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おばあちゃんはチーヤポイヤというお祭りが楽しみだった。
高馬はいて手も棒を持って長い謝将軍と太っちょの范将軍の格好をした人が練り歩いたそうです。
おばあちゃんが大きくなる頃にそのお祭りはなくなっちゃったとか。
調べたら霞海城隍廟に祀られている背の高い謝将軍と太っちょの范将軍のようですね。
おばあちゃんより2歳年上の親戚は沖縄育ち。
沖縄は教育が遅れていたらしく台湾の中学校に入る時におばあちゃんと同級になったそうです。
ある日おばあちゃんの近所の女の子の名前で手紙がきて、開けてみると中学生男子からのラブレターでした。
読ませようと女の子の名前を書いたのです。
このように中学生にからかわれると沖縄育ちの親戚に相手を叱ってもらっていたそうです。
中学生と女学生が言葉を交わすなんて不良だと言っていました。
二中は真面目で商業学校がやんちゃだったそうです。
台湾の教育は内地より進んでいたそうです。
台湾では勉強の出来が普通だったおばあちゃんの友達が内地に転校すると優等生になったり、
内地のおばあちゃんの母の実家に一カ月ほどいた時学校に通ったら、全部勉強したことのある内容だったそうです。
終戦前は一人で自転車で台湾人街に行って野菜を買っていたそうです。