18/11/19 18:19:49.30 0.net
>>479
でも後継者はあの人ですよ?
悲劇の範囲が広がるだけのような……
497:世界@名無史さん
18/11/19 18:49:08.29 0.net
>>480
確かに後継者があの人ではベネツィアなんかは真っ先に離反しただろうな
しかしローマの支配を握ったままなら後々の歴史は大きく変わったような気がする
もしかしたらマンツィケルトで負けることもなかったかも
コムネソス朝の国力では皇帝一人が優れていても無理なもんは無理だったし
結果的に滅亡を速めている
498:世界@名無史さん
18/11/19 19:53:07.33 0.net
>>481
確かに国力があれば、コムニノス朝の皇帝達はその才能をより大きな成果に結びつけられたかもしれないし、
ロマノス4世は大敗しなかったかもしれない。けれども、神聖ローマと領土が接することになるんだよね。
長期的に東にセルジューク朝(またはオスマン・トルコ)、西に神聖ローマ帝国と大敵を持つことになるけれど、これがどの程度負担になるか。
そして征服事業で得られた領土は中世ローマ帝国が取りうる政策で国力の足しになる領土となるのか。
これはIFにIFを重ねる話だから、世界史板でやっていい話か分からないけれど。
499:世界@名無史さん
18/11/19 20:12:30.56 0.net
>>482
神聖でもなければローマでもなくそもそも帝国ですらない国を
何で正当なローマ皇帝が恐れなければならないんだ?
500:世界@名無史さん
18/11/20 08:06:57.73 0.net
領内すら満足に納められない神聖ローマがバルカンまで攻めてくるとは思えない
十字軍とかはかなり変わりそうだが
501:世界@名無史さん
18/11/23 01:19:31.23 0.net
最末期の領土たるや…
502:世界@名無史さん
18/11/27 09:20:12.58 0.net
>>473
ビザンツは後世で当時はローマじゃないのか?
503:世界@名無史さん
18/11/27 09:43:25.59 0.net
>>483
チョンファン陛下と同じはったり権威がある
504:世界@名無史さん
18/11/27 14:59:15.58 0.net
>>487
バシレイオス2世時代の神聖ローマ帝国は国内が混乱していて
後の30年戦争時代前までのハプスブルク帝国の強さとは全然違う
従って東ローマ帝国がイタリア再占領しても何の問題もなかっただろう
権威的な意味でのローマ、商業活動でアドリア海の女王と言われて元々帝国領だった
ベネツイア、その他ライバルのジェノバやピサやアマルフィを手に入れていれば
その国力の充実は全然違ってくる。バシレイオス2世がトルコ人とブルガリア人を
追い払ったところで止めてしまったことが後の滅亡の遠因にもなった
505:世界@名無史さん
18/12/18 19:17:15.76 0.net
アルプ・アスラーン : 「もし捕虜となったのが逆に私の方だったならば、貴方はどうするだろう?」
ロマヌス : 「きっと貴方を処刑するか、コンスタンティノープルの街中で晒し者にするだろう。」
アルプ・アスラーン : 「私の下す刑はそれよりも重い。私は貴方を赦免して自由にするのだから。」
これ意味深だなあ。
一度プライドを失ったら落ちるだけなのかもしれん。
506:世界@名無史さん
18/12/18 19:43:42.25 0.net
>>489
実際にはコムネノソス朝が最後の中興をするのだがマヌエル1世がいかに頑張ろうとももはやあの時代では失われたイタリアは返って来ずに国力を消耗した結果として
十字軍に首都を占領されてしまう
バシレイオス2世がイタリアを占領し、その上でセルジュークトルコと戦ったら
どうなったのか。あるいはそれを乗り切ったとしてモンゴル帝国と直接対決したら
どうなったのか。史実ではパレイロゴオス朝はイルハン国と同盟するのだが
それ以外に選択肢がなかったともいえる
507:世界@名無史さん
18/12/18 20:44:53.20 0.net
バシレイオス2世がイタリアを占領する事は東ローマにとって自殺行為
バルカンを奪回する為にを対ブルガリア戦を強行した結果
テマ制が崩壊してアナトリアが無防備になったのだから
これでイタリアも占領したらセルジュークにアナトリアだけでなく
帝都も奪われてしまっただろう
東ローマの歴史は西方領土を奪回すると没落する事の繰り返し
ユスティニアヌス1世がイタリアを奪回するとバルカンをスラブに奪われる
ミカエル8世がコンスタンティノープルを奪回するとアナトリアをトルコに奪われる
508:世界@名無史さん
18/12/18 20:54:16.58 0.net
>>491
あの時代のセルジュークにコンスタンティノープル城壁を落とせるとは到底思えない
小アジアの領土なくてもバルカン+イタリアを安定させた方がよかったと思うんだが
ベネツィアが金の卵なのは間違いないし
バシレイオスも南イタリアの安定はやってる。全イタリアが無理なら
うるさいローマ教皇を抑えるためにローマとアドリア海の女王だけでも
509:世界@名無史さん
18/12/18 22:02:19.05 0.net
中世東ローマにとって小アジアこそ本国
むしろバルカンを放棄してでも小アジアを死守すべきだった
510:世界@名無史さん
18/12/19 18:52:46.94 0.net
ひょっとして、メソポタミアやペルシアに進出した方が後顧の憂いを絶てるのではないだろうか
511:世界@名無史さん
18/12/19 19:11:17.38 0.net
>>494
ロマノス4世はセルジューク本国のイランへ遠征しようとした
マンジケルトの戦いは防衛戦ではなくイラン遠征の前哨戦だった
イラン遠征の為に城攻め用の人夫を数多く連れていたので
これが足手まといになり敗北の一因となったとされる
512:世界@名無史さん
18/12/19 21:41:15.65 0.net
>>495
ということはですよ、マケドニア朝の最盛期(ニキフォロス2世、ヨアニス1世、ヴァシリオス2世等)にそれをできていたならば、
オスマントルコを凌ぎ、アケメネス朝ペルシア帝国に匹敵する巨大帝国が誕生していたのでは?
513:世界@名無史さん
18/12/19 22:03:33.41 0.net
>>496
東ローマにとってはメソポタミアはどうでもいい地域で歴史的に必然的に
イタリアを目指す宿命がある
514:世界@名無史さん
18/12/19 23:00:07.38 0.net
>>496
マケドニア朝の最盛期にはブルガリアやキエフ大公国などスラブ諸国が脅威だった
ブルガリアを征服しキエフ大公国が分裂しないと遠隔地へ遠征する余裕がない
515:世界@名無史さん
18/12/19 23:12:43.62 0.net
>>498
ブルガリアを征服した後も国庫は財宝であふれかえっていたらしいから
それ使ってイタリア征服なら簡単だっただろうに
何せ南イタリアに拠点あるのだし、北部イタリアも目と鼻の先
516:世界@名無史さん
18/12/19 23:28:58.98 0.net
金だけで何とかなるのかな
良質な兵士を提供したアナトリアの小作農が、連年の遠征で没落してたんでしょ
517:世界@名無史さん
18/12/19 23:38:27.97 0.net
>>499
バシレイオス2世が延命すればイタリアに遠征したはず
イタリア征服に成�
518:オた場合は戦力が分散するだろうから マンジケルトの戦い以前にブリガリアとかが再独立したかも ブルガリアが再独立してバルカンが危険になった場合 東ローマは仲間割れせずに小アジアを死守したかもしれない すなわち東ローマは滅亡を免れてたかもしれない
519:世界@名無史さん
18/12/19 23:52:48.24 0.net
>>500
アナトリアの小作農ではなく自作農が没落した
共和政ローマ 兵士兼農民→兵士
中世東ローマ 兵士兼農民→農民
520:世界@名無史さん
18/12/20 00:05:03.44 0.net
ロマノス4世が率いた軍は多くが傭兵だった
トルコ系ペチェネッグ人の弓騎兵や
フランク人とノルマン人騎士が花形だった
十字軍は既にスタートしていた
521:世界@名無史さん
18/12/20 13:18:47.48 0.net
要するに東ローマは古代ローマのように強くなかったから
大量の奴隷を入手する事が出来なかったわけだな
コムネノス家とか貴族が奴隷制の大農場を経営していたのならば
没落自作農が職業軍人になって東ローマは古代ローマのように
大帝国に拡大出来ただろう
東ローマでは没落自作農は小作農になり兵役を免除された
522:世界@名無史さん
18/12/20 16:08:08.54 0.net
>>504
コムネノス家はマヌエル1世が国力に見合わないローマ帝国の復興をあげて
イタリア制服しようとしてベネツィアやジェノバを敵対勢力にしてしまったから
致命的なことになった。もしも守勢に徹していたならそのままの状態で現在でも
続いていたかもしれないし、モンゴル帝国に危険視されて滅ぼされていたかもしれない
セルジュークにコンスタンティノープル城壁落とすなんぞ無理だがモンゴルなら
可能だからだ
523:世界@名無史さん
18/12/20 16:35:06.76 0.net
>>505
マヌエル1世がユスティニアヌス1世ではなくバシレイオス2世を手本に
していたのならば東ローマは生き延びたかも
コンスタンティノープル城壁は石造なのでモンゴル軍に耐える事が可能
イランやイラクの城壁は日干し煉瓦製で見かけによらず脆かった
ロシアと東欧諸国は木の城壁だけどウィーンとかが石の城壁なので
モンゴル軍は無理をせずに帰還した
524:世界@名無史さん
18/12/20 17:22:03.07 0.net
>>506
南イタリアだけならともかくローマ占領はそれくらい難しいのかな
ユスティニアヌスは確かに成功しているがローマという都市はそれで一度死んだとも
言えるくらい致命的打撃を受けているし
525:世界@名無史さん
18/12/20 18:01:43.06 0.net
>>507
中世東ローマはギリシャ人が多数派の国だからイタリアに強い愛着がなかった
マンジケルトの戦いでもロマノス4世はアルメニア人が多いカッパドキア出身なので
アルメニアを異教徒の支配から取り戻そうとしたけどギリシャ人らの戦意は低く
不利になるとすぐに逃げ出した
526:世界@名無史さん
18/12/20 19:32:34.55 0.net
>>508
いくら軍の資質で劣っても数では倍以上だったんだから勝たないとな
もしバシレイオス2世がマンツィケルトの戦いしたら多分勝ってるわ
527:世界@名無史さん
18/12/20 20:07:33.86 0.net
>>509
東ローマ軍の後衛を指揮していた副帝アンドロニコス・ドゥーカスは
先帝の弟である父ヨハネス・ドゥーカスこそが皇帝になるべきだったと
ロマノス4世の即位に不満であったのでこの機会にわざと退却したとされる
東ローマ軍の後衛が退却せずに突撃したのならばアルプ・アスラーン軍は
逆包囲され壊滅しただろう
当時セルジューク本国ではホラズム総督とかが反乱を起こしていたので
アルプ・アスラーン軍に援軍の可能性は低かった
528:世界@名無史さん
18/12/20 21:17:20.46 0.net
東ローマはやっぱりキリスト教国で啓蒙思想もなかったから特に何も生み出せなかった
ローマ帝国の精神的後継者は政教分離を徹底したベネツィアなんだろうなあ
啓蒙思想がキリスト教を抑え込んで初めて人類は産業革命を起こしてローマを超えることが
できた
529:世界@名無史さん
18/12/23 15:29:52.17 0.net
>東ローマ軍の後衛が退却せずに突撃したのならば
このIFを東ローマに適用するなら、
>セルジューク本国ではホラズム総督とかが反乱を起こしていた
に対しても、反乱が無いIFを適用すべきだろう
両方のIFを適用すれば、結局のとこマンジケルトの結果は変わらないであろう
530:世界@名無史さん
18/12/23 16:47:08.46 0.net
>>512
変わらないなら変わらないでマヌエル1世がローマ帝国の復興を言い出さなければ
コムネノソス朝はそのまま続いた可能性はある
531:世界@名無史さん
18/12/23 16:49:31.20 0.net
アルプ・アルスラーンはファーティマ朝を倒してエジプトを征服しようとした
新たな牧草地が欲しい遊牧トルクメンはエジプト遠征に乗り気でなかったので
アルプ・アルスラーンは側面援護を兼ねてトルクメンらにアナトリア遠征を許し
自らはマムルークを率いてエジプトへ向かいシリアに侵入した
ところがロマノス4世にトルクメンが敗退し
