20/02/16 01:32:01.65 4/QYumjZ.net
「スカーレット」の脚本は
とてもがんばっていると思うけれど、
時々、理屈が先に立って、
物語の登場人物の生理と乖離するときがあるように思う。
冴えた描写を書くことが先走り、
登場人物が置き去りになる印象が時々あるのだ。
例えば、小池アンリがこんなにも芸術を愛しているわりに、
まずお金で解決しようとしたり、
作品に感動して作者を調べて会いに来たというわりに
喜美子をお手伝いさんかなにかと勘違いしていたり。
展開に引っかかりを作ろうとして、
ひとりの人間としてすっきりしないことになってしまう。
また、喜美子も、ものすごく自尊感情が低く、
私なんて……と引く場面がある一方で、
掛井先生が自分に対して恐縮する様をさもおかしそうに語ったり、
アンリに大金をふっかけたとちや子にドヤ顔で話したり、
言動に一貫性がないところがある。
そういう人がいないとは言いきれないが、
気になる人には気になってしまうところなので、
できればそういう部分は丁寧に精査したほうがいい。
貫通行動を徹底して描く訓練がされていないのは、
テレビドラマを専門にしている脚本家に多い。
それはテレビドラマの制作過程の問題であろう。
簡単にいえば、スケジュールの問題から
流れ作業で書かなくてはならないことだ。
NHKは時間があるほうだが、民放はいつも大急