【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】at WHIS
【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】 - 暇つぶし2ch299:世界@名無史さん
16/11/26 22:24:46.63 0.net
神武天皇を韓国の英雄とするようなものか

300:世界@名無史さん
16/11/26 23:02:58.81 0.net
マケドニア共和国はたしかに民族的にみて西ブルガリアにすぎないが、実は笑い話以上のものを含んでいる。
かつての王都ペラの周辺一帯(現テッサロニキの近場)ですら必ずしも近代ギリシャ国家のものになると限ったわけではなかったからね。
港町テッサロニキを除いては、長い歴史の中でスラブ系が定住してしまっていてオスマン衰亡後どこに帰属するかは微妙な情勢だった。
二度のバルカン戦争を経てブルガリアがマケドニア地域の大半から手を引き、セルビアが現マケドニア共和国領を、ギリシャが残りを得た。
ただ大ブルガリア主義はずっとくすぶり続け、内部マケドニア革命組織などに見られるように歴史の節目で姿を現してくる。
ギリシャが真に警戒するのはマケドニア共和国が大ブルガリア主義に走ることで、ギリシャ領への野心がないことを憲法に明記させるなどしている。

301:世界@名無史さん
16/11/27 10:13:41.36 0.net
>>285
ロシアみたいに正統が断絶したあと勝手に自称ならともかく、ビザンツは正式に継承・移転してるんだから全然別物

302:世界@名無史さん
16/11/29 20:24:53.62 0.net
>>292
でもさ、テッサロニキ周辺どころか、
エブロス河谷(フィリッポポリス周辺の盆地)がスラブ化したのって、何時なんだろうねえ。
ブルガリア公定史観は、第一次帝国の6世紀からずっとスラブ人が住んでると主張するけど、
これは眉唾だよな。正直、第二次帝国初期の頃でもまだ怪しいと思う。
第二次帝国が南方を征服していく際、ギリシャ人を追い出していったんじゃなかろうか。

303:世界@名無史さん
16/11/30 00:03:53.78 0.net
>>294
つまりこの状態で、いつまで耐えたかってこと?
URLリンク(upload.wikimedia.org)
言われるまで沿岸部ばかりに気をとられてたけど、フィリッポポリスみたいな内陸部でも粘ってたんだな
スラブ定着の件は、ニケフォロス1世のスクラヴィニア再征服が途中で入ってくるのもあって判定が難しいね

304:世界@名無史さん
16/12/03 14:44:10.92 0.net
東ローマ結構強くね?
ユスティニアヌスによる大征服
ササン朝とのガチバトル
イスラム海軍をギリシャ火で丸焼き
キエフ大公国の侵攻を重装騎兵と艦隊で撃退
ブルガリア帝国を滅ぼす

305:世界@名無史さん
16/12/03 17:47:25.53 0.net
コンスタンティヌス1世に始まりコンスタンティノス11世で終わった

306:世界@名無史さん
16/12/03 19:49:05.03 0.net
同じ名前の皇帝が多いとそういう偶然は起こる

307:世界@名無史さん
16/12/08 13:11:43.56 0.net
URLリンク(www.amazon.co.jp)
これって見る価値ある?

308:世界@名無史さん
16/12/09 16:20:08.87 0.net
>>299
表面的な仕上がり、ビジュアル系の番組だね
アクトビラのほうでみたけど。

309:世界@名無史さん
16/12/10 20:58:06.89 0.net
東ローマ帝国はカールの戴冠も神聖ローマ帝国も認めていないんだよな
一応本家なんだし当然だが

310:世界@名無史さん
16/12/10 21:16:47.04 0.net
オドアケルがゼノンに帝位を返上してるからゼノン以後は東西分裂状態は解消されてる
つまりそれ以後の西ローマと称するものはカールもハプスブルクも自称ローマ皇帝でしかない

311:世界@名無史さん
16/12/10 22:02:40.02 0.net
ラテン帝国後は東ローマも自称

312:世界@名無史さん
16/12/16 14:37:09.12 0.net
双頭の鷲の国章
ロシアは、いまも東ローマ帝国の後継

313:世界@名無史さん
16/12/16 17:03:41.15 0.net
自称ね

314:世界@名無史さん
16/12/22 20:29:14.44 0.net
西欧 ゲルマン人の侵入で土人化
北欧 ノルマン人の根拠地で元から土人
中欧 アヴァールやマジャールなどの騎馬民族が割拠
南欧 サラセン海賊が略奪・人攫いしまくり
うーん、ビザンツ帝国以外は悲惨過ぎる…

315:世界@名無史さん
16/12/22 21:27:00.41 0.net
バルカン ギリシャ土人がローマを僭称

316:世界@名無史さん
16/12/25 15:30:39.36 0.net
初心者ですみません
よく言われるローマ帝国の東西分裂と言ってもそれまでによくあった分割統治なわけで、ただそれ以降統一されることがなかっただけの話って聞いたんだけど本当なの?

317:世界@名無史さん
16/12/25 19:45:26.39 0.net
>>308
そうですよ。
皇帝の息子たちで分割統治なんてほかの皇帝もやってた。
例えばコンスタンティヌス帝は三人の子供にそれぞれ領地を与えてた。
副帝のユリアヌスにひっくり返されたけど。

318:世界@名無史さん
16/12/25 23:50:45.77 0.net
>>308
再統一も何も、帝国本店がイスタンブールに移り、
支店だったローマが窓際になり、リストラで部署廃止みたいな流れ。

319:世界@名無史さん
16/12/26 00:13:11.76 0.net
19Cの�


320:_聖ローマ帝国廃止まで存続したんだが



321:世界@名無史さん
16/12/26 05:13:50.52 0.net
>>311
カールの帝国も神聖ローマ帝国も自称
血統は必要条件ではないからまあいいとしても
元老院が存在しないのにローマ皇帝もあったもんじゃない

322:世界@名無史さん
16/12/26 10:21:13.76 0.net
>>308
軍人皇帝時代のウァレリアヌスから東が中心になりだした
父ウァレリアヌスがオリエント担当で息子ガッリエヌスがドナウ担当
孫サロニヌスがライン担当で帝国三分割統治だった
ウァレリアヌスがペルシャの捕虜になるとサロニヌスはガリア人に殺され
ガッリエヌスもイリュリア人に殺された
この一家はエトルリア出身で最後のローマ人らしいローマ皇帝であった

323:世界@名無史さん
16/12/26 10:30:17.21 0.net
>>309
コンスタンティヌス1世はクリスプスの死後ディオクレティアヌスのように
配下の将軍らに帝国を分配しようとせず残された3人の息子だけを後継者にした
同じ母から産まれた兄弟ならば共存し続けるだろうと期待したのだろうけど
息子達は殺し合い結局コンスタンティヌス朝は断絶してしまった
コンスタンティヌス1世以降は再統一しては再分割を繰り返す事になったけど
一人で帝国全土を統治し続ける事はウァレリアヌス帝以来不可能になっており
再統一の為の戦闘で兵を失う事を繰り返して軍が消耗しただけだった

324:世界@名無史さん
16/12/26 10:38:03.10 0.net
東もかなり早い段階で元老院や民衆の歓呼なんかお飾りなんで別に必須とも
結局ローマの正当性って前任者から称号と首都を含む領土を引き継いだってことにつきるから、本来何の権限も無い教皇の任命して以降の西の皇帝より、
何かやたら正当性を攻撃してる奴がいる首都奪還後の東の方が空位期間があっただけで先例は実力主義なんだからよっぽど正当なローマ

325:世界@名無史さん
16/12/26 10:45:28.88 0.net
>>310
そもそもローマ帝国は東西に分裂していなかった
西の皇帝は多くが東の皇帝の臣下にすぎなかったよね
例外的なのは自ら即位したマクセンティウスとコンスタンティヌス1世らで
東に対して西が敵対しておりコンスタンティヌス1世が東を滅ぼして再統一した
次にウァレンティニアヌス1世とウァレンスの兄弟皇帝では
兄が西の皇帝なので東の皇帝が西の皇帝の臣下だった
最後に西の将軍アルボガステスが東のテオドシウス1世に反抗したけど
敗北したので西は東から自立出来なかった
もしアルボガステスが勝利したのならばローマ帝国は本当に東西分裂したはず

326:世界@名無史さん
16/12/26 12:36:47.49 0.net
いくら息子同士が仲良くても担いでる連中の派閥が違えば対立せざる得ないだろう
アルカディウスとホノリウスも担いでる連中がバルカン北部を巡って争った
フランク族出身のアルボガステスの敗死後にテオドシウス1世に後任に任ぜられた
ヴァンダル族出身のスティリコは西の現地人をあてに出来ないので古巣の兵で
西ローマの戦力を強化しようと東ローマからバルカン北部を奪おうとした

327:世界@名無史さん
16/12/28 15:18:35.75 0.net
みんなありがとう
詳しいね
勉強になります

328:世界@名無史さん
16/12/28 15:19:26.10 0.net
>>315
お飾りでもやることに意味があったのでは

329:世界@名無史さん
16/12/28 18:34:11.17 0.net
どうやら『西洋古典学事典』(京都大学出版)を見ながら
書き込んだようだね。

330:世界@名無史さん
17/01/02 20:56:45.57 0.net
東ローマ帝国の版図の変遷
URLリンク(upload.wikimedia.org)

331:世界@名無史さん
17/01/03 14:08:24.66 0.net
よく暗黒の中世と言われるけど
あれはあくまで西ヨーロッパにおいてであって
ビザンツ帝国ではギリシャ・ローマ時代のクオリティで
学問・建築・美術が維持されていたのだろうか

332:世界@名無史さん
17/02/11 01:12:31.69 0.net
少なくとも美術の分野は衰退したな
イコ�


333:mクラスム前後でイコンの質落ちすぎ



334:世界@名無史さん
17/02/11 02:16:44.44 0.net
>>322
西と違って壊滅はしてないが
東だって全盛期と比べて色々と劣化してる

335:世界@名無史さん
17/02/11 15:02:31.05 0.net
ヘラクレイオスのあとからニケフォロス1世が始まる迄くらいだな、暗黒時代
ユスティニアヌス1世に起因する混沌という見方にまで拡張することもできる

336:世界@名無史さん
17/02/11 23:14:17.00 0.net
そしてロマノス一世くらいの時から技術の面でも西欧に抜かれていった

337:世界@名無史さん
17/02/12 04:03:04.84 0.net
暗黒時代といえば東にも歴史がほとんど記録されてない暗黒時代があるんだな
ユスティニアヌスの大帝国が瓦解してイスラムが勃興してエジプト、シリアあたりを奪われて
コンスタンティノポリスまで圧迫されるようになって
そのあと二百年ほどローマの内情がどうなってるか史料が無くて全く不明

338:世界@名無史さん
17/02/12 11:46:43.07 0.net
>>304
プーチン、皇帝即位はよ

339:世界@名無史さん
17/02/12 12:18:06.60 0.net
>>304
ただの僭称だから
ローマ皇帝がモスクワに行ったわけでの譲ったわけでもない

340:世界@名無史さん
17/02/12 12:35:38.17 0.net
ペテルブルクならまだしもモスクワの田吾作がローマ皇帝って

341:世界@名無史さん
17/02/12 12:36:53.14 0.net
>>304
君府陥落後、ビザンツラストエンペラーの姪っ子ソフィヤはロシアへ落ち、イワン3世と再婚した
これなら正統後継国家名乗る資格を有するんじゃまいか!?