さらにセルジューク本国で謀反が起きたので
アルプ・アルスラーンはエジプト遠征を断念してシリアから退却した
そしてロマノス4世と講和して急いで本国に戻ろうとしたけど
ロマノス4世が講和を拒否したのでマンジケルトの会戦となった
532:世界@名無史さん
18/12/23 16:50:47.35 0.net
【嘘HK】 放射能と無関係を装って「心筋梗塞激増」
スレリンク(nhk板)
【放射線ホルミシス効果】 全部バラしてヤバいよって言った方が、セルフガードするからいいと思います
スレリンク(liveplus板)
533:世界@名無史さん
18/12/23 17:36:56.32 0.net
アルプ・アルスラーンはマンジケルトの会戦後に本国へ戻ると
西方領土拡大から本国重視に方針転換して中央アジアを制圧した
アルプ・アルスラーンは本国の兵力が減るのでトルクメンが移住
しないようにアナトリアを東ローマ領のままにしようとした
セルジューク朝では遊牧トルクメンが牧草地を求めて
イランの農地を牧草地化しようとして問題になっていた
セルジューク朝のイラン人宰相ニザム・アルムルクは
アルプ・アルスラーンの死後トルクメンをアナトリアへ移住させた
アルプ・アルスラーンは互いに対立するトルクメンとイラン人の
双方にとって邪魔な存在だったようだ
534:世界@名無史さん
18/12/23 18:25:09.79 0.net
アルプ・アルスラーンはユーフラテス河を国境としてアルメニアを
セルジューク領としてロマノス4世と講和しようとした
これにニケフォロス・ブリュエンニオスらギリシャ人諸将は
賛同したけどロマノス4世は拒否してマンジケルトに進軍した
ロマノス4世がアルメニアを東ローマ領にしてアルメニア人を
ギリシャ正教徒に改宗させようとしたのでアルメニア正教徒の
アルメニア人はセルジューク軍に参加してロマノス4世に抵抗した
ロマノス4世もギリシャ人とアルメニア人にとって邪魔な存在だった
1072年にアルプ・アルスラーンもロマノス4世も自国人に殺された
535:世界@名無史さん
18/12/23 20:11:52.07 0.net
ロマノス4世死後アナトリアのアンカラでノルマン人傭兵が
反乱を起こしてガラテア公国と称して自立しようとした
副帝アンドロニコスは父とともにこれを鎮圧しようとして敗北した
東ローマはノルマン人傭兵の鎮圧をセルジューク軍に依頼すると
セルジューク軍は傭兵だけでなくアンカラの住民も残らず追い払った
536:世界@名無史さん
18/12/23 20:43:46.97 0.net
もし11世紀にセルジューク朝相手にうまくやれて、アナトリアのテュルク化を防げたとしてだ
どうせ13世紀にはモンゴルの波がやってくるわけで、ルーム・セルジューク朝みたいな緩衝材なしに対峙してしまう
従属国で済むんなら史実より良い状態で14世紀を迎えられるかもしれんが、下手うったら200年早く滅亡コースだからな
537:世界@名無史さん
18/12/23 21:27:04.92 0.net
>>519
アナトリアにトルクメンが移住して本国の戦力が流失したので
セルジュークはカラ・キタイに負けたりするようになった
同様にアフガンのゴール朝もインドを征服すると本国から戦力が
流失してアフガンはホラズムに征服されてしまった
セルジュークの後継者ホラズムは流失したトルクメンに代わる戦力を
同じく遊牧民のカンクリ族で補い大国化したけど新参のカンクリ族と
従来から兵との対立でモンゴル軍に対して団結出来なかった
538:世界@名無史さん
18/12/23 21:45:16.81 0.net
新たな遊牧地を求めてたのはトルクメン自身だからなあ
アナトリアにいけなくなったら、ほかに行ってたんじゃね?
いずれにしても、こういう
539:歴史IFをしだすとキリがないし詮無いな
540:世界@名無史さん
18/12/23 22:28:21.18 0.net
トルクメンとかはモンゴル軍に比べて規律が悪いから数が多くても勝てないだろうね
モンゴル軍はとにかく戦利品の略奪は戦闘終了後で違反者は厳罰に処せられた
他の多く国は遊牧民も農耕民も戦利品はだいたい早い者勝ちだった
いち早く戦利品を手に入れて満足した兵が勝手に帰ってしまう事が多かった
541:世界@名無史さん
18/12/24 14:46:16.64 0.net
要するにニザーム・アルムルクがイランのトルコ化を阻止したわけだよな
もしトルクメンをアナトリアへ追い出さなかったのならばイラン全土が
アゼルバイジャンやトルクメニスタンのようにトルコ化したのだろうな
これはかつて東ローマがゴート族を西ローマ領に移住させた事に似ているな
もしゴート族がバルカンに定住し続けたら後のブルガリアのようになったはず
542:世界@名無史さん
18/12/24 18:53:27.05 0.net
>>519
もし11世紀にセルジューク朝相手にうまくやれて
アナトリア全土が東ローマ領のままならば当然
ロマノス4世の出身地カッパドキアも健在となるけど
カッパドキアはヘラクレイオス1世やニケフォロス2世も
輩出した尚武の気風の地だけど住民の多くがギリシャ化
していなくてアルメニア人が多かった地方だから
いつまでも東ローマ領であるとは限らなかった
543:世界@名無史さん
18/12/27 04:46:21.25 0.net
中国の史書にコンスタンティノープルに大きな水時計があったと
記されてるんだが、詳細分かる記録ある?
544:世界@名無史さん
19/02/15 19:06:12.30 0.net
ほしゅ
545:世界@名無史さん
19/02/25 10:33:05.29 0.net
ギリシアの炎
546:世界@名無史さん
19/03/25 23:53:21.91 0.net
URLリンク(www.afpbb.com)
トルコ大統領、アヤソフィア博物館のモスクへの改名を示唆
2019年3月25日 23:09 発信地:アンカラ/トルコ [ トルコ 中東・北アフリカ ]
547:世界@名無史さん
19/04/24 20:43:22.05 0.net
ビザンツの魅力ってあまりにも戦争が弱いのに1000年も続いたしぶとさだよな
548:世界@名無史さん
19/05/07 06:28:50.87 0.net
そこが魅力だよな
549:世界@名無史さん
19/05/12 21:29:43.27 0.net
イスタンブールのモザイク博物館に展示されてる大宮殿のものと推測されるモザイク画は血生臭い絵が多かったな。
猛獣が獲物に噛みついている絵など。
尚武の気風ということなのかな?
550:世界@名無史さん
19/05/26 21:36:25.61 0.net
東ローマ帝国は
なりふり構わず現在まで存続して欲しかった
一都市国家でもよかった
551:世界@名無史さん
19/05/27 17:21:10.30 0.net
国は滅ぶしかなかっただろうが皇帝がイタリアに亡命していれば皇帝兼イタリア貴族として存続したかも
逃げるよりは戦って死ぬことを選んだわけだが
552:世界@名無史さん
19/05/27 17:33:12.23 0.net
バレオロゴス家の何人か位は亡命してるのかな?
553:世界@名無史さん
19/05/27 19:15:30.10 0.net
>>534
皇女がロシア方面に逃げてたような…。
554:世界@名無史さん
19/05/28 04:16:54.80 0.net
コンスタンティノス11世が逃げ延びてパレオロゴス家が存続したとしてもコンスタンティノープルが無ければただの一貴族程度でしかないのでは?
555:世界@名無史さん
19/05/28 09:43:39.97 0.net
異教徒に国を滅ぼされたローマ皇帝なんてキリスト教世界じゃ最高のステータスじゃん
556:世界@名無史さん
19/05/28 10:32:25.64 0.net
19世紀のギリシア復興時に国王として戻れたかもな
557:世界@名無史さん
19/05/28 11:49:18.40 0.net
ビザンツの戦争の弱さは一流だけど皇帝で一番戦争が上手かったのは誰?
将軍はベリサリウスだけど
バシレイオス2世か?
558:世界@名無史さん
19/05/28 15:10:53.50 0.net
バシレイオス2世はブルガリアに負けたりしていて、戦術面では最高点はつけにくいかな。
ロマノスあたりは?
559:世界@名無史さん
19/05/28 16:35:28.37 0.net
ササン朝に完勝したヘラクレイオスとか挙げたいけどこの人も後年はムスリムに完敗してたり無条件で強いって人はいないよねこの国
560:世界@名無史さん
19/05/29 02:33:01.24 0.net
ヘラクレイオスは前半生もけっこう負けてて、ムラのある人だから最強論議には上がらないんじゃないか。
小説の主人公にはピッタリだけどね。
561:世界@名無史さん
19/05/29 20:00:16.19 0.net
>>541
ササン朝が突厥に中央アジア方面で負けまくって国力落としていた時期だからね。
562:世界@名無史さん
19/05/29 21:27:45.93 0.net
ウマイヤ朝を追い返したレオーン3世あたりはどうだろう?
563:世界@名無史さん
19/05/29 21:42:03.47 0.net
つか帝国弱くないだろ
564:世界@名無史さん
19/05/29 21:49:51.98 0.net
弱いだろ
565:世界@名無史さん
19/05/29 22:03:40.56 0.net
弱かったら1000年も保たんわ
566:世界@名無史さん
19/05/30 02:34:51.56 0.net
時期と人によるが、
そんなに強かったらエジプトは奪回してたろうな。
567:世界@名無史さん
19/06/02 00:19:15.79 0.net
弱くはないな、よくまあムスリムの本拠地近くで長いこと粘ったよ
惜しくも滅んだが彼らの侵食はペルシャだろうがインドだろうが中華だろうが止めれないからしゃーない
568:世界@名無史さん
19/06/02 00:35:10.55 0.net
鉄壁のコンスタンティノープルのおかげ
569:世界@名無史さん
19/06/03 01:45:51.64 0.net
あれ作った人も凄いな
どれくらいの年月かかったんだろう
築城時には侵略者から防げてたのかとか
570:世界@名無史さん
19/06/03 17:53:39.38 0.net
こないだコンスタンティノープルに行ったら城壁がピカピカに再生されてた。
571:世界@名無史さん
19/06/05 15:49:15.15 0.net
エジプトでのギリシャ正教とコプト正教会の勢力は30倍違う
他は全てはイスラームに改宗した
帝国政府はエジプト人の衆望を完全に失っていた以上もはや「奪回」のレベルでは不可能だった
572:世界@名無史さん
19/06/12 10:36:31.72 0.net
皇帝直属親衛隊のヴァラング隊ってカッコいいな
面白い本とかあるかね
573:世界@名無史さん
19/06/13 01:38:01.00 0.net
>>554
ヴァリャーギ親衛隊の軍装とか大雑把なのでいいなら
多分大きめの図書館なら置いてあるはずなんで借りてな
ビザンティン帝国の軍隊―886‐1118 ローマ帝国の継承者
(オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ) 単行本 - 2001/11
新紀元社
574:世界@名無史さん
19/06/13 01:41:23.70 0.net
>>555
あとこれは読みやすいとはいわないが
ヴァリャーギ親衛隊の事を詳しく書いてある
現時点では日本で唯一?かも
これも図書館で探すのが良いかと
ヴァリャーギ ビザンツの北欧人親衛隊 単行本 - 2008/7
出版社: 国際語学社 (2008/07)
575:世界@名無史さん
19/06/13 02:41:06.17 0.net
蛮族を親衛隊にするとか亡国の一歩だな
576:世界@名無史さん
19/06/13 09:41:24.42 0.net
スイス傭兵「せやな」
577:世界@名無史さん
19/06/13 17:11:29.20 0.net
>>555
探してみるあざす
578:世界@名無史さん
19/06/14 00:07:32.36 0.net
URLリンク(www.youtube.com)
Varangians - Elite Bodyguards of the Byzantine Emperors
Kings and Generals
2019/06/13 に公開
579:世界@名無史さん
19/06/17 06:30:00.33 0.net
東ローマを扱った映画てあるの?
