15/01/11 14:11:23.71 0.net
トロイアについただけで非ギリシア的って判断できるのかなぁ?
もちろんオリエントの要素を全く否定ししないけど
【植民】ギリシア語圏・ギリシア文化圏【移民】
スレリンク(whis板:193番)
トロイアってセストスからヘレスポントス海峡をアビュドス(チャナッカレ)に渡って
シゲイオン→イリオンの√だよね ご近所さんに思えるんだけど
612:世界@名無史さん
15/01/11 14:40:32.25 0.net
>>549
まぁ、それはウィキペディアの分類なんだししょうがないんじゃww
たぶんギリシャ語の流れではないという話なんだと思います。
イリオン=トロイア説なら環エーゲ海の一部ですね。
613:世界@名無史さん
15/01/11 15:55:16.07 0.net
アポロンを調
614:べて毎度ふしぎに思うのはこれ >また、母親とされるレートーは、元来は小アジアで信仰された大地の女神で、アポローンはこれに付き従う植物神を核として形成された、複数の神格の集合体と考えられている。
615:世界@名無史さん
15/01/11 15:58:19.30 0.net
アポッローン( =Apovllwn)
URLリンク(web.kyoto-inet.or.jp)
アポローンの出自ならびにアポローン崇拝の起源に関する近代の学者たちの説は、文字どおり諸説紛々であるが、大別すると三つの系統に分けられる。
そのひとつは、ヴィラモーヴィツによって強力に提唱され、ニルスンに継承された説であり、
アポローンを小アジアのリューディア、リュキア地方に起源する神で、「レート-=アポローン=アルテミス」という三位一体をなすアジア的神格としてとらえる考え方である。
この説によれば、小アジアの大女神ラーダー(レートー)を母とするアポローンはリュキア辺に起源を持ち、
イオーニア海に浮かぶ諸島を伝わって、その崇拝がギリシア本土に及んだ外地からの渡来の神だということになる。
その理由としてしばしば、アポローンにとっての聖地やゆかりの地が小アジアことにもイオーニア地方に多く見出され、
クラーロスやディーデュマをはじめとするイオーニア諸都市でアポローン崇拝が盛んだったことが挙げられる。
また『イーリアス』において、アポローンが一貫してトロイア側に立ち、ギリシア人に対しては敵対的であるのも、
この神が元来は小アジア一帯において崇められていた強大な神格であったことを示唆している、というのである。
これに対立する有力な学説は、H・J・ローズによって代表される、アポローン北方渡来説である。
アポローンがその誕生の直後に赴いて一年を過ごじたと言われ、また毎年夏になるとそこへでかけるとも伝えられていたヒュベルボレオイ人との関係を重視し、
極北ないし北方地帯にあったと想像されるこの国こそがアポローンの故地であって、北方の牧人たちによって崇められていた牧畜の守護神こそがこの神の本来の姿だと主張する説である。
(この説を唱える学者は、「リュキオス(Lykios)、「リュケイオス」(Lykeios)というアポローンの称呼を、「リュコス」(lykos 狼)という語かち出ているものと解し、
アポローンは本来「狼神」Wolf-godであり、それゆえに牧畜の守護神であったと見なしている)。
616:世界@名無史さん
15/01/11 16:00:47.25 0.net
>>552
アポローンの出自に関する第三の説は、0・ケルン、R・アリなどの学者によって唱えられているものである。
すなわち、アポローンは渡来神ではなく本来のギリシア民族の神であって、最後にギリシアの地に侵入したドーリス族によってことにも祭められていた牧畜の守護神がその本性である、と主張する説である。
この説によれば、エーゲ海諸島やアナトリア、小アジアの沿岸にアポローン崇拝が盛んに行われたのは、
アポローンがこれらの地で、先住の神である「マンドロス」(これも牧畜の守護神であったらしいが)を押し退け、この神にとって代わったためである、ということになるようである。
アポローンの出自をめぐる諸説は、これに尽きるわけではない。
>>544>>545
1936年にハンガリーの学者B・フロズニーがアナトリア地方で発見して刊行したヒッタイトの碑文に、「アプルナス」(Apuluna)という神名かあらわれていることが明らかとなり、
一部の学者たちは、このオリエントの戸口の守護神こそがギリシアの神アポローンの言わば「遠祖」だと考え、アポローンが東方起源の神であることは疑う余地がない、と主強した。
またアムベールのように、以上のいずれの説にも与せず、アポローンがアカイア人(ギリシア人)のものであるオリュムポスの神々とは全く異質な体質をもっていることは認めながらも、
この神のアジアからの渡来を否定する立場をとっている学者もいる。
すなわちアムベールによれば、アポローンはギリシアー族の神でもなければアジアから渡来した神でもなく、ギリシア人がその地に入る以前から、
後のギリシアならびにアナトリア地方全体を覆っていた「エーゲ世界」で崇められていた神絡である。
ギリシア人やリューディア人が後に彼らの国となる地に侵入した時点で、そこですでに崇められていたこの神を見出し、これにアポローンの名を与えた、というのである。
ざっと以上のようなところが、アポローンの出自ないしは起源をめぐる諸説のあらましであるが、
先に述べたとおり、そのいずれもいまだ決定的な説得力のある説とは認められていない。
617:世界@名無史さん
15/01/11 20:53:25.83 0.net
>>525
ブログのタイトルだけ引用します、、、
「黒いアテナ」(一時期話題になったけど多分読むのは時間の無駄…)
URLリンク(55096962.at.webry.info)
618:世界@名無史さん
15/01/11 22:00:58.09 0.net
>>166>>338
URLリンク(web.kyoto-inet.or.jp)
しかし、リビア人たちによれば、百腕の巨人たちより先にガラマース〔リビアのガラマンテース人の名祖〕が生まれており、
彼が平原から立ち上がったとき、まず大地母神に甘いドングリの実を供えたという。
3 ガラマースというのは、リビアのガラマンテース人の名祖である。
この種族はフェザン地方の南にあるジャードー砂漠のオアシスを占拠していたが、前十九年にローマの将軍バルブスによって征服された。
彼らはもとクシト・ベルベル語 族の民であったが、二世紀のころに母系制のレムタ・ベルベル族に征服されたのだといわれている。
さらにその後、彼らはナイジェル河上流の南岸に住んでいたニグロの原住民と混交して、その言語を用いるようになった。
こんにちでは、ただひとつコロマンツェという名前の部落にだけ、彼らは生き残っている。 ガラマンテ(Garamante)という名前は、
ガラとマンとテの三つの単語が組みあわさってできたもので、「ガラの国びと」という意味である。
ガラというのは、どうやらケール Ker もしくはクレ Q're あるいはカール Car などとよばれる女神をさすらしい。
そしてこの女神は、さまざまな種族のなかでもとくにカーリア人の名祖で、蜜蜂の飼育と関係のふかい神とされていた。
穀物が栽培されるようになる以前に古代世界の主食であったどんぐりは、リビア地方でたくさんとれた。
またガラマンテース人たちが入植していたアモン地域と北部ギリシアのドードーナ地方とはある種の宗教上の盟約を結んでいたが、
サー・フリンダース・ピートリの説にしたがえば、この信仰上の結びつきは、早くも前第三千年紀にははじまっていただろうといわれる。
この二つの地域には古くから樫の木をめぐる神託というべきものがあった。
ヘーロドトスはこのガラマンテース人たちのことを、平和を愛するが、しかしたいへん強力な種族で、
ナツメヤシを栽培し、穀物をつくり、牛羊などの家畜を牧していたと書いている(第四書・一七四および一八三)。(グレイヴズ、p.50-53)
619:世界@名無史さん
15/01/11 22:04:32.92 0.net
ちなみにガラマンテスは
ナショジオにページがあったんだがお引越しで探すのがめんどくさいな
まぁ、こっちだけでも十分におもしろい
西方フェニキア都市レプキス・マグナとガラマンテス
青木真兵
URLリンク(www.kobe-yamate.ac.jp)
620:世界@名無史さん
15/01/12 13:15:47.18 0.net
トラーキアのリビア人ってのがわからない
ほんとにいるんだろうか?
621:世界@名無史さん
15/01/13 23:53:48.7
622:6 0.net
623:世界@名無史さん
15/01/14 23:44:38.56 0.net
>>556
うーん
URLリンク(www.africanworldheritagesites.org)
It is the home of more than 15,000 rock paintings and engravings, dating back as far as 12,000 years.
This incredible open-air gallery tells the story of the changing fortunes of this part of the Sahara and the people who have occupied the area over the millennia.
It is a story that traces the environmental effects of climate change which can be divided into distinct periods according to the characteristics of the rock-art legacy.
The oldest art belongs to the so-called Wild Fauna Period (10,000-6,000 BC) characterised by the portrayal of animals
? elephants, giraffes, hippos and rhinos ? that inhabited the area when it was much wetter than today.
Overlapping with this era is the Round Head Period (8,000-6,000 BC) when human figures appear alongside painted circular heads devoid of features.
At this time people were living as hunter-gatherers,
but this gradually gave way to the Pastoral Period (5500-2000 BC)
characterised by art that depicts the introduction of domesticated cattle,
and a more settled existence with human figures handling spears and performing ceremonies.
As the climate became progressively drier and long-distance travel more important,
the art of the Horse Period (1000 BC ? AD 1) shows the introduction of horses and horse-drawn chariots.
Finally, the most recent period of rock-art in the Sahara (from about 200 BC to present) is the Camel Period, as these animals have played an increasingly important role.
624:世界@名無史さん
15/01/15 18:20:04.05 0.net
>>559
ここでは紀元前千年以降になってるけど
「馬の時代」の始まりを
ヒクソスや海の民の侵入に求める説もあるようだ。
625:世界@名無史さん
15/01/15 22:40:56.61 0.net
>>282>>212
ドラゴンスレイヤーは何故かドラゴンに飛ばされる
そしてピュートンは載ってないので下の方
だけどそっちもNo6の話は知らない
しかしメデアについては「蛇遣いの術」が、、、そして確かもうひとつ蛇との関連が
ドラゴンスレイヤー
URLリンク(ja.wikipedia.org)
1 神話・伝説が語る竜殺し
1.1 ベオウルフ
1.2 ジークフリート
1.3 カドモス王
1.4 ダニエル
1.5 聖ゲオルク
1.6 スサノオ
1.7 屠竜之技
1.8 印欧人に伝わる竜殺しの類型
Dragons in Greek mythology
URLリンク(en.wikipedia.org)
Contents [hide]
1 Ladon
2 Lernaean Hydra
3 Pytho or Python
4 The Colchian Dragon
5 The Ismenian Dragon
6 Solar Dragons
626:世界@名無史さん
15/01/16
627:01:38:53.12 0.net
628:世界@名無史さん
15/01/16 01:41:34.11 0.net
>>562
一番下が一瞬「ロットリング」に見えた
629:世界@名無史さん
15/01/16 18:21:18.96 0.net
>>560
アフリカの岩絵に描かれているチャリオットの形式について、
色々と考察しているサイトが何処かにあったんだけど失念
630:世界@名無史さん
15/01/16 21:56:21.65 0.net
>>555
クシ諸語(クシしょご)
説明:
北東アフリカ,エジプト,スーダンの紅海沿岸,ソマリア,エチオピア高原に分布する諸語の総称。Cushitic。
クシト語Cushiteとも。ベジャ(ベドウェー),ガラ,ソマリなどの諸言語が含まれる。→ハム語
レムタ・ベルベル族
URLリンク(upload.wikimedia.org)
???