342:世界@名無史さん
17/02/12 12:46:07.35 0.net
いくら田吾作土人でも皇帝の姪と結婚できたら名乗る絶好機

343:世界@名無史さん
17/02/12 12:52:01.74 0.net
姪の夫なんて普通皇位名乗る身分じゃないだろ

344:世界@名無史さん
17/02/13 09:59:38.91 0.net
栃木土人の足利尊氏や群馬土人の新田義貞でも栄光の源氏の正統後継者名乗ったようなもんだな

345:世界@名無史さん
17/02/13 12:12:50.86 0.net
ロマノフ王朝ならまだしも、ソビエトや、今のロシアは東ローマと関係ないだろ、王族いないし

346:世界@名無史さん
17/02/13 12:36:57.83 0.net
ソ連で断絶しちゃったからな プーチン王朝開始するとかせんとw

347:世界@名無史さん
17/02/13 13:02:37.35 0.net
プーチンも本当はツァーリ名乗りたいんだろうな

348:世界@名無史さん
17/02/13 16:37:52.47 0.net
>>335
ロマノフ家ですら足利や新田と比べるのもアレなくらい無理矢理な繋がりだからな
ロシア人は自分達で皇帝を虐殺したんだから未練がましく双頭の鷲なんて使わなきゃいいのに
国歌はソ連の替え歌で国章は双頭の鷲だなんて不思議な話だ

349:世界@名無史さん
17/02/13 17:21:50.33 0.net
八幡太郎義家の男系子孫なんだから、河内源氏であることに疑いの余地はない
宗家が消滅した後、残るうちで一番の有力御家人という立場を有していた足利が後継者として名乗りをあげたのはおかしくない
問題は河内源氏自体の価値が尊氏の時点でだいぶ低減していたことで、あそこで盛り返せてなかったら後世は源氏もくそもない

350:世界@名無史さん
17/02/14 05:51:53.05 0.net
信長だって平信長、家康だって源家康と名乗ろうと思えばできたかも
武田信玄は確実に源晴信と名乗ることは可能
なんたって頼朝を援けた強豪甲斐源氏・武田信義直系だからね

351:世界@名無史さん
17/02/14 07:46:32.80 0.net
>>340
実際名乗っている
源朝臣武田大膳大夫晴信が正式

352:世界@名無史さん
17/02/14 11:54:29.84 0.net
でも、欧州最大のメガロポリス・モスクワの偉容といい、あの広大な"版図"といい
東ローマの後継候補ってロシアでいい、ロシア以外見当たらない気も駿河

353:世界@名無史さん
17/02/14 14:51:32.79 0.net
東ローマの後継


354:国家なんて無いよ ロシアはどちらかといとモンゴル帝国の後継国家だろ



355:世界@名無史さん
17/02/14 15:02:52.86 0.net
正教を国教とした帝国だから

356:世界@名無史さん
17/02/15 05:43:51.63 0.net
ロシア・・・東ローマの正統後継国家かつ欽察(金帳)汗国の正統後継国家

357:世界@名無史さん
17/02/18 01:00:26.52 0.net
どっちかっていえばロシア帝国だろう、だって完全に「東ローマ(トルコとの運命感がっつり)の双頭の鷲国章」って揃えてる。
しかもたしか妃かなんか亡命しなかったっけ、伊スタンブルに替わる時にさ、キリル文字(グレ後る文字発祥地ギリシャ地域)もその時に正教会と一緒に兄弟かなんかが伝統を継承したのではないか。

358:世界@名無史さん
17/02/18 01:04:10.20 0.net
中学生か

359:世界@名無史さん
17/02/18 01:20:25.19 0.net
だからコンスタンティノス11世の姪だってばよ
その程度なら、オスマンは第2代の時点でヨハネス6世の娘を娶っとるわ

360:世界@名無史さん
17/02/18 01:23:39.90 0.net
うんこブリブリ

361:世界@名無史さん
17/02/18 09:53:55.72 0.net
・オスマン朝の後代の王はヨハネス6世の娘の血は引いていない
・リューリク朝の後代の王はコンスタンティノス11世の姪の血は引いている
でもコンスタンティノス11世の姪はローマで育って多分カトリックに改宗したとある
また、イタリアから先進文化を持ち込んだ(とwikipediaに書いてある)

362:世界@名無史さん
17/02/18 09:58:11.68 0.net
後世の東ローマを象徴する言葉として「パンとサーカスの化石」というのがある。
「サーカス」の方は最初民衆の娯楽だった戦車レースを儀式として再現したことらしいが、
パンを配ることも儀式として行っていたんだろうか?

363:世界@名無史さん
17/02/18 10:09:34.68 0.net
>>346
後半デタラメすぎて池沼っぽくなってるぞ

364:世界@名無史さん
17/02/18 11:22:07.52 0.net
>>345
欽察汗国
金帳汗国
キプチャク・ハン(カン・汗)国
ジュチ(ジョチ)・ウルス
ゴールデン・ホールド
アルタン・オルド
ゾロタヤ・アルダ
どれが一番妥当なんだよ?w
試験に出たらどれ書いても正解なのかな?

365:世界@名無史さん
17/02/18 16:00:50.93 0.net
>>350
リューリク朝のほうもどのみち後続三代、曾孫で断絶やろうが

366:世界@名無史さん
17/02/18 16:50:39.09 0.net
そもそも東ローマの皇女ってどれくらい周辺国に嫁いでるの?
ミカエル8世あたりは姉妹や娘を使って方々と政略結婚させたはずだけど、全体像がよく分からん

367:世界@名無史さん
17/02/18 20:30:02.18 0.net
ミカエル8世は血迷ってバリバリ蒙古のイルハン朝にまで娘嫁がせてるからな
東ローマの皇女の価値なんて、所詮その程度

368:世界@名無史さん
17/02/18 21:08:48.24 0.net
ミカエル8世なんて運良くコンスタンティノープルを奪取できただけだからなぁ
血統的にはその辺の人代わらんし

369:世界@名無史さん
17/02/18 22:21:17.70 0.net
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
その男は弟のほうの孫娘から生まれた高貴な血筋だからな
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_∧  ∧_∧     
 (・∀・∩)(∩・∀・)  
 (つ  丿 (   ⊂) 
  ( ヽノ   ヽ/ ノ   
  し(_)   (_)

370:世界@名無史さん
17/02/24 18:47:38.81 0.net
ウィキペのヘラクレイオスの記事にササン朝に勝利したあと
「ソグディアナを支配下に収めて」と書いてあるけど、これは本当なんでしょうか?
ビザンツ帝国が一時的にでもソグディアナを支配下に収めていたのなら、そういう地図があっても
よさそうですが、あるのでしょうか?

371:世界@名無史さん
17/02/24 20:22:04.73 0.net
どっかの地名と書き間違えてんじゃね?
その時期はソグディアナの大部分を西突厥が支配下においてるから、仮に意図した記述だとす


372:ればそのへん絡み。 ただ東ローマと西突厥は同盟してササン朝を攻撃したんであって、西突厥が東ローマの支配下にあったとは言い難い。



373:世界@名無史さん
17/02/24 22:39:24.67 0.net
ノブゴロド対スウェーデンも、
セルビア対クロアチアも東西ローマ分裂が原因

374:世界@名無史さん
17/02/24 22:53:48.31 0.net
初心者なんですが
神聖ローマ帝国がなんちゃってローマ帝国で
ビザンツ帝国が本家ローマ帝国ということですが
似非ローマのゲルマン蛮族にとってキリスト教が唯一のローマ的な存在なので
あんなにキリスト教の権威が強いんですか?
またローマカトリックの聖職者はゲルマン社会の中に入っててもローマ人が多かったのですか?
ラテン語でミサをやってたのも聖書を現地語に訳すのを禁じてたのもローマ人の「知の独占」で
「下賤な蛮族信者は高貴なローマ人の言うことを聞いとけばいいんだ。聖書を直接知る必要はない」という意図・意識だったからですか?

375:世界@名無史さん
17/02/24 23:41:45.97 0.net
北ではスウェーデンとノブゴロドが対立していたが
南でも東西協会が対立してたら面白かったのに
リビアを東西に分けるとか

376:世界@名無史さん
17/02/25 22:16:47.89 0.net
>>327
まさかと思うが東ローマも一時断絶とかしてないだろうな

377:世界@名無史さん
17/02/25 22:44:36.30 0.net
>>364
歴史空白時代も皇帝の名前程度は分かってるからそれは無いと思うが

378:世界@名無史さん
17/02/26 09:59:15.10 0.net
URLリンク(youtu.be)

379:世界@名無史さん
17/03/02 09:25:10.80 0.net
グラディウスやスパタから中世の剣に進化したのっていつ頃?

380:世界@名無史さん
17/03/02 20:10:33.84 0.net
ローマ帝国の繁栄の曲線はトラヤヌス・ハドリアヌス期がピークで
それ以降はゆっくり下降して衰退開始
それでも二世紀中はまだまだ「最盛期」の範疇だったけど
三世紀から本格的にごまかしが利かなくなっていく

381:世界@名無史さん
17/03/02 20:21:33.27 0.net
チート無双状態が200年も続いただけでも上出来だわ
アウグストゥスが即位してから東西分裂までの400年間もあれだけ広大な領土を維持できただけでもすごい
東ローマ帝国もユスティニアヌスの死後はどんどん領土を削り取られていくけど
バシレイオスによる中興もあったし、一度滅亡してもまた復活したりで、なんだかんだで1000年も続いたのはすごい

382:世界@名無史さん
17/03/02 20:22:48.09 0.net
トルコ・スペイン・ポルトガル

フランス・イギリス

イギリス・ロシア・ドイツ

アメリカ・ソ連・ドイツ・日本

アメリカ・ソ連

アメリカ
アメリカの覇権が続くのか、それとも・・・

383:世界@名無史さん
17/03/02 20:49:07.94 0.net
ビザンツが滅んですぐ北東でロシアが勃興したんだよね
ロシアに継承されたと思いたい

384:世界@名無史さん
17/03/02 23:20:27.53 0.net
Rise and fall of Byzantine Empire Simulation
URLリンク(www.youtube.com)

385:世界@名無史さん
17/03/02 23:58:39.97 0.net
>>370
トルコ・スペイン・ポルトガル

フランス・イギリス

イギリス・ロシア・ドイツ

アメリカ・ソ連・ドイツ・日本

アメリカ・ソ連

アメリカ

イスラム共同体

386:世界@名無史さん
17/03/04 12:30:16.01 0.net
>>371
ルーシもモスクワ大公国も東ローマ滅亡の前からあるのでは

387:世界@名無史さん
17/03/04 23:16:30.92 0.net
古本店でUbooks「ビザンツ皇妃列伝」てのを見つけて買ってきた。
8人にほとんどなじみが無いのと行動内容がネガティブなのとで
最後まで読む気が失せかけ・・・

388:世界@名無史さん
17/03/06 09:30:07.13 0.net
コンスタンチノープル陥落前のロシア・・・田舎のスラヴ土人国
陥落後姪っ子落ち延び後のロシア・・・東ローマの正統?後継国

389:世界@名無史さん
17/03/06 09:55:22.39 0.net
その姪が皇位第一位継承者だったらそうだな

390:世界@名無史さん
17/03/06 16:13:31.98 0.net
>>356
そうかな?東ローマにおいて東方遊牧王国って愛憎の感情は抜きにして外交上わり�


391:ニ尊重されてたと思う キエフ・ルーシが調子こいたとき、お前らはハザールのカガンやイスラムのカリフじゃないって諭した話があった バルカンのスラブ系王朝や西欧のフランク勢と比べても、伝統的に悪くない位置づけがなされてきた感じだよ モンゴルはそれら地域の覇者になってるわけだから、嫁がせるのにさほど抵抗がない相手だったんじゃないかな 逆にモンゴルから見れば、周辺弱小勢力にすぎないけど伝統国らしいから縁戚結んでやるかといった程度だろうね



392:世界@名無史さん
17/03/06 20:36:17.62 0.net
ローマとカルタゴ
ビザンツとササン朝
武田信玄と上杉謙信
宮本武蔵と佐々木小次郎
早稲田と慶應義塾
ヒトラーとスターリン
日本航空と全日空
ドラクエとFF
アムロとシャア
イチローと松井秀喜
小倉唯と水瀬いのり

393:世界@名無史さん
17/03/18 21:36:25.52 0.net
ササン朝とバトルアンドバトル
終わりなき戦い
ユスティニアヌスが西ローマの旧領を大征服するが
その後がランゴバルド、アヴァール、イスラムに領土を取られまくって
停滞の時代が続き、しばらくするとようやく安定して
バシレイオスの活躍で再び大国になるが、その後は暗君が続き
トルコ人にアナトリアを奪われる
更に十字軍によって一回滅ぼされる
なんとか復活するが、ふるわずオスマン帝国に滅ぼされる
色々あったけどよく1000年も続いたもんだよ

394:世界@名無史さん
17/03/21 09:45:10.41 0.net
アメリカとソ連
東大と京大
三木谷とホリエモン

395:世界@名無史さん
17/03/21 10:46:25.39 0.net
sage

396:世界@名無史さん
17/03/22 21:14:46.25 0.net
>>107
東ローマ皇帝でパルティア王族の末裔がいるよね

397:世界@名無史さん
17/03/23 14:03:48.83 0.net
場所的に不思議でもない希ガス

398:世界@名無史さん
17/03/26 10:29:52.23 0.net
マケドニア朝初代がアルサケス朝の子孫ということになってたんだっけ。

399:世界@名無史さん
17/03/26 14:07:26.55 0.net
箔付けのために自分たちで流した噂だろあれ
アルメニア系農民が600年以上も前に滅んだパルティア王族の末裔だとか嘘くささしか感じねぇ

400:世界@名無史さん
17/03/26 23:44:15.67 0.net
確かアルメニアのアルサケス家はパルティア滅亡後も存続してたはず
そういえば王朝の起源ならパレオロゴス家はコンスタンティヌス大帝時代にイタリアから新都に入植してきた人の末裔を称していたらしい
こっちは可能性的にどうなんだろ

401:世界@名無史さん
17/03/26 23:55:08.29 0.net
そっちは普通にありえるんじゃないの
詐称にしちゃ地味な内容だし、代々コンスタンティノポリスにいましたって話なわけだからその事実がなければ怪しまれそうだし

402:世界@名無史さん
17/03/27 07:27:08.82 0.net
イタリアと周囲の島のビザンツ領っていつごろまで存在したんだ?

