正史『三国志』 三十巻at WHIS
正史『三国志』 三十巻 - 暇つぶし2ch100:世界@名無史さん
15/10/06 22:25:35.02 0.net
竹簡のほうが多いんじゃない?

101:世界@名無史さん
15/10/07 00:11:28.19 O.net
三戦板なんてゴミ板じゃんw

102:世界@名無史さん
15/10/07 01:33:01.43 0.net
劉備って袁術とも組んだことがあったんだな・・・

103:世界@名無史さん
15/10/07 02:45:27.92 0.net
>>98
最近じゃ世界史板も大差ないわw

104:世界@名無史さん
15/10/07 16:50:00.06 O.net
>>100
でも廃墟になってない分マシだろう

105:世界@名無史さん
15/10/07 18:15:35.13 0.net
新規の三国志ファンって大体無双とか出身で、そういう人は歴史ゲーム板いってるんじゃないかね

106:世界@名無史さん
15/10/08 00:23:20.56 0.net
孫堅:37歳で死去 孫策:26歳で死去 孫翊:20歳で死去
孫登:33歳で死去 孫慮:20歳で死去 孫休:30歳で死去
孫匡や孫希も若くして死んだって記述だしこの一族戦死・病死合わせると早死にしすぎだろ・・・

107:世界@名無史さん
15/10/08 00:25:22.26 0.net
孫酷は?

108:世界@名無史さん
15/10/08 00:53:20.81 0.net
42だった気がする
不惑こそ超えたが早死にと言って差し支えないだろう
孫亮も20歳前に死んでるし早死に一族だな

109:世界@名無史さん
15/10/08 01:25:09.87 0.net
孫堅って袁術に呉夫人を人質にされて玉璽を
奪われてるんだよな。

110:世界@名無史さん
15/10/08 20:07:17.67 0.net
洛陽が焼き払われた時、白馬寺の僧とかはどこに行ったのかな?

111:世界@名無史さん
15/10/09 00:59:25.95 0.net
>>106
それ眉唾だろ
孫権は長命だし、戦死や横死をもって早死に一族とか言われてもな
孫瑜兄弟の死にっぷりの方はアレだが

112:世界@名無史さん
15/10/09 01:29:19.24 0.net
孫権も滅茶苦茶な行動結構してたし、止めてくれる周囲の人達がいなかったら他の孫一族同様早死にしてたんかなぁ

113:世界@名無史さん
15/10/09 09:14:41.69 0.net
血気盛んなところがあって、それを止められる人がいなかったらもっと早く死んでただろうな
色々と運が悪ければ合肥で死んでた

114:世界@名無史さん
15/10/09 09:55:10.07 0.net
張昭:ワイのおかげやな

115:世界@名無史さん
15/10/10 08:01:48.50 0.net
ついでに大酒も止めててくれれば

116:世界@名無史さん
15/10/10 17:37:41.87 0.net
孫権「俺の酒乱要素が演義で張飛に取られてしまった・・・」

117:世界@名無史さん
15/10/10 17:58:29.83 0.net
孫権は酒乱と言ってもマシな方だろ

118:世界@名無史さん
15/10/10 19:22:46.47 0.net
孫権「俺が酒席で言った命令は全部ノーカンだかんな」

119:世界@名無史さん
15/10/10 19:31:03.88 0.net
三国志に出てくる長寿の皇帝って短命な人多いな
長寿な二人は晩年がなぁ・・・
献帝はいただけだし

120:世界@名無史さん
15/10/10 19:38:31.12 0.net
>>116
君は何を言っているんだ

121:世界@名無史さん
15/10/10 19:40:30.39 0.net
>>117
ごめん、書き直してたら消し忘れた。
短命な皇帝多いなってそれだけ。

122:世界@名無史さん
15/10/10 20:37:29.24 0.net
皇帝業が相当なストレス案件か、衣食住の環境がよっぽど劣悪だったのか気になるな

123:世界@名無史さん
15/10/10 21:23:46.80 0.net
劉備も曹操も65まで生きれば十分だろ。

124:世界@名無史さん
15/10/11 01:29:28.58 0.net
劉備は在位期間が短いし、曹操は後からだからなぁ

125:世界@名無史さん
15/10/11 03:27:30.57 0.net
呉は風土的に病気になりやすいんじゃないの?

126:世界@名無史さん
15/10/11 03:42:55.26 0.net
後漢まで含めると、戦死しないかぎり戦場に出る君主は長生きするって感じ
宮廷や後宮に人が健康に暮らしていくのに重大な欠陥があるような気がしてならない

127:世界@名無史さん
15/10/11 04:11:07.07 0.net
黄河の黄砂の方が病気になりやすい気がするが

128:世界@名無史さん
15/10/11 08:06:05.79 0.net
黄砂は九州に住んでる俺でさえ調子が悪くなる事があるからな

129:世界@名無史さん
15/10/11 09:07:19.19 0.net
短命と言っても日本の総理の任期よりは長い治世だがな

130:世界@名無史さん
15/10/11 09:19:57.28 0.net
韓遂はあれだけ反乱の人生だったのに70歳くらいまで生きたんだよな
麹演と蒋石に殺されたとも、病死した後に首を斬られたとも言われてるらしいが

131:世界@名無史さん
15/10/11 10:56:18.11 O.net
在位が長かった劉禅、盆暗君主だが長かった

132:世界@名無史さん
15/10/11 15:29:41.42 0.net
劉禅って十代で即位したわりに長寿だなって印象
なんか十代そこそこで即位した君主って、寿命を全うできてもや30~40代で
亡くなる事が多い気がして

133:世界@名無史さん
15/10/11 17:25:45.98 0.net
劉禅以外って曹叡みたいに先代が若死にしたか
臣下に無理やり担ぎ上げられた幼い傀儡皇帝かじゃない?
彼らが即位した背景に比べれば劉禅は恵まれてたと思うし
良くも悪くも白糸だから心労も溜まらなかったんだろう

134:世界@名無史さん
15/10/11 18:30:24.75 0.net
辣腕を振るうリーダー → 中華の陰険な宮廷で毒食わされたり、ストレスで若死に
一代で成りあがった君主 → 生命力は人より高いけど戦場に出るため戦死したり、苦労が祟ったりする
宮廷の実力者と懇ろな君主 → 本人の能力は関係ないが、邪魔にされないためストレスも溜めず、良い物食って精力つけられる

135:世界@名無史さん
15/10/11 18:56:14.53 0.net
劉封「関羽の援軍要請拒否したら見殺しにしたことにされるし上庸も失うし色々大変なことになった・・・」
諸葛亮「(後継者問題が起きる前に消しておきたかったから好都合だ)関羽敗死、上庸も失陥したから責任取って自殺してな」
劉封「(俺は何のために養子になったんだ)孟達の言う通りにしておくべきだった」
括弧の中は妄想やけど劉封があまりにもかわいそうすぎる

136:世界@名無史さん
15/10/11 19:50:57.91 0.net
孟達って諸葛亮の義兄殺してるんだよなー
その辺負い目無かったんだろうか

137:世界@名無史さん
15/10/11 20:15:42.23 0.net
正確には劉封激怒し、孟達に房陵城攻撃を厳命→孟達は諌めるが止むなく房陵城を陥落させてしまう→劉封、魏延に命じて一族皆殺し、だったか
蒯祺の他にも諸葛亮の姉まで殺したんじゃ恨まれても仕方ないわな 関羽と上庸の件は仕方ないとしても諸葛亮の恨み買ってたのが駄目だったな

138:世界@名無史さん
15/10/12 11:47:17.90 0.net
魏延?

139:世界@名無史さん
15/10/12 12:16:23.64 0.net
襄陽耆舊記とか信憑性ないだろ
まして裴松之が採用しなかった時点で、後代の編纂で紛れ込んだ与太話の可能性が大

140:世界@名無史さん
15/10/13 00:55:36.67 0.net
馮習って一応夷陵の戦いでの蜀軍の指揮官だよな?それなのになんで馮習に関する記述がこんなに少ないんだろう

141:世界@名無史さん
15/10/13 04:18:07.18 0.net
経験の浅い若手のホープだったから。
たまには張南のことも思い出して下さい。

142:世界@名無史さん
15/10/13 18:53:05.59 0.net
呉懿ってちょっと調べたが謎な人物だよな、皇帝の外戚で尚且つあれだけの実績と実力(しかも人格者)があるのに独立した伝がないとか
やっぱり旧劉璋軍の人間だから余り良く思われてなかったのだろうか

143:世界@名無史さん
15/10/14 08:52:37.36 0.net
>>139
一応は魏延と並ぶくらいの武将だったらしいけど、単純に独立した伝が立てられるほどの文献が残ってなかったと聞いたな
仮に伝が立てられていたら恐らく公に知られてる名前は「呉壱」だったって認識でいいのかな?

144:世界@名無史さん
15/10/14 11:26:56.08 0.net
蜀は史官おかなかったんだっけ

145:世界@名無史さん
15/10/14 13:43:26.94 0.net
史官が諸葛亮時代に一回廃止されたっぽいことは伺えるけど
中期後期の蜀の官僚の多さを考えると復活したと考える方が妥当だとは思うがね

146:世界@名無史さん
15/10/14 17:48:11.29 0.net
>>95
1996年長沙市の古井戸から数万点の竹簡・木簡が発見された。
内容から孫権時代の郡の役所の行政関係の書類。
紙が普及していないと判断されている。

147:世界@名無史さん
15/10/14 20:28:05.35 0.net
洛陽の紙価なんて話もあるように晋代入ってすら紙は
ちょっといい詩をまとまった人数が書写したいというだけで値段が大変動する貴重品

148:世界@名無史さん
15/10/14 20:58:21.69 0.net
詩ではなく手紙だけど平復帖は紙だよね?
陸機ほどの人物ならば個人的な手紙にも紙を使えたんだろうか
(確実に陸機の書とは言い切れないけど)

149:世界@名無史さん
15/10/15 06:14:08.97 0.net
呉壱は司馬懿の名を避けてだから蜀では普通に呉懿。

150:世界@名無史さん
15/10/15 07:36:21.87 0.net
張昭とかは司馬昭の名を避けていないのに

151:世界@名無史さん
15/10/15 08:13:34.36 0.net
>>146
140はもしも伝が立てられていたらあなたが言っている理由で呉壱って呼び方が後世広まってたんじゃないかって事じゃないの?

152:世界@名無史さん
15/10/15 08:44:30.61 0.net
結構な頻度で呉壱呼ばわりされてるのに呉懿って
呼ばれてるんだから関係ないでしょ。

153:世界@名無史さん
15/10/15 11:30:14.84 0.net
呉懿の他に呉班、陳式、高翔あたりも資料があれば陳寿も伝を立てたかった様にも

154:世界@名無史さん
15/10/15 15:42:42.95 0.net
呉懿は張懿と同じパターン
後世が勝手に避諱と思いこんで修正しただけ。

155:世界@名無史さん
15/10/15 19:47:04.53 0.net
士仁って幽州出身だっけ 糜芳に比べると記述は少ないけど実は劉備軍の中でも古参だったりするのかね

156:世界@名無史さん
15/10/16 00:45:36.77 0.net
士仁って虞翻に「やらないか?」って言われて
ホイホイついて行っちゃうようなヤツだぜ。

157:世界@名無史さん
15/10/16 14:34:26.61 0.net
糜芳は兄貴と一緒に20年以上の付き合いだったし、もし士仁が古参だったとしたら、そんな二人が降伏するほど心が折れたんだな

158:世界@名無史さん
15/10/16 16:30:28.41 0.net
本当に大敗だったんだなあ。
あそこをうまく乗り切れば、長安も見えたかもしれないのに…。
って言うのは劉備贔屓の見方かな。

159:世界@名無史さん
15/10/16 16:36:37.07 0.net
荊州から北上していくより、それこそきっちり守って涼州取りに行くべきだったんじゃない?

160:世界@名無史さん
15/10/16 18:10:03.77 0.net
涼州の価値ってどうなの?
強兵と馬は一目置かれるものがあると思うけど、経済基盤も弱そうだし
反乱ばっか起きそうだし。
魏も実効支配はほとんどしてないんじゃなかった?

161:世界@名無史さん
15/10/16 19:25:39.09 0.net
あそこは魏の領土にしておいて、
反魏勢力が湧いたら同盟結んで兵馬を補給する方がいいかもな
変に支配すると反蜀勢力が湧いてくるだろう

162:世界@名無史さん
15/10/17 00:04:18.36 0.net
こうも絶望的な状況をあそこまで盛り上げれるんだから演義も大したものだな

163:世界@名無史さん
15/10/17 14:02:45.06 0.net
演義だけ読んだら袁紹の一族は根絶やしにされたっぽくなってたけど、袁煕の子孫は生き延びて続いていったのね
しかしその子孫・・・袁恕己だっけ、それが唐の宰相にまでなったというのは本当かね 眉唾ものと言われることがあるが

164:世界@名無史さん
15/10/17 15:36:03.23 0.net
大刀 関必勝:せやな

165:世界@名無史さん
15/10/17 15:59:57.90 0.net
蜀なんて40年以上存続してるんだから絶望的じゃないだろ全然
宰相世系なんて眉唾だし、血筋途絶えても傍系が継ぐから
子孫がいても血がつながってるとは限らない
もっとも袁紹一族が根絶やしにされたってことは無いと思うけど

166:世界@名無史さん
15/10/17 17:27:48.24 0.net
絶望的というより
蜀を殆ど無視していた魏に自分から挑んでいっただけだからな

167:世界@名無史さん
15/10/17 18:06:14.59 0.net
ほとんど無視って意味がわかりません

168:世界@名無史さん
15/10/17 18:08:30.73 0.net
それが蜀漢の大義名分と言うか存在意義というか・・・

169:世界@名無史さん
15/10/17 18:08:45.44 0.net
魏から攻めることはなかったし
諸葛亮が北伐を始めるまで魏は呉しか相手にしていない
諸葛亮に降伏の誘いをかけたくらいしか、外交的なちょっかいも知らんな

170:世界@名無史さん
15/10/17 18:34:57.46 0.net
そういえば近代だと袁世凱は汝南袁氏を自称してたっけ 近代アジアの歴史はあんま知らんから真相がどうなのかは知らんけど

171:世界@名無史さん
15/10/17 19:44:58.25 0.net
>魏から攻めることはなかったし
ゲームでしか三国志しらないボクちゃんか

172:世界@名無史さん
15/10/17 20:53:05.20 0.net
はあ・・・ゲームに諸葛亮に降伏の誘いをかけたことが載ってるのかな

173:世界@名無史さん
15/10/17 22:49:59.16 0.net
>>169
相手の意図を読み取らずに揚げ足とれると見るやつっかかるバカはどこにでもいるものさ

174:世界@名無史さん
15/10/17 23:26:08.38 0.net
魏はCP的に鶏肋せせる意味ないしな
美味いけど

175:世界@名無史さん
15/10/18 10:00:05.55 0.net
>>169
で、魏から攻めることはなかったってのは明らかに妄想でしょ?
あと呉と事を構えたのは外交的経緯があるのであって、蜀を無視していたという根拠がないわ、ボクちゃん

176:世界@名無史さん
15/10/18 12:06:44.34 0.net
馬に乗ったことないから分からんのだけど、馬上で矛とか戟って扱えるもんなの?