>>559
URLリンク(en.wikipedia.org)
History[edit]
Proto-Berber shows features which clearly distinguish it from all other branches of Afroasiatic, but modern Berber languages are relatively homogeneous,
suggesting that whereas the split from the other known Afroasiatic branches was very ancient, on the order of 10000~9000 BP, according to glottochronological studies,[2]
Proto-Berber might be as recent as 3000 BP. Louali & Philippson (2003) propose, on the basis of the lexical reconstruction of livestock-herding,
a Proto-Berber 1 (PB1) stage around 7000 BP and
a Proto-Berber 2 (PB2) stage as the direct ancestor of contemporary Berber languages.[3]
In the third millennium BC, proto-Berber speakers spread across the area from the central North Africa to Egypt.
In the last millennium BC, another Berber expansion created the Berber peoples noted in Roman records.
The final spread occurred in the first millennium BC, when the Tuareg moved into the central Sahara, by then possessing camels;[4]
in the past, the northern parts of the Sahara were much more inhabitable than they are now.[5]
The fact that there are reconstructions for all major species of domestic ruminant except for the camel in Proto-Berber
implies that its speakers produced livestock and were pastoralists.[6]
631:世界@名無史さん
15/01/17 00:00:57.58 0.net
>>518
URLリンク(books.google.co.jp)
ラテン
632:語、ギリシャ語、ポエニ語 らしい 一番長いし製塩事業だったらポエニ人なのかな ベルベル人の話もでてるけど http://en.wikipedia.org/wiki/Shophet (Redirected from Suffete) カリャリ(イタリア語: Cagliari の歴史はなかなかおもしろい http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%AA 古代[編集] カリャリは古代より人が定住していた。海と肥沃な平野に挟まれた好ましい状況が占め、周囲を2箇所の湿地に囲まれていた(これは内陸からの敵の攻撃を防御するのに適していることを示す)。 そして高く緑の多い山地に近接していた(もし何もかも失っても人々は定住地を立ち退くことが可能だった)。 先史時代の住民のいくつかの証拠は、モンテ・クラーロとサンターリア岬で見つかっている。 カラリス(Karalis、古代ギリシャ語:Kalares、ラテン語:Caralis)の名で、紀元前7世紀頃、ティルスをつくったフェニキア人が、 サルデーニャ島での貿易植民地の一群の一つとしてカリャリをつくった(その他にはスルキス、ノーラ、タロスがあった)。 定住地の基盤は明確にカルタゴ人へあてがわれた(パウサニアス x. 17. § 9; クラウディアヌス, B. Gild. 520)。 優れた港であるのと同様に、アフリカ大陸との通信にうってつけの位置であったためである。 そのうえ、唯一の良く隠された道路が固定され、スタニョ・ディ・カリャリ(Stagno di Cagliari)と呼ばれる大規模塩湖または潟がカラリスと接続した。 塩湖は狭い地峡で湾と行き来ができ、カラリスの内港または係船地として古代から用いられてきたとクラウディアヌスは記述している(クラウディアヌス. B. Gild. 520-24.)。
633:世界@名無史さん
15/01/17 01:43:10.39 0.net
幻のアトランティス大陸の合金?シチリア島沿岸から「オリハルコン」が発見
URLリンク(irorio.jp)
URLリンク(news.discovery.com)
634:世界@名無史さん
15/01/18 08:46:56.39 0.net
>>567
さすがにその発想はなかったww
635:世界@名無史さん
15/01/18 11:40:35.57 O8nIibdd0.net
サルジニア人のかなりはクロマニヨン人の直系の子孫だからな。
636:世界@名無史さん
15/01/18 14:15:52.54 2lYglHIZ0.net
>>510>>512
URLリンク(www.karakusamon.com)
原型は、シュメールおよびバビロニアの医神で冥府の神でもあるニンギッジドゥがもつ
2匹の蛇が巻きついた杖だとみなされている。
ニンギッジドゥは、角のある蛇を従えた姿で表現されることもあり、
ラガシュのグデア王(前2100ころ)の守護神でもあった。
カルタゴでも崇拝されたフェニキアの医神エシュムーン(ヤスムーヌ)は、
ギリシア人によりアスクレピオスに同化させられ、やはり蛇のついた杖を持つ姿で描かれる。
637:世界@名無史さん
15/01/19 23:01:34.72 0.net
まじか、、、
羊毛の歴史
URLリンク(ja.wikipedia.org)
紀元前1500年頃から、地中海に現れたフェニキア人によって白いウールタイプのヒツジがコーカサス地方やイベリア半島に持ち込まれた。
コーカサス地方のヒツジは、�
638:フちにギリシア人によって再発見され、黄金羊伝説となった。 このヒツジはローマ時代には柔らかく細く長く白いウールを生むタランティーネ種へ改良された。
639:世界@名無史さん
15/01/20 00:15:37.74 0.net
おうん?
コーカサス地方とイベリア半島って、どちらも「イベリア」と呼ばれたとこやの
どうも繋がりがはっきりしないみたいだが、なんぞその件と関係あるんかの
640:世界@名無史さん
15/01/20 02:59:34.83 0.net
>>572
その発想もなかったww
そしてこの発想もなかった
古代エジプト王朝の「暗黒時代」の謎を解く壁面彫刻を発掘
2009年04月22日 13:19 発信地:カイロ/エジプト
URLリンク(www.afpbb.com)
古代ギリシャ語で「外国の統治者たち」を意味するヒクソスは、非常に憎まれていたため、
エジプトの王による支配が復活した際に、ヒクソスに関するモニュメントや記録はことごとく破壊されたといわれる。
古代エジプト・ヒクソス王朝の地下都市をレーダーで確認
2010年06月21日 15:12 発信地:カイロ/エジプト
URLリンク(www.afpbb.com)
【6月21日 AFP】
エジプトの首都カイロ(Cairo)北東部のナイル川下流域の町テルエルダバア(Tal al-Dabaa)付近で、
オーストリアの考古学チームが3600年前の古代エジプト・ヒクソス王朝の首都アバリス(Avaris)とみられる地下都市を確認した。
エジプト考古最高評議会(Egypt's Supreme Council of Antiquities)のザヒ・ハワス(Zahi Hawass)事務局長が20日発表した。
調査チームはレーダーを使って上空から一帯を撮影。道路、家屋、墓などを含む計画的に設計された地下都市を確認した。
この他、都市を貫いて流れていたナイル川の支流や2つの島も確認できた。
641:世界@名無史さん
15/01/20 03:25:14.11 0.net
>>573
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
Tell el-Dab?a Homepage
URLリンク(www.auaris.at)
こりゃ詳しいね
642:世界@名無史さん
15/01/20 19:27:45.85 0.net
>>570
ニンギッジドゥって、ニンギシュジダ(ニンギジダ)を指してるのかな?
治癒神、ラガシュとの関係からみて
岩波の「古代オリエント事典」と山川の「メソポタミアの神々と空想動物」を参照
シドンで信仰されたエシュムンはベイルートで起った神らしいんだけど
その起源はシュメールやバビロニア
かたやウガリットのバアル、アラム人の雷神ハダト、アッカドのアダトは遡ると
ヒッタイト・フリ系の天候神テシュブに至るみたいだけど、それぞれルーツが
異なるのがおもしろいね
643:世界@名無史さん
15/01/20 20:28:26.42 0.net
>>575
読み方はよくわかりませんww
私は神名など詳しくないのですみません。(ちなみにほとんどメガテン由来)
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
グデア王とあるしそうなんだと思いまする。
The "libation vase of Gudea" with the dragon Mushussu, dedicated to Ningishzida (21st century BC short chronology).
The caduceus is interpreted as depicting the god himself.
そういえば嵐神テシュプ(Teshub)で思いだしたけど、
蛇の話をしてるのにイルルヤンカシュ (Illuyankas)が出てない。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
644:AB%E3%82%B7%E3%83%A5 だが蛇じゃない説もあるのか、、、
645:世界@名無史さん
15/01/21 00:44:29.45 0.net
以前の見たニュースではオリュンピアスではないかと噂されていたが、、、
URLリンク(www.jiji.com)
【アテネAFP=時事】
ギリシャ文化省は19日、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の時代の巨大墳墓から見つかった人骨について、
性別や年齢、身長などの詳細に関する調査結果を来年1月に公表すると発表した。
墳墓に埋葬された人物が大王の妻もしくは母、部下ではないかとの臆測が飛び交っている。
ギリシャのウェブサイト上では、この骨は54歳の女性のもので、大王の母オリュンピアスの可能性があるとの主張が掲載されたが、
文化省は19日、この見解を「根拠がない」と指摘した。また、歴史家は大王本人である可能性はほとんどないとみている。
(2014/12/20-05:30)
最近発掘されているアレクサンドロス3世時代のアンフィポリスの墓から発見された遺体は
60歳前後の女性が1遺体
35歳と45歳の男性 2遺体
他数名
らしい。はてさて
646:世界@名無史さん
15/01/21 18:40:43.27 0.net
アンフィポリスってロクサネとアレクサンドロスⅣ世が
カッサンドロスによって殺害されたところだよね?
647:世界@名無史さん
15/01/21 21:49:44.14 0.net
>>578
どこで処刑されたかはよくわかんないけど
ここの人によると
URLリンク(historia334.web.fc2.com)
ヴェルギナ王墓の被葬者(2012年改訂版)
墓は古代マケドニア王国の首都アイガイとされるヴェルギナにありそうな雰囲気
ちなみにアンフィポリスの方はウィキペディアによると
URLリンク(ja.wikipedia.org)
アレクサンドロス3世(大王)の治世においては、アンフィポリスは重要な海軍基地の一つとなり、
有名なマケドニア王国の3人の提督である、ネアルコス、アンドロステネス[5]、ラオメドンを生むことになった。
また彼らはアンフィポリスで埋葬されることにもなった。
当然のこですがいつものごとく全く裏は取れてないww
648:世界@名無史さん
15/01/21 21:55:14.69 0.net
>>577
いろんな説があるらしい
【速報】歴史ニュース【世界史】その5
スレリンク(whis板:398番)
ここにモザイク画のってるのかな
ペルセポネ融解事件のやつ
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
649:世界@名無史さん
15/01/21 23:13:00.19 0.net
>>580
あらら、モザイク画載ってないのね
650:世界@名無史さん
15/01/21 23:38:16.72 0.net
>>201
リビアのキュレナイカとエジプトの間ぐらいにある
メルサ・マトルフ(に近い遺跡って)載ってないね。
駝鳥の卵が輸出されていたようだけど
エジプトにあるナウクラティスより古いギリシャ植民地ってどこなんだろうなぁ
651:世界@名無史さん
15/01/22 00:18:24.22 0.net
>>492
パンイオニオンは何処に | アルタクセルクセスの�
652:、宮址遺跡 ... http://plaza.rakuten.co.jp/artaxerxes/diary/200504280000/ より(松平千秋訳による岩波文庫版)。 「・・・・ これらのイオニア人の話している言葉は同一のものではなく、4つの方言に分かれている・・・・」 「・・・前に挙げた12の町(ミレトス、ミュウス。プリエネ、エフェソス、コロポン、レベトス、テオス、クラゾメナイ、ポカイア、サモス、キオス、エリュトライ)だけは、 この名称(イオニア)に誇りをもち、自分たちだけで聖地を定め、これをパンイオニオン(全イオニア神社)と名付けたが、 他のイオニア人(注・アテネなど)には一切この聖地にあずからせないことを議決した」 「パンイオニオンはミュカレ山の北斜面にある聖域で、イオニア人が共同して「ヘリケのポセイドン」に捧げたものである。 ミュカレは大陸から西方サモス島に向かって伸びている岬で、イオニア人たちは例の町々からここに集まり、「パンイオニア(全イオニア祭)」の名で呼んでいる祭りを祝うのである」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%90%8C%E7%9B%9F イオニア同盟(英語:Ionian League)またはパンイオニア同盟(Panionic League)は、紀元前800年頃、アナトリア半島のイオニア地方(現トルコ)の諸都市を中心に結成された同盟である。 ヘロドトスによると(I.142)、イオニア同盟に含まれる都市は12で、北から順に、 ポカイア(現フォチャ) クラゾメナイ(Klazomenai) エリュトライ(Erythrae) テオス(Teos) レベドス(Lebedus) コロポン(コロフォンとも、Colophon)[1] エフェソス プリエネ(Priene)[2] ミュウス(Myus) ミレトス(Miletus)現アイドゥン それに、サモス島、キオス島 スミルナ(Smyrna)(現イズミル)は元々アイオリス人の植民地だったが、コロフォンのイオニア人に征服され、後から同盟に加わった。
653:世界@名無史さん
15/01/22 00:26:32.03 0.net
>>583続き
イオニアというのは元来ドーリア族、アイオリス族、アルカディア族などと並ぶギリシャ人の部族名だったが(アテネもイオニア族なので、
アテネ式の建築様式を「イオニア式」と呼んでいる)、多くは現在のトルコのエーゲ海岸に住んでいたのでいつしか地方名になった。
イオニア人がギリシャ本土から現在のトルコのエーゲ海岸に移住したのは紀元前11世紀頃からだという。
ミュカレ山ではそれ以前の後期青銅器時代の土器なども採取されているが、不思議なことに同じ時代に地中海東部に広範に輸出されたミケーネ土器は見当たらないという。
なおヒッタイト帝国時代(ムルシリ2世、紀元前14世紀後半)の粘土版文書にはミュカレ山と思しき記述があるというが、本当だろうか?
