元寇at WHIS
元寇 - 暇つぶし2ch2:世界@名無史さん
13/03/07 09:53:05.52 0.net
そもそも歴史とは世界史のことであって日本の歴史も世界史の一部に過ぎないのだが
自国のことだから特に日本の歴史のみを学びたいというような立場の人間のために日本史という区分が存在している
世界史板と日本史板の二大看板に分けられている2chにおいてはなおさらその性格が強調されているといっていい
よって日本の歴史の範疇であれば多少世界史的意義がある程度でいちいち世界史板に立てるべきではないし、
日本史板にとっても話題の分散は損だろう
そういうわけで板違い糞スレの続きは日本史板でやれ 終了

3:世界@名無史さん
13/03/07 11:01:47.40 0.net
>>2
秀吉による朝鮮出兵のスレッドは
盛り上がっているようですが?

日本史の定義は日本国内に於ける出来事。
他国が絡んでいる出来事は世界史としても扱える。

4:世界@名無史さん
13/04/23 08:35:27.40 0.net
モンゴル中心の話が日本史なわけじゃないだろうw

5:世界@名無史さん
13/04/23 11:04:14.85 0.net
人類史上最大帝国モンゴルの拡張に終止符を打った戦いであり、前近代最大級の海上侵攻作戦でもある
世界史的にかなりの重大事件じゃね?

6:世界@名無史さん
13/04/23 15:15:51.43 0.net
元寇はモンゴル兵に徴用された残虐なチョンへの復讐とか拉致された人々の奪還から
始まったという接骨院もある。後期は中国人やポルトガル人もいて中国を荒らしたので
中国史にも重要な危険集団として出てくる。バイキングのように占領とか支配とかまでは
してないが、忍者やサムライのように日本の誇るもっと世界にアピールして欲しいわ。

7:世界@名無史さん
13/04/23 20:17:15.30 0.net
最近は元寇ではなく蒙古襲来と言うらしいね。

文永の役の時にはまだ「大元」ではなかったから?

例の最初の国書、読みようによってはどうとでも解釈できるんだよな。
本当に通好を求めてのものとも言えるし
「高麗の民が戦禍に苦しむのを憐れんで云々」のくだりは
「抵抗した高麗は汝らの知る通り、この世の地獄を味わったぞ。
汝らとくと考えよ」って脅しとも取れる。

もしフビライが素直に前者の意図だったとしても、
当時の鎌倉幕府や朝廷の人士にはもしかしたら
後者に取れたかもしれない、と思う。

8:世界@名無史さん
13/04/23 20:34:39.29 0.net
>>7
国書の解釈ってそんなに重要じゃないだろ。
それよりも鎌倉幕府や朝廷が問題視してたのは蒙古が周辺国侵略しまくりの侵略国家だってことで。
国書の内容が通好を求めてるだけでも、相手が侵略国家なら当然裏があると考える。
事実、モンゴル帝国内では日本侵略の方針が最初から決まっていたし、使者派遣と同時進行で
戦争の準備も開始されてた。

9:世界@名無史さん
13/04/23 20:41:47.82 0.net
チョンはモンゴルには、賠償ニダ!と言わないんだな

10:世界@名無史さん
13/04/23 21:22:57.35 0.net
>>8
いや、国書を無視したことはやはり問題だよ。
形なりでも返事しておけば、穏やかな形で
事態を収拾できた可能性は無いか?

朝廷では一応儒臣に国書返答草案を書かせているね。
あの草案もまた居丈高なもんだと思う。

「大日本国皇帝、謹んで大蒙古国皇帝陛下に問う、云々」と始めて
宋と遼が互いに皇帝を称しつつ兄弟国の盟約を結んだ例とか引いて、
向こうの自尊心を満足させつつ侵略を外交で防止することは丸っきり夢想では無いだろう。
日本を征服した所で先方には自己満足以外益は無いんだし。
ならば侵略を実行に移す前に自己満足させてやればいい。

元寇の結果は悲惨に過ぎる。
「むくりこくり」と延々と語り継がれたんだから
相当なもんだっただろう。侵略に駆り立てられた旧金、高麗や旧南宋の将兵も哀れなもんだ。

11:世界@名無史さん
13/04/23 22:19:51.56 0.net
>>10
モンゴル帝国との外交で穏やかな形で事態を収拾した国なんて当時の世界には存在しないから。
世界征服を国是にしてるわけで隣接した国は片っ端から攻め込まれてるんだし。
そういう国が相手なんだから、日本側もそれを想定した対応するのは当然。

あと、モンゴルと関わった国の中で日本ほど被害を少なく抑えた国なんて無いよ。
他の国はみんな国土を蹂躙され、万単位の虐殺されてるわけで。
更に元寇の結果が抑止力となり数百年にわたって中国から日本へは武力行使というオプションが消えた。
明の朱元璋だって外交でもめた時にモンゴル軍がボロ負けした日本に勝てるわけないって諦めたくらい。

12:世界@名無史さん
13/04/24 02:34:34.33 0.net
南無八幡大菩薩

13:世界@名無史さん
13/04/24 02:56:33.70 0.net
日本以外のアジアの国は全部国内からモンゴル側に寝返る奴が出てるからな。
特に高麗や大理国といった王室が傀儡化してた国では、国王の寝返りが敗北に直結してる。
日本って結構長い期間モンゴルと外交してたのに本当に凄い。
本来なら使者を太宰府以外に立ち寄らせず、朝廷の返書を全部握り潰して
一切関与させなかった幕府の外交は絶賛されるべきなんだよ。

14:世界@名無史さん
13/04/24 07:43:23.31 0.net
>>10
問題じゃねえよ。逆にどう返書すればよかったんだよ。
お前さんの言ってる通り朝廷ですら「ざけんじゃねえ」と言う内容の返書だったんだぞ
黙殺が正解。

15:世界@名無史さん
13/04/24 07:50:41.13 0.net
あと高麗に関しては忠烈王がフビライの女婿だから、
「駆り立てた」側であっても「駆り立てられた」と言う表現は当たらない
高麗を蒙古の被害者と見るのは間違ってる

>>13
朝廷と幕府で方針が不一致だったわけじゃないし、立ち入らせなかったと言う表現は当たらない
朝幕一致して当たったと言うのが適切

16:世界@名無史さん
13/04/24 10:01:03.39 0.net
なんかねぇ。チンギス=カン時代は
情報収集に力を入れたり、敵国政権内に内通者をつくったりなどの
本戦前の事前活動もかなりしっかりしていたのが
元寇のころになるとそのへんかなり杜撰というか。

高麗を例にするなら、当時はモンゴルに対抗する武臣政権に対して
モンゴルの武力を背景に政権奪還を目指す文臣という軸をモンゴルは
利用したわけなのが、対日戦では朝幕の分断工作なんか一切無しで、
日本側は一致でモンゴルに対抗することになったわけで。

17:世界@名無史さん
13/04/24 10:55:47.04 0.net
明治維新と真逆だな

18:世界@名無史さん
13/04/24 15:03:40.08 0.net
承久の乱を収拾して日本は国内の統一がとれていた時期。
分断工作を仕掛けたとしてもなかなかうまくはいかないと思う。

逆にモンゴル側はカイドゥの乱だのナヤン・カダアンの乱だのおこるわ
そうでなくとも、大カアンといえどもジュチ家やらチャガタイ家やらの軍団を
動員できなくなるわと統一が崩れつつある時期なんだなと。

19:世界@名無史さん
13/04/24 15:33:41.28 0.net
元寇の復讐や家族を連れ戻す行為か倭寇となったとあるが、Wikipediaには
連れ去られた家族と再会した例もあるらしいが本当ならすごいな。
中国人倭寇が華僑のルーツ説もあるし、日本人は倭寇をもっと評価すべきだな。

20:世界@名無史さん
13/04/24 16:27:14.44 0.net
元寇後、和平条約の締結といったようなことは特段無かったので、
当然のことながら日元間で緊張関係は継続。

一方で意外なことに日元貿易は結構さかんに。
元寇で威力を見せ付けたこともあって日本刀が主力輸出商品に。
元寇は日本刀売り込みの宣伝の場となったわけだが、
緊張関係のある敵国に武器を売り込むというのもどんなもんかなと。

商船は敵国に乗り込んで商売するわけで、拿捕・積荷没収の危険がつきまとう。
そのため商船といえども乗組員は武装を。この日元貿易船乗組員が倭寇のルーツの
ひとつという説もある。

21:世界@名無史さん
13/04/24 16:37:43.39 0.net
敵国で商売するワイルドな海の男たち

22:世界@名無史さん
13/04/24 22:46:52.08 0.net
超ワイルドだぜ
日本の商船が入港すると元朝では軍隊が動員されて「大敵を待つがごとし」厳戒態勢の中で
交易が行われてたんだってよ

23:世界@名無史さん
13/04/25 07:00:59.06 0.net
日本からの輸出品の評判は上々だったんだけど、
元側では高額の関税が課された。
非友好国からの輸入品に高額の関税を課して
国内・友好国(属国?)の産業を保護しようという発想が当時でもあったのかと。

で、日本側も高額な関税を課されてもたまらんので、
正規の貿易窓口をさけてどんどん密貿易化。

密貿易だとますます拿捕・積荷没収の危険が増すので、
ますます重武装化。すると密貿易の現場でも武力を背景にした取引も。
商交渉が決裂すれば、相手が用意している商品を略奪・・・とどんどん倭寇化していくと。

24:世界@名無史さん
13/04/26 08:48:56.69 O.net
第二次大戦時における韓国とは"高麗棒子"。
これは日本人がそう呼んでいたのではなくて
あの戦争の当事者である中国人が韓国の事を揶揄して呼称していたもの。
そんな加害者である韓国=中国の人いわく"高麗棒子"が、日本を戦犯国だとか言っているのは片腹痛い。
今の韓国の人は高麗棒子として、なぜ中国の人々からそう呼ばれ蔑視されていたのかを認識し
逃げずにその歴史に向かい合い、ちゃんと反省する必要があるんだと思う。

25:世界@名無史さん
13/04/26 09:55:51.55 0.net
元による高額関税の課税は今風に言えば国内・友好国の産業の保護というより
非友好国に対する懲罰関税の課税といったところかな。

26:世界@名無史さん
13/04/26 15:05:29.22 0.net
後の武器商人の先駆けである。

27:世界@名無史さん
13/04/26 15:26:46.57 0.net
>>25
問題は日本に懲罰関税できるだけの軍事力の裏付けが無かったこと
おかげで慶元府は日本人に襲撃されて焼失しちゃった

28:世界@名無史さん
13/04/26 20:09:38.44 0.net
ほほう、元代に日本人が慶元府(寧波)が日本人の襲撃で焼失したことがあるのか。
慶元府ほどの大都市が焼失したなら元寇以上の大事件と思うが聞いたことが無かった。

明代の寧波の乱のことなら懲罰関税とは別の背景と思うが。

29:世界@名無史さん
13/04/26 20:24:25.12 0.net
元は日本刀などの武器が欲しかったし、
日本は宋銭や元銭が欲しかった。

講和条約を結んで、武装商船だの懲罰関税だのぎすぎすしたこと無しに
平和裏に交易しようという発想は日元双方ともに無かったのかね。

30:世界@名無史さん
13/04/27 02:04:09.00 0.net
>>28
『島夷歳以土物互市。郡境吏卒侵漁之、不堪以忿、持所賚流黄等薬火城中。官府・故家・民居幾尽、
観亦与。至大二年也。』(慶元府玄妙観碑銘)

『倭人入市慶元、有司不能用公前後持之道、而利其貨宝刧之以兵、反被殺略焼焚之禍』(程雪楼文集)

『結局此賊徒数千艘の船をそろえて、元朝高麗の津々泊々に押寄せて明州福州の財宝を奪い取り、
官舎寺院を焼き払いける間、元朝三韓の吏民是を防ぎかねて、浦近き国々数十箇国皆栖む人々もなく
荒れにけり。』(太平記)

31:世界@名無史さん
13/04/27 11:18:35.92 0.net
今も昔も講和を申し出た方が負けを認めるのに等しいので
両国ともなかなか言いだせなかったろうね。

モンゴルの他国侵略は1回の戦争で全土制圧→併合(もしくは属国化)するのではなく、
第1次侵攻→相手国善戦するもモンゴルに講和の申し入れ→モンゴルは無理筋の講和条件を課して講和
→講和条件不履行→第2次侵攻→相手国内は無理な講和を結んだ講和交渉責任者を追及
したり、講和条件を履行しなかった責任者を追及したりとグダグダに・・
→分裂している相手国を悠々と制圧
というのが常套手段で、実際に高麗がこのパターンで属国化されているのが
分かっているため、なおのこと日本側から講和を申し入れるなんて選択肢は無いだろうな。

32:世界@名無史さん
13/05/04 12:45:22.17 0.net
日本人の襲撃で慶元府が焼失したことは元寇以上の大事件ってわりには反応ないな。
襲撃の10年以上前から日本人商船の武装化が問題視され、元朝側が超厳戒態勢敷いてる中、
その中核都市があっさり陥落しちゃったわけで、これは言い逃れできない。
こと戦争に関する限り、当時のユーラシア大陸は日本より遥かにレベルが低かったんだよ。

33:世界@名無史さん
13/12/17 05:44:12.12 0.net
モンゴルのやり方は男は皆殺しにして女は並べて尻を出させて強姦しまくってたそうだ
対馬ではチョン兵は男は皆殺し、女は手のひらに穴を開けてロープを通して船につないで
モンゴル兵と同じやり方で強姦し放題。対馬の住民は元寇でほぼ全滅している。

そういう記念館を建ててチョン観光客に見せてやれよ。チョンにはそういう施設があるだろ。

その前に仏教返せ!朝鮮人!