177:世界@名無史さん
15/10/18 12:56:58.18 0.net
たしか三国時代は鐙が無かったから馬に乗るだけでも一苦労でもっぱら脇に構えた槍で突進して突き刺すって感じだったそうな

178:世界@名無史さん
15/10/18 13:38:47.54 0.net
趙の騎射とかどうしてたんだろ

179:世界@名無史さん
15/10/18 14:10:09.18 0.net
兵馬俑から出土した鞍には簡易


180:的な滑り止めがついてたらしいけど 鐙がない以上は腿で馬体を挟んで踏ん張るしかないんじゃないかな 戦国~秦は鞍というよりも革製の座布団みたいな敷物で 漢代になると鞍橋がついて尻がずれないようになったらしい



181:世界@名無史さん
15/10/18 15:34:46.79 0.net
鐙がないからこそ個人の技量が物を言うってことだったんだろうよ

182:世界@名無史さん
15/10/18 23:54:43.55 0.net
子どもの頃から馬に乗ってるような奴は鐙が無くても馬上で格闘もできるし、投げ槍や騎射も自由自在
ただ、項羽とか呂布みたいに有名な豪傑が実際にどの程度馬上戦闘できたかってのは気になるところだな

183:世界@名無史さん
15/10/21 11:11:46.25 0.net
猿とかは馬に乗れるというよね
孫悟空が最初についた役職の弼馬瘟って馬の病気除けに猿を載せる事からっていう話を聞いた事ある

184:世界@名無史さん
15/10/22 13:25:10.73 0.net
馬上戦闘は普通にできたっぽい。
アレクサンドロスの一騎討ち
ダレイオス(3世)の娘婿ミトリダテスが戦列から大きく馬を進め、
楔形になった騎兵の一団を率いているのを認めるなり、彼の方もまた
他に先んじて馬をとばしてこれに立ち向かい、真っ向からミトリダテス
の顔に槍の一突きを加えて、一撃の下に彼を地上に突き落とした。
このときロイサケスが馬を駆ってアレクサンドロスに近寄りざま、
手にした偃月刀で彼の頭を激しく斬りつけた。その一撃は彼の兜の
一部を跳ね飛ばしたものの、兜その物は打撃を良く持ちこたえた。
これに対しアレクサンドロスのほうは手にした槍で相手の胸甲を心臓
まで刺し貫いて、この男もまた地上に倒した。しかしその時既に
スピトリダテスが背後からアレクサンドロスに向かって偃月刀を高く
振りかぶっていた。この時一瞬早くスピトリダテスの肩先を薙ぎ払って、
その手にした偃月刀もろとも彼の利き腕を切り落としたのは、ドロピデス
の子クレイトスだった。

185:世界@名無史さん
15/10/22 14:31:09.46 0.net
マケドニア王国は貴族は子どもの頃から乗馬をするのが嗜みらしいが
どの程度の鍛練だったのだろうなあ

186:世界@名無史さん
15/10/22 15:22:48.65 0.net
馬上で生まれ、馬上で死ぬってことよ

187:世界@名無史さん
15/10/22 18:50:30.75 0.net
>>166
魏による蜀侵攻とか知らんキッズなのかな?
曹真と曹爽による蜀侵攻作戦は重大な事件だったんだけども
あと諸葛亮の北伐前に司馬懿による上庸攻略があったりして
国境地帯では結構バッチバチな関係なんやけども

188:世界@名無史さん
15/10/22 19:56:31.93 0.net
曹真の動きは諸葛亮の北伐以後だよ

189:世界@名無史さん
15/10/22 20:14:50.39 0.net
諸葛亮の北伐以後の侵攻は除くとは書いてないね
諸葛亮の北伐までは呉しか相手にしていないとあるけど
あと蜀成立から諸葛亮の北伐ってほんの数年しかないのに
その短期間だけ魏が蜀に攻めかからないのを「魏から攻めることはなかった」と言ってるなら本気でアホ

190:世界@名無史さん
15/10/22 20:17:48.64 0.net
あともう一つ
その短期間の間に蜀に鞍替えした孟達をきっちり攻めてるから
結局魏から攻めることはなかったってのは間違いだね

191:世界@名無史さん
15/10/23 14:05:27.39 0.net
>>186
国内の反乱討伐だろ

192:世界@名無史さん
15/10/23 15:16:27.16 0.net
反乱じゃなくて普通に鞍替え済みだが

193:世界@名無史さん
15/10/23 20:41:47.92 0.net
韓玄の墓が残ってたのは、祟りみたいな現象が起きたからなのか、それとも韓玄が立派な人物だったのか 理由はなんなんだろうな

194:世界@名無史さん
15/10/23 23:16:40.00 0.net
>>188
そんなこと知ったことかよw

195:世界@名無史さん
15/10/23 23:54:54.55 0.net
知らないのに無理に語ろうとするなよ

196:世界@名無史さん
15/10/24 00:31:42.08 0.net



197:>>191 また機知がいじみた返答だな



198:世界@名無史さん
15/10/24 01:15:41.27 0.net
h URLリンク(d.hatena.ne.jp)
韓玄墓記訳

199:世界@名無史さん
15/10/24 21:33:51.37 0.net
荊州の四人組って曹操が新たに任命した太守なの?
元劉表配下だったヤツはなし?

200:世界@名無史さん
15/10/24 22:48:13.26 0.net
不明としか
推測はできるが確定は不可能

201:世界@名無史さん
15/10/24 22:52:47.49 0.net
>>195
金旋だけは曹操が新たに任命したということで間違いないから全員が不明というわけでもない

202:世界@名無史さん
15/10/25 01:22:44.47 0.net
よく考えてみれば、劉表に仕えてた黄忠は曹操が荊州を降伏させたから一時期曹操配下だったのか
何故か黄忠にそんなイメージ無かったな 定軍山で夏侯淵の部隊を破ったとこのインパクトが強いせいだろうか

203:世界@名無史さん
15/10/25 01:25:01.16 0.net
蜀漢組はだいたい演義補正のせい
より強い奴についていく離散集合の繰り返しなんだけど、一度イメージが出来上がると脱却がなかなか難しい

204:世界@名無史さん
15/10/25 10:54:31.68 0.net
関羽より年上で、息子は早死、実際どのくらいの年だったのか

205:世界@名無史さん
15/10/25 11:07:35.82 0.net
あくまでも漢王朝の臣であって曹操配下とは別だろ

206:世界@名無史さん
15/10/25 12:52:53.07 0.net
金旋と言えば光栄のアレでハードモードの代表格だけど
曹操が任命したくらいだから優秀だったんだろうな

207:世界@名無史さん
15/10/25 20:14:14.52 0.net
優秀っつーか正史で少ししか名前出てこない奴でも天才とか呼ばれてたりしたからな
韋康とかもKOEI式三国志では多分低能力だけど前評判は高かった
逆に言うと評判の高さと実際の功績が一致しないのが乱世かもしれん

208:世界@名無史さん
15/10/25 20:58:29.66 0.net
蜀は人材が少なすぎて適材適所ができなかったのが悲しいな 諸葛亮や姜維が評価落としがちなのはそのせいか

209:世界@名無史さん
15/10/25 22:55:47.70 0.net
何かに秀でてても上が適所に任命してくれないで生涯を終えた人も勿論いるんだろう

210:世界@名無史さん
15/10/25 23:26:21.51 0.net
李厳・廖立「せやな」

211:世界@名無史さん
15/10/26 00:39:59.29 0.net
益州一州にそんな過度な期待をされても困ります。

212:世界@名無史さん
15/10/26 23:10:36.48 0.net
公孫サンさんとか群雄の器じゃあないよな 武勇には優れてて戦闘力は高かったけど、知略や外交はダメダメだった

213:世界@名無史さん
15/10/26 23:21:06.78 0.net
駅に着きドアが開くと、蕎麦汁のにおいが流れ込んでくる
たまらなく腹が減る瞬間

214:世界@名無史さん
15/10/27 03:14:03.56 0.net
>>207
有能なブレインが居なかったのが痛かったのかな。あ、でも名士層を軽視してたみたいだし自業自得か
あとその頃対峙してた時の袁紹も君主としてはある意味全盛期だったように思える

215:世界@名無史さん
15/10/28 01:09:35.17 0.net
かの戦が滅茶苦茶強かった項羽だって次第に人心を失って敗死したからな 言うなればスケールを大幅に小さくした項羽みたいなもんだな

216:世界@名無史さん
15/10/28 01:19:44.54 0.net
より遊牧民に近い位置にいたってのも関係してそうな気はする

217:世界@名無史さん
15/10/31 14:28:22.93 0.net
公孫サンで思い出したが、そういや関羽一族以外の関姓の人物って公孫サン配下の関靖くらいしか見たことないな 他なんかいたっけ?

218:世界@名無史さん
15/10/31 14:56:38.28 0.net
関平

219:世界@名無史さん
15/10/31 17:03:13.08 0.net
関平は関羽の実子
関羽は若い頃犯罪を犯して改名したから、そこから関性が生まれたと勝手に思ってたんだけど>>212見てどう�


220:竄辷痰、ようだね まぁ冷静に考えれば改名したとして実在しない苗字を名乗らないか



221:世界@名無史さん
15/11/01 11:02:18.97 0.net
三国志、横山光輝でいえば孔明新野を焼く、辺りからつまんないんだけど
それまでと比べて計略が稚拙に思えたし、最大の決戦と言われる赤壁も
ダラダラ長いし、その後の孫夫人のくだりもグダグダだし
その流れがその後もずっと続いてるっていう感じ

222:世界@名無史さん
15/11/01 11:17:59.62 0.net
ちょっと自分語りするけど、私はねじまがった三国志の接触をしてしまって
横光三国志から入ってそれを中途でやめてしまって、全部読み切らずに
ネットやゲームで三国志に触れ、妙な先入観を持ってしまい
それで遅れてやっと横光を読んだら前述した所からつまらない
で、皆さんに聞きたいんですけど、皆さんは横光でいう孔明新野を焼く以後の
三国志も楽しめましたか?

223:世界@名無史さん
15/11/01 12:07:58.39 0.net
末期でも姜維と鍾会のタッグの反乱未遂、諸葛誕、毌丘倹、文欽の反乱、対呉では陸抗、羊祜、杜預とか結構面白いだろう
赤壁かて魏にとっては地方戦みたいなもんやし仕方ないとは思うがその辺はまだまだ有名な武将も健在やし 面白かったと思うぞ

224:世界@名無史さん
15/11/01 12:46:19.86 0.net
>>216
それ接触がねじまがったとかじゃなくてあんたに合わないってだけじゃないかな

225:世界@名無史さん
15/11/01 13:34:58.32 0.net
横光のは読んだことないや

226:世界@名無史さん
15/11/01 15:54:02.66 0.net
横光三国志は蜀漢が魏に降伏して、姜維とその配下らが剣閣で泣きながら剣を岩に叩きつけて終わりじゃなかった?
鍾会の乱やら、呉滅亡の下りは全て描かれてなかったと記憶してる
まぁかなり前に1度だけ読んだだけだし、ひょっとしたら勘違いで途中までしか読んでなかったのかも

227:世界@名無史さん
15/11/01 19:07:33.91 0.net
姜維ももう蜀が詰み状態でどうしようもなくなって、北伐厨と呼ばれるほど北伐しまくるしかなくなってかわいそうだな
後世では蜀の国力を衰退させた張本人として槍玉に挙げられるし 正直諸葛亮も内政の人なのにオーバーワークすぎると思う

228:世界@名無史さん
15/11/01 20:52:42.79 0.net
諸葛亮一人に張良と蕭何と韓信三人分の役割を求めるのは酷ってもん
北伐も死に方も全部ひっくるめて、三国志に立伝されてる人物の中では姜維が一番好きだよ

229:世界@名無史さん
15/11/01 21:11:50.90 0.net
それが蜀の限界だからしょうがないね

230:世界@名無史さん
15/11/01 21:30:45.48 0.net
蜀が詰み状態とか何を根拠に

231:世界@名無史さん
15/11/01 21:43:21.26 0.net
魏はもとより、呉と比べても結構というかかなり国力に差があるのに、関羽が死んだあたりからは散々だよな 麋芳、士仁、潘濬は呉に降り、孟達は魏に走った
范彊と張達は張飛を殺して呉に走り、夷陵で黄権と龐林が魏に、杜路と劉寧が呉に降る そして馮習、張南、傅彤、馬良、王甫、程畿、沙摩柯など多数が戦死・・・