・・・
ローマン教授はミュカレ山のあちこちを踏査して回った結果、標高750mのところにある場所で、崩れた城壁に囲まれた遺跡を発見した。
そこでは紀元前6世紀の土器や、同じく紀元前6世紀のミレトスで使われていたのと酷似する瓦や鬼瓦(模様は鬼ではなくライオンの顔だが)を採集することが出来た。
他の時代の遺物が拾えないこと
654:、またミュカレ山には他にパンイオニオンの時代に合致する遺跡が見当たらないことからこの遺跡がパンイオニオンではないかと結論付けている。 城壁には破壊の痕跡があり、これはイオニアがペルシアに対する反乱を起こした際(紀元前500~494年)に、報復としてペルシア軍によって破壊された跡ではないか、と推定している。 海の神であるポセイドンの神殿が山の上にあるというのも変な話だが、 ポセイドンに捧げられるのは牛であることから、小アジア土着の牛を聖獣とする山岳信仰(ヒッタイトなどがそうだが)と習合したのではないか、ということだった。 どちらにせよ発掘はまだこれからなので今後の進展を待つしかない。 >>318>>322
655:世界@名無史さん
15/01/22 00:36:45.31 0.net
URLリンク(sitemaker.umich.edu)
ここにも載ってないね
ナウクラティスって植民市っていうよりエジプトに許可された交易都市じゃないのかな
656:世界@名無史さん
15/01/22 00:40:08.74 0.net
>>585
雰囲気は租界な気がするなぁ
657:世界@名無史さん
15/01/22 01:02:44.82 0.net
>>584
>イオニアというのは元来ドーリア族、アイオリス族、アルカディア族などと並ぶギリシャ人の部族名
アルカディア族はアカイア系を指してる?
658:世界@名無史さん
15/01/22 07:17:58.60 0.net
>>587
Wikipediaを見る限り微妙なところがありそうだけど
この場合にはそれでもいいんじゃないのかな
659:世界@名無史さん
15/01/22 21:46:21.14 0.net
>>571
しかし昔ならともかく今ならこの説にかなり無理があるとかんっじるな
起源を調べてみよう
660:世界@名無史さん
15/01/23 00:50:51.39 0.net
>>582
マルサマトルーフってパライトニオンのことだよね?
アレクサンドロスがシウア・オアシス(アモンの神託所)へ行く途中の
661:世界@名無史さん
15/01/23 01:57:01.11 0.net
>>590
ありがとう、これか
そんでもって「Ammonia」(ストラボン、ステファノス)なので間違いないだろうね
マルサマトルーフ(メルサマトルー、Marsa Matruh)は、エジプト北西部にあるマトルーフ県の県庁所在地で、地中海に面する港湾都市です。
アレクサンドリアから西へ約240km、エジプトの首都カイロから北西へ約410kmの場所に位置しており、
ナイル・デルタからリビア国境へのハイウェイとシワ・オアシスやバハリヤなどへの西部砂漠へ向かうハイウェイの分岐点にあります。
このマルサマトルーフは、古代エジプトやアレクサンダー大王の時代には「アムニア(Amunia)」と呼ばれ、
プトレマイオス朝やビザンチンの時代には「パライトニオン(Paraitonion)」、
ローマ時代には「パラエトニウム(Paraetonium)」と呼ばれる街でした。
(2) 長い海岸線に港がひとつ
四番目の側辺は、……ほとんど港のない海が波打ち寄せていて、エジプト海に面し、
外海は沿岸航路がこの上もなく長いものの、この地方へ上陸しようとしても船を寄せての停泊は難しい。
リピュア地方のパライトニオンからコイレ・シュリア地方内のイオペまでの問、
その沿岸航路は五、000スタディオン(九00キロ)に近いのに、パロス以外に安全な港を見つげることが出来ない。
そのうえまさかと思ったが、ここまで繋がるのかww
「アンモニア」
名称の由来は、エジプトのアモン神殿の近くからアンモニウム塩が産出した事による。
662:世界@名無史さん
15/01/23 02:05:53.80 0.net
>>589
すごく古い起源だww
URLリンク(en.wikipedia.org)
The Phoenicians introduced sheep from Asia Minor into North Africa and the foundation flocks of the merino i
663:n Spain might have been introduced as late as the 12th century by the Marinids, a tribe of Berbers.[citation needed] In the 13th and 14th centuries, Spanish breeders introduced English breeds which they bred with local breeds to develop the merino; this influence was openly documented by Spanish writers at the time.[12] [12] "Wool". The New American Cyclopaedia 16. D. Appleton and Company. 1858. p. 538.
664:世界@名無史さん
15/01/23 02:45:11.24 0.net
>>591
神の子 ~エジプトへ~
URLリンク(historia334.web.fc2.com)
URLリンク(appsv.main.teikyo-u.ac.jp)'%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%B3'
6 アレクサンドロスはこの出来事を吉兆と見て、神は自分の訪問を喜んで受け入れるだろうと解釈し、道を急いだ。
まず、「苦い湖」と呼ばれる湖に着き、
それから100スタディオン進んでアンモンの町と名づけられた町を通り過ぎ、
そこから1日の道程で聖域に近づいた。
第50章
2 この聖域はエジプト人のダナオスが建てたといわれ、
神の聖なる土地の周りには、南と西にエチオピア人、北に遊牧のリビア人が住み、
内陸に向かうとナサモンと呼ばれる部族に達する。
4 城塞の外側からほど遠からぬ所にアンモンの第二神殿があり、沢山の大きな樹木が影を落としている。
その近くに、その現象から「太陽の泉」と名づけられた泉がある。驚いたことにその泉の水は、一日の時間とともに常に温度が変わるのである。
5 夜明けに泉は暖かい水を噴き出すが、日が昇ると時間の経過に歩調を合わせて水は冷めていき、真昼の暑い盛りに最も冷たくなる。
それから夕方に向って温度の下降は止まり、夜になると次第に暖かくなって夜中に至る。
未明にかけて温度の上昇は止まり、夜明けにはまたもとの温度に戻るのである。
シワ・オアシス
URLリンク(upload.wikimedia.org)
古代エジプト第26王朝、ネクロポリスを建設、Sekht-am(椰子の土地)と命名[3][6]
この頃アモン神の神殿があったという[7]
665:世界@名無史さん
15/01/23 02:46:14.80 0.net
>>593
こちらから抜粋させて頂きました
ディオドロス・シクロス『歴史叢書』第一七巻
「アレクサンドロス大王の歴史」訳および註(その二)
森谷公俊
666:世界@名無史さん
15/01/23 03:13:10.53 0.net
>>556
「この山脈を越えると砂漠があり、 それからテルガエと呼ばれるガラマンテス族の町、 そして
またデブリス (その近くに一つの泉があって、 その水は正午から夜半までは煮湯のように熱い
が、 夜半から正午までの同じ時間は凍るように冷たい) とガラマンテス族の有名な首都ガラマがある。
ガラマンテス遠征について語っているのは紀元後1世紀のローマ人大プリ
ニウスだけだが、 ガラマンテスについてはヘロドトスもリビア (アフリカ) について解説する際に言及している。
「アンモン人につづいて、 砂の台地をさらに十日進んだところに、 アンモン人の土地にあるの
と同じような丘と水があり、 そのまわりに住民がいる。 この土地の
667:名はアウギラという。 ナサモネス族がココ椰子の実を採取にくるのはこの土地である。 アウギラからさらに十日進んだところに、 また塩の丘があり水や実のなるココ椰子が多数あることは、 他の場所と同様である。 ここの住民の名はガラマンテスといい、 きわめて多数の人口を有する種族で、 塩の上に土を運んで種子を蒔いている。」 ここでヘロドトスは 「アンモン人の土地にあるのと同じような丘と水があり」 と述べている が、 このアンモンとは現在のエジプト西方砂漠にあるシーワ・オアシスのことである。 さらにアウギラという地名にも言及している (地図③)。 またヘロドトスの世界観を示す図として地図③をあげる。 そして、 紀元前後を生きたストラボンもアンモンとアウギラとの関連を述べている。 「話によると、 大シュルティス湾のうちアウトマラに面した湾奥部あたりから出発して陸路を冬季の日の出方向へとると、 4日目にアウギラ市へ着く。 この場所はアンモンに似て、 やし樹が育ち水も豊かである。 ここはキュレナイア地方から見て南方の内陸にあたり、 100スタディオン (18キロ) までの間では樹木も育つほど地味があるが、 もう100スタディオンまでの間では種ものを播くことだけはするものの、 乾燥地帯だから米造りの出来る土地ではない。 これら(オアシス) の場所から上の方はシルピオンの産地で、 それからは定住者のない地方とガラマンテス族の土地になる。」
668:世界@名無史さん
15/01/23 03:18:55.68 0.net
「Tales from HERODOTUS」 PENGUIN BOOKS
ヘロドトスの「歴史」から、いくつかのエピソードを抜き出したもの。
URLリンク(www.geocities.co.jp)
<The Destroying Wind >
ナサモネスの隣はプシュロイであるが、彼らはもはや存在しない。
リビア人の話では、南風によって貯水池の水が干上がり、シュルティスの中にある領土に水がなくなった。
彼らは会議を開き、全員一致で南風と戦うことを決めた。
砂漠に進攻したとき、風が吹き、彼らを砂の中に埋めてしまった。
この部族が絶滅した後、ナサモネス族が彼らの土地を占領した。
<Hunting the Troglodytes>
アンモンから砂の地帯に沿って10日行くと、砂の丘と泉がある。
そこはアウギラと呼ばれ、人が住み、ナサモネス人がナツメヤシを採りに来る。
ここには、後ずさりしながら草を食べる牛がいる。
角が前方に彎曲しているので、前方に進むと土の中に突き刺さるからである。
その角と、皮が厚くて丈夫なことを除けば、普通の牛と変わらない。
ガラマンテスは4頭立ての馬車でエチオピアの穴居人(トログロデュタイ)狩りをする。
トログロデュタイは話に聞くあらゆる民族の中で最も足が速い。
彼らはヘビやトカゲや爬虫類を食べ、言語は他のいかなるものにも似ず、コウモリの鳴き声のような声を出す。
<The Pillar of the Sky>
ガラマンテスから10日行くと、また丘と泉があり、アタランテス人の国である。
彼らは、個人が名前を持たない唯一の人種であり、太陽が自分たちと国土を焼くと言って太陽をのろい、ののしる。
さらに10日行くと、塩の丘と泉と人の住む地域があり、側にアトラス山がそびえている。
この山は、細長いコーンの形で、頂上が見えないくらい高い。 夏も冬も山頂は雲におおわれている。
山の名にちなんでアトランテス人と呼ばれている住人は、その山を「天の柱」と呼んでいる。
彼らは生きものを
669:食べず、夢も見ないといわれている。
670:世界@名無史さん
15/01/23 03:23:00.18 0.net
>>596
<The Libyans>
エジプトとトリトニス湖の間のリビアの沿岸には、肉と乳で暮している遊牧民が住んでいる。
彼らは、ブタを飼わず、エジプト人と同じ理由で牛肉も食べない。
キュレネの女たちでさえ、エジプトのイシス女神を敬って牛肉を食べるのは悪いことと考えているし、 女神のために断食や祭りをする。
バルケの女は牛肉ばかりか豚肉も食べない。
トリトニスの西では遊牧民は見当たらず、生活様式も子育ての仕方も異なる。
