古代の地中海世界at WHIS
古代の地中海世界 - 暇つぶし2ch500:世界@名無史さん
14/10/26 17:58:01.27 0.net
>>444
スキタイ起源の1つだね
ヘラクレスは蛇女エドキナとの間にアガテュルソス、ゲロノス、スキュテスの
3人の子供をもうけ、末子のスキュテスが王となったというので、この時
ヘラクレスから「弓」を与えられてる場面の浮彫がある装飾容器の写真を
NHKのエルミタージュ美術館の書籍で見た (加藤九祚が解説)

蛇女エキドナなのかな?
URLリンク(blogs.c.yimg.jp)
エルミタージュ美術館にあるスキタイ工芸品らしい

501:世界@名無史さん
14/10/26 20:40:24.46 0.net
>>441>>450
出典はアマルナ出土らしい(アッシュール出土もある)


URLリンク(www.toroia.info)

ネルガルがエレシュキガルの夫となり冥界の王になった理由を物語る神話は2つあり、
それはネルガルが、エレシュキガルが神々の集会に送った特使の前で立ち上がることを拒否したことから始まる。

エレシュキガルはネルガルを呼び出して自分たちへの無礼の説明を求め、神々は天界からネルガルを追放することに同意した。
その後、知恵の神エアは追放されたネルガルに14の悪魔の護衛を与えた。
ネルガルはこの悪魔たちを使って地下世界の7つの門を差し押さえ、そしてエレシュキガルの部屋に入ると彼女の髪をつかんで床の上に投げ出した。
ネルガルはエレシュキガルの喉元にナイフを突きつけたが、エレシュキガルは彼に対して自分の妻になるように求め、冥界の王になるよう懇願した。
ネルガルはそれを受け入れ、冥界の王となった。ちなみにこの物語の資料はエジプトのテル・エル・アマルナ出土の二断片に記されたもの。

 この14の悪魔のうち12の名前が残っているが、多くが病気に関するものである。詳しい描写はないが、おそらく「名は体を表す」のだろう。
 ../ムタブリク、../シャラブダ、../ラービス、../ティリド、../イディブトゥ、../ベンヌ、../シーダーヌ、../ミキト、../ベルー・ウプリ、../ウンム、../リーブ、../フルバシュ。


 別の集団ではあるが、ネルガルに属するものとしてアッシリアの皇太子(おそらくアッシュルバニパル)の夢に出てきたものがある。
まずネルガルは玉座に座っており、双頭の槌鉾を持っていた。
そして彼の周囲を../ナムタル、../ナムタルトゥ、../ムートゥ、../シェードゥ・レムヌ、../ムキール・レーシュ・レムッティ、../フムト・タバル、
../エテンム、../ウトゥック・レムヌ、../シュラク、../マーミートゥ、../ベドゥ、../アルルハップ、../ミンマ・レムヌ、../ムフラ、
さらに名の知られていない2つの神、一人は../アンズーの頭と手足であり、もう一人は人間の姿をしているものが�


502:「た。 ちなみにこの物語は「冥界の幻影」と呼ばれ、アッシュール出土。



503:世界@名無史さん
14/10/26 20:58:55.09 0.net
>>451
どうだろうねw


どっちにしろ>>442のヘラクレスと「12の功業」が
東地中海(というより黒海周辺)と関係が深いのは間違いない。


と、ここまでは前に調べたときにもわかりやすいんだけど
ヘラクレスの起源はいまいちわからない。
「12の功業」と季節の話が統合できるんじゃないかとも思ったが
これは単純じゃないね。

504:世界@名無史さん
14/10/26 23:53:24.73 0.net
>>442>>451

エキドナの子供達[編集]

◆テューポーンとの間に生まれた子 
ケルベロス(♂)
オルトロス(♂)
ヒュドラー(♂)
ラードーン(♂)
金羊毛の番竜(♂)
エトン(プロメーテウスを襲った鷲)(♂)
クリュンヌ(♀)
デルピュネー(♀)
パイア(♀)
キマイラ(♀)
ケートス(♂)
スキュラ(♀)

●オルトロスとの間に生まれた子
ネメアーの獅子(♂)
カルキノス(♂)
タゲス(♂)
スピンクス(♀)

▲ヘーラクレースとの間に生まれた子
アガテュルソス
ゲローノス
スキュテース

505:世界@名無史さん
14/10/26 23:55:33.79 0.net
>>451

加藤九祚というとウラルトゥの本を読もうかどうか迷ったが、
本が汚かったのでやめました。

506:世界@名無史さん
14/10/27 20:49:35.73 0.net
加藤九祚でふと思ったんだけど、オクサス川とコクチャ川の合流する地点にある
アイ・ハヌムはこのスレの対象範囲か否かどちら?

507:世界@名無史さん
14/10/27 22:05:36.11 0.net
>>456
俺はどっちでも構わない
というか、ほとんど人も居ないし
なにやっても大丈夫なんじゃないだろうかww

508:世界@名無史さん
14/10/28 21:56:17.03 0.net
「イナンナの冥界下り」は読んだ気がするけど

それに比べて
「ネルガルとエレシュキガル」は
ギリシャ神話と色々と類似もあっておもしろいな。

検索しても日本語の出典があんまり載ってなくて寂しいところ。

509:世界@名無史さん
14/10/28 22:43:54.15 0.net
>>328
>>57
>>326

バビロニアの星座の名前
URLリンク(www.kotenmon.com)



星座の起源・カルディア人羊飼い説を考える
URLリンク(www.kotenmon.com)

なぜ今欧米ではカルディア人羊飼い物語が無いのか

 アメリカの星座の本を見てもカルディア人羊飼い物語を見つけるのは難しい。既にアメリカでは「星座の起源=カルディアの羊飼い説」は子供だましとすら使われていない。
これは星座の起源について学術的研究が行われているためで、たとえば、黄道星座の発生はカルデイア王国より新しい紀元前5世紀頃であることは今は常識となっている。
 アメリカではずいぶん前にカルディア人羊飼い物語は淘汰されているので、それに関する資料をみつけるのも難しい。
その中で、先に挙げたROBERT BROWNの「Reserchs into the origin of the PRIMITIVE CONSTELLATIONS of the Greeks, Phoenicians and Babylonian」(1899)
に以下のコメントがあるので以下に引用しておく。なぜ今欧米ではカルディア人羊飼い物語が無いのか

510:世界@名無史さん
14/10/28 22:57:25.75 0.net
>>459

ユダヤ暦
URLリンク(ja.wikipedia.org)
バビロニア暦、カナン暦との対応関係が書いてあるwikipedia


「星座」の歴史
URLリンク(www.palette.furukawa.miyagi.jp)
ここはおもしろかった。

511:世界@名無史さん
14/10/30 00:13:57.36 0.net
>>460
さて、どっち?

(2)アモリ人・カッシート人・

アモリ人のが残した、今から3800年前のBC1800の記録には、荷車(おおぐま座)、天の狩人(オリオン)といった星座や、
現在も星占いの星座として知られる「黄道十二星座」のうち、いて・かに・てんびんを除く黄道9星座が登場しています。つまり、このアモリ人が、「確実に星座をつくった、とりあえず確実な人たち」ということになります。
農業を行うために、星ををよく観察し季節を知る必要性があり、やがて暦をつくっていったのでしょう。

 その後、ハンムラビ王が亡くなって、古代バビロニア=バビロン第1王朝が衰退していくと、カッシート族に国をのっとられてしまいます。

カッシートの時代は400年も続きますが、あまりよくは知られていません。しかし、境界石(クッドルー)と呼ばれる石碑が大きく注目されます。
 クッドルーは、王が領主に授けた土地所有についての誓約書のようなものだとされています。楔形文字と絵が書かれていて、その絵には動物の姿が多く描かれています。
かつては、これが星座絵だといわれていましたが、残念ながら、神々の姿(シンボルマーク)である、ということに現在は落ちついているようです。
 しかし、クッドルーの絵の中には、魚ヤギやサソリ人間、水がめをもつ女神があったりして、これが星座のもとになっていった、という見方もできそうです。



Wikipediaでは

由来と歴史[編集]
元々はさそり座のはさみの部分であったとも考えられている。後に星座として独立した。このため、黄道十二星座の中では最も新しいものと考えられている。
黄道十二星座の1つなので、元々はメソポタミア文明に由来を持つ可能性が高い。

神話[編集]
ギリシア神話では、正義と天文の女神アストライアーの所有物で、正義を計る天秤だとされる[4]。かつては秋分点がこの星座にあったので、昼夜の長さを等しく計る天秤だったという説もある[4]。
なお隣の星座であるおとめ座はアストライアーをかたどったものとする説がある[4]。

512:世界@名無史さん
14/10/31 21:27:38.61 0.net
オクサス川(南)とコクチャ川の合流する地点にあるアイ・ハヌムから出土したキュベレの金箔銀板
URLリンク(upload.wikimedia.org)

オクサス川(北)とワフシュ川の合流する地点にあるタフティ・サンギンの拝火神殿から出土した
マルシュアス像(キュベレ女神の従者らしい)
URLリンク(www.miho.or.jp)

オクサス川にアナトリアの神々が見られるのは、アケメネス朝のアルタクセルクセスⅡ世が
オクサス川の女神であるアナーヒターの像と神殿をバクトリアはもちろん、サルディスにも
建てたことからアナーヒターとキュベレは習合、かつセレウコス朝の移民政策で人々が
フリュギアやリュディアから移動したことによると前田耕作の本で見たけど
ヘレニズム期はやはり東西の混交がおもしろいね

513:世界@名無史さん
14/11/04 19:40:29.73 0.net
>>462
へー、なるほど
上のやつおもしろいな

514:世界@名無史さん
14/11/04 21:20:26.05 0.net
しかし、よくもあんな寒いところに帝国首都を置けたものだ。

515:世界@名無史さん
14/11/05 00:06:22.65 0.net
>>462 加藤九祚「シルクロードの古代都市」でも小アジアからアイハヌムへの
移動の痕跡が出土品から分かるとあったけどさ、
URLリンク(www.iwanami.co.jp)
URLリンク(www.iwanami.co.jp)
小アジアからの移動ってやはり王の道を使って?

516:世界@名無史さん
14/11/05 00:57:25.20 0.net
>>462 この辺りか
ミトラス(ミスラ)じゃなくてヘリオスなのがおもしろいところ


アイ・ハヌム
URLリンク(ja.wikipedia.org)

アイ・ハヌム(Ai-Khanoum, Ay Khanum)は、アフガニスタン北部のタハール州にあったギリシャ人による古代都市で、
アレクサンドロス3世による征服後の紀元前4世紀に作られたグレコ・バクトリア王国の主要都市。
アレクサンドリア・オクシアナ (Alexandria on the Oxus) に比定され、後のエウクラティディア(ギリシャ語版、英語版) (Eucratidia) の可能性もある。
"Ai-Khanoum" という名称はウズベク語で「月の婦人」の意[1]。

位置はアフガニスタン北西部のクンドゥーズ州内であり、オクサス(Oxus、現在のアムダリヤ川)とコクチャ川(英語版)が合流する地点にあり、インド亜大陸の玄関口にあたる。
アイ・ハヌムは約2世紀に渡り東洋におけるヘレニズム文化の中心地だったが、エウクラティデス1世の死後間もない紀元前145年ごろ遊牧民月氏の侵入によって壊滅した[2]。



その他の遺物

エウクラティデス1世の時代までのグレコ・バクトリア王国の硬貨が多数出土しているが、それ以降の貨幣は見つかっていない。
Agathocles とヒンズーの神々を描いた珍しい硬貨も出土している。
ヴェーダの神々を描いた最古の硬貨とされており、ヴィシュヌの初期のアヴァターラ、バララーマ-シェーシャ、ヴァスデーヴァ-クリシュナなどが描かれている。
これらはグレコ・バクトリア王国が北インドを侵略していた証拠と考えられる。

他にも以下のような遺物が出土している。
戦車に載ったキュベレーと炎の祭壇が描かれ、上にヘーリオスが描かれた、丸い浮き彫りのプレート
ほぼ完全な形のヘーラクレースのブロンズ像
宝石や金を使ったアクセサリ
宝物庫から見つかったインドの工芸品。エウクラティデスが遠征の際に持ち帰ったものと推測される。
アフロディーテの座像の形をした洗面所用トレイ
髭をたくわえ王冠をかぶった中年男性の浮き彫り
日時計、インク壷、食器などの各種出土品から、日常生活はギリシア風だったことがわかる。

517:世界@名無史さん
14/11/05 01:12:09.06 0.net
>>466
作成したのがアナトリア出身のギリシア系ならミスラじゃなくヘリオスなのは当然じゃない?