232:世界@名無史さん
15/11/01 21:43:27.60 0.net
国力が弱いから一度の敗北がとてつもなく大きい。それ故、一度の失敗がその人物の評価を大きく下げたりもする。

233:世界@名無史さん
15/11/01 22:07:22.53 0.net
黄権に与えた鎮南将軍ってのはどういう意味なんだろ
蜀の投降兵をまとめさせてたんだろか

234:世界@名無史さん
15/11/01 22:29:16.18 0.net
馬良が生きていれば馬謖は山に登らなかったかもしれない

235:世界@名無史さん
15/11/01 23:01:34.20 0.net
劉備が北伐してたらどうなったろう?
多分敗走だろうなぁ

236:世界@名無史さん
15/11/01 23:33:50.48 0.net
劉備の北伐を


237:、蜀からの北伐っていう意味なら 背景として荊州の関羽が健在かつ漢中防衛戦後の蜀内のゴタゴタを一掃した後ということになる ので、諸葛孔明の北伐より大規模で情勢が蜀有利ってことになりますな そういう背景がどうやって成立するのかが微妙に想像しにくいけど



238:世界@名無史さん
15/11/02 07:52:23.67 0.net
どういう状況下でかは分からないが、夷陵での敗戦の後に劉備健在でっていうなら結果はそう変わらない気がする
そもそも228年の出兵の僅か6年前に約5万?の兵力と使えそうな人材を失っているのがどう考えても厳しい

239:世界@名無史さん
15/11/02 10:26:26.09 0.net
>>218
じゃあ、あんたは何から三国志に入ったの?私は中原で争ってた所までは楽しめたよ
登場人物達の策略もリアルだったし、でもまあざっくりいえば赤壁前後からかな
つまらなくなったと感じるのは、例えば呉の扱い雑すぎでしょ、前半では孫策をあんなに格好良く描いていたのに
それ以降も色々と雑で、横山先生もあまりやる気が感じられない
あんたは赤壁前後以降の三国志も楽しめた?蒼天航路なら面白く描かれてるのか?

240:世界@名無史さん
15/11/02 10:29:38.78 0.net
>>217
それらはマイナー過ぎだろ、あんた自身も最初からそれらが面白いと思ってた訳じゃないだろ
ネットに触れて色々議論を深めていくうちに発見した面白さだろ

241:世界@名無史さん
15/11/02 11:46:03.12 0.net
劉備が魏攻撃を開始したらやっぱり劉備が陣頭指揮を執るのかねえ
そうしたら街亭の敗戦は無いだろうな

242:世界@名無史さん
15/11/04 18:35:49.69 0.net
逆に劉邦はよく漢に押し込められた状態から勝ったもんだ

243:世界@名無史さん
15/11/04 20:06:49.78 0.net
>>235
項羽が失政と無理の連続だったからな

244:世界@名無史さん
15/11/04 23:06:45.34 0.net
しかし、夏侯覇もよく父を討った蜀に亡命する気になったよな(黄忠の家は既に断絶してたとはいえ)
龐会は親父の龐徳を殺した関羽を恨み続けて蜀降伏後に関羽の一族を皆殺しにしたのに

245:世界@名無史さん
15/11/04 23:20:57.77 0.net
>>235
漢に押し込められた状態は開戦初期だけ
しかも本来劉邦の蓋になるはずの旧秦の三王は分割された上にそれぞれ各個撃破に近い形でやられてる
関中の生産力や防御力を恐れて分割したはいいけど、肝心の漢王がノーマークだったの運の尽き

246:世界@名無史さん
15/11/04 23:49:08.42 0.net
>龐会は親父の龐徳を殺した関羽を恨み続けて蜀降伏後に関羽の一族を皆殺しにしたのに
この信憑性は高くない

247:世界@名無史さん
15/11/05 12:40:32.94 0.net
本来の敵より身近な敵の方が憎くなってしまうのはよくある
内乱で外国の力を借りるとか

248:世界@名無史さん
15/11/05 12:56:32.49 0.net
宦官退治に諸国の将を呼ぶとか

249:世界@名無史さん
15/11/05 13:20:41.47 0.net
諸国つっても一応はみんな帝の配下のはずなんだけどな

250:世界@名無史さん
15/11/05 13:31:20.87 0.net
三国志の原典ばかりではなく三国志の研究書でもたまには読んでみようかと思って
ある本を読んだんだが、面白かったんだが、三国志の時代は壮大な無駄な時代なのではないかと思ってしまってな
科学的貢献のない、現代文明に何の貢献も無い無駄な時代だと思ってしまった
まあそれには数学史の本を併読していたせいもあるだろうが

251:世界@名無史さん
15/11/05 13:55:45.67 0.net
>>243
地図、分類法、連弩、投石器、輸送機、方位計測器、数学解釈、円周率、暦法、詩、文学、筆法、宗教、貴族社会基礎、南朝基礎、
兵法解釈、陣法、医学、薬学、健康体操、剣術理解、酒造法、九品官人法など

252:世界@名無史さん
15/11/05 14:14:31.43


253: 0.net



254:世界@名無史さん
15/11/05 14:34:32.32 0.net
>>244
三国志時代に発明されたものじゃないのもかなり含まれてるぞw
文学笑、宗教笑、筆法笑、九品官人法笑、全て東アジアの片隅でしか受け入れられず
今では忘れられた学問、制度じゃないかw
それ以外の例えば自然科学に関する語を見ても全て西洋起源のものになってるじゃないかw

255:世界@名無史さん
15/11/05 14:40:54.60 0.net
>全て西洋起源
全て今では、ね
まあしかし、三国志の現代への最大の貢献はその人間ドラマにあると言えるかな
人生の指南書と呼べよう、特に興味深いのは劉備の生き方だな
謙虚に謙虚に生きて、最後は一国の皇帝になったこんな人物は中国にしか生まれないだろう

256:世界@名無史さん
15/11/05 14:42:35.58 0.net
>>246
現代文明への貢献は完全な発明しかだめなのか
東アジアに現代文明はないのか
浅学にて知らなかった。申し訳ない

257:世界@名無史さん
15/11/05 14:45:25.15 0.net
あと曹操も文学サロンを、近世ヨーロッパにかなり先駆けて作ったっていうのも凄いことだな
ただ辺境ゆえのガラパゴス的先鋭化とも呼べるかもしれんが
あと文学の質も大して高くないし

258:世界@名無史さん
15/11/05 14:50:32.41 0.net
文学サロン時代は古代ギリシャにもローマにもあるだろ

259:世界@名無史さん
15/11/05 14:52:55.97 0.net
>>248
中国由来の発明が無いといっているだけなのに、なぜ東アジアに現代文明が無いなんて話になるんだw

260:世界@名無史さん
15/11/05 14:57:50.62 0.net
中国の発明品としてよく紙が上がるけどこれは現代でいう和紙だろ
今普及してる紙を作ったのは西洋だろ

261:世界@名無史さん
15/11/05 15:40:40.27 0.net
>>252
ちゃうよ
紙は唐代にタラス河畔の戦いで唐の捕虜から製紙法がイスラム帝国に伝播した
ここから西洋に技術伝播してった
現代で言う「和紙」は明治時代に機械製紙が入ってきた時にこれを「洋紙」と呼び
伝統的な技法と素材で作るものを「和紙」と呼ぶようになっただけで
製法そのものの根本は蔡侯紙から始まってる

262:世界@名無史さん
15/11/05 16:10:11.04 0.net
>>253
そんな事説明してもこの子はわからない気がするの

263:世界@名無史さん
15/11/05 16:57:22.00 0.net
三国志っていう世界でもトップクラスのロマンスを残しただけでもすごくないか?
三国志のおかげで現代の中国への憧憬のようなものも大きく世界に影響してる
日本だって戦国がもたらしたものだけじゃなくて、戦国のロマンがあるから
そこから色んなことを得て成りあがった人もいるだろうし

264:世界@名無史さん
15/11/05 19:17:34.14 0.net
>>254
わからないなら説明してやりゃいいだけさ
砂漠の水撒きでもやらんよりは、ね

265:世界@名無史さん
15/11/05 19:33:58.11 0.net
そして塩害で追い打ちをかけるのか

266:世界@名無史さん
15/11/05 21:27:58.55 0.net
>>252
そうだよ。パルプからの連続。
和紙のパワーアップ版じゃない。

267:世界@名無史さん
15/11/05 23:34:26.74 0.net
結局三国のどこも統一できなくて、晋もすぐ滅びて英雄たちの努力は無駄になり・・・
その後は1700年以上という人類にとっては果てしなく長い年月の間紛争や革命が繰り返される、そんな儚さがいい

268:世界@名無史さん
15/11/06 00:42:59.58 0.net
三国の勝者が魏蜀呉ではなく晋で、更にそれに勝ったのは異民族という虚しさ
水滸伝も宋に最後に勝ったのは異民族の金だしな・・・

269:世界@名無史さん
15/11/06 00:52:14.94 0.net
黄巾の乱の時に援軍で来たり曹操に大敗したりした三国志序盤のチョイ役・於夫羅の孫に晋が滅ぼされるなんて締まらねぇオチだよなぁ・・・

270:世界@名無史さん
15/11/06 03:


271:12:23.00 0.net



272:世界@名無史さん
15/11/07 00:06:49.23 0.net
>>258
ちゃうよ
和紙は和紙で日本で独自発展してるから、古代中国発の紙ともまた別物だよ

273:世界@名無史さん
15/11/07 00:15:51.94 0.net
でも、呉の開発が六朝引いては江南の大発展の基礎になったり、
燕王公孫家の割拠が、五胡六朝の諸燕の基礎になったりするんだぜ
三国以前の歴史的文脈をなぞってたり、以後の歴史的文脈を作ってたりするんだから
そこだけ切り取って虚しい、と言うのはちょっともったいないぜよ

274:世界@名無史さん
15/11/07 00:21:52.84 0.net
>>263
そうだよな日本書紀の記述なんて出鱈目もいいとこだ、あんな偽書は焚書すべきだよな

275:世界@名無史さん
15/11/07 01:34:31.59 0.net
三国志に志があればなかなか興味深い事実が分かっただろうに。

276:世界@名無史さん
15/11/07 01:41:23.08 0.net
後漢書の志が続漢書のように
くっつければよかったのにな

277:世界@名無史さん
15/11/08 09:48:11.12 0.net
呉って土地は肥沃だったんだよな それをもっと活かせばよかったのに

278:世界@名無史さん
15/11/08 12:04:27.94 0.net
呉楚七国の乱でも呉は金持ちだったのにな
塩の専売制でアドバンテージを失ったのだろうか

279:世界@名無史さん
15/11/08 12:41:30.18 0.net
生かしてるから何年も抵抗できたんだろ

280:世界@名無史さん
15/11/08 12:41:50.53 0.net
>>268
土地を活かす→人口が足りない!→人間狩りだ!→台湾に派兵→成果より損害の方が大きかった!

281:世界@名無史さん
15/11/08 22:17:25.59 0.net
しかし、孫堅はかなり最前線に出ているし、孫策も太史慈と直接やり合ったんやろ
よく考えたらアホだよなぁ 仮にも一勢力のトップがやることか しかも結構信憑性もあるし

282:世界@名無史さん
15/11/08 22:33:43.18 0.net
>>272
日本でも陣頭指揮取った武将はたまーにいるよね。
まあ、賢明だとは思わないけどさ、絶無ってほどでも無いんじゃ。

283:世界@名無史さん
15/11/08 22:42:51.65 0.net
孫権はともかく、孫策の頃はまだ最前線に立つくらい出ないと部下が着いてこない気もする

284:世界@名無史さん
15/11/08 22:50:58.48 0.net
というか、鼎立が成立して以降はともかく、三国志の群雄で陣頭指揮を取らなかった人を探す方が難しいような

285:世界@名無史さん
15/11/08 23:05:34.64 0.net
そして孫権は外征しても負けが多い

286:世界@名無史さん
15/11/09 02:08:09.74 0.net
やっぱり乱世の群雄には陣頭指揮を執る積極性のようなものが求められているんだろうな
信長も自分が槍を持って突っ込んだかはともかく前線に出てるし、
秀吉も家康も前線に出てる時期がある

287:世界@名無史さん
15/11/09 02:20:07.15 0.net
同時期のローマ帝国って最前線で将軍が戦いながら指示出すとか結構普通だったんだけどな

288:世界@名無史さん
15/11/09 06:52:42.39 0.net
前線といえば曹操は何度も死にかけてるし劉備もそうだね
曹操は徐栄と戦った時、劉備は挙兵直後に死んだふりして助かってたはず

289:世界@名無史さん
15/11/09 06:53:31.18 0.net
それでも生き続けてるのが英雄なのかも

290:世界@名無史さん
15/11/09 18:02:17.58 0.net
街亭の戦いで馬謖を指揮官に起用したのって、ただ単にお気に入りだからと言うだけじゃなくて、魏延と呉懿を警戒していたから、というのもあるのだろうか

魏延→反骨の相がある、調子に乗らせると反乱起こすかも
呉懿→人徳が厚い上に皇帝の外戚。下手をすれば自分と取って変わられるかも知れない。仮に本人にその気がなくても他の奴が御輿に担ぐかも
かといって他の奴では力不足だし、文字の読み書きもできない奴もいるし、兵糧の輸送忘れる奴もいるし
そこで未来のホープとして目をつけていた馬謖に実績を持たせるためにも・・・と考えた可能性もあるよね。そこが自分自身の生涯で唯一にして最大の