34:世界@名無史さん
13/12/17 07:42:27.54 O.net
チョンとモンゴル兵は酷いことをしたので捕虜は
皆殺しにしたけど中国兵は助けたんだよな
しかし対馬でフビライやチョン兵を恨んでる人はいないだろうし
チンギスはモンゴルでは英雄でチョンが秀吉を恨んでる
らしいがチンギスを恨んでる国なんて無いだろ

重ね重ねチョンはウザいな。北チョンの金恩は早くソウルを火の海にしないかな
自衛隊は旭日旗を艦船に掲げてるから米に頼まれても行く必要ないし。

35:世界@名無史さん
13/12/17 08:02:11.27 0.net
>>33
モンゴルは都市攻撃前に降伏勧告する。おとなしく降伏したら命と財産は保障する。
抵抗すると皆殺し。
その他にも男でも職能あるのは重要視されるが他の男は狩りだされて
最前線に投入、逃げようにも背後にモンゴル兵が構えており生きる為には前面の敵を
突破するしかないという悲劇。

36:世界@名無史さん
13/12/17 11:35:53.53 0.net
>>30
もう完全に大陸をナメ切ってるなw

37:世界@名無史さん
13/12/17 14:28:54.43 0.net
>>36
その態度というか自信が続いていたからこそ、
大宰府の南朝方親王(元締)が、明の洪武帝から倭寇なんとかしないと征伐するとぞという書を受け取っても
「いつでもお越しくださいネ、チュッ」って心底ナメプな返書をしたんだろうな・・・北条時宗のときの苦悩とは別世界だ

38:世界@名無史さん
13/12/17 23:51:24.53 0.net
戦ってみたらなんてことなかったと思わせた戦争だったわけか
威力偵察()どころか力の差がはっきりわかってしまって
いつでもどうぞ状態になってしまったのか

39:世界@名無史さん
13/12/18 00:34:08.81 0.net
南北朝時代だから、基本ヒャッハーなメンタリティの人たちになってるからね
時宗のときは、執権という微妙な体制を堅持しつつ迎撃するって使命を背負ってたんでね
結果的に、論考褒賞のリソース不足で体制護持は揺らいだしひどく痛手だった
ヒャッハーな人たちは、もう社会の安定とか背負ってないんで・・・「戦費?あとで慶元府にいこう!」

40:世界@名無史さん
13/12/18 01:08:43.58 0.net
攻めてこられると九州北部の島嶼地域は大変だがな
やられる前にやれ的に海賊化するけど

41:世界@名無史さん
13/12/18 02:09:40.74 0.net
一度、付き合ってる女を何かに縛り付けて尻だけを出させてモンゴル兵プレイを
やったら興奮するかも? ウクライナ人かペルシア人のコスプレにさせてみたいな。
チョゴリは嫌だし(笑)
俺はモンゴル人のコスプレでさ。ドンキホーテに売ってるかな?

42:世界@名無史さん
13/12/18 02:25:28.02 0.net
不謹慎な書き込みだった。スマソ・・・

43:<ヽ`。´> 千年恨 ◆chon58Jom.
13/12/18 04:31:35.29 0.net
高麗軍対馬蛮行ノ図
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)

44:世界@名無史さん
13/12/18 10:45:24.40 0.net
いや、有史以来の最大の敵として、ばっちり対策を立ててたから
圧勝に近い防戦ができたわけで、逆に圧勝できるくらいの戦略がなければ負けてた
まあでも、武装山岳民族だから、アフガンとかバスクみたいなもんで、
地力は相当なものがあったことは確かだろうね

45:世界@名無史さん
13/12/18 16:01:13.78 0.net
文永のときはそんなにばっちりだったかしら
現地勢ですら集合に時間がかかっててしかもその集合中の段階ですら
敵を撃退してしまったわけで

46:MP)
13/12/19 01:09:38.82 0.net
元寇の文献読んだか元軍なさけないな。
船に乗ったモンゴル軍はクソ弱い。大陸のような作戦が全くできない烏合の衆だわ

47:世界@名無史さん
13/12/19 01:14:27.75 0.net
あまりにも日本楽勝過ぎて逆に神風とか棄民説とか出てしまう

48:世界@名無史さん
13/12/19 03:03:20.65 0.net
台風のおかげだと習って信じてたけど、神風無くても勝てたわ。
日本軍も全軍動員したわけでもないし博多さえ侵略出来なかった。
上陸後出来なくてどうしようもなく無駄に停泊してて台風にやられたんだろ。

49:世界@名無史さん
13/12/19 03:08:46.73 0.net
江南軍は薄暗くじめじめした当時の船の船倉に二週間以上すし詰めにされて、
ロクな食事も無い状況だったわけで、じっくり休養せずに戦争なんかとても
出来る状況でなかったのは明らかだろう。
最初から侵攻作戦に無理があったと考えるべきだな。

50:世界@名無史さん
13/12/19 06:38:55.20 0.net
一回は台風すら来なかったのが真実らしい。
二回目は上陸すら出来ず船に戻ったが日本軍に海戦で夜にも攻撃受けて散々。
しかも、本州方面からの本隊が来る前に決着がついていた。

だが俺はサヨク教師から台風が来なかったら日本は負けてたと教えられた。

日本は南宋と付き合いが有ったから南宋出身者の捕虜は殺さず奴隷にした。
鎌倉幕府お抱えの臨済宗のお寺のお坊さんが南宋の人だった事もあるかもしれない。
北条は熱心な仏教徒だったらしいし。
モンゴル兵と高麗兵は、容赦なく首をはねた。特に高麗兵は対馬壱岐を攻撃して大虐殺して
女子供にまで容赦無かったからね。 
朝鮮系はいつでも弱い相手には残虐でベトナム戦争でも分かるようにレイプ大好き民族だからね。

51:世界@名無史さん
13/12/19 09:05:57.92 0.net
元寇のそもそもの原因が高麗忠烈王のフビライへの進言ということは
幕府には伝わっていたんだろうかね

52:世界@名無史さん
14/04/02 11:38:10.79 0.net
というか、元は最大の敵カイドゥとの決着がついていないどころか、
モンゴル高原での戦いで劣勢に追い込まれている状態なのになんで、
日本だのジャワだのベトナムだのに手を出したんだろう?

53:世界@名無史さん
14/10/10 23:23:06.77 0.net
『近年ノーベル賞を取った日本人』

南部陽一郎 1921年生
小柴昌俊 1926年生
下村脩  1928年生
赤崎勇 1929年生
鈴木章 1930年生
根岸英一・大江健三郎  1935年生
白川英樹 1936年生
野依良治 1938年生
利根川進 1939年生
益川 敏英 1940年生
小林誠 1944年生
中村修二 1954年生
田中耕一 1959年生
天野浩 1960年生
山中伸弥 1962年生

54:世界@名無史さん
14/10/11 13:25:55.13 0.net
蒙古強いお

55:世界@名無史さん
14/11/20 14:48:14.87 0.net
太平記の、元寇に際し東山道・北陸道の兵が敦賀を固めた?とか記載見たけど
若狭湾上陸からの京都攻略は、地図・海図も怪しい時代では無理だったろうね。

長い海路での騎馬輸送も困難。特に江南軍なんて若狭湾に来るまでが過酷。
渤海使のルートもえらい大変だったようだし
当時の船で対馬海流に逆らう帰路がさらに厳しいと考えると、日本海側の攻略は厳しい。

56:世界@名無史さん
14/11/20 16:03:58.81 0.net
敦賀からの琵琶湖までの陸路も、地理を知らない大軍が簡単に行軍できなさそうな隘路

57:世界@名無史さん
14/11/20 17:29:40.38 0.net
鯖街道を行軍する蒙古兵か、、、、。
京を目の前にした矢先に、延暦寺の皆様が死のおもてなし。

58:世界@名無史さん
14/12/03 03:15:48.37 0.net
>>52
元にとって最大の敵はカイドゥじゃなく日本だよ。
だから弘安の役ではカイドゥに対してる中央アジア戦線からも兵力が引き抜かれて
日本遠征に投入されてる。

59:世界@名無史さん
14/12/29 14:13:55.52 0.net
>>55
雪が降ったら悲惨だな

60:世界@名無史さん
14/12/31 19:01:29.07 O.net
博多湾十万に加え若狭に四万の蒙古兵が現れ、進軍途上の村々から食糧を徴発しつつゆっくりと京へ前進し始めた
となれば幕府にとり優先度はあっという間に京都正面>>九州になって、予備を北へ差し向けざるを得ない
九州勢は倍する敵を終止独立で撃退する必要に迫られる
結果を知らない当時の人にしてみればとんでもない脅威だよこれは

61:世界@名無史さん
15/01/01 22:43:51.07 0.net
とっくに若狭湾は武士で固めてたし日本側は予備兵もたんまり
相手は長旅疲弊して馬はまず持ち込めず、無線も正確な地図海図もなく連携も困難
九州単独相手にボロ負けした元軍が、戦力を分散しても余計勝率は下がる

62:世界@名無史さん
15/04/19 21:43:06.44 0.net
朝鮮半島南部の先住民だった倭人を侵略と民族浄化によって滅ぼした挙げ句、
奪った土地に今も居座り続けている韓国に抗議し日本はその返還を請求しよう。
今の釜山とか特に半島南の沿岸部地域って、任那日本府の話し以前に
元々は100%間違いなく倭人の土地だったじゃん。
中国王朝の公文書にさえもその旨がハッキリと記載されてるし。
韓流の歴史解釈を日本が採用すれば、日本の各行為も侵略どころか中世のスペイン・イベリア半島同様に
単に失った土地を取り戻す為の国土回復運動=レコンキスタになる訳でさ。
嘘かホントか竹島(独島)は西暦500年代に新羅が保有、だから韓国領云々言ってるけど
ならば半島南部は倭人生粋の土地として、日本固有の領土として領有を強く主張出来るよ。
韓国は今の国土の大半を日本に返還しないといけないわな。
日本は韓国を見習ってマスコミ曰く "素晴らしい韓流" の歴史解釈を採用するべきだわ。
彼らが言うには対馬は歴史的に見て韓国領らしいから尚更にね。

63:世界@名無史さん
15/04/25 16:53:59.87 0.net
モンゴルでは元は自国扱いでは無いの?
>モンゴルのテレビ局、元寇ゆかりの松浦市で番組撮影 「元寇はモンゴルではあまり知られていません」

64:越南戦争
15/04/25 17:25:57.54 0.net
>>56
…ということは、もし仮に新田義貞が、越前、越中、越後を平定しても、
京都奪還の兵を派遣するのも困難だったってことだね(>_<)

65:世界@名無史さん
15/05/08 20:41:44.98 0.net
→その韓国が日本との関係改善に動く、との報道があります。
「2トラック戦略」などと称し、韓国は日本に対し「歴史問題では対日要求を降ろさないが、
安保や経済では協力しよう」と言い出しています。
「外交的孤立から脱せよ」との“世論”が韓国に充満したからです。
“世論”に敏感なこの政権は、少なくとも路線を変える素振りは必要と判断したのでしょう。
日本に対しては、慰安婦での強硬姿勢は変えないが、通貨スワップは結んでほしいし、
北朝鮮の軍事情報は持ってこい―と言ってくるのではないかと思われます。
→情緒不安定な人との間合い、日本はどう対応すればいいのですか?
日本の悪口を世界で言いつつ「仲良くしようぜ」と言い出す韓国の虫のよさは、とりあえず横に置きます。
先ほどからくどいほど述べたように、韓国という国はますます感情や情緒で動く国になりました。
今現在は「外交的孤立を恐れる」情緒で動いています。しかし、中国から少し優しくされたら
「やはり中国は我が国の味方だ」とそっくり返って、対日協調路線などはすっ飛ぶ可能性があります。
反対に、中国から「日本などと仲良くするな」と脅されても、韓国の世論は縮み上がり、再び日本叩きに乗り出すかもしれません。
今の韓国を人間に例えれば、信念がありそうで実は自信がなく、情緒が不安定な人と考えておくべきです。
そういう人との付き合いは、適度の間合いを置くのが常道です。
米国も韓国の、特にこの政権の性格を見切ったのでしょう、非常に慎重に―距離感を持って、
韓国を取り扱うようになっています。ことに米大使襲撃事件以降は。
(おわり)

66:世界@名無史さん
15/05/16 21:26:45.66 0.net
日本の順当勝ちだが、元が騎馬を持込んでないなら戦力も機動力も圧倒的な差だな

67:世界@名無史さん
15/05/17 21:45:09.85 0.net
元寇で一番でかい兵力のぶつけあいしたのは海上

68:世界@名無史さん
15/05/17 22:11:42.30 0.net
>>66
騎馬を持ち込んだって日本の地形で本領発揮できるとも思えないが。
船での渡洋で馬も弱るだろうし。

69:世界@名無史さん
15/07/21 20:08:19.22 0.net
白村江の戦い  〇唐 VS 日本●
文永弘安の役  ●元 VS 日本〇
文禄慶長の役  〇明 VS 日本●
日清戦争    ●清 VS 日本〇
日中戦争    〇中華民国 VS 大日本帝国●

70:世界@名無史さん
15/11/13 04:41:35.59 0.net
>>68
昔の馬は品種改良し過ぎで脆弱になってるサラブレッドと違って丈夫だよ
十字軍なんて何千キロも馬を船で運んで騎馬戦やってたんだし
対馬海峡程度なら弱ったりしない

71:世界@名無史さん
15/11/15 20:48:28.09 0.net
昔の馬でも今の競走馬の運用したらけっこう壊れるんじゃね

72:世界@名無史さん
15/11/15 21:30:02.62 0.net
ユーラシア大陸を席巻した最強騎馬軍団が
何故、極東のちっぽけな島国を攻略できなかったのか?世界最大級のミステリー

73:世界@名無史さん
15/11/15 22:23:28.66 0.net
ベトナム陳朝・チャンパ・マジャパヒトへの遠征も失敗してるけどな
上陸地点かその近傍で退けてるから日本が最も付け入る隙を与えてないけども
まーもし序盤うまく攻め込めたと仮定しても兵站でアウトだな、他の事例を見てると

74:世界@名無史さん
15/11/15 22:42:33.12 0.net
根回し切り崩しなしで渡海遠征は難しい

75:世界@名無史さん
16/01/10 20:29:36.09 0.net
各国強さ格付け(16世紀後半) 
S スペイン、オスマン帝国、明、日本
A イングランド、フランス、ポーランド、サファヴィー朝、ムガール帝国
B スウェーデン、モスクワ大公国
C モンゴル
D イタリアの都市国家、李氏朝鮮

76:世界@名無史さん
16/01/11 18:23:55.83 0.net
元のジャワ侵攻は、制圧成功した上で、裏切りで追い出された形だろ
元軍は撤退の際に重要人物や地図など、膨大な戦利品を持ち帰った
そのあとマジャパヒト国が元に朝貢