580:世界@名無史さん
19/06/17 16:28:46.49 0.net
欧米でもマイナーそうだなあ。
ちなみに映画化するならどの時代がよかろうか。
581:世界@名無史さん
19/06/17 17:20:21.34 0.net
>>558
スイス人は蛮族じゃないが
582:世界@名無史さん
19/06/18 21:28:35.98 0.net
>>561
ヘラクレイオス1世の時代のヤルムークの戦いを映画化したのが、
Youtubeにあるよ。でも、軍装が共和制から帝政初期のレギオンの
まんまで、スパルタクスの反乱時と区別がつかない。
あの装備なら駱駝騎兵と弓兵で構成されたウマイヤ朝軍にいかにも負けそう。
583:世界@名無史さん
19/06/18 21:30:26.51 0.net
>>563
蛮族に近いくらいの傭兵ならローマの略奪したドイツ傭兵部隊の
ランツクネヒトじゃないかな。
584:世界@名無史さん
19/06/20 01:43:33.79 0.net
>>564
ほんと?ありがとう
今通信制限中なのとにわかだから時代背景やら人物やらちょっと知識下調べしてみてから月頭にでも見てみるよ
サンクス
585:世界@名無史さん
19/07/08 00:33:34.98 0.net
>>566
ユスティニアヌスやテオドラの映画でいいなら・・・
探せば同時代のはまだあるはずです
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(www.youtube.com)
Teodora, emperatriz de Bizancio, parte 1 (1954)
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(www.youtube.com)
Kampf um Rom 1&2 - Trailer (Deutsch)
URLリンク(www.youtube.com)
Битва за Рим, часть 1 (1968)
ギリシャ人のはずなのにイタリア語やドイツ語w
586:世界@名無史さん
19/07/08 00:40:51.03 0.net
>>567
2つとも元の原題タイトル(や英語タイトル)とかで検索すれば
他にも動画が出てくると思います
その作品の制作国の言語だと多いかもしれません
ドイツ作品の方・・・ユスティニアヌスがあのアメリカの名優オーソン・ウェルズw
587:世界@名無史さん
19/07/08 00:48:52.25 0.net
>>567
付け足し
URLリンク(en.wikipedia.org)
Kampf um Rom
youtubeには朗読データとか出るのでドイツでは有名な作品のようですね
URLリンク(kotobank.jp)
URLリンク(de.wikipedia.org)
フェーリクス ダーン
URLリンク(www.imdb.com)
URLリンク(www.imdb.com)
最初にあげたイタリアのテオドラの映画とこのドイツ映画の評価は・・・
昔の史劇ものにありがちな大味な感じなんでしょうかね(;^ω^)
588:世界@名無史さん
19/07/08 04:45:17.05 0.net
コンスタンチノープル落城モノてないの?
589:世界@名無史さん
19/07/08 21:00:45.91 0.net
古代ギリシャは「東ローマ帝国」「オスマントルコ帝国」と名前を変えて続いてる
トルコ皇帝は実質的にギリシャ人だし、官僚も軍人もギリシャ人のキリスト教徒だ
590:世界@名無史さん
19/07/08 21:01:49.09 0.net
?
591:世界@名無史さん
19/07/09 08:20:01.23 0.net
漁ってみたら別スレに元ネタがあった。(以下改行の関係で文だけコピペ)
>>ギリシャは優れた文明がある国なのに何でこんな嫌われてるの?
>>嫌われてはいない
バカにされてるのと、面倒見るのは勘弁と思われてるだけ
>>古代には優れていたけれど中世以降は後進国
>>偉大な文明の発祥地として尊敬されてる
>>近代ギリシャは古代ギリシャとは別物だから
>>日本かて奈良時代の日本と現代の日本は全然違うやん
風景も街も人々の服装も都も違うし、現代人と奈良時代人とは言葉も通じん
でも日本は日本や
>>歴史が�
592:A綿と続いている日本と比較することがおかしい ギリシャは存在自体が消えて19世紀まで出でこないし >>「東ローマ帝国」「オスマントルコ帝国」と名前を変えて続いてるじゃん トルコ皇帝は実質的にギリシャ人だし、官僚も軍人もギリシャ人のキリスト教徒だ >>は? >>こじつけトンデモ説すぎて草 ほとんど騎馬民族征服説並み さすがにネタだろうけど
593:世界@名無史さん
19/07/09 12:23:30.06 0.net
>>567
>ギリシャ人のはずなのにイタリア語やドイツ語w
ユスティニアヌス朝初期の頃はまだ東ローマの公用語はラテン語
また東ローマ軍の将兵には数多くのゲルマン人兵士がいた
ユスティニアヌス朝の時にバルカン北部がスラブ化して
東ローマからラテン語話者とゲルマン兵が消滅していった
ユスティニアヌス朝最後のマウリキウス帝はカッパドキア出身で
この頃になると東ローマはすっかりキリシャ人の国になっていた
594:世界@名無史さん
19/07/09 22:35:49.89 0.net
ギリシャ人は「西洋文明発祥の地」とかって威張ってるけど、はっきり言って現代のギリシャって古代ギリシャとは全然関係ないよね。
そのくせプライドだけは高くて周辺諸国ともめごとばかり起こすし、ロクなことしてない。失礼、言い過ぎました…
595:世界@名無史さん
19/07/10 02:11:42.06 0.net
21 風吹けば名無し 2019/07/10(水) 02:09:17.06 ID:tenMxdKn0
バシレイオス2世「この帝国も形になってきたな!」
コンスタンティノス8世「んほぉ~この戦車競走たまんねぇ~」
コンスタンティノス8世「ボードゲームするだけで抜けるわぁ…」
市民「うわぁ来たよ…」(東ローマ名物無能皇帝)
アンドロニコス1世コムネノス「改革の進行はどうだい?」シコシコ
宦官「現在ここまで進んでいます」
アンドロニコス1世コムネノス「え?市民や貴族が反乱?…ふんふん…」(処刑)
貴族「次の皇帝は誰?」
市民「イサキオス2世さんですね」
貴族(そっかぁ…)
イサキオス2世「この第3回十字軍なんか違うんだよね…王道すぎるというか…ひねりがないよねぇ…」
教皇、アレクシオス3世「うわぁ…」(そうですか…)(帝位奪取)
アレクシオス4世「そうだ!この第4回十字軍に途中でハンガリー攻撃させてコンスタンティノポリスをカッコよく陥落させようよ!」
イサキオス2世「皇帝は俺とアレクシオス4世ちゃんね!これは面白くなるぞ!」
596:世界@名無史さん
19/07/21 17:52:47.71 0.net
んー
597:世界@名無史さん
19/07/29 15:21:37.22 0.net
>>573
東ローマ時代のギリシャ人はなぜ弱兵なのか2
スレリンク(whis板)
別スレはもしかして上のスレかな?
598:世界@名無史さん
19/09/11 17:07:00.03 0.net
>>575
じゃあ最初から言うんじゃねえぞ?この知恵遅れが。世の中を蔑むのもいい加減にしろよな?
599:世界@名無史さん
20/01/05 23:27:00.78 0.net
ほしゅします
600:世界@名無史さん
20/02/03 16:55:58 0.net
>>488
そこまで求めるのは無理ゲー。
バシレイオス2世に広域的な商業を解するだけのアタマはなかった。
禁欲的で質素を重んじたせいで、経済的には停滞した、とまで言われている。
ピサやジェノヴァを手に入れたところで、持て余すのが関の山。
601:世界@名無史さん
20/02/03 23:14:59.26 0.net
>>581
仮にバシレイオス2世に広域商業、経済を理解できるアタマがあったら、是が非でもノミスマ金貨の改鋳に踏み切ったと思う。
つまり通貨供給量の増加によるデフレ対策と域内経済振興と出目(でめ)収入。
「中世のドル」とまでいわれたノミスマでそれをやるなら効果は絶大だっただろ。
しかし結果的にバシレイオスが活躍した11世紀初頭まで
602:ノミスマ金貨の純度は変わっていない。 金の供給量は変わっていないのだから、通貨供給は増加しなかった、と考えるべき。 金貨の純度が劇的に低下するのは12世紀末、ミュリオケファロンの敗戦後。 東ローマにとって苦し紛れの出目収入策だったが、地中海域内で一気にインフレが進行。 商業国家であるジェノヴァやヴェネツィアで投資が進み、後の台頭につながった。 ただ、これをバシレイオスに求めるのは酷に過ぎる。 貨幣価値は貴金属の含有量ではなく、発行体の信用力によって決まることを喝破したのは、7世紀も後、江戸時代日本の天才勘定奉行荻原重秀だった。
603:世界@名無史さん
20/02/03 23:54:02.34 0.net
あっ、間違えた。
ミュリオケファロンの敗戦後は11世紀末だった。
604:世界@名無史さん
20/02/04 00:08:37.03 0.net
>ミュリオケファロン
この単語、いつも「桶」とか、マヌエルが右手でOKしてるとことか連想しちゃう
605:世界@名無史さん
20/02/04 11:54:03 0.net
中世みたいな
供給能力低い時代に
デフレなんてあったの?
常にもの、サービス不足のインフレ状態だと
思うんだけど
606:世界@名無史さん
20/02/04 12:44:21.59 0.net
>>585
供給能力は低かったが、需要も低かった。
もっと低かったのは貨幣の供給能力。
むしろデフレ状態の方が多かったよ。
607:世界@名無史さん
20/02/04 14:09:19 0.net
>>582
>発行体の信用力によって決まること
これって中国の紙幣や16世紀フランドルの為替等で既に判明していたことじゃ?
608:世界@名無史さん
20/02/04 14:28:33 0.net
>>587
中国のこうしゃ(変換できねーw)は明らかに違う。
フランドルの為替はノーチェックやった。
ご指摘?くす!
609:世界@名無史さん
20/02/04 20:29:53 0.net
>>588
>中国のこうしゃ(変換できねーw)は明らかに違う
そうかな? 発行した紙幣の期限を決めて回収するように調整していたのは
政府の信用力を認知していたからだと思うのだが
まあ、中国の紙幣は貨幣は、毎回増刷し過ぎたり界もだんだん期限が長くなり最終的に無期限化したりしてたわけだけど
中国紙幣は為替が起源だけど、これはそれまで度々あった鉄銭や布巾など、銅銀金が不足していて貨幣供給不足の
場合に別素材を貨幣として流通させたもので、その場合必ず貨幣安定論として戦国時代からある子母相権論が出てくる
610:世界@名無史さん
20/02/04 21:12:43.95 0.net
>>589
>発行した紙幣の期限を決めて回収するように調整していたのは
>政府の信用力を認知していたからだと思うのだが
受取り拒否は死罪!
こんなこと決める時点で信用力とかもはや関係無し。
貨幣の3条件(支払決済手段、価値尺度、価値保蔵)のうち後2者を満たしていない。
つまり死刑にさえならなければ誰も受け取りたくないし、誰も価値基準としないってこと。
611:世界@名無史さん
20/02/04 21:34:19 0.net
確かに江戸幕府でも享保時代に貨幣改鋳を荻原重秀より確信的に、より徹底してやった大岡忠相は、旧貨幣の供出を拒否った4豪商の手代(現代風に言えば部課長級かな?)を問答無用で伝馬町の牢にブチ込んだが、別に誰も殺していない。
そもそも主人(代表取締役)でもなく番頭(役員級)でもなく、手代なんぞ遣わす時点で、豪商側の方が幕府(軍事政権)を舐めてたわけだが。
612:世界@名無史さん
20/02/04 22:06:03 0.net
>>590
>受取り拒否は死罪!
これ出典は?偽造したり、価値を毀損するようなことをした場合の話じゃないの?
雑学系の本ではなく、中国経済史の本では見たことがない
613: 自分が知らないだけかも知れないので、まともな出典を教えてほしい なお、自分が書いている信用の話は、元の話だけではなく、宋金代の話も含む(というか、 最初の紙幣なので、主に宋金のつもりの話で書いていた)
614:世界@名無史さん
20/02/04 22:20:32 0.net
>>590
URLリンク(www.wikiwand.com)
元は決済上の利便性から紙幣の流通を押し進めた。交鈔の流通を拒んだり、偽造をする者は死罪となった.