291:ミスになったんだけど



292:世界@名無史さん
15/11/09 19:46:44.09 0.net
当時の中国人は反骨の相がある・・・で納得したのかもしれないけど
現代人(日本人?)はそうではないから魏延善玉論なんてのが出てくる
しかし軍事の決裁を決める権限がある自分の案に真っ向から反対して
普段の行動でもきっと知略の人間をバカにしたり、最前線での功が無い人を罵ったりしていたんだろう
そういう人間に対して大役を与えないのは普通のことだし、
その結果軍政部の意思に背くことになるのも普通のことだろうな

293:世界@名無史さん
15/11/09 20:38:25.33 0.net
いや参軍や副将が別の案を提案するのは当然の話だけど

294:世界@名無史さん
15/11/09 21:22:24.15 0.net
魏延と諸葛孔明不仲説は有名だけど
なんだかんだで行動に移したのは諸葛亮死後で、追い詰められた末なんだから
言われてるほど仲は悪くなかった可能性があるな
同じようなことは、李源にも言えるけど

295:世界@名無史さん
15/11/09 21:37:54.49 0.net
つーか諸葛亮生前に丞相前軍師やってんのに不仲な理由がないんだが

296:世界@名無史さん
15/11/10 00:40:25.77 0.net
結果から逆算して残念扱い。二次史料によくある事です

297:世界@名無史さん
15/11/10 01:08:54.81 0.net
曹操って中原取って天子を擁立したけど
中央に居るぶん四方に敵が多すぎるわ、袁紹と戦ったら裏切られまくるわ、動員兵力も余裕で負けるわであんまり戦略的には上手くないよね
信長と比べると信長のほうがうまくやってる

298:世界@名無史さん
15/11/10 02:11:38.85 0.net
大抵は劉備の能力は曹操よりかなり低く見られるが、曹操自身は劉備のことをかなり高く評価してたよな
曹操から見て劉備のどういうところが魅力的に見えたんだろか

299:世界@名無史さん
15/11/10 02:27:38.17 0.net
献帝のお気に入りで左将軍だから粗末な扱いは出来なかった・・・というのは冗談として劉備には何か人を惹きつける魅力があったんだと思う
挙兵時にいきなり援助受けたり、徐州を譲り受けたり、曹操が殺すのを躊躇ったり、何度打ち破られても人が必ず集まって最後には大きくなったり
カリスマ性か?

300:世界@名無史さん
15/11/10 02:41:51.76 0.net
自分に無いものを持ってる奴って魅かれるじゃん

301:世界@名無史さん
15/11/10 13:21:47.52 0.net
>>289
なにもしなくてもやたら人に好かれるとか劉邦みたいだな

302:世界@名無史さん
15/11/10 15:54:06.32 0.net
まぁ演義の劉備はもろに劉邦を意識して書かれてるし。主に無能っぽいところが
阿斗を投げ捨てるシーンは、劉邦が馬車から子供を突き落とす話のオマージュっていうのはよく言われる話だよね

303:世界@名無史さん
15/11/10 19:48:51.25 0.net
でも曹操と項羽じゃタイプが違うっていうかスペックがry

304:世界@名無史さん
15/11/10 20:17:33.35 0.net
劉邦は独力で乱世切り開いてるし秦落としてるしかなり有能だろ
そうじゃないイメージはついてるけど

305:世界@名無史さん
15/11/10 20:30:33.74 0.net
劉備も無能には書かれてないと思うけどなぁ
曹操陸遜には及ばないんだけど

306:世界@名無史さん
15/11/10 23:25:26.16 0.net
劉備は無能、諸葛亮は政治家で戦争下手
この辺りは横山の次の三国志に触れた連中が患う中二病のようなものだな

307:世界@名無史さん
15/11/10 23:56:37.73 0.net
劉備は兎も角、諸葛亮が政治家で戦下手だなんて正史囓らないと出てこない意見だけどな。
演義だと紛れもなく完璧超人だし。

308:世界@名無史さん
15/11/11 05:12:20.14 0.net
だから次のステップなんだろ、そこから先に進めずに終わってしまうのも多いが

309:世界@名無史さん
15/11/11 07:54:31.83 0.net
話が噛み合ってないな

310:世界@名無史さん
15/11/11 07:57:47.99 0.net
元は>>292の演義での劉備は無能に見えるって話だ

311:世界@名無史さん
15/11/11 08:41:53.83 0.net
>>297
ネット界隈で普及してる嘘なんだから


312:、わざわざ正史を読まなくても無双厨でも知ってる話だ 断片の一部だけから導き出された結論を鵜呑みにするのがまあなんていうのか若い ネットで真実みたいな



313:世界@名無史さん
15/11/11 17:41:01.69 0.net
というか件の陳寿の諸葛亮評の一節のみが独り歩きし過ぎてしまった印象かな
自分で検証せずにあそこだけを額面通りに受け止めてたり

314:世界@名無史さん
15/11/12 18:06:48.80 0.net
顧雍の孫の顧栄が羽扇使ってたけど、もしかして後世のイメージで諸葛亮が持ってる羽扇は顧栄をパクったんじゃ・・・んなわけないか

315:世界@名無史さん
15/11/12 18:15:09.22 0.net
いや待てよ・・・最初は周瑜が後世の軍師スタイルの格好してることになってたんだったか・・・まあ、どっちでもいいや

316:世界@名無史さん
15/11/13 06:46:36.04 0.net
諸葛亮って蜀では人一番大局を睨んで行動していたイメージがあるんだけどどうだろう?国家同士での戦略を考える一環で抜群の政治能力を発揮していたというか
ついでに法正は蜀科作成の一員にいるから政治的能力もあったんだろうけど主に軍略家で、軍略もこなせるけど主に内政面で活躍する諸葛亮とは得意分野が違うというか
諸葛亮は正にオールラウンダーだって思うけどやはりこの二人が必要不可欠で、劉備にとって法正の死って関羽・張飛のそれより大きかったんじゃないかと思えてきた

317:世界@名無史さん
15/11/13 07:50:13.83 0.net
「思えてきた」で理論の裏づけもなく自分の思い込みを吐露する人は
違うって言っても聞かないし同意以外の意見受け付けないのに
どうだろうとか他人に意見求める真似されても白々しいとしか

318:世界@名無史さん
15/11/13 08:52:43.53 0.net
まあ学問的な厳密さだけじゃなく
小説的な想像の魅力も許してあげな

319:世界@名無史さん
15/11/13 14:24:00.16 0.net
>>306
うわ・・・心理学()か何かの話?
こちらはつい最近ようやくちくま文庫の三国志を手に入れて勉強中の身だから、よりこの時代に精通してる人に教えを請いたいというスタンスなんだけど
何しろこれまで法正がそれ程頭の切れる人物だということも知らなかったし、それどころか蜀陣営にすら大して興味なかったからね

320:世界@名無史さん
15/11/13 21:29:04.70 0.net
>>308
蜀の話するなら、何を置いてもまず劉備が一番出来る人だよ
細かい実務はさておきね

321:世界@名無史さん
15/11/13 21:35:26.88 0.net
郡の役人だった徐晃はどういう経緯で賊上がりの楊奉の配下になったのだろうか
賈詡みたいに董卓の配下だった時期があった、とかなら分かるけどそういうわけでもなさそうだし

322:世界@名無史さん
15/11/13 21:49:13.97 0.net
出身地が楊奉の勢力圏だから普通にコネあったんでしょ

323:世界@名無史さん
15/11/14 16:10:51.19 0.net
張曼成とか上官子脩って字なんかね?他に曼成とか子脩という字を名乗ってる人がいれば可能性高そうだが

324:世界@名無史さん
15/11/14 16:46:48.90 0.net
曹昂の字が子脩だな

325:世界@名無史さん
15/11/14 16:47:42.60 0.net
李典の字は曼成

326:世界@名無史さん
15/11/15 01:10:38.60 0.net
>>297
別に正史でも戦下手と評されたわけではないけどな。

327:世界@名無史さん
15/11/15 01:47:05.28 0.net
一番の敗北は、曹操から裏切ったあとに速攻で追討されたことだろうけど
それ以外は割と上手くやってるな

328:世界@名無史さん
15/11/15 11:08:27.22 0.net
馬平は羌族の女を娶って馬騰が誕生したけど、そんなにホイホイ異民族と子供作っちゃっていいのか

329:世界@名無史さん
15/11/15 12:08:56.25 0.net
貧しくて漢族の女性を娶れなかったから仕方なく…って感じじゃなかったっけ
礼記等を読むに儒教の婚儀(昏)は儀


330:式的で金も掛かりそうだし無職じゃキツイと思う それに扶風(馬氏の本籍地)・隴西(馬騰の出身地)・天水(馬援の元職場)の羌族は馬援によって移住させられたわけだから 地元民かつ馬援の子孫を名乗る馬平にはあまり抵抗はなかったんじゃないかな



331:世界@名無史さん
15/11/15 12:10:52.86 0.net
ごめん3行目の天水は馬援じゃなくて馬平の元職場

332:世界@名無史さん
15/11/15 13:20:16.00 0.net
光武帝「俺をお探し?」

333:世界@名無史さん
15/11/15 13:44:14.89 0.net
異民族でもかわいけりゃよい

334:世界@名無史さん
15/11/15 14:21:14.81 0.net
春秋の頃から異民族から嫁もらってたろ
つか、同姓同士の結婚はタブーじゃ選択肢少なすぎるよなぁ

335:世界@名無史さん
15/11/16 13:52:01.86 0.net
六朝の定義って「呉」「東晋」じゃなくて普通に「魏晋宋斉梁陳」でよくね?
北方洛陽にいた96年間を無視するなよ、あと呉が何残したっていうんだ
夏殷周三代、秦漢六朝三代、隋唐宋三代、元明清三代

336:世界@名無史さん
15/11/17 20:35:55.80 0.net
劉璋は陳寿から「英雄としての才に乏しい」と評されるような人物だけど、王累や張任みたいな忠臣がいたのは何故だろうか・・・

337:世界@名無史さん
15/11/17 21:42:38.61 0.net
才能乏しくても魅力はあったんだろ
あと陳寿は劉備持ち上げてるから貶められてる可能性はあるよ

338:世界@名無史さん
15/11/17 22:37:05.56 0.net
劉焉の劉禅みたいな感じだな

339:世界@名無史さん
15/11/17 23:26:48.08 0.net
平和な時代なら良い領主ってタイプだったんじゃないか?

340:世界@名無史さん
15/11/18 01:07:50.38 0.net
策謀家だけど、自分で兵率いてドンパチやるタイプじゃないしな

341:世界@名無史さん
15/11/18 01:30:05.11 0.net
>>328
孫権に命じられた益州牧として荊州に置かれたりしてるから
いざって時は攻め込むのに同行はしていそう

342:世界@名無史さん
15/11/18 09:48:07.86 0.net
>>325
演義も駄目~、正史も駄目~、じゃあお前らは何で満足するんだ?
蒼天航路笑、漫画笑、から入った自称正統派の三国志オタクさん

343:世界@名無史さん
15/11/18 09:54:01.59 0.net
演義って読んだことないんだけど、曹操ってそんなに悪し様に描かれてるの?
董卓討伐の檄文を布告させたのを曹操にしたり、それなりに格好良く描かれてるんじゃないの?
ガンダムにおけるシャアみたいな存在じゃないの?
横山と正史しか読んでない自分はそう思うんだけど

344:世界@名無史さん
15/11/18 14:03:09.96 0.net
劉璋に関しては劉焉の息子ってので辛いのかも

345:世界@名無史さん
15/11/18 20:10:42.46 0.net
>>330
駄目って、おいおい
史料なんて常に批判するもんだろ
陳寿の場合、筆を曲げることはあんまないが
書かない自由と春秋の筆法を最大限に行使するからな

346:世界@名無史さん
15/11/18 23:26:43.25 0.net
ちくま訳の三国志解説文で
司馬昭が専権してる時代に龍の瑞兆が盛んに記されてるのは陳寿の皮肉だ的な解釈がされてたけど
それが正しいなら陳寿が捏造したことにならね?
中国において瑞兆なんて政府がきっちりと記録しているものだろ

347:世界@名無史さん
15/11/18 23:38:13.98 0.net
皮肉じゃなくて普通に司馬氏への王朝交代を予言したものとして書いただけだと思うがな

348:世界@名無史さん
15/11/19 08:23:15.36 0.net
誰か331に答えて、あと梅の話も演義が作ったんだよね?

349:世界@名無史さん
15/11/19 12:28:37.26 0.net
読んだ事無いなら読みましょう
以上

350:世界@名無史さん
15/11/19 20:01:05.71 0.net
華雄とかええ名前やな


351: 紀霊はなんかきれいそう 顔良はイケメンそう いずれも演義で猛将ということにされるのも納得の名前だ まあ、正史の華雄は孫堅の部隊に敗北して戦死、紀霊は呂布の仲裁で撤退しただけ、顔良はあっさり関羽に討たれるとかなり残念な武将だが・・・



352:世界@名無史さん
15/11/19 20:06:41.23 0.net
本当は葉雄っていう説もある
葉姓なら葉公龍を好むで有名な沈子高の子孫なんかね

353:世界@名無史さん
15/11/20 15:48:42.87 0.net
顔良・文醜コンビはもはや狙ってるのかってレベルだな

354:世界@名無史さん
15/11/22 12:38:38.31 0.net
曹操暗殺計画に加担した王子服、韓遂が担ぎ上げた王国、郭馬と共に反乱起こした王族とか最初「なんやこいつ!人名なのか!?」ってなったわ

355:世界@名無史さん
15/11/22 19:41:39.46 0.net
時代が違うが皇太子っていう姓名の人間もいたからな

356:世界@名無史さん
15/11/25 11:41:48.24 0.net
>>337
そうやって逃げるってことはやっぱり図星なんだ(笑)

357:世界@名無史さん
15/11/25 19:04:27.55 0.net
何が図星なんだ?