518:世界@名無史さん
14/11/05 17:45:51.94 0.net
>>467
ゴメン、拝火教徒の方と読み違ってた。

アナーヒタとキュベレは微妙にズレてる気もするんだが
習合するのはなんでもありなのかww

519:世界@名無史さん
14/11/05 17:52:34.93 0.net
>>465

移住政策の結果としてなら、
荷物は多かったんじゃないかという気がするんで
ユーフラテス川を下ったんじゃなかろうか

でもそこからのルートは全然わからないww

520:世界@名無史さん
14/11/05 18:56:10.89 0.net
アイ・ハヌムとミスラ関連で、アイ・ハヌムの神殿に祀られてたゼウス神像の左足
URLリンク(www.cliolamuse.com)
URLリンク(pds.exblog.jp)

発掘チームのフランツ・グリュネは、この神像をギリシア人はゼウス、
中央アジアの人々はミスラとして拝んでいたとしているけど
(NHKスペシャル文明の道 2 ヘレニズムと仏教と>>465参照)

なぜゼウス像をアフラ・マズダーでなくミスラなのか?は
青木健「アーリア人」を見ると、パルニ族ではアルサケス朝の全期間を
通じてミスラ神の人気が突


521:出してたとあるから、そのせい?



522:世界@名無史さん
14/11/05 19:30:49.04 0.net
>>465
うーん、中央集権国家の計画的な強制移住だと
私財の携帯を許さない可能性もあるかなぁ、、、


王の道
URLリンク(upload.wikimedia.org)


ラピスラズリの道
URLリンク(blogs.c.yimg.jp)

523:世界@名無史さん
14/11/05 19:39:31.44 0.net
>>470

青木健の本だったと思うけど、
ゾロアスター教も最初はアフラ・マズダを最高神として旧来の神を認めなかったが
結局のとこ人気がありすぎて何体かの神が系列に加わっており
それが、アナーヒタ、ミスラ、とあと数体だったかな。

アケネメス朝ぐらいまでしか知らないので、
その後の話はどうなったのか定かでない、、、

524:世界@名無史さん
14/11/06 00:07:28.66 0.net
>>471
単純にキリキアのタルソス辺りから東へ一直線でカスピ海の下を経由して
オクサスまでって√は無いだろうね

525:世界@名無史さん
14/11/06 01:31:18.77 0.net
アナーヒターってライオンに乗ってたりしなかった?

526:世界@名無史さん
14/11/06 18:17:29.19 0.net
アナーヒターとキュベレは共に戦車に乗るが、豹または獅子のペアを付き従わせる
のはキュベレ (アナーヒターに獅子はメアリー・ボイスの本見る限り無かった)

>>471
王の道に関して、ピエール・ブリアン(小川英雄監修)の「ペルシア帝国」に
サルディス→タルソス辺りから直線で→アルベラから南下し途中で東へ→
ベヒストゥーン→エクバタナ→テヘラン→ヒルカニアを経由して直線で→バクトラの√が載ってた

なおサルディスからスサまで徒歩で3ヶ月、早馬で数日かかるらしい

527:世界@名無史さん
14/11/06 21:49:49.07 0.net
早馬で数日・・・
そんなもんで行けるのか。
距離にして3000kmくらいありそうだけど。

528:世界@名無史さん
14/11/07 00:39:23.18 0.net
>>476
王の道の早馬はたしか駅舎で乗換式のやつ

529:世界@名無史さん
14/11/07 01:24:25.83 0.net
アケメネス朝なら汗血馬を各駅に飼っておけた?
フェルガナってキュロポリスとかあったんだから勢力範囲だろうし

530:世界@名無史さん
14/11/07 03:37:33.53 0.net
鎌つき戦車で突っ込んで来るのはやめてくださいよ、ペルシア帝国

531:世界@名無史さん
14/11/09 15:36:50.45 0.net
>>473
バイキングがカスピ海経由でアラブ商人と交易していて
バグダットまで到達しているみたいなんだけど、どこ通ったのかなぁ

日本大百科全書(ニッポニカ)
スウェーデン系

東方に進出したのはおもにスウェーデン系で、スウェーデンで発見される多数のルーン碑銘は、「東方で没した」同胞を記念したもので、
ギリシアやセルクランド(カスピ海の東部地方)に言及するものもある。
 彼らは7世紀からバルト海東岸部に進出し、9世紀には北ロシアのラドガ湖周辺に定住して、ドニエプル川と黒海によりビザンティン帝国と、
またボルガ川沿いにカスピ海を越えてイスラム教国と、おもに交易関係をもった。

『ベルタン年代記』は、839年ロシアを通過し、ビザンティン帝国の使節に随伴してルイ1世(敬虔(けいけん)王)を訪れたスウェーデン人を記録する。
1112年ごろにキエフで編纂(へんさん)された『原初年代記』によると、862年ルーシ(スウェーデン人をさすフィン語の訛(なま)り)の�


532:キリューリクは、 スラブ人らに招致されノブゴロド公国を、また部下のオレーグは、882年に遷都してドニエプル川中流にキエフ公国を建設した。 10世紀に入ると、ルーシ人はビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルに遠征し、種々の商業特権を帝国領内で獲得するが、 両者間で結ばれた912、945両年の通商条約に署名されたルーシ人名の比較から、彼らの急速なスラブ化の過程が判明する。 しかし、キエフ諸公と、オーラフ1世、オーラフ2世ら北欧諸王との親縁関係は、以後も維持された。 この時代、キエフやコンスタンティノープルで傭兵あるいは皇帝の親衛隊として勇名をはせた北欧人はワリャーグとよばれ、 ノルウェーのハラール3世は著名であるが、彼らを通じてギリシア正教、ビザンツ文化がロシア、北欧にもたらされた。  一方、9世紀ごろにノブゴロドからボルガ川中流の町ブルガルの大市へ赴き、さらにカスピ海へ下ってアラブ人と交易関係を維持した者もあるが、 彼らは9?10世紀中ごろまで北ロシアやスウェーデンにアラブ銀貨を多量に流入させ、アラブ人は彼らをルーシ商人とよんでいた。[荒川明久] 『ジャクリーヌ・シンプソン著、早野勝巳訳『ヴァイキングの世界』(1982・東京書籍) ▽熊野聰著『北の農民ヴァイキング――実力と友情の社会』(1983・平凡社)』



533:世界@名無史さん
14/11/12 20:14:07.33 0.net
>>471
>>475に近い地図があったんで
URLリンク(www.livius.org)
URLリンク(www.livius.org)
サルディスからバークトリ(バクトラ)までの道

あとスレで古地図を調べてる人いたと思うけど、ここ結構いいと思うよ
URLリンク(sitemaker.umich.edu)
(例)
URLリンク(sitemaker.umich.edu) ギリシアとフェニキア
URLリンク(sitemaker.umich.edu) アレクサンドロスの遠征路
URLリンク(sitemaker.umich.edu) ヘレニズム諸都市
(アンティオキアやアパメイア等同じ名前多すぎ...)

534:世界@名無史さん
14/11/12 21:53:36.32 0.net
>>475

べヒストゥーン碑文は
天下の往来で偉業を知らしめるために
王の道沿いに彫られたんだよね

前にテレビで見た時に
あまりに平凡な道でびっくりしたんだけど
あれは当時の王の道のとは別もんだったんだろうか、、、

535:世界@名無史さん
14/11/15 01:09:30.35 0.net
>>201>>481のギリシアとフェニキアの地図を比較して
差異を見つけるのっておもしろいね
ミシガン大学のほうも、もう少しカラーだったらもっと分かりやすいのに

536:世界@名無史さん
14/11/16 23:45:09.28 0.net
鎌戦車で特攻したらさっと左右に避けられて
そのまま直進してしまう虚しさ。

537:世界@名無史さん
14/11/18 21:07:41.49 0.net
>>465
あまりにおもしろそうだったので借りてきてしまった、、、

538:世界@名無史さん
14/11/19 00:26:30.08 0.net
ヘレニズムに関しては、前田耕作「バクトリア王国の興亡」もおもしろいよ
もし図書館にあるなら借りてみるのもいいかも

539:世界@名無史さん
14/11/20 00:29:23.05 0.net
>>481
いまさらヒッタイ�


540:gの地図を確認したけど、すんごっくおもしろいね カスカは真北の設定で アスワは決めかねてる感じか ミタンニ内の地名はしっかりしてそうなんだけど これはメソポタミアの方に情報あったりするのかな



541:世界@名無史さん
14/11/21 00:53:56.47 0.net
URLリンク(sitemaker.umich.edu)
本によるんだろうけど(自分が確認した何冊かでもそれぞれ違う)、上と異なり
アルザワがルッカの右辺り(ピシディア辺り?)で、アヒヤワがアルザワの位置に
記載されてたりで判然としないな

542:世界@名無史さん
14/11/22 00:34:28.98 0.net
>>488
良く分かってないってのがホントのところなんで
それで正しいと思うな

とりあえずこの地図だと「ミラワンダ」を「ミレトス」として同定していて
「ウィルサ」を「トロイア」に固定はしてないね

543:世界@名無史さん
14/11/24 20:38:47.76 0.net
>>486

ご丁寧にありがとう

時代的にはそんなに興味ないかなと思ったのですが
紹介にコインの写真が豊富とあるのが、、、じゅるる

544:世界@名無史さん
14/11/24 23:25:22.03 0.net
写真は白黒だから、もしカラー期待してたら外れだよ
一応ね

545:世界@名無史さん
14/11/25 21:30:14.20 0.net
>>191

ミュリナは支配した地域に自分の名前を冠した町を建設したほか、

部下の名前にちなんだ町、キュメ、ピタニア、プリエネなどを建てた。

彼女はレスボス島を征服し、彼女の妹にちなんでミテュレネという町を建てた。

その後嵐に襲われ、神々の母に祈りを捧げたところ、見知らぬ土地に流れ着いた。
そこをサモトラケと名付けた。これはヘレネ(ギリシャ)の言葉で聖地を意味する。

但しそれ以前からサモスと呼ばれていたとも、トラキア人によってサモトラケと
名付けられたともいう。神々の母は、この島にある人々と彼女自身の息子達を住まわせ聖地とした。


URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)

うーん、ピタニア以外は全部みつかるんだけど
どうみてもリディア付近の沿岸でアイオリスと呼ばれるあたりか
ピタネ(Pitane)?