403:世界@名無史さん
17/03/27 09:47:22.07 0.net
>>383
ラストエンペラーの姪ともにロシアに落ち延びたビザンツ貴族は多くなかったの?

404:世界@名無史さん
17/03/27 12:34:18.00 0.net
>>389
ノルマンコンクエストまでかな?

405:世界@名無史さん
17/03/27 16:41:25.17 0.net
君府陥落

406:世界@名無史さん
17/03/27 20:23:44.65 0.net
皇帝の姪にどんだけ権威あんだよw
みんなイタリアに逃げたわwwww

407:世界@名無史さん
17/03/28 10:48:01.32 0.net
安徳天皇の権威を擁していた平家の落人は壇ノ浦陥落以降、どこに逃げたのか・・

408:世界@名無史さん
17/03/28 21:58:14.00 0.net
イスラムの興隆はビザンツ帝国とササン朝の抗争という絶妙なタイミングも大きい
これが全盛期のローマなら返り討ちにされ、ムハンマドが磔刑にされ第二のキリストになっていただろう

409:世界@名無史さん
17/03/31 10:55:19.01 0.net
ビザンツ帝国では、ギリシア・ポリスの歴史は「無神論と恥ずべき政体(=民主政)の証明」
であって、叙述に値しないと考えられていたが、中世の西欧で共和政ローマが
どう評価されていたのか気になるな。
やっぱりビザンツと同じようにトロイアから逃れてきたアエネアス、ロムルスとレムスの
建国神話、王制時代の歴代の王の後はカエサル、アウグストゥス以下の帝政に
移って、ローマの共和政時代にはほとんど関心がなかったんだろうか。

410:世界@名無史さん
17/03/31 23:19:40.68 0.net
>>394
平家と南宋とビザンツの最期ってなんでかくも似ているのか!

411:世界@名無史さん
17/03/31 23:39:00.14 0.net
>>387
まさかイタリアへ移住した後に言い出したんじゃあるまいな

412:世界@名無史さん
17/04/01 00:19:45.72 0.net
>>398
そっちかい!それなら詐称も十分考えられるな
Evaluation: Good!

413:世界@名無史さん
17/04/10 19:41:17.12 0.net
西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパはカトリックの力が強くて、
全てbノおいて宗教が覧D先され、科学bヘ神の教えを冒涛タしていると
糾弾されて破壊され顧みられなくなり、
折角ギリシア・ローマと繋がった科学と医学は、著しく後退してしまった。
それが再び注目を集めたのが、聖地奪回を目論んで始めた十字軍遠征。、
ここで科学とは縁遠い信仰一辺倒の生活をしていたヨーロッパのド田舎の騎士や従者は
進んだビザンツ・イスラームの文化に目を奪われた。彼等は
ビザンツ・イスラームが保存していた古代ギリシア・ローマの文物に触れて新しいインスピレーションを得ることになる。
それがルネサンスの始まりで文芸復興と訳される由縁。
産み出したのではなくてヨーロッパはビザンツとの接触やイスラームとの戦争により再発見したということ。

414:世界@名無史さん
17/06/03 08:19:54.01 0.net
西ローマ帝国崩壊後の北斗の拳っぷり
ゲルマン人の侵入で都市・経済秩序・流通網が破壊されまくった上に
ローマカトリックによる科学軽視で文明もどんどん衰退
日本に大量の中国人・ムスリム・アフリカ人が押し寄せて国内が滅茶苦茶にされ
カルト宗教団体が天下を取った場合を想像してもらえば分かりやすいと思う

415:世界@名無史さん
17/06/03 19:10:10.54 0.net
教会「ケルト神話?北欧神話?スラブ神話?邪教は禁止です」
教会「ギリシャ・ローマ神話?まあ、いいんじゃないの」
なぜ容認されてるんだろうね
1月 January ローマ神話で"物事の始まりと終わり"をつかさどる神ヤヌス(Janus)
2月 February 古代イタリアの清めの神Februus
3月 March ローマ神話の軍神マルス(Mars)
4月 April  ギリシア神話の女神アフロディテ(Aphrodite)
5月 May  ローマ神話の豊穣の女神マイアス(Maius)
6月 June  古代ローマの結婚や出産の女神ジュノー(Juno)
7月 July  カエサル(Julius Caesar)
8月 August 初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus)
9月 September ラテン語でseptem「7番目の月」の意味(3月を初月として)
10月 October  ラテン語でocto「8番目の月」の意味(3月を初月として)
11月 November   ラテン語でnovem「9番目の月」の意味(3月を初月として)
12月 December  ラテン語でdecem「10番目の月」の意味(3月を初月として)

416:世界@名無史さん
17/06/03 23:11:09.41 0.net
>>402
Tuesday、Wednesday、Thursday「俺らは!?」

417:世界@名無史さん
17/06/03 23:12:02.30 0.net
すまんFridayが抜けてた
にしてもなんで今日はローマ


418:神が由来なんだ?



419:世界@名無史さん
17/06/03 23:49:51.72 0.net
>>379
なんでアテネとスパルタがはいっとらんのじゃ

420:世界@名無史さん
17/06/04 00:02:41.61 0.net
テーベはいつからテーバイになったんだよw
俺が学生の頃は、テーバイなんて誰も言ってなかったど

421:世界@名無史さん
17/06/04 00:26:02.88 0.net
>>402
キリスト教教会もローマ神道を受け継いでるという考えなんだろうか?

422:世界@名無史さん
17/06/04 00:33:10.47 0.net
>>406
テーバイが古典ラテン語読みで
テーベが中世ラテン語読み

423:世界@名無史さん
17/06/07 09:15:01.32 0.net
>>401
アッティラはウイグル獄長?それとも牙一族族長?w

424:世界@名無史さん
17/06/08 23:17:47.19 0.net
ササン朝ペルシアと東ローマ帝国の長年にわたる抗争で、
シルクロードは通行不能になり、交易路はアラビア半島に迂回された。
このことがイスラム教の成立に大きく影響している。
つまり、アラビア半島のメッカやメディナは貿易の中継都市として大いに繁栄した。
この地にムハンマド(マホメット)が登場し、
神の啓示を受けて唯一神アッラーへの絶対帰依(イスラム)を提唱した。

425:世界@名無史さん
17/06/26 16:58:03.31 0.net
>>401
頼れるのがローマ教会しかなかったってことだろ
アッティラのローマ侵略を回避したのもローマ教皇だし

426:世界@名無史さん
17/07/12 11:31:13.06 0.net
ゼノンが中央アジア系でテオドシウスはスペイン人なんだっけ?
多民族国家は知ってたが皇帝にまでなれるとは

427:世界@名無史さん
17/07/14 05:43:09.94 0.net
イサウリアは小アジア

428:世界@名無史さん
17/07/26 17:23:11.24 0.net
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆

429:世界@名無史さん
17/09/14 01:08:40.08 0.net
実は東ローマはボロボロになりながらもイスラムの西欧侵入を
食い止める防壁の役割を果たしていた。
東ローマがもっと早く滅んだイフの世界では、
西欧がスペインどころか、フランス、ドイツまでイスラム化してしまう確率がかなり高くなりそう。
そして千年帝国を滅ぼしたオスマン帝国は、その後、20世紀まで続いた
激戦区の中近東で、これもまた驚異

430:世界@名無史さん
17/09/14 05:53:40.86 0.net
そしてそれは今現実のものとなってきている

431:世界@名無史さん
17/10/01 23:08:53.25 0.net
>>415
首都がアレキサンドリアかアンティオキアだったらもっと早く滅んでいただろうな
自称ローマ帝国だからローマに亡命政府を作る可能性もありだが
正教だからカトリックのローマと対立していると単純に考えてはいけない
ベネチアがコンスタンティノープルを占領したのはあくまで
東ローマ皇帝が約束した金を払わなかったからで宗教的理由ではないから
フランスは自分が頑張ったからイスラムを防いだのであり、東ローマは関係ないのでR
何故かオスマンは北アフリカで最強国のモロッコだけは征服出来なかった
しかし、オスマンが早々とバルカンを占領すると、内ゲバばかりしているドイツはヤバいな
先手を打ってデーン人とノルマン人が無能帝国神聖ドイツを占領しないと確かにイスラムに征服されそうだ

432:世界@名無史さん
17/10/01 23:20:28.31 0.net
なお日本はビザンツをボコったオスマンに対して不平等条約を結ぼうとした模様www
大日本帝国>オスマン帝国>ビザンツ帝国でいいよな?

433:世界@名無史さん
17/10/02 00:50:57.74 0.net
>>415
同じゲルマン人のフランク族だからドイツを征服キリスト教化出来た
南国育ちのアラブ人には寒さに耐えてドイツ征服とか無理だろう
ドイツが文明化しないとそれに対抗してスラブ人らも文明化しないだろうから
モンゴル軍とかが攻めて来たらフン族の時と同様に民族大移動となって
ゲルマン人やスラブ人が移住してきて地中海沿岸のイスラム諸国は滅亡しそう

434:世界@名無史さん
17/10/02 23:50:24.34 0.net
1453年の後、キエフかモスクワに落ち延びることはできなかったのか
1185年の平家、1279年の南宋の末路にそっくりだな

435:世界@名無史さん
17/10/03 09:33:53.93 0.net
>>418
同時代かどうかを無視、結ぼうとした条約含めればそうかもね。
でもそのルールなら
その大日本帝国に不平等条約を押し付けたフランス、フランスを破ったスペイン、
スペインを破ったオスマン帝国となるね
オスマン帝国>スペイン>フランス>大日本帝国>オスマン帝国>ビザンツ帝国

436:世界@名無史さん
17/10/03 09:42:34.21 0.net
>>420
当時のロシアなんぞ殆ど蛮族扱いだろ
実際パレオロゴス家の生き残りはイタリアに逃げてる

437:世界@名無史さん
17/10/03 10:32:54.88 0.net
だれも再興しなかったってとこなのか

438:世界@名無史さん
17/10/03 10:35:30.65 0.net
再興の手段なんてないだろ

439:世界@名無史さん
17/10/04 09:04:39.95 0.net
再興しようにも
俺ら極悪非道のパレオロゴスブラザーズ!
もう帝都は陥落したのに専制公位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_∧  ∧_∧     
 (・∀・∩)(∩・∀・)  
 (つ  丿 (   ⊂) 
  ( ヽノ   ヽ/ ノ   
  し(_)   (_)
だったし…

440:世界@名無史さん
17/10/04 09:15:37.41 0.net
でもコンスタンティノス11世は降伏せずに戦ったんだよな
僅かながらヴェネチア軍も参加してるし
絶望的ながらも曲げられない信念があったんだろう

441:世界@名無史さん
17/10/05 07:37:07.51 0.net
マルタ騎士団みたいな亡命政府が出来てたらオスマン滅亡のどさくさで復興の可能性があったかもしれんが、コンスタンティノープルはトルコ化してたし、ギリシャ民族主義とも実は相性悪いから列強の保護がなくなった瞬間すぐに滅亡しそう

442:世界@名無史さん
17/10/10 09:44:25.46 0.net
コンスタンティノス11世は、退かぬ媚びぬ省みぬで、玉砕を選ぶタイプだったんだろうか

443:世界@名無史さん
17/10/11 11:33:06.80 0.net
降伏すれば1領主としての地位は保証してたんだったけ?
遊牧国家は平伏すれば結構寛容よな

444:世界@名無史さん
17/10/13 20:28:13.17 0.net
>>429
トレビゾンド帝国は降伏したものの・・・

445:世界@名無史さん
17/10/13 21:34:40.11 0.net
>>429
オスマン側がモレアスの領有を認めるといっても
帰った所で>>425な訳で、コンスタンティノス11世自身は
行く所が無いと考えてたんじゃないかな

446:世界@名無史さん
17/11/28 15:42:06.58 0.net
>>420
教会合同で皇帝がカトリックに改宗したからモスクワに見捨てられたのでは

447:世界@名無史さん
17/12/01 04:45:55.92 0.net
そのころから、モスカウの権威ってすごかったのか

448:世界@名無史さん
17/12/01 10:34:54.95 0.net
すごくわないだろ

449:世界@名無史さん
17/12/13 13:32:09.46 0.net
そりゃ こんな音楽を鳴らして攻め込んで来たんじゃ
東欧、中欧人どころかロシア人でさえも裸足で逃げ出すわw
URLリンク(www.you.tube.com)
URLリンク(www.you.tube.com)
URLリンク(www.you.tube.com)

450:世界@名無史さん
17/12/24 00:47:41.68 0.net
よく出てくる駅遁長官って具体的にどんな役職なん?

