11/07/28 21:31:06.59 0.net
>>14
家康のブレーンだった金地院崇伝は別名「黒い宰相」と呼ばれていて、
肌が非常に黒い大男で、出自が京都という以外は良くわかっていない。
崇伝は、もう一人の家康ブレーンだった南光坊天海と覇権を争っていたが、
この人物も出自が謎に包まれており、一説には本能寺の変の後に突然失踪した明智光秀ではないかとみられている。
更に言うと、家康の徳川家自体も唐突に三河の地に出現した土豪であり、系譜も捏造された臭い。
ともかく、江戸幕府を創始したこの三人ともが出自に謎が多いのは大変興味深い。