14/05/13 03:23:30.22 0.net
>>685
>遊牧騎馬という生活スタイルを発明したのはスキタイ人で、
遊牧騎馬民族という生活スタイルはダナキル地塁停滞からの出アフリカから
メソポタミア、カフカスを抜けて人類が草原の道に出た時期、
つまりミヌシンスク文明と北方遊牧騎馬民族大帝国で確立されました。
そのごく一部の支流分派がサカ人(スキト人(スキタイ人))です。
>オリエント文明の流れから青銅器文明を持っていた。
移動と金属器に異常な興味と積極姿勢を見せていたのが
ミヌシンスク文明とその後継の北方遊牧騎馬民族大帝国です。
1.青銅器は南シベリアで発明されました。
2.北方遊牧騎馬民族大帝国の一部のグループアスカ人(スメル人)が南下西進し
メソポタミア入りしてメソポタミア文明を大繁栄安定運営し、
青銅器の鋳型として最適な「非食用蜜蝋」をメソポタミアから南シベリアに送りました。
3.南シベリアでは高度な青銅器文明が精緻を極めました。
4.北方遊牧騎馬民族大帝国の極小数のグループが南下し
支那入りし、夏王となり、殷王となり、支那人に
北方遊牧騎馬民族の知恵の移動と金属器のうち
金属器とメソポタミアの農耕と各種の種を伝えました。
5.歴代支那皇帝は二人を除き
全員北方遊牧騎馬民族大帝国出身者で占められています。
>これは周辺の遊牧騎馬民族を捕えて奴隷として使役していた為と考えられている。
奴隷は常に支那人の方ですよ(笑)
>殷の青銅器は支那の歴史上最上のクォリティとされ、時間の経過とともに劣化したとされている。
殷王は北方遊牧騎馬民族の皇族ですw彼の方は支那人などではありませんw