戦前、日本だった頃の台湾at TAIWAN
戦前、日本だった頃の台湾 - 暇つぶし2ch742:美麗島の名無桑
18/07/08 11:04:39.43 .net
2018.07.05
リノベでおしゃれに生まれ変わる台北の日本家屋
台北に「昭和町」という地区があったことをご存じですか。
今は「青田街」などに名前が変わりましたが、台湾が日本の植民地だった1930年ごろに日本家屋が建てられ、大学教授や官吏ら日本人が暮らした地区でした。
現在も60棟ほどの日本家屋が残る、昭和にタイムスリップしたような地域ですが、いま、これらの住宅がリノベーションされ、おしゃれに生まれかわろうとしています。
森林公園に隣接し、落ち着いた住宅街として知られる台北市大安区の青田街で6月9日、「台北昭和町の日」と呼ばれる催しが開かれた。
この地に残る、80年ほど前に建てられた瓦ぶきの日本家屋を保存活用しようと、レストランや画廊、
カフェなどに改修する取り組みが進んでおり、かつて暮らしていた日本人を招いて、地元の台湾の人々との交流会が企画されたのだ。
敦煌画廊は、旧制台北高校(現在の台湾師範大学)の教員が暮らした邸宅だった。
歴史を感じさせる木造のどっしりとした外観を生かしつつ、屋内は洗練された画廊に生まれ変わっている。
広い庭園や、お茶を楽しめる喫茶部門も併設した、いわゆる「リノベカフェ」だ。
交流会では、周辺に残る日本家屋の見学ツアーも開かれた。
地域の街並みの大半は、すでにマンションや一般の住宅に建て替えられている。
だが、まだ60棟ほどの日本家屋が点在する。
ツタが生い茂り、朽ちかけた住宅もあるものの、そのうちの10棟ほどが敦煌画廊のように民間資金で改修、再生されて施設や店舗に生まれ変わっている。 
「和合青田」(青田街8巷10号)は、敦煌画廊の隣に今年4月にオープンしたばかりの茶館だ。中国茶を中心に東洋の茶文化を普及する団体が運営している。
畳の間や床の間もあり、くつろいでお茶を味わえる。見学や利用は無料だが、事前の予約が必要となる。
近くのレストラン「青田七六」(青田街7巷6号)は、再活用施設の先駆け的な存在だ。オープンは2011年。
応接室や書斎、子供部屋、女中部屋など、間取りをそのまま生かした個室レストランになっており、日本人観光客も多く訪れている。 
日本家屋が保存・活用される背景には、観光開発や街づくりに加えて、中国大陸とは異なる、台湾独自の歴史を再発見し、重視しようとする台湾の人々の意識の変化がある。
1895年から1945年までの半世紀、日本の植民地として統治された時代も、台湾人が独自に経験した歴史の一部であるという考えにもとづいている。 
活用法の変わり種は、蓄音機の博物館「声音光年」(和平東路一段187号)。建材メーカーのオーナーが集めた品々を展示している。
門の上に掲げた蓄音機のモニュメントが目を引く。交流会では、昭和初期のレコードを再生する音楽会が開かれた。 
カフェ「暖時光」(泰順街16巷4号)は、地域の高齢者の生涯教育施設を兼ねている。
屋内は壁や天井を取り払った吹き抜けのおしゃれなカフェで、若者の客も多い。 
運営する周妮萱さんは、「歴史を感じさせる日本家屋は、台湾人にとっても、どこか懐かしい気持ちを抱かせる。
年齢を問わず、地域の人々が集い、くつろげる場にしたい」と話す。 
URLリンク(globe.asahi.com)


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