【日章旗】日台友好 2015年【青天白日満地紅旗】at TAIWAN
【日章旗】日台友好 2015年【青天白日満地紅旗】 - 暇つぶし2ch397:美麗島の名無桑
18/10/28 16:15:54.18 .net
2018年10月26日
日台友好の証、永久に
座間市、海老名市にまたがり終戦間際に設置された「高座海軍工廠(こうしょう)」。
ここでは台湾から少年工約8400人が動員され、海軍の戦闘機などを製造していた。
その少年工が来日して75年経過したことを記念し、有志がこのほど芹沢公園管理棟そばに顕彰碑を設立。
10月20日、除幕式が執り行われた。元少年工とその家族も来日し、関係者らは日台友好の灯を絶やさぬことを誓った。
台湾にゆかりのある県内関係者らが企画した「台湾高座会留日75周年歓迎大会」の関連事業。
元少年工が帰国後に結成し、台湾最大の日台友好団体として長らく交流を続けてきた「台湾高座会」(李雪峰会長)の功績に感謝するとともに、少年工の歴史を後世に残すため顕彰碑が設立された。
除幕式には90歳前後になる元少年工22人とその家族、地域住民や関係者らが多数出席。
元少年工が日本に向けた歌や、元伊勢原高女勤労挺身隊から台湾に向けて詠んだ歌などが刻まれた顕彰碑がお披露目となった。
日本と台湾の交流の懸け橋となり、今回の催しを企画した「高座日台交流の会」の石川公弘会長は「台湾から日本を思い、日本から台湾を思う。優しさが身に染みる素晴らしい歌」と万感の思いで語った。
それぞれの歌が吟じられると、涙を浮かべる元少年工もいた。
少年工の「第二の故郷」
芹沢公園にはかつて、高座海軍工廠の地下工場が置かれていた。ここで製造していたのは戦闘機「雷電」。
徴兵による労働力不足に悩まされていた海軍は、当時日本領だった台湾から少年工を動員。
「雷電を生産しながら勉学に励めば、旧制工業中学の卒業資格が与えられ、航空機技師への道が開ける」―。14、15歳の大志を抱く台湾の少年たちは競って志願した。
しかし戦局が悪化する中、待っていたのは勉学とは程遠い過酷な労働だった。
大和市上草柳にあった寄宿舎では毎晩すすり泣く声が響いたという。
それでも今なお、元少年工がこの地を「第二の故郷」と思うのは、食料や防寒具を少年工に分け与えた地域住民の存在があったからだ。
李会長は「みなさんの温かい心に感銘を受けて今日に至った」と語る。
顕彰碑には、そんな地元住民への感謝の思いも込められている。
後世へと語り継ぐため、芹沢公園周辺の住民有志による「見守り隊」もこの機に発足した。
メンバーの飯島敏男さん(68)は「祖母から『少年工の方がここで芋を食べたり休憩したりしていたんだよ』と聞かされていた」と懐かしむ。
大澤道夫代表(65)は「芹沢公園は子どもの頃から遊び場として慣れ親しんだ場所。そんな所にこのような歴史があったことを、我々地元の人間が伝えていかなければならない。立派な顕彰碑を作っていただいたので、みんなで守っていきたい」と決意を新たにした。
座間市はこのほど同公園内の地下壕の一部を再整備した。ライトアップし、地下壕の中の様子を見られるようになった。
中には(一社)座間青年会議所から寄贈された雷電の模型を展示。
また、顕彰碑のそばには、高座海軍工廠と台湾少年工の歴史を記した案内板を設置した。
ライトアップは午前9時から午後5時まで。問い合わせは市公園緑政課【電話】046・252・7222。
URLリンク(www.townnews.co.jp)


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