URLリンク(ja.wikipedia.org)
アイオリス(古代ギリシャ語: Αιολ??, Aiolis, 英語:Aeolis)またはアイオリア(古代ギリシャ語: Αιολ?α, Aiolia, 英語:Aeolia)は、
小アジア地方の北北西に位置する地方で、アイオリス人の古代ギリシア都市国家群があった。
大部分は海岸沿いで、沖にはレスボス島などの島々もあった。
北をミュシア、南をイオニア、東をリディアとそれぞれ国境を接していた。

546:世界@名無史さん
14/11/26 23:22:04.35 0.net
>>180>>189>>191

どうみても、リビアじゃなくてリディアな気がするんだよなぁ
URLリンク(en.wikipedia.org)

そんで>>189

[55] 世界制覇へ
 アマゾネス勢は、昼間の成功に気をよくして夜間の見張りをなおざりにしていたので、捕虜の女人たちがこれを襲い、征服し切ったはずの勝者の持つ剣を引き抜いて、大勢の相手を殺した。
しかし最後には、アマゾネス勢が多勢で四方から捕虜の周りへ押し寄せたので、捕虜の女人たちは誇り高く戦いながら、ひとり残らず斬り殺された。

(2) ミュリナは、遠征仲間のなか�


547:ゥら戦にたおれた兵たちを、三つの火葬の薪のなかで茶毘に付すと、大きな塚の上に墓三つを立てた。これらを今日までアマゾネス族の土墳の名で呼ぶ。 (3) ゴルゴネス族の最期  それより後代に、ゴルゴネス族がふたたび勢力を伸ばしたが、その後ゼウスの息子ペルセウスとの戦に破れ、当時のこの族民の女王がメドゥサであった。 そして結局は、へーラクレースの手でアマゾネス族共ども完全に滅び去った。後者の英雄が西寄りの諸地域へ出かけて、リピュア地方の地に標柱を立てた折のことである。 英雄の考えでは、自分が人間族全体に功労を尽す道を選んだのに、それら諸族のなかに一部、女人支配の族民がいるのを見逃したのでは、不当なことになるからであった。 また、トリトニス湖も地震が起きた際に姿を消し、消えたのは、湖のうちで大洋オケアノス寄りになった諸地域が裂けたことによる、という。 (4) エジプトからシュリアまで  話によると、ミュリナはリピュア地方のほとんどへ出向いた。そして、エジプト内へ足を踏み入れると、 イシスの息子ホロスが当時エジプトの王位にあった許を訪れて、友好関係を結び、アラビア族との戦を遂行して多くの敵をたおし、シュリア地方を打倒した。 キリキア族は贈物を用意して女王を迎え、受けた命令を実行することに同意したので、自発的に投降したものとして自由民の資格を存続させた。 (5) カイコス川に達する  女王は、タウロス山脈一帯の諸族が格段に強力であったのをも戦に下し、大プリュギア地方を通過して(わたしたちの)海へ下った。 そして、引きつづき沿岸地方を征服地に加えた後、カイコス川を遠征の境界とした。



548:世界@名無史さん
14/11/29 21:50:49.27 0.net
>>485
やはりおもしろい

549:世界@名無史さん
14/12/02 22:14:51.08 0.net
>>154>>155>>170
>>262>>265>>304
>>358>>367

キプロス、キプロス

550:世界@名無史さん
14/12/10 20:33:49.60 0.net
>>132
>>136
メルカルト、アドニス

>>426
>>437
>>426

とりあえずこの辺りで
>>444>>451>>442
ヘラクレス→スキタイ→十二支ともっていきたい
参考書は南方熊楠あたりで

551:世界@名無史さん
14/12/20 11:23:14.12 0.net
既にネタもあるんだね。まぁ、みんな考えることは同じっぽい
が、ニュートンってのはホントなんだろうかww

>>411>>453>>496

URLリンク(ja.wikipedia.org)

黄道星座の構成要素[編集]

グレーヴスによれば、アルゴナウタイの航海と黄道十二星座の関連を指摘したのはアイザック・ニュートンである。
物語がエジプト、とりわけアレクサンドリアの十二星座の影響を受けた可能性があるとする。

星座と物語が対応する要素として挙げられるのは、
 おひつじ座→プリクソスの金毛の牡羊、
 おうし座→青銅の足を持つアイエーテースの牡牛、
 ふたご座→ディオスクーロイ(カストールとポリュデウケース)、
 しし座→ドリオニアの王キュージコスが殺したというレアーのライオン、
 おとめ座→メーデイア、
 てんびん座→ケルキューラ島でのアルキノオスの裁定、
 いて座→ヘーラクレース、やぎ座→レーム


552:ノス島での求愛の象徴、  みずがめ座→アイギーナ島での水汲み競争、である。 さらに、隠れた要素として、さそり座→蛇、かに座→再生の象徴としての黄金虫があるとする。 隠れた要素とは、航海には直接現れないが、アルゴナウタイの帰還後、 メーデイアがアテーナイを追放され、イタリアでマルビウム人たちに「蛇遣いの術」を教えたという伝承、 もうひとつはメーデイアがペリアースを謀殺したときのように、大釜を用いて再生(若返り)の魔法を使ったことを指すものと考えられる[2]。



553:世界@名無史さん
14/12/25 22:39:17.53 0.net
>>409

URLリンク(en.wikipedia.org)

Palaic is an extinct Indo-European language, attested in cuneiform tablets in Bronze Age Hattusa, the capital of the Hittites.
Its name in Hittite is palaumnili, or "of the people of Pala"; Pala was probably to the northwest of the Hittite core area, so in the northwest of present mainland Turkey.
That region was overrun by the Kaskas in the 15th century BC, and the language likely went out of daily use at that time.


URLリンク(en.wikipedia.org)

554:世界@名無史さん
14/12/26 00:27:59.81 0.net
イプソスの戦いのイプソスの現地名って誰かご存知?
URLリンク(www.lib.utexas.edu)
地図Dcにあるシュンナダの近くで、イズミルとアスペンドスを結んだ辺りが
イプソスなんだろうとは分かってるんだけど

555:世界@名無史さん
14/12/26 07:25:09.57 0.net
>>499

その地図の中のIpsusの位置の現地名ってこと?

URLリンク(catholicism.academic.ru)

556:世界@名無史さん
14/12/26 19:23:33.82 0.net
>>499の地図と自分が参照してる本2冊のイプソスの場所と違うから、Ipsusに気づかなった
本ではベイシェヒル湖とエイルディル湖の間くらいの経度に記載があったんだけど
(W.W.ターンのヘレニズム文明、前田耕作のバクトリア王国の興亡を参照)

>>500 現在のトルコにおける地名は何かな?と

557:世界@名無史さん
14/12/26 20:47:58.79 0.net
>>501
なにを何処まで極めたいのかと思ったワロスww

アレキサンダー大王については全く無知なんだけど
ディアドコイ戦争はしっとくと楽しそうだ

558:世界@名無史さん
14/12/26 21:25:19.44 0.net
>>501

URLリンク(en.wikipedia.org)

Synnada (Greek: Σ?νναδα) was an ancient town of Phrygia Salutaris in Asia Minor. Its site is now occupied by the modern Turkish town of ?uhut, in Afyonkarahisar Province.

アフヨンの辺りっぽいけど、IpsiliHissarは見つからなかった

559:世界@名無史さん
14/12/26 23:52:25.21 0.net
やはりアフヨンの辺りだよね(地球の歩き方を見ての見当で)
どうもありがと

560:世界@名無史さん
14/12/27 00:02:13.87 0.net
連投で申し訳無いけど、IpsiliHissarじゃなくiscehisarでいいのかな?
アフヨンの東斜め上に位置してる

561:世界@名無史さん
14/12/27 03:07:50.95 0.net
>>505
それはよくわからんねww
とりあえずやっぱトルこの地名は鬼門

個人的にはそのさらに東にCeltikをみかけたんだけど
ガラティアと関係あるのかどうかが気になった

562:世界@名無史さん
14/12/27 12:48:10.84 0.net
セルティックってぎりぎりフリュギアなんじゃない


563:? その上にある川を越えた先のバルヒサル(ベッシヌス)はガラティアだろうけど



564:世界@名無史さん
14/12/27 18:09:48.45 0.net
>>507
そうか、まんまケルトっぽいと思ったんだけど
まぁ、ほんとにCなのかどうかも怪しかったww

565:世界@名無史さん
14/12/30 00:05:08.59 0.net
>>131
エシュムンとアスクレピオスの話までは色々とひっかかるんだけど、
どういう経緯でそうなったのかがイマイチわからないんだよな

566:世界@名無史さん
14/12/30 01:25:08.86 0.net
何故両者が同一視されたかってこと?
そうだと仮定してだけど、エシュムンは冥府の神だから病気にすることも
逆に治すことも自在なため、祀ることによって治療の神の側面を顕現してもらうように祈願

このことからギリシア人にアスクレピオスと同一視されたと読んだ覚えがあるけど
どんな書籍でかは忘れた (うろ覚えなんで違ってたらごめん)

567:世界@名無史さん
15/01/02 00:39:48.88 0.net
URLリンク(en.wikipedia.org)
これ見ても分かりにくい...

568:世界@名無史さん
15/01/02 01:15:17.02 0.net
>>510
ありがとう

Wikipediaのエピタウロスの項を読むと
出身地とされるこの都市に神殿が建てられたのが前5世紀頃で
其れ以前は別のモノが祀られていたらしい

エシュムンの神殿は水が重要な要素なんだけど、うーむ

569:世界@名無史さん
15/01/02 19:28:50.34 0.net
遺伝子のおかげで、ドーリア・アカイア人と先住民との違いがはっきりした。

570:世界@名無史さん
15/01/02 21:20:59.58 0.net
>>513
何がどの程度異なってたのかな?

571:世界@名無史さん
15/01/02 22:54:54.72 0.net
>>513を見て思い出したけど
古代ギリシャはエジプト黒人の植民地(笑)
スレリンク(whis板)
古代ギリシャはすべての起源
スレリンク(whis板)
タイトルはアレだけど、読んでみると結構おもしろかった

他は
【植民】ギリシア語圏・ギリシア文化圏【移民】
スレリンク(whis板)

572:世界@名無史さん
15/01/04 16:32:15.63 0.net
>>515

古代ギリシャって鉄板ネタなのに
おもしろい論客が居ないのはなんでなんだろうね?

573:世界@名無史さん
15/01/04 16:40:11.63 0.net
>>516
あ、スレがおもしろくなかったという訳じゃないよ。
コテハンで長いこと頑張ってるような人が居ないなぁと思っただけで

574:世界@名無史さん
15/01/04 17:22:12.61 0.net
>>511

これとか有名な碑文なんだろうけど日本のサイトで取り扱ってるとこ見かけないね
っと思ったが紀元後2世紀ならおいらの知ってるやつじゃないな
今度探してみよう

A trilingual inscription of the 2nd century BC from Sardinia[2] also identifies Eshmun with the Greek Asclepius and the Latin Aesculapius.



>>510

なるほどレシェフ神か>>369

Pausanias[3] quotes a Sidonian as saying that the Phoenicians claim Apollo as the father of Asclepius, as do the Greeks, but unlike them do not make his mother a mortal woman.
The Sidonian then continued with an allegory which explained that Apollo represented the sun, whose changing path imparts to the air its healthiness which is to be understood as Asclepius.
This allegory seems likely a late invention. Also Apollo is usually equated with the Phoenician plague god Resheph.
This might be a


575: variant version of Eshmun's parentage, or Apollo might also be equated with Sadyk, and Sadyk might be equated with Resheph.



576:世界@名無史さん
15/01/04 17:28:04.47 0.net
>>518
>the 2nd century BC
紀元前じゃないのか?