358:世界@名無史さん
15/11/29 16:02:39.69 0.net
姓名が図星とか

359:世界@名無史さん
15/11/30 11:15:50.28 0.net
区星と間違えたのかも

360:世界@名無史さん
15/12/01 00:30:35.54 0.net
つまんね

361:世界@名無史さん
15/12/01 16:29:05.57 0.net
すんません、三国志でガチゲイだった人はいますか?そんなことは書かれていませんか?

362:世界@名無史さん
15/12/01 23:03:19.09 0.net
>>348
正史でガチゲイは思い当たらないな
藝文類聚、太平御覽、情史類略だと
曹操と孔桂、曹叡と曹肇がガチ扱いされてる

363:世界@名無史さん
15/12/02 01:42:04.35 0.net
鍾会は独身だったのか否か

364:世界@名無史さん
15/12/02 22:47:34.14 0.net
孫郎と周郎はネタにされてたハズ

365:世界@名無史さん
15/12/03 14:09:29.90 0.net
断金と断袖を間違えてね?

366:世界@名無史さん
15/12/03 15:51:25.67 0.net
正史ベースで面白い三国志ゲーないかな、無双じゃなくて

367:世界@名無史さん
15/12/03 18:27:26.06 0.net
て、天舞スピリッツ…

368:世界@名無史さん
15/12/03 20:05:51.09 0.net
正史ベースかどうかはどうやって判断するの?

369:世界@名無史さん
15/12/03 20:07:00.26 0.net
言い換えるなら光栄の三国志は正史ベースじゃない?
違うならどの点が?

370:世界@名無史さん
15/12/03 20:15:56.35 0.net
劉備が蜀から遼東までスカウトに行ってすぐ帰ってきてたなぁ

371:世界@名無史さん
15/12/03 20:57:40.18 0.net
つまり演義とか正史以外のものでは蜀遼東間がひと月だって記載があると?

372:世界@名無史さん
15/12/03 23:03:36.04 0.net
TGLが昔正史ベースのやつ出してたような

373:世界@名無史さん
15/12/05 09:39:30.87 0.net
>>338で思い出したが、そういや顔良って結構有名な顔姓の人と同族説あったよね 誰だっけ・・・

374:世界@名無史さん
15/12/05 11:04:51.50 0.net
漢有大司農顏異,濟南人。顏駟,江都人。後漢顏良,為袁紹將,臨沂人

375:世界@名無史さん
15/12/06 14:37:22.60 0.net
扶風馬氏って系譜残ってないの?
馬平から前が遡れないのはモヤモヤする。

376:世界@名無史さん
15/12/06 16:15:46.61 0.net
>>356
一騎打ちとか?

377:世界@名無史さん
15/12/06 16:57:52.97 0.net
馬融や馬日磾の系図ははっきりしてるけど馬騰の方は分からない

378:世界@名無史さん
15/12/06 17:26:26.85 0.net
正史やその他史書だと一騎打ちの回数は非常に少ないだけにロマンあるよな

379:世界@名無史さん
15/12/09 22:00:53.09 0.net
孫堅と孫権は読み方が同じで紛らわしいという声をよく聞くけど袁紹と袁尚だとそんな声を聞いたことないな、何故だ

380:世界@名無史さん
15/12/09 22:37:13.35 0.net
袁尚がマイナーだから
少し考えれば分かりそうなもんだけどな

381:世界@名無史さん
15/12/09 22:44:48.37 0.net
読みどころか、赤の他人なのに字まで全く同じな劉岱とかいう人もいたな

382:世界@名無史さん
15/12/09 23:21:41.11 0.net
李豊も3人くらいいたよな

383:世界@名無史さん
15/12/10 05:50:55.56 0.net
馬忠


384:



385:世界@名無史さん
15/12/11 13:53:11.58 0.net
張角「張梁、頼んだぞ」
張遼「はい」
張良「はい」
張角「誰やお前ら」

386:世界@名無史さん
15/12/11 23:26:21.08 0.net
張角かっこいいよな
蒼天死んだとか
Gボーイズ立つべしとか
あいつ悪だぜ

387:世界@名無史さん
15/12/11 23:46:13.10 0.net
黄色いもの身に着けてブクロに集合な

388:世界@名無史さん
15/12/12 00:37:53.93 0.net
おおっ ケイ道栄を捕えたか

389:世界@名無史さん
15/12/12 01:30:16.54 0.net
斬れっ

390:世界@名無史さん
15/12/12 11:43:38.12 0.net
ジャーンジャーンジャーン

391:世界@名無史さん
15/12/12 17:23:53.14 0.net
近代にも舩坂弘みたいなとんでもない人間がいたから大昔の人物のトンデモエピソードも案外本当にあったんじゃないかと思えてきた

392:世界@名無史さん
15/12/15 02:48:45.67 0.net
蜀の北伐に従軍した前将軍・都亭侯の袁綝は陳郡袁氏とも汝南袁氏とも関係ないよね多分 この時代にどちらでもない袁氏は結構珍しい、かな?

393:世界@名無史さん
15/12/15 07:16:59.70 0.net
陳も汝南も豫州なんだから州牧の劉備に従ってきていたとしても不思議はない

394:世界@名無史さん
15/12/15 22:58:10.72 0.net
アサド・反政府軍・ISの三国志はどう?

395:世界@名無史さん
15/12/15 23:01:48.16 0.net
つまり誰も生き残れない上に後に大混乱に陥ると
WWIIIかね

396:世界@名無史さん
15/12/22 10:02:19.91 0.net
もし田豫や陳羣がずっと劉備に従っていたらどうなっていただろうか

397:世界@名無史さん
15/12/24 01:01:37.13 0.net
天下取ってたやろ
カリスマなめちゃいけねえよ

398:世界@名無史さん
15/12/30 22:05:06.46 0.net
蘇飛は甘寧に命助けられた後はどうしたんだろ 呉に仕えたとかは特に書かれてないけど、流れ的には呉の将になりそうなもんだけど
でも関羽と共に楽進と戦った蘇非と同一人物説あるしよう分からん

399:世界@名無史さん
16/01/01 02:51:21.34 0.net
劉備元年です以上

400:世界@名無史さん
16/01/01 05:18:46.38 0.net
今年で曹操が魏王になってちょうど1800年ですね

401:世界@名無史さん
16/01/05 00:28:38.87 0.net
袁術でも語ろうぜ

402:世界@名無史さん
16/01/05 11:19:19.46 0.net
袁術に軍師たるべき人間はいたのか

403:世界@名無史さん
16/01/06 11:58:54.39 0.net
半ば捨て駒にされた李豊・楽就・梁綱のトリオはかわいそうだと思う

404:世界@名無史さん
16/01/10 22:40:46.05 0.net
>>356
光栄三国時は朱然の没年は演義準拠じゃないか?
初代は吉川三国志のオリキャラが出てる
それ以降は演義ベースで、正史のみ登場の武将が増えたり減ったりしてる

405:世界@名無史さん
16/01/10 22:47:56.77 0.net
323 :世界@名無史さん:2015/11/16(月) 13:52:01.86 0
六朝の定義って「呉」「東晋」じゃなくて普通に「魏晋宋斉梁陳」でよくね?
北方洛陽にいた96年間を無視するなよ、あと呉が何残したっていうんだ

建業の都城化、現在の南京
山越の取り込み(晋の時代に山越の記述なし)
これだけでも凄いことじゃね?

406:世界@名無史さん
16/01/10 23:01:44.89 0.net
文化継承の観点から論ずるか、江南開発という業績から判断するかの違いじゃね
実際、六朝文化と六朝時代のそれぞれの単語が指す具体的な王朝は微妙にずれてるし

407:世界@名無史さん
16/01/11 18:48:06.06 0.net
戦略的に見て蜀から見ると上庸はかなり重要な拠点じゃないですか?
あそこを取られたら中原に出る道を失うだけでは

408:世界@名無史さん
16/01/11 20:58:09.92 0.net
>>378
許靖に同行して放浪していた袁沛って人物がいる
たぶん汝南袁氏だと思うけど、その縁者じゃなかろうか

409:世界@名無史さん
16/01/11 23:48:04.74 0.net
>>394
「袁沛」ってたぶん沛相袁忠のことだぞ

410:世界@名無史さん
16/01/12 05:42:18.30 0.net
Wikipediaの朱褒のページ見てて気付いたが「馬忠は正式に牂牁太守に任命された。」って書いてあるが、朱褒が正式に太守になったはずじゃ?


411:あれ?



412:世界@名無史さん
16/01/18 22:02:50.46 0.net
蜀の人達もまさか劉淵とかいう於夫羅の孫の異民族に後継者名乗られるとは思わんかっただろうな

413:世界@名無史さん
16/01/18 22:08:30.81 0.net
楊震「ワシも自称子孫が天下統一するとは思わなかった」
李信「俺の自称子孫が東アジア最強になるとは思わなかった」

414:世界@名無史さん
16/01/19 18:57:25.17 0.net
完顔阿骨打「最近、愛新覚羅弩爾哈奇って名前の辮髪つけたオッサンがワイの後継者を名乗って暴れてるんやけど」

415:世界@名無史さん
16/01/27 13:32:38.83 0.net
しかし・・・春秋戦国時代とかもそうだが三国志は教科書じゃほんとわずかしか触れられないな 出るとしたら陳羣、良くても張角くらいか
出てくる武将も他の中国史の時代と比べたら能力的に地味といえば地味だし・・・でも五胡十六国は覚えないといけないのはなんか理不尽だ
他の時代に比べて三国時代が優れたとこというか、後世に残したような影響はあんのかねぇ 羅貫中が物語にしたから流行った感あるし・・・

416:世界@名無史さん
16/01/29 16:35:39.82 0.net
共通一次最後の現役受験生だった団塊Jrの俺の教科書だと、曹操劉備孫権と、張角、周瑜に陳羣が載ってたな
陳羣は陳群で載ってたw
今の教科書も大差ないのか。

417:世界@名無史さん
16/02/03 05:07:47.45 0.net
因みに陳羣は何して載ってたの?
周瑜張角は想像つくけど

418:世界@名無史さん
16/02/03 05:37:02.36 0.net
>>402
九品官人法でしょ
世界史的には周瑜なんかよりもよっぽど重要じゃね?

419:世界@名無史さん
16/02/03 14:27:46.59 0.net
当代の歴史を作った人物と後から見て後世に影響を与えた人物って違うからなあ

420:世界@名無史さん
16/02/03 20:30:21.55 0.net
三国鼎立を作った一人の周瑜も重要だろ
九品官人法は全然重要ではない

421:世界@名無史さん
16/02/03 20:53:08.39 0.net
>>405のレスを見て、ここが世界史板かどうか本気で確認した
その後の中国史の展開を考えれば、九品官人法の方が影響大きいじゃん

422:世界@名無史さん
16/02/03 21:19:54.45 0.net
401だけど、陳羣はご指摘の通り、九品官人法ででてた。
尤も、当時は九品中世法だったけどね。
周瑜は赤壁で三国鼎立のきっかけを作った人物として。
曹操劉備孫権も、それぞれの国の基礎をつくった人物として、まとめて1行程度。
ページ半分もないぐらいだったよ、三国志だけで。

423:世界@名無史さん
16/02/03 23:13:52.47 0.net
三国鼎立状態が後の中華の歴史に与えた影響ってなによ
三国志・演義の精神性とか武士道のようなものが与えた影響は大きいけどさ

424:世界@名無史さん
16/02/04 01:07:09.07 0.net
センター試験過去問の漢文の問題だと華歆と王朗が載ってたって誰かが言ってたな 何で載ってたんだろ

425:世界@名無史さん
16/02/04 07:10:07.76 0.net
世説新語かな

426:世界@名無史さん
16/02/04 10:31:34.24 0.net
江南の栄え

427:世界@名無史さん
16/02/04 10:35:52.82 0.net
禅譲システムが定式化したね

428:世界@名無史さん
16/02/04 12:19:24.00 0.net
孔融の子どもの頃の
「神童と呼ばれた子でも成長すればつまらない人間になる」
「ではあなたは子どもの頃よほど優れていたのですね」
って返した逸話がセンター試験かセンターの予測問題で使われたのは知ってるなあ
むしろそれが三国時代の孔融の逸話だったって知ったのがずっと後だった

429:世界@名無史さん
16/02/05 19:33:09.53 0.net
>>408
>>411が一番簡単な答えだろうなぁ・・・
個人的には権力を支える生産基盤(主に食料)の軸が、
北(黄河流域)から南(長江流域)に移るきっかけを作った、
と、思う。コレ(食料生産軸)は今に至るも変わってない。
ww.jaicaf.or.jp/n


430:ews/lecture_6_2007-3.pdf 晋代になって南方大量入植が本格化したのだけれども、 曹操はそう志向してたのではないかとも思っている。 失敗したけどね。



431:世界@名無史さん
16/02/05 22:36:10.82 0.net
>>414
曹操はギョウに国の中軸を置き、洛陽を整備してるし
一貫して北方への備えを整備してるし南方よりは北方の鮮卑とか見てると思うけどな
袁氏の故地だからってことで国の中軸に据えるって考え方もあるけどそれも南方見てるということにはならんし

432:世界@名無史さん
16/02/05 22:54:42.06 0.net
>>414
曹操が長江流域への入植を志向って言いたいのか?
どっからそんな妄想が出てきたか教えてくれ

433:世界@名無史さん
16/02/05 22:59:45.50 0.net
ちゅーか、江南開発なんて前漢末期にすでに始まってるやん
時代の潮流的に三国分立なくても遅かれ早かれ開発されるだろ
六朝の発展で、多分に加速しただろうけどさ