遊牧民の多くは、子供が4歳になると、カタル(鼻や咽喉の粘膜の炎症)を防ぐため、脱脂していない羊毛で 頭の血管や、ときにはこめかみを焼く。
このためかどうか確かには言えないが、彼らは世界一健康な種族だと言われている。
血管への灸の際にひきつけを起こすと、牡山羊の尿をかけて治す。
遊牧民の犠牲の仕方 ―
まず、犠牲獣の耳を切り落とし、初物として家の屋根越しに投げ、それから獣の首をねじる。
リビア人は一般に、太陽と月に生贄を捧げるが、 トリトニス湖周辺の人々は主にアテナに、それについではトリトンとポセイドンに生贄を捧げる。
埋葬の仕方 ― ナサモネス人以外はギリシャ人と同じ埋葬の仕方をする。
ナサモネス人は、息を引き取ろうとしている者を座らせ、仰向けに寝た状態では死なせない。
そして座ったままの姿勢で埋める。
住居 ― 植物の乾燥した茎をイグサと共に編んだポータブル式の家。
671:世界@名無史さん
15/01/23 03:24:17.96 0.net
>>597
<The Dog-Headed Men>
トリトンの西、アウセエスを越えると、リビアには普通の家に住み農耕をしている部族が住む。
最初にあるのはマクシュエスで、頭の右側の髪を伸ばし左側は剃り、体には朱を塗り、トロイアの子孫だと言っている。
<この辺りやトリトン河から西の農耕民が住む地域> ―
山が多く、森や野生動物も多い。
巨大なヘビ、ライオン、ゾウ、クマ、毒ヘビ、角のあるロバ、 犬頭人、胸に眼のある無頭人、野生の男女、架空ではないその他多くの生き物。
<遊牧民の住むリビア東部> ―
トリトン湖までは低地で砂漠である。
どこにでもいる動物以外に、尻の白いアントロープ、ガゼル、ロバ(角のあるのではなく、水を飲まない種類)
牛のように大きく、角が竪琴の腕木に用いられるアントロープ、キツネ、ハイエナ、ヤマアラシ、野生の羊、
ジャッカル、ヒョウ、巨大なトカゲに似た4、5フィートもある陸ワニ、一本の角のある小さなヘビなど。
鹿といのししはリビアにはいない。
3種類のネズミ ― ディポデス、ゲゼリエス、エキネス
シルピオンの繁茂するところにはタルテッソス産に似たイタチもいる。
672:世界@名無史さん
15/01/23 18:40:50.02 0.net
>>593
遠征路なら↓のほうが個人的には詳しくて好き
URLリンク(sitemaker.umich.edu)
アッリアノスのアレクサンドロス東征記読んでたら分かりやすいと思う
パライトニオンも表記されてるし
シウァ・オアシスの場所は以前地球の歩き方「エジプト」で見たけど
一応観光地になってるんだな (普通の人は興味持たないと思うけど)
673:世界@名無史さん
15/01/23 22:03:29.74 0.net
>>591
「アンモニア」
名称の由来は、エジプトのアモン神殿の近くからアンモニウム塩が産出した事による。
>>593
「苦い湖」と呼ばれる湖
夜明けに泉は暖かい水を噴き出すが、日が昇ると時間の経過に歩調を合わせて水は冷めていき、真昼の暑い盛りに最も冷たくなる。
それから夕方に向って温度の下降は止まり、夜になると次第に暖かくなって夜中に至る。
未明にかけて温度の上昇は止まり、夜明けにはまたもとの温度に戻るのである。
674: まぁ、この辺りかな http://fuken.komazawa.net/~rika/nh4cl.pdf 塩化アンモニウムを用いた地学,物理現象の視覚実験
675:世界@名無史さん
15/01/23 22:04:12.98 0.net
>>591
「アンモニア」
名称の由来は、エジプトのアモン神殿の近くからアンモニウム塩が産出した事による。
>>593
「苦い湖」と呼ばれる湖
夜明けに泉は暖かい水を噴き出すが、日が昇ると時間の経過に歩調を合わせて水は冷めていき、真昼の暑い盛りに最も冷たくなる。
それから夕方に向って温度の下降は止まり、夜になると次第に暖かくなって夜中に至る。
未明にかけて温度の上昇は止まり、夜明けにはまたもとの温度に戻るのである。
まぁ、この辺りかな
URLリンク(fuken.komazawa.net)
塩化アンモニウムを用いた地学,物理現象の視覚実験
676:世界@名無史さん
15/01/23 22:07:30.38 0.net
すまんこってす
>>595
アウギラからさらに十日進んだところに、 また塩の丘があり水や実のなるココ椰子が多数あることは、 他の場所と同様である。
ここの住民の名はガラマンテスといい、 きわめて多数の人口を有する種族で、
塩の上に土を運んで種子を蒔いている。
この辺りかな
URLリンク(www12.plala.or.jp)
にしても、古代から化学肥料を利用していたというのは驚きだ
677:世界@名無史さん
15/01/23 22:09:59.49 0.net
>>596>>597>>598
駝鳥はいない気がする、、、
>>582
他の方にも聞いてみるか
678:世界@名無史さん
15/01/23 22:29:48.68 0.net
>>599
人気のスポットとあるけどまぁ普通は行かないだろうなぁww
URLリンク(www.touregypt.net)
Egypt: The Temple of Umm Ubaydahat the Siwa Oasis in Egypt
URLリンク(www.touregypt.net)
URLリンク(www.touregypt.net)
679:世界@名無史さん
15/01/23 23:32:48.53 0.net
>>585>>582
URLリンク(upload.wikimedia.org)
>>571
よくわからんけど、別の角度から面白いものをみかけた
七夕の謎③ ~クヌム神に隠された斑の意味~
>>597>>595
肉と乳で暮している遊牧民で、豚も牛も食べなければ残りは羊かヤギかな気がするよね
シルビオン
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
680:世界@名無史さん
15/01/23 23:56:45.20 0.net
>>603
URLリンク(www.pinterest.com)
Phoenician Ostrich Egg Vessel. Iron Age II, 625-600 BCE. From Isis Tomb, Vulci, Italy.
Punic_ostrich_egg_from_Villaricos.jpg
羽は兜飾りだったような気がするけどクレタだったかなぁ、、、
681:世界@名無史さん
15/01/24 00:34:11.50 0.net
アテフ冠
アテフ冠は古代エジプトの神オシリスが被る特別な羽根飾りを付けた白い冠である。
それはオシリス信仰を示す赤いダチョウの羽と上エジプトの王冠であるヘジュトを組み合わせたものである。
羽は根本に向かってわずかに拡がり、上端がカーブしていることからダチョウのものと特定できる。
その羽はマアトが(1本で)身につけている羽と同じものである。この冠はまた、セベクも身につけていた。[1]
アテフ冠のダチョウの2本羽は、アメンの冠と比較することができるであろう。
アメンの冠の羽は、カーブが無く、より細くて真っ直ぐな鷹の尾羽が2本飾られているのである。
アテフ冠は古代エジプトの壁画において、オシリスを特徴付けている。
アテフ冠は黄泉の国の支配者の象徴とされるため、オシリスが被っているのである。冠の中央にある高く膨らんだ白い部分は、2つのダチョウの羽の間にある。
エジプト神話において、ダチョウの羽は真実、正義、道徳、均衡を象徴している。[要出典]
アテフ冠は羽根飾りを取り除くと、先王朝時代(紀元前6000年頃~3100年頃)以後、上エジプトのファラオの象徴とされた白い冠(ヘジュト)によく似ている。
↑ コム・オンボ神殿における、セベクは、羊の角・太陽円盤・2匹のウラエウス(蛇形記章)を組み合わせた頭飾りを付けている。
先端がカーブしていること、根本に向かって太くなっていることから、ダチョウの羽とされているのか?
コム・オンボ神殿はプトレマイオス朝(古代エジプトのマケドニア系王朝(紀元前306年 - 紀元前30年))の時代に建設されたものである。
あとはネクベト?
682:世界@名無史さん
15/01/24 00:34:48.97 0.net
>>605
683: いやナウクラティスはみな分かってるし、地図にも普通に載ってるからさ
684:世界@名無史さん
15/01/24 08:48:31.71 0.net
>>562
兄弟らしいけどドワーフってww
ケルト→ガラチア→ペルガモンなのか
URLリンク(en.wikipedia.org)(mythology)
In Greek mythology, Telesphorus (Greek: Τελεσφ?ρο? Telesphoros) was a son of Asclepius.
He frequently accompanied his sister, Hygieia.
He was a dwarf whose head was always covered with a cowl hood or cap.
He symbolized recovery from illness, as his name means "the accomplisher" or "bringer of completion" in Greek.
Representations of him are found mainly in Anatolia and along the Danube.
Telesphorus is assumed to have been a Celtic god in origin, who was taken to Anatolia by the Galatians in the 3rd century BC,
where he would have become associated with the Greek god of medicine, Asclepius, perhaps in Pergamon (an Asclepian cult center)
and spread again to the West due to the rise of the Roman Empire, in particular during the 2nd century AD, from the reign of Hadrian.[1]
しかもドワーフのリンク先がこれ
URLリンク(en.wikipedia.org)
685:世界@名無史さん
15/01/24 19:08:53.83 0.net
>>600
シャーベットは古代から食べられてたんだけど
エジプトはやらなかったのかなぁ
近代アイスクリームの起源がマルコポーロっていうのも捨てがたい
URLリンク(www.icecream-navi.net)
●新製法発見
16世紀初頭、パドヴァ大学のマルク・アントニウス・ジマラ教授が、
水に大量の硝石を入れると溶解により吸熱作用が起き、それにより-20度程度まで水の温度を下げられる事を発見します。
この作用を利用して、人工的に食品を冷却・冷凍させる事に成功。
この方法は発見当初、ワインなどを冷やす技術として利用されていましたが、
やがて近代技術の発展により冷却時間を短縮させる技術が開発。
これにより飲み物を冷凍させる事が可能となります。
この新製法の発見に伴って、シャーベット類のバリエーションも増えて行く事となります。
イタリアで発見されたこの新製法は、17世紀初頭にはイギリスにも伝わります。
この様に16世紀はアイスクリームは大きな発展を遂げた時代でもありました。
686:世界@名無史さん
15/01/25 01:23:23.91 0.net
>>571
昔から訳わからんものとか全部
フェニキア人に帰するようにしてたんだろうなぁww
>>210>>211
フェニキア最古のテキストがミイラの包帯に書かれていると
どっかで見たことがあった気がしたけど微妙に違ってた。
>>268
Snake spells of the priests of Byblos
URLリンク(phoenicia.org)
A 5,000 year old spell in hieroglyphics was discovered in the tomb of an Egyptian Pharaoh, Unas in Saqqara, Egypt.