577:世界@名無史さん
15/01/04 18:33:50.92 0.net
>>368

URLリンク(en.wikipedia.org)

URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)


ラシャプ(Rassap)は、西セム系民族に伝わる疫病の神。 その名は「火をつける者、照らす者」を意味する。
別名レシェフ(Reseph)。 弓矢や死を司り、稲妻と悪疫をばら撒くため、「矢の王」の異名を持つ。

先の尖った帽子を被り、斧または棍棒と盾を振り回した姿で現されることが多い。
非常に凶暴な神であり、アナトの夫とされることもあった。

ラシャプ信仰は広く、ウガリット・カナンはもちろん、フェニキア、エブラ、古代エジプト、キプロス、スペインでも信仰された。
人々はラシャプを祭ることにより、逆に病を退けようとしたという。

ラシャプはその信仰の広さから、他の宗教に組み込まれることも多い。例えば古代メソポタミアでは、ネルガルやナムタルに結び付けられた。
古代エジプトではレシェフと呼ばれ、在エジプト外国人に、善なる軍神として崇拝され、ローマ時代にはヘーラクレースと習合された。
キプロスではアポローンと同一視されたという。

別名であるレシェフという単語は旧約聖書にもみられ、歴代誌上の7章25節では人物名としても出てくる。
岩波文庫収録のヨブ記の日本語訳を行った関根正雄はヨブ記5章7節にある「レシェフ」を他の言葉に置き換えずにそのまま訳出し、巻末の註釈において上述の異教神として解説を加えている。
なお、新共同訳聖書だとこの部分は「火花」と訳されている。また、岩波委員会訳聖書の雅歌の解説によれば8章6節の「炎」の原語は疫病と炎を司る神からとられたレシェフであると書かれる。

578:世界@名無史さん
15/01/04 18:38:50.95 0.net
>>369
どおりで名前が似ていると思った


URLリンク(en.wikipedia.org)

URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)


Qetesh (also Kadesh /?k??d??/) is a goddess adopted into the ancient Egyptian religion from the religion of Canaan, popular during the New Kingdom.
She was a fertility goddess of sacred ecstasy and sexual pleasure.[1]

The name was probably vocalized by Egyptians as *Q?ti?a from the Semitic root Q-D-? meaning 'holy'.
Her city of worship was Qadesh.


URLリンク(upload.wikimedia.org)
Map of Syria in the second millennium BC, showing the location of Kadesh (Qadesh).

579:世界@名無史さん
15/01/04 19:15:04.36 0.net
>>519
大変申し訳ありませんww

が、おいらの知ってる併記文献はそもそもこれだったので全くの勘違いでした


日本エトルリア協会より
URLリンク(giappone-etrusco.rejec.net)

1964 年に


580:ピュルジで発掘された黄金の銘板には、 エトルリア語とフェニキア語が併記されていましたが、 アスタルトに対してユニの訳語が当てられていました。



581:世界@名無史さん
15/01/04 21:33:48.30 0.net
>>522

3枚なのでてっきり三カ国語併記だと思ってたwwアホ過ぎてワラタ


Pyrgi Tablets
URLリンク(en.wikipedia.org)

The Pyrgi Tablets, found in a 1964 excavation of a sanctuary of ancient Pyrgi on the Tyrrhenian coast of Italy (today the town of Santa Severa),
are three golden leaves that record a dedication made around 500 BCE by Thefarie Velianas, king of Caere, to the Phoenician goddess ?Ashtaret.

Pyrgi was the port of the southern Etruscan town of Caere.

Two of the tablets are inscribed in the Etruscan language, the third in Phoenician.[1]

These writings are important in providing both a bilingual text that allows researchers to use knowledge of Phoenician to interpret Etruscan, and evidence of Phoenician or Punic influence in the Western Mediterranean.
They may relate to Polybius's report (Hist. 3,22) of an ancient and almost unintelligible treaty between the Romans and the Carthaginians, which he dated to the consulships of L. Iunius Brutus and L. Tarquinius Collatinus (509 BCE).

582:世界@名無史さん
15/01/04 22:05:04.77 0.net
>>520
チンコ立ち過ぎだろ

583:世界@名無史さん
15/01/06 00:15:20.41 0.net
>>107

黒いアテネを読むかどうか迷ってるんだが
おもしろいんだろうか?


URLリンク(en.wikipedia.org)
>>497

584:世界@名無史さん
15/01/06 00:28:28.40 0.net
>>515の一番上のスレに黒いアテネについての書きこみあるね
その本に対する批判の回答しての続編も読むならありじゃない?

585:世界@名無史さん
15/01/06 01:12:15.10 0.net
>>223

これは前書きを見てさすがに古すぎるんじゃないかと思ってやめた

著者は博学らしいので
内容はおもしろいこともいっぱいありそうではあったんだが



ところでアレクサンドロス3世の足跡を追っている人は>>344は読んだんだろうか
密かにヒストリエあたりのネタ元なんじゃなかろうかと考えてるんだけど

586:世界@名無史さん
15/01/06 02:14:12.43 0.net
>>226
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)


>>368
セム族の神シェド
URLリンク(en.wikipedia.org)(deity)


>>520
なぜかHadadを貼ってしまった、、、
ほんとはこっち
URLリンク(en.wikipedia.org)

587:世界@名無史さん
15/01/06 13:16:21.03 0.net
黒いアテネよりも、黒いクロマニヨン人という本を出してほしいわ。
クロマニヨン人の身体的特徴を明確にしておく必要があるだろう。
でないと、欧州人の起源に関する議論がバラバラになってしまう。

588:世界@名無史さん
15/01/06 17:43:58.43 0.net
>>527 >>344はまだ読んでない
今はオーレル・スタインに関しての「アレクサンドロス古道」という本を読んでる
カーブルからタクシラ辺りにかけての特にスワート周辺が取り上げられてるけど
個人的には凄くおもしろい

589:世界@名無史さん
15/01/06 22:00:48.01 0.net
>>526

ぐぐってもあんまりいい書評もみつからないし
おもしろいと言ってる人もみつからない�


590:セよう http://fujiwara-shoten.co.jp/main/ki/archives/2004/06/post_877.php http://www.nekomegami.com/2012ne/black_atena.html こことかの内容みても「はぁ、そうですか」としかいいようがなさそうなのがなんとも。 前12世紀のカタストロフと火山爆発による機構変動の話もあるっぽかったが失念。 とlりあえず本の厚さ的に的に受け入れ難い気がする



591:世界@名無史さん
15/01/06 22:16:04.56 0.net
>>369


>>521 が
※ちなみに「カデシュ」は地名のカデシュとは関係ない。ラメセス2世の時代に起きた「カデシュの戦い」とは無関係。


と言い切っているのは何の理由からなんだろう、、、

592:世界@名無史さん
15/01/06 22:28:57.55 0.net
>>524
ちなみに上のサイトのミンは読んでもさっぱりわからない


ミン Min
URLリンク(www.moonover.jp)

ウィキペディアもあらな感じ
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)

Min is an Ancient Egyptian god whose cult originated in predynastic times (4th millennium BCE)
そして出典も百科事典


しかしエジプトはさぱりわからんね、、、

593:世界@名無史さん
15/01/07 10:31:58.66 0.net
ツタンカーメンがR1bだからね。
何故なのかいろいろ妄想しているが(笑)

594:世界@名無史さん
15/01/07 11:08:29.01 0.net
それどっかのスレでガセって話で落ち着いてたぞ、ソース付きで

595:世界@名無史さん
15/01/08 21:47:08.07 0.net
>>535
探してみたけどよくわからんかったね

596:世界@名無史さん
15/01/08 22:42:16.89 0.net
142 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 13:47:22.98 0
 ほんまかいな・・・・って眉唾でみてるが、いちおう貼っとく。
 「欧州男性の半数、ツタンカーメンと同じ遺伝子ルーツ」
 URLリンク(jp.reuters.com)
 ツタンカーメンの父系遺伝子(Y染色体遺伝子だろうな)はコーカサス由来ってのを仮に事実として、
 考えられるのはヒクソス集団(基本セム系)の末端に印欧語系がいて、それがうまく現地民に溶け込み、
 その子孫が第3代トトメス1世(第2代の娘婿)となり、以後第12代ツタンカーメンまで父系続く・・・てなシナリオか?
 母系遺伝子なら、ミタンニ王族をいっぱい妃に迎えてるから簡単なんだが・・・。

144 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 01:14:56.96 0
 >>142 ガセに乗せられた記事らしい。

 118 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/09/04(日) 23:25:26.68 O
  最近、ツタンカーメンと同じDNAをヨーロッパ人の半数が持ってるとかの記事があったが?
  古代コーカソイドか、近一万年前後なのか数千年というレベルなのか?
  いずれにせよ、王家ほどの有力な血筋は古代から有力だと?

 122 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 03:02:10.55 0
  エジプト人には100人に1人くらいの頻度
  西ヨーロッパ人には2人に1人くらいの頻度
  というような遺伝子をツタンカーメンが持っていた、ただそれだけだろ。
  別に100人に1人の型をたまたま王様が持っていたって別段不思議ではないし。

 123 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 04:09:34.88 0
  URLリンク(55096962.at.webry.info)


597:7.html   ググったらこんな記事出て来ましたけど 145 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 21:25:04.66 0  自社商品のプロモーションか



598:世界@名無史さん
15/01/08 22:54:42.94 0.net
>>530
これまたおもしろそうなものを、、、


タキシラ
URLリンク(ja.wikipedia.org)

タキシラは歴史的に3つの重要な交易路が交差する場所に位置していた。
1つはマガダ国の首都パータリプトラから続く道であり、
1つがバクトリアやペシャーワルといった北西から続く道、
最後の1つがシュリーナガル、マーンセヘラー、 ハリープル渓谷を経由してシルクロードへとつながる道である。

599:世界@名無史さん
15/01/08 22:57:20.42 0.net
>>538

おっと、付け忘れた
URLリンク(bboja.blog88.fc2.com)

600:世界@名無史さん
15/01/09 21:53:55.22 0.net
>>537
なるほど、ありがとう

601:世界@名無史さん
15/01/10 07:27:19.18 0.net
R1bはアフリカ大陸にも侵入している。
カメルーンの一部部族はかなり高い割合でR1bウエイトが高い。

ただ、白人的特徴の痕跡がみられないので、
相当現地黒人系の女性と混血を繰り返したのだろうと推定されている。

602:世界@名無史さん
15/01/10 23:55:26.40 0.net
>
カッサンドロスって
マケドニアで息子につけるメジャーネームなの?
なんかこの名前だけで呪われてる気がするんだけどww

URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)

603:世界@名無史さん
15/01/11 00:41:59.40 0.net
アポロンに関して
URLリンク(dic.nicovideo.jp)

オリュンポス十二神の一柱。ゼウスと女神レトの息子で、女神アルテミスとは双子の兄妹である。
聖地は出生地であるデロス島と神託が下される地として高名なデルポイである。

嫉妬したヘラに命じられた大蛇ピュトンは、レトを執拗に追いかけて出産を妨害し続けたが、
出生直後のアポロンは逆にピュトンを追い続けデルポイの地で射殺し、以後その地は神託の下される聖地となった。
が、これは、元々ガイアの聖地だったデルポイをアポロンを奉ずる人々が奪ったのを正当化するため、新たに作られた神話だとも言われている。

文化的な性格を持つ詩人の神であるが、「遠矢射る」アポロンとしては病疫の神として知られる。
転じて医療神としても知られ、医療神アスクレピオスの父でもある。自分の息子アスクレピオスには一匹の蛇が絡みついた杖を、
同じ十二神の一柱である弟ヘルメスには竪琴と交換で二匹の蛇が絡みついた飾り付きの杖を送ったことがある。[※1]



起源

小アジア起源の女神レトを母親に持ち、トロイア戦争では一貫してトロイ側だったように、彼もまた非ギリシャ的な側面を持つ神である。

彼はエトルリアの地ではアプル(Apulu)として信仰されたが、一方フリやヒッタイトの神話にもアプル(Aplu)という神が信仰されていた。

この小アジアの神は元来アッカドの神であり、その本来の意味はアプル・エンリル「エンリルの息子」で、この二つ名を持つ冥府の王ネルガルを指していた。
ネルガルは時にメソポタミアの太陽神シャマシュと同一視されるが、もしアポロンがその名の由来をネルガルに持つなら、
病魔の神、死の神、太陽神、そして主神の息子としての性格の多くを彼から引き継いだのであろう。

604:世界@名無史さん
15/01/11 01:07:13.13 0.net
ほう、エンリルの息子が伝播したという説もあるのか
真�


605:Uのほどはわからんが、もしそうならシュメール時代の神格が流れに流れたということになるな



606:世界@名無史さん
15/01/11 04:57:08.75 0.net
>>544
うーん、その説は厳しそうな気がしてる

URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)

The Apollo of Veii is an over-life-size painted terracotta Etruscan statue of Apollo (Aplu). Originally at Veii,
it dates from c. 510 - 500 BC and was sculpted in the so-called "international" Ionic or late-archaic Etruscan style.
It was discovered in 1916, and is now on show in the National Etruscan Museum in Rome, central Italy.



