ハーン3世が没し、孫のアーガー・ハーン4世があとを継いだ。