77:世界@名無史さん
16/01/12 16:40:48.01 0.net
江戸時代以前(=江戸時代を含む)の日本に関しての出来事で、高校の世界史の教科書に掲載されているものってこの「元寇」以外でなにかあったっけ?
自分は20年ほど前に高校生だったんだけど、「元寇」は載っていた記憶がある。(山川出版ではない教科書)

78:世界@名無史さん
16/01/12 17:55:46.34 0.net
明代の北虜南倭で、倭寇は載ってたと思う
当時は気づく由もなかったが、元末明初の前期倭寇の存在が海禁政策へと影響したことは、
東アジア海洋史転換の契機となってるから世界史的にもそれなりに重要なトピック

79:世界@名無史さん
16/01/30 20:32:29.92 0.net
上の方、十字軍の地中海と、日本の周りの荒海を一緒にしないように
航海や補給の難度も全く違う

80:世界@名無史さん
16/01/30 22:41:54.45 0.net
難度は違うがそこはクリアした

81:世界@名無史さん
16/01/31 00:27:08.53 0.net
  ■モンゴル帝国の強さの源
・遠征の得意な騎馬兵団 ・商人を使った情報収集力 ・巧みに降伏に導く政治力
局地戦闘ではモンゴル軍に勝ってた処も、周囲の圧力で味方が裏切るなど
最終的には多くが負けた ※「豚飼い」イヴァイロ
文句なしに、最終的に圧勝と言える例は、日本の他は、バイバルスのマムルーク朝くらい
  ■元寇の場合、戦略的にも、戦闘においても、日本が圧倒的有利
・まず周囲から落とし、政治的圧力を使おうにも ……日本は荒海の向こう
・得意の情報収集でも ……半島・中国の人間を経由した怪しい情報
・荒海越えでは騎馬兵団は送れないし
船旅で疲弊した歩兵を数万送ったら ……騎馬の鎧武者が数万でお迎え
・船に搭載した水はすぐに腐る
・仮に、毒の武器を扱うにも、自らを毒から守る設備は必要
・武士の矢は、元軍の盾を貫いて打撃を与えていたが
あさま山荘のような、盾を結わえて2枚重ね、的な工夫も、拠点が船中では困難
拠点も確保できず船に寝泊りの元軍に対して、日本軍は順当に圧勝
 ※イヴァイロ (豚飼い→第2次ブルガリア帝国皇帝)
モンゴル帝国・ビザンツ帝国、の両軍を相手に農民集団を率いて勝利し
うまくいけば、VSモンゴル帝国で最優秀賞候補だったが、クーデター起こされ終了

82:世界@名無史さん
16/01/31 00:42:36.67 0.net
元が弱すぎて武士の強さはよくわからんな

83:世界@名無史さん
16/02/07 16:30:27.96 0.net
十字軍は、まず拠点となる港町を奪取してから、移動に海路を使ったのであり
分の悪すぎる、遠征大上陸作戦やった訳じゃないぞ
馬を船輸送するには、大量の飼葉と真水も載せる必要がある
地中海と違い
馬に向かない、荒い海の旅で疲れて、上陸できなきゃずっと大食いが続く

84:世界@名無史さん
16/02/08 02:08:44.26 0.net
元はヨーロッパのどのあたりまで制圧したんですか?

85:世界@名無史さん
16/02/08 10:39:58.49 0.net
フン族ほどじゃない せいぜい東欧まで

86:世界@名無史さん
16/02/08 17:07:21.40 0.net
東欧のどの辺までですか?

87:世界@名無史さん
16/02/11 02:29:10.62 0.net
ポーランドに侵攻したモンゴル軍って僅か1万人なんだな。
元寇がどれだけスケールの大きな戦いだったかってことか。

88:世界@名無史さん
16/02/14 14:03:54.86 0.net
単なる海上輸送に比べ、渡海・上陸作戦は困難

89:世界@名無史さん
16/02/25 10:57:54.01 0.net
>>88
海運は当時の輸送手段として最高なので
その分元寇のように圧倒的なスケールになりますね
大敗しましたけど

90:世界@名無史さん
16/02/26 00:26:20.58 0.net
元が本気の本気なら九州人を完全に皆殺しにできたはず。結局日本列島は元寇
の時も幕末維新の時の鶏肋なんだよな。攻めるにはリスクが大きすぎるし、攻めて
も得るものはほとんどない

91:世界@名無史さん
16/02/26 01:45:29.48 0.net
おいおい、6万騎の幕府軍本隊が下関から九州に入る前に元軍は壊滅してんのに、
あとどんだけの大軍を渡海させてたら九州人を皆殺しにできたんだ?
ちなみにその6万も西日本の御家人たちだから、そのあとには10万以上の坂東武者が真打として出てくるぞ

92:世界@名無史さん
16/02/26 02:47:06.22 0.net
日本遠征と同時に高麗王にクビライの娘を嫁入りさせてるんだから国内外に
元は本気の本気だって宣言したようなもの。
弘安の役では中央アジアからも兵力引き抜いて日本遠征に投入してるし。

93:世界@名無史さん
16/02/26 06:14:45.10 0.net
考えてみれば日本ってつくづく運のよい国だな。このころユーラシア全土で、
ペストが大流行してたからな。元軍の兵士の中にペストに感染してしまった兵士
が混じっていたらどうなったか?実際いずこの地の戦闘だったか忘れたが、元軍
は投石器で敵の城内にペストで死んだ人間の屍を飛ばしたらしいから、もし九州
の河川のどこかに死体が投げ込まれてでもしたら、恐ろしい事態が待ち構えていたな。

94:世界@名無史さん
16/02/26 09:26:39.30 0.net
仮定と妄想に走らざるを得なくなったかw

95:世界@名無史さん
16/02/26 12:59:04.08 0.net
同時代、ペストと思われる流行病が日本でもあったようだと山野氏だったかが以前書いていたような。
昔の日本も衛生面ではちと問題はあっただろうが、欧州ほど無知でも不衛生でもなかったかと。

96:世界@名無史さん
16/02/27 01:30:24.58 0.net
元軍はペストで動けず帰ろうとしたところに嵐が来て壊滅したのか

97:世界@名無史さん
16/02/27 03:23:26.54 0.net
>>95
欧州とおなじで不衛生でしかないだろ。

98:世界@名無史さん
16/02/27 23:59:56.43 0.net
荒れた海を渡る上陸作戦では騎兵を運ぶのは困難>>83
さらに当時の操船技術では若狭湾なんて狙えないし>>55
ろくな地図も海図もなく、無線もなくて
確立したルートを攻めるしかないから、守る方は予測しやすい

99:世界@名無史さん
16/02/28 02:40:47.23 0.net
ペストが大流行してたのは14世紀

100:世界@名無史さん
16/02/28 02:55:59.88 0.net
多少の衛生の違いなど関係なく、
日本にペストを予防できるだけの技術などないだろう。

101:世界@名無史さん
16/02/28 11:35:23.42 0.net
>>98
荒れた海を渡る上陸作戦では騎兵を運ぶのは困難って単なる誤解だよね。
当時でも海を渡る上陸作戦で騎兵を運ぶのなんて余裕。
実際蒙古襲来絵詞にモンゴル騎兵が描かれてるし。
船の輸送力って滅茶苦茶デカいからモノを運ぶということに関してはほとんど
制約がないと考えた方がいい。

102:世界@名無史さん
16/02/28 16:46:16.17 0.net
?蒙古襲来絵詞には、騎兵など、ほとんど描かれてなかったな
長崎の沈没船調査でも馬具は確認されず
少なくともモンゴル軍主力の騎馬兵団など、まるで運んでない
初回の作戦で、上陸できず長期待たされた経験あるのに
馬用の大量の水と餌など非現実的
十字軍の海上輸送路とはまるで状況が違うし
三別抄の各島の上陸作戦ですら、騎馬兵団の上陸記録など描かれてないぞ

103:世界@名無史さん
16/02/28 17:05:39.59 0.net
>>102
は?
蒙古襲来絵詞には大勢のモンゴル騎兵が描かれてるが?
蒙古の馬具も九州にはいくつも残ってるし。
あと三別抄鎮圧後の済州島はモンゴル軍が大量に
持ち込んだ馬の牧場になってる。
ググってみろよ。
馬の餌の輸送なんて船使えば余裕なんだよ。

104:世界@名無史さん
16/02/28 17:10:37.72 0.net
ああ「少数いた」て書けばよかったのかな?
結局は歩兵が大半
それに、「鎮圧後」の話なんだよね>三別抄

105:世界@名無史さん
16/02/28 17:27:27.92 0.net
>>104
少数じゃないね。
蒙古襲来絵詞で布陣したモンゴル軍は最前列に歩兵が
並んでるだけで、その後には延々と騎兵が続いてる。
結局馬の輸送は何の障害もなかったってこと。

106:世界@名無史さん
16/02/28 17:38:10.10 0.net
元軍の騎兵とか絵の端に少し見えるだけだが

107:世界@名無史さん
16/02/28 19:46:11.23 0.net
>>105
教科書とかで見る竹崎季長がつんのめるようにして黒馬に乗ってる絵の
左側に蒙古兵がいるが、元の絵を見てもそこに蒙古騎兵は4騎しか描かれていない。
その後ろには太鼓や旗(or槍)を持った歩兵。
いったいどこを見たら騎兵が延々と続いているように見えるのだろうか。

108:世界@名無史さん
16/02/29 18:53:59.02 0.net
>>107
えー?
もっと描かれてるよ。

109:世界@名無史さん
16/02/29 22:43:49.45 0.net
>>108
どの場面?
教科書で有名な「文永の役」 詞五 には
>>107の通り敵騎兵はちょっとしかいない。
詞十 とかには日本の騎兵がいっぱい描いてあるのはあるけど、
せめてどこに蒙古騎兵がいっぱい描いてあるかくらい教えてほしい。

110:世界@名無史さん
16/03/01 18:46:25.77 0.net
並べた盾の前にも騎兵が描かれてる

111:世界@名無史さん
16/03/01 20:40:01.12 0.net
>>110
楯の前に見えるのは1騎だけじゃない?
>>105の言ってるのは結局どこなのか分からない。
絵詞全体を見てもでも蒙古騎兵はほとんど描かれてない。

112:世界@名無史さん
16/03/02 21:31:32.57 0.net
楯の前に描かれてるのは2騎だよ。
30人の中に騎兵が6騎なら3万3000人の元軍の中に騎兵が約6000騎いたことになる。
ポーランドに攻め込んだモンゴル軍の兵力1万人とかより遥かに強力だろ。

113:世界@名無史さん
16/03/02 23:56:28.68 0.net
>>112
すごい強引な解釈w
その理論が通じるなら日本軍はほとんど騎兵だけになるよ。
初動の日本軍の迎撃兵力は約1万。そのうち騎兵は4000騎弱。
手元にあまり良い記録が無いので時代がずれるけど
弘安の役では元軍は馬は指揮官級のみが使用し、4000人当たり75騎の記録がある。
この時の元軍は水兵・高麗兵も合わせて15万人なので、多めに見積もっても2800騎程度。

114:世界@名無史さん
16/03/03 00:02:29.69 0.net
>>113
文永の役の元軍に最低でも6000騎の騎兵がいたことは高麗史に裏付けがある。
高麗史27卷-世家27-元宗3-12-69-1271
「今計正軍六千人所帶馬率以一人三匹爲計則凡一萬八千匹一匹日支五升自十月至明年二月則當用上朝碩十三萬五千」

115:世界@名無史さん
16/03/03 01:15:11.31 0.net
>>114
その引用で文永の役を語るのは間違いです。
それは高麗軍の1271年の給糧について述べた箇所です。
高麗には6000騎いて、馬匹と合わせて18000って書いてあるだけで
これをまるまる日本に連れて行ったわけじゃありません。
文永の役はその3年後の1274年です。
ちなみに1274年の文永の役に関する記述はこちらをご参照ください。
高麗史27巻-世家27-元宗3-15-18-1274 (書き込みの都合上、改行は適当に入れてます)
「辛酉遣大將軍羅裕如元上中書省書曰: "今年正月三日伏蒙朝旨打造大船三百
 ?行措置遣樞密院副使許?於全州道邊山左僕射洪祿 於羅州道天冠山備材.
又以侍中金方慶爲都督使管下員將亦皆精* {揀}所須 匠物件
 於中外差委催督應副越正月十五日聚齊十六日起役,
至五月晦告畢船大小?九百隻造訖合用物件亦皆圓備令三品官能幹者分管廻泊已向金州伏望諸相國善爲敷奏."」
大小合わせて900隻、と船の記述はありますが残念ながらここに騎兵の数に関する記述はありません。

116:世界@名無史さん
16/03/03 01:19:52.04 0.net
>>115
すみません。書き込み慣れないせいで
引用箇所の旧字体などが何個か文字化けしたみたいです。
一個目の?は 即 の旧字体
二個目の?は 玉偏(字形は王)に共
三個目の?は 并 の旧字体

117:世界@名無史さん
16/03/03 01:22:03.49 0.net
>>115
日本遠征のためのモンゴル軍は1271年から高麗に駐屯開始したんだよ。
これはその日本遠征部隊の編制に関する記事。
だからこの6000騎は間違いなくまるまる日本に連れてこられてる。

118:世界@名無史さん
16/03/03 21:42:01.39 0.net
>>117
文永の役の兵力に関する記述はこちら。
高麗史28卷-世家28-忠烈王1-00-23-0000
蒙漢軍二萬五千我軍八千梢工引海水手六千七百戦艦九百餘
元軍25000 高麗兵8000 水夫6700 軍艦900 とあります。
ここでは元軍の編成は分かりませんが
少なくとも高麗兵の8000名のうちの6000名が騎兵と言うのはちょっと無理があると思いますよ。
どんなに多めに見積もっても1/4程度の約2000騎くらいが限界かと推察。
資料を読み込めばすでに日本との間に小競り合いは発生していることも分かりますし
当時の艦船には現代のような揚陸艦も無ければ
日本側にも急襲して制圧に成功すればそこから速やかな展開が可能となる港湾も無い。
そんな中で兵力の大半を騎兵にするのはちょっと考えにくい。

119:世界@名無史さん
16/03/04 09:26:16.68 0.net
>>118
勘違いしてるようだけど高麗史が「正軍」と呼んでるのは宗主国モンゴルの軍だよ。
モンゴルが日本遠征のための騎兵6000を高麗へ屯田させる兵糧を負担する話。
>>114に該当する元史の記述は、
元史 卷007 世祖四 七年十一月条
「丁巳,敕益兵二千,合前所發軍為六千,屯田高麗,以忻都及前左壁總帥史樞,
並為高麗金州等處經略使,佩虎符,領屯田事。」
で、この騎兵6000の屯田軍はちゃんと日本遠征軍の編成に入ってる。
元史 卷008 世祖五 十一年三月条
「庚寅,敕鳳州經略使忻都、高麗軍民總管洪茶丘等將屯田軍及女直軍,並水軍,
合萬五千人,戰船大小合九百艘,征日本。」

120:世界@名無史さん
16/03/04 21:17:26.03 0.net
>>119
じゃあこの6000騎っていうのは高麗騎兵ではなく蒙古騎兵なんですよね?