ウェイイ
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ウェイイはエトルリアの南端に位置する裕福な都市だった。300年以上にわたって共和政ローマと戦争と同盟を繰り返した。
最終的に紀元前396年、ローマのマルクス・フリウス・カミルスの軍がウェイイを陥落。
その後もローマ支配下でウェイイは存続し、トランクィッルスによればリウィアの邸宅もそこにあった。
間もなくウェイイはローマに同化し、学術文献ではそれまでを "Etruscan Veii"、それ以降を "Roman Veii" として区別する。
ローマ帝国時代には Municipium Augustum Veiens と呼ばれた。

ウェイイは彫刻で有名であり、ティベリウス像(現在はバチカンにある)、Apollo of Veii(ヴィラ・ジュリア国立博物館所蔵)などが特に知られている。
ローマが征服した後、ウェイイは徐々に衰退していった。中世になるまでに廃墟と化し、価値のあるものは全て持ち去られた。
最終的に耕地となって忘れ去られていたが、17世紀の古代史研究家 Raffaello Fabretti が再発見した。

607:世界@名無史さん
15/01/11 12:17:04.30 0.net
アポローン
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ギリシア神話に登場する男神。オリュンポス十二神の一人であり、ゼウスの息子である。
詩歌や音楽などの芸能・芸術の神として名高いが、
羊飼いの守護神にして光明の神でもあり、イーリアスにおいてはギリシア兵を次々と倒した[1]「遠矢の神」[2]であり、
疫病の矢を放ち男を頓死させる神[3]であるとともに病を払う治療神でもあり、
神託を授ける予言の神としての側面も持つなど、付与された性格は多岐に亘る。

もとは小アジアに起源をもつ神格で、本来は繁茂する植物の精霊神から転じて牧畜を司る神となったという説や、
北方の遊牧民に起源を求める説など[4]、アポローンの出自については諸説あり、複数の神格の習合を経て成立したものとも考えられている[5]。
古典期のギリシアにおいては理想の青年像と考えられ、また、ヘーリオス(太陽)と同一視されるようにもなった。

608:世界@名無史さん
15/01/11 12:18:53.61 0.net
>>546

概説[編集]

古典期のアポローンは主神ゼウスとレートーとの息子であり、アルテミスとは双生児である。
オリュンポス十二神には(諸説があるが)ほぼ確実に名を連ねる。古くから牧畜と予言の神、また、竪琴を手に執る音楽と詩歌文芸の神であった。
光明神の性格を持つことから前5世紀には時としてヘーリオスと混同されて太陽神とされ、ローマ時代にはすっかり太陽神と化した[6]。

聖獣は狼および蛇、鹿で、聖鳥はヒュペルボレオイの国から飛来する白鳥および、鴉、雄鶏、鷹、禿鷹で、蝉


609:もアポローンの使いとされる[7][8]。 聖樹は月桂樹、オリーブ、棕櫚、御柳[8]。また、イルカ(デルピス)との関係も深く、 イルカの姿に変身したという神話からデルピニオスとも呼ばれ、「デルポイ」という地名はここから来ているともいわれる[8]。(デルポイは「子宮」を意味するデルピュスが語源という説もある[9]) また、あらゆる知的文化的活動の守護神とされ、詩神ムーサイを主宰するとともに、オルペウス教の伝説的開祖である詩人オルペウスの父親ともされる。 一方、人間に当たれば苦痛なく一瞬で即死する金の矢を武器とし、姉妹神アルテミスとともに「遠矢射るアポローン」として疫病神の性格を持ち、転じて医術の神としても信仰された。 医神アスクレーピオスがアポローンの子とされるのはそのためである。 このように、アポローンの性格は理性的であると同時に人間を地上に向かって放った矢から広がる疫病で虐殺したり、 音楽の腕を競う賭けでサテュロスの1人マルシュアースを生きたまま全身の皮膚を剥いで殺すなどの冷酷さ、残忍さをも併せ持っている。 腕力も強く、イリアスではアカイア勢の築いた頑強な城壁を素手で軽々と打ち砕いて崩壊させている。ボクシングを創始した神としても知られる。 フリードリヒ・ニーチェは、理性をつかさどる神として、ディオニューソスと対照的な存在と考えた(『悲劇の誕生』)。



610:世界@名無史さん
15/01/11 12:22:33.75 0.net
>>547

非ギリシア的性格[編集]

ギリシア的な神とされるが、『イーリアス』ではつねにトロイア側に加担している。
また、母親とされるレートーは、元来は小アジアで信仰された大地の女神で、アポローンはこれに付き従う植物神を核として形成された、複数の神格の集合体と考えられている。
その名前もギリシア語に由来するものではないというのが一般的な見解である。

また、生誕後、ギリシアに現れる前の一時期を北方の民ヒュペルボレオイの国で暮らしていたとされ、北海沿岸の琥珀産地と地中海沿岸を結ぶ交易路「琥珀の道」とも深いかかわりを持つ神だと考えられている。
さらにアルテミスの起源は北アフリカとされ、この女神と双子であるという性格は、地中海周辺で崇拝されていた女神群の配偶者群(タンムーズ、アドーニス、オシーリスなど)と同列のものと考えられる。

デルポイはアポローンの神託所であるが、少なくともミケーネ文明以前の時代から開けており、元は他の別神格の信仰中心地であったと考えられる。
神話によれば、もともとガイアの聖地だったものを、番人の大蛇ピュートーンを射殺して奪ったものだという。神託は巫女ピューティアーにより詩の形で与えられた。
このほか、ヘーリオン山、生誕地とされるデーロス島、ミーレートス市近郊のディデュマもアポローンの聖地とされる。

611:世界@名無史さん
15/01/11 14:11:23.71 0.net
トロイアについただけで非ギリシア的って判断できるのかなぁ?
もちろんオリエントの要素を全く否定ししないけど

【植民】ギリシア語圏・ギリシア文化圏【移民】
スレリンク(whis板:193番)
トロイアってセストスからヘレスポントス海峡をアビュドス(チャナッカレ)に渡って
シゲイオン→イリオンの√だよね ご近所さんに思えるんだけど

612:世界@名無史さん
15/01/11 14:40:32.25 0.net
>>549

まぁ、それはウィキペディアの分類なんだししょうがないんじゃww
たぶんギリシャ語の流れではないという話なんだと思います。

イリオン=トロイア説なら環エーゲ海の一部ですね。

613:世界@名無史さん
15/01/11 15:55:16.07 0.net
アポロンを調


614:べて毎度ふしぎに思うのはこれ >また、母親とされるレートーは、元来は小アジアで信仰された大地の女神で、アポローンはこれに付き従う植物神を核として形成された、複数の神格の集合体と考えられている。



615:世界@名無史さん
15/01/11 15:58:19.30 0.net
アポッローン( =Apovllwn)
URLリンク(web.kyoto-inet.or.jp)

 アポローンの出自ならびにアポローン崇拝の起源に関する近代の学者たちの説は、文字どおり諸説紛々であるが、大別すると三つの系統に分けられる。

そのひとつは、ヴィラモーヴィツによって強力に提唱され、ニルスンに継承された説であり、
アポローンを小アジアのリューディア、リュキア地方に起源する神で、「レート-=アポローン=アルテミス」という三位一体をなすアジア的神格としてとらえる考え方である。
この説によれば、小アジアの大女神ラーダー(レートー)を母とするアポローンはリュキア辺に起源を持ち、
イオーニア海に浮かぶ諸島を伝わって、その崇拝がギリシア本土に及んだ外地からの渡来の神だということになる。

その理由としてしばしば、アポローンにとっての聖地やゆかりの地が小アジアことにもイオーニア地方に多く見出され、
クラーロスやディーデュマをはじめとするイオーニア諸都市でアポローン崇拝が盛んだったことが挙げられる。
また『イーリアス』において、アポローンが一貫してトロイア側に立ち、ギリシア人に対しては敵対的であるのも、
この神が元来は小アジア一帯において崇められていた強大な神格であったことを示唆している、というのである。


 これに対立する有力な学説は、H・J・ローズによって代表される、アポローン北方渡来説である。
アポローンがその誕生の直後に赴いて一年を過ごじたと言われ、また毎年夏になるとそこへでかけるとも伝えられていたヒュベルボレオイ人との関係を重視し、
極北ないし北方地帯にあったと想像されるこの国こそがアポローンの故地であって、北方の牧人たちによって崇められていた牧畜の守護神こそがこの神の本来の姿だと主張する説である。
(この説を唱える学者は、「リュキオス(Lykios)、「リュケイオス」(Lykeios)というアポローンの称呼を、「リュコス」(lykos 狼)という語かち出ているものと解し、
アポローンは本来「狼神」Wolf-godであり、それゆえに牧畜の守護神であったと見なしている)。

616:世界@名無史さん
15/01/11 16:00:47.25 0.net
>>552

 アポローンの出自に関する第三の説は、0・ケルン、R・アリなどの学者によって唱えられているものである。
すなわち、アポローンは渡来神ではなく本来のギリシア民族の神であって、最後にギリシアの地に侵入したドーリス族によってことにも祭められていた牧畜の守護神がその本性である、と主張する説である。
この説によれば、エーゲ海諸島やアナトリア、小アジアの沿岸にアポローン崇拝が盛んに行われたのは、
アポローンがこれらの地で、先住の神である「マンドロス」(これも牧畜の守護神であったらしいが)を押し退け、この神にとって代わったためである、ということになるようである。


 アポローンの出自をめぐる諸説は、これに尽きるわけではない。

>>544>>545

1936年にハンガリーの学者B・フロズニーがアナトリア地方で発見して刊行したヒッタイトの碑文に、「アプルナス」(Apuluna)という神名かあらわれていることが明らかとなり、
一部の学者たちは、このオリエントの戸口の守護神こそがギリシアの神アポローンの言わば「遠祖」だと考え、アポローンが東方起源の神であることは疑う余地がない、と主強した。
またアムベールのように、以上のいずれの説にも与せず、アポローンがアカイア人(ギリシア人)のものであるオリュムポスの神々とは全く異質な体質をもっていることは認めながらも、
この神のアジアからの渡来を否定する立場をとっている学者もいる。

すなわちアムベールによれば、アポローンはギリシアー族の神でもなければアジアから渡来した神でもなく、ギリシア人がその地に入る以前から、
後のギリシアならびにアナトリア地方全体を覆っていた「エーゲ世界」で崇められていた神絡である。
ギリシア人やリューディア人が後に彼らの国となる地に侵入した時点で、そこですでに崇められていたこの神を見出し、これにアポローンの名を与えた、というのである。