615:世界@名無史さん
20/02/04 22:29:54 0.net
なんだwikipediaか、、、まあ一般書とはいえ出典はわかったから、こんど確認してみるわ
仮に元の交鈔がそうだとしても、宋金とは違うという話だよね
616:世界@名無史さん
20/02/04 23:04:29 0.net
話を戻すと、ビザンツのヒュペルビュロンの暴落は、コイン史で有名なシラカワサイトによると
URLリンク(sirakawa.b.la9.jp)
ちょうど1200年頃、第四回十字軍の頃に見える
でも1176年のミュリオケファロンの敗戦とその後の条約がきっかけかも知れない
どっちなんだろうね
617:世界@名無史さん
20/02/04 23:50:07 0.net
>>595
すまん、ミュリオケファロンとマンジケルトの敗戦を混同してたわ。
高校行きなおしてきまつ・・・orz
ソリドゥス金貨
URLリンク(ja.wikipedia.org)
しかし紙幣の概念の無いこの時代、「中世のドル」の乱発(というか、それまでが貨幣不足のデフレだった)は交易上のインフレを招いたことはほぼ間違いなく、こちらも話を戻すが、ジェノヴァ、ヴェネツィア等の商業都市の台頭を招いた。
618:世界@名無史さん
20/02/04 23:54:00 0.net
>>570
つ『コンスタンティノープルの陥落』 塩野七生
619:世界@名無史さん
20/02/05 18:55:36 0.net
バシレイオス二世の時代は、戦争して略奪して奪った敵国の貨幣や財宝を自国貨幣に改鋳にする、
というような安直な考えしかなかった時代だからねぇ
620:世界@名無史さん
20/02/05 23:37:50.16 0.net
>>598
確かに軍人皇帝時代らしい大雑把で乱暴なやり方。
しかも、それを胎蔵するために、宝物庫の床まで掘り下げるとかな。
しかしそのおかげで、帝国は安定した「中産階級」を抱え込むことができた、と言えなくもない。
621:世界@名無史さん
20/02/06 20:54:42 0.net
>>570
>>597
小説なら
「艦隊山越え 征服王スルタン・メフメット」豊田穣
歴史解説ものなら
「イスタンブール 三つの顔をもつ帝都」ジョン・フリーリ
(「世界の都市の物語」シリーズ内)「イスタンブール」陳舜臣
といった本もあるね
622:世界@名無史さん
20/05/08 01:02:28 0.net
新書48
スレリンク(books板)
38 無名草子さん (ワッチョイ dfbd-h83k) sage ▼ 2020/05/04(月) 05:19:42.19 ID:GxTw+zjF0
@中公新書6月。
遠藤耕太郎『万葉集の起源 東アジアに息づく抒情の系譜』
加藤文元『数学する精神 増補版』
蔭山宏『カール・シュミット ナチスと例外状況の政治学』
倉沢愛子『インドネシア大虐殺 二つのクーデターと史上最大級の惨劇』
中谷功治『ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち』
--------
シュミット本の著者は政治(哲)学でもなく法(哲)学でもなくドイツ思想史が専門のようだ。注目。
623:世界@名無史さん
20/05/08 01:11:20.87 0.net
>>601
URLリンク(www.hanmoto.com)
中公新書 2595
ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち
新書
中谷 功治(著/文)
発行:中央公論新社
新書判 336ページ
定価 940円+税
ISBN9784121025951CコードC1222
教養 新書 外国歴史
出版社在庫情報不明
発売予定日2020年6月23日
登録日2020年5月7日
最終更新日2020年5月7日
紹介
千年以上にわたるビザンツ帝国の歴史。
本書は、文字どおり波瀾万丈・有為転変の連続であった、その軌跡を描き出す試みである。
個性豊かな皇帝が登場し、過酷な政争や熾烈な外交および戦争が展開された歴史は、ダイナミズムに富んでいる。
コンスタンティノープルの発展、帝国が各地に及ぼした影響、十字軍との関わりなど、
豊富な論点を踏まえて、帝国の内実を描き出す。
624:世界@名無史さん
20/05/08 02:15:04 0.net
まーた通史か
同じようなばっかしで面白くないな
どうせ皇帝の羅列だろ
625:世界@名無史さん
20/05/09 20:30:46 0.net
小笠原『オスマン帝国』が売れたので二番企画なんだろうよ
オスマン帝国はかなり本が出ているようで、最初から最後まで全部扱った通史は
出てなかったからそれなりに売れたが、ビザンツ通史はもう何冊も出てるからなあ
626:世界@名無史さん
20/06/19 17:58:49.57 0.net
誰かアレクシアス読んだのおらんの
627:世界@名無史さん
20/06/21 00:18:26 0.net
読んだよ
個人的には読みにくかった
原文の文章の癖なのかな
628:世界@名無史さん
20/06/21 00:49:49.12 0.net
イーリアスとどっちが面白かった?
629:世界@名無史さん
20/07/11 17:47:31.52 0.net
おい聞いてくれよお前ら
エルドアンの野郎がとんでもない暴挙に出やがった
トルコ大統領 「アヤソフィア」をイスラム教のモスクに変更
2020年7月11日 6時23分
イスラム教徒が多数を占めるトルコのエルドアン大統領は、
イスタンブールの世界遺産の一部で博物館として使われてきた歴史的建造物「アヤソフィア」をイスラム教のモスクに変更したと発表しました。
アメリカやギリシャはアヤソフィアを博物館のまま維持するようトルコに求めていただけに、今後、波紋が広がりそうです。
URLリンク(www3.nhk.or.jp)
630:世界@名無史さん
20/07/11 22:40:18 0.net
何を今更。1453年に東ローマは終わったんだ。建物が残っているだけでも良しとしないと。
631:世界@名無史さん
20/07/11 23:00:14 0.net
本当だわな
アルハンブラ宮殿のモスクは今やカトリックの大聖堂だが今更返せなんて言うのも野暮の話
むしろ建築が現存し歴史を伝えてくれるだけでもありがたい
アギアソフィアもまた同じこと
632:世界@名無史さん
20/07/12 01:56:49 0.net
でもあれ部分的に往時のモザイクが残ってるけど、モスクにするならあれはまずいだろ。また塗りつぶしちゃうのか?
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
633:世界@名無史さん
20/07/12 02:40:00.85 0.net
東ローマ人だって自分たちでイコン破壊しまくったのにな
お陰でローマ絵画の流れを組んだ旧イコンは極僅かしか残らず、下手くそなビザンティンイコンが主流に
634:世界@名無史さん
20/07/12 04:21:22.39 0.net
でも写実的な前期イコンには魅力も精神性も感じないなあ
フロレンスキイ神父が言ったように、物理法則や写実性を無視したところに彼岸性や精神性が立ち現れる
635:世界@名無史さん
20/07/12 20:16:30.87 0.net
精神性だの彼岸性だのは後付だけどな
文化大革命の後の革命的新イコンを後付で評価してるだけ
636:世界@名無史さん
20/07/19 10:41:36.32 0.net
>>602
URLリンク(i.imgur.com)
637:世界@名無史さん
20/08/06 00:36:30 0.net
ビザンツなんてトルコに吸収されて消滅した
638:世界@名無史さん
20/08/06 22:22:36.01 0.net
ビザンツ帝国では、農業技術の発展がほとんどみられなかったけど、なぜなのかな
西ヨーロッパでは農業生産が何倍にも増大し、イスラーム世界では灌漑によって
収穫が飛躍的に伸び、東方の作物も栽培されるようになったのに対して、
ビザンツでは11世紀の間、農業の生産性はまったく変わらなかった
639:世界@名無史さん
20/08/21 19:27:41 0.net
堕落してたの?
640:世界@名無史さん
20/08/21 21:10:33.58 0.net
コンスタンティノープル一極集中は現代日本の東京に似ている
641:世界@名無史さん
20/08/22 11:09:21 0.net
テサロニカ、エフェソス、トレビゾンドなどの街も経済的には重要であり、
また当時としては破格の3万から4万という人口を誇っていたが、首都である
コンスタンティノープルとは比べようもなかった
642:世界@名無史さん
20/08/22 22:23:19 0.net
ビザンツ皇帝は、「人の住むあらゆる土地」の支配者でなければならない
ビザンツ人にとって、外国人などというものは、少なくとも理論的には存在しなかった
建前上、皇帝が条約に署名するのではない
たとえそれが帝国に不利なものであっても、他国との条約はすべて、
「皇帝の寛大かつ一方的な譲歩」という形を取った
ちょっと中国に似ている
643:世界@名無史さん
20/08/23 14:16:34 0.net
テマ制度は唐の節度使にそっくりだな
前者はその後完璧に大土地所有を認める封建社会になったのに対して後者はガチガチの中央集権の宋朝が成立したという違いはあるけど
また前漢の武帝、魏の曹操、明の洪武帝永楽帝みたいに北の遊牧民を逆に侵略してボコボコにしてた時代もあるけど
東ローマは北方民族に優位に立てた時代がまったくない
攻めてきたら地方は捨てて首都に防御全振りしてやり過ごすか貢物おくってお引き取り願うかのどっちか
644:世界@名無史さん
20/08/23 14:46:34 0.net
ビザンツの地方貴族の出世とは、コンスタンティノープルに移って館を建て、
高位の官職につくことだった
貴族たちは、公務以外から報酬を得ないという、古代の有閑階級の生活様式を守った
このようなことは地方の所領からあがってくる莫大な収入があって可能なことであった
645:世界@名無史さん
20/08/23 16:14:22 0.net
>>622
テマは世襲ではないので節度使とは違うんでは?帝政ローマ時代の皇帝属州の総督(軍団指揮権を有してた)の方が近い
646:世界@名無史さん
20/08/23 16:47:57 0.net
ビザンツも中国も、「対等な関係」というのを認めない文明だけど、
実は近代ヨーロッパの、「対等な主権国家同士の関係」のほうが
人類史の中では特殊なのかもしれない
647:世界@名無史さん
20/08/23 17:48:36.29 0.net
>>625
互いの国力を無視して「対等」に扱うというのは本来不自然極まりないことだからね。
序
648:列なり区別なりあるほうが自然。
649:世界@名無史さん
20/08/23 18:59:11 0.net
ビザンツ帝国はあらゆる国を―独立国であろうと、ビザンツ帝国より
強大な国であろうと―全キリスト教徒の父であるローマ皇帝を頂点とする
序列の中に位置づけた
各国の王は、家長である皇帝の家族とみなされたのである
650:世界@名無史さん
20/08/24 21:20:10 0.net
虚栄だわな
9,10世紀には人口も科学も文化もバグダードやコルドバの後塵を拝したのに未だに世界の中心だの空しすぎる
651:世界@名無史さん
20/08/24 22:11:04.31 0.net
>>617
ビザンツ帝国軍は騎兵が主力だったから
牧畜が奨励されて農業が停滞したのでは?
バルカンをスラブ人に奪われる以前は
バルカンが兵馬の供給地だったけど
以後はアナトリアで賄わなければならなくなった
652:世界@名無史さん
20/08/24 22:12:06.45 0.net
12世紀以降、北イタリア諸都市の商工業の発展に押されて
ビザンツ帝国の国内産業は衰退してしまったしな
653:世界@名無史さん
20/08/24 23:14:23 0.net
>>629
ビザンツの農業は古代ギリシア・ローマ以来の地中海農法が行われ、
あまり技術の進歩がなかった
それでも、古代から中世初期には西欧に比べて高度な農業技術を持っていたが、
12世紀に西欧やイスラムで農業技術が改善され農地の大開墾が行われるようになると、
ビザンツの農業の立ち遅れが目立つようになってしまった
技術的進歩といえば、せいぜい双股の鍬の発明ぐらいだった
654:世界@名無史さん
20/08/24 23:57:27 0.net
シュメール滅亡後に塩害で放棄されたイラク南部の土地で
アッバース朝時代に黒人奴隷ザンジュを用いた土地改良により
サトウキビとかを栽培する奴隷農場が発展したけど
ザンジュの乱の鎮圧後に農場は元の荒れ地に戻った
中世の中央アジアでは綿花の栽培が発展したけど
穀物から綿花に耕地を転用し過ぎたので
穀物の備蓄が充分に出来なくなり
モンゴル軍に包囲された都市が次々と陥落した
655:世界@名無史さん
20/08/25 00:11:16 0.net
セルジューク朝の遊牧トルクメンは放牧地を求めて
イラン人の農地を奪い放牧地にしようとしたので
ゼルジューク朝のイラン人宰相ニザーム・アル・ムルクは
イランを守る為にビザンツ帝国のアナトリアに
遊牧トルクメンを移住させた
遊牧トルクメンはビザンツ人の農地を奪い放牧地にした
656:世界@名無史さん
20/08/25 03:57:45 0.net
マケドニア朝末期のテマ制崩壊により
ビザンツ帝国の農民は兵役から解放され
農業に専念に出来るようになり
このまま農業が発展するかにみえたが
トルコ系遊牧民の移住により
ビザンツ帝国の農業は壊滅した
657:世界@名無史さん
20/08/26 10:56:33.67 0.net
古代ローマや中世ヨーロッパと違って東ローマはフィクションの題材として
あまり多く取り上げられないな
658:世界@名無史さん
20/08/26 13:16:50 0.net
単なるオリエント専制じゃないか
659:世界@名無史さん
20/08/26 16:09:49 0.net
>>636
プラトンは、哲人王は法よりもすぐれており、法に従っても従わなくても、
正しいと思う統治をすれば人々の幸福にになると考えていた
アリストテレスも君主制を望ましい政体と考えていた
ビザンツの専制は、オリエントだけではなく、古代ギリシャの影響も
あるんじゃないか?