Early on, scholars were unable to decipher the hieroglyphics until an exper
687:t in Semitic languages, Prof. Richard Steiner of New York's Yeshiva University cracked the case. Steiner was readily able to read the transliterated Semitic text in hieroglyphics. The text, written between 3,000 and 2,500 B.C., was inscribed on a subterranean wall of the pyramid of King Unas. Initial attempt at reading the text in the language of the pharaohs did not make sense in that language. Steiner recognized the transliterated inscription as Canaanite based on the evident reference of "mother snake," typical of Canaanite spells. Other hieroglyphic spells in the Egyptian language further supported the decipherment, based on the subject matter of the "mother snake." Read more: Phoenicia: Byblos Priests Write Spells to Protect Pharaoh's Mummy http://phoenicia.org/byblos_priests_spells.html#ixzz3PkwQzcUy
688:世界@名無史さん
15/01/25 02:29:32.12 0.net
>>571
URLリンク(seeds-knit.com)
さて、前回のお話のように、スペインに膨大な富をもたらした羊。ですが、
その後、イギリスの産業革命へと羊さんが導いてくれるのですが、
その前に、何故?スペインにメリノ種という優れた種類の羊が生まれたのか?
少しまとめておきます。
(省略)
このメリノ種になるまでの歴史には二つの大きなきっかけがあります。
一つは、古代ローマ時代ににあります。
紀元前206年頃から南イタリアのターラントで品種改良されたタランティーネ羊がローマ帝国によってイベリア半島ヒスパニアに持ち込まれます。
これを著名な農学者コルメラがローマの富の象徴タランチィーネ種と北アフリカやアジア系、
そして、フェニキア人やカルタゴ人によって品種改良されていたスペイン土着の羊と交配した結果、メリノ種の原型が作られました。
次のポイントは、ローマ時代が終わり、イベリア半島の牧羊業は壊滅状態になるのですが、
その再興をしたのが、711年から半島に侵入した北アフリカ出身のベルベル人です。
689:世界@名無史さん
15/01/26 23:23:24.95 0.net
>>611
紀元前3000~2500年だとウガリトも歴史に登場してないころだね。
ウィキペディアだとこうなってるから、まあそんなに齟齬はないけど対象は違うのかもしんない。
Unas /?ju?n?s/ or Oenas (/?i?n?s/; also spelled Unis or Wenis) was a Pharaoh of Ancient Egypt, and the last ruler of the Fifth dynasty from the Old Kingdom.[1]
His reign has been dated between 2375 BC and 2345 BC.[2]
Unas is believed to have had two queens, Nebet and Khenut, based on their burials near his tomb.[3]
第五王朝、、、そして、マザースネークか、、、
同じトコにあった船の絵はカナンの乗り手とあるがなにをもってそう判断したんだろ
URLリンク(upload.wikimedia.org)
Syro-Canaanite sailors aboard a seagoing ship.
A relief from the causeway of Unas at Saqqara.
Lateral trusses
690: are seen here supporting the tripod mast (on the right)
691:世界@名無史さん
15/01/28 18:07:21.13 0.net
家族が購入した2015年1月号の文藝春秋の伊集院静という人の掲載に
「フェニキア人が或る日突然歴史から消えるのはアレクサンドロスがティルスを
滅ぼし子供含めて全員を殺戮したからだ」とあるんだけど、これおかしくない?
ティルスは>>132の本では8000人が死亡、3万人が奴隷として売られたとある
数の正確さはともかくメルカルト神殿に避難していた人々はアジールにより
アレクサンドロスにより全面的恩赦を与えられてる (アッリアノスのでも)
またアラドゥスやビブロス、シドンはさっさと降伏引き渡しをした後、
ティルスを攻略するのに大きな手助けをしてるし、なにより地中海には
サルディーニャやシチリアに植民市があるし、カルタゴもあるのにさ
692:世界@名無史さん
15/01/28 22:27:49.37 0.net
>>614
うーん、それはまず伊集院静という人が作家なので
文学的表現をしただけなんじゃないかな、、、
まぁ、おいらは著作をひとつも読んだことがないから
実際のとこはわからんww
普通はカルタゴ滅亡をもって歴史の表舞台から去るとするもんなんじゃないかね?
ちなみにのカルタゴの独立は、
アケネメス朝ペルシアにテュロスが占領されたときみたいなんだけど
これもけっこう不思議な気がする。
693:世界@名無史さん
15/01/28 23:54:35.00 0.net
>>254>>368
あほなんで、カラテペ と キュルテペ をよく勘違いするんだよな
しかもてっきり象形ルウィ語だと思ってたからな
カラテペ【Karatepe】
トルコ東南部のタウロス山麓に位置したヒッタイト王国後期の古代城塞都市。前 700年頃アッシリアに攻略された。
1945年 H.ボッセルトによって象形文字とフェニキア語の対訳碑文が発見され,ヒッタイト文字とヒッタイト語の解読が促進された。
碑文はアジタワッダ碑文の方がメジャーなのかな?
URLリンク(repo.nara-u.ac.jp)
トルコ中部地中海寄りにある後期ヒッタイト時代の遺跡。
アザチワタAzatiwata王が前8世紀に建設した城砦都市アザチワタヤAzatiwatayaである。
ここでヒッタイト象形文字と,同じ内容のフェニキア文字とからなる碑文が1946年に発見され,47年に報告された。
そのためヒッタイト象形文字解読への期待が高まったが,まだ解読されていない。
南北350m,東西200mの,内城壁が不整形卵形に巡らされ,北東と南西にそれぞれ門を設けてある。
694:世界@名無史さん
15/01/28 23:58:30.62 0.net
>>616
話は飛ぶが、こんなものみかけた
海泡石の産地、エスキシェヒル 堤 大介(国際ジャーナリスト)
URLリンク(picnicbooks.net)
・海泡石とは
メシャムパイプの素材であるメシャム(MEERSCHAUM)は、日本では一般に海泡石(かいほうせき)と呼ばれている軽石のような白い鉱物のことです。
純白の美しさは言うまでもなく、原石を15分ほど水に浸しておくと、海泡石はスポンジのように水分を吸って軟らかみを
695:帯びるため、非常に加工しやすい、という特徴があります。 小刀でサクサクと削って形を作り、あるいは手彫りでライオンや蛇や鷲などの動物、スルタンや女神の顔、古代ローマの神殿風の装飾などを施すことができます。 メシャムは乾燥すると再び固くなります。その白い輝きと希少価値から「白金の石」と呼ばれることもあります。 表面処理をしなくても柔らかな純白の光が美しいですが、透明なワックスを一回から三回ほど掛けて光沢を出すのが普通です。 さらに数分間ほど走ると、前方にメシャム鉱山が見えてきました。ここがカラテペ鉱山です。 カラテペ以外にもエスキシェヒル地方には「トカット」(Tokat)、「ベヤズアルチン」(BeyazAltin)、 「ネムリ」(Nemli)、「コズルベル」(Kozlubel)、「ソグトチュク」(Sogutcuk)、「タイチラール」(Taycilar)というメシャム鉱山がありますが、 やはり何といってもカラテペ村の鉱山から採れるメシャムが最も優れているということです。 なお、「ベヤズアルチン」のBeyazとはトルコ語で「白い」という意味、Altinとは「金」という意味で、メシャムが採掘されるようになってから、この名で呼ばれるようになりました。 ベヤズアルチン村の旧名は「セペッチ」(Sepetci)だったそうです。「白金」は、カラテペ村やセペッチ村の村民たちを、大いに潤しました。 Google Earthでヒッタイトの遺跡を探す http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1045913&id=9862654
696:世界@名無史さん
15/01/29 18:46:57.70 0.net
NEWSでトルコとシリアの国境付近の地名が出てくると凄く微妙な気分になる
グザナ(テル・ハラフ)やミタンニのワシュカニ(テル・ファハリヤ?)等を地図で
捜す時に覚えたんだけど...
今の情勢じゃあワシュカニがどこかなんて判明しようがないね
697:世界@名無史さん
15/01/29 22:40:24.78 0.net
○○テペあるいは○○テペが多すぎて・・・
まあ、それだけ古代人の居住地として丘が重要だったということだろうけど
698:世界@名無史さん
15/01/30 00:20:05.62 0.net
ホユックとヒュイクは結局同じ意味?
アラジャホユックとチャタル・ヒュイク等同じ書籍内で
統一されてないけど、厳密な使い分けがあるのかな
699:世界@名無史さん
15/01/30 00:27:33.30 0.net
>>620
ないと思うな
その表記揺れで検索にすら引っかからなくなるよねww
700:世界@名無史さん
15/01/31 08:49:35.99 0.net
>>618
>>481のは
URLリンク(sitemaker.umich.edu)
ミタンニが妙に詳しいんだよね
701:世界@名無史さん
15/01/31 12:47:17.47 0.net
>>320
こんなの見かけたので後でみよう
年代が結構違う気がする
The 9,000-Year-Old Underground Megalithic Settlement of Atlit Yam
URLリンク(www.theepochtimes.com)
702:世界@名無史さん
15/01/31 17:15:20.77 0.net
>>618
文化財を売りまくっているらしい、、、
703:世界@名無史さん
15/01/31 17:40:07.41 0.net
>>409>>436
パラー語
URLリンク(en.wikipedia.org)
ハットゥシャで見つかった文章は
パラー語もルウィ語もヒッタイト楔形文字で書かれてるようだ
704:世界@名無史さん
15/01/31 17:49:45.41 0.net
アレッポやラタキアの博物館から持ち出しだろうね
アフガン�
705:ナ貴重な文化財がいっぱい海外へ流れてるのと同じパターンかな アイ・ハヌムから発掘されたゼウス神像左足が日本にも流れて来たりとかさ ttps://www.ryukoku.ac.jp/about/pr/publications/60/16_museum/museum.htm アフガンへ派遣された兵が帰還するときに現地で購入してお土産にするらしいから、 実態は分からないとNHKの本で以前読んだ
706:世界@名無史さん
15/02/03 21:44:47.41 0.net
>>613 さて
シヌヘの物語にでてくるリビアに遠征中の王子センウセルト1世が
Reign 1971?1926 BC (Twelfth Dynasty)
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)
The Twelfth Dynasty of ancient Egypt (Dynasty XII),
is often combined with the Eleventh, Thirteenth and Fourteenth Dynasties under the group title Middle Kingdom.
シヌヘ物語の写本には次のようなものがあります。
1. Berlin Papyrus 3022 (Sin. B) 第12王朝の写本で、冒頭部を欠いており、全文のうち311行が残されています。
2. Berlin Papyrus 10499 (Sin. R) 中王国終わり頃の写本で、冒頭部から203行が残されています。
3. Ashmolean Ostracon 第19王朝のオストラコン(石材の破片を書写材料にしたもの)で、全文のうち130行が残されています。
オストラカにはこの他にカイロ博物館やベルリン・エジプト博物館所蔵のものが知られています。
URLリンク(www.geocities.jp)
707:世界@名無史さん
15/02/04 01:55:38.07 0.net
>>613
Yehimilk Inscription を探していたところこんなのを見かけた
URLリンク(www.academia.edu)
レバノン杉の交易は相当古いってことだろうけど、ふーむ
ちなみに探し物のビブロス海岸の岩窟墓から発見された金の胸当てはみつからない
An Interpretation of the Old Byblian Inscriptions: Elibaal, Shipitbaal, and the Azarbaal Spatula
I.Elibaal (KAI 6) and Shipitbaal (KAI 7) Inscriptions
A.Historical, Political, and Cultural Context
The Elibaal inscription was the third Old Byblian inscription discovered after
1
those of Abibaal and Ahiram were found in the early 20th century. It was discovered in the temple of Baalat Gubla “The Lady of Byblos,”
where it was used as a votive offering. The French archaeologist Rene Dussaud ?rst translated and published it in 1925. The
2
inscription is written across the abdomen of a statue of Pharaoh Osorkon I. Elibaal may have received the statue as a gift from the Pharaoh to be dedicated to Baalat Gubla in her temple.