434:世界@名無史さん
16/02/05 23:44:54.86 0.net
>>417
前漢末からの開発地域は荊南に集中してるから
歴史上の江南の発展とは大分違ったもんになったろうけどな

435:世界@名無史さん
16/02/06 03:51:11.28 0.net
>>415-416
そうか…そんなにおかしいのか…
学研の歴史群像シリーズ三国志上巻、多分持ってるという前提で言うと(携帯・デジカメ持ってないのでごめん)
67ページに屯田(軍屯・民屯)の配置図があるんだ。
幽州に一、冀州に五、それ以外は司隷・予州・揚州が大半。
戦争に備えて軍屯を置くなら幽州・并州・雍州にもっとあって良い
将来的により南方に重点を置くという戦略だと俺は思う。
(こっからは妄想)そして、三つの要因に依る、
中原並びに中原北方(華北)での大規模人口を支えることが不可能になった可能性がある。
一、地球寒冷化に伴う、当時の漢人の主食である畜肉。
  その肥育の困難化(多分、収穫倍率の高い米を鳥・豚・馬の肥育に使っていたと予想)
二、青銅→鉄では滅ばなかった中原は焼物(陶磁器)の加速的拡大で森林資源を失い、
 それに伴う土壌の保水能力の枯渇に依る水害多発(洪水・旱魃に依る塩分表出・津波大潮)、
 同時に水害に依る土壌流出並びに土壌塩化で本来豊穣であった黄河流域は焼畑(移動)農業化
 2chソースでスマナイ shokasen.blog122.fc2.com%2Fblog-entry-175.html (中のレスを書いたのは俺じゃないよ)
三、行政に依る肌理細やかな管理が必要にも関わらず、後漢帝室は茶碗の中の争いに忙しく之を放置
 帝国臣民は限界を超え黄巾の乱におよぶ
 URLリンク(www.dotup.org) (145-184年までの人口試算)
 以上の内容はある程度、曹操は把握していたと予想(ある人物に依って)。
 だからこそ、中原並びに中原北方軸を諦め中原軸を南方へ移動することは規定の事。
だったと妄想で良いやもうww

436:世界@名無史さん
16/02/06 03:57:15.10 0.net
×shokasen.blog122.fc2.com%2Fblog-entry-175.html
○shokasen.blog122.fc2.com/blog-entry-175.html
度々スレ汚しすいません…

437:世界@名無史さん
16/02/06 06:09:06.53 0.net
胡車児って変わった名前だけど異民族なんかね 特に


438:そういう記述は無いけど



439:世界@名無史さん
16/02/06 08:22:59.00 0.net
>>419
曹操の屯田は基本流民対策なんだから戦争に備えてって前提がまず有効じゃない

440:世界@名無史さん
16/02/06 15:26:17.62 0.net
>>419
屯田は「民衆が逃散した土地に人を送り込んで復興させる」政策だから
司隷、豫州は黄巾の乱で荒廃が酷い土地だし
揚州は曹操が農政しくじって呉との国境地帯にいた農民に盛大に呉に逃げられてるって記事がある
屯田の数はその地域を重視して攻め込む準備をしているかかどうかではなく
その地域の荒廃度をある程度表す指標として見た方がいいと思われ
あと引用元の青銅器ガーってのはちょっとね
シナは青銅器の質がいいからかなり後代まで青銅器は作られてるけど
戦国時代には鉄の鋳造が開始されてるから青銅器が戦国時代以降減るのは当たり前なんだわ
さらに漢代には燃料を浪費に近い量ぶちこむ事で高炉を発明してしまったがために
木材の消費はむしろ秦より漢からヤバくなる

441:世界@名無史さん
16/02/06 17:06:42.04 0.net
>>421
胡姓自体は異民族と関係ないし
「車児」ってのは山賊とかが名乗ってるようなDQNネームの類な気がする

442:世界@名無史さん
16/02/06 17:30:15.36 0.net
三国期って人間より土地の方が余ってたんかなあ

443:世界@名無史さん
16/02/06 17:35:43.88 0.net
賊とかが自分で付けてるDQNネームって改めて見ると直球だったりすごいネーミングセンスだよな
黒山・黄龍・白波・左校・縁城・羅市・平漢・大計・司隷・掾哉・雷公
浮雲・飛燕・白雀・楊鳳・于毒・五鹿・白繞・畦固・苦蝤・劉石
郭大賢・于羝根・青牛角・張白騎・李大目・左髭丈八
劉石だけなんかやけに普通な名前だけどこれもDQNネームか?

444:世界@名無史さん
16/02/06 17:36:23.00 0.net
水滸伝っぽいネーミングセンス

445:世界@名無史さん
16/02/06 20:24:58.57 0.net
梁山泊自体がDQNの集まりやから

446:世界@名無史さん
16/02/06 22:53:12.13 0.net
>>415
ギョウとか洛陽ってのは北方への備えでもないだろう
魏にとっての最大の敵は蜀と呉
洛陽より南じゃ戦線に近すぎるわ

447:世界@名無史さん
16/02/07 04:31:33.67 0.net
>>429
後漢末の動乱開始時点で北方系の侵入で并州のかなりの範囲とかヤバくなってるし
并州とつながってる幽州も代郡辺りは完全にアウト
この辺の土地は曹操の時代でも全然改善されてなくて、ギョウって北の最前線の一歩内側くらいの場所なんだわ

448:世界@名無史さん
16/02/07 09:47:33.67 0.net
むしろ曹操の時代って北方異民族の掌握が上手くいってたように思うが

449:世界@名無史さん
16/02/07 14:11:17.54 0.net
たしかに并州を大規模に放棄してるけど、
軍人を屯田させたことと、流民を屯田させたことをごっちゃにするのはよくないと思う

450:世界@名無史さん
16/02/07 15:51:27.22 0.net
>>419
まぁまぁ面白いと思う。珍説だけど。
ところでこれ何?
>> URLリンク(www.dotup.org) (145-184年までの人口試算)
多分146年本初元年で4756万人てことは、183年光和六年で700万人割ってるってことだよな。
>>423あと引用元の青銅器ガーってのはちょっとね
全部読んだけど言ってることあんまり変わんないじゃ?
419は戦争の為の屯田とは限らんと書いてるように見える俺は異常者?
>>戦争に備えて軍屯を置くなら幽州・并州・雍州にもっとあって良い

451:世界@名無史さん
16/02/08 05:49:30.61 0.net
異民族たちのネーミングセンスもよく分からん 後漢〜三国時代の三文字の人物だけ集めても結構いるな・・・どういう基準で命名してるのやら
丘力居、蘇僕延、無臣


452:氐、普富盧、寇婁敦(烏桓) 歩度根、軻比能、成律帰、扶羅韓、泄帰泥(鮮卑) 於夫羅、呼廚泉(匈奴) 治無載、蛾遮塞(羌)



453:世界@名無史さん
16/02/08 10:19:07.37 0.net
異民族系はそいつらの言語でも名前に漢字を当てているだけじゃないの?
さらにそれを日本読みするからなおおかしくなるという

454:世界@名無史さん
16/02/10 18:28:08.10 0.net
難升米・都市牛利「せやな」

455:世界@名無史さん
16/02/11 02:01:27.34 0.net
>>433
全然意味が違う
青銅器が減る理由が青銅器を
鉄器の生産にシフトしてくから青銅器を「作らなくなってった」という話と
青銅器作る燃料が足りなくなったし鋳型にする砂も無くなってったので「作れなくなった」という話を混同しないで

456:世界@名無史さん
16/02/11 14:19:36.64 0.net
青銅器作れる燃料無いのに、鉄器作る燃料はあったの?

457:世界@名無史さん
16/02/11 16:26:23.95 0.net
戦国時代中期から石炭使用は始まっていたんじゃなかったかな?ウロオボエ
んで、間は開くけど、宋代には飯炊きにも石炭使うようになって今の中華料理に連なる
とかどっかで見たような気がする。

458:世界@名無史さん
16/02/11 23:39:45.68 0.net
>>438
燃料がないってのは間違いだって言ってるだろ
漢代には大量の燃料を使った高炉まで出現してるのに
もう少し文章読め、な?

459:世界@名無史さん
16/02/12 02:47:21.67 0.net
そういや三国時代の武具ってあんま資料無いよね 創作においては宋代や明代の基準になってることが多いが

460:世界@名無史さん
16/02/12 03:59:05.71 0.net
そもそも三国期は武具に限らず書籍も服飾も何もかんも少ない
五胡十六国時代のせいだな

461:世界@名無史さん
16/02/12 06:57:55.31 0.net
資料になるのは後漢書と晋書の志や遺跡・墓からの出土品、
太平御覧・藝文類聚などに散見される当時の文章の断片くらいか
歴史群像の『戦略戦術兵器事典 中国古代編』ってのを持ってるけどどこまで参考になるやら

462:世界@名無史さん
16/02/13 05:27:02.81 0.net
あなたがなすべきを
われはなざざり


463:世界@名無史さん
16/02/13 17:54:52.78 0.net
>>439
さすがにそんな昔からって思うけど?

464:世界@名無史さん
16/02/13 18:09:12.05 0.net
>>419
暇なときに図書館行ってみるけど、↓これでいい?
三国志 上巻(歴史群像シリーズ)(曹操・劉備・孫権天下への大計)

465:世界@名無史さん
16/02/15 05:29:09.24 0.net
しかし張コウが231年に司馬懿の判断ミス(かもしくは謀殺)で矢を受け亡くなってしまったのは非常に残念だ
3年後の第四次北伐の五丈原の戦いまで生きてて、そこで戦死か病死してれば、黄巾の乱からちょうど50年でキリが良かったのに
そしたら「若い頃に黄巾の乱で兵になりちょうど50年、五丈原で張コウ死す!」って説明も簡単だし、かっこいい

466:世界@名無史さん
16/02/15 12:43:33.89 0.net
張コウって最初から司馬で指揮官からキャリアスタートだから兵ってほど下っ端になったことってないけどね

467:世界@名無史さん
16/02/19 18:07:21.89 0.net
暇だったので各勢力の二張を半ば強引かつ適当に決めた(親族同士だったり配下か怪しい奴もいて苦しいけど)
呉の二張 張昭・張紘
蜀の二張 張翼・張嶷
黄巾の二張 張梁・張宝
董卓の二張 張済・張楊
李傕の二張 張苞・張龍
袁術の二張 張勲・張烱
劉虞の二張 張逸・張瓚
劉表の二張 張允・張虎
劉璋の二張 張松・張任

468:世界@名無史さん
16/02/19 18:47:00.62 0.net
張飛・・・

469:世界@名無史さん
16/02/19 19:17:15.00 0.net
>>446 下巻にも同じのが載ってたで87ページに縮小版が ワイはブコフで上下で200円で買ってきた(付録なしなのが残念) >>419荊州徐州に屯田無いのはなんで?



471:世界@名無史さん
16/02/25 20:28:38.48 0.net
こうして箇条書きしてみると馬超の行動酷すぎるだろ 人格破綻してんじゃねーのか
・家族を見捨て韓遂を親と思うと言っときながらその韓遂も疑う
・曹操は馬超が降伏すれば許してくれそうだったのにまた反乱を起こして馬騰たちは処刑
・韋康「和議をしたい」馬超「わかった 城門を開けてくれ」韋康「おk」「d(*´∀`)b うそです」
・楊阜・姜叙・趙昂「こんな奴とは戦うしかない」馬超「は?」→逆ギレして彼らの家族を殺害
・息子と龐徳を張魯の下に置き去りにする→息子は殺され、龐徳は曹操に仕える

472:世界@名無史さん
16/02/25 22:07:34.96 0.net
>>452
曹操側からの記録しかないから、どういう力学が馬超や周辺、陣営内部で働いてるのか
全く見えないのが一因だろね
幾つかは状況証拠から推測も出来るけど推測にしかならないんだよなぁ
以降は馬超側の事情でありえそうなものを書いてるけど状況から考えうるってだけで何も根拠になるものはないよ
「韓遂を親と思う」という話だけども元々親の代から延々と抗争繰り広げてる関係だから
同盟の場で取り繕う言葉を言っても内心は全く信用できないという可能性がある
馬超個人、馬氏単体の意志で見ればとっとと降伏して人質を助けたいかもしれないが
諸侯との関係にがっちり組み込まれて神輿になった後では足抜けも出来なければ、
下手に降服しても反乱の首謀者として処刑されて終わりかもしれない
同じ首謀者でも韓遂は曹操とツテがあるから助かるだろうけど降服した馬超を殺すよう進言して
韓遂が馬氏の権益を奪うかもしれないし簡単なもんじゃない
韋康が降伏したのを皆殺ししたのは馬超ではなく援軍に来た張魯の部下だから
ここも馬超陣営と張魯の政治的暗闘の可能性があるし
籠城中の交渉で何か馬超と韋康で関係が縺れてるケースも考えられる
人質が処刑されるのは、まあ戦時だとしょうがないわな
張魯から支援受けた以上、人質は出さなければなんともならないし
子供は儒教的には切り捨てても道義的には問題ないわけだし
馬超の行為って裏切りなんだわな
子供見捨てて裏切ってでも、曹操に勝てる可能性を持った劉備に賭ける、という感じで
戦略的にはあり、現代人の視点では人としてかなり無し
こんな風な見方も出来るわけで

473:世界@名無史さん
16/02/26 08:33:36.51 0.net
まあ伝わっている話を聞くだけだとかなり人格に問題があるが、馬超にも何らかの事情があった、ちょっと悪く書かれただけとは思いたい

474:世界@名無史さん
16/02/26 10:28:35.97 0.net
子供を捨てても道義的に問題ないとか
まさかとは思うが漫画の誇張表現を信じてるわけじゃないよな

475:世界@名無史さん
16/02/26 11:06:18.57 0.net
>>455
俺もそこは引っかかったが、
誤謬を正すでもなく、知識の開示をするでもなく、なんで煽りに入ってるんだ?