660:世界@名無史さん
20/08/26 20:54:44 0.net
プラトンの哲人王は専制君主じゃないし(仕方ないから役目を負うって建前)、アリストテレスの政治学は12世紀までまともに注解作られないほど影が薄かった
古代ギリシャじゃ専制の僭主は基本評判悪い
661:世界@名無史さん
20/08/26 22:43:15 0.net
ビザンツ人は君主政を理想の政体とみなしていたが、その根拠は、神が唯一であるように
支配者もひとりであるべきだということである
�
662:。数の神を認めることは無神論であり、権力を複数の者が分かち合う民主政とは 無政府状態にほかならない ビザンツの専制皇帝にあえてオリエント的性格を求めるなら、キリスト教がそれであろう
663:世界@名無史さん
20/08/27 21:26:34 0.net
>>635
ファンタジー小説の嚆矢である指輪物語のゴンドールやゲド戦記のエンラッドは東ローマ帝国がモデルだけど
RPGに出てくる西洋風の帝国は大なり小なり東ローマを連想してると思う
664:世界@名無史さん
20/08/27 22:54:39.69 0.net
ユスティニアヌスが西方領土を奪回しようとせず、東方国境の守りを固め、
バルカン半島の防衛を強化していたらよかったんじゃなかろうか
彼の死後にランゴバルト人がイタリアに侵入し、帝国はイタリア半島南端部と、
ラヴェンナからローマに至る地帯をかろうじて確保するのみとなってしまった
665:世界@名無史さん
20/08/28 00:19:54 0.net
ユスティニアヌス1世がアクスムをササン朝にけしかけた事が
アクスムとササン朝のイエメン争奪戦でイエメンが荒廃して
イエメンのマアリブ・ダムが放棄され
農業を諦めたイエメン人がベドウィン化して
アラブ・イスラムによる大征服の端緒となった
666:世界@名無史さん
20/08/28 08:52:44 0.net
ユスティニアヌス1世がアクスムをササン朝にけしかけた事は
アラブ・イスラムによる大征服の端緒となった
アクスムとササン朝のイエメン争奪戦でイエメンが荒廃して
イエメンのマアリブ・ダムが放棄されので
農業を諦めたイエメン人がベドウィン化して
イエメンの外へ移住せざるえなくなった
667:世界@名無史さん
20/08/28 09:19:45.61 0.net
イランの王朝は異民族の侵入によってあっさり滅びるパターンが多いけど、
ビザンツはゴキブリ並みにしぶといよな
717年、イサウリア人レオーン3世が帝位についたときは、帝国を取り巻く状況は
絶望的になっていた
アラブ人はコンスタンティノープルを海と陸の両方から包囲し、タウロス山脈沿いの
国境も寸断されていた。バルカン半島では、ビザンツの支配下にあるのは、
エーゲ海沿岸の細長い地域だけになっていた
しかし8世紀末になると、トラキア地方、カルキディケ半島、ギリシア中央部、
ペロポネソス半島などの領土奪還が進んだ
668:世界@名無史さん
20/08/28 12:38:58.81 0.net
「アレクシアス」
「ビザンツ帝国ー千年の興亡と皇帝たち」
「歴史学の慰めーアンナ・コムネナの生涯と作品」
アンナ・コムネナ関連も含めてビザンツ帝国関連の本が最近よく出てるな
669:世界@名無史さん
20/08/28 14:28:05 0.net
>>645
日本も衰退期に入ったし、どのように生き延びるかという意味で
ビザンツ帝国への関心が高まっているのだろうか
670:世界@名無史さん
20/08/28 21:15:44.60 0.net
安倍首相=バシレイオス2世
671:世界@名無史さん
20/08/29 07:41:25 0.net
現代の日本は古い共同体が崩壊して個人が重視されるようになっているが、
そのうちビザンツ人のように超越的な権威にすがりたくなったりして
672:世界@名無史さん
20/08/29 17:16:43.86 0.net
コンスタンティノス11世はスレイマンに降伏してた方が良かったな
意地はって劫略の憂き目を市民に味わわせるとはな
673:世界@名無史さん
20/08/29 22:18:21 0.net
あの状況で降伏したところで略奪は免れんよ
兵士が何のために戦っていると思っているんだ?
いくら日本人とはいえ平和ボケも度が過ぎるだろう・・・
674:世界@名無史さん
20/08/29 23:30:35.67 0.net
第四回十字軍のときもコンスタンティノープル市民は散々な目に遭ったしな
あの時代までは古代の彫刻や貴重な文献もかなり残っていたらしいが…
675:世界@名無史さん
20/08/30 00:19:11 0.net
>>650
降伏すれば略奪しないのがイスラーム法だ
676:世界@名無史さん
20/08/30 07:33:50 0.net
>>619
コンスタンティノープルの人口は4世紀末には20万人をこえ、
6世紀前半にはおよそ50万人に達した
確かに一極集中だ
677:世界@名無史さん
20/08/30 15:11:48 0.net
都市の人口いくら増えても戦争には役に立たないんだよな
田舎のあぶれ者が兵士となってくれなきゃ戦争強国にはなれない
678:世界@名無史さん
20/08/30 16:50:08 0.net
>>654
だから外交で異民族同士を戦わせ、漁夫の利を得る
あるいは条約を結び、賄賂を贈って敵国を買収する
679:世界@名無史さん
20/08/31 07:35:04.18 0.net
コンスタンティノープルが本当の意味で帝都になるのは、
4世紀末のテオドシウス1世時代のこと
それ以前の皇帝たちは、帝国内の各地を移動していた
680:世界@名無史さん
20/08/31 12:56:18 0.net
>>646
なるほどそういう見方もあるのか
俺はビザンツの研究者が増えたということを言いたかった
俺らの時は大阪市大の井上先生か浜松医大の和田先生ぐらいしかいなかったもんな
681:世界@名無史さん
20/08/31 15:01:42 0.net
アレクシアスの訳者の相野洋三先生は井上先生より年上だしその上の世代には渡辺金一先生や杉村貞臣先生もいた
20世紀は井上和田相野渡辺杉村先生で合計5人いたことになる
夭折された米田先生や後年になって活躍した尚樹先生も含めれば7人
最近著作を出している新世代の先生は根津由喜夫先生と中谷先生と小林先生大月先生の4人なので
人数的にはむしろ減っているような
682:世界@名無史さん
20/09/02 16:31:06 0.net
>>656
テオドシウス1世時代からコンスタンティノープル以外が危険になり
皇帝が帝国内の各地を移動出来なくなったわけですな
683:世界@名無史さん
20/09/02 18:31:45 0.net
テオドシウスのオベリスクに刻まれている浮彫を見ると、
中世的特徴が出ているよね
古代から中世への過渡期の時代だということがわかる
684:世界@名無史さん
20/09/03 11:37:59.12 0.net
テオドシウス1世はスペイン出身だけど
即位してからスペインと絶縁状態になった
スペインにいたテオドシウスの親族らは
スペインから追放された
テオドシウス家は西ローマ領で嫌われていた
685:世界@名無史さん
20/09/03 18:51:07.86 0.net
後期ローマ帝国では、わずかな時期を除いて、複数の皇帝による分割統治が
行われたが、もうこの時期から東(ギリシア語圏)と西(ラテン語圏)の亀裂が
大きくなってきていたんだろうね
元首制時代のギリシア諸都市では、グレコ・ローマンという形容が示すように、
制度上も、文化面でも、ギリシアとローマの混淆が進んだが、それはしょせん
一時的なものにすぎなかったのか
686:世界@名無史さん
20/09/04 00:56:24 0.net
>>662
しかもアカエア属州としてローマに編入された当時のギリシャは、
少なからず自身がヘレネスとしての自覚を持ち、ローマに取り込まれることを拒んでいたのにな
蓋を開けてみれば意外にもローマ人が厚遇してくれたので反発も少なかったんだろうが、
それにしても後世自らを『ローマ人』だと規定するようになるとはね
その上で西はローマ帝国ではないと考えるとは何たる皮肉
687:世界@名無史さん
20/09/04 01:02:36.29 0.net
ローマが偉大すぎた
688:世界@名無史さん
20/09/04 11:25:39 0.net
アナスタシウス1世の財政改革のおかげで東ローマの国庫は急速に豊かになった
これがなければユスティニアヌス1世の旧西ローマ帝国領回復もなかったかもしれない
689:世界@名無史さん
20/09/04 11:29:00 0.net
ユスティニアヌスなんて全然名君じゃないよな
なんか持ち上げられすぎ
690:世界@名無史さん
20/09/04 12:17:30.02 0.net
むしろベリサリウス使ってニカの乱を鎮圧(=民衆を虐殺)してるところとか、
ゲルマン民族の大移動後、東ゴート王国の支配の元で
安定を取り戻しつつあったイタリア半島を破壊・略奪したところとか、
帝国領土拡大の最大の功労者のベリサリウスを冷遇していったりとか、
暴君の要素しかないな・・・今思うと
691:。 ニカの乱でコンスタンティノープルを脱出する直前に 妻テオドラに説得されて方針転換した話は今でも面白いなと思うけどさ
692:世界@名無史さん
20/09/04 14:19:09 0.net
>>667
ユスティニアヌスはニカの乱で市民を容赦なく虐殺してるけどさ、
元首政時代のローマ皇帝ならそんなことはやらなかったんだろうか?
ユスティニアヌスの時代のローマ皇帝はもはや専制君主だったからできたのかも
693:世界@名無史さん
20/09/04 14:21:04 0.net
『生き残った帝国ビザンティン』のKindle版が出てた
694:世界@名無史さん
20/09/04 22:13:38 0.net
>>654
11世紀には社会的上昇の媒体としての軍隊は魅力を失い、法学を学び、
中央の官僚機構に列することが野心に満ちた若者たちの最大の目標となった
695:世界@名無史さん
20/09/05 01:40:25.64 0.net
南宋みたいなもんだな
696:世界@名無史さん
20/09/05 11:18:10 0.net
帝都コンスタンティノープルで豪奢な生活を送り、プラトンやアリストテレスの
作品について文人たちと談論したり、高度な神学上の問題について議論を交わす
これがビザンツ貴族の生活
もはや文明は爛熟しきっていた
イブン=ハルドゥーンも田舎から都市に出てきた人間は軟弱になる、
みたいなことを書いてなかったっけ?
697:世界@名無史さん
20/09/05 11:49:01 0.net
>>672
多神教時代のギリシャ人の哲学なんて談論してたの?