121:世界@名無史さん
16/03/04 23:51:00.95 0.net
日本側の記録でも敵は圧倒的に歩兵ばかりだし
敵船に武士が乗込んだ記録でもそう
そもそも元軍は橋頭堡も確保できず矢も射ち尽くしたのに
馬を夜間いちいち船の中に戻す前提で大量に持込む??のは無理過ぎ

122:世界@名無史さん
16/03/05 02:59:54.01 0.net
蒙古軍に騎兵が6000って蒙古襲来絵詞の描写と一致するから何の不自然も無い

123:世界@名無史さん
16/03/05 04:01:15.48 0.net
あと蒙古襲来絵詞の弘安の役の掃討戦の場面では竹崎が「蒙古は歩兵だけ残して
他は逃げた」っと言ってるよ。
詞十一
「肥前国の御家人其名わするたかしま(鷹島)のにしの浦よりわれのこり候
ふねに賊徒あまたこみのり候をはらひのけてしかるへき物ともとおほえ候
のせてはやにけかへり候と申に季長おほせのことくはらひのけ候は歩兵と
おほえ候ふねにのせ候はよきものにてそ候らんこれを一人もうちとゝめたく
こそ候へと申にかうた(合田)の五郎異賊はやにけかへり候と申候 」

124:世界@名無史さん
16/03/05 17:00:10.62 0.net
絵詞どおり、全軍中の割合では騎兵は少しだけだったってことか

125:世界@名無史さん
16/03/05 17:11:07.57 0.net
もともとモンゴル自体西征の時はほとんど支配地から取り込んだ歩兵じゃなかったか?
ていうかぽっと出の騎馬民族の総数が多いわけないしな

126:世界@名無史さん
16/03/05 17:28:25.18 0.net
>>124
兵力3万3000人の中の6000騎だからね。
ただこれってモンゴル軍の侵攻軍の中では上位にランクされる強力部隊だから
それが鎌倉武士に惨敗した以上、鎌倉武士が当時世界最強レベルの強さだったと
考えるしかない。

127:世界@名無史さん
16/03/05 17:50:09.75 0.net
ベトナムにも負けてるわけだが

128:世界@名無史さん
16/03/05 17:54:40.10 0.net
>>127
ベトナムとか僅か3000騎のモンゴル軍に首都占領された雑魚だよ
3万3000人のモンゴル軍に圧勝した日本とはレベルが違いすぎる

129:世界@名無史さん
16/03/05 18:06:38.62 0.net
>>128
は? 三度も撃退されてるんですけど?
URLリンク(ja.wikipedia.org)(1288%E5%B9%B4)

130:世界@名無史さん
16/03/05 18:09:50.16 0.net
元寇の元軍は、騎馬軍団でなく、指揮官級に馬与えた歩兵中心の混成旅団
しかも、江南軍10万の長途航海で、馬を多く運ぶのはまず無理
人間ですら当時の船倉に閉込められ続けると参る

131:世界@名無史さん
16/03/05 18:55:31.49 0.net
ベトナムはね、一度目の侵攻で3000人のモンゴル騎兵に
首都破壊された後属国化してる。
だから、モンケの南宋遠征ではモンゴル軍がベトナム領内を
通過してるのね。
で、クビライの代になったらモンゴル帝国の搾取が激化し、
占城攻撃の兵糧負担を要請されたが拒否。
その結果、第二次、第三次の侵攻になるわけだけど
陸戦では全くモンゴル軍に勝てなかった。
モンゴルのベトナム侵攻が失敗したのは、弘安の役で
壊滅状態になったモンゴル海軍が兵糧の海上輸送に失敗したから。
つまり日本のお陰だ。

132:世界@名無史さん
16/03/06 09:56:19.57 0.net
>>130
蒙古襲来絵詞では楯兵の前にも騎兵が布陣してる。
6000騎も騎兵を動員してるんだから当然指揮官級だけじゃなく戦闘要員としての参加だろ。

133:世界@名無史さん
16/03/06 14:31:27.59 0.net
数年以上前から軍板他で同様の珍説主張してた気の強い子がいたが
弘安のも含めれば
歩兵に対する騎兵の割合はさらにごく僅か
隊を率いる騎兵が視界確保用に前に出ない  と申すか
将が戦闘に参加しない  と申すか
用途に応じた再編成が無い  と申すか

134:世界@名無史さん
16/03/06 22:59:38.28 0.net
>>129
モンゴルのベトナム侵攻全体の記事がないのにその戦いの記事だけあるのか��

135:世界@名無史さん
16/03/06 23:38:31.45 0.net
パフォーマンスコンクーって今どこにいんの?

136:世界@名無史さん
16/03/07 12:37:00.75 0.net
>>133
そんな無理やりな考え方しないでも素直に史料の通り元寇にはモンゴルの騎馬軍団が
投入されていたと考えればいいじゃん。
弘安の役当時クビライの宮廷に滞在していたマルコ・ポーロは日本遠征軍について
「歩騎の大軍と大艦隊」と書いてる。
弘安の役なんてポーランド侵攻に1万人しか投入しなかったモンゴル帝国が14万人もの
大軍を動員してるわけで、騎馬軍団も大量に投入してたけど、それ以上に歩兵が
多すぎたから全体として見れば歩兵の割合が高かったってだけでしょ。

137:世界@名無史さん
16/03/07 12:37:01.26 0.net
>>133
そんな無理やりな考え方しないでも素直に史料の通り元寇にはモンゴルの騎馬軍団が
投入されていたと考えればいいじゃん。
弘安の役当時クビライの宮廷に滞在していたマルコ・ポーロは日本遠征軍について
「歩騎の大軍と大艦隊」と書いてる。
弘安の役なんてポーランド侵攻に1万人しか投入しなかったモンゴル帝国が14万人もの
大軍を動員してるわけで、騎馬軍団も大量に投入してたけど、それ以上に歩兵が
多すぎたから全体として見れば歩兵の割合が高かったってだけでしょ。

138:世界@名無史さん
16/03/07 13:22:40.98 0.net
はるかに昔の冒頓単于でさえ対漢軍に40万騎投入したのに
ポーランドに1万騎ってことはない・・?
参考
平維盛軍(富士川)5万騎
源頼朝軍20万騎
平維盛軍(倶利伽羅峠)7万騎
大坂冬の陣徳川軍12万騎
大昔のことだし兵力に関しては大袈裟だったり不正確なのばかりだろう

139:世界@名無史さん
16/03/08 01:34:09.08 0.net
そもそも「騎」って単位がかなり曖昧。
"旗本八万騎"とか言うけど、騎兵が80000人いるのではなく
徒士の家臣も全部ひっくるめての表現だし。
騎馬従士(歩兵)も合わせて○○騎って言う表現は漢字圏ではかなり頻繁に見かける。

140:世界@名無史さん
16/03/08 07:11:08.07 0.net
一方西欧文献ではキャバリーとインファントリーってけっこう厳密に峻別されて記録されてる気がする

141:世界@名無史さん
16/03/08 08:00:58.37 0.net
武士の存在が形骸化した江戸時代と鎌倉時代を一緒にしちゃいけない。
平家物語でも太平記でも騎兵の単位は騎、歩兵の単位は人と区別されてる。
それに従者=歩兵というわけじゃない。
竹崎季長は貧乏御家人だけど従者も全員騎乗していて主従5騎だよ。

142:世界@名無史さん
16/03/08 10:59:12.53 0.net
まさか、イケズキ、スルスミの2頭(あるいはそれ以上)駆っていた梶原影季のような場合は2騎って数えてないよね?

143:世界@名無史さん
16/03/08 22:18:11.31 0.net
西洋はさすがだな

144:世界@名無史さん
16/03/09 01:07:45.25 0.net
蒙古騎兵の大群が居ようと居まいと、元軍も日本軍も騎兵は主に弓騎兵だから
現地で物資補給できるような領地・主要都市の占領もできず、
大陸から物資の輸送先に使えるような陣地も確保できずに矢が尽きた元軍は撤退するしかない。
敵が軽装なら弓騎兵で突撃を敢行することもできなくはなかったかもしれないが
日本騎兵は全員が世界でもまれな重装弓騎兵。
元軍は敵の馬を射倒して歩兵で包囲して討ち取るのが基本戦術なので矢が無くなれば打つ手が無くなる。
馬体に利があるとは言えど矢が尽きて日本軍の馬を射倒すこともできないままに
軽装の蒙古騎兵で大鎧を纏って太刀を佩いた日本騎兵に突撃をかけるのは自殺行為。
西洋騎兵が相手ならばほとんど射撃戦を行ってくることも無いため距離を取って馬の疲労を待つ手もあるが
日本騎兵は当然の如く騎射を行ってくるため距離を取って翻弄するだけでも出血を強いられる可能性がある。

145:世界@名無史さん
16/03/09 23:27:05.52 0.net
東京人の男性に出身地を聞かれて「大阪だよ」と言ったら、「うわー! どつかれるぅ~!」とか「でんがなまんがな~!」とか言ってきたんですよ。
本当、東京人をボコボコにどつきまくって口と鼻穴に熱々の銀だこ詰め込んでやりたいですよ。
鼻穴には入りにくいだろうから指で押し込んでやりたい。東京人のドアホどもには銀だこがお似合いですからね

146:世界@名無史さん
16/03/12 16:29:19.44 0.net
♪四百余州を こ~ぞる、十万余騎の敵~
 国難 ここに見る、弘安四年 夏の頃~

147:世界@名無史さん
16/03/12 17:47:46.36 0.net
てか、モンゴルの日本遠征軍全体では、騎兵の割合は非常に少ないな。
伝達や指揮など用に馬を運んではいるが
少なくとも、モンゴル軍の 騎馬軍団そのもの など、とても運べない。
主力武器の矢すら早期に尽きてるし、騎馬軍団など運ばないのが軍事的に当然。

148:世界@名無史さん
16/03/12 18:59:44.32 0.net
「善隣国宝記」に引用されている「宋元通鑑」によると探馬赤から三万が動員されたという記述があることか江南軍の騎兵の割合は3分の1と見ていいだろ
蒙古襲来絵詞にも騎兵の集団が見える
URLリンク(www.lib.kyushu-u.ac.jp)
軍馬の大量輸送については十字軍が万単位で海上輸送した前例があるし
南宋はヨーロッパよりも航海技術は優れていたのだから不思議ではない

149:世界@名無史さん
16/03/12 21:48:13.07 0.net
元の騎兵は、絵の端っこにちょびっと居るだけだな
こんな上陸作戦と
URLリンク(blog-imgs-35.fc2.com)
十字軍が まず港を陥落させてから の
穏やかな地中海の海路輸送とを、一緒にしてるのがいるのか?
ただし、歩兵に混じった部将クラスは馬に騎乗、てよくある編成ではあった
URLリンク(blog-imgs-35.fc2.com)
?暴れ回る元の騎馬軍団??など存在したら、それこそ日本側の記録にある筈だがね
特に江南軍
大日本帝国軍ですら、輸送船内の熱気と船体動揺で、軍馬をバタバタ死なせてる

150:世界@名無史さん
16/03/12 22:54:54.45 0.net
江南軍はまともに陸戦できてないし馬持ってたとしても持ち腐れだな

151:世界@名無史さん
16/03/12 23:15:22.70 0.net
一応その馬に乗ってる連中モンゴルの諸部族や女真族から集められた精鋭なんだがな

152:世界@名無史さん
16/03/13 12:41:41.62 0.net
>>147
たぶん元史にある「官軍不整、又矢盡」のこといってるだろうけどさ
それ刀折れ矢尽き的な慣用句表現で本当に弓矢がなくなったわけじゃないぞ

153:世界@名無史さん
16/03/13 16:42:23.17 0.net
表現の解釈も史料も様々だが早い話がいろいろ失って継戦能力を無くしたこと

154:世界@名無史さん
16/03/13 21:09:25.64 0.net
>>149
良質な史料じゃないけど八幡蒙古ノ記
「蒙古の大将とおほしくして、長七尺はかりの大男、ひけは臍邊まて、おひさかりたるか、あか鎧に、あし毛なる馬にのり、十四五騎うちつれ、徒人七八十人あひ具して、おひかくる」
つうかほとんど馬いなかったんなら何でモンゴルや女真の各部族から選りすぐった精鋭の探馬赤連軍れてきてんのってことになるし
諸翼蒙古軍馬都元帥だった阿剌罕が動員されている時点で騎兵はほとんどいなかったとは考えにくい

155:世界@名無史さん
16/03/13 22:44:37.07 0.net
まあどっちにしても人員輸送が日本海越えルートなのに
騎兵を大量動員してる時点で元軍の戦術は間違えてるけどね。
とはいえ、元軍には第一次作戦が上手くいって上陸陣地を構築できたとしても
増援が到着するまで構築した陣地に踏みとどまれるような信頼のおける歩兵なんていなかった……

156:世界@名無史さん
16/03/14 00:23:39.12 0.net
要するに騎馬軍団ではなく、かなり騎兵の割合は少ないんだな

157:世界@名無史さん
16/03/14 01:54:29.92 0.net
1400年前の冒頓単于の匈奴軍のほうが騎兵の割合は多かったんじゃないか?

