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日本統治時代の住職宿舎が茶所に 京都らしさ漂わせる
2017/07/07 14:28
「日本の俳優の小泉孝太郎がお茶を買いに来たことがあるんですよ」と、台北の観光スポット「西本願寺広場」内にある茶屋「八拾捌茶輪番所」の女性店員がこっそりと記者に語りかけてきた。
「本当にあの日本の元首相小泉純一郎の息子の孝太郎です。超イケメンでしたよ」と。
店内には、台湾各地の茶園から厳選された良質な茶葉が並ぶ。いずれも熟練焙煎師によって焙煎されたものだ。
お茶のほか、お茶請けのお菓子や、料理も好評で、来店客は畳のある和室でお茶をたて、その香りに癒される。
縁側でお茶を飲みながら、庭の眺めを楽しむこともできる。
1924年に竣工された住職の宿舎「輪番所」は歳月を経た後、修繕工事が行われ、2014年に茶処として生まれ変わった。
店内ではこれまで、さまざまなイベントを開催。「着物(浴衣)の夕べ」、「夏のコスプレ」(COSPLAY in RINBANSYO)、カラーメイク商品の大手シュウ ウエムラ(植村秀)の新商品発表会などが行われたこともある。
茶屋が位置する西本願寺広場は、日本統治時代に建てられた「西本願寺」の跡地。
正式名は「浄土真宗本願寺派台湾別院」とし、1896(明治29)年に「本願寺布教所」として建立。
1901(明治34)年に、日本政府の許可を得て、仮設本堂、集会所、宿舎などが建てられ、「台北別院」に昇格した。
1922年以降、御廟所(骨を収める施設)や鐘楼、樹心会館、輪番所などが建てられ、1929年には「台湾別院」と改称。
1931年に本堂が竣工し、当時台湾最大の日本寺院となった。
第二次世界大戦中、日本の僧侶が従軍布教使として訪台し、西本願寺は仏教の布教拠点とされた。
戦後は中華民国政府に接収され、一時期は「台湾警備司令部交響楽団」の事務所として使われた。
1947年の二・二八事件の際には、疑いが掛けられた人々が収容され、拷問を受けた。
1954年以降、本堂は「中華理教総会」に使用されていたが、1975年に火事で本堂の木造の本殿や、御廟所などほとんどの建物が焼失。
その後は違法建築物で埋め尽くされた。2005年に、台北市政府が違法建築を取り壊し、焼け残った西本願寺の建築物は再び姿を現した。
台北市政府は2006年、残っていた西本願寺の鐘楼、樹心会館を市定古跡(文化遺産、保存価値がより高い)に、輪番所、参道、本堂、御廟所などを「歴史建築」に登録した。
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