あと、イブン=ハルドゥーンが言ってたのは『人間』というより『民族』が
当初の野蛮な強さを忘れて軟弱になるって言ってた気がする
698:世界@名無史さん
20/09/06 08:52:31 0.net
都市に住むようになった王族と
遊牧民のままの部族民が対立するようになる
王族は専制化を目指すけど部族民が従わないので
傭兵や奴隷兵で部族民を押さえつけようとする
こうして仲間割れになって王朝は滅亡してしまう
699:世界@名無史さん
20/09/06 09:04:12.44 0.net
都市に住むようになった王族と
都市民も激しく対立していた
都市民は自警団アイヤールで抵抗していた
都市民の中には外敵に内通する者もいた
モンゴル軍の道案内をしたのは
オアシス都市出身の商人だった
700:世界@名無史さん
20/09/06 09:55:05 0.net
>>666
コンスタンティヌス大帝とテオドシウス大帝やユスティニアヌス大帝とか
キリスト教大帝を近代以前は批判出来なかったようだね
イスラム世界でムハンマドやシーア派のアリーを批判出来ないと同じだな
シーア派のアリーなんか単純に我儘な暴君なんだけど崇拝され続けている
701:世界@名無史さん
20/09/06 10:50:53.75 0.net
ローマのカンピドリオ広場にあるマルクス・アウレリウス・アントニヌス騎馬像は、
コンスタンティヌス大帝の像と間違われたので破壊されなかったのだとか
702:世界@名無史さん
20/09/06 11:40:10 0.net
マルクス・アウレリウス・アントニヌス騎馬像は
髭をはやしているから中世のキリスト教君主ように見える
コンスタンティヌス大帝とかローマ人の多くは髭を剃っていた
703:世界@名無史さん
20/09/06 14:53:46 0.net
ニコマキの象牙板
URLリンク(en.wikipedia.org)
テオドシウス帝によってキリスト教が国教化された後も、こういう古代的な作品が
つくられていたんだよな
その一方でテオドシウス帝の肖像の後ろには聖人のように光輪が表現されていて、
古代と中世の過渡期だということがわかる
URLリンク(simple.wikipedia.org)
704:世界@名無史さん
20/09/07 19:29:26.54 0.net
ユスティニアヌス1世はアテネのアカデメイアを閉鎖したといわれるが、実際には、
アカデメイアはその後も活動を続けていたようである
ギリシア古典の研究、写本の作成が途絶え、ギリシアにおける文化活動が大きく
停滞するのは、6世紀の�
705:續シ、アヴァール・スラヴ人の侵入による都市の破壊以降の ことである
706:世界@名無史さん
20/09/08 16:26:57 0.net
中世画って今でいう
抽象画や印象派みたいな感じだったのかな
写実は無意味っていう
707:世界@名無史さん
20/09/08 20:02:29 0.net
単にイコノクラスムでローマ絵画の技術が失われただけ
彫像技術なんて6世紀には早く失われた
708:世界@名無史さん
20/09/08 20:08:13 0.net
神の真の姿は目に見えないもの、つまり人間の感覚を越えたもので、
絶対的な真理または美であるが、肉の目ではそれを見ることはできない
それは目に見えないが完璧な実在で、それをイデアと考える
イデアはたった一つの原型であるから、キリストの体や顔がまちまちの
個性を持っていることはその本来の性質を俗っぽいものにするので、
おおよそ身体も顔も決まった形式をもって描かれる
709:世界@名無史さん
20/09/08 23:47:29.65 0.net
>>680
マジで?
最後の学頭ダマスキオスら7人の哲学者が閉鎖後、ササン朝の保護求めて移住したのは有名だがアカデメイアが閉鎖後も活動できたならササン朝に保護求める必要なかったんじゃ?
彼ら主要哲学者達を欠いてアカデメイアの誰が活動してたの?
710:世界@名無史さん
20/09/09 09:42:06 0.net
近世以降のギリシャって東ローマ帝国に対しては古代ギリシャと同じく
尊敬の念を抱いてたりする?
711:世界@名無史さん
20/09/09 19:20:29 0.net
ビザンツではペストは流行らなかったのかな?
もし流行っていたとすればビザンツ帝国民も入浴の習慣はなかった、とか?
712:世界@名無史さん
20/09/09 19:32:27 0.net
6世紀ユスティニアヌス1世時代のペストの大流行は有名だね
14世紀のペストの大流行はビザンツを再起不能にしたと言われる
コンスタンティノープルは空き家だらけのゴーストタウンになった
713:世界@名無史さん
20/09/09 20:00:34 0.net
アカデメイアは閉鎖したが、アテネの学塾が全て閉鎖されたわけではない、他の学塾は
存続していた、という話だと思うのだけど
714:世界@名無史さん
20/09/09 22:28:07 0.net
シナイ山、聖カタリナ修道院のキリストのイコン(6世紀前半)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
ユスティニアヌス1世の時代には、古代美術の遺産が高いレベルで残っていた
715:世界@名無史さん
20/09/10 00:32:46 0.net
>>688
>>680はアカデメイアが活動を続けたっていたって言ってるんだよなぁ
個人の活動だったらアカデメイアの活動とは言わないし
716:世界@名無史さん
20/09/10 01:40:40 0.net
>>690
アカデメイア閉鎖については
Justinian, Malalas, and the End of Athenian Philosophical Teaching in A.D. 529*
という論文があるから、529年以降もアテネでアカデメイアが続いていたとするなら
どこに書いてあるか教えて
ちなみに>>688では個人の活動などとは書いてないが
717:世界@名無史さん
20/09/10 02:13:40 0.net
>>691
だから529年以後もアカデメイアはどこで活動を続けたわけ?という疑問を680に宛てたわけだが
そしたら>>688が学塾が云々するからそれはアカデメイアの活動とは言わんよねってこと
718:世界@名無史さん
20/09/10 08:36:30 0.net
>>692
何か勘違いしているようだが、>>688は、「アカデメイアは閉鎖された」と書いたのであって、
学塾=アカデメイアとは書いていない
文章読解できるようになって
(「アカデメイアが活動を続けたっていたって言ってるんだよなぁ 」←君、文章も変だね)
で、現在わかっている事実は>>688で書いた通り
アカデメイアを閉鎖する法令が529年にでた。これをもってアカデメイアは閉鎖されたと考えられている
傍証としてアカデメイアの著名な学者は他の都市に移った事実がある
アカデメイアの学者が他都市に移ったから、これまではアテネにおける古代の学術が全てほろんだと解釈されてきたが、
最近の研究書で、その後もアテネで研究・教育がなされていた事例が指摘された(この部分が
どれくらいの規模かわからないのでとりあえず「学塾」と書いたわけ)
719:世界@名無史さん
20/09/10 08:43:32 0.net
>>680は、>>693の話(アテネで学塾が継続していた)という説を曲解したのではないか?と指摘したのが>>688というわけ
720:世界@名無史さん
20/09/10 22:56:13 0.net
現在のギリシャ人にとって東ローマ帝国は古代ギリシャと同じく栄光の歴史となってる?
どちらかというと古代ギリシャのほうを持ちあげてる感じがするけど
721:世界@名無史さん
20/09/11 19:54:16.43 0.net
ユスティニアヌス1世の時代、ビザンツ軍は傭兵を主体とした軍隊だった
傭兵を主力とする皇帝直属の中央軍団は、7世紀におけるアラブ人との
戦闘で敗北を喫する
彼らはアラブ人のゲリラ戦に対応することができなかったのである
722:世界@名無史さん
20/09/11 20:28:54.62 0.net
ヘラクレイオス1世の臣下10万超を2万のイスラム軍が破った戦い、ヤルムークの戦い(636年)の時にイスラム軍を指揮したハーリド・イブン・アル=ワリードは、アラブ世界では英雄/名将として有名。
アッラーの剣という異名を持つ。
ヤルムークの戦いではワリードの巧妙な戦術に東ローマ軍は10万超の大軍の約半数を失ったとされる。
723:世界@名無史さん
20/09/11 22:32:03.35 0.net
アラブ人は攻城術を知らなかったので、堅固な城壁に守られたビザンツ都市に対して
なすすべもなかったとか
724:世界@名無史さん
20/09/11 23:37:20.22 0.net
アラブ人って、象に苦戦したり攻城法を知らなかったり海軍がなかったり、
大征服の過程で、「こんなことも知らんで征服してたんか」みたいな話が多い
知らんかったことを着実に身に着けたから大帝国に発展したのだろうが
アラブ人がそうしたスキルを身に着けるまで放置していた敗れた側の大帝国たちは
何してたん?と思う
725:世界@名無史さん
20/09/11 23:41:33.88 0.net
>>695
イスタンブルが首都だったらもっとビザンツを売りにしてたかもね
ハギアソフィアがない、イスタンブルがないではビザンツ持ちあげても
片腹痛いという感じ
てかビザンツ持ちあげると大ギリシア復興運動が活性化しNATOを維持したい欧米に
止められるから国をあげてビザンツ持ちあげるとかできないんではないかな
二次大戦中の軍事独裁メタクサス政権ではビザンツを持ち上げていたはず
726:世界@名無史さん
20/09/11 23:46:28.17 0.net
>>697
ハーリドは世界史上でも10指に入る名将だよ
727:世界@名無史さん
20/09/12 01:38:44.86 0.net
そういえばギリシャの歴史ドラマって東ローマ帝国時代を舞台とした作品も多いのかしら。
逆に歴史ドラマの時代背景としてはマイナー?
728:世界@名無史さん
20/09/12 09:36:18.14 0.net
>>677
670年代になるとアラブ人も強力な艦隊の建造に取りかかる
729:世界@名無史さん
20/09/12 16:44:33.59 0.net
>>700
イタリアがローマを持ち上げるのと、ギリシアがビザンツを持ち上げるのとは変わりないように
見えるが
イタリアがローマを持ち上げてもムッソリーニの拡張主義に結びつける人よりも、ローマはヨーロッパの
源流として現在のEUに結びつける人の方が多いから問題ない
ビザンツをギリシアが持ち上げると、19世紀以来の大ギリシア主義と結びついてしまう
この違いは何なのか
ヨーロッパ諸国はローマを共通の祖先とか故郷だと思っているが、ギリシアの周辺諸国は
ビザンツを故郷とは考えておらず、敵対国と考えているから
ところがオスマン帝国は、わりとかつての支配下諸国に受け入れられていて
トルコが制作したオスマン帝国のドラマは周辺諸国でもヒットし、トルコのエンタメも
周辺諸国に受け入れられている
ギリシアでビザンツを作るとしたら、大ギリシア主義とは切り離して、周辺諸国含めた
普遍文化を強調すればうまくいくかも知れない
730:世界@名無史さん
20/09/12 16:52:01.16 0.net
ビザンツ帝国はアラブ人にエジプト・シリアを奪われたけれど、
単性論を信ずる地域を失ったおかげで、教義論争で悩むことはなくなった
かつてローマ帝国の支配地域だった領域は、西欧・ビザンツ・イスラームの
三つの文明に分かれていく
731:世界@名無史さん
20/09/12 23:03:41.87 0.net
古代のローマ人も、蛮族は変わらない、進歩しないと考えていたようだが、
ビザンツ人やペルシア人も同じだったのかなあ
732:世界@名無史さん
20/09/13 00:28:31.39 0.net
テオドリック時代の東ゴート王国は東ローマの属国いうポジションなのか?それとも皇帝なき西ローマと見做せばよいのか?
733:世界@名無史さん
20/09/14 16:30:52.50 0.net
東ゴート族は、最初東ローマ帝国の同盟者だったが、豊かな土地と戦利品を求めて
バルカンに侵入し略奪した
そこで東ローマ帝国は488年、テオドリック王率いる東ゴートをイタリアへ向けさせ、
彼らをうまくバルカンから排除した
東ローマはイタリアを犠牲にして自国を救ったといっていいのかな?
734:世界@名無史さん
20/09/15 13:39:40.05 0.net
ゴート族とイサウリア人が東ローマ軍内で勢力争いしていたけど
イサウリア人のゼノン帝はゴート族をイタリアへ移住させて
東ローマ軍内からゴート族を減少させてイサウリア人に有利にした
イサウリア人よりもゴート族の方が優秀な兵士だったようだから
東ローマ軍が弱くなった
735:世界@名無史さん
20/09/15 13:52:57.67 0.net
でも東ゴートは東ローマのベリサリウスによって滅ぼされた
736:世界@名無史さん
20/09/15 16:10:11.84 0.net
ちょうど鐙が普及し始めたからゴート族の優位が崩れたのだろう
民族大移動開始時にはゴート族以外は鐙を使っていなかったようだ
西ゴートも鐙を使うアラブ軍に滅ぼされている
737:世界@名無史さん
20/09/15 16:46:31.34 0.net
>>707
東ゴートのテオドリックは東ローマ帝国の皇帝の代理者という名目で統治にあたり、
またフランク族など他のゲルマン系部族の多くも東ローマの皇帝の権威を尊重したため、
少なくとも表面的には、東ローマ皇帝は地中海世界全体の宗主権を握る最高の支配者
という地位を保ち続けることができた
738:世界@名無史さん
20/09/17 23:20:28.53 0.net
7世紀に南スラヴ人がバルカン半島を南下し、西欧とビザンツとの間に楔を打ち込むと、
両者の交流は困難となった
その結果、ローマをはじめとする西方の主要都市におけるギリシア語の知識は激減し、
同時にコンスタンティノープルにおけるラテン語の知識も大きく後退した
そして、相互理解の機会は減少の一途をたどった
739:世界@名無史さん
20/10/18 10:02:03.99 0.net
東ローマにおいて古代ローマ時代のような”プレノーメン・ノーメン・コグノーメン”な
名乗りをしなくなったのって何で?
