22/03/07 18:54:36.39 wPjqmfTz.net
>>371
安子が雉真家を出て大阪で母子2人で生活している時に、母があんこのおまじないを唱えておはぎや饅頭を作っているのを手伝った記憶や、カムカム英語を母と聞いていた記憶がるいにはあるけど、母がそれらを始めたきっかけは知らないし、母の実家のたちばなの事もほとんど知らない。
赤螺には安子という人物がたちばなの看板娘だったという記憶がある。更に吉右衛門は、安子が毎朝ラジオで英語を勉強していた為にラジオ体操にいつも遅刻していた事を知っていた(今も覚えているかはわからないけれど)。これらがるいに伝われば、るいがルーツや母がラジオ英語講座を始めたいきさつに興味を持ち、 岡山へ行こうと思うきっかけのひとつになるのでは?