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昭襄王 の人物欄
覇者たらんとし、張翠の申し入れや春申君の申し入れを受け入れたが、
一時は西帝と称するなど、天下の王たらんともしていた。春秋戦国の覇者としての面と、
統一王朝としての面の狭間に揺れていた部分を垣間見ることができる。
孟嘗君の噂を聞き面会を求めたり、藺相如の剛胆さに感嘆したり、
范雎を登用したり、才能のある者を好んだ。これは魏冄に長く政権を握られていたため、
打破する人材を求めていたとも考えられる。
魏冄の4度の宰相の罷免・登用はそのあらわれだが、
魏冄以外に宰相に足る人物が秦にいなかった、という事情もあった。
また、孟嘗君を簡単に謀殺しようとしたり、和氏の璧を手に入れようとしたり、
白起を自刎させるなど、深慮しない面が多い。しかし、范雎の仇を報いてやるなど、
人情の厚い面もあった。名宰相のもとに早くから統一に乗り出していれば始皇帝まで待たずに、
在位中に統一できる可能性もあった。昭襄王の魅力は、
こういった理想論者でもあり現実論者でもある両面性であった。
感傷的な小説を読んでいるみたいだ。
キングダム信者か?