158:世界@名無史さん
16/03/14 10:42:48.60 0.net
>>156
いや、騎馬軍団もいた。
それに加えて歩兵も大量投入したから全体としてみれば歩兵の割合の方が高かっただけ。

159:世界@名無史さん
16/03/14 10:58:10.25 0.net
100%騎兵にはできなかったのか

160:世界@名無史さん
16/03/14 11:11:47.20 0.net
>>159
当時のモンゴル帝国で100%騎兵の遠征軍なんてないだろ。
モンケの南宋侵攻でもウリヤンカダイの部隊は元史によれば「騎兵3000とポ族1万」だし
フラグの中東遠征でも集史に「1万の歩兵と騎兵」とか記述があるし。

161:世界@名無史さん
16/03/14 21:52:11.32 0.net
小さな町を襲う程度の小部隊ならまだしも
騎兵オンリーで編成された万単位の大軍なんて
モンゴルに限らず歴史上に存在したか?

162:世界@名無史さん
16/03/16 00:34:15.84 0.net
まあ聞くところによるとモンゴルというのは年間降水量200mの世界らしいからな。
完全な内陸国家であるばかりか、日本でいえばそれこそ台風でもあれば、一日で降る分
の量しか雨が降らない。しゅっちゅう雨が降り、水害の対策のため知恵を絞らなければ
ならない土地だったら、状況はまた違っていただろう。しかも聞くところによると、
モンゴルでは魚は神様で食べないとか…。疑問なんだがモンゴルの連中は九州に上陸して
食料はどうしていたんだろう。補給は困難を極めただろうし、現地調達しようにも
当時の日本人が食べるようなもので、モンゴル人の口にあいそうなものといえば……?

163:世界@名無史さん
16/03/16 00:44:30.41 0.net
補給じゃなくて持ち込みで済ませてたんだろ
これが陸上侵攻だと1週間で飢餓発生だが

164:世界@名無史さん
16/03/16 00:52:20.03 0.net
>>163
その時代に持ち込みだけで済ませる補給の概念があるだろうか…

165:世界@名無史さん
16/03/16 05:05:55.99 0.net
>>162
高緯度寒冷地で降水量が多い場所は必然的に植生は針葉樹林になるから
遊牧民のアドバンテージがなくなり狩猟や農耕民が優勢になる

166:世界@名無史さん
16/03/16 22:46:39.40 0.net
>>164
補給じゃないよ

167:世界@名無史さん
16/03/17 17:53:51.34 0.net
元は内陸国じゃないだろ
長城を超えてから一体どれだけ経ってると思ってるんだ

168:世界@名無史さん
16/03/19 15:53:00.52 0.net
日本遠征軍は、歩兵の大軍に混ぜて、少ない割合で騎兵混ぜた混成旅団
もちろん部隊構成は適宜再編成する
騎兵も混ぜた混成旅団程度なのに、騎馬軍団を渡らせたというと語弊があるぞ

169:世界@名無史さん
16/03/19 18:11:12.82 0.net
騎兵比率何パーセント以上が騎馬軍団なんて客観基準があるわけでも有るまい
そんなもん後出しでなんとも言える

170:世界@名無史さん
16/03/19 18:47:37.07 0.net
アレクサンドロスの東征軍も騎兵の割合は2割ぐらいだけど騎馬軍団扱い
元寇時の江南軍のほうがよっぽど騎兵率高い

171:世界@名無史さん
16/03/19 21:53:52.82 0.net
海戦しかしてない

172:世界@名無史さん
16/03/20 11:46:36.79 0.net
>>168
文永の役でさえ第一次ベトナム侵攻の2倍にあたる6000騎の騎兵投入してるんだから
騎馬軍団渡らせたと言うのが正しい。

173:世界@名無史さん
16/03/20 18:09:11.12 0.net
源義経の平家討伐の水軍も騎馬乗せてたんじゃまいか

174:世界@名無史さん
16/03/20 18:43:20.73 0.net
藤原純友の乱の水軍も騎馬乗せてたし、
前期倭寇も騎馬を乗せて対馬海峡平気で渡ってたし、
湊川の戦いでも騎馬による敵前上陸してる。

175:世界@名無史さん
16/03/21 13:53:17.93 0.net
>>144でも言われてるが
たとえ大量の騎兵輸送に成功していたとしても
ワールシュタットほどの一方的展開にはなっていないのは
どの資料を見ても明らか。
日本の地形(開けた平地が少ない)と日本軍の編成(重装弓騎兵)が
蒙古騎兵に有効な仕事をさせなかったという事実が
元寇時の騎兵に関する描写の少ない理由のひとつなのでは。

176:世界@名無史さん
16/03/21 14:37:04.60 0.net
崖山の戦いで南宋にとどめを刺したときの蒙古軍の仕事っぷりはどうだったんだ?

177:世界@名無史さん
16/03/21 17:00:27.38 0.net
崖山もその前の襄陽・樊城も騎兵の話はほとんど無いよね。
戦況が決定的有利になったのを見てから包囲戦に切り替えたという見方もできるし。
(回回砲を使ってみたかったとか?)
水軍の編成に努めたり、包囲戦戦術を構築したり、戦法の転換が見て取れる。
軽騎兵で釣りだして各個撃破する戦法しかないことが
敵にばれた or その戦法の限界を悟ったからかも?

178:世界@名無史さん
16/03/21 18:47:22.16 0.net
なんで鎌倉武士って重装弓騎兵なん?
よく考えたら他所であんまし聞かないけど、どっかやってたっけ?

179:世界@名無史さん
16/03/21 22:49:59.37 0.net
定住民族の戦士階級じゃないと難しいからな
カタフラクトなんかも時代によっては該当するかな

180:世界@名無史さん
16/03/22 03:24:06.49 0.net
>>178
平将門の乱での将門軍が兵が少なかったため騎兵は突撃騎兵中心にして大楯弓歩兵との混合編成だった。
(歩兵を弓矢戦中心に編成するのは当時としては異例。寡兵を補うための将門の策。)
朝廷軍は弓騎兵中心の編成だった(延喜朝(901-922)ころには一応鉄札の大鎧が出現してはいるものの、
依然配備は進んでおらず革鎧中心だったため矢戦が有利となり順当な選択)。
ざっくり経緯を説明すると
矢戦中心となった序盤の戦いでは大楯弓歩兵vs弓騎兵の展開となり防御の弱い弓騎兵は被害が拡大。
弓騎兵を下げた隙に将門軍の騎兵が突撃を敢行。白兵戦を想定していなかった朝廷軍は潰走した。
しかし、突撃騎兵は地形の影響をかなり受けるため、突撃に成功したのは下総下野国境の戦いの一度だけ。
その後朝廷軍は誘致戦術により突撃騎兵と弓歩兵を分離、各個に撃破され将門軍は敗北。
この結果、日本では弓騎兵>>突撃騎兵のセオリーが定着することになりました。

181:世界@名無史さん
16/03/22 07:47:26.81 0.net
源為朝

182:世界@名無史さん
16/03/22 09:33:07.28 0.net
の強弓は誇張だろ?w

183:世界@名無史さん
16/03/22 10:24:59.17 0.net
>>863
時速300キロを超えてプレートアーマーも貫通できるんだぞ

184:世界@名無史さん
16/03/22 10:50:39.56 0.net
平家物語は誇張だらけだろう
頼朝軍20万騎はせいぜい3万騎だと吉川英治の作品にあったような

185:世界@名無史さん
16/03/22 15:57:17.88 0.net
>平将門の乱での将門軍が兵が少なかったため騎兵は突撃騎兵中心にして大楯弓歩兵との混合編成だった。
>(歩兵を弓矢戦中心に編成するのは当時としては異例。寡兵を補うための将門の策。)
軍防令でも兵士が自弁すべきものとして「弓一張」が挙げられているように
律令時代も弓歩兵中心だけど
将門の時代はそれが異例だというのはどういった史料からわかるんだろう
それに同じく軍防令で「弓馬に便ならむ者をば、騎兵隊と為せよ」というように
当時から騎兵は騎射中心に考えられているんだけど
その「突撃騎兵」なる兵科は当時の史料にはどういった用語で出てくるの?

186:世界@名無史さん
16/03/22 16:20:16.24 0.net
重装弓騎兵を考えるにあたっては以下の両面を見る必要がありそう
 1.世界的にみて用例が少ない理由(制約要件やマイナス面など)
 2.中世日本で主力となった理由

187:世界@名無史さん
16/03/22 19:07:37.45 0.net
「集史」の挿絵を見る限り日本の騎馬武者並みに重武装した蒙古騎兵が
騎射やってたりするけど
用例は言うほど少ないんだろうか

188:世界@名無史さん
16/03/22 19:56:29.89 0.net
ホースバックアーチェリー

189:世界@名無史さん
16/03/23 21:06:42.71 0.net
第2次元寇の時の元軍14万ってのは幾ら何でも水増しし過ぎだろ
木造船4400もそんなに短期間で作れないし作ったら木がなくなるよ

190:世界@名無史さん
16/03/23 21:09:37.67 0.net
それも白髪三千丈のような誇張なんだろう

191:世界@名無史さん
16/03/23 23:50:34.58 0.net
第二次日本侵攻以前に滅亡させた南宋の船は一艘も接収されることなく
消滅しちゃったのかな

192:世界@名無史さん
16/03/24 01:21:11.67 0.net
壇ノ浦合戦後の平家の船はどうだったんだ?

193:世界@名無史さん
16/03/24 08:18:35.50 0.net
この辺を参考にするなら「江南戦船」があったわけだよな
元が江南の船に倣ったのか旧南宋の船かは知らんが
『高麗史』
「忠烈王十八年 丁未、世子謁帝于紫檀殿、鄭可臣柳庇等随入、有丁右丞者奏、
江南戦船、大則大矣、偶觸則毀、此前所以失利也、如使高麗造船、而再征之、
日本可取、帝問征日本事、洪君祥進言曰、軍事至大、宣先遣使問諸高麗、
然後行之、帝然之。」

194:世界@名無史さん
16/03/24 08:21:24.58 0.net
>>192
どうなったの?

195:世界@名無史さん
16/03/24 12:12:53.70 0.net
南宋を滅ぼした崖山の戦いも海戦だし南船北馬の中国南部を攻略するのに元軍も
随分と軍船を建造したことだろうと思うが
短期間で作るどころか南宋攻略に使用した軍船の相当数をそのまま
日本侵攻に転用したんじゃないかな

196:世界@名無史さん
16/03/24 12:50:32.02 0.net
>>192
平家軍800艘、源氏軍1000艘なんてのも多すぎだろ
あんな狭いストレートにそれだけの船がひしめきあって戦ったってホントなのか

197:世界@名無史さん
16/03/24 13:06:01.38 0.net
元寇はまともな航海能力が保証されてるが、源平は

198:世界@名無史さん
16/03/24 13:16:45.56 0.net
熊野の別当湛増が裏切ってから俄然源氏水軍が強くなった

199:世界@名無史さん
16/03/24 21:05:51.06 0.net
基本的に軍記物の数は誇張ばかりだけど源平当時の日本の軍船って小船だし
数的には結構あったのかもしれない

200:世界@名無史さん
16/03/24 21:25:07.07 0.net
安徳天皇が乗ってたのは巨大な唐船だっけ

201:世界@名無史さん
16/03/26 00:10:48.05 0.net
>>200
巨大とまでは言えないが他の船よりは大きいね
安徳天皇が入水したシーン
URLリンク(hicotty-fukufuku.c.blog.so-net.ne.jp)
元寇は14万人もの大軍が史実だとしたら補給が追いつかない、14万人では唐入りの時の石田三成以上に大変だ。
それ以外でもモンゴルが得意なのは騎馬戦術だけど、日本に馬を連れてこれなかった時点でも不利だよね。
ま、主力は実は高麗や南宋の兵だったみたいなので、フビライにとっては支配国の兵が何人死のうと構わなかったのかもしれないが。

202:世界@名無史さん
16/03/26 00:33:14.75 0.net
>>201
馬は大量に連れてきてる。
元全土から兵力かき集めて投入したのが壊滅しちゃったから
もちろんクビライには大打撃だったよ。
弘安の役まで勝ちまくっていたのに以後全く勝てなくなっただろ。

203:世界@名無史さん
16/03/26 02:09:43.54 0.net
でも実は源平合戦期と蒙古帝国勃興期ってほとんど同時代なんだよな

204:世界@名無史さん
16/03/26 11:41:05.55 0.net
大軍だから総量はともかく馬の比率は少ないし>>149 日本側の記載も少ないな
もっとも、元は橋頭堡構築すら無理だったから、騎馬戦術以前の問題

205:世界@名無史さん
16/03/26 11:46:32.16 0.net
URLリンク(blog-imgs-35.fc2.com)
この絵はいつの時代にどこの国で描かれたものなんだろうか?
遠近法が使われてるが、元寇の頃には遠近法は世界のどこでもまだ生み出されてなかったんじゃなかったっけ?