Egyptian in?uence in Byblos dates from before the Egyptian Old Kingdom (2705-2250 B.C.).
Archaeological evidence points toward a trade in timber between Egypt and Byblos, already ?ourishing by the 27th century,
when the temple of Baalat Gubla was built. The long-standing political and economic relationship with Egypt was
3
also re?ected in the religious practice at Byblos.
Archaeologists have noted Egyptian in?uence on the architecture of the temple of Baalat Gubla,
but whether Egyptian or Phoenician priests maintained her cult at Byblos is uncertain. Baalat is most likely
4
equated to the Egyptian goddess Hathor, a mother goddess and the goddess of foreign lands,
who would have protected the timber trade, so vital to Egyptian building projects.
5
Thus, the worship of Baalat Gubla would have had a singular, enduring importance at Byblos.
708:世界@名無史さん
15/02/04 02:09:39.22 0.net
>>613
URLリンク(www.geocities.jp)
より
ラフーンの都市生活
一般の人々の生活については、ラフーンのセンウセレト2世のピラミッド複合体のそばのヘテプセンウセレトの町から知ることができます。
1888-9年にラフーンを発掘したフリンダース・ピートリーのよって間違って「カフーン」と名付けられ、センウセレト2世の葬祭礼拝と密接に関連づけられました。
ヘテプセンウセレトは、新王国のアマルナやデル・エル・メディーナのもっと小さな壁に囲まれた村と同様、単純な建築平面図で設計され、
王の労働者達とその家族を住まわせるために建設されました。
しかし、その住民の中には葬祭礼拝と関係がない多数の人々も含まれたことはありそうです。
町中の穀倉の収容力に基づいて、最高5,000人の住民が扶養されたと見積もられてきました。
しかし、現在の遺跡は周囲の砂漠とほとんど見分けがつきません。
というのは、泥レンガはほとんどまったく取り去られ、建築物の基礎部分と下層部分しか残っていないからです。
709:世界@名無史さん
15/02/04 02:14:10.98 0.net
>>629
プント貿易の記述もあるよ
外国との交易
中王国のエジプトとエーゲ海地域との交易は、明らかにミノア・タイプを模倣した地域のエジプトの土器の断片と小箱の蓋と同様、ラフーンの町の第12王朝の時期にあたるミノア式土器のわずかな破片によって示されます。
しかし、これらの破片はゴミ捨て場で発見されたので、それらの年代や本来の層位学上のコンテクストについては確かではありません。
奇妙なことに、町の住民の中にクレタ島出身の労働者がいたことを示しさえする、労働者達によって使われたごくありふれた土器があったように思われます。
第12王朝には、ラフーン、エル・ハラガ、アビュドス、南はエレファンティネの第12王朝の墓のような遺跡で、ミノア文化の「カマレス土器」の破片のゴミ捨て場もあります。
この時代からの多数の物品も、地中海の芸術上・図像学上の交換ネットワークの存在を明らかにします。
エジプトのモチーフはクレタ島の神殿に捧げられた粘土製のスカラベ型奉納物と同じくらい広範囲の物品に見られます。
エジプトの石製容器はクレタ島に進出し、その様式はクレタ島の職工達によって模倣されました。
エジプト様式と図像のそのような地域的模倣はしばしば年代不明のコンテクストに由来しますが、それらは物資や製品と同様アイデアの交換に至る頻繁な接触を示すので、重要です。
(略)
西アジアとの増大する接触はアジアの分銅がラフーンでエジプトのものより数で勝っているという事実によって示されます。
さらに、中王国の最も豊かな発見物の一つはトードのモント神殿の下で4つの青銅の箱に入って発見されたおそらくミノアの金・銀製品のコレクションです。
逆に、ピエール・モンテはビブロスで壷の中に埋められた1,000品目のエジプトの品々の宝庫を発見しました。
これらにはラフーンの墓地にある第12王朝の王女達の墓から発見された宝物と極めてよく似た装身具
710:類が含まれていました。 第13王朝のネフェルヘテプ1世とその他のエジプトの支配者達は、ビブロスの王たちによって大君主と認められました。 彼らはエジプトの記章と称号をコピーしただけではなく、エジプトのヒエログリフの碑文をも模倣しました。
711:世界@名無史さん
15/02/04 02:38:07.56 0.net
塩野七生著「ローマなき地中海世界」がいい本だったので是非
712:世界@名無史さん
15/02/04 18:13:25.51 0.net
>>624
URLリンク(mainichi.jp)
シリアの遺跡はもう終わったな...
破壊されるより密売されて海外に流れるほうが結果的には幸運かもしれない
将来また収集・研究することは不可能じゃないんだから
713:世界@名無史さん
15/02/04 21:18:58.54 0.net
>>632
まぁ、シリアは古代の昔から
係争の中心地で文明の十字路だかんね。
歴史を繰り返してるに過ぎない。
とも言えるかな
714:世界@名無史さん
15/02/04 21:37:22.05 0.net
>>628>>630
とりあえずモノはこれっぽいね
URLリンク(idata.over-blog.com)
サイトの方はさっぱりわからないww
URLリンク(louvre-passion.over-blog.com)
この碑文はなんだろうなぁ
URLリンク(img.over-blog.com)
715:世界@名無史さん
15/02/06 01:12:18.56 0.net
>>537
DNA配列という文字から、抹消された歴史をひも解く
小暮かおり
URLリンク(park.itc.u-tokyo.ac.jp)
しかし、ザヒ・ハワスの言うとおりKV55をアクエンアテン、KV21A をアンケセンパーテン、
ツタンカーメンと共に眠っていた二人の胎児の母をアンケセンパーテンとするとDNA上の矛盾が生じる。
表1のD7S820という部分のDNAに注目してほしい。
URLリンク(park.itc.u-tokyo.ac.jp)
このように考えると、考えられる可能性としては、
1.KV55はアクエンアテンではない、2.二人の胎児の母はそれぞれ別の女性である、という二つがある。
716:世界@名無史さん
15/02/06 01:36:19.82 0.net
>>631
俺もローマ亡き後の地中海世界なら読んだよ
そんなIFものもおもしろいかもね
717:世界@名無史さん
15/02/07 01:28:38.73 0.net
地中海都市の興亡(新潮選書)って読んだ人いる?
図書館で見つけたんだけど、他の読むの溜まってて手が出せない
718:世界@名無史さん
15/02/07 08:57:24.04 0.net
>>636
ローマが現れなかったらカルタゴは地中海の覇権を握れたんだろうか?
ローマが現れなかったらイスラムは環地中海に拡大できたんだろうか?
719:世界@名無史さん
15/02/07 10:17:51.11 0.net
ヴァンダルはローマを蹂躙したが長続きしなかった
720:世界@名無史さん
15/02/09 21:19:26.30 0.net
>>570>>575
ニンギッジドゥは、ラガシュのグデア王の守護霊みたいなんだけど
こんな個人神が大々的に祭られるようになるのかなぁ、、、
721:世界@名無史さん
15/02/09 22:15:14.39 0.net
>>639
ヴァンダルの統治能力のあるが、宗教の違いもあるのでは(ヴァンダルはアリウス派)。
722:世界@名無史さん
15/02/09 22:30:21.66 0.net
>>638
カルタゴの野望はヒメラで潰えちゃったのかな
723:世界@名無史さん
15/02/12 01:43:16.60 0.net
【ハンニバル】ポエニ戦争
724:【スキピオ】 http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1300132771/171 スレ読み返してたら昔のカキコミあったんだけど、今でもどうやって アゾレス諸島まで外洋を航海したんだろう?と思う
725:世界@名無史さん
15/02/12 02:18:51.86 0.net
うんこうんこ
726:世界@名無史さん
15/02/12 21:14:18.81 0.net
>>638
カルタゴの覇権とローマの覇権はおそらく内容が違う
727:世界@名無史さん
15/02/13 00:25:32.24 0.net
ビュブロスの自称がゲバルかと思ってた、、、
>>131>>136>>144>>211
世界大百科事典内のグブラの言及
【ビュブロス】より
…現在名はジュバイル。
旧約聖書ではゲバルGebal,
古代エジプト史料ではクブナ,
アッシリア史料ではグブラと呼ばれた。
ビュブロスはギリシア語名であり,ギリシア人は当地を経て輸入されたパピルスをビュブロスと呼んだことから,後世,本,聖書Bibleなどを表す語が派生した。…
728:世界@名無史さん
15/02/13 00:35:18.37 0.net
うんこっこ
729:世界@名無史さん
15/02/13 00:38:45.99 0.net
>>267
へー、へー、へー
79 : 世界@名無史さん[] 投稿日:05/02/24 00:06:16 0
現代でもモロッコやアルジェリアのベルベル人が用いている表音文字
「ティフィナグ」はフェニキア文字の流れを汲む古代リビア文字の末裔で、
名称の「フィナグ」が「フェニキア」と同語源だそうな。
余談だが「ポエニ」も同語源なんですね。
730:世界@名無史さん
15/02/13 00:40:07.84 0.net
うんこ
731:世界@名無史さん
15/02/13 21:54:49.68 0.net
>>643
どうやったんだろうねぇ
って船で渡ったってことしかわかんないなぁ
いずれにせよ、行って帰ってきたんだから
フェニキアお得意の農作物の種を持っていったんだろうね
星を見て自分の位置を調べるのは現代でも現役だし、
航行術に関してはなんとかなったんじゃなかろうか
732:世界@名無史さん
15/02/13 22:17:14.31 0.net
>>619>>620
人が長く住んでいた場所は
日干し煉瓦が風化して丘になるという
話を聞いたことがある。
ところでせっかく日本隊が発掘してるのに
カマン・カレホユックに関する書籍ってこれしかないの?