740:714
20/10/18 10:02:41.43 0.net
ageてもうたorz
741:世界@名無史さん
20/10/19 19:04:29.59 0.net
>>714
別にageてもいいんでない?
もう5chの世界史板なんて過疎り放題でageようがsageようが大差ない
それはともかく、その全名の名乗り方はローマ系住民の習慣であって
東ローマ帝国本土の大半の住民であるギリシャ系住民の習慣じゃない
そりゃあローマ人の習慣なんて廃れていって当然だろうよ
コムネノス朝頃だっけか?
家名を本人の名前の後に続けて名乗る習慣が出たのは。
それ以前か?忘れた・・・
742:世界@名無史さん
20/10/19 19:35:31.08 0.net
第四回十字軍がコンスタンティノープルを占領したとき、
この時代までは残っていたギリシア彫刻の傑作も破壊されたんだよな
古代の文献もこの時に失われたものが多い
聖ソフィア大聖堂では聖域の大きな垂れ幕が、その金の縁飾りのせいで
ずたずたに引き裂かれた
扉や説教壇からは銀細工や金メッキの彫刻が剥ぎ取られた
聖使徒教会では歴代
743:皇帝の墳墓が荒らされた
744:世界@名無史さん
20/10/19 19:58:25.68 0.net
>>714
9世紀半ば以降、テマの高級軍人の中に苗字を帯びる者が増大する
745:世界@名無史さん
20/10/20 10:22:12.20 0.net
>>704
正教圏でも?正教徒にとってビザンツは総本山でしょ
逆に西欧もイタリアを祖国とは全く思ってない
ローマは崇拝しても
746:世界@名無史さん
20/10/20 11:02:47.06 0.net
>>719
正教圏のロシアで今ビザンツって人気なんだろうか?
もし人気だったら、ロシア経由で国際的にビザンツ人気が盛り上がる可能性もあるかもしれない
747:世界@名無史さん
20/10/20 11:22:15.56 0.net
なんで西ローマ帝国はあっさり滅びたの?
URLリンク(youtu.be)
748:世界@名無史さん
20/10/20 12:35:50.55 0.net
>>719
正教徒はビザンツを総本山とは思ってないだろ
ローマはペテロの座だが、コンスタンティノープルは使徒は殉教者や聖書所縁の地でもなんでもない
カトリックにはラテン語という共通語があるが、正教はほぼ改宗後早い段階で聖書は現地語に
翻訳された
総主教も各言語圏ごとに独立した存在
また、正教圏の有力構成国はほとんどビザンツの領土だったことがない
ブルガリア、セルビアは一時的に領土になっただけ
アルメニアとグルジアは従属していただけ
ロシアとルーマニアは領土になったことはまったくない(カトリック圏の中南米と同じようなもの)
正教圏としての一体感はあるかも知れないがビザンツを共通の祖先と見なす考えはあまりない
とはいえまったく関係ないと思っているわけではなく兄貴分くらいには思っているかも知れないが
749:世界@名無史さん
20/10/20 16:30:18.23 0.net
正教圏諸国人でビザンツで高官に出世した人が少ないのも痛い
オスマン朝は大宰相にまで出世したバルカン人やアルメニア人など帝国内の諸国人がたくさんいたが
(というよりトルコ人よりも多い)
初期の頃はともかく、ヘラクレイオス朝以降の領土の縮小したビザンツ帝国で
高官に出世したのはギリシア人以外だとアルメニア人以外あまりいない
750:世界@名無史さん
20/10/20 16:46:44.60 0.net
>>723
よくビザンツは実力主義だったといわれるけど、
官僚となるための前提となった高度な教養自体、コンスタンティノープル以外では
事実上習得できず、地方の出身者で子弟を首都の高等教育機関に送り出すことが
できたのは富裕な家系に限られていたんだよな
中国で科挙を受験することができたのも富裕層の子弟が多かったらしいけど
751:世界@名無史さん
20/10/20 16:53:21.83 0.net
中世や古代なら「富裕ならチャンスがある」のは実力主義と言っていいんじゃない?現代社会なら格差の再生産だけど。
752:世界@名無史さん
20/10/20 18:18:27.29 0.net
軍や下級役人で成果上げればどの民族や出自関係なく出世して官位も得られただけで十分だと思うけど
コムネノス以降とはその辺は分けて考えたい
753:世界@名無史さん
20/10/20 18:44:40.44 0.net
富裕ならチャンスがある、ということは、経済力がある階層が時代とともに変わっても、経済力のある
社会層を常に支配体制に組み込める社会ということだから、こういう社会は持続性がある
社会でもっとも経済力のある層を支配層に取り込めなくなると、革命などの大きな社会変動が起こる
もっとも、格差が拡大しすぎて人口の99%が下層となってしまうと、いくら富裕層を支配体制にいれたところで、
99%が反乱を起こせばひっくりかえるから、やはりどこかに閾値があるのだろう
754:世界@名無史さん
20/10/20 19:31:16.40 0.net
コーンスターチヌス大帝 age
755:世界@名無史さん
20/10/20 20:25:43.50 0.net
お前らなんぞ目玉くり抜かれて終わりだよ
756:世界@名無史さん
20/10/21 00:04:37.67 0.net
今の日本で中国史や中国
757:文化が親兄貴分としてしまれているのと同じような感じで ロシアやバルカン半島諸国でもビザンツ史やその文化が親しまれてるってことはないんだろうか
758:世界@名無史さん
20/10/21 00:31:37.14 0.net
>>730
ビザンツ史についてはどうだかわからないけど文化についてはあると思う
だから
>ギリシアでビザンツを作るとしたら、大ギリシア主義とは切り離して、周辺諸国含めた
普遍文化を強調すればうまくいくかも知れない
ということ
東洋でも、中国が冊封体制を持ち出して周辺諸国を属国扱いしたり、逆に日本が大東亜戦争は正しかった
とかいうと軋轢が起こるが、文化的なものなら中国人は日本のドラマをみて、日本人は三国志や
キングダムが好きで中華史劇ドラマも結構みられている
ビザンツは、ギリシアだけではなく、ブルガリアセルビアトルコロシアがあまりナショナリズムを強調するのがネック
なんせ19世紀末から20世紀初頭は「火薬庫」と言われた地域だから、東洋より複雑で荒れやすい
この点オスマンドラマは、ちゃんと諸民族出身者をドラマの登場人物に配して一方的に描かなかったこともトルコ以外で
受け入れられた理由のひとつ
一方ギリシアは大ギリシア主義と結びつきやすいからビザンツであまりアピールせず、古代ギリシアの方をアピールしてる
759:世界@名無史さん
20/10/21 00:54:48.62 0.net
>>731
ビザンツの普遍文化というとやっぱり正教や美術・文学とかになるんだろう
軋轢を生みやすいナショナリズムからは極力切り離して、そういう共通文化からまずは親しみを持たせていくべきだな
760:世界@名無史さん
20/10/21 14:43:00.20 0.net
ビザンツ人は自国のことを、人類の歴史は多くの帝国の興亡史だったが、
自分たちの国はその最後を飾る帝国であり、その後にはキリストの再臨、
最後の審判が来ると考えていた
オスマン帝国に滅ぼされたとき、ビザンツ人はどう考えたんだろうか
761:世界@名無史さん
20/10/21 20:05:51.15 0.net
お前らともあろうものがアレクシス和訳についてあまり話していないとは
762:世界@名無史さん
20/10/22 07:42:26.24 0.net
プロコピオスの『秘史』も。
763:世界@名無史さん
20/10/22 08:36:53.49 0.net
>>733
まだ滅亡まで余裕のあったうちは、終末論があったし、滅亡後民衆はそのように思っていたかも知れない
知識人の中には(少数派) オスマンをローマの継承者と見る人もいた
しかしその他知識人は、西欧の勃興をわりと認識していたようだから、終末論を脱していた可能性がある
その西欧では、このままオスマンに征服される危機感もあったろうが、一方でカール五世とかが登場し、
新たな普遍帝国を目指したから、結局のところキリスト教的ローマ帝国は西方で継続しているから
世界の終末はまだ来ない的な感じになったんじゃなかろうか
モスクワ大公国がツァーを名乗るのもオスマン以外の継承者理念の反映なのだろう
764:世界@名無史さん
20/10/22 22:18:14.51 0.net
すいやせん
ギリシャの火ってどれくらいすごかったんですか?
現代科学でもギリシャの火は作れないんですか?
これでもオスマンになぜ負けたのですか?
765:世界@名無史さん
20/10/22 23:22:58.07 0.net
ブリエンニオス歴史の翻訳終わってんならさっさと出して欲しい
引用の様子見てると相当事実に基づいてしっかり書いてそうだし
766:世界@名無史さん
20/10/23 02:55:03.52 0.net
>>737
ギリシャの火が活躍したのは9世紀ぐらいのことであって、
オスマン帝国が攻めて来た15世紀にはとっくのとうに過去の遺物として忘れ去られた兵器になってたぞ
その頃にはビザンツでギリシャの火が使われた記録はもう一切なくなってる
多分、時代と共に製法が忘れ去られて作れなくなったんだろう
767:世界@名無史さん
20/10/23 05:13:50.90 0.net
>>739 なるほど、でもすごいですよね
今でもわからないってのは
768:世界@名無史さん
20/10/23 11:49:51.12 0.net
若槻泰雄が『日本の戦争責任(下)』で、
「日本の仏教は六世紀に伝来したときから、国家鎮護の思想として国家権力の
庇護の下に成長してきたのであるから、国家権力と対立するという思想を本来
持ちえなかった。浄土真宗のような例外もないではなかったが、国家を超えた
普遍的概念を構成することはなかった」
と書いているんだが、むしろ叙任権闘争の後、聖俗が分離した西欧文明圏のほうが
特殊なんじゃないのかな。
ビザンツ皇帝は「地上における神の代理人」とされ、皇帝は教会のあり方に
干渉したし、皇帝は厳密にいえば聖職者ではないが、「使徒に匹敵する」存在とされ、
一般信徒とは区別された。皇帝は説教を行うこともできたし、教会の内陣が
一般信徒に閉ざされた6世紀以降でも、内陣で聖体拝領を受けることができた。
769:世界@名無史さん
20/10/23 13:32:48.60 0.net
ヒトラーはまだビザンツ人がいれば
どうしてました?アウシュビッツ行き?
770:世界@名無史さん
20/10/23 21:06:50.44 0.net
>>739
ネットフリックスのオスマン帝国のドラマではギリシャ火が使われてたとか言われてたけどあれは創作なんだろうか?
771:世界@名無史さん
20/10/23 21:07:25.49 0.net
あ、コンスタンティノープルが陥落した時の戦いで使われてたってことね
772:世界@名無史さん
20/10/24 06:55:15.60 0.net
>>743
そのドラマは見たことないから知らんけど創作なんじゃね?