206:世界@名無史さん
16/03/26 11:48:17.36 0.net
>それ以外でもモンゴルが得意なのは騎馬戦術だけど、日本に馬を連れてこれなかった時点でも不利だよね。
大元ウルスは中華化して歩兵の割合が多いだろ
>>202
確かにベトナムが反攻に出るのは弘安の役以降ではあるな
それ以前は支配に服していたし

207:世界@名無史さん
16/03/26 11:49:22.85 0.net
>>205
どこの国であれ同時代の絵画史料からはかけ離れているのは間違いない

208:世界@名無史さん
16/03/26 12:27:59.47 0.net
>>201
3万ほどの探馬赤が動員されているんだが
それと急死しなければ総指揮は阿刺罕がとるはずだったんだが自身の親衛隊長すら死んでもよいと考えていたのかフビライは

209:世界@名無史さん
16/03/26 14:04:11.85 0.net
弘安の役の兵数はチンギス時代のモンゴル帝国の総兵力より多いんだよ。
全部騎馬に出来ないのなんて当たり前じゃん。
騎兵を大量に投入し、昔なら不可能だった規模の歩兵を付けたんだから
モンゴル軍としては考えるられる限り最強の構成だろ。

210:世界@名無史さん
16/03/26 15:46:44.60 0.net
比率で言えば中華化した歩兵中心の混成旅団なんだからさ

211:世界@名無史さん
16/03/26 15:57:44.63 0.net
東路軍4万人は高麗が中国人じゃなくモンゴル人中心にしてくれって直訴して
クビライから了承されてる。
少なくとも文句なしに騎馬部隊と呼べる4万人に部隊はいたわけだ。

212:世界@名無史さん
16/03/26 20:43:18.62 0.net
高麗史に6000騎でも養うのが精いっぱいみたいな記述がある。
地力が豊かでない朝鮮半島では騎馬の大群を養えるだけのかいばが確保できない。
片道切符の現地調達でも、5桁の騎兵が朝鮮半島を縦断したら
ぺんぺん草の一本も生えない荒野と化すのは目に見えてる。
岩がちな半島の南端で船に乗せ、風を待つ数日間、
騎馬を維持するだけのかいばを確保できたかどうか……
たとえ中国大陸から直接でもその周囲は荒野に近い状況になると思う。

213:世界@名無史さん
16/03/27 01:27:42.48 0.net
後詰めの調達も困難だったのか

214:世界@名無史さん
16/03/27 10:05:40.99 0.net
現実に大量の騎兵投入した上でモンゴル軍は日本に負けたんだから仕方ないね

215:世界@名無史さん
16/03/27 11:49:19.78 0.net
元軍の主力は歩兵だが、拠点の確保すらできなかったからそれ以前の問題だな

216:世界@名無史さん
16/03/27 12:29:15.66 0.net
>>212
いやいや耽羅島に総管府が置かれて島全体が牧場にされてるんだけど

217:世界@名無史さん
16/03/27 13:05:24.97 0.net
睿宗の時代に女真征討の際に編成された神騎軍ですら10万近くいたのに
6000騎ぐらい余裕だろ

218:世界@名無史さん
16/03/30 08:07:17.94 0.net
十万の方を疑えよ

219:世界@名無史さん
16/03/30 10:25:06.13 0.net
頼朝軍でさえ60万騎(奥州藤原泰衡征伐末期)

220:世界@名無史さん
16/03/30 11:02:09.88 0.net
楠木正成は千早城の籠城戦で千人で百万人の鎌倉軍と戦い、勝利した

221:世界@名無史さん
16/03/30 13:17:47.36 0.net
まんが日本史にもあったな  
変幻自在な戦術を操る名将&最後まで南朝に忠実なホントいい男に描かれていた
実は一介の単なる地方の悪党なのにw

222:世界@名無史さん
16/03/31 08:43:37.64 0.net
ところで睿宗て誰?

223:世界@名無史さん
16/03/31 09:43:02.69 0.net
平家物語や太平記や三国志の兵数が誇張されてるのは昔の話だからじゃなく
娯楽作品だからだよ
事実を正確に記録するよりもエンターテインメント性が求められてるわけで

224:世界@名無史さん
16/03/31 17:21:04.13 0.net
「高麗史」や「元史」は同時代の文官が記録した起居注を基に編纂されたものなので
太平記や平家物語のようなお伽噺と比べるのは御門違い
比べるなら捜神記や水滸伝にしないとね

225:世界@名無史さん
16/03/31 17:28:41.96 0.net
三国志も8割方は無味無乾燥な行政記録の羅列なのに原文読めないから英雄叙事詩か何かと勘違いしてるおじさん多いよね

226:世界@名無史さん
16/03/31 18:10:48.55 0.net
三国志演義と三国志の区別がついてない人

227:世界@名無史さん
16/03/31 20:34:22.54 0.net
それにしてもなんなんだよ鎌倉時代の日本の政治機構は?飾りものの天皇に飾りものの
将軍、操り人形の執権がいて、実権は得宗家のもの、さらに天皇の上には上皇まで
いて、最後は天皇家に二つに分裂とか…よくこれで蒙古襲来という国難に立ちむかう
ことができたな…。

228:世界@名無史さん
16/03/31 21:03:25.96 0.net
国難だから立ち向かえる

229:世界@名無史さん
16/03/31 21:07:53.79 0.net
>>225
えっ?

230:世界@名無史さん
16/04/01 22:58:28.46 0.net
でも北条執権政権崩壊の遠因になったのは確か

231:世界@名無史さん
16/04/01 23:26:43.33 0.net
>>227
元が力でごり押しじゃなくてその辺の構造を突いてきたらめんどうなことになってたかも

232:世界@名無史さん
16/04/01 23:52:33.44 0.net
鎌倉後期の日蓮というお坊さんが、元寇に先立って「このままでは日本は外国から侵略されるだろう」と予言し、
「立正安国論」という書で幕府に警告したんだけど幕府ではまともに取り合わなかった、というエピソードがある

233:世界@名無史さん
16/04/02 00:22:37.37 0.net
>>230
得宗家が御家人を軽んじて専制化に走ったから
時宗は元寇に乗じて権力集中させたので遠因と言えなくもないがね

234:世界@名無史さん
16/04/02 07:43:48.13 0.net
>>232
日蓮が「立正安国論」を書いたのは1260年だけど、前年の1259年にはすでに鎌倉幕府によって
外国からの侵略に備えた防衛体制強化が行われてる。
鎌倉幕府にとって「立正安国論」は既出の情報で予言でも何でもなかった

235:世界@名無史さん
16/04/02 14:28:15.41 0.net
日蓮が法華経以外の邪教を信仰してるようでは外敵に侵略されるぞと散々警告していた時、
一遍は踊り念仏で蒙古襲来の恐怖と不安をひと時でも忘れようとダンスしていた。
「踊躍歓喜といふは、踊るべき心となりとて、頭をふり足をあげて踊るをもて、念仏の行儀…見苦しき所をも隠さず、編に狂人の如し」
(野守鏡)
「頭をふり肩を揺りて踊る事、野鳥の如し。騒がしき事、山猿に異ならず。男女の根を隠す事なく、食物をつかみ食ひ、不当を好む有様は、しかしながら畜生道の因果」
(天狗草紙)
一遍とその集団の踊り念仏は、「狂人」の如くか、「野鳥」「山猿」「畜生道」の如く見られていた…。

236:世界@名無史さん
16/04/02 19:27:27.08 0.net
>>230
坂東武者は負担なかったんだから関係ないだろ

237:世界@名無史さん
16/04/02 19:45:38.08 0.net
>>227
あほくさ
実権持ってるのが得宗だけなら分裂するものか

238:世界@名無史さん
16/04/02 20:29:04.78 0.net
この頃元に来ていたマルコポーロがジパングと伝えたわけだな…

239:世界@名無史さん
16/04/03 00:49:45.95 0.net
>>231
それは鎌倉幕府が突かせなかったんだろ。
元の使者は大宰府より先には入れさせなかったし、
朝廷の返書も全部握り潰したんだから。
元には力でごり押し以外の選択肢が無かった。

240:世界@名無史さん
16/04/03 10:16:38.63 0.net
都合いい時だけ朝廷云々をいいだし、ペリーにびびりまくりだった徳川
幕府よりましだわな。

241:世界@名無史さん
16/04/03 12:45:22.90 0.net
勇敢さでいったら間違いなく鎌倉武士>>>>>江戸武士

242:世界@名無史さん
16/04/03 13:08:10.80 0.net
相手を分析した結果だからどっちも間違っていない

243:世界@名無史さん
16/04/05 11:43:57.89 0.net
戦争がない(≒平和で文明レベルが上がる)と体もなまるし戦闘力も下がる
大陸の遊牧民なんかみなそうだ

244:世界@名無史さん
16/04/07 10:01:35.66 0.net
幕末は勇猛さとかよりも動員技術が衰えてる感ありありだわ
財政的に無理してって部分も含めて技術ね

245:世界@名無史さん
16/04/07 23:02:47.37 0.net
あと鉄砲や大砲の時代になると必然的にそうなるな
馬に乗る機会は減るのだから、でっぷり太って足が遅いやつでも致命的ではなくなる
身体能力や乗馬術、ホースバックアーチャーの腕前は重要を失っていった

246:世界@名無史さん
16/04/08 00:53:30.13 0.net
北条時頼の兄北条時輔がスパイとなって朝鮮に渡ってくれたお陰で元の作戦は幕府には筒抜けだった

247:世界@名無史さん
16/04/08 01:37:29.19 0.net
赤いマフラーのときの時輔か

248:世界@名無史さん
16/04/08 20:07:25.59 0.net
大河北条時宗この前見たけど、2、3話ぐらいで北条の手口はよくわかった。
あれじゃあ蒙古が来てもこなくても、悲惨な末路はさけて通れなかったと思うぞ。
むしろ元寇で一時にせよ北条を憎む人間の眼が、外の敵に向いたわけだから、
もしかして北条にとり、蒙古こそ「神風」だったんじゃないのか(笑)

249:世界@名無史さん
16/04/08 21:12:54.64 0.net
なかなか面白い視点だな

250:世界@名無史さん
16/04/13 01:11:48.42 0.net
今月十四日の御手紙は同じく十七日に到着、またさる閏(うるう)七月十五日の御手紙も同じく二十日ごろに到着した。
そのほかたびたび御手紙をいただいたが、老病の身の上であり、また食事が進まないので、まだ返事をさしあげていないことを恐縮に思っている。
それらのなかで、なによりも閏七月の御手紙のなかに「鎮西には大風が吹いて、浦浦・島島に破損の船が充満している」、また「京都で思円上人の調伏(じょうぶく)の祈禱によって蒙古が敗れたといわれている。またそのような道理があるでしょうか」等とあった。
このことは、別しては日蓮一門の大事である。
総じては日本国の凶事である。
そのため、病苦を忍んでそのことについて一端を申し上げよう。
思円の祈禱によって蒙古を調伏したなどということは、ただ、日蓮を葬ってしまおうとして、ないことを造り出したこととかねてから知っている。
それは日本国の真言宗等の七宗・八宗の人々の大悪事の謀(はかりごと)は今に始まったことではない。
日蓮「富城入道殿御返事」

251:世界@名無史さん
16/04/16 14:39:43.18 0.net
幸い、日本側が主力の弓矢と鎧では勝ってたけど
当時の武士の薙刀よりは、元の槍の方が集団戦に向く、と知ったんだろうな
URLリンク(blog-imgs-35.fc2.com)

252:世界@名無史さん
16/04/16 17:58:10.35 0.net
元側史料の「汎海小録」では長刀を「きわめて鋭い」と高く評価しているが弓は「遠くに届かない」と酷評
「高麗史」も「倭兵、突き至りて中軍を貫き、長剣左右に交わる。」と長刀の脅威を述べる一方、弓矢に対する言及は皆無

253:世界@名無史さん
16/04/16 22:12:46.93 0.net
日本の長弓の方が蒙古のショートボウよりも射程と威力はあったんじゃないの?
速射ができなかっただけで

254:世界@名無史さん
16/04/17 00:25:14.78 0.net
いくら道具が良くても射手に技術がなければどうにもならん

255:世界@名無史さん
16/04/17 00:54:17.45 0.net
鎌倉武士は弓術の修行もしており、流鏑馬(やぶさめ)など馬上から弓を射る訓練もしていた
那須与一とか弓の名手として敵方の平家からも賞賛されたのは、それだけ弓術というのが武芸の中でも重く見られていたからである

256:世界@名無史さん
16/04/17 01:31:03.87 0.net
弓矢は物量で勝負、と考えている大陸の人間から見れば
たとえ精度・威力に優れていても連射速度に劣る日本の弓矢は貧相に見えても仕方ない。

257:世界@名無史さん
16/04/17 01:55:24.12 0.net
>>255
弓術の修行「も」どころかむしろ弓こそ武士の主力武器だった
武士の別名が「弓取る者」だったほどで
時代が下るといつしか「刀は武士の魂」になってしまったが

258:世界@名無史さん
16/04/17 19:15:38.17 0.net
>>256
「遠くに届かない」と評されているのだから遠くまで飛ばす技術がなかったのか
命中率が低かったかどちらかだろう
>>257
絵巻見ると弓矢もってない奴たくさんいるけど
URLリンク(tokyo-metanoia.cocolog-nifty.com)
弓術を学ぶことがステータスだったのは確かだけど問題はどこまで普及していたか
圧倒的多数をしめた所従クラスまできっちり弓術を習得していたとは思えんが

259:世界@名無史さん
16/04/17 21:22:02.97 0.net
その絵で確認できるところでは・・・
 騎兵10人 うち弓・矢筒とも携帯を確認できないのは2名
 歩兵5人 うち弓・矢筒とも携帯を確認できないのは3名
騎乗可能な層はほぼ弓射騎兵、それ以下は打物歩兵も多いってことでいいんじゃね

260:世界@名無史さん
16/04/17 23:02:39.25 0.net
海外「日本は常に最高だ」和弓はイングランドのロングボウより強力だった?!
URLリンク(dng65.com)

261:世界@名無史さん
16/04/17 23:25:13.65 0.net
ロングボウとかただの丸木弓だからね
大陸の複合弓はすごい飛ぶよね
韓国の国弓競技とか的までの距離が145mと弓道の遠的の2倍以上
モンゴルとかトルコ弓はもっと飛ぶでしょ

262:世界@名無史さん
16/04/18 22:03:28.60 0.net
なんにせよ。当時の日本が武家政権でよかったな。もし平安時代が史実より100年
ほど長く続いていたら、さすがに九州は蒙古の支配する土地になってそうだ。そのまま
今日まで日本と九州は違う国家としての道を歩んで、今頃ネットウヨが日本で
犯罪がおこるたびごとに、また九州の連中の仕業に違いないみたいなこと書き込んでそうだwww

263:世界@名無史さん
16/04/22 14:03:16.12 0.net
維持できるわけないだろ

264:世界@名無史さん
16/04/22 14:06:46.12 0.net
長弓は重くて飛ばない

265:世界@名無史さん
16/04/22 15:08:28.15 0.net
>>240 もし徳川幕府がペリーの首をはねて、アメリカとの戦争を決意してたら
どうなってたんだろ?

266:世界@名無史さん
16/04/22 15:15:46.24 0.net
今川義元は海道一の弓取りと呼ばれていたが
弓の名手だったのか?
李広や呂布のような弓の達人だったのだろうか?