できたらもうちょっと新しいやつが読みたいなぁ。
アナトリア発掘記 ~カマン・カレホユック遺跡の二十年 (NHKブックス)
733:世界@名無史さん
15/02/14 00:13:08.76 0.net
>>643 まだ最近の話か
URLリンク(www.archeonews.net)
Wikipediaによるとリスボンから約1500km
カルタゴからガデスやタルテッソスを経由して航海したんだろうけど
大航海時代のガレオンとかじゃなくだから速度も出ないだろうし
734:世界@名無史さん
15/02/15 15:34:45.24 0.net
>>426>>430>>442
URLリンク(www.ozawa-katsuhiko.com)
勝利の神ウルスラグナ
この神は「戦いの神」であるため当然「王侯・戦士」たちにとって最重要の神となり、こうしたタイプの神はどこの民族も主要神として持っていました。
でから「ササン朝」にはこの神の名前に由来する名前を持った王も存在していたほどです。
昔日はおそらくインドのインドラがそうであるように主神的な位置を持ち多くの機能をもっていたと思われますが、
その地位を「アフラ・マズダ」に譲った時にその機能の多くも�
735:クってただ「戦の勝利」だけを管轄するようになったのでしょう。 この神の姿は「変身」の神として謳われており、その姿は十となります。 第一にこの神は「風」の姿となって現れ、ゾロアスターに対して「我は最強にして、もっとも多くの勝利を得、悪魔と人間の敵意とを打ち砕く」と語ったと言われます。 第二にこの神は、黄金の耳と黄金の角を持つ雄牛に変身する。 第三にこの神は、黄金の耳を持ち黄金の飾りを付けた美しい白馬に変身する。 第四にこの神は、鋭い歯を持ち足が速く長い毛を持つラクダに変身する。 第五にこの神は、鋭い爪を持つ猪に変身する。 第六にこの神は、15歳の輝く若者に変身する。 第七にこの神は、どの鳥よりも早く飛ぶ大鴉に変身する。 第八にこの神は、野生の美しい雄羊に変身する。 第九にこの神は、鋭い角を持った戦う雄鹿に変身する 最期にこの神は、黄金の刃がついた太刀を持つ人間に変身して現れる。 以上の中でも第七の大鴉の羽根はとりわけ大事で、この羽根を持つ者は敵の呪いをはね返し、だから羽根の力によって誰も彼を倒すことはできなくなる。 また、戦闘があって勝負が付かないとき、両軍の間に四枚の羽根が投げられると、いち早くそれに気付いて「ウルスラグナ」を拝んだ方に勝利が与えられるという。 この神は先に指摘したようにアーリア民族の太古の神の一人でインド側では「インドラ」として展開したと考えられていますが、,、、
736:世界@名無史さん
15/02/15 16:07:37.92 0.net
ウルスラグナとインドラの関係についてだけど (以前他の板に書いたもの)
ヴェーダ時代のインド人は、ウルスラグナを礼拝しなかった。というのも、彼らの先祖たちは、
古い勝利の神をインド・イラン語族の英雄時代の戦士の原型である神インドラ(Indra)に
置き換えたとみられるからである。 (M・ボイス:ゾロアスター教 3500年の歴史)
インドラは「ヴリトラを殺す者」(Vrtrahan:最初のrの下に.がついてる)と呼ばれている。
Vrtrahan(最初のrの下に.がついてる)は、イランの勝利の神ヴルスラグナ(Verethraghna)
に対応するから、武勇神インドラの崇拝はインド・イラン共同時代にさかのぼる。
(上村勝彦:インド神話)
あとは補足で URLリンク(www.toroia.info)
M・ボイスだとウルスラグナとインドラは違う?
737:世界@名無史さん
15/02/15 16:53:35.60 0.net
>>654
なるほど
一番下の行は変身といえばヴィシュヌかな、って思ったので入れてみました
そういえば、ヴィシュヌも蛇(龍)とは関係が深くて
アナンタはこの世が始まる以前、宇宙が混沌の海だった時に、ヴィシュヌがアナンタを船の替わりにして、その上に寝ていたという。
また、この世が終わる時、全ての生物が滅び去った時も、再び世界が創造されるまでの間、ヴィシュヌはアナンタの上で眠り続けるとされる。
ヴィシュヌの使いとされる。
このバリエーションはいっぱいあるね
738:世界@名無史さん
15/02/18 23:43:15.62 0.net
アタルガティス
Atargatis
古代シリアの大女神。豊穣を司り,魚およびはとと結びつきが深く,上半身は人間の女,下半身は魚の形に表わされることもあった。
ヒエラポリスにあったその神殿は,シリアにおける最も巨大かつ豪華なもので,境内に聖魚の住む池があり,
ここではアタルガティスは,夫とみなされたハダドとともに祭られていた。
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
739:ircher_oedipus_aegyptiacus_28_derceto.png/800px-Kircher_oedipus_aegyptiacus_28_derceto.png
740:世界@名無史さん
15/02/18 23:46:36.77 0.net
マンビジ
URLリンク(ja.wikipedia.org)
古代のマンビジはギリシャ語ではバンビュケ(Bambyce)の名で登場するが、大プリニウス(v. 23)はそのシリア語名をマボグ(Mabog, または Mabbog, Mabbogh)と述べている。
もとは古代アルメニア王国のコンマゲネ地方の聖地だと考えられるが、歴史記録への最初の登場はセレウコス朝時代であり、首都アンティオキアとチグリス河畔のセレウキアを結ぶ国道上にある拠点であった。
またシリア地方の女神アタルガティス(Atargatis、ギリシャ人は縮めてデルケトー Derketoと呼んだ)の祭祀の中心であり、
ギリシャ人はこの都市を「聖地の都市」(ヒエロポリス、?εροπολι?、Hieropolis)または「聖なる都市」(ヒエラポリス、?εραπολι?、Hierapolis)と呼んだ。
アタルガティスの神殿は、紀元前53年、パルティアとの戦いに赴くローマのマルクス・リキニウス・クラッススにより略奪された。
アタルガティス神への信仰は、コンマゲネの住民であるルキアノスによるものとされる有名な小冊子『シリア女神について』(De Dea Syria) に登場する。
この文章では神殿での崇拝や飲めや歌えの大騒ぎぶり、アタルガティス神の聖なる魚が泳ぐ水槽について詳述されている。
『シリア女神について』によれば神殿では男根崇拝がされており、信者達は木や青銅でできた小さな男性像を捧げている。
大きな男根が神殿の前にオベリスクのようにそそり立ち、年に一度はよじ登る儀式が行われる。
神殿には神官しか立ち入れない聖なる部屋があり、その前には青銅の大きな祭壇が立ち奥に神像群がある。
その前庭には犠牲に捧げられる動物や鳥達がいる。神殿には300人ほどの神官が仕え、その他大勢の人が奉仕している。
聖域の中央には大きな池があり、信者達は中へ泳いで水の中に立つ祭壇を飾り付けるのが習慣となっている。
境内では自傷行為やその他の乱痴気騒ぎが行われる。また街に入ったり神殿を最初に訪れる際には複雑な儀式があるとされる。
741:世界@名無史さん
15/02/18 23:55:48.76 0.net
イナンナ
→
イシュタル
→
アタルガティス
→
アスタルテー( =Astavrth)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
→
アフロディーテ
エジプトにおけるアースティルティトで寄り道したりとなかなかおもしろい
742:世界@名無史さん
15/02/19 01:18:13.38 0.net
マンビジは本によってはメンビジュ(ヒアラポリス)と表記されてたりする
地図でもMenbejやManbij等いろいろ
アタルガティスはイシュタルやアナトが習合したも地母神と
小川英雄の本には書かれてる
743:世界@名無史さん
15/02/19 04:43:56.46 0.net
>>658
エシュムンと関係が深いのかな?
シドンの神殿テンプルではエシュムンとともに
ベイルートのコインでは、ポセイドン、アシュタルテ、エシュムンとともに
また、ピュルジ銘板にも名前が出てくるらしい
URLリンク(en.wikipedia.org) より
URLリンク(upload.wikimedia.org)
Other major centers of Astarte's worship were the Phoenician city states of Sidon, Tyre, and Byblos.
Coins from Sidon portray a chariot in which a globe appears, presumably a stone representing Astarte.
"She was often depi
744:cted on Sidonian coins as standing on the prow of a galley, leaning forward with right hand outstretched, being thus the original of all figureheads for sailing ships." [4] In Sidon, she shared a temple with Eshmun. Coins from Beirut show Poseidon, Astarte, and Eshmun worshipped together. Other faith centers were Cythera, Malta, and Eryx in Sicily from which she became known to the Romans as Venus Erycina. A bilingual inscription on the Pyrgi Tablets dating to about 500 BC found near Caere in Etruria equates Astarte with Etruscan Uni-Astre, that is, Juno. At Carthage Astarte was worshipped alongside the goddess Tanit. Donald Harden in The Phoenicians discusses a statuette of Astarte from Tutugi (Galera) near Granada in Spain dating to the 7th or 6th century BC in which Astarte sits on a throne flanked by sphinxes holding a bowl beneath her pierced breasts. A hollow in the statue would have been filled with milk through the head and gentle heating would have melted wax plugging the holes in her breasts, producing an apparent miracle when the milk emerged. The Aramean goddess Atargatis (Semitic form ?Atar?atah) may originally have been equated with Astarte, but the first element of the name Atargatis appears to be related to the Ugaritic form of Asherah's name: Athirat.
745:世界@名無史さん
15/02/19 04:48:31.70 0.net
>>658
なぜかデロス島にも神域があるようです
ディロス島のシリアの神々の聖域 アタルガティス女神とハダド神
ディロスのシリアの神々の神域
Ιερ? των Συρ?ων Θε?ν στην Δ?λο
Sanctuary of the Syrian Gods on Delos
URLリンク(lemonodaso.exblog.jp)
写真が豊富
シリアの神々の聖域はアタルガティス女神とハダド神を祭っています。
URLリンク(www.planetware.com)
746:世界@名無史さん
15/02/20 17:38:18.54 0.net
>>651
大村さんとこの研究成果なら、ここからその後の追跡できるよ
カマン・カレホユックに加えて、ビュクリュカレとヤッスホユックの発掘も始まってる
URLリンク(www.jiaa-kaman.org)
なんか、行事案内の方をみてると大村さんすっかりあの村の顔役っぽくなってるんだよね
アナトリア考古学研究所に加えて考古学博物館や三笠宮記念庭園も運営してるから
国のおエライさんたちもちょくちょく来るし、観光地になったことで地元の雇用も創出した
747:世界@名無史さん
15/02/21 00:33:43.50 0.net
>>662
そこあんまりないと思ったらあって
URLリンク(www.jiaa-kaman.org)
だけど、邦文があるって言ってたけど
それは見れなくて少しだけみれたけどヒゲはなくなった
748:世界@名無史さん
15/02/21 01:29:35.93 0.net
>>663
んー、「第○次発掘調査」と示してあるとこのリンク先は見てる?
論文には到底及ばないが、俺的には「アナトリア発掘紀」の6掛けくらいの情報密度はあると思ったけど
すでに、カマン・カレホユック発掘の基礎情報はあの本で仕入れ済みなことを前提とするとね
それより、飲んだ帰り?以前のレスと比べて文が乱れてるけどw
749:世界@名無史さん
15/02/23 02:51:06.84 0.net
>>664
いやいや、ビールやワインや日本酒なんてノンデナイヨ
とすると「アナトリア発掘紀」はホントに発掘記なんだね、、、
750:世界@名無史さん
15/02/25 01:14:07.40 0.net
>>146
すっごいいまさらだけど
ここにちょっとあった
URLリンク(www5.pf-x.net)
751:世界@名無史さん
15/02/25 23:36:04.62 0.net
>>654
メアリーボイスはおもしろかった?
本が読みにくくなければ読んでみたいかな
752:世界@名無史さん
15/02/25 23:59:13.57 0.net
図書館にあった筑摩のを読んだけど、読みやすかったよ
今だと講談社学術文庫から出てるけど、文庫だからか巻末に牽引一覧が無くなってて不便かも?