451:世界@名無史さん
18/01/12 21:46:19.78 0.net
ゲド戦記のイメージにぴったりだな

452:世界@名無史さん
18/01/13 02:17:19.62 0.net
結局誰でも皇帝になれるところが国を弱体化させたな

453:世界@名無史さん
18/01/15 08:50:49.86 0.net
旅客機事故のついでに注目を集めるか?
トレビゾンド帝国

454:世界@名無史さん
18/01/21 23:53:33.66 0.net
もう、東ローマ帝国マケドニアを名乗ってしまえば�


455:ヌいよな気もするな ギリシャもブルガリアもルーマニアも激おこだけど 古代マケドニア(ギリシャ人格国家)が北西部の現マケドニア共和国地域を支配 ↓ その後ローマが侵攻、まとめてマケドニア属州として支配 ↓ ビザンツ→オスマンと支配者が代わってもそのまままとめてマケドニアと呼ばれ続ける ↓ その間スラブ系民族(現マケドニア人の祖)が流入 スラブ人が支配的民族になる ↓ ブルガリア&ギリシャ独立 オスマン支配のマケドニア地域に住むスラブ系民族の中にマケドニア人という民族意識が生まれる ↓ 第一次、第二次の2つのバルカン戦争を経てマケドニア地域はオスマン支配から離れ ギリシャ、ブルガリア、セルビア(ユーゴ)に分割される ↓ ユーゴ崩壊後ユーゴ内のマケドニアはスラブ系国家マケドニア共和国となる ↓ ギリシャ人国家マケドニア王国の発祥地を持つギリシャ切れる (ブルガリアも切れる) https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/01/19/20180119k0000e030218000p/9.jpg



456:世界@名無史さん
18/01/23 21:29:52.07 0.net
>>351
そもそも「パンとサーカス」自体、ユウェナリスっていう(当時の)社会や権力者や若者に憤ってた爺さんのボヤきな訳で

457:世界@名無史さん
18/01/24 17:34:58.96 0.net
>>440
現マケドニア共和国地域 = ペラゴニア&パイオニア&ダルダニア

458:世界@名無史さん
18/01/28 00:29:36.76 0.net
負けドニアは負け組だ

459:世界@名無史さん
18/01/30 07:20:54.27 0.net
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
ANCSZ

460:世界@名無史さん
18/02/21 21:44:26.39 0.net
アレクサンドロス大王の英雄譚も良いけど
個人的には十字軍の方がワクワク感が半端ない
異教徒ぶっ倒して聖地奪還とかこれ以上のロマンはないわ
聖十字架を発見した騎士たちの感動も一入だったろう

461:世界@名無史さん
18/02/24 15:37:10.40 0.net
第一回十字軍なんて不利な状況の中よく戦ったもんだ
ローマ皇帝は全く手助けしないし
もし皇帝が強力なバックアップしてれば以降の十字軍との関係も変わったものになってたろうな

462:世界@名無史さん
18/03/18 05:00:41.86 0.net
初歩的な質問で申し訳ありませんが、コンスタンティノスとコンスタンティウスの呼称の違いってどう意味があるんでしょうか?
あとコンスタンティノス11世ドラガゼスなど
〇〇何世の後につく名前はどういう意味ですか?

463:世界@名無史さん
18/03/18 07:14:56.10 0.net
>>447
にわかだが、わかる範囲で。
コンスタンティノスとコンスタンティ「ウ」スは違う名前。(スペルのnの有無に注意)
でも、呼称の違いと書いてあるので、本当に聞きたいのは
コンスタンティ「ヌ」スとコンスタンティノスの違い、では?
それならローマ帝国(東)の公用語がラテン語からギリシャ語へ変わった事による変更。
最近だとグルジアとジョージアみたいなもの。
名前の後は""でくくってあればあだ名で、なければ性
コンスタンティノス5世"コプロニュモス" はニックネームで
コンスタンティノス9世モノマコスとか
コンスタンティノス11世ドラガセスは名前
(コンスタンティノス・パレオロゴス・ドラガセス)

464:世界@名無史さん
18/03/19 01:43:08.64 0.net
>>448
なるほど、しっくり来ました
ありがとうございます!!

465:世界@名無史さん
18/03/27 04:41:14.04 0.net
西側がローマと認めないから東ローマ帝国をビザンツ帝国と呼びますが、逆に自称、神聖ローマ帝国を他の呼び名はありますか?
できたら神聖ローマ帝国を認めない視線での呼び方があれば教えてください

466:世界@名無史さん
18/03/27 06:12:56.96 0.net
>>448
神聖でもなく ローマ的でもなく
ましてや帝国でさえない

467:世界@名無史さん
18/03/27 08:07:33.39 0.net
>>450
ドイツ帝国?
帝位継承権はハプスブルク家以外にも認められてたから、逆にハプスブルク帝国だとオーストリアに限定されるよな

468:世界@名無史さん
18/03/27 23:24:19.17 0.net
ブロックチェーン関係でよくこの帝国の将軍が出てくるな。

469:世界@名無史さん
18/03/28 07:46:02.65 0.net
>>452
レスありがとう
カール大公のフランク帝国→オットーの神聖ローマ帝国→オーストリア=ハンガリー帝国→ドイツ帝国
こんな感じの流れなわけですね
ナチの第三帝国もあえてソレを意識させてるのかな 
いろいろ読みあさって勉強したいと思います

470:世界@名無史さん
18/04/05 00:57:47.92 0.net
なんで東ローマ帝国は目をくりぬくのが伝統なの?

471:世界@名無史さん
18/05/03 17:26:33.89 0.net
北フランク王国でよくね

472:世界@名無史さん
18/05/22 01:37:56.50 0.net
>>455
五体満足でないと皇帝になれないっていう慣習があるから。当初は鼻を削いでたけどユスティニアノス2世っていうやべー奴が出てから目を抉るようになった。おそらくペルシャあたりの影響と思われる。

473:世界@名無史さん
18/05/22 01:39:59.40 0.net
アンドロニコス・コムネノス好きなの俺だけ?

474:世界@名無史さん
18/05/22 06:22:24.96 0.net
>>458
高齢で幼女と結婚した皇帝?

475:世界@名無史さん
18/05/22 07:09:32.76 0.net
>>455
殺さないのはキリスト教の影響かな

476:DJgensei artchive gemmar
18/05/22 15:46:09.34 0.net
殺すだけか?将来目測。殺しが最優先?発達未来あるのに。

477:DJgensei artchive gemmar
18/05/22 18:09:12.47 0.net
新書で見たけど歴史モノというよりは、裁飾モノの様だよねえ。ハプスブルグは。

478:世界@名無史さん
18/05/23 11:47:03.14 0.net
バシレウスとアウトクラトールってどういう使い分けされてたんだろう?

479:世界@名無史さん
18/05/24 15:45:50.26 0.net
>>457>>460
ありがとう勉強になりました
捕虜も先導役だけ片目残しあとは両目潰した?手首切り落とした?みたいな話もどこかで聞いたような

480:世界@名無史さん
18/05/24 17:08:20.01 0.net
本当かしらんけどバシレイオス2世だな

481:世界@名無史さん
18/05/25 04:19:32.84 0.net
>>457
失明させられても義眼入れて暴れる皇帝がもし居たら、その後はどうなってたんだろう・・・

482:世界@名無史さん
18/05/25 22:16:50.90 0.net
ダルマかね

483:世界@名無史さん
18/05/26 02:20:35.80 0.net
『ビザンツ世界論』途中まで読んだけど挫折した...

484:世界@名無史さん
18/05/26 11:26:21.46 0.net
嫌儲で拾った画像良かったら
URLリンク(i.imgur.com)

485:世界@名無史さん
18/05/26 11:27:28.59 0.net
11~12世紀の交易図かな?見ていて楽しい

486:世界@名無史さん
18/05/29 17:38:29.76 0.net
エデッサはギリシャの古代都市として成立していたが、黒海沿岸のオデッサの都市成立は近代であって、古代にはありそうでなかったのだ

487:世界@名無史さん
18/05/29 21:31:34.13 0.net
ビザンツ帝国では魚料理が好まれてたのね
URLリンク(blog.livedoor.jp)

488:世界@名無史さん
18/06/04 22:12:09.22 0.net
ビザンツは他称
自称はローマ

489:世界@名無史さん
18/06/06 14:52:06.15 0.net
地中海沿岸だから魚食べるのは不思議に思わないけどサーモンまで食べてたなんて交易国家らしいよね。

490:世界@名無史さん
18/06/10 00:43:14.96 0.net
かつてのトルコ人のほうが、そのへんは色眼鏡かかってないよね
多少訛ったけど、ちゃんとルームとかルーム人と呼んでいた

491:世界@名無史さん
18/07/12 11:11:35.45 0.net
友達から教えてもらったパソコン一台でお金


492:持ちになれるやり方 興味がある人はどうぞ 検索してみよう『立木のボボトイテテレ』 O2P



493:世界@名無史さん
18/10/30 06:53:40.67 0.net
ウィキペディアで東ローマのダメ皇帝
URLリンク(ja.wikipedia.org)コンスタンティノス8世
・・・を見ていたら、
「古代ローマの剣闘士競技を復活させて自ら野獣相手に戦った」とあった。
60過ぎの当時としては超高齢者が野獣相手にコンモドゥスばりの立ち回り?
あり得るのかな執筆者の勘違い?

494:世界@名無史さん
18/10/30 13:57:37.69 0.net
英語版みてもそういう記述はないな
しかも即位時には痛風で満足で歩くこともできなかったとあるし

495:世界@名無史さん
18/11/19 15:45:10.70 0.net
東ローマ帝国の全盛期はマケドニア朝のバシレイオス2世の時だよなあ
このときにイタリア半島再征服すればよかったのに
ベネツィア、ジェノバ、アマルフィ、ピサ、ローマ全部手に入れることができ
安定支配もできたんじゃないのか

496:世界@名無史さん
18/11/19 18:19:49.30 0.net
>>479
でも後継者はあの人ですよ?
悲劇の範囲が広がるだけのような……

497:世界@名無史さん
18/11/19 18:49:08.29 0.net
>>480
確かに後継者があの人ではベネツィアなんかは真っ先に離反しただろうな
しかしローマの支配を握ったままなら後々の歴史は大きく変わったような気がする
もしかしたらマンツィケルトで負けることもなかったかも
コムネソス朝の国力では皇帝一人が優れていても無理なもんは無理だったし
結果的に滅亡を速めている

498:世界@名無史さん
18/11/19 19:53:07.33 0.net
>>481
確かに国力があれば、コムニノス朝の皇帝達はその才能をより大きな成果に結びつけられたかもしれないし、
ロマノス4世は大敗しなかったかもしれない。けれども、神聖ローマと領土が接することになるんだよね。
長期的に東にセルジューク朝(またはオスマン・トルコ)、西に神聖ローマ帝国と大敵を持つことになるけれど、これがどの程度負担になるか。
そして征服事業で得られた領土は中世ローマ帝国が取りうる政策で国力の足しになる領土となるのか。
これはIFにIFを重ねる話だから、世界史板でやっていい話か分からないけれど。

499:世界@名無史さん
18/11/19 20:12:30.56 0.net
>>482
神聖でもなければローマでもなくそもそも帝国ですらない国を
何で正当なローマ皇帝が恐れなければならないんだ?

500:世界@名無史さん
18/11/20 08:06:57.73 0.net
領内すら満足に納められない神聖ローマがバルカンまで攻めてくるとは思えない
十字軍とかはかなり変わりそうだが

501:世界@名無史さん
18/11/23 01:19:31.23 0.net
最末期の領土たるや…

502:世界@名無史さん
18/11/27 09:20:12.58 0.net
>>473
ビザンツは後世で当時はローマじゃないのか?