267:世界@名無史さん
16/04/22 15:26:35.53 0.net
>>265
アメリカは南北戦争でそれどころじゃないぞ

268:世界@名無史さん
16/04/22 16:57:16.96 0.net
>>266
源為朝だろそれいうなら

269:世界@名無史さん
16/04/26 10:28:40.48 0.net
呂布の弓術は那須与一にも匹敵するんじゃないかな?

270:世界@名無史さん
16/04/27 13:04:00.75 0.net
考えてみたら鎌倉幕府が成立してから元寇まで確か70年ほどなんだよな?もし
源平合戦のさなかに蒙古が襲来してたらどうなってたんだろ?西国に逃げた平家が
蒙古と同盟組んで源氏は反撃とかになってたんだろうか?

271:世界@名無史さん
16/05/03 15:01:10.30 0.net
項羽だって冒頓単于と同盟組んで劉邦に反撃できなかったのだろうか?・・・って項羽スレであったな
垓下の戦いと白登山の戦いは数年のラグしかない

272:世界@名無史さん
16/05/04 15:30:16.06 0.net
長しといえど遠くあたはずだから威力型
コルト45みたいなもんか

273:世界@名無史さん
16/05/06 10:34:30.69 0.net
>>270
そう考えると平家ってとことんツキがなかった 南宋もか

274:世界@名無史さん
16/05/09 10:44:36.78 0.net
とにかく蒙古って対馬、壱岐を完全制圧して、そのまま守りを固めるべきだったな。
対馬なら朝鮮半島からの補給も難しくないし、かなり厄介なことになってたとおもうぞ。

275:世界@名無史さん
16/05/09 23:26:54.86 0.net
破産だな

276:世界@名無史さん
16/06/04 14:16:14.97 0.net
太平記より
> 此企兼てより吾朝に聞へしかば、其用意を致せとて、
> 四国・九州の兵は筑紫の博多に馳集り、
> 山陽・山陰の勢は帝都に馳参る。
> 東山道・北陸道の兵は、越前敦賀の津をぞ堅めける。
当時の国際港である敦賀もしっかり固めていた
ただ当時の操船技術だと帰路が非常に困難であまり侵攻の危険なかったけど

277:世界@名無史さん
16/06/06 09:14:21.12 0.net
>>266
「弓取り」とか合戦を「弓矢」というのは唐入りみたいに兵科別で鉄砲が最も多くなった上に
弓を扱う兵士が極端に減った時代でも使われるような古風で象徴的な意味合いしかない言葉だから
内実は別に伴わなくてもいいんだよ

278:世界@名無史さん
16/06/30 22:33:14.80 0.net
海賊は、航海で水が腐るから酒を飲んでたという話がある
元寇では、汲水小舟三百とかあるが長期戦だし
水が腐らない工夫や、定期的に何処からか交換・補給してたかな?

279:世界@名無史さん
16/06/30 22:53:29.28 0.net
鉄砲=進化した弓

280:世界@名無史さん
16/08/06 16:17:29.49 0.net
「蒙古襲来絵詞」(もうこしゅうらいえことば)
URLリンク(www.lib.kyushu-u.ac.jp)
三井資長、蒙古兵を撃退する
URLリンク(www.lib.kyushu-u.ac.jp)
三井資長の弓は凄いな・・・

281:世界@名無史さん
16/08/08 07:22:08.18 0.net
日本はまだ、蒙古を完全にやっつけてはいない。どんな手段を使ってでも、白鵬などの襲来を蹴散らすべきであろう。

282:世界@名無史さん
16/08/08 08:07:35.15 0.net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか

日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

283:世界@名無史さん
16/08/08 17:45:15.00 0.net
千代の富士はかっこよかったが、朝青龍は(以下略

284:世界@名無史さん
16/09/25 23:30:13.05 0.net
>【福岡】「博多湾全体を囲むように元寇防塁が築かれたことを裏付けるもの」
>九大に石積み、元寇防塁か…長さ17メートル以上、文献裏付け

285:世界@名無史さん
16/12/28 12:33:20.59 0.net
元にとっては片手間だったが日本にとっては死に物狂いの戦いだったと思う

286:世界@名無史さん
16/12/28 16:43:27.13 0.net
>>285
日本は九州の御家人だけで圧勝してるんだから死に物狂いの戦いという程ではない。
14万人もの大兵力つぎ込んだ元にとっては死に物狂いの戦いだったけどね。

287:世界@名無史さん
17/02/20 18:01:20.81 D0BvzAqNz
元寇がチョンだったことは既にご存知の通り。
倭寇の9割も朝鮮人でした。朝鮮王朝が認めています。
残りの1割もどうせ在日(対馬壱岐侵略者)でしょう。
結局全員朝鮮人。
ああ、またしても韓国人のブーメラン炸裂。倭寇もチョンでした。

288:軍師 サバイバル・テクニック!
17/04/15 18:05:23.77 YW/JTDsJg
軍師 「大地震や戦争がおこった場合のサバイバル・テクニック!!」

◎災害で停電の時、「冷凍室の凍(こお)った冷凍食品」を
「ふつうの冷蔵庫」の一番上につめましょう!
「冷凍食品の冷気」が下に下(さ)がって、「ふつうの食品」が
傷(いた)むのを遅(おく)らせてくれます!

〇ベッドの下に「スニーカー」を用意していれば、
災害時、ガラスが散らばっていても、大丈夫です!
〇家から避難(ひなん)するときには、「電気のブレーカー」を
落としておきましょう!(家事を防ぎます!)
◎冷蔵庫の「氷タンク」や「氷」を合わせると
「2~3リットルの水」になります!
氷をとかして飲みましょう!

災害時、「窓ガラス」や「ロッカー」や「コピー機」の
近くはキケンなので、離れましょう!
「机の下」に避難し、「落下物の少ないエレベーターホール」
に移動しましょう!
                      軍師

289:隊長 サバイバル・テクニック!
17/04/17 17:39:00.26 eQy051vqK
サバイバル・テクニック!!
「北朝鮮から日本に、「核爆弾」で核攻撃された時の対策!!」

〇失明(しつめい)をふせぐため、核爆弾の「閃光」(せんこう)を見ては
ならない!!
〇皮膚(ひふ)の露出(ろしゅつ)を少なくし、
丈夫(じょうぶ)そうな建物に避難(ひなん)して下さい!

〇地下施設(ちかしせつ)(地下鉄・地下室)に移動して下さい!!
〇窓があれば、目張り(めばり)して下さい!
〇「衣服」をぬいで、容器(ようき)に密閉(みっぺい)して下さい!
〇手・顔・体・足をよく洗う!
〇あとで、医師の診断(しんだん)をうけて下さい!

隊長  「原発を今すぐ停止して下さい!!
「安倍総理」を説得して、原発を今すぐ停止して下さい!
お願いします!お願いします!お願いします!お願いします!」
                           隊長

290:軍師 北朝鮮軍の戦力を分析する!
17/04/20 21:26:16.50 UkjmOcoge
軍師 「重要なデータ!!北朝鮮の戦力を徹底的に分析する!!」

北朝鮮  人口2500万人  
北朝鮮軍    119万人(そのうち20万人が特殊部隊!)
韓国   人口5150万人
韓国軍      65万5000人
日本  人口1億5000万人
自衛隊      約30万人

〇北朝鮮軍の兵器
「サリン・VXガス・マスタード・ガス」   2500~5000トン!
平時は、5000トン、戦時は、 
1万2000もトン規模(きぼ)の生産能力がある!
サリンなどは、「貧者の核兵器」とよばれる!
カンタンに材料を入手でき、カンタンに製造できる!
「米軍基地・原子力発電所・政府施設がねらわれる可能性80パーセント!」
軍師「安倍総理はアテにできない!日本は、私が守護(まも)る!!」
〇 テレビ番組「ひるおび!」より 午前10時25分(いい番組です!)
                           軍師
         
 
  

291:軍師 最悪シュミレーション!
17/04/21 21:09:26.43 6Xbo/h6xS
軍師 「北朝鮮vs韓国  最悪シュミレーションを想定する」!!

「北緯38度線ライン」の地下に「15本ものトンネル」がある
と軍事専門家が警告(けいこく)しています!
「地下トンネル」に、北朝鮮軍の「砲兵隊」(ほうへいたい)が、
ひそんでいて、いつでも「韓国の首都ソウル」を
砲撃する準備ができている!・・・・・という話!

「ソウル市民」は、「北朝鮮軍の長距離砲の砲撃」に
警戒(けいかい)して下さい!!
「北朝鮮軍」は、「長距離砲50万発を数時間」、
打ち続ける能力があります!

北朝鮮の「小型飛行機」の「パラシュート部隊」が空からやってくる!
「韓国国内」で、「スリーパー」(北朝鮮軍の工作員)が、
「手引き」や「情報収集」をおこなっている!!と
軍事専門家が警告しています!

「韓国国内」には、「工作員」が「3万人~5万人」も
潜伏(せんぷく)していると軍事専門家は警告しています!
「テロリスト」が、韓国の「石油施設」や「原子力発電所」を
ねらってくる・・・・・・!!
「最悪シュミレーション」はまだまだつづく!!
テレビ番組 「ひるおび! 軍事専門家の警告より」
                          軍師



 

292:軍師 軍事専門家たちの警告!
17/04/22 20:17:10.81 vHue6zXhB
軍師  「軍事専門家たちの警告!!」

軍事専門家の警告 「ロシアの「ミサイル技術者」や、
「原子力の技術者」が
ロシアから北朝鮮にやってきたので、北朝鮮の「ミサイルの命中精度」
が飛躍的(ひやくてき)にあがった!」

軍事専門家の証言 「軍事核兵器に必要な「プルトニウム」
(プルトニウムは、核爆弾の材料!!)を
「プーチン大統領」が、北朝鮮に送っている!」

軍事専門家の証言
「ロシアが何かを、画策(かくさく)しているおそれがある!」
「ロシアが中東(アラブ諸国)の「石油」をねらっている!」
「戦争の混乱にじょうじて、ロシアがとなりの国に
攻めこんでくるおそれがある!」

証言 「戦争の混乱にじょうじて、ほかの国がせめこんでくる
ことは、「戦争の世界」ではよくあること!
「ロシアの動き」に気をつけたほうがいい!!」

ニュースサイト「8つの核爆弾の材料になるプルトニウム「40キロ」
グラムを、小分けにして、
「ロシアのプーチン大統領」が「北朝鮮」に送った!」
         テレビ 「ひるおび!」軍事専門家たちの警告!

293:世界@名無史さん
17/06/12 18:19:55.51 0.net
>>280
鉄板小札の大鎧を撃ち抜く目的語の和弓で、
革やフェルトのキルティングの鎧射たら、
そりゃ一たまりもないだろう。

294:世界@名無史さん
17/06/21 21:36:53.58 0.net
橋頭堡も確保できず海上を船でウロウロしてただけだからその時点でもう勝負ついとるよな
日露戦争でも船で長期間の後悔なんて水兵にとっちゃ地獄だったんだから
できるだけ早く上陸したいはず

295:世界@名無史さん
17/07/07 22:55:17.52 0.net
戦略でも戦術でも防御の日本側優位

296:世界@名無史さん
17/07/16 21:06:49.72 0.net
島の産業では充分な防衛隊を養えないから
海賊と戦ったり本土へ連絡する少数のみ配置しておき、本土からの機動戦力で奪還する
だから元軍が島の小部隊を圧倒したのも
本格侵攻したら、地元武士団に大敗したのも軍事的には当然だ

297:世界@名無史さん
17/07/27 21:58:51.72 0.net
日本の武士にとっては元はへなちょこすぎて
かえって武士同士の戦のほうがよほど大変だったんだろうよ。

298:世界@名無史さん
17/07/27 23:53:49.10 0.net
武士の強さより、台風があったから運が良かったんじゃないの?

299:世界@名無史さん
17/07/28 00:58:39.49 0.net
じゃあ台風に会う前になぜ上陸しなかったのかな?w

300:世界@名無史さん
17/07/28 19:15:05.80 0.net
しかし九州勢5000位で天下に名だたる元の精鋭部隊4万と14万が全く歯が立たなかったとかwww
どう控えめに見ても武士が世界最強なのは揺るぎようがない事実だわな。

301:世界@名無史さん
17/07/31 19:26:41.73 0.net
日本の武士と比べたら、東ユーラシアの土人など雑魚だろ

302:世界@名無史さん
17/08/04 19:37:21.41 0.net
増援に来たのがアメリカ海兵隊みたいな敵前上陸のプロならいざ知らず
戦意のない宋の投降兵じゃな
敵前上陸の得意な騎馬民族なんて聞いたことないし

303:世界@名無史さん
17/08/06 14:51:50.53 0.net
>>241
鎌倉時代の武士と比べて、旗本だの新撰組だのが臆病すぎる

304:世界@名無史さん
17/08/07 04:40:21.73 0.net
>>302
モンゴル軍は敵前上陸のプロだろ
元寇の前に三別抄の乱鎮圧で珍島と耽羅の2回も敵前上陸作戦成功させてる
実戦でこれだけ敵前上陸経験してる軍なんて中々いないぞ

305:世界@名無史さん
17/08/07 09:26:05.68 0.net
>>304
海上移動距離の長さと兵力規模において比較対象にならない

306:世界@名無史さん
17/08/07 10:55:21.74 0.net
>>305
耽羅遠征は海上移動距離100キロ、兵力規模1万人なんだから普通に比較対象になるだろ
元寇前年にやるウォームアップとしては理想的な作戦

307:世界@名無史さん
17/08/07 19:38:28.65 0.net
>>305
海上移動距離の長さを計測したのか

308:世界@名無史さん
17/08/10 15:59:25.58 0.net
>>302
悔しい在日の言い訳は聞き飽きた。
恥をかくためにそんなに弱い大部隊をわざわざ二度も送り込んでくるまぬけは
応永の外寇の朝鮮軍だけだわw

309:世界@名無史さん
17/08/10 16:06:01.11 0.net
秀吉「・・・・」

310:世界@名無史さん
17/08/10 17:18:57.10 0.net
明朝も滅亡しちゃった

311:世界@名無史さん
17/08/11 00:11:07.06 0.net
豊臣政権も滅んじゃった

312:世界@名無史さん
17/08/11 00:13:45.46 0.net
明国は滅んだのに日本国は滅ばなかった

313:世界@名無史さん
17/08/11 11:30:32.42 0.net
朝鮮人って昔からポケモンだったのか、、

314:世界@名無史さん
17/08/11 13:28:14.87 0.net
>そんなに弱い大部隊をわざわざ二度も送り込んでくるまぬけ
秀吉軍のことかと一瞬思った