ただ内容はアップデートされてるから文庫のほうがいいと思う
753:世界@名無史さん
15/02/26 02:16:31.46 0.net
>>668
丁寧にありがとう
>>651
そしてなんだかんだいって読んでるww
>>438>>409
「アリンナ」はカスカの攻撃を一度も受けなかった都市らしい
754:世界@名無史さん
15/02/26 03:17:00.74 0.net
>>612
羊毛と織物はバビロニアの特産品だった希ガス。それも進入以降の
牧神ドゥムジが牧畜製品を誇っていたけどどんなだろう
羊毛のドメスティケーション
ウールの発達と紡錘車
須藤寛史
URLリンク(www.um.u-tokyo.ac.jp)
から抜粋
後述するように青銅器時代以前にもウール・タイプのヒツジは成立していたようだが、その頃の毛刈は春の生え変わりの季節に摘み取っていたものと思われる。
ところで家畜化開始期以降、ウールの有用性はどれほど認識されていたのだろうか。
先述の通り、野生あるいは家畜化初期段階のヒツジでは、繊維原料として便利なウールは、死毛や獣毛の下に隠れており、生え変わりの時期にしか表面に現れなかった。
したがってヒツジの家畜化が始まった新石器時代の人々は、柔らかなウールを目にする機会が少なく、繊維原料としての利用度が低かった可能性がある。
現在見られるような体毛がすべてウール状の柔らかい毛に発達したヒツジをウール・タイプのヒツジと呼ぶが、その最古の証拠としてよく引き合いに出されるのがイラン西部のテペ・サラブ遺跡で出土した前5,000年頃の動物土偶である。
胴体にV字の刻文が連続して刻まれており、ウール特有の縮毛を表現しているとされる(Ryder 1993:Fig.4)。しかしこれだけでは証拠として不十分だ。
ライダーが示したモデルでは、青銅器時代に獣毛あるいは死毛が細くなった品種が出現し、鉄器時代になってようやくウール・タイプのヒツジが出現するという(Ryder 1993: Fig. 3)。
西アジアでは前4千年紀末頃から文字が使用され始めるが、前3000年頃の粘土板文書にウール・タイプのヒツジが明確に区別されている(Green 1980)。
青銅器時代には意図的にウール・タイプのヒツジを利用していたことが�
755:墲ゥる。
756:世界@名無史さん
15/02/26 23:34:05.92 0.net
>>123>>571
フェニキア人であるカドモスとハルモニアーの娘イーノーがいちまいかんでいる
ということなんだけどあんまりうまく説明できてるとは思えない、うーむ
イーノー(古希: ?ν?, ?n?)はギリシア神話に登場する人物である。長母音を省略してイノとも表記する。
テーバイの王女として生まれ、のちにボイオーティアの王妃となった。
死後、ゼウスによって女神とされ、海の女神レウコテアー(Leukothea)あるいはレウコトエー(Leukothoe)として信仰された。レウコテアーとは「白い女神」の意である。
ネペレーの子たちとイーノー
アタマースには最初の妻ネペレーとの間に二人の子、プリクソスとヘレーの兄妹があり、イーノーはこの二人に悪意を抱いていた。
イーノーは、密かに土地の女たちに種麦を焙らせて作物が実らないように工作した。
穀物が芽を出さないのを怪しんだアタマースがデルポイの神託を仰ごうと使者を送ると、イーノーはこの使者を買収し、プリクソスをゼウスの生け贄に捧げるよう神託があったといわせた。
アタマースがプリクソスを生け贄にするために山頂に引き立てたとき、ヘーラクレースがプリクソスを救った。
一説には、救ったのは実母のネペレーともいう。
プリクソスは妹のヘレーとともに金毛の羊の背に乗って逃れ、二人が乗った牡羊はコルキスの「金羊毛」として後のイアーソーンとアルゴナウタイの冒険につながる。
後は衣装と交換、、、
バッコスの饗宴にまつわる神
後になってイーノーが健在であることがわかり、アタマースは乳母といつわってイーノーを宮中に入れた
。テミストーはこれを見破り、テミストーの子には白い衣装、イーノーの子には喪服を着けさせるようイーノーにいいつけ、翌日護衛に命じて喪服の子供を殺させた。
しかし、イーノーは危険を察して子供の服を取り替えていたので、殺されたのはテミストーの子だった。アタマースはこれによって乱心したのだという。
757:世界@名無史さん
15/02/27 20:28:36.85 0.net
NHK 19時のNEWSでやってたんだけど、
「イスラム国」、イラクで古代の石像を破壊 動画公開
URLリンク(www.afpbb.com)
モスルの博物館がやられてアッシリアやヘレニズムの文化財が破壊されたらしい
ラタキアの博物館って今どうなってるんろうね?
ウガリットのが収蔵されてるんだけど...
758:世界@名無史さん
15/03/02 00:21:33.27 0.net
ダメリカがイラクから撤退したらゴキブリのように
現れたヤツら。
米軍に責任取って鎮圧させればいい。
759:世界@名無史さん
15/03/02 01:06:33.64 0.net
しかしイラクの集団間抗争を見てると、ルワンダの民族融和政策って奇跡的だな
ヨーロッパでカガメ大統領が独裁的だとか批判がポツポツ出てきてるみたいだけど、
相応の強制力ないとヤバいだろアホかと言いたいわ
チトーとかカガメみたく、ひとまず復讐の連鎖を回避させてんのがいかに凄いことなのか想像しろよと
760:世界@名無史さん
15/03/02 02:05:08.67 0.net
>>651>>662
この本が出た時点で19年だからもうかれこれ30年以上を掘り続けてるのか
ほんとに発掘紀だったけどこれはこれでよかったww
本の中ではガシュガ>>669だね
勢力圏のイキズテペ
761:遺跡ではイスタンブール大学が1974年以降発掘を続けているらしい
762:世界@名無史さん
15/03/02 02:26:52.71 0.net
>>675
ガシュガの動向が「マシャトホユック文章」にあるらしい
ちなみに日本語で検索するとこんな感じ
24 : ライラック(dion軍)[] 投稿日:2009/05/11(月) 08:02:41.77 ID:x3PDeu5T [2/2回]
>>22
ヒッタイト帝国滅亡の原因は核戦争だった!?
“地獄の業火”--これは比喩ではない。アナトリアの数多い遺跡のこの時代の地層には、すべて大火災の跡が一面に残っているのだ。
例えば、首都ハットゥシャシュからしてそうだ。発掘報告書によれば、この要塞都市は「原因不明の非常な高温」によって滅び去った。それは考古学者ビッテルが、
「この町に可燃性物質がどれほど貯蔵されていたにしても、通常の火事ではこのような高温を出すことは絶対に不可能である」
といっているほど、凄まじいものだった。
日干しレンガの城壁や建物が融解して、赤色の塊になっていた。石は焼結して、ひびができていた。ハットゥシャシュには、想像を絶するような高熱破壊の跡が残っているのである。
同じような高熱破壊の跡は、この時代の他の都市でも認められる。コルジュペテ、ハラバ、カラホユク、パトノス、カーノスなどという遺跡が、厚い焦土層を残している。
マシャトホユックという遺跡は、壁という壁が強烈な熱を受けたために真っ赤にただれ、カチカチになっている。
出土した粘土版文書の中には、強い火を受けたため、2枚が完全にくっついているものがあった。焦土層の厚さは50センチ以上にも達している。
紀元前1200年というその時代、アナトリア高原全域がいっせいに炎と化して燃えつきた。これがヒッタイト帝国滅亡の日の姿なのである。
763:世界@名無史さん
15/03/03 02:54:42.27 0.net
>>675
これは意外な拾い物ww
URLリンク(en.wikipedia.org)
Although ?kiztepe means "twin moulds" in Turkish, the site contains four mounds and a burial ground amidst those. ?kiztepe II mound contains the earliest findings.
Most of the findings are dated to the Early Bronze Age, but the earliest finds date back to possibly the sixth millennium BCE. Finds from ?kiztepe exhibit similarities to material of the same age found elsewhere in Anatolia.
There are also parallels with findings from Eastern Europe. Among the artifacts found are pottery, metalworks and spindle whorls.
According to one theory, the Bosphorus might have been blocked temporarily during the Late Calcolithic to Early Bronze Ages,
exposing a wider shorline at the coast of the Black Sea, making it possible to easily travel from Varna to ?kiztepe region.[1]
The Hittite city of Zalpuwa is sometimes associated with ?kiztepe. However, this identification is not certain.[2]
The large amount of textile materials (spindle whorls) found in the site may indicate sailing activity.[3]
The excavations in ?kiztepe started in 1974 and continued interm
764:ittently into the 21st century.[4] http://en.wikipedia.org/wiki/Zalpuwa Zalpuwa was by a "Sea of Zalpa". It was the setting for an ancient legend about the Queen of Kanesh, which was either composed in or translated into the Hurrian language:
765:世界@名無史さん
15/03/03 03:13:10.03 0.net
>>675
本を書いたのが2004年4月で熱く鋼について語っててこの流れは熱いなww
それがしかも自分とこの遺跡っていう流れは学者冥利に尽きるだろう。
2005年05月14日
世界最古の鋼 紀元前18世紀 500年さかのぼる発見
URLリンク(www.konesite.com)
トルコのカマン・カレホユック遺跡で出土した紀元前18世紀(アッシリア植民地時代)の鉄片が鋼だったことが、岩手県立博物館の赤沼英男上席専門学芸員の分析で判明した。
これまで世界最古とされてきた紀元前14~12世紀(ヒッタイト帝国時代)の鋼を約500年さかのぼる発見。
今回の発見について、中近東文化センターアナトリア考古学研究所の大村弘所長は「メソポタミアからやってきたアッシリア商人が、優れた冶金技術をヒッタイトに伝えた可能性が出てきた。
ヒッタイトと鉄の関係を根本から考え直す必要がある」と話している。
2012年4月3日 朝日新聞
「最古の鉄鋼生産か・・トルコで発掘 前期青銅器時代」
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
中近東文化センターが発掘調査を進めているトルコのカマン・カレホユック遺跡で、紀元前2100年~前1950年ごろ(前期青銅器時代)の地層から出土した遺物に、
鉄器の原料となる鉄鉱石や、製鉄や精錬の際に出る不純物である鉄滓が含まれていることが、岩手県立博物館の赤沼英夫氏の分析でわかった。
この層からは鋼の鉄器も出土しており、世界最古の鋼の生産が行われていた可能性が強まった。
確認されたのは、破砕された鉄鉱石が2点と鉄滓が2点。
鋼と推定される鉄片も新たに1点みつかった。
また鉄鉱石から鉄分の少ない部分を取り除いたとみられる岩石片もみつかっており、赤沼さんは「選鉱も行われていた可能性がある」と見ている。
中近東文化センター付属アナトリア考古学研究所の大村所長は、「注目すべき発見だ。今後出土した遺物の年代測定を行うとともに、鋼の生産遺構の発見に努めたい」と話している。
766:世界@名無史さん
15/03/04 22:44:10.97 0.net
>>675
いま見てる「古代のメソポタミア」に古アッシリア時代の交易路が載ってるんだけど
その中にカネシュ(キュルテペ)までの推定ルートが掲載されている。
アッシュールから出発してティグリス、ユーフラテスの両大河を使わずに
ほぼ真っ直ぐ西へハブール川を横切ってバリーフ川沿いの都市ハルランを経由して
パドナ→カルケミシュ→ウルシュムに至り
そこから北西へ折れ
マムマ→ティメルキヤ→カネシュ
へ至るという超内陸非河川ルートなんだけど、これなんでなんだろうww
767:世界@名無史さん
15/03/06 05:15:19.64 0.net
>>679
この中では天水農耕の北限としてふれられている感じだけど、それ以外の話がめちゃくちゃおもしろかった
URLリンク(jswaa.org)
内容はハブール土器と錫交易ルートを扱っているんだけど
シャムシ・アダド1世と関連付けて話が展開するのだ
ヤムハド王国や、クッシャラのアニッタ
768:、マリ王のジムリ・リムなんかもでてきて楽しいぞ
769:世界@名無史さん
15/03/07 22:15:23.33 0.net
>>679
ちなみにこのルートはおそらく▲カールムや●ワバラトゥムの分布から復元されたものなんだけど
ハットゥシャ → アラジャ・フユク を経由し北へ向かい
東へいったん蛇行した後に戻ってきて、最後は赤い河の下流の黒海近くまで
ドゥルフミト▲ → トゥフピヤ● → ザルパ●
と続いている。
さて、ここで疑問が二つ
この蛇行はなぜかという点と、
そしてなぜかザルパが地図中二2つあるのだ
ひとつは黒海のザルパ、もうひとつはバリーフ川のザルパ
770:世界@名無史さん
15/03/07 22:44:43.91 0.net
>>481
ヒッタイトの地図(アナトリア)によると
URLリンク(sitemaker.umich.edu)
>>681
北の黒海の都市はZalupuwa
バリーフ河の都市はZalpah
ちなみにこっちには▲カールムがあった
>>415
に関しても該当する話を見つけたよ