 ざっと以上のようなところが、アポローンの出自ないしは起源をめぐる諸説のあらましであるが、
先に述べたとおり、そのいずれもいまだ決定的な説得力のある説とは認められていない。

617:世界@名無史さん
15/01/11 20:53:25.83 0.net
>>525
ブログのタイトルだけ引用します、、、


「黒いアテナ」(一時期話題になったけど多分読むのは時間の無駄…)
URLリンク(55096962.at.webry.info)

618:世界@名無史さん
15/01/11 22:00:58.09 0.net
>>166>>338


URLリンク(web.kyoto-inet.or.jp)

 しかし、リビア人たちによれば、百腕の巨人たちより先にガラマース〔リビアのガラマンテース人の名祖〕が生まれており、
彼が平原から立ち上がったとき、まず大地母神に甘いドングリの実を供えたという。

3 ガラマースというのは、リビアのガラマンテース人の名祖である。
この種族はフェザン地方の南にあるジャードー砂漠のオアシスを占拠していたが、前十九年にローマの将軍バルブスによって征服された。
彼らはもとクシト・ベルベル語 族の民であったが、二世紀のころに母系制のレムタ・ベルベル族に征服されたのだといわれている。
さらにその後、彼らはナイジェル河上流の南岸に住んでいたニグロの原住民と混交して、その言語を用いるようになった。

こんにちでは、ただひとつコロマンツェという名前の部落にだけ、彼らは生き残っている。 ガラマンテ(Garamante)という名前は、
ガラとマンとテの三つの単語が組みあわさってできたもので、「ガラの国びと」という意味である。

ガラというのは、どうやらケール Ker もしくはクレ Q're あるいはカール Car などとよばれる女神をさすらしい。
そしてこの女神は、さまざまな種族のなかでもとくにカーリア人の名祖で、蜜蜂の飼育と関係のふかい神とされていた。
穀物が栽培されるようになる以前に古代世界の主食であったどんぐりは、リビア地方でたくさんとれた。
またガラマンテース人たちが入植していたアモン地域と北部ギリシアのドードーナ地方とはある種の宗教上の盟約を結んでいたが、
サー・フリンダース・ピートリの説にしたがえば、この信仰上の結びつきは、早くも前第三千年紀にははじまっていただろうといわれる。
この二つの地域には古くから樫の木をめぐる神託というべきものがあった。

ヘーロドトスはこのガラマンテース人たちのことを、平和を愛するが、しかしたいへん強力な種族で、
ナツメヤシを栽培し、穀物をつくり、牛羊などの家畜を牧していたと書いている(第四書・一七四および一八三)。(グレイヴズ、p.50-53)

619:世界@名無史さん
15/01/11 22:04:32.92 0.net
ちなみにガラマンテスは
ナショジオにページがあったんだがお引越しで探すのがめんどくさいな

まぁ、こっちだけでも十分におもしろい


西方フェニキア都市レプキス・マグナとガラマンテス
青木真兵
URLリンク(www.kobe-yamate.ac.jp)

620:世界@名無史さん
15/01/12 13:15:47.18 0.net
トラーキアのリビア人ってのがわからない
ほんとにいるんだろうか?

621:世界@名無史さん
15/01/13 23:53:48.7


622:6 0.net



623:世界@名無史さん
15/01/14 23:44:38.56 0.net
>>556

うーん

URLリンク(www.africanworldheritagesites.org)

It is the home of more than 15,000 rock paintings and engravings, dating back as far as 12,000 years.
This incredible open-air gallery tells the story of the changing fortunes of this part of the Sahara and the people who have occupied the area over the millennia.
It is a story that traces the environmental effects of climate change which can be divided into distinct periods according to the characteristics of the rock-art legacy.

The oldest art belongs to the so-called Wild Fauna Period (10,000-6,000 BC) characterised by the portrayal of animals
? elephants, giraffes, hippos and rhinos ? that inhabited the area when it was much wetter than today.

Overlapping with this era is the Round Head Period (8,000-6,000 BC) when human figures appear alongside painted circular heads devoid of features.

At this time people were living as hunter-gatherers,
but this gradually gave way to the Pastoral Period (5500-2000 BC)
characterised by art that depicts the introduction of domesticated cattle,
and a more settled existence with human figures handling spears and performing ceremonies.

As the climate became progressively drier and long-distance travel more important,
the art of the Horse Period (1000 BC ? AD 1) shows the introduction of horses and horse-drawn chariots.

Finally, the most recent period of rock-art in the Sahara (from about 200 BC to present) is the Camel Period, as these animals have played an increasingly important role.

624:世界@名無史さん
15/01/15 18:20:04.05 0.net
>>559
ここでは紀元前千年以降になってるけど
「馬の時代」の始まりを
ヒクソスや海の民の侵入に求める説もあるようだ。

625:世界@名無史さん
15/01/15 22:40:56.61 0.net
>>282>>212

ドラゴンスレイヤーは何故かドラゴンに飛ばされる
そしてピュートンは載ってないので下の方
だけどそっちもNo6の話は知らない
しかしメデアについては「蛇遣いの術」が、、、そして確かもうひとつ蛇との関連が


ドラゴンスレイヤー
URLリンク(ja.wikipedia.org)

1 神話・伝説が語る竜殺し
1.1 ベオウルフ
1.2 ジークフリート
1.3 カドモス王
1.4 ダニエル
1.5 聖ゲオルク
1.6 スサノオ
1.7 屠竜之技
1.8 印欧人に伝わる竜殺しの類型


Dragons in Greek mythology
URLリンク(en.wikipedia.org)
Contents [hide]
1 Ladon
2 Lernaean Hydra
3 Pytho or Python
4 The Colchian Dragon
5 The Ismenian Dragon
6 Solar Dragons

626:世界@名無史さん
15/01/16


627:01:38:53.12 0.net



628:世界@名無史さん
15/01/16 01:41:34.11 0.net
>>562
一番下が一瞬「ロットリング」に見えた

629:世界@名無史さん
15/01/16 18:21:18.96 0.net
>>560
アフリカの岩絵に描かれているチャリオットの形式について、
色々と考察しているサイトが何処かにあったんだけど失念

630:世界@名無史さん
15/01/16 21:56:21.65 0.net
>>555

クシ諸語(クシしょご)

説明:
北東アフリカ,エジプト,スーダンの紅海沿岸,ソマリア,エチオピア高原に分布する諸語の総称。Cushitic。
クシト語Cushiteとも。ベジャ(ベドウェー),ガラ,ソマリなどの諸言語が含まれる。→ハム語


レムタ・ベルベル族
URLリンク(upload.wikimedia.org)
???


>>559
URLリンク(en.wikipedia.org)

History[edit]

Proto-Berber shows features which clearly distinguish it from all other branches of Afroasiatic, but modern Berber languages are relatively homogeneous,
suggesting that whereas the split from the other known Afroasiatic branches was very ancient, on the order of 10000~9000 BP, according to glottochronological studies,[2]
Proto-Berber might be as recent as 3000 BP. Louali & Philippson (2003) propose, on the basis of the lexical reconstruction of livestock-herding,
a Proto-Berber 1 (PB1) stage around 7000 BP and
a Proto-Berber 2 (PB2) stage as the direct ancestor of contemporary Berber languages.[3]

In the third millennium BC, proto-Berber speakers spread across the area from the central North Africa to Egypt.
In the last millennium BC, another Berber expansion created the Berber peoples noted in Roman records.
The final spread occurred in the first millennium BC, when the Tuareg moved into the central Sahara, by then possessing camels;[4]
in the past, the northern parts of the Sahara were much more inhabitable than they are now.[5]

The fact that there are reconstructions for all major species of domestic ruminant except for the camel in Proto-Berber
implies that its speakers produced livestock and were pastoralists.[6]

631:世界@名無史さん
15/01/17 00:00:57.58 0.net
>>518

URLリンク(books.google.co.jp)

ラテン


632:語、ギリシャ語、ポエニ語 らしい 一番長いし製塩事業だったらポエニ人なのかな ベルベル人の話もでてるけど http://en.wikipedia.org/wiki/Shophet (Redirected from Suffete) カリャリ(イタリア語: Cagliari の歴史はなかなかおもしろい http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%AA 古代[編集] カリャリは古代より人が定住していた。海と肥沃な平野に挟まれた好ましい状況が占め、周囲を2箇所の湿地に囲まれていた(これは内陸からの敵の攻撃を防御するのに適していることを示す)。 そして高く緑の多い山地に近接していた(もし何もかも失っても人々は定住地を立ち退くことが可能だった)。 先史時代の住民のいくつかの証拠は、モンテ・クラーロとサンターリア岬で見つかっている。 カラリス(Karalis、古代ギリシャ語:Kalares、ラテン語:Caralis)の名で、紀元前7世紀頃、ティルスをつくったフェニキア人が、 サルデーニャ島での貿易植民地の一群の一つとしてカリャリをつくった(その他にはスルキス、ノーラ、タロスがあった)。 定住地の基盤は明確にカルタゴ人へあてがわれた(パウサニアス x. 17. § 9; クラウディアヌス, B. Gild. 520)。 優れた港であるのと同様に、アフリカ大陸との通信にうってつけの位置であったためである。 そのうえ、唯一の良く隠された道路が固定され、スタニョ・ディ・カリャリ(Stagno di Cagliari)と呼ばれる大規模塩湖または潟がカラリスと接続した。 塩湖は狭い地峡で湾と行き来ができ、カラリスの内港または係船地として古代から用いられてきたとクラウディアヌスは記述している(クラウディアヌス. B. Gild. 520-24.)。



633:世界@名無史さん
15/01/17 01:43:10.39 0.net
幻のアトランティス大陸の合金?シチリア島沿岸から「オリハルコン」が発見
URLリンク(irorio.jp)
URLリンク(news.discovery.com)

634:世界@名無史さん
15/01/18 08:46:56.39 0.net
>>567

さすがにその発想はなかったww

635:世界@名無史さん
15/01/18 11:40:35.57 O8nIibdd0.net
サルジニア人のかなりはクロマニヨン人の直系の子孫だからな。

636:世界@名無史さん
15/01/18 14:15:52.54 2lYglHIZ0.net
>>510>>512

URLリンク(www.karakusamon.com)

原型は、シュメールおよびバビロニアの医神で冥府の神でもあるニンギッジドゥがもつ
2匹の蛇が巻きついた杖だとみなされている。
ニンギッジドゥは、角のある蛇を従えた姿で表現されることもあり、
ラガシュのグデア王(前2100ころ)の守護神でもあった。
カルタゴでも崇拝されたフェニキアの医神エシュムーン(ヤスムーヌ)は、
ギリシア人によりアスクレピオスに同化させられ、やはり蛇のついた杖を持つ姿で描かれる。

637:世界@名無史さん
15/01/19 23:01:34.72 0.net
まじか、、、


羊毛の歴史
URLリンク(ja.wikipedia.org)

紀元前1500年頃から、地中海に現れたフェニキア人によって白いウールタイプのヒツジがコーカサス地方やイベリア半島に持ち込まれた。
コーカサス地方のヒツジは、�


638:フちにギリシア人によって再発見され、黄金羊伝説となった。 このヒツジはローマ時代には柔らかく細く長く白いウールを生むタランティーネ種へ改良された。



639:世界@名無史さん
15/01/20 00:15:37.74 0.net
おうん?
コーカサス地方とイベリア半島って、どちらも「イベリア」と呼ばれたとこやの
どうも繋がりがはっきりしないみたいだが、なんぞその件と関係あるんかの

640:世界@名無史さん
15/01/20 02:59:34.83 0.net
>>572
その発想もなかったww


そしてこの発想もなかった


古代エジプト王朝の「暗黒時代」の謎を解く壁面彫刻を発掘
2009年04月22日 13:19 発信地:カイロ/エジプト
URLリンク(www.afpbb.com)