476:世界@名無史さん
16/02/26 12:21:22.41 0.net
>>455
道義としては、父が優先で子は次という儒教的な観念から問題はないし
劉邦の子捨てや劉備の妻子を捨てた逃亡とかもあるから


477:そこを責める程大した事にはならないだろ



478:世界@名無史さん
16/02/26 12:41:35.13 0.net
始皇帝の父も人質に出された後で捨てられてたな

479:世界@名無史さん
16/02/26 13:59:08.22 0.net
やむを得ない事情があったとしても親父の馬騰を見捨てて反乱を起こして、間接的に殺したも同然だから
やっぱり儒教的に考えるとかなり批判されてそうだよなぁ なんか異民族気質というか、ちょっと異質だよね
祖父の馬平が羌族の女と子供作って馬騰産んだわけだから、羌族の血を引いてる男ではあるけど

480:世界@名無史さん
16/02/26 14:01:17.99 0.net
というか春秋戦国時代の話とか人質として身内だしてても
気にしないで戦争する話ばっかりじゃないか?

481:世界@名無史さん
16/02/26 14:54:23.68 0.net
別に儒教関係なく人質を出す文化なんてあるだろう
劉邦や劉備のそれは倫理的に見倣うべき事例として挙げられてるわけじゃないだろう
孝を重んじることと、子を見殺しにすることは別次元の話だろう
大抵の世界では女は男より下の立場だったが、だからといって見殺しにしてもいいという価値観が発達していたとでも思っているのか

482:世界@名無史さん
16/02/26 20:06:30.91 0.net
殺父救国ですよ

483:世界@名無史さん
16/02/26 20:15:14.99 0.net
子を捨てることより大義的に為さねばならぬことがあるなら見逃される、程度か?
仮に皇帝と子のどちらかを死なす必要がある場面で
子は親に~云々、涙を飲んで子を殺して皇帝を救う話があったら美談として語り継がれただろうな

484:世界@名無史さん
16/02/26 22:23:35.80 0.net
実際、史記とかにその手の美談あるしなあ
身内を助けようとして醜態を晒すよりも、身内を処断することで賞賛されたって例だが

485:世界@名無史さん
16/02/27 10:22:09.74 0.net
久しぶりにきました
「三国時代の異民族弱すぎ」ってスレがあったと思うんですが落ちたんでしょうか?

486:世界@名無史さん
16/02/27 10:38:31.08 0.net
劉備の妻子を殺さなかった呂布
孟達の子孫すら絶やさなかった劉備
そういうのがあるから三国志は読むに耐える
そう考えていくと馬超は同時代にあっても血生臭いよ
演義のキャラとギャップがあるから受け入れがたい人もいるだろうけど
正史の馬超は単に血生臭いキャラでしかない

487:世界@名無史さん
16/02/27 22:54:42.28 0.net
すう氏のおまんこ舐めたい

488:世界@名無史さん
16/02/28 07:43:48.84 0.net
馬超に関しては閻温の件もあるな
武田勝頼や楚の荘王と類似する話で

489:世界@名無史さん
16/02/28 11:55:25.59 0.net
ホウ徳の息子は父親の名声を貶めたな
というか魏朝後期ぐらいから全般的に陰湿化していく気もする

490:世界@名無史さん
16/02/28 11:56:04.99 0.net
ホウ徳の息子の話は眉唾

491:世界@名無史さん
16/03/01 10:28:07.75 0.net
マイナーだからか三国時代の屑な人物挙げる時とかもあまり見ないけど笮融は屑の中でもひときわ目立つ まず仏教広めるために色々汚いことやってたようだし
それだけならまだしも、広陵が豊かな地だと見て、賓客として厚くもてなしてくれた太守の趙昱を殺害した挙句に略奪を図るとか正気の沙汰じゃない
その後も豫章を地盤に独立しようと企んで味方の朱皓や戦友の薛礼をぶっ殺してまた略奪するとか救いようがない 住民に捕まって殺されたのも自業自得だ

492:世界@名無史さん
16/03/01 12:05:17.30 0.net
呂布が劉備の家族を助けたのは意外な行動かも

493:世界@名無史さん
16/03/01 19:32:13.61 0.net
>>459
父親を実質見捨てるなんて曹操もやったことでそこまでありえなくもない

494:世界@名無史さん
16/03/02 17:20:45.62 0.net
曹騰殺害を、曹操が見捨てたからっていうの?

495:世界@名無史さん
16/03/02 17:33:38.69 0.net
曹嵩

496:世界@名無史さん
16/03/02 19:09:58.03 0.net
父親を見捨ててはないね

497:世界@名無史さん
16/03/03 03:20:26.15 0.net
むしろ父親が曹操


498:見捨てて早々に亡命生活開始してんだよなぁ



499:世界@名無史さん
16/03/03 04:09:57.50 0.net
そういやあの頃徐州って亡命先になるくらい平和だったのか?

500:世界@名無史さん
16/03/03 10:48:25.57 0.net
魏書「陶謙が曹嵩を捕らえるつもりで兵を派遣したせいだぞ」
呉書「単に陶謙に派遣された配下の張闓が暴走しただけだぞ」
ここらへん立場の違いが如実に表れてるよなぁ で、結局どっちやねん、と

501:世界@名無史さん
16/03/03 12:04:42.61 0.net
曹操がなんで親父のカタキで虐殺したのかいまだに繋がらん

502:世界@名無史さん
16/03/03 12:28:33.95 0.net
親はきっかけでしょ、確か討伐目的に、陶謙の臣下の曹某は悪党であるから討伐するとかいう話無かった?
多分、同じ曹姓だから曹豹と同族だと思うんだけれど

503:世界@名無史さん
16/03/03 19:54:14.01 0.net
曹操は曹嵩殺される前から陶謙のところと戦ってない?

504:世界@名無史さん
16/03/03 23:50:54.12 0.net
>>478
その直前の黄巾の乱の頃は激戦地は豫州周辺だから
それ以外は基本的に「豫州よりはマシ」ということになるな

505:世界@名無史さん
16/03/03 23:52:12.96 0.net
あとその後の董卓との戦争でも豫州は牛輔率いる董卓軍によって滅茶苦茶になってるから
結局「豫州よりはマシ」ってのは変わらんな

506:世界@名無史さん
16/03/04 00:19:55.38 0.net
豫州の世紀末感
曹操が董卓から逃れた時に、一族郎党が処刑されてるくさいし
曹嵩と曹操の親子関係は冷えきってたのかもしれんね

507:世界@名無史さん
16/03/04 00:30:07.57 0.net
なに言ってんだ
最初の黄巾の乱は数年前だ
直前のは青徐黄巾の乱があるだろ

508:世界@名無史さん
16/03/04 00:58:54.51 0.net
>>486
それでも豫州よりはマシ

509:世界@名無史さん
16/03/04 01:04:45.71 0.net
青徐黄巾は太守や刺史まで死んでる
豫州が世紀末とか寝言でしょ

510:世界@名無史さん
16/03/04 20:06:05.95 0.net
豫州はなんだかんだで官渡くらいまで黄巾残党残ってたよね

511:世界@名無史さん
16/03/05 23:31:37.72 0.net
黄巾の残党って三国県立した頃もいたの?

512:世界@名無史さん
16/03/05 23:48:09.05 0.net
曹操死後すぐに青州兵が魏から離脱してるな

513:世界@名無史さん
16/03/06 00:13:57.55 0.net
>>491
その後の青洲兵は記録なしだよね
どこいったんだろ

514:世界@名無史さん
16/03/06 12:16:07.18 0.net
>>492
兵籍に入って差別待遇受けてたのってそのなれのはてじゃね

515:世界@名無史さん
16/03/06 16:38:49.87 0.net
まあ精兵扱いされてもどの戦いに従軍して
どんだけの成果出したかイマイチわからんしね。
精兵って持ち上げてただ飼殺した感じもする。

516:世界@名無史さん
16/03/06 16:55:21.18 0.net
というか青州兵を持ち上げてるのはむしろここの連中だろ

517:世界@名無史さん
16/03/06 17:00:17.05 0.net
記録に残ってるから持ち上げてるんじゃね
魏武の強これより始まるとか

518:世界@名無史さん
16/03/06 17:32:34.62 0.net
その一言でねw

519:世界@名無史さん
16/03/07 01:41:11.24 0.net
でもその文を書いたのは清時代の人

520:世界@名無史さん
16/03/07 02:42:53.17 0.net
>>495
精兵かどうかなんて本当はどうでもいいことなのよね、青州兵の本質って
後漢末期の人足らずな状況で中核軍がほぼ存在しない上に
どこの豪族のツバも付いてない曹操が好きに使えるに三十万の人的資源と
数万の常備兵を与えたからそれだけで青州兵は優れてるし、これが曹操飛躍の原動力となるわけで
精兵って意味だと虎豹騎が存在してるしな

521:世界@名無史さん
16/03/07 12:01:47.22 0.net
地方の豪族が兵士を率いて仕えるタイプだと
その兵士を豪族から引き離すこともできないし、具体的にあーしろこーしろとも言えんしな
自分の兵士を配下の将にひきいらせるならもっと自由が利くし特殊訓練もできる

522:世界@名無史さん
16/03/07 22:42:44.75 0.net
呂布や張繡との攻防や官渡の苦戦、赤壁や漢中での敗戦を見るにつけ

523:世界@名無史さん
16/03/07 2


524:3:26:43.30 0.net



525:世界@名無史さん
16/03/08 22:08:17.83 0.net
あんだけの敗戦しても、勢力が瓦解しないのは
自前で動かせる軍隊が居たからなんだろうな

526:世界@名無史さん
16/03/08 23:50:25.22 0.net
青州軍は大きな損耗はなかったしな

527:世界@名無史さん
16/03/09 00:46:33.29 0.net
袁紹も袁術も大敗したけど別に勢力瓦解してない

528:世界@名無史さん
16/03/09 08:39:05.00 0.net
袁紹の大敗っていうのは結構怪しいもんだがな

529:世界@名無史さん
16/03/09 12:03:31.92 0.net
袁譚の最期が情けなさすぎる 曹操と一時的な同盟やってまで袁尚と争ってそれかよ・・・みたいな

530:世界@名無史さん
16/03/10 14:18:34.83 0.net
現代で言う暴走族とかDQNみたいな類の生活を20年以上も続けてた甘寧ってちょっと痛くね?おっさんにもなってなにやってだ

531:世界@名無史さん
16/03/10 17:13:53.81 0.net
司馬イもずっと引きこもりやん

532:世界@名無史さん
16/03/10 17:32:45.08 0.net
司馬懿って上計掾に推挙された時出仕したのかどうか分からないんだけど
どっちなん?

533:世界@名無史さん
16/03/10 19:02:13.36 0.net
盗賊は職業として成立してるからな

534:世界@名無史さん
16/03/10 20:05:15.72 0.net
>>510
痛風で働けないということになってる以上は上計掾も辞任せざるを得ない
=出仕していないor出仕してすぐ司空府に招聘されたので辞めて引きこもり
って感じ?時系列がよく分からんね
まともに上計掾やってた記述があるのは姜維くらいか

535:世界@名無史さん
16/03/10 22:12:49.44 0.net
仕えるべき主が見当たらないって理由で仮病使って家で勉強してるのが、
この方は徳が高いお方だとか持て囃された時代でもあるが
そのまま仕えるべき主を見つけないで無職で死んだらどういう扱いを受けたんだろう

536:世界@名無史さん
16/03/10 22:29:53.24 0.net
司馬懿って、もともとは曹操に使える気がなかったらしいし
強引に召しだされた描写を見ると
運命って決まってるのかなぁって思ってしまう

537:世界@名無史さん
16/03/10 22:59:11.03 0.net
>>514
あの逸話って創作っぽくね?

538:世界@名無史さん
16/03/11 00:22:12.05 0.net
晋書は魏から晋への禅譲を正当化しなきゃいけないからね
編纂されたのも五胡十六国を挟んだ後の唐代だし信憑性は微妙かと
しかし張春華が侍女を殺害した件については書く必要があったのだろうかw

539:世界@名無史さん
16/03/11 00:55:40.30 0.net
司馬懿招聘の逸話は色々とバリエーションがあるし
三顧の礼で迎えられた孔明と綺麗に対比になるからね、作り話っぽい
ただそれとは別として、あの時代乱世を避け道家的な生き方で名を馳せた隠者は多いからね
司馬懿がそれに憧れていたとしても不思議ではないと思う、同じ河内出身でもそういう人間いるし
特に胡昭と友人だったという逸話が伝わるのは面白いね

540:世界@名無史さん
16/03/11 10:47:24.14 0.net
曹操に招聘された話は作り話っぽいよな
その頃の司馬懿は官職に就いてたし
司馬朗の立場もあるし

541:世界@名無史さん
16/03/11 12:46:41.50 0.net
三顧の礼も怪しいもんだと思うが

542:世界@名無史さん
16/03/11 13:57:10.79 0.net
三顧の礼の方が怪しいでしょ

543:世界@名無史さん
16/03/11 15:53:39.32 0.net
王匡:河内ときいて飛んできました

544:世界@名無史さん
16/03/11 16:06:39.31 0.net
王匡が迫害した常林がまさに司馬懿と同県出身であり、乱世において隠者した生き方をした挙句のちに曹操の招聘に応じて司馬懿にも絡む

545:世界@名無史さん
16/03/11 21:52:41.13 0.net
>>514
兄の司馬朗が数年前に出仕してて司馬懿初出仕が官渡翌年かつ22歳位だから
仕える気がないどころか、普通にやる気満々だろと思う
単に当時の流行の隠者的かつ晋代の曹魏の凋落を見込んで
曹操の天命は最初から微妙だったってことでやってるだけじゃねぇかな

546:世界@名無史さん
16/03/11 22:49:46.91 0.net
三顧の礼の方が怪しいとかありえないだろ
出師の�


547:\と晋書だぞ



548:世界@名無史さん
16/03/12 10:28:16.67 0.net
求賢令って、建前上は「品行悪くても有能なら登用する」って言うけど
実際にそういう評価で抜擢された人物っているの?