315:世界@名無史さん
17/08/11 13:34:41.32 0.net
67 Ms.名無しさん 2017/08/10(木) 07:39:36.01 0
女性様に選ぶ権利与えまくった結果が現状で、歴史的には例外中の例外。
女性様の審査による選ぶ基準が狂ってることだけどな。
クリーチャーはともかく、普通の奴でも女いないっておかしいよ。
68 Ms.名無しさん 2017/08/10(木) 18:07:26.19 0
女子としてはイケメンじゃない男から告られても迷惑なだけじゃなくて
自分のプライドを傷つけられた怒りしかないよ。
だから諦めて静かに消え去って欲しい。
イケメン名乗るならジャニーズのオーディションに出れるレベルじゃないと。
フツメン以下でしかも小太りとか
年収800万円以下とか、人間としてあり得ないよ
どういう神経してるんだろう。

316:世界@名無史さん
17/08/12 09:47:40.25 0.net
距離わずか200キロで対馬壱岐と島伝いに侵攻できる対馬海峡なんて渡海侵攻としては超楽な部類だよ。
だから古代の日本も朝鮮半島へ侵出できたし、秀吉軍だって7年間も半年に居座り続けた。
1回目にモンゴル軍2万5000、高麗軍8000の兵力で瞬殺されて、2回目は14万人まで兵力増強したってことは、
単純にモンゴル軍の軍事力が不足だったってこと。

317:世界@名無史さん
17/08/12 11:13:32.59 0.net
ヒトラー「せやな」

318:世界@名無史さん
17/08/12 11:57:45.29 0.net
>>317
ヒトラーがイギリスへ渡れなかったのはイギリス海軍に勝てないからだろ。
海が問題なんじゃなく純粋に軍事力の問題。
イギリスが海軍力で大陸より劣勢だった時代はバイキングとかに侵略されまくりだった。

319:世界@名無史さん
17/08/12 12:04:35.11 0.net
海の問題じゃん。海軍力無いと渡海侵攻できないんだから

320:世界@名無史さん
17/08/12 12:18:29.04 0.net
>>319
モンゴル軍は元寇当時世界最強の海軍力を持ってただろ。
弘安の役に投入した艦艇は4400艘。
前近代最大の外洋艦隊だぞ。

321:世界@名無史さん
17/08/12 13:50:48.46 0.net
>>314
日本軍と明軍の主要な戦闘
1.祖承訓率いる明軍先鋒隊五千騎が平壌城を急襲   
  →小西行長の軍勢によって撃退される(第一次平壌城の戦い)
2.李如松率いる明軍四万三千余が平壌を総攻撃  
  →小西行長とその配下一万五千はたまらず敗走、明軍は平壌城を奪還(第二次平壌城の戦い) 
3.李如松は平壌城を落とした勢いに乗じてさらに南下。体勢を立て直した日本軍二万は漢城近郊で明軍二万と激突   
  →明軍を大破(碧蹄館の戦い)。
4.明・朝鮮連合軍が守る南原城を日本軍が襲撃   
  →陥落(南原城の戦い)
5.稷山で解生率いる明軍先遣隊八千と黒田長政率いる五千の部隊が遭遇戦   
→一進一退の攻防の末、明軍は戦意を喪失。日本側に援軍が現れたのを機に撤退。日本軍勝利。(稷山の戦い)

322:世界@名無史さん
17/08/12 13:54:41.94 0.net
6.楊鎬、麻貴率いる明軍四万四千と、朝鮮軍一万二千の連合軍が完成前の蔚山城を急襲(蔚山城の戦い)   
→加藤清正を指揮官とする篭城側一万が防戦、
その後日本軍一万二千が駆けつけ連合軍を大破。。
日本軍は敗走する連合軍を30里に渡って激しく追撃し、壊滅的な打撃を与えた。明軍戦死者2万
7.麻貴率いる明軍二万四千、 金応瑞率いる朝鮮軍五千五百の連合軍が再び蔚山城を襲撃(第二次蔚山城の戦い)    
→日本軍は防戦に徹し、これを破る。
8.董一元率いる明・朝鮮連合軍およそ三万七千(諸説あり)が泗川城を襲撃(泗川の戦い)
→島津義弘配下七千が城外へ打って出て連合軍壊滅  ←注目
9.劉テイ率いる明軍二万二千、権慄率いる朝鮮軍六千、
陳リン率いる明水軍二万、李舜臣率いる朝鮮水軍七千からなる連合軍が順天城を襲撃(順天城の戦い)
→小西行長配下一万三千が防戦し、これを撃退。明軍は兵糧を退路にばら撒きながら敗走。
10.明・朝鮮連合水軍五百隻が島津水軍五百隻と激突(露梁海戦)
→双方に甚大な被害。しかし島津水軍は小西行長らを撤退させるという作戦目標を達成し、
連合軍は明水軍副将の�子龍、朝鮮水軍大将の李舜臣が戦死

323:世界@名無史さん
17/08/12 14:28:33.21 0.net
李舜臣って停戦中の軍を襲撃する卑怯者だったんだけど
味方の明軍からもあいそつかされて島津に瞬殺されたんだっけw

324:世界@名無史さん
17/08/12 15:10:44.17 0.net
Wikipediaだと李朝軍の数が大幅下降修正されてるけど、臨津江の戦いでは
崔遠守(4万) 郭嶸(2万)尹国馨(数万)三師団合計(10万)の部隊を加藤清正単独で
全滅に追い込んでる
宣祖修正実録26巻、宣祖25年5月1日庚申
URLリンク(sillok.history.go.kr)
○洸使節度使崔遠守本道, 自領四萬兵, 以羅州牧使李慶祿爲中衛將, 前府使李之詩爲先鋒將, 渡龍安江, 由湖西林川路進。 防禦使郭嶸領二萬兵, 以光州牧使權慄爲中衛將, 前府使白光彦爲先鋒將, 由礪山大路, 渡錦江。
慶尙巡察使金睟率手下兵數百人, 忠淸巡察使尹國馨悉兵數萬來會。 三帥相約, 刻日進前, 兵號十萬, 軍容甚盛。

325:世界@名無史さん
17/08/12 15:31:12.36 0.net
糞チョンが10万も動員できるわけんがない。高々1万前後だろ。

326:世界@名無史さん
17/08/12 15:59:37.77 0.net
誰がどこでどのくらいの兵を率いていたか全部載ってるけど数えると16万程度はいる
URLリンク(sillok.history.go.kr)
あとwikipdia明軍の数は典拠つきの奴ですら怪しいな
たとえば
>明・朝鮮連合軍の合計は55000人[332]に及んだ。
のソース元みると
URLリンク(sillok.history.go.kr)
>共計十餘萬。
ってなってて計算が合わない。
別の箇所にはもっと詳細な記録がのってるけどこっちだと明軍だけで10万近くいる
明兵の数字は上よりこっちのほうが正しいっぽいな
URLリンク(sillok.history.go.kr)
東路軍 楊登山1200 ハイ賽2500 薛虎臣3000 呉惟忠3900 王国棟,2000 陳蠶2100 陳寅4000 頗貴2500 陳愚聞1500
宣府兵2000 彭信古3000  許国威1180 福兵1000王元周1000李元常1000
中路軍 李汝梅、塗寬3000 葉邦栄,1600盧得功 2500 弟国器 2900  密雲兵1000 李寧2800 浙兵4000
張榜2000
西路軍 劉テイ12000 李芳春1000 陳国宝1000牛伯英1100藍芳威3300李寧,1000傅良橋1500
陳璘5000 李金3300 張良相3000沈茂3100副日昇1500 梁天胤3000

327:世界@名無史さん
17/08/12 16:15:43.80 0.net
おっとちゃんと読んだら55000ってのは西路と水兵の合計か
それなら数字が合うな

328:世界@名無史さん
17/08/12 19:41:16.67 0.net
>>314
結局秀吉が死んだから撤収しただけで
秀吉軍もやっぱり無双やんか。特に島津ww

329:世界@名無史さん
17/08/12 21:55:35.89 0.net
東欧で無双していたモンゴル軍はオゴデイが死んで撤収しただけだから、「東欧がモンゴル軍を撃退した」なんて言わない。
東欧はただ命拾いしただけ。
同じだな。

330:世界@名無史さん
17/08/12 22:28:06.77 0.net
そうに違いない

331:世界@名無史さん
17/08/12 22:44:19.56 0.net
朝鮮半島は殺し過ぎてかえって占領が難しくなってるな
正二品より上の連中はほとんど皆殺しじゃねえか

332:世界@名無史さん
17/08/13 00:37:34.81 0.net
ホームで無双
アウェイでも無双
結局日本の武士最強やん

333:世界@名無史さん
17/08/13 13:20:48.93 0.net
>>324
第二次平壌城の戦いでは朝鮮兵が20万ともいわれてるらしいね。
でも敵味方ともに戦力扱いとされて無いらしいww

334:世界@名無史さん
17/08/13 15:03:49.75 0.net
ニッポン強すぎ

335:世界@名無史さん
17/08/14 08:50:37.82 0.net
こうやって歴史を丁寧に検証すれば
いかに日本人は馬鹿左翼に嘘ばかり吹き込まれてきたかよくわかるな。

336:世界@名無史さん
17/08/14 12:44:55.15 0.net
>>329
フビライが死んでないのに、日本から撤収してるだろ。
同じじゃない。

337:世界@名無史さん
17/08/15 12:18:56.11 0.net
>>336
「ノモンハンで日本は負けてない」ぐらいの強弁だよな

338:世界@名無史さん
17/08/15 13:53:31.99 0.net
そうそう 負け犬ソ連より日本が被害が多かったようなでたらめさだよね。

339:世界@名無史さん
17/08/15 14:33:13.81 0.net
それってソ連にとっては単に「勝利のための犠牲が大きかった」ってだけ
損害だけで考えたらWW2でドイツがソ連に勝ってるよ。現実にはベルリンを占領したのはソ連だよな

340:世界@名無史さん
17/08/15 19:26:45.72 0.net
日本にとっては敗戦まで満州に侵攻させなかった点で負けでもないけどねw
ソ連は日本軍にボロクソにやられて越境を断念したんだっけ?w
そして日本軍は中国大陸に専念できて戦略目的達成じゃんww
スターリンのビビリ負けww

341:世界@名無史さん
17/08/15 19:41:51.06 0.net
いや、コミンテルンが中国共産党に国共合作を指示し、日本軍を中国に張り付かせた
日本はまんまと中国の泥沼にはまり、ソ連は対独戦に集中できた
ドイツが片付いた後は自慢の縦深戦略の完成形を満州侵攻で見せつけた
WW2はソ連と中国の勝ちだな

342:世界@名無史さん
17/08/15 23:41:40.82 0.net
あんときドイツと日本と挟み撃ちにして潰せばよかったなスターリンw
ビビッてポーランドに攻め込んでヒトラーのご機嫌伺ってやんのw

343:世界@名無史さん
18/01/16 22:59:28.81 0.net
>>337
「元寇で元は負けてない」ぐらいの強弁だよな

344:世界@名無史さん
18/01/30 07:09:59.31 0.net
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
OXS74

345:世界@名無史さん
18/02/18 14:07:23.55 0.net
>>2
元寇は世界史上の重要な出来事

346:世界@名無史さん
18/02/18 18:08:02.52 0.net
と、原稿には書いてあった

347:世界@名無史さん
18/02/19 12:30:17.19 0.net
文永の役で元軍が早良郡から上陸したことは、高麗の史料や八幡大菩薩愚童訓で一致してる。
そこからは、八幡大菩薩愚童訓によれば「今津、早良、百路原、赤坂」にまで侵攻。
蒙古襲来絵詞詞書によれば「菊池に赤坂を駆け落とされて麁原、塚原」に撤退。
一方、元や高麗の史料では「対馬、壱岐、今津」を征したとされてる。
元軍が博多まで到達したという史料はない。
史料を総合すると元軍の最高到達点は赤坂までで、菊池に敗れた後は日本軍に押しまくられ、
最終的に今津まで追い詰められて日本から逃げ帰ったということだろ。

348:世界@名無史さん
18/02/19 13:22:25.67 0.net
【トルーマン】 原爆 3S イスラエル承認 【Jap!】
スレリンク(army板)

349:世界@名無史さん
18/03/10 07:45:50.84 0.net
元寇元冦

350:世界@名無史さん
18/03/10 22:25:37.47 0.net
>史料を総合すると元軍の最高到達点は赤坂まで
>元軍が博多まで到達したという史料はない。
これはその通り。ただしそれとは別に、箱崎の半島北部に上陸した可能性はある。
>蒙古襲来絵詞詞書によれば「菊池に赤坂を駆け落とされて麁原、塚原」に撤退。
朝方、菊池に赤坂を追われたのは前日深夜に上陸した先遣隊。
本隊の蒙漢軍はまだ上陸してない。
なぜなら上陸が可能になるのは満潮が始まる午前10時以降だから。

351:世界@名無史さん
18/03/10 22:29:18.48 0.net
あ、345は>>347ね。

352:世界@名無史さん
18/03/11 16:22:16.86 0.net
蒙古襲来絵詞と文永の役について日ごろ考えていることをブログに書いた。
URLリンク(ameblo.jp)
で最新のページに行けて、そのページ左側の目次をクリックすればそれぞれの
ページに行ける。なお、それぞれのページに直接行けるURLも下記に載せた。
上から古い→新しい順に;
竹崎季長の戦闘時間はどのくらいか
URLリンク(ameblo.jp)
竹崎季長はどこで兜を交換したか
URLリンク(ameblo.jp)
詞書の冒頭部分をどう読むか
URLリンク(ameblo.jp)
詞書の冒頭部分をどう読むか その2
URLリンク(ameblo.jp)
竹崎季長はどんな戦場を見たのか
URLリンク(ameblo.jp)
廿日の朝、元軍はなぜ少数だったのか
URLリンク(ameblo.jp)
高麗史・金方慶伝をどう読むか
URLリンク(ameblo.jp)


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