時代考証をちょっと間違えてる歴史ドラマなんて珍しくないし
773:世界@名無史さん
20/10/24 08:03:33.56 0.net
あのドラマ、間違いなくエンタメ用に脚色されたり意図的に抜いた要素とかあるからな
メフメト2世時代の大宰相チャンダルル・ハリル・パシャが
ビザンツ皇帝コンスタンティノス11世の弟である大臣兼軍司令官ルカス・ノタラス大公と内通していたってところとかな
少なくとも間違いなく彼らは直接会ったことはないだろうし、
ビザンツとオスマンで内通してたにせよ、こんな幹部クラスの人間同士で内通していたとは考えにくい
ただ、ルカス・ノタラス大公がコンスタンティノープル陥落後にオスマン側に処刑されたところは事実やね
俺はこのドラマ見てから調べて知ったけども
あと、傭兵隊長ジュスティニアーニ・ロンゴが皇帝の娘(妹?名前も忘れた)と恋愛関係になっていたところとかも創作
そこよりケルコポルタ門が『鍵のかけ忘れ』に気づかれて突破されたところは再現しろよ・・・と思う
普通にどっかの門が破壊されて突破されたことになってたし
774:世界@名無史さん
20/10/24 12:16:13.57 0.net
>>739
>ギリシャの火が活躍したのは9世紀ぐらいのことであって
1043年のルーシの襲撃ではギリシア火で撃退されているから、少なくとも11世紀までは使われていたようだ
775:世界@名無史さん
20/10/24 16:11:18.50 0.net
1453年についての史実どうこうとか言い始めたら戦ってたのなんて西ヨーロッパの商人とその傭兵だけで
住民はいつも通り生活してただけになりますけどね
776:世界@名無史さん
20/10/24 18:48:42.12 0.net
アラブ人が海軍を創設できたのは、優れた港や造船所を持つシリア、エジプトを
征服したかららしいね
674年から678年までアラブ艦隊はコンスタンティノープルを包囲するけど、
このとき滅亡寸前の帝国を救ったのが「ギリシアの火」
7世紀後半にシリア出身のカリニコスによって発明された
生石灰・松脂・精製油・硫黄などを混合した液体であったらしい
777:世界@名無史さん
20/10/25 09:49:59.32 0.net
あの~双頭の鷲ってビザンツの象徴じゃないですか?
ロシア、アルバニア、セルビアはビザンツの実質的な正当後継国ということですか?
778:世界@名無史さん
20/10/25 10:33:09.04 0.net
アラブは乾燥地帯なのに、どうやって軍船用の木材を調達したんだ?
レバノン杉でも
779:使ったのか?
780:世界@名無史さん
20/10/25 10:38:54.27 0.net
全部自称だけどね
ブルガリア君主とかも双頭の鷲じゃないけど、
シメオン1世はギリシャ語の『バシレウス』と名乗っていた
ビザンツ帝国を圧倒しコンスタンティノープル総主教にバシレウス(皇帝)だと認めさせた
『ローマ人とブルガリア人の皇帝にして専制君主』とも自称している
とはいえ、もちろんビザンツ皇帝からしてみればただの僭称に過ぎなかったわけだが。
東欧・南欧世界においてビザンツ皇帝というのは憧れの象徴だったのは間違いない
781:世界@名無史さん
20/10/25 11:02:24.78 0.net
そうなんですか・・
双頭の鷲は左右に向いてますよね?
意味は西も支配者、東も支配者としての意味なんでしょ?
支配者としての憧れの象徴にはなりえますね
782:世界@名無史さん
20/10/25 12:15:10.69 0.net
まあ古今東西、君主の称号やら紋章やらってのは僭称だったり
新しく創設したけど当時の人らには「自称でしょ?」程度の認識だったりする場合が多い
それでも年月が立つと権威ある称号だと認識されたり、
あるいは”ホントは縁もゆかりもないけど自身の権威付けに・・・”って理由で利用される
神聖ローマ帝国も双頭の鷲を国章としてるだろ?
あれもローマ帝国(皇帝)の権威にあやかってるだけ
ヨーロッパの西も東も支配する権利を持つ唯一の皇帝ですよ~ってこと
もちろんローマを保有したことはないし、ラテン語も公用語でもないし、ローマ人は中世後期にはもういない
それでも「カール1世がローマ教皇からローマ皇帝としての戴冠を受けたから!」
これだけでローマ帝国を名乗っちゃうんだから、まあ面の皮厚いよね(笑)
783:世界@名無史さん
20/10/25 14:50:10.80 0.net
>>737
ギリシアの火は何度かあちこちで研究者による再現実験がされている
例えば greek fire byzantine national geographic で検索すると再現実験の動画が出てくる
原料は推測らしいが、将来ギリシアの火で焼かれた船の残骸が見つかって、残骸に残る物質の成分分析をして
成分が判明する時がくるかもしれないね
784:世界@名無史さん
20/10/25 14:55:18.15 0.net
>>754
神聖ローマ皇帝はしばしば都市ローマの支配者でもあったし、公文書もラテン語のものが多いだろ?
785:世界@名無史さん
20/10/25 19:06:31.61 0.net
カール大帝の西ローマ皇帝戴冠を知ったビザンツ側の反応は、
カールがコンスタンティノープルめざして進軍してくるのではないかという
懸念だったとか
この時期ビザンツでは皇妃イレーネが君臨しており、女性の支配者を認めない
フランク王国では、皇帝は空位であるという認識だった
786:世界@名無史さん
20/10/25 20:40:06.18 0.net
中近東は産油地帯だから、やはりギリシャ火には石油が使われていたのか?
787:世界@名無史さん
20/10/25 22:58:40.62 0.net
URLリンク(www.modelshipmaster.com)
ビザンツ主力戦艦ドロモンの模型
ビザンツ海軍は二段階の戦術を取った
第一段階では、「ギリシアの火」で敵艦を破壊する。
この際、微妙な操艦を行う漕ぎ手の腕がものを言った
第二段階は敵艦に接舷し、重装兵が乗り込む。
788:世界@名無史さん
20/10/26 06:17:19.36 0.net
メディーバルトータルウォー(ゲーム)で東ローマに興味もったんだけど
西欧資本のせいであんまりなくない?
東欧も含めて東ローマ題材の映画とかドラマとか
地味という感じもするな
日本語付きの大河ドラマみたいなものがあればわかりやすいんだけどな
いろんな宗教や考え方が入り混じって翻訳�
789:�しそうだな
790:世界@名無史さん
20/10/26 08:19:18.32 0.net
ビザンツが地味なのは後継者のギリシャが今しょぼいからなのかな
人口も1000万人しかいないみたいだし
791:世界@名無史さん
20/10/26 09:06:39.56 0.net
ギリシャだけでなく、他の東方正教の国々も、西欧諸国に比べればイマイチだよな
世界を制したのは西欧文明のほうだったし
792:世界@名無史さん
20/10/26 09:19:29.38 0.net
オスマン帝国統治下のギリシャ人は、自分たちがヘレネス(古代ギリシャ人、異教徒)
の子孫だということをすっかり忘れ去っていた
西欧からの旅行者が古代ギリシャの遺跡を訪れるのを見て、
「彼らはヘレネスの子孫で、祖先が残した遺物を見に来ているのだ」
と考えていたという
793:世界@名無史さん
20/10/26 11:34:42.63 0.net
ビザンツのドラマとか映画がないから何が分からないかって、
当時の一般的な人々の服装や街並みとかがいまいち想像つかないんだよな
ビザンツ時代の絵画みても支配階級か宗教的人物のモザイク画ばかりで良く分からんし
オスマン帝国の時代のイスタンブールの街並みのほうが絵的にイメージ沸く
ビザンツ時代のコンスタンティノープルの映像は頭に浮かばない
794:世界@名無史さん
20/10/26 12:12:44.74 0.net
ビザンツが登場する映画なら、Fetih 1453 というトルコの映画がある
検索するとようつべのは日本語字幕もある
コンスタンティノープルの民衆も少しでてくる
795:世界@名無史さん
20/10/26 12:16:28.15 0.net
ビザンツ 映画 で検索したら、
ビザンツ歴史関連映画「コンスタンティン・フィロソフ」(1983年作)
というのも見つけた。テッサロニキや当時の小学校が登場しているらしい
796:世界@名無史さん
20/10/26 14:02:28.88 0.net
枢軸側と連合国側の違いとして
過去の古い制度への復活が枢軸側で
新しい制度への切り替えが連合国だった
連合国が西欧だな
ソ連は例外だが、枢軸側は東欧に多い
東欧は過去の古い制度への復活を目指すから
地味で西洋より時代遅れで、映画ドラマも
古臭くて敬遠されがちなんだろう
797:世界@名無史さん
20/10/26 22:22:07.86 0.net
東ローマは西ローマに比べて皇帝政府の権力が強かったけれど、これはやはり
専制政治の伝統が強いオリエントを統治していたからなのかな
西ローマの場合、在地の有力者が強い力を持っていたので、
皇帝政府が地域を把握していなかった
798:世界@名無史さん
20/10/27 13:14:02.53 0.net
すいやせん
十字軍とビザンツはなぜ対立してたのですか?
同じキリストでしょ?
ビザンツは十字軍を編成したことはあるのでしょうか?
799:世界@名無史さん
20/10/27 21:25:19.23 0.net
>>769
そもそもキリスト教でもカトリックと正教の違いがあることも知らない人?
800:世界@名無史さん
20/10/27 21:44:30.58 0.net
>>770
はい
801:世界@名無史さん
20/10/27 22:02:59.59 0.net
ビザンツ「聖地をムスリムの手から取り戻してくれ。ただし取り戻した後はうちの領地にしてくれ」
十字軍「はい」
占領後
十字軍「なわけないだろ。占領地は俺らのものだわ」
ビザンツ「約束を破りおって許さん」
こんな感じだったような
802:世界@名無史さん
20/10/27 22:37:19.62 0.net
というか高校の世界史教科書に載ってそうな話をここで聞くのか
803:世界@名無史さん
20/10/28 04:30:43.86 0.net
>>771
どこから語ろうか・・・
正直解説動画とかサイトとか見てほしいレベル
ビザンツは中世半ば頃まではヨーロッパの先進国家、オリエントを支配下に入れてた
宗教はキリスト教の内の(東方)正教、その本拠地(ホントはそうではないが、わかりすく説明する)は
キリスト教がローマ帝国で公認された当初は正教会とカトリックという区別はなかったが、
11世紀に入るまでには正教会とカトリックという形に分裂、対立関係にあった
それでも「完全な異教徒よりはマシ程度」の考えは持っていたが・・・
そんな状況下で、ビザンツ帝国を圧迫していたセル�
804:Wューク朝(イスラム王朝)がアナトリアを征服し、 ビザンツ側は「異教徒共がエルサレムを占拠した!全キリスト教徒の危機!」と西欧に宣伝、 エルサレムの奪還を目的とする救援を求めた。 (これは当時の皇帝アレクシオス1世によるプロパガンダでしかない。 実際はセルジューク朝以前からエルサレム周辺はイスラム勢力の支配下にあり、キリスト教徒の巡礼も許されていた エルサレムはアラビア半島の一部なので、アナトリア征服とは何の関係もない。 アレクシオス1世が自国の征服版図を取り戻すための宣伝活動だった) しかしビザンツ側はあくまで傭兵団程度の規模の派兵を求めていただけったのに対し、 西欧側はローマ・カトリック教会の呼びかけにより、西欧連合軍規模の軍団を派遣した。 なお、この時エルサレム及び周辺地域はスンナ派のセルジューク朝とシーア派のファーティマ朝で取り合いをしていた そこに十字軍が殴り込みをかけて・・・ あとは解説動画でも見てくれ
805:世界@名無史さん
20/10/28 04:33:02.20 0.net
解説に抜けてた点があった
>宗教はキリスト教の内の(東方)正教、その本拠地(ホントはそうではないが、わかりすく説明する)は
の後に
>ビザンツの首都と同じコンスタンティノープル
が入る
806:世界@名無史さん
20/10/28 04:43:32.65 0.net
>>772
だいたい合ってるが、ビザンツ側も都合の良いことを言い過ぎなんだよな
実際に聖地奪還の努力をしているのは十字軍騎士たちなんだから、
そりゃ報酬ナシで動いてくれなんてムシの良いことを言って聞いてくれるはずがない
そもそも十字軍に参加している騎士たちは本国では出世ルートを外れた嫡男ではない連中ばかりで、
十字軍に参加して領土を獲得しなきゃ後がない。
まあそんな事情こそビザンツ側の知ったこっちゃないだろうが、
少なくとも”聖地奪還”という宗教的な目的だけではるばる西欧からやってきてくれるはずもない
しかしアレクシオス1世コムネノスはちゃっかり戦後利権は確保する策士である。
少なくとも自分の治世の間は十字軍が獲得した領土に影響を及ぼすことができた
807:世界@名無史さん
20/10/28 10:29:08.51 0.net
皆さん
教えてくれてありがとうございました。
m(_ _)m
808:世界@名無史さん
20/10/28 14:59:54.79 0.net
ビザンツでは西欧のように修道会が組織されるということもなかったな
隠修士の伝統を色濃く残していた東方の修道院は、それぞれが独立した
施設であるという傾向を持っていた