549:世界@名無史さん
16/03/12 11:18:25.77 0.net
むしろ品行に厳しい人間を人事部に配属しまくってたよな、曹操
サイエンとかモウカイとかリョウボウとか

550:世界@名無史さん
16/03/12 14:32:03.80 0.net
法正を知る

当時の俺「なんか名前が品行方正そう!調べたろ!」

調べる

俺「」

551:世界@名無史さん
16/03/12 16:29:47.78 0.net
>>525
花嫁略奪や宦官の孫といった悪評のあった人物を丞相にした

552:世界@名無史さん
16/03/12 17:04:50.46 0.net
涼州に配置された奴らで犬畜生みたいな評価受けてたやつが居たような

553:世界@名無史さん
16/03/12 18:32:16.67 0.net
宦官の孫だからってそれが悪評とはならないだろ

554:世界@名無史さん
16/03/12 19:49:16.67 0.net
宦官の娘婿の荀彧は評判悪くないな

555:世界@名無史さん
16/03/12 20:02:32.30 0.net
宦官って小ばかにされる感覚かなぁ

556:世界@名無史さん
16/03/12 21:05:14.42 0.net
十常侍の専横を排して正道を取り戻す的な大義の流れにずっと乗っかってるから
宦官ってのは知識人かなんかには聴こえの悪い言葉ではあったと思う
だけど同時に今ある後漢王朝も後の蜀漢も宦官という制度を排していないという事実も並存する
現代でいうなら世襲議員に対する批判のようなものだろうか?

557:世界@名無史さん
16/03/13 00:30:24.51 0.net
曹操「俺には荀彧・荀攸+αがおる」
袁紹「俺にも荀諶がおる」
どこで差が付いてしまったのか

558:世界@名無史さん
16/03/13 01:49:18.01 0.net
そもそも曹操が丞相になったのは求賢令の前だし

559:世界@名無史さん
16/03/13 02:49:03.68 0.net
よく考えたら評価下す側って曹操の頃だと、いわゆる清流派知識人になる訳だから
求賢令って、お前らの評価基準に従わねーからな、魏は魏の基準で人材登用すっからな、という
至極真っ当な宣言なのでは

560:世界@名無史さん
16/03/13 07:50:35.11 0.net
その清流派に関係ない出身で登用されたのって例えば誰がいる?
結局登用されるにも、茂才とか受からなきゃいけないだろうし、そうすると
儒教観が絡んできて、品行方正で清流派の目に叶う人物じゃなきゃだめなんじゃない?

561:世界@名無史さん
16/03/13 11:04:57.41 O.net
諸葛亮って本当に漢王朝復興させる気あったのか?
鮮卑・軻比能に羌の馬岱に生姜、匈奴に孟獲と明らかに非漢人ばかりと手を組むし、第一次北伐では祁山に進出。
天水・南安・安定の三郡が魏から蜀へと離反させ 中原をほったらかしで河西回廊(シルクロード)て南中回廊の打通ばかりするし、実は漢民族自体の破壊を目指す危険人物何じゃ?

562:世界@名無史さん
16/03/13 12:02:32.26 0.net
劉備の意思を継いだだけかと思う
だから可能性がわずかでも高い方を・・・

563:世界@名無史さん
16/03/13 12:32:58.82 0.net
その民族観と国民国家たらんとする考え方は現代のものじゃないかなあ

564:世界@名無史さん
16/03/13 13:23:52.22 0.net
>>538
諸葛亮は出自が山東半島だからそもそも漢人じゃない可能性が高い

565:世界@名無史さん
16/03/13 13:26:49.09 0.net
>>536
だけど曹操が人事部長にすえたのがバリバリの清流派なんだって

566:世界@名無史さん
16/03/13 15:39:18.58 O.net
>>541
匈奴・烏桓・鮮卑・羌などの北方騎馬民族やら異民族の漢土への大量移住なら曹操や袁紹のが数倍規模で既にやってるけど、孔明のは中原に異民族を招き寄せるやり方が目立つな。
実質蜀の皇帝格で丞相であり続けた>>540


567:言うような感性か はたまた蜀自体が北伐と言うヘルズゲートを開く装置な認識だったか



568:世界@名無史さん
16/03/13 17:47:39.34 0.net
◆台湾人の顔面

淡褐色、広鼻、突顎、タラコ唇

ラオスっぽいような、ポリネシアっぽいような、
つか、ハノイですね~
実にハノイ!
URLリンク(www.youtube.com)
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569:世界@名無史さん
16/03/13 17:48:02.81 0.net
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570:世界@名無史さん
16/03/13 22:38:55.21 0.net
一人だけ三国時代の人物に会えるとしたら
誰に会いたい?

571:世界@名無史さん
16/03/14 00:09:50.61 0.net
ほとんど記述が無いとか最期はどうなったか分からないとかそういう人に会ってみたいが、でも具体的に誰かと言われると迷うな

572:世界@名無史さん
16/03/14 00:23:32.07 0.net
一人高金属から初めて蜀が滅びるまでいたのがいたな
史実ならそれがいいんだが

573:世界@名無史さん
16/03/14 00:28:26.10 0.net
>>548
演義で居たけど史実ならって意味ね

574:世界@名無史さん
16/03/14 00:34:16.05 0.net
高金属に悩んだw

575:世界@名無史さん
16/03/14 01:28:34.91 0.net
同時代での評価とか当人の真価を知ることができる、なら曹操か劉備で甲乙つけがたい
会うなら美女と名高い女性かイケメンの周瑜とか荀彧とか
劉備は話してみたいかも

576:世界@名無史さん
16/03/14 11:56:22.06 0.net
りゅうびを見てみたい。(動物園的興味)

577:世界@名無史さん
16/03/14 12:55:48.07 0.net
劉邦なら桜上水に中華料理屋があるよ

578:世界@名無史さん
16/03/14 17:38:00.19 O.net
董卓みたいな奴が台頭した辞典で五胡十六国到来は不可避

579:世界@名無史さん
16/03/14 18:39:43.23 0.net
>>548
廖化だな。
184年の黄巾の乱のときに15歳だとしても、蜀滅亡時には95歳か。

580:世界@名無史さん
16/03/14 18:55:41.56 0.net
廖化は文官じゃないのに、よく生き延びたね

581:世界@名無史さん
16/03/14 19:21:21.49 0.net
董卓以前にも檀石槐など強力な異民族は居たし
後漢末期の混乱の中で流入した烏桓や鮮卑などもその都度鎮撫できていた
まだ呉が存命の西晋初期ですら禿髪樹機能の乱を鎮圧できた
つまり五胡


582:の流入は八王の乱で晋がボロボロに自壊していったせい



583:世界@名無史さん
16/03/14 19:38:16.93 0.net
でもその手引きをした人間は曹操や袁紹のように異民族で軍を強化しようとした人たちなんだろうな
先鞭をつけたというか・・・最もそういう路線は前から続いていただろうけど

584:世界@名無史さん
16/03/14 19:42:38.24 0.net
元々そうやって中華が広がっていったから

585:世界@名無史さん
16/03/14 19:58:38.61 0.net
三国志の魏は異民族が軍人で漢民族は農耕と商業を担う
役割は、かなり定着化してたんですか?

586:世界@名無史さん
16/03/14 22:34:53.57 O.net
黄巾の乱に董卓に三国鼎立、もう諸葛亮が蜀を建国したときには戦乱により人口が激減した漢人には単独で大陸を支配とか無理やったかんかな。
そもそも倭国に至ってはとある蛮族集団が魏から独立国家として親魏倭王に認められてるし。

587:世界@名無史さん
16/03/14 22:54:16.97 0.net
廖化は演義だと元・黄巾の設定だが、
汝南の黄巾だろう
汝南の黄巾は官渡の頃まで続いているから
元黄巾設定=184年に15歳程度には成長していた、という発想は現代人による誤解

588:世界@名無史さん
16/03/14 22:56:15.23 0.net
そもそも魏も晋も異民族を傭兵化はしていない
晋が呉を討伐する際に、匈奴の劉淵を指揮官にする話もあったが取りやめになった

589:世界@名無史さん
16/03/14 22:59:05.94 O.net
そら、出稼ぎを正社員にするような話だしな。
…異民族いらっしゃいな孔明は竜は竜でも臥竜でなく赤い竜だったか。

590:世界@名無史さん
16/03/14 23:07:26.63 0.net
魏は普通に遊牧民を騎馬兵として使ってなかったか?
どういう意味での傭兵化なん

591:世界@名無史さん
16/03/14 23:25:19.68 O.net
異民族傭兵化どころか正規兵扱いかよ。
魏はめちゃくちゃ周辺国に配慮したんだな

592:世界@名無史さん
16/03/14 23:33:22.94 0.net
そもそも漢民族だなんだといったものがその時代に定義できるのかというのが、一番の問題だろ。
それこそ大昔なら楚人なんてのは異人だろうし。

593:世界@名無史さん
16/03/14 23:46:11.62 0.net
>>562
夢がちょっと壊れたw

594:世界@名無史さん
16/03/14 23:55:45.20 O.net
隋の煬帝も広義では漢人指導者だしな。
…前皇帝は殺さないわ 周辺国を蛮族扱いしないわ、魏がホワイト国家ぶりに涙が出そう(魏以降はどうしてこうなった)

595:世界@名無史さん
16/03/14 23:58:14.84 0.net
全部劉裕のせい

596:世界@名無史さん
16/03/15 00:06:11.56 O.net
つーか、宋って国名の国家だけで大小幾つあるんだよ~

597:世界@名無史さん
16/03/15 12:15:34.56 0.net
実際に長生きした奴だと呂岱が96歳まで生きたけどよくそんなに長生きしたなと思う
呂岱と同じ呉の周瑜、魯粛、呂蒙とかは40前後であっさり逝ってしまったのに・・・

598:世界@名無史さん
16/03/15 12:43:57.07 0.net
はっきりと年齢が確認できる範囲で最長寿は蜀の来敏の97歳
以下、呂岱96歳、司馬孚94歳、高柔90歳、士燮90余歳、孟光90余歳、楽詳90余歳、
楊彪84歳、田豫82歳、向朗81歳、あたりが80歳程度までに続く
ただし一部の人物は歿年ではないけど
しかし廖化の長寿ネタって未だに根深いのね

599:世界@名無史さん
16/03/15 14:11:44.88 0.net
廖化の黄巾賊参加って
俺の爺さんは7歳の時に日本兵に殺された
的な話の盛り方だったのかもしれん

600:世界@名無史さん
16/03/15 15:02:31.50 0.net
くっついて歩いて飯を分けてもらっていた孤児だったとか

601:世界@名無史さん
16/03/15 17:12:51.41 O.net
関係ないが、とある 北宋禁軍で元帥を歴任した宦官も諸葛亮と同じ発想してたな。
あっちは護国の立場だが…

602:世界@名無史さん
16/03/15 18:53:16.98 0.net
◆台湾人の顔面

淡褐色、広鼻、突顎、タラコ唇

ラオスっぽいような、ポリネシアっぽいような、
つか、ハノイですね~
実にハノイ!
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603:世界@名無史さん
2016/03/1


604:5(火) 18:53:38.60 0.net



605:世界@名無史さん
16/03/16 20:10:32.55 O.net
三国志のさなかにシルクロードが諸葛亮の手で解放去れてたら…

606:世界@名無史さん
16/03/16 23:37:00.69 0.net
てかさ、洛陽に潜伏してた馬元義も殺されず黄巾党にとって何もかも上手く行ったとしよう
その後は黄巾党はちゃんと統治できるんだろうか?内側・外側からのどちらにも崩されず組織や土地を保てるんだろうか?

607:世界@名無史さん
16/03/16 23:50:15.96 0.net
官僚崩れの党人が結構いるし統治能力はある

608:世界@名無史さん
16/03/17 01:02:19.71 0.net
ちょっと早い五胡十六国時代、はっじまるよー

609:世界@名無史さん
16/03/17 01:42:55.99 O.net
>>580
太平道と十常持による連立政権かな。
張壌と馬元義が会談してたみたいだし
(密告されて馬は車裂にされたが)

610:世界@名無史さん
16/03/17 09:08:28.70 0.net
黄巾党の支配地域において行政が回ってたらいいけど
多分廻って無かっただろう

611:世界@名無史さん
16/03/17 09:12:06.81 0.net
>>584
それはどういった理由でそう判断したんだ?

612:世界@名無史さん
16/03/18 00:32:08.32 0.net
胡母斑って姓は胡?胡母?

613:世界@名無史さん
16/03/18 18:34:31.49 O.net
つーか、十常持ってどういう目的で太平道と裏取引しようとしたんだ?

614:世界@名無史さん
16/03/18 23:17:09.20 0.net
胡母斑を指す文脈で単に「班」と出てくるから、
胡母・班なんじゃね

615:世界@名無史さん
16/03/18 23:36:40.60 0.net
風俗通云:「 胡母 ,姓,本陳胡公之後也。公子完奔齊,遂有齊國,齊宣王母弟別封母郷,遠本胡公,近取母邑,故曰 胡母氏也。」

616:世界@名無史さん
16/03/19 10:15:31.58 O.net
ローマやペルシャが侵攻しなかったか不思議なレベル


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