古代ギリシャ語で「外国の統治者たち」を意味するヒクソスは、非常に憎まれていたため、
エジプトの王による支配が復活した際に、ヒクソスに関するモニュメントや記録はことごとく破壊されたといわれる。



古代エジプト・ヒクソス王朝の地下都市をレーダーで確認
2010年06月21日 15:12 発信地:カイロ/エジプト
URLリンク(www.afpbb.com)

【6月21日 AFP】
エジプトの首都カイロ(Cairo)北東部のナイル川下流域の町テルエルダバア(Tal al-Dabaa)付近で、
オーストリアの考古学チームが3600年前の古代エジプト・ヒクソス王朝の首都アバリス(Avaris)とみられる地下都市を確認した。
エジプト考古最高評議会(Egypt's Supreme Council of Antiquities)のザヒ・ハワス(Zahi Hawass)事務局長が20日発表した。

 調査チームはレーダーを使って上空から一帯を撮影。道路、家屋、墓などを含む計画的に設計された地下都市を確認した。
この他、都市を貫いて流れていたナイル川の支流や2つの島も確認できた。

641:世界@名無史さん
15/01/20 03:25:14.11 0.net
>>573

URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)

Tell el-Dab?a Homepage
URLリンク(www.auaris.at)
こりゃ詳しいね

642:世界@名無史さん
15/01/20 19:27:45.85 0.net
>>570
ニンギッジドゥって、ニンギシュジダ(ニンギジダ)を指してるのかな?
治癒神、ラガシュとの関係からみて
岩波の「古代オリエント事典」と山川の「メソポタミアの神々と空想動物」を参照

シドンで信仰されたエシュムンはベイルートで起った神らしいんだけど
その起源はシュメールやバビロニア
かたやウガリットのバアル、アラム人の雷神ハダト、アッカドのアダトは遡ると
ヒッタイト・フリ系の天候神テシュブに至るみたいだけど、それぞれルーツが
異なるのがおもしろいね

643:世界@名無史さん
15/01/20 20:28:26.42 0.net
>>575

読み方はよくわかりませんww
私は神名など詳しくないのですみません。(ちなみにほとんどメガテン由来)


URLリンク(en.wikipedia.org)

URLリンク(upload.wikimedia.org)
グデア王とあるしそうなんだと思いまする。

The "libation vase of Gudea" with the dragon Mushussu, dedicated to Ningishzida (21st century BC short chronology).
The caduceus is interpreted as depicting the god himself.


そういえば嵐神テシュプ(Teshub)で思いだしたけど、
蛇の話をしてるのにイルルヤンカシュ (Illuyankas)が出てない。

URLリンク(ja.wikipedia.org)


644:AB%E3%82%B7%E3%83%A5 だが蛇じゃない説もあるのか、、、



645:世界@名無史さん
15/01/21 00:44:29.45 0.net
以前の見たニュースではオリュンピアスではないかと噂されていたが、、、


URLリンク(www.jiji.com)

 【アテネAFP=時事】
ギリシャ文化省は19日、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の時代の巨大墳墓から見つかった人骨について、
性別や年齢、身長などの詳細に関する調査結果を来年1月に公表すると発表した。
墳墓に埋葬された人物が大王の妻もしくは母、部下ではないかとの臆測が飛び交っている。

 ギリシャのウェブサイト上では、この骨は54歳の女性のもので、大王の母オリュンピアスの可能性があるとの主張が掲載されたが、
文化省は19日、この見解を「根拠がない」と指摘した。また、歴史家は大王本人である可能性はほとんどないとみている。
(2014/12/20-05:30)


最近発掘されているアレクサンドロス3世時代のアンフィポリスの墓から発見された遺体は
 60歳前後の女性が1遺体
 35歳と45歳の男性 2遺体
 他数名
らしい。はてさて

646:世界@名無史さん
15/01/21 18:40:43.27 0.net
アンフィポリスってロクサネとアレクサンドロスⅣ世が
カッサンドロスによって殺害されたところだよね?

647:世界@名無史さん
15/01/21 21:49:44.14 0.net
>>578
どこで処刑されたかはよくわかんないけど

ここの人によると
URLリンク(historia334.web.fc2.com)
ヴェルギナ王墓の被葬者(2012年改訂版)

墓は古代マケドニア王国の首都アイガイとされるヴェルギナにありそうな雰囲気


ちなみにアンフィポリスの方はウィキペディアによると
URLリンク(ja.wikipedia.org)

アレクサンドロス3世(大王)の治世においては、アンフィポリスは重要な海軍基地の一つとなり、
有名なマケドニア王国の3人の提督である、ネアルコス、アンドロステネス[5]、ラオメドンを生むことになった。
また彼らはアンフィポリスで埋葬されることにもなった。


当然のこですがいつものごとく全く裏は取れてないww

648:世界@名無史さん
15/01/21 21:55:14.69 0.net
>>577
いろんな説があるらしい


【速報】歴史ニュース【世界史】その5
スレリンク(whis板:398番)


ここにモザイク画のってるのかな
ペルセポネ融解事件のやつ

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

649:世界@名無史さん
15/01/21 23:13:00.19 0.net
>>580
あらら、モザイク画載ってないのね

650:世界@名無史さん
15/01/21 23:38:16.72 0.net
>>201

リビアのキュレナイカとエジプトの間ぐらいにある
メルサ・マトルフ(に近い遺跡って)載ってないね。
駝鳥の卵が輸出されていたようだけど

エジプトにあるナウクラティスより古いギリシャ植民地ってどこなんだろうなぁ

651:世界@名無史さん
15/01/22 00:18:24.22 0.net
>>492

パンイオニオンは何処に | アルタクセルクセスの�


652:、宮址遺跡 ... http://plaza.rakuten.co.jp/artaxerxes/diary/200504280000/ より(松平千秋訳による岩波文庫版)。 「・・・・ これらのイオニア人の話している言葉は同一のものではなく、4つの方言に分かれている・・・・」 「・・・前に挙げた12の町(ミレトス、ミュウス。プリエネ、エフェソス、コロポン、レベトス、テオス、クラゾメナイ、ポカイア、サモス、キオス、エリュトライ)だけは、 この名称(イオニア)に誇りをもち、自分たちだけで聖地を定め、これをパンイオニオン(全イオニア神社)と名付けたが、 他のイオニア人(注・アテネなど)には一切この聖地にあずからせないことを議決した」 「パンイオニオンはミュカレ山の北斜面にある聖域で、イオニア人が共同して「ヘリケのポセイドン」に捧げたものである。 ミュカレは大陸から西方サモス島に向かって伸びている岬で、イオニア人たちは例の町々からここに集まり、「パンイオニア(全イオニア祭)」の名で呼んでいる祭りを祝うのである」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%90%8C%E7%9B%9F イオニア同盟(英語:Ionian League)またはパンイオニア同盟(Panionic League)は、紀元前800年頃、アナトリア半島のイオニア地方(現トルコ)の諸都市を中心に結成された同盟である。 ヘロドトスによると(I.142)、イオニア同盟に含まれる都市は12で、北から順に、 ポカイア(現フォチャ) クラゾメナイ(Klazomenai) エリュトライ(Erythrae) テオス(Teos) レベドス(Lebedus) コロポン(コロフォンとも、Colophon)[1] エフェソス プリエネ(Priene)[2] ミュウス(Myus) ミレトス(Miletus)現アイドゥン それに、サモス島、キオス島 スミルナ(Smyrna)(現イズミル)は元々アイオリス人の植民地だったが、コロフォンのイオニア人に征服され、後から同盟に加わった。



653:世界@名無史さん
15/01/22 00:26:32.03 0.net
>>583続き

イオニアというのは元来ドーリア族、アイオリス族、アルカディア族などと並ぶギリシャ人の部族名だったが(アテネもイオニア族なので、
アテネ式の建築様式を「イオニア式」と呼んでいる)、多くは現在のトルコのエーゲ海岸に住んでいたのでいつしか地方名になった。

イオニア人がギリシャ本土から現在のトルコのエーゲ海岸に移住したのは紀元前11世紀頃からだという。
ミュカレ山ではそれ以前の後期青銅器時代の土器なども採取されているが、不思議なことに同じ時代に地中海東部に広範に輸出されたミケーネ土器は見当たらないという。
なおヒッタイト帝国時代(ムルシリ2世、紀元前14世紀後半)の粘土版文書にはミュカレ山と思しき記述があるというが、本当だろうか?

・・・

ローマン教授はミュカレ山のあちこちを踏査して回った結果、標高750mのところにある場所で、崩れた城壁に囲まれた遺跡を発見した。

 そこでは紀元前6世紀の土器や、同じく紀元前6世紀のミレトスで使われていたのと酷似する瓦や鬼瓦(模様は鬼ではなくライオンの顔だが)を採集することが出来た。
他の時代の遺物が拾えないこと


654:、またミュカレ山には他にパンイオニオンの時代に合致する遺跡が見当たらないことからこの遺跡がパンイオニオンではないかと結論付けている。 城壁には破壊の痕跡があり、これはイオニアがペルシアに対する反乱を起こした際(紀元前500~494年)に、報復としてペルシア軍によって破壊された跡ではないか、と推定している。 海の神であるポセイドンの神殿が山の上にあるというのも変な話だが、 ポセイドンに捧げられるのは牛であることから、小アジア土着の牛を聖獣とする山岳信仰(ヒッタイトなどがそうだが)と習合したのではないか、ということだった。 どちらにせよ発掘はまだこれからなので今後の進展を待つしかない。 >>318>>322



655:世界@名無史さん
15/01/22 00:36:45.31 0.net
URLリンク(sitemaker.umich.edu)
ここにも載ってないね

ナウクラティスって植民市っていうよりエジプトに許可された交易都市じゃないのかな

656:世界@名無史さん
15/01/22 00:40:08.74 0.net
>>585

雰囲気は租界な気がするなぁ

657:世界@名無史さん
15/01/22 01:02:44.82 0.net
>>584
>イオニアというのは元来ドーリア族、アイオリス族、アルカディア族などと並ぶギリシャ人の部族名
アルカディア族はアカイア系を指してる?

658:世界@名無史さん
15/01/22 07:17:58.60 0.net
>>587
Wikipediaを見る限り微妙なところがありそうだけど
この場合にはそれでもいいんじゃないのかな

659:世界@名無史さん
15/01/22 21:46:21.14 0.net
>>571
しかし昔ならともかく今ならこの説にかなり無理があるとかんっじるな
起源を調べてみよう

660:世界@名無史さん
15/01/23 00:50:51.39 0.net
>>582
マルサマトルーフってパライトニオンのことだよね?
アレクサンドロスがシウア・オアシス(アモンの神託所)へ行く途中の

661:世界@名無史さん
15/01/23 01:57:01.11 0.net
>>590
ありがとう、これか
そんでもって「Ammonia」(ストラボン、ステファノス)なので間違いないだろうね


マルサマトルーフ(メルサマトルー、Marsa Matruh)は、エジプト北西部にあるマトルーフ県の県庁所在地で、地中海に面する港湾都市です。
アレクサンドリアから西へ約240km、エジプトの首都カイロから北西へ約410kmの場所に位置しており、
ナイル・デルタからリビア国境へのハイウェイとシワ・オアシスやバハリヤなどへの西部砂漠へ向かうハイウェイの分岐点にあります。

このマルサマトルーフは、古代エジプトやアレクサンダー大王の時代には「アムニア(Amunia)」と呼ばれ、
プトレマイオス朝やビザンチンの時代には「パライトニオン(Paraitonion)」、
ローマ時代には「パラエトニウム(Paraetonium)」と呼ばれる街でした。


 (2) 長い海岸線に港がひとつ 
四番目の側辺は、……ほとんど港のない海が波打ち寄せていて、エジプト海に面し、
外海は沿岸航路がこの上もなく長いものの、この地方へ上陸しようとしても船を寄せての停泊は難しい。

リピュア地方のパライトニオンからコイレ・シュリア地方内のイオペまでの問、
その沿岸航路は五、000スタディオン(九00キロ)に近いのに、パロス以外に安全な港を見つげることが出来ない。



そのうえまさかと思ったが、ここまで繋がるのかww

「アンモニア」
名称の由来は、エジプトのアモン神殿の近くからアンモニウム塩が産出した事による。

662:世界@名無史さん
15/01/23 02:05:53.80 0.net
>>589
すごく古い起源だww


URLリンク(en.wikipedia.org)

The Phoenicians introduced sheep from Asia Minor into North Africa and the foundation flocks of the merino i


663:n Spain might have been introduced as late as the 12th century by the Marinids, a tribe of Berbers.[citation needed] In the 13th and 14th centuries, Spanish breeders introduced English breeds which they bred with local breeds to develop the merino; this influence was openly documented by Spanish writers at the time.[12] [12] "Wool". The New American Cyclopaedia 16. D. Appleton and Company. 1858. p. 538.



