19/12/05 19:17:33 Z9LpbH3Y.net
そしてこの日、スローティンの手が滑り、挟みこんだドライバーが外れて二つの半球が完全にくっついてしまった。
即座にデーモン・コアから青い光が放たれ、スローティンの体を熱波が貫いた。
コアが臨界状態に達して大量の中性子線が放出されたことに気づいたスローティンは、あわてて半球の上半分を叩きのけ、
連鎖反応をストップさせ他の研究者たちの命を守ろうとした。彼は文字通り皆の先頭に立って実験を行っていたため、
他の研究者たちへの放射線をさえぎる形で大量の放射線を浴びてしまった。彼はわずか1秒の間に致死量(21シーベルト)の中性子線と
ガンマ線を浴び、放射線障害のために9日後に死亡した。スローティンの間近にいた同僚のアルバン・グレイブスも
中性子線の直撃を受けたが、スローティンの肩越しにデーモン・コアを見ていたため、中性子線がスローティンの体によって遮られ、
数週間の入院で退院した。しかし、少なからぬ吸収線量によって後遺症(慢性の神経障害と視覚障害)が残り、生涯苦しんだ。
その他の研究者たちはデーモン・コアから十分離れていたため、無事であった。
クロスロード作戦
デーモン・コアは当初、クロスロード作戦の実験で使用される予定だった。しかし、前述の2度の臨界事故が起きたため、
放射能が減少するのを待ったうえで、期待される核分裂の性能を満たしているかを再評価しなければならなくなった。
そこで、エイブル(Able)実験とベーカー(Baker)実験用には新たに2つコアが用意され
、デーモン・コアは3回目のチャーリー(Charlie)実験で使用される予定となった。
ところが、2回目のベーカー実験で発生した想定外の放射能汚染によって目標の戦艦を移動させることができなくなってしまったため、
3回目の実験は中止となってしまった。そのため、このコアは後に溶かされて、ほかのコアを作るために再利用された。
その他
・当時のロスアラモスの研究者の多くが癌で早世しているとされるが、実際に手で触ったファインマンは癌を再発しながらも69歳まで存命していた。
・グレイブスは視覚と生殖機能をデーモン・コアに奪われた後も米軍の核実験の責任者として長く核開発にかかわり続けた。
・デーモン・コアを素手で触ったファインマンによると、崩壊熱による、曰く「放射能の暖かみ」があるとのこと。