503:世界@名無史さん
18/11/27 09:43:25.59 0.net
>>483
チョンファン陛下と同じはったり権威がある

504:世界@名無史さん
18/11/27 14:59:15.58 0.net
>>487
バシレイオス2世時代の神聖ローマ帝国は国内が混乱していて
後の30年戦争時代前までのハプスブルク帝国の強さとは全然違う
従って東ローマ帝国がイタリア再占領しても何の問題もなかっただろう
権威的な意味でのローマ、商業活動でアドリア海の女王と言われて元々帝国領だった
ベネツイア、その他ライバルのジェノバやピサやアマルフィを手に入れていれば
その国力の充実は全然違ってくる。バシレイオス2世がトルコ人とブルガリア人を
追い払ったところで止めてしまったことが後の滅亡の遠因にもなった

505:世界@名無史さん
18/12/18 19:17:15.76 0.net
アルプ・アスラーン : 「もし捕虜となったのが逆に私の方だったならば、貴方はどうするだろう?」
ロマヌス : 「きっと貴方を処刑するか、コンスタンティノープルの街中で晒し者にするだろう。」
アルプ・アスラーン : 「私の下す刑はそれよりも重い。私は貴方を赦免して自由にするのだから。」
これ意味深だなあ。
一度プライドを失ったら落ちるだけなのかもしれん。

506:世界@名無史さん
18/12/18 19:43:42.25 0.net
>>489
実際にはコムネノソス朝が最後の中興をするのだがマヌエル1世がいかに頑張ろうとももはやあの時代では失われたイタリアは返って来ずに国力を消耗した結果として
十字軍に首都を占領されてしまう
バシレイオス2世がイタリアを占領し、その上でセルジュークトルコと戦ったら
どうなったのか。あるいはそれを乗り切ったとしてモンゴル帝国と直接対決したら
どうなったのか。史実ではパレイロゴオス朝はイルハン国と同盟するのだが
それ以外に選択肢がなかったともいえる

507:世界@名無史さん
18/12/18 20:44:53.20 0.net
バシレイオス2世がイタリアを占領する事は東ローマにとって自殺行為
バルカンを奪回する為にを対ブルガリア戦を強行した結果
テマ制が崩壊してアナトリアが無防備になったのだから
これでイタリアも占領したらセルジュークにアナトリアだけでなく
帝都も奪われてしまっただろう
東ローマの歴史は西方領土を奪回すると没落する事の繰り返し
ユスティニアヌス1世がイタリアを奪回するとバルカンをスラブに奪われる
ミカエル8世がコンスタンティノープルを奪回するとアナトリアをトルコに奪われる

508:世界@名無史さん
18/12/18 20:54:16.58 0.net
>>491
あの時代のセルジュークにコンスタンティノープル城壁を落とせるとは到底思えない
小アジアの領土なくてもバルカン+イタリアを安定させた方がよかったと思うんだが
ベネツィアが金の卵なのは間違いないし
バシレイオスも南イタリアの安定はやってる。全イタリアが無理なら
うるさいローマ教皇を抑えるためにローマとアドリア海の女王だけでも

509:世界@名無史さん
18/12/18 22:02:19.05 0.net
中世東ローマにとって小アジアこそ本国
むしろバルカンを放棄してでも小アジアを死守すべきだった

510:世界@名無史さん
18/12/19 18:52:46.94 0.net
ひょっとして、メソポタミアやペルシアに進出した方が後顧の憂いを絶てるのではないだろうか

511:世界@名無史さん
18/12/19 19:11:17.38 0.net
>>494
ロマノス4世はセルジューク本国のイランへ遠征しようとした
マンジケルトの戦いは防衛戦ではなくイラン遠征の前哨戦だった
イラン遠征の為に城攻め用の人夫を数多く連れていたので
これが足手まといになり敗北の一因となったとされる

512:世界@名無史さん
18/12/19 21:41:15.65 0.net
>>495
ということはですよ、マケドニア朝の最盛期(ニキフォロス2世、ヨアニス1世、ヴァシリオス2世等)にそれをできていたならば、
オスマントルコを凌ぎ、アケメネス朝ペルシア帝国に匹敵する巨大帝国が誕生していたのでは?

513:世界@名無史さん
18/12/19 22:03:33.41 0.net
>>496
東ローマにとってはメソポタミアはどうでもいい地域で歴史的に必然的に
イタリアを目指す宿命がある

514:世界@名無史さん
18/12/19 23:00:07.38 0.net
>>496
マケドニア朝の最盛期にはブルガリアやキエフ大公国などスラブ諸国が脅威だった
ブルガリアを征服しキエフ大公国が分裂しないと遠隔地へ遠征する余裕がない

515:世界@名無史さん
18/12/19 23:12:43.62 0.net
>>498
ブルガリアを征服した後も国庫は財宝であふれかえっていたらしいから
それ使ってイタリア征服なら簡単だっただろうに
何せ南イタリアに拠点あるのだし、北部イタリアも目と鼻の先

516:世界@名無史さん
18/12/19 23:28:58.98 0.net
金だけで何とかなるのかな
良質な兵士を提供したアナトリアの小作農が、連年の遠征で没落してたんでしょ

517:世界@名無史さん
18/12/19 23:38:27.97 0.net
>>499
バシレイオス2世が延命すればイタリアに遠征したはず
イタリア征服に成�


518:オた場合は戦力が分散するだろうから マンジケルトの戦い以前にブリガリアとかが再独立したかも ブルガリアが再独立してバルカンが危険になった場合 東ローマは仲間割れせずに小アジアを死守したかもしれない すなわち東ローマは滅亡を免れてたかもしれない



519:世界@名無史さん
18/12/19 23:52:48.24 0.net
>>500
アナトリアの小作農ではなく自作農が没落した
共和政ローマ 兵士兼農民→兵士
中世東ローマ 兵士兼農民→農民

520:世界@名無史さん
18/12/20 00:05:03.44 0.net
ロマノス4世が率いた軍は多くが傭兵だった
トルコ系ペチェネッグ人の弓騎兵や
フランク人とノルマン人騎士が花形だった
十字軍は既にスタートしていた

521:世界@名無史さん
18/12/20 13:18:47.48 0.net
要するに東ローマは古代ローマのように強くなかったから
大量の奴隷を入手する事が出来なかったわけだな
コムネノス家とか貴族が奴隷制の大農場を経営していたのならば
没落自作農が職業軍人になって東ローマは古代ローマのように
大帝国に拡大出来ただろう
東ローマでは没落自作農は小作農になり兵役を免除された

522:世界@名無史さん
18/12/20 16:08:08.54 0.net
>>504
コムネノス家はマヌエル1世が国力に見合わないローマ帝国の復興をあげて
イタリア制服しようとしてベネツィアやジェノバを敵対勢力にしてしまったから
致命的なことになった。もしも守勢に徹していたならそのままの状態で現在でも
続いていたかもしれないし、モンゴル帝国に危険視されて滅ぼされていたかもしれない
セルジュークにコンスタンティノープル城壁落とすなんぞ無理だがモンゴルなら
可能だからだ

523:世界@名無史さん
18/12/20 16:35:06.76 0.net
>>505
マヌエル1世がユスティニアヌス1世ではなくバシレイオス2世を手本に
していたのならば東ローマは生き延びたかも
コンスタンティノープル城壁は石造なのでモンゴル軍に耐える事が可能
イランやイラクの城壁は日干し煉瓦製で見かけによらず脆かった
ロシアと東欧諸国は木の城壁だけどウィーンとかが石の城壁なので
モンゴル軍は無理をせずに帰還した

524:世界@名無史さん
18/12/20 17:22:03.07 0.net
>>506
南イタリアだけならともかくローマ占領はそれくらい難しいのかな
ユスティニアヌスは確かに成功しているがローマという都市はそれで一度死んだとも
言えるくらい致命的打撃を受けているし

525:世界@名無史さん
18/12/20 18:01:43.06 0.net
>>507
中世東ローマはギリシャ人が多数派の国だからイタリアに強い愛着がなかった
マンジケルトの戦いでもロマノス4世はアルメニア人が多いカッパドキア出身なので
アルメニアを異教徒の支配から取り戻そうとしたけどギリシャ人らの戦意は低く
不利になるとすぐに逃げ出した

526:世界@名無史さん
18/12/20 19:32:34.55 0.net
>>508
いくら軍の資質で劣っても数では倍以上だったんだから勝たないとな
もしバシレイオス2世がマンツィケルトの戦いしたら多分勝ってるわ

527:世界@名無史さん
18/12/20 20:07:33.86 0.net
>>509
東ローマ軍の後衛を指揮していた副帝アンドロニコス・ドゥーカスは
先帝の弟である父ヨハネス・ドゥーカスこそが皇帝になるべきだったと
ロマノス4世の即位に不満であったのでこの機会にわざと退却したとされる
東ローマ軍の後衛が退却せずに突撃したのならばアルプ・アスラーン軍は
逆包囲され壊滅しただろう
当時セルジューク本国ではホラズム総督とかが反乱を起こしていたので
アルプ・アスラーン軍に援軍の可能性は低かった

528:世界@名無史さん
18/12/20 21:17:20.46 0.net
東ローマはやっぱりキリスト教国で啓蒙思想もなかったから特に何も生み出せなかった
ローマ帝国の精神的後継者は政教分離を徹底したベネツィアなんだろうなあ
啓蒙思想がキリスト教を抑え込んで初めて人類は産業革命を起こしてローマを超えることが
できた

529:世界@名無史さん
18/12/23 15:29:52.17 0.net
>東ローマ軍の後衛が退却せずに突撃したのならば
このIFを東ローマに適用するなら、
>セルジューク本国ではホラズム総督とかが反乱を起こしていた
に対しても、反乱が無いIFを適用すべきだろう
両方のIFを適用すれば、結局のとこマンジケルトの結果は変わらないであろう

530:世界@名無史さん
18/12/23 16:47:08.46 0.net
>>512
変わらないなら変わらないでマヌエル1世がローマ帝国の復興を言い出さなければ
コムネノソス朝はそのまま続いた可能性はある

531:世界@名無史さん
18/12/23 16:49:31.20 0.net
アルプ・アルスラーンはファーティマ朝を倒してエジプトを征服しようとした
新たな牧草地が欲しい遊牧トルクメンはエジプト遠征に乗り気でなかったので
アルプ・アルスラーンは側面援護を兼ねてトルクメンらにアナトリア遠征を許し
自らはマムルークを率いてエジプトへ向かいシリアに侵入した
ところがロマノス4世にトルクメンが敗退し
さらにセルジューク本国で謀反が起きたので
アルプ・アルスラーンはエジプト遠征を断念してシリアから退却した
そしてロマノス4世と講和して急いで本国に戻ろうとしたけど
ロマノス4世が講和を拒否したのでマンジケルトの会戦となった

532:世界@名無史さん
18/12/23 16:50:47.35 0.net
【嘘HK】 放射能と無関係を装って「心筋梗塞激増」
スレリンク(nhk板)
【放射線ホルミシス効果】 全部バラしてヤバいよって言った方が、セルフガードするからいいと思います
スレリンク(liveplus板)

533:世界@名無史さん
18/12/23 17:36:56.32 0.net
アルプ・アルスラーンはマンジケルトの会戦後に本国へ戻ると
西方領土拡大から本国重視に方針転換して中央アジアを制圧した
アルプ・アルスラーンは本国の兵力が減るのでトルクメンが移住
しないようにアナトリアを東ローマ領のままにしようとした
セルジューク朝では遊牧トルクメンが牧草地を求めて
イランの農地を牧草地化しようとして問題になっていた
セルジューク朝のイラン人宰相ニザム・アルムルクは
アルプ・アルスラーンの死後トルクメンをアナトリアへ移住させた
アルプ・アルスラーンは互いに対立するトルクメンとイラン人の
双方にとって邪魔な存在だったようだ

534:世界@名無史さん
18/12/23 18:25:09.79 0.net
アルプ・アルスラーンはユーフラテス河を国境としてアルメニアを
セルジューク領としてロマノス4世と講和しようとした
これにニケフォロス・ブリュエンニオスらギリシャ人諸将は
賛同したけどロマノス4世は拒否してマンジケルトに進軍した
ロマノス4世がアルメニアを東ローマ領にしてアルメニア人を
ギリシャ正教徒に改宗させようとしたのでアルメニア正教徒の
アルメニア人はセルジューク軍に参加してロマノス4世に抵抗した
ロマノス4世もギリシャ人とアルメニア人にとって邪魔な存在だった
1072年にアルプ・アルスラーンもロマノス4世も自国人に殺された

535:世界@名無史さん
18/12/23 20:11:52.07 0.net
ロマノス4世死後アナトリアのアンカラでノルマン人傭兵が
反乱を起こしてガラテア公国と称して自立しようとした
副帝アンドロニコスは父とともにこれを鎮圧しようとして敗北した
東ローマはノルマン人傭兵の鎮圧をセルジューク軍に依頼すると
セルジューク軍は傭兵だけでなくアンカラの住民も残らず追い払った