664:世界@名無史さん
15/01/23 02:45:11.24 0.net
>>591

神の子 ~エジプトへ~
URLリンク(historia334.web.fc2.com)


URLリンク(appsv.main.teikyo-u.ac.jp)'%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%B3'

6 アレクサンドロスはこの出来事を吉兆と見て、神は自分の訪問を喜んで受け入れるだろうと解釈し、道を急いだ。
まず、「苦い湖」と呼ばれる湖に着き、
それから100スタディオン進んでアンモンの町と名づけられた町を通り過ぎ、
そこから1日の道程で聖域に近づいた。

第50章

2 この聖域はエジプト人のダナオスが建てたといわれ、
神の聖なる土地の周りには、南と西にエチオピア人、北に遊牧のリビア人が住み、
内陸に向かうとナサモンと呼ばれる部族に達する。

4 城塞の外側からほど遠からぬ所にアンモンの第二神殿があり、沢山の大きな樹木が影を落としている。
その近くに、その現象から「太陽の泉」と名づけられた泉がある。驚いたことにその泉の水は、一日の時間とともに常に温度が変わるのである。

5 夜明けに泉は暖かい水を噴き出すが、日が昇ると時間の経過に歩調を合わせて水は冷めていき、真昼の暑い盛りに最も冷たくなる。
それから夕方に向って温度の下降は止まり、夜になると次第に暖かくなって夜中に至る。
未明にかけて温度の上昇は止まり、夜明けにはまたもとの温度に戻るのである。


シワ・オアシス
URLリンク(upload.wikimedia.org)
古代エジプト第26王朝、ネクロポリスを建設、Sekht-am(椰子の土地)と命名[3][6]
この頃アモン神の神殿があったという[7]

665:世界@名無史さん
15/01/23 02:46:14.80 0.net
>>593
こちらから抜粋させて頂きました

ディオドロス・シクロス『歴史叢書』第一七巻
「アレクサンドロス大王の歴史」訳および註(その二)
森谷公俊

666:世界@名無史さん
15/01/23 03:13:10.53 0.net
>>556


「この山脈を越えると砂漠があり、 それからテルガエと呼ばれるガラマンテス族の町、 そして
またデブリス (その近くに一つの泉があって、 その水は正午から夜半までは煮湯のように熱い
が、 夜半から正午までの同じ時間は凍るように冷たい) とガラマンテス族の有名な首都ガラマがある。


ガラマンテス遠征について語っているのは紀元後1世紀のローマ人大プリ
ニウスだけだが、 ガラマンテスについてはヘロドトスもリビア (アフリカ) について解説する際に言及している。


「アンモン人につづいて、 砂の台地をさらに十日進んだところに、 アンモン人の土地にあるの
と同じような丘と水があり、 そのまわりに住民がいる。 この土地の


667:名はアウギラという。 ナサモネス族がココ椰子の実を採取にくるのはこの土地である。 アウギラからさらに十日進んだところに、 また塩の丘があり水や実のなるココ椰子が多数あることは、 他の場所と同様である。 ここの住民の名はガラマンテスといい、 きわめて多数の人口を有する種族で、 塩の上に土を運んで種子を蒔いている。」 ここでヘロドトスは 「アンモン人の土地にあるのと同じような丘と水があり」 と述べている が、 このアンモンとは現在のエジプト西方砂漠にあるシーワ・オアシスのことである。 さらにアウギラという地名にも言及している (地図③)。 またヘロドトスの世界観を示す図として地図③をあげる。 そして、 紀元前後を生きたストラボンもアンモンとアウギラとの関連を述べている。 「話によると、 大シュルティス湾のうちアウトマラに面した湾奥部あたりから出発して陸路を冬季の日の出方向へとると、 4日目にアウギラ市へ着く。 この場所はアンモンに似て、 やし樹が育ち水も豊かである。 ここはキュレナイア地方から見て南方の内陸にあたり、 100スタディオン (18キロ) までの間では樹木も育つほど地味があるが、 もう100スタディオンまでの間では種ものを播くことだけはするものの、 乾燥地帯だから米造りの出来る土地ではない。 これら(オアシス) の場所から上の方はシルピオンの産地で、 それからは定住者のない地方とガラマンテス族の土地になる。」



668:世界@名無史さん
15/01/23 03:18:55.68 0.net
「Tales from HERODOTUS」   PENGUIN BOOKS
ヘロドトスの「歴史」から、いくつかのエピソードを抜き出したもの。
URLリンク(www.geocities.co.jp)


<The Destroying Wind >
ナサモネスの隣はプシュロイであるが、彼らはもはや存在しない。
リビア人の話では、南風によって貯水池の水が干上がり、シュルティスの中にある領土に水がなくなった。
彼らは会議を開き、全員一致で南風と戦うことを決めた。
砂漠に進攻したとき、風が吹き、彼らを砂の中に埋めてしまった。
この部族が絶滅した後、ナサモネス族が彼らの土地を占領した。

<Hunting the Troglodytes>
アンモンから砂の地帯に沿って10日行くと、砂の丘と泉がある。
そこはアウギラと呼ばれ、人が住み、ナサモネス人がナツメヤシを採りに来る。

ここには、後ずさりしながら草を食べる牛がいる。
角が前方に彎曲しているので、前方に進むと土の中に突き刺さるからである。
その角と、皮が厚くて丈夫なことを除けば、普通の牛と変わらない。
ガラマンテスは4頭立ての馬車でエチオピアの穴居人(トログロデュタイ)狩りをする。
トログロデュタイは話に聞くあらゆる民族の中で最も足が速い。
彼らはヘビやトカゲや爬虫類を食べ、言語は他のいかなるものにも似ず、コウモリの鳴き声のような声を出す。

<The Pillar of the Sky>
ガラマンテスから10日行くと、また丘と泉があり、アタランテス人の国である。
彼らは、個人が名前を持たない唯一の人種であり、太陽が自分たちと国土を焼くと言って太陽をのろい、ののしる。

さらに10日行くと、塩の丘と泉と人の住む地域があり、側にアトラス山がそびえている。
この山は、細長いコーンの形で、頂上が見えないくらい高い。 夏も冬も山頂は雲におおわれている。
山の名にちなんでアトランテス人と呼ばれている住人は、その山を「天の柱」と呼んでいる。
彼らは生きものを


669:食べず、夢も見ないといわれている。



670:世界@名無史さん
15/01/23 03:23:00.18 0.net
>>596

<The Libyans>
エジプトとトリトニス湖の間のリビアの沿岸には、肉と乳で暮している遊牧民が住んでいる。
彼らは、ブタを飼わず、エジプト人と同じ理由で牛肉も食べない。
キュレネの女たちでさえ、エジプトのイシス女神を敬って牛肉を食べるのは悪いことと考えているし、 女神のために断食や祭りをする。
バルケの女は牛肉ばかりか豚肉も食べない。
トリトニスの西では遊牧民は見当たらず、生活様式も子育ての仕方も異なる。
遊牧民の多くは、子供が4歳になると、カタル(鼻や咽喉の粘膜の炎症)を防ぐため、脱脂していない羊毛で 頭の血管や、ときにはこめかみを焼く。
このためかどうか確かには言えないが、彼らは世界一健康な種族だと言われている。
血管への灸の際にひきつけを起こすと、牡山羊の尿をかけて治す。

遊牧民の犠牲の仕方 ―

まず、犠牲獣の耳を切り落とし、初物として家の屋根越しに投げ、それから獣の首をねじる。
リビア人は一般に、太陽と月に生贄を捧げるが、 トリトニス湖周辺の人々は主にアテナに、それについではトリトンとポセイドンに生贄を捧げる。

埋葬の仕方 ― ナサモネス人以外はギリシャ人と同じ埋葬の仕方をする。
  ナサモネス人は、息を引き取ろうとしている者を座らせ、仰向けに寝た状態では死なせない。
  そして座ったままの姿勢で埋める。

住居 ― 植物の乾燥した茎をイグサと共に編んだポータブル式の家。

671:世界@名無史さん
15/01/23 03:24:17.96 0.net
>>597


<The Dog-Headed Men>
トリトンの西、アウセエスを越えると、リビアには普通の家に住み農耕をしている部族が住む。
最初にあるのはマクシュエスで、頭の右側の髪を伸ばし左側は剃り、体には朱を塗り、トロイアの子孫だと言っている。

<この辺りやトリトン河から西の農耕民が住む地域> ― 
山が多く、森や野生動物も多い。
巨大なヘビ、ライオン、ゾウ、クマ、毒ヘビ、角のあるロバ、 犬頭人、胸に眼のある無頭人、野生の男女、架空ではないその他多くの生き物。

<遊牧民の住むリビア東部> ―
トリトン湖までは低地で砂漠である。
どこにでもいる動物以外に、尻の白いアントロープ、ガゼル、ロバ(角のあるのではなく、水を飲まない種類)
牛のように大きく、角が竪琴の腕木に用いられるアントロープ、キツネ、ハイエナ、ヤマアラシ、野生の羊、
ジャッカル、ヒョウ、巨大なトカゲに似た4、5フィートもある陸ワニ、一本の角のある小さなヘビなど。
鹿といのししはリビアにはいない。

3種類のネズミ ― ディポデス、ゲゼリエス、エキネス
シルピオンの繁茂するところにはタルテッソス産に似たイタチもいる。

672:世界@名無史さん
15/01/23 18:40:50.02 0.net
>>593
遠征路なら↓のほうが個人的には詳しくて好き
URLリンク(sitemaker.umich.edu)
アッリアノスのアレクサンドロス東征記読んでたら分かりやすいと思う
パライトニオンも表記されてるし

シウァ・オアシスの場所は以前地球の歩き方「エジプト」で見たけど
一応観光地になってるんだな (普通の人は興味持たないと思うけど)

673:世界@名無史さん
15/01/23 22:03:29.74 0.net
>>591

「アンモニア」
名称の由来は、エジプトのアモン神殿の近くからアンモニウム塩が産出した事による。

>>593

「苦い湖」と呼ばれる湖

夜明けに泉は暖かい水を噴き出すが、日が昇ると時間の経過に歩調を合わせて水は冷めていき、真昼の暑い盛りに最も冷たくなる。
それから夕方に向って温度の下降は止まり、夜になると次第に暖かくなって夜中に至る。
未明にかけて温度の上昇は止まり、夜明けにはまたもとの温度に戻るのである。






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