536:世界@名無史さん
18/12/23 20:43:46.97 0.net
もし11世紀にセルジューク朝相手にうまくやれて、アナトリアのテュルク化を防げたとしてだ
どうせ13世紀にはモンゴルの波がやってくるわけで、ルーム・セルジューク朝みたいな緩衝材なしに対峙してしまう
従属国で済むんなら史実より良い状態で14世紀を迎えられるかもしれんが、下手うったら200年早く滅亡コースだからな

537:世界@名無史さん
18/12/23 21:27:04.92 0.net
>>519
アナトリアにトルクメンが移住して本国の戦力が流失したので
セルジュークはカラ・キタイに負けたりするようになった
同様にアフガンのゴール朝もインドを征服すると本国から戦力が
流失してアフガンはホラズムに征服されてしまった
セルジュークの後継者ホラズムは流失したトルクメンに代わる戦力を
同じく遊牧民のカンクリ族で補い大国化したけど新参のカンクリ族と
従来から兵との対立でモンゴル軍に対して団結出来なかった

538:世界@名無史さん
18/12/23 21:45:16.81 0.net
新たな遊牧地を求めてたのはトルクメン自身だからなあ
アナトリアにいけなくなったら、ほかに行ってたんじゃね?
いずれにしても、こういう


539:歴史IFをしだすとキリがないし詮無いな



540:世界@名無史さん
18/12/23 22:28:21.18 0.net
トルクメンとかはモンゴル軍に比べて規律が悪いから数が多くても勝てないだろうね
モンゴル軍はとにかく戦利品の略奪は戦闘終了後で違反者は厳罰に処せられた
他の多く国は遊牧民も農耕民も戦利品はだいたい早い者勝ちだった
いち早く戦利品を手に入れて満足した兵が勝手に帰ってしまう事が多かった

541:世界@名無史さん
18/12/24 14:46:16.64 0.net
要するにニザーム・アルムルクがイランのトルコ化を阻止したわけだよな
もしトルクメンをアナトリアへ追い出さなかったのならばイラン全土が
アゼルバイジャンやトルクメニスタンのようにトルコ化したのだろうな
これはかつて東ローマがゴート族を西ローマ領に移住させた事に似ているな
もしゴート族がバルカンに定住し続けたら後のブルガリアのようになったはず

542:世界@名無史さん
18/12/24 18:53:27.05 0.net
>>519
もし11世紀にセルジューク朝相手にうまくやれて
アナトリア全土が東ローマ領のままならば当然
ロマノス4世の出身地カッパドキアも健在となるけど
カッパドキアはヘラクレイオス1世やニケフォロス2世も
輩出した尚武の気風の地だけど住民の多くがギリシャ化
していなくてアルメニア人が多かった地方だから
いつまでも東ローマ領であるとは限らなかった

543:世界@名無史さん
18/12/27 04:46:21.25 0.net
中国の史書にコンスタンティノープルに大きな水時計があったと
記されてるんだが、詳細分かる記録ある?

544:世界@名無史さん
19/02/15 19:06:12.30 0.net
ほしゅ

545:世界@名無史さん
19/02/25 10:33:05.29 0.net
ギリシアの炎

546:世界@名無史さん
19/03/25 23:53:21.91 0.net
URLリンク(www.afpbb.com)
トルコ大統領、アヤソフィア博物館のモスクへの改名を示唆
2019年3月25日 23:09 発信地:アンカラ/トルコ [ トルコ 中東・北アフリカ ]

547:世界@名無史さん
19/04/24 20:43:22.05 0.net
ビザンツの魅力ってあまりにも戦争が弱いのに1000年も続いたしぶとさだよな

548:世界@名無史さん
19/05/07 06:28:50.87 0.net
そこが魅力だよな

549:世界@名無史さん
19/05/12 21:29:43.27 0.net
イスタンブールのモザイク博物館に展示されてる大宮殿のものと推測されるモザイク画は血生臭い絵が多かったな。
猛獣が獲物に噛みついている絵など。
尚武の気風ということなのかな?

550:世界@名無史さん
19/05/26 21:36:25.61 0.net
東ローマ帝国は
なりふり構わず現在まで存続して欲しかった
一都市国家でもよかった

551:世界@名無史さん
19/05/27 17:21:10.30 0.net
国は滅ぶしかなかっただろうが皇帝がイタリアに亡命していれば皇帝兼イタリア貴族として存続したかも
逃げるよりは戦って死ぬことを選んだわけだが

552:世界@名無史さん
19/05/27 17:33:12.23 0.net
バレオロゴス家の何人か位は亡命してるのかな?

553:世界@名無史さん
19/05/27 19:15:30.10 0.net
>>534
皇女がロシア方面に逃げてたような…。

554:世界@名無史さん
19/05/28 04:16:54.80 0.net
コンスタンティノス11世が逃げ延びてパレオロゴス家が存続したとしてもコンスタンティノープルが無ければただの一貴族程度でしかないのでは?

555:世界@名無史さん
19/05/28 09:43:39.97 0.net
異教徒に国を滅ぼされたローマ皇帝なんてキリスト教世界じゃ最高のステータスじゃん

556:世界@名無史さん
19/05/28 10:32:25.64 0.net
19世紀のギリシア復興時に国王として戻れたかもな

557:世界@名無史さん
19/05/28 11:49:18.40 0.net
ビザンツの戦争の弱さは一流だけど皇帝で一番戦争が上手かったのは誰?
将軍はベリサリウスだけど
バシレイオス2世か?

558:世界@名無史さん
19/05/28 15:10:53.50 0.net
バシレイオス2世はブルガリアに負けたりしていて、戦術面では最高点はつけにくいかな。
ロマノスあたりは?

559:世界@名無史さん
19/05/28 16:35:28.37 0.net
ササン朝に完勝したヘラクレイオスとか挙げたいけどこの人も後年はムスリムに完敗してたり無条件で強いって人はいないよねこの国

560:世界@名無史さん
19/05/29 02:33:01.24 0.net
ヘラクレイオスは前半生もけっこう負けてて、ムラのある人だから最強論議には上がらないんじゃないか。
小説の主人公にはピッタリだけどね。

561:世界@名無史さん
19/05/29 20:00:16.19 0.net
>>541
ササン朝が突厥に中央アジア方面で負けまくって国力落としていた時期だからね。

562:世界@名無史さん
19/05/29 21:27:45.93 0.net
ウマイヤ朝を追い返したレオーン3世あたりはどうだろう?

563:世界@名無史さん
19/05/29 21:42:03.47 0.net
つか帝国弱くないだろ

564:世界@名無史さん
19/05/29 21:49:51.98 0.net
弱いだろ

565:世界@名無史さん
19/05/29 22:03:40.56 0.net
弱かったら1000年も保たんわ

566:世界@名無史さん
19/05/30 02:34:51.56 0.net
時期と人によるが、
そんなに強かったらエジプトは奪回してたろうな。

567:世界@名無史さん
19/06/02 00:19:15.79 0.net
弱くはないな、よくまあムスリムの本拠地近くで長いこと粘ったよ
惜しくも滅んだが彼らの侵食はペルシャだろうがインドだろうが中華だろうが止めれないからしゃーない

568:世界@名無史さん
19/06/02 00:35:10.55 0.net
鉄壁のコンスタンティノープルのおかげ

569:世界@名無史さん
19/06/03 01:45:51.64 0.net
あれ作った人も凄いな
どれくらいの年月かかったんだろう
築城時には侵略者から防げてたのかとか

570:世界@名無史さん
19/06/03 17:53:39.38 0.net
こないだコンスタンティノープルに行ったら城壁がピカピカに再生されてた。

571:世界@名無史さん
19/06/05 15:49:15.15 0.net
エジプトでのギリシャ正教とコプト正教会の勢力は30倍違う
他は全てはイスラームに改宗した
帝国政府はエジプト人の衆望を完全に失っていた以上もはや「奪回」のレベルでは不可能だった

572:世界@名無史さん
19/06/12 10:36:31.72 0.net
皇帝直属親衛隊のヴァラング隊ってカッコいいな
面白い本とかあるかね

573:世界@名無史さん
19/06/13 01:38:01.00 0.net
>>554
ヴァリャーギ親衛隊の軍装とか大雑把なのでいいなら
多分大きめの図書館なら置いてあるはずなんで借りてな
ビザンティン帝国の軍隊―886‐1118 ローマ帝国の継承者
(オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ) 単行本 - 2001/11
新紀元社

574:世界@名無史さん
19/06/13 01:41:23.70 0.net
>>555
あとこれは読みやすいとはいわないが
ヴァリャーギ親衛隊の事を詳しく書いてある
現時点では日本で唯一?かも
これも図書館で探すのが良いかと
ヴァリャーギ ビザンツの北欧人親衛隊 単行本 - 2008/7
出版社: 国際語学社 (2008/07)

575:世界@名無史さん
19/06/13 02:41:06.17 0.net
蛮族を親衛隊にするとか亡国の一歩だな

576:世界@名無史さん
19/06/13 09:41:24.42 0.net
スイス傭兵「せやな」

577:世界@名無史さん
19/06/13 17:11:29.20 0.net
>>555
探してみるあざす

578:世界@名無史さん
19/06/14 00:07:32.36 0.net
URLリンク(www.youtube.com)
Varangians - Elite Bodyguards of the Byzantine Emperors
Kings and Generals
2019/06/13 に公開

579:世界@名無史さん
19/06/17 06:30:00.33 0.net
東ローマを扱った映画てあるの?

580:世界@名無史さん
19/06/17 16:28:46.49 0.net
欧米でもマイナーそうだなあ。
ちなみに映画化するならどの時代がよかろうか。

581:世界@名無史さん
19/06/17 17:20:21.34 0.net
>>558
スイス人は蛮族じゃないが

582:世界@名無史さん
19/06/18 21:28:35.98 0.net
>>561
ヘラクレイオス1世の時代のヤルムークの戦いを映画化したのが、
Youtubeにあるよ。でも、軍装が共和制から帝政初期のレギオンの
まんまで、スパルタクスの反乱時と区別がつかない。
あの装備なら駱駝騎兵と弓兵で構成されたウマイヤ朝軍にいかにも負けそう。

583:世界@名無史さん
19/06/18 21:30:26.51 0.net
>>563
蛮族に近いくらいの傭兵ならローマの略奪したドイツ傭兵部隊の
ランツクネヒトじゃないかな。

584:世界@名無史さん
19/06/20 01:43:33.79 0.net
>>564
ほんと?ありがとう
今通信制限中なのとにわかだから時代背景やら人物やらちょっと知識下調べしてみてから月頭にでも見てみるよ
サンクス

585:世界@名無史さん
19/07/08 00:33:34.98 0.net
>>566
ユスティニアヌスやテオドラの映画でいいなら・・・
探せば同時代のはまだあるはずです
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(www.youtube.com)
Teodora, emperatriz de Bizancio, parte 1 (1954)
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(www.youtube.com)
Kampf um Rom 1&2 - Trailer (Deutsch)
URLリンク(www.youtube.com)
Битва за Рим, часть 1 (1968)
ギリシャ人のはずなのにイタリア語やドイツ語w

586:世界@名無史さん
19/07/08 00:40:51.03 0.net
>>567
2つとも元の原題タイトル(や英語タイトル)とかで検索すれば
他にも動画が出てくると思います
その作品の制作国の言語だと多いかもしれません
ドイツ作品の方・・・ユスティニアヌスがあのアメリカの名優オーソン・ウェルズw

587:世界@名無史さん
19/07/08 00:48:52.25 0.net
>>567
付け足し
URLリンク(en.wikipedia.org)
Kampf um Rom
youtubeには朗読データとか出るのでドイツでは有名な作品のようですね
URLリンク(kotobank.jp)
URLリンク(de.wikipedia.org)
フェーリクス ダーン
URLリンク(www.imdb.com)
URLリンク(www.imdb.com)
最初にあげたイタリアのテオドラの映画とこのドイツ映画の評価は・・・
昔の史劇ものにありがちな大味な感じなんでしょうかね(;^ω^)

588:世界@名無史さん
19/07/08 04:45:17.05 0.net
コンスタンチノープル落城モノてないの?

589:世界@名無史さん
19/07/08 21:00:45.91 0.net
古代ギリシャは「東ローマ帝国」「オスマントルコ帝国」と名前を変えて続いてる
トルコ皇帝は実質的にギリシャ人だし、官僚も軍人もギリシャ人のキリスト教徒だ

590:世界@名無史さん
19/07/08 21:01:49.09 0.net


591:世界@名無史さん
19/07/09 08:20:01.23 0.net
漁ってみたら別スレに元ネタがあった。(以下改行の関係で文だけコピペ)
>>ギリシャは優れた文明がある国なのに何でこんな嫌われてるの?
>>嫌われてはいない
バカにされてるのと、面倒見るのは勘弁と思われてるだけ
>>古代には優れていたけれど中世以降は後進国
>>偉大な文明の発祥地として尊敬されてる
>>近代ギリシャは古代ギリシャとは別物だから
>>日本かて奈良時代の日本と現代の日本は全然違うやん
風景も街も人々の服装も都も違うし、現代人と奈良時代人とは言葉も通じん
でも日本は日本や
>>歴史が�


592:A綿と続いている日本と比較することがおかしい ギリシャは存在自体が消えて19世紀まで出でこないし >>「東ローマ帝国」「オスマントルコ帝国」と名前を変えて続いてるじゃん トルコ皇帝は実質的にギリシャ人だし、官僚も軍人もギリシャ人のキリスト教徒だ >>は? >>こじつけトンデモ説すぎて草 ほとんど騎馬民族征服説並み さすがにネタだろうけど



593:世界@名無史さん
19/07/09 12:23:30.06 0.net
>>567
>ギリシャ人のはずなのにイタリア語やドイツ語w
ユスティニアヌス朝初期の頃はまだ東ローマの公用語はラテン語
また東ローマ軍の将兵には数多くのゲルマン人兵士がいた
ユスティニアヌス朝の時にバルカン北部がスラブ化して
東ローマからラテン語話者とゲルマン兵が消滅していった
ユスティニアヌス朝最後のマウリキウス帝はカッパドキア出身で
この頃になると東ローマはすっかりキリシャ人の国になっていた

594:世界@名無史さん
19/07/09 22:35:49.89 0.net
ギリシャ人は「西洋文明発祥の地」とかって威張ってるけど、はっきり言って現代のギリシャって古代ギリシャとは全然関係ないよね。
そのくせプライドだけは高くて周辺諸国ともめごとばかり起こすし、ロクなことしてない。失礼、言い過ぎました…

595:世界@名無史さん
19/07/10 02:11:42.06 0.net
21 風吹けば名無し 2019/07/10(水) 02:09:17.06 ID:tenMxdKn0
バシレイオス2世「この帝国も形になってきたな!」
コンスタンティノス8世「んほぉ~この戦車競走たまんねぇ~」
コンスタンティノス8世「ボードゲームするだけで抜けるわぁ…」
市民「うわぁ来たよ…」(東ローマ名物無能皇帝)
アンドロニコス1世コムネノス「改革の進行はどうだい?」シコシコ
宦官「現在ここまで進んでいます」
アンドロニコス1世コムネノス「え?市民や貴族が反乱?…ふんふん…」(処刑)
貴族「次の皇帝は誰?」
市民「イサキオス2世さんですね」
貴族(そっかぁ…)
イサキオス2世「この第3回十字軍なんか違うんだよね…王道すぎるというか…ひねりがないよねぇ…」
教皇、アレクシオス3世「うわぁ…」(そうですか…)(帝位奪取)
アレクシオス4世「そうだ!この第4回十字軍に途中でハンガリー攻撃させてコンスタンティノポリスをカッコよく陥落させようよ!」
イサキオス2世「皇帝は俺とアレクシオス4世ちゃんね!これは面白くなるぞ!」

596:世界@名無史さん
19/07/21 17:52:47.71 0.net
んー

597:世界@名無史さん
19/07/29 15:21:37.22 0.net
>>573
東ローマ時代のギリシャ人はなぜ弱兵なのか2
スレリンク(whis板)
別スレはもしかして上のスレかな?

598:世界@名無史さん
19/09/11 17:07:00.03 0.net
>>575
じゃあ最初から言うんじゃねえぞ?この知恵遅れが。世の中を蔑むのもいい加減にしろよな?

599:世界@名無史さん
20/01/05 23:27:00.78 0.net
ほしゅします

600:世界@名無史さん
20/02/03 16:55:58 0.net
>>488
そこまで求めるのは無理ゲー。
バシレイオス2世に広域的な商業を解するだけのアタマはなかった。
禁欲的で質素を重んじたせいで、経済的には停滞した、とまで言われている。
ピサやジェノヴァを手に入れたところで、持て余すのが関の山。

601:世界@名無史さん
20/02/03 23:14:59.26 0.net
>>581
仮にバシレイオス2世に広域商業、経済を理解できるアタマがあったら、是が非でもノミスマ金貨の改鋳に踏み切ったと思う。
つまり通貨供給量の増加によるデフレ対策と域内経済振興と出目(でめ)収入。
「中世のドル」とまでいわれたノミスマでそれをやるなら効果は絶大だっただろ。
しかし結果的にバシレイオスが活躍した11世紀初頭まで


602:ノミスマ金貨の純度は変わっていない。 金の供給量は変わっていないのだから、通貨供給は増加しなかった、と考えるべき。 金貨の純度が劇的に低下するのは12世紀末、ミュリオケファロンの敗戦後。 東ローマにとって苦し紛れの出目収入策だったが、地中海域内で一気にインフレが進行。 商業国家であるジェノヴァやヴェネツィアで投資が進み、後の台頭につながった。 ただ、これをバシレイオスに求めるのは酷に過ぎる。 貨幣価値は貴金属の含有量ではなく、発行体の信用力によって決まることを喝破したのは、7世紀も後、江戸時代日本の天才勘定奉行荻原重秀だった。



603:世界@名無史さん
20/02/03 23:54:02.34 0.net
あっ、間違えた。
ミュリオケファロンの敗戦後は11世紀末だった。

604:世界@名無史さん
20/02/04 00:08:37.03 0.net
>ミュリオケファロン
この単語、いつも「桶」とか、マヌエルが右手でOKしてるとことか連想しちゃう

605:世界@名無史さん
20/02/04 11:54:03 0.net
中世みたいな
供給能力低い時代に
デフレなんてあったの?
常にもの、サービス不足のインフレ状態だと
思うんだけど

606:世界@名無史さん
20/02/04 12:44:21.59 0.net
>>585
供給能力は低かったが、需要も低かった。
もっと低かったのは貨幣の供給能力。
むしろデフレ状態の方が多かったよ。

607:世界@名無史さん
20/02/04 14:09:19 0.net
>>582
>発行体の信用力によって決まること
これって中国の紙幣や16世紀フランドルの為替等で既に判明していたことじゃ?

608:世界@名無史さん
20/02/04 14:28:33 0.net
>>587
中国のこうしゃ(変換できねーw)は明らかに違う。
フランドルの為替はノーチェックやった。
ご指摘?くす!

609:世界@名無史さん
20/02/04 20:29:53 0.net
>>588
>中国のこうしゃ(変換できねーw)は明らかに違う
そうかな? 発行した紙幣の期限を決めて回収するように調整していたのは
政府の信用力を認知していたからだと思うのだが

まあ、中国の紙幣は貨幣は、毎回増刷し過ぎたり界もだんだん期限が長くなり最終的に無期限化したりしてたわけだけど

中国紙幣は為替が起源だけど、これはそれまで度々あった鉄銭や布巾など、銅銀金が不足していて貨幣供給不足の
場合に別素材を貨幣として流通させたもので、その場合必ず貨幣安定論として戦国時代からある子母相権論が出てくる

610:世界@名無史さん
20/02/04 21:12:43.95 0.net
>>589
>発行した紙幣の期限を決めて回収するように調整していたのは
>政府の信用力を認知していたからだと思うのだが
受取り拒否は死罪!
こんなこと決める時点で信用力とかもはや関係無し。
貨幣の3条件(支払決済手段、価値尺度、価値保蔵)のうち後2者を満たしていない。
つまり死刑にさえならなければ誰も受け取りたくないし、誰も価値基準としないってこと。

611:世界@名無史さん
20/02/04 21:34:19 0.net
確かに江戸幕府でも享保時代に貨幣改鋳を荻原重秀より確信的に、より徹底してやった大岡忠相は、旧貨幣の供出を拒否った4豪商の手代(現代風に言えば部課長級かな?)を問答無用で伝馬町の牢にブチ込んだが、別に誰も殺していない。

そもそも主人(代表取締役)でもなく番頭(役員級)でもなく、手代なんぞ遣わす時点で、豪商側の方が幕府(軍事政権)を舐めてたわけだが。

612:世界@名無史さん
20/02/04 22:06:03 0.net
>>590
>受取り拒否は死罪!
これ出典は?偽造したり、価値を毀損するようなことをした場合の話じゃないの?
雑学系の本ではなく、中国経済史の本では見たことがない



613: 自分が知らないだけかも知れないので、まともな出典を教えてほしい なお、自分が書いている信用の話は、元の話だけではなく、宋金代の話も含む(というか、 最初の紙幣なので、主に宋金のつもりの話で書いていた)



614:世界@名無史さん
20/02/04 22:20:32 0.net
>>590
URLリンク(www.wikiwand.com)

元は決済上の利便性から紙幣の流通を押し進めた。交鈔の流通を拒んだり、偽造をする者は死罪となった.

615:世界@名無史さん
20/02/04 22:29:54 0.net
なんだwikipediaか、、、まあ一般書とはいえ出典はわかったから、こんど確認してみるわ

仮に元の交鈔がそうだとしても、宋金とは違うという話だよね

616:世界@名無史さん
20/02/04 23:04:29 0.net
話を戻すと、ビザンツのヒュペルビュロンの暴落は、コイン史で有名なシラカワサイトによると

URLリンク(sirakawa.b.la9.jp)

ちょうど1200年頃、第四回十字軍の頃に見える

でも1176年のミュリオケファロンの敗戦とその後の条約がきっかけかも知れない

どっちなんだろうね

617:世界@名無史さん
20/02/04 23:50:07 0.net
>>595
すまん、ミュリオケファロンとマンジケルトの敗戦を混同してたわ。
高校行きなおしてきまつ・・・orz

ソリドゥス金貨
URLリンク(ja.wikipedia.org)

しかし紙幣の概念の無いこの時代、「中世のドル」の乱発(というか、それまでが貨幣不足のデフレだった)は交易上のインフレを招いたことはほぼ間違いなく、こちらも話を戻すが、ジェノヴァ、ヴェネツィア等の商業都市の台頭を招いた。

618:世界@名無史さん
20/02/04 23:54:00 0.net
>>570
つ『コンスタンティノープルの陥落』 塩野七生

619:世界@名無史さん
20/02/05 18:55:36 0.net
バシレイオス二世の時代は、戦争して略奪して奪った敵国の貨幣や財宝を自国貨幣に改鋳にする、
というような安直な考えしかなかった時代だからねぇ

620:世界@名無史さん
20/02/05 23:37:50.16 0.net
>>598
確かに軍人皇帝時代らしい大雑把で乱暴なやり方。
しかも、それを胎蔵するために、宝物庫の床まで掘り下げるとかな。
しかしそのおかげで、帝国は安定した「中産階級」を抱え込むことができた、と言えなくもない。

621:世界@名無史さん
20/02/06 20:54:42 0.net
>>570
>>597
小説なら
「艦隊山越え 征服王スルタン・メフメット」豊田穣
歴史解説ものなら
「イスタンブール 三つの顔をもつ帝都」ジョン・フリーリ
(「世界の都市の物語」シリーズ内)「イスタンブール」陳舜臣
といった本もあるね

622:世界@名無史さん
20/05/08 01:02:28 0.net
新書48
スレリンク(books板)

38 無名草子さん (ワッチョイ dfbd-h83k) sage ▼ 2020/05/04(月) 05:19:42.19 ID:GxTw+zjF0
@中公新書6月。
遠藤耕太郎『万葉集の起源 東アジアに息づく抒情の系譜』
加藤文元『数学する精神 増補版』
蔭山宏『カール・シュミット ナチスと例外状況の政治学』
倉沢愛子『インドネシア大虐殺 二つのクーデターと史上最大級の惨劇』
中谷功治『ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち』
--------
シュミット本の著者は政治(哲)学でもなく法(哲)学でもなくドイツ思想史が専門のようだ。注目。

623:世界@名無史さん
20/05/08 01:11:20.87 0.net
>>601
URLリンク(www.hanmoto.com)
中公新書 2595
ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち
新書
中谷 功治(著/文)
発行:中央公論新社
新書判 336ページ
定価 940円+税
ISBN9784121025951CコードC1222
教養 新書 外国歴史
出版社在庫情報不明
発売予定日2020年6月23日
登録日2020年5月7日
最終更新日2020年5月7日
紹介
千年以上にわたるビザンツ帝国の歴史。
本書は、文字どおり波瀾万丈・有為転変の連続であった、その軌跡を描き出す試みである。
個性豊かな皇帝が登場し、過酷な政争や熾烈な外交および戦争が展開された歴史は、ダイナミズムに富んでいる。
コンスタンティノープルの発展、帝国が各地に及ぼした影響、十字軍との関わりなど、
豊富な論点を踏まえて、帝国の内実を描き出す。

624:世界@名無史さん
20/05/08 02:15:04 0.net
まーた通史か
同じようなばっかしで面白くないな
どうせ皇帝の羅列だろ

625:世界@名無史さん
20/05/09 20:30:46 0.net
小笠原『オスマン帝国』が売れたので二番企画なんだろうよ

オスマン帝国はかなり本が出ているようで、最初から最後まで全部扱った通史は
出てなかったからそれなりに売れたが、ビザンツ通史はもう何冊も出てるからなあ

626:世界@名無史さん
20/06/19 17:58:49.57 0.net
誰かアレクシアス読んだのおらんの

627:世界@名無史さん
20/06/21 00:18:26 0.net
読んだよ
個人的には読みにくかった
原文の文章の癖なのかな

628:世界@名無史さん
20/06/21 00:49:49.12 0.net
イーリアスとどっちが面白かった?

629:世界@名無史さん
20/07/11 17:47:31.52 0.net
おい聞いてくれよお前ら
エルドアンの野郎がとんでもない暴挙に出やがった
トルコ大統領 「アヤソフィア」をイスラム教のモスクに変更
2020年7月11日 6時23分
イスラム教徒が多数を占めるトルコのエルドアン大統領は、
イスタンブールの世界遺産の一部で博物館として使われてきた歴史的建造物「アヤソフィア」をイスラム教のモスクに変更したと発表しました。
アメリカやギリシャはアヤソフィアを博物館のまま維持するようトルコに求めていただけに、今後、波紋が広がりそうです。
URLリンク(www3.nhk.or.jp)

630:世界@名無史さん
20/07/11 22:40:18 0.net
何を今更。1453年に東ローマは終わったんだ。建物が残っているだけでも良しとしないと。

631:世界@名無史さん
20/07/11 23:00:14 0.net
本当だわな
アルハンブラ宮殿のモスクは今やカトリックの大聖堂だが今更返せなんて言うのも野暮の話
むしろ建築が現存し歴史を伝えてくれるだけでもありがたい
アギアソフィアもまた同じこと

632:世界@名無史さん
20/07/12 01:56:49 0.net
でもあれ部分的に往時のモザイクが残ってるけど、モスクにするならあれはまずいだろ。また塗りつぶしちゃうのか?
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

633:世界@名無史さん
20/07/12 02:40:00.85 0.net
東ローマ人だって自分たちでイコン破壊しまくったのにな
お陰でローマ絵画の流れを組んだ旧イコンは極僅かしか残らず、下手くそなビザンティンイコンが主流に

634:世界@名無史さん
20/07/12 04:21:22.39 0.net
でも写実的な前期イコンには魅力も精神性も感じないなあ
フロレンスキイ神父が言ったように、物理法則や写実性を無視したところに彼岸性や精神性が立ち現れる

635:世界@名無史さん
20/07/12 20:16:30.87 0.net
精神性だの彼岸性だのは後付だけどな
文化大革命の後の革命的新イコンを後付で評価してるだけ

636:世界@名無史さん
20/07/19 10:41:36.32 0.net
>>602
URLリンク(i.imgur.com)

637:世界@名無史さん
20/08/06 00:36:30 0.net
ビザンツなんてトルコに吸収されて消滅した

638:世界@名無史さん
20/08/06 22:22:36.01 0.net
ビザンツ帝国では、農業技術の発展がほとんどみられなかったけど、なぜなのかな
西ヨーロッパでは農業生産が何倍にも増大し、イスラーム世界では灌漑によって
収穫が飛躍的に伸び、東方の作物も栽培されるようになったのに対して、
ビザンツでは11世紀の間、農業の生産性はまったく変わらなかった

639:世界@名無史さん
20/08/21 19:27:41 0.net
堕落してたの?

640:世界@名無史さん
20/08/21 21:10:33.58 0.net
コンスタンティノープル一極集中は現代日本の東京に似ている

641:世界@名無史さん
20/08/22 11:09:21 0.net
テサロニカ、エフェソス、トレビゾンドなどの街も経済的には重要であり、
また当時としては破格の3万から4万という人口を誇っていたが、首都である
コンスタンティノープルとは比べようもなかった

642:世界@名無史さん
20/08/22 22:23:19 0.net
ビザンツ皇帝は、「人の住むあらゆる土地」の支配者でなければならない
ビザンツ人にとって、外国人などというものは、少なくとも理論的には存在しなかった
建前上、皇帝が条約に署名するのではない
たとえそれが帝国に不利なものであっても、他国との条約はすべて、
「皇帝の寛大かつ一方的な譲歩」という形を取った

ちょっと中国に似ている

643:世界@名無史さん
20/08/23 14:16:34 0.net
テマ制度は唐の節度使にそっくりだな
前者はその後完璧に大土地所有を認める封建社会になったのに対して後者はガチガチの中央集権の宋朝が成立したという違いはあるけど
また前漢の武帝、魏の曹操、明の洪武帝永楽帝みたいに北の遊牧民を逆に侵略してボコボコにしてた時代もあるけど
東ローマは北方民族に優位に立てた時代がまったくない
攻めてきたら地方は捨てて首都に防御全振りしてやり過ごすか貢物おくってお引き取り願うかのどっちか

644:世界@名無史さん
20/08/23 14:46:34 0.net
ビザンツの地方貴族の出世とは、コンスタンティノープルに移って館を建て、
高位の官職につくことだった
貴族たちは、公務以外から報酬を得ないという、古代の有閑階級の生活様式を守った
このようなことは地方の所領からあがってくる莫大な収入があって可能なことであった

645:世界@名無史さん
20/08/23 16:14:22 0.net
>>622
テマは世襲ではないので節度使とは違うんでは?帝政ローマ時代の皇帝属州の総督(軍団指揮権を有してた)の方が近い

646:世界@名無史さん
20/08/23 16:47:57 0.net
ビザンツも中国も、「対等な関係」というのを認めない文明だけど、
実は近代ヨーロッパの、「対等な主権国家同士の関係」のほうが
人類史の中では特殊なのかもしれない

647:世界@名無史さん
20/08/23 17:48:36.29 0.net
>>625
互いの国力を無視して「対等」に扱うというのは本来不自然極まりないことだからね。



648:列なり区別なりあるほうが自然。



649:世界@名無史さん
20/08/23 18:59:11 0.net
ビザンツ帝国はあらゆる国を―独立国であろうと、ビザンツ帝国より
強大な国であろうと―全キリスト教徒の父であるローマ皇帝を頂点とする
序列の中に位置づけた
各国の王は、家長である皇帝の家族とみなされたのである

650:世界@名無史さん
20/08/24 21:20:10 0.net
虚栄だわな
9,10世紀には人口も科学も文化もバグダードやコルドバの後塵を拝したのに未だに世界の中心だの空しすぎる

651:世界@名無史さん
20/08/24 22:11:04.31 0.net
>>617
ビザンツ帝国軍は騎兵が主力だったから
牧畜が奨励されて農業が停滞したのでは?
バルカンをスラブ人に奪われる以前は
バルカンが兵馬の供給地だったけど
以後はアナトリアで賄わなければならなくなった

652:世界@名無史さん
20/08/24 22:12:06.45 0.net
12世紀以降、北イタリア諸都市の商工業の発展に押されて
ビザンツ帝国の国内産業は衰退してしまったしな

653:世界@名無史さん
20/08/24 23:14:23 0.net
>>629
ビザンツの農業は古代ギリシア・ローマ以来の地中海農法が行われ、
あまり技術の進歩がなかった
それでも、古代から中世初期には西欧に比べて高度な農業技術を持っていたが、
12世紀に西欧やイスラムで農業技術が改善され農地の大開墾が行われるようになると、
ビザンツの農業の立ち遅れが目立つようになってしまった
技術的進歩といえば、せいぜい双股の鍬の発明ぐらいだった

654:世界@名無史さん
20/08/24 23:57:27 0.net
シュメール滅亡後に塩害で放棄されたイラク南部の土地で
アッバース朝時代に黒人奴隷ザンジュを用いた土地改良により
サトウキビとかを栽培する奴隷農場が発展したけど
ザンジュの乱の鎮圧後に農場は元の荒れ地に戻った

中世の中央アジアでは綿花の栽培が発展したけど
穀物から綿花に耕地を転用し過ぎたので
穀物の備蓄が充分に出来なくなり
モンゴル軍に包囲された都市が次々と陥落した

655:世界@名無史さん
20/08/25 00:11:16 0.net
セルジューク朝の遊牧トルクメンは放牧地を求めて
イラン人の農地を奪い放牧地にしようとしたので
ゼルジューク朝のイラン人宰相ニザーム・アル・ムルクは
イランを守る為にビザンツ帝国のアナトリアに
遊牧トルクメンを移住させた
遊牧トルクメンはビザンツ人の農地を奪い放牧地にした

656:世界@名無史さん
20/08/25 03:57:45 0.net
マケドニア朝末期のテマ制崩壊により
ビザンツ帝国の農民は兵役から解放され
農業に専念に出来るようになり
このまま農業が発展するかにみえたが
トルコ系遊牧民の移住により
ビザンツ帝国の農業は壊滅した

657:世界@名無史さん
20/08/26 10:56:33.67 0.net
古代ローマや中世ヨーロッパと違って東ローマはフィクションの題材として
あまり多く取り上げられないな

658:世界@名無史さん
20/08/26 13:16:50 0.net
単なるオリエント専制じゃないか

659:世界@名無史さん
20/08/26 16:09:49 0.net
>>636
プラトンは、哲人王は法よりもすぐれており、法に従っても従わなくても、
正しいと思う統治をすれば人々の幸福にになると考えていた
アリストテレスも君主制を望ましい政体と考えていた
ビザンツの専制は、オリエントだけではなく、古代ギリシャの影響も
あるんじゃないか?

660:世界@名無史さん
20/08/26 20:54:44 0.net
プラトンの哲人王は専制君主じゃないし(仕方ないから役目を負うって建前)、アリストテレスの政治学は12世紀までまともに注解作られないほど影が薄かった
古代ギリシャじゃ専制の僭主は基本評判悪い

661:世界@名無史さん
20/08/26 22:43:15 0.net
ビザンツ人は君主政を理想の政体とみなしていたが、その根拠は、神が唯一であるように
支配者もひとりであるべきだということである



662:。数の神を認めることは無神論であり、権力を複数の者が分かち合う民主政とは 無政府状態にほかならない ビザンツの専制皇帝にあえてオリエント的性格を求めるなら、キリスト教がそれであろう



663:世界@名無史さん
20/08/27 21:26:34 0.net
>>635
ファンタジー小説の嚆矢である指輪物語のゴンドールやゲド戦記のエンラッドは東ローマ帝国がモデルだけど
RPGに出てくる西洋風の帝国は大なり小なり東ローマを連想してると思う

664:世界@名無史さん
20/08/27 22:54:39.69 0.net
ユスティニアヌスが西方領土を奪回しようとせず、東方国境の守りを固め、
バルカン半島の防衛を強化していたらよかったんじゃなかろうか
彼の死後にランゴバルト人がイタリアに侵入し、帝国はイタリア半島南端部と、
ラヴェンナからローマに至る地帯をかろうじて確保するのみとなってしまった

665:世界@名無史さん
20/08/28 00:19:54 0.net
ユスティニアヌス1世がアクスムをササン朝にけしかけた事が
アクスムとササン朝のイエメン争奪戦でイエメンが荒廃して
イエメンのマアリブ・ダムが放棄され
農業を諦めたイエメン人がベドウィン化して
アラブ・イスラムによる大征服の端緒となった

666:世界@名無史さん
20/08/28 08:52:44 0.net
ユスティニアヌス1世がアクスムをササン朝にけしかけた事は
アラブ・イスラムによる大征服の端緒となった
アクスムとササン朝のイエメン争奪戦でイエメンが荒廃して
イエメンのマアリブ・ダムが放棄されので
農業を諦めたイエメン人がベドウィン化して
イエメンの外へ移住せざるえなくなった

667:世界@名無史さん
20/08/28 09:19:45.61 0.net
イランの王朝は異民族の侵入によってあっさり滅びるパターンが多いけど、
ビザンツはゴキブリ並みにしぶといよな
717年、イサウリア人レオーン3世が帝位についたときは、帝国を取り巻く状況は
絶望的になっていた
アラブ人はコンスタンティノープルを海と陸の両方から包囲し、タウロス山脈沿いの
国境も寸断されていた。バルカン半島では、ビザンツの支配下にあるのは、
エーゲ海沿岸の細長い地域だけになっていた
しかし8世紀末になると、トラキア地方、カルキディケ半島、ギリシア中央部、
ペロポネソス半島などの領土